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2011/11/06

4度目の北朝鮮訪朝番外編2:よど号乗っ取り犯人と酒を飲んだ!!

スミノフBar(別にそんな名前ではないのだが、いつもここに来るとロシアのウォッカ、スミノフを飲みながらアホ話をするのでワシらはこう呼んでいる)でまたスミノフを飲みながら、
「部長はやっぱ可愛いな、いやペコちゃんの方が可愛いな」
などとアホ話をしながら盛り上がっていると、
どうやら隣に座っている人が日本人らしく、
ワシのアホな話を聞いてはクスクスと笑っている。

「すみません、日本の方ですか?」
と聞くと、笑いながら
「はい、そうですよ」
と答えた。

イントネーションが関西弁なので、
前回会った
「日朝関係は今がピンチでっけどな、
商売っつうのはピンチの時がチャンスなんですわ、は、は、は」
と笑う関西の商売人のことを思い出したが、
その出で立ちがどうも商売人っぽくない。

「こちらには商売でいらしたんですか?」
そう聞くと、
「いえ、こちらに住んでます・・・」
と答える。

ぽかんとしているワシに相方が耳打ちした。
「ファンキーさん、アレですよ、アレ、
よど号乗っ取り事件の犯人グループのひとりですよ」

げげっ!!!
そんな国際的な犯罪グループの人がこんな大手を振って酒を飲んでていいのか・・・

そう言えば聞いたことがある。
日本では「犯罪者」であるが、この国では「政治亡命者」である、と。

ところ変われば犯罪者が犯罪者ではないということはワシの身近なところでも経験がある。

爆風スランプが「ORAGAYO」というアルバムを出した時、
中野はフランスに亡命している天安門事件のリーダーのひとり、ウアルカイシと会って、
爆風スランプはその模様をビデオに納めて販売すると共に、
「おおBeijing」という楽曲に「ウアルカイシに捧ぐ」と注釈を入れてCDも発売した。

これに当時の中国人の嫁とその家族は過敏に反応した。
嫁の母などは泣き喚きながらこんなことをワシに言う。
「中国ではやってはいけないことがふたつある。
ひとつは黄色いこと(ポルノ)、
もうひとつは政治のこと。
このふたつはあなたの命を奪うだけでなく、
私たち家族の身にも大きな危険が降り掛かってくることだから頼むからやめて下さい」
と。

ウアルカイシを民主化の英雄と見るかどうかは人の勝手であるが、
ところ変われば彼は大犯罪者であるということを日本人はあまりに理解していない。

逆によど号乗っ取りグループが犯罪者であることは日本人であるワシはよく理解しているが、
ところ変わって北朝鮮では政治亡命者であるということがワシには逆に非常に不思議な感覚だったのでそのことが強く頭に残っていたのだ。

そう言えば出国前に
「よど号の乗客であった人の100歳の誕生日に乗っ取り犯人グループが謝罪文を送った」
というニュースを聞いたことがあるので、
その真意のほどを聞いてみたい気持ちと、
「こんな人達に関わり合いたくない」
という気持ちが複雑に交錯する中、
酒の酔いというのは恐ろしいもので、
ワシの口から真っ先にこぼれた質問はこれだった。

「メンバーのうちどなたかが、
あの伝説のロックグループ"裸のラリーズ"のギタリストだったというのは本当ですか?」

彼はまたもやぷっと吹き出しそうになりながらワシにこう言った。
「本当ですよ、私がそうです」

裸のラリーズ初代ギタリスト、若林盛亮。
高校の頃ビートルズを聞いて衝撃を受け、
ギターを手にしてロックを始め、
まあ学生運動真っ盛りの当時ではおそらく「ロック」と「革命」というのは同じようなものだったのだろう、
ある日ギターを捨てて学生運動に身を投じ、
飛行機を乗っ取ると決めた時に髪の毛を切った。

彼にとってはギターよりもむしろその長髪こそが「ロック」だった。

髪の毛を切るということはすなわち
「もうここには戻らない」
ということだったと言う。

ワシはと言えば、
事務所の命令で髪の毛を切った時もあったが、
いろいろあったはあったが相変わらず「革命」はずーっと「ドラムを叩くこと」だけである。

北朝鮮ロックプロジェクトのあの映像はDVDで見たことがあるらしく、
この国でロックをやることがどれだけ難しいかを一番理解している彼にとって、
それはとてもとても感動するものであったと言うけれども、
この国で「亡命者」として暮らす日本人が、
どのようなルートでこのように日本の情報と接しているのかこそがワシにとっては「ムルンピョ(疑問符)」である。

「そもそも爆風スランプなんか知ってるんですか?」
と聞いてみると、
「知ってますとも!!Runner!!息子が好きでよく聞いてましたから」

そうかぁ・・・息子さんがいるのか・・・

今は帰国して日本で暮らしていると言うが、
この国で生まれ育ち、乗っ取り犯を父に持ち、
拉致事件容疑者(本人は否定していると言うが)を母に持つ少年の人生たるや一体どんなものなのだろうか・・・

「若林さん、あなたが犯罪者である以上、私は"日本人"として、
あなたを助けたり支援したりするわけにはいきません。
でももしもお子さんが日本で言われなき差別を受けたりしたら、
私はひとりの"人間"として彼を命がけで守ります。
遠慮なく私を頼って来るようお伝え下さい」
と言ってお別れした。

不思議な夜だった・・・

思えば政治の話など出来ないワシは、
結局アホなロック話しかしなかった。

「自首するなら北京から露払いぐらいしますよ」
とは言ってはみたが、
もし本当にちゃんと帰国して刑に服したとしたならば、
ワシは是非またそこに面会に行って、
面会室の窓越しにまたアホなロックの話でもしてみたいと強くそう思う。


北朝鮮ロックプロジェクトまとめはこちら

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