2012/04/22
ドラムを叩くということ・・・
響太という高校生ドラマーがいる。
小畑秀光というキチガイが
「こいつは見どころがあるんですよ」
と言って連れて来たので相当のキチガイかと思ったが、
まあワシの印象としたらおとなしくて可愛い普通の「子供」である。
人はワシと北朝鮮の子供達との交流の番組を見て、
「ファンキーさんって子供好きなんですねえ」
とか言ったりするが、
誤解なく言うとどちらかと言うと子供は「嫌い」である。
「自分の子供は例外である」と言うが、
その例外がファンキー村の7人の子供達、
そして北朝鮮の「ロックの生徒達」に広がっているだけで、
どちらかと言うと子供好きかどうかと言われれば嫌いだと思う。
「子供ドラマー」というのがまた嫌いで、
全中国をドラムクリニックで廻っていると、
「これでもか」というほど中国の「ちびっ子天才ドラマー」と出会うが、
その親や先生などから
「ファンキー先生、どうですかねえこの子は?プロになれますかねえ」
と質問される度にうんざりする。
「ちょっと見どころがあるなあ」と思った子供に世話を焼いたところで、
そのほとんどが10年もすればドラムなんて叩いてないのである。
世話を焼くだけ無駄である・・・
と言いながらどちらかと言うと「出会い」は大切にする方なので、
大人ドラマーだ子供ドラマーだは関係なく、
それはそれでひとつぐらいドラマーとしてのキーワードを与えておいたりする。
それが心の底から理解出来たドラマーだけが次のドアを開けることが出来る、
そんな「宿題」を与えてたりするのだ。
そもそもが「音楽」に大人だ子供だは関係ない!!
子供ドラマーのそのほとんどが「子供である」ということで拍手をもらっている。
中国で「スーパーちびっ子ドラマー」の演奏を見た後も、
必ず惜しみない拍手を与えなければならない。
「お前のドラムは音楽以前の問題だよ!!」
などと「本当のこと」を言おうものなら、すぐさま
「何て大人げない」
と総攻撃を受けることとなる。
これは一種の「暴力」である。
「拍手は芸人を殺す」という言葉があるが、
そんな拍手が子供ドラマーの「才能」を容赦なく殺してゆく。
あのアホな大人ドラマーを見ればわかるだろう。
有名であるがだけでちやほやされているドラマーにろくにドラムが叩けるヤツがいないのは、
「その人であればそれだけでいい」
というミーハー共の拍手によってその「芸」が殺されてしまったからに他ならない。
「いや、響太は違うんです!!
こいつはもう自分は音楽で生きてゆくしかないと思ってますから!!」
と小畑秀光のキチガイは言う。
「何言うてんねん!!子供ドラマーである限り、
ステージで失敗したってシマッタという顔したらみんなカワイイと思って許されるだろ。
お前や俺がステージでそれやって許されると思うか?
ステージは何だ?!!戦場だろ!!俺らは生きるか死ぬかでステージやっとるんじゃ」
とかつい「本当のこと」を口走ってしまうと、小畑秀光のようなキチガイでさえ、
「そんな大人げない・・・」
という目でワシを見る・・・
「いいよ、わかったよ!!21日のX.Y.Z.→Aのライブに連れて来い!!
ドラムの後ろでずーっとその命懸けの戦いを見させとけ!!
それで何かを感じることが出来たら一生音楽でも何でも好きにやればいい!!」
というわけで昨日のライブは響太がずーっとドラムの後ろで見ていた。
リハの時に
「ここに座って1ステージずーっと俺のドラムを見とけ」
と言ったらドラムの後ろでちょこんと正座して見てたので、
「楽にしてみてたらいんだよ」
と言い直した(笑)。
どうもワシは「顔が恐い」らしくよく人にこのような緊張感を与えるらしい・・・(笑)
本番が始まる前にワシは響太にこう言った。
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間違ってもオカズなんか聞いてんじゃないぞ。
「これどうやって叩いてるんだろう」なんてこと考えた瞬間に、
もう「音楽」を聞く状態になってない。
オカズなんて何叩いたって「音楽」になるんだ。
注意深く聞くのはむしろ「スネア」だよ。
「パーン」って音が鳴るだろ、
その「パーン」を全部呑み込むつもりで叩くんだよ。
「ン、パーン、ン、パーン」と音が続くだろ、
それを全部呑み込みながら叩いてるんだ。
オカズ叩いてる時にもその「パーン」が聞こえてるようなつもりで叩く。
その「感覚」を覚えておいて、
次に自分がドラムを叩いた時に同じように「パーン」を呑み込むように聞きながら叩く。
「あれ?何か違うなあ・・・何が違うんだろう・・・」
と思ったらそれこそが「音楽への入り口」よ。
スネアの音にはいろんな「表情」があるからそれを聞くんだ!!
特にバラードなんかではその音色がとても「悲しい」ものになったりする。
「どうやったら叩けるんだろう」は次の段階だ。
要はその「表情」が「感じ取れる」かどうかよ。
感じ取れなかった一生それを叩くことは出来んからな。
例えばAメロとBメロ、そしてサビは全部その「表情」が違う。
オカズを叩く。
何を叩いたっていい。ただ「今からサビですよ」という「気持ち」が大切だ。
そしてサビに行く。
「パーン」というサビの「音色」を、
今度はサビの間じゅう「同じ音色」になるように踏ん張って叩く。
それを「聞く」んだ。それを「感じる」んだ。
ドラムなんて所詮は「同じ音量」の「同じ音色」を「同じタイミング」で叩くだけに尽きるんだよ。
それに命を賭けてるだけの話だよ。
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要は「責任感」の問題である、とよく人に説明する。
オカズを叩く、人間なんだから当然ちょっとヨレる、
次のスネア一発でそれを強引に、
いや強引だとは気付かれないように命懸けでそれを修正する。
「あ、今度はちょっと強過ぎた」それを次の一発で修正する。
一発一発を命懸けで「キープ」するのだ!!
その繰り返しを「リズム」と言う。
だからリズムには「人生のドラマ」がある。
「戦いの連続」なのだ!!
チャラチャラした性格のとある大人ドラマーにこう説教したことがある。
「お前、今その瞬間にヘラヘラ笑って誤摩化しただろう!!
何でそれを次の一発で命懸けで取り戻そうとしない?!!
お前はずーっと人生をそうやって生きて来たんだ。
ヘラヘラ笑ってたら今まで全て許されて来たんだ。
俺は違う!!俺がそれをやってたらもう周りに誰もいなくなる。
だから俺は戦って生きるしかなかったんだ!!
だから今も命懸けで戦う!!それだけだよ!!」
ちんちんに毛も生えてない子供には分かるはずもないので今回は言わなかったが、
中国の若い衆にはこれをよく「初恋」に例えて説明する。
「初恋の感覚を思い出せ!!
強く抱きしめたら壊れてしまう。
弱く抱きしめたら逃げてしまう。
じゃあお前はどうする?
あ、強かった・・・死にもの狂いで次の一発で何とかするだろ?
弱かった・・・命懸けで次の一発を何とかするだろ?
その連続がリズムなんだ!!
要はどれだけ"愛してるか"だよ・・・」
こんな話をしていると昔プロデュースした萌萌(MengMeng)という歌手を思い出す。
「恋の歌が歌えないの・・・だって私・・・恋したことないから・・・」
と言ってた彼女、華々しくデビューして以来そう言えばあまり噂を聞かないなぁ・・・
「ママなんて捨ててもいい。何を失っても、全て捨てても私はこの人と一緒にいたい」
そんな気持ちになったことがない人間に人の心を打つ歌なんか歌えるわけなんかないじゃろ・・・
「人生」とはそんなにうまいことばっかいくもんではない。
その証拠に現実の「恋」はそのほとんどが「大失敗」に終わる。
だからドラムを叩くときぐらいは失敗はしたくない。
ここは自分だけの「ドリームキャッスル」なのだ!
「失敗するぐらいなら死んだ方がまし」なのだ!!
「戦場」なのだ!!戦って生きるのだ!!
それを人は「ロック」と言う。
響太は素直な男の子である。
怖い顔した変なオッサンにわけのわからんことを言われて、
緊張してドラムの後ろに正座して、
ひょっとして言われた通り結局はスネアだけ聞いて何も理解出来なかったかも知れない(笑)
でもいいのだ!!ワシはこう言った。
「今日俺が言ったことが理解出来なくてもずーっとこれを覚えとけ!!
いつかひょっとしたらわかる時が来るかも知れない。
ああ、あの時に聞いたことはこれこれだったんだ、と」
ワシは響太の父親でも何でもないので、
「お前はこう生きろ」などということは出来ない。
自分の人生なのだ。
子供だろうが何だろうが、自分で決めて自分でそれに向かって戦ってゆかねばならない。
社会に出ればいずれわかるだろう。
恋をすればいずれわかるだろう。
まっとうに生きたってどうせ人生なんてシンドイもんなのだということを。
そしてキチガイとして世間と戦って生きたってシンドイもんなのだということを。
神様はこの部分だけは人間を平等に作った。
「人生はどんな人間にも平等にシンドイ」のである!!
初恋をして、熱病のように「この人といれたら何も要らない」と思うような同じ気持ちで、
「何を捨ててもいい、一生貧乏でもいい、僕はロックで生きるんだ!!」
と思った時にまたワシのところに来ればいい。
その時にまたドラムの後ろで正座してこのドラムを聞いてみろ。
初めてこのオッサンがどう生きて、
どう死んでゆくのかを「感じる」ことが出来るだろう。
頑張れ響太、お前の人生はまだまだ長い!!
逃げてはいけない!!戦って生きるのだ!!