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2011/11/05

4度目の北朝鮮訪朝3日目

2011年10月31日(月)

今日は最悪である。
iPhoneが持ち込めないので嫁のカメラを持って来て写真を撮っていたのだが、
いじり方がわからないので誤って撮った写真を全部消してしまったのだ。

仕方がない。
相方の撮ったビデオの中から同じものがあったらキャプチャーさせて頂くが、
昨日平壌の街を散歩してた時、
河のほとりで釣りをしているおじさんの隣でのんびりと休憩していて、
そのおじさんがやっと小魚を釣り上げた瞬間を写した写真が消えてしまったのだけは悔やまれる・・・

また街を出て散歩をするがどうも気が晴れない。
それに反して平壌の街はどうしてこんなにも賑やかで明るいのか・・・

世界中が経済制裁を行っていると聞いていたので、
きっと人民は貧窮に苦しんでいると思っていたが、
街のいたる所で改修工事が行われ、
古いアパートはどんどん取り壊され、
新しい高層マンションがどんどん建てられている。

商店には以前よりモノが増え、
若い子はみんな携帯電話を片手に楽しそうに街を歩く。

ヘタしたら不景気に喘ぐ日本の街よりもその表情は明るい。

「北朝鮮は劇場国家だから、
旅行者が見せられている光景は全て北朝鮮によって作られたものである」
という人がいるが、
そういう人に限って北朝鮮のことをまるで知らない。

ワシは今回で4回目、相方に至ってはもう30回はここに来ているのだ。
しかもジャーナリストが規制されながら街を見さされるのと違って、
ワシらはいつも人民と同じ目線で同じ様に街を歩く。

人民が泣き笑い、取っ組み合いの喧嘩をするのを目の当たりに見る。

そんなものまで完璧に「作られたもの」であるとしたら、
その「制作予算」は国家予算のうちにどれだけの割合を占めねばならないのか(笑)

「豊かになった」と観光客に思わせるために
ウソのビル工事をやってるとまで言うのなら、
その人はあまりに頭が工事中である(笑)

世界最大を目指して建設されたが頓挫してしまい、
そのみじめな姿を街の中心に晒していた柳京ホテルは、
エジプトの資本を受けてその外観はもう完成、
来年から5フロアーのみだが営業を開始される。

(ちょっと前まで)
PyongYang2011RyuKyoHotelOld.jpg

(今・・・)
PyongYang2011RyuKyoHotelNew.JPG


ワシが投宿している平壌駅近くのこの高麗ホテルのすぐ裏には、
中国資本を受けて巨大なホテルが建設されている。

知らぬは日本人ばかりである。

他所からこれだけの投資を受けている国に、
自分とこだけが経済制裁をしてそれで効果があると思っている政府のお偉いさん方が全くもってアホに思えて仕方がない。

マスコミはマスコミで、
何もわかっちゃいないのにわかったような振りをして報道をする。

中国が今の平壌のようにどんどんと豊かになっている時に、
あの人達は相変わらず中国の悠久の大地とまだまだ貧しいところだけを報道して来た。
数年遅れて今度は中国の豊かな部分だけにスポットを当てて、
その貧富の差にあえぐ人民の姿はもう忘れてしまっている。

それではまるで新宿で段ボールで暮らすホームレスだけを報道して、
「日本はこんなに貧しい」
と言ってるようなものでないのか!!

北朝鮮の農村部の貧しい生活は、
いくらワシらでもそれを目の当たりに見ることは出来ない。
まあ亡命者の数と比例してそれはきっと悲惨な生活をしているのだろう。

しかし都市部、もっと言うとこの平壌の街だけは、
外国(特に中国)の投資をふんだんに受けて活気に溢れているというのは紛れもない「事実」なのだ!!

ま、いい。
ワシひとりだけ写真データを消して落ち込んでいても仕方がない。
月曜日になったので懐かしの6月9日高等中学校に行くとしよう。

通い慣れた道、見慣れた街角、
そして懐かしいその校門をまたいで学校に入った。
平壌の街がどれだけ変わろうが、
この思い出の空間だけは時空が止まって真空パックされているかのようにそのままであった。

ワシが行くことは知らされてなかった懐かしい音楽の先生がびっくりして出迎えてくれた。

溢れんばかりの愛情で子供達を育て、
顧問である音楽倶楽部にこんな外国人を手放しで受け入れ、
自分はどうなっても子供達に新しい音楽を教えさせたいと思う、
こんな素晴らしい先生がそのままの真空パックで目の前に現れた。

PyongYang2011Sensei.JPG

先生は開口一番でワシにこう言った。
「リュノスケ・・・でしたよね?」

これには相方の方がびっくりした。
前回来た時に
「ファンキーさんに子供が生まれたよ」
と話してはいたそうだが、
別にその名前なんかちらっと言ったか言わないかぐらいのことである。
それに先生は今日ワシが来ることを知らなかったのだから用意して待ち構えているわけでもない。

本当にワシのことをいつも思ってくれてて、
そしてとっさにその子供の名前が口から出たのである。

校長先生は外出していたのだが、
「ファンキーさんが来ましたよ」
ということですぐさま携帯電話で呼び出された。
ほんとこの平壌もいつの間にやら携帯社会である。

「3年間も来ないなんてファンキーさんはきっと私たちを裏切ったと思ってましたよ」
校長先生が笑いながらこう言う。
「3年間子育てで忙しかったんです」
そう言い訳して頭をかいた。

やっぱ来なければならない。
これはロックによる「民間外交」なのだ。
いつの日か両国の人々が自由に行き来が出来るようになるまで、
今はそれが出来る人間はワシしかいない。

日本政府は「渡航自粛」と言いながらサッカーの選手団と何百人のサポーターを送り込むぐらいなら、
ワシを送り込んでこの国でロックをさせた方が我が国に有益じゃぞ!!

などとアホ言うのもそこそこにして、
部員が全く新しくなった音楽倶楽部を見学してから先生にこう提案してみた。
「今回はみんなで一緒に曲を作りましょう」

今まではワシが持って来た「ロック」とかいうわけのわからないものを「やらせて」いた。
今回は子供達の心の中から湧き出て来る何かをつむいで、それを形にしたい。

自分で考えるのだ!!自分で行動するのだ!!
たとえどんな障害があってもそれを形にするのだ!!
それが今この国では一番必要なのではないか?!!

PyongYang2011NinnikuShochu.JPG

今日のお酒:にんにくの焼酎!!
(買って帰ってに置いとくんでみんなで飲もう!!)


北朝鮮ロックプロジェクトまとめはこちら

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