
2022年1月25日
日本の著作権に対する考え方はおかしい!!
ITが日本より進んでいることはもう既に周知であろう中国であるが、私にとっては音楽著作権に関しても日本より進んでいるとしか思えない・・・
先日の話
からついに今日、インドネシアの国民的ロックバンドのプロデューサーとして2曲お仕事をやらせて頂く契約書にサインをした。
これがまあ中国語なので大変!!(>_<)
布衣の弁護士に手伝ってもらって、まずこの2曲、X.Y.Z.→Aのニューアルバムのリーディングソング「Wonderful Life」
と、中国で私が映画音楽を担当させて頂いて、それがその年のタイタニックを抜く興行成績を更新したという映画の挿入歌!!
この「使用権」をインドネシアのバンド(っつうかそのバンドの事務所)に売り渡すことになる。
ちなみに日本ではJASRACに売り渡すことになるが、JASRACはそれを「国民の皆様は自由に使っていいよ、これはもうJASRACの曲だから」ということで、「もうお前の曲ではない!!JASRACの曲なんだから作家であろうが勝手に使うな!!」と言われる(JASRACとの裁判記録より)
ところがJASRACは私に「使われた分だけあなたに分け前を差し上げます」と言うが、「それってどのように分配されてるんですか?」という問いには一切答えない!!
深く掘り下げれば私のように裁判沙汰になって身包み剥がされるというものだ・・・
ところが国際的には(っつうか中国しか知らんが笑)「権利を全て譲渡する」というからにはその対価が必要である。
そうでなければ中国のように「権利は全て作った人にあります、私たちはそれをプロモーションさせて頂いてその対価のみを頂きます」みたいな契約になるのが常である。
(ブログ記事:今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!)
今回はJASRACとの契約のように、「この曲はお前の曲ではない、俺の曲なんだからお前が勝手に使うな!!」という契約なのだから、必然的ながらその「範囲」を特定する必要がある。
JASRACの場合「日本国内の全て」であるのだが、この契約書の場合「インドネシア国内のみ」なら何も問題がなかったところ、当然ながら向こうから提示された契約書には「全世界」という項目がある(>_<)
まあ今の時代、ネットに上げるというのが「国内のみ」というのは難しいということでこのような項目にしてると言うが、布衣のマネージャーが
「キー!!そんなことないわよ!!私たちの曲も中国国内に限定してるから日本では買えないでしょ、キー!!!」
まあこの辺になるとワシはようわからん(>_<)
そうそう、契約って難しいのよね〜・・・特にこれ、私にとっては外国語(涙)
日本のようにほぼJASRAC一択で選択肢がないのとは違い、今は昔、中国ではちょっと契約を間違えればとんでもない事態になってしまうというから大変である(>_<)
先方の法務部と布衣の弁護士との熾烈な戦いは始まる・・・
まあ布衣にとっても、私が書いた曲だとは言え、自分とこの代表曲が一枚の契約書によって自分が自由に使えないようにされたらたまったもんじゃない。
X.Y.Z.→Aにしたってそうである。
この素晴らしい楽曲を、この契約書一枚のために英語バージョンも作れないとか、X.Y.Z.→Aの最終目的であるアメリカとか他の諸国で発売出来ないとなったら本末転倒である(>_<)
最終的に落ち着いた項目は、
「この楽曲のインドネシア語バージョンについての権利は」
ということである。
これは私の拙い中国語で先方の法務部と布衣の弁護士には強く主張した。
余談になるが、実はこれは「日本語バージョン」ということにも大きく通じる根本的な問題である。
「リゾ・ラバ」という楽曲の契約更新の時に、出版社から提示されている「全世界」という項目に、私は出版社に対して疑問を投じた。
実際、中国で私のドキュメント映像(こちらでは伝説のドラマーなので、もう既に数本撮られてある)で「おおBeijing」という楽曲の私が歌っているバージョンが使われている。
「それを使いたい」という別の会社が現れて、その著作権管理を日本の出版社に問い合わせたところ、「全世界契約であるが、自分たちは何も出来ない」という回答・・・じゃあ出来ないなら私がやります!!
・・・こんな簡単なことが日本では通用しない。
この国で実際に使われているのだからお金徴収してよ!!
いやうちはその国では支社がないので徴収出来ない!!
じゃあ自分で徴収するわ!!
それは許さん!!
というのは道理に外れてない?
ちなみに「楽曲」というのは日本では「曲と詞を含めて楽曲である」とされている。
だから、日本ではRunnerの歌詞が本に載ったとしても、印税は作曲者である私にも振り込まれる。
逆もまた然り、インスト版のRunnerが発売されても作詞者である中野に印税が振り込まれる。
しかしこれは「法律」ではなく、分配をスムーズにするための規則をJASRACが定めて、それを文部科学省が認可したに過ぎない。
(JASRACとの裁判の中で学んでこと)
私が自分のメロディーを、別の言語で使用するとしたら、日本国内では全ての権利をJASRACに譲渡してるので例え別の言語であろうがNGであるが、もし、自分が海外で、この「メロディー」を別の言語で自分が使用して、それが作詞者である中野の権利を侵害しているのかという問題となると、これはまた全く違う!!。
日本人であるからイメージがピンと来ないかも知れないが、私が外国人であって、たまたま日本に来ていて楽曲を発売して、それがヒットしたと考えて頂ければクリアになると思う。
それをもし自分が帰国する時に母国に持ち帰って自分の言語で歌うことが出来ないというのは、どう考えてもおかしいであろう!!
当然である!!私が書いたメロディーなのだから、なんで(私が外国人の場合)外国で発売したからと言って自分の母国でもそのしがらみに縛られなきゃならないの!!ということである。
つまり、契約書に「全世界」とあるなら、「おおBeijing」が中国で使用されている現実において、もしあなた方がその権利を「全世界」で主張するのであるならば、全世界においてその対価をそこから徴収して下さいよ!!ということである。
出来ないなら「全世界」という項目を主張する資格はない!!
子供でもわかるようなこの道理が「契約の世界」では通用しない。
つまり「子供騙し」が通用するのがこの「契約の世界」なのである。
ちなみに「リゾ・ラバ」に関しては、今回契約更新の時に外国の条項を外してくれた。
つまり外国においては、私が自分の「メロディー」を自分で管理出来るようになったわけである。
(それが当然の形)
今回のようにインドネシアとか日本以外の国に自由に「売買」が出来るわけである。
(ちなみに日本の出版社がそれをやってくれるのであれば私はそれを任せてもよい。でもやれないのに権利を主張するのは道理が通らないと私は思う)
ちなみに日本語詞を作ったのは中野なのだから、世界中の何ぴとたりとも中野の許可なくしてその詞を勝手に使ってはならない!!
これは当然である。
同様に布衣のヒット曲「我爱你亲爱的姑娘」は作詞は布衣のボーカルLaoWuである。
布衣の弁護士にしてみたら、これを世界中で勝手に使われたんじゃたまったもんじゃない!!
だからインドネシア側に対してこちら側がとてもこだわったのが「翻唱(外国語曲を他の言語でカバーすること)」という項目である。
つまり布衣にとっては「翻訳するな!!メロディーはFunkyのだからこの契約でどうにでもしてくれ、でも歌詞の権利は死守する!!」
この戦いが凄かった!(◎_◎;)
どうやら「翻唱」という言葉を入れないと文章がなり立たないのか、先方は最後までこの言葉を使うが、布衣としては「原詞を訳すな!!全く違うものを作れ!!」という戦いが細かい中国語の「言い回し」として争われてゆく・・・(>_<)
ワシの中国語レベルではわからんがな(涙)
いや、布衣の弁護士は布衣の権利を守るために戦っているのであって、決してワシのために戦ってくれているわけではない。
(まあ結果ワシの権利を守ってくれてるわけではあるが)
だから「じゃああんたら直接戦って!!」というわけにはいかない(>_<)
先方から送られた契約書を布衣の弁護士に転送して、マネージャーを通して意見を聞いて、それを中国語で先方に返して・・・必ず自分は間に立たなければならない(涙)
もうね、「音楽を作る」というよりも大変(>_<)
でも数回の熾烈なやり取りが終わって今日めでたく契約が締結された!!\(^o^)/
この戦いでキモになったのは「範囲」。
これはこちら側が「インドネシアに限る」という条目を提示したのに関して、先方は最終的にアメリカを含む数カ国を指定して来た。
(その代わり、当初の契約条項よりも更に使用料を追加してくれた!(◎_◎;))
インドネシアで一番成功してるロックバンドなのだから、世界を目指すのは当然のことである。
しかし、アメリカに関しては大きな問題が起こり得る。
万が一X.Y.Z.→Aがいつかその悲願であるアメリカ進出を果たして、その時にこの契約書の条項のためにアメリカでこの曲が自由に使えないとなった時はどうすんの?!(◎_◎;)
これは布衣の曲についても言えるので、弁護士は重箱の隅をほじくるように契約内容をチェックする。
問題は、「インドネシア語のバージョン」という大前提があったとしても、それを更にアメリカとかで「翻唱(外国語曲を他の言語でカバーすること」された場合の権利についてである・・・
ワシの中国語力ではわからんし(涙)
まあ「布衣の権利を守る」ということは、「X.Y.Z.→Aの権利も守る」ということなので、今回最終的にこちら側の弁護士が最終的にOKを出して、やっと契約締結となったという現状である(涙)
さて余談であるが、この高度な契約の戦いの後に非常にお粗末な実務問題なのであるが、先方から送られて来た契約書に署名とハンコを押して送り返さねばならない・・・
しかしこのデジタル社会の中で「朱肉」なんぞどこに売ってるの?!(◎_◎;)
・・・ってか「朱肉」って中国語で何て言うの?(涙)
毎日詰めている銀川のドラムスクールに身振り手振りで説明してやっと朱肉ゲット!!
署名と母印を押して送り返して、それが先方に届いた時点で「契約締結」・・・
するとどうなるか・・・
契約条項にあるように、私は10日以内にアレンジを完成させて先方に送らなければならない・・・
その代わり、先方は私に・・・おそらく日本人の作家達にとっては信じられないような額の「使用料」を前払いしなければならないのだ・・・
(ちなみに税務署さん、まああなた方にとっては大した金額ではないかも知れませんが、国際業務なので契約書の人民元の額をその日のドルレートに換算して日本円にて日本の口座に振り込まれますので)
さあ、日本の作家さん達?あなた方は今、日本で作詞作曲の仕事をしたって、発売されるまで一切お金になりませんよね?
例え発売されたって数ヶ月後、もしくは1年以上経った忘れた頃にJASRACから明細と共に振り込まれる。
しかしそれがどういうシステムで分配されたかは絶対に教えてくれない。
しかし、中国では(おそらく国際的には)まずお金をくれる。
そしてその「権利」は永遠に「自分」にある。
その使用権の範囲、使用料等は自分で決めることが出来る。
もちろん日本のように使われたパーセンテージでの契約も望むのであれば可能。
特筆すべきは、パーセンテージ契約には必ず「アドバンス(前払い金)」がある。
(っつうか私にとってはこれしか興味がない笑)
作家の皆さん、JASRACの明細書にはこのアドバンスの項目があるでしょ?でも誰もそれって使ってませんよね!!
中国では逆にそれはあって然るべきもの!!
先にお金貰わなければどうして後にいくら入るかわからないという労働が出来るの?・・・この辺が逆に私には日本の作家さん達の感覚がもうわからない・・・
あなたが作った曲は「あなたのもの」なのです!!
無償でどっかの団体に「売り渡す」なんてもっての他です!!
著作権者は「無償で」JASRACに全ての権利を売り渡す、
アーティストは「給料」で全ての権利を事務所に売り渡す、
こんなことがまかり通っているうちは日本の音楽文化が華開く事はありえないと思うのは私だけですか?!!
まあ私は自分の曲は自分で管理したい。
「リゾ・ラバ」が日本国内以外を外れたのであれば、これをインドネシア語をはじめとして、あらゆる全世界に売ってゆきたい。
そう思うのは作家として当然でしょ?
それを日本の会社がやってくれるのなら、私はその言語のバージョンのみ日本の会社と契約します。
それが出来ないなら私は中国でもどこでも「外国の」会社と契約します。
私は「作家」!!
国境を越えることが一番簡単であるべき「メロディー」を生業にしている・・・
このメロディーはこの国に、このメロディーはあの国に・・・売れるところがあれば売りに行く!!
当然のことである!!
それが出来る会社に売り渡すならともかく、それが出来ない会社と契約して一生縛られて「これはお前の曲ではない!!」って一体何のメリットがあるの?
ただ契約なのだから絶対に守らねばならない・・・
X.Y.Z.→Aの「Wonderful Life」はもう納めたが、「我爱你亲爱的姑娘」を10日以内に納めなければ大変なことになる・・・(>_<)
相手はロックバンド!!ピコピコの打ち込みばっかで作り上げれられる音楽の種類でもない・・・
ギターソロとか、自分で機械で打ち込むよりギタリスト呼んで弾いてもらった方が早いし〜
ちょっと地元のギタリスト〜ソロ弾いてや〜
ギャラは先日買った冷凍オーストラリアンステーキとワイン!!
仕事やからな!!一生懸命仕事してるんやからな!!しゃーないなぁ〜・・・
インドネシアプロジェクト!!正式に始まりました!!!
Posted by ファンキー末吉 at:03:33 | 固定リンク
2021年2月26日
カンボジア出国と中国入国の戦い
私の中国のVISAは4月8日に切れる。
ちなみに中国では「60歳でまだ働くの?」という感覚なのかどうか、
60歳以上が労働VISAを取得するのは非常に難しい。
というわけで飛び込みで59歳の時に取ったVISAが切れるということは、
ただでさえコロナで新規VISAの発給を停止している現状としては、私としてはどうしてもVISAが切れるまでに入国しておかねばならない。
カンボジアでもそうだったが、一回出国してまた入り直してという「VISAラン」が出来る状況ではない現状では、中国でも既に入国している外国人のVISAは自動更新しているらしいので、今ここで入国しとかないともう中国のVISAは取れない、つまりもう中国に入国出来ない可能性があるのだ。
中国では現在入国してから4週間、28日の隔離だと聞く・・・
隔離が明けてからVISA申請して・・・ということで、まあ3月上旬に出国すればいいかな、まあコロナの状況もよくなるかも知れないから、チケットはまた近づいてから取ればいいや〜と思ってた矢先、
「早くチケット取らないとツアーがブッキング出来ないでしょ!!キー!!」
と、今参加している中国のバンド「布衣」の女性マネージャー(>_<)
というわけで急いで3月4日のチケットを押さえていた。
末吉覚さんの投稿 2021年2月9日火曜日
ところが2月ももう終わろうとする2月21日、カンボジアに住む中国人の友人からこんなメッセージが送られて来た。
中国入国に関する中国大使館からの最新情報がこちらの中国人の友人から送られて来たのだが、着いてから28日の隔離はまあ牢獄に入ると思って諦めているが、この「搭乗前に14日間の隔離」って実質無理やん!(>_<) どなんなってんの〜?!教えて〜偉い人!!(涙)
末吉覚さんの投稿 2021年2月20日土曜日
「搭乗前にカンボジアで14日間隔離」と言われても、搭乗まで14日もありまへんがな(>_<)
考えられる可能性としては、
その1、チケットを既に取ってあり、出国まで14日に満たないため隔離は免除される(予定が変わらず一番よい)
その2、2月25日にもフライトがあるので、それに変更すれば実施前なので隔離なしで出国出来る(バタバタするけどすぐPCR検査受けて急いで出国)
その3、フライトを後ろにずらして、14日間隔離してから出国(>_<)
これは中国大使館に行ってマジで相談してみるしかない・・・
というわけで朝いちで出向いて行ったら門前払い(>_<)
中国大使館なう!! 3月1日からということで交付された出国前の14日間隔離について運命の分かれ道〜
その1、チケットを既に取ってあり、出国まで14日に満たないため隔離は免除される(予定が変わらず一番よい)
その2、2月25日にもフライト...
末吉覚さんの投稿 2021年2月21日日曜日
まるでこの歌のような心境である。
まず電話しろ、そしてメールを送れ!!と言うので、
中国大使館の中国人用窓口には布衣のマネージャーから電話をかけてもらい、
並行してタカシに外国人用窓口にクメール語で電話してもらう。
まず大使館に貼られているこの電話番号はVISAに関する問い合わせのようで、
搭乗前14日間の隔離のことが聞きたいのに、
「まずVISAの写真を送れ!!それからだ!!」
と・・・
しかし送っても全く返事が返って来ない(>_<)
一番知りたいことは、このまま3月4日の便のままで隔離日数が足りないので免除してくれるかどうか、そして2月25日の便なら隔離は要らないのかどうか。
中国側の返事は来ない。
カンボジア側は、タカシが、
「別に隔離は要らないそうですよ」
ってそれいつのフライトの場合や!!(>_<)
隔離に関してはこんな情報もある。
「私の中国人の友人が去年の11月に中国に帰国した時も14日の隔離は必須だった」
それなら私の周りの中国人コミュニティーでももっと話題になってるはずやけどのう・・・
また私のVISAに関しては、
「全てのVISAは無効になっているので取り直した人だけが入国出来る」
とか
「2020年3月27日以前に発行のビザでは入国出来ない。3月28日以降発行のビザのみ有効」
とかいう書き込みも・・・
そう言えば中国の全てのVISAは一回無効にされて、労働VISAだけは今は入れるようになったという噂は聞いたことがある・・・
刻一刻状況が変わるので、「あの人がこうだったので私もこう」ということは必ずしも言えない状況なのである。
情報が交錯している時は一番確実な道をゆくしかない!!
まず隔離に関しては、とりあえずチケットは2月25日に変更しておく!!
3月1日から施行と書かれているので3月4日のフライトが14日間隔離に当たる(例えそれまでの時間が14日間に満たなくても)確率よりは、2月25日のフライトにも隔離が必要である確率が断然低いはずである。
幸いカンボジアで3度目の市内感染が起こって、来週のイベントは全部飛んでスケジュールは真っ白である。
バタバタではあるが25日に帰ることは出来る。
ところが中国のアプリ「去哪网」で取ったチケットは、ネットでチケット変更は出来ず、どうしても中国の電話で変更せねばならない(>_<)
しゃーないのでとりあえずこれは中国のマネージャーに任せて、
「25日のフライトになった場合、PCR検査はいつや?」
タカシにカンボジアの番号に電話させて問い合わせる・・・
「23日に検査に来て下さいとのことです」
ああいう検査って2日間しか有効じゃないんじゃないの?
25日にフライトで23日に検査したんじゃ、検査結果は24日までしか有効でないのではないの?
中国のマネージャーに確認する・・・
「Webで調べたら72時間とのことだから23日でいいでしょう。結果を受け取ったら大使館行ってその結果が反映された緑色健康QRコードを発行してもらわなきゃなんないんで、24日ではそれが間に合わない」
何かイヤな予感がする・・・
フライトは夜なのだ。ちょっと遅延すれば着くのは3日目である25日を超えて4日目の27日になってしまう・・・
これって到着時間から逆算して72時間じゃないの?・・・
ゆっくり調べてみたら、23日に検査して結果が出るのが翌日24日の夕方5時だそうで、なるほど24日に検査したのでは25日のフライトには間に合わない・・・
23日に検査に行く以外選択肢はないのである。
中国から連絡!!無事にチケットは変更出来た、と。
ではというわけで翌日23日にタカシを連れて検査会場へ・・・
PCR検査なう・・・長蛇の列(>_<)ほぼ全部中国人(笑)
末吉覚さんの投稿 2021年2月22日月曜日
タカシ要らん(>_<)
「ここは中国か!!」と思うぐらい全員中国人!!
そして案内のアナウンスから現地スタッフまで全員中国語を話す!(◎_◎;)
わからないことがあったら隣の中国人に聞けばいいし、スタッフもみんな中国語で話してくれる・・・
タカシを帰らせて並ぶこと長時間・・・
まず整理番号をもらうのに数時間、
それを持って実際に検査に並ぶのに数時間(>_<)
気が付けばもうまる半日ここで並んでいることになる・・・
噂で聞くと、昔はこの整理券を配る時に中国人が並ばずに殺到して、
番号をもらいたかった日本人がゲットすることが出来ずに検査を受けられない、
すなわち予定されていた便に乗れなかったという話もある・・・
さすが中国人(笑)
さて時間的に待たされるだけで、検査自体は喉と鼻の中、そして血液検査とあっという間に終わる。
ただ途中で何度か「日本人だよね?行き先は中国でいいの?」と確認された。
このご時世、有効な労働VISAを持っている日本人がカンボジアから中国に飛ぶというのは珍しいことなのだろう・・・
・・・ってかここでは中国人以外の外人が既にとても珍しいのだが(笑)
というわけで翌日夕方5時に陰性証明をゲット!!
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
ところが見れば中国人が何やらこの書類の写真を撮って携帯で色々やっている・・・
「明日大使館行って緑色健康QRコードもらうんだよね?」
「え?大使館なんか行かないよ」
!(◎_◎;)
「それどうやるん?教えて〜!!」
と言ったら中国のSNSアプリWeChatのミニアプリで登録しているようだ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
しかしこれは中国人だけしか使えないようだ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月26日金曜日
中国のマネージャーに問い合わせてもらったらやはりこれは外国人には使えないらしい・・・
これは翌朝大使館に行くしかないな・・・と思っていたら・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
しかしまた中に入れてもらえなかったらどうしよう・・・
とりあえず返事の来ないメールアドレスに一応予約のメールを入れてもらっておく・・・
しかし、持つべきものは中国通の友人である!!
なんと外国人がネットで登録出来るサイトがあるそうだ!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
\(^o^)/・・・早速そこから入って色々情報を打ち込んでみた・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
これであとは酒でも飲んで待ってれば良い!!\(^o^)/
・・・ということで本当に飲んでいたら赤色になって弾かれた(>_<)
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
原因は、どうやらIgM検査の結果とやらがないからということである。
ちゃんと血液検査やったぞ〜!!!
思うに、私だけが日本人のパスポートなので、まさか中国に行くなんて思わない、日本に帰るんだろうからIgMは要らないだろうと勝手に判断されたのだろう・・・
仕方がない、フライト当日であるが、もう一度検査場に行って結果をもらって、そこから大使館行って緑色健康QRコードもらって、そこから空港行ってチェックイン・・・
いくら夕方の便だとは言えかなりタイトなスケジュールやなぁ・・・
というわけで翌日の朝一番で検査会場!!
スタッフに事情を説明して廻って、最後にやっとその処理が出来るスタッフに巡り合う・・・
タカシを連れて行ったのだが、役に立たん(>_<)
「なんで書類もらった時にチェックしなかったんですか?」
と聞かれて
「そうですねぇ・・・」
とか言ってる場合じゃないじゃろ!!
結局自分で英語で、
「何言うてまんねん!!こんな英語ばっかりの書類もらってどうやって内容をチェックしまんねん!!こちらは全面的にそちらを信用するしかおまへんやろ!!」
とにかく捲し立てる!!
こちらが悪いとなったらその後に何も動いてくれなくなる・・・
それが中国式!!
中で待てと言われたのでひとり中で待つ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
ところが今度は中のスタッフに「外で待て」と言われる(>_<)
もうね、こんな時にも中国式に強い態度に出るしかない!!
ところが出勤して来た美人女医さん、ワシの書類をふんふんと見ながら笑顔でこう言った。
「じゃあ書類用意しますので11時にまたここに戻って来て下さいね、ニコッ」
あり得ない!!中国で、特に女性からこの「ニコッ」はあり得ない!(◎_◎;)
もうね、いっぺんに恋に落ちてしまう(笑)
カンボジア人女性は優しいのう・・・(涙)
というわけで11時にまたやって来てまたひたすら待つ・・・
3度目の検査場〜 11時に来いと言われて来てもまだまだ待たされる(>_<) このまま待たされ続けて書類もらっても時間切れで緑色健康QRコード貰えずに出国出来んとか?(>_<) は、は、は、あるある〜って笑い事じゃないけど(涙) - Spherical Image - RICOH THETA
先ほどの美人女医さんがまたやって来て、
「もうちょっとしたら書類取りに行って来ますからね、ここでそのまま待ってて下さいね、ニコッ」
この「ニコッ」に本当にやられてしまう。
中国人のおっさんだったら10分おきに
「ちょっと〜今日の飛行機に間に合わんじゃろ!!早うしてよ!!」
と急かすところ・・・(笑)
しかし「ニコッ」とやられたらもうそれで何も言うことが出来ない(>_<)
せっかちの私がこうして1時間近く何も言わずにずーっと待っているのだ(笑)
かくして新しい検査結果ゲット!!!!!
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
今度はちゃんと「IgM」という言葉がある!!
この書類をアップロードして、ひたすらそれが緑になるまで待つというわけだ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
もうね、精神的にかなりダメージが激しい・・・
文字通り本当に「酒でも飲みながら待つ」しかない(>_<)
おそらくこれがカンボジアでの最後の食事になるだろうから、愛してやまない翁さんラーメンへ!!
それまでは飲んで待つ!! 緑色になればそのまま祝杯、 2時間待ってならなかったら中国大使館に怒鳴り込む!! 怒鳴り込むんやで!!はいはい言うだけちゃうねんで!!働けよタカシ!!(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
ここで本当に飲みながら待った・・・(笑)
だいたい1時間〜2時間で反映されると言うので、14時になったら大使館に怒鳴り込みに行く!!
タカシにくれぐれも言っておく。
「ええか、怒鳴り込むんやで!!予約がないと入れない言われたら予約入れたのに返事ないやん!!とにかくこれをすぐに緑色にしろ!!優しく言うたら中国人言うこと聞いてくれんからな!!」
分かったのか分かってないのか、彼も先日の肝臓の疾患もよくなったということで昼からほろ酔い気分である(>_<)
そして2時になった!!まだ緑にならない!!
「行くぞ!!」喧嘩腰まんまんで大使館に向かう・・・
すると・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月24日水曜日
午前中しか営業してないんかい!!!(>_<)
終わったな・・・最後の手段としては、このまま緑色にならずに空港に行き、
そのQR検査の時にまた中国語で捲し立てて黄色のまま押し通すことである・・・
タカシと別れて空港へ〜
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
トゥクトゥクの中ではもう本当に意気消沈(>_<)
正直言ってかなり落ち込んでいる・・・
結局緑にならないまま空港へ〜 どうなるワシの人生?(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
空港に着いた。
空港のパネルを見ると韓国行きとかが遅い時間に飛んでいる・・・
中国のAPPで確認すると、それに乗ってソウル乗り換えだと日本までは帰れるようだ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月26日金曜日
お値段は中国便よりはちょいとお高い(数字を約15倍すると日本円)が、
まあ国籍のある日本に帰るにはVISAは要らないわけだから、
最悪上海行きに乗れない場合は、その場でこのチケットを買って夜の便でそのまま日本には帰れるということである・・・
日本から中国に渡るには最低14日日本に滞在せねばならないが、
まあ今日の上海便に乗れなければ、あとは(おそらく)カンボジアで搭乗前14日間の隔離をしなければならない3月便に乗らねばならないわけで、
要はカンボジアで14日隔離するか、日本で14日間自主隔離するかの違いである。
最悪は乗れない場合このまま日本に帰る覚悟を決めて列に並ぶ・・・
チェックイン開始時刻には空港に着いていたのだが、既に中国人が列をなしていて私は最後尾、
「実のところこのQRコードってあまりチェックされてないんとちゃう?」
そんな期待を裏切るように、専門のスタッフが専門のテーブルでちゃんとチェックをしている(>_<)
私の順番を待つ・・・
順番が来た!!並んでる間にしミューレーションしてた通り中国語で捲し立てるが、担当職員は英語しかわからない(>_<)
仕方がないので知っている単語を総動員して英語で捲し立てる・・・
担当職員は私の携帯のリロードボタンを押したりしている。
「ほらリロードしてもダメでしょ!!半日ずーっとこうなんですよ!!」
中国的にはとにかく怒る!!
例えその担当職員が悪いわけではなくても怒る!!
そのことによって「ああ、とても困ってるんだな」と思ってやっと親身になって動いてくれるというものなのだ。
まあいくら中国人への対応に慣れているカンボジア人スタッフだって、こんな下手な英語でここまで捲し立てられたって困るわのう・・・(笑)
困って私の携帯をひたすらリロードしてたら突然QRコードが緑色になった!(◎_◎;)
チェックするところで係員に「中国語?それとも英語?」と聞いたら「英語」と言われたので、知ってる限りの英単語並べて大喧嘩してたら、喧嘩してる途中に緑色になった!(◎_◎;) これで乗れる!!・・・はず?
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
担当職員に深々と頭を下げて、あとは順調!!
残るはVISAの問題だが、VISAの種類の問題以前に、私のVISAは更新して新しくなる前の古いパスポートに貼られている。
つまり新しいパスポートでチェックインをし、中国入国のVISAの確認の時にはパスポート番号の違う古いパスポートを出すことになる・・・
予想通り担当職員に訝しそうな顔をされたが、
「これでいつも入国してるから大丈夫!!」
と捲し立てて事なきを得る・・・
ほんまはこれで入国すんのは初めてやけど・・・(笑)
あと、荷物を預けた後に健康証明のアプリに中国での住居とか色んな情報をアップしてQRコードをゲットせねばならない・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
ゲット!!・・・これで取り敢えずは飛行機には乗れる・・・はず(>_<)
あと上海に着いて今度はVISAの問題で入国出来なかったりしたら、今度は送り返されるのはここカンボジアではない。国籍を持つ日本なのである・・・
さようならカンボジア!!ちょっと泣けて来た・・・
カンボジアの皆さん、一年間本当にお世話になりましたm(_ _)m もう涙腺ボロボロです(涙) またコロナ終わったら帰って来ます!! 本当に本当にお世話になりました!
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
飛行機は私より前の席は満席!(◎_◎;)私は最後尾だったので一番後ろの席だった。
空いてる席に替わろうと思ったら出来ないと断られた!(◎_◎;)
きっと何かの理由で後ろの席は空けてあるのだろう・・・
なかなか飛び立たない(>_<)
きっと手続きが遅れている乗客を待っているのだろう。
機内食の販売が先に始まったので、ビールと卤肉饭を頼んだら先にビールが来た!!
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
飲みたいのはマウンテンマウンテンなのだが、まあ卤肉饭が来てから・・・と思ったら来る前にどうやら離陸するようだ・・・
非常用設備の説明を防護服でやられると改めてコロナ禍だなと思ってしまう・・・
離陸して平行飛行に入ると卤肉饭が運ばれて来て、久々の機内食を堪能!!
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
これは瀬戸内海を渡る連絡船のうどんと同じように、
別にこれ自身の味が絶品なのではなく、機内で食うから美味いのであって、
しかしこうしてこの環境で中国らしく冷えてないビールと一緒に食うと、
あれだけ飛行機に乗ってた自分は改めて1年ぶりに飛行機乗ってるんだなと実感して感慨深くなって来る・・・
上海に着いた!!気温は10度・・・寒い(>_<)
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
入国のために並ぶ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
また厳重なチェックをやるのかと思ったら、出発前に登録したこのQRコードでパス!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
思うにこのコロナ禍によって、毎回入出国に書くいろんなカードが全てこのように全部QRコードになればどれだけ便利か・・・
と思ってたら外人の入境カードはやっぱり手書きで書き入れなければならないのね(>_<)
花の穴に綿棒を突っ込まれてPCR検査を行なって晴れて入国!!
昔は必須だった外国人用の指紋チェックは行われなかった。
入国するまでにかなり長い時間がかかったので、荷物のレーンは動いてなかった・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
荷物を取ったら上海居住者、近郊省居住者、そして私のように隔離後は北京とか遠い省へ向かう人間に分けられてバスを待つ・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
この待合室に入る前にこのQRコードをスキャンして、必要事項を書き入れて自分用のQRコードをもらう・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月26日金曜日
それをパスポートに貼り付けて、その後は色んなところでこのQRコードをスキャンして手続きをする。
将来はパスポートもその情報をQRコード化していちいち写真ページを開かなくてもいいようになるのかなと近未来を想像・・・
バスが着いた!!
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
乗り込んで揺られること1時間!!
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
ホテルに着いた!!
ホテル自身が隔離されていて、一般客は立ち入り禁止。
防護服を着たスタッフが物々しく入り口に立っていて、
中国語で色々説明をした後に6人ずつ中に入れる。
中に入った人間から渡された書類に情報を書き込んで支払いをする・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
ってか4620元(約7万円)なんか持ち合わせておりまへんがな!(>_<)
支払いはWeChatアプリ、AliPayアプリなどを使って支払うか、中国の銀行カードを使って支払うしかないのだが、残念ながら1年に渡るカンボジアでのその日暮らしのせいでどれも残高はほぼゼロである(涙)
カウンターで交渉ちう〜
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
「クレジットカードは使えませんか?」
使えません!!(>_<)
「ドルは使えませんか?」
使えません!!(>_<)
隣の乗客が「じゃあ私が両替してあげようか?」と名乗り出てくれたが、
実際にドルを渡すと、それが偽札ではないことを証明出来ないのでということで辞退(>_<)
真夜中なので誰かから送金してもらうわけにもいかず、
「明日会社から振り込んでもらうっつうことでダメなの?」
と泣きこむのだが、
「今日どうしても入金して貰わなければ困る」
と・・・
この担当者の物腰が非常に柔らかくて好感を持ったので私としても怒鳴り込んだりせず、ひたすら二人で「どうしよう」と困っていた・・・
「よし、じゃあ俺が立て替えようじゃないか!!人民元はいくらある?」
なんていい人なんだ!!
人民元残高をかき集めて3000元、残り1200元を立て替える代わりに、その担保として200ドルを置いて行け」
まあ両替としてはちょっと率は悪いけど、明日布衣から振り込んで貰えばそれで1200元払えば戻って来る。
まあこの人にしてもドル持ってたって困るだろう(笑)
「でも明日あなたはここにいるの?」
その質問に大袈裟にジェスチャーを交えながら彼はこう言った。
「いるに決まってるだろ?俺だってここに隔離だよ(笑)」
そうか・・・コロナで大変なのは乗客だけじゃないんだなと実感・・・
かくして部屋に入って今からここで14日隔離!!
その後は自宅にて14日・・・しかし私の自宅がある北京の院子は、その村に外国人の入村を禁止しているので入れない。
友人宅はその友人も隔離対象になるだろうから使えない・・・
はてさてどうなりますやら・・・
末吉覚さんの投稿 2021年2月25日木曜日
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2021年2月15日
タクローの思い出
私の知った情報の順に書いてゆくとこうなります。
まず私の知り合いの書き込み・・・
(個人情報は伏せております)
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カンボジアでゴミ拾いとして生計を立てている日本人のKさんですが、
結論から言うと、助けるなら、金銭的援助でなく、カンボジアの野宿生活支援の文脈で、助けるべきでしょう。
去年の8月末に、Kさんは、うちの店に来ました。
いわく、Kさんは、
・ベトナムから去年3月にツーリストビザで入国したけれど、足止めされた。
・帰国のお金がない
・大使館に帰国のお金を頼んだけれど断られた
・お金がないから、日本の知り合いに連絡したい
・スマホは持ってない
・英語は話せない
ということで困ってられてました
Kさんは、カンボジアから日本に電話する方法が分からないので、電話携帯電話を貸しました。
僕の電話でKさんは親戚や昔の雇用先に電話かけて、お金の送金を、頼み込んでました。でも、うまくいかなかったみたいです。
1週間ほど後、日本に電話をまたかけたいというので、Kさん、また店に来られました。僕は迷惑に感じてました。
そのときは、店に弟が一緒でした。
弟は事情を聞いて、なんとカンボジアから日本行きの航空券チケットと、Kさんの実家の九州まで帰るためのバス代を日本円でつけてプレゼントしました。
でも、Kさん、帰らなかったです。僕が一時帰国するのと同じ便のチケットを渡したので、すぐ分かりました。
Kさん、日本に戻りたくない理由があると思います。でも、本人はお金のため、日本に帰るためのお金が必要だと言うでしょう。
帰国を口実に援助しても、無駄金になります。
助けるなら、カンボジアのホームレスの自立支援の文脈でやらないと、助けたことにならないです。かなり難しいです。
余談ですが、Kさんは、ツーリストビザで入国しています。出国してもオーバーステイの罰金は、まだかかりません。
カンボジアでは、ツーリストビザで足止めされた外国人のために、オーバーステイの罰金が免除されているからです。
この免除措置が廃止される前に出ないと、面倒なことになります。
自分の投稿がすごくバズってしまって、正直、怖いです。。
Kさんに対する批判が集まって、炎上してしまうと、Kさんを追いつめる攻撃になります。弱っている人に批判するのは、まずいです。
この人が気に入らなくても、想像力をもって、スルーでお願いします
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そして今日その本人の書き込みを発見!!
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カンボジアで路上生活中
【30万円必要です。】
私は日本人の観光客で、カンボジアにいます。
コロナがひどくなる前にカンボジアに来たのですが、コロナで封鎖され長期滞在する中で、現金・スマホ・パスポート等も全て盗まれました。
お恥ずかしい話、今回のカンボジア旅行で、盗難には4回もあってしまい、治安もさることながら、それ以上に自分の不注意・脇の甘さにも大いに問題があることは解ってます。まさに自業自得です。
1度目の盗難でスマホと現金$200を盗まれた際に大使館に2週間連続で毎日通いました。
2度目の盗難でパスポートと現金1万円ちょっとを盗まれた際に2日行きました。
しかし、大使館のルールで、チケット代等の金銭面での援助はできないことになってるのです。それは他国の大使館でも同じらしく、自分でチケット等は用意しないといけません。
スマホ(全て友達等の連絡先もこの中)を盗まれ、幼少時代に父は他界し、母は身体障害者、弟とは疎遠で、独身の私は日本に連絡する友達もごく僅かで、長期滞在で貯金も尽きており。用意出来ませんでした。
領事さんには散々手を尽くしてもらったのですが、手立てがありません。万策尽きました。
帰国する為のチケットやPCR検査等の諸費用として約15万円(現在、LCCはなく、さらに大阪もしくは成田から九州までの交通費なので、それぐらいかかってしまいます)
そして、帰国直後の1ヶ月間、次の仕事(まだ何も決まってませんが、日雇労働でもなんでもしようと思います)の収入があるまでの生活も必要なので、最低約30万円は必要になります。
これからの人生をまだ諦めたくないので、恥を承知で皆さんに協力をお願いしたいと思います。
電話番号カンボジア〇〇〇〇
パスポートや免許証、マイナンバー、キャッシュカードも同時に盗まれて手元にないので、こちらでお金を受け取るにはどうすればいいでしょうか?
合わせて教えて頂きたいです。
私は自業自得、自殺も考えました、路上生活、ツイッターで恥を晒しても生きて母国日本帰国を選びました。罵倒バカにされても、もう失うものありません。生きて恩返しする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は自分の考えで敢えてこの書き込みをスルーして、
今回書きたいのはこれを見て思い出した話・・・
もう20年以上前になるかなぁ・・・
北京でJazz屋という日本料理屋をオープンしてしばらく経ってからのこと・・・
そこの経営を任せていたYという男が笑いながらこんなことを言う・・・
「今日ねぇ、面白いヤツが来たんですよ。
タクローという日本人なんですけどね、
なんだか世界中バックパッカーで旅をしてるらしく、今日うちの店に来て
"腹へって死にそうなんです何か食べさせて下さい"
って言うんで、
"何か面白いこと言ってくれたら飯ぐらい食わせてやるよ"
って言ったらそれがとっても面白くて(笑)
よかったら明日も来るから会ってみます?」
面白いことが何より好きな私は喜び勇んでそいつに会ってみたら、これが面白い話が満載!!(笑)
何より面白かったのが、当時は携帯とかもない時代で、インターネットもやっと普及して来たぐらいの頃、彼が旅を終えて日本に帰国した時の話・・・
「実家に帰ったらね、実家がないんですよ!(◎_◎;)
いやね、あることはあるんですけど違う人が住んでるんですよ・・・」
まあオチとしては家族が引越しをしたのだが息子に知らせる術がない。
「おふくろも引っ越しするなら何で一報入れてくれないのかって話ですよ(>_<)」
と言うが、まあ世界中どの国にいるかわからん息子に、インターネットなどまだ使えない親が一報入れる術はないわのう・・・(笑)
その他、世界中での珍道中の話が面白くてついついいっぱい奢ってやったのを覚えている・・・
あと、世界中のバックパッカーが集まる安宿で、そんな連中がそこのパソコンでまた世界中の情報をそれぞれ交換してまた世界に散ってゆく・・・
そんなところのパソコンはまだ他言語に対応しておらず、日本語が打てないので全部が英文である。
タクローから来るメールも確かローマ字で打った読みにくいメールだったのを覚えてる(笑)
でも、「英語さえ出来れば世界中をこうして旅出来るんだなぁ」と当時中国語もままならなかった私は無性にタクローのことが羨ましかった記憶がある・・・
その後、私が日本にいる時に彼からメールが来た。
「おお、日本にいるのか?じゃあメシでも奢ってやるから出て来い!!」
確か原宿かどっかの回転寿司を奢ってやったような記憶がある。
当時私はFM COCOLOという放送局で番組を持ってて、面白いから彼をゲストに呼んだ。
そしてラジオの中での彼の発言・・・
「それでね、あんまり腹が減ったんで、スーパーで大福盗んで食べちゃったら捕まって警察に・・・」
私は不謹慎にも大笑いをしてしまったが、ディレクターは当然この部分をカット!!
まあそうやわなぁ・・・
その後連絡は取ってないけど、元気かなぁタクロー・・・
真っ当に生きてればいいのだけれども・・・
もしくはまだ世界を旅してたらホント尊敬するぞ!!(笑)
まあそんなこんなで、そんな若者が、携帯もTwitterもない中で、何とか旅を続けていた・・・
このKさんとやらも、どこかに飛び込んでメシ食わせてもらったり、働かせてもらったり、まあ何よりその私の知り合いからもらったチケットと金はどうしたんじゃろう・・・
「タクローだったらどうしたかな・・・」
そんなことを考えながら書き込みを読んでた次第であります・・・
まあカンボジアは北京と違って路上生活が出来るからな。
北京だったら冬はマイナス15度で凍死してしまう・・・(笑)
まあ携帯盗まれたと言いながら電話番号もあり、こうしてTwitterにUP出来てるんだから実際どうにでもなるでしょう。
タクロー、お前ならどうした?!!
これ見てたら久しぶりに連絡くれ〜
またメシぐらい奢ってやるぞ〜(笑)
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2021年1月18日
カンボジアのサーカス最高!!
サーカスというよりは「雑技団」である。
こちら:Phare Circus
いやね、これがホンマに素晴らしい!!
写真撮るのも忘れるぐらいのクオリティーでした〜
話はちょっとそれるけど、ある飲食業界の人と食事に行った時、
私は「これ美味しいねぇ」と言ってぱくぱく食べてるけど、
そいつは料理を箸でつついたりして分析してる・・・
「メシ食う時ぐらい仕事忘れてそれを楽しめんのかい!!」
と笑ったが、
「じゃあ末吉さんは音楽聞く時どうなんですか?」
と聞かれてわかった。
若かりし頃「趣味」だった音楽はいつの間にやら「仕事」になってしまい、
飲む食うぐらいしか趣味のない何と「無趣味」な人生なのだろう・・・
いい音楽を聞くと、「この曲はどうしていいのか」ということを即座に分析して、メロディーとコード進行を符号化して頭の中のデータベースにしまい込む。
まあ「仕事」である。
だから「休みだ」となったら音楽など聞かない。
「仕事」になってしまうのだ。
映画音楽などやり始めて、なまじ中国でヒット映画などになってしまったので、とにかく勉強のために色んな映画を見なければならない。
当然ながら映画を見ながら「どんな時にどんな音楽を当てている」というのをずーっと分析している・・・
ところが映画音楽だけはどこかしら「趣味」の部分が残っているのだろう、もの凄くいい映画に当たった時には、気がついたらそんなこと考えずに最後まで感激して見ているのだ・・・
結局見終わって「どんな音楽だっけ?」・・・これこそが「いい映画」である(笑)
さて、このサーカスというか雑技団の音楽がそれに近かった。
最初のうちにはそのプロダクションの高さ、演奏力の素晴らしさ、「同期モノをどうやって使っているのだろう」とか分析をしてたのだが、最後には観客と一緒になって手拍子をしながら大いに楽しんでいる。
これこそがエンターテイメント!!!
まあ「どう素晴らしかったのか」ということは言葉で書くことは難しい。
無粋ではあるが自分が「分析」してた部分を書くしかなく、それで興味を持った方はコロナが明けたら是非足を運んで生で見て欲しい・・・
では無粋開始!!
サーカスなのだからピエロが出て来る。
まずこの映像の後に映っているバンドを見て欲しい。
西洋楽器であるドラム以外は全てカンボジアの民族楽器である。
メンバーは、ドラムと楊琴と木琴、そして笛とパーカッション他を演奏する4人。
他の楽曲ではシンセとかベースが入っていたので、きっと同期で音楽を流してそれに合わせて演奏してるのだろうが、ピエロのコーナーだけはピエロが客いじりをするため尺が決められないので全部生で演奏する。
動画の後半の方でその演奏が聞けるが、最初の部分はピエロがコミカルにバンドの演奏をやめさせてからこの動画に入っている。
このように演者の合図によって演奏をやめたり始めたりせねばならないので生演奏でなくては難しいのだろう・・・
それにしてもこのドラマーは凄い!!
というかドラムがこんなに「芸」を盛り上げることが出来るということが素晴らしい!!
コロナで長い間休演してての初日なので、この日は演者に失敗が目立ったが、ドラムのフィルなどでそれら全てが「盛り上げ」になっている!(◎_◎;)
私なんかも煽られて「頑張れ〜!!」というモードになってしまうのだ・・・
演目ごとに音楽が違っていて、この様な演目には幻想的な音楽を当てて来る・・・
(と言っても今動画を見てそれを思い出しただけで、実際はどんな音楽を当ててるかを聞く余裕がなく、ただただ雰囲気に呑まれてしまっているのだ)
そしてこのサーカスの素晴らしいところが、全体を通して1曲、つまり「メドレー」になっていて、途中にバラードっぽい曲も入ったりするけど(雰囲気に呑まれているのでどんなんか忘れたが)、全体的には「ダンスミュージック」として構成されている。
カンボジアの音楽はタイの音楽と同じようにむっちゃ楽しい音楽のジャンルがあるので、それをどんどん取り入れて、最後には観客一丸となって手拍子をして演目を盛り上げるのだ!!
客が裏打ちで掛け声を出したりするのもお国柄。
揉み手で頭打ちしか出来なかった日本人と違い、裏打ちが民族音楽にもあるからのう・・・
(もちろん表打ちで手拍子しか出来ない客もいるけれども・・・)
あと、やはりドラマーが素晴らしい!!
失敗した時にフィルを入れて盛り上げたり、
演者の動作に合わせてフィルを入れたりするのだが、
当然ながら演者の動作はリズムに合ってるわけではないので、それが何拍目の8分裏なのか16分裏なのか、アクセントを入れた瞬間に次に続くフィルを瞬時に構成してリズムに戻る。
ドラマーとして16分の全ての位置にアクセントが入れられる
(つまり16ビートのリズム感がある)
というレベルじゃないとこの演奏は無理なのである。
カーテンコールでは、バンドの中ではやはりこのドラマーが一番大きく紹介されていた。
この世界ではかなり大御所なのではと想像する・・・
最後にひとつだけわからなかったのは、これも非常に無粋であるのだが、
気がついたら最後の曲などはベースの音が入っているのだ・・・!(◎_◎;)
しかも演目のサイズがどう伸び縮みをするかわからないので同期は使えない。
ドラムのフィルでスタートしたりもするので、きっと陰で隠れてベースを弾いている人がいる?もしくはシンセで弾いている?・・・
だったらその人もカーテンコールで紹介するじゃろ?・・・
音響スタッフを二人紹介してたので、きっとその音響ブースでどちらかの人が音楽出したりついでにベースラインを弾いているのではと想像した。
いや、そんなことはどうでもいい!!・・・というぐらい素晴らしいエンターテイメントでした!!!!
聞くところによると、この団体はカンボジアの難民キャンプで結成されて、今では学校みたいになっているらしく、まあこれが一軍だとしたら二軍三軍の子供達が後ろで順番待ちをしているに違いない。
層の厚さを感じるぞ・・・
雑技団に関しては私も重慶雑技団の音楽を担当させて頂いてその音楽でグランプリを取ったことがある。
しかしその雑技団に比べて、このサーカス団は何が違うかと言うと・・・「明るい」のである。
中国の雑技団、人生の全てを演目に賭けて肉体を人間の限界まで改造して演ずる(今は違うかも知れんが)スーパー演技・・・
しかしどこか悲壮感というか悲しさがあった・・・
でもこのサーカス団にはそれがない!!(いや、見せないだけか?)
年中暑い国のお国柄かも知れないが、音楽とパフォーマンスが見事に明るく融合した素晴らしい演目になっていたと感じた。
これでVIP席20ドルは安い!!!!
聞くところによると、この団体の運営には年間80万USDが必要という話もあり、終演後に募金箱がステージに運ばれて来たが、ワシは迷わずもう10ドル入れたぞ!!
いや、合わせて30ドルでも安い!!日本で何たらサーカスとか見ると1万円ぐらい平気でするではないか!!
(見たことないから知らんけど)そんなレベルの出し物がこの値段で見れたということに私(の財布)はそれが一番びっくりした。
これぞ「芸能」!!この国が世界に誇るべき素晴らしい「文化」だと思うぞ!!
いや〜いいものを見た・・・
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2021年1月 3日
カンボジア王国ケップ州ケップ
ケップはカンボジアで私が一番好きな街である。
今回はこの記事を読んで、是非列車で行きたいと思い立った・・・
まずは切符の購入!!
プノンペンに帰って来てさっそく次の旅の準備〜 今度は列車に乗るのよ〜 って切符買いに来てみたら駅ここなん?!(◎_◎;) 時々前は通ってたけど地味すぎて全くわからんかった(笑) 週末しか運行してないというカンボジアの鉄道旅〜楽しみです!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月24日木曜日
ゲットした切符がこんなん〜!!
末吉覚さんの投稿 2021年1月2日土曜日
こんなミスプリみたいな切符でちゃんと乗れるんかと思いつつ当日!!
さてと、早起きしてプノンペン駅〜 駅にモールが出来て色々レストランも入ると書いてあるがなかなかやろ〜(笑) 現状は外の屋台で食うのみ!! 旅のお供はラタナキリで買った水筒〜やっぱ暖かいお茶に限るな・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
一応時刻表らしきものも〜
末吉覚さんの投稿 2021年1月2日土曜日
列車ってこれ?一両だけなん!(◎_◎;)・・・(笑) でも中はなかなか快適やぞ〜 トイレもあるし〜ってアジア式ウォシュレット付きって凄いな!(◎_◎;) ・・・ってか何でお前がおるん?! 彼女出来たん?オックスフォード出よ才女?・・・お嬢さんこいつだけはやめときなはれ!!金にならん(>_<)!!(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
はい、というわけでタカシとタカシの彼女も同行旅!!
線路は続くよ〜どこまでも〜ってシアヌークビルまでしか続かんけど(笑) ちゃんと車掌さんもいます〜 乗客は富裕層と外人が多い気がするけどなんでやろ・・・バスより列車が安いぞ?・・・ こちらの人もインド人のように手で飯を食ったりするけど、タカシに食わせてると餌付けやな(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
途中停車駅のタケオ!!!
タケオ駅なう〜日本人の名前みたいやけど正しくはតាកែវタカエゥみたいな発音。 週末しか列車走ってないけど駅には売店やカフェまで・・・ ちなみにタラップは手動で階段を引き出す(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
タケオ駅には売店やら何やらでわさわさしてたので期待してたのだが、ケップ駅には何もなかった(>_<)
ケップ駅カラフルなだけで何もないんですけど(>_<) しかもビーチから遠い(>_<) トゥクトゥクもほとんどいない(>_<) しゃーないなぁ〜・・・(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
数少ないトゥクトゥクをタカシにゲットさせ、10ドル払って30分、やっとケップの浜辺に着いた〜!!!
いや〜やっとビーチまで着いて、タカシがホテル探してる間に彼女がビーチ沿の場所取ってくれて昼食まで〜しかも自分の金で(涙) お隣カンポットは胡椒の名産地、それを使って採れたてのイカと炒める!!この汁がむっちゃ美味いのよね〜(涙) それにしてもこんな人がおるケップ初めて見た!(◎_◎;)日曜日やからか・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
ちなみに、ここの「海の家」みたいな場所取りは、その向かいのレストランの「縄張り」みたいになってて、そこの料理を頼めば場所代は無料になる。
色々自腹で料理頼んで出来た彼女やなぁ〜と思ってたら、結局お勘定は最後にまとめて払うシステムで結局ワシ(>_<)
とりあえず海へ〜やっぱ海は癒されるのう・・・(涙)
海だ〜!!\(^o^)/ 我は海の子瀬戸内の〜やからな、湖も川もええけどやっぱ全然違う!!(涙) 七輪担いでイカ売りに来るのがええな、獲れたてぷりんぷりんでむっちゃ美味い!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
浜辺も相当癒されます!!!
ナニコレ?カンボジア民謡同好会?海の家お隣ではカラオケでカンボジア民謡盛り上がってるし〜 いやむっちゃ合うっつかカンボジアやから合うのは当たり前やけど酔うわ〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月26日土曜日
夜は定番のクラブマーケット横のレストラン!!
クラブマーケット辺りは夕陽を見ながら飲めるレストランばかり!! なんでこいつと夕陽を見ないかんのかという問題は置いといて、ケップ名物の蟹は食ったしその汁をパンにつけて食うたしそれを肴に白ワインも飲んだし、もうケップでするべきことは全部終わったの!!(笑) とりあえずは今日はこてん〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月27日日曜日
朝は早起きしてクラブマーケット!!
朝はやっぱクラブマーケット行って新鮮な海産物を召さないかんやろ〜 しゃーないなぁ〜・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月27日日曜日
旅なので朝からビール!!!
買った海産物はそのままお好みの料理方で料理してくれます〜って薪!(◎_◎;)・・・魚のバーベキューにも惹かれるけど、タカシお前いくらなんでも頼み過ぎやろ!(>_<) しゃーないなぁ〜・・・朝ビール健康法!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月27日日曜日
食ったら船をチャーターしてお向かいのラビット島へ〜
この船代は昔は確かひとり10ドルとか8ドルとかそんな勘定の仕方だったと記憶してるが、今では1隻25ドル!(◎_◎;)
人数が集まればこっちの方が安いし、何より貸し切りなので時間をこちらが指定出来る!!
とりあえず16時に帰るということで島でまったり・・・っつうか何もないのでまったりするしかない(笑)
しゃーないなぁ〜・・・お向かいのラビット島にでも渡りますか・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月27日日曜日
島にはもちろん道路などはなく、獣道みたいな道をちょっと歩けば島外れのビーチに・・・
いや〜「世界の果て」感満載!!
ジャングルを抜けて島の外れのビーチ・・・日本から見たら世界の果てやろうなぁ(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月27日日曜日
ここまで来れば海の透明度が凄いな・・・
その夜もお約束のクラブマーケットの横のレストランで蟹を食い、翌朝タカシが帰ったのを見計らって(笑)、お気に入りのカフェ!!
タカシ達も帰ったのでやっとゆっくりとお気に入りのカフェで〜 フランスの植民地だった割にはフレンチトーストを置いてる店が少ないのよね〜 しかしここはフランス!(行ったことないから知らんけど) 白人率高し!!現在私以外全員白人です〜 みんなフランス人やで絶対!!(知らんけど)
末吉覚さんの投稿 2020年12月28日月曜日
いや〜毎食蟹とイカと海老ばっかでフレンチトーストがとても新鮮〜(涙)
さて、今回の旅は元々タカシのためにセットアップしたわけではない!!(アタリマエ)
実は年末休暇を利用して、時々お子さんを預かったりしてた西村家の奥様がケップに来るということで、私だけが列車に乗りたいために先にケップ入りしてたわけです。
(列車は現在週末しか運行してない)
夕陽を眺めながら高級レストランでお食事!!
プノンペンからお客さんが来たので「俺のケップ」を案内します〜 昨日、一昨日のルートをまた辿ることになるのだが、ひとつだけ違うのが、タカシがおらんなって食事が豪勢になります〜(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月29日火曜日
翌朝はまたクラブマーケット!!
朝ビールダイエット!! 一昨日はタカシに「蟹はペッパー炒めやで!!」と言ってたのに塩茹でにされたので、今日はリベンジ!! ឆា:炒める、និង:〜と、〜を使って、ម្រេច:胡椒、で見事に通じました〜\(^o^)/ 注文受けたら薪割りから始まります〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月29日火曜日
そしてラビット島〜!!
再びラビット島へ〜 蛇もいます!!大きな蜂も・・・猿も!!(猿はケップ) ちなみにこうめい君は海は初めて〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月29日火曜日
まあこの行程をタカシと共にリハーサルしてたようなもんですな(笑)
その後ケップに帰ってまた夕陽を見ながらお食事〜
実はケップのはるか向こう岸に大陸のように見えるのはベトナムが実効支配しているフーコック島!!
末吉覚さんの投稿 2021年1月2日土曜日
タカシは「あの島は元々カンボジアの領土だ!!」と主張していたのでこんな書き方をしたけど、このカンボジア領土の食い込むように位置するベトナムの島には、前回は陸路で国境越えしてハティエンに入り、そこから船で大きく引き返すような形でフーコック島に渡った。
直で入る船がないのと、入出国のシステムがないのでそうするしかないのだが、噂によると中国資本により、直でフーコック島に渡れる船便がオープンするらしい・・・
そうなればケップとフーコック島がセットになって便利やなぁ〜コロナが早く収まらんかのう・・・
さて一緒に旅をしたシェムリアップ在住春香嬢が
「元旦はアンコールワットで初日の出を見る」
と言うのでみんなで一緒に行くことにした・・・
ご一行は今からシェムリアップに行ってアンコール遺跡で初日の出を見るんですと!(◎_◎;) しゃーないなぁ〜・・・クイティアウ(カンボジアの米の麺)食ったら同行しますか〜・・・ってプノンペン通り越して8時間半!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月30日水曜日
時間軸は前後するが、こちらに続く〜
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2020年12月25日
カンボジア王国バッタンバン州バッタンバン2日目
さて翌日、バッタンバンは鴨が有名ということでソカ君に連れてってもらった・・・
こんな店、地元の友達がおらなまず行くことはないなぁ〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月22日火曜日
豪快な包丁さばき!!
私は鴨のクイティァオ(カンボジアの米麺!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月24日木曜日
ソカ君は鴨ライス!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月24日木曜日
美味しそうなので追加してダブル!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月22日火曜日
ここで和佐田の名言を〜
「みんななぁ〜俺がカレーとうどん頼んだらダブル炭水化物やどうのこうの言うけどなぁ〜うどんはスープや!!味噌汁にそうめん入ってるようなもんや!!」
ベトナムからハッピーブッダさん〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月22日火曜日
中国から関羽さん〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月22日火曜日
遠いところまでご苦労様でございますm(_ _)m
さてこの日の観光はまずSamraong Knong!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
ここにも虐殺の爪痕は残されてます。
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
壁画で描かれている・・・
博物館も・・・
そして次はEkphnom Pagoda!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
壁画も素晴らしい!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
全景・・・360度画像で見れるかな?
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
仏像いっぱい・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
その奥にはクメールルージュによって破壊されたお寺が・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
崩れないように木で補強してあります・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
中にはお参り出来る場所も・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
信じるものを全否定されて壊される(もしくは壊さされる)ってどんな気持ちやったんやろ・・・とか思ってしまいます・・・
さて、ソカ君が非常に優秀と言うか、むっちゃ効率良く駆け足で全ての観光地を廻ってくれたわけですが、その道々で色んなところにも立ち寄ってくれました〜
グラグラ揺れてむっちゃ怖い吊り橋〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
そこから眺めるのどかな景色〜
キノコの養殖場〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
カンボジア独特の発酵食品のプロホックの製造場〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
奈良漬みたいなもんか?
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
これが匂いが強烈!!(>_<)
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
ぶどう園〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
ここではバッタンバンワインやバッタンバンブランデーVSOPが売られている!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月23日水曜日
財布と相談してブランデーは諦めたけど、バッタンバンワインを買っていきました〜
お味は?・・・まあまあかな(笑)
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2020年12月21日
カンボジア最西北端の街ポイペト
今回の旅のコーディネーター西村さんが、ポイペトの待ち外れにあるご家庭にホームステイとして放り込んでくれた〜
カンボジアの最西北端ポイペトなう〜 今回の旅のプロデューサー西村さんが、知り合いのカンボジア人のお宅に私をホームステイとして放り込んでくれました〜 (犬以外には)クメール語しか通じんからこりゃいいクメール語の卒業試験ですわ〜 このお宅ほんと...
末吉覚さんの投稿 2020年12月18日金曜日
周りには何もありませ〜ん!!
ホームステイ先はカンボジア最西北端のむっちゃ町外れにあるので何もありません!! 何もありませんっていったい何があるんですか?いやホンマに何もないんです!!人もおらんし〜 この一角だけ切り取れば絶対人より牛の方が多い!!(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月19日土曜日
数日ほとんど通じない自分のクメール語に愕然としながら、
「ああそう言えば最初の嫁となるご家庭に初めて行った時も、中国語レベルはこの程度やったかなぁ〜」
などと回想する・・・
当時中国では周りにはLuanShuぐらいしか英語喋れんかったからなぁ〜
それに比べてプノンペンではタカシをはじめとして誰でも英語を喋る。
買い物すんでもトゥクトゥク乗るんでも、生活自体ワシぐらいの英語力で全く不自由なく暮らせる・・・
これがいかんのやな、このホームステイ生活みたいにイヤでも喋らないかんような環境は必要やな・・・
人生全てが是「修行」である!!
30℃切ったら風邪ひくという国民にとって20℃切ったら命に関わります(>_<...
末吉覚さんの投稿 2020年12月19日土曜日
とか言いながら修行だけでも辛いので、バイクをお借りして街に出てみる・・・
ご家庭のバイクをお借りして街に繰り出そう・・・ってバイクにナンバープレートがないんですけど!(◎_◎;) よく見るとみんなヘルメットなんて被ってないし、どのバイクもナンバープレートなんかない!!!(◎_◎;)
この街だけ法律違うんか?!(...
末吉覚さんの投稿 2020年12月19日土曜日
時にはご家族とお出かけ~
ホームステイ先の若夫婦に連れて来てもらった湖の畔の素敵なレストラン・・・GoogleマップにもAppleマップにもこのデカい湖が載ってない!(◎_◎;) さすが世界の果てまで来た感すごい・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月19日土曜日
通貨計算がようわからん(>_<)
このメニュー表記がタイバーツなのかリエルなのかでもめている・・・ 若夫婦はリエルだと言うけどあり得んやろ!!料理200リエル言うたら5円やで!!ビール25リエルって1円以下・・・ってか100リエル以下の紙幣ないし〜 バーツやと3倍したら日本円やからそんなもんか思うけど・・・ お勘定したら全部で4000円いかん?・・・ってリエルのゼロふたつ省略した表記やった(>_<) 紛らわしいっつうねん!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
さて「ポイペト観光」って調べても、カジノと国境しか出て来んし・・・(>_<)
そもそもが越境で通り過ぎるだけの街やからのう・・・
カジノには興味がないので国境フェチとしては是非とばかり行ってきた!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
ここの国境の大きな特徴は線路があること!(◎_◎;)
これがタイのバンコクまで行くんですと!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
まだ開通してないんか?開通して運休してんのか?
どっちにしろ早く乗れるようになって欲しいわぁ〜
そしてここが駅!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
ここがホーム・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
このままボーダーの中まで続きます〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月20日日曜日
いや〜まだ列車で越境したことないのよねぇ〜
一度北京〜香港だか逆だかは行ったかのう・・・
この鉄道は反対側にはプノンペンからバベットを通ってホーチミンまで抜けるらしい!(◎_◎;)
早く開通してもらいたいもんじゃのう・・・
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2020年12月17日
カンボジア王国ラタナキリ州最終夜
たまたま客引きに来たトゥクトゥクの運転手サント君と出会ったおかげで楽しい旅になった。
ドラムも叩けたしカラオケにも行った。
目的地であった中国村にも行けた。
あとはメシ食って次の街へ行くだけなのだが、最後やっぱり彼と、彼の友達、出来ればご家族なんかともメシを食ってお別れしたい。
最初にメシ食った時も
「奥さん子供いるの?食事に連れておいでよ」
と誘ってたのだが、
「うちは遠いからなぁ〜彼女は来たがらないよ」
と言ってた。
ところが昼間には子供と一緒に来た。
さてと今日はいよいよ最終目的地の中国村ラオス村!!サント君はバイクに乗り換えて子供と共に現れた!(◎_◎;)一緒に観光行くのか? なんで人んちの子供に朝メシ食わさないかんのかようわからんがまあええわ楽しいし(笑) ってか途中ノーヘルでポリスに捕まるところぶっちしてんですけど!(◎_◎;) やっぱここにも警察おるんや(笑) 3人乗りでノーヘルで40km行くんか?・・・ええけど(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
「夜は奥さんも一緒に食事に」
と言うと二つ返事である。
きっと彼自身も楽しかったのだろう。
ただの「客」だったら奥さんも出不精になるところ、きっと旦那がとっても楽しそうだったから一緒にと思ったのだと思う。
お迎えはクム君のトゥクトゥク!!・・・相変わらず派手やなぁ〜(笑)
カンボジア王国ラタナキリ州のトゥクトゥク - Spherical Image - RICOH THETA
着いたところは何やら大きなスーパーマーケット!!
そこの周りがレストランみたいになっとる!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
サント君ご家族!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
ここはバーベキュー(和佐田)屋さんらしく、お任せで注文してもらったのだが、海鮮ばっか頼みよる!!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
カンボジアの中では海から一番遠い街やぞ〜!!
それに牡蠣なんか当たったらどないすんの〜!!!
ま、ええか・・・寝てりゃええだけやし(笑)
ご家族大喜びで箸が進む・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
ここはベトナムとラオスとの国境の街、海沿いに細長い国土を持つベトナムは、入国したらもうすぐに海である。
ひょっとしたらこれら海鮮はベトナムから入って来てる?・・・
などと考えてたらダナンでよく食べた、この料理の汁をフランスパンに浸して食うのがむっちゃ美味かったことを思い出した!!
「ここパンないの?」
そう聞いてみると、クム君が自分のトゥクトゥク乗って買いに行ってくれた・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
「お前なぁ!!こんなに買って来てどうする気ぃ?!(大笑)
もうね、ここでタガが外れた。
もう何をやっても可笑しい、箸が転んでも可笑しい女子高校生のようである。
(今日びの女子高生は箸が転んだぐらいじゃ笑わん(>_<))
とりあえず食ってみる!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
もうね、むっちゃ美味くて笑いが出て来る(涙)
予想通りイカの炒め物の汁も最高!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
もうね、何でもないのだが何故だかむっちゃハイで大笑いな食事会でむっちゃ楽しい!!
ラタナキリ最後の晩餐 - Spherical Image - RICOH THETA
仮谷家でバーベキューした時に酔っ払った仮谷君がよく言うのだが、
「何を食べるかじゃないんですよ!誰と食べるかなんですよ!!」
なるほどなと思う。
思えばプノンペンにいる時にはいつの間にやらカンボジア料理なんか食わなくなってきてた・・・
中国から旅でプノンペンに来た時には、リバーサイドのペッパーステーキや、ソバンナIIのイカとグリーンペッパー炒めとか必須やったのに、こうしてプノンペンで暮らしてると滅多に食いに行かん・・・
まあ「いつでも食える」というのはあるけど、基本的に日本レストラン行って、おもろいオッサン(土井さんとか翁さんみたいな(笑))と飲むのが楽しいからな・・・
旅に出たら逆にカンボジア料理しか食わん!!
旅先で日本料理屋探して・・・というまで日本料理が好きではない。
やっぱこういう食事が一番楽しいわ・・・
食い終わって「スカイバーへ行こう」というのでまたひとり大笑いした。
だってこの街にはビルらしいビルもネオンも何もなく、夜景どころか高いとこから見て楽しいものはひとつもないのだ!(笑)
斜め前のスカイバーが入っているビル・・・
今まで見た中では一番大きなビルやな・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
ご夫婦ハッピー!!こちらまで幸せになって来る・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
そしてこの街の夜景!!(笑)
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
全く夜景でも何でもないんですけど〜〜〜!!!!(笑)(笑)(笑)
店のオリジナルカクテルみたいなん頼んでみたら、何この量!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
いやね、カンボジアやけどもう関西弁で突っ込むわ!!
「何やこれ?!!こんだけ量入れる必要あるんかい!っつうねん!!!」
ここでまた大笑いしてるうちに思った。
「何でもないことで大笑いしてると楽しいなぁ・・・」
誰かが言った。
「人を笑わせることの難しさよ、人を怒らせることの簡単さよ」
それを言うならこう思う。
「人を笑わせることの難しさよ、自分が笑うことの簡単さよ」
「赤ちゃんが笑うのは可笑しいからじゃなく幸せだから」
という言葉も思い出した。
大人になって「幸せ」や「笑うこと」や全部忘れてしまって、
何やら「不幸」ばっか背負って生きてるようになるけど、
笑えばええのよ笑えば!!
なんか着いた時から笑いっぱなしの楽しい旅やったなぁ〜
こんな言葉でシメてみましょう。
「旅はどこに行くかじゃないんですよ!誰と会うかなんですよ!!」
末吉覚さんの投稿 2020年12月16日水曜日
はてさて次の街ではどんなことが起こるかな・・・
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2020年12月15日
カンボジア王国ラタナキリ州バンルン初日昼の部
このような経緯で旅に出て、最初の経由地であるクラチェに続いて、とりあえずの目的地であるラタナキリへ〜!!
地図で見るとなるほどカンボジアの最北東端に位置し、ベトナムとラオスに国境を接している。
今はコロナで国境は封鎖されているが、そうでなかったらここからラオスかベトナムに抜けて旅をしてたであろう、「国境好き」にはたまらない位置にある。
しかし今はコロナ、国境を抜けられないとするとつまりは「行き止まり」。
「世界の果て」まで来た感があるのう・・・
さて乗合バスっつうかバンに乗ってここまでやって来たのだが、
何やら検問のようなところに降ろされ、体温を測って手をアルコール消毒させられる・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
なるほどコロナ患者のいないこの州ではこのように水際対策をやってるんだな、と感心してまた車に乗り込んだら。
乗客全員がこっちを向いて「降りろ」という目線!(◎_◎;)・・・
英語があんまり通じないが、どうやら「着いたから降りろ」と言ってるようだ。
ワシの他に誰も降りとらんやん!!(>_<)
まあ他の乗客はそれぞれに降りる場所まで連れてってくれるのだろうが、
馴染み客ではないこの外国人は規則通りここで降りろ・・・みたいなもんだろうか・・・
よくある話でこういうバスストップで降ろされるとトゥクトゥク運転手が寄って来て客引きをする・・・
ろくなことないのよねぇ〜それに引っかかっちゃうと(>_<)
まあぼられるだけならいいけれども、ある人は人気のないところに連れて行かれ、
「100ドル払え、さもなければここに置いてゆく」
とか、まあ「世界の果て」なんだから人気のないところは無尽蔵にあるわけで、そのまま殺されて埋められても誰もわからない((((;゚Д゚)))))))
上の写真の右の方に写っている帽子を被った伊達兄ちゃん、
彼の押しが一番強く、もう私の荷物をトゥクトゥクに乗せて、
「どこまで行くんだ?」
と流暢な英語で聞いて来る・・・
前回のクラチェみたいに降ろされたところが一番の繁華街だったら問題ないのだが、まあ何にもないところを歩いて何キロあるかわからん繁華街まで行くのも、それはそれでよくない気がする・・・
「繁華街」って英語で何て言うんやっけ?(>_<)
中国語だと「最热闹的地方(一番賑やかな場所)」とすぐ出て来るが、
英語が出ないならクメール語で言うしかない!!
確か中国語で習った先生からこの単語を教わったはずだ!!・・・と記憶を呼び返してみる・・・
そうそう、「កណ្តាលទីក្រុង」!!
「ទីក្រុង」は「街」で、「កណ្តាល」はセンター、つまり「街の中心部」、これで合ってるはずだ!!
覚えたての下手な発音で見事に通じ、値段交渉!!
「2ドル」ってこれ安いやん!!実はむっちゃ近かったりして?・・・
まあ近くてもこれ「入場料」だと思えば安いもんやん!!
実はこの辺、Google マップには何も情報がないのよ。
Google マップを見ただけではどこが一番繁華街なのかわからん(>_<)
行きの車ん中でも色んな人の旅行記とかチェックしたけど、郊外の観光スポットばっかりで誰も街中をレポートしとらん(>_<)
まあ往々にして一番大きなマーケットがあるところが一番栄えているので
「ផ្សារធំបំផុត(一番大きな市場)」
と言ってみたらこれも通じた!!\(^o^)/
ところがこの市場の周りってのがただゴミゴミしてるだけでゲストハウスとかもなく、ブッキングドットコムでもこの近くには何もヒットしない(>_<)
彼が「いいホテルあるよ、一泊25ドルだよ」と紹介してくれるのだが、客引きの話に乗っていい目に会ったことがないが仕方がない。
そのホテルまで連れてってもらったらこれがなかなかいいホテル!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
ここで25ドルならいいか・・・とばかりここで降ろしてもらう。
ホテルのカウンターで何やら書き込んで、おそらくリベートを正式にもらうのだろうが、まあボラずに親切にここまで連れて来てくれたんだから大したもんである。
ちなみに今回の旅の最終目的地「ラオス村中国村」まで行ってくれるか聞いたら、
「あそこは遠いからなぁ・・・25ドル」
行って降ろされて帰られても困るから往復だといくらか聞くと
「往復だったら30ドル」
まあこいつのことだからボッてはおるまい。
じゃあ「今日一日ガイドしてくれたらいくら?」
と聞いてみたら「20ドル」ってそっちの方が安いやん!!(笑)
まあボラないわ親切だわ、英語上手いわワシの下手なクメール語も理解出来るわ(笑)で言うことない!!
というわけで1時間後にホテルロビー集合ということでチェックインしてシャワー浴びる・・・
これがまたいいホテルなのよ〜
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
シャワー浴びてちょっとゆっくりしてたら、これがまたちょうど時間通りに彼からメッセージが届く!(◎_◎;)
中国人もカンボジア人も「時間を守る」だけで逸材である(笑)
そのまま彼のトゥクトゥクに乗ってとりあえずATM!!
大金を持ち歩きたくないのでその日に必要な額だけを降ろすのだが、
まあ観光地だから色んなものが高かろうと100ドル、
いや100ドル札はお釣りがなくて使えないだろうから90ドル下ろして彼に20ドル渡す。
「今日はこの20ドルで夜の飲みまでガイドしてくれや。その代わりメシと酒は奢るから」
と言ったら彼大喜び!!(笑)
「じゃあラオス村中国村まで」
と言ったら、
「あそこは遠いのでトゥクトゥクでは行けない。バイクに乗り換えて明日行こう」
とかわけのわからないことを言っている・・・
まあ今日はトゥクトゥクで行ける近場で、
明日は彼でなくても何か車をチャーターすればいいか・・・
と思いつつ、「じゃあどこでも連れてってくれ」と言うと、
「まず湖に行ってメシを食おう」・・・と(笑)
まあメシもギャラのうちですから、と連れて来られたのが「ヤクロム湖(Yeak Loam Lake)」
「4000年前の火山活動により誕生した湖で、深さ約50m、直径約800mの円形の湖は、ラタナキリで一番きれいな湖とされる(byクロマーマガジン)」
ということで、なるほど水がほんとに綺麗!!
泳ぐ時には救命具をつけろ・・・って泳げるんかい!!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
まあここで記念に泳ぐのもめんどくさいので却下!(笑)
売店では蜂蜜を蜂の巣と共に蜂付きで売っている(笑)
そして少数民族っぽい服がいっぱい・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
聞けばこの州は
「人口の75%はもとからこの地域に住む少数民族で、おもにトンプーン、チュライ、クルン、プラゥ、カヴェット、カチョック、プノン、ルンの8部族が生活している。
残りの25%は外部から移り住んできたクメール人(Byニョニュム)」
だそうで、なんか中国の雲南省を思い出す・・・
こんな高床式の住居も・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
「結婚適齢期の女性、男性の小屋。
少数民族の伝統では、15~16歳になった娘には両親が小屋を造ってやり、両親と離れて生活させる。
一方息子がいる家でも、15~16歳で両親と離れて生活させる。娘と違うのは、息子の家は背高のっぽの家となること。親元から遠い村へ本人が赴き、背の高い木のそばに自分の家を造る。日中は畑仕事や狩猟に出かけ、夕方この家に帰ってきてからは、村の番人として高いところから周囲を見張る役となる(Byニョニュム)」
それより何より私が一番気になっているのはこれ!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月14日月曜日
何なん?これ・・・酒?
「酒」という英語がわからんので「ស្រា(スラー)」と言ってみると、なるほどこれは「ស្រា(スラー)」らしい・・・
早速頼んで飲もうとすると・・・
何これ?中には米糠みたいなんが入ってて、それに水入れてしばらく待てと?!(◎_◎;)
待つこと10分強、長い長い竹で出来たストローで飲む!!
味は、まあ雲南なんかにある「米酒(MiJiu)」みたいなもんね。
英語で「Rice Wine」、クメール語で「ស្រាពាង(壺酒)」と言うらしいが、
これが面白いのが、酒になっているのは下の方だけで、上はまだ水。
そしてどんどん水を足すので酒が全然減らん(>_<)
しかも休憩しようとしばらくほっとくと発酵が進んで酒がむっちゃキツくなる(笑)
いや〜パーティー酒やわ〜・・・
結局はペットボトル3本ぐらいの水入れて、最後にはやっぱなみなみ注がれた状態でギブアップ(>_<)
いや〜結構酔っ払うぞこれ・・・
というわけで、酔い覚ましに市内を見渡せる小高い丘へ連れてってくれた・・・
なんか雰囲気が前回行ったネパールによく似ている・・・
カンボジア最北東端の州の州都、
おそらく一番都会であるこの街でこんな感じ・・・
ここがどんどん開発されてプノンペンみたいになるのはちょっとのう・・・
そんなことを考えながら昼の部は終了!!
夜の部がこれがまた濃ゆい!!(笑)
続く・・・
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2020年12月14日
旅に出ます〜カンボジア
ここ数ヶ月頻繁にアレルギーが出る・・・
ブログ記事:アレルギーとの戦い
もう「何を食べて」っつうのがない。
毎回違うものを食べても出るし、
「酒を飲んで」でもない。
酒抜いた時にも出たりする。
今となっては虫除けや虫刺されも塗らないし、
毎日飲んでたカルピスが原因かとやめてみたり、
もう何をどうやっても出る時は出るし出ない時は出ない。
ハウスダストが原因かもとは思ったが、
引っ越してみてもやっぱ出た(>_<)
だんだん「精神的なもんかな」と思い始めた・・・
朝起きた時によく出るので、
「何か生きることに対してアレルギーが?」
などとも思ってみる・・・(笑)
私の人生・・・今までと今で一番違うこと・・・
まあカンボジアという国で初めて長く住んでるのは初めてではあるが、
何よりもひとつの街にこんなに長く滞在しているのは物心ついてから初めてかも知れない。
旅から旅へのツアー人生、
近年では春と秋に全中国を廻り、
去年、一昨年など北京の自宅に戻ったのが数日しかなかった(笑)
日本ではキャンピングカーに住み、
八王子に自宅はあっても駐車場で暮らしている(笑)
そんな私がいくらコロナ禍だとは言え、プノンペンというひとつの街にこれだけ長く滞在していることは人生においてとても珍しいことである・・・
そんなことを考えていると、もう何やらうずうずして来る。
コロナでまた保育園が閉まってしまって困っている人のお子さんをまた預かったりしているのだが、その中のひとり、西村さんという人はカンボジアの観光省に関する仕事をしている。
このブログを見てもううずうず・・・
【カンボジア】2020年12月の鉄道タイムスケジュールと、シハヌークビループノンペン間運行情報
週末にしか運行してない列車の旅なんて素敵ではないか!!
・・・ところが運行先が全部行ったことのある街ばかり(>_<)
もっと何か刺激がないものだろうか・・・
と思ってたら、カンボジア北東部のベトナムとの国境の街、ラタナキリというところには少数民族が多く住み、その少数民族の村には、「ここからこちらはラオスの民族の村、ここからあちらは中国系の民族の村」とかあるらしい・・・
少数民族に中国系?・・・
プノンペンに住んでる中国人とは色々知り合って飲んだりしたが、
少数民族???!!
カンボジア人として暮らしながら中国の伝統を守って暮らしてる???!!
そこで暮らしたいのう・・・
そこに私は非常に惹かれて、「ここに行きたい!!」とタカシにチケットを探させた・・・
「Funkyさん、ここはプノンペンから直通バスがなく、いくつかの街を経由して行くことになります」
「おう、何っつう街や?その名前クメール語でええから送ってや、検索するし」
待てども待てども送って来んし(>_<)・・・
まあこいつに頼んだのが間違いやった!!
旅のことならプロがおるではないか!!
というわけで西村さんに「仕事」として発注した。
「ラタナキリまで行く面白いルートを考えて下さいな」
まあ私は自他共に認める旅好きだが、
旅好きというのは往々にして色々こだわりがあったりする。
私の場合はパック旅行が嫌い!!(まあ旅好きでこれが好きな人も珍しいが)
気が向いたら長く滞在したり、ルートを勝手に変えたり、とにかく自由にその場で決めながら旅をしたい!!
それならば西村さんみたいな人が持って来いではないか!!
「ちょっとこちらで聞いたんですけど、何たらという街は面白そうなので行ってみたいのですが・・・」
と言うと、その街の情報と行き方などを調べて送ってくれる・・・
まあまるで私の旅を遠隔でプロデュースしてくれてるようなもんである(笑)
そんな西村さんが組んでくれたルートがこれ!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月13日日曜日
組みながら面白くなって来たのか、
「ファンキーさん、いっそのことカンボジア全25州全部を廻ってみたらどうですか?」
!(◎_◎;)
送られて来たブログ記事がこれ!!
【カンボジア】全州のナンバープレートを探して3000里。いろんなナンバープレートを集めてみたのだが!?
もうね、わかるわかる!!ヒマさえあったら自分がやりたいのね(笑)
まあ私は旧正月に中国に帰るまでヒマっちゃヒマである・・・
などと考えてたら、
「カンボジア在住歴長い日本人でもこれやった人はほとんどいませんから」
ってあーた!!人を煽るのが上手いのう〜(笑)
心の片隅から全身へピクピクと何やら脳内物質が伝達されてゆくが、
「やる」と言ってしまったら「やらねばならぬ」になってしまい、
結局は自由な旅がその目的のためにガシガシになってしまう(>_<)
「やらん!!」ととりあえずは返事をしておいて、
旅をしながら「あと残りの州はどこそこだけだなぁ」となったらまた考えよう(笑)
はてさて、バスのチケットを取るにはこのアプリをDLしなさいということでDLしてみた。
登録は簡単!!ここでプノンペンから今回の旅の経由地であるクラティエ(どこや?)までのチケットをゲット!!
ところがそのクラティエから目的地のラタナキリまでのバス情報が出ない(>_<)
まあ次の行程は現地着いてからやな・・・というわけで荷造り!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月13日日曜日
お気に入りの水筒とかコップとかも詰める・・・
もうね、荷造りって何年ぶりやろ・・・
そもそも荷解きっつうのを10年20年やったことがない!!
スーツケース(LCC用にはこの椅子にもなるケース)に必要最小限のものだけを詰め込み、それを持って自宅であろうがどこであろうが着いたところでその中からモノを出して使い終わったらその中に入れる・・・
人生それだけである(笑)
こんな話がある。
北京で日本人相手にパックツアーを組む旅行会社、
一番リピーターが多いのが「内モンゴル何もしない旅」らしい。
「何もしないって何するんです?」
「何にもしないんです。
草原のモンゴルパオで、朝起きたらご飯の支度をして、
メシ食ったら馬に乗る人は乗って晩ご飯の支度をして、
夜は満天の星空を見ながら飲む。
それだけです」
とかく日本人は「モノを貯める」ということが人生でしょ。
家を買う、モノを買う、どんどんモノが増えるのが幸せ。
ところがモンゴルの遊牧民はそんなにモノを持って移動出来ないから、
モノは基本的に持たない。
本当に必要最小限のモノだけ。
それがその人にとって一番大切なモノ。
それだけあれば幸せに暮らせる・・・
そういう文化に触れてみんな非常に心が癒されるそうである。
まだ2000年にならない頃に聞いた話だったが、
そう言えばその頃からもう「荷解き」をしなくなった・・・
家を失っても、モノも全部失っても、基本これだけあれば生きてゆける・・・
そんな私がここプノンペンで「荷解き」をしたのである!(◎_◎;)
そりゃぁアレルギーに悩まされても仕方あるまい・・・
と久しぶりの荷造りを終えてバスターミナルへ!!
まあバスターミナルというより小さな旅行会社ね。
お金はアプリから振り込んであるわけだから、この画面を見せれば乗れるわけね・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月13日日曜日
ってか全く英語通じんやん!!(>_<)
しっしという感じで追い返されて途方に暮れる・・・
西村さんに連絡すると、
「お、早速トラブルが始まりましたな」
と楽しんでおられる(笑)
いや、ワシもな・・・実はちょっと楽しい(笑)
バス乗り場で途方に暮れるの図
末吉覚さんの投稿 2020年12月12日土曜日
気を取り直してバス乗り場に戻り、クメール語で話してみる・・・
通じた!\(^o^)/
そもそもねぇ、クメール語の英語表記がこれがおかしい!!
Kratieと書かれているのでក្រាទាかと思ってたらក្រាចេះ・・・「クラチェッヘ」やん!!
(末尾子音は発音する直前でやめるのでクラチェかな)
そんなこんなで何とか勉強したてのクメール語でクラチェ行きのバンに乗り込んだ・・・
末吉覚さんの投稿 2020年12月12日土曜日
面白いのが、座席を3つ買ってそこにバイクを乗せて運ぶツワモノ!!
末吉覚さんの投稿 2020年12月12日土曜日
末吉覚さんの投稿 2020年12月12日土曜日
アジアの旅はこれやから楽しい・・・(笑)
6時間の車の中ではクメール語の音源を聞いて復習する。
そうか・・・あとこの国に滞在するのもせいぜい2ヶ月あまり・・・
これは半年間頑張って来たクメール語学習の「卒業旅行」なのな・・・
ここから何泊のどこへ行く旅になるかわからんが、
全25州制覇目指して頑張りますか!!・・・やらへんやらへん(>_<)
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2020年11月 5日
聾唖のBar Girl
カンボジア歴数十年というツワモノのKさんに呼ばれてオスカーに行った。
末吉覚さんの投稿 2020年11月4日水曜日
演奏してたのはこのバンド・・・ベースのカンボジア人は親しいのだが、どうもこのボーカリストの白人は好きではない。
実は昔こんなことがあったのだ・・・
「Funkyさん、ドラム叩いて下さいよ」
とタカシ・・・
お前な、ワシがドラムを叩くかどうかはワシが決めることではない。
今ステージではバンドが演奏している。
これはこのバンドがステージを任されているということだ。
そこにのこのこ出て行ってその進行を邪魔されたらワシだったら怒る。
だからな、もしこのバンドの人が「叩いて下さい」と言うならワシは喜んで叩くけど、呼ばれてもないのに人のステージに上がるのはこれは「邪魔」でしかない。
わかるか?
うんうんと納得したタカシ、何やら紙に何かを書いてステージに持って行って譜面台の上に置いた。
カンボジア人のバンドの場合、リクエストがあれば紙に書いて置いとくと、曲が終わった後でそれを読んで、演奏出来る場合は「じゃあ後でこの曲やるから楽しみに待っといて」とか、出来ない場合にも「すみません、この曲は演奏出来ないんです。同じアーティストのこの曲なんかどうですか」とか、まあいろいろそこからリクエストした客とのコミュニケーションが始まったりする・・・
タカシの場合、私の言うことをよく理解したので、
「こういう凄いドラマーがいますんで是非ドラム叩かせてやってくれませんか」
など書いて置いて行ったのだろう・・・
しかしコイツ・・・この白人は、曲が終わってその紙を取り上げて一瞥するや、そのままそれをくちゃくちゃにして捨てたのだ!(◎_◎;)
それに書かれているドラマーがそれを見てるだろうにも関わらずである・・・
私はこれには心底びっくりした。
「お前、何様じゃ!!」
いやね、みんなが待ち望んでるバンドの演奏を中断させて自分がドラムを叩きたいわけでも何でもない。
ステージを預かっている人間なのだから、自分が考えているステージ構成に「飛び入り」というのが合わないのであれば、そりゃ断るべきである。
しかし、「もしよかったら是非」と言っている店のスタッフ、
そして、ひょっとしたら新しい音楽友達が出来るかもと心の隅で期待しているだろう客席のそのドラマー、
そんな人の気持ちをコイツはその人達の前でくしゃくしゃにして捨てたのだ!!
言っちゃ悪いが、全くもっていい演奏でもなんでもない。
英語で歌っているようだが、聞いたこともないろくでもない曲、
きっとオリジナルなのだろう・・・
カンボジア人バンドはいつも先人達が残した偉大な楽曲をカバーして演奏しているのでそりゃ非常に楽しめる。
でも誰も知らない英語の曲、
そしてきっとそれはコイツが母国に帰ったところで誰も相手にされるレベルではないのだ。
この国では誰もが自分の国の言葉を喋ってくれる。
この国の人は自分に比べたらとても貧しい。
自国だったらこうやってステージを任されることもないだろうこのレベルのミュージシャンが、ここに来たらこうしてある意味ではチヤホヤしてくれる。
「こんな外国人にだけはなりたくない!!」
だからせめて、もっとこの国の言葉を喋れるようになろう・・・
すぐにこんな気分の悪い店からはおさらばして家に帰って勉強した。
(でも今だにろくに喋れんが・・・笑)
まあそんなこんなで私はこの店で演奏している白人が嫌いである。
昨日の話・・・ 「今日はオスカーでJamセッションなんで是非来てドラム叩いて下さい」とタカシ・・・ 民謡レストランでまったりカンボジア民謡に浸ってたのよねぇ〜 「8時半には来て下さいね」というが、まったり遅れて9時過ぎに行ってもまだ誰も来と...
末吉覚さんの投稿 2020年11月2日月曜日
Kさんは既に他の店に流れたと言うので、追いかけようとしてたらある日本人に声をかけられた。
先日このJAMセッションを見てた人で
「爆風スランプの人なんですか?」
と、とても感激していた人である。
「今日は叩かないんですか?」
いや、叩かんし・・・(笑)
仮にも一応ドラムを叩いてお金をもらってそれで生活している私が、
このロクでもない白人にお願いしてタダで叩かせて頂く理由が全くない(怒)
「あれから帰ってYouTubeとかいっぱい見たんです!!大きな玉ねぎの下でとか、あれ叩いてる人なんですよね」
いや、そうやけど・・・(苦笑)
YouTubeには私が世界中でドラム叩いてる映像や、中国全土でドラムソロをぶっ叩いている映像や、北朝鮮でドラムを叩いている映像まであるのに、よりによって「玉ねぎ」なん?(笑)
「あのサンプラザ中野さんでしたっけ?あの人の映像も見ました。ベトナムとか行ってらっしゃるんでしょ?凄いなぁ・・・」
知らんし!(>_<)
まあ日本人にしたらやっぱりいつまで経っても私は「爆風スランプの人」で、「大きな玉ねぎの下で」という曲のドラムを叩いてるのも、確かに紛れもなく私なのであるが・・・
こういうのがイヤで、私は中国に逃げた。
誰も「爆風スランプ」など知らない国で、その国の言葉を勉強し、その国の若者と共にその国の「ロックの黎明期」を作りあげた。
中国人にとっては私は単なる「伝説のドラマー」で、爆風スランプなど誰も知りやしない。
数々のロックの名盤(これとか)のドラムを録音し、中でも中国ロック界に金字塔を打ち立てたこのアルバムを叩いたことにより、よく「許魏のドラマー」という言い方もされる。
「あの伝説の北京ライブ・・・映像で見て何度も泣きました。あれ叩いてるドラムの人ですよね」
と言われるのと、
「大きな玉ねぎの下でを叩いてる人ですよね」
と言われるのとは、言われる方としては大きな違いがある。
まあ「玉ねぎ」も確かに自分の活動してたバンドの大切なヒット曲のひとつだし、
「許魏」のアルバムも私が山ほどやったスタジオミュージシャンとしての仕事のひとつであることに間違いはないのだが・・・
日本人に対してこのニュアンスを説明するのは非常に難しい。
中国人にとってはただ「Funkyの昔のバンドは日本でむっちゃ売れてたらしいぜ」という認識で、もし「玉ねぎ」の映像見つけて来て「これもファンキーさん叩いてるんでしょ?いい曲ですねぇ・・・」言われたら、
「おう、いい曲だろ、俺も好きなんだ」
で終わる。
何も違和感も疎外感(?)もイヤな気持ちも何もない。
でも日本人に言われると「あんたまだそんなとこでしかワシを見てないの?」と思えて寂しくなる。
もう「日本なんて帰らんでええな」と思っちゃうのである。
確かに私は爆風スランプのドラマーであり、数々の名曲のドラムを叩き、ついでに作曲もして、バンドの存続のために数々の泥水を啜って生きて来た。
でも、それよりも長い時間、私は中国ロックのために生きて、数々の名盤でドラムを叩き、数々のこの国のロックレジェンド達と共に数々の伝説を作って来たのだ!!
中国で活動して来た期間はもう人生の半分を超え、爆風スランプをやってた年月よりも遥かに長く、その成功は爆風スランプのものよりももっと(人口比で言うと10倍強)大きなものであるにも関わらず、それを全く無視されることに大きな違和感と虚無感があるのだろう・・・
しゃーないけど(>_<)
まあ虫の居所が悪いと時々そんなこんなで機嫌が悪くなったりする時もあるが、
基本的にその人には全く罪はないので「また飲みましょう!!」と盛り上げて店を出る。
Kさんと合流してとあるガールズバーに連れて行かれた。
カンボジア人の奥さんとクメール語で会話し、5人も子供のいるツワモノ・・・
(私は中国人の奥さんは一人目だけでその間に子供は二人・・・ってそれを競っても仕方がないが・・・笑)
馴染みのバーも多いらしく、この前連れて行かれたバーは、そこのママさんがその店のオーナーになったということでお祝いに飲みに行ったみたいな感じだった。
ところが今回のガールズバーは、また繁華街の外れと言うか、
まず「飲みに行く」という場所ではない上に、看板が出てないのでそこがガールズバーであるかどうかも一見さんには分かりようがない。
「おばちゃんばっかりですよ」
と笑って言うが、どうせ私もこの歳になるといわゆる「おばちゃん」はみんな「歳下」なのだ(笑)
バーに入って奥のテーブル席に座ると馴染みのおばちゃん(失礼)達と共にひとりの若い美女が・・・!(◎_◎;)
私の隣に座ったので、ここぞとばかり話しかけようとしたら、
「あ、彼女、喋れませんよ」
とKさん。
英語が喋れないなら好都合!!勉強中のクメール語のいい練習になるぞ!!・・・
と思ったら、英語だけでなく、耳が聞こえないから言葉が喋れないのだ!(◎_◎;)
「ここに来るとねぇ、クメール語の手話のいい練習になるんですよ」
とKさん。
手話は全世界共通だと言われているが、やはりそれぞれの言語での手話もあるらしく、
喋りでもまだそんなに喋れないのに手話まで無理!!(>_<)
でも、私はこの国の文字から勉強しているので、筆談だったら出来るぞ!!
お名前は?・・・スレイリアップちゃん?
アルファベット表記では「Sreyleap」?
ならば「Srey」は絶対に「ស្រី」!!女の子の名前によくある、日本で言うと「○○子ちゃん」って感じであろうか・・・
leapのleaは「លា」か「លៀ」か・・・まあ「លៀ」ならきっと「lia」と表記するだろうから(知らんけど笑)まあまず「លា」で間違いなかろう・・・問題は末尾子音の「p」である。
「p」を表す文字は「ផ」と「ព」と「ភ」の3種類あるが、「ផ」が末尾に来る単語は今まで見たことがないので・・・今日勉強した単語に出て来た「ព」を書いてみたらハズレ!(>_<)
これよ!と書いて(打って)くれた名前がこれ!!
末吉覚さんの投稿 2020年11月4日水曜日
おう!!「ស្រីលាភ」ちゃんか〜カワイイのう・・・❤️
勉強したてのクメール語でちょっと取っ掛かりが出来たので喜び勇んでいたが、
よく考えたら「ビールお代わり」やら「君も飲みなよ」など、全く言葉を交わさなくても身振り手振りで会話出来るではないか!!(>_<)
見れば店のおばちゃん達(失礼)やKさんは手話も交えて会話をしている!(◎_◎;)
「この子はねぇ、この前行ったバーのママさんの姪っ子で、僕は小学校の頃から知ってるんですよ」
とKさん・・・おう、なるほどね・・・
みんなとの会話の中で彼女のこんな手話会話が訳されて来る。
「私はね、このおじさんのことが小さい頃から好きだったの。でもおじさんは今になっても全然振り向いてくれない」
もうね・・・カワイイのだ〜(涙)
「また来よう!!また彼女にお金を落としてあげよう!!」
なんか物凄く幸せな気分で店を出た。
でも帰る道すがらこんな考えが頭をよぎった・・・
「お前なぁ、彼女が聾唖者だから好きになっただけなんじゃないのか?」
そう、「聾唖のBar Girl」なんて生まれて初めて出会ったわけだからその「特殊性」にぽーっとなってるのはある。
それってお前が「爆風スランプの人だから」って思われてるのと一緒じゃないのか?・・・
盲目のギタリスト田川ヒロアキ君がよく言ってた。
「もういい加減『盲目』ってのやめませんかねぇ・・・」
「お前、盲目なのは間違いないんやからしゃーないやろ(笑)」
でも彼は盲目であることを取っ払っても十分上手い!!
それをいつまでも「盲目であること」をキャッチフレーズにされることに嫌気がさしていたのだろう。
そう、私がどこに行っても、このカンボジアまで来ても、日本人に会えば「爆風スランプ」がついて回る・・・その嫌さと同じなのかも知れない・・・
そしてこの彼女、もし彼女が聾啞者じゃなかったら私はこんなに胸がときめいてたか?・・・
私は最初の結婚をする時に、漠然と「国際結婚をしよう」と思ってた。
いつか世界に飛び出して生きてゆきたいという夢があったこともあるが、
何よりも日本の中で自分を「爆風スランプの人」と見ない人を探すことは難しかったからである。
「芸能人と結婚したい人」や「ミーハーな人」などご勘弁である。
ちょうど芸能界のアホさ加減に嫌気がさしてたし、
「自分はいつかこの仕事を辞める、そしてアメリカかどっかに出て行って、また裸一貫から人生をやり直すだろう」
と思ってた。
だから「国際結婚」以外は無理だろうなぁ・・・と漠然と思ってた。
でもこの彼女、彼女を好きになる人のその理由が「聾唖者だから」ってそんなぁ・・・
まあ彼女は聾唖者を辞めることは出来ないわけだが、
やっぱそのフィルターを通り越して、本当に自分のことをわかってくれる人のことを好きになりたい、そう思ってるんじゃないかな。
だから小さい時から自分を可愛がってくれたKさんのことが今でも好きなのでは?・・・
オスカーに楽器持って集まって来る「ミュージシャン面」した白人達、
でも私は単に「白人だから」というので嫌ってたんではないのか?
それって彼らがアジア人を蔑視してるのと全く同じなのでは?・・・
私のFacebookに、
「ギター弾いてた太っちょの髭面君、まだ19歳なんで許したって下さい!多分まだセッションのことよくわかってないかと」
という書き込みがあった。
そうそう、演奏中こいつ、一度もアイコンタクトどころかこっちを見んかったんで
「お前、このワシをバックバンドで使ってんのか!!」
とちょっとカチンと来てたのだが、よく考えたら単にそんな余裕がなかっただけのかも知れない・・・
そう言えば今日、客席にこいつがいたなぁ・・・
なんか私を客席で見つけた瞬間に、会釈するでもなくかったので無視してたのだが、明らかに私に対して怯えてるような、なんかビビった表情をしてた・・・
まあこの人相でぶっきら棒にしてたら怖いやろ(笑)
でも同じ「白人だから」という理由で彼を威圧し続けてるワシって何なん?・・・
この彼女、ただ聾唖者だというだけで私は勝手に心が綺麗な人だと思っている。
だからその綺麗さに負けないように自分の悪い部分が見えて来たのではないかと思い始めている。
彼女が本当にいい子かどうかはわからない。
でも他のBar Girlだってみんな悪い子かどうかはわからない。
同様に私の嫌いなあの白人だって実はいいヤツかも知れない。
そのとばっちりで嫌ってた白人達の中にもいいヤツがいたかも知れない。
そうなのだ、どうせわからないんだったらみんな「いい人」だと思っていればいいのだ。
ただあまり夢が壊されないようにちょっと距離を置いて付き合ってればそれでいい(笑)
どちらにしろ、そんなに嫌ってやる必要はないのである!!
そんなことを彼女に教わったプノンペンの夜である。
「ស្រីលាភ」ちゃん〜金が出来たらまた飲みに行くからね〜お仕事頑張ってね〜
そしてその人生、一生懸命頑張ってね〜
彼女にきっと幸はある!!!
末吉覚さんの投稿 2020年11月4日水曜日
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2020年10月18日
就職試験?(笑)
自慢じゃないがちゃんとした職(?)についたことがない(笑)
ボーナスとかもらったことなんかもないから
「ええなぁ〜ボーナスなんかもらえる人」
などと羨ましく思ってた。
「好きなことやって金稼いでんだからそっちこそ羨ましいですよ」
とよく言われるが、趣味が「仕事」に変わると、それはそれで大変なことはたくさんある。
こんなんとか・・・
まあどんな仕事でも「仕事」なので、それなりに「我慢」や「妥協」などをしながら、その中で楽しみを見つけながら何とかやっていってるのではないかと想像する。
小さい頃からサラリーマンに憧れていた。
「将来なりたい職業」っつうのは「数学の先生」か「コンピューター技師」になることだったと記憶している。
家が商売をやってたので「定時には家に帰って家庭を大切にする」ような人生を歩みたいと思っていたのだろう・・・
ところが大きくなってみたら、家には帰らんわ家庭はないがしろっつうか「ないもの」にしてるし
真反対やないかい!!(笑)
まあ小学校の頃「トム・ソーヤの冒険」を読んで、無人島で一人暮らしをしようと家出したことがあるぐらいだから「放浪癖」はもともとあったんやろうなぁ〜
バンドでツアーなど廻り出してから、気がついたら同じところに半年もずーっといるなんて自分でも信じられん!!
「数学の先生」か「コンピューター技師」っつうぐらいやから、文系の勉強は全くダメで、特に語学、英語の授業なんて絶望的やったな・・・
不思議と漢文の授業だけはまあまあよかったような気がする・・・これも「縁」か。
そんな自分が外国でその国の言語を使って暮らすなんか夢のまた夢だったのだが、縁あって中国でもう30年近く暮らし、そして今カンボジアで暮らしている。
もともと「人間」が好きなので色んな友達を作る。
それで何か将来助けてもらおうなんてことはこれっぽっちも思ってないのだが、今となってみれば結構助けてもらったことも多い。
何よりもその「縁」で自分の人生が劇的に変わってしまうことがあったら楽しいな・・・
なにせ「明日が今日と同じである」ことが一番苦痛な人間が、どうしてサラリーマンなどに憧れてを持っていたのやら・・・これも「ないものねだり」か(笑)
もともと最初にカンボジアに来たのだって、ベトナムで一緒に飲んでた友人に「カンボジア行きませんか?」と言われてひょこひょこついて来たのが始まりだし、次に来たのはたまたま一番飛行機代が安かったのがここだったというだけの理由・・・それだけで人生は劇的に変わるんだから面白い。
その頃知り合った女性A子さん、当時はインターンで給料もなかったので奢れる時にはメシぐらいは奢っていたのだが、今では立派に社会人となって人材派遣会社で勤めているという。
今回はそのA子さんとその友人B子さんとのお話・・・
A子「今度中国語の喋れる日本人の人材募集が来たんだけど・・・」
B子「私やろうかな・・・」
A子「あなた中国語喋れるの?」
B子「ちょっとだったら喋れるけど、どんな仕事?」
A子「中国人のクライアントから要望を聞いて日本の会社に伝えるの」
B子「そのレベルの会話は私じゃ無理かもね」
末吉「コホン!!」
A子B子「???」
末吉「中国語だったら任せなさい!!」
A子「え?!!」
B子「え?!!」
どうせコロナで無職やし楽しそうやから応募してみることにした(笑)
とは言っても「仕事」である!!遊び半分の気持ちは全くない!!
聞けば中国人のクライアントから聞いたことをクメール人の社員に伝えて、その結果を受けて日本の会社に伝えるので、クメール人の社員とコミュニケーションが取れる言語も必要である。
最低でも英語、出来ればクメール語・・・
A子「そう言えばファンキーさんクメール語勉強してらっしゃいましたよね?」
末吉「無理!無理!!絶対無理!!!」
たかだか3ヶ月学校行って初級がやっと終わった程度のレベルで仕事に使えるわけはない!!(>_<)
A子「じゃあとりあえず当社の担当者が電話をかけて、それぞれの言語のレベルをチェックします」
末吉「!(◎_◎;)」
まあ人材派遣会社なんやからしゃーないわなぁ・・・紹介したところで全く使えんレベルやったら困るしな・・・
A子「じゃあとりあえず履歴書送って下さい」
末吉「履歴書!(◎_◎;)」
履歴書なんて何十年も前にバイトの面接かなんかのために書いたっきりやなぁ・・・
とりあえずネットで卒業年号調べて書いてみる・・・
ファンキー末吉BLOG:就職試験?(笑) https://www.funkyblog.jp/2020/10/post_1436.html
・・・って受かるつもりやったん?!!(◎_◎;)
末吉覚さんの投稿 2020年10月18日日曜日
写真で落ちるやろ!(>_<)
いや、この写真でもうアカンな!!仕事をしようという顔をしてない(笑)
履歴書2枚目には免許、資格って・・・
一応普通免許と中国語検定あれは何級やったかのう・・・中国語始めてすぐやったからのう・・・
あと、志望の動機、特技、アピールポイントって・・・
「特技ドラム」・・・あかんやろ(笑)
一応、中国で30年仕事してますので中国語は堪能であること、英語はここカンボジアで生活出来る程度、クメール語は一応このぐらい喋れるというのはこのリンクを貼っといた。
ファンキー末吉BLOG:喋れることは喋れるけど・・・
A子「いや〜そうそうたるプロフィールですねぇ・・・日本語ネイティブ、英語、中国語の他にクメール語まで4カ国語・・・」
末吉「いやいや、そんなレベルじゃないんですって(赤面)」
かくして電話での言語レベルチェックの日、中国語担当の人はお休みということで、まあ中国語は顔パスというか「履歴パス」ということでこの日は英語とクメール語のみ!!
英語の面接官(?)優しい女性でよかった〜キツい人だったらもうそれだけで緊張して喋れん(>_<)
「まず英語で自己紹介を」
なんかねぇ〜すらすら出て来るのよ〜なんで?
ワシいつから英語喋れるようになったん?(笑)
相当ブロークンな英語やけど、きっとタカシ相手にとかいつも喋ってるからやろうな、単語は中学英語のしかなくてもスッと出て来るようになったんやろな・・・(驚)
自分はミュージシャンで、中国で仕事をしてるんですが、半年前にここ来たらコロナで帰れなくなって、今はネットで中国の音楽制作してますとか、来年の春のツアーまでには中国に帰らなければならないんですとか、自分の状況がすらすら英語になって出て来た!(◎_◎;)
そしていよいよクメール語!!
・・・って面接官(?)同じ人なん?!(◎_◎;)
さっき日本語も喋ってたから3カ国語喋れるんや〜大したもんやなぁ・・・
「じゃあクメール語で自己紹介して下さい」
と言われたんやと思う。一応、
「クメール語喋ればいいんですね?」
と聞いておいて、まあ自己紹介なら前回のブログ用に喋ったことがあるのでさらさらっと喋って、そこで相手から何か質問・・・
これが全く何言われるのか聞き取れんのよね(涙)
「ស្តាប់មិនយល់」
とっさに出て来たのが、ちょうど今勉強したばかりの、中国語で言う「听不懂(ティンプドン)」!
これは日本語にはないニュアンスなんやけど、「听:聞いて」、「不懂:わからない」、余談になるけど「見てわからない」のを「看不懂(カンプドン)」と言い、日本語の「ちんぷんかんぷん」は「听不懂(ティンプドン)看不懂(カンプドン)」から来ているのではという都市伝説があります。
クメール語は中国語とニュアンスが似てる部分があり、このស្តាប់(听)មិន(不)យល់(懂)」という言葉は非常に面白いと思って覚えてたのよねぇ〜・・・
面接官、ちょっと笑って、会話のレベルを下げることにしたのだろう、質問の中に「ចូលចិត្ត(好き)」という単語が聞き取れたので、英語ん時と同じ質問だろうとばかり「カンボジアは好きですよ」と答えたら、合ってたのやら間違ってたのやら今度は「ម្ហូប(食べ物)」という言葉が聞き取れたので、「カンボジアの料理は好きです」と答えたら、「ចូលចិត្តអី?」と来て万事休す!!(>_<)
何の料理が好きかと聞かれても、固有名詞なんか全部後回しにしてて何も食いもんの名前なんて覚えてないのよねぇ・・・(>_<)
とっさに出て来たのが、
うーん、、あれ、あれ、ទាំងអស់!(全部)」
これで面接官もクスッと笑ってしまい、面接終了!!
いや〜もう冷や汗だらだらですわ・・・
思えばクメール語でこんなに会話が何往復もしたことはなかった!!
バーのお姉ちゃんと来たら、「私は今クメール語を勉強してます」と言ったらいきなり「ペラペラペラ」とわけのわからん高度なことを話しかけて来るし、
タカシはタカシで難しい言葉言った後で英語で「これは覚えておいた方がいいですよ。よく使います」
いや、もう2000を超える単語が半分も覚えられずに単語帳に眠っている状態で、ここでお前に求めてるのは更に新しい単語を教えてくれというのではなく、この覚えてる単語だけで会話をしてくれっつうことやねん!!!(怒)
その辺、面接官のお姉ちゃんは慣れてるな。
相手を見て会話のレベルを落として来る・・・
これ中国語でもそうやったなぁ・・・
外国人と喋り慣れてる人の中国語は聞き取りやすいけど、ネイティブ同士の会話は今だに聞き取れん・・・
日本人でもそう!!
例えば岡崎はん、
「あんたそんぐらいわからんようじゃまだまだでんなぁ〜」
これを外国人がとっさに理解するには物凄いレベルの語学力が必要やぞ!!!(笑)
というわけで、就職落ちたらこの面接官のお姉ちゃんとお近づきになって色々会話を教えてもらおっと・・・
・・・って受かるつもりやったん?!!(◎_◎;)
この言語レベルのデータが人材派遣会社のデータベースに保管され、要望のあった会社にこの履歴書と共に提出される・・・
写真で落ちるやろ!(>_<)
まあどう考えても61歳の金髪のこんなおっさんを部下にしたいとは思わんわのう・・・・(笑)
まあいいのです!!
英語がちょっと喋れるようになってただけでも嬉しいし、
クメール語で初めて4往復会話が出来たし\(^o^)/
もっと頑張れば私のブロークン英語ぐらいのレベルならいけるかも知れんぞ・・・
長くても来年春のツアーまで、短ければ12月のビザ更新時まで、毎日が貴重な時間だと思って更に勉学に勤しみましょう〜
Posted by ファンキー末吉 at:22:10 | 固定リンク
2020年10月11日
おじさん若い娘に服を買う
いや、日本から送ったコンテナの中から荷物がごっそり盗まれた状況で、そんなことやってる場合じゃないんやけど・・・
សូមផ្សព្វផ្សាយរឿងនេះផង !! មិត្តជាទីស្រឡាញ់នៅកម្ពុជា ...
末吉覚さんの投稿 2020年10月8日木曜日
まあこれはちょっと前の話・・・
タカシとか
「飲みに行きましょう」
と言うてもどうせワシが払うんやから
「安いところやないと行かんぞ!!」
とクギを刺しておく。
「それだったら安いバーを見つけたんでそこ行きましょう」
連れて行かれたのがリバーサイドからはちょっと外れた、場末の(失礼)ガールズバー・・・
そこには例によってとある貧乏な美人姉妹が働いていたのだが、
「あの店、なんか摘発が入って閉められちゃったそうですよ」
とタカシに言われて今回の話となる・・・
美人姉妹のお姉ちゃんの方はそのタイミングでは店にいなかったそうで助かったが、どうやら妹も、店にいた人全員警察に連れて行かれたらしい!(◎_◎;)
「そりゃ心配やなぁ〜」
お姉ちゃんにメッセ送る・・・
やり取りしてゆくうちにわかるのだが、それより大変なのは、その姉妹はその店の上に住んでたので、着の身着のままで帰るところもなければ金もなければ当然ながら仕事もない・・・!(◎_◎;)
タカシが
「じゃあオスカーで働きなよ」
と仕事を斡旋する・・・
ところが今度は店に出るにも着てゆく服がない・・・
しゃーないなぁ〜おじさんが服でも買ってあげよう!!(笑)
いや〜銀座のホステスとかを連れ出して服でも買ってあげるおじさん(知らんけど)に憧れてたのよねぇ〜
それが10ドル20ドルで実現するなら楽しいではないか!!
というわけでタカシが彼女を連れてやって来た。
まずは今日のまかないのヌードルを食べてもらう!!
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
そして近所にある庶民の市場、オールドマーケットに連れてゆく・・・
「何でも好きなの選びなさい!!」
おじさん内心「10ドル20ドルぐらいのんにしてね」と懐を慮ってハラハラ・・・
でも店に出るならドレスとまではいかんでもちょっとはええ服が必要やろ・・・
35ドル(>_<)
まあええわ、銀座で服買うたと思えばこれより数倍はするとこやったんやから・・・(知らんけど)
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
そしてタカシは次の店へと・・・
おいおい!!一着だけやで!金ないし・・・
と思ったら靴も買わないかんと・・・
そやわなぁ〜ドレスみたいな服にスニーカーいうわけにもいかんわのう・・・(>_<)
靴が13ドルでちょっと胸を撫で下ろす・・・
まあ庶民の市場オールドマーケットやからこのぐらいで済んだわけで、もしイオンとか名だたるショッピングモールやと倍はするやろ(知らんけど)
かくして「若い娘に服を買ってあげるおじさん」という夢は5000円ぐらいで叶ったわけで、まあ日本食を食いに行くのを一回二回我慢すればそれで済む・・・
と思ったら次なる問題が・・・
彼女は「住むところ」がないのである!(◎_◎;)
そやわなぁ〜と思ったらタカシが先頭に立って部屋探し!!
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
「探せばひと月70ドルぐらいの部屋がありますから」・・・ってワシその金は出せんぞ!!
って手持ちの金もないわけやからそうもいかん・・・
「貸すんやからな、出したるんやないからな!!」
タカシはこういう時には必ずちゃんと回収してくれるので安心である・・・
ってかうちの若い衆全員ワシに借金しとるやん!(>_<)
まあ子守とか家のこととか手伝ってもらってギャラの代わりにそこから金額をカットしてゆく・・・
って結局現金は返って来んわけね(笑)
まあ結局この日は部屋は見つからんかった・・・
翌日また探そうということで、まあ後でオスカーの初出勤の様子でも拝みに行って、
1.75ドルのビール飲んで、レディースドリンク3.75ドル奢ってあげたら彼女に1.5ドルとかのチップが入る・・・
まあ「ご祝儀」である・・・
と思ったら、タカシが「彼女、体調が悪いとかで帰りました」!(◎_◎;)
まあ「身体が弱い」みたいなことは言ってたので「さもありなん」とばかりその日は飲みに行かずに休肝日・・・
ところがそこからである。
翌日不可解なことが起こるのである・・・
「彼女、別のバーで働き始めましたよ」
聞けば、同じリバーサイドではあるものの結構場末のガールズバー!(◎_◎;)
「彼女、オスカーみたいな華やかな感じは何か合わないそうで・・・」
タカシも事情はあまりわかってないようだ・・・
「彼女のバー、今から行こうと思うんですけど一緒に行きますか?」
タカシもちょっと心配なのだろう・・・
まあ一緒に行ってみてすぐに退散した。
店が場末・・・っつうか何か居心地の悪い雰囲気であまり居たくなかったのもあるが、
彼女は私が買ってあげた服ではない別の服を来ていたのだ!(◎_◎;)
え?来てゆく服がない言うからなけなしの金で服買ってあげたんちゃうん?!!
前日のオスカーには着て行ったのであろうが、
翌日にはもう着替える服がある・・・
っつうことは別に今転がり込んでるであろう住処には服はあるのである(>_<)
「Bar Girlはウソつきますから」
翌日タカシも何やら機嫌が悪い・・・
聞けばその時に「20ドル貸してくれ」と頼まれたらしい・・・
何故ワシに言わん?!!
どうせタカシが貸したとしても、その金はどうせワシがタカシに貸すのだ(笑)
断ったら彼女、タカシに対して烈火の如く怒ったらしい・・・
「誰も私のこと助けてくれない(涙)」
いや、ワシは助ける言うてるし・・・
うちは賄いがあるのでいつでも腹が減ったら食いに来ていいし、
服も靴も(安いもんやけど)買ってあげたし、
初出勤に向けて美容院で髪の毛セットする金も出してあげた・・・
(5ドルやけど)
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
でも結局本当に金に困ったらうちには来ずにタカシんところに行く・・・
まあそうかも知れない。
ワシは所詮は外国人やし、
中国でもそうだったが、だから中国語を覚えて中国人には中国語で接するようにしている。
いつまでも英語で喋ってて、極端な話、通訳入れて会話しているようでは本当の意味でのコミュニケーションが出来るとは思わないからである。
あと、馴染みのきっぷのいいお姉ちゃんたちにこんなことを言われたこともある。
「あんた気をつけなさいよ。あんたは人が良すぎるからいつか騙されるわよ」
「いやいや、この人を騙すってちょっと勇気がいるわ、だっていい人過ぎるんだもん、かなり自分を落とさないと罪悪感にさいなまれちゃうでしょ」
Bar Girlだって「人間」だ。
同じ「金を巻き上げる」なら、身体目当てで寄って来るヒヒジジイの方が気が楽だけど、この人相手だとちょっと気が引ける・・・
てなこと言いながら結局はそこからも結構小銭を絞り取られているのだが・・・(笑)
それから数日経って、今日は週末で賄いがないので、若い衆連れてクメール料理を食いに行った。
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
そこには、華やかにレストランの一角を借り切って、バンドも入れて誕生日パーティーを開いているカンボジア人がいた。
末吉覚さんの投稿 2020年10月10日土曜日
「彼女、どうしてるかなぁ・・・」
突然そんな思いが湧き出して来た・・・
同じこの国に生まれて、
(ウソかも知れんが)その日に着てゆく服もない娘もいれば、
たかだか自分が生まれた日にを祝うためにその娘の年収ぐらいを一晩で使ってしまう娘もいる・・・
資本主義なんてそんなもの・・・
いや、社会主義の中国だってそうだったんだから
「世の中なんてそんなもの」なのかも知れない・・・
「彼女、またバーが変わったらしいですよ・・・」
タカシと一緒に行ってみた・・・
彼女はまだ出勤してなかったけど、そこは更に「場末」で、とてもじゃないがあまり長く居たくないような、そんなバーだった・・・
「場末」のバーは好きでよく行ったりする。
お姉ちゃん達が健気に頑張っているそんな「場末」のバーは結構好きなのであるが、
このバーはあかん(>_<)
何やら「汚い」と感じる何かがあるのだ・・・
いや別にゴミが落ちてるとかそんなではない。
お姉ちゃん達がスレてると言うか、何やら居心地の悪い何かがある。
お勘定して「安いですねぇ、ここ・・・」とタカシがびっくりするぐらい安い。
ビールが1ドルっつうたらオスカーの半額ぐらいである。
しかし客はいない・・・
値段の高い安いなんて所詮は持って帰る「満足度」の問題である。
1ドルだって高く感じる時もあるし、
日本レストランの5ドルのハイボールだって「安い」と思う時もある・・・
彼女は結局来なかった・・・
「お化粧してるからちょっと待っててね」
タカシに言ったその一言も「ウソ」だったのかも知れない・・・
「いつでも腹が減ったらうちにおいで!!金はないけどメシならいつでも食わせてやるぞ」
そう彼女に言ったは言ったのであるが、
彼女がうちの門を叩く日はきっと来ないと思う・・・
まあ仮に門を叩いたとしても、彼女を毎年誕生日を豪勢に祝えるような身分にしてあげることは出来ない。
手を差し伸べたって結局は何も大したことをやってあげられないのはわかっている。
でもその差し伸べた手を握り返してくれないと、本当に何もやってあげることは出来ない。
落ちてゆくのをただ眺めているしか出来ないのだ・・・
あの日買ってあげたあの服はどうしてるだろう・・・
売っ払ったってロクな金にはならないだろうから、
やっぱいつかはローテーションで袖を通すこともあるだろう。
その時にちょっとでいいから思い出してくれれば嬉しい。
たとえ、握り返すことはないとしても、あの日確かに手を差し伸べてくれた人はいたんだよ、ということを・・・
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2020年9月11日
内地に位置するプノンペンに島が?!(◎_◎;)
海好きである。
加山雄三の次に海が似合うのはこのファンキー末吉だと自負している・・・(笑)
世界で一番祝日の多い国、ここカンボジアは今「プチュンバン」という、いわゆる「お盆」の時期である。
この15日間に先祖様の魂が自由に行き来することができると言うが、別にこちらにご先祖様がいないワシには全く関係がない・・・
祝日としては今年は9月16日~18日(水~金)が休みとなると言うが、
年がら年中休みであるみたいなワシには全く関係がない・・・
ただ、両親が仕事で預かってくれるところに困っているお子さんをお預かりしているのだが、会社が休みだとそれも休みになる。
国内に感染者がいないとされているカンボジア人はわさわさと国内旅行に出かけるのであるが、
「ロック界の加山雄三」としては行くとしたらやはり海のあるところに行きたい・・・
よく行くシアヌークビルの離島もいいが、やっぱ私としては手付かずの観光地「ケップ」が好きである。
前回思い立った時には、ベトナムでコロナの第二波が来て、国境を接しているこの辺りには行くことが出来なくなっていたが、今はそれも収まってどうやらバスも出ているらしい・・・
いつも使っているバックパッカー安宿を調べてみるとなんと満室!(◎_◎;)
いや、宿の問題だけではない、全国からカンボジア人がここに集結するとなると、地下鉄等の公共交通機関のないここでは大渋滞が発生するのだ(>_<)
あきらめていたところ、何やらここプノンペンにも「島」があるらしい・・・!(◎_◎;)
見ての通り、プノンペンはカンボジアの内陸に位置する。
しかしそこにはトンレサップ湖から流れて来るトンレサップ河、
そしてメコン河がこの辺りで合流するのだが、
そのメコン河の方にダッチ島という「島」(というより中洲?)があるらしい・・・!(◎_◎;)
そんな話をオスカーに行ってしていたら・・・
「私、この辺の生まれだから詳しいわよ」
つい先日、「お金がなくてモノが食べれなくてひもじいの」と連絡して来たあの美女である・・・(ワシの左隣)
クメール語学習再開に向けて、ではメシ食わせてやるから毎日レッスンしろ!!ということになっていたのだが、
この女・・・いかんせん腹が減ってる時しか連絡して来ん(>_<)
腹が減ってない時にはメッセ送っても返事もしよらん(笑)
まあこの日はオスカーに出勤してたのでビールを奢ってあげて(レディースドリンク3.7ドルのうち1.5ドルが彼女たちの収入になる)その話になったわけである。
それならばメシ食わすから案内してくれということになって翌日バイク2台でダッチ島に渡る・・・
そう、この島には至るところからフェリーが出ているのだ・・・
料金1000リエル!!(約30円!!安い!(◎_◎;))
見れば大体の乗客は常連さんなのか定期券を持っているのか顔パスで、
新顔のワシらだけが金を払っているようである(笑)
メコン河!!
フェリーは5分か10分、あっと言う間に着いてしまうのだが、そこから彼女についてバイクで進むと・・・
そうそうこの島では絹の生産が盛んで「シルクアイランド」と呼ばれているという噂は聞いた・・・
1ドルの入場料を払って入ると、そこでは蚕から糸を取って実際に織物を織っていた・・・
中には絹製品を売っている売店もある・・・
まあ別にワシは「観光」をしたいわけではない!!
「ほら、ワシのルックス見てみぃ〜どっから見ても海の男やろ!!」
一生懸命拙い英語でコミュニケーションを取る!!
(これをクメール語でやらんからいつまで経っても喋れんのやな(>_<))
納得したのかしないのか、彼女が連れて行ってくれたところが最北端の「Koh Dach Beach Resort」!!
おお、「Beach」と言えばワシのためにあるような言葉ではないか!!!!
ところが「Resort」とは名ばかりで、砂浜に掘建て小屋みたいなんがずらっと並んでいるのみ(笑)
現地の人はこの泥水で平気で泳いでるし〜!(◎_◎;)
小魚みたいなんを獲ってる人も・・・
まあ泥水ではあるけど汚水ではないようである・・・
なんかメコン河で泳いでて傷口から寄生虫が入ったというブログ記事もあったような気がするが・・・
泳ぐし!!(笑)
美女はワシと違って長ズボンとセーター(なんでや?こっちの人はこの季節にはもう冬装束になる!(◎_◎;))なので食事を頼む(笑)
ワシは水の中からビールを頂く!!
美女は食い終わったらさっさと帰ってしまい(笑)ワシはせっかくなので昼寝!!
いや、外国人誰もおらんけど、地元の人が喜んで宴会してるこの施設・・・ええかも・・・
というわけで、祝日にはお子さん預けてるご家庭連れてここに来るのもええかな・・・そしたら家族で泊まれるような宿泊施設ないかな・・・
とバイクに飛び乗って探しに行く・・・と、そしたら突然の大雨!!!
(写真なし・・・っつうかこっちの雨は凄すぎてそれが出来る余裕はない)
売店でペラペラの雨合羽を1000リエル(約30円)で買って、とりあえず船着場目指して走る・・・
もう豪雨で目も開けてられないほど・・・
・・・っつうことは目が開いてないのでバイクごと田んぼに突っ込む!!(>_<)
カンボジア人は親切やなぁ・・・豪雨の中走って来たバイクのおっちゃんが、ワシのバイクを引き上げるのを手伝ってくれる(涙)
そして気がつくとここは売店の前だったようで、売店のおっちゃんもずぶ濡れになりながら手伝ってくれる(号泣)
おっちゃん身振り手振りで「雨がやむまで中で雨宿りして行きなよ」とバイクを中まで運んでくれる(涙)
もう雨合羽もズタズタ、バイクはかろうじて動くようだが、足に擦り傷がいっぱい(>_<)
消毒してもどうせまた雨に濡れるんだからと、おっちゃんからミネラルウォーター1000リエル(約30円)で買って、とりあえず傷口だけざっと水洗いしとく・・・
おばちゃんも出て来て、バイクのミラーに布を被せてくれる!(◎_◎;)
こっちでは車体は濡れてもミラーだけは守るのか?・・・
とりあえずそのままぼーっと雨が上がるのを待つ・・・
なんかねぇ・・・雨が降る・・・何も出来ん・・・待つ・・・
みたいな悠久の時が流れるこの感じ・・・
思えば最初に中国に行った時にこんな感じやった・・・
日本であくせく働いて、中国に来たらそこには悠久の時が流れる・・・みたいな・・・
ところが中国の高度成長、ロックバブルと共にそれが全く変わってしまった・・・
今ではここカンボジアが自分にとって昔の中国みたいになってんのやなぁ・・・と妙な感慨にふける・・・
雨も小ぶりになったのでフェリー桟橋へ向かふ・・・
・・・ってか桟橋っつうかちょっと河っぺりを削っただけのところにフェリーがやって来る・・・
こちらの人は別にずぶ濡れになっても気にしない・・・
合羽を着ている方が珍しいみたいな状況でフェリーに乗り込む・・・
見ればトゥクトゥクがぬかるみにハマったのを船員や乗客みんなで助けている・・・
のどかやなぁ・・・
時刻表なんかないし、出発時間が決まってるわけでもない。
トゥクトゥクがぬかるみにハマったら船降りて助けるし、
「早よ出港せんかい!!急いでんねん!!」と怒る人もいない・・・
まあ急いだところでこの雨ではどうせ何にも出来んし・・・
思えば中国も昔はそうやった。
あの「身内以外は死んでも気にせん」みたいな中国人が、
トローリーバスが壊れて動かんようになったら、「没办法(しゃーないなぁ〜)」とばかり乗客みんなでそれを押すのを見て感激したことがある。
今では中国人、そんなことするやろか・・・
そして日本人、自主警察の人々やマスクしない運動の人や、みんながみんないがみ合って、こんな素朴な「助け合い」なんてもう滅多に見ることないんとちゃうんやろか・・・
まあ車がぬかるみに入ったりトローリーバスが壊れて動けなくなること自体がないけど(笑)
岸に着いて、またバイクで30分、家に着いて傷口消毒して、ついでに美人女将がいる小料理屋「縁」で焼酎のボトルを入れて体内もアルコール消毒・・・
初めて頼んだスコッチエッグ(卵をメンチカツで包んで揚げたもの)が美味かった〜
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Posted by ファンキー末吉 at:07:59 | 固定リンク
2020年9月 1日
高級リゾート地からの無一文での脱出劇
前回の続き・・・
まあ無一文でもカードが使えれば何とかなる。
せめてATMがあれば現金を引き出せる。
どちらも無理でもまあ隣町まで行ってお金を下ろせば・・・ってまたタクシーチャーターして3時間かけてシアヌークビルまで戻るしかない・・・ってか金がないんやからタクシーもチャーター出来んがな(>_<)
ATMのないロン島やロンサラム島では「Cash Back」という看板をよく見かける。
これは店などでカードで買い物をする感じで、店がカードに金額を入金し、品物でなく現金を渡すという商売である。
コンビニかどっかの店でこれをやってる可能性もある・・・
まあホテルでいても何も解決にはならんので、とりあえず外に出て新しい何かと出会うしかない・・・
ところが外に出てみて、そしてGoogle マップで検索してみて愕然となる・・・
この辺・・・車がないと何も出来んやん(>_<)
そりゃそうだ。貧乏バックパック旅でこのにやって来るのなんかワシぐらいなもんで、基本的にこの大リゾート地には中国人の「金持ち」しか来ないのだ・・・(涙)
とりあえずメシでも食ってそこでカード使って、
「ちょっと多めに料金上乗せしてその分現金でCashBackしてくれんか〜」
と頼むしかない!!
それにはまず「外に出る」しかないのだ!!
外に出るには「車」が必要なのだ!!
「バイクとか自転車とか貸してくれるサービスはおまへんか?」
と中国語の流暢なフロントのお姉ちゃんに相談してみる・・・
「おまへん!!(中国語で)」とキッパリ(>_<)
ほなトゥクトゥクでも・・・ってこのリゾート地にトゥクトゥクがおるわけないわな・・・
「ほなタクシー呼んで下さい」
「タクシーもおまへん!!(中国語で)」とキッパリ(>_<)
どないしまんねん(号泣)
ほんまに泣いてたらお姉さんがいいことを教えてくれる。
「ゴルフの電気自動車なら1時間25ドルでチャーター出来ますよ」
動いたらゴルフでも卓球でも何でもええわ!!それ!!!!
って25ドルもないのだが、「支払いはホテルに戻って来た時に」ということなのでこれは「博打」である。
向かいのカジノはコロナのため閉まっているが、パチンコも勝ったことない私でも人生の博打ならもう既に何度も大博打を打っているではないか!!!
電気自動車が来るのを待つ間、お姉ちゃんと雑談をする・・・
「プールはありまっか?バーはありまっか?」
特に目を引いたのがこのフライヤーである・・・
ビール〜スナック〜シーフード〜美女・・・「美女」ってあーた!!(笑)
「ほんまに美女なんかおりまんの?」
お姉ちゃんに聞いてみるが、クスッと笑っておしまい。
その笑顔が全てを物語っている。
「あんさんなぁ〜こんな辺鄙なとこやで、美女なんかおるわけおまへんがな(笑)」
ってな感じであろう・・・
ところが電気自動車が来てみてびっくり!!
こりゃまたどう見ても美人べっぴんさん!!
プノンペンでも見かけんぐらいの絶世の美人ではあるまいか!!!!
もうね、ええわ!!・・・ワシここで暮らすし(笑)
とりあえず1km先のレストランに行ってもらうがそこは閉店中(>_<)
どうやらこの辺は高級なハーバーなのであろう。
金持ちはワシのような苦労をせずに、自分の船でここに乗りつければシアヌークビルやロン島からすぐにここまで来れてしまう・・・
この浜辺はもっと開発されて将来きっと中国人専用ビーチとなるのであろう・・・
そして至るところで見かけるこんな看板のように、
ここら辺一帯はこんな中国人のための一大都市が出来上がるのだろう・・・
ところがここは現在ではまだ開発途中なのでコンビニすらない!!
現地のカンボジア人っつうか人が全くおらんやないの!!(>_<)
何はともあれレストランを探すのじゃ!!
そしてそこでカードを使って食事をするのじゃ!!
って開いているレストランは隣のカジノの向かいのレストランだけ!!
カジノ・・・閉まっている・・・
とりあえずそこで電気自動車を降りて、入り口のおばちゃんに中国語でまくし立ててみる・・・
「UnionPayは使えまっか?カードは使えまっか?!!」
おばちゃんは無表情で首を横に振る・・・(>_<)
ちょっと聞いてみる・・・
「おばちゃん中国人?」
首を縦に振るおばちゃんを見て思い立った!!
キャッシュレスが進んでいる中国ではよく見る光景・・・
それはどうしても現金でしか支払えない場合(もう数少ないが役所等で)、
「すんまへん、WeChatで同額振り込みますんでその額を現金で私にくれまへんか・・・」
もうこれしかない!!
そのためにはこちらで生まれ育った中国人ではダメで、
どうしても中国、しかも香港や台湾ではなく中国大陸(変な言い方)から来た中国人で、中国のWeChatで中国の銀行と紐付けされてなければならない。
「おばちゃん中国のどこから来ましたん?」
とりあえず世間話から始める。
「そうでっか〜武漢でっか〜コロナでは大変でしたなぁ・・・」
から始まって、何とかWeChatも中国の銀行口座も持っていることを突き止めた!!
「ほなメシでも食うていきますわ〜」
ファンキー末吉流としては「まずメシを食う」のである!!
金ならないのである!!
おばちゃんにWeChatで振り込んで、その額をおばちゃんがドルでくれて、それで支払うしか選択肢がないのである!!
いやでもおばちゃんはそれをするしかないのである(笑)・・・
メニューはやはり中国語のみ!!
クメール語どころか英語もない(笑)
値段は少々割高ではあるが、中国の高級レストランではこんなもんであろう・・・
とりあえず久しぶりに中華を食いながら切り出す。
「おばちゃん、ワシ現金ないねん。ちょっとWeChatに振り込むからドルで返してもらえまへんか〜」
おばちゃんも基本それしか選択肢がないのだから渋々承知する(笑)
ところがそこで思い出した!!ワシのWeChatには残高がもうないのだ!(◎_◎;)
焦らず慌てずビールを飲み干して考える・・・
「そうじゃ!!勝山に日本円を送って、WeChatに人民元を振り込んでもらおう・・・」
運よく昨日、8月31日は印税の振り込み日・・・Runnerの印税が少しは入っているかも知れない・・・
「久しぶりでんなぁ〜元気でっか?」
元気なわけはなかった・・・上海の居酒屋勝がいきなり立ち退きになって今移転でてんてこまいらしいのだ!(◎_◎;)
「そりゃ大変でんなぁ・・・ほな大変ついでに(笑)」
というわけで無理言って中国元をWeChatに送ってもらう・・・
「おばちゃん〜WeChat繋がってくれる〜?お金送るし〜」
ドルで200ドルと言うと人民元で1360元ぐらいだが、
「おばちゃん〜ちょっと多めに1500元送るわ〜それで200ドルちょーだい〜」
この非常事態である。1割ぐらいの手数料は支払った方が物事がスムーズに行く。
まあ20ドルと言えば大好きな「重庆辣子鸡」をもう一品追加したと思えば良い。
快諾してくれたおばちゃんにWeChatで1500元を送金するのだが・・・
え?海外でおる外国人のワシからは送金出来んですと??!(◎_◎;)
待て待て・・・まだ何か方法があるはずじゃ・・・
そうじゃ!!
「おばちゃん〜中国の銀行口座持ってる?そこにワシの銀行から振り込むわ〜」
WeChatと中国の銀行口座とは紐付けされていて、勝山からWeChatに振り込んでもらった人民元を、そのまま自分の銀行口座に移し替えて、その銀行口座からモバイルアプリでおばちゃんに送金すれば良い!!
モバイルアプリから初めての人に送金する場合は中国のSIMにメッセージが届いて、そこに書かれている番号を打ち込まなければならないのでSIMを取り替える。
ここで中国のSIMを持ってなかったりすると万事休すであるが、さすがどこかに出かける時はいつもパスポートから何から全部持ち歩いてるのよ〜(笑)
SIMを入れ替えて、受け取った番号打ち込んで無事送金〜・・・と思ったら!(◎_◎;)
「回線に異常があるためしばらくお待ち下さい」ってこれが最後の方法論なんですけど〜(涙)
見ればこの「銀行口座番号に送金」の他に「電話番号に送金」っつうのもある!!
やってみようではないか・・・っつうかやって見る以外に選択肢はない(笑)
送れた!!しかしおばちゃんのところでまたSMSを受け取って色々せねばならんが、今度はおばちゃんの方にショートメッセージが届かない(>_<)
この頃になるとおばちゃん、もう
「この人ほんまにお金送ってくれるんやろか、何じゃかんじゃ言うてタダ食いする気とちゃうやろか」
と思いかけてるのであろう、表情がだんだん変わって来る・・・
いや、その気は全くないのだが、ことと次第によっちゃぁそれをせねばならん事態に陥るやも知れん・・・(>_<)
しゃーないのでダメ元で元の銀行口座方式を試してみる・・・
電話番号方式で、既に1500元引き出されていて、先方が受け取らないと戻って来る方式なので、残があともう1500元ないと銀行口座に振り込めないことになるが、勝山に余分に送ってもらってて助かった〜・・・
送金!!!
そしたら今度は何もせずに成功!!(◎_◎;)
何がよくて何が悪いのかさっぱりわからんが、それでもとにかく金は送れたのだ!\(^o^)/
ところが今度はおばちゃんがそのまま裏に引っ込んで帰って来ない・・・
これってひょっとしてそのまま金持って逃げられた?((((;゚Д゚)))))))
いや、人を疑うもんではない。
おばちゃんはちょうどお勘定をしに行って、その200ドルからお勘定ぶんを引いてお釣りを持って帰って来たのだ!!
いや、現金持ってないおかげで色々散財はしたが、まあブログネタにはなったし楽しかったぞ!!ビールも中華も美味かった・・・ってずーっと戦ってたから味をあんまし覚えてないが(笑)
何より楽しかったのはこのゴルフの電気情動車の運転手の彼女!!!
もうね、このままここで暮らそうかな、彼女が一緒に暮らしてくれるなら・・・(ないない(笑))
ほな帰りまっか〜・・・って金は出来てもはてさてどうやって帰りまひょか〜(>_<)
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Posted by ファンキー末吉 at:20:02 | 固定リンク
カンボジア誰も知らない中国人のための大リゾート地
先日紹介されたこの中国人のご一行、カンボジアのある地区で一大リゾート地を開発しているらしい・・・
まあ手伝えることがあるなら何でも手伝うけど、それにはそのリゾート地というものをこの目で見とく必要がある・・・というわけで行ってみることにした(笑)。
日本人はもちろん、カンボジアの人も知ってる人はほとんどいない。
ところが先日知り合いになった中国人の友人がここにリゾートに行っていた!(◎_◎;)
ってどこやねんここ!!
本人に連絡して場所を聞くと、どうやらシアヌークビルから車で3時間ぐらいの場所らしい・・・
「それはそうとどうやってここのこと知ったん?チラシかなんか見たん?中国語でええから送ってくれん?」
「チラシなんかないわよ」
チラシもないのに何で知り得るわけ?!(◎_◎;)さすが中国人ネットワーク・・・
彼女は家族と一緒に車で行ったそうで、じゃあレンタカーでも借りて行きますか〜と思ったらわしの国際免許が期限切れとる(>_<)
例の中国人に「どうやって行くのん?」と聞くとこんなんが送られて来た。
なるほどね、プノンペンからバスが出てるのね。
しかも発車地が中国人の多いダイヤモンド島やらNAGAカジノやら、さすが中国人専用のバス(笑)・・・
ところがよくよく見てみると、これって火曜日に行ったら次の日曜日まで帰れんやないの!(◎_◎;)
他の情報を送ってもらったら、どうやらシアヌークビルから船も出てるらしい・・・
7月の情報だが、8月も同じく月曜日の朝11時に出発らしい・・・
ほな今すぐ夜バス乗って月曜日に着いたら翌日には行けるやないの〜
ほんで帰りはそのプノンペン行きのバスが水曜日言うからちょうどええやないの〜
・・・というわけでシアヌークビルまでやって来た!!
前回来た時には「街中工事現場」という感じだったが、それよりは少し落ち着いて来たような気がしたが、それは多くの建設現場がコロナのために工事を中断しているだけの話で「街が終わっている」というのは相変わらずだった。
まあ街外れのこの常宿は、少々マイナーチェンジをしてはいたが、何とか良きシアヌークビルが残っている唯一の場所であった・・・
そして次の日の朝の船に乗ってそのリゾート地とやらに行くべくその船の会社に電話してみる・・・
問合せ先に電話しても中国語で通じるし、チケットは船の中で金払えばそれでいいと言うので、ほな明日そのリゾート地とやらで〜ということで電話を切った。
しかし老人バックパッカーとしては「そんな高級リゾート地で2泊もすんのイヤやなぁ・・・何とか明後日行きにして1泊で帰りたいなぁ・・・」などと思っていたのだろう、見事にその船を乗り過ごしてしまった(>_<)
まあ地図で見るとロン島から目と鼻の先なので、ロン島まで行ってボートタクシーにでも乗って行きますか〜というわけでその手前のロンサラム島!!
ところがそんなに簡単にはロン島からそっちには渡れんかったのよ〜船チャーターしたらむっちゃ高かったのよ〜(>_<)
というわけで一度シアヌークビルまで戻ってそこからタクシーをチャーターしてやって来た!!←イマココ(笑)
そしてその道すがら街中にベタベタ貼られている看板を見てびっくりした。
「西港省人民医院」という、いわゆる中国人のための病院の宣伝だろう・・・
しかしこの「省」というのはどういうことだろう・・・
考えれば考えるほど背筋が寒くなる。
カンボジアにとってシアヌークビルは「州」である。
ところが中国の行政単位である「省」という文字を使っている・・・
西港というのはシアヌークビルのことであるから、
「シアヌークビル省の中国人のための病院」
ということである。
まるでシアヌークビルを自国の行政単位に入れているかのような物言い・・・
日本人がハワイに「日本国ハワイ県日本病院」とか建てるようなもんではないか?!!
中国に「上海県日本病院」みたいなのを作って街中にバンバン張り紙してたらこれ・・・普通国際問題になるやろ・・・
それがならないのがカンボジア。
この国は、そして特にこの街はもう中国のいち「省」であるかのような街であるということを象徴してるような出来事のように思えて仕方がなかった・・・
4号線から48号線に入って、この看板のところを曲がるともうあと1時間!!
しかしその1時間の間に何もない!!(笑)
ここから先は「ボタムサコール国立公園」と地図には書かれている。
しかし調べたらこんなニュースが飛び込んで来た。
この国は国立公園を中国に売り渡すのか!(◎_◎;)
そして何もない道を1時間、いくつかの中国語の看板を通り越すと、工事現場が現れて来る・・・中国は本気でこの一角を「中国」にしてしまうのだろう・・・
ここにリゾートに来たと言うご夫婦が泊まったホテルに着いた。
むっちゃ高級やん!!(◎_◎;)
中国のツアーでフェスティバルなんかの時に泊まらせてくれるホテルに居心地がまるでそっくり!!
部屋のルームサービスのメニューが中国語であるだけでなく、
特筆すべきはこれ!!
ここカンボジアではヨーロッパと同じく1階はグランドフロア(G)、そして2階がファーストフロア(1F)となる。つまり101号室は日本や中国で言う「2階」にあるのがここカンボジアなのに対して、このホテルは中国と同じく1階に101号室があり、2階に201号室がある!(◎_◎;)
向かいはやっぱカジノ・・・
チェックインしようと受付のお姉さん相手に英語で喋ってたら全く通じないので中国語で喋ったらむっちゃスムーズに通じる!(◎_◎;)
聞いたら中国人ではなくカンボジア人なのだが、それにしても中国語が上手すぎる!(◎_◎;)
ここは全く中国!!・・・というわけでもちろん銀聯カードUnionPayが使えるのかと思ったら、
「この辺は通信状況がよくないのでカード類は一切使えませんのよ」
!(◎_◎;)
ワシ・・・そんなに現金持って来てないがな・・・「ATMはありますか?」
「この辺にはありません」
!(◎_◎;)
とりあえず持ち金でホテル代だけ払って、明日帰るバスの予約をしてもらう。
15ドルだと書いてあるから、手元に15ドルだけでも残れば何とか帰れるということである。
流暢な中国語でバス会社に問い合わせてくれたお姉さんが言うことにゃ・・・
「この運行スケジュールは既に変更されていて、次のプノンペン行きは土曜日です」
!(◎_◎;)
文無しでこの高級リゾート地に何泊も出来るわけおまへんがな!!
・・・ってか現在この状況で現金もない、カードも使えない、ATMもなかったら実質ワタシ帰れまへんがな・・・(涙)
続く・・・
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2020年7月14日
英語と中国語とクメール語
外国で暮らすのが夢だった・・・
何も知らない幼い頃はターゲットはアメリカしかなく、
それでも日本の英語教育の「間違ったら恥ずかしい」に心挫かれて、
結局ちょっと喋れたら「中国語上手いですねぇ」という中国社会でもう30年も暮らして来たことになる・・・
今となっては、英語は一度頭の中に浮かんだ中国語を引っ込めて仕切り直して英語で喋るみたいな感じで全く喋れなかった。
時々タカシに喋ってて、それが中国とやり取りした直後だったりしたら、こちらは英語で喋ってるつもりでもところどころ中国語になってたりするらしい(笑)
さて日々は移り変わり、今はカンボジアで暮らしてる・・・
この国は基本私ぐらいの英語力で十分暮らしていける国である。
しかし思い立って今英語でクメール語を勉強している・・・
そこで少し気づいたのだが、頭の中がこの生活の中で結構「英語化」されてるのではないか・・・
うちの娘が小学校に上がる前、半年ぐらい中国で暮らしたのだが、
その時点では全く中国語が喋れなかったのだが、
帰国して高知で暮らし始めたら今度は土佐弁しか喋れなくなった(笑)
娘はまだ北京のばーちゃん(もちろん中国人)とかクラスメート(これももちろん中国人)と会話した内容をまだ覚えてるらしく、
でもそれは今になってはそれら中国人が日本語を喋ってるという図で思い出されて来るらしい・・・
そう、大事なのはそのイメージであって、
それを何語で表現するかはその「手段」でしかないのだ・・・
ところが外国語を習得するというのはご存知の通り並大抵の努力では出来ない。
一時期中国語しか出来なかったという娘でさえ今は中国語を喋れない。
お隣さんの二井原実がワシにこんなことを言ったことがある。
『Funky〜そんな日本語が通じん国で老後を暮らしたいと思うか?」
これは実は私にとってはショッキングな発言であった。
おそらく私の中国語より上手い英語を操るこの世界のロックシンガーが、
例えその英語が通じる国よりも母国語である日本で老後を送りたいと!(◎_◎;)
でも気持ちはわかる!!
私は長く中国語で暮らしているが、時々病気のようにあらゆる中国語が耳に入って来なくなる時がる。
頭が中国語を拒絶してるんやな・・・
まあ長くそれと一緒に暮らしているので「まあしばらくしたら治るだろう」ぐらいの「病気」ぐらいに今は考えてるが、二井原の言うのは、「そんな病気が出るような国で死ぬまで暮らしたいか?」ということだろうと想像した。
(二井原にもこの病気があるかどうかは知らんが)
とかく外国語を喋れるようになるためには、
一番障害になるのは「完璧主義」である!!
人が聞くとびっくりするかも知れんが、私はA型で実に完璧主義な人間である。
でも爆風が活動停止して、中国で生きて行かねばならなくなった時にそれは捨てた!
所詮語学に「完璧」なんてものはないのだ!!!
30年中国語で暮らしてても、ここまで喋れたらそれ以上の会話が、そこまで喋れたらそこ以上の会話が・・・いつまで経ってもワシら外国人がその国のネイティブな言語を喋れるようになるはずがない!!!
そんな不自由な世界で老後を暮らしたいのか・・・それは二井原ぐらい英語が喋れても考えるであろうひとつの「正論」である。
さてそんな中で今のワシ・・・
英語を使ってクメール語を勉強している・・・
まあ「なんでクメール語を勉強してるの?」というのに対しては色んな答えがあるけれども、端的に言うと「仕事もないしヒマだから(笑)」・・・
「どうせしばらく帰れんのやからほな〜」という感じである。
でもそれをやってると今度は脳がどんどん「英語化」される・・・
昨日BassのSakhornから呼び出されて飲んだ時にそう思った・・・
この国の売れっ子ミュージシャンである彼が連れて来たのは、若いけど「おじさん」にあたる人らしいが、これもミュージシャンでピアニスト。
クラシック畑から出た人でオーケストラのアレンジも全部出来ると言う・・・
この国でオーケストラ録音するならどうすればいい?みたいな話で盛り上がった。
気がついたらワシ・・・英語で話してるやん!(◎_◎;)
これは私自身にとっては衝撃的なことであった。
何故なら同じテーブルで半年前には3分でカラータイマーが鳴って逃げ出して帰ってたのだから・・・
「言語なんてその国に行けばすぐに喋れるようになるよ」ということをよく言われるが、ワシは全く信用してなかった。
渋谷有希子(長らく音沙汰ないなぁ〜元気かなぁ・・・)が中国に来た時、
やはり毎日一生懸命勉強してて、やっとカタコト喋れるようになって「凄いなぁ」と思ったことがある。
言語なんて勉強しなければいつまで経っても喋れやしないのだ!!
ところがこの国に来てからいつの間にやらちょっと英語が喋れるようになってる!(◎_◎;)
もちろん勉強したわけではない。
「喋れないと生きてゆけない」からである。
この辺はやはり中学校から英語教育を受けて来た「下地」がここで生きて来ているのだろう・・・
勉強しなければ単語は増えることはないが、昔覚えた単語が出て来ているのだ。
自分にとって英語のボキャブラリーと中国語のボキャブラリーとどちらが多いのかはわからないが、今日の話題、音楽家にとって金とは・・・金がなければ音楽も出来ないけど、金のためには音楽はやれないね・・・
ここで「理想と現実」ということを言おうとしたのだが、
現実は「Real」でいいとしても(知らんけど(笑))この「理想」という英語が全く出て来ない(>_<)
中国語だとその言葉の漢字がわかれば大体喋れるのだ。
「理由」と「想像」という単語を知ってると、その「理」と「想」をくっつければ乱暴にそれだけで喋れる。
英語だと「Reason」と「Image」知ってても「Ideal(?)」は出て来んもんなぁ・・
まあこの人の英語が、カナダに留学してただけあって非常に上手いのと、
それでいてネイティブの人みたいに難しい単語でまくし立てるということもない。
でも結局は半分ぐらいわからん会話を、なんとか知ってる単語を繋ぎ合わせて全体の意味を把握している・・・
ああ、これって中国語でもそうやったなぁ・・・
なんとなく思い出した。
語学に「完璧主義」はダメなのだ。
わかってなくても適当に相槌を打ちながら会話を流して全体を把握してゆくことが大切だった・・・
ではクメール語はどうだろう・・・
残念ながら今週で学びの窓も終了!!
4週間のタームが3回で今週が最後、
早いのか遅いのかわからんが、今週で教材も終わってしまうので、これで一度おしまいにした。
学んだ単語を全部エクセルに打ち込んだら600以上、それがまだほとんど覚えてないのだから喋れるわけがない。
会話しようとしてても、「あ、あれ勉強したなぁ・・・何て言うんだっけ」となる。
つまりこの単語を全部復習して頭に定着させたらある程度は喋れるようになるに違いない。
このまままた新しい教材になって、また一日にたくさんの単語を叩き込んでは忘れてゆく・・・まあ語学学習にとってはそれも大切なことなのではあるが、制作の仕事が始まったらもうそれを毎日予習復習する時間がない(>_<)
おじさんとはもう会えなくなるけど、ここは一度学校から離れてこの教材をもう一度最初から復習しようと思い立ったのである・・・
Facebookでカンボジアに住む人から流れて来た情報で、
中国語でクメール語を教えてる人と繋がった。
中国人で日本語も喋れるようだが、日本語で教えると8ドルなのに対して中国語で教えると7ドル!(◎_◎;)
中国語でええし〜(笑)
思えば英語を喋る時も頭の中で一度中国語が浮かんだのを押し戻して英語に変換している。
クメール語の場合はそれを更にクメール語に変換しているので時間がかかってパッと出て来ない・・・
いっそのこと中国語をインターフェイスにしたら回路が繋がるのではないか?(笑)
まあ語学に近道はないので、とにかくこの3ヶ月勉強したことを、ちょっと時間を置いて全部復習してみたい。
おじさん、ワシが来なくなったら心配するかなぁ・・・
それだけが心残りである(笑)
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2020年7月13日
カンボジアの結婚式
前回このドラムレコーディングでお世話になったプロデューサーからメッセージが来た・・・
「12日は私のWeddingだから是非来て下さい」
結婚式かぁ・・・
カンボジアでは路上にどでかいテントを建ててそこで結婚式をしている景色をよく目にした。
聞くところによると今は路上は禁止されてると言うが、
実際この前うちの隣に道路を封鎖してまでテントを建てて、
これは結婚式ではなく葬式なのだが、
まあ三日三晩とは言わないが丸々2日は葬式を繰り広げていた・・・
くっくま孤児院の子供たちも、地方のこんな結婚式に呼ばれて伝統舞踊を踊ったり、そのために今ではPAシステムだけでなくステージや照明器具まで買い揃えていると言う・・・
はてさて、制作仕事が大詰めになっているというのにここで三日三晩飲み続けるスケジュールはない(>_<)
幸い「じゃあBoomBaar君と一緒に来ればいいよ」とのことなので、
「結婚式って何時から始めるの?」
と聞いてみる。
「Evening」
・・・ってあーたそんな大雑把な(>_<)
しかし結婚式となるとまず着て行く服が問題である・・・
LCCに載せられる7kgの荷物だけ持って、それこそ「着の身着のまま」でやって来てそのまま住み着いてるんだから礼服なんかあるわけがない!!
持ってる服と言えばおの写真の後ろに掛けている服だけである・・・
幸いタイで買った白ずくめの上下があったのでBoomBaar君に聞いてみたら、
「いいんじゃない?俺もラフな格好で行くよ」
というわけで、それにネパールでもらった首にかけてくれる布をコーディネートしてみた・・・
まあこれに財布兼色んなものが入っているベストを着るのでこんな感じ・・・
全く普段着やん!!(笑)
まあ中国での結婚式も基本普段着なので大丈夫じゃろう・・・
そうなると問題は「ご祝儀」の額である・・・
少な過ぎると礼を欠くし、多過ぎると浮いてしまう・・・っつうか多く払うその金がないがな!!(>_<)
カンボジア人にいろいろリサーチしてみるが、
「20ドルぐらいじゃない?」とか「30ドルぐらいじゃない?」とか言うのでほっとしてたら、タカシが
「Funkyさんなら100ドルは包まなきゃ」
と言うので腰を抜かしそうになった((((;゚Д゚)))))))
しかしカンボジアでは誰かと一緒に行っても連名で100ドルでいいらしい・・・
おう!助かったぞ!!じゃあBoomBaar君一緒に100ドルで〜
というわけで彼の車に乗って一緒に会場へ〜・・・・
って着いてみたら何?この高級なレストラン!(◎_◎;)
このレストランを借り切って結婚式やってるのか・・・
新郎自ら来客を出迎えてくれて席に案内する・・・
そして入り口でもらったのがこれ!!
まあ「引き出物」っつう感じかな、消毒用アルコール・・・ご時世やなぁ・・・(笑)
というわけで席に案内されたけど、その席はまだ私を含めて4人しかいない。
噂には聞いてたが、10人揃わないと料理が出て来ないのだ(笑)
他の席は美味しそうな料理をもう食べているが、こちらはひたすら人数が揃うまで待つ・・・
そしてやっと料理!!
これ何料理やろ・・・カンボジアの料理ではないような洋風な・・・
そして久しぶりに召すペッパーステーキ!!
このソースがカンボジアの生胡椒が入って美味い!!
このソースをフランスパンにつけて食うとまたこれが美味いのよ〜・・・
カンボジアはフランスの植民地だったのでその影響でフランス料理も多く、ここもフランス料理屋かも知れない・・・
ステージ上では新郎のお父さんが何やらスピーチ・・・
なんか今回は新婦が全くフィーチャリングされないのよね〜
有名プロデューサーだからなのかここのご家庭の事情なのか・・・
ひょっとして新婦の故郷とかに行ったら今度は逆に新婦中心のパーティーをやるのかも知れない・・・
新郎新婦が上がって来て一緒にスピーチをするが、
言っちゃ悪いがみんな食うのに一生懸命で誰もスピーチ聞いてないのよね〜(笑)
料理はシーフードとなり、スープとご飯〜
チャーハンと白飯が半分でハートマークになっているのが結婚式らしい・・・
その後ちょっとトイレに行ったのだが、そしたらBoomBaar君からメッセージが・・・
「どこにいるんだ?食事も終わったから帰るぞ」
・・・ってもう帰るん?!(◎_◎;)
ってもうみんな帰ってるがな・・・!(◎_◎;)
中国でも別に新郎新婦に挨拶するわけでもなく三々五々勝手に帰って行ったが、まあ全部が全部セレモニーになってる日本のやり方の方が特殊なのかもな・・・
心配で「ご祝儀はいつ渡すん?」と聞いたら「帰る時に」と言うので見てたら、本当に玄関にそのような場所があった。
ご祝儀袋が用意されているのが嬉しい(笑)
私が渡した100ドル札をそのご祝儀袋に入れて、BoomBar君が二人の名前を連名で書く・・・
おう・・・この料理で50ドルだったらまあ安いぞ・・・
ということは新郎新婦はこのパーティーにいくら金を使ったんだろう・・・
路上にテント建てて三日三晩飲み食いしてたら果たしてどんなことに・・・((((;゚Д゚)))))))
しかし昔ながらの路上にテントの結婚式ってもう今ではあまりやらんのか?
(路上は禁止されたという話だが・・・)
はたまた彼がたまたま有名プロデューサーで、若者たちの先陣を切って昔のスタイルを打破しようとしてるのか?・・・
色んなことを考えながらBoomBaar君の車で送ってもらって帰路に着く・・・
「カンボジアで結婚するって大変だな、お前結婚する時どうすんの?」
聞いてみたら、「I don't know」と言って肩をすくめる・・・
いや、どっちにしろ大変やと思うぞ・・・
車を降りてから気がついた・・・BoomBaar君、ワシがご払ったご祝儀100ドルの半分、君のぶんの50ドルまだもらってないぞ〜・・・(笑)
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2020年6月30日
ハードロックカフェPhnom Penh
全世界に支店があるハードロックカフェ、
実は飲みに行くことはあってもなかなか演奏しに行くことはない。
飛び入りはしたことがあるが、まあ最近ではカンボジアのシェムリアップ・・・
プノンペンにもあることは知ってたが、まあ一度ランチを食いに行った程度であった・・・
ところがこの飲み会で話題が出た途端!(◎_◎;)
「明後日時間があったらハードロックカフェでドラム叩きませんか?」
という話になった!(◎_◎;)
この場にはこのカジノの御曹司だけでなく、カンボジア中のイベントを仕切っているマレーシア人だとか色々いたので、その場でハードロックカフェに電話してすぐに決まったと言う・・・
ところがハードロックカフェには生ドラムセットがない。
電子ドラムってワシ・・・叩けないのよねぇ・・・
そりゃ最近の電子ドラムはどこのメーカーでも性能はいい。
小さく叩けば小さく叩いた音色が出るし、「表現力」という点では生ドラムに匹敵するものがあるが・・・
問題は大きく叩いた時に、ベロシティー最高値の127で叩いた時にはちゃんと最高値の音色が出る。
機種によっては本当にリムと一緒に叩いた音色も出る。
しかしそれを超えた「根性」という音色がない(>_<)
音楽というのはとかく(ワシの場合だけかも知れんが)、この「根性」の部分で人を感激させたりするもんで、その「根性ボタン」とかがなければ、ワシの場合、顔だけをしかめてて出音は冷静な音色・・・みたいな演奏になってしまう・・・
「生ドラムセットがあったら叩きますよ」
と言ったら、
「どっかから借りられませんか?お金なら出します」
!(◎_◎;)
まあ金出してくれるなら借りられるところはもういっぱい知り合いがいる。
先日ドラムのチューニングをやってやった地元のメタルドラマーBoomBar君に借りることになった。
当日車でドラムセットを持って来てくれる・・・しかし案の定30分遅刻(笑)
会場では「あんたのビデオ流せるよ」ということでX.Y.Z.→Aのビデオ!!
いや〜異国のハードロックカフェでX.Y.Z.→Aが流れるって感激やのう・・・
BoomBar君やっと着いてセッティング〜
いや〜このハードロックカフェは後ろにスクリーンがあるので見栄えがいいのう・・・
演奏開始!!
実はこの日はイヤホントラブルが起こり、1曲目は途中で落としたイヤホンを拾いに行ってるし、3曲目はイヤホン外してクリックなしで伴奏に合わせてたりする・・・
出来としてはそんなにいい出来ではないが、
「アマチュアは一番いい出来で評価されようとするが、プロは一番悪い出来で評価される」
の言葉の通り、私は人前で演奏したのだからこれで仕方ない、酷評であろうがこれで評価されようという感じでアーカイブも残している・・・
ところが会場に来てた人には大受けで、ほとんどの人がスマホで映像を撮っている(笑)
まあこの演奏がカンボジア中に広まるんやなぁ・・・しゃーないなぁ〜・・・(苦笑)
さてこの会場でカンボジアと日本との実は大きな商談がなされていた。
まあ写真に写ってるのはマレーシア人なのであるが・・・(笑)
この旗が気に入ったのでお借りしてパチリ!!
散々奢ってもらい、最後にはこのハードロックカフェのGM(ジェネラルマネージャー)までやって来て一緒に飲む!!
実はこのGM、フランス人なのだがカンボジアの血も入ってるらしく、
Facebookで繋がろうとしたら自分の名前がわからないと言う・・・
自分の名前がわからんことはないじゃろ〜と思ったら、
どうやらその名前をクメール語で打ち込んでいるので自分では検索出来ないと言うのだ。
そこで私がスマホを借りて、クメール語学習2ヶ月の成果を見せてそれを見て読み上げる!!
それを見ながら自分のスマホにクメール語で打ち込む!!
それを見てGM大盛り上がり!!・・・
中国でもそうだが、その国の言語を勉強するとこんな色んなところで地元の人を掴んだり出来るのな・・・
大盛り上がりで「テキーラを飲もう」ということになる!(◎_◎;)
しゃーないなぁ〜・・・イッキ!!(>_<)
というわけでこのGMとも仲良くなり、
「今度はちゃんとプロモーションするから是非もう一度やってくれ」
ええよ〜
「バンドはないのか?バンドがあったら是非バンドでも演奏してくれ〜」
ええよ〜作るし〜(笑)
何やらこの国でもどうやら食っていけそうな気が・・・(笑)
それだけではない。
ここで商談をやっていたカンボジア人の実業家、この人は喜んだ喜んだ・・
カンボジアで私でも知っている街角でよく見るチェーン店とかをいくつも経営している大実業家である。
実はお隣の高級ワインセラーも(これも街角でよく見る)も経営していて、
「明日は試飲パーティーがあるので是非来て下さい」
!(◎_◎;)
普段いいワインなど飲む機会はないので場違いながらのこのことやって来た・・・
もうね・・・社交界(>_<)
白人ばっかで、どっかのレストランのオーナーやらどっかの社長やらそんなんばっか・・・
英語で片っ端から紹介される・・・
「この人はねぇ・・・昨日ハードロックカフェでドラム叩いたんだけどそれはそれは凄い人なんですよ」
(>_<)
あのう・・・ワシ・・・別にドラム叩いただけで、大きな会社経営してるわけでもないし、こんなええワインいつも飲んでるわけでもない・・・(>_<)
ただ酒なんで頑張って飲ませてもらったが(笑)実はワインの味の違いなんかもようわからんのよ〜・・・
いや、でもここ数日での実感!!
この国ってドラムが上手いだけでなんとか生きていけるかも・・・(笑)
ベトナムとの国境の街バベットにFunkyスタジオを作る話も進行中・・・はてさてどうなりますことやら・・・
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2020年4月27日
遠隔地同時演奏配信大成功!!
ZoomとヤマハのNETDUETTOを使った遠隔地同時演奏、
第一回目で可能性を探り、第二回目でシステム完成!!と思われたが大阪のネットがダウンして失敗!!
第3回目の今回は大成功に終わりました!!
システムをおさらいします。
送り側となる大阪では2台のパソコンを使い、まず1台にヤマハのNETDUETTO、そしてもう1台にZoomをインストール!!
そしてヤマハのNETDUETTOには、インターフェイスを介していつもライブで使っているエフェクターとマイクを接続。
ギターの音はこちらのパソコンを介してNETDUETTOでカンボジアに送り、
もう1台のパソコンにインストールされたZoomにてお喋りの音と映像を送る。
受け側となるカンボジアでは、やはり2台のパソコンを使い、
同様に1台にヤマハのNETDUETTOをインストールし、そこで大阪からのギターの音を受け取る。
そして、そのパソコンのアウトプットと自分のマイクとをもうひとつのパソコンに繋がったインターフェイスにぶち込む。
もう1台のパソコンには同様にZoomをインストールして、その音声入力と出力をそのインターフェイスに設定する。
セッティングはここまで。
音の流れをおさらいすると、大阪のギターの音はNETDUETTOを介してカンボジアに送られ、そのギターの音と自分のマイクの音をインターフェイスでミックスしてZoomで配信、というわけである。
気をつけなければならないのが、カンボジア側は歌うマイクと喋るマイクはどちらもインターフェイスに繋いだマイクだけなのでよいが、大阪側ではZoomの音声はZoomをインストールしたパソコンのマイクから送られているので、ギター演奏が始まった時にはZoomのマイクをカットして、ヤマハのみで音を送るようにしなければ二つの信号の遅延で音がずれて2つ配信されることになる。
さてここからは、大阪とカンボジアという海を隔てた遠い場所に海底ケーブル等を通って信号がやって来るという状況によって遅延が生じるためのやり方を説明しますが、
NETDUETTOは日本同士の回線では、チェックしましたがそんなに遅れはありませんでしたのでリアルタイムセッションが可能かと思われます。
十分なネット速度が確保されない場合、例えばこの場合の大阪のギターとカンボジアの歌、ここに遅延が発生したら歌を聞きながらギターを弾けません。
私の方でNETDUETTOのマイク入力はミュートします。
つまり大村はんは歌を聞かずにひたすらギターを演奏し、私はその演奏に合わせて歌を歌うということです。
音の信号の流れで言うと、大阪からNETDUETTOで届いたギターの音に、インターフェース上で歌のデータと混ぜて、その出力をZoomに送って配信ということになります。
厳密に言えば「相互方向」のセッションではありませんが、海を隔てたこのネット速度ではこれが限界(>_<)
日本同士でもっとネット条件が良い場合にはきっと相互方向のセッションも出来ると思いますので是非試してみて下さい。
さて、そうやって成功した生配信がこちら!!
ね、なかなかのもんでしょ?
ネット速度の関係で、時々ギターがケロったりするけど、
基本的に「生ライブ」という最低限の形は取れたと思います。
笑えたのは、大村はんがZoomの音声を切り忘れて音が二重に聞こえてしまうので、
連絡用のNETDUETTOの私のマイクを生かして「大村はん〜」と呼んでいるのだけれども、大村はんNETDUETTOの方のイヤホンも外してしまい、文字通りひとりでひたすらギターを弾いてて呼びかけても答えてくれん(残り7分前あたり)
いや、ライブでもいつもワシの歌は聞いてへんけどな(笑)
これも相互方向ではなく一方方向ならではのトラブル。
日本同士のセッションならうまくいくと信じてますので皆さん是非お試し下さい。
次の課題としては、映像のスイッチ!!
Zoomで二人が同時に画面に映るようにすること、
もしくはLine Liveとやらを使ってみる?・・・
音的にはここにまた第三者の音をNETDUETTOで参加してもらって加えること。
日本同士だと相互方向のセッションが出来る可能性があり、そこに私が乗っかって歌えるかも知れない・・・
まだまだやり始めたばかりのシステムですが、
ヤマハのNETDUETTOが日本語のソフトであるために現状では日本限定、
ということは日本で初めてこのシステムで同時演奏配信が成功したということは、
おそらくは「世界初!!!」・・・
いや〜日本のミュージシャンの皆さま、是非このやり方使ってみて、色々切磋琢磨してゆこうではありませんか!!
ps.気になっているのですが、このヤマハのNETDUETTOというソフト、10年前に開発されたソフトなのにまだβ版!(◎_◎;)
全く陽の目を見なかったソフトだったのかも知れないが、ここに来て6月に新しいバージョン「SYNCROOM」が登場するそうな・・・
楽しみにしております〜
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Posted by ファンキー末吉 at:09:48 | 固定リンク
2020年4月26日
カンボジアのメタルドラマー
前回カンボジアでドラムをレコーディングしようとなった時、そのキーパーソンとなるプロデューサーを紹介してくれたBoom Baar君。
実は会って話したことはなかったそうだが、Oscarで私がドラムを叩いた時に客席で見ていて、それから「師匠」と呼ばれる間柄になった(笑)。
その後、お礼がてらみんなを集めて飲んだ時、実は数台いいドラムセットを持っているらしい・・・
かと言ってばりばりプロのドラマーかと言うとそうでもないらしく、一体何をやって食ってるのか不思議な男である・・・
彼から突然メッセージが来た。
「師匠!!元気ですか?」・・・(笑)
何やらドラムレコーディングをするそうである・・・
一体私に何をやってもらいたいのか、来てアドバイスをもらいたいのか、その辺はよくわからないまま、
やはりドラムレコーディングと言えば一番大切なのは「ドラムのチューニング」!!
言われもしないのにそれをかって出た!(笑)
録音はどこかのバーでやるらしい・・・
まあメタルバンドで大々的にレコード会社がバックアップしてみたいなのは難しかろう・・・
2時からレコーディングで、自分はセッティングでちょっと早めに入ると言うので1時半にそのバーとやらに行ってみた。
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
誰もおらんやん!!(>_<)
しゃーないなぁ〜・・・近所で時間を潰して2時まで待つ・・・
2時になってもこーへんやん!!!(>_<)
まあ時間を守らないのは中国人もカンボジア人も同じなのであろう・・・
結局彼が着いたのは3時(笑)。
ドラムが運ばれて来ている・・・
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
バスドラにつけられているタオルミュートなどは問答無用で取り外す!!
家で叩くのにミュートとしてはいいかも知れんが、アタックはなくなるしレコーディングでは百害あって一益なし!!
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
いつもの自分のライブやレコーディングではないので自分でセッティングしなくていいから楽であるが・・・
おやおや、よく見ると白人のエンジニアが・・・
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
よくよく聞いてみると、この白人がギタリスト、ベースも同じく白人、ボーカルはカンボジア人というメタルバンドらしい・・・
録音設備はLogic。インターフェイスは8chで、欲を言えばスネアのボトムとハイハットとライドも欲しかったりするが、アマチュアバンドならまあこれで十分であろう・・・
今思い出したのだが、もう1ch余っているのだから、あのレコーディングの時に買ったバスドラ用のマイクを貸してあげればよかった・・・(>_<)
「Professor Mr.Funky」ですか〜(笑)
なんとかセッティング完了!!
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
サウンドチェック!!
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
なかなかいい音ではないか!!
ところが私の方がもう時間切れ!(>_<)ファンキーはんと大村はんのネット配信ライブに行かねばならぬ・・・
後ろ髪を引かれる思いで現場をあとにしたが、後に彼のこんな書き込みが・・・
20テイク録ったんですと!(◎_◎;)
そしてOKテイクが2つ。録画して見てみたらイヤホンを右しかしていない。どうして?・・・みたいな(笑)
いや〜見たかったのう〜その現場(笑)
兎にも角にも地元のこんなミュージシャンと交流してゆくのは非常に楽しい。
彼らが後に、このカンボジアのロックシーンを支えるようなビッグなバンドになってゆくことを願うぞ!!
頑張れBoom Baar君!!
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Posted by ファンキー末吉 at:07:14 | 固定リンク
遠隔ライブ配信2回目レポート
前回の配信からグレードアップ!!
まず送り側の大阪ザビエル大村〜
このシステムは、音は現状試した中で一番遅延の少ないヤマハのNETDUETTOを使うため、そのインストールには必ずパソコンが必要。
前回はそれに加えて、映像をZoomで繋ぐためにはiPhoneを使っていた。
今回は、まず2台のパソコンを使って、音を送るパソコン、そしてZoomで繋ぐためのパソコンと、どちらもパソコンにてカンボジアと繋ぐ。
音に関しては、前回はパソコンのマイクでギターの音を拾っていたが、
今回はインターフェイス(一番右)を購入、ライブで使っているエフェクターとかも通して、そのライン出力と、マイクを通した音とをインターフェイスでミックスしてヤマハのNETTDUETTOに送る。
カンボジアの受け側としては、そのラインでNETTDUETTOに送られたギターの音を、前回はパソコンのスピーカーから再生して、それに合わせて歌を歌って、その音をiPhoneのマイクで拾って配信していたが、
今回はインターフェイスを用意してパソコンのライン出力から直でそこに入力する。
わかりやすく例えると、その昔、私が小学校の頃、テレビ番組のテーマソングをカセットテレコに録音するのに、テレビのスピーカーの近くにテレコを置いて一生懸命録音してた時代の音と、その後「LINE出力」なるものがテレビにつくようになって、それをテレコのLINE入力に突っ込んで直接録音した方が音が良くなるという理屈である。
(そんなことやってたんワシだけか?(笑))
大阪と同様に、ヤマハのNETDUETTOで音を受けるので、そちらには必ずパソコンが必要!!(iPad版とか出ないかのう・・・)
Zoomで出力するにも、その音の入力をインターフェイスを介してやるのでやはりパソコンが必要!!
うちのパソコンはひとつは持ち歩きの出来るラップトップパソコンだが、
もうひとつはでっかいデスクトップ(>_<)
ちなみにうちのネットはSIMカードを挿すタイプのSmartという携帯電話のWi-Fiなので速度が遅い。
速度の速いひでほまさんの会社まで運ぶのは大変であるため、ひでほまさんのパソコンを借りた。
人のパソコンに使いもしないわけのわからんソフトをインストールするわけにはいかないので、私のパソコンをヤマハのNETDUETTO用に使い、Zoom配信の方をひでほまさんのパソコンを使うことにした。
そして今回、Zoomミーティングの模様をYouTubeかFacebookに配信出来ると言うので、Zoomを有料版にアップグレード!!
この使い方チュートリアルを見ながらYouTubeの予約配信をしたのだが何故かうまくいかん(>_<)
仕方がないのでFacebookから配信することにしてテストしてみたら、
Facebookってすぐに「末吉さんが動画配信しています」と告知がいくのですぐにそれを見に来る人が!(◎_◎;)
とりあえず今回はFacebook配信でいいや、というわけで準備万端配信をしようと思ってたら・・・
「すんません、どういうわけかうちのWi-Fiが繋がらんのです」
と大村はん・・・
こんなこともあるもんやなぁ・・・さっきまで順調だったっつうか、今まで不調だったことがなかったWi-Fiが、配信直前でいきなり使えなくなるなんて・・・(>_<)
というわけで、今回は同時ライブは諦めて、大村はんは大阪からギターで1曲(でもポケットWi-Fiなので音は途切れ途切れ(>_<))、私はカンボジアで弾き語りで1曲やっておしまいにした。
リベンジを明日(もう日付越えたので今日)、4月26日日曜日日本時間17時にやります〜
Join Zoom Meeting
https://zoom.us/j/98879972107
もしくは私のFacebook(https://web.facebook.com/FunkySueyoshi)にて配信しますのでそちらでも〜
このシステムが確立すれば、日本とカンボジアでは回線の問題で遅延が発生するが、日本同士のミュージシャンならリアルタイムセッションが出来るかも〜
3度目の正直!!成功を祈る!!!
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Posted by ファンキー末吉 at:05:48 | 固定リンク
2020年4月18日
ネット配信同時演奏のやり方と今後の課題
この世の中の現状でライブが出来なくなったミュージシャンが多くのネット配信ライブを行なっている。
ところがバンドメンバー全員集まって、そこからネット観客への一方通行ライブなら大丈夫なのだが、離れたところにいるメンバーがネットを介して同時にセッションして、そのセッションをリアルタイムでネット観客が見れるというシステムは今はない。
(ここで『いやあるよ」とか香ばしいコメントはやめて頂きたい。いろんな人が今試行錯誤中であるというのが現状である)
そこでちょっと盲点のようなシステムを今回考えて試してみた。
ファンキーはんと大村はん、ボーカルの私は今カンボジアにいる。
そしてギタリストの大村はんは大阪にいる。
それを繋いでライブは出来ないか・・・
中野と河合がネットでライブ配信してると言うので大村はんが調べてくれた・・・
どうやらこれはInstagramを使っているようだ。
しかしやはり河合がギターを弾いて中野が歌えばいいのにそれは出来ないようだ・・・
奥田民生がネット配信ライブをやっていた。
しかし最後に出演者全員が生で演奏して生セッションすることはなかったようだ・・・
聞けばYAMAHAで遠隔地から一緒にセッション出来るソフトが出ているらしい!(◎_◎;)
でもこのソフト・・・10年前のベータ版からアップデートしてないし(>_<)
まあでも色々試してみたら、このソフトで通信するのが一番「音」としては安定してるようだ・・・
FacebookメッセンジャーやらSkypeやら色々試してみたが、
「会話」をストレスなく進めるためのソフトで、ギターを弾いてもらうと、あるところは速度が速く、あるところは通常速度とか、バッファの状態によってギター演奏の速度にも影響するようだ・・・
でももしこのYAMAHAのNETDUETTOで、音だけでもちゃんとしたクリアなリアルタイムセッションが出来たら・・・
残念ながらこのNETDUETTは映像には対応していない。
でも、音だけでもカンボジアと大阪でリアルタイムでセッション出来たら・・・
まあカンボジアのネット速度が、特にうちの家ではムッチャ遅なので、「音が遅れない」と謳っているこのシステムでも大阪とカンボジアの音は1秒近く遅れるようだ・・・
「ほなお前、俺の歌聞かずにギターだけ弾いとけ!!どうせお前ライブでも俺の歌聞いてないやろ(笑)」
そこでこのシステムを思い立った。
今回はほんの試しでの配信である・・・
まず基本的にこんな考え方である。
世界でもまだあまり成功してないリアルタイムセッションをやりたいという方々はこのシステムも参考にしてみて欲しい。
まず大阪とカンボジアの演者は基本的に「伴奏者」と「歌」という立場を取る。
この時点で「相互セッション」は捨てている。
伴奏をリアルタイムに送って来て、その伴奏に合わせて歌を歌うというだけである。
この相互方向ではないセッションをリアルタイムで配信するわけだ・・・
問題はカンボジアのネット速度・・・
一昨日ひょんなことから知り合ったひでほまさん。
聞けばプノンペンでIT関係の会社を立ち上げているということで、
次の配信場所はここに決定!!
ここでネットが遅ければもうカンボジアでは配信が無理だということである・・・
システムとしては、今回はZoomを使った。
Instagramは私も大村もアカウントを持ってない。
YouTubeやFacebook配信では離れた二人の映像を同時にミックスして送れない。
(この辺、異論のある方は是非ご教授願いたい)
Zoomだととりあえずは私の映像も大村はんの映像も見ながら参加することが出来る。
おまけに歌い終わった後にヤジやツッコミなど色んな面白いことが出来るのではないか・・・
というわけで今日、次のようなシステムで配信をしてみた・・・
1、大村はんと私はパソコンでYAMAHAのNETDUETTOに繋ぐ。
2、Zoomはお互いのiPhoneで繋ぐ
3、NETDUETTOで送って来る大村のギターをパソコンで再生して、そのギターと共に歌を歌ってそれをZoomで配信する
これで気をつけなければならないのは、
1、NETDUETTO自身がもう音が遅れてるので、大村はそのパソコンのモニターをオフにする。
2、Zoomで送っている音声はギターも歌も既に物凄く遅れているので、大村はそれもオフにする。
そうすればとりあえずは大村がギターを弾いて、そこにコーラスを入れようが、
私が歌いながらギターを入れようがとりあえずは音はずれない。
今回はカンボジア最前線コロナレポート
(政府発表今日で6日間新感染者数ゼロ!!このまま9日間続けばコロナを封じ込めたと言える)
と共に2曲だけ演奏してみた。
音の遅れはない。
だが一瞬ネットスピードが落ちたのだろう、ギターのリズムが崩れた部分があったが、まあそれはFacebookメッセンジャーやSkypeのそれよりはマシに感じた。
日本と日本ならもっとスムーズにいくものと考えられる。
あとギターの音質の悪さ・・・
これは次の課題ですな。
今回は幸いにもおひねりをもらえた。
「成功したらいくらかおひねり下さい」
ということで、これが「成功」と呼べるかどうかはまだわからないが・・・
このおひねりで大村はオーディオインターフェイスを買う。
次はギターの送りをマイクからじゃなくラインにすれば音質的にはかなり改善出来るだろう。
私の場合はちと難しい。
大村からリアルタイムで送られて来るそのオーディオ信号を、
インターフェイスに突っこんでその信号をZoomの入力に出力してやることは出来そうだ。
ところがそこに歌をどのように突っこんでゆくか・・・
オーディオ信号をインターフェイスに突っこんで、ついでに私のマイクもそのインターフェイスに突っこんで・・・
どこでミックスしてどのようにZoomの入力に打ち込むことが出来るのか・・・
この辺は研究課題である。
とりあえずは来週は私のメインパソコンを持ち込んで、
それで大村のギターを音をNETDUETTOで受けて、
そのインターフェースからの出力を・・・サブパソコンにどのように歌とミックスして入れ込むのか・・・
1週間ゆっくり考えてみたい・・・
来週同じ曜日に同じ時間、
2020年4月25日日本時間20時よりこちらのアドレスにて配信します。
トピック: ファンキーはんと大村はん配信ライブ2
時間: 2020年4月25日 08:00 PM 大阪、札幌、東京
Zoomミーティングに参加する
https://zoom.us/j/3380984150
ミーティングID: 338 098 4150
みなさまZoomをインストールの上、酒を買ってパソコンの前でお待ち下さい〜
PS.今回お世話になったひでほまさん、
ITの会社を立ち上げてるぐらいだからそりゃネットおたくである。
かく言う私もミュージシャンの中ではかなりのネットおたく・・・
二人が打ち上げで飲むとこうなる(笑)
ソーシャルディスタンスどころか、同じテーブルに座っててもお互いパソコンで話するからコロナ対策万全!!(笑)
来週も色々とよろしくお願い致します〜
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2020年4月 5日
カンボジアにてドラムレコーディング!!!
思い起こせば去年の年末ぐらいからカンボジアでドラムが録音出来ないか探している・・・
この時はプノンペンに遊びに来たさわだんが、英語が達者だということで片っ端から電話をかけてくれて探し当てたのだ。
よく飲みに行ってるHIBACHIの近所の、ここは普通の自宅内のホームスタジオ・・・
ここをFacebook投稿してみたら地元のミュージシャンからいくつか反応があった。
「ここ俺の友達んとこだよ」
外国人である私が地元のミュージシャンと知り合うというのは、よく行っているライブバー「Oscar」に飛び入りセッションして知り合うのである。
最近になってわかったのだが、ここはプノンペンで一番いいライブハウス。
外国人も含め日替わりでいろんなミュージシャンが客である年配の白人客相手に古めのロックを演奏している。
その中に実は重鎮ベーシストがいた!(◎_◎;)
いや、重鎮であるかはその後にわかるのだが、
とりあえずHIBACHIで一緒にメシでも食う・・・
この時に彼が連れて来たのはカンボジアで一番上手いというドラマー!!
こうやってミュージシャンの知り合いがどんどん増えてゆく・・・
その時に私は彼らに相談した。
「スタジオを作りたいんだ」
私は自宅のある八王子には自宅スタジオがある。
X.Y.Z.→Aをはじめ、アースシェイカーや筋少や、ここでも色んな名盤が生まれている。
そして北京、初代のこのスタジオは中国の高度成長の煽りを受け、立ち退きで引越し、次の場所ではちゃんと防音までしてかなり本格的に作ったのにまた立ち退き(>_<)
今ではもう北京にスタジオはない・・・ということはそこの機材を全部持って来ればここカンボジアでもスタジオが作れるということだ。
ところが機材は持って来たとしても、そのメンテ、新たな機材を揃えなければならなくなった時に困るのが、
「レコーディング機材の専門業者」があるかないかが大きな問題である。
この会食の時に聞いたが誰も知らない。
それではということで、「じゃあレコード会社とかのスタジオとかないの?」と聞いてみたがそれも知らないと言う・・・
くっくま孤児院の美和さんの話では、一般貸ししてるかどうかはわからいが、どうやらひとつだけレコード会社の大きなスタジオがあるという話であったのだが、この辺のミュージシャンが知らないとなると探しようがない・・・
プロユースのスタジオや音響機材など、そもそも一般向けに広告など出しはしないのだ。
知ってる人だけが知っている、そんな業種なのだから仕方がない・・・
その後、北京のエンジニア方言(FangYan)をこちらに呼んで調べさせた時に、中国人コネクションでいろいろ調べてくれた。
それでもこの段階ではこちらでドラムがレコーディング出来るスタジオはまだ見つかっていない・・・
そんな中で中国で新型コロナウィルスによる新型肺炎が始まった・・・
その時に私は毎年のように日本でツアーを廻ってた。
中国は旧正月辺りになると絶対に仕事はないので、毎年この時期には日本でツアーを廻るのだ・・・
ツアーの途中で頚椎症性神経根症になってしまった為、暖かいところということで、療養も兼ねてここカンボジアにやって来た。
その時にはドラムなど叩くつもりもないのでスティックすら持って来てない。
コロナの蔓延してないどこか暖かいところを療養を兼ねてのんびり廻るつもりだったのだ・・・
ところが布衣のボーカルLaoWuが、コロナで自宅待機をしている全ての人に捧げる歌を作りたいと言うので、この状況でどこかでドラムが録音できるかどうか考えてみたが、中国で録音しようと思っても、もう既に中国では爆発的に感染者が増えている。
日本もあれよあれよという間に第二の感染国となってしまった・・・
そんな時期に感染国を行ったり来たりすることも出来ないので、そこで考えついたのは布衣とRebellioNとのコラボである。
その時に出来上がった曲・・・この時にはRebellioNのみんなは「LaoWuがどうしてこんなに急いでこの曲を仕上げようと思っているのかわからない」と言っていたが、今となってみればこれは「今の日本」である。
さてそれからしばらくしたら、もう中国へも日本へも戻れない・・・(>_<)
中国は現行の全てのVISAを無効にし、当然ながら私の労働ビザも無効なので入れないし、
日本は母国なので入れないことはないが、2週間の隔離(自宅待機?)を余儀なくされる。
ってか、成田に着いたら公共交通機関、タクシーも含め全部乗ったらあかんっつうたらどうやって家に帰るん?
家の人に車で迎えに来てもらうしかないらしく、そしたらその迎えに来た人も2週間は隔離状態となる・・・
無理やん(>_<)
カンボジアも日本よりは数十分の一ではあるが感染者がどんどん増えてゆき、
ついに外国からの入国を禁止!!
私はこの国を出たらもうこの国には帰ることが出来ず、かと言って出ても入れる国はなく・・・
VISAが切れるまでここでいるしか選択肢はなくなったのである・・・
(幸いカンボジア政府はVISAの延長処置をしてくれることとなった)
ここで暮らすのはよい!!仕事はないが部屋はある。
ところが布衣の新しいアルバムのレコーディングが始まった・・・
こればかりは人にドラムを叩いてくれと言うわけにはいかないので、どうしても自分でここ、カンボジアでドラムレコーディングをしなければならないのだ・・・
本格的にスタジオを探す・・・
まずはくっくま孤児院の美和さんに連絡を取って、そのレコード会社のスタジオとやらを探してもらう・・・
ところだ探し当てたのはひとつの電話番号、Mr.Laという人だということだが、クメール語も話せない私がプアーイングリッシュで話しても全く話にならないだろうということで、日本人の方に会社のクメール人に電話をしてもらった。
常備している機材や、ドラムセットの状況とかを聞いてもらったりしているうちに話が途切れた。
めんどくさくなったのだろうか・・・「どうやら外国人には貸さないみたい」
(>_<)
中国でもそうである。ひとつのコネが暗礁に乗り上げたら別のコネを探す!!
先日HIBACHIだ会食したグループにMr.Laの連絡先をアップして、
「誰かこの人知り合いじゃないか〜」
重鎮ベーシストが「俺知ってるよ〜」・・・って、こいつむっちゃ顔広い!(◎_◎;)
そこから直でFacebookで繋がり、本人と英語で話せ出せたのだが、
「じゃあ土曜日にスタジオ見に行くよ、機材等チェックして、問題なければ日曜日にレコーディングしよう」
とまでなったのだが、そこから何故か連絡が返って来ない(>_<)
ちょうどその時、Oscarで働いてたタカシという日本名を持つヤツが食い詰めて「何か食べ物を恵んで下さい。インスタントラーメンでいいです」と連絡して来た(笑)
ちょうどいい!!メシ食わせてやるから働け!!
というわけでDr.Laに電話をかけさせる・・・
「ダメです。うちの機材じゃFunkyさんに満足してもらうレコーディングは出来ないと断られました」
(>_<)
ところがタカシはそこでOscarの常連ドラマーに連絡を取り、そこからある人・・・おそらくこの国の重鎮プロデューサーなんだと思うがそこに繋がった。
ドラマーにお礼を言う・・・返事に
「あなたのプレイはOscarで見たことがあります。素晴らしいドラミングです」
みたいなことが返って来た。
顔の広い重鎮ベーシストも、このドラマーも、そしてこのタカシも、みんな私のドラムを聞いて、そいで私を好きになってこれだけ動いてくれる・・・
ドラムが上手くてよかったぁ・・・(笑)
冗談はさておき、この重鎮プロデューサーと繋がって、念のためにその重鎮ベーシストに
「この人知ってる?」
と聞いた時の反応が面白かった・・・
「よくここまで辿り着きましたねぇ・・・」
きっとそういう立場の人なのだろう、面白いのがこの人はタカシとは話さない。
「本人じゃないと話さないって言ってますよ」
とタカシが困って私にそう言ったが、
中国でもそう、偉い人は相手がトップの人しか話さない。
決定権を持ってない下っ端と話したって埒が明かないことを知っているのだ。
一応Facebookのグループを作ってタカシも傍観させてたのだが、
これがまた例によって遅々として進まない(>_<)
「きっと忙しいのでしょう」
とタカシは言う・・・
そしたら待つ!!
劉備元徳は諸葛孔明を手に入れるためにあばら家に2度行って待ちぼうけをくらってやっと3度目に会ってくれた。
(三国志演義より)
相手のことが絶対に必要だと思ったら待つ!!
それが相手に対する「礼儀」となるのだ・・・
そして連絡が返って来た時にすかさず
「お会い出来ませんか?」
こうして初めて会うことになった場所がなんと外国人用の音楽学校・・・
ここの3階のリハーサルスタジオに機材を持ち込んでレコーディングしようということになったら話が早い!!
「じゃあ次の金曜日に!!」
ついにこの国でレコーディング出来るのか・・・感激もひとしおである。
とにかくスケジュールさえ決まってしまえば録ることは出来るだろう・・・
問題はドラムセット・・・このスタジオのドラムセットをちゃんとチェックしてなかったが、出来ればこのセットを借りたいのう・・・
重鎮ベーシストに連絡してみる・・・
「このドラマーとこのプロデューサーは一緒に仕事してますから大丈夫でしょう」
繋がるのう・・・
しかしみんながこのドラマーと連絡が取れない。
きっとコロナを恐れて田舎に疎開しているのだろう・・・
ということでプロデューサーが別のドラムセットを探して来てくれた!!
念入りにチューニング!!
ドラムの向こうに座っているのはくっくま孤児院の美和さんとソバン先生、そしてくっくまバンドのダビッとティアルッ。
向学のために見学というのもあるのだけれども、実はスティックを持って来てもらったのだ。
こんなに長くここに滞在するとは夢にも思ってなかったのでスティックすらない(>_<)
それぞれのドラム演奏の絵も撮っといてくれということでバンダナもない(>_<)
イオンに買いに行ったけどなかったのよ〜この国でバンダナしてる人なんか見たことないし〜(笑)
というわけで美和さんが持ってるというのでそれも持って来てもらったのだ・・・
プロデューサーが黙々と仕事をする・・・
きっと真面目な性格の人なんだと思う。
このレコーディング、是非とも成功させなければならない。
この日に最高の音でちゃんとレコーディングさえしとけば、
今後中国の仕事はこの国でやってしまうことが出来る。
「カンボジアなんかでちゃんと録れるの?」
と聞かれたら
「布衣のニューアルバム聞いてよ、あれカンボジアで録ったから」
と言えばよい。
その音が最高のものであれば今後もこの国で仕事を受けることが出来るし、
音が悪ければもう2度とここでレコーディングするチャンスはない・・・
ところが問題発覚!!
彼が用意したこの日のシステムでは、ドラムのパンチイン、パンチアウトが出来ないのだ!(◎_◎;)
思わず頭を抱えてしまったが、
よく考えたらこれは「音質」の問題ではない、「プレイ」の問題なのだ。
初めてのレコーディングの時、そう、爆風スランプの初期のアルバムなどはアナログの時代だったのでパンチインなど出来なかった。
今ではデジタル編集が当たり前になり、ドラムを叩きながらどこでパンチインをするかを考える時代・・・
要は最初っから最後まで間違わずに1回でベストテイクを録ればそれでいいのね!!
やってやろうじゃねーか!!・・・とレコーディングが始まったが、
次の問題は暑さ・・・(>_<)
クーラーや扇風機のノイズが入らないように、叩く時はオフにしてもらったのだが、
例えその数分間だとしてもカンボジアでクーラー止めて運動(ドラムを叩く)したら暑い・・・(涙)
こりゃ長くはやってられんぞ・・・ということで、
「テイクを2テイク録ります。その後映像をシューティング。そして次の曲!!」
譜面にはしているが、曲は覚えてないので実際はテイク1は「試し」である。
一応録音はしているが、いろんな試行錯誤はこの時に全部してしまい、
実際にテイク2の時が本チャン、つまり「一発OK」で全曲録り上げてしまおうというものである。
俺なら出来る!!いや、他に選択肢がないんだからやらねばならぬ!!
修羅場に突入!!
バラードはいいのだが、2曲ほど難しい曲があり、
「なんでこんな難しいアレンジしたんやろ」
と悔やんでも仕方ない・・・何とか全曲録り終えた!!\(^o^)/
このプロデューサーの第一印象・・・笑わない人だなぁ・・・
でもこの段階で既に笑顔が溢れてる。
「お前は大したヤツだよ」
そんな笑顔・・・そして一緒に修羅場をくぐり抜けた「連帯感」が生まれている・・・
「後日一緒にメシでも食いませんか?」
中国でもお世話になった人には食事をご馳走する。
これは中国の仕事なのである、ちゃんとその予算は計算してある・・・
この国に最初に来た時に、何か30年前の北京と同じ「匂い」がした。
中国ではコネがないと何も出来ない。
かと言ってひとつだけしか持ってなかったらやっぱり何も出来ない。
ひと昔前、アジアブームの頃、
「私は誰々さんと知り合いなんですよ」
などと言ってた人はみんな撤退して日本に帰ってしまった。
「どこをどう伝って行ってもこの人に繋がる」
ぐらいのコネがなくてはどうしようもないのだ・・・
この国カンボジアで、私は生きてゆける自信がついた。
(レコーディング終了後にシューティングのためOKテイクに合わせてドラムを叩いている絵です)
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2020年3月29日
タカシの話
前述のタカシ、今日は彼が探し当ててくれたドラムレコーディングのスタジオのオーナー?プロデューサー?ようわからん人に会いに行く日であった。
実際、彼が探し当ててくれたことは満金に値することではあるのだが、
それ以降は相手方が「お前とは話さん!」
中国でも、話の決定権を持つトップ以外とは話さないのと同じように、私自身がFacebookのメッセンジャーでやり取りをしているのだから彼はいわゆる「もう用無し」ではある。
でも本当に「食いっぷち」がないのだろう、昨日からひっきりなしに連絡が来る。
「今どこにいるんですか?何してんですか?」
いや〜扇さんラーメンで4杯分のレモンサワーを計量カップで飲んでるんですけど〜
でも家に帰ってちょっと後悔・・・
ワシはつい飲み過ぎて散財する金は(失業者と言えど今のところは)ある。
でもこいつは本当にメシを食う金もないのだ・・・
「じゃあ明日1時にアポ取ったから12時に一緒にメシでも食おう!!」
近所で最近一番旨いと思うローカルの綿屋に呼びつけた。
「お前、腹減ってるだろ!!麺だけじゃなくご飯もんも食っていいぞ!!」
でもまあ麺とアイスティーだけを注文している・・・
各国を駐在しているカンボジア在住日本人の話によると、
カンボジアは東南アジア諸外国に比べて物価は安いほどではないと言う。
ビールは安いところでは0.5ドルで飲めるが、
ローカルのこの麺屋で二人で5ドルは取られる。
タイと比べると、ビールは数分の一だが、メシは数倍という感じである。
「お前、ライブハウスで働いてた頃にはいくらもらってたの?
恐る恐る聞いてみる・・・
「140ドルもらってました」
それで今住んでるところ実家じゃないなら家賃いくら?
「50ドルです」
じゃあ一月90ドルで暮らしてたのか・・・
一日で割ると3ドル・・・この麺とアイスティーで終わりである(>_<)
まあ彼が今回私にコンタクトを取って来た時に送って来た写真・・・
「こんなのでいいから恵んでもらえませんか?」
私はこの時に「こいつは悪い奴じゃない」と思った。
私のことを金持ちの外国人だと思ってるなら、むしり取るとしたらもっと金目のものをむしり取る。
少なくてもこの辺のバーのお姉ちゃんだったらそうである(笑)
だから「スタジオを探せ!!」というミッションを与えて、10ドルとカップラーメンを一個あげた。
結果としてはそれ相応以上の仕事をしてくれたわけだが、
(中国なんかでもコネクションは即ち「金」なので、このコネクションを私に渡してくれただけで十分過ぎるほどの働きをしてくれている)
気になるのが、こいつ、この10ドルで何日食いつないでいけるんだ?ということである。
「3日ですね・・・」
そうか、ちょうどあれから3日経っているのだ。
きっと私にとっては一番安い2ドルの麺すら食えず、
本当にカップ麺だけで3日間飢えを凌いでいたのだろう・・・
一緒にスタジオの下見に行って、
例によって私だけが下手な英語でレコーディングのスケジュールを決めて、
一息ついてカフェに入った時に聞いてみた。
「お前、ホームタウンはここプノンペンだと言ってたな?
じゃあお前の両親は一緒に住んでるの?」
まあお互いプアーイングリッシュなので定かではないが、
お父さんはもともといない、と。
お母さんは小さい頃から遠いところに住んでて・・・
「お前孤児なの?」
その辺のニュアンスは通じない・・・
だが、学校は一応(どこまでかわからんが)出ているということなので、
その辺のストリートチルドレンに比べたらまだマシな環境ではあるかも知れないが、
一応「小さい頃からひとりで暮らして来た」
ということである。
音楽が好き、日本が好き、
カタコトの日本語も喋れる。
どこで覚えたのか、
「ジョーダンハカオダケニシロ!」
(笑)・・・そして
「ワタシハアキハバラガスキデス!」
は、彼がどうして「タカシ」という日本名を自分で付けて、カタコトでも日本語を話せるのかを物語っている・・・
「わかった!!とりあえず金曜日のレコーディングにはお前も来い!!色々手伝ってくれたらギャラ10ドルやろう!!」
と言ってみたものの、次の金曜日まではまだ5日もあるのだ。
今日のギャラとしてとりあえず10ドルは渡したが、10ドルなんて3日で消えてしまうのだ・・・
それから彼と別れて家でレコーディングのこととかをネットで詰めていたのだが、
(その話はまた後のブログで)
ちょっと気になって彼にメッセージを送ってみた。
「メシ食ったか?まだなら一緒に食いに行くか?」
彼は喜んで飛んで来た。
「何でもお前の好きなもんを食え!!」
しかし彼が選んだ店は、決して高くないが非常に旨いローカルのクメール料理屋・・・
ビールも散々飲ませて、二人で20ドルだったら、まあその辺の日本料理屋よりはやはり安い・・・
まあ私自身も今まで食ったことがなかったローカルの鍋(なのか焼肉なのかようわからん笑)をしこたま食って飲んで20ドルならまあ奢ってやるには安いディナーである。
その辺がまた彼の好感度である。
行ったことはないが、お姉ちゃん持ち帰りして何か食事と言ったら「寿司」とか言い出すかも知れない(笑)
「わかった!!明日から昼飯時と晩飯時に俺んとこに来い!!ローカルの美味しいメシを買って来てくれ!!お前の分と俺の分な!!だったら金曜日までお前は飢えることはない」
私にとっても「今日は何食おうか・・・」となった時、
「じゃあ日本食!!」となるより、いくらカンボジアが他の東南アジア諸国より高いと言っても確実に安いのである!!
しかも地元民が選んで来るものは私ら外国人が選ぶより確実に安くて旨い!!
まあ次の金曜日まではそのシステムでメシだけ食わせてやるとして、
金曜日はちと働いてもらうのでまた10ドルあげて、
後のことは次の金曜日に相談しよう・・・
と思ってたら、そのレストランにひとりの物もらいがやって来た。
(写真自粛)
いや、物もらい自体は東南アジアではよくあることなのだが、
私がびっくりしたのはその青年・・・20歳ぐらいか・・・の身なりが非常にちゃんとしてたことである。
タカシもいくら食うに困っているとは言え、まあオシャレではないにしろ身なりはちゃんとしている。
それと同じような感じの物もらいがテーブルに来る。
見ればビニール袋に野菜が少々入っている。
東南アジアではフルーツとか私の好きなウズラの卵とかを売りに来る少年とかがよくいるのでそれかと思ったら、
彼は客席を廻ってその残飯をもらっているのだ!(◎_◎;)
もう綺麗に食い終わった後だったので野菜もなかったが、
そう伝えると彼は今度は私らのテーブルのゴミ箱をあさる!(◎_◎;)
そのビニール袋の野菜もきっとそうやってゴミ箱から集めたものかも知れない・・・
「おいおいおい!!やめろよ!!このご時世にゴミ箱はコロナが危険だぞ!!」
ここカンボジアは中国と同じく、ビールとかは何本かまとめてテーブルに来て、
飲んだ分だけお勘定というシステムらしく、ビールを一本彼に渡すと、
今度は店の人は「彼はビールは飲まないから」とそれを止める。
ジュースも同様にあるのでそれを渡すと、
それはありがたく頂いて次のテーブルに移る・・・
店の人も一緒に移動するのだが、
日本と違って「店にとって迷惑だ!!」とばかり追い出すそぶりはない。
見た感じ「残飯はやめなさい!!今はコロナで危険だからね」
とでも言う感じで彼の背中を押して優しく外へと誘導する。
そう言えば聞いたことがある。
この国はポルポトによって破壊し尽くされて、
だから困った人を見ると「明日は我が身」、みんな助け合うんですと・・・
でも犯罪は多い。
リトルギャング達は今日もあの手この手を考えて、
引ったくりや銃を使ったホールドアップ、あらゆる手法で「持つ者」から少しばかりの富を奪い取ってゆく・・・
またちょうど今日、タカシと待ち合わせをしている時に、
本職のゴミ箱をあさって暮らしている老人を見た。
(写真自粛)
うちの前のゴミ箱をあさって、空き缶とか金目のゴミを自転車の後ろに拾い上げた後に、
その老人は自転車のハンドルにぶら下げているビニール袋の中の水で・・・
一生懸命手を洗った!!
コロナがこれだけ蔓延している社会で、ゴミをあさるほど危険なことはない・・・
老人もそれを知っているのだろう、でも石鹸はない。
「おじいさん、石鹸で洗わなきゃ意味ないですよ・・・」
そう言いたかったが、私がメールの着信を受けてる間にもう洗い終えてどっかに行ってしまった・・・
この国でも、他の東南アジア諸国でも、
コロナによってよかったことは、「下痢」の患者が減ったことであると聞く・・・
なるほど、この老人も昔は手など洗ったことはなかったのかも知れない・・・
今日は別れ際、タカシにマスクとアルコール消毒液を渡した。
「とにかく清潔にしろ!!それが俺と付き合う条件だ・・・」
でも私は彼と別れた後に考えた・・・
タカシのように「カップラーメンを恵んで下さい」と言ってかろうじて犯罪は犯してないヤツ・・・
飲食店のゴミはあさっているが辛うじて犯罪は犯してないヤツ・・・
あの老人のように一生犯罪は犯さずに世界でも底辺であろうこの生活をして生きて来た人・・・
それらの人と、リトルギャング等犯罪で食ってる奴ら・・・
この「一線を超える」というのはどこに「線」があるのだろう、と・・・
こんなことも想像した。
タカシが数年後いい服を来て私のところに来てこんなことを言った。
「Funkyさん、あの時は本当にお世話になりました!!私はもうお金持ちになりましたんで恩返しをしたい。どうか私に高級寿司を奢らせて下さい!!」
そして私は彼に聞く・・・「お前今何やってんの?」
「はい、僕は今、バカな外国人を騙して大金を稼いでます。奴らはバカだし、騙される方が悪いと思います」
・・・もしかしてそんなことを聞いた私は嬉しいだろうか・・・
「世界は平等に出来ていない!!」
これはKISSのジーンシモンズが言った言葉である。
ユダヤの母親が迫害されていることが幼児体験だった彼が持つ人生観である。
でも彼は「真っ当な」ビジネスをして(それがロックの商業化を進めた罪悪であるという理論は置いといて)、彼はこうして世界でも大成功した。
でもそんな人間は世界の中ではほんの一握りである。
今日レストランのゴミをあさっていた青年が、数十年後にあの老人のように手を水で洗いながら家庭ゴミをあさっているのか、もしくはギャングになって巨万の富を得ているのか、二度と会うことはないであろう彼の未来は私には計り知れない・・・
でもタカシという・・・ひょんなことから知り合ったこの全く食えない音楽好きの、日本大好きなこの男が・・・
もしも毎日メシを食わせてやるだけで少しは真っ当な生活が出来るんだとしたら・・・
かく言う私も失業者の身なのでそんなに金はない。
でも中国のレコーディングの仕事はボチボチ始まって来ている・・・
中国が外からの流入制限を解除したとしたら・・・
別に私はこうしてカンボジアにいる必要はない。
仕事がある国が私にとっていい国なのである・・・
真っ先に中国に帰って別の生活を始めるだろう・・・
でも今は違う・・・
私は現状中国にも、そして日本にも戻れない・・・
それこそカンボジアを今出国してしまったらもう入国制限が始まったカンボジアにも戻れない・・・
「あなたは日本人なんだからそれでも日本に戻って来たらいいんじゃないですか?」
そんな声も聞こえて来る・・・
しかし今、この食えない日本好きなライブハウスの店員が、
何とかここカンボジアでもちゃんとドラムがレコーディング出来るスタジオを探して来た・・・
もしここでドラムがちゃんとレコーディング出来るなら、
別に中国や日本じゃなくてもここでレコーディングすればいい。
こいつに毎食メシを食わせるだけでも私には「金」が必要なのだ!!
ここカンボジアで1ドルでもいい!!金を稼ぎたい・・・
幸いなことに私自身はそんなに犯罪に身を染めなくても金を稼げる道はある。
ここプノンペンでも助けてくれる人はたくさんいるし、
中国ではきっともっともっといることだろう・・・
私自身が彼を助けてあげれる人間にならなくてどうする!!
そんなことを思っている今日この頃である・・・
しかし、私の死んだ母は私にこう言ったことがある。
「あんたは人を信じ過ぎる!!人はそんなにいい人ばかりではない!!」
高校生で反抗期だった私は猛反発して、
「俺の友達は絶対に俺を裏切らない!!あんたの考えは汚れている!!そんな考えを俺は一番軽蔑する!!」
母は・・・泣いた・・・「あんたにもいつかわかる時が来る・・・」
そしてその生意気な子供はもう60歳になった・・・
母の言うように数え切れないほど人に騙された。
でも私は後悔していない。
「もっとうまくやれれば俺はもっと成功してた」
それは全ての人間が思うことである。
私は母の教えを守ることなく、
本当だったら失わなくてもいい金をいっぱい失った。
金だけではない。友情だって人間だって失った。
「その人があんたの金を盗むのは、あんたがそう仕向けてるんですよ」
この年になって、母の教えは本当に心に染みる・・・
私はタカシに日々のメシぐらいは食わせてやろうと思っている。
それは後にタカシが別の私が悲しむ人生を歩むぐらいだったらと思う自分の「わがまま」である。
それによってタカシは私から金をせびる手法を学んでゆく・・・
いつかある日、信じてた人が自分から身包みはいでゆく・・・
そんなことは私ごときの人生でも何度かあった・・・
でも私が彼にメシを食わせてやらなければ、彼はどうやって生きてゆく?・・・
ただでさえクメール正月間近の犯罪が一番多い時期・・・
その上にコロナによって身なりのいい若者までがレストランのゴミ箱をあさっている・・・
今日、タカシを初めて私の部屋に上げた。
金目のものはそんなにないにしても、このパソコンはある。
その他、売れば少々の金になるものがあると彼が思ったとしてもそれは仕方がない。
これ以上食い詰めて、いつか私をナイフで刺して、
その代償がこのパソコン20万円程度であったとしたら、
私の人生は高々20万円であったということである。
まあ次の金曜日までにゆっくり考えてみるが、
それまではタカシに3度とは言わんが2度のメシぐらいは食わせてやろうと思う。
親しい仲にも礼儀あり!!
母が私に言いたかったことは実はこれだったのでは?・・・
そんなことが母が死んだ後にやっとわかるようなバカ息子である(涙)
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2020年3月21日
ファンキー末吉の子育て奮闘記inカンボジア(?)
いや、こんなタイトルを付けると、娘から
「パパはカンボジアでまた弟か妹か作ったん?!(◎_◎;)」
と突っ込まれそうだが、
実は今日は西村さん御一家をうちに招待してバーベキュー(和佐田かい!!笑)してて、まあ酒の上での話だが、西村さんとこのお子さんを時々預かってくれないかみたいな話になったのだ。
カンボジアもコロナで学校が休校になったのでみんな困ってるんですと・・・
そりゃ西村さんとこも奥さんはバリバリ働いてるから大変やわのう・・・
「どうせヒマやしええですよ〜(笑)」
(注:前述の英語学校は月水金の朝6時から)
西村さんとこには二人のお子さんがいて、ひとりはもう小学校なので手がかからないなぁと思ってたら弟のこーめい君?!(◎_◎;)
あーたこの前までお母さんのお腹ん中におったやん!!
もう会うたびに大きくなってるなぁとは思ってたけど基本まだまだ赤ちゃんやん!(◎_◎;)
まあ手のかからん子やったら逆に預ける必要はないし、手がかかるから預けたいんやからな・・・(納得)
まあこう見えてもワシは3人の子供を立派に育て上げた父親なわけやからな、オムツぐらいなら替えられるぞ!!・・・とか言ってると
「あんたが育てたんやない!!嫁と母が育てたんや!!」
と周りからのキツい突っ込み・・・(>_<)
そしてその育てられたはずの娘からも
「パパには育てられた覚えがないなぁ・・・」
(>_<)
まあこの程度の話になりますが、もしそれでもよろしければ、昼の間はべったり見ときますよ〜ヒマやし(笑)
あとカンボジア在住の奥様方、ひとり看るのも二人看るのも同じなんで困ってらっしゃる方がおられるならご遠慮なく言って下さい〜
大きなお子さんならドラムも教えますよ〜(笑)
プロじゃないのでお金なんか要りません〜
お子さん迎えに来る時にバーベキュー(和佐田かい!!)の食材持って来て下さい〜一緒に焼いて飲みましょう!!
ステーキが好きです!!あとワインも・・・ってその方が高いやん!!(笑)
まあホンマに預かりだしたら、なんか猫預けたら写真撮ってレポートを飼い主に送るサービスがあるらしいけど、このブログシリーズではお子さんとの交流記をアップしたいな・・・
こーめい君と私20200320・・・とか(笑)
ファンキー末吉の子育て(?)奮闘記その1!!
いや、決して「育ててる」わけではないし(笑)
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2020年3月17日
日本のライブキャンセルを受けて
昨日付の発表でX.Y.Z.→Aのツアーが延期となった。
その他、予定されていたナッキーのライブも延期!!
その他のライブも、考えるところあってこちらからキャンセルをお願いした。
何せ現在世界有数の感染国となった日本に一度入国などしてしまえば、
他の国に行こうにも入れてくれない、もしくは入った途端に14日間隔離されてしまうことにもなりかねないのだ・・・(>_<)
中国で4月から予定されていた布衣のツアーも6月に延期になったようだ・・・
つまりワシは6月まで無職!!・・・失業者である(笑)
まあ日本にもコロナの影響で職を失った人も多かろう・・・
中国でも多い。だが概ね悲観的に捉える日本人よりも、中国人の方が楽観的に捉えているように見える。
中国ではお上が「ならぬ!」と言ってイベントが潰されるなど日常茶飯事だったので、
「またか・・・没办法(しゃーないなぁ〜・・・)」
と言って諦めるしかないというのが現実。
今更それをどうこう考えたり言ったりしても始まらないという根本の考えがあるのだ。
日本の場合「自粛」なので私なんかはここにストレスがある。
天皇崩御で爆風スランプの武道館がキャンセルになったり、
3・11の時の自粛ムードで世の中からの「自粛強制」みたいな無言の圧力なんかも私に取っては受不了(受け入れられない)なセンスである。
中国みたいに「これは禁止!」と線を引いてくれれば楽なのに、
そうすると風当たりを受けてしまうからかわざとこうしてぼやかせてしまう・・・
これが一番私には难受(受け入れ難い)
まあこれも民主国家あるあるで没办法(しゃーないなぁ〜・・・)、
私はちょうど2月11日からカンボジアに来て、陸路でタイに行ってみたり、
縁があってネパールまで行って来た。
ブログ記事:療養の旅・・・ネパールへ?(笑)、初ネパール!!、ネパールの孤児院、セッション三昧、さよならネパール
どうしてこんなことになるかと言うと、
老い先短いこの人生、まだまだ行ったことのない国がたくさんある!!
見たことのない世界、会うべくして会ったことがない人たちがたくさんいる!!
だからこれはチャンスなのだ!!コロナがくれたチャンスなのだ!!
そう考えるからである。
しかし娘が心配してメッセージをよこす。
「パパ、あんまりSNSでそんなこと書かん方がええよ、日本は今自粛ムードで心もいっぱいいっぱいですぐに攻撃して来る人も多いから・・・」
これやから日本嫌い!(>_<)
ワシは何も危険なところに行って菌をもらって来て撒き散らしているわけではない!!
むしろ日本に比べたら遥かに安全なところばかり・・・
などと思っていたらダナンで感染者が出た!(>_<)
この時にちょっと「想像コロナ(笑)」になってしまい、
たかだか2名の感染者が出ただけでこんなにしんどいのに・・・
今日本にいる人たちは大変やな・・・
と本当に心から同情した。
そそくさとカンボジアはプノンペンに帰り着いたら、プノンペンでも感染者が出たとか・・・(>_<)
もうね、世界中でもう安全なところはないの?・・・(涙)
もう今となっては日本にも帰れず中国にも帰れず、
せっかく部屋を借りているんだからしばらくカンボジアでじっとしてますか・・・
などと思ったら、カンボジア在住の西村さんが面白いことを言う・・・
「ファンキーさん、そしたら学校行ったらどうですか?」
!(◎_◎;)
事の始まりはこうである。
「私はねぇ・・・コンプレックスが2つだけあって、ひとつは音楽教育を受けたことがないこと。これはJazz理論を死ぬ気で勉強したので何とか克服したんですが、あとは語学ですねぇ・・・中国語を話せると言っても一度も専門の教育を受けたことがないので、語学に対しては常にコンプレックスがあるんです」
「いい学校ありますよ」
と言って紹介してくれた英語学校・・・ACE(清水かっ!!笑)
そしてクメール語のIFL・・・
クメール語?!(◎_◎;)
苦労して中国語を勉強して、こうして世界色んなところに行って土壇場で助かることがあるほど便利な言語である中国語に対して、同じぐらい一生懸命勉強して覚えてもカンボジアの1千万人ぐらいにしか通じないクメール語?・・・
英語はわかる!!こうして中国以外では英語で暮らしてるわけで、
この自分の英語のレベルの低さ(ってか途中で単語が中国語になってるやん(>_<))にはほどほどイヤになっとるので、そういう点でコンプレックスの払拭にはいいかも知れんが・・・
ここで西村さん、私の性格をよくわかってるのか、こんなことを言って私の心をくすぐる・・・
「何言ってんですか、そんなマイナーな言語を習得することこそがカッコいいんですって(笑)」
いや、まあ・・・(苦笑)・・・どうせヒマやからええけど・・・(笑)
とりあえずクメール語は最後に考えるとして、英語学校に行って来た!!
5ドル出して試験を受ける・・・
試験と言っても試験官がいるわけではなく、パソコンの並ぶ部屋でひとりでパソコンに向かって問題を解くのだ・・・
問題はけっこう難しかった・・・ってか試験なんか受けたの数十年ぶりやし〜
最初の方は虫食いの部分に前置詞やら単語を入れてゆくのだが、
最後の方は長い文章を読んで質問に答える・・・
無理!!(>_<)
ところが答えの例があって、そこにある単語と、文章にある単語を照らし合わせてゆくと、単語の意味はわからなくても何となく答えの単語は導かれて来るような・・・
こりゃ「語学」というよりは「パズル」である(笑)
一生懸命パズルを解いているうちに時間切れ!!すぐに結果が出る
Level6って高いん?低いん?・・・
まあ12で最高やということはまあまあか・・・(笑)
帰り道々自分が学校に通っている姿を想像する・・・
最初に中国に行った時、戯劇学院という学校の寮に泊まらせてもらってた。
授業も受けれるということで数日だけ受けた中国語の授業・・・
いきなり高老子という女性の先生の1番のお気に入りの生徒となった。
とても真面目で食い入るように授業を聞いて素晴らしい生徒なんですと!(◎_◎;)
いや、楽しかったんやな・・・
実際に学校行ってる時には勉強なんて嫌いでこんな職業についているわけで、
でも「趣味」でやってみると勉強って楽しい。
ちょうど中国の文化に興味を持っていろんな触れ合いの中で感じたこと、
こんな言葉を言われたのが自分にはとても大きかった・・・
「長い戦乱の歴史の中で、金や財産は人が根こそぎ奪っていってしまう。でも知識だけは奪われることはない。だから中国人は年老いても勉強をするんですよ」
と・・・
しゃーないなぁ〜・・・英語学校入学金払って来ますか・・・
クメール語・・・うーむ・・・
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2020年3月14日
ダナンから出られない(>_<)
なんでこんなことになるのかわけがわからない・・・
まずは一昨日ダナンに着いた夜の写真・・・
前回のブログでも書いたが、ファンキーはんと大村はんのライブでもお世話になった居酒屋「縁」の2号店が東屋ホテルダナンの8階にオープンした。
大将が握る寿司がこれまた旨い!!
聞けば毎日市場に行ってベトナムの魚を目利きして買って来るのだというから凄い!!
次の日の夜も結局ここ!!
今度は大将が1貫ずつ握ってくれる・・・
まるで串カツのコース料理みたいなもん!!
満腹になったという信号を送らない限り延々と握り続けてくれるのだ・・・
次の日、つまり今日には国外に出る!!
イギリス人のコロナ感染者が出て、400人以上が隔離されて今ダナンは大変なことになっているのだ・・・
飛行機は最終便にしたので、それまでビーチで仕事をする!!
ところが、今日はちょっと仕事にもビールにも気持ちが入らない。
現地のベトナム人がコロナに対してあまりにピリピリしてるので、
なんとなくその雰囲気が伝染してしまっているのだろう・・・
もうどこに行ってもコロナ、どこに行っても危険!!
気が付けば何となく身体が熱っぽい!(◎_◎;)
心なしか喉もイガイガして咳も出て来ているようだ・・・
もしここで空港の体温検査などに引っかかりでもしたら、
自分がそのまま14日間隔離されるのはまだしも、
ヘタして陽性にでもなってしまったら大将の店どころか東屋ホテルごと隔離されてしまう(>_<)
もう気が気でないのよ・・・
焦れば焦るほど心臓の鼓動は早くなり、もうまるで「病人」のようである・・・
早めに空港に行ってチェックイン!!
「この街をもう出るのだ」と思ったら気持ちが少々楽になる。
楽になってよくよく考えてみると、
そりゃ浜辺でずーっとごろごろして日焼けしてるんだから体温も上がるでしょうよ(笑)
毎日毎日ビールしこたま飲んでたら喉もイガイガするでしょうよ(>_<)
いや、今日本にいる人は大変やな、
毎日これのもっと大変な中で暮らしてるんやから相当のストレスやと思う・・・
ワシはもうコロナのたい国に行く!!
カンボジアは感染者はまだ数人だけ(ほんまか?)ということだが、
お隣のラオスはまだゼロだと言う!(◎_◎;)
まあその数字の信憑性はともかくとして、
WHOとかをはじめ、全ての諸外国はその国家の発表する数字に基づいて色んなことを判断するのだ。
とりあえず(国の発表では)比較的安全なカンボジアに帰る!!
ケップから思い付きでダナンまで来てるので、実はパンツの替えも持って来てない。
パンツが臭くなったら海パンを履いてパンツを洗う・・・そんな生活をしてるので、どこに行くにしても一度カンボジアに帰って荷物(パンツ)を取って来たいというのもある。
というわけで搭乗口の前でパソコンを開いて仕事をしていた・・・
ゲートが開いて搭乗が始まるが、
搭乗券をスキャンした途端にエラーが出た。
「あなたの乗る便はこれではありません!!」
!(◎_◎;)
んなことないがな!!自動発券機でこの搭乗券発券したからきっと印字した搭乗券が間違っているのだ・・・
アプリを開いてeチケットを見せる・・・
20時出発?!(◎_◎;)・・・もうとっくに出発してしもとるやん!(>_<)
最終便、最終便と思ってたから確かめもせずにこの便だと思ってたが、
私が押さえたチケットは、そのアプリで取れる最終便であって、
実際にはそれより遅い便があったということなのだ・・・
(>_<)
途方に暮れてY社長にメッセージを送る・・・
大笑いされて「じゃあ東屋に集合しますか!!」
というわけで3日連続東屋!!!
あいにく大将は今日はいないが、弟子の握る寿司もなかなかのもの・・・
おかわり!!
そこでY社長から「嬉しい情報」とやらを聞く・・・
「陽性で隔離されたイギリス人ですが、その後陰性になって、もうイギリスに帰国したそうですよ」
つまりダナンはここから収束に向かう可能性が高い。
とにかくそのイギリス人と接触した人間をその日のうちに400人以上隔離しているのだ。
他に発症者が出なければ、あとはその隔離した中で収束すればそれで終わる・・・
やっぱこういう時一党独裁は強いな・・・日本だとそうはいかんやろうな・・・
そこで私は考える・・・
運命論者みたいではあるが、
「コロナでストレス溜まるからここ早く出たい!」
「出ようと思ったら飛行機に乗れんかった」
「コロナが収束するかも・・・」
こりゃ神様が「ここから出るな」と言ってるのではないか・・・
「もうずっとダナンにいたらいいじゃないですか。安いホテルをマンスリーで借りてあげますよ」
とY社長・・・
「いや、もう明日朝一番の便を取ってますから・・・」
「何時の便ですか?」
「朝7時」
「そりゃ乗れんでしょ(笑)」
!(◎_◎;)
いや、乗るし・・・いや、乗らんでもええか・・・どうせ日本円で2000円ぐらいのチケットやし・・・
いかんいかん!!そんなことを考えるから、
「残りたい」→「飛行機乗り遅れ」
みたいなことが起こるのだ!!
「残りたい」→「明日寝坊」
みたいなことが起こらないとは限らない。
これは今日は深酒せずに
「神はどうして今日私をここに残らせたのか」
ということを真剣に考えてみたい・・・
そんな話をしてたらY社長・・・
「なんで帰れんかったか、そんなん簡単ですよ。アホして飛行機乗り遅れたからですよ(笑)」
(>_<)
大丈夫!!5時と5時半に目覚ましかけた!!
「そんな時に限って充電出来てなくって朝になったら電池切れてたりするんですよ(笑)」
(>_<)
暗示かっ!!
もうね、一生この街から出れんような気がして来だした・・・(>_<)
「そいじゃあ明日もまたここで待ってますから!!」
いや、4日連続はいかんやろ・・・(>_<)
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2020年3月13日
ダナンでもコロナが・・・
ダナンにはY社長がいる。
行けばメシぐらいは奢ってくれるかも知れない(笑)
・・・というわけでダナンにやって来た!!
ところが、
「実は数日前にダナンで感染者が出たんです」
聞けば元Y社長のマンション、現K社員のマンションの向かいのホテルからイギリス人の感染者が出たということだ。
当然ホテルは従業員も全て隔離、携帯を買ったというその隣の携帯ショップと、コーヒーを飲んだというカフェの人間も隔離、更にはその携帯ショップやカフェのチェーン店全部を営業停止という有様!(◎_◎;)
さすが共産党の一党独裁国家・・・
なんじゃかんじゃで400人を越える人間が既に隔離されていると言う・・・
感染元はイタリアから来たイギリス人ということで、欧米人の行きそうなところから、そこから感染したかも知れない現地民の行きそうなところと言うと、もはやどこも安全なところなどないように思える。
「じゃあ東屋ホテルの露天風呂で会いましょう!!」
日本人しかいない、いやそれも今ではもう数少ない日本のホテルが、今やダナンで一番安全なところなのだ(笑)
露天風呂・・・オープンエアのこんな場所が一番安全!!
東屋ホテル屋上露天風呂なう - Spherical Image - RICOH THETA
前回ライブをやらせて頂いた居酒屋「縁」の土橋さんは、実はこの東屋ホテル8階のレストラン「満天」を買い取って今では2号店となっている。
歓迎の意味で焼酎のボトルも用意してくれていた!(◎_◎;)
Y社長にはしこたま日本食をご馳走してくれた。
もうひと月日本に帰ってないので嬉しいのよ〜(涙)
飲みながら話していたのだが、
ダナンからラオスまでバスで行けるらしい・・・
このご時世、国境が封鎖されている可能性もあるが、
調べてくれて切符を買ってくれるらしい・・・
初ラオス!!\(^o^)/・・・しかも感染者ゼロ!!(ほんまかいな)
翌日は浜辺で仕事しながら連絡を待つ!!
やっぱ一番安全なのはやはりオープンエアーの局地!!海やな・・・
遊んでるんちゃうで〜ノマドよ!!テレワークよ!! - Spherical Image - RICOH THETA
気晴らしよ〜仕事の合間にちょっとざぶんとしてるだけよ〜 - Spherical Image - RICOH THETA
LogicとProtoolsさえ動けばどんな所でだって仕事は出来るのです!! - Spherical Image - RICOH THETA
カンボジアのケップから、ふと思い立ってここまでやって来たので、ほんと着の身着のまま、パンツの替えはもって来てないが、最低限仕事の出来るだけの機材は持って来ている(笑)
そんな中、中国は寧夏回族自治区に籠もっているLaoWuから連絡が来た。
「週末にはレコーディング開始するよ〜」
スタジオのあるショッピングモールが閉鎖されていたと言うが、
もう中国は収束に向かっているのか?!(◎_◎;)
それに比べてベトナムは「今から」である。
Y社長から連絡が来て、ベトナムからラオスの陸路は外国人は渡れなくなったらしい(>_<)
ベトナムへの陸路の入国も日本人は断られたというニュースも入って来た。
日本のパスポートは30日以内に一度入国している人以外は基本的にノービザで入国出来ることになっているが、それも怪しくなっているという噂である。
アライバルVISAを申請して空港で受け取るというのも取れない可能性があるという話・・・
さすが一党独裁・・・日本と違ってやることがキツい(>_<)
でもね、一番困るのは、飛行機でこの国に入った時、
その飛行機に感染が疑わしい人が出た場合、乗客の全てが14日間隔離されてしまうのだ・・・
このままダナンにいたら、どっかで感染者と接触してたとかで巻き込まれて隔離される可能性もあるのではないか・・・
ベトナム怖い・・・朝日を拝んだらさっさとまた別の国に行こう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:01:21 | 固定リンク
2020年3月11日
居酒屋勝ベトナム店で現金ゲット!!
フーコック島の楽園でカクテルを飲み過ぎて有り金ほとんど使い果たしてしまって、
「そうだ!!居酒屋勝に行こう!!」
と思い立ったら早い!!
フーコック島から一番安く行ける居酒屋勝を探す・・・
まあ距離的にはバンコクかホーチミンなのだが、
やっぱ行くのに交通費が安いのはやっぱホーチミンである。
陸路という選択肢もあるが、
また船着場まで1000円のタクシーに乗って、
船代老人割引で1000円、
そこから8時間のバスで2000円強・・・
ところが、いつも中国のアプリでチケットを取っている私だが、
フーコック島からホーチミンまではそのアプリでは188元、
つまり3000円以内でチケットが取れるのだ・・・
コロナで大打撃の中国の旅行会社ならではの値段かも知れない・・・
昼過ぎにホーチミンに着いて空港からバスに乗る・・・
さすが公共交通機関が発達している街は助かる。
市内まで100円、そこから中年バックパッカーは30分歩く!!
そしてたどり着いた居酒屋勝!!
勝手知ったる被告勝山の店である(笑)
従業員は笑顔で迎えてくれて、
「何を飲みますか?」
と言ってくれるのだが、
まずはひとりで飲むのか人を呼び集めるのかで勝手は違う・・・
こんなご時世だから呼び出しても来てくれないかも知れないが、
一応「ホーチミンの末吉の友達」というグループにメッセージを送ってみる・・・
こんなご時世だから無理して集まってくれなくてもいい。
ヒマな人が集まってくれるなら、私もその人と飲むモードになろう・・・
・・・と思ってたら、なんとこのご時世に4人もの人間が集まってくれた!!(◎_◎;)
まずは日本でも滅多に食えない熊本産の馬刺を皮切りに、
スタッフが長崎で釣って密輸(知らんけど(笑))して来たイカの姿刺し!!
もうね、涙が出るぐらい旨いわ!(涙)
ゲソは刺身にするか天ぷらにするか聞いて来るので迷わず天ぷら!!
ちなみにお勘定は、私の分は店が出すから、
友達の分は割り勘でもらってくれということなのでみんなから現金を集める・・・
そこでいいことを思い付いた!!
居酒屋勝はクレジットカードが使えるので、
そのお勘定は私がカード決済して払って、
その現金を私がもらえば、底をついた私の財布に現金が蘇るではないか!!
但し、忘れてはいけません!!
この金は決して稼いだものではない、来月にはこの支払いが日本で発生するのである・・・
が、パパは無職なので金はない!!娘よあとは頼んだ!!どろん・・・
さて懐も暖かくなったので(笑)、いそいそとダナンまでの切符を取る。
1000kmの距離を飛んで118元(1800円)!!
バスより安い!(笑)
「ホーチミンに数泊とかしていけばいいのに」
と言われるが、海がないのよ〜海があるとこに行きたいのよ〜
などと言ってたら、
「ホーチミンも車で2時間走ったら海がありますよ」
!(◎_◎;)
ブンタウというところで「ホーチミンの熱海(笑)」と言われてるところらしい・・・
では週末にはダナンから帰って来るのでみんなで週末遊びに行きましょう〜
というわけでこの日はお開き!!
「泊まりは寮がありますんでそこに泊まって下さい」
と言われてたので、スタッフのごうしにバイクで送ってもらって「寮」とやらへ・・・
何やら製麺所のような店舗のカギを開けて店舗を通って上に上がってゆく・・・
プノンペンの私の部屋が美容室の中を通って上に上がってゆくのと同じやな・・・
部屋に着いてみてびっくり!!これ・・・「寮」と言うよりは「倉庫」やな(笑)
「じゃあ末吉さん、ゆっくり寝て下さい。僕はちょっと店の工事とかあるので今日は帰って来ないと思います」
思えば工事とかを言い訳にして自分は店で寝て私ひとりにこの宿舎を提供したのかも知れない・・・
聞けば居酒屋勝ベトナム店は夜中の2時まで店やってるから、
そこから片付けして、朝の9時にはランチの仕込みに行って、
夜の営業までの間にシャワー浴びに帰って来るという生活らしい・・・
全世界の居酒屋勝は、それぞれにこんな素晴らしいスタッフがいるから営業出来ているのだ。
勝山は幸せもんじゃのう・・・
どうもご馳走さまでした!!
居酒屋勝チェーンの更なる発展をお祈り致します!!
コロナで潰れてたらワシが海外で露頭に迷う(>_<)
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2020年3月10日
ベトナム最後の楽園(?)フーコック島
カンボジアとの国境の街ハティエンから船に乗って1時間ちょい。
船は島の東側に着くのだがそこには何もない・・・
この島にはバスとかの公共交通機関がないのだ(>_<)
白タクやらバイタクやらが群がって来るので試しに値段を聞いてみたら、
バイクの後ろに乗って運ばれるだけで1000円!(◎_◎;)
船代と同じぐらいってあかんやろ(>_<)
とてもじゃないが失業中の中年バックパッカーにはそんな輩に払う金がない。
アジア全土でタクシーやバイタクを呼べるGrabアプリで呼んでみる・・・
バイタクだと数百円と出てはいるが、肝心のバイクがいない(>_<)
タクシーだとやはり1000円になるが、他に手段がないので呼んでみる・・・
この炎天下に2時間歩くわけにはいかんのでしゃーないなぁ〜・・・
ホテルはこのナイトマーケット近くに取った。
聞くところによるとこの辺が一番開けてて便利だということだ。
フーコックの第一印象は、「むっちゃ都会!(◎_◎;)」である。
海と蟹しかないケップから来たのでそのギャップは強烈である・・・
とりあえずベトナムコーヒー!!
このスタイルのコーヒーを置いてない店も多いので、
とりあえず写真を見せて注文するのだが、ナイトマーケットの中のカフェではあった!!
150円で、ダナンのおばちゃんとこの3倍はするが、まあ量も多いのでね・・・
その昔、ファンクラブ会報に「歩く速さで生きてゆきたい」と発言してファンならずも仲間内全てが驚愕の嵐に見舞われたそうだが、和佐田の
「末吉の歩く速さは俺らの数倍速いからなぁ」
という発言で落ち着きを見せた(笑)。
今は「ベトナムコーヒーの落ちる速さで生きてゆきたい」と言っているが、
このコーヒーは速く落ち過ぎると味が薄くなるので、
ゆっくり濃いコーヒーが出るように生きてゆこうと気をつけている・・・
一応頚椎症性神経根症を療養する旅であるのだからマッサージでもしようかと思ったが、60分のボディーマッサージが2000円超え!(◎_◎;)
バンコクの4倍以上である(>_<)
この街は物価が高いんか?!・・・
ナイトマーケットには新鮮なシーフードが所狭しと並ぶが、
こんなところでシーフード食っていくら取られるやらわからんので、
店舗ではなく、軽食を焼いている屋台で座り込んでビール!!
ツマミはベトナム風具入り煎餅バンセオと春巻き、
それにつくねみたいなのを頼んでみる!!
これが結構美味くて、その辺のむっちゃ高いであろうシーフードレストランに吸い込まれてゆく観光客を見ながらちょっと優越感・・・(笑)
ビールとつくねをお代わりして、お勘定したら700円!(◎_◎;)
カンボジアとの国境の街ハティエンでは海鮮にビールで600円やったぞ・・・
まあフーコックはハティエンに比べたらはるかに都会やからなぁ・・・しゃーないなぁ〜・・・(>_<)
(注:犬は本文とは直接関係ありません)
次の日はバイクを借りてビーチを探す!!
この近所のビーチは、地元民が泳ぎに来る小さなビーチはあるが、
20km続くというロングビーチとやらに行ってみたい・・・
午前中バイクで走り回ってやっと見つけたこのビーチ!!!
これよこれこれ!!
これがなかったらこの街キライになるとこやった〜・・・
ネットなどでも「ベトナム最後の楽園」と書かれるが、
例えばちょっと覗いてみた近所の高級ホテル・・・
プライベートビーチもあって確かに楽園っぽい・・・
しかしこれは「金のある者」だけの楽園であって、
ワシのような失業中の中年バックパッカーにはとてもじゃないが手が出ない(>_<)
地獄の沙汰も金次第と言うが、楽園とは金持ちのためにだけあるとしたらそれはもう楽園ではない、単なる「商品」ではないか!!
とか考えながら、楽園を堪能・・・
チェアー代750円、あとはカクテルなどを頼んで夕方までごろごろ(一応ネットで仕事もしています)・・・
夕方になるとサンセットを見に地元民やら観光客やらが・・・
夕陽はタダ!!誰でもタダで拝むことが出来る!!
そうですとも!!これでこそ楽園!!
朝は近所で人気の麺屋で絶品の麺を食って〜
海の見えるカフェでコーヒーが落ちるのをゆっくり眺め・・・
浜辺のカフェでベトナムコーヒーを召す - Spherical Image - RICOH THETA
ふと気がついた!!持ち金がもう1万円切っとるやないの!!!(◎_◎;)
楽園でカクテルを飲み過ぎたのか・・・(>_<)
どうする?!野垂れ死ぬのか?!!!・・・
そうだ!!居酒屋勝に行こう!!
全世界に展開する居酒屋勝チェーン!!
どっかに辿り着けばとりあえず飯と酒と泊まるところにはありつけるぞ・・・
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2020年3月 9日
カンボジアのケップからベトナムのフーコック島へ
ケップに来たのはもう3回目!
前回は中国からやって来た張張(Zhang Zhang)と、日本からやって来たよーしーずを労うためにご招待し、その前はその下見にレンタカー借りて来てみたのである。
はっきり言ってむっちゃお気に入り!!
「海とカニ以外何もないやん!!」
と人は言うけれど、ショッピングモールもなければ髪の毛洗おうにもバイク借りて美容院に走らねばならない不便さはあるものの、何よりも物価が安い!!
老後に引退して余生を暮らすなら海があって物価が安いところがいいなとは漠然と思ってはいるものの、まあここも数年経てば中国人がカジノばんばんぶっ建ててシアヌークビルみたいになってしまうのだろう・・・
今回はVISAランのために北京から田端翔くん、そして雲南省大理から山口さんがやって来るということで、二人をご招待してまたケップまでやって来た!!
(と言ってもプノンペンからバスで7ドルなのだが(笑))
さて、ここでカニ食ったり、
ビーチでごろごろしてたりして思ったのだが、
向かいに見えるあの大きな島・・・
聞けばあれはベトナム領のフーコック島らしいではないか・・・
かつて「ベトナム最後の楽園」と言われた島・・・行ってみたいのう〜
というわけで、翔くんと山口さんを先に帰してひとりベトナムへと向かった!!
陸路で国境越えではあるが、まあここから20数キロの距離である。
バスに乗って出発!!
見事に白人バックパッカーばっか!(笑)
国境に着いてパスポートコントロール!!
写真撮れないので口頭で説明するが、一言で言うと「緊張感がない」というか、国境のゲートは両国の国民がバイクで平気で行き来しとる(笑)
むっちゃ簡単なデスクで簡単にパスポート調べて指紋と写真撮ったら「あっち行け!」!(◎_◎;)
「あっち」ってすなわちベトナムなんですけど(笑)
しゃーないなぁ〜・・・私と白人カップルの3人は歩いて国境越え〜ベトナム側のこれまた簡単な窓口で入国審査・・・っつうかパスポート出してあーだこーだ言われる(>_<)
「このスタンプはどこのだ?!ネパール?」
うーむ・・・書類やネットを調べることもなくわ「ネパールってコロナどないなん?」みたいな・・・(笑)
「このパスポートは日本のパスポートなのに何で日本出国のスタンプがないんだ?」
いや、日本は自動ゲートでスタンプ押されんし(>_<)
「あの白人はVISAあるのにどうしてお前はVISAがない?!」
いや、日本人ベトナム入るのにVISA要らんし!(>_<)
さんざ色々聞かれて書類に記入さされて、「あっちに行け!」と・・・
「あっち」っつうたらついにベトナム入国ですな?!(笑)
と思ったら「Check in」というカウンターと「Check our」というカウンターが・・・
これで最終的にベトナム入国やなと思ったら、そのカウンターで「あっち行け!」
あっちって・・・またカンボジアなんですけど!(>_<)
つまりは入国拒否?!・・・何で?!!!!
まあ考えてみればわかりそうなものだ。
私とこの白人カップルはカンボジアの出国スタンプを押されてないのだ。
そりゃ絶対に押されてないだろう地元の農民たちはバイクで農作物バイクで山積みして行ったり来たりしているが、私はこのままフーコック島行って、そいでホーチミンまで行って、あわよくばダナンまで行こうとしている。
そこからまたプノンペンなり、日本でもよかろう、ベトナムを出国する時に、
「あんたまだカンボジア出国してませんよ」
となったらえらいことである。
戻ってやいのかいのと窓口のおっちゃんに捲し立てて、やっとスタンプを押してもらった・・・
なんで最初にこれを押さんの?!!(>_<)
まあ押さずに行き来してる地元民も多いので、
おっちゃん出来ることなら押さずにあっち行って、また何事も無かったようにこっちに帰って来て欲しいってか?(笑)
まあ兎にも角にも無事に出国してベトナム入国!!
ところが今度は、待ち構えているべきバス、つまり切符を取った旅行代理店の人間がいない・・・
どうやらこの3人はトラブっているのでほっとかれたに違いない(>_<)
一応歩いてボーダーを超えてみると何もない!(>_<)
交通機関もなければバス停やら何にもない(涙)
Grabを使ってタクシーを呼ぼうにもこんなとこまで誰も来てくれない・・・
この辺にたむろしているタクシーに声をかけたら街まで5ドル・・・
しゃーないなぁ〜・・・(>_<)
かくして初めて降り立ったベトナムのカンボジア国境の街ハティエン!!
漢字で書くと「河仙」、つまり仙人が住む河らしい・・・
FM千里の電話生出演があるので、それを出してからメシ!!
海鮮一品とビール2本で500円!!安い!!
ホテルをチェックアウトしてナイトマーケットとやらに行ってみた・・・
新鮮な海鮮が所狭しと並ぶが、Googleマップの下馬評では「高い」という評判だったが、海鮮選んで一皿500円!!ビールが100円!!
十分リーズナブルだと思うぞ・・・
歩いて帰れない距離ではなかったのだが、1日歩いて疲れていたので自転車力車に乗ってホテルまで〜
ちなみにこちらの自転車力車は電飾ぴかぴかオシャレだね〜!!
宿に帰ってみると、その辺は夜は一番賑やかなところで、
屋台がいっぱい出てたのでシメに麺を頼んでみた・・・
指差しで角煮の乗った麺を頼んだのだがこんなん来てむっちゃ旨くて100円!(◎_◎;)
この日はこれでゆっくり寝て・・・というつもりだったのだが、
朝早くにドアをドンドンと叩かれて叩き起こされる・・・
ベトナム水際はいい加減やけど、ホテルとかの検疫ちゃんとしてんのねぇ・・・
ホテルチェックアウトしていよいよベトナム最後の楽園フーコック島!!
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2020年2月26日
さよならネパール
6日間という長いようであっという間な旅も終わり、今日にはバンコクに帰る・・・
どうせ3月のX.Y.Z.→Aまでは日本にも中国にも帰らん(帰れん?)のやからもっと長く滞在してもいいのだが、物価・・・何よりもビール代が日本と変わらんほど高い(>_<)
あと気温がやっぱ低いな・・・年間通して10度〜20度ちょいという、人に言わせれば「過ごし易い気候」だとはいうものの、やはりタイとかカンボジアで過ごしてみると、その辺に住む人の「20度切ったら風邪ひく」という気持ちもわからんでもない。
泊まった辺りの「タメル地区」っつうのがまた良かった。
それ以外にも、Googleマップに騙されてひとりバイクでむっちゃ田舎を彷徨ったのも良かった〜
今にして思えば、何でこの美女に話しかけんかったんやろ(>_<)
こういうとこ日本人はシャイやからあかんな(笑)
実は観光が苦手な人間なのではあるが、途中帰り道に「ボダナート」とやらに寄ってみた。
昔バックバンドの仕事をやってた中国のアイドル歌手が敬虔な仏教徒で、私の書き込みを見て、
「あら、ネパールなの?仏教の聖地じゃない」
と言うのでちょっと見てみようと思ったのだ。
日本人は生まれた時や3歳5歳7歳には神社に行って拝み、
若い頃はクリスマスを祝い、
死ぬときは仏教(笑)
と言うが、やっぱ仏教からは一番大きな影響を受けているのか、
こうしてこんな仏教遺産を見ると経験な仏教徒になったような気がする(笑)
あと、洗髪でこんなに苦労するとは思わんかった〜
この街の美容室は圧倒的に男性客が多い!!
髪の毛を整えて、髭を整えて、ネパールの男性はほんとオシャレである。
ホテルチェックアウト前にまた洗髪に行ってみる・・・
シャンプー、コンディショナー、顔ぞりから美顔マッサージまでやってくれて1000円!!
どうしよう〜これ以上男前になったら〜(笑)
これ以上男前になったらみんな顔しか見てくれんでドラムなんか聞いてくれんかも〜
さてと、バンコクに戻るとするか・・・
Posted by ファンキー末吉 at:20:22 | 固定リンク
2020年2月25日
セッション三昧
私が投宿しているタメルという地域が、この街で一番の繁華街のようだ・・・
朝はこんなん〜
夜はこの雰囲気のままでライブ演奏があるバーがオープンする。
案内人であるDaWa君との待ち合わせ場所はここ!!
カトマンズで一番いいライブハウスらしい・・・
やっと会えた〜
中国寧夏回族自治区銀川で会った時は大高清美さんなんかと行った時で、
あれから銀川に4年、帰って来て2年という。
中国語も喋れるので助かる〜(笑)
早速ミュージシャン友達も紹介してくれる。
これ、助かるのよ〜飛び込みで「叩かせて」と言ってもハードル高いし〜
バンドの休憩時間になんかやらせてくれるということで、山野友佳子嬢と二人でセッション!!
いや〜助かるのよ〜世界各国でこのお膳立てを毎回自分でやるって大変なのよ〜やるけど(笑)
Jazz倶楽部が一軒だけあると言うので行ってみた・・・
もろJazzではなくフュージョンミュージックだがなかなか・・・
終了後に演者たちに「セッションしよう」と声をかけてみたが、
「10時までに演奏やめなきゃなんないんだ〜水曜日にまたやるからどうだい?」
水曜日にはもうバンコクに帰っとるのよ〜(涙)
案内人と別れてホテルに帰るも、ちと飲み足りないので先ほどのライブハウスに戻ってみる・・・
遅い時間は噂通り満席で、地元のバンドの演奏に客席大合唱!!
この時々2拍入ったり、民族音楽っつうか異国のポップスはこういうところが面白い!!
バンドのメンバーや従業員にも会釈されるし、
客には一緒に写真撮ってくれとせがまれたり、
これで酒でも奢ってくれれば言うことないのじゃが、
いかんせんネパールはビールや酒が高い(>_<)
ワインが500円越え、ビールでも大瓶だが500円近くいく・・・この日はそそくさと退散!!
翌日はネパール料理と民族音楽を楽しみ、
先日ちょっと覗いた生演奏をしてたライブハウスに入ってみる・・・
キーボードもあったのでまた山野友佳子嬢と飛び入り!!
この日案内人は来れないということでWeChatで報告を送ってみると・・・
「このライブハウスはあんましよくないよ、ShiShaっつうとこがいいから行ってみぃ〜あとRegae Bar」というので探してみると、この辺はもう隣とか向かいとかにライブバーが密集しており、全部歩いてハシゴ出来るので非常に便利である。
まず、すぐに看板を見つけたRegae Bar!!
だと思ったら違う店で、Regae Barはその更に上だと(>_<)
ここでしばらくライブを楽しんだ後、ShiSha Barへ!!
何?!このレベルの高さ!!!(◎_◎;)
聞けばネパール中のミュージシャンがリスペクトする大御所らしい・・・
迷わず頼み込んでセッション!!
いや〜「打てば響く」とはこのことで、
初対面の何も決めない演奏でお互いに音で「会話」しながら演奏が成り立つっつうのも、さすが国内最高峰のミュージシャンならではのセッションでした〜!!
演奏終了後はご飯までご馳走に〜
いっぱいミュージシャン仲間が出来た〜これでいつでもセッション出来るぞ〜
いざとなったらここでも食ってゆけるかも(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:16:42 | 固定リンク
ネパールの孤児院
カンボジアのくっくま孤児院には縁がありこんなプロジェクトもやっているのだが、別に孤児院が好きなわけでも子供が好きなわけでも何でもない(笑)
山野友佳子嬢がどこかに慰問してコンサートをやるというのでついて来たら、指定された場所に来てみたらそこがたまたま孤児院だったというわけだ。
子供たちが元気に遊んでいる。
ピアノのセッティング開始!!
くっくま孤児院には25人のお母さんである楠美和さんがいるが、
どうやらこの孤児院ではこのラマ僧が「お父さん」であるようだ・・・
別に子供好きじゃなくても、ネパールの子供はとても可愛いと思う。
特にインド系の子供が可愛いね。
さすが多民族国家・・・
ピアノのセッティングが出来た頃、遅れて山野友佳子嬢がやって来てコンサートスタート!!
子供たちもだんだん打ち解けて来て手拍子などで参加!!
そして歌!!
何と英語の歌が歌えるのね・・・
ドラムセットないけど参加して下さいと言われて空き缶と机を叩く!!(笑)
その後、孤児院にある楽器を持って来てくれて一緒に演奏・・・
これは民族楽器のひとつである手を使ってふいごで風を送るオルガン。
そしてみんなで踊りを踊ってくれた。
可愛いのだ〜
この子むっちゃ可愛い!!
そしてみんなで食事!!
この食事も地元のレストラン等からの支援を集めて山野友佳子嬢がここに持って来たものである。
最後に施設を見せてもらった・・・
印象としてはカンボジアと違って、気温が低いので着るものがたくさん必要で大変、もちろんその洗濯も・・・
素子t3え寝床もちゃんとしてないと凍えちゃうから大変よなぁ・・・
至るところに英語の貼り紙がある・・・
しかし外国の支援で成り立ってるならその組織名などの表示がありそうなものであるが、それが見当たらない。
聞いてみると、以前はスウェーデンだかの支援があったが、現在はない。
ネパール政府からの支援もなく、今後どうしてゆこうか困っていると・・・
バイクでこの場所を後にしてもその言葉が重くのしかかって、
ついつい引き返していくらかお金を置いて来た・・・
でもそんなはした金じゃあこの子供たち1日分の食費にもならないだろう。
かと言ってコロナ騒ぎで中国の仕事がない失業状態のおっさんには何もしてあげることが出来ない(>_<)
支援とは本当に難しい。
また「縁」が出来たわけだから、次にネパールに来ることがあったら、
また必ずここに来て、自分で出来ることなら何かやって帰りたい・・・
ああ、タイガーマスクみたいに大きなリングマネーの入る仕事をやりたい・・・(笑)
そう思った1日であった・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:31 | 固定リンク
初ネパール!!
この、バンコクでセッションした山野友佳子というピアニスト、
聞けばネパールに行くトランジットのためにバンコクにいると言うではないか・・・
うずうず・・・
ネパールは寧夏回族自治区銀川でのライブの時、
「ネパールはロックが盛んだよ!!是非おいでよ」
と言われていたので気にはなっていたのだ・・・
チケット代を調べてみたら、バンコクから往復2000元程度(3万円ぐらい)
コロナ騒ぎで中国で仕事がなく失業中の状態としては痛い出費ではあるが、
こんなチャンスでもなければ一生ネパールなんぞ行くことはないかも知れない・・・
というわけでポチリ!!!いざネパールへ〜!!
時差がどのぐらいあるのか知らんけどこりゃ想像よりも結構近いぞと思いきや、
飛べども飛べどもなかなか着かん(>_<)
6時間ほどしてやっと着陸準備・・・
写真を撮らなかったのが悔やまれるが、窓際だったので景色を見ると、
山あいの街かと思ったら広々と平野が広がっていて、
川など意外と水が多い印象であった・・・
時差はと調べてみると・・・
タイより1時間15分、日本からだと3時間15分って15分(笑)
気温は想像より暖かいようだ・・・
カトマンズの空港がある街はトンギというのかと思いつつ、
山野友佳子嬢との待ち合わせのレストランを検索すると、
位置情報が狂っているのか現在バングラディシュ????
携帯を再起動しても修正されず相変わらずバングラディッシュ!(◎_◎;)
そういえば乗客が誰ひとりとして降りようとしない・・・
これってネパールまで行って引き返してバングラディシュ????!!
いや、別にバングラディシュも行ったことないからここで降ろしてくれてもええけど(笑)
Twitterの情報によると・・・
2/21はシバ神君臨祭シバラトリでもあり、アーミーデイでもある。
カトマンズ市内トゥンディケル広場では兵士たちによる戦力披露のイベントが行われるのだが、日中ヘリを飛ばし飛行に影響が出る関係で、10:20~12:20までカトマンズ空港国内線・国際線ともに一時閉鎖になる予定だとか。
!(◎_◎;)・・・閉鎖されるなら普通飛ばんやろ(>_<)
まあ閉鎖が解けてるということで飛んでみたら、着いたらまだ封鎖されたままで、しゃーないなぁ〜・・・バングラディシュまで戻りまひょ!!ということなのであろう・・・
結局着いたのは夜中の12時。
空港でタクシーを拾ってホテルへ〜
街が暗い!!
早く寝るのね、この街・・・
飛行機の中にはビールがなく、着いたら何か食ってビールを飲もうと思ってたのに店も何もやってない(>_<)
繁華街と言われているところに出てみると、暗いながら人は出ているようだ・・・
そん中で見つけたBeer Bar!!
With Live Entertainmentなんて願ったり叶ったりやん!!
と思って入ろうとすると入り口には警官姿のガードマンが・・・
それがいきなり立ち上がって敬礼をし、ドアを開けてくれる!(◎_◎;)
いや、写真は撮れなかったが、ビキニを着たセクシーなお姉ちゃんが踊っているセクシーパブ・・・(>_<)
ミャンマーの巨大売春系キャバレーのように、きっと軍かなんかが管理しているのだろう・・・
こんなところでビール飲んだらいくら取られるやらわからんので早々に退散!!
近くの屋台みたいな店へ・・・
何とここ、奥がレストランになってて中で飲食出来るのよ〜!!
店のお兄ちゃんとも仲良くなって、以後ここに毎晩通うことになる(笑)
翌朝のこの辺の場所・・・
実はタメルと言って一番の繁華街だったのよねぇ〜
この近所のホテルで正解!!
6日間の初ネパールの旅が始まる・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:40 | 固定リンク
2020年2月18日
療養の旅・・・ネパールへ?(笑)
ほぼ休みなくTritonのツアーからファンキーはんと大村はんのツアーを1ヶ月以上廻り、
頚椎症性神経根症とやらを患ったので、悩んだ挙句やはり暖かい所へということで、とりあえずクレジットカードのボーナスポイントでカンボジアのプノンペンへと向かった。
そこで発覚!!アホなのか!!ワシはアホなのか!!!
何も考えずに取ったチケットが香港経由!(>_<)
カンボジアは緩いとしても、コロナ騒ぎによって他の国に行く時にこの渡航歴が影響するかも知れないので2万ポイント使ってキャンセル!!ホーチミン経由を取り直したのである・・・(涙)
とりあえず着いたその日は寝るだけ寝て、地元プノンペンで「ゴッドハンド」と呼ばれてる鍼灸師がいるというので訪ねてみた・・・
その後ついでに東屋ホテルのフットマッサージに行って療養初日は終了!!
治りそうな予感・・・
2日目は中国人SPA!!
やはり温めると肩に良い・・・
この日は部屋を追い出されるかもという騒ぎもあったが、
ぶっちしてそのまま夜バスでシャムリアップへ〜
安宿に泊まってSPAを検索してたら、何とカンボジア伝統医療に「チュポン」というのがあるらしく、試してみた!!
これ最高!!
1000円ぐらいしか違わないんだからこのホテルにすればよかった・・・と後悔しつつ、こんなカオスな場所で足裏マッサージ!!
そして夜にはハードロックカフェでドラムを叩く!!
曲がそんなにハードな曲ではないので「ひょっとして全快?」などと思ってしまうが、油断は大敵である・・・
陸路で国境越え〜4日目は1日かけて移動で終わる・・・
5日目は「湯の森温泉」に行って1日肩を温めていたが・・・
その後が濃ゆかった!!
まずは地元の日本人バンドのリハーサル見学!!
夜はタイ在住日本人バンドのリハがあると言うので見学に〜 叩かんよ〜見学よ〜(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
もちろん練習の邪魔をしては悪いので叩きはしない・・・
そしてみんなでメシ!!
中国にはもう当分行けないかもなので中華を堪能!!
在バンコクの日本人の皆様と中華なう!! 本場の中華はもう当分食いに行けんからなぁ・・・シミジミ - Spherical Image - RICOH THETA
なのだが、ここからJazzシンガーのミミさんと、「駐妻」こと多田ひとみさんが合流!!
ミミさん曰く、今日は夜中の12時からこちらの「渡辺貞夫」みたいなレジェンドサックス奏者のライブがあるらしい・・・
夜中の12時からって・・・(笑)
そしたら駐妻がすかさず、
「じゃあそれまでRock Pub行きましょうよ!!ドラム叩けるかも知れませんよ!!」
いや、別に無理して叩きたくはないのだが・・・(笑)
というわけで「Rock Pub」という名前のロックパブ!!
今やタイのメタルボーカルとしても名高い通称「駐妻」に連れられて、Rock Pubという名のロックパブ!!(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
駐妻は出演バンドや従業員とは顔見知りらしく、
あれやこれやという間にステージに上げられて歌を歌う・・・
この駐妻然としたルックスから目ぇ剥いてシャウトを繰り出す所が個人的には非常にツボなのだが、
あの中国ロックの創始者崔健(Cui Jian)もバンコクに来て彼女を歌を聞いて
「こいつは何者じゃ!!」
と驚いたという話である・・・
当然ながら私もステージに上げられてハイウェイスター!!
肩の具合をみるために、敢えて全力で叩いてみる・・・
やはり左肩を庇っているような動きがあり、イアンペイス系のドラムは無理だと判断し、途中からジョンボーナム、コージーパウウェル系に切り替える。
安易に治っているなどと過信するのは危険だということがわかった。
3月からのX.Y.Z.→Aのツアー、イアンペイス系がダメならジョンボーナム系でというわけにはいかない。
何せ「ファンキー末吉系」、しかもファンキー末吉が命がけで叩いて初めて叩けるドラムなのである・・・
過信せずに養生養生・・・
そして今度はJazzの老舗の店であるSaxophone Pub!!
次は老舗のJAZZ倶楽部!! pic.twitter.com/hy5G52aWN9
— FunkySueyoshi (@FunkySueyoshi) February 17, 2020
何度も何度もバンコクには来ているが、こんな店があったとは知らなかった・・・
しかもバンドはどのメンバーも非常にレベルが高い。
レジェンドと呼ばれるサックスの人は、言っちゃ悪いけど男前でもなくずんぐりむっくりなおっさん(失礼)、しかしその演奏を食い入るように聞きいる若者たち。
特に最前列の若い美女たちがまるでアイドルを見るようにJazzを聞いている姿に思わず目頭が熱くなった。
日本のJazz界にこんなシチュエーションあるか?
日本では美女は美女でそれにふさわしい(笑)流行音楽を追いかけ、
Jazzだメタルだは、やっぱそれを大好きであるマニアックな女性が追いかける。
ウィジュアル系ロックや、イケメン美人Jazzミュージシャンならともかく、
このずんぐりむっくりなおっさん(失礼)よ!!(笑)
このレジェンドは、若い美女が普通なら追っかけるであろうルックスとかの魅力ではなく(ホント度々失礼!!)、純粋に自分の音楽の力だけでこの美女たちをメロメロにしている。
そこに私は涙するのだ・・・
そもそもが、こんな真夜中のライブがこんな「普通の」若者たちで満席になるということ自体が凄いことではないか・・・
「ワシ・・・ここで箱バンする・・・」
ミミさんにそう言って困らせたりした・・・
ミミさんが呼び出されて歌った後、私も呼び出されてステージに上がる。
そしてドラムソロ!!
Jazzなら肩は全く大丈夫やな・・・(笑)
ドラム近影!!
そしてミミさんの知り合いの日本人ピアニスト!!
名を「山野友佳子」というらしい・・・
「あんたもバンコク住んでるの?」
と聞くと・・・
「いえ、トランジットで・・・明日にはネパールです」
ネパール?!(◎_◎;)
実は寧夏で知り合ったネパール人のバンドにこの時、
「ネパールにおいでよ!!一緒にツアーをしようと誘われてたのだ・・・
しかしその後カトマンズ大地震が起こり、この話は流れている・・・
聞けば彼女はネパールで1週間ほどツアーらしい・・・
行くのかワシ?追っかけてネパールまで行くのか?(笑)
こんなチャンスでもなければネパールなんて一生行くことないからなぁ・・・うーむ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:10:26 | 固定リンク
2020年1月 8日
続・カンボジアFunkyスタジオ計画
前回までのお話はこちら
北京のエンジニア方言(FangYan)がこのスケジュールしかないと言うので、先にカンボジアに送り込んで娘をアテンドに放り込んだ。
まず娘に方言(FangYan)を土井さんとこのカラオケ屋の3Fに連れてってもらい、スタジオとなる場所を下見させ、次のような指示を送っておく。
1、何でもいいから中国人のコネを探せ!!
2、そのコネを伝って、中国からの運送会社を探せ!!
3、音響機材、録音機材を売っているところ、壊れたら修理出来るところを探せ!!
4、防音、吸音に必要な材料を売っているところを探せ!!
5、概算でいいからそれぞれの予算を出せ!!
ところが待てど暮らせど、送って来る写真は次のようなもの・・・
思いっ切りプノンペンを満喫しとるやん!!(>_<)
まあよい、ワシが行ってから面と向かって話した方が早かろう・・・
というわけで着いてからメシ!!
次の日ホテルに集合して、店探し・・・
これがすぐ見つかるのな!(◎_◎;)
さすが200万人の人口に中国人が20万人いるというプノンペン・・・
(ちなみに日本人は3000人しかいない)
そしてこれがどの店も中国語が通じるのな!(◎_◎;)
というわけで右は見つけた音響機材屋さん(インターフェイスも売っている)
左はYamahaのスピーカーも売っている!(◎_◎;)
防音、吸音の資材を売っている店!!
中国最大の運送屋、中通もあった!!
もちろん完全中国語対応!!!(◎_◎;)
あとは運んだ方が安いか買った方が安いか・・・
ちなみに中国からの運輸は、一度広州で集荷して、そこからベトナム経由の陸路で運ぶらしい・・・
大きいものは大きさで料金を決め、重いものは重さで料金を決める(>_<)
そんな話をしてたら勝山が横槍を入れる。
「北京の機材って何キロぐらいあるんっすか?この前上海からベトナムに食材を4t運びましたけど・・・」
!(◎_◎;)
ドラムセットならバスドラの中にタムとか全部入れて飛行機の手荷物で運びましょうか・・・
!(◎_◎;)
お前は中国人より凄い!!
なんか「うまいこといくのかな」と心配ばかりしてたけど、こいつらがおったら全く大丈夫やな・・・(笑)
ついでに居酒屋勝プノンペン店も開いて欲しいものじゃ・・・
続編はこちら
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Posted by ファンキー末吉 at:18:27 | 固定リンク
2020年1月 2日
内臓と肛門の反乱
実のところ、どんだけ暴飲暴食をしてもお腹を壊さないというわけではない。
次の日に下痢をしたりはするが、「それがどうしたの?」という感じなだけなのだ。
下痢なんか、きばらなくても勝手に出てくれるんだから便秘に比べたら数段いい。
腹の中の悪いもん出してくれてんでしょ?お掃除してくれてるんならありがたいぐらいである。
今回はポリスと酒飲みながら踊ってたので翌朝は腹が緩かったが、
その状態のまま激辛を食ったのが失敗だった(>_<)
激辛食っても下痢はするが、まあ食べた物が出てしまえばそれで終わり、1回か2回我慢すればそれでよい。
ところが今回それがいっぺんに来た!(◎_◎;)
ちなみにカンボジアから日本に帰る便は激安で遠くマレーシアはクアラルンプールを経由する。
プノンペンからクアラルンプールは2時間、そしてクアラルンプールから成田までは6時間!!そこで内臓と肛門がいっぺんに反乱を開始した(>_<)
激辛が出ても出ても何度も出て来る・・・その度に飛行機のトイレの中でうめく(>_<)
ウォシュレットだったらまだいいのだろうが、拭く時にまたうめく(>_<)
血が出るので何度も拭かねばならないのだが、その刺激でまた出て来る(>_<)
そしてやっとのことで座席に帰るのだが、マレーシア航空これでもかというぐらい冷房かけて、お腹が冷えたらまた出る(涙)
わかったわかった!!ワシの負けじゃ!!
もう今年はお前らを労るようにする!!
ワシが悪かった!!もう許してくれ〜(号泣)
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Posted by ファンキー末吉 at:08:20 | 固定リンク
2019年12月30日
カンボジアFunkyスタジオ計画
昔は自分のスタジオが北京と八王子にあった。
Funky Studio Beijing
Funkyスタジオ八王子
しかし北京の院子が取り壊しになり、次に引っ越した院子で完全防音のスタジオを作ってみたもののそこも取り壊し(>_<)
家賃も物価もどんどん高くなってしまっている北京、そしてせっかくスタジオを作ってもいつ取り壊されるかわからない開発ラッシュ・・・
防音せずとも「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」という社会ではなくなって来た北京で、スタジオを作るのはもう無理だろうと判断して、今はスタジオがあるのも日本だけになってしまっている・・・
X.Y.Z.→AのNewアルバム「WONDERFUL LIFE」のドラム録りを2日間で終わらせ、そのまま布衣のツアーを周りながら考える・・・
ドラムの叩き直しが来たらどうしよう・・・
北京にスタジオがあった頃はまだいいが、中国でのツアー先からいちいち日本まで飛んで帰るのはあまりにコスト高である。
ところが中国から(北方に行かない限り)東南アジアに飛ぶのは比較的安い・・・
カンボジアにスタジオ作れんかのう・・・
色んな人に色んな相談をするのだが、きっかけはこれ!!
大事なのは、カンボジアはまだ北京のよかった時代、「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」がまだ存在しているところである。
先日もくっくま孤児院で歌を録ろうと思ってたら、近所のご家庭の大音量カラオケがうるさくて録れなかった・・・
(カンボジアでは今、ご家庭に大音量のカラオケを置くのが流行っているようだ)
逆にくっくま孤児院で毎日バンドの音がうるさくても、近所はまあ別に文句は言って来ない・・・そんな社会がまだあるというのは素晴らしい!!
というわけで色々場所を探していたら、いつもライブでお世話になっているHIBACHIの土井さんが新しく出したカラオケ屋の3階が丸々空いているらしい!(◎_◎;)
というわけで、1月に北京のエンジニアである方言(FangYan)にカンボジアまで来て頂いて、まず場所を見て検討してもらおうと考えている・・・
スタジオを作る上には色々考えなければならない問題はあるが、
まず防音の部分は北京でも最初は防音などしてなかったのでそれはまあ置いといて、
1、機材をどうやって北京から送るか
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
3、常駐エンジニアをどうするか
の問題がとりあえずは最優先である。
1、機材をどうやって北京から送るか
については、街中をトゥクトゥクがこんな中国語の看板を掲げて走っているのだから、まあ中国人がこっち来て探せば簡単に方法は見つかるであろう(笑)
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
はちょっと難しい。
だいたいにしてそんな専門機材を売っているところはデカデカと看板を出していはいない。
コネを使って地道にリサーチするしかないのだが、
ここで大きかったのは、こちらでドラムが録音できるスタジオが見つかったことである!!
残念ながらここにはProtoolsで録音できる設備はなく、インターフェイスやマイクプリなどを調達しようと思ったら少々無理がある・・・
しかしこの投稿を見て食いついて来た、私のことが大好きでたまらない(笑)地元のベーシストがドラマーの友達を連れて来てくれた!!
これは何気に大きい!!
このドラマーも自分の家にドラムセットがあり、何とか録音出来るように設備を買い揃えたいと思っているということなので、
「じゃあ中国からエンジニアが来るから色々相談すればいい」
ということで「持ちつ持たれつ」である。
彼ら地元のミュージシャンに、もっとプロ仕様のスタジオを紹介してもらってそこで色々尋ねるのもよかろう。
アジア、と言わず世界中の国々ではまず「助け合い」、そのためには「コネ」が必要である。
「友達がいなければ何もできない」というのは決して中国に限ったことではないのである。
さて、
3、常駐エンジニアをどうするか
については、まだ本人に何も話してないので全くの未知数なのだが、
くっくまバンドのキーボード「ティアルッ」に頼んでみてはどうかと考えている。
彼は来年の11月に高校を卒業するので、もしよかったらそこに「就職」してみないかということである。
もちろんスタジオなんてそう金を生むもんじゃないし、
給料は最低限の額にしてもらい、その代わりこの物件だったらスタジオで住むことは出来る。
居酒屋勝プノンペン店がオープンすれば(笑)、そこで賄いを食べることも出来る!!
そして何より、彼がそこに常駐すればいつでも自由にくっくまバンドのレコーディングが出来るということである。
いやこれは逆にどんどんやってもらわなくては困る!!
方言(FangYan)も最初の頃は、自分は学校でエンジニアリングを勉強しているので非常に自信がある。
しかし私がWyn Davisなどから教わったこと、色んな経験から覚えたことなどと彼の考えとはことごとく衝突する。
北京人特有の「頑固」さに負け、
「じゃあお前の思う通りやってみろよ」
となって、彼は自分のやり方で何日も徹夜してやってみる。
数日後、目を真っ赤に腫らした彼は涙声でこう言うのだ。
「Funky老子、あなたの言う通りでした。このやり方では最終的にいいミックスが出来ません。最初っからやり直します(涙)」
こうやって仕事を覚えてゆく・・・全ては「経験」なのである!!
方言(FangYan)がそうやって試行錯誤しながら何度もやり直して作ったアルバムは、時を超えて後に大ヒットすることになったし、
何よりもそうやって何枚もアルバムを作った布衣は、今では中国で一番多くツアーを廻るバンドとなった。
当然ながらみんな貧乏バンドなわけだから金なんか取れない(笑)
くっくまバンドをはじめ、こちらで新しく出来た音楽仲間が集う場所になったとしても、決してそれでお金が稼げるようになるのは数年、いや10年以上先のことかも知れない・・・
でもその間にエンジニアは育つのである。
当面は私が自分でボタン押して自分で録音すれば良いが、そのうちにFunkyスタジオ北京の方言(FangYan)、Funkyスタジオ八王子の仮谷くんのように、エンジニアとして育ってくれれば言うことないが・・・
それまでワシ・・・生きとるかのう(笑)
まあ彼が卒業するまでまだ1年ある。
口説くのは来年からにして、まず方言(FangYan)の初カンボジアを満喫してもらい、中国人ならではの「コネクション作り」をしてもらおう・・・
早よ来い方言(FangYan)!!
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Posted by ファンキー末吉 at:14:44 | 固定リンク
2019年10月 1日
香港ではもう既にこれ暴動?!(◎_◎;)
全くもって意味がわからない(>_<)
気がついたらこんなチケットを取っていた・・・
香港で乗り換え時間11時間(>_<)・・・
武漢夕方発の便もあったからそれを取ったつもりだが、何故だかこのチケットを取ってしまっている(笑)
しゃーないなぁ〜・・・香港で街にでも出て遊びますか〜
と友人にメッセージを送ってみると・・・
とかなり心配の様子・・・
「デモ隊は黒い服を着ているから黒は着ない方がいいよ」と言われても・・・
ファッションセンスのないワシは、コーディネートとやらがあまり必要でなかったり汚れが目立たないとかの理由で基本黒の服しか持ってない(>_<)
まあ彼が香港にいないというのだから、香港の別の友達であるMOMOさんにも連絡を取ってみる・・・
ところが・・・
空港エキスプレスも香港島なら行けるのか?・・・
ちなみにJamesが送って来たこの日のデモ予定地域は・・・
香港島のみならず九龍まであらゆるところでデモが行われてるではないか!!!(◎_◎;)
しゃーないなぁ〜・・・と思いながら武漢から香港に到着!!
そしたらフェイスブックで全く関係のない人からこんなメッセージが!!(◎_◎;)
まあ11時間もあるのである!!一杯ぐらいご馳走になるのもよかろう・・・
というわけでしばし空港で飲むことに決定!!!
香港空港にて - Spherical Image - RICOH THETA
このNIIOKAさんという人、マカオで住んでてベトナムでギターを作ってて、
その仕事のために今からベトナムに行くという変わり種・・・
いや〜類は友を呼ぶと言うか、変わった人んところには変わった人が集まって来るのな(笑)
ギターの話やたくさん面白い話をして盛り上がって、
さてNIIOKAさんはもう出発するというのでふと考えた。
ワシはどうして今香港にいるのだろう・・・
そしてどうしてあと7時間も時間があるのだろう・・・
これは神様がワシにデモの行われている市街地に行けと言っているのではないのか・・・
いや〜中国政府からビザを発給してもらって、
こうして中国で働かせて頂いて日々の飯を食っている私とすれば、
あまり大きな声で「香港頑張れ!!」とは言えない立場である。
それはまあワシがJASRACと戦った時も、
「いや自分はJASRACに世話になってるから」
とか、ヒドイ人になると、
「自分がビッグになった時に金をもらえないとイヤだから」
という的外れな人もいたが、みんながみんな色んな理由で声を大にして言えないことがあるのが「生活」である。
かく言う私も、自分のことだけで済むなら中国を捨てればそれでいいのだが、
そこから派生して色んな中国人に迷惑をかけることになるのは非常に困る(>_<)
しかし私のような性格の人間がこのように自分の気持ちを押さえ込んどくとこれがまた非常にストレスが溜まる(>_<)
というわけで酒なんか飲むとむくむくとこんな考えが頭をもたげて来るのだ・・・
自分が今香港にいるのは、
神様がわざわざこのチケットを取らせて、余った時間で市街地に行け、と。
そしてデモに参加するでもなく飯でも食って、
デモに巻き込まれたら香港警察に2、3発殴られて来い、と。
そしたら少しは気分がすっとするでしょ、と(笑)
まあ巻き込まれる分にはしゃーないなぁ〜・・・
とばかりMOMOさんに連絡する。
「じゃあ時間もあるし、香港島までは空港エキスプレスが出てるみたいなんでその辺でメシでも食いますか〜
ところがMOMOさんが慌てふためいて色んな情報を送って来る。
!(◎_◎;)・・・ナニコレ?!もうここまで来たら「暴動」やん!!
しかも発砲事件まで起きてるらしいやん!!(◎_◎;)
いや、自分が香港警察に撃たれて死ぬ分には構わん。
気持ちとしては香港人を応援したい、でも出来ない、
その結果がそういう「死」だったらそれも運命かも知れないとそう思う・・・
しかしデモ隊もどうして「非暴力」を通せなかったのかね・・・
これでは「暴動」と言われても仕方がない。
「暴動」ならば「鎮圧」されて当たり前!!
そしたら天安門事件の二の舞である・・・
深セン辺りに駐屯している軍隊が侵攻してきて、
ものの数分で綺麗に鎮圧されてしまうであろう・・・
多くの血が流れることと引き換えに・・・(>_<)
NIIOKAさん曰く、
「天安門事件が、自由に憧れてそれを手にするための戦いだったとすれば、
今の香港人は、手にした自由を奪われないようにするための戦いだ」
わかるなぁ・・・そっちの方が何倍か気持ちが強いし、
何倍も何倍も「切迫」している。
もしワシがヒロイズムに燃えてデモ隊に
「非暴力を通そう!!」
と最前列で説いて回ったところで彼らは聞く耳を持たないだろう。
去年布衣のツアーで深センに行った時、
ちょっと足を伸ばして香港に入った途端に強く感じた。
ここは「外国」や・・・
同じ広東語圏でも、深センとは全く違う文化があり、
そこで育って来た全く違う「人種」がいる。
ましてや私のような外国人が本当の意味で彼らの気持ちを理解することは無理である。
中国共産党が中華人民共和国を建国してちょうど70年目の今日、
そのめでたい日にそれに泥を塗った香港人を、中国共産党は決して許さないだろう・・・
ヤクザ映画の、
「私らヤクザはな、ナメられたら生きていけんのじゃ、だから死んでもらう」
こんなセリフが頭をぐるぐる回る・・・
今日の大規模デモの参加人数は今の時点では正式に発表されてないが、
最大で香港の人口の半分が参加したとも言われているこの一連のデモ・・・
人口の半分が参加したっつうことは老人やお年寄りを除いてほぼ元気な人口全員が参加したということである。
中国共産党も、この「異民族」全員が、それほどまでに手にした自由を手放したくないと考えているということをもっと真摯に受け止めて欲しいもんじゃ・・・
とそんなことを考えてるうちにMOMOさんから返信が・・・
「いや〜とてもじゃないけど香港島まで行けません(>_<)」
しゃーないなぁ〜・・・ほな今日の食事会は中止!!
ワシはまた市街地に出ようなどと思わないように、さっさと出国して出国エリアで時間を潰すとしよう・・・
そしてこう考えるようにしよう。
神様は私がデモ隊のところに行かないように、このNIIOKAさんを差し向けたんだ、と・・・
そやな、香港の未来を憂いながら出国エリアで数時間酒でも飲んでますか〜・・・
しゃーないなぁ〜・・・
Posted by ファンキー末吉 at:18:13 | 固定リンク
2019年9月16日
プノンペンの隣町「タクマウ」
先日のHIBACHIでのライブ・・・
実はギリギリまでベーシストが決まってなかった・・・
かくなる上はと北京からよーしーずを呼ぼうとか、
八王子からお隣さんの仮谷くんを呼ぼうかと画策したが、
結局どちらも丁重にお断りされ(笑)、
しゃーないなぁ〜・・・ベースなしでやりまひょか〜と思ってたら、。
プノンペン在住のJazzギタリスト山内さんがベトナム人のベーシストを連れて来てくれた。
ベトナムの方がいっぱい仕事があるやろうに、
何を好き好んでそこより小さな国に・・・と思ったが、
「外国で仕事をしたかった」
と・・・
ワシみたいなやっちゃ(笑)
ところが昼間ちょこっとリハやって、
どうやら娘さんを学校や塾に送り迎えとかで出て行って、
本番開始時間30分が過ぎても戻って来ん(>_<)
じゃあ当初の予定通りベース抜きで始めまひょか〜
と思ったら30分押しギリギリで戻って来た(笑)
まあ演奏は何でもそつなくこなせる腕を持っていて、
共通言語は英語となるが、なかなかいいミュージシャンシップを築けた夜となった。
そして翌日、彼から山内さんに連絡が来た。
「自分が今晩演奏してる店に来てちょこっと演奏してくれないか」
と・・・
実は彼はその店での仕事が入ってたのだが、
それを断ってまでこちらのライブに来てくれたそうだ。
これはミュージシャンシップとして断るわけにはいかんと二つ返事でOK!!
ところがそこがプノンペンではなく隣町の「タクマウ」という街!(◎_◎;)
遠いけどしゃーないなぁ〜・・・というわけで、
山内さんが経営するJapan Guitar Shopに集合してみんなで隣町へ向かう〜
いや〜雨が降ってたのであまり景色が見えなかったのだが、
これが川沿いの素敵な街で、
何よりもプノンペンと違って中国語の看板がない!!(笑)
国を乗っ取る勢いの中国人もまだここまでは進出してないんやなぁ・・・
きっと昔のプノンペンもこんな感じやったんやろうなぁ・・・というそんな街の中にあるこんなバー!!
ステージもなかなかちゃんとしたものがある・・・
ちなみに中国式の神棚「地主神」があるが、
別にここが中国人経営なわけではない。
呼び出した当の本人のベーシストはまだ来てない。
そりゃそうだ、こちらの仕事に30分遅れる人なんだからそりゃなかなか・・・(笑)
ところがこの店、演奏が始まる頃には満席!(◎_◎;)
何やら地元でちょっと遊ぼうと思ったらこの店しかないらしく、
週末はいつもこのように満席になるらしい・・・!(◎_◎;)
ベーシストからそれぞれのメンバーを紹介されて、
お決まりの乱入セッション!!
ドラムソロを振られたので、この日は足がサンバリズムの手が分離しての鉄板ネタ!!(笑)
いや〜ウケたなぁ・・・
だいたいこの店は何から何までユルい!!
かぶりつきの最前列では客が既に酔いつぶれてるし、
おっさんがどんな曲だろうが踊り狂っとるし、
その席でボーカルの姉ちゃんがステージ降りて飲んでるし(笑)
この夜の便でタイに帰るMIMIさんや、山内さんやボーカリストの奥様もステージに上がってセッション!!
途中、前で踊り狂っていたおっさんがステージに上がって来て、
ドラムんとこ来て何か言ってると思ったら、
「I go back to home!」って・・・知らんがな!!(笑)
初めて寧夏回族自治区の銀川でライブをやった時を思い出した。
ここの客はもちろん音楽の知識などあるわけもなく、
技術的にドラムが上手いの下手だのわかるはずもなく、
演奏が楽しかったら狂喜乱舞する、それだけである。
私は別に芸術家ぶって難しいことを(やってるけど)それを理解する相手のみに向けて演奏しているわけではない。
人様の前に出て演奏しているからにはそれは「パフォーマンス」。
ドラムというその場に座って動けない楽器で、
何も音楽を知らない人を楽しませられるということが出来たということが何よりの幸せである。
また、ここの人が私が何者なのかを知らないというのも私にとっては非常に心地よい。
演奏終わってベーシストにこの店のオーナーのところに連れて行かれて挨拶をしたが、
張張(Zhang Zhang)が覚えたての日本語でよく言う
「オマエナニモノジャ」の乗り(笑)
「旅行者です。この街最高!!この店最高!!また来ます!!」
これだけでいい。
「この人は日本では有名なドラマーなんですよ」
なんてのは全く必要ない。
私は私がここにいてドラムを叩く。
それを見た人がそれぞれどう思うか、だけが私にとって大切なことである。
昔日本のラジオだかテレビだかで、とある日本の「有名ドラマー」が生演奏して、
それを司会者が「日本一のドラマー」として紹介していたが、
いやいや、有名度は日本一かも知れんが、腕は世界に出て通用する腕ではないぞ(笑)
こういう例はそのドラマーだけではなく、あらゆる有名人がその「有名である」というだけにしがみついて生きているのを、私は常に反面教師として生きて来た。
虚栄心でも何でもない。
演奏して客にウケるということは即ち「自分の進むべき道」への確認である。
まだまだ世界一にはほど遠いが、
前を進んでいる憧れのドラマー達の背中が私にははっきり見える。
裸一貫でドラムを叩かないと、そんな進むべき道しるべさえ見えなくなってしまう・・・
Jazzを始めたのだって、
「これが出来たら世界中どこ行っても初対面の人とすぐ演奏出来て楽しいだろうなぁ・・・」
がきっかけである。
「あんなに叩けたら楽しいだろうなぁ・・・」
と思って精進して、実際に叩けるようになったらやっぱり楽しい。
あとはこの「楽しさ」をもっと精進して上に行くのみである。
ベトナムからこのカンボジアにやって来て、
それこそ一度お手合わせしただけのこの名も知らぬドラマーを、
こうして自分の店に呼んで「また一緒に演奏したい」と思ってくれる、
それこそがミュージシャンとして何よりも嬉しいことなのである。
この店、バンドの入る店ではよくある西洋料理の店ではなく、料理はクメール料理!!(◎_◎;)
カンボジア名物の生胡椒を使った料理を食べてもらえたのが良かった。
まあ心残りっつうか、世界中どこ行ってもそうなのだが、
客席の女性客は誰ひとりとしてワシに見向きもせんのな(涙)
狂喜乱舞するのはおっさんばかり(笑)
いいのよいいのよ、おっさんでもおばはんでも誰であろうと自分音楽に感動してくれたらそれで!!
しゃーないなぁ〜・・・(笑)
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Posted by ファンキー末吉 at:07:40 | 固定リンク
2019年8月30日
400ドルのバイクとの戦い
ついでにバイクを買った!!
いつもならホテルのフロントで頼むとレンタルバイクがあり、
まあ一日7ドルぐらいで借りられる。
しかしもうホテルに泊まってないのでどうしようかと思いつつ・・・
近所に良さげなバイク屋を発見!!
このバイク屋がいい!!と思ったのは、
刺青だらけの不良外国人が出入りして、
まあ恐らくハーレーみたいなバイクの修理かレンタル?・・・
英語も喋れそうだしとりあえず飛び込みで安いバイクないか聞いてみたら・・・
なんとこれが400ドル!!
ちなみに新品のYAMAHAとかHONDAとかは軽く千ドルを超える・・・
「でもねぇ・・・これセルスターターじゃなくキックスターターなんだ・・・いいかな?」
親指押すだけで動くんじゃなく、キック踏んでエンジンかけるやつね。
懐かしい・・・ええやん、これで!!
というわけで400ドル払ったらパスポートを預けて、
数時間後に来いと言われて行ったらこんな証明書をくれた・・・
クメール語なんで何なんかさっぱりわからんが・・・(笑)
そしてバイクはすぐに渡せるようなことを言いながら、
結局もらえたのは翌日。
見れば家族で一生懸命改造してセルスターターまで付けてくれとる!(◎_◎;)
もうね、壊れたらここ直しに来ればええし、
バイクを愛している素敵なバイク屋さんじゃないですか・・・(涙)
というわけで初乗り!!イオンまで買い物へ〜
・・・て途中でぷすんと言って止まっちゃったでしょ(>_<)
見れば目の前が車の修理屋さん!!
車が修理出来るならバイクも出来るでしょう!!
というわけで修理工の人たちみんなが見てくれる・・・
原因発覚!!なんとガス欠(>_<)・・・
だってガソリンメーターまだ真ん中ぐらいでしょ?
何?・・・そのガソリンメーターが壊れとる(>_<)
しゃーないなぁ〜・・・じゃあガソリンスタンドまで押すか、もしくはガソリンを買いに行くか・・・
「この国ってガソリンをカンとかビンとかで売ってくれたりすんの?」
日本は厳しいからのう・・・と思ったらさすがカンボジア!!
ミネラルウォーターのペットボトルをぽんと渡してくれた!(◎_◎;)
これ、中にまだ水滴が残ってるけど大丈夫なん?・・・
と思いつつトゥクトゥクを止める。
「ガソリンを買ってまたここに戻って来る」
とGoogle翻訳に表示させてトゥクトゥクに飛び乗る。
そして連れて行かれたところが単なるジュース屋さん!(◎_◎;)
ジュース屋さんの軒先でドラム缶でガソリン売ってる?!!!(◎_◎;)
まあタイなんかでは見たことあるが、なかなかスリルがあるのう・・・
そのまま水滴のついたペットボトルにガソリン入れて恐る恐るまたトゥクトゥクで修理工場に帰る・・・
ガソリンの注入口なんかペットボトルでガソリン入れるように作られてないから、かなりボタボタこぼしながら注入!!そしてエンジンかけてみたら見事無事にかかった!\(^o^)/
というわけでバイク乗ってイオンに到着・・・
ネットの繋がる喫茶店かどっかでパソコン開いてブログを書くのじゃ・・・
・・・・ってパソコンどこ???!(◎_◎;)
確かリュックに入れて背負って・・・来てないのか?家に置いて来たのか?・・・
どうも胸騒ぎがするので「iPhoneを探す」で一緒にリュックに入っているiPadを検索してみる・・・
さっきの修理工場やん!!(>_<)
あかんあかん、携帯を道端でひったくられるような国で、
パソコンとiPadが入ったリュックを忘れるなんてもう致命的(>_<)
雨が降り出したのでバイクは置いて、またトゥクトゥクに飛び乗って修理工場に戻ってみると・・・
あった!!\(^o^)/
いや〜この治安の悪いと言われてるこの国で今日はいい人ばかりに会ったぞ!!
欲を言えばガソリンメーターが壊れていたのと、
せっかく付けてくれたセルスターターが動かんぐらい(笑)
いやいや、いろいろあったけどいい日でした!!
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2019年8月25日
Wing & Paul「衝動効応」マレーシア
BEYONDのメンバーWigとPaulが一緒にBEYONDのナンバーを歌うという「衝動効応」の世界ツアー、実は私が参加する前にも何本か行われていたらしい。
途中で「ドラマーやっぱFunkyにしよーぜ〜」になったのかどうなのか、
私のところにはいつものようにWingから直接連絡が来た。
そこからスケジューリングしてまずマカオ!!
まあ日本人にはどうして私がこんなに興奮しているかピンと来ないだろうからもう一度説明しておこう。
あなたがもしQueenのフレディーマーキュリーと友達だったとしよう。
あなたが定期的にやっているライブをフレディーマーキュリーが見に来て、
「素晴らしいよ、今度いつやるんだい?毎月やってる?じゃあ来月も必ず見に来るから」
と言ったのが彼との最後の言葉になったとしよう。
あなたは「いつも彼が見に来ている」と思って毎回のライブを命がけで叩き、
そしてあなたの「今」がある。
そんな中である日、Queenの残されたメンバー2人がライブをやるからドラムを叩いてくれと言われる。
そしてフレディーマーキュリーが残した数々の名曲を一緒に演奏する・・・
これが興奮せずには入られますか!!という感じである(笑)
マカオが終わったあとにも、広東省の地方都市「佛山」と四川省の「成都」でも行われたのだが、
残念ながらスケジュールブッキングがぐちゃぐちゃで参加できず(>_<)
結局次のシンガポール、今回のマレーシアと、外国ばかり参加していることになる・・・
まあWing個人のワールドツアーでも、
中国国内は若いドラマーを育て、海外だけ私を呼んでくれてたので似たようなものだが、
何にせよこうして呼んで頂いて、外国にまで連れて行ってくれて、
こんなに感動的な時間を過ごせるのだからありがたいことこの上ないことである(感謝)。
さて今回、香港でのリハの初日は偶然にもWingの誕生日!!
56歳かぁ・・・ほんま若い!!
そう言えばこの香港の前に行った台州で、
熱烈なBEYONDファンがこんなCDを3枚も持っていた!(◎_◎;)
せっかくだということでご本人にサイン!!
MTVもみっけ!!
確か当時パーソナリティーを務めてたBay FMの番組の企画で、
Bay FMもBay、香港もBayということで「Love Our Bay」という曲を一緒に作ろう!!ということで始めたのだと記憶している。
今やこれは中国では非常に貴重な1枚ですな・・・
さて、リハも順調に進んでいってたのですが、
何と持って来たスティックが足りないことが発覚!!(>_<)
アジア最大の楽器屋チェーンのTom Leeでもファンキー末吉モデルは扱ってないらしく、
コンサートが行われるマレーシアでも入手困難だろう、と(涙)
何が「亜州鼓王」じゃ!!全然どうしようもないやん!!
と落ち込んでいたら、翌日ローディーのジャッキー君が家にあるのを持って来てくれた!!\(^o^)/
そやな、アジアじゅうの楽器屋で自分モデルのスティックが売られるようにとかいう夢よりも、アジアじゅうの若い衆んとこに自分のスティックが置いてあるみたいな方が現実的じゃぞ!!(笑)
さて、というわけで3日間のリハも終了し、一同マレーシアへ!!
香港のデモはまだ続いているが、
彼らが出している5つの要求は中国政府は絶対に呑まんと思うぞ・・・
数年前の雨傘運動の時に「民主の女神」と言われた、日本語も達者な周庭(アグネス・チョウ)をはじめ、全ての若者に「死ぬな!」と言いたい。
第二の天安門事件になることなく、事態が収拾することを心から願うぞ・・・
との思いを抱きながらマレーシアに着いた。
会場は首都のクアラルンプールではなく、そこからバスで2時間ほどのリゾート地らしい・・・
マレーシアで唯一のカジノがある総合レジャー施設!!
ちなみにイスラムは博打禁止なので、実質ここは中華系の客を主にターゲットとしている。
当然メシもまた中華!!
でもちゃんとイスラム系の食事も用意してある・・・
この施設がまた広いので迷うのよ・・・(>_<)
サウンドチェックに会場に向かうのにひとり迷ってしまい、
若い衆に迎えに来てもらう老人・・・(涙)
サウンドチェック!!
と言いつつこの儀式を忘れてはいけません!!
そう、世界平和のためにドラムを叩きます!!
噂に聞くとこの一連の「衝動効応」も実はこれが最後とかなんとか・・・
まあまた気が向いたら2人集まってその時にまた呼んでくれればいい。
もっと気が向いたらまたBEYOND3人集まってやってくれれば嬉しいそ!!
まあバンドやから色々あるやろからな。
かく言う私も何も知らん人から「爆風やって下さい」とか言われると腹たつもんな(笑)
まあ人生色々あるから、もしそんな「縁」があればやればいいさ。
しばらく個人活動頑張れ!!
色々連れてってくれてありがとう!!またやろう!!
Posted by ファンキー末吉 at:08:06 | 固定リンク
2019年6月19日
カンボジアRock!(◎_◎;)
くっくま孤児院のくっくまバンド、前回はオリジナル曲を2曲演奏したが、
今回は私からのリクエストで私が最初に出会ってこの子たちを見初めた曲を演奏してくれと頼んだ。
この曲にやられちゃったのよね〜・・・
音楽を職業なんかにしちゃったら、私なんか音楽を聞く度に「仕事」になっちゃう。
気がつかないうちに頭の中では曲を分析し始めるのよね〜(>_<)
メロディーやコードの組み立て方とかアレンジのやり方とか・・・
ところが時々ぶっ飛ばされちゃって全く仕事ではなく「観客」になってしまうことがある。
それがこの曲・・・
もうね、作り方が変!!(笑)
聞けばこれは元々がカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
それをカンボジアのテクノアーティストかなんかがテクノにアレンジしてYouTubeにアップしてたのをこの子たちが耳コピしてバンドで演奏してるからもうぐちゃぐちゃ(笑)
それが私の「仕事脳」をぐちゃぐちゃにして完全にノックアウトしちゃうのよねぇ・・・
今回のライブで、またライブ会場でをDVD売るべくリハーサルを録画する・・・
この曲は歌ってない部分が多いので
「なんか振りつけて踊らなきゃ」
とボーカルの子に言ってたのだが、次の日はこんな振りをつけて恥ずかしそうに踊っていた。
聞くところによるとこれもカンボジア民族舞踏によくある動きらしい・・・
もうテクノは入るわ伝統舞踊は入るわぐちゃぐちゃ(笑)
いや〜この動きがいいのよ・・・
さて本番!!・・・当日に美和お母さまからメッセージが入る。
「ボーカルのスレイクォイが喉の調子が悪くて泣いてます(涙)」
いやそれもまた「ライブ」!!
中野も一度ステージで突然声が枯れてやっとこさ最後まで歌ったことがあるし、
二井原は実際声が出なくなってライブをキャンセルしたこともある。
一度も声が枯れたことなんかなかった渡辺英樹が全然出なくなったこともあるぐらいである。
まあ全く出なくなるのじゃなければ、声の調子が悪いのもまた「ライブ」である。
リハが始まった・・・
「リハは一生懸命歌わなくてもいいからね」
と言ってたのだが、見てるとやはり一生懸命歌っている。
まあまだ「手を抜く」ということが出来んのね、それはそれでよかろう・・・
ファンキーはんと大村はんのライブ(割愛・・・笑)が終わっていよいよくっくまバンドの登場!!
(リアルタイムにライブ配信してたアーカイブ)
なんか前回よりパワーアップしとる!(◎_◎;)
先生から与えられたオリジナル楽曲ではあるが、だんだん「自分のもの」にしていった感があるのう・・・
オリジナル2曲が終わり、育ての親のソバン先生を交えての最後の曲・・・
ソバン先生は、もともとこの孤児院の母体となった孤児院をやってた人で、
自分の孤児だったのだけれども、この子たちを引き取って、
ないお金を回しながら育てて来た。
それを見たくっくま孤児院の代表者が見るに見かねてくっくま孤児院を作ったというわけだ。
ソバン先生が素晴らしかったのは、孤児たちにカンボジアの伝統舞踊を教え込んだところである。
だからこの子たちはみんな伝統舞踊が踊れる。
踊るための楽器演奏も自分たちで演奏出来る。
そこから派生したのがこの「バンド」である。
そしてソバン先生もギターで参加しての最後の曲!!
それにしてもこの楽曲の破壊力は凄まじい・・・
全ての日本人客はこの楽曲を聞いたことはないのだが、
それでもこの曲は予備知識もない日本人客の心を完全に鷲掴みにしとる・・・
何よりもオリジナル曲も含め、この店のカンボジア従業員が大盛り上がりに盛り上がっていることが物凄い!(◎_◎;)
日本人のほとんどはくっくま孤児院を応援しているわけで、
その「当たり前」の状況を度外視して、全く損得勘定がないカンボジア従業員がこうして大喜びで楽しんでいることこそが何よりの「手ごたえ」ではないのか!!
思わぬアンコールが来た!!・・・やる曲あるのか?・・・
今日やった曲をもう一度やるのかと思ったら、私の知らないカンボジアの曲を演奏し始めた!(◎_◎;)
もうね・・・先生完敗(>_<)
先生が手取り足取り教えて、それをやっと消化してこのステージに立っているわけではない!!
この子たちは自分たちだけで既にここまで来ているのだ!!
そしてこの先生さえも貪欲に飲み込んで更に大きくなってゆく・・・
この曲もカンボジアの古い曲だろう。
タイのルークトゥンと同じように、楽しいリズムに乗っけて、泥臭い生活感を歌っているのだと思う。
この国の不条理を全て背負って、拳を挙げながら戦ってゆくだけが「Rock」ではない。
全カンボジア人、いや世界中の人々を巻き込んで、
こうやって明るく楽しくのし上がってゆくのもまた「Rock」である。
くっくまバンド・・・実はとてつもない「ロックバンド」に育っていってるのかも知れない・・・
そんなことを感じた今日のライブであった・・・
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Posted by ファンキー末吉 at:08:11 | 固定リンク
2019年6月16日
Wing&Paulシンガポール
前回のマカオに続いて私は2回目の参加となる「衝動効応Impulse」すなわち「Wing&Paulワールドツアー(と私は呼んでいる)」!!
その間に行われた広東省佛山と四川省成都はスケジュールが合わず断念(>_<)
結局海外のみに参加している私です・・・嬉しいのか悲しいのか・・・
例によって香港で2日間リハをやってシンガポール入り!!
宿泊先はハードロックホテルなのよ〜
お決まりのオブジェ!!
プールには砂浜もある!!
さすがハードロックホテル!!プールに砂浜があります!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
プールの中に座って飲めるバーも!!
プールの中で飲めるバーもある!! 朝からは営業してないけど・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
ジャグジーも!!
ジャクジーも〜 - Spherical Image - RICOH THETA
遊びに来たのではない!!仕事である・・・
会場がまたデカい!!
シンガポールの会場なう〜 またこりゃ大きな会場ですなぁ〜 - Spherical Image - RICOH THETA
ドラムはちゃんとPearlのドラムセット!!
いい音で鳴ってます!!
サウンドチェックも無事終わり、メシでも食いに行こうと思ったら、
この辺はリゾートワールドセントーサっつう大高級リゾート地。
コンビニもなければ夜中開いてる屋台なんか皆無です(>_<)
仕方ないのでタクシーでセントーサ島を離れ、24時間営業だという屋台村「テロック・エア・マーケット(ラオパサ)」へ!!
久しぶりに再会したエンジニアの吉田くんと台湾人スタッフ!!
ゲネプロ終わってスタッフと一緒にシンガポール屋台〜!! - Spherical Image - RICOH THETA
シンガポールは英語も中国語も通じてとても便利!!
だけどやっぱ物価が高い(>_<)
まあ屋台なのでシンガポールの中では安い方だがそれでも日本と同じかちと高いぐらい?
タクシー代も片道数千円とちょっとお高い(>_<)
でも味はなかなかでしたぞ!!
というわけで就寝!!翌日本番!!
いや〜満席!!!・・・よく入った!(◎_◎;)
3万5千人収容出来ると言うけど、
人口500万の国で3万5千人と言うと、
日本を1億人として計算したら70万人集めてる?!(◎_◎;)
もちろんマレー系、インド系は皆無で中華系ばっか(笑)
ボーカリストとなったWingさんもライブでは数曲ドラムを叩きます!!
私もメンバー紹介曲で少々ソロを〜
そして今回のWingさんのソロ!!
いや、ピアニシモから持っていく客の煽り方とかなかなかのもんやったぞ!(◎_◎;)
最後の曲はやっぱこの曲でしょう!!
もうね、涙なしでは叩けません!!
カーテンコール終わって楽屋に戻ったらメンバーみんなワシを拝むのな(笑)
そのうちドラム台が仏壇になることであろう(笑)
「次のマレーシアは来れるの?」とみんな。
「行きますとも!!」と言うとみんなで万歳する・・・
愛されとるのう・・・(涙)
次は8月24日のマレーシア!!
タイが決まりそうで決まらんが、スケジュール合うといいなぁ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:05:53 | 固定リンク
2019年6月13日
株(クイゼ)を守る
昔の中国の「宋」という国のお話です。
あるところに、田畑を耕す人が居ました。
その人の田畑には切り株がありました。
ある日、ウサギが走ってきて、その切り株にぶつかり、首の骨を折って死んでしまった。
それを見た彼は、またウサギを得ようと、田畑仕事をサボり、すっとその切り株を見張っていました。
(ニコニコ大百科)
いやね、別にサボっているわけではないんだけど、今まさにそんな生活(笑)
もうね、「ワールドツアー」と言いながらどんどんスケジュールが変わる(涙)
ブッキングしてる方も受けてる方もみんな「中国人」なんだからしゃ〜ない(>_<)
Wing&Paulのワールドツアー、だいたいは土曜日にブッキングされるのだが、
その前に香港で必ず2〜3日のリハをやり、
スター達はプロモーションのために前々日には現地入りするので、
逆算すればその週は一週間まるまる押さえられてしまうことになる。
それがころころとスケジュールが変わるとなると、
必然的に一週間ぽっかりとスケジュールが空いてしまうことになるのだ(>_<)
「リハは一本参加出来ないけど本番は行けるから」
ということで、
「Funkyは上手いから大丈夫だよ」
とか言ってたくせに、いざとなったら、
「やっぱこのスケジュールは別のドラマーに頼むし〜」
とかになったり、結局は6月は半月間ぽっかり空いてしまったのよ〜・・・
しゃーないなぁ〜・・・というわけで、
ベトナムのダナンに着いて〜
ニャチャンに行って〜
ニンホアにちょこっと寄って〜
トゥイホアでマグロ食って〜
クイニョンで桃源郷を見つけ〜
そこで村人たちとのんびり暮らし〜
そしてダナンでライブやって、
プノンペンでくっくまバンドとライブやってから香港入り!!
2週間で2日しか働いてない(笑)
まあ豪遊してるわけではなく、国内移動もバスだったり、
宿も一晩5ドルのバックパッカー宿だったり、
飛行機乗っても激安過酷乗り換えだったり、
美食以外にそんなに金も使わんし、もうこのまま南の島でセミリタイヤでもええやん!!しゃーないなぁ〜・・・っつう感じ(笑)
でもねぇ・・・また数ヶ月ぶりにホンモノと一緒にリハやってると楽しいの・・・
ちょうど今、香港では中国共産党の非民主的なやり方について香港人が大規模なデモをやっとる・・・
こんな映像見たら30年前の天安門事件のことを思ってしまうのう・・・
中国共産党は手加減せんからのう・・・
30年前にも無茶やっていっぱい人を殺したから、今回も死人が出なければいいなと切に願う・・・
ところで数年前に行われた香港の民主化運動で集まった市民に歌われたのがこの曲!!
「加油!加油!」豪雨に打たれながら合唱する「香港デモ」の若者たち【動画あり】
凄いぞお前ら!!
天安門事件の時に広場で崔健の一無所有が歌われたのを彷彿させる・・・
歌詞の日本語訳がこのサイトに載っている・・・
ぼくのわがままを許してくれないか
一生誰にも従わず
気ままにがむしゃらに
自由を愛し続けて行きたいんだ
(抜粋)
泣かせるのう・・・(涙)
香港ではもうこの曲を「香港の国歌」だと言う人もいる。
香港は国ではないので本当なら中国の国歌が香港の国歌なんやけどね・・・
若くして日本で死んだひとりの若者の歌が、これだけたくさんの人々を支えてる・・・
もうね、ワシええわ・・・ずーっと株(クイゼ)を守って余生を暮らす!!(笑)
いくらスケジュールが動いてもなるだけこのワールドツアーには参加しますわ!!
リハで叩いてても涙もんです・・・(号泣)
Posted by ファンキー末吉 at:17:38 | 固定リンク
2019年6月 7日
バンセオとの戦い
ベトナムの食べ物で「バンセオ」というのがある。
私も何度かY社長からご馳走になった。
パリパリの固く焼いたお好み焼きみたいなものをライスペーパーに包んで食べるものだ。
これが春巻のようで中のパリパリ感が素敵な食べ物である。
ところがダナンから南下して最初のニャチャン、次のトゥイホア、
そして思わぬ長期滞在してしまったクイニョンの漁村で見かけたこの小さなクレープのような食べ物・・・
写真
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2019年6月 3日
ボーカルレコーディング@くっくま孤児院
くっくま孤児院に古いMacBook Airとインターフェイスやマイクなども置いて来て、バンドのメンバーが自分たちでボーカルレコーディングが出来るようにしている。
エンジニアはキーボードのティアルッ君。
キーボードプレイヤーの仕事というのは今やパソコンを使える人というご時世なので、「覚えておいて損はないよ」とばかり彼に色々と基本的なことを教えておいた。
「自分たちで録音してデータを送ってね」
ということで最初にデータが送られて来たのだが、
まあ最初なので仕方がないが色々不備があるのでまた指示をして送り返す。
これを数度やり取りしていると、ティアルッ君のスキルがどんどん上がり、歌録りの音質自体は今やもう何も問題がない。
ボーカルのスレイクォイのレベルも元々高いのではあるが、
ここにひとつの欠点を発見!!
まあここのみんなは音楽教育を受けたことがないので当然なのだが、
「ソルフェージュ能力」というか、
新しく与えたメロディーを把握する能力とか、一度間違って覚えてしまったら直せないところがあるようだ。
それだったらというわけでタイでボイストレーナーをやっているMIMIさんに声をかけてカンボジアまで来てもらった。
まずは発声法!!
これ歌の基本だそうで、「お腹から声を出す」!!
せっかくなのでバンドのメンバーや他の子供たちにもみんなに指導してもらいました。
そしていわゆる「ソルフェージュ」の基本!!
音を聞いてそれが何の音かがわかるようにする訓練をゲーム形式でやってみました。
ずっと昔に「笑っていいとも」のゲームコーナーで、お笑い相手に同じようなゲームをやっていて、ゲストの森口博子は全部一瞬で答えるのに、お笑いの人たちは「何でわかるの??!」とびっくり。
森口博子が逆に「何でわかんないの??!」とびっくり!!(笑)
確か小学校の音楽の聴音のテストでも同じようなのがあったのを覚えているが、
私は小さい頃ピアノをやってたせいか労せずして全部わかったが、
同級生が全くわからないのを不思議に思ったことを覚えている。
「才能」でも何でもない。
要は訓練!!平ったく言えば「慣れ」である。
コツがあって、「これはドの音です」の時に、頭の中に「ドレミファソラシド」を思い浮かべて、出題された音がその頭の中で鳴っている音のどれに当たるかを考えればそれで良い。
もし鍵盤を弾きながら「これかな」とか探してゆけば誰にでも出来ることで、
「要は頭の中で鍵盤を弾く」みたいなもんで、
これが出来ればメロディーを覚えるのも楽だし、
メロディーが違っていいれば頭の中で瞬時に違っていることを認識出来る。
初日はとりあえずここまで。
次の日はMIMI先生はボーカルのスレイクォイの個人レッスン。
私はヒマなので(笑)ドラムのダビッにドラムのいい練習方法を伝授した。
この練習はリズムのウラ拍を意識する為に非常に有効な方法で、
メトロノームを表で聞くと、どうしてもそれに合わせてリズムを「置いて」ゆくようになってしまうが、ウラで聞くとこちらがずれると容赦無く置いてかれるので非常にシビアなリズム練習となる。
いや初めてでこの速度でやれるようになるっつうのはなかなか大したもん!!
さてやるだけやったら最後に大目的のボーカルレコーディング!!
エンジニアのティアルッ君は私の知らないショートカットキーとかも駆使しながらなかなかのもの。
この曲のBメロの一部分、ボーカルラインを間違えて覚えているのでそれをやり直しているうちにトラブル発生!!
何度かやり直してるうちに、突然ボーカルのスレイクォイから何の反応もなくなったと思ったら・・・泣いているのだ!(◎_◎;)
よほど悔しかったのだろう。
泣いていることすら知られたくないという感じで両手で顔を押さえて泣いていた・・・(写真自粛)
水を打ったように沈黙が広がる・・・
私はメンバーの様子をまず観察した。
3人のメンバーは誰も言葉を発しない。
一緒にこの孤児院で暮らして来た「家族」である。
誰よりもスレイクォイのことを知ってるのだろう。
「こんな時こいつは何も言わずにほっとくのが一番なんだ」
と言わんばかりに「無言の暖かさ」で彼女を包み込んでいる・・・
5分だろうか10分だろうか・・・
かなり長い沈黙を破って彼女が口を開いた。
「大丈夫です。歌います!!」
彼女は逃げることなく、甘えることなく、自分で乗り越えた!!
これだからレコーディングをやると格段にレベルがアップする。
この修羅場を乗り越えた者だけが「次」に行けるのである。
かく言う私も爆風スランプの1枚目のアルバムをレコーディングする時に、
叩けなくてこっそりトイレに行って泣いた・・・
当時はアナログレコーディングなので、ドラムのパンチインパンチアウトなどがまだ出来なかったので尚更である。
ドラムが間違えたら全員最初からやり直し。
最初から最後まで間違えずに叩けて、そのレベルが自分や他が納得するものであって初めて他の楽器の録音が出来るのである。
今やもうデジタルの時代になって、ドラムであろうがどんなに細かいパンチインパンチアウトが出来るようになっても、この「経験」によって今の私がある。
「これぐらいパンチインパンチアウトなしで最初っから最後まで叩ける」
という「自信」が今の中国でのステジオミュージシャンの仕事をする上での何よりの「ルーツ」となっているのである。
人生においても、今後どんな困難があっても、
逃げることなく、甘えることなく、こうやって全て自分の力で乗り越えていって欲しい・・・
見ればMIMIさんが隣で涙目になっている(笑)
このまま録音して全て終了!!・・・と思ったら、
歌いすぎてスレイクォイの声が枯れて来ているので翌日に持ち越し!!
翌日も声は回復してなかったので、
前日のボイストレーニングで一番声が変わったベースのスレイレアッにコーラスを歌ってもらう。
そのレコーディング風景を見ているスレイクォイにも、
自分が歌っている時と違った目線でレコーディングを見ることが出来る。
「ああこういうことなのか・・・」
ということがわかったんじゃないかな・・・
頑張れみんな!!
こうやって自分の力で乗り越えてゆくことを、おじさんは「ロック」と呼んでいるんだよ。
こうやって自分の人生も「ロックの精神」で乗り越えていって欲しい・・・
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カンボジア希望の星プロジェクトまとめ
<<くっくまバンドとの出会い>>
2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。
日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。
別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。
プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。
その時のブログ記事:希望の星になれ!!
カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時、ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。
結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。
この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。
当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。
ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。
その流れの中に「バンド」があった!!
この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。
音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。
楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。
ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。
この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。
ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎
これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・
<<希望の星になれ!!>>
この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。
これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
<<その後の活動>>
私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。
まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。
ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!
翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。
ブログ記事:支援は人のためにあらず
それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。
最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。
もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。
そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・
そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。
ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」
ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。
こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!
この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。
私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。
ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)
私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。
全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。
返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。
歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。
詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・
ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・
これが私の頭をよぎった「想像」である。
こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・
数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。
でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。
この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・
それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。
そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・
真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)
ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・
しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・
<<オリジナル曲作り>>
作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。
私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。
とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!
元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。
それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。
ブログ記事:くっくまバンド新曲
これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・
2019年6月9日のリハーサル
2019年6月9日のライブ
そして2019年6月18日のライブ
<<仲違い>>
2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・
「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」
小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。
歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。
バンドあるある(笑)・・・
要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。
美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。
でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。
ブログ記事:くっくまバンド初ライブ
考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・
私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。
力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!
<<DTM>>
ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。
ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。
だが困ったのはキーボードである。
「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。
プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。
ブログ記事:キーボードという「楽器」
ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。
そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。
くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。
ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・
いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)
自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。
ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)
最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・
さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。
もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。
今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。
これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。
この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。
2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。
<<結婚式での演奏>>
カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。
この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。
日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。
毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・
私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。
大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。
日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。
しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。
これを私は大きな「出口」だと感じた。
くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。
その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。
人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。
そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。
将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・
だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。
毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。
頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!
<<その後>>
ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング
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ベトナム旅日記(クイニョン)
マグロの街トゥイホアからはバスで北上することにした。
取りあえず次の大きな街と言えばクイニョン〜
ホテルのフロントで聞いたバスターミナル!!
長距離バスで、何と寝台バス!!(◎_◎;)
大人が何人も寝転がって行ける・・・日本はどうしてこれを導入しないのか・・・
ネットで色々調べてたのだが、
何やらクイニョンの郊外にとてもいい手付かずのビーチリゾートがあるらしい・・・
夢のビーチリゾート ベトナムのクイニョンなら格安で贅沢! - Tabit Info
まあ急ぐ旅ではないのでここに行ってみることにした。
Googleマップを見ながら近くに来たら運転手さんに言って降ろしてもらう。
村の入り口にはこんな看板・・・
高知の池の浦のような小さな漁村・・・
浜辺まで降りてゆくとそこに噂のこのホテル「Life's a beach」がある。
門をくぐって中に入ってみたら驚いた!!
プライベートビーチ?!
なにこれ?!!天国かっ!!(◎_◎;)
さっそくピニャコラーダを頼んでみる・・・
ビーチはもうプライベートビーチ状態・・・
桃源郷にいます・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
もうね、ここは桃源郷?・・・
このホテル、近所に「Life's a beach apartment」っつう「離れ」もあり、2kg南には「Life's a beach backpacker」っつうのもある。
最安値一泊6ドル!(◎_◎;)
これはもうここに泊まるしかないでしょ!!
夕方になると漁民が浜辺に出て来て磯焼きを始める・・・
磯焼き!! - Spherical Image - RICOH THETA
みりん干し(笑)があったので焼いてもらって取りあえずビール!!
これだけだと熱海と何も変わりがないので(笑)、
得体の知れないせんべいみたいのんを焼いてたので頼んでみる・・・
これがまたビールに合うのよ・・・(涙)
シーフードは今日はウニを選んでみる・・・
そのまま焼いてワサビと醤油で食えばいいものを、
何やらベトナム風の味付け・・・
美味い!!(涙)
もうね、ウニがフランス料理になるのね?(フランス料理食べたことないけど)・・・
もうこれで旅も終わり!!
何故ならもうこれ以上彷徨ってもここよりいい場所には出会えないでしょう!!
ビザが出来上がるまでここで余生を過ごすことにします〜
Posted by ファンキー末吉 at:10:27 | 固定リンク
2019年6月 2日
ベトナム旅日記(トゥイホア)
ニンホアをほぼ素通りで北上し、辿り着いた「トゥイホア」という街・・・
駅からタクシーでビーチまで〜非常にローカル色豊かなビーチである!!
ホテルの近くにむっちゃ繁盛しているレストランがあったのでそこに飛び込んでみる・・・
何屋さんなのか全くわからんが、みんな壺のようなものを頼んでいたので指差しで頼んでみると・・・
マグロの目玉スープ!!(◎_◎;)
・・・というか、マグロの目玉煮込みで、スープは辛くて脂っこいので飲んだら胸焼け(>_<)
このメニューが有名なのかタクシーで客が乗り付けるほどの繁盛店である。
人の集まるところ「流し」あり!!
カラオケの機械を持って来て勝手に歌を歌う(笑)
盲目のギタリストがギターを弾く!!
なぜかエレキ!(◎_◎;)しかもレスポール(笑)
まあメロしか弾かずバッキングもなし・・・
プレイに対して金を払うのではなく、物品を買ってあげるのだが、
まあキーホルダーとか要らんし今回は買ってあげなかった・・・(>_<)
ベトナムではこのような「流し」は多いのだが、
特筆すべきは「ぬいぐるみ物売り」!!
これはダナンのレストランの風景なのだが、
今回、ここトゥイホアで出勤中のぬいぐるみと遭遇!!
何度もベトナムには来ているがこれは貴重なショットである!!
ぬいぐるみ君、お仕事頑張りたまへ〜!!
さてこのまま安宿でこてんと寝ながら調べてたら、
何とここトゥイホアはマグロの街らしい!(◎_◎;)
だから昨日の店でみんなマグロの刺身を食ってたのか・・・
日本からベトナム来て何でわざわざマグロ食わないかんのと思ってたら(>_<)
何とかリベンジしたいのでFish Marketというのを探しておいた。
ところが4:30から7:00までしか営業してないというので、
朝早起きして朝日を拝む・・・
着いたらそこは漁師町・・・
メシ食うところなんかありゃしない(>_<)
ここがマーケット?って言うより地元の人が漁師から買い付けてるだけ?・・・
おばちゃん仕事頑張って!!
しゃーないなぁ〜・・・ここでマグロは諦めて、
昨夜行ったマグロ専門店(らしい)の店に行ってマグロを注文!!
日本のワサビもちゃんと出て来るが、
基本は葉っぱに包んでベトナム風!!
ベトナムの醤油はちょっと甘くて九州風・・・
本当は白ご飯頼んで白飯に乗っけて食いたかったのだが、
Google翻訳さんに頼んでも「白ご飯は置いてません」と(>_<)
仕方ないのでこれもまたお店の名物らしいマグロお粥!!
とっても美味でした!!
思い残すことなくまた北上します〜
続く
Posted by ファンキー末吉 at:08:56 | 固定リンク
ベトナム旅日記(ニンホア)
「歩く速さで生きてゆきたい」
これはRunnerがヒットして初めて事務所から長期休暇をもらった時、私がファンクラブ会報に書いた言葉である。
それを見て和佐田がひと言・・・「末吉の歩く速さは人が走るんより速いからのう」(笑)
はいはい、わかりました!!
それでは今回ベトナムにちなんで言わせてもらいましょう!!
コーヒーの落ちる速さで生きてゆこう!!
ここはニャチャンのバス停前の喫茶店。
隣街のニンホアまでの待ち時間である。
一応長距離バスなのだろうが、時刻表があるわけでもなく、前もってチケットを買うわけでもない。
炎天下のバス停でぼーっと待つと熱中症になってしまいそうなので、
取りあえずバス停の前の喫茶店に飛び込んだというものだ。
ベトナム独特のこの練乳入りコーヒーは、
フランス統治時代、フランス人がカフェオーレを飲みたくて、
暑さで傷みやすいミルクの代わりに練乳を使ってからという話であるが、
コーヒーをたっぷり入れて、押して密度を上げると落ちる速さがゆっくりになり、
ゆっくりになればなるほど濃いコーヒーとなるわけだ。
そう、急ぐ旅でもないのだからゆっくり待てばよい。
NINH HOAと書いたバスは一台来たけれども、
またどうせすぐに来るのだから濃ゆいコーヒーでも飲んでゆっくり待てばよい・・・
・・・と思ったらいきなり店員がやって来てドリッパーを斜めにした!(◎_◎;)
斜めにするといきなり落ちる速度が上がるのな・・・(驚)
というわけであたふたと次に来たバスに乗り込んだ・・・
長距離バスと言うよりは普通のローカルバス・・・
運転手の他に車掌さんもいて、
「どこまで行くんだ」
と聞いて来てるのだろう、一生懸命ベトナム語で話して来るので、
「ニンホア!!ニンホア!!」
と叫んでいたら切符をくれた。
22,000ドン・・・日本円で110円・・・安い!!(◎_◎;)
しばしのんびりとバスの旅〜
Googleマップによると隣街のニンホアまでは大体1時間ちょっと。
このバスのルートにはビーチはないので、取りあえずマップを見ながら鉄道駅の近くに来たら声をかけて停めてもらう。
バス停で降りて駅まで行ってみるが、駅には何もない(>_<)
駅前もこんな感じ
列車も来る気配がない・・・
取りあえずぽつんと一軒オシャレな美容院があったので髪の毛を洗ってもらいながら考える・・・
この街は海まで遠いのですっ飛ばして次の街へ行こう!!(笑)
・・・というわけで駅に戻って時刻表を探す〜
北に上る列車はもう1時間前に出ているはずなのに、なぜか待合室にはいっぱい人がいる・・・
駅員さんに聞いてみると、なんとその列車が1時間遅れていてもうすぐ着くと!(◎_◎;)
急いで隣街の「トゥイホア」までの切符を買ってやって来た列車に飛び乗る!!
座席のチケットはなく、二等寝台席だったのだが・・・
メシを食ってなかったので食堂車を探す・・・
一等座席車両(中国で言うと软座)を抜けて二等座席車両(中国で言うと硬座)を抜けると、食堂車があった!!
奥に調理場があるようだ・・・
メニュー!!
取りあえずビール!1
指差しで頼んだものはこんなんだった〜
テーブルにはちゃんと調味料などもある!!
チキンも売りに来たのでそれも〜!!
ほろ酔いで席に戻ると景色は絶景!!
子供にも絶景はわかるのだな・・・
列車に揺られること2時間弱、目的地(でもないが)のトゥイホア(どこや?)に着いた!!
続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:28 | 固定リンク
2019年6月 1日
ベトナム旅日記(ニャチャン)
ビザの関係で10日間(かどうか定かでないが)国外に出られないので、行ったことのないどこかベトナムの街に行ってみようと思い立った。
「ベトナム縦断鉄道に乗りたい」と思っていたので、北に行くか南に行くか・・・ダナンはちょうど真ん中なのだが、北に行けばフエやハノイ、南に行けばビーチリゾートで有名なニャチャン・・・
ビーチリゾート?・・・加山雄三の次にビーチが似合うファンキー末吉としてはやっぱここだろうということで初ベトナム縦断鉄道!!
ダナン駅ちっちゃ!!(笑)
チケットセンターも何やら駅の売店みたいなとこで買っていざ乗車!!
乗る列車は向かいのホームなんですが、陸橋とかがあるわけでもなく線路から乗り込む(笑)
ひと晩ゆっくり寝ればもうニャチャン!!
やっぱり線路に降りる(笑)
ニャチャン駅もちっちゃ!!(笑)
タクシーでビーチまで行って適当にホテルにチェックイン!!
バックパッカーなので大体1000円から3000円ぐらいまでを選ぶ・・・
ホテルから見るビーチ!!
まあダナンとさほど変わらない・・・
ダナンと大きな違いは酒を売ってる店が多い!(◎_◎;)
そしてロシア語の看板が多い!(◎_◎;)
聞くところによると、モスクワからニャチャンまで直航便が飛んでいて、ニャチャンはロシア人に人気のリゾート地なんだと・・・
ロシア人酒飲むからのう・・・(笑)
観光で食ってる街のイヤなところは、色んなところでボラれること(>_<)
早速ビーチでボラれてこの街がイヤになる・・・
都会はこれだからイヤなのよ〜(涙)・・・でも都会ならではのいいところもあるだろうと、オシャレなステーキ屋を探す!!
シーフードは食い飽きたのでぼちぼち肉が食いたいのよ〜
レベル高っ!!(◎_◎;)・・・ちなみに日本円で1500円ぐらい!(◎_◎;)
スエーデン人の親子が経営していて、11歳の白人の子供が給仕に来るのだが、英語もベトナム語もペラペラで、給仕のサービスも最高!!
ちなみに5ヶ月前に開店したばかりで、Googleの口コミでいきなり大繁盛!!・・・そりゃそうやわのう、レベル高すぎ・・・
帰り道にビーチでイベントをやっていたので見に行った。
前座か?ピンクレディーみたいな女性二人組!!
中国のイベントでもよくある地元の演歌歌手?・・・
蓮舫さんか秋野暢子さんにしか見えない女性歌手!!
など出て、トリがベトナム民謡っぽい歌を歌う大歌手(っぽい)!!
ええなぁ・・・やっぱりこんなのが一番この国に合うのよねぇ・・・
というわけで酔っ払ってホテルに帰って翌朝の朝日!!
・・・まあベトナムの海は全て東に面してるから、どのビーチも海から朝日が昇るのよねぇ・・・
ダナンと違うのは砂浜に自転車が乗り付けられること。
自転車でやって来て朝泳ぐ地元民が多い。
この街は物価が高そうなので一泊だけでそそくさと次の街へ向かふ!!
小さな街を経由してゆっくりダナンに向かう所存であります!!
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2019年5月31日
ベトナムビザとの戦い
末吉〜移動っつうのはなぁ、何時間かかったかっつうのよりやっぱ「どんだけ移動したか」やで・・・
とは和佐田の言葉・・・
つまり、1000kmの距離を飛行機で2時間で移動しようが列車で10時間で移動しようが、やっぱ「1000kmぶん」疲れると言うのである。
まあ科学的な立証のほどはさておいて・・・やっぱ移動は疲れる(笑)
今年は1月7日から2月24日まで日本各地でツアーを周り、
そのまま3月3日までほーじんエイド関係、そして3日にX.Y.Z.→Aをやった後にはカンボジアに飛ぶ(これ逃避(笑))
そしてそのまま布衣のツアー!!移動距離2万km!!地球半周(笑)
まあね、毎日けっこう寝てるのよ。
睡眠時間は足りてるし、労働言うても所詮は毎日ステージに上がる2時間程度、
ミュージシャンはその2時間に全てを凝縮するので、あとはまあぼーっとしてると言うか「生きてない」(笑)
まあ頑張ってるのはせいぜいその2時間だけで、後の22時間はその準備!!
これだけ見ると「楽な職業」なんやけどなぁ・・・
私の場合、この合間にいろんなプロジェクトや事務処理をやるからそれはそれで疲れるのだけれども・・・
これがこれで同じところでずーっと作業してたとしたら「こんなに疲れるかな」とも思う・・・
(まあそれはそれで「明日が今日と同じである」という生活が出来ない私にとっては「地獄」なのだろうが)
誰かと飲んでた時に、私の身体を心配してくれた人にまた和佐田はこんなことも言った。
「末吉はこう見えてオンオフの切り替えが上手いから大丈夫よ」
うむ、まさにその通り!!
日本ツアーと布衣の中国ツアーの間にカンボジアが入っているのが大きな息抜き!!
というわけで今回、布衣ツアー終わりで音楽室DX5Daysを終えた後、私はすぐにベトナムのダナンに飛んだ!!
香川県高松市で母の法事、そして「KAGAWAアンバサダー」に任命されたためそのまま香川県知事を表敬訪問、そしてそのまま大阪に移動して関空からバンコク経由でダナンに降り立ったのである。
ベトナムは日本人はノービザで入国出来る。
でも気をつけなければならないのは、
「一度出国したら次の入国が一ヶ月以内の場合はビザが必要」
なのである。
入国先をダナンにしたのは、6月6日にY社長のイベント「百人交流会」の賑やかしでドラムを叩くから取りあえず先にダナンに入ったわけで、
その後6月18日から始まる「祝!!65歳の地図PV1万回再生記念ファンキーはんと大村はんアジアツアー」
でホーチミンとダナンに来るのでビザもちゃんと取ってあった。
ところが旅行会社との連絡ミスで、蓋を開けてみたらザビエル大村と同じ「6月18日入国」というビザが取られていた!(◎_◎;)
つまり今回の5月22日入国時にはこのビザは有効ではなく、
この時の入国の際には「ノービザ入国」となる(>_<)
まあノービザでも15日間滞在出来るので、そのまま6月6日までベトナム居ればいいのね・・・と思ったら、5月22日に入国して15日目は、イベント前日の6月5日!(◎_◎;)
つまりこのまま6月6日まで居残ればオーバーステイ(涙)
じゃあ一度出国してまた戻って来ればいいのだが、
前述の「一度出国したら次の入国が一ヶ月以内の場合はビザが必要」という原則で、
6月18日から有効なベトナムビザ以外に、その前にもう一度入国するためのビザが必要!(>_<)
もうパスポートにページがないのよ・・・(涙)
というわけで現地のY社長に相談!!
会社のベトナム人スタッフに調べてもらったところ、
18日から有効のビザの有効期限を書き換えることが可能とのこと!(◎_◎;)
つまり今回はノービザ入国ではなく、書き換えて有効になったビザで入国したことになる、つまりはその後何度出入国を繰り返してもビザが有効な期間は問題ないということになる\(^o^)/
というわけでベトナム人スタッフに連れられて、出入国管理局なのか何なのかの施設に連れて来られたのだが・・・
この施設には全く英語表記がなく、全ての手続きはベトナム語で行わねばならない!(◎_◎;)
もうね、ベトナム人スタッフ万歳!!あなたが居なければ絶対に無理でした!!(涙)
そしてどどんと渡されたのがパスポート全ページのコピー!!(◎_◎;)
それぞれのページに割印が押されていて、パスポートを預けている間、これがパスポートの代わりになるのだとか・・・
中国で言うとこの書類みたいな感じやな・・・
んで?・・・ビザはいつ交付されてパスポートはいつ戻って来んの?・・・
10Days?・・・10日かぁ・・・長いのう・・・
・・・って10営業日やったら6月6日のライブも終わって次カンボジアのライブにもない合わんやん(>_<)
しゃーないなぁ〜・・・まあ取りあえず国外には出れんがこのコピーあれば列車や飛行機には乗れると言うから、ベトナム縦断鉄道でも乗ってどっか遠くにでも行きますか・・・
探さないで下さい(笑)
ベトナム縦断列車で朝日を拝む〜 - Spherical Image - RICOH THETA
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2019年3月 9日
痒い話@カンボジア
1月4日からずーっと働きっぱなしだったので、
3月4日のX.Y.Z.→Aライブが終わってすぐにカンボジアに飛んだ。
「すぐに」と言っても激安チケットなので香港で14時間トランジット(>_<)
しゃーないなぁ〜・・・ベンチで寝ますか・・・
香港で14時間のトランジット(笑) しゃーないなぁ〜・・・ベンチで寝ますか・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
と思ったら寒い!!(>_<)
香港人はどうしてこんな冷蔵庫のようなところで暮らすのだ!!
とばかり睡眠不足でカンボジア入りしたのがよくなかったのだろう・・・
着いてメシ食ってバタンQ(死語)したら痒くて夜中に目が覚めた。
見れば手足に湿疹のような赤い斑点がたくさん出て来ている・・・
真っ先に思いついたのが「寒暖差アレルギー」!!
前回カンボジアから浙江省に飛んだ時に出た「アレルギー」である。
しかしよく見ると、アレルギーの蕁麻疹に比べたらちょっと「ぶつぶつ」している気がする・・・
次の日になると右腕はパンパンに晴れ上がり、次に思い浮かんだのが「疥癬」!!
これは恐ろしい「虫」である。
なにせ皮膚に寄生して皮膚の中に卵を産み、身体中に繁殖してゆく・・・((((;゚Д゚)))))))
しかし疥癬の場合、皮膚の中に卵を産み付けて皮膚の中を移動して、また次のところに卵を産むために、その通り道に「疥癬トンネル」というものが出来るのだが、今回はそれがあるようなないような・・・
とりあえず病院に行こうというわけで、
聞けばカード付帯の保険により海外では無料だと言うではないか!!
アメックスに電話をして紹介してもらうのだが、
皮膚科の専門医のスケジュールは翌々日の午前中しか空いてないと言う(>_<)
一応そこも予約もして、翌日くっくま孤児院の25人のお母さま美和さんにプノンペンの日本語医院を紹介してもらう・・・
痒みを抑える薬と塗り薬を処方してもらって塗ったらちょっとはよくなった。
しかし、これがもし「疥癬」だったとしたら、疥癬専門の薬じゃないと死滅しないどころか、
前回などは「殺されちゃたまらん」とばかり大繁殖して、右手がそれこそゴーヤのようにぱんぱんに腫れ上がった(>_<)
翌日ドキドキもんで皮膚科の専門医に診てもらったら、
「一応疥癬の可能性もあるので」
ということで疥癬用の薬も出してくれた。
そうそう、「スミスリン」ね・・・
前回は薬屋に自分で買いに行って部屋中にこれ撒いて消毒してたし・・・
疥癬の薬と、その他ダニや南京虫の薬は併用してもいいということで、
結局こんないっぱいの薬が・・・(笑)
はい、今は徐々によくなりつつありますが・・・痒いです。
激安ホテルはこれがあるから怖いです(涙)
香港の重慶大厦(チョンキンマンション)泊まった時にもダニにやられたし・・・(>_<)
一応ホテルにクレーム言って部屋は替えてもらいました!!
・・・ということは次にそのベッドで寝た人は同じ目に合うのか?・・・
いやいや、やっぱ「体力」だと思うのです。
1月4日から働き詰めで、飲み続けて免疫力下がって、
香港でも寝てなくてベッドにバタンQ・・・
疥癬虫さん南京虫さん大喜び!!・・・(>_<)
かと言って高級ホテルに泊まる金はなし(涙)
こりゃカンボジアにひとつ部屋を借りるしかありませんな・・・
痒い話でした!!
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Posted by ファンキー末吉 at:08:22 | 固定リンク
2018年12月22日
クメール語版「中国のマドンナ」
このアルバムに収録される「中国のマドンナ」という曲(DEMO音源21:40から、ライブ音源20:25から)は、他の国のバージョンでは「別にシチュエーションは黄河のほとりとか中国でなくてもいいよ」と言っている。
カンボジアのくっくま孤児院に着いて、車座になって「どんなシチュエーションにする?」と話し合った。
まずは「君たちがね、将来好きな人が出来て、結婚して住むとしたらどんなところがいい?」と聞くところから始まる・・・
バンドの4人の意見はだいたい同じだったようで、やはりそこはプノンペンのような都会ではなく、小さな田舎の村だったようだ。
「川のそばの小さな村の中の小さな家」というのがこの曲のテーマである。
みんなどんな村を想像してこの詞を書いたのだろう・・・興味津々である。
実際にそのイメージを詞にするのは主にボーカルの子。他の3人は意見を言ってこの子が詞にまとめる。またこの子がちょっと言葉探しなど迷った時にはみんなに意見を聞いているようだ・・・
作詞ちう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
座って書いてたのだが、だんだん熱が入って寝そべって来る・・・(笑)
出来たら歌ってみる。
ここからはボーカルだけの作業で、他の3人は心の中で声援するのみ・・・
ここでワンコーラスだけだが一応最初のバージョンが完成するのだが、「詞を直したい」というので、残りは翌日に持ち込んでこの日は終了!!
このような前向きな意見が出るということは素晴らしいことである。詞のレベルが上がるだけではなく、詞にどんどん思い入れが詰まってくる。
終了後は孤児院のみんなと一緒に差し入れのスキヤキをみんなで食べる〜・・・ちなみに生卵はイオンプノンペン店で生食用のを買って来ました。牛肉は一応25人分買って来たつもりだが、英語塾に行っている8人の分もほぼ全部食べちゃった・・・(笑)
さて翌日に子供たちが学校から帰る頃を見計らって行ってみたら、うろ覚えだったメロディーも完璧に覚えていて、詞の直しも終わっていた。
つるっとレコーディングして2番を作っておしまい!!
演奏するのは簡単な曲なので、イントロとかをバンド用に作ってあげて簡単なバンドアレンジをしてあげる。
なぜかと言うと、この子たちは先日も結婚式に呼ばれて演奏するという「仕事」に行って来た。
カンボジアでは結婚式は延々4時間とかずーっと演奏しなければならないらしく、これはバンドとしては「出口」があるなと考えてのことである。
日本のバンドから「僕たちデビューしたいんですけどどうやったらデビュー出来ますか?」と聞かれることがあるが、こっちが聞きたい!!(笑)
日本はひと握りのレコード会社と音楽プロダクションが全てを牛耳っていて、そこに辿り着かないとあとはインディーズしかない。
インディーズも、ライブハウスは基本自分で客を呼ばねばならない訳で、ここから顧客が広がってゆくということは夢のまた夢である。
カンボジアの音楽界もきっと一部のトップの人たちだけで回っているのだろうけど、見知らぬ大勢の人の前で演奏出来るチャンスが多いということは、彼らのように「何も持たない」人たちにとっては大きな「出口」だなと思ってのことである。
4時間も演奏するのだから、このようなオリジナル曲を演奏したっていいだろうし、この曲の設定の村を新郎新婦の村に変えるだけで、新郎新婦への大きなプレゼントになる・・・
彼らは孤児なので当然音楽教育など受けたことはなく、見様見真似で楽器を弾いているだけと言うが、なかなかどうして飲み込みも早く、一瞬でバンドバージョンが出来上がった。
さて前日の歌入れの時にも思っていたのだが、もともとこのオケがあって、それに合わせて歌っているだけなので仕方がないのだが、この子にとってはこの曲のキーはちょっと低いようだ・・・
ちゃんとキー合わせをしてみる。
もともとCのキーなのだが、Dぐらいまで上げてあげるのがよさそうだ・・・
というわけで、バンドのみんなにはこれは「宿題」。さっき演奏したものをDのキーで出来るようにして、間奏も自分でいいメロディーを考えて完成させて下さい〜
それにしてもこのボーカルの子はずーっとリーダーシップを発揮していて、さすが「歌手になりたい」という夢を持っているだけのことはある・・・
彼女から送られて来たお手紙
オケのキーを機械で強引に変えて彼女にもう一度歌ってもらった。
もうメロディーもちゃんと頭に入っているのでつるっと2回歌ってもうOK!!
ホテルに帰ってデータを編集して簡単なMTVにしてあげた。
これを作りながら何故か彼女の歌と可愛らしさに涙が出て来た・・・
いや、本当に「歌手になる」どころか、ヘタしたら「カンボジアで一番のスター」になれるかも知れんぞ・・・(ブログ「希望の星になれ」)
この子たちははたしてどんな村のどんな小さな家を思い浮かべて詞を書いたのだろう・・・
そして将来はどんな伴侶を見つけてその描いたような生活をするのだろう・・・
この子たちがこの日に思い描いた通りに、幸せな人生を歩んで欲しいと心からそう願う。
この曲はオケは既に完成。クメール語版の本チャン歌入れは来年、そして日本語版の歌は年末に入れる予定です。
仕上がりをお楽しみに!!
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Posted by ファンキー末吉 at:17:02 | 固定リンク
2018年12月 4日
BEYONDの思い出の曲
黄家駒が生きてた頃は、ただ毎日一緒に飲んで遊んで、死んでから初めてBEYONDがこんなに偉大なバンドだと知った。
最初に愕然としたのがこの曲!!
AMANI
アイドルとして(?)人気絶頂の時にアフリカに行って戦争で焼け出された子供たちを慰問し、この反戦歌をヒットチャートに放り込んだんだから凄い!!
黄家駒の葬式の時だったか、
香港のどっかの広場でWINGと待ち合わせしてて、
なかなか来ないからひとりで開店寿司屋に入ってビール飲んでたのよね。
そしたらこの曲がテレビで流れて来てしかも字幕付き・・・
戦争の影でいつも傷つくのは
何の力もない子供たち
僕は歌うよ!!
以下AMANIのからの一節はスワヒリ語で「愛、平和、僕たちに力を」
もうね、ちょっと前に死んだ人間が
「僕は歌うよ!!歌い続ける!!」
と歌ってんだから、ひとりで号泣!!
ビールが日本酒に変わり、泥酔して葬儀に行った・・・(笑)
ところでこの曲の日本語バージョンがYouTubeにアップされてた!(◎_◎;)
あのね、これ私が作った日本語詞、夜総会バンドの音源なんですけど・・・(笑)
次にこれ!!光輝歲月!!
神に召された黒人の追悼曲で、
「彼の人生の意義は皮膚の色による差別との戦いだった」
とか
「虹が美しいのはそれぞれの色が分かれてないからだ」
とか、もう涙・・・(号泣)
もうこの辺は大スタンダードで、中華圏の酒場だけでなく、
タイのパタヤビーチやチャン島の箱バンまで演奏してた定番曲ですな!!(凄っ)
そして最近お気に入りなのはこれ!!
「理想よさようなら」と来て、最後には
「共にRock'n Rollと高らかに叫ぼう!!」
ですからもう涙が止まりません!!(号泣)
Rock'n Rollと言えば、人差し指と小指を立てたロックピースサインを初めて見たのは黄家駒の葬儀の時だった。
葬儀場から棺が運ばれる時に、道という道を埋め尽くしたBEYONDファンがみんな、このロックサインを掲げて泣きながら「BEYOND!!BEYOND!!」と全員で連呼していた・・・(涙)
そう、BEYONDは偉大な「ロックバンド」だった。
黄家駒は死んで「ロックの神様」になった。
その精神を残された私たちが継承してゆく・・・(まだ道半ば)
黄家駒の遺作となったこの曲
なんかを叩く時はいつも泣きながら叩いている。
「ドラムを教えてくれ」という中国人にはいつもこの曲を例に取ってこう言う。
この曲のな、間奏に入る前には今まで押さえつけてたものを全部解き放つかのようなオカズを入れるんだけど、間奏に入った瞬間にはちょっとだけ力を抜いてやるんだよ。
それが「悲しさ」を表現する・・・
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」
そんな気持ちをドラムで表現しながら天と会話するのだ。
この曲なんかも思い出深い・・・
これはBEYONDというよりWINGとの思い出・・・
思えば彼が一番どん底の時・・・
ドラムをやめて歌を歌い始めた彼が、
広東省の酒場でギターを弾きながらこの曲を歌ってた。
「何でバンドじゃないんだ!!バンドだったらどんなど田舎にも俺がドラムで一緒について行ってやるのに・・・」
などと思ってたら、十数年後にはWINGバンドで一緒にワールドツアーを廻っている(笑)
そして今度はPaulも一緒!!
あと2回リハーサルしたらマカオでコンサート!!
その後は広東省と四川省、タイとマレーシアとシンガポールが決まってます!!
今回3回も香港に往復してリハをやるスケジュールも含めて全部すっぽり合間に入ったけどさすがに広東省はスケジュールがぶつかった(>_<)
あとアメリカとカナダも行くんやと・・・スケジュール合いますように!!
Posted by ファンキー末吉 at:12:48 | 固定リンク
2018年11月 2日
支援は人のためにあらず
いや、このプロジェクトへの支援のことじゃないですよ(笑)
カンボジアくっくま孤児院の子ども達が訳詞作業に入ったようでメッセージが届きました〜
私はちょうど早起きしてこのオーケストラアレンジを詰めていたのですが、
「もうこれで完成かな」
と思っていたのを思い直して、最後にもうひと盛り上がりストリングスを駆け上がらせることにしたのです。
この作業はとても大変で、既に木管楽器も金管楽器もそれに緻密に絡んで作り上げているので、
ストリングスを変更するとそれも全部変更せねばならない・・・
でもね、彼らのメッセージを見て、「しんどいからって諦めちゃいけない」と思った。
まだ出来ることがあるんだったらしんどくたってやってしまおう・・・
それがね、しんどいのに無理やりっつうんじゃなく、
本当に爽やかに、「よっしゃ〜!!ほなやりますか!!」みたいに思えてくる・・・
孤児院のプロジェクトムービーの中にこんな言葉があるのです。
子ども達の家庭環境はさまざまですが
そんな事を感じさせないキラキラの笑顔は
私たち日本人が忘れかけていた
大切な何かを思い出させてくれます
そして元気をくれます!
これを見た時に、私は最初に中国ロックのために身を捧げた事を思い出しました。
天安門事件の翌年、中国共産党の締め付けの厳しい時代に地下活動としてロックをやっている若者を見て、何かをやってあげたいと思って・・・
まあそのせいで爆風スランプも活動休止に追い込まれ、結果日本の色んなものを捨てて中国に渡って来たわけですが、
時々中国のロック関係者や熱烈なロックファンから、
「Funkyさん、あなたがしてくれた中国ロックのための多大な援助に心から感謝します」
と言われることがあるが、いつもこの言葉に違和感を感じていたのです・・・
「私は中国ロックから教わったことが多い。むしろ私こそ中国ロックに感謝しています」
いつもそう答えるのですが、今回ちょっとこんな考えが脳裏をかすめました。
私がもし中国ロックと出会わなかったらどうなってただろう・・・
爆風スランプはそのまま活動を続け、ひょっとしたらRunnnerやリゾ・ラバに続くヒット曲もどんどん生み出すことも出来て、私はもっともっとお金持ちになって、その金で中国でロックをやってた?・・・
歴史に「もしも」はないのでこればかりはわかりませんが、
私は、あの時に中国ロックと出会ったことにより、「ロックとは何か」を追求する道に入ったということだと思うのです。
それは別に爆風スランプをやりながらでも追求出来ることなのかも知れないけど、
私は中国ロックにその道しるべを教えてもらって、その道しるべと共に行きたかったのだと思うのです。
まあこればかりは今も道半ばで、一生追求し続けることなのだと思いますが、
中国で「ロックとは何か」という議論になると、決まって最後には
「Funkyを見てみろよ。あれがロックだよ」
と言って議論が終わって笑顔で乾杯になったりします(笑)
そんな時にいつも身が引き締まるような思いがするのです。
この道の後ろをついて来る若者がいっぱいいる・・・
だから気を抜けない!!どんな小さなコンサートでも最高の演奏をする!!
そう思うと別にしんどいこともしんどくないのです・・・
くっくま孤児院の子ども達を支援している数多くの方々も、
きっとこの子たちから「何かをもらっている」と感じていると思います。
支援は人のためにあらず・・・
かく言う私も孤児院を訪ねた時に少額ですが支援金を置いて来ました。
「ありがとう御座います」とスタッフに深々と頭を下げられてどうもむず痒い・・・
「いやいや、川沿いのビヤバーでお姉ちゃん侍らせてベロンベロンになるまで飲んだらもっと取られるんですから(笑)」
そう、お姉ちゃんに巻き上げられるぐらいだったら、ここにお金を落とした方がもっともっと「楽しい」よ。
その日は、いやそれからもずーっと私は楽しい思いをしている・・・
この、日本の音楽ビジネスの狭間で捨てられてしまったこのアルバムが、
こうして時を超えて海を超えて、この子ども達の未来に何かを残してくれるならこんなに楽しいことはない。
色んなことが「楽しみ」に変わる。
だから数多くの日本の方々がこの子たちに支援をしているんじゃないかな・・・
よかったら皆さんもこの子たちを支援してみては如何ですか・・・こちら
米米マンなんて面白そう・・・(笑)
正月は勝山連れてカンボジアまでおせちの炊き出しに行こうかな・・・
そして、この「ある愛の唄プロジェクト」も皆さまから支援を受けて初めている事を改めて肝に命じ、頂いた支援よりも大きなものを返せるように頑張ろうと心を新たにしている今日のこの素晴らしい朝です。
ひとつのビデオメッセージが「幸せ」を運んで来てくれました。
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2018年10月26日
クメール語バージョン制作開始!!
このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!
日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。
日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。
私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。
実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。
ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。
何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。
サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・
だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)
うって変わって二井原実。
X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。
私の場合は考え方が二井原に近い。
いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。
例えばこのアルバムの歌詞で言うと、
M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ
とか
M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ
とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。
(このアルバムのDEMOフルバージョン)
歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。
いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。
「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。
M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。
要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。
この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。
ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・
このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。
でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・
そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・
そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・
数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。
私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?
私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・
異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。
彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。
20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)
そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。
だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。
年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。
そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・
そうなって欲しい。
まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・
この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事)
まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。
一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。
上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。
そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!
このバンド
そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!
その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。
私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)
このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。
共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。
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Posted by ファンキー末吉 at:06:53 | 固定リンク
2018年9月 5日
箱バン
どうしてミュージシャンになったかと言う問いに関して、
「女にモテたかった」
とか
「有名になりたかった」
とか
「大金持ちになりたかった」
とか答える人がいるが、私の場合はどれも当てはまらない。
強いて言うと、
「毎日ドラムを叩いて暮らしてゆきたかった」
である。
高校の時に担任の先生に言った言葉からして、
「大阪行ってキャバレーなんかで演奏する」
・・・つまり「箱バン」をやるというのが「夢」だったのだ。
この世にいくつものパラレルワールドがあるとしたら、
お隣、もしくはごく近いパラレルワールドのファンキー末吉は箱バンをやって生活しているかも知れない・・・
ところが「この世界」では縁がなく、私は「箱バン」という仕事をやったことがない。
一度六本木のライブハウスが、
バンド演奏が終わったらすぐに箱バンが入る店だったので、
そのまま居残って叩かせてもらったことがある。
バンマスが「何番」と番号を言ったら譜面のそのページを開いて、
ドラム譜しか書かれてないその譜面を見ていきなり叩く・・・
コード譜を見て叩くのに慣れてたので最初は手こずったが、
1ステージ何とか乗り切って、その箱バンのドラマーさんにも褒められた(笑)
いや、なかなか「技術職」で楽しい職業だなと思ったのだが、
それからはもう「縁」はなく、箱バンの「仕事」というのは結局今に至るまでやったことがない。
人によっては
「やらない方がいいよ。あの世界から抜けられなくなるよ」
と言う人もいるが、確かに北京のバー文化全盛の頃には、
三里屯なんかのどのバーも流行歌なんかをやっていて、
「その仕事やったらもう戻って来れない」
と言われてた頃もあった。
バンドでライブハウスに出るとビール1杯飲めるかどうかの20元ぐらいしか貰えないのが、そこで流行歌を叩いてるとその数倍のギャラを毎日貰えるのだ・・・
酒吧歌手(酒場歌手)みたいなのもたくさんいて、
ライブハウスなんかで「今からこのバンドでのし上がってやるぞ!!」みたいな「ボーカリスト」とは明らかに「何か」が違っていた。
ライブハウスのボーカリストの方が明らかに「キラキラ」してた・・・
それは何故だか考えてみたことがある。
酒場で流行歌を歌う、客が拍手する、
それは決してその歌手に送られている拍手ではない。
オリジナルの楽曲に対して送られている拍手なのだ・・・
それに「満足」して多額のギャラをもらい、
生活もそれに合わせて贅沢になるから、もう「抜けられない」のである。
そんな「ネガティブ」なイメージもある「箱バン」ではあるが、
まあ昔憧れた職業でもあるので、チャンスがあったら時々見に行ったりする。
ここ、タイの「チャーン島」というところにも
「The Rock Bar」という名前のロックバーがあり、
Googleマップでその名前を見た時から気になって仕方がなかった。
昨日ついに行って来たのよ〜!!
Rock Barという名のロックバーに来てたらシーズンオフで客おらず(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
客はほぼ私ひとり・・・(>_<)
まあね、シーズンオフの雨季やししゃーないわなぁ・・・
演奏するかな、と思ってたらほぼ私ひとりのために演奏を始めてくれた。
私ひとりのために演奏してくれました\(^o^)/ - Spherical Image - RICOH THETA
演目はスタンドバイミーから始まって、ロックナンバーも古目の曲が多くて楽しめた。
ベトナムのダナンのロックバーではバンドの年齢も若く、何より客が若いので新しめのロックが多く演奏されてたが、カンボジアのプノンペンのロックバーでは、客が年寄りの欧米人が多いので古めのロックが多かった。
新しめのロックってあんましよくわからへんのよねぇ・・・(笑)
ステージの上からボーカルが「どっから来たの?」と聞くから「Japan」と答えると、
「え?うちのキーボーディストは半分日本人よ」
と言うのでステージの合間に日本語で話しかけてみたけど、あいにく日本語はわからないらしい・・・
私はドラマーだと言うと「よしJamセッションしよう」と言うので叩かせて頂いた。
やっぱ叩かないわけはないですよねぇ〜(笑) しゃーないなぁ〜・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
演目はローリングストーンズの「ブラウンシュガー」と、
ドゥービーブラザースの「ロングトレインランニン」。
ドラムソロも頂きました〜
昨日の飛び入りセッションの模様がアップされてました〜 pic.twitter.com/rIeMtSh1bE
— FunkySueyoshi (@FunkySueyoshi) 2018年9月4日
終わってバンドのメンバーにも奢ってあげて一緒に飲んでたんだけど、
びっくりしたのは彼らはタイ人のバンドではなくフィリピンから来ているバンドだと!(◎_◎;)
高校の頃、生まれ故郷の坂出という田舎町にも「ディスコ」たるものが出来たというので行ってみたらフィリピンバンドが入っていて「上手メェ!!」と思ったことがある。
彼らは母国でも英語を話すことが多く、洋楽が「自分の言葉」として入って来るという話を聞いて「羨ましい」と思った記憶がある。
また演奏技術も高いので、こうして世界中で「箱バン」として活躍しているのだろう・・・
・・・それにしても首都であるバンコクから300km離れた、
トラートという街から更にフェリーに乗って、
島には交通機関がないのでトゥクトゥクに乗ってやっと着くような、
そんな街でもう5年も暮らしていると言う・・・
パラレルワールドのファンキー末吉もどこかこんな外国で箱バンやってるのかな・・・
などと思いながらこの日は酔い潰れてホテルに帰った。
翌日、「また明日も来るよ」と言ってはいたものの、
旅も最終日なのでひとりでステーキなど食ってたら・・・
向かいのホテルから何やら生演奏が聞こえて来る・・・
この小さな街でいっぱい箱バンがいるんだな・・・
・・・と思ってたらいきなりBEYONDの曲が!!!(◎_◎;)
不意を打たれてワインの酔いも相成って涙が出て来た・・・
黄家駒の遺作が、海を越えてこんなところにまで・・・
そのバンドの音に聞き入ってたのだが、
何やら汪峰の曲も・・・!(◎_◎;)
いや、確かに私がレコーディングした曲である・・・
ひょっとして中国人のバンドじゃないか?・・・
そう思って店に入っていった。
箱バンド鑑賞ちう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
いやね、これも絶対フィリピンバンド!!
少なくとも中国人はいない!!
だって中国人ミュージシャンなら俺の顔みたら絶対挨拶するもん(笑)
ステージが終わってちょっと喋ってみた。
「どうして中国の曲なんかレパートリーにあるの?」
「だって中国人のお客さんが喜ぶでしょ」
!(◎_◎;)・・・さっきやった最初の曲は広東語だし、次の曲は北京語よ。
どうやって覚えるの?・・・
「うーん、耳で聞いてだいたいね(笑)」
凄いなぁ・・・
私は日本人だと言ったので、きっと日本語の演目もあるのだろう・・・用意してたようだが、酔いも回ったのでそそくさと失礼した。
帰りながら考えた。
楽して金が稼げるなんてとんでもない!!
これはこれで大変なプロフェッショナルやぞ!!・・・
問題は毎日毎日の演奏に追われて、「上」を見なくなること・・・
このブログにも書いたが、そうなるともう「ミュージシャンとしておしまい」!!
でもそれは箱バンじゃなくても同じである。
もうすぐまた布衣のツアーが始まるが、
毎日毎日同じ曲の演奏で「上」を見なくなったら・・・
さてと、この片田舎の箱バンドから色々学ばせて頂いた。
今日はもう上海に帰って、明日からずーっとツアーである。
この「世界」の私もそうだが、
パラレルワールドで箱バンをやっているかも知れないファンキー末吉にも言いたい。
気を抜かずに「上」を見て頑張ろう!!
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2018年9月 3日
カンボジアから陸路でタイへ〜
シアヌークビルから陸路でタイに出国しようと決めて、ローンサンローム島でチケットを取った。
ようわからんが、出発は朝だということなので、とりあえずシアヌークビルで一泊!!
シアヌークビルの安宿チェックイン!! - Spherical Image - RICOH THETA
バックパッカー用の宿、8ベッドとかだと数百円であるけど、
私のイビキで人に迷惑をかけたくないので27ドルの個室を取った!!
27ドル!! - Spherical Image - RICOH THETA
晩メシは何を食おうかと思ったが、もう「中国」になってしまっているシアヌークビル、選択肢が中華しかない(>_<)
一軒だけ日本食があったので入ってみた・・・
扇子に書かれたセンスがいい(笑)
冷奴やキンピラなどつまみ系が1.5ドル!!だし巻き卵とかが2.5ドル!!
タイムサービスでアボガド巻き1.5ドルにサーモン巻き2.5ドル!!
何よりアンコールビールは1.5ドルなので5杯飲んでベロベロになっても全部で16ドルだった\(^o^)/
翌朝早めに出てバス会社へと〜
出発まで時間があるので近所の市場でヌードルを〜!!
昨日のうちに楽園を抜け出してシアヌークビルまで来たものの、上海への帰り便はもう間に合わんし、しゃーないなぁ〜陸路で国境越えでもしてみますか!! バスターミナル近くの市場で腹ごなし〜 - Spherical Image - RICOH THETA
「腹壊しませんか?」と言われそうだが、
ファンキー末吉の内臓と生まれた者たち、現地の人が壊さないなら絶対に壊さないでしょう(笑)
バス乗車!!白人バックパッカー率高し!!
白人バックパッカー率高し!! - Spherical Image - RICOH THETA
途中1回のトイレ休憩とランチ休憩!!
トイレは手桶の水洗でしたが、仕切りがあるだけ中国よりいい!!(笑)
基本、幹線道路なんやけど舗装されてなかったり、されてても穴だらけだったりでゆっくりゆっくり進むので、揺られること6時間以上(>_<)やっと国境の街ココンに着いた〜・・・
正規の職員のような振りして手続き代行するが後で15ドル払わされる(>_<)でもまあVIP通って一瞬で手続き終わる・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
バスから降ろされて、バス会社の職員のような人間に連れて行かれ、
パスポートを見せてイミグレーションカードを書いてもらう・・・
・・・ってか他の選択肢がないんですけど(>_<)
カンボジア出国イミグレーションなう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
書き終わったらイミグレーションのVIP窓口に持って行って、並ばずにあっと言う前に出国完了!!
でも15ドル取られた(>_<)
あーた15ドル言うたら昨夜の日本食食べれるのよ!!
自分でやったらタダだったのにと思っても後の祭り・・・しゃーないなぁ〜(>_<)
タイに渡った〜!! - Spherical Image - RICOH THETA
タイへの入国は自分でイミグレーションカード書いて、
まあ並ぶほども人がおらんかったから無事入国〜\(^o^)/
小さなバンに乗せられて1時間余り、タイ側は舗装が完璧で飛ばす飛ばす・・・
あとカンボジアの車右通行からタイの車左側通行になるので一瞬乗ってて戸惑う・・・
着いた〜とばかり降ろされたところは、街はずれのガソリンスタンド。
きっと他の人はバンコクまで行くのだろう、私はもう移動に疲れたのでこの辺で宿を探す・・・
ところがさっきまで使えてた国境で買ったSIMが使えん(>_<)
ネットに繋がらにゃ宿も取れんしUberも呼べんぞ・・・
とりあえず隣のセブンイレブンで購入しようとしたが、
「外国人のパスポート認証は取り扱ってません」
!(◎_◎;)
・・・思い知らされた・・・ネットがなければ何も出来ん(>_<)・・・続く
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Posted by ファンキー末吉 at:11:21 | 固定リンク
2018年9月 1日
カンボジアの離島「コーロングサンローム」
もうね、シアヌークビル の市街地をバイクで走っててイヤになった(>_<)
看板中国語ばっかで中国系カジノとか建設ラッシュで、埃っぽいし道はガタガタやし・・・(涙)
でも市街地から離れると猿がいました!(◎_◎;)
まあこれ以外には全く面白いものはなかったので、さっさとバイクを返して、そのバイク屋で離島行きのチケットを買った。
「あそこに停まっているトラックに乗れ」と言われるので乗ってみたら・・・
仕方がないので離島にでも行こうかと切符を買ったらトラックに押し込められて西洋人ばっかなのでビビる!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
白人ばっか!!(◎_◎;)
・・・もうね、戦場にでも連れて行かれる気分(連れて行かれたことないけど)
離島は二つあって、目指すは小さい方の島「コーロングサンローム」。
まず大きな方に着いたのだがじっと我慢で降りず、
小さい方の北の港に着いたのだがそこでも降りず、
「終点ですよ」と言われた東側のビーチで降りる。
地図で見るにここが一番大きなビーチのはずである。
またレンタバイクでも借りて島じゅう探検して、どっか気に入った別のビーチがあればそこにで宿を取ればよい・・・
・・・などと考えてたら、レンタバイク屋なんかありゃしない!(◎_◎;)
そもそもが浜辺があるだけで「道」自体がないのだ(>_<)
降りた波止場が間違ってのでは?・・・ 離島には「道路」がないのね、ひたすら浜辺を歩いて今宵の宿を探す・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
まずは宿を取らねばならないのだが、
途中携帯の電波が悪く、40分も歩いただろうか、やっと電波が入ったのでBooking.comに繋ぐ・・・
なんとシービューのバンガローが21ドルであるではないか!!・・・ポチリ!!
その場所を地図表示させると、何と元来た辺り(>_<)
また40分ほど歩いて引き換えす・・・
そして地図に表示された辺りに来てもう一度マップを見ると・・・
場所は実はさっきの辺り!(◎_◎;)
電波が悪いので地図にうまく表示されないのね(>_<)
また汗だくで40分歩いてやっと元のところに戻って来た・・・
バンガローと言ってもまあ掘っ建て小屋のようなものなのだが、
見事に浜辺沿いの「シービュー」!!
これで21ドルは安い!!!\(^o^)/
でも「安いには理由がある」
実は目の前のバーで夜通しガンガンに音楽をかけてるのよね(>_<)
「11時には店が閉まるから」
と言いながら12時になっても終わりやしない(>_<)
飲むしかないので飲み続けてバタンQ(死語)
そしたら明け方・・・朝日で目が覚めた!(◎_◎;)
そうかぁ・・・東側だから「サンライズビーチ」なのね・・・
ちなみにカンボジアは今雨季・・・
まあ日本の梅雨と違ってずーっと降り続けてるわけではないので、
とりあえず雨が降ったらテラスでお仕事。
午前中はここでメシ食いながら仕事しますか〜 - Spherical Image - RICOH THETA
晴れたら浜辺で・・・しゃーないなぁ〜(笑)
午後は・・・しゃーないなぁ〜(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
海が文字通り「透き通るようなエメラルドグリーン」でこんな感じ・・・
そして果てしなく続く遠浅の海・・・
透き通ったエメラルドグリーンはええけど何このどこまでも遠浅な海!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
実は海は好きなんだけど泳ぐのはそんなに好きではないんだけど、
この日は一日この綺麗な海でぴちゃぴちゃしてました(笑)
さてホテルも変えて、それでも45ドルのシービューのバンガロー!!
倍ぐらいの値段だけあってさすがに居心地がいい・・・
欠点と言えばWi-Fiがない(>_<)
・・・でもまあ隣のレストランではネットに繋がるので仕事はそこですれば・・・
・・・ってそもそももう仕事せんでもええんとちゃうん!!(笑)
いかんいかん、とりあえず明日じゅうにはプノンペンまで帰り着いて、
往復チケットの帰りの便で上海に・・・
・・・行かんでもええか、別に・・・(笑)
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まあ激安チケットの帰りの便ぐらい捨ててしまってもいいのだが、
とりあえずこの島から出とかないと、金がなくなるまでずーっとここでいてしまうぞ・・・
(ちなみにカードは使えないしATMなどはありゃしない)
さてどうしましょう・・・続く
Posted by ファンキー末吉 at:10:29 | 固定リンク
2018年8月30日
希望の星になれ!!
「縁」というのはそもそもがこのようなものなのかも知れない・・・
この商売、「休みを取る」という感覚がない。
スケジュールがぽっかり空く時、それが「休み」である。
最近は北京でいる時よりも中国のどっかの地方都市でいる時の方が多いので、
その最後のスケジュールが終わってその後にスケジュールが入ってなかったりしたら、
「ムズムズ・・・どっか南の国に行こうかな・・・」
などと考え始める・・・
いや別に日本に帰ったっていいのだが、
往々にして日本への航空チケットは高い(>_<)
というわけでいつもその時々で一番チケットが安いアジア諸国を探すのだが、
それが今回はたまたまカンボジア!!
何と上海から往復で3万円ぐらいで来れたのだ\(^o^)/
プノンペンに着いて真っ先に前回ドラムを叩いたバーに行ってみたのだが、
なんと白人がカントリーを歌う店になっててがっかり(>_<)
他に生演奏をしてるバーはないかと探したが、
この日は月曜日なのでライブは休み(>_<)
しゃーないなぁ・・・と、ふと考える・・・私は一体何をしたいのだろう・・・
前回はドラムを叩いて楽しかった。(映像)
まあ「休み」なのに「仕事」であるドラムを叩くのも変な話だが、
「趣味」でもあるのだからそれは仕方がない・・・
まあドラムが無理なら、カンボジアにデスメタルのバンドがあるみたいなのでそれを探してもみたかった。
ポルポトの大虐殺の子孫がどんなデスメタルをやっているか興味があったのだが・・・
まあそんなこんなで初日は何の収穫もなく、ホテルのプールサイドでぼーっとしてたのだが、
何やらタイムラインに色んな人から書き込みが・・・
「プノンペンで日本人が運営している「くっくま孤児院」のお子さん達が「くっくまバンド」というのを組んで一生懸命練習しています(^^)機会がありましたらぜひ」
まあええよ、ヒマやし(笑)・・・そしてこれこそが「縁」だったのである。
何の期待もなく、ただヒマであるからということで向かったこの孤児院、
まあ一応ドラムセットはあるだろうということで、「ひとりドラム」が叩けるような準備だけはして行った。
まあどこでどんな状況で叩こうがやることは一緒なのでそれはまあいい。
問題はその後に彼ら達の演奏を聞かせてもらってびっくりした。
!(◎_◎;)・・・いい!!この音楽、むっちゃいい!!
聞けば彼らは当然ながら孤児なので音楽教育を受けたこともなく、
耳コピで見よう見まねで弾いているだけだそうなのだが、
この演奏が私の心を鷲掴みにした。
思えば1990年に初めて北京に行った時、地下クラブで偶然見た黒豹のライブ、
当時の稚拙な彼らの演奏から口ではうまく説明出来ない「何か」を感じて、
そしてその後の自分の人生が全く変わってしまって今も私は中国でいる。
同じような「何か」をこの演奏から感じ取った。
黒豹はその後中国ロック界の重鎮となったわけだが、
この子達にも「何か」を感じる・・・
実はこの子達とはまた別の小さな縁があった。
秋に日本語の歌を歌うイベントがあるらしく、
この子達が今練習している曲が偶然にも「Runner」。
この子達が歌ってくれる「Runner」を聞きながら不思議に思う、
「こんなこともあるんだなぁ・・・」
たまたま慰問に来た人間が、たまたまその時に練習してる曲の作曲者だっただなんて・・・
園長さんはこの曲を作ったのが私だということは知らなかったので、
「実はこれ・・・私が作曲したんです・・・」
と言ったら、子供達が私にこう言った。
「すごーい!!(◎_◎;)作曲ってどうやってやるんですか?!!」
その時に私は心に決めたのだ。
「俺が何でも教えてやる!!」
北朝鮮で「ロック」を教えて来た人間である。
カンボジアでこの子たちに何を教えるなんて私にとってはしごく簡単なことである。
Facebookの私の投稿を見て、ある人がこう書き込んだ。
「いよいよカンボジア編スタートですね*\(^o^)/*」
「北朝鮮プロジェクトに続いて」という意味なのだろう。
私はこう返信した。
「北朝鮮に比べたらはるかに障害は少ないですよ(笑)」
映像に立派な演奏機材が映ってるのを見て、後々
「なんだ、この子達は恵まれてるじゃないか。他にもっと大変な孤児院はいっぱいあるのに」
などと言う人が現れるかも知れないので先に言っておこう。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!(キッパリ)
そもそもが、この子達に小さい頃から伝統舞踊を教えたこの孤児院の創設者が素晴らしいのだ。
「貧しい人に食べ物を与えるのが援助じゃない。釣竿を与えて釣り方を教えて、その人達が自分の力で食って行けるようにすることが大切なんだ」
と言った人がいたが、その通り、この子達は実際に伝統舞踊を踊ったりして収入を得ている。
まだまだ日本などからの支援の額には及ばないが、
それでも「自分で食ってゆく」何らかの「技術」があることは素晴らしい!!
他にも困っている孤児院はいっぱいあることも事実だろう。
でも私は「たまたま」この子達と知り合った。
だからこの子達を先に援助する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
北朝鮮ロックプロジェクトが始まって最初に平壌に行った時、6月4日高等中学校軽音楽部の女の子達と初めて会って私はこう思った。
彼女たちの笑顔こそが「ロック」なんだ・・・
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
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Posted by ファンキー末吉 at:09:33 | 固定リンク
2018年5月 4日
ツアーこぼれ話:タイへ脱出!!その2
ハワイのワイキキビーチはサンセットビーチとして有名、
つまり西側に面している海である。
タイのビーチというと・・・
シャム湾を挟んでパタヤビーチがサンセット、
向かいにあるホアヒンはサンライズビーチである。
海から昇る朝日を拝まねばなるまい!!
個人的にはこの仏教とイスラムが同居するこの写真が好きやなぁ〜
世界中の人々が仲良く平和に過ごせますように〜
ざぶん
東に面した海では朝日を拝まねばなりませぬ - Spherical Image - RICOH THETA
日が昇りました〜
そしてメシ!!
足裏をほぐしてからバンコクへ向かいます〜
車内はこんな感じ〜
バンコクまで帰りは列車の旅〜同じ4時間でも行きの乗合バスに比べたら天国です!! - Spherical Image - RICOH THETA
クーラーが効き過ぎて寒い(>_<)
急行なので4時間、鈍行だと6時間なんだけど、
今度はのんびり鈍行でもいいな・・・
さてバンコクに着いたら必ず食べる牡蠣と卵炒め!!
バンコクに来たら必ずこの店の牡蠣と卵炒めを食べます!!このカリカリバージョンは他のどの店にもないのです!! 食い終わったら居酒屋勝行って飲んで空港へ〜 - Spherical Image - RICOH THETA
この店のパリパリバージョンの卵炒めは、散々色んなところを探したけど他の店にはない!!
「羽根つき餃子」みたいな感じでこのパリパリ感がいいのよねぇ・・・
そして歩いてすぐそばの居酒屋勝チェーン、九州酒場「勝」にていつも頼むアジの南蛮漬け!!
九州酒場「勝」にてアジの南蛮漬け!! - Spherical Image - RICOH THETA
なんかツイート見てやって来た人もいたりして、結局6人で焼酎のボトルを2本空けたようだが、私のフライトは朝5:50、まだまだあるのでもう一軒!!
ゴーゴーバーのひしめくパッポンストリートを横目に見ながら日本人相手の店が多いタニヤにあるメック加藤くんのお店!!
メックのお店、バーウッドボール!! - Spherical Image - RICOH THETA
まだ食うんかい!!・・・って「勝」のもりみっちゃんが出前頼んだんですがワシはもう食えん(>_<)
ここでも散々飲んだがまだ1時・・・
ちょっと早いけど空港行って中国戻ります〜
Posted by ファンキー末吉 at:11:10 | 固定リンク
ツアーこぼれ話:タイへ脱出!!その1
中国では5月1日の労働節に合わせて大型連休がある。
この時期にはイベントが多いので、
バンドとしては突然の出演オファーに対応出来るようにツアースケジュールを空けてあったのだが、結局入らず・・・
結局バンドは4月28日湖南省「長沙」の後、5月4日江西省「南昌」までがぽっかりとOFFとなってしまった。
そこで選択肢!!
1)みんなと同じように旅先でオフ(出費なし)
2)ひとり北京に帰る(1300元)
3)ひとり日本に帰る(4000元)
4)ひとりどこかアジア諸国へ飛ぶ(2000元)
まあ同じところに5日間って無理やわな(>_<)
というわけで、新たな刺激を求めて選択肢4!!
チケットを色々と探してみると、
アジア諸国の中ではバンコクが一番安いのな!(◎_◎;)
おまけに長沙からも南昌からも直行便が出ている!(◎_◎;)!(◎_◎;)
というわけでポチリ!!
その旨をツアーメンバーに伝えてたら2軍ベーシストのDaWeiがこんなことを言う・・・
「だったらFunkyさん、华欣海岸っつうのがむっちゃいいですよ?!」
どこやそれ?というわけでググってみたら・・・
(中国なのでGoogleはブロックされているので百度なのだが)
英語名「Hua Hin」ということで、そこから日本語名「ホアヒン」をゲット!!それで再検索する・・・
ホアヒンに初めて行く人が知っておくべき観光地を全て紹介するよ
なんとビーチリゾート地じゃないの!!!(◎_◎;)
バンコクからのルートを色々と探ってみるが、
スワンナプーム空港からは直行バスが出ているのだが、
激安チケットの到着空港は残念ながらドンムアン(>_<)
激安チケットは夜中の1:40着、時間を無駄にしない為にも朝イチのバスを探すと、Morchitバスターミナルから乗合バスが出ているらしい・・・
このサイトでチケットをポチリ!!
始発の朝5時の便なのでとりあえず3時頃まで空港で時間を潰す・・・
さてと・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
海南島では食べられなかった海南鶏飯(タイ語でカオマンガイ)を食してタクシーでバスターミナルへ!!
旅は道連れ、週刊アスキー時代の私の担当者デジタルスナフキン中山さんがこの時期バンコクにいるということで誘ってここで合流!!
開いてる窓口に並んでみるが、
言葉も通じずチケット発券がどうやるのかよくわからない(>_<)
うーむ・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
旅慣れた中山さんがどうやらここらしいということを発見!!
むう・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
発券もへったくれもない。
スマホの予約画面を見せたら停まっているバンを指差されてそれに乗るだけ(>_<)
4時間(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
この状態で4時間(>_<)
天国への道には地獄もあるもんなのよ・・・ひたすら耐える!!
途中ガソリン休憩・・・なぜか全員車から降ろされる・・・
あと何キロあと何キロとスマホを眺めながら、ホアヒンの街中に降ろされ、
とりあえずメシ!!!
ホアヒン1食目!! - Spherical Image - RICOH THETA
メシ食ったらさっそくソンテウを拾ってビーチを目指す!!
ビーチへ!! - Spherical Image - RICOH THETA
着いた〜!!!\(^o^)/
着いた〜\(^o^)/ - Spherical Image - RICOH THETA
ホアヒンとは「石の頭」という意味で、
名の通り海岸には大きな石がゴロゴロしているが、
ここを外れれば砂浜のビーチである。
基本的にエンジン付きのモータースポーツが禁止されているので、
代わりにお馬さんがいっぱいいて海岸で乗馬が出来るのがこのビーチの特色である。
さっそく宿を探す・・・
理想はビーチ沿いで、
ベランダからそのままビーチに出れるような民宿・・・
・・・ってそんなもんはない!!(>_<)
このビーチ沿いは全て高級リゾートホテルが占有していて、
ダナンのビーチみたいに庶民が誰でもたむろできるような感じではないのだ(>_<)
とりあえずその高級ホテルのビーチで一杯!!
ふう・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
このホテルなども高くてとても手が出ないので、
旅慣れた中山さんに手頃なホテルを探してもらい、
チェックインしてメシ!!
昼メシ!! - Spherical Image - RICOH THETA
ホテルで仮眠した後、バイクを借りて街を探索してみる・・・
バイクを借りて街を探索〜 おっちゃん屋台の火ぃかけたままで運転危のうないか? とか言うてるうちにノーヘルで警察に捕まった(>_<) 誰もヘルメットなんかしてないやん!!・・・罰金500パーツ(涙) - Spherical Image - RICOH THETA
タイのレンタルバイクはベトナムと同じく「満タン返し」ではなく最初からほとんどガソリンが入ってなく、自分の乗る分だけを入れてそのまま返す・・・
この狭い街で2リッターは入れ過ぎだったかのう・・・
街一番のショッピングモールに着いてバイクを停めるのだが、
さすがはバイク大国、巨大なバイク専用の駐車場!!
さすがはバイク社会!!ショッピングモールには巨大なバイク駐車場があり、規則正しく駐輪されている・・・ 停めた場所を忘れたら二度と自分のバイクにたどり着けない・・・ かく言う私もこの写真を見てやっとたどり着いたのであった(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
一体どこに停めたかわからんなるやろと思ったら本当にわからんなって、
この写真を見て番号を確かめて無事にゲット(笑)
そして帰り道で警察に捕まる(>_<)
バイク乗る人誰もヘルメットなんか被ってないからノーヘルOKやと思てたやろ(涙)
ちょうど警察署の前だったので、
バイクを停めて中に連れて行かれて調書取られて罰金500バーツ(約1500円)。
前回パタヤビーチでも左折禁止がわからずに左折して捕まったけど、
その時は警察官が「罰金よこせ」で1000バーツ払って調書も取ってないので、
あの時はきっと警察官が懐に入れたんやろうな・・・(シミジミ)
夜はナイトマーケットに出かけて行ってそこでメシ!!
夜市は楽し - Spherical Image - RICOH THETA
レストランの店員さんがみんなミャンマーの日焼け止め「タナカ」を塗っているのでもしかしたらと思って聞いてみたらやはりミャンマーからの出稼ぎだった・・・
この日のトドメは足裏マッサージ!!
60分で1000円足らず!!(◎_◎;)・・・安い・・・
今日のトドメに足裏マッサージなう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
次の日の朝飯はホテルで〜タイ式お粥が美味い!!
お粥だった・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
翌日のバンコク行きの切符を買いにホアヒン駅へ〜
改札もなく自由にプラットホームへ行き来できる!(◎_◎;)
ホタヒン滞在2日目〜駅まで明日の切符を買いに来ました〜 改札もなく自由にプラットホームまで行き来出来るし〜 末吉右手に見えるのが王族用待合室、ここは昔王宮の保養地だったのよ〜 - Spherical Image - RICOH THETA
午後はまたビーチへ向かふ・・・
この日の天気予報は一日雨だったので、
ホテルにこもって一日じゅう仕事かなと思ったのだがピーカン!!(◎_◎;)
しゃーないなぁ・・・
天気予報だと一日中雨だということで今日はホテルに籠って仕事をしようと思ってたのだがしゃーないなぁ〜・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
昼メシは浜辺の屋台にて〜
夜はステーキ!!
ステーキ!! - Spherical Image - RICOH THETA
翌日へ続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:17 | 固定リンク
2017年12月 6日
寒さ恐れてアジア周遊番外編「クアラルンプール」
はてさて今回、最終執筆のためにダナンに行ったのが始まりで、
中国の仕事ドタキャンによりマイナス2度の北京に帰りたくないということで、
次のような行程で貧乏バックパッカー旅をして来ました。
11月15日:北京→マカオ(乗り換え)、マカオ→ダナン
11月20日:ダナン→ホーチミン
11月21日:ホーチミン→バンコク
11月23日:バンコク→パタヤ
11月25日:パタヤ→バンコク→プノンペン
11月27日:プノンペン→クアラルンプール(乗り換え)
マレーシアってもっと南やから逆方向やん!!(笑)
まあ激安チケットやからな、色々調べたんやけど必ずどっか経由する。
上海経由もあったけど、どうせならもう一カ国ということでクアラルンプール経由にした。
エアアジアっていうLCCがクアラルンプールをハブ空港にしてて、
これが全アジア飛んでて安いのよ〜
クアラルンプールには昔よく一緒にアジアプロジェクトをやっていたMさんがいるので久しぶりにお会いして来た。
最後の寄港地マレーシアクアラルンプールにて宮島商店社長とマレー飯!!! - Spherical Image - RICOH THETA
さすがは元Pレコード会社マレーシア支社社長、
アジア支社で唯一、雑収入マレーシア支社を黒字にしたという武勇伝を持ち、
「M商店」と異名を取っているだけのことはあります・・・
完璧にビジネスミーティング!!(笑)
私が出会ったレコード会社関係の人間は音楽家崩れが多く、
自分がアーティストとしてデビュー出来なかったから裏方として、
いや自分がそのアーティストを利用して自分の音楽表現をやりたいんだなという人にはうんざりしたこともあったけれども、
このMさんは商社を経てP社に入り、
「音楽制作には興味がない、才能がある人が売れる音楽を作ってくれてそれでビジネスをすることに興味がある」
という本当の意味での「ビジネスマン」。
今はテオ・ヤンセンのマネージャーとして、マレーシアを拠点に全世界を飛び回っておられるが、今回日本の大きなプロジェクトを請け負って、それに関して色々と相談を受けた。
(というより私の場合は中国のマーケットのご説明程度ですが・・・笑)
最近はこうしてマレーシアでご馳走になるだけだが、
お互いまだ元気なうちにまた一緒にアジアプロジェクトをやりたいもんです。
お互い身体に気をつけて頑張りましょう〜
・・・というわけで北京に戻って来たらこの寒さ(>_<)
もうね、冬はこのどっかのアジア諸国で暮らしたい(>_<)
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2017年12月 4日
寒さ恐れてアジア周遊5「プノンペン」
初めて訪れるカンボジア、このチャンスを作ってくれたのはホーチミン在住のベーシスト、レオさん(この記事にあるこの写真の人)。
レオさんは陸路でホーチミンから、私は空路でバンコクから向かうのだが、
チケットを押さえるのは中国のアプリなのでカンボジアもプノンペンも中国語でどう言うのかわからん(>_<)
カンボジア:柬埔寨(Jian3Pu3Zhai4)
プノンペン:金边(Jin1Bian1)
・・・って全然違うやん!!!(>_<)
まあ今後も行くこともあるだろうからちゃんと覚えとこう・・・
というわけで入国!!
VISAは必要だが、着いたら空港でアライバルVISAを発行してくれるらしく、
ちょっと待たされたが問題なく入国!!
でも困るのよねぇ・・・パスポート増補してもう残り少ないページに毎回デカデカと1ページに渡ってスタンプ押されるの・・・(>_<)
陸路より断然早く着くので、日式ホテルの露天風呂で時間潰してたらこの現地駐在の日本人と会う。
・・・そして色々と現地の話を聞いた。
「治安は悪いですよ。銃は禁止されてますが政府が躍起になっても一掃できません。
友人もホールドアップされて血だらけにされましたから・・・」
でもそうなった原因はここにある!!
もうね、文化大革命を知らずに中国を語れないのと同じように、
カンボジアを語るにはこのポルポトの大虐殺を避けては通れない。
「むっちゃ気分は落ち込みますけど見に行っといた方がいいですよ」
と言って勧められて行ったキリングフィールドというその虐殺の場所(のひとつ)・・・
帰りはほんまに落ち込んだ・・・
帰りは誰しもがあまりのやるせなさにへこみます。 でもカンボジアを知るにはここを避けて通るわけにはいかない!! しゃーないなぁ〜・・・・・ https://www.facebook.com/FunkySueyoshi/posts/10155535868479900 - Spherical Image - RICOH THETA
なにせ人口の4分の1を殺したんですから・・・
他にも餓死した人もいるだろうから人口の半分がこの人のせいで死んだんですよ・・・
そこから立ち直ろうと今もカンボジアは一生懸命頑張ってる、
そして銃を持って悪いことしている人もいれば、
その激動の時代を乗り越えて健気に頑張ってる人民もいる・・・
幸い私が出会った現地の人はみんないい人ばかりで、
初めて行ったこの国が私は大好きになってしまったのでした・・・
まず人民たちが笑顔!!
居酒屋勝がある次の国ミャンマーに行こうと思ってたら何故かカンボジアのプノンペン!! 自国通貨よりドルが流通してるらしくATMで引き出してもドルが出て来る!(◎_◎;) ローカルな食堂でヌードル食ってドルで払ってお釣りは現地通貨・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
なるだけローカルなレストランに入ったのですが、
みんな笑顔で英語で話しかけて来て、
北京のキレイだけど怖いウェイトレスさんに慣れてる私にはそれだけでもうメロメロなのですよ(笑)
人民の結婚式に遭遇!!
こうやってテントを建てて三日三晩続いたりするんですと!(◎_◎;)
ホテルの近所でずーっと生演奏の音が聞こえて来るので行ってみたら・・・
なにやらチャリティーだと思うけど土日の朝から晩までずーっと演奏してるのな!(◎_◎;)
聞くところによると、チャリティーイベントは盛んらしく、
こんな歩いてる人が少ない道路沿いでもわざわざ車を停めて募金に来るのだとか・・・
苦難の時代があったからこそ助け合いの精神は人民に根付いているという話である.
夜は歓楽街に出て行って・・・
プノンペンの歓楽街なう〜 ここにライブハウスがあるらしい・・・ ドラムでも叩けたらちっとは世界を平和に出来るかな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
そこでドラムをぶっ叩く!!
ライブハウスというよりは生演奏の入ってるガールズバーみたいですが叩きますよ〜!!! 世界平和のために!!! - Spherical Image - RICOH THETA
ベトナムの田舎町ダナンにも箱バンの入ったライブハウスみたいなところはあったけど、
まあドラムは叩いたけど、レパートリーが新しいナンバーが多くでセッション曲選びが大変やった。
でもここプノンペンのこの店は、レパートリーがほぼクラシックロック!!!(◎_◎;)
どうしてかなぁ・・・と思ったんだけど、客層が歳とった欧米人が多いのな・・・
こちらに暮らしてる欧米人も多いらしく、そういう人たちに向けて選曲するからそういうナンバーになるのかも・・・
結局次の日もこの店に行ってドラムを叩かセてもらい、この繁華街も大好きになったのでした・・・
翌日もこの店に行って地元バンドとセッション!!
AC/DCなんてダナンの店ではレパートリーにも入ってなかったぞ(笑)
次の日の朝には北京に帰らねばならない・・・
私はこのバンドのメンバーにグーグル翻訳でこんなメッセージを伝えたのでした。
カンボジアの言葉、クメール語・・・難しいな(>_<)
好きになった国の言葉は頑張って勉強してみようと思うんだけど、
同じ苦労して覚えても人口1500万人にしか通じんって・・・少なっ!(◎_◎;)
まあこのライブハウスではとりあえず英語が通じるから英語から頑張ろ・・・
昼間のライブハウス前にて・・・
ライブをブッキングしてくれたコータローくん、ゆうじくん、あおいちゃん、
現地人にしか見えないけど日本人です(笑)
セントラルマーケットのローカルフード!!
セントラルマーケット内で見つけた超ローカルフード!! ホルモン串を茹でては持って来て食べた分だけ串の数で清算!!ビールが進む・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
ナイトマーケットで打ち上げ!!
ひとりドラムinプノンペン終了!!近所のナイトマーケットで打ち上げなう〜 なんとここでは広場に椅子とテーブルではなくゴザを敷いてそこで飲み食いするのな!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
皆さん色々お世話になりました〜
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Posted by ファンキー末吉 at:20:58 | 固定リンク
2017年11月30日
寒さ恐れてアジア周遊4「パタヤ」
バンコクの街をあとにして夜バスでパタヤへ向かう・・・
揺られること2時間、着いたらバス停からバイタクに乗って予約したホテルまで〜
なんとカプセルホテル!(◎_◎;)
新宿なんかのよりちょいと豪華な感じかな・・・
でも陽が当たらんから爆睡出来るし、逆にビーチが見える共有スペースで仕事も出来る!!
っつうか仮眠とって朝起きて初めてそのビーチとやらを見てみたら・・・
夜バスでパタヤビーチなう〜 ビーチリゾートというよりは歓楽街に申し訳程度にビーチがついただけね(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
こんだけ?!(◎_◎;)
何百キロも延々ビーチが続いてたダナンと比べたら猫の額より狭い(>_<)
・・・まあここはアジア最大の歓楽街やというし、泳ぎに来る人よりも遊びに来る人が多いのかな・・・
そうか、ここのビーチは泳ぐところではなくビールを飲むとろなんだな・・・ 時々波がざぷんと来て塩味が増す(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
それよりもこの狭いビーチ、料理頼んでビール片手に過ごすのは最高なんやけど、
チェアーを2列並べたらいっぱいいっぱいなので、
一番前に座ったら時々波をかぶって料理の塩味が増す!!(笑)
案内人のやんず嬢はこの後爆睡してしまい、
ワシはひとりで色々と周りを探索してみたが、
超アジア的なダナンの街に比べて、近代的なショッピングモールに行くと感覚はどちらかというとハワイ!!
しかしワサワサしたアジア的な屋台やドメスティックなお買い物通りもあり、
そこで買ったこのリュック!!
またキャスターのついたリュックなのだが、
これには小リュックがついていて着脱可能!(◎_◎;)
まあいつも転がしてるのならリュックじゃなくて小さなスーツケースでええんとちゃうん!!と言われるけど、やっぱタイとかでバイタク乗る時とか、いざスーツケースも一緒に運ぶ時には便利なのよね〜
さてワシも別に仕事がドタキャンになったから遊んでるわけではない。
パソコンさえあれば出来る仕事を持って「環境のいいところ」を移動しているだけの話である。
数日前から作曲の感覚(GanJue:フィーリングの意)が湧いて来るので、
今手掛けてる布衣のアルバムのために1曲作った。
打ち込みはパソコンを使ってホテルでやれるのだが、
カプセルホテルで仮歌のための歌を歌うわけにはいかない・・・
仕方がないので浜辺に出て歌う!!
曲が出来たのでで仮歌を入れねばならないのだが、貧乏バックパッカーの宿はカプセルホテルなので声を出せん・・・ しゃいないので浜辺で歌うの図〜みんなが見てゆく(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
いや〜隣で寝ている犬以外は全員こっち見ていったなぁ・・・(笑)
波の音も入りましたが、ラブソングなのでちょうどいい感じです。
北京帰って聞いてみたらむっちゃナルシズムな曲やったらどうしよう・・・(笑)
というわけで夜になったらこの辺はいきなり歌舞伎町!!
っつうかパッポンストリートが浜辺にあるみたいなもん(>_<)
中国人の団体旅行客が旗持っていっぱい歩いてたのも印象深かったけど、
何よりそんな観光客のためなのか、タイ人の箱バンがBeyondの曲を演奏してたのにはびっくりしたなぁ・・・
広東語の発音ちょっと違う気がしたけど、まあギターソロとかまあまあコピーしてた・・・
あとは女の子のつく店がいっぱいあったけど(写真禁止)、
なんかパッポンストリートに比べたらみんなブサイクやな・・・(失礼)
噂によるとアラブ人とかロシア人とかふくよかな女性が好きなのでそういう感じの女性が集まるとか・・・ホンマかなぁ・・・
というわけで屋台でメシを食って早々にお暇しました!!
うん、でも小さな浜辺でも海があるってやっぱいいな。
次もバンコクに来るチャンスがあったらまた来たいな・・・
と思いながらここから直接ドンムアン空港!!
次はいよいよ初めての国カンボジア!!
いろんな物語がありました・・・
Posted by ファンキー末吉 at:15:36 | 固定リンク
寒さ恐れてアジア周遊3「バンコク」
「タイは出国のチケットないと入国出来ないの?」
被告勝山は胸を張って「大丈夫ですよ」と言ったが、
入国より何より飛行機のチェックインの時にダメが出る(>_<)
どうやら、万が一入国でトラブって強制送還される時には、その飛行機会社が責任持って送り帰さねばならないため、飛行機会社が帰りのチケットを厳しくチェックするのだとか・・・
はてさて、タイでゆっくりして北京に帰るか、もしくはホーチミンで持ちかけられたようにカンボジアに行くか・・・
ちなみにベトナムは日本人はノービザで入れるが、
1ヶ月以内の再入国しようとするとビザが必要なので、
ワシはダナンの案内人ザキヤマさんに頼んでビザを発行してもらっている。
ホーチミンからバスでカンボジア入りも魅力的ではあるが、
そうするともうタイ滞在が一瞬で終わってしまうスケジュールとなる・・・
というわけで、少々残念ではあるがバンコクープノンペン便を取っておく!!
266元(4000円ちょい)・・・安いわぁ・・・
さて、バンコクに着いたら色々廻らねばならないところが多くて大変(>_<)
まずは居酒屋勝!!
タイはバンコクの居酒屋勝なう〜 全支店メニューも内装もほぼ同じなのでどの国におるのかようわからん(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
もう平日なのに満席で座る場所もない!(◎_◎;)
常連客の八木さんが席を空けてくれて焼酎を奢ってくれる・・・
ツマミは店長のもりみっちゃんが「アジの南蛮漬け」をご馳走してくれる\(^o^)/
ホーチミンの居酒屋勝でも南蛮漬けを頼んだが、
タイのアジは大ぶりなのか、丸ごと食べられない大きな南蛮漬けがバンコク居酒屋勝っぽくて懐かしい・・・
満席でもりみっちゃんが接客に忙しいので早々にお暇して、
次はバンコクのキャバクラ!!・・・ウソ、日本人ラッパー加藤メックさんが開いた日本人スナック「WoodBall」!!
タイのキャバクラなう〜ウソ!本の発売ツアーを組んでくれた友人のバーに顔出しに来ました〜 その人とも写真撮ったんだけどボツにしてやっぱ奥さんのまさみちゃんと(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
この店では昔「本の発売アジアツアー」でトークライブを催してくれたのよねぇ・・・
その節はお世話になりました!!
そしてそのツアーで対バンをしてくれた日本大好きインド系タイ人のグルの店!!
大のラウドネスファン、日本大好きインド系タイ人ギタリストGuruの店なう〜 先日のラウドネスバンコク公演ではタッカンマリの最前列で泣きながら見てたとか(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
グルはラウドネスが大好きで、先日のラウドネスバンコク公演でも最前列タッカンの前で全曲一緒に歌っていたとか・・・
この店で地元の日本人ドラマー赤峰さんと会って、
「パタヤいいよ〜」
という話になる。
バンコクも好きな街だけどやっぱ海のある街がいいよね〜
ということで足を伸ばしてパタヤまで行くことに決定!!
そんなこんなしているうちに居酒屋勝のもりみっちゃんから電話、
「店が終わったので飲みに行こう」
と言うのでいつもの深夜営業レストランへ!!
そしてシメは店を終えた居酒屋勝店長のもりみっちゃんと合流して、ラウドネスのメンバーも来たといういつものタイ料理屋〜 もう食えん〜のでもやし炒め!!辛くないタイ料理もなかなかです!! - Spherical Image - RICOH THETA
もう飲めん!!もう食えん!!・・・というわけでパタヤへ出発〜!!
Posted by ファンキー末吉 at:08:21 | 固定リンク
2017年11月29日
寒さ恐れてアジア周遊2「ホーチミン」
さて帰りのチケットもダナンで捨ててしまったことだし、次はどこへ行こうか・・・
誰も知り合いがいないところだとつまらないので「知り合いのいる国」、
つまり北朝鮮を含め「案内人」がいる街を目指すのぢゃ!!
というわけでタイ!!
ここには元Jazz屋北京のスタッフだったやんず嬢がいる。
そして何よりチケット代が安い!!
この辺の東南アジア各国って数千円で行ったり来たり出来るのな!(◎_◎;)
激安チケットで乗り換え便となるので、ハノイ乗り換えかホーチミン乗り換え・・・
ハノイには知り合いおらんがホーチミンなら2年前にライブやった時にいっぱい知り合いが出来たではないか!!
それに聞くところによると被告勝山の店「居酒屋勝」がホーチミンにオープンしたそうではないか!!
勝山曰く
「末吉さんは家族なので全世界の居酒屋勝ではお金要りませんので好きなだけ飲み食いして下さい」
\(^o^)/
というわけでホーチミン経由のバンコク行きのチケットを押さえる!!
17時に着いて、21時35分のフライトだから2時間前に戻って来るとしても2時間半あるからまあ居酒屋勝で1時間半は飲めるぞ!!・・・
というわけでダナンの案内人ザキヤマさんに別れを告げて搭乗!!
・・・そしたら飛行機は遅れるわ荷物は出て来んわ・・・
結局タクシー飛び乗ったのは18時(>_<)
そして運転手はそのまま道を間違えて直進、居酒屋勝を通り越してしまったのだ(>_<)
もうね、ワシはキレた!!
運転手にキレたのではない、こんな南の国まで来て分刻みで移動している自分にキレたのだ!!
もう泊まるし〜帰りのチケット捨てるし〜(涙)
・・・というわけで腰を据えて飲む!!!
ホーチミン居酒屋勝なう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
ホーチミンの居酒屋勝を仕切っている日本人は村田さん!!
初対面だと思ってたら一度新宿で会ったことがあるとか・・・
異国の地でご苦労様です!!これからもホーチミン在住の日本人のために美味しい料理を提供してあげて下さい〜
ベトナムホーチミンの居酒屋勝に着いた〜\(^o^)/ 店長の村田さん初対面かと思ったら一度新宿で会ってたとか<(_ _)> オーナーの勝山さんから「末吉さんは家族なんで全世界の居酒屋勝チェーンでは一切お金払う必要ありません」と言われてますのでよろしくお願い致します〜(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
さて一晩ゆっくり出来るので飲みに繰り出す!!
前回来た時にはひたすら「ローカルな場所」ばかりをリクエストしてたので、今回は日本人の集まるこの辺を探索してみたら・・・
居酒屋勝を出て日本人飲屋街を探索ちう〜 バンコクのパッポン通りが英語圏なのに対して日本語だけでこの規模の日本人飲屋街があるのは凄い!(◎_◎;) ホーチミン在住の2万人の日本人は全てここに集まってるとか・・・蘇州みたいやな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
なんと巨大な日本人街があるではないか!!
バンコクのパッポン通りが英語圏なのに対して日本語だけでこの規模の日本人歓楽街があるのは凄いぞ!(◎_◎;)
ホーチミン在住の日本人は2万人というから上海なんかに比べたら格段に少ないが、上海の日本人街がいろんな場所に点在しているのに対して、この街ではこの一角に集中しているのであろう・・・
女の子のつくところは色々めんどくさいし、何よりも金がない(笑)ので、早々に退散してアイリッシュバーで一杯飲んで今晩のヤサへ〜・・・
地元の日本人が焼き鳥屋の2階で住んでるというところでその焼き鳥屋に泊めてもらうことになった・・・Wi-Fiもあるし十分ここで住めるぞ!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
なんと今回ホーチミンの「案内人」となってくれた内田くんは焼き鳥屋の2階で暮らしてるということで、その宴会場で泊まらせてくれることになった。
貧乏バックパッカーにとっては宿代が節約になって助かるぞ!!\(^o^)/
今後はホーチミンに足を運ぶことが多くなる予感・・・(笑)
翌日はチャイナタウンでメシを食い、
ベンタイン市場でお買い物!!
ベンタイン市場なう〜 ダナンに比べたら圧倒的に品揃え豊かやけどやっぱ高いな(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
そして新しく買い直したチケットでタイに飛ぶ・・・のだが・・・
実は昨日の飲み会で心惹かれる誘いがあったのよねぇ・・・
「ファンキーさん、カンボジア行きませんか?プノンペンはホーチミンからバスで6時間ですよ」
バスで6時間!(◎_◎;)・・・中国人の感覚では「目と鼻の先」ではないか!!
タイに行ってからまたホーチミンに戻って来てカンボジアに行くか、
もしくはタイから直接カンボジアに飛ぶか・・・うーむ・・・
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2017年11月28日
寒さ恐れてアジア周遊1「ダナン」
JASRAC本の最終執筆のためベトナムのダナンを訪れた。
裁判中の精神状態を追体験するため、執筆にはついつい精神状態のよいダナンを選んでしまうのだ。
海がある暖かい街はよい。
ベトナムの美味しいシーフードもよい。
でもそれだけではない、どうしてこの街はこんなに精神状態をよくしてくれるのだろうと思ったら、きっとこれ!!
街中でやたら見かけるこの仏像・・・
(最後の写真は本の編集担当中山さん)
ダナンの街を見下ろすように立っているレディーブッダ像の前にもどどんと鎮座している。
本の第2稿を書き終え、JASRACから名誉毀損されないよう弁護士チェックちう~ 言葉尻だけ直したらいいのかと思ったら、「事実の整合性」が一番大事なんだと!(◎_◎;) 過去の膨大な裁判資料と照らし合わせて全てをチェック、直したらそれに関連している全てを変更!!ととてつもない時間がかかるので今日は観光!! ダナン市内どこからでも見えるほど巨大なレディーブッダ像よりも、私はでっぷりしたお腹で底抜けの笑顔のハッピーブッダに心惹かれて仕方がないのです・・・ 全世界の人々を同じく幸せにしてあげて下さい!! - Spherical Image - RICOH THETA
厳しい修行を経て悟りを開いたような他の仏様と違って、でっぷりと太って満面の笑顔で金の延べ棒(アボガドを切ったようなものは実は中国で使われていた金の延べ棒だそうだ)などを持っている。
「ハッピーブッダ」と呼ばれているこの仏様が、きっと訪れる人達を幸せにしているのじゃなと勝手に納得・・・
そうそう、聞いた話によると、幸せ度指数GNHはベトナムが世界第2位なんだと!(◎_◎;)
社会主義国ベトナムにも多くのスローガンがあるが、
国民に愛されてやまないホーチミンさんが唱えたのは
「独立、平等、幸福」。
更には、中国の鄧小平さんが唱えた
「豊かになれる者から先に豊かになりなさい」
に対して、ホーチミンさんが唱えたのは、
「お金を稼ぐのが苦手な人は健康になって下さい」
!(◎_◎;)
そしたら「長生きできて幸せ」でしょ、ということらしい・・・
また、アメリカ人記者がベトナムの漁師にインタビューした話も聞いた。
記者「毎日どんな生活をしてますか?」
漁師「朝5時に起きて漁に出て1時間だけ漁をして、40匹だけ獲れたらもう帰って来る。今日食べる分を残して妻が残りを売りに行く。今日食べる肉と野菜と、今日飲む酒を買って来て、あとは1日砂浜で子供たちや孫と遊ぶ
記者「1時間だけと言わずもっと働いて、それ以上の魚を獲ってそれをお金に換えて貯金すればどうですか?」
漁師「貯金してどうするんですか?」
記者「そのお金でクリスマスとかに家族連れてハワイとか行って遊べるじゃないですか」
漁師「貯金なんてなくたってそんな生活は毎日ここでやってるよ」
記者「・・・・」
そんな素敵な国、ベトナムをもうあとにしなければならない日程が迫って来た。
23日には中国で仕事が入っていたので19日の北京行きを取っていたのだ・・・
しかしその仕事はドタキャン(>_<)・・・はてさてどうするべきか・・・
試しに気温を調べてみた。
もうね・・・無理!(>_<)
激安チケットで変更は出来ないので、じゃあその帰りのチケットを捨ててどっかまた他の暖かいところに行くことにしました〜
続く
Posted by ファンキー末吉 at:16:29 | 固定リンク
2017年11月26日
プノンペンで心のスキマ埋められる・・・
どういう流れでカンボジアまで来たかということはまた別のブログ記事に書くとして、
私はタイから朝一番の空路で、私を誘ってくれたホーチミンのレオさんは陸路で向かい、
プノンペン市内の日式ホテル「東屋」で合流ということになっていた。
レオさんはバスで6時間かけて向かっているということで、
それまで屋上の露天風呂にでも浸かりながら待とうということになった。
貸切状態でこんな感じ・・・
ところがここにひとりの日本人が入って来た。
(まあ「国籍」を確認したわけではないが、このホテルを利用するんだから勝手に「日本人」と思っただけなのだが・・・)
サウナで汗を流しながら色んな現地情報を聞いていたのだが、
「じゃあビールでも飲みますか!!」
ということになって、カンボジアビールで乾杯!!
ホーチミン在住の刺青だらけのベーシスト(今バスでこちらに向かっている)が取ってくれたホテルが完全日本式なで、露天風呂に入ってたら地元の日本人と意気投合してカンボジアビールで乾杯!! - Spherical Image - RICOH THETA
夜は市内のライブハウスでドラムを叩くからそこで会おうということでとりあえずここで別れた。
地元の人たちに連れて行かれたプノンペンの歓楽街・・・
プノンペンの歓楽街なう〜 ここにライブハウスがあるらしい・・・ ドラムでも叩けたらちっとは世界を平和に出来るかな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
ライブハウスというよりは箱バンの入ったガールズバーという感じだったがとりあえずドラムを叩く!!
ライブハウスというよりは生演奏の入ってるガールズバーみたいですが叩きますよ〜!!! 世界平和のために!!! - Spherical Image - RICOH THETA
そう、私は昼間の約束を全く忘れてしまってたのよね(>_<)
というわけで彼から連絡が来て合流〜
そして連れて行かれたのがこんな店!!
入り口に看板はない。
民家のような雑居ビルの1階のとあるドアを開けて入るといきなりこんな空間が現れるのだ!(◎_◎;)
「ここは日本料理屋です。
普段は予約でしか営業してくれず、
しかも予約は1日1組までしか受けてくれません。
今日は特別に開けてもらいました」
そんな店があるのか!!(◎_◎;)・・・しかもカンボジアで・・・
そして彼は私に強くこう注意した。
「この場所を人に教えてはいけません!!
オーナーの写真を取ってもいけません!!
オーナーの名前をアップしてもいけません!!
約束ですよ〜」
とりあえず日本でもなかなか手に入らないという珍しい酒を頂く・・・
つまみはまず海ぶどうが出て来る・・・カンボジアなのに・・・
茄子とイカの塩辛の一品!!
モッツァレッラチーズの一品!!
漬物も絶品!!
ここは果たしてカンボジアなのでしょうか・・・
カンボジアのプノンペンにある看板の出てない日本料理屋・・・私は心のスキマを埋められたに違いない・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
もう夜中の2時は過ぎてるであろうか・・・
「ほなもうぼちぼち帰ろうかな・・・」
そう言った私に、写真をぐるりと回して向こう側に座っている彼がこう言った。
「お代は要りません。ここは私が払っておきますので・・・」
!(◎_◎;)
「ファンキー様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます。ホーッホッホッホ!!」
そう言って彼はトゥクトゥクに乗って帰って行った・・・
翌朝、目が覚めたら二日酔いで頭が痛い・・・
一体どれだけの酒をあそこで飲んだのだろう・・・
試しにポケットをまさぐってみるとお金は全然減っていない・・・
今晩もあそこに行くのだろうか・・・
いや、今晩行ってみたら、きっと昨夜入り口だったところは壁になっててドアが消えているのだ・・・
プノンペンの夜に心のスキマ埋められた・・・
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Posted by ファンキー末吉 at:12:18 | 固定リンク
2017年9月18日
ベトナムのダナンにいるんだな〜ん
ベトナムのダナンにいるんだな〜ん そうかぁ・・・ワイキキはサンセットビーチやったけどベトナムは東が海だから水平線から朝日が昇るのね!(◎_◎;) 詳しくはhttps://www.funkyblog.jp/2017/09/post_1195.htmlを〜 - Spherical Image - RICOH THETA
執筆で煮詰まっているということを聞いて、ダナンにいる知り合いがご招待してくれた〜
この知り合い、とりあえず名前は「Yさん」ということにしておこう。
私が北京で知り合ったビジネスマンなのであるが、きっかけは何と「北朝鮮」である。
北京の日本人会から私のことを聞いて「是非お会いしたい」と連絡して来たのだ。
豪勢な食事をご馳走になりながら、Yさんはちょっと身を乗り出してこう言った。
「実は繊維関係の工場を元々は天津、しかし人件費の高騰で今は武漢に移転したんですが、中国はもうダメでしょう。私は工場を北朝鮮に移転したいんです!!」
まあ「北朝鮮なら末吉に聞け」ということでここまで辿り着いたのであろうが、ビジネスマンでも何でもない一介のミュージシャンには「お門違い」も甚だしい(笑)
しかしこれがきっかけで「面白い人だなぁ」と北京で時々一緒に飲むようになった。
北朝鮮に工場など最初のきっかけは丸っ切り忘れてしまって、その後はただバカなことばっか言って飲むだけの付き合いだったのが、それがひょんなことから一転する。
私が日本にいる時に、とある在日朝鮮人の方が私を訪ねて来てこう言ったのだ。
「私は北朝鮮の著作権を管理している者です」
聞けばテレビ局などと裁判になったこともあるらしく、最高裁は「国交のない国の権利を守る必要はない」ということで退けたらしい。
ちょうどJASRACが私が作曲した「ムルムピョ」を「JASRAC会員なんだからこの曲はお前のものではない!!JASRACのものだ!!」などという主張をして来た時期だったので、
「この曲の詞は朝鮮民主主義共和國のものなんだから、じゃあこの曲がJASRACの曲なんだったらお前がこの曲の権利を守れって訴訟してみたらどうですか?」
などとバカなことを話したりしてた。
(JASRACの考え方は詞と曲は切り離せないものであるというものなので、曲だけの権利を守って詞を放棄することは出来ない)
まあそんな話がきっかけで時々一緒に飲むようになったのだが、その時に聞いたのだ。この人の親戚が平壌で繊維工場をやってる、と・・・
私はさっそく北京のYさんに国際電話を繋いでふたりを結びつけた。
そしてYさんは中国人社員を平壌に派遣して工場の視察をするまでにこじつけたのだ。
「平壌に工場が出来たら是非私を招待して下さいよ」
などと私も非常に楽しみしていたのだが、残念ながらコストの関係とかで実現までには及ばなかった。
しかし転んでもタダでは起きないビジネスマン、その時に「平壌の自由市場にスペースが持てるかも」という話を持って来て、「平壌の自由市場で100円ショップをやろう!!」という企画が持ち上がった。
もうYさん最高である!!(笑)
中国の10元ショップで色んなものを買い込んで、日本語の達者な中国人社員がまた平壌へと向かった。
彼女が北京に帰って来て「Funkyさんにお土産がある」と言うので「土産物より土産話が聞きたい」と集まった。
ところが帰って来たばかりの中国人社員がぷんぷん怒ってて最高である。
「あそこの国の人、みんなドロボウね!!ちょっと目を離したらこっちから何か盗む、そっち見てたら反対側から違う人が盗む、もうこんなところで商売やれないね!!」
それと「盗聴された」というのにもぷんぷん怒っている。
「もうね、報告だから夜に社長のYさんに電話かけるネ、そしたらすぐに案内人から電話かかって来て"今のは日本語ネ、何話してたか"って聞いて来るの、もうこんなところで商売ゼッタイに無理ネ!!」
ワシは大笑いしながらこう言った。
「お嬢さん、あなたの国だってちょっと前までそうだったんですよ(笑)」
そんなこんなでYさんは結局工場をこのダナンに移し、何とそこがビーチリゾートの素晴らしい街だということでワシを招待してくれたのだ。
もう細かい予定は全部ぶっちしてここで本を書き上げる所存で御座います!!!
ps.そうかぁ・・・ワイキキはサンセットビーチやったけどベトナムは東が海だから水平線から朝日が昇るのね!(◎_◎;)
Posted by ファンキー末吉 at:06:35 | 固定リンク
2016年7月22日
タイでトランジット
ここ最近は国際線での移動の出発地と着地が違う場合が多い。
ざっと見ても
6月5日:西安ー東京
6月6日:東京ー上海
6月23日:北京ー東京
6月25日:東京ー上海
6月28日:天津ー東京
7月5日:名古屋ー上海
7月7日:上海ー名古屋(経由札幌)
ちなみに5日と7日は名古屋ー上海往復切符ではなく、
上海ー札幌便の経由地がたまたま名古屋だっただけである。
こうなって来ると往復便の方が割引があって安いのでとか言ってられない。
購入するのは片道切符ばかりである。
7月16日に東京から北京に帰る便を探していたが、
どの安いサイトを探しても2000元を超える(>_<)
ヘタしたら3000元を超えて往復並みの値段である(涙)
実は18日から北朝鮮への渡航が計画されていたが、
政情とか何やらでドタキャンになったので急いで北京に帰る必要はない。
じゃあどっかに旅行でもするかと思って色々調べてたら、
何と東京(北京経由)バンコク行きが2600元と、
北京片道チケットより安い!!(◎_◎;)
早速ポチッとして指紋で支払い、
タイだったら被告勝山がひょっとして支店のあるバンコクに行ってないかなと連絡を取ると・・・
「末吉さん、じゃあ黒霧島3本と島美人3本買って行って下さい」
と運び屋を頼まれる(>_<)
まあ別に合法的なもんだったらなんぼでも運んだるぞと思いながら、
「一升瓶6本っつうのはさすがに持てないんじゃないか」
とも頭をかすめるが、最近は「紙パック」の1.8L入りっつうのがあるのな!(◎_◎;)
っつうわけで「酒のゲキヤス」で酒を仕入れる・・・
でも島美人の方は一升瓶しかないのよねぇ・・・
「飛行機で預ける荷物に出来ますか?」
と言うと店員さんがプチプチのついたビニールで器用に梱包してくれる・・・
一抹の不安も頭によぎりながら羽田にチェックイン。
そしたら搭乗時間にはまだまだあるのにアナウンスで名前を呼ばれる・・・
「お客様のお荷物の中のお酒が一本割れてしまったようです」
(>_<)・・・まあな、割れ物注意にはしておいたが乱暴に扱ったんやな・・・
搭乗口まで段ボールを持って来て確認させられる。
段ボールが焼酎でぐしゃぐしゃなので梱包し直してくれ、と・・・
プチプチの上から更にこのぐしゃぐしゃの段ボールも巻いて更に補強して、
2本の一升瓶と3つの紙パックを梱包した。
「お客様の大切なお荷物を割ってしまってどうもすみません」
日本のサービスはもの凄いな・・・
「壊れても文句言いません」という札にサインしてるのに、
更にここまでちゃんと謝られたら全く以って怒るつもりにもならん・・・
まあ「運び屋」としては任務を完全遂行は出来なかったが、
なんとなく「いい気持ち」で羽田を発った・・・
途中北京乗り換え。
乗り換え時間は1時間なのだが荷物はそのままタイに行くので大丈夫。
初めてじゃったが、一応一度入国して出国するのな。
それ専用の窓口があって並ばなくてもいい・・・
バンコク行きの便に乗る時に、
「別に料金だけの問題やったら残りのチケット捨ててここで北京で降りたらええやん」
と心の中の声が聞こえたが、
「荷物がタイまでやからしゃーないのよ〜」
などと言い訳しながら乗り込む(笑)
そしてバンコク到着!!
荷物が待てども待てども出て来ない・・・
台で回っている段ボールは残りひとつだけなのだが、
こんな小さい段ボールじゃなかったし、
それにビニールでぐるぐる巻きにされたその段ボールのヒモには中国語が書かれているので中国から乗って来た客の荷物だろう・・・
・・・ビニールでぐるぐる巻き?・・・中国語のヒモ?・・・
悪い予感がしてその段ボールの札を見てみる・・・
これワシのやん!!!(◎_◎;)
まあ小さくおなりになられて・・・
思うに北京空港で乗り換えの時にまた割れたんやな・・・
ぐしゃぐしゃのその段ボールをそのままビニールでぐるぐる巻きにしてそのまま乗せたんやな・・・
さすが中国!!(>_<)
税関でX線を通す時に粉々に割れた一升瓶が映し出されていた・・・
勝山さんすまん!!ミッション半分しか遂行出来んかった・・・(涙)
でもちゃんと6本分の値段もらってメシまで奢ってもらいました!!
タイでトランジット最高!!(涙) pic.twitter.com/heGe1qcBHR
— livebarxyz(ファンキー末吉) (@livebarxyz) 2016年7月16日
さて次の日は温泉など入ってのんびりしたものの、
実は夜は地元のミュージシャン達がセッションをブッキングしてくれてたのです。
まず「ひとりドラム」から・・・
そしてセッション!!
いや〜地元の日本人メタルねーちゃん強力やったな・・・
メタルに全く興味のないという旦那さんと一緒に来て、
その旦那さんがどんどんドン引きしていくのが面白くて仕方なかった・・・(笑)
セッションを組んでくれたグル、ありがとう!!
さてこのセッションも実はFacebookのお誕生日メッセージをくれたバンコクの女性ベーシストJypsyさんに
「3日間いるけど君はどっかでベース弾いてないの?」
というメッセージを返してからこのセッションにつながったのだけれども、
彼女はセッションには参加せず見に来てくれてた。
ところが彼女がFacebookにUPしたワシとの2ショットに、
他のタイ人が書き込むコメントが何やら面白げである・・・
どうやらワシに似たタイのバンドマンがいるらしいな(笑)
さて、次の日はマッサージなどをして飲んで寝、
夜は九州酒場「勝」でご馳走になり、
次の日もマッサージとご馳走を経て夜中の1時の便に乗るべく空港へ向かう!!
そして搭乗口で待つこと5時間!!
飛行機飛ばず・・・(涙)
いや〜中国でも似たようなことはあったけど、
こっちはアナウンスが英語なのでようわからんのよね・・・
だらだらとみんなについて行くんだけど、
飛行機から降りて来た団体なんかと一緒になって、
果たして自分がついて行ってる団体がこれで正しいのかが自信が持てない・・・
どうやらホテルに行くらしく、
ワシらはもう既に出国しているけれども、
プライオリティーラインからもう一度入国するらしい・・・
入国カードなど書いたりせずに、
係員が名前だけをメモするという簡略化・・・
そして実はこの写真に写っている韓国人夫婦に皆助けられる運命となるのだが・・・
入国したところでひたすら待たされる・・・
係員もどっか行ってしまい、仕切っている人が誰もいない状態・・・
もう9時前である・・・眠いのだ・・・
そして団体が動き出したのでついて行くが、
誰も旗を持って案内してるわけでもなく、
人混みの中を歩くのではぐれたら大変である。
ワシら入国カードも書いてないんだから不法入国になるんとちゃうん・・・
やっとバスのところまで来て、どうやらこれに乗るようだ・・・
しかし乗ってもそのまま待たされっぱなしで出発する気配がない・・・
結局どうなってるのかわからんままに再びバスを下される(笑)
バンに乗せ替えられて高速を進む・・・
ホテルに着いた!!結構良さげなホテルである・・・
この頃から客の中の中国人のおばちゃんが仕切り始めたので中国語でわかりやすい(笑)
部屋もなかなかいい感じである。
何よりも前回は見知らぬおっさんと同じ部屋だったからキツかったけど、
ひとり部屋というのが非常に助かる・・・
数時間しか寝てないのにモーニングコールで起こされ、
何やら「Lunch」と言っているようなので降りて見た。
え?唐揚げに酢豚?中華やん!!と思ったけどトムヤムスープもあって立派にタイ料理!!
タイ料理はどんな形で出ても美味いなぁ・・・
そしてこんな張り紙がされてある・・・
CA980は13時出発になりました。搭乗口はF2A、ボーディングパスを失くされた方はU15-19に行って手続きをして下さい。時間通りに出発するために、出発の30分前には搭乗口にいらして下さい。北京着は7時50分の予定です。
・・・って今読んだら間違いだらけやな。
北京着が朝7時50分になってるし・・・(笑)
そもそもホテルに集合が12時やのに13時発の搭乗口に30分前に行けるわけないっつうねん!!
そしてバスに乗り込むのだが、これが待てども待てども出発しない(>_<)
そして搭乗締め切り時刻を過ぎた頃、やっとバスは動き始めるのであった・・・(笑)
そして飛行機が飛ぶ時間にやっと空港着いて、
指定されたU15-19というカウンターに行くのだが閉まっている・・・
こりゃ乗り遅れたなと思ったら先ほどの韓国人夫婦が実は正しいカウンターはW15-19であることを発見!!
無事にボーディングパスをゲット!!
プライオリティーラインから並ばずに出国!!
カウンターにたどり着いた!!
まだ搭乗はしてないようだ・・・
ツイートによると北京はこんな状態らしいが果たして飛ぶのか・・・
倒すなら今だ!
— 東京&広州パワー生活者 (@guangzhou88) 2016年7月20日
とうとう北京が水没す
飛行機全便欠航 pic.twitter.com/Xa6mldD9Il
やっと搭乗!!なんと最初に飛行場に来てから15時間ぶりである・・・
さて乗ってから5時間待たされるということもよくあった・・・
飛ぶのか?・・・
飛んだ〜降りた〜北京なう〜・・・
いやはや乗客の顔もいささか疲れているようである。
何はともあれタイでの3日間のトランジット・・・
いろいろあったけどまあ楽しかったな・・・
9月にはヒマが出来るだろうからまた行こう・・・
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2016年4月 4日
葉世荣(Yip Sai Wing)という男
この男とはもう25年の付き合いになる。
いい時も悪い時も一緒・・・というより、
人間やはりどん底の時に一緒にいた友達関係は一生の付き合いになるのかも知れない・・・
中華圏で今だにどのバンドも超えることが出来ない大成功を収めたバンド、
そのバンドのボーカリストが日本で事故で亡くなり、バンドは活動停止して、
残された彼はドラム台を降り、立ち上がってギターを持って歌を歌った。
今までリードボーカルなどそんなに取ったことがなかった彼にとってかなりの苦難の道だったようだ。
彼がギターを持って広東省の田舎町のキャバレーなどを廻っているのによく遊びに行ったりした。
その後のBEYOND再結成からは残された3人で立派にリードボーカルを割り振りし、
(今思えばC-C-Bのようじゃ)
今では彼は歌手として中国大陸では3人の中で一番成功しているように見える。
でもねぇ、お金的にはどうなのだろう・・・
彼はいつも自分のバンドWING BANDを連れて廻り、
経費だけを考えたら、あの時のようにギター片手に、もしくはカラオケ持ってBEYONDのヒット曲歌って廻ったら莫大な富を稼げたはずである。
ワシは長年の付き合いでなしくずしにWING BANDの一員にされているが(笑)
彼は大陸の小さな都市などでのコンサートにはワシではなく香港の若いドラマーを連れてゆく。
「若手を育てたい」という考えてなのだろう、ワシは今回のように海外の舞台や、北京や香港など大事な大きな舞台にだけ呼ばれるという感じである。
そしてワシがドラムを叩くコンサートでも必ずその若いドラマーも一緒に呼び、
ゲストのバンド部分や彼にもドラムを叩く場を用意する。
経費だけを考えてたら人数を減らせば減らすほどいいのは当たり前だが、
彼の頭にはそういう考えてはどうもないようだ・・・
その昔一緒に飲んでた時、
「ビジネス的にオイシイ話が来たので投資したい」
みたいな話をしてたので
「やめとけやめとけ」
と言ってたら、
「僕は理財の才能があるから大丈夫」
などと言ってたから本気で止めた。
直接は知らないが、この男は過去にどれだけの人間に騙されて金を失ったことだろうと想像する・・・
だいたい金儲けの上手い奴なら若いドラマーなんてギャラが安いから利用してるだけで、扱い方自体が違うはずである。
また、前回の北京公演の時に感じたことがある。
彼はオープニングアクトとしてマレーシアから「异种(YiZhong)」というバンドを呼んだ。
言っちゃぁ悪いがいい年したおっさんのバンドである。
金のことだけを考えてたら売れ線のバンドとかにチャンスを与えて、
それが成功したらそこからまた自分にお金が落ちて・・・
というのがむしろ「普通」であるのだろうが・・・
「Funky、紹介するよ、このバンドはなぁ・・・」
それを聞いてワシは「ああこいつらしいな」と思った。
彼らは1988年にBEYONDが最初に北京公演をやった時のオープニングアクトだったバンドであったそうだ。
何処かで再会した彼はきっと彼らにこう言ったのだろう。
「懐かしいなぁ・・・まだバンドやってんの?じゃあ世界ツアー一緒に廻ろうよ」
そんなWINGのワールドツアー、香港での楽屋でワシにとっても懐かしい人と出会った。
元BEYONDの敏腕マネージャー「レスリー」である。
BEYONDを中華圏最大の成功に導いた立役者、
北京に紅星レコードを設立して中国大陸のロックブームの火付け役となった敏腕マネージャー・・・
その後はBEYONDと契約関係でもめたとか、
紅星では目の出ないロックバンドを片っ端から青田刈りしてるとか言われていたが、
ワシの名前を中国じゅうに響き渡らせた「許魏(XuWei)」をはじめとして、今中国で一線で活躍する数多くのロックスターは、彼がいなければ世に出てなかったかも知れない・・・
実はその紅星で制作を任されていたのが、
現在ワシが一番一緒に仕事をしているLaoLuanである。
つまりワシはLaoLuanと共にレスリーが大陸でやり残した大きな仕事を引き継いでいるとも言えるだろう・・・
そのレスリーも音楽業界を退いて長い。
噂ではオーストラリアに移民して音楽の仕事は一切していないという噂だ・・・
そんな彼をWINGが自分の香港でのコンサートに呼んだ。
北京コンサートにも旅費や滞在費を出して呼んだと言う・・・
何故か?・・・
ここからは想像でしかないが、
ワシがその前にレスリーと会ったのは1993年東京女子医大病院、
つまりBEYONDのボーカル黄家駒が命を落とす間際である。
全くの想像でしかないが、
レスリーはその時ちょっと居場所のない感じだった。
BEYONDとは契約関係でもめていると聞いてたし、
そのBEYONDと契約したアミューズはレスリーを目の上のタンコブのように思っていたのだろう、そんなレスリーが病室に現れてアミューズのスタッフが右往左往していたのを覚えている。
その後、黄家駒も死んで、BEYONDのメンバーもそれぞれの活動を開始して、
「レスリー元気かい?僕は今歌を歌ってるんだ。よかったら見に来てくれないか?」
そう言ってWINGがレスリーをオーストラリアから香港、そして北京へと呼び寄せたことは想像に難くない。
特に北京では、30年近くの時を越えて、同じこの北京で、自分がマレーシアからブッキングした「异种(YiZhong)」と再会することとなる。
どんな気持ちだっただろう・・・
レスリーの気持ちに火がついたと言えば言い過ぎだろうか・・・
結果的にはレスリー自身がこのWING世界ツアーのオーストラリア公演をブッキングすることとなったというわけだ・・・
もちろんWINGは計算ずくでそう仕組んだわけではない。
WINGの「気持ち」とその「友情」に答えたのではないかとワシはそう思う。
元敏腕マネージャーは頑張った!!
蓋を開けてみたら会場は中華系のオーディエンスで満杯!!
中華系以外のオーストラリア人には全く無名のこの男が歌う、
自分が昔プロデュースしたBEYONDの曲を、
自分が一生懸命プロモーションして集めたオーディエンスが全員で大合唱する・・・
そんな姿をレスリーはどんな気持ちでステージ袖から見ていたのだろう・・・
自分が30年前にBEYOND北京公演のオープニングアクトでブッキングしたマレーシアのバンドが、30年の時を越えて今度は自分の住むオーストラリアの自分が作り上げたステージの上で歌っている・・・
そんな姿を彼はどんな気持ちで眺めていたのだろう・・・
コンサートは大成功に終わり、一行は打ち上げ会場に向かう。
また豪勢な中華料理を想像してたのだが、予想に反して打ち上げ会場は中華系のカラオケ屋。
ここでワシはだんだんとこのツアーのからくりを理解してゆく・・・
いくらチケット代が十数年前のKISSよりも高くたって、
アリーナクラスではない会場に高々数百人満杯にしたところで、
これだけの数のツアーメンバーの旅費と食事、
そしてこの豪勢なホテル代を全部支払ったら元が取れるわけがない。
おそらくこの豪勢なホテルのオーナーも、
豪勢な食事を食べたレストランのオーナーも、
そしてこの中華系カラオケ屋のオーナーも全て中国人!!
その中国人実業家達がこのコンサートのスポンサードをしていることは間違いないだろう。
だからその主役であるWINGはそのスポンサーの店は廻らねばならない。
WINGがスポンサー達を接待して、
スポンサーは命がけでワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する。
そんな一風変わった変な循環がワシには感じ取れた・・・
世も更けてカラオケ屋で出前の中華をつまみながらレスリーの帰りを待つワシらに、グループチャットでレスリーが写真を送って来た。
「まだ終わらないよ〜」
ワシらが飲んでいる間に、主催者であるレスリーは現地スタッフと共にまだ片付けをしている。
どんな気持ちで片付けをしてたのだろう・・・
祭りの後の寂しさ?・・・もしくは昔のこんな風景を思い出してノスタルジー?・・・
次の日、WINGは地元の大金持ちのプライベートジェット機で遊びに行った。
バンドのメンバーは3人は香港に帰ったが、
ほとんどの人間は次のマレーシア公演までここに滞在する。
そして地元の人達はワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する・・・
こちらに来て1食目の中華料理屋さんで今晩の晩メシをご馳走になった。
そして料理がない打ち上げのカラオケ屋に料理を差し入れたのもこの中華料理屋だったのだが、
ここのオーナーのロゼッタは実はBEYONDの初期スタッフだった。
爆風で言うと初期ファンクラブスタッフの「みのよ」みたいなもんだろうか・・・
アマチュアだったBEYONDに惚れ込んで押しかけスタッフをして、
そこにレスリーが契約書持って現れて、
「じゃあ私はもういいわ」とバンドから離れて、
その後BEYONDは大ブレイク・・・
その後レスリーもBEYONDを離れて、
気がついたら偶然にも同じオーストラリアに移民して、
こうして今度は一緒に助け合ってこのWINGのコンサートをサポートしている・・・
オーストラリアではワシらは北京語、広東語、そして英語を使って会話をするが、
英語で的確に言い表せない言葉がある・・・
縁・・・中国語で「缘分(YuanFen)」
WINGのお陰で切れていたいろんな「缘分(YuanFen)」がまた繋がってゆく・・・
かく言うワシもびっくりするような「缘分(YuanFen)」があった。
マレーシアのバンド「异种(YiZhong)」のベーシスト
(まあ彼は若いから新メンバーなのだろうが)
は実はワシがマレーシアで行ったひとりドラムの時、ブログでも「全作大人買いしてくれた青年が」と書いているその青年が彼だったのだ!!
WINGがワシにくれたのは毎回いくら入ってるかわからないギャラ代わりの「红包(HongBao)」だけではない。
お金では買えないいろんな「缘分(YuanFen)」をくれた。
レスリーやロゼッタも、決してWINGの金儲けに利用されて動いたのではない。
きっとお金で買えないいろんなものをWINGからもらったのではないかと思う。
お金のことだけを考えてたらカラオケ持ってひとりでくればいい。
こんだけのバンドメンバー連れて、マレーシアからオープニングアクトのバンドまで連れて来たんじゃWINGだけじゃなく誰も金を儲けることなんか出来ない。
でも金じゃないいろんなものを得たと感じるのはワシだけではないと思うぞ・・・
最後に少し・・・
彼はコンサート当日に突然『風継続吹』という曲をを歌うと言い出した。
送られて来た音源を聞いてみたら山口百恵の『さよならの向う側』である。
実はこの日、4月1日は彼の友人でもあったのだろう、自殺したレスリー・チャンの命日。
「1コーラスだけでいいから彼の曲を歌いたいな」と思ったのだろう。
人は生きていればいろんな出会いがあって別れがある。
それを引っくるめて中国語で「缘分(YuanFen)」と言う。
バンド仲間の事故死、フィアンセの事故死、そしてお父さんの死・・・
そんなものを全て乗り越えて、彼はその亡くなったバンド仲間の歌を歌う・・・
そしてそこにまた新しい「缘分(YuanFen)」が生まれてゆく・・・
葉世荣(Yip Sai Wing)・・・
友達思いで後輩思いで、バカでお人好しで本当に金儲けがヘタな男・・・
ワシのとても大切な友人である。
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2016年4月 1日
WING世界ツアー2016年オーストラリア初日
香港でのリハを終え、今回のワールドツアーの最初の公演地であるオーストラリアはシドニーにやって来た。
「僕は中国人がいる国だったらどこにでも行くよ。逆にその他の人間は僕のこと知らないからね」
と笑って言ってたWINGさん。
確かにオーストラリアには80万人近くの中華系の移民がいるらしく、実際こちらに来てみてから感じたのは広東語を話す人なんかもかなり多いということである。
着いて最初の食事である昼メシの時に行った中華料理屋さんでも、決して広東料理専門店ではないのに従業員は全て広東語を話してたし、晩メシの超高級中華料理屋でも広東語が普通に話されてた。
そうそう、
「香港人とツアーに行くと中華しか食べないんだよ」
とよく言われるが、
WINGの世界ツアーでも毎回ほぼ全食中華である(笑)
ワシなんかは「オーストラリアと言えばオージービーフ」で、
過去のWINGツアーでもそうだったが、オーストラリアならぶっちして自分ひとりでオージービーフとオーストラリアワインと行きたいところなのだが、
ご一緒してると滅多に食べられない高級中華にありつけるのでそのタイミングが難しい・・・
今回は何とカジノが入っている高級ホテルに宿泊なのだが、
晩メシはその高級ホテルのオーナーなのか何やら偉い人と共に食事である。
今まで見たことがない巨大なカニ!!(◎_◎;)
足の部分だけでこんなに!!
巨大甲羅にて焼きそば!!これが上品な味にカニ味噌の香りで絶品!!
そしてアワビ!!
をしゃぶしゃぶ!!!(◎_◎;)
でもね、料理だけではない。
この後「じゃあ飲みに行こう」となって行ったのが何とカジノのVIPルーム!(◎_◎;)
どうもWINGの席に座ってた偉い人たちの中にはこのカジノのオーナーがいたらしく、その人の案内によるものらしい・・・
「パスポートは持ってるか?」
どうもVIPルームに入るにはパスポートが必要らしい・・・
「僕はパスを持ってるから」
とWINGはそれ専用のペラペラ紙を見せてくれた。
カジノなんか入るのは生まれて初めてで、
入ったら入ったでスロットマシンやルーレットなどギャンブル台が並んでて映画なんかで見るカジノと全く同じなのでむっちゃ緊張した。
(写真自粛・・・というか禁止か?)
そのカジノを抜けて専用エレベーターで最上階の17階に上がる。
いくつかのギャンブル台が並んでて中国人がディーラー相手にブラックジャックをやっている・・・
賭け金:最低1,000$最高500,000$
!(◎_◎;)・・・大雑把に計算して最低で10万円足らず?!!!
最高額賭けたら一勝負5億円?!!!(驚)
どんな人がこんなギャンブルをやってるのかと思ったら全員中国人!(◎_◎;)
賭けてるチップが100万円だとすると、
それで賭けてる人は優に毎回何百万の勝負をしている・・・
最上額のチップであろう、少し大きくて値段が書かれているのは100,000$・・・ってあーた!!いっせんまん?!!!(◎_◎;)
とある中国人・・・そのチップを何枚も賭けて、一勝負で高級マンションがぽんぽん飛んでゆく・・・(眩暈)
興味深いのはそれを見ているワシらは額を計算して目がクラクラしているのに、
そんな大金を賭けているご本人は買っても負けてもさほど気にしてない様子なことだ。
恐らくこれぐらいは「はした金」なのか、
もっと大きく勝ち負けした時にだけ感情を表に出すのだろう・・・
ワシらは隅っこのテーブルに座って、時々立ち上がってはその「はした金」の勝ち負けを覗き見してたのだが、
「コニャックでも飲むか」
と言うのでワシは大きく頷いた。
そもそもは、何やらここでしか飲めない数十万のコニャックをご馳走してくれると言うからついて来たのだ。
これ!!
日本円で80万円ほどする代物らしい!!!(◎_◎;)
(ちなみに瓶はクリスタルガラスで作られているらしい・・・)
これを惜しげもなくワシやバンドのメンバーに振舞ってくれる(驚)
まあ一瞬のうちにマンション何軒かが買える金が動いているこのカジノのオーナーにとってはこのコニャック一本ぐらい「はした金」みたいなもんか?・・・(恐)
飲みながらこんなことを考えた・・・
オーナーがもしこの貧乏バンドメンバーからコニャックの元を取ろうと思ったとしたら、一人に一枚ずつチップを振る舞えばよい。
スタッフも合わせて20人ほどが一度だけそのチップで博打をすればそれでいいのだ。
10万円が動くその勝負を一度だけ体験すればそれでいい。
20人いたら2〜3人は運良く勝つ人が現れるだろう・・・
その人は「10万円儲かった」と言ってすぐにそのチップを両替するか?
またその20万円を賭けて勝負をしたらもう後には引けない・・・
このホテルにはATMも山ほど設置されてるし、聞くところによるとクレジットカードでチップも買えるらしい・・・
20人いて一人がひと財産全部スってしまえばコニャックどころかみんなに配った最初のチップぐらいすぐ元が取れてしまうんではないのか・・・(恐)
帰り際にパスポートを返してくれたのだが、
それぞれにWINGと同じくこのVIPルームのパスが配られた。
でもワシはもう足を踏み入れないと思う・・・
博打は人生だけでもう十分!!
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2016年3月30日
WINGワールドツアー香港リハーサル
もう25年の付き合いとなる彼だが、
普段は彼はコンサートなどではワシではなく若いドラマーを起用している。
アマチュアバンドから始まって、中華圏で今だに誰も超えることが出来ない大成功を納めたバンドとなったBEYONDのメンバーとして、やはり「後輩の育成」というのを考えているというのが誠に「彼らしい」と感じるなあ・・・
ワールドツアーとか北京など押さえて置かなければならない大きなコンサートでは思い出したようにワシを呼ぶ(笑)
「Funky〜何時に香港着く?迎えに行くよ」
といつもメッセージが来るのだが、高々バックバンドのドラマーが香港にやって来るのに歌手自らが迎えに来ることないのよ〜
「ホテルまで自分で行けるから大丈夫〜」
と返事を返して置くが、
「空港着いた〜」
とメッセを送るとすかさず、
「Funky〜じゃあメシ食おうぜ〜」
といそいそとメシの段取りをしてくれる。
そして大宴会!!(笑)
全くもって北京のLuanShuとか彼は「ワシとメシ食うのがそんなに楽しいんかい!!」と突っ込みたくなるほどワシによくしてくれる・・・
ワシも別に「仕事」というのではなく「旧友に会いに来た」というニュアンスなのだが、彼にとってもきっと「旧友が訪ねて来てついでにドラムを叩く」ぐらいのニュアンスなのであろう・・・(笑)
ちなみに「仕事」ではないのでギャラは決まっていない(笑)
ある時は多くくれたり、またある時などはお父さんが亡くなって、
「立派な葬式を出してあげたいんだ。ギャラはちょっと待ってくれないか」
と言われたり、
もちろん「ギャラなんか要らねえよ。立派な葬式出してやんな!!」ってなもんである。
毎回コンサートが終わると彼が自分の手で「红包(HongBao)」というのをバンドメンバーやスタッフなどに手渡す。
「红包(HongBao)」というのは赤い封筒にお金を入れた、いわゆる「お年玉」みたいなもんで、まあそれがギャラ代わりみたいなものになっている。
ところがリハーサルが始まっていきなりWINGが「红包(HongBao)」をワシに手渡す!(◎_◎;)
「何なの?これ・・・」
と聞くと、
「ほら、北京のファンキースタジオで何度か歌の練習させてもらっただろ・・・」
まあつまりスタジオ代も「红包(HongBao)」なのである。
彼は北京ではワシんとこよりももっともっと遠いところに住んでおり、
一番近いスタジオがうちだということから、
コンサートが近くなって来るとギターを持って歌の練習をしに来たりするのだ。
まあ自分ちなんだから友達が来て勝手に歌の練習している分には金なんぞ要らないのだが、ここで「红包(HongBao)」っつうのがいいクッションになって有難くスタジオ代としてスタジオの収支に納めることが出来る。
良くも悪くもあるが、中国的ないいシステムである・・・
ところで亜熱帯に位置する香港であるが、そこで生活しようとするととても「寒い」ところである。
東南アジアの色んな国でもそうなのだが、何せ屋内ではこれでもかとクーラーを全開にして、本当に「冷蔵庫の中で暮らしている」という状態になる(>_<)
夏などでは外は気温40度で湿度100%で、室内に入れば冷蔵庫なのだからもうてきめんに風邪を引いてしまう・・・
また今回ワシは香港ーオーストラリアーマレーシアということで短パンとか夏の用意しかしてなかったのだが、思いの外外気が寒かったので中でも外でも凍えている(>_<)
それなのにWINGは
「それだけドラム叩いてたらさぞかし暑いだろう」
ということで扇風機まで買って来てくれた・・・
いや、冷蔵庫の中でドラム叩いて決して暑くはないんですけど・・・(>_<)
おまけに老眼のワシのためにわざわざマジックで太字で目盛り書いてくれたり・・・(感涙も含む涙)
もうね、一度ぐらいはスイッチを入れねばということでちょっと風邪気味(笑)
そしてリハが終わると毎日宴会!!(笑)
全くもってギャラ払って「仕事」として発注して「メシは自分でね」とした方が絶対に安くつくだろうが、これがまた中国人のメンタリティーなのよね・・・
リハが終わる頃になると毎回頭を悩ませてワシに相談して来る・・・
「Funky〜今日は何食いたい?」
事務所の力でスターになったその辺の流行歌手とは違う。
アマチュアバンドから始めて今に至る彼にとっては「バンド仲間」は何よりも大切なものである。
まずバンド仲間に楽しんでもらう。
そしてもしもお金が余ったらみんなで分けよう。
ってな感じなのである。
香港での3日間のリハ(暴飲暴食)も終わり、
今日は最初の公演地、シドニーに出発!!
ワシにとっては初めてのオーストラリアである。
Posted by ファンキー末吉 at:14:32 | 固定リンク
2015年5月 4日
ベトナム食レポ
初日のシーフードはこちら、屋台のメシはこちらにUPしたゆえ、
今回はその他のベトナム絶品料理を列挙してゆこうと思う。
まず一回目のライブの時に
「絶品のヌードルがあるから是非そこへ!!」
と言われていたのだが、
ライブ前は飲めないし食い過ぎると吐いてしまうので(笑)、
ライブ終了後に連れて行ってもらった。
麺が出来る前にここ名物の肉まん、牛すじ、そして野菜が出て来る。
これをツマミにベトナムビール「333(バーバーバーと発音する)」を飲んで待つ。
待望のヌードルはフォーのような汁ヌードルを想像してたら油そばのような汁なしヌードルだった・・・
調味料を調合してくれて、それを入れて混ぜて食す!!
こんな感じ・・・
いや〜これは美味かったなぁ・・・
そして「青汁」のようなもんだろうか・・・
地元で流行っている野菜ジュース・・・これは・・・
こんな感じ・・・
その日は夜中に散々食って飲んで、
翌日昼間は今度はまた全く違うベトナム料理屋に連れて行って下さった。
まずは文字通り「えびせん」に海老を乗せてピーナッツバターをちょっとつけて食す!!
たこ焼きのように見えて実は練りモノ!!
しかし半身はパン粉みたいのが塗していて食感がパリパリしている。
これはナゾの食べ物・・・
カリカリに焼いたおコゲのようなものにタレをかけて食す。
ナゾなのはこれを店内狭しと従業員が部屋の端から端に放り投げては皿で受けて・・・粉々に砕くパフォーマンスなのだろうか・・・
全然砕かれてはいないのだが・・・(笑)
タレに浸されて柔らかくなると美味!!
そしてお決まりの野菜とそれをつけて食べるタレ(右上)
左上は魚の煮付け。
どちらも味が濃くて白飯によく合う!!
聞けばベトナムはそんなに豊かな国ではないが、
米だけは多量に穫れるので、一品で多量の米を消費するこんなオカズが人気なのだとか・・・
トドメに野菜のスープ!!
ここまでの料理、前日に引き続きまたもやご馳走になってしまいました!!
本当にご馳走様で御座います!!
さて夜のライブのリハーサル終了後、
地元の日本人の皆様が「是非一緒に」ということで、
禁断の出番前お食事!!
伝統的ベトナム家庭料理のお店なのだが、入り口のビール棚が眩しい・・・
個人的にはサイゴンビールに気を引かれるのだが我慢して席に着く・・・
伝統的ベトナム家庭料理ってどんなん?・・・と思ってたら、
日本食とも通じる数々の食べ物・・・
まずはこれは単なる「さつまげ」?・・・
単なる「豚角煮」?・・・
そして・・・これは「単なる」ではないな・・・ナス!!
そしてお決まりの野菜とタレ!!
この日はハマグリのタレとニガウリ!!
野菜!!
野菜!!
と、ベトナム料理は野菜が多くヘルシーな印象を受けたな。
しかもタレが濃いので白飯にも合うし、酒のツマミにもバッチシ!!
そしてライブ終了後の打ち上げ!!
お決まりの野菜!!
野菜炒め!!
ちなみに醤油は魚醤と普通の醤油が選べるが、
普通の醤油がちょっと甘めで素敵だったなぁ・・・
同じ野菜でもこんなのが出た!!
野菜だけではない!!海老!!
これを醤油で食べると単なる広東料理なのだが、
ここでは「塩胡椒レモン」で頂く!!
そうすると突然「ベトナム料理」になるんだから不思議よのう・・・
同様にイカも頂く!!
トドメは野菜鍋!!
豚のホルモンが入れられているが、
これは単にダシを取るためのもので、あくまでも「野菜」を食べる鍋である!!
最後にはこれに麺を入れてトドメ!!
番外編として、この日はヤシの実とラム酒を買って来て、
ファンキー末吉特製ヤシの実カクテル!!
タイだったか香港だったかホテルで試したら美味かったのでオススメした。
ベトナムでも流行るかも知れんな・・・(笑)
ベトナム料理とことん堪能しました!!
また行きます!!
Posted by ファンキー末吉 at:16:52 | 固定リンク
バンコクライブレポート
今回のアジアツアー最終地のタイ、
本当はFujiyama Rockの3日間のライブだったのだが、
ベトナムもタイも週末を希望し、
タイは前回も来たということでベトナムを優先させてもらい、
最終日のこの日だけ合流させて頂いた。
会場は日本料理屋とか日本人相手の風俗とかが軒並みを連ねる通りにある日本居酒屋「田舎っぺ」の3階にある「VIT 33 Live House」というライブハウス。
日本居酒屋の3階にあるというのが何とも不思議な感覚だが、
ここのオーナー杉森さんの話によると、
もともとはカラオケルームとかだったのが、
あまり客が来ないので「じゃあライブハウスにしちゃえ!!」ということでこうなったとか(笑)
ドラムセットを提供してくれたのがバンコク在住の日本人ドラマーということで、
最初のバンドは彼の所属する日本人バンド!!
(写真がないのよ〜どっかにない?名前もわからんの〜涙)
そしてさっそくひとりドラム!!
ほっとけば出番を最後にされたりして、
酒も飲まずにずーっと対バン見ながら待ってないかんので、
頼み込んでなるだけ早い出番にしてもらったのよ〜
さっさと出番を終えて飲みながら対バンを見る!!
Scrum Syrupに誘われてやって来たという「Black Velvet Lucy」
初めて見たけど素敵なバンドじゃったぞ!!
その後「谷本光」さんというギタリストと飛び入りセッション!!
そして秀光!!
最後はバンコク常連の「Scrum Syrup」!!
ワシもこの頃には結構酔っ払っていい気分で彼らの演奏を楽しんでいたのぢゃが、
客席にオッサンのような酔っ払いを見つけてそればっかり気になって仕方がなかった(笑)
楽しかったのか小畑秀光!!(笑)
また行こうな、バンコク!!
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2015年4月29日
ベトナム2本目!!現地バンドの抱える問題点
ベトナムライブ2本目は基本日本人相手のライブ!!
・・・と言ってもちゃんとベトナム人のバンドも対バンで入っていた。
女性ボーカルがギターも弾き、
曲によってはギターの男の子が歌ったり他の男性ボーカルが入ったりする。
これって?・・・思ったのだが典型的な「箱バン」のやり方である。
カバー曲を歌う箱バンは歌のレパートリーを増やすためにこうやったボーカルを持ち回ったりするのだ。
その辺の謎は後の打ち上げの時に明らかになる・・・
さて、ライブとしては
まず日本人バンドでベトナムでも人気のアニメの音楽をやるLCLというバンド
そこに入ってランナーとリゾラバ(ボーカルはドラマー)
その後ひとりドラムとなって・・・
その後に例のベトナムのバンドとなる。
そしてこのライブを主催してくれた加藤さんのバンドに入ってラウドネス、HIDE、クリキンの「愛をとりもどせ」を叩く。
ベースの人の刺青・・・気合入っとるなぁ・・・
これでちゃんとサラリーマンとして仕事が出来るんやろか・・・
打ち上げの時にお話ししたけど、ここが好きで日本からやって来たという筋金入り。
ワシこちらで感じたのが、「こちらの人はみんなロックが好き」という感覚なので、きっとそれが好きで飛び込んで来たのかな・・・
最後には地元の重鎮の日本人ギタリストHiroさんとセッションで2曲。
ここには他のベトナム人のバンドのメンバーが飛び入りして歌ったり、
聞けば「よく対バンする」とのことで、
日本人の社会人バンドが本当にうまくベトナム人バンドと交流している姿が印象に残った。
そして打ち上げの席・・・
いや〜このサイゴンの日本人コミュニティー半端ねぇ〜!!
駐在員としてこちらに派遣されている人も、
ベトナム語を喋り、ベトナムの地元バンドとちゃんと交流し、
そしてこんなライブを簡単にブッキングすることが出来る・・・
大したもんである・・・
しかしこの打ち上げでいろいろ地元のバンドの事情を聞いて
「なかなか大変やなぁ・・・」
と思った。
まずまだまだベトナムの庶民の生活水準は低い。
だからまだまだ「お金を出してライブを見る」という習慣がない。
アメリカからどんな有名なアーティストがコンサートでやって来たって、
まあチケット代が高いのもあるだろうけど、
そもそも「お金を出してライブを見る」という習慣がないんだから客が入るわけがない。
しかしこの国の人は音楽好きである。
特にメタルとか、ハードコアなんかも非常に人気であると聞く。
バーに行ってそこでバンドが入ってたりするところは大好きである。
だから前日演奏させてもらった店などは毎日毎日超満員なのだ。
バンドも客が大好きな「ロック」を演奏するのだが、
オリジナルがないのでみんな洋楽の有名な曲をカバーする・・・
その話を聞いて地元バンドの構成がどうして箱バン形式なのか理解出来た。
ただ、このホーチミンという都市がいくらベトナム一番の商業都市だからと言って、この街での事情が必ずしもベトナム全土で共通なものなのかどうかはわからない。
例えば中国では、上海は首都である北京よりも大都市だけれども、
オリジナルをやって成功するとかになると首都でなければ無理である。
大阪の芸人が東京に出て行って初めて全国区になれるのと同じように、
中国では北京以外でロックバンドが成功することはない。
ベトナムの首都ハノイに行ったことがないのでわからないが、
ここホーチミンではこのような現状であることは事実のようだ。
そこで考えた。
ワシには著作権登録してないメタル曲がいろいろある。
それを彼らベトナムのバンド達に自由にベトナム語でカバーしてもらえばどうだろう・・・。
激鉄♪MAX!!のテーマや、Live Bar X.Y.Z.→Aのテーマなどなんぼでも使ってもらってええぞ〜
地元の日本人に相談すると「それは大歓迎」とのこと。
別に金なんか一銭も入らんでもいい。
自分の作品がこの国のロックを盛り上げる牽引になればありがたい話である。
またホーチミン来ないかんな・・・
チャンスがあればハノイも・・・
前日の店のオーナーがドラムクリニックツアー組んでくれる言うてたからな・・・
次は数日でなくどっぷりとこの国に飛び込んでみようと思う・・・
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Posted by ファンキー末吉 at:19:16 | 固定リンク
2015年4月25日
ベトナム初ライブ!!
朝フォーと昼おかず乗せご飯を食って仮眠して、16時に会場に向かった。
ベトナムはホーチミンで2本ライブをブッキングしてもらい、
今日はその1本目でドメスティックな会場で現地の人相手のライブ。
日本人相手の方が物販の売り上げも含めて実入りは大きいのだが、
どこの国に行っても日本人相手にしか演奏できないようなミュージシャンだけにはなりたくないので必ずこんなライブをブッキングしてもらっている。
このAcousticというライブハウスは正にそんなライブハウスで、
毎日いくつものバンドが出演して現地人そして欧米人などでいつも満員!!
日本人はほとんど来ることがないという店である。
キョンマ女史の旦那様の会社にはたくさんの家族同然のスタッフがいて、
そのひとりホンさんがキョンマ女史とこの店に来て、
ホンさんがとても盛り上がっていたのを見て
「末ちゃんここで演奏したらいいのに」
と思ってブッキングしてくれたということだ。
かと言って縁もゆかりもない日本人がそうは簡単にブッキング出来るものではない。
実はもうひとりの家族同然のスタッフであるデュクさんが、
後でわかるのだがこの店のオーナーの同級生であったことが判明し、
そんなこんなでトントン拍子にブッキング出来たということらしい。
しかし内容の詰めはなかなか難しい。
日本でもそうだが、「ひとりドラム」なるものがどんなパフォーマンスなのか誰も想像もできやしないのだ・・・。
ところが会場に入ってオーナーの前でドラムをぶっ叩いたらいきなり態度が変わった。
Master SUEYOSHI trong buổi soundcheck chiều nay...show time :10pm - tối nay thứ 6 - 24/4......KĨ THUẬT cực đỉnh .....
Posted by Acoustic on 2015年4月24日
大体の訳:
今日の午後マスター末吉が今夜のShowの為のサウンドチェックをした。
彼のテクニックは素晴らしくクールだ!
もしあなたがロックが嫌いなら後ろの席に座るべきだ。
彼のドラムはパワフルでクレイジーだからだ。
あなたがドラムをやってるなら招待するからジョインするといい。
ファンキー末吉のドラムソロ、五星旗アルバム、爆風スランプの過去永続など
CDも会場で販売します!
ということらしい。
当初
「うちは歌モノの店だからインストのパフォーマンスは15分で・・・」
と言ってたマスターがいきなり
「では30分で!!」
と豹変したらしい。
聞けばマスター自身もドラマーで、
もちろん地元の全てのドラマーと知り合いということで、
今度来る時は是非ドラムクリニックツアーを廻ってくれということになった。
嬉しい限りである。
軽くサウンドチェックを終えて一度ホテルに帰って、
10時からの出番前に会場に着くと、
地元バンドの演奏で既に会場は満員のお客さんである。
モニターには店の宣伝や今日のライブの紹介などの映像が流れているのだが、
そこでこれを発見!!
おいおい!!
世界中どこ行っても「Funky」じゃなく「Sueyoshi」で呼ばれたことは一度もないぞ!!
というわけで、最初っから最後まで、「スイヨシ」とか誰もワシの名前をまともに紹介出来る人は現れなかった。
これだけたくさんのオーディエンスがいて誰も「Funky」という名前を覚えて帰ってくれた人はいないというわけだ・・・(涙)
しかし客は入った・・・
この店にとっては毎度のことなのだろうが、
立ち見も含めて立錐の余地もないぐらいぎゅうぎゅうに客が入っている・・・
そんな中でひとりドラム始った!!
いや〜ウケたなぁ・・・
酒飲みながら洋楽のヒット曲などの歌モノに合わせて大合唱しに来ているお客さんが全員食い入るようにワシのドラムプレイを見ている・・・
特にヘビーメタルはウケたな。
ベトナムの人もヘビーメタル好きなのね・・・
毎度のごとく下手な英語で、
「ワタクシ当年とって55歳!!
それでは55歳のヘビーメタルをお聞き下さい!!」
というお決まりのMCで始まったこの曲は一番ウケた。
Funky Sueyoshi Metal Drumドラムは叩けないけどホントに凄いのは分かります!ベトナムの少年少女も思わずヘドバンです動画では凄さが伝わらないので是非見に来て下さい
Posted by 加藤 聡一 on 2015年4月24日
そしてひとりドラム終了後には地元バンドとセッション!!
全員初対面のぶっつけ本番だが、
ワシのプレイを見てくれているので非常に気さくである。
特にボーカルのMinhさんはいきなり
「あんた55歳か?俺は51歳だよ」
と言って握手を求めて来た。
昨夜のアコースティックLIVE in Saigonドラムソロ後はベトナム人の人気ボーカリストHinhさんとのセッション。みんな盛り上がって楽しそうだった〜(≧∇≦)
Posted by 真辺恭子 on 2015年4月24日
いいなぁ、おっさんロッカー!!素敵だぜ!!
また一緒にやろうぜ〜
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Posted by ファンキー末吉 at:16:37 | 固定リンク
ベトナムの〜屋台でボラれ〜フォー食べる〜
初めて訪れたベトナムホーチミン市・・・
噂にたがわず活気のある街である・・・
街中に北朝鮮を思わせる社会主義的なスローガン看板を見るに、
「ああこの国も社会主義国家なんだなぁ」
と思わせる・・・
スローガン看板や国旗などがいたるところに飾られているのは、
一週間後に控えた南北統一記念日(解放記念日?戦勝記念日?)のためだと聞いた。
つまりこの国はあのアメリカに勝った国なのだ!!!
などと単純に感激だけしてもしていられない。
写真こそ撮れなかったが街角で結構な確率で目にする手足が奇形の大人などを見ると、
「ひょっとしてアメリカ軍の枯れ葉剤のせいか?」
などと想像していろいろ考えてしまう・・・
とりあえずベンタイン市場に行ってメシを食ってみよう・・・
ベトナムと言えばやはり「フォー」!!
・・・と言いながら何を称して「フォー」なのかがよくわかっとらんが、
とりあえず「麺」を頼んでみた。
野菜が別皿にどどんと出て来るのが嬉しい!!
ちなみに左側の別皿はレモングラスと唐辛子とライム。
このライム味でちょっとピリ辛なのがハマってしまうのだ・・・
ビールは中国と違ってキンキンに冷えていて、
更にはグラスにはなみなみと氷が入れられて出されて来る。
嬉しい・・・
ちなみに観光客スポットで結構高いはずなのに、
ビール込みで500円もしないので非常に気を良くしてマーケットの中で買い物!!
「ベトナムです!!」という感じのTシャツを買ってステージ衣装にしようと飛び込んだ店で今晩のライブ用と翌日のライブ用と2枚買った。
そこで見事にボラれてしまった(>_<)
何せベトナムの紙幣は過去のインフレのためか1万円が2百万ドンともう既にケタが全くわからない(涙)
紙幣もゼロが多すぎて全くわからないのだ・・・
ミャンマーの時もゼロのケタが多かったが、
単に日本円にゼロをひとつつけて考えればよかったので楽だったが、
ベトナムドンの場合は更に計算せねばならない。
「ベトナムドンの数字を見たらまずゼロをふたつ取って、
それを半分で割ったら大体の日本円です」
と教わったのだが、マーケットなどで値切りで見せられる電卓では、
最初のカンマ以下、つまりゼロを三つ落として表示するので皆目わからない(>_<)
札を数枚握りしめて右往左往してたら、
「これでいいから」
と最高額紙幣50万ドン(日本円で約2500円)を2枚持って行って、
お釣りをいくらかポンと渡す・・・
「あかんやろ!!それ高すぎやろ!!」
とやっと頭の中で計算してそう言うのだが、
札を渡してしまっているぶん分が悪い・・・
「買わん!!金返せ!!」
と粘るのだが、結局のところ最高額紙幣1枚だけ返してもらって、
結局Tシャツ2枚を2500円で買う羽目になってしまった・・・(涙)
「フォーが何杯食えたやら・・・」
ということから、「1フォー」を庶民価格1杯分2万ドンに換算して、
Tシャツは50万ドン、つまり25フォー(フォー25杯分)も払って買ってしまったというわけだ・・・
さすがアメリカに買った国・・・(涙)
気を取り直して昼飯は同じ屋台で「おかず乗せご飯」をいってみる・・・
言葉が通じないのでとにかくおかずがたくさん並んでいる屋台に行って、
「これとこれとこれ」と指差せばいいと思ってたら、
他の人はちゃんと「おかず乗せ」状態で出て来るのに、
ワシのだけなぜかご飯とおかずが別に盛られていた(>_<)
まあ胃に入れば同じなので朝とはまた違うビール飲みながらあっと言う間に平らげてしまったので今度は魚を追加!!
魚はカリカリに焼かれて(揚げられて?)いて、
この独特のタレをよく吸い込んでむっちゃ美味くてこれも完食!!
「もう食えん!!もう飲めん!!」
というわけでちょっと仮眠してライブ会場へ向かいます!!
(ライブまでなかなか辿り着けん・・・笑)
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2015年4月24日
初ベトナム!!料理旨し!!(≧∇≦)
去年4カ国10カ所を回ったアジアツアー
上海、南通のブログはこちら
蘇州、杭州のブログはこちら
南京のブログはこちら
北京のブログはこちら
タイのブログはこちらとこちらとこちら
ミャンマーのブログはこちら
マレーシアのブログはこちら
に続いて今回は初ベトナムのツアーを組んでもらった。
ベトナムには全くコネがなかったのだが、
昔馴染みのキョンマ女史がベトナムで仕事をしている日本人と結婚して、
本人もベトナムに住んでたりしてベトナム語も喋れるということで何とかブッキング出来ないかお願いしてみた。
旦那様は10年以上こちらで会社をなさっていて、
もう家族のような現地の人たちがたくさんいらっしゃるという・・・
かくして初ベトナム、空港に迎えに来て下さったキョンマ女史と旦那様、
そして現地スタッフのホンさんとドゥクさん。
さっそくベトナムシーフードの店に連れて行って下さった。
ベトナム料理なんてフォーと春巻ぐらいしか知らんワシは、
このベトナムシーフードでぶったまげた!!
まずお通し代わりに最初に出たのが巻貝のココナッツタレ。
この巻貝の口の部分でココナッツタレを掬ってそのままちゅるりと中身ごと吸い出して食す・・・美味!!!(≧∇≦)
そしてこの蛤のスープ!!
貝殻を持ってこのピンク色のタレを身の部分で掬って一緒にちゅるりと食べる。
美味!!!(≧∇≦)
そしてふと見ると隣でホンさんが一生懸命春巻を巻いて下さっている。
野菜ばっかの超健康的な春巻である。
現地では身体にいいとされるドクダミの葉っぱを入れるのだが、
これはキョンマ女史も苦手だということだがワシは大丈夫だったので入れてもらった。
タレは独特のピーナッツタレでこれも美味!!(≧∇≦)
「ベトナムの人はいっぱい野菜食べるのよ」
とのことだが、このいろんな野菜
(食べてしまってから写真を撮らねばと思い立った)
を独自のタレ(右側)で食べるのがすこぶる美味く、
腹にももたれないしビールのツマミにも最高だった。
実はテーブルの向こう側がワシの席で皿にはカニの塩茹でが乗っているのだが、
カニが出て来た時にはあまりの旨さのため全員がカニをほじくることに一生懸命で無口になってしまい、結局誰もカニの写真を撮っていない(笑)
大正海老が丸々と太ったようなエビも出て来たのだが、
もう食ったらこんな感じ!!!
カニもエビも、まあこれでポン酢をつけて食えば日本料理なのだが、
タレがそれぞれ絶品で、
左上から、ゆで卵を何やら発酵させたようなタレで混ぜたもの。
野菜につけても美味しいし、そのまま食べても美味!!(≧∇≦)
右上は前述の野菜のタレで、中の肉みたいなのもツマミとして美味!!(≧∇≦)
中断左からベトナムナンプラー、青唐辛子とライム、塩胡椒と唐辛子とライム(左下も同じ)
中断右は春巻のピーナッツタレ、下段右は蛤のタレ。
どれも絶品!!(≧∇≦)
そして最後にチャーハン!!これがまた癒し!!(≧∇≦)
それと共に出て来たイカを揚げたやつなのだが、
これが同じイカから作られてるとは思えないまさかの食感!!
好みでベトナムナンプラーにつけて食してチャーハンとの相性絶品!!
トドメはデザートのパイナップル!!
調味料は塩を中心とした独特の薬味。
まあ日本人がスイカに塩をかけて食う感覚か・・・
全く違う世界観を醸し出して美味!!(≧∇≦)
今日はこのぐらいにしといたろう!!
明日に続く!!
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2015年1月26日
インドなう
菅沼孝三vsファンキー末吉投げ銭ライブ(ゲスト川口千里)のライブレポートをブログにUPして下さったサバーイさんが住む南インドのチェンナイにやって来た。
7月生まれの南国育ちで寒いのが大嫌いなワシが何故八王子やら北京やら寒いところにばっかり住んでいるのか・・・
おかげで風邪も治らないし、南国に行けば治るだろうということで北京から飛んで来た。
実はワシはインドは初めて!!
「友達のいる国はいい国だ」をモットーに、
それではということでサバーイさんが住むチェンナイに初上陸ということと相成ったのだ。
北京からマレーシア経由で13時間、
目的のチェンナイ空港に着いたら早速洗礼を浴びることとなる・・・
荷物が着いてない(>_<)
しかもワシだけではない。
こんだけのたくさんの人の荷物が着いてないのだ・・・
これだけの人数の処理をするのだからちょっとやそっとの時間で終わるはずなどない(>_<)
しかも誰ひとりとして慌ててたり怒ったりしてる人がいないのだからワシだけ焦ったり出来ようはずもなく、ヒマなので両替でもしとこうとしてまた洗礼に合うこととなる。
持って来た人民元をインドルピーに両替するのだが、
3000元両替するのに18000ルピーって安すぎる!!
ネットで調べたレートだとおおよそ30000ルピー足らずなはずなのに・・・
急いで「両替中止!!」を申し出る。
そしたら両替のお兄ちゃんが一言?
「キャンセル?・・・じゃあいくらだったら両替する?」
空港の両替には「交渉」が必要なのか?!!!(◎_◎;)
着いてからこれだけ大当たりなのである。
絶対に屋台ではメシを食わないでおこうと心に決める。
中国でもタイでもミャンマーでも屋台でメシ食って当たったことは一度もないが、
この国では大当たりになると腸チフスや伝染病の可能性もあり、
数日苦しむどころか病院で長期入院の可能性もあるから危険である・・・
荷物なしで何とか空港を出た。
荷物はサバーイさんの住所を言ってそこに届けてもらうことにしたが、
明日になるやら明後日になるやら・・・
どうせ着替えぐらいしか入ってなかったからよかったようなものの、
貴重品や重要書類などを入れてたらと思うとぞっとする・・・
インド人とパチリ
別に意味はない。
インドに来たら筋少のTシャツを着てインド人と記念撮影をしたかった・・・それだけである(笑)
さて、着いてから初めて知ったのだが、サバーイさんは実は今日が誕生日!!
サバーイさん誕生日おめでとう!!
あと数年の単身赴任、頑張って下さい〜
Posted by ファンキー末吉 at:14:48 | 固定リンク
2014年6月11日
ひとりドラム亜洲巡演最終地マレーシアクアラルンプール終了!!
マレーシアには3年前にもペナン島でのWingのカウントダウンライブで来たのだが、
首都であるクアラルンプールには14年前にビジネスミーティングで一度来たっきりである。
ミャンマーからAirAsiaに乗ってマレーシアに着いたら少し緊張した。
何故ならタイもミャンマーもLive Bar X.Y.Z.→Aの系列店である居酒屋「勝」があるのだが、
今回の渡航先の中でマレーシアだけは私にとって「地盤」がない国なのだ。
今回のマレーシアは、先日手数セッションと五星旗3rdとのジョイントの時に一緒に出たマレーシアのニューメタルバンド「ESTRANGED」のスタッフのMCちゃんにブッキングしてもらったものである。
この日のライブの時に、
「今日みなさんが彼らを盛り上げてくれたらもしかしたらワシらをマレーシアに呼んでもらえるかも知れない」
とMCしたが、その先駆けとしてひとりでやって来たというものである。
今回のひとりドラムツアーは対バン形式の「ライブ」が多かったが、
ここマレーシアでは純粋な「ドラムクリニック」。
対バンもないので終わるのも早いし、終了後に夜の街を探索出来るのは非常に珍しい。
(特にタイでは戒厳令やったしね)
取ってくれたホテルはダウンタウンのど真ん中で、
有名な屋台街もあったし、
街角では絵描きが似顔絵を書いているストリートもあったし、
ストリートミュージシャンが本格的にライブをしたりしてて面白かった。
またねぇ、このバンドで楽しそうにタンバリンを叩くマレー系の少女が可愛かったのよ・・・
演奏が終わったらその少女がお金を集めに来る。
いや、ワシやのうてもそりゃ投げ銭入れるで・・・
この少女は誰かバンドメンバーの娘なのか・・・などと想像してみる。
バンドメンバーに話しかけたら
「明日も夜10時からやってるからおいで」
と言われたが、ひょっとしたらバンドでストリートで生活している家族なのか・・・などと想像してみる。
ワシは若い頃ストリートミュージシャンになりたかった。
ニューヨークに行ってジャズをやるか東京に行ってジャズをやるか、
迷った挙げ句その時の判断で今がある。
だからその時に成し遂げられなかった「夢」を追い求めて「ひとりドラムツアー」などで世界中を廻っているのかも知れない・・・などと思ってもみる。
職業がドラムなのでどうしても担いで世界中というわけにはいかんからな・・・
さて時間軸が前後しましたがドラムクリニック!!
今回ブッキングしてくれたのが郊外の楽器屋さん。
ちなみにブッキングしてくれたMCちゃんは仕事で来れない。
ESTRANGEDのメンバーも来れない。
でも着いてみてここのスタッフが中華系だったので試しに中国語喋ってみたら見事に通じた!!\(^o^)/
これだけでもう気持ちが全然違うな・・・
知らない人んとこ放り込まれるのって中国でも一緒やし(笑)
音楽教室もやっていて小さなステージも用意されていた。
ワシの提言でドラムの後ろにも椅子を置いてもらった。
ドラムって後ろから見るチャンスはほとんどないので興味のある人にはヨダレもんの位置である。
しかし始まってみると誰もそこには座らない。
1曲目のVision Rocksが終わって初のMCの時にここに座るよう煽ってみる。
ちなみに今回のMCは客層を見て中国語を中心に、
一部の中華系ではない人達のために英語も混ぜた。
日本語ネイティブなワシが学習言語である中国語と英語の両方でMCをするのは非常に困難なのではあるが、
これは今後の課題として頑張らないかんな!!
何とかMCも通じて大盛況のうちにドラムクリニックは膜を閉じた。
ドラムクリニックなのでVision Rocksのレコーディング映像と譜面のセットが一番売れると思ってたら、
意外とCDがいっぱい売れて、中には全作大人買いしてくれる青年もいて助かったぞよ!!\(^o^)/
会場の1階にある「肉骨茶(バックテー)」の店で打ち上げ!!
お世話になったGuitar Storeの方々、どうもありがとう!!
そしてブッキングしてくれたMCちゃんどうもありがとう!!
また来るよ〜!!きっと来る!!全世界に友達さえいればきっと何とかなる!!!
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2014年6月 9日
ひとりドラム亜洲巡演ミャンマー終了!!
バンコクでの怒濤の打ち上げを途中で退席させて頂いて、
ホテルに帰ったらもう目がしょぼしょぼ・・・
すぐバタンQ(死語)で1時間ぐらいの仮眠で4時起きしてミャンマーへ旅立った。
飛行時間が1時間もないので飛行機の中でも眠れないし、
朝8時過ぎに着かれても困るのよねぇ・・・(疲)
空港にはLive Bar X.Y.Z.→Aの系列店でもある居酒屋「勝」の店長であるゆっこ嬢が迎えに来てくれていた。
助かるのよね〜結局空港ではドルかユールかシンガーポールドルしか両替出来んかったし(>_<)・・・
こんな早くにホテルにはチェックイン出来んじゃろということでまず店に行って1週間分の洗濯物を洗濯した。
助かるのよね〜世界各地に系列店があるって〜・・・
その後店のスタッフと一緒にビルマカレーとミャンマービール!!
午後は爆睡して小屋に向かおうとしてたのぢゃが、
美冬嬢のダンナ様MyoMyoに頼んでいた機材が15時に店に入るということであたふたと小屋に向かう。
今回の小屋はラテン料理の店「Latin Restaurant salud」、本店は西日暮里にあるらしい。
着いてみるとトラックに山積みの機材が届いていた・・・
おいおい「ドラムセットと簡単なPAシステム」と言うたやろ(>_<)
4人掛かりのスタッフで機材を搬入するが、お国柄が出るなあと思ったのが、
ドラムセットは裸で積んであるのにスタンドケースが手作りの木箱のケース。
いや、ええのよ、ちょっと持ち運びに重いけど頑丈やし・・・(笑)
そして申し訳程度にスティックが2本だけドラムセットに置かれておる・・・
あのね、こちらのドラマーはスティック自分で持って来んの?・・・
それに2本だけ裸でぽんと置かれたってこれって折れたらどうすんの?・・・
突っ込みどころ満載なのであるが、それより「お国柄」なのはこの配電盤!!
やっぱこちらの電力事情は非常に厳しく、
どデカい木箱に電圧安定器を入れてそれを機材と共に貸し出さねばならない事情があるのだろう・・・
・・・ていうか、ひとりドラムにこんな大きなミキサーやどデカいPAシステムは要らんのやけど・・・
マイクをいっぱい持ち込んでスネアとかタムとかにマイクを立てようとするスタッフを制して言った。
「こんな狭い店でドラムは生音で十分です(>_<)」
っていうか生音でも相当ウルサいんですけど・・・(涙)
バンドがフルで入れるようなPA設備持ち込まれても・・・
伴奏流せたらそれでええんです・・・モニターも別に要らんし・・・(困)
最初「機材費が10万チャットかかります」と聞いた時、「高っ!!!」と思ったけど、
日本円に直して高々1万円。
ドラムセット借りて運んでもらったら軽くそれぐらいはかかります。
蓋を開けてみたら4人のスタッフでバンドがフルで演奏出来るPA設備を借りて4万円は安いなぁ・・・(驚)
なんじゃかんじゃで客入れ開始!!
・・・と思ったら「ライブ」というよりは「ディナーショー」の乗り!(◎_◎;)
ちょっと失敗だったのは日本人客がほとんどだと思って日本語で長いMCをやってたのだが、
実は後になってわかったのだがミャンマー人のお客さんも多かったというところだ。
お父さんに連れられてやって来た21歳のドラマーMoeくん、
「僕はアマチュアドラマーですがヘビーメタルを愛してます!!」
開口一番そう言った彼と、それを包みこむようにニコニコ笑うお父さん。
だからこの国は好きなのだ!!
最初にミャンマーにやって来た時、初めて北京に行った時と同じ「匂い」がした。
何かしらその時と同じ「わさわさ感」を感じたのだ。
別にこの国の「ロック」にまだ触れたことはない。
でも街角にどデカいロックバンドの看板が掲げられてたり、
この若いドラマーの発言と言い、この国のロックは熱い!!と感じる何かがある。
24年前のあの時、ここと同じ匂いがした北京の街角でロックを目にしたり耳にしたりすることはなかった。
でも確かにロックは存在していて、それが地下クラブから大きなムーブメントとなって今がある。
「中国人は怒れる民だから大きな音の音楽を好む」
とその時知り合ったロッカーは私にそう言った。
軍事政権下で生き延びたこの若きドラマーのお父さんは、
息子がこうしてヘビーメタルを愛してドラムを叩くことをどのような気持ちで見ているのだろう。
ミャンマーは素敵だ!!それだけではないのだ!!もの凄い素敵な話を聞いたのだ!!
この店のママさん、まいこさんとライブ終了後に飲んで聞いた衝撃的な話は次のブログで・・・
Posted by ファンキー末吉 at:11:39 | 固定リンク
ひとりドラム亜洲巡演バンコク終了〜ミャンマーへ!!
6月6日はドラムを叩かないトークライブ、
しかもテーマは「北朝鮮」って何これ?・・・・って感じでしたが、
集まってくれた在タイ日本人の方々に平壌6月9日高等中学校の話をして、
見事持って来た本を全て完売!!!
ありがたやありがたや・・・おかげで次のミャンマーに行く路銀が出来ましたわ・・・
特に全てのグッズを大人買い(しかもTシャツに至っては色違いでふたつ)してくれたカポンさんには大感謝!!
あとラッパーのRapさん、
「無茶振り歓迎で何かセッションを」
と言うので、楽器もないしどないしよ〜と思ってたけど、
「ほなここまで話した内容をラップにしてもらいましょう!!」
と無茶振りしたら結構すぐ形になるのな(驚)・・・
いや〜ドラム叩かなくても結構楽しかったなぁ・・・
全世界の皆さん!!こんなライブでも是非ブッキングして下さい!!
前後にひとりドラムつなげますんで(笑)・・・
というわけでバンコク最終日6月7日は、地元のNamiさん主催のライブ!!
Low Fatという地元の日タイ混合バンドがよかったなぁ・・・
タイ人のドラマーのキチガイぶりが凄くていっぺんで心を奪われてしまいました〜
この日も一緒にセッションしたインド系タイ人のGuruさん、
あんたの日の丸「必勝」ハチマキ素敵過ぎる!!
今回お世話になって皆様、どうもありがとう御座います!!
3ヶ月に1回はバンコクを拠点にアジアツアーを組もうと思います!!(これマジ)
また是非よろしくお願い致します!!
Posted by ファンキー末吉 at:09:44 | 固定リンク
2014年6月 6日
ひとりドラム亜洲巡演6本目バンコク
もともとこのバンコク一連のライブは八王子のRちゃんの伝手で決まっていった。
老後はタイに移住をもくろむRちゃんは現地でバンドやってる友人も多く、
マーシーやマッド大内などを連れて行って、現地のミュージシャンとライブやったりしている。
そんな中で明日6月7日のライブ(Fujiyama Rock)が先に決まったのだが、
そこに一緒に出演する地元のインド系タイ人Guruが、
日本人系ではないタイ人相手のライブを組んでくれたのがこのライブである。
いきなりラウドネスのTシャツを着ているのでびっくりしたが、
彼はラウドネスがタイでライブをやった時にインタビューもしたことがあるらしい。
かなりの日本メタル通!!
アースシェイカーやX.Y.Z.→Aのことも知ってたぞ!!
彼の友人で非常に音楽好きのオーナーがやっているカフェ、
そこでライブをブッキングしてくれた。
細長い店なのだが、ドアを入って右側すぐにドラムセットがセッティングされている。
対バンは3つで、最初は日本人シンガーEicoさんの弾き語り!!
いや〜異国の地でこうやって活動してるのって凄いなぁ・・・
次は何やら欧米人のバンド・・・
続いてのユーゴスラビアのバンドが暴れまくってて凄かった(>_<)
でもねぇ、これぐらい大音量で暴れ回ってくれてた方が助かるのよ・・・
ワシのドラムの音って彼らのバンド全体の音よりまだデカいし・・・
というわけでひとりドラム開始!!
いや〜ウケたなぁ・・・
日本はまあ「芸能人」としての名声がある程度あって、
それに釣られて見た人がドラムを聞いて「すっげー」と感激してくれる。
中国は既に「ドラマー」としての名声があり、
「やっぱすっげー」と感激して動画撮ってどんどんUPしてくれる。
でも何の名声もない言葉も通じない外国で、
音だけでこれだけ湧かせられるっつうのは、
これがもう国際的な「芸」に昇華しているという証明ではないか!!
ワシはずーっと外国で活動したかったのぢゃ。
昔から何でかわからんアイデンティティーへのこだわりが強く、
例えば爆風銃(Bop Gun)でコンテストで優勝した時にも、
「ワシらはまぐれで優勝したんじゃない!!絶対的な実力があるから優勝したんだ!!」
という自負があった。
だから翌年にバンド名を変えて出場しても絶対に優勝するのだ、と・・・
爆風スランプで小さなコンテストに出て優勝した時にもそうは思っていたが、
ことレコードデビューしてその戦いが「セールス」というものになった時に違って来た。
売れる売れないというのは絶対的なことではなく相対的なことで、
これが売れたから次も絶対的に売れるというものではない。
しかし上手い下手というのは絶対的なもので、
ワシはその絶対的なものを求めて世界を彷徨っていたのではないかと思う。
だから爆風スランプなど誰も知らない中国でゼロからやり直したかったし、
そこで名声を得たらそれもない外国で自分の実力を試したい。
ここでの反応はワシのアイデンティティーの再確認としては申し分のないものであった。
ありがとうGuru!!こんなチャンスを与えてくれて!!
というわけでセッション!!
ちなみにベースは現地の女性ベーシストJypsyさん。
しょっぱなの「ジョニーBグッド」はいいとして、
「ブラックナイト」や「パラノイド」は王様とツアー廻ってたからこそ叩けた曲である。
いろんなことやっとくもんやなぁ・・・
翌日は現地の日本人相手にトークライブ、
そして翌々日はGuruのバンドと日本人バンドと一緒にライブ!!
タイは素敵だ〜・・・移住しタイ
Posted by ファンキー末吉 at:18:20 | 固定リンク
2014年6月 5日
ひとりドラム亜洲巡演ついに戒厳令のタイへ!!
ワシの場合、中国は海外とは思っとらんので、ここからついに「海外ツアー」という感じである。
23:40にバンコクの空港に着いたが、
よく考えたら今戒厳令で24時以降の外出は禁止とちゃうのん?!!
仕方ないので空港でビール飲みながら考える・・・
結局考えても埒が明かないのでタクシー拾って空港からホテルに行く。
まあ別に外出禁止と言ってもこのような場合は構わないようだ(ホッ)
翌日目覚めて「はてさて今日はどこで何をするんだっけな・・・」ということで、
今日のイベントの主催者の連絡先を調べるのだがメールの検索にヒットしない(>_<)
間に立ってくれてる人に連絡を取って、とりあえずは開演時間前に店に行けばよかろうということになる。
次の日はトークライブらしいが、これは詳細未定(>_<)
まあ場所は調べたので夜にでもふらっと行けば大丈夫でしょう(笑)
次の日は詳細が詳しく出ている。さすが日本人仕切り!!(笑)
さてその翌日ミャンマーに入るのだが、その詳細は先日出たばかりである。
サルー&勝Katsu プレゼンツ!
◎ファンキー末吉 ひとりドラム アジアツアー in ヤンゴン◎
爆風スランプのドラマー、ファンキー末吉がまたまたヤンゴンにやって来ます!
末吉氏は勝グループのひとつでもあるLive Bar X.Y.Z.→Aのオーナーで、前回の来緬時には、勝ヤンゴン店にて「ファンキー末吉を囲む会」を開きました。
そして、今回は待望のドラムライブあり!芸の粋に達した"ひとりドラム"は必見です。また、ライブ後は、お客様との懇親会&本CD即売会もいたしますよ〜。
ヤンゴンにいる音楽好きの皆さん、6月8日はサルーに集合!(ライブ会場は勝ではなく、サルーです)
日時 2014年6月8日(日)19:00
場所 Latin Restaurant salud 7C,Wingabar Rd , Bahan Tsp ,Yangon
日本大使館近く、クローバーホテルの2軒隣り
チャージは無料ですが、お一人様最低1品はオーダーお願いします。
そしてその次の国、マレーシアの詳細も出ました!!
凄いぞ!!着く前から詳細が出るなんて・・・(笑)
いや〜中国なんかでも行って現場に入るまで詳細分からんかったりするからな、
慣れたもんです!!!(ドヤ顔)
初のひとりドラム「外国」ツアー、いかなることに相成りますことやら・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:43 | 固定リンク
2013年7月 8日
Wingワールドツアー1本目香港コンサート
1本のギャラが日本円で1000万円を超えると言われているBEYONDの再結成話を断ってまでやりたかったのは「自分の音楽」だと彼は言う。
逆に言えばBEYONDに頼らなくても「自分の音楽」が出来る立場になったということか・・・
「スタイルをメタルにシフトしたいから日本人のメタルギタリストを紹介してくれ」
と言われたのが去年のこと。
小畑秀光を北京まで連れて行ってライブをブッキングし、
自分の目でそれを見て決めろと言って今がある。
「ワールドツアーを廻りたいんだ」
と彼は言っていた。
まあ中国人の話はだいたい話半分に聞いておくのだが、
お膝元であるこの香港を皮切りに、8月には台湾、11月には日本、
そして来年にはオーストラリアやカナダなど中華系の移民が多い国をブッキングしていると言う。
ただ彼がしょっちゅうコンサートに行っているマレーシアやシンガポールなどは、
それが彼にとっての営業の生命線であるため、
そのギャラや待遇などを絶対に落とすことが出来ないので逆にちょっと難航しているらしい。
確かに去年友人を通して彼をマレーシアにブッキングした時は、
その条件が厳しすぎて結局実現しなかった。
「一度でも落としたらもうそれが次からの値段になっちゃうからね」
悪そうに彼はそう言った。
逆に日本のようにマーケットがない国はどうでもよい。
BEYONDを知っている日本人の方が少ないのである。
マーケットもへったくれもない。
だから11月には逆に小さなライブハウスでみんなで車移動しながら日本じゅうを旅しようぜということになっている。
20年前日本での活動を始めたBEYONDは、
ボーカリストの黄家駒がフジテレビのウッチャンナンチャンの番組で事故死してから撤退を余儀なくされた。
BEYONDが果たせなかった日本ツアーの夢を、
形を変えて彼が実現出来るとしたら別に規模や金など彼にとってはどうでもいいことなのだ。
折しも今年は黄家駒の没後20年に当たり、
香港では様々なBEYOND関係のイベントが行われている。
彼としては本当は6月30日の黄家駒の命日にこのコンサートを行いたかったのだが、
あいにくワシのスケジュールが既に入ってしまっていたので、
わざわざワシのために1週間ずらしてくれて今日行うことになった。
ありがたい話である・・・
さて7月1日の上海ライブを終えたワシと小畑秀光は、
7月2日の予定されてフライトで無事に香港に・・・
着くはずだったのだが、
上海の空港で飲み過ぎたふたりは飛行機に乗り遅れてしまい、
その後の便に変更して香港入り。
その日はミーティングのみで、
曲順や全ての流れを確認する。
そして3日、4日、5日とリハーサルをしながら、
衣装合わせやヘヤーメイクなど、
バックバンドというよりは完全に「バンド」である。
演目の中にもワシのドラムソロや小畑秀光のギターソロのコーナーまで用意されている。
衣装は「ロック」の統一感があり、ワシはこんな感じ・・・
いつもの履き慣れた靴でないことと、
短パンではなく叩くと蒸れる皮パンであることに抵抗はあるものの、
それでもせっかく用意してくれたのだから頑張って慣れさせて頂こうと思う。
ヘヤーメイクは香港島のセントラルにある高級美容室がタイアップしており、
ワシの髪の毛をさらにもじゃもじゃにしてくれた。
さて本番、10時半にロビーで集合して、会場に着いたらびっくり!!
なんと大きな会場ではないか・・・
チケットは既にソールドアウトしていると言うから彼の位置ももう結構なところに来ているのだろう。
ドラムセットは香港最大の楽器屋であるTom Leeが用意してくれていた。
ワシはドラムセットはPearl、シンバルはSabianのモニターなのだが、
当初はそれが用意出来ないということだったのだが、
当日はたくさんのメディアが取材するだろうかそれではまずいだろうということで頑張って用意してくれたようだ。
用意されたタムは10、12、13、14、16というもので、
頑張ってチューニングしたのだが、
12、13、14のインチ数が近すぎてどうもうまく決まらないので13インチのは外させて頂いた。
香港のコンサートは夜8時からとか遅く始まるくせに、
だいたいが3時間を越える長丁場のコンサートとなるが、
今回のメニューは4時間近くいくんではないかというほど盛りだくさんである。
リハーサルもほぼフルでやって、そのままヘヤーメイクに取りかかる。
先日お伺いした香港島セントラルの美容室のスタッフが数人やって来て、
Wing本人をはじめバンドのメンバー全ての髪の毛を数人掛かりで作ってゆく。
衣装を来て、渡されたチェーンをじゃらじゃらとつけたりしてたらもう客入れの時間である。
(道教から来ていると言われているが、コンサートの前には必ずここでお祈りをする)
楽屋は訪ねて来た関係者や友人達でごったがえして、
お喋りをしたり写真を撮ったり、まるで緊張感などありはしない。
舞台監督らしき人間もおらず、何分押しで開始するのかすらわからない。
ただ客席の興奮度はもの凄く、
BGMの曲が変わる瞬間に音が切れると、
今から始まるんだと思ったオーディエンスはウォーっと歓声を上げる。
こんなに大きな期待感を持ったオーディエンスは、
私がバックを務めたの「許魏」の2003年の北京コンサート以来である。
熱狂的に支持されていた許魏はその後スタジアムをひとりで満杯にする歌手の仲間入りをすることとなった。
ワシはWingのどん底の頃を知っているだけに、
このコンサートがきっかけで彼もそのように大ブレイクして欲しいと心から思う。
メイクが終わったWingが立ち上がって、
「よっしゃー!!やるぞ!!」
これで全スタッフに伝令が走る。
It's time to ROCK!!
メンバー全員が円陣を組んで気合いを入れる。
その声が漏れ聞こえたのかオーディエンスがまた興奮のるつぼとなる。
コンサートは先月のリハーサルで作り上げたメタルアレンジのナンバーから始まるが、
香港のオーディエンスに一人馴染みのない小畑秀光は、
この数曲で見事にがっちり認知されたようだ。
最初のメンバー紹介で、長年バックを務めているEverのメンバーよりも拍手をもらった。
Wingにこいつを紹介したことが大当たりであったことが嬉しい。
ワシも負けてはいられない!!
ドラマーであるWingのコンサートでは何故か必ずワシのドラムソロ!!(笑)
そしてラッパーのゲストを迎えてその後はBeyondコーナー。
数曲のBeyondナンバーをバンドで歌った後、
最新シングル「薪火相传」の前にWingがギターを持って客のリクエストに答えてBeyondの歌を歌う。
前日のゲネプロの時に、
「バンドは適当に伴奏してればいいから」
と言われたが、小畑秀光以外全ての人間は知っている大ヒット曲ばかりなのでついつい一生懸命叩いてたら、
「Funky、ダメだよ。オリジナル通りに叩いちゃ〜。
ファンが本気になって入れ込んじゃうでしょ。
遊びでいい加減に叩いてくんなきゃ〜」
と言われたのだが、どれも思い出深い曲ばかりなのでワシとしてはそうもいかない。
ふと見るとステージのドラムのそばには若いドラマーがローディーとしてうじゃうじゃついているではないか!!
そいつらに順番に叩かせる(笑)
(ステージ上で平気で記念撮影は中国でも香港でも・・・笑)
3曲ほど1コーラスずつ代わる代わるに叩いてたら、
Everの連中も振り返って大笑い。
しまいにはボーカルの家豪もやって来てドラムを叩いた。
これでいいのだ(笑)
ワシはやることがないのでドラムの後ろで両手でロックピースをして手を振っていたら、
客席が全員それに合わせてロックピースをする。
20年前の光景がフラッシュバックして来た。
黄家駒の棺を見送る時、葬儀場の前の道路を埋め尽くしたファン達はみな、
こうしてロックピースを掲げながら「Beyond!! Beyond!!」と絶叫していた。
あの時は号泣しながら振っていたロックピースも、
今ではみんなが笑いながらここで振っている。
不覚にもここで涙が出て来てしまった・・・
ロックの育たない香港で自分たちだけが歴史に残る大成功を収めたBeyond。
黄家駒が何とか香港の若者にもっとロックをという意思を継いで、
Wing達はこうして若手を育成し、日本の若いメタルギタリストにまでチャンスを与える。
最新シングルの「薪火相传」という曲は、
黄家駒の没後20年目を受けて、
「あんたの精神を俺たちは次の時代に伝えてゆくよ」
という曲なのである。
彼がメタルにスタイルをシフトしたいという思いも、
このようなシングル曲は香港歌謡よろしくポップに作ったとしても、
「ロック」の曲は限りなく「ロック」であり続けたいという気持ちが大きいのだと思う。
「流行らないから」という理由でどんどん廃れてゆく音楽のジャンルは多いが、
"ほら「ロック」はまだまだ死なないよ"ということを、
どうやったって食ってゆくことが難しいであろう香港のロックミュージシャン達に、
そして小畑秀光のような外国のロックミュージシャン達に対しても自分がちゃんと示してあげたいのだた思う。
ロック?・・・あるじゃないか、ここに・・・
黄家駒がどこかで笑ってこのコンサートを見ているような気がしてならない。
Wingもワシも、きっと彼に対して、
「ほら、俺たちも変わってないだろ?相変わらず楽しいよ」
というのを見せたいのだと思う・・・
コンサートの最後はゲストのポールが出て来て盛り上げてくれた。
もうステージに彼が上がって来ただけでオーディエンスは絶叫である。
Beyondのふたりがこうしてステージに並ぶと、
まるで黄家駒もここにいるみたいである。
ポールはポールで、まあ彼はもうセールスとか気にする立場にはないので、
遠慮なくグランジやニューメタルの道をまっしぐらだし、
Wingはどん底から這い上がって何とかここまで来た。
黄家駒は死んで神様になったけど、
残されたポールやWingはそれぞれの「それから」を生きている。
ワシはもう20年、Wingの「それから」とずーっと一緒にいる。
それはきっとまだまだずーっと続くのだと思う。
ワシらが「ロック」をやめない限り、
ワシらはずーっと黄家駒と一緒にいる。
あの時の笑顔のまま黄家駒はずーっとワシらのことを笑いながら見ているだろう。
Its Time To ROCK!!
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2013年2月13日
潜入!!ミャンマーの巨大売春系キャバレー
ミャンマーでの本の即売飲み会の時、
現地の日本人の若者と飲んで盛り上がった。
「ミャンマーの女の子は素朴で可愛いよね」
という話になった時、どういう流れか
「売春系のキャバレーもありますよ、行ってみますか?」
という話になった。
時は夜の8時半、ワシは9時半には店を出発してソウルに出発せねばならない。
「滞在時間15分でも行ってみるか!!」
というわけでその場でいる人全員(男ばかり)が席を立つ。
タクシーに乗り込んだワシらを心配そうに見送るオーナーのKさん。
「9時半までに戻って来れんで飛行機乗り遅れたらあんたたちに飛行機代出さすけんね!!」
と釘を刺した。
まあワシとて別に女遊びがしたいわけではない!!(キッパリ)
この純粋無垢な可愛い女性ばかりのこの国に、
売春婦というジャンルのミャンマー女性が存在するのか?
そしてちょっと前まで軍事体制だったこんな国にそんな売春キャバレーなんかが存在するのか?
それに対する興味が大きかっただけなのである。
タクシーに(文字通り)揺られること15分、
屋台なんかが立ち並ぶ素朴な街角とは打って変わって、
巨大なネオンサインが眩しい街角に着いた。
案内する地元の若者がタクシーを降りると、
彼と顔見知りのようなガードマン(警察の制服だった気も・・・)が声をかけて、
そのネオンサインのビルにワシ達を案内する・・・。
ビル自体は古い住居ビルのような感じで、
噂通りこの店は軍事政権の頃から何年もこうして営業されていたのだろう。
エレベーターも普通の住居ビルのようなエレベーターで、
階上に着いた途端に耳をつんざくようなディスコミュージックが飛び込んで来た。
建前としては「ディスコ」として営業しているということだが、
エレベーターを降りた途端に着飾った女の子達がわっとワシらを取り囲む。
店内は非常に広く、フロアでは何組もの着飾った女の子と客らしき男性とが踊っている。
店の人が女の子にもみくちゃにされているワシらをボックス席に案内するが、
すぐさま20〜30人ぐらいの女の子がそのボックスを取り囲んだ。
「私を指名して!!」ということなのだ。
日本語でアピールする女の子もいる。
中国でも何度かこのテのキャバレーに連れて行かれたことがあるが、
ワシはこの「選ぶ」という作業が非常に苦手だ。
ついつい「選ばれなかった女の子」の気持ちを考えてしまうのである。
ワシは中国で何人ものそんな女の子たちと友達になり、
彼女たちの生活をいろいろ聞いた。
ミャンマーではどうか知らないが、
中国では基本的に「選ばれてなんぼ」、
誰も指名してくれなければ収入はゼロなのだ。
当然ながら客は「ヤリに」来ているわけで、
そんな客はワシのように素朴でぽつんとたたずんでいる田舎もんの女の子などを指名したりはしない。
女の子たちは選ばれ易いように精一杯セクシーな服や派手なドレス着て来るのだが、
実はそのその洋服代や化粧品代も基本的に全て自腹なのである。
多くの女の子が同郷の先輩などを頼ってこの世界に入り、
その先輩に、もしくは店に、ミャンマーだったらひょっとしたらブローカーに借金をしてその服や化粧品を買う。
「売春は元手がいらない商売」などというのはそんな女の子たちの生活を知らない人達が言う言葉である。
この店にはざっと見て100人近くの女の子がいるが、
その中でちゃんと指名をもらってその日の稼ぎを得る子などほんの一握りなのだ。
そして運良く「お持ち帰り」をしてもらって生活費を稼げる子はそのうちの更に何分の一かである。
「お前が選べ!!」ワシは若い衆にそう命じた。
そもそも自分で選ぼうにも店内が暗過ぎて暗闇に弱い老眼のワシには選ぶに選べないのだ(笑)
若い衆はiPhoneをライト代わりにして女の子を照らす。
女の子はしまいにはそのiPhoneを奪い取って代わる代わる自分を照らす。
こうして最初に選ばれた女の子が隣に座った。
名前を聞いたがミャンマー語なのでよくわからない。
年は20歳と言ってたが、見た感じ16〜8歳ぐらいであろうか・・・
彼女は座るや否や「この子を選んであげて」と知り合いらしい女の子をアピールする。
きっと彼女が頼ってこの店に入った「先輩」なのであろう。
「あの女の子も選んだげて!!」
ワシは若い衆にそう指示した。
なんじゃかんじゃで女の子が人数分揃って椅子に腰掛けた頃にはもう9時を回っていた。
もうぼちぼち出発せねばならない。
「ここのシステムどうなってんの?チップは直接払うの?」
若い衆に聞いてみる。
どうやらチップは店の勘定に含まれているらしい。
しかし座って5分で帰ってしまったら、
逆に「お前のサービスが悪いから怒って帰ってしまった」と女の子たちが店から責められるかも知れない。
「店にも十分金落とすからじゃんじゃん酒頼んどいて!!」
女の子たちも飲むか聞いてみるが、どの子も首を横に振る。
思うにこの店は日本のキャバクラのように別に飲み物代で儲けているわけではなさそうだ。
運ばれて来た缶ビールを一口飲んでもう席を立とうとするのだが、
女の子たちのことを考えると、
せめてワシについた女の子ぐらいには直接チップを払ってあげたい・・・
そう思い立ってポケットに手を入れてミャンマー紙幣を取り出すのだが、
店が暗い上に、一番目につく紙幣の数字がミャンマー文字で書かれているのでとっさにいくらなのかよくわからない。
(言ってみれば漢数字で書かれているお札を見る欧米人の感覚)
まあ去年来た時の最高額紙幣は1000チャット、
今回は新しく5000チャット紙幣が登場してたが、
それでさえ日本円にしてみればたかだか500円、ワンコインなのである。
無造作に紙幣を一枚取り出して女の子に握らせた。
ところが偶然ながらその紙幣は最高額紙幣の5000チャットだった。
女の子が目を白黒させている。
「よし、帰るぞ!!店にも迷惑かけないように多めに金置いていけ!!」
若い衆にそう指示する。
若い衆は店には1万5千チャット(日本円で1500円)にイロをつけて支払って、
全ての女の子にチップとして1000チャット紙幣を握らせた。
この時点でワシの隣の女の子はチップを2重取り、
いや、店からも配当がもらえるとしたら3重取りである。
これでいいのだ!!
5分しか滞在しない客なのだ、
「お持ち帰り」をして彼女たちの生活を豊かにしてあげるようなこともない。
人よりも多くお金を落としてあげてしかりである。
ワシは残ったビールを全て一気に飲み干してすっくと立ち上がってエレベーターに向かった。
エレベーターの近くまで来たらワシの隣に座った女の子が追いかけて来た。
「Thank you very much」
彼女はちょっと背伸びをしてワシの頬にキスをした。
一緒に来た他の日本人客はまだ残っているようだが、
ワシと若い衆2人はすぐさまタクシーに乗り込んで帰途に着いた。
お会計はしめて3万チャット(日本円で3000円)。
更に「お持ち帰り」をするならば、
女の子に2万チャット(日本円で2000円)払えばそれでいいらしい。
売春が悪いことだというのは周知の事実だが、
世界中どこに行っても売春がない国はない。
戒律があれだけ厳しいイスラム国であるマレーシアにもいた。
黒髪を他人に見せることすら神への冒涜である国で、
セクシーな服を着て客を挑発するようにダンドゥットを踊る彼女たちは、
自分があの世で神にどのように罰せられても後悔しない「覚悟」があるのだろう。
お金があるのに売春をするのは日本ぐらいであって、
世界じゅうのそのほとんどの女の子たちは何か事情があってこの世界に足を踏み入れている。
ミャンマーの彼女たちの先輩たちも、軍事政権の厳しい国情の中で、
恐らく軍部が経営しているであろうこの店に、
何かしらの事情を抱えて飛び込んで来て、
その中でも彼女たちなりに頑張って明るく生きてゆく。
中国のLINEみたいなアプリでWeCHatというのがあるが、
ワシの携帯にはその中にひとつ、そんな中国の女の子からのメッセージが入っている。
「Funky、その節はいろいろありがとうね。
私、故郷に帰って結婚したの。
こっちに来ることがあったら連絡して!!ダーリンを紹介するわ」
ワシはそっとそのメッセージを開いて読み返して、また閉じた。
ミャンマーのこの店で働く全ての女の子たちも、
一生懸命頑張っていつか本当の幸せを手に入れて欲しい。
暗くて顔はよく見えなかったが、
年端も行かない女の子が精一杯セクシーな洋服を着て、
精一杯の厚化粧をして背伸びしてキスしてくれた、
右側のほっぺがいつまでも暖かかった。
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2013年2月10日
ひとりドラムinバンコク
現地のTAKARA HOMEさん、ドラムを提供してくれたShinichiさん、
いろんな人達のおかげでタイでもドラムを叩くことが出来ました!!
どうもありがとう御座いました。
(紙芝居画像ですまん!!音は結構よく聞こえる・・・)
今日たくさんの人が動画を撮ってたようですが、
UPしたら私に教えて下さい〜
ちゃんと見たいわ〜
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:03:44 | 固定リンク
2013年2月 9日
ライブとはドラムを調達するところから始まるのだ!!
タイはバンコクにやって来て発覚!!
誰もドラムセットを用意してなかった!!!
まあこんなことは中国ではよくある話である。
何も「どうしてもドラム叩けなかったら死ぬ」というほど大切なことではない。
叩けなければそのまま飲めばいいだけの話なのよ〜ん・・・
というわけで、着いた九州酒場「勝」でそんな話をしながら飲んでいたら、
たまたま飲みに来ていた現地の日本人の御一行が、
「それならば私が何とかしましょう」
とドラムを手配してくれることになった。
そして当日である今日の16時、
店に行ってみるとその時の田村さんという方が来てくれていた。
「ドラムセット来るんですか?」
不安そうに聞くワシに田村さんは自信ありげに答えた。
「来ますとも!!」
トラックが横付けされてドラムが運び込まれる!!
(その時の様子はこちら↓)
バスドラに書かれている名前を見るとNATSUKI SHINICHIさんという方のドラムセットらしい。
オケを再生するベースアンプもちゃんとあったし、
ツインペダルは新品のものを用意してくれていた。
ところがここで問題発生!!
どうもこのペダルはタイ製らしく、
ドラムセットのYAMAHAのバスドラにはうまくハマらないのだ。
ネジを外したりいろいろ工夫してやっとハマったので、
持って来てくれた現地の人には帰ってもらい、
あとは自分でセッティングをする。
まずはチューニング!!
タムのヘッドに貼られているミュートのガムテープなどをはがし、
上のタムからひとつひとつチューニングするのだが、
最後のフロアタムまで来てヘッドが破れていることが発覚!!
剥がしたガムテープをそこに貼って何とかチューニング。
しかしこの段階で店にお客さんが入って来た。
現地の若い女の子を連れている(羨)
これでは音を出すわけにはいかないので、
まあ「ドラムはある!!オケは出る!!」だけで十分である!!
問題は普通に酒を飲みに来たお客さんが、
「ウルサイやないかい!!」
と怒っても困るので、店の人にはくれぐれも
「8時から大きな音が出ますのでそれでもよければ」
と伝えてもらう。
あとは警察か近隣の人が怒鳴り込んで来るまで演奏出来る。
回線はそんなによくないが何とか配信出来そうなので、
本日2月9日(土)日本時間夜10時よりこちらで配信致します!!
警察や近隣の人が怒鳴り込んで来た瞬間に中止しますので、
おヒマな方は10時ちょうどにこちらをご覧下さい。
バンコク在住の方は20時までに九州酒場「勝」においで下さい〜!!
(写真はドラムの手配で疲れ果てているTAKARA HOMEの田村さん)
Posted by ファンキー末吉 at:20:12 | 固定リンク
2013年2月 7日
ひとりドラムin上海その2〜タイへ〜
上海での2本目のライブは日本でも有名なあのイシバシ楽器!!
上海にも進出してたや・・・(驚)
店の楽器展示スペースの一角がステージのようにちょっと高くなっていて、
その前に展示している楽器をどければもう立派なライブステージである。
シンバルは昨日はChangというメーカー、今日はPLANET、
どちらも中国産のシンバルである。
私はパールドラムの日本のモニターで、
中国ではSABIANのアジア地区代言人(モニターの意)である。
本来ならばSABIAN以外のシンバルを叩いてはいけないのだが、
SABIANの人は飲み会の誘いばっかでシンバルを提供してくれることはほとんどないので、
まあ現場にないのならということで昨日は国産を叩かせて頂いたが、
今日は楽器屋、当然ながらSABIANを売っているということで、
HH以外はSABIANに取り替えてもらった。
私が全中国ひとりドラムツアーで宣伝して廻っているのはAPXシリーズという廉価版のシンバルで、
「このシンバルは値段は安いのに音はとってもいいよ」
といつもMCで言ってたが、
今回のようにそれより断然高いAAシリーズやAAXシリーズは、
まあ当然のことなのだろうがやっぱもっといい音がしてたことはナイショである(笑)
ついでにドラムセットはパールではなくSONORだったのを、
店員さんみなさんで全てのロゴの部分をガムテープで隠してくれたこともナイショである(笑)
聞けばイシバシ楽器とパール楽器は、
日本では当然ながらリレーションは深いが、
中国では中音という代理店が仕切っているのでそこと関係(グアンシー)がないらしい。
ワシの出番やな・・・(笑)
今回の担当の土井さんには、
「北京にも出店しましょうよ!!そしたら私のドラム売り場も作りましょう」
と一生懸命口説いてみた。
イシバシ本社、もしくは海外事業部のどなたか〜
これを見てたらメール下さい〜(笑)
さてドラムセットの話よりもライブの話である。
昨日のライブには日本人のお客さんがたくさん来てくれて、
そのあと本の即売飲み会にも来てくれて
「明日も絶対行きますからね!!」
と言ってたので今日も日本語と中国語と両方でMCをしていたのだが、
ウケるのは中国語のMCばかりで日本語のMCでは何も反応がなかったのでおかしいと思ってたら、
昨日のお客さんは結局誰も来てなかった(笑)
酒の上〜酒の上の話なのよ〜〜〜〜
というわけで急遽ほぼ中国語のMCに切り替えて中国人オーディエンスを盛り上げた。
昨日のライブハウスのドラムセットよりもよっぽどしっかりしてるし、
シンバルもやっぱ高級品は全然違うのでなかなか気持ちよく演奏させて頂いた。
まあドラムセットが悪かったらドラムが叩けないようじゃ全中国廻ったり出来ないんですけどね・・・
というわけでライブも無事終了!!
本の即売飲み会でまた飲み、店が終わったら火鍋食って朝方まで飲み、
そのまま7時起きで空港へ出発する。
今回は安いチケットを買ったのでバンコクに行くのに広州でトランジットである。
しかも乗り換え時間が3時間もある(>_<)
そしてまたパンツを換えてなかったせいか飛行機が飛ばない(涙)
結局バンコクについたのは夜の9時だった・・・
即売飲み会の場所である九州酒場「勝」に行く。
「ドラムセットは?」・・・
一応聞いてみるが、
「それがいろいろ当たったんですが用意出来なかったんです・・・」
げげっ!!!・・・
いくら何でもドラムセットがなければドラムは叩けない!!(当たり前か)
店には現地で働く日本人が何人か飲んでて、
「じゃあ僕らが探しましょう」
といろんなところに電話をしてくれる。
ワシはその心意気に打たれて心を入れ換える。
ドラムセットではない、ライブなのだ!!
ドラムセットがなかったらドラムが叩けないぐらいじゃ全アジア廻れない!!
中国ではこのぐらいのトラブルは当たり前(涙)ではないか!!(キッパリ)
というわけでバンコク滞在の最終日、6月9日までにドラムセットが何とかなれば、
九州酒場「勝」でドラムを叩きます!!!
もともと大音量を出すような店ではないので、
警察、もしくは隣人が怒鳴り込んで来たらその場で中止!!そのまま本の即売飲み会となります!!
電話番号:02-662-5617~8
最寄駅:BTSトンロー駅 徒歩10分
住所:Ground Fl. Sachayan, 43/3, Soi 53, Sukhumvit
20時から怒鳴り込まれるまで叩きます!!
タイ在住の方はお早めにお越し下さい!!
注:ドラムセットがGET出来ない場合はそのまま即売飲み会となりますのであしからず(笑)
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
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2012年6月 6日
ミャンマーROCK!!
やっちんツアーから車で東京に帰る間、
ミャンマーで買ったロックバンドのCDを田川くんと聞いていた。
「いや〜こんなギター弾いてて許されるんですねえ(笑)」
と田川くん。
むっちゃくちゃメタルなギターからそのライブアルバムは始まった。
現地のミャンマー人に嫁いだ美冬嬢のダンナ様、
MYO MYOがワシのために選んでくれたお気に入りのROCKのCDは、
その辺のスーパーのCD売り場で買ったやつなので当然ながらマニアックなやつではない。
日本ではROCKのCDを聞く人は「ROCKファン」であり、
一般人民は「J-POP」というジャンルの音楽だけを聞く。
当然ながら品揃えが薄い店には「ROCK」というジャンルのCDは置いてない。
在庫がハケ易い「J-POP」、しかもチャートの上位のCDしか置いてないということである。
ミャンマーがどれだけ特殊な国だとしてもこの辺の事情に変わりはないだろうから、
必然的にこのメタルな音楽はミャンマーでは、
「限られた人だけが聞く音楽」ではない!!
これがこの国で売れている音楽だとしたら、
この国では一般人民、すなわち知識階級から農民まであらゆる人達がメタルを聞くのだ!!
何と素晴らしい国ではないか!!
ワシは感激しながらCDを聞き進めていった。
売れ線のバラードや、民族的なメロディーの曲もあるものの、
そのライブCDは基本的に「メタル」であった。
ヘビーでちょっとメロディアスなROCKはアジア各国でも人気である。
中国でもそうだったしタイでもマレーシアでもそうであった。
でもミャンマーのこれはあまりにもメタル過ぎてないか?!!
ワシはわくわくしながらCDを聞き進めた。
ワシが初めて中国に行った1990年頃、(天安門事件の翌年)もそうだったが、
上から押さえつけられている民衆は「大きな音で叫ぶ音楽」つまり「ROCK」を愛する傾向があるとワシは感じている。
軍事政権で世界中から経済制裁を受け、
貧困と政治不安にあえぐこの国の人民がROCKを愛したとて何ら不思議はない。
「凄いぞ!!ROCKはこの国ではこれほど民衆に愛されているんだ!!」
前回行った時にその空気から
「この国ではROCKが流行っている」
と感じたのはやはり間違いではなかったのだ!!
田川くんとそんな話をしながら聞いていたら
「あれ?・・・これ・・・バンヘイレンの曲ですよ。しかもミャンマー語で歌ってます(笑)」
と田川くん。
CDのインデックスを見てみるがクレジットはミャンマー文字なので読めないが、
確かにライブ音源なのでこの膨大なオーディエンスは全員その曲をミャンマー語で大合唱している・・・
その他、
「あ、この曲もうちにCDあります。誰の曲だったっけなあ・・・」
と田川くん。
つまりこういうことだ!!
こいつらは欧米のゴリゴリのROCKをコピーして、
それをミャンマー語に訳して歌っている?!!
ひょっとして自分らの曲だと言い張ってCDを出している?・・・
まあさすがにバンヘイレンも自分の曲がこのアジア辺境の地でどのように勝手に使われているかは管理し切れんわのう・・・(笑)
まあ著作権的にはそれは大きな問題なのではあるが、
何よりもワシは「それほどまでしてメタルをしたいのか?」ということに更に感激してしまう。
売れるためにビートルズのメロディアスな音楽をパクっているではない!!
ヤツらがやっているのは「メタル」なのだ!!
その辺がワシを感激させてやまない・・・
売れたいのならビートルズでええやん!!
何で好き好んでこんなメタルなプレイをせなあかんねん!!(笑)
ROCK少年ならまあそれもよくある話だろう。
しかしそんな音楽でスタジアムを満杯にして、
そんな音楽に熱狂するその満杯のオーディエンスが凄いと思う。
ROCKを知らない人民がそれこそが「ポップス」だと思い、
それに熱狂し、支持している。
理由はどうであれミャンマー人民はこれほどまで熱狂的にメタルを求めているのだ!!
勝山さん、こりゃミャンマー店の3Fは是非ともLive Barにせないかんでしょ!!
小畑秀光を1年ぐらい放り込んで更なるメタルムーブメントを作るらせるのぢゃ!!
ワシと田川くんが熱狂したバンド(基本的にはソロシンガーとバックバンドらしいが)の映像をネットで探したらたくさんヒットした。
ちなみにCDに書かれていた彼のキャッチコピーは
「俺はもう13年ROCKをやっている!!」
だった。
ミャンマー熱いぜ!!!
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2012年5月20日
ミャンマーでドラムをぶっ叩く!!
全世界どこに行っても初めての国ではまずドラムを叩く。
これファンキー末吉流「世界平和」である。
アメリカ、イギリス、東ドイツから始まって、
アジアは中国、韓国、北朝鮮、タイ、マレーシア、シンガポール、そして今回ミャンマーと、
ドラムを叩かなかった国を挙げる方が難しい。
音楽は国境を越えるとはよく言ったもんで、
ボーカルだと言葉の壁があるし、
楽器だとそれがないので容易に国境を越えることが出来る。
但し相手がどんなジャンルのミュージシャンかどうかは定かではないので、
とりあえずは全てのジャンルの音楽を叩けるようになっておかねばならない。
ロックにはロックの様式美があり、
JazzにはJazzの複雑な「規則」がある。
でもそれさえ熟知していればどんなところに行ってもスティックひとつ(厳密にはふたつ)さえあれば交流出来るのだ!!
というわけでさっそく
「どっかドラム叩けるとこない?」
と美冬嬢のダンナ様に言ってみる。
彼が連れて行ってくれたところはバンドの入ったホテルのバー。
バンドメンバーとは皆友達のようだ。
懐かしい・・・
北京に最初に行ってドラムを叩いたところがこんなところだった。
フィリピンバンドが演奏しているそのバンドに入って何曲かドラムを叩いた。
その時のドラマーのドミニクはまだ北京にいて、
相変わらずいろんなバーでドラムを叩いてフィリピンにいる家族に仕送りをしている。
10数年も北京にいてまだ中国語も喋れんけどね(笑)
「どんな曲を叩きたいの?」
と言われるので
「Any music OK!!」
と答えておく。
こちらのジャンルに相手を合わせてもらうようじゃなかなかこんなセッションは実現しないのだ。
どんな曲が始まるかわからんが、
とりあえず彼が
「ワン・トゥー・スリー」
とカウントを出せばそのテンポでドラムを叩けばよい。
あとは音が出た瞬間にどんなジャンルかを見極め、
「そんな感じ」で合わせてゆけばよい。
キメとかあってみんなが一斉に止まっても、
ワシだけがそれを知らないもんだから止まれなくたってくじけちゃいけない。
ハミ出したらハミ出したで逆にオカズなどで埋めてしまうのだ!!
セッションなどとどのつまり萎縮したらおしまいなのだ。
萎縮しないためにどんなジャンルにも対応する知識とテクニック、
そして「場数」が必要になるということだ。
特にアジア諸国でのセッションなんて恵まれた状況なんてアテにしてはダメである。
とにかく叩く!!そしてちゃんと終わる!!
そしたら一緒にやってるメンバーには何かが伝わるものなのだ。
それを「ミュージシャンシップ」と言う。
ワシが全世界あらゆる国で築いて来たのはその「ミュージシャンシップ」に他ならないのだ。
今までハコバンちっくに演奏していたプレイヤーの「音」が変わる。
終わった後のミュージシャン達の態度が変わる。
踊りに来てただけのミャンマー人おばちゃんの反応が変わる。
それだけでワシは満足なのよ~
映像UP出来たらUPしてみるけどネット環境悪いから無理ならまた出国してからね~
1曲目:知らない曲
2曲目:カムトゥギャザー(ビートルズ)
Posted by ファンキー末吉 at:13:13 | 固定リンク
2012年5月19日
ミャンマー着!!ネット接続や闇両替との戦い!!
噂通りミャンマーのネット環境はよくない。
空港でSIMを売ってたので買おうと思ったが、
どのSIMもネットにはつなげないというのであきらめた。
噂によると最近ネットにつなげるSIMが発売されたと言うが、
その値段は日本円で3万円と高く、
それでもどこも売り切れで入手困難である。
ホテルのネットは部屋にはなく、ロビーにWi-Fiが飛んでいるのだが、
その速度があまりに遅くて使えない。
現地の比較的速い速度であるというネットカフェに行って、
そのWi-Fiのパスワードを500円で買って試してみたら何とかツイキャス配信が出来た。
見てた人の書き込みによるとぶれた静止画が紙芝居のようにペラペラ変わるだけのレベルらしいが・・・
まあ週刊アスキーの担当者が見ていて
「ミャンマーからツイキャスは日本初、ひょっとしたら世界初ですよ!!」
と書き込んでたのでとりあえずよしとしよう・・・
またチャンスがあったら配信します。
(こちらにて)
さて街に繰り出す。
経済制裁を受けている国にしては物が豊かである。
北朝鮮もそうだったが、
世界中が一生懸命経済制裁をしようが中国がどんどん物を流すので意味がないのである・・・
しかしいくら警備だとは言え街中に銃を持った警備員がいるのはいかがなもんか・・・
でもスッチーさんは噂通り国民には大人気らしい・・・
(ノートブックの表紙はスッチーさん)
さて、まずは闇両替屋を探さねばならない。
ホテルや銀行ではドルやユーロしか扱っておらず、
日本円や人民元の両替は闇両替に頼るしかないのだ。
ホテルの近所のマーケットを歩いていると日本語が堪能な男の子が声をかけて来る。
彼に連れられて行ったところはマーケットの中の普通の商店。
その店が闇両替をしてくれるのであろう、
彼は流暢な日本語でレートを交渉。
Kさんは「ネットで調べたレートより安い」と言うと、
「ここはヤンゴンね!!これはヤンゴンのレートだから仕方ないね!!」
と反論。
いくつか別の闇両替屋も行ってみたがまあどこも似たようなもんだったのでとりあえず数万円ばかし両替!!
1万円が10万ミャンマーチャットで、最高紙幣は千円程度なので札束がどんと来る。
数えるのが大変である・・・
相手はその間それが偽札かどうか調べるのが大変である・・・
かくして現地の美冬嬢と合流、新店舗となる物件をチェックに来る。
彼女はKさんと一緒にミャンマーに店を出す長谷川さんの従姉妹で、
ミャンマー人に嫁いで言葉も達者な美女である。
物件は3階建てで非常に広く、
3階スペースは住居にしようとか言ってたので、
「いや、ここはライブが出来るようにしてLive Bar X.Y.Z.→Aの支店にするのじゃ!!」
と強く押す!!
八王子でライブをやったミュージシャンはバンコクの店でライブをやって、
そのままミャンマーでライブをやって、
帰りに上海に寄ってライブをやって帰ればよい。
もしよければそのまま数ヶ月居残ってくれてもよいが・・・(笑)
そのまま一行は電気街にある楽器屋に向かった。
音響設備も楽器も品揃えが豊富である。
ライブをやるからこの楽器屋に来たのかと思ったら大間違い!!
実はここは美冬嬢のダンナ様の友達で、
日本から楽器を輸入しているので多額の日本円を闇両替出来るというのだ。
開店資金として持って来た日本円を両替したら何とこのむちゃくちゃな現地紙幣の量!!
数えるのも大変である・・・
運ぶのも担いで運ぶ・・・(笑)
続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:22:55 | 固定リンク
なぜか(やっぱり?)ミャンマーへ・・・
本当はミャンマーに着いてから「ミャンマーなう」とか言いたかったのだが、
どうもネット事情がそんなによくないらしく、
ネットが出来る現地のSIMも入手困難だと言うし、
海外パケ放題も出来なさそうだし、
まあバンコクの空港でヒマなので先に書いておこうということである。
しかし好きやなぁアジアの共産国(笑)
いつになったら北京に帰れるのだろう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:07:39 | 固定リンク
2012年5月18日
タイプロジェクトの思い出
タイは大好きな国のひとつである。
最初に来た時は爆風スランプのアジアツアーの時、
まあSONY所属の「おもしろ系」バンドの先駆けとしてデビューした爆風スランプを使って、
SONYが「何かもっとおもろいことは出来んか」というわけでブッキングされたツアーである。
中国のことわざで
「后上船者先上岸(後から船に乗った者は先に岸に降りる)」
というのがある。
文字通りSONYは
「こんなバンドがデビューして売れるのか?」
というところから始まって、
まずは爆風スランプで実験をしてから、
成功した部分は後の聖飢魔II、米米クラブなどに使い、
失敗した部分はそのまま爆風スランプの失敗として笑って飛ばした。
このツアーは「無理だ決定版」のプロモーションビデオを撮影するという部分で会社としては何とか元をとったが、
まあ後続のバンド達が続いてないところを見ると明らかに「失敗」である。
でもこのツアーをコーディネートした香港のSam JoeとQueenyは、
その後ワシのなくてなならないブレインとなり、
それは彼らがアミューズ香港の責任者となってその後アミューズと対立してやめた後もずーっと続いた。
(最近会ってないけど元気かな〜)
タイでの受け入れ先であるタイSONYの社長であるピーターガンは、
その後ワシのタイプロジェクトで再会し、
その後タイポップスのリミックスなどいくつか仕事をした。
SONYが、爆風スランプが捨ててしまったこのプロジェクトは、
形を変えてワシだけの人生に大きな基盤を作ってくれたのだ。
時は流れて15年、
2000年になってアミューズをやめたひとりの社長がタイでTSUTAYAを立ち上げたところからこのタイプロジェクトは始まる。
どんなサバイバルな環境でも仕事が出来るプロデューサーということでワシが選ばれた。
何度もバンコクに呼ばれ、
その度に音楽を演奏しているレストランに連れて行ってもらった。
その中で一番感激したのがここである。
アメリカ人(やったか?)ミュージシャンがタイに来て大好きになり、
現地の女性と結婚してこの店を始めたと言う。
2000人は入れるだろう巨大な店内にこれまた巨大なステージがあり、
その当時は2部構成で第一部がそのオーナーのステージだった。
今で言う「ワールドミュージック」かな、
現地の民族音楽をふんだんにつかった彼の音楽が非常に心に残った。
ワシが中国に傾倒し始めて「五星旗」を結成し、
Jazzとロックと中国民族音楽の融合を試みたように、
彼の音楽には溢れんばかりのタイへの愛情がにじみ出ていて非常に心を打った。
第二部は歌謡ショーになっていて、
特に後半の現地の民族音楽「ルークトゥン」で客席が総立ちになって踊り狂う姿には涙した。
日本人、特にワシの時代から後の人間は民族教育を受けていない。
生活は全てアメリカナイズされて聴く音楽はアメリカの音楽ばかりである。
前の嫁(中国人)が、五星旗の資料としてワシが聞いていた民族音楽を聞いて、
「これどこそこの何々よね」
と言ってたのにびっくりした。
「だって自分の国の民族音楽じゃない。日本は学校で習わないの?」
習わないわけじゃないだろうが明らかに馴染みは薄いな・・・
中国人と違ってミュージシャンであるワシでさえ日本の民族楽器である琴や三味線や尺八を演奏したことがない。
中国に行って「ドラマーです」と言うと
「そうですか。あなたの叩く日本太鼓を聞いてみたいわ」
と言われた時は絶句した。
我々日本人は自分の民族楽器さえ演奏したことがないのだ・・・
ポップスに積極的に民族楽器を取り入れようとすると
「奇をてらってる」
と感じる人がほとんどの日本と違い、
中国ロックの創始者「崔健」は、
「どうして君はロックに中国の民族楽器を多用するの?」
というワシの質問に対して不思議そうに
「どうしてったって・・・そりゃ俺は中国人なんだ当たり前だろ?」
と言い放った。
そんなこともあってワシはこのアメリカ人オーナーのステージにとても心躍った。
十数年振りにやって来たこのレストラン、
平日だと言うのに相変わらず客は満席だった。
残念ながら彼の音楽は1曲だけですぐにカラオケのステージとなってしまったが、
第二部はもう歌と踊りのミュージカルの域まで来ていてびっくりした。
今夜もまた現地の人達と行く予定である。
しこたまビール飲んでこう言おう。
こんなパフォーマンスレストランをやるなら何ぼでも力貸しまっせ!!
私をまたタイに連れてって〜!!!
Posted by ファンキー末吉 at:18:13 | 固定リンク
2012年5月16日
何故かタイ・・・
ワシは中国への渡航チケットは北京で購入している。
人民元を稼ぎに行くわけだからその費用は人民元で出すべきだというわけで北京発東京往復をブッキングするわけだが、
日本から中国に入る時には帰りのチケットのブッキングがちゃんとなされてないと入国出来ないことがあるというので大変である。
またこれが年末にパスポートを盗まれて日本に帰れなくなり、
便を変更、ということは行きの便を変更ということで、
チケット自体を一度キャンセルして取り直したりいろいろ大変である。
そんなこんなで今回の中国への渡航は北京への戻り便がうまく取れなくて上海行きということになってしまっていた。
まあ上海にはLive Bar X.Y.Z.→AのオーナーでもあるKさんの店があるので、
そこで飲み食いも出来れば自宅に泊めてもらえるので楽である。
上海に着いて、まあしこたま飲んで次の日にでも事故で有名になったあの新幹線にでも乗って北京に帰ればいいやとばかり成田に出発した。
八王子から成田までがまた大変である。
この日は中央高速が大渋滞ということで中央線と成田エキスプレスを乗り換えて成田に着いた。
予約していたデルタ航空のカウンタに行くと、
「この便がオーバーブッキングのため、
中国国際航空の便に変更して下さるお客様を募っております」
と言われた。
別にええよ、急ぐ旅やなし・・・
中国国際航空やとANAのマイレージもつくしな・・・
カウンターで待たされること少々、
中国国際空港のチケットと共にクーポン券が渡された。
「この400ドルのクーポン券は1年有効で、
次にデルタ航空をご利用になる時に提出して下さい」
ふっぎゃー!!これむっちゃええやん!!!
まあ但し旅行会社がチケットを取る時には使えずに、
必ずデルタの窓口に自分で連絡をしてチケッティングせねばならないと言う。
ええやんええやん、400ドルもくれるんやったら・・・
というわけで上機嫌で中国国際航空に搭乗し、
Kさんの店で焼酎を飲みながら考えた。
「どうせこのまま北京に帰らないかんからなあ・・・
それやったらこのクーポン使ってどっか第三国に行って、
そいで帰りの便を上海ではなく北京戻りにすればバッチシではないか・・・」
そいでもって成田空港でタイ料理を食ったのが悪かった。
「久しぶりにタイに行きたいなあ・・・」
それを聞いたKさん、
「バンコクにうちの支店がありますよ。一緒に行きますか?」
「うちの支店」と言うからには即ちLive Bar X.Y.Z.→Aの系列店というわけである。
何せKさんの店はどれも内装からメニューからとても似ているのだ。
よっしゃー!!!
というわけで翌朝いそいそと上海のデルタ航空に出向いてゆく。
クーポン券をどんと出して、
「今日か明日かバンコクに行く便はあるか?」
と聞く。
さすがは中国、お姉ちゃんの態度はすこぶる悪いが便はあるらしい。
同じ会社でも成田のお姉ちゃんとは雲泥の差である。
「便はありますよ〜1万8千元になります」
ふんぎゃー!!そんなに高いの?!!
ひょっとしたらディスカウント効かんから正規料金っつうこと?・・・
「上海ーバンコクは高いのよ。
あんたこのクーポン使うんだったら東京から、
アメリカにでもどこにでも行く時に使ったら?
どうせ1年有効期限があるんだから」
ぶっきらぼうなお姉ちゃんの言い方に思わず大きくうなずいてしまう。
とぼとぼとデルタ航空を後にしながら考える。
一度モードがタイ料理になってしまったらなかなか元に戻せないのだ・・・
「ほな僕が金出しますから一緒に行きましょうか?」
Kさんが突然天使のようなことを言い出した。
ちょうど翌日の便でバンコクに行く予定だったらしく、
ついでにワシの上海ーバンコクー北京のチケットも手配してくれたのだ。
凄いぞKさん!!
というわけでワシは今バンコクにいる。
本場のタイ料理をたらふく食って、
ホテルの部屋で仕事をする。
北京に残してあるテレビドラマの音楽やらいろいろ・・・
「ほな家で仕事してても変わらんやろ!!」
という嫁の声も聞こえてきそうだが、
これでいいのだ!!本場のタイ料理が美味いのだ!!!
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2011年1月 4日
友達がいるところがいいところ!!
ワシは旅をする度に酔っぱらって言う。
「有朋友的地方就是好地方!!」
香港の仕事(?)で来たのだからそんなに地元の人達との交流はなかったのだが、
ひとつだけワシのビザの問題で、地元の人にパスポートを預けていた。
マレーシアは厳しい国で、
このパスポート2ページに渡る興行ビザがないとドラムを叩けないのだ!!
ちゃんとビザの申請が終わったパスポートを届けてくれた人達は地元の人達だった。
わざわざ地元のお土産まで持って、また
「ファンキーさん、サインして下さい」
と言ってたくさんTシャツまで持って来た。
「一緒に写真撮って下さい」
というので、ちょうど子供をプールで遊ばせていた水着姿ではなんなので、
急いで部屋に拭くを取りに来た時に思い出した。
「こちらで買ったスティックがあるではないか!!」
それをプレゼントとして持って来たら飛び上がらんばかり喜んでくれた。
心を込めてサインして差し上げる!!
こんなことで喜んでもらえたら本当に嬉しい!!
人種は違えど言葉は違えど、
フレンドシップというものはどこに行っても同じものなのだ。
一緒に写真を撮る。
彼らはワシに言った。
「私たちの取ったホテルはそんなにダメでしたか?」
ワシは言った。
「いやそんなことないよ。とてもよかった。
私は全ての従業員に言ったよ、ありがとうって。
別の友達がね、このホテルもブッキングしてたんだ。
だから面子の問題でね、どうしても引っ越さねばならなかったんだ」
世界中どこにいるチャイニーズ系にも「面子」と言えば全て通じる。
何もかもを超越する免罪符なのだ。
その「別の友達」というがこいつである。
今日は昼間から子供達集めてエアロビクスをしていた。
昨日は「スイスから来た友達なんだ」という人と昼間から飲んでいた。
彼がいるからワシはここで泊まれているのだ。
感謝感謝!!次からMARKを訪ねてくればいつでもここに泊まれる!!
友達のいるところがいいところ!!
ワシはまた新しい場所をゲットしたということだ!!
Posted by ファンキー末吉 at:23:54 | 固定リンク
2011年1月 2日
パスポートなければ出国できまへん!!
スケジュールを更新してて思い出した。
もともと今日はWingのニューイヤーライブが入ってたはずだったのじゃ・・・
ドタキャンになったのでも何でもない、
誰も何にも言わずにいつの間にかなくなっていたのだ・・・
もしワシがギリギリのスケジュールで行程を組んでたとしたら、
さすがにWingも
「あのスケジュールはキャンセルになったからね」
と伝えてたかも知れないが、
「5日までゆっくりしますわ」
と言っているのだから
「別に2日にライブがあろうとなかろうと関係ないじゃろ」
ってな感じなのかも知れない。
とにかく結局は「誰も何を言わない間にキャンセルになっている」!!
まあそれはいい。実害が何もあるわけではない。
ところが問題はパスポートである。
マレーシアは興行ビザに非常にうるさく、
北京や香港のように観光ビザでそのまま演奏なんかをしてたらすぐに手が後ろに回ってしまう。
ワシの性格を知ってか知らずか、
「このステージ以外絶対に他のステージでドラムを叩いたりしてはいけません!!」
と強く念を押しているぐらいである。
だから着いたらビザの申請のためにすぐにパスポートを預けていたのだ。
ところが香港組は演奏終わったら1日の朝一番でもう帰ろうとしている。
ワシのパスポートは?・・・
スタッフにとやかく言うこと数回!!
まあこの辺はスタッフ全員中国語が出来るので楽ではあるが、
ともかく最終的にパスポートが戻って来た。
「ハイ、コレPassportアルネ。シカシチョト問題アル」
何事かと思ったら政府のハンコがまだ押されてないということである。
「ほなそのままなかったコトにして出国すればよろしいやん」
中国的にワシがそう言うと、
「ソレダメアル!!モウ演奏シテルネ。ソレ大問題!!」
「ほなすぐにハンコもろてや!!」
と言うと、
「正月デ休ミアルネ、ハ、ハ、ハ・・・」
ワシも笑うしかない。
お前らは今から香港に帰ればそれでいい。
ワシはひとりパスポートもなしに残ってどうしろと言うのだ!!
役に立たないパスポートはスタッフに突っ返して、
「4日に役所が空いたら必ず現地スタッフに政府のハンコ押させてワシに返せ!!」
と念を押す。
つまりもし2日のライブがキャンセルじゃなかったとしても、
ワシは「じゃあ3日に帰ります」とは言えなかった。
ましてや香港組のように1日の朝一番で帰るなんて夢のまた夢だったのじゃ・・・
しゃーないなー・・・ゆっくり滞在させて頂きまひょ!!
Posted by ファンキー末吉 at:09:47 | 固定リンク
2011年1月 1日
ロックで年越し!!
しばしホテルでまったりした後に出発!!
行きの車の中で曲順とかいろいろ打ち合わせ。
まあ曲は全てやったことのある曲だから譜面もあるし大丈夫!!
問題はタイムスケジュールである。
12時のカウントダウンの30分前から始まり、
ちょうど最後の曲が終わったところで年を越し、花火が上がるというもの。
しかし道路は大渋滞!!
ちゃんと時間通り終われるかどうかよりちゃんと時間通り着けるかの問題である。
やきもきすること1時間、やっと会場に着いた。
オープニングアクトで会場は既に盛り上がっていた!!
しかし問題はこのバンドがちゃんと時間通りに終わるかどうかである。
出演予定時刻10分前、
バンドに何故かジャグリングが飛び入りしてパフォーマンス!!(焦)
出演予定時刻5分前、バンドが終わり、
一瞬で転換!!(もへったくれもない!!)
ついにカウントダウンライブが始まった!!
ちなみにマレーシアはマレー系民族のための国家で、
チャイニーズ系は少数民族である。
マレー系(65.5%)、中華系(約25.6%)、インド系(約7.5%)、その他(1.3%)
マレー系はマレーポップスしか聞かず、
チャイニーズ系はチャイニーズポップスしか聞かない。
Wingは当然ながらチャイニーズ系のスターなのだから
この国ではごく少数に指示されているスターでしかないはずなのが、
かれだけの人が彼のステージに大熱狂!!
ちなみにMCは全て中国語である。
途中でギタリストのハッピーバースデーもはさみ、
コンサートはつつがなく終了した。
12月31日のカウントダウンライブを野外で行い、
しかも暑くて汗だくになる経験はめったに出来ないが、
非常に楽しくロックで年を越した。
年越してワシはしばらくここに滞在する。
Posted by ファンキー末吉 at:11:37 | 固定リンク
Wingカウントダウンライブinペナン島の記者会見
カウントダウンライブの当日、
まずやらねばならないことはスティックの調達である。
ライブ会場の隣にあるJUSCOの入ったショッピングモールに行き、
「楽器屋はどこですか?」と英語で聞きながら探す。
ちなみにマレーシアの公用語はマレー語だが、
チャイニーズ系は中国語を喋り、印度系はまた言葉が違うので英語が通じる。
マレーシア自体は福建人が多く福建語を話すが、
ここペナン島は広東人も多く広東語を話す。
双方の言葉は日本の方言のレベルではなく全く違う言語であるので通じない。
だからチャイニーズ系はたいがい共通言語である北京語が通じる。
英語で困り、中国語に助けられながらやっと楽器屋を発見!!
前回の和佐田ツアーの時にもスティックを忘れ、
神戸の楽器屋で見事ファンキー末吉モデルをゲットしたが、
マレーシアには当然売っているはずもなく、
「この店はファンキー末吉モデルも置いてないんかい!!」
と暴れようと思ったがその英語力がないので断念。
大人しく普通のを買って帰りました。
さて夕方からそのショッピングモールで記者会見というので、
再びまたここに戻って来た。
いきなり壇上に並ばされ、一番左で直立不動なのがワシである。
まったくもってこういう環境は未だに慣れるということがない。
Wingがバンドのメンバーを紹介してまわるのだが、
ワシはどうしていいかわからずこんな顔になってしまう・・・
全くもって情けない!!
本番までホテルに帰って本番まで一休み!!
Posted by ファンキー末吉 at:10:56 | 固定リンク
2009年3月 1日
Wing(葉世荣)という男
この男と知り合ってもう17年になる。
先日のLuanShuもそうじゃが、
海外の友達とこれほど長い間友達であり続けるというのはよっぽど縁があるのじゃろう。
今回はいきなり
「3月8日空いてるか?江蘇省でのコンサートでドラム叩いてよ」
と電話が来たことから始まった。
6日にSOMEDAYが入っているので、
とりあえずリハーサルで一度香港に往復して、
次は本番のために日本から飛び込みで江蘇省に入るしかない。
チケット代を負担するだけでも大きな出費じゃろうが、
「いつも移動で大変だろうから」と、
今回はホテルもふんぱつして日航ホテルをとってくれた。
バックバンドのギャラや、
その日本からの渡航費などは全部自腹じゃろうから、
彼は自分のギャラの中からワシのためにそれを自腹で払うことになる。
大変な出費である。
先日は突然電話があって、
「マレーシアから毎月ライブやってくれとオファーがあったんだ。
お前ドラム叩いてくれよ。
Wingバンドのドラムはファンキーだとレギュラー化したいんだ。
その方がプロモーション的にもいいしね」
と言ってたので、それを受けて嫁に自慢した。
「パパも大したもんやな。
彼も中華圏では知らない人はいないスタードラマーやからな、
並大抵のドラマーでは満足出来んのやろうな」
ところが意外にも嫁の反応は冷ややか。
「違うよ。Wingは単にパパのこと大好きなだけよ。
ドラムは関係ないと思う」
何でやねん!!
歴代嫁は男性であるのに彼に嫉妬心を燃やし、
彼は彼でインタビューで
「ファンキーのこと好きなんでしょ」
と言われて顔を赤らめたと聞く。
いや!断じて彼はホモではない!!
しかしワシのことを大好きだというのは当たっているかもと思う・・・
「いい時も悪い時も」と言うが、
彼が人生でどん底の時にはいつもそばにいたからなあ・・・
いい時にもきっとそばにいて欲しいのじゃろう、うん、うん。
夜の10時からリハだというのに
「7時から飯食おう」
というのもちょっと早すぎではあるが、
久し振りなので一緒にゆっくり飯でも食いたいのじゃろう。
彼は歌を歌うし、ワシはドラムを叩くので今日はお茶で乾杯!
それにしてもこのふたり、年齢が4歳しか違わないというのは・・・
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2008年11月 9日
シンガポール滞在二日目、本番
昔とある日本人留学生の友人からこんなことを聞いた。
「中国人ツアーでタイに旅行したんだけど、食事が毎食中華なの。
私はね、タイ料理が食べたかったんで、今日こそタイ料理かな、と思ってたら、
結局最後までずーっと中華だったの。
どうして?って聞いたら、
だって中華が世界一おいしいのに
何を好き好んでそれより不味いものを食わなきゃなんないだ、って・・・」
都市伝説のような話であるが、
実際今回のこのツアーの御一行の食事は確かに中華ばっかりであった。
シンガポールは国自体が大きな中華街のようなもんじゃが、
マレー系やインド系を抱える多民族国家である。
この日は早起きして地下鉄で「Little India」へ行った。
飯もここに来て初めて中華でない店に飛び込んだ。
マレー系の代表的なメニューであるナシゴレン(マレーシア焼き飯)や、
ミーゴレン(マレー系焼きそば)もあったが、
これは夜だけのメニューということで、隣の人が食っているのと同じものを頼んだら、
朝からカレーを食うハメになってしまった・・・。
ちなみにアイスミルクティーを頼んだが・・・ひたすら甘い・・・。
ストローで飲むと下の方はホットのままなので、
氷のある上の方から飲む。
最終的にはぬるま湯になる。
ちなみに持ち帰ろうと思うと、
後ろのオッサンが持っているようにビニール袋に入れてもらえる。
これにストローを挿して飲みながら歩けるわけである。
街にはイスラム教の寺院や、
さすがはリトル・インディアというだけあってインド寺院もあった。
そう、多民族国家シンガポールでは宗教も多種多様である。
当然ながらチャイニーズ系のコンサートではこの儀式は欠かせない。
まずはメインの出演者と主催者、
そしてミュージシャンやスタッフ全ての人間が代わる代わる線香を持ち、
四方に向かってコンサートの無事と成功を祈って拝む。
もともとは道教から来ている香港台湾など中国南方の習慣なのじゃが、
今では北京や地方のコンサートでもこれをやるので、
ワシは名実ともにこれを一番経験している日本人ということになる。
楽屋の飯は日本や北京ではだいたいが楽屋弁当じゃが、
香港ではよくひとつの部屋を開放してビュッフェ形式がとられるが、
ここシンガポールでもはたしてそうであった。
ドラムを叩く前に食い過ぎると後で地獄を見ることを知りながら、
これがなかなか旨いのでついつい食い過ぎてしまう。
やっぱ中国人が言うように中華は最高なのかも知れない。
本番が始まる。
ステージ前に垂らした黒幕を通して満員の客席が見える。
(一応)解散したバンドのメンバーがふたり集まってのジョイントコンサートで、
解散前と同じくスタジアムを満員に出来るというのが凄い!!
しかもここは「外国」なのである。
この「Beyond Next Stage」という企画で、
ひょっとしたらまた全世界ツアーが組めるのではないか。
そしたらワシは彼らと全世界の中華圏を廻れるのか?!!
満腹なのに胃袋が反応してしまう・・・。
コンサートが始まった。
(今やもうすっかり「大歌手」になってしまったWing)
(この企画の一番オイシイ部分。PaulとWingとのジョイント)
ちなみにこれらの写真は
Paulバンドのドラマーが演奏しているすきにドラム台から降りてかぶりつきで自分で撮った。
中国系のコンサートは何でもアリなので楽しい。
そしていつもながら思うのじゃが、
中国人のオーディエンスっつのはハケるのが早っ!!
終了後1分も経ってないのに客席はこれである。
「余韻を楽しむ」っつうことを知らんのかい!!」と言いたくなるほど、
あれだけ熱狂してたオーディエンスがコンサート終了後すぐ帰る。
現実的なんやな、中国人は・・・。
そして打ち上げ。
中国語で「慶功宴(QingGongYan)」と言う。
ご想像の通りその後大いに飲み食いし、
みんなそのまま二次会に繰り出したが、
年寄りは早々と退散させて頂いた。
ホテルに着いたらそれでも夜中の3時・・・
いやー・・・毎度のことながらドラム叩くより飲むのがキツいですわ・・・
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2008年10月 9日
マレーシアドタキャン
伊達弦というパーカッショニストがいる。
彼が友人のミュージシャンに電話をかけた時の話。
「伊達弦ですが・・・」
奥さんが出たので丁重に自分の名を名乗る。
ところが電話口では奥さんが凍って固まってしまってる様子・・・
「もしもし・・・伊達弦ですが・・・ダ、テ、ゲ、ン!」
丁寧に自分の名前を連呼する伊達弦。
やっと我に帰った奥さん、旦那を呼びに行く。
「あんた!あんた!・・・大変やでぇ!!ドタキャンやて!!」
旦那が慌てて飛び出してくる。
「そりゃ大変や!・・・んで?・・・どのイベントがドタキャンになったんや?」
「さあ・・・」
「そいで一体誰からの電話なんや?」
「さあ・・・」
というわけで、伊達弦の話は置いといて、
ワシの今の心境はまさにこの奥さんの心境である。
出発予定日が近づいているのに
マレーシア側からフライトのインフォメーションが来んので、
香港側にメールで問い合わせたらこんな返事が来た。
「マレーシアツアーは延期あるよ。
私たちも行きませんのでファンキーさんも行かないよろし」
今日び、中国社会でもちゃんと契約を取り交わしてからスケジュールを押えるので、
数日前にドタキャンなんて・・・
まあ出発予定日である今日、
ワシが日本でのんびりブログなんぞを更新しているんだから、
やはりこれは伊達弦ではなくドタキャンなのであろう・・・
せっかくこの「日本代表Tシャツ」でドラムを叩こうと思ってたのに・・・
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2008年9月29日
香港でリハーサル
今回のリハーサルはBeyondのドラマー(今はシンガーソングライター)のWingの
マレーシア、シンガポール、台湾を廻るアジアツアーのリハーサルである。
リハーサル場所はBeyondのホームスタジオである二楼後座。
彼らの数々の名盤を生み出した伝説のスタジオであると言えよう。
ワシは思う。
どうしてワシは爆風が売れてる時にスタジオを作ろうと思わなかったのか。
どうして日本の数ある売れてるバンドは、
その稼いだ金をバンドではなく自分のためにしか使わないのか。
Beyondも日本のレコード会社と契約した時は山中湖のスタジオとかでレコーディングしたが、
「やっぱ自分たちのスタジオがいい」ということでやっぱ古巣のこのスタジオに戻って来る。
夕方になるとわさわさと集まって来て、
結局夜までダベって夜中からレコーディングやリハーサルをやる。
こんなマンションの一室で、
どんな防音をしようとよく苦情が出ないもんである。
思えばBeyondのような形で成功したバンドは日本にはない。
中国ロックの基を築いたと言う点ではラウドネスのようなものだが、
そのポピュラリティーはサザンオールスターズを超している。
日本のロックバンドはラウドネスのコピーや
セッションでラウドネスの曲をやることはあっても、
みんなで集まってサザンの曲を演ることはない。
Beyondの曲はロックバンドだったら一度はコピーしたし、
誰もが一度は通った「道」であると共に、
その楽曲はサザンよりもお茶の間に浸透し、
今だにショッピングモールで、街角で、
酒場で演奏する生バンドの演奏で、
その楽曲を聞かない日はない。
逆に日本ではサザンの曲はあらゆる街角で耳にするのに対して、
ラウドネスの曲を耳にすることは少ないことを考えると、
このBeyondというバンドのポジションは、
世界で例のないものであると言えよう。
今回はスケジュールがどうしても合わず、
当の本人であるWingは中国大陸での仕事に忙しく、
「ま、ええよ。お前おらんでもバンドでリハやっとくから」
とバンドだけでリハーサル。
「歌がないとよくわかんないなあ・・・お前歌え!!」
その辺にたむろしている若い連中にマイクを渡す。
誰でも歌える。
中国人でロックを愛する人間ならBeyondの曲を歌えない人間などいないのである。
ジョニーBグッドで有名なロックンロールの創始者、チャックベリーは、
噂によるとアメリカの各地をひとりでギターを持って廻ると言う。
バンドは地元のバンドを使い、リハーサルなんかやらない。
いきなり本番でギターを持って現れ、いきなりイントロを弾き出して歌う。
バンドがついて来れないようだったら
「お前ら、俺の曲も弾けないのか?」
でおしまいである。
「それでよくロックが出来るよなあ」
ということなのである。
ある意味、このWingも彼のオリジナルをやらず、
Beyondの曲だけを歌うならこういうことも不可能ではない。
いきなりステージに上がってイントロを弾き始めれば、
中国人ミュージシャンならばBeyondの曲を弾けないミュージシャンなどいないからである。
黄家駒が残した数々の名曲を、
それが生まれたこのスタジオで叩くとき、
えも言えぬ感情が沸き起こって来る。
彼が日本でワシのセッションを見に来て、
「凄いよ。毎月やってんのか?来月も絶対見に来る」
と言って、それが彼の最期の言葉となった。
ライブでドラムを叩く時、
いつも天国であいつが見ているような気がする。
時々降りてくる「神」は実はあいつなのかも知れない。
事実あいつは死んで「神」となった。
ワシはあいつが残した偉業を歌い継いでゆく。
(ドラムしか叩けんが・・・)
今日も天国であいつがそんなワシをほほえましく見ているような気がする。
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2000年7月21日
何故かマレーシアにいる・・・
マレーシアである。
首都のクアラルンプールである。
タイからもっと近いと思ってたら思ったより遠いのね・・・
隣の国やと言うてもどちらも縦長の国やからね。
結局4時間も飛行機にゆられるのね。
・・・と言っても今回俺は乗ったらすぐ寝て、
着いたら隣のオッサンに叩き起こされたので何も覚えてない。
以前爆風のツアーで熊本かどっかに行く時、
飛行機のエンジンがトラブって、
ドーンと言う音と共に一瞬急降下。
機長の
「みなさま、機体が少々揺れましたが大丈夫です。
大丈夫ですが念のため羽田空港に引き返します。あっ!・・・・しーん・・・」
と言う不気味なアナウンスと共に引き返し、
飛行機を乗り換えてやっと現地入りした時も、
顔面蒼白のメンバーをよそに、
俺は乗ったらすぐ寝て起こされたらまだ羽田だったので
何のことやら覚えてない。
さて寝ぼけ眼でクアラルンプールの空港に着いたらぶったまげた。
前回来たのはもう5年ほど前だろうか、
こんな近代的な空港ではなかったような気がするが・・・
5年前に来た時も、マレーシアはなんて近代国家なんだと思ったものだが、
今回さらにそれを改めて思い知らされた。
さて今回の訪馬目的は、
先ほど全てが終わったばかりのタイプロジェクトのご報告と
X.Y.Z.英語版のプレスとライセンスをお願いしている、
P社へのビジネスミーティングのためである。
移動にこんなに時間がかかるとは思ってなかったので、
最終便にて夜中に着いて、
次の日の最終便にてタイに帰らなければならない。
時間がないのよ・・・
そう言えば結局タイでも時間がなかった。
これと言うのもホテルの隣のマッサージのせいである。
日本円で700円ほどでタイ式全身マッサージとフットマッサージが受けれる。
フットマッサージは1時間なのだが、
全身マッサージは2時間とフルコース。
これが気持ちよくてつい寝てしまうのだが、
毎日この3時間を捻出するために、
寝るヒマ惜しんで飲んでた酒も飲まずにマッサージにいそしんでいた。
この俺が酒より選ぶんやからどれだけ気持ちいいか・・・
さてそんなことよりマレーシアである。
マレーシアの思い出は、
5年前タクシーの運転手に連れられて行ったダンドゥット・バーである。
ダンドゥットともともとインドネシアの大衆歌謡なのであるが、
同じ民族で、言語がそのまま通じるマレーシアとインドネシアと言うことで、
当然ながらマレーシアにも流れ着いている。
基本的にはリズムはルンバなのであるが、
クンダンと言うタブラのような打楽器のリズムに乗って、さすがイスラム文化と言うか
首が横に平行に動いてしまうようなあのリズムと旋律が何とも言えない。
「よし、そのままタクシーに乗って、ダンドゥット・バーに直行だ!」
とばかり空港の人にタクシー乗り場を聞いたら、
そのままバス乗り場に案内された。
クアラルンプールは空港から市街まで遠く、
まあ言ってみれば成田のようなもんなのだが、
短パンにハリウッドのTシャツ(嫁からの誕生日プレゼント)、
スニーカーにパソコンリュックサックと言う、
どっから見ても典型的なバックパッカーである俺の風体を見て、
「こりゃタクシーで行かせるわけにはいかん、バスじゃ」
と判断したのだろう。
タイもそうだが、ここマレーシアも
本当に悪い人がいないのではないかと思うぐらいいい国である。
これ、ほんと。
でもねえ、言っちゃ悪いけど金なら持ってるでぇ。
X.Y.Z.英語版の全世界への製造の拠点であるここへの
支払いを今回は現金で持ってきているのである。
だって為替手数料って高いのよ。
100万円支払うとすると15万円取られるのよ。
手持ちで持ってきた方が安いっつうねん。
この汚いリュックに札束が入ってるとは誰も思わず、
小汚いバックパッカーとしてバスのターミナルに行くが、
今度はどのバスに乗ったらいいのかわからない。
思えばL.A.でもこうやったなあ・・・
中国系の人が一生懸命自分でバスに荷物を積んでたので聞いてみた。
思えばどうして中国系の人っていつもみんなたくさん荷物を持ってるんでしょう・・・
この辺の人は広東人か福建人が多いのだが、
それらの人同士がコミュニケイションするために北京語も喋れたりする。
まったくもって中国人は偉大なのであるが、
俺はあえて英語で喋った。
今、頭の中では中国語と英語がごっちゃになってて、
このチャンスに英語に切り替えないとやっていけない状態なのである。
まあ、それはいい。
結局バスに揺られ、ホテルに着いたら、
そこのバーで生演奏をやっていた。
もちろん洋楽なのであるが、
ついでなので俺は部屋にも入らずに直接そのバーで一杯やった。
マレーシアはイスラム国家で、
宗教省なる省庁もあって宗教裁判もあると聞くが、
そんな中、夫以外に肌を露出してはならない敬虔なイスラム教徒が
今流行りのチューブトップでお臍まで露出して歌ってていいのか!
俺が5年前、あのダンドゥット・バーに惹かれた大きな理由は、
そこで歌ってた綺麗なねーちゃんである。
宗教上酒を飲まないはずのマレーシア人が、
飲んでもいい中華系の人間は絶対に来ないであろうダンドゥット酒場にて、
宗教裁判を恐れず・・・かどうかは知らないが・・・
地下のクラブで(そのバーは廃屋のようなビルの地下だった)、
肌の露出こそは一切してないがプロポーションはくっきりわかるドレスをまとって、
聞きようによっては淫靡なダンドゥットに身をくねらせる姿が今も忘れられない。
俺がアメリカのエロ本が好きではない理由に、
あのモロ出しの色気のなさがある。
歌舞伎町のストリップにも数年前友人に連れられて行っては見たが、
あのエアロビクスのようなご開帳には閉口する。
ああ、あのつつしまやかなダンドゥットお姉ちゃんはまだあそこで歌ってるんだろうか・・・
タクシーを拾おうと思ったら、
なんと俺が泊まっているこのホテルには何とハードロックカフェが入っていた。
5年前も来たなあと思って覗いて見た。
当時はマレーシアにロックバンド・・・と感激したもんだが、
こうも諸外国が日常になってしまうと別に普通のハコバンである。
そうそうに後にした。
タクシーを拾って、
「ダンドゥットを聞きたいんだ。出来れば生演奏がいい。どっかに連れて行ってくれ」
とまくしたてる。
思えば相手も英語のネイティブではないので、
心なしかL.A.より通じやすいような気がする・・・
「Oh! ダンドゥット?!」
色黒のマレー系運転手がいぶかしそうに聞き返す。
「日本人かい?ダンドゥットが好きなのかい?そりゃ珍しい。
外国人にとっちゃ全然ポピュラーな音楽じゃないのにねえ・・・」
日本で言えば演歌バーを探すフィリピン人のようなもんか・・・
連れられたところが「サン・ダンドゥット」と言うクラブ。
「最近はダンドゥット・バーでもポップスやってたりするよ」
と言う運転手の言葉通り、
そこはいわゆるキャバレーでカラオケの生バンドだった・・・
そうそうに後にする。
またタクシーに飛び乗って同じ風にまくしたてる。
「ダンドゥットかい?よし連れてってやろう」
と言って連れられたのは何のこっちゃない俺のホテルの近くだった。
「この辺はここもダンドゥット、あそこもダンドゥットだよ。ほな」
「ほんまかいな」
「ほんま、ほんま、お姉ちゃん持ち帰りも出来るよ」
いわゆる日本で言うと
「演歌バー連れてって」
と言って高級クラブ街に下ろされた外国人である。
俺が行きたいのは彼らにとっては歌舞伎町の裏通りの民謡酒場なのかも知れない・・・
カラオケ店に入る気もせず、とぼとぼと歩いてホテルに帰った。
いろんなバーで生演奏が繰り広げられていた。
どれもいわゆる西洋音楽である。
ああ、俺の大好きだったマレーシアはどこに行ったのか・・・
つつしまやかなあのお姉ちゃんは今どこで歌っているのだろう・・・
肌を露出してポップ・ロックを歌うマレー姉ちゃんを横目で見ながら、
「マレー人やのに何でダンドゥットやのうて西洋音楽歌ってるんやろ」
などと考えてみたりする。
あのダンドゥット歌ってた姉ちゃんが、
肌露出して西洋音楽歌ってるあんた達より一番色っぽかったでぇ。
ホテルに着いてドアのガラスに映る自分が見えた。
長髪で洋服を着て、西洋音楽の権化であるRockとJazzをやっている。
英語版をリリースしてアメリカの中華街に移住しようとしている。
俺って何なんやろ・・・
ホテルでひとりで飲もっと・・・
飛行機で熟睡したため眠れずにこれを書いているのであった・・・
音楽界の兼高かおる(今、誰がこの名前を知っとるっつうねん!)ファンキー末吉
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2000年7月14日
LAにて誕生日を迎えた
L.A.日記・・・
(日記っつうんやったら毎日書かんかい!)
7月13日(こちら時間)
今日も晴れ。そして明日も明後日もきっとずーっと晴れ。
さて椰子の木が生えてるようなこんな街にいてアホになるだけではなく、
TDなのでさほどやることもなく、
しゃーないので酒飲んでブタになってしまったファンキー”コニイハラ”末吉であるが、
アメリカ時間の今日、めでたくバカボンのパパと同い年となった。
誕生日だからと言って何をやるわけでもない。
スタジオではケーキによる祝福を受けたが、
嫁は先週より中国人パックツアーで今頃はラスベガス(カードの支払いが怖いのよ)
に行っとるし、
今朝もイビキがうるさいため隔離されている台所部屋でひとり目覚め、
朝からコニイハラ脱却のため、
元祖二井原(オオニイハラ)がメシ食ってゴロゴロしているのを横目で見ながら、
アパートのジムへと足を運ぶ。
でも41にもなると腹筋10回やっただけで起き上がれんのよ・・・
今週頭からこうして運動にいそしんでいるのだが、
やはりこちらに来てから太った分はあっと言う間にダイエットした。
問題はこちらに来る前から溜まってる皮下脂肪である。
なにせ、長い年月かけて溜めたやつやからなかなかである。
自慢じゃないけど金と年月かかっとるでぇ・・・
ダイエットと言っても別に禁酒絶食するでもなく、
要は食わなくてもいい時に食わず、
飲まなくてもいい時に飲まず、
ゴロゴロして酒飲んでるぐらいなら、
ゴロゴロせずに仕事して酒飲めばいいのである。
まあ仕事が一番のダイエットっつうやつやね。
ところでこの椰子の木が生えてるような街で、
日本と同じように仕事を探すのはひと苦労であるが、
しかしインターネットにひとたびつなぐと、
それはそれはいろんな仕事が飛び込んでくる。
X.Y.Z.のAsian Typhoon英語版のマレーシア製造におけるトラブル。
X.Y.Z.来月の韓国公演のブッキングと韓国ライセンス。
X.Y.Z.マレーシア、シンガポールでのライセンスの契約書作り。
X.Y.Z.上海公演のまたもやお流れ情報。
五星旗のニューヨークレコーディングとニューヨークでのライブの詰め。
五星旗の上海、香港ライブのツアー組み。
五星旗のマレーシア公演ブッキング。
佐山雅弘バンドでの北京Jazzライブ打ち合わせ。
ファンキー末吉トリオでのJazz-ya北京5周年記念ライブのメンバー決め。
そして何より、今回X.Y.Z.のL.A.ライブでお世話になった、
ライブハウスのオーナー、スタッフ、コーディネーター、へのお礼状。
感激して名刺を置いていったレコード会社(製作会社?)へのコンタクト。
日本での100本ツアー終了後のアメリカでのツアー組み。マネージメント探し。
等々、これらのMailのやりとりは、中国語圏以外は全て英語である。
おまけに先日訪泰してレコーディングした
TSUTAYA THAILANDが手がける女の子グループ、”b'"のレコーディングが大詰めである。
私が現場にいずに、全てMailのやりとりだけで全てが動いていくんだから
インターネットとはまことに偉大なしろものである。
最後の曲のオケ録音を五星旗のベーシスト、仮谷くんに発注し、
データをもらってチェックする。
こんなやりとりは日本語だからまだいい。
問題はタイ側との英文でのやりとりである。
英語が苦手な俺は、こっそりと自動翻訳ソフトを使って楽をしてるのだが、
これがまたアホで・・・
例えば
「Good morning Pat.」と言う文は、「よい朝のPatさん」と訳されるし、
「Dear Funky.」は「ファンキーな愛すべきもの」である。
二井原の英語名「Mick」は「アイルランド人」やし、
可哀想なのは香港のエージェント、SamとQueenyが連名で書いたMailは、
「Sam/ Queeny」が「ホモのサム」になってしまう。
ウケ狙ってるんちゃうん!
このアホな自動翻訳機と、かれこれもう半年間付き合っているが、
最近ではこのアホが狙ったウケも黙って聞き流せるようになり、
「ところで」を「at the space」と訳しても怒りより笑いで付き合えるようになった。
英単語をほとんど知らん俺がこのアホと共にまとめた海外プロジェクトは数あるが、
潰れたプロジェクトは数少ないので、まあ俺程度の相棒としてはまあまあである。
そんな中、明後日帰国したらすぐまたタイに飛ぶことになった。
最後のレコーディングをするのさ。
そして足裏マッサージをして700円の全身マッサージをするのさ。
そしてたらふくタイ料理を食うのさ。
いやー、やっぱりアジア食でしょ。
西洋のメシはやっぱ口に合わん!
こちらで俺が食うと言ったらやっぱりタイ料理かコリアン・フ-ド。
3食ハンバーガーを食う気にはならんし、
今や国民食となったと言う、豆とイモのメキシカンももう飽きた。
何か豆とかイモとかパンとか、
そんなのしか並ばない食卓ってミジメに感じるのよね、俺って・・・
アメリカ人はステーキバーガーとか言うて、
ステーキがパンに挟まれて、
それより多い量のポテトチップスが盛られた皿を「ご馳走」と感じるが、
俺なんか、頼むから同じ量のステーキならそのまま皿に置いて、
少量でいいからライスを並べて欲しい。
ライスがなければビールでいい。
ハンバーガーやステーキバーガーつまみにしてビールは飲めんじゃろ!
タイ料理はええでぇ、メシも進むし酒も進む。
でもこちらのタイ料理って何か大味っつうか、やっぱりアメリカン・タイフードなんやねえ・・・
中華もしかり、コリアンフードもしかりである。
そんな中、本場の中華の味を見つけた。
しかも洋食の権化とも言うべき、ショッピングモールのファーストフード街である。
日本食のファーストフード店も並び、「TERIYAKI」なんたらとか書いてあっても、
我々日本人がそれを食う気にはならないのと同じように、
嫁もそのチャイニーズフードには手が伸びない。
結局俺が目をつけていた「四川牛肉麺」を頼み、嫁はピザとなるのだが、
この牛肉麺がばっちし!
「四の五の言わんとこれ食ってみぃ!」
嫁に一口勧めてみる。
期待せずに口に運んだ嫁が笑いながら一言。
「これ、何の味に似てるかわかる?」
「何って、北京のラーメンとじゃろ?」
「だから、北京の何ラーメンと似てると思う?」
「何ラーメンって・・・」
「加洲牛肉麺」
つまり北京で一時流行っていた、
カナダ、アメリカの華僑料理であったのだ。
なるほど、そりゃこちらの方が本場やわ・・・
ファンキー末吉
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2000年6月19日
LAレコーディング続報
またまたL.A.からである。
街の中に椰子の木が生えとるような街で1週間もおったらアホになると言うが、
二井原実を始め、もうすでにみんなアホである。
橘高もアホなのであるが、
やはり御大二井原には負けている、
と言うか、ギタリストがいま、仕事が佳境なのである。
彼までがアホになったらこのアルバムは終わってしまうのである。
和佐田もおったらとっくにアホになってたところだが、
ベースを弾き終わったらそそくさと帰国してしまった。
事務所関係がクリアして「サポート」の表記がなくなったと思ったらいきなりこうである。
そんなことはどうでもよい。
レコーディングである。
俺はどちらかと言うとレコーディングと言う仕事は嫌いである。
ミュージシャンはレコーディング好きとライブ好きと大きくふたつに分かれるらしいが、
俺はやはりライブ好きである。
毎日ライブやって酒飲んで、死んでいってそれで別にいい。
勝手にライブ音源でも録音してくれてそれが世に名盤として残っていけば言うことない。
(そんなわけにはいかんのやけどね)
それに反して橘高はレコーディング好きである。
時間と予算さえ許せば、一生スタジオに篭ってるような男である。
かく言う俺も、自分の受けたプロデュース仕事なんかでは、
それが仕事なので最後まで責任持ってスタジオで詰めたりするが、
それがそこ、バンドと言うのはよくも悪くも分業である。
ドラムを叩き終えたらもう「よし、後は橘高に任せた!」である。
人間、好きなことをするのが一番健康的でよい。
さて、俺は何が好きかと言うと冒険が好きである。
人生、おかげでこうである。
よし冒険に出かけるぞー!
(全然レコーディングの話やないやないかい!)
まあ去年は、こちらに7年基盤を置いてたと言う二井原におんぶに抱っこで、
結局自分ではどこにも行けなかった情けない状況だったが、
今年はその上、金をけちって国際免許も取ってなければ自動車保険にも入ってない。
車がなければ何も出来ないこのアメリカ社会で、
俺ほど何も出来ない人間はいないのである。
しかし世の中捨てたもんでもない。
バスとか地下鉄とか言う乗り物があるではないか!
・・・と思ったら「この辺からは車じゃないとねえ・・・」との答え。
早い話誰も行ったことがないのである。
いわゆる繁華街であるダウンタウンと言うところから見ると、
スタジオと俺らのアパートがあるレドンドビーチと言うところは、
東京から見た小田原のようなところである。
車でもなければ出てゆく気にもならないのが普通であろう。
またフリーウェイが充実しているので、
車で行くと何の不便さも感じないのであるが・・・
そんな中で、地下鉄グリーンラインの終点がレドンドビーチであることを発見。
ほな近いやないかい!
と思ったら大間違い。
カリフォルニア州だけで日本と同じぐらい、
ロサンジェルスと呼ばれる地区だけで関東地方ぐらい、
レドンドビーチと呼ばれるとこだけでどのぐらいの大きさなのやら・・・
結局そこまでは車で送ってもらうか、バスを乗り継いで行くしかない。
エンジニアのウェイン・デイビスは
「地下鉄に乗るのか?俺でも乗ったことない。危険だからやめろ」
と来る。
なんか暴動のあった、あの治安のよくない場所を通るので、
地元の人間はまずは乗らない代物らしい。
「わかったわかった。とりあえず、今日は
その駅までバスで行けるようになったら帰って来るよ」
と言い残してとりあえずバスに乗ることにする。
アパートの前にバス停があるので、
そこでしばし待っては見たのだが一向にバスが来る気配がない。
仕方ないからとぼとぼと歩いて見るのだが、
そうするとバスがぷいーっと追い抜いて行ったりするものだ。
人生とかくそのようなもの。
追いかけて行った先に、大きなショッピングモールがあった。
その名も「ファッション・センター」
去年には二井原と橘高がお揃いのスーツケースを買ったその場所だった。
そこに大きなバスターミナルがある。
「よし、ここを拠点にして出発だぁ!」
と思いつつもどのバスに乗っていいのやらわからない。
とりあえず「LAX」と書いたバスに飛び乗った。
空港まで行けばとりあえずL.A.のどの場所にもバスが出てるだろう。
そしてそこから飛び乗ったのがL.A.ダウンタウン行き。
行けるじゃないの・・・・
バスに揺られること1時間あまり、
雰囲気はすこぶるよく、運転手も客も気さくで、
乗って来たらいきなり友達みたいなそんなノリである。
とりあえず終点まで行ったら、着いたところがユニオン・ステイション。
いわゆる東京駅みたいなもんか・・・
地図を見るとそこからチャイナタウンはすぐである。
しかしもうすでに夕方・・・
どうするべきか・・・
暗くなって地下鉄に乗るのは危険だし、
夜バスに乗る勇気もない。
でも腹も減ったし、あの味気ないアメリカのファーストフードを食う気にもならない。
「よし」
とばかり一番近いラーメン屋に飛び込む。
英語がほとんど喋れない俺だが、
漢字で書かれている看板の店なら気持ちも落ち着くと言うもんだ。
北京語を喋れる人も喋れない人もいたが、
基本的にその店はベトナムの華僑がやってる店だったようだ。
そこのラーメンが絶品!
大満足のうちに引き返す。
ユニオン・ステイションでバスを待つこと1時間。
(もうその頃にはレドンドビーチまでの直通バスを発見)
乗って揺られること2時間近く。
結局往復4時間以上。
滞在時間30分。
ラーメンを食うだけの上京だった。
おまけに、レドンドビーチの公衆電話から電話をかけて、
その電話の上にザウルスを置き忘れて紛失。
踏んだり蹴ったりである。
でもこれでひとりでバスでどこにでも行ける自信がついた。
翌日は地下鉄の駅で降りて、悪名高い地下鉄でハリウッドへ。
ちょっと生活水準の低そうな人達が乗っては来るが、
さほど怖いと言うほどでもなく、
それでも帰りは地下鉄は避けてバスで帰った俺だが・・・
帰りのバスの運ちゃんはファンキーだった。
映画に出てきそうな太ったファンキーな黒人で、
ポリバケツのようなタンクの水をがぶ飲みしながら、
ラジカセから大音量で古いR&Bをかけまくる。
これって日本で言うと北島三郎をかけまくる運転手?
俺が若かりし頃、四国で「ファンキー末吉」と名乗ったきっかけとなった、
数々の悪魔的なナンバーを聞きながら、
何となく二井原の顔が思い浮かぶ。
そう言えば俺らはR&B仲間やったんや。
俺や和佐田なんかは彼のことをハードロックも歌えるR&Bシンガーやと思っとる。
着いてから申し訳程度にスタジオに顔を出す。
「どう?順調?」
「ファンキー、シャレんならんでぇ、これ聞いたら腰抜かすでぇ」
ヤツの「シャレんならん」と「腰抜かすでぇ」を100万べん聞いて来た俺だが、
今度はほんまに腰を抜かさなアカン日が来たようだ。
「ほな、帰るわ」
「おいおい、もう帰るんかい」
「おったってやることないしな。ほな後は頼むわ」
「頼むわ言うてどないして帰んねん」
「俺もうこの辺のバスばっちしやし」
すでにアパートの前からダウンタウンに直通のバスがあることを発見していた俺だった。
そしてその終着駅からは全アメリカへ鉄道が走っている。
次にこのメルマガを書くのはもう、ここL.A.ではないかも知れない。
ほなさらばじゃ!
(レコーディングはどないなってんねん!)
ファンキー末吉
Posted by ファンキー末吉 at:18:00 | 固定リンク
2000年4月28日
タイプロジェクト始動!
CDのサンプル担いでタイはバンコクまで来てますわ。
これが結構かさばるのよ・・・・
今回の仕事がTSUTAYA-THAILANDの仕事なので、
「TSUTAYAさん、タイにある60店舗のTSUTAYAでなんとかXYZのCD売って下さいな・・・」
とか、
「いやー、どっかで会ったと思えば毎年福岡のアジアイベントで会う
なに人かようわからんオッサンやないですか。
え? レコードのディストリビューターやったんでっかいな。
ほなこのCD夕イで売って<らはいな」
等、ほんま「わしゃ何をやる人やねん!」状態ですわ。
ここで南アジアのライセンスを決めて、
明日には香港飛んで北アジアのライセンスとLAライヴのブッキングですわ。
わしゃほんまに何をやる人なんやろう・・・
(それにしてもLAのブッキングがなんで香港経由なんやろ・・・)
さて今日のお題、「タイ・プロジェクト」
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マレーシアのとある日本資本のレコード会社の社長と友達である。
商社マン上がりのM氏は、業界によくある音楽畑の人間ではなく、
会社の売上が悪い時はカバンやGショックの並行輸入でも何でもして売上を稼ぐ。
エスキモーに最初に冷蔵庫を売りつけたのは日本の商社マンだ
(天然の冷蔵庫の中で暮らす彼らに冷蔵庫など誰も思いつきやしなかったのを
「この箱を使えば肉が凍らないよ」とセールスし、バカ売れしたと言う話)
と世界のビジネスマンの間にまことしやかに伝えられているが、
俺は内心これはきっとM氏ではないかと思っている。
そのM氏、レコード会社の社長でありながら、
アジア中のいろんな国を行商にうろついている。
オルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーが、
「ラテン諸国行ったらどの国にも和佐田はんがおんねん。
ある国ではタクシーの運転手してたり、ある国ではバーで働いてたり」
と、和佐田のラテン顔を称してそう言ったりするが、
ことアジアでは「どの国でM氏がいた」と言うと、
それはきっとその国でその日、本当にM氏がいたのである。
そんなM氏、ある日のことタイの街中を歩いていた。
「やけにTSUTAYAの看板をたくさん見るなあ・・・」
何の面識もなくTSUTAYAに飛び込んで、
TSUTAYA THAILANDの社長に売り込みを開始する。
「わが社のこのビデオ、お宅で売ったら儲かりまっせ」
(ちなみにM氏は関西人ではないので関西弁は喋らないが便宜上)
と言うのを受けてTSUTAYA THAILANDの社長も試しに仕入れて見た。
「こんな、日本のアイドルが水着になって
”こんにちわ、○○でーす”
とか言うとるオムニバスビデオがタイで売れるんやろか・・・」
(ちなみに社長は淡路島の人間なので関西弁)
と思ってたら、
タイのおりからの日本ブームの煽りを受けて、
タイ語の字幕もない、ヌードも一切ないそのビデオがバカ売れした。
それを受けてM氏、
今度はTSUTAYAシンデレラ2000と言うオーディションを行って、
プロダクション業務に進出しようとしているTSUTAYA THAILANDの社長に今度は、
「プロデューサーならファンキーしかおりまへんで」
と推薦。
それを受けて、宮島氏からMailが来る。
「本場のタイ料理でもたらふく食いに来まへんか」
「シンハー・ビールもつけてや」
でこうして俺は今タイにいるわけであるが、
よく考えたら、話はそんなに簡単なんじゃろか・・・
ある日突然、事務所にとある伝言があった。
一昨年までお世話になってた大手プロダクションA社の幹部からだと言う。
折り返し電話が欲しいと言うことだった。
「何の話やろ、また迷惑でもかけたかなあ・・・」
恐る恐るその幹部に電話をしたら突然、
「末吉ぃ!今、タイで何かやろうとしてるだろ!」
「ひえー・・・何でそれを・・・」
つい先日引き受けたばかりのプロジェクトを何故に・・・
「SUTAYA THAILANDの社長さんと言うのはな、
元日本のTSUTAYAでな、
わが社と一緒に立ち上げたアミューズメントの会社の社長を俺と一緒にしてた人だ。
それをやめて家族と共に今はタイに住んでいる。
今、日本に帰って来ててさっきまで一緒だった。
俺とはほんとに長い付き合いなんで、
末吉もくれぐれもよろしくな!」
ははあ、心してかからせて頂きます・・・・
さて、このTSUTAYA THAILANDの社長、
当時数軒しかなかったタイのTSUTAYAの権利をTSUTAYAから買って、
1年半でTSUTAYAをタイで60店舗にしたと言うつわものである。
初対面の時に俺にこう言った。
「いやー、プロダクション業務とかやったこともおまへんのでな、
A社の会長さんとかいろんな人に相談に行きましたんや。
そこでファンキーさんの名前を出したら、
全ての人が”彼なら出来る。いや彼にしか出来ない”言うんですわ」
ひえー・・・
飛ぶ鳥後を濁さずと言うが、
後を濁しっぱなしで彼方に飛んで行ったアホに向かってなんたる過分なお言葉・・・
と言うわけで、その恩に報いるべく、
数少ないストックの中から一番大事に取っておいた楽曲を提出する。
やりとりは全部E-mailである。
データはMIDIデータとMP3である。
世界中どこで住んでても仕事が出来るように、
俺は全ての仕事をE-mailでやりとりするのだ。
こうして立ち上がったタイ・プロジェクトは、
コーディネーターがマレーシア、
製作責任者がシンガポール、
そしてプロデューサーと製作が日本、
舞台はタイと言う4カ国を股にかけたプロジェクトである。
しかし幸いにも担当者は全て日本人なので、
日本語のMailでいいのは助かる。
前回Wingの著作権をめぐって、
香港側は英語、こっちは中国語でのやりとりっつうのには疲れ果てた・・・
さて、タイに着いた。
M氏とは実際非常に久しぶりなのだが、
ずーっとMailのやりとりをしてるので全然そんな感じがしない。
ホテルにチェックインしたら、何と一流ホテルのスウィートルームである。
「M氏ぃー。予算もないんですからもっとチープなホテルでいいんですよぉ」
「まあまあ、いつも利用してるホテルなんで私が取れば安いんですよ」
値段を聞いてみれば、都内のビジネスホテル並に安い。
この人っていったい・・・
さてTSUTAYA THAILANDに今までMailでしかやりとりをしてなかった人間達が
一同に会する。
スタッフ一同で少々の認識の違い等を整理していざレコーディング開始。
アジアの仕事では現場処理が当たり前なので、
来て見たら決定曲が違っててオケを作って来てなかったり、
翌日プレス・コンフェレンスで口パクで歌うので1日で完成させなきゃなんなかったり、
そんなことはもうお手のもん。
北京レコーディングのように、
気が付いたらエンジニアを大声で探しまくる必要がないだけ楽である。
一番の問題は言葉。
「トムヤムクン」しかタイ語を知らない俺は、
何を聞かれても「トムヤムクン」と答えるしかない。
「日本語とタイ語か、中国語とタイ語かの通訳を必ずつけて下さいね!」
これが俺が唯一TSUTAYA THAILANDに要求した事柄である。
「それなら大丈夫ですわ。うちには日本語喋れるタイのスタッフもおりますから」
と言われて紹介されたのがNochと言う若い女の子。
中国系と言うので北京語で話してみたら立派に通じる。
家族とは潮州語で話すらしいが、
仕事では英語だから、
タイ語、日本語、英語、北京語、潮州語を操る才女だと言うことだ。
華僑って凄いよなあ・・・
さてバンコクでナンバーワンのスタジオにやって来たら、
エンジニアがカナダ人だった。
「君はタイ語喋れるの?彼女作るのが一番だよ」
と言うM氏に質問に対して
(ちなみにM氏は昔ポーランドに住んでいたので通訳レベルのポーランド語も喋るが、
それも彼女がらみだったと言う話である)
「実はもう結婚してるんだ」
と言うWilliamが可愛い。
どこにでもいるんだなあ、彼みたいな奴。
そう言えばM氏の招聘でマレーシアのフェスティバルに出演した時、
世界的に有名なパーカッショニスト、スティーブ・ソートンと共演したが、
彼もマレーシア人と結婚してクアラルンプールで住んでいた。
俺だけか、まだ日本でなんか住んでるの・・・
さて、俺は英語は苦手である。
喋ろうと思うとつい中国語が口から出てしまうが、
Nochはそんな中国語も通訳出来るので便利である。
Williamは俺の中国語交じりのヘタな英語を苦労しながら理解してレコーディングする。
Nochは日本語から英語へ、そして中国語から英語へと、まことに器用に訳してゆく。
シンデレラGirl達に対しては英語で言っても通じないものはNochがタイ語に訳してくれる。
ただ、今度はNochがいなくなると全てが止まるのである・・・
まずオケがないを突貫で作ってしまわなければならない。
持ち歩いているVAIOにインストールしている簡単なシーケンサーソフトで作成する。
要は歌のデータだけ録って日本に持って帰ってオケを差し替えればよいのである。
でもこれじゃあ歌録りはいいとしても明日のプレス・コンフェレンスが心配である。
詞のプロデューサー、Ann女史の到着が遅れているのをいいことに、
常にセッティングしているドラムセットで
(いちいちドラムを持ち込まなければならないなんて日本ぐらいよ)
ちょちょいと叩き直す。
打ち込みから生に差し替える仕事は、
最近では「太陽にほえろスペシャル」のテーマソングでやった。
その時もドンカマなどなかった。
戦いのシーンでのドラムソロの曲は辛かったなあ・・・
打ち込みのドラムソロ聞きながら同時にドラムソロ叩くんだから。
今回はリズム聞きながらリズム叩くんだから楽なもんである。
俺は「一回しか叩かんでぇ」ドラマーで、
音決め等が終わったら集中してTake1で決めることを信条としている。
要は集中力なのである。
よし録るぞ!
しかしWilliamが俺に何か一言言ってるがようわからん。
「え?何言うてんの?
コード?
ドラム叩くのにコードなんて関係ないやんか・・・」
おーい!Noch!訳してくれー・・・
ドラムをほっぽり出してNochを探しに行く。
集中も何もあったもんじゃない。
Nochがやって来て訳してくれる。
「録音しますか? だそうですよ」
Record?
この一言さえ俺は聞き取れんかったんかい・・・
ああ、やっぱ英語勉強せにゃなあ・・・
ファンキー末吉