2018/12/31
SING THE BLUES FOR YOUライナーノーツ
01:最後までよろしく
(作詞:ザビエル大村・三井雅弘 / 作曲:ザビエル大村)
私が大村はんと出会ったのは2000年春のこと。
X.Y.Z.→A (エックス・ワイ・ズィー・トゥ・エー:Vo 二井原実、 G 橘高文彦、B 和佐田達彦、Ds ファンキー末吉)というバンドで「100本ツアー」と銘打って日本全国をくまなくツアーで廻っていた。
二井原実が喉の不調により関西方面のライブが何本かキャンセルになってしまい、共通の友人"三井はん"の紹介で大村はんのマンションに初めて泊まりに来た。
マンションには「ギター部屋」があり、見たこともないようなギターがいっぱい並んでいた。
その中から一本を取り出して弾いてくれたのがこの曲。
ギター1本でベースラインから伴奏、メロディーまで奏でる「ラグタイムギター」という奏法に度肝を抜かれた。
02:淀川リバーサイドBlues
(作詞作曲:ファンキー末吉)
谷町線「守口」駅からほど近い、淀川を見下ろせる
大村はんのマンションにあるCDはそのほとんどがブルース。
大村はんがギターを爪弾いてもその全てはブルース。
朝起きてからそんなブルースばかり聞いていたら、ついつい酒を飲みたくなる。
昼間っからウィスキーの水割りを飲みながら「ええなぁ」とブルースに酔いしれる。
当時このマンションの近所に「へんこつや」というホルモン屋があり、夕方にはそこに行ってホルモンを食う。
そんな数日間の生活でだんだんわかって来たのだが、このマンションにはちょっと前まで「嫁」がいたらしいが出て行ってしまったらしい。
「歌になるなぁ...」ということで出来上がったのがこの曲。
03:ハゲでよう見たら背もちっちゃいからずんぐりむっくりやけどそれでも今日からあたいの大事なだんな様(仮)
(作詞作曲:ファンキー末吉)
「髪」、いや「神」というのはいるもんなんですなぁ・・・
そんな大村はんにも「二人目の嫁」がやって来た。
爆風スランプの追っかけの双子姉妹のひとり。
双子というのは面白いことに二人でいつも一緒にいる。
学校も同じ、卒業して職場も同じ、趣味も同じ爆風スランプ、妹はサンプラザ中野、姉はファンキー末吉のファン。
また面白いことに双子というのは二人を一緒くたにされるのが嫌らしい。
「だったら一緒におるな!!」という話なのであるが、姉は姉、妹は妹、ちゃんと一人して区別してくれる相手じゃないと、結婚どころか恋愛とかも絶対にダメらしい。
そこで「髪」ならぬ「神」が登場!!
ある日、同じ大阪でサンプラザ中野のライブとファンキー末吉のライブが同じ日に行われたのである。
双子の姉妹はここで初めて別々に別れてライブを見に行くことになり、私のライブにひとりで来た姉を大村はんに紹介し、トントン拍子に結婚と相成った。
私は新郎新婦の紹介者として結婚式の仲人となり、披露宴で歌うこの曲を作ってプレゼントした。
思えばこの結婚式以来誰も歌うことがなかったこの曲を、私自身が歌い継ごうと思い今回アルバムに収録した。
タイトルは今だに仮タイトルのままである。
04:おお BEIJING
(作詞:サンプラザ中野、作曲:ファンキー末吉)
爆風スランプが「Runner」「リゾ・ラバ」などヒット曲を連発していた頃、実は私の精神状態は一番よくない状態であった。
毎日テレビの娯楽番組などで忙殺され、「芸能界」というところが大嫌いになり、「自分は何をやっているんだろう」という思いがピークになって来たある日、友人の鍼治療に同行して初めて中国に旅行に行った。
その時偶然地下活動をしている中国のロックバンドのライブを見た。
血が逆流するほどの感動の中で「俺は中国人になる!!」と言って今に至る。
若かりし頃、黒人音楽を初めて聞いて「俺は黒人になる!」と言ってアフロヘアーにし「ファンキー末吉」と名乗って以来の人生の大転換である。
頃は1990年、前の年に起こった天安門事件以来、一番締め付けが厳しい時代の中国で、地下活動としてロックをやっている若者たちのことを思ってこの曲を作った。
サンプラザ中野はこの曲に天安門事件の民主化のリーダーの一人とその恋人をモチーフにしてこの詞を書いた。
05:ママの初恋
(作詞作曲:ファンキー末吉)
北京から帰った私は「心ここに在らず」でいつも中国ロックのことばかり考えていた。
爆風スランプが活動停止となったのもこれがひとつの大きな原因である。
そんな中、私は中国ロックを題材に小説を書き、それが「小説現代」に掲載され文壇デビューすることとなる。
この「天安門にロックが響く」という小説は、その後「北京の夏」という漫画の原作となり、それが翻訳されて香港、台湾で発売された。
中国共産党が支配する中国大陸ではもちろんご法度である。
私の嫁(当時)は中国人で、その両親が初めて日本に来てこの漫画を見つけた時、私にそれはそれはこんこんと説教をした。
「中国では絶対にやってはいけないことが二つある。
ひとつはエッチ系、そしてもうひとつは政府批判」
そしてこう強く念を押した。
「家族のうち誰かがそんなことをしていただけで、ひょっとしたら一族郎党殺されていまうかもわからないのよ」
そんな時代である。
だが私は当時、天安門事件で恋人を殺されるこの小説の主人公である女性ロッカーをモデルにしたこんな曲まで作っていた。
これは当時作ったコンセプトアルバム「ある愛の唄」の主人公(この女性ロッカーの子供)が、子守唄として母親から恋人との恋物語を聞くというお話である。
(小説はこちら、コンセプトアルバムの詳細はこちら、別バージョンのこの曲のMTVはこちらにあります)
06:あんた好みの女
(作詞作曲:ファンキー末吉)
その時代、私はよくオカマバーに飲みに行ってた。
年老いた化け物のようなオカマが経営する小さなスナックに行くと、「ようこそお化け屋敷に〜」とそのママさんがドスの効いた声で言うのが好きだった。
そこのメグちゃんという筋肉隆々のオカマ。
彼氏に振られたらしく私が一生懸命慰めていた。
「それでね、彼ったらね、腹いせに女なんか連れて来たのよ〜」
さめざめと泣きながら涙を流すメグちゃん。
「それで?どうなったの?」
「もちろん半殺しにしてやったわよ」
心は女、でも身体は筋肉隆々のメグちゃんが好きだった。
後に化け物のようなママさんが私にこう言った。
「あんたあの娘のこと好きでしょ、ダメよ〜あんたは女ともすぐに友達になっちゃうでしょ、そんな男はオカマにはモテないの。オカマはね、ち○ち○好きで人間捨てたのよ〜オカマ好きになるならすぐにやっちゃわないと」
オカマの世界も深い・・・
私もいつかこんなオカマと手を繋いで街を歩いてみたいものである、という曲。
07:あたいの100$の恋
(作詞作曲:ファンキー末吉)
売春婦に本気で恋をした男がいた。
貧乏なミュージシャンなのであるが、金が入ると彼女に全部使っていた。
無口な男なのだが、ツアー中に電話がかかって珍しく長話をしているのでついつい聞いてしまった。
「だからツアーなんだよ。仕事なんだ。帰ったらすぐに会いに行くから」。
女性と縁遠かった彼がやっと恋人が出来たのかと思ったらその売春婦だった。
「え?でも普通に一緒に食事したりしてるんだったらもう恋人じゃん」
私なんかは単純にそう思ったのだが、
「だって、やったらお金払わなくちゃなんないし・・・」。
私は彼にこう聞いた。
「でも・・・君は彼女のこと好きなんでしょ?」
これはちょっと困った顔でこう言った。
「いや、そんなにお金ないですから」
返答に困っているのか質問と答えが微妙に食い違っている。
「じゃあお金あったら結婚したいとか思う?」
「いや、お金ないっすから・・・」
また質問と答えが微妙に食い違う。
「もしあったらの話だよ。結婚したいと思う?って聞いてるの」
彼はちょっと間を置いて小さく頷いた。
涙なしでは歌えないBluesである・・・
08:Merry Christmas Blues
(作詞作曲:ファンキー末吉)
2000年ぐらいに北京に居を移した私に飛び込んで来た色んな世界情勢のニュースの数々。
アメリカの同時多発テロ、その対テロ戦争としてのアフガン侵攻・・・
そんな北京である日、ギターを爪弾いてたらふと浮かんだこのメロディーと歌詞。
遅筆な私には珍しく、最後まですらすらと歌詞が出来上がった。
そこでは生きていてもどうしようもないというほど悲しみに満ちた女性が世界平和を祈る。
その後とある中国の有名歌手がこの曲を歌ってくれて、その歌手が愛してやまないこの曲を作ったのが私だと聞いて涙を流して抱きついて来た。
(その時の話はこちら)
この歌手にこんなにも愛されて、この曲はなんて幸せなんだろう、そして作った私もなんて幸せなんだろうと思った。
この曲はそうやって世界平和を願う多くのシンガーに歌い継いでもらいたいと、心からそう思う。
09:Star
(詞:渡辺英樹、作曲:丸山正剛)
一世を風靡したバンド「C.C.B.」のベーシストでありリーダーでボーカリストの渡辺英樹さん、
彼の最後のバンドとなった「VoThM」のレコーディングが北京で行われ、それが最後のアルバムとなって彼は帰らぬ人となった。
この曲は、その時にレコーディングされた曲である。
基本的に自分の作った曲しか歌えない私が、それからこの曲を歌い継ごうと決意した。
毎回毎回ライブの時に、
「あんたほど上手くは歌えないけどね」
と天国の英樹さんに言い訳しながら歌う。
「かっかっかっ」・・・生きてる頃の高笑いが聞こえてきそうである。
ところが北京の自宅でひとりで真夜中にこのテイクを録音している時に、いつもは絶対出ないようなこんな声や歌い方が突然出来た。
どうしてなのかわからない。
こんなテイクはもう二度と録れないだろう。
「かっかっかっ・・・その後のライブでは頑張ってこんな風に歌いなはれや!!」
天国で英樹さんがそう言って笑っているような気がした。
10:What a Wonderfull Night
(作詞作曲:ファンキー末吉)
私は、はすっぱな女が好きである。
まだ会ったことはないが自分のことを「あたい」と言い、相手のことを「あんた」と呼ぶ・・・
そんな女が本当に絶望したらどんな気持ちなのか・・・
そんなことを考えながら多くのBluesの曲を作ってきた。
しかしこの曲の主人公は珍しく男性である。
同様に人生に絶望し、この相手こそはと思った相手が、朝になったらいなくなってしまうことを知っている。
それでも「なんて素敵な夜なんだ」と歌う・・・
男性版Bluesの決定版である。
11:キーキー言われてもーたBlues
(作詞作曲:ファンキー末吉)
「世の女性という生き物は、どうしてあんなにキーキー言うのだろう」
世の男性は、口には出さないもののみんなこのように思っているに違いない。
ある時にアマチュアミュージシャンのジャムセッションでとあるベーシストに会った。
彼は本当に楽しそうにベースを弾き、そして本当に美味しそうに酒を飲む。
そしてこんなことを言うのだ。
「幸せだなぁ...ほんっと、金がないのと嫁がキツいのを除けば人生はほんっと楽しい!!」
この話を題材に、詞だけ書いてツアーに持って行った。
曲なんかは
「キーはDの3コードのブルース。手ぇ挙げたらブレイク!」
これだけでBluesの曲なんかすぐに出来てしまうのだ。
ライブの度に歌い回しやメロディーなどを変えてゆき、キーがDからEに、そして最後には金切り声のGまで上がり、ギターもオープンチューニングのスライドギターになって完成されたライブバージョン。
こうして全世界の男性の心の叫びを代弁するBluesが 出来上がった。
12:人は何で酒を飲むのでしょう
(作詞作曲:ファンキー末吉)
2000年に私がプロデュースしてデビューした「三井はんと大村はん」の代表曲。
当時のレコード会社にはJazzのレーベルがあり、そこで私のJazz系のユニットがレコードを出させて頂いていたためにそのレコード会社から発売させて頂くことになった。
ところがそのJazzのプロデューサーのトップの方が私の事務所に打ち合わせに来た時に、出来上がったばかりのこの曲が事務所で流れていた。
そのプロデューサーは打ち合わせを中断してこの曲に聞き入り、そしてこう言った。
「末吉くん、この曲は・・・哲学だよ!!」
ライブバージョンなので途中の間奏に喋りが入っている。
「結婚は判断力の欠如!離婚は忍耐力の欠如!!そして再婚は記憶力の欠如!!!」
哲学である・・・
13:65歳の地図
(作詞作曲:ファンキー末吉)
1989年にリリースされた爆風スランプの楽曲に「45歳の地図」という曲がある。
奇しくもちょうど20年後にこの「65歳の地図」という楽曲がリリースされることになるのだが、残念ながらアンサーソングではない。
「45歳の地図」は主人公が息子に、中学校の文集で「親父のようにはなりたくない」と発表されるお話だが、こちらの設定は息子ではなく娘。
定年退職を目前に控えて熟年離婚されるサラリーマンの悲哀と娘への愛情を歌った曲である。
私の友人にモリタカシという人間は存在するのだが、そこの家庭の物語ではない。
別の友人「E」の家庭が、実際に自分の部屋に食事を運んでもらってひとりで食べてたところからこのストーリーを思いついた。
もっとも「E」は同じ家にいながらご飯のお代わりが欲しい時は嫁にメールしていたのだが・・・
この曲のMTVはこちら〜
これら楽曲はこちらからダウンロード購入出来ます。
(視聴も出来ます)