2012/12/04
全中国ドラムクリニックツアー2012年 浙江省「寧波」
8時間の車移動で寧波について、そのままホテルでバタンQ(死語)、
ホテルで朝食を取って会場へ向かう。
「宁波飞越大剧院」・・・今日の会場もデカい・・・
まあデカくても小さくてもやることは同じなので一生懸命叩かせて頂く!!
今回の司会者はいつもの感じで、
国家のラジオ番組かなんかで喋ってそうな女性のアナウンサー。
喋り方がいわゆる共産国っぽくて鼻につく・・・
見てたらまたこれが演目の途中にも盛り上げようといろいろ声を出すのが鬱陶しい・・・
「私の出番の時は自分で喋りますから出て来なくていいですよ」
と言っておきたかったのだが、結局言うチャンスがなくそのままステージ・・・
また予想通り、ドラムソロをやれば「みなさん拍手!!」とか茶々が入るし、
曲と曲の間のMCにはいちいち絡んで来るし、
ちょっと閉口しながらそれでも命懸けで叩いてステージを降り・・・ようとしたら、
予想通り司会者が出て来て捕まってしまった。
舞台上でインタビューが始まる・・・と、そしたら何と、
その司会者は片言の日本語でこう言ったのだ。
「コンニチワ」
そして
「オハヨゴザイマス・・・あとはサヨナラ・・・私これしか日本語喋れないのよね・・・」
これにはさすがのワシもぶったまげた。
尖閣問題でこの活動がドタキャンとなり、その間ワシはずーっと日本でいたわけだが、
日本にいるとついつい
「中国では反日感情が盛り上がり、日本人だというだけで危害が加えられる」
というイメージが強くなってしまう。
「そんなことあるかい!!」とは思いながら、
それでも「ひょっとしたら・・・」などと思ってしまうのだ。
実際ワシの一発目のMC、
「宁波的朋友们,你们好!!我是Funky!!」
の後に
「来自日本!!(日本から来ました)」
と言う時にはそれでも相当覚悟を決める。
別に後ろのどでかい垂れ幕には「日本のドラマー」と書いてるわけだし、
わざわざMCでも「日本」という必要はないのだが、
今までそう言って来たものを尖閣問題があったからと言って撤回するのも何やら「ロック」でないような気がしてたのだ。
勇気を振り絞って一発目のMCで「日本から来ました!!」と叫ぶ。
ひょっとしたら数人の客はブーイングを出すかも知れない。
しかし俺はやるぞ・・・みたいな「一人相撲」がそこにある。
実際は司会者は片言の日本語でワシにサービスし、
満場の客席はそれをよしとする・・・
そもそもがこの活動はパールドラムという「日本製品」をプロモーションするためのツアーなのだ。
反日だうんぬん言ってたらそもそもがこんな活動が出来るわけがない。
数万人の人民が反日デモを行い、
暴徒と化した群衆が日本の工場を焼き討ちし、
心ない人民が街ゆく日本人を暴行した。
それも事実である。
しかしもっと田舎街で、
日本人ドラマーが日本製品をプロモーションするコンサートで、
2日間合計2000人の人民が熱狂したということも事実なのである。
この辺の「中国」という感覚が日本人にはよくわからないのだ。
翌日それがもっとわかり易い(わかりにくい?)例を見たので紹介したいと思う。
この活動はパールの中国代理店である中音という会社(というよりその担当のShaという個人)と、
全国50を超える彼が作り上げたパール倶楽部という組織(ネットワーク)との結びつきを濃くする目的も大きい。
だからワシは現地の人ととことん飲んで親交を深める。
また、時間があればそのパール倶楽部に表敬訪問などもする。
次の日が北京への移動日なのに帰りは夕方の飛行機なのはこんな理由もあるのだ。
昼から紹興酒も飲む!!
酔っ払って叩けないんだけど、
そこの先生達のためにクリニックなども施す!!
もともとこの先生達こそが「ロックファン」なのだ。
パール倶楽部なるものを立ち上げようとする人はだいたい北京でロックバンドをやってて、
夢破れて故郷に帰って来て、それでも何かロックに関わることをやり続けたい・・・
というわけでパール倶楽部を立ち上げたりする。
だから課題曲に「メタリカ」とかを選んだりするのだ。
4年前、初めて訪れた徐州では、
24人の子供達がメタリカを叩くのにぶったまげた。
子供達はまだ生まれてなかったので何も知らないが、
この先生達が北京でロックに青春を捧げて頃の中国は、
「ロック」=「精神汚染音楽」
1990年、天安門事件の翌年に北京の地下クラブで演奏してた黒豹の連中は、
そこにふらっとやって来たワシに初対面の時にこう言った。
「ファッキンガバメントはロックを恐れてる!!
だから俺たちはロックを聞くことも演ることも出来ない!!」
だからワシは中国に来た。
そんな「時代」が大好きだったから・・・
でもあっという間に時代は移り変わり、
その数年後に黒豹は何十万人のスタジアムを満杯にするバンドとなった。
そしてその頃同じく青春を燃やした先生達は黒豹たちと共にロックの「夢」を見て、
故郷に帰って子供達に「メタリカ」を教える。
「こんな曲は聞くことさえ許されなかった。そんな時代もあったんだよ・・・」
などと感傷に浸っているのかいないのか・・・
少なくともワシはそれを聞いて「時代は変わったな」と涙する。
ところがそんな教室に貼られていた一枚のポスター。
「永遠に共産党と共に歩みます!!」
時代遅れとも言えるこの標語の貼られたレッスン室で、
子供達はその共産党が毛嫌いして弾圧してた「ロック」を叩く。
この相容れないはずの両方が、
まるで問題ないかのように混在するのが「中国」なのである。
反日デモで日本の工場が破壊され、
日本人が言われなき暴力をふるわれてたその後に、
何もなかったかのように日本人ドラマーによる日本製品のプロモーションコンサートが行われ、
司会者が片言の日本語でサービスをして合計2000人の人民が熱狂する。
日本のマスコミが絶対にスポットを当てないその部分も含め、
その両方が普通に混在するのが「中国」なのである。
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)