2020年4月26日
カンボジアのメタルドラマー
前回カンボジアでドラムをレコーディングしようとなった時、そのキーパーソンとなるプロデューサーを紹介してくれたBoom Baar君。
実は会って話したことはなかったそうだが、Oscarで私がドラムを叩いた時に客席で見ていて、それから「師匠」と呼ばれる間柄になった(笑)。
その後、お礼がてらみんなを集めて飲んだ時、実は数台いいドラムセットを持っているらしい・・・
かと言ってばりばりプロのドラマーかと言うとそうでもないらしく、一体何をやって食ってるのか不思議な男である・・・
彼から突然メッセージが来た。
「師匠!!元気ですか?」・・・(笑)
何やらドラムレコーディングをするそうである・・・
一体私に何をやってもらいたいのか、来てアドバイスをもらいたいのか、その辺はよくわからないまま、
やはりドラムレコーディングと言えば一番大切なのは「ドラムのチューニング」!!
言われもしないのにそれをかって出た!(笑)
録音はどこかのバーでやるらしい・・・
まあメタルバンドで大々的にレコード会社がバックアップしてみたいなのは難しかろう・・・
2時からレコーディングで、自分はセッティングでちょっと早めに入ると言うので1時半にそのバーとやらに行ってみた。
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
誰もおらんやん!!(>_<)
しゃーないなぁ〜・・・近所で時間を潰して2時まで待つ・・・
2時になってもこーへんやん!!!(>_<)
まあ時間を守らないのは中国人もカンボジア人も同じなのであろう・・・
結局彼が着いたのは3時(笑)。
ドラムが運ばれて来ている・・・
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
バスドラにつけられているタオルミュートなどは問答無用で取り外す!!
家で叩くのにミュートとしてはいいかも知れんが、アタックはなくなるしレコーディングでは百害あって一益なし!!
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
いつもの自分のライブやレコーディングではないので自分でセッティングしなくていいから楽であるが・・・
おやおや、よく見ると白人のエンジニアが・・・
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
よくよく聞いてみると、この白人がギタリスト、ベースも同じく白人、ボーカルはカンボジア人というメタルバンドらしい・・・
録音設備はLogic。インターフェイスは8chで、欲を言えばスネアのボトムとハイハットとライドも欲しかったりするが、アマチュアバンドならまあこれで十分であろう・・・
今思い出したのだが、もう1ch余っているのだから、あのレコーディングの時に買ったバスドラ用のマイクを貸してあげればよかった・・・(>_<)
「Professor Mr.Funky」ですか〜(笑)
なんとかセッティング完了!!
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
サウンドチェック!!
末吉覚さんの投稿 2020年4月25日土曜日
なかなかいい音ではないか!!
ところが私の方がもう時間切れ!(>_<)ファンキーはんと大村はんのネット配信ライブに行かねばならぬ・・・
後ろ髪を引かれる思いで現場をあとにしたが、後に彼のこんな書き込みが・・・
20テイク録ったんですと!(◎_◎;)
そしてOKテイクが2つ。録画して見てみたらイヤホンを右しかしていない。どうして?・・・みたいな(笑)
いや〜見たかったのう〜その現場(笑)
兎にも角にも地元のこんなミュージシャンと交流してゆくのは非常に楽しい。
彼らが後に、このカンボジアのロックシーンを支えるようなビッグなバンドになってゆくことを願うぞ!!
頑張れBoom Baar君!!
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2020年4月 5日
カンボジアにてドラムレコーディング!!!
思い起こせば去年の年末ぐらいからカンボジアでドラムが録音出来ないか探している・・・
この時はプノンペンに遊びに来たさわだんが、英語が達者だということで片っ端から電話をかけてくれて探し当てたのだ。
よく飲みに行ってるHIBACHIの近所の、ここは普通の自宅内のホームスタジオ・・・
ここをFacebook投稿してみたら地元のミュージシャンからいくつか反応があった。
「ここ俺の友達んとこだよ」
外国人である私が地元のミュージシャンと知り合うというのは、よく行っているライブバー「Oscar」に飛び入りセッションして知り合うのである。
最近になってわかったのだが、ここはプノンペンで一番いいライブハウス。
外国人も含め日替わりでいろんなミュージシャンが客である年配の白人客相手に古めのロックを演奏している。
その中に実は重鎮ベーシストがいた!(◎_◎;)
いや、重鎮であるかはその後にわかるのだが、
とりあえずHIBACHIで一緒にメシでも食う・・・
この時に彼が連れて来たのはカンボジアで一番上手いというドラマー!!
こうやってミュージシャンの知り合いがどんどん増えてゆく・・・
その時に私は彼らに相談した。
「スタジオを作りたいんだ」
私は自宅のある八王子には自宅スタジオがある。
X.Y.Z.→Aをはじめ、アースシェイカーや筋少や、ここでも色んな名盤が生まれている。
そして北京、初代のこのスタジオは中国の高度成長の煽りを受け、立ち退きで引越し、次の場所ではちゃんと防音までしてかなり本格的に作ったのにまた立ち退き(>_<)
今ではもう北京にスタジオはない・・・ということはそこの機材を全部持って来ればここカンボジアでもスタジオが作れるということだ。
ところが機材は持って来たとしても、そのメンテ、新たな機材を揃えなければならなくなった時に困るのが、
「レコーディング機材の専門業者」があるかないかが大きな問題である。
この会食の時に聞いたが誰も知らない。
それではということで、「じゃあレコード会社とかのスタジオとかないの?」と聞いてみたがそれも知らないと言う・・・
くっくま孤児院の美和さんの話では、一般貸ししてるかどうかはわからいが、どうやらひとつだけレコード会社の大きなスタジオがあるという話であったのだが、この辺のミュージシャンが知らないとなると探しようがない・・・
プロユースのスタジオや音響機材など、そもそも一般向けに広告など出しはしないのだ。
知ってる人だけが知っている、そんな業種なのだから仕方がない・・・
その後、北京のエンジニア方言(FangYan)をこちらに呼んで調べさせた時に、中国人コネクションでいろいろ調べてくれた。
それでもこの段階ではこちらでドラムがレコーディング出来るスタジオはまだ見つかっていない・・・
そんな中で中国で新型コロナウィルスによる新型肺炎が始まった・・・
その時に私は毎年のように日本でツアーを廻ってた。
中国は旧正月辺りになると絶対に仕事はないので、毎年この時期には日本でツアーを廻るのだ・・・
ツアーの途中で頚椎症性神経根症になってしまった為、暖かいところということで、療養も兼ねてここカンボジアにやって来た。
その時にはドラムなど叩くつもりもないのでスティックすら持って来てない。
コロナの蔓延してないどこか暖かいところを療養を兼ねてのんびり廻るつもりだったのだ・・・
ところが布衣のボーカルLaoWuが、コロナで自宅待機をしている全ての人に捧げる歌を作りたいと言うので、この状況でどこかでドラムが録音できるかどうか考えてみたが、中国で録音しようと思っても、もう既に中国では爆発的に感染者が増えている。
日本もあれよあれよという間に第二の感染国となってしまった・・・
そんな時期に感染国を行ったり来たりすることも出来ないので、そこで考えついたのは布衣とRebellioNとのコラボである。
その時に出来上がった曲・・・この時にはRebellioNのみんなは「LaoWuがどうしてこんなに急いでこの曲を仕上げようと思っているのかわからない」と言っていたが、今となってみればこれは「今の日本」である。
さてそれからしばらくしたら、もう中国へも日本へも戻れない・・・(>_<)
中国は現行の全てのVISAを無効にし、当然ながら私の労働ビザも無効なので入れないし、
日本は母国なので入れないことはないが、2週間の隔離(自宅待機?)を余儀なくされる。
ってか、成田に着いたら公共交通機関、タクシーも含め全部乗ったらあかんっつうたらどうやって家に帰るん?
家の人に車で迎えに来てもらうしかないらしく、そしたらその迎えに来た人も2週間は隔離状態となる・・・
無理やん(>_<)
カンボジアも日本よりは数十分の一ではあるが感染者がどんどん増えてゆき、
ついに外国からの入国を禁止!!
私はこの国を出たらもうこの国には帰ることが出来ず、かと言って出ても入れる国はなく・・・
VISAが切れるまでここでいるしか選択肢はなくなったのである・・・
(幸いカンボジア政府はVISAの延長処置をしてくれることとなった)
ここで暮らすのはよい!!仕事はないが部屋はある。
ところが布衣の新しいアルバムのレコーディングが始まった・・・
こればかりは人にドラムを叩いてくれと言うわけにはいかないので、どうしても自分でここ、カンボジアでドラムレコーディングをしなければならないのだ・・・
本格的にスタジオを探す・・・
まずはくっくま孤児院の美和さんに連絡を取って、そのレコード会社のスタジオとやらを探してもらう・・・
ところだ探し当てたのはひとつの電話番号、Mr.Laという人だということだが、クメール語も話せない私がプアーイングリッシュで話しても全く話にならないだろうということで、日本人の方に会社のクメール人に電話をしてもらった。
常備している機材や、ドラムセットの状況とかを聞いてもらったりしているうちに話が途切れた。
めんどくさくなったのだろうか・・・「どうやら外国人には貸さないみたい」
(>_<)
中国でもそうである。ひとつのコネが暗礁に乗り上げたら別のコネを探す!!
先日HIBACHIだ会食したグループにMr.Laの連絡先をアップして、
「誰かこの人知り合いじゃないか〜」
重鎮ベーシストが「俺知ってるよ〜」・・・って、こいつむっちゃ顔広い!(◎_◎;)
そこから直でFacebookで繋がり、本人と英語で話せ出せたのだが、
「じゃあ土曜日にスタジオ見に行くよ、機材等チェックして、問題なければ日曜日にレコーディングしよう」
とまでなったのだが、そこから何故か連絡が返って来ない(>_<)
ちょうどその時、Oscarで働いてたタカシという日本名を持つヤツが食い詰めて「何か食べ物を恵んで下さい。インスタントラーメンでいいです」と連絡して来た(笑)
ちょうどいい!!メシ食わせてやるから働け!!
というわけでDr.Laに電話をかけさせる・・・
「ダメです。うちの機材じゃFunkyさんに満足してもらうレコーディングは出来ないと断られました」
(>_<)
ところがタカシはそこでOscarの常連ドラマーに連絡を取り、そこからある人・・・おそらくこの国の重鎮プロデューサーなんだと思うがそこに繋がった。
ドラマーにお礼を言う・・・返事に
「あなたのプレイはOscarで見たことがあります。素晴らしいドラミングです」
みたいなことが返って来た。
顔の広い重鎮ベーシストも、このドラマーも、そしてこのタカシも、みんな私のドラムを聞いて、そいで私を好きになってこれだけ動いてくれる・・・
ドラムが上手くてよかったぁ・・・(笑)
冗談はさておき、この重鎮プロデューサーと繋がって、念のためにその重鎮ベーシストに
「この人知ってる?」
と聞いた時の反応が面白かった・・・
「よくここまで辿り着きましたねぇ・・・」
きっとそういう立場の人なのだろう、面白いのがこの人はタカシとは話さない。
「本人じゃないと話さないって言ってますよ」
とタカシが困って私にそう言ったが、
中国でもそう、偉い人は相手がトップの人しか話さない。
決定権を持ってない下っ端と話したって埒が明かないことを知っているのだ。
一応Facebookのグループを作ってタカシも傍観させてたのだが、
これがまた例によって遅々として進まない(>_<)
「きっと忙しいのでしょう」
とタカシは言う・・・
そしたら待つ!!
劉備元徳は諸葛孔明を手に入れるためにあばら家に2度行って待ちぼうけをくらってやっと3度目に会ってくれた。
(三国志演義より)
相手のことが絶対に必要だと思ったら待つ!!
それが相手に対する「礼儀」となるのだ・・・
そして連絡が返って来た時にすかさず
「お会い出来ませんか?」
こうして初めて会うことになった場所がなんと外国人用の音楽学校・・・
ここの3階のリハーサルスタジオに機材を持ち込んでレコーディングしようということになったら話が早い!!
「じゃあ次の金曜日に!!」
ついにこの国でレコーディング出来るのか・・・感激もひとしおである。
とにかくスケジュールさえ決まってしまえば録ることは出来るだろう・・・
問題はドラムセット・・・このスタジオのドラムセットをちゃんとチェックしてなかったが、出来ればこのセットを借りたいのう・・・
重鎮ベーシストに連絡してみる・・・
「このドラマーとこのプロデューサーは一緒に仕事してますから大丈夫でしょう」
繋がるのう・・・
しかしみんながこのドラマーと連絡が取れない。
きっとコロナを恐れて田舎に疎開しているのだろう・・・
ということでプロデューサーが別のドラムセットを探して来てくれた!!
念入りにチューニング!!
ドラムの向こうに座っているのはくっくま孤児院の美和さんとソバン先生、そしてくっくまバンドのダビッとティアルッ。
向学のために見学というのもあるのだけれども、実はスティックを持って来てもらったのだ。
こんなに長くここに滞在するとは夢にも思ってなかったのでスティックすらない(>_<)
それぞれのドラム演奏の絵も撮っといてくれということでバンダナもない(>_<)
イオンに買いに行ったけどなかったのよ〜この国でバンダナしてる人なんか見たことないし〜(笑)
というわけで美和さんが持ってるというのでそれも持って来てもらったのだ・・・
プロデューサーが黙々と仕事をする・・・
きっと真面目な性格の人なんだと思う。
このレコーディング、是非とも成功させなければならない。
この日に最高の音でちゃんとレコーディングさえしとけば、
今後中国の仕事はこの国でやってしまうことが出来る。
「カンボジアなんかでちゃんと録れるの?」
と聞かれたら
「布衣のニューアルバム聞いてよ、あれカンボジアで録ったから」
と言えばよい。
その音が最高のものであれば今後もこの国で仕事を受けることが出来るし、
音が悪ければもう2度とここでレコーディングするチャンスはない・・・
ところが問題発覚!!
彼が用意したこの日のシステムでは、ドラムのパンチイン、パンチアウトが出来ないのだ!(◎_◎;)
思わず頭を抱えてしまったが、
よく考えたらこれは「音質」の問題ではない、「プレイ」の問題なのだ。
初めてのレコーディングの時、そう、爆風スランプの初期のアルバムなどはアナログの時代だったのでパンチインなど出来なかった。
今ではデジタル編集が当たり前になり、ドラムを叩きながらどこでパンチインをするかを考える時代・・・
要は最初っから最後まで間違わずに1回でベストテイクを録ればそれでいいのね!!
やってやろうじゃねーか!!・・・とレコーディングが始まったが、
次の問題は暑さ・・・(>_<)
クーラーや扇風機のノイズが入らないように、叩く時はオフにしてもらったのだが、
例えその数分間だとしてもカンボジアでクーラー止めて運動(ドラムを叩く)したら暑い・・・(涙)
こりゃ長くはやってられんぞ・・・ということで、
「テイクを2テイク録ります。その後映像をシューティング。そして次の曲!!」
譜面にはしているが、曲は覚えてないので実際はテイク1は「試し」である。
一応録音はしているが、いろんな試行錯誤はこの時に全部してしまい、
実際にテイク2の時が本チャン、つまり「一発OK」で全曲録り上げてしまおうというものである。
俺なら出来る!!いや、他に選択肢がないんだからやらねばならぬ!!
修羅場に突入!!
バラードはいいのだが、2曲ほど難しい曲があり、
「なんでこんな難しいアレンジしたんやろ」
と悔やんでも仕方ない・・・何とか全曲録り終えた!!\(^o^)/
このプロデューサーの第一印象・・・笑わない人だなぁ・・・
でもこの段階で既に笑顔が溢れてる。
「お前は大したヤツだよ」
そんな笑顔・・・そして一緒に修羅場をくぐり抜けた「連帯感」が生まれている・・・
「後日一緒にメシでも食いませんか?」
中国でもお世話になった人には食事をご馳走する。
これは中国の仕事なのである、ちゃんとその予算は計算してある・・・
この国に最初に来た時に、何か30年前の北京と同じ「匂い」がした。
中国ではコネがないと何も出来ない。
かと言ってひとつだけしか持ってなかったらやっぱり何も出来ない。
ひと昔前、アジアブームの頃、
「私は誰々さんと知り合いなんですよ」
などと言ってた人はみんな撤退して日本に帰ってしまった。
「どこをどう伝って行ってもこの人に繋がる」
ぐらいのコネがなくてはどうしようもないのだ・・・
この国カンボジアで、私は生きてゆける自信がついた。
(レコーディング終了後にシューティングのためOKテイクに合わせてドラムを叩いている絵です)
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2019年12月30日
カンボジアFunkyスタジオ計画
昔は自分のスタジオが北京と八王子にあった。
Funky Studio Beijing
Funkyスタジオ八王子
しかし北京の院子が取り壊しになり、次に引っ越した院子で完全防音のスタジオを作ってみたもののそこも取り壊し(>_<)
家賃も物価もどんどん高くなってしまっている北京、そしてせっかくスタジオを作ってもいつ取り壊されるかわからない開発ラッシュ・・・
防音せずとも「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」という社会ではなくなって来た北京で、スタジオを作るのはもう無理だろうと判断して、今はスタジオがあるのも日本だけになってしまっている・・・
X.Y.Z.→AのNewアルバム「WONDERFUL LIFE」のドラム録りを2日間で終わらせ、そのまま布衣のツアーを周りながら考える・・・
ドラムの叩き直しが来たらどうしよう・・・
北京にスタジオがあった頃はまだいいが、中国でのツアー先からいちいち日本まで飛んで帰るのはあまりにコスト高である。
ところが中国から(北方に行かない限り)東南アジアに飛ぶのは比較的安い・・・
カンボジアにスタジオ作れんかのう・・・
色んな人に色んな相談をするのだが、きっかけはこれ!!
大事なのは、カンボジアはまだ北京のよかった時代、「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」がまだ存在しているところである。
先日もくっくま孤児院で歌を録ろうと思ってたら、近所のご家庭の大音量カラオケがうるさくて録れなかった・・・
(カンボジアでは今、ご家庭に大音量のカラオケを置くのが流行っているようだ)
逆にくっくま孤児院で毎日バンドの音がうるさくても、近所はまあ別に文句は言って来ない・・・そんな社会がまだあるというのは素晴らしい!!
というわけで色々場所を探していたら、いつもライブでお世話になっているHIBACHIの土井さんが新しく出したカラオケ屋の3階が丸々空いているらしい!(◎_◎;)
というわけで、1月に北京のエンジニアである方言(FangYan)にカンボジアまで来て頂いて、まず場所を見て検討してもらおうと考えている・・・
スタジオを作る上には色々考えなければならない問題はあるが、
まず防音の部分は北京でも最初は防音などしてなかったのでそれはまあ置いといて、
1、機材をどうやって北京から送るか
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
3、常駐エンジニアをどうするか
の問題がとりあえずは最優先である。
1、機材をどうやって北京から送るか
については、街中をトゥクトゥクがこんな中国語の看板を掲げて走っているのだから、まあ中国人がこっち来て探せば簡単に方法は見つかるであろう(笑)
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
はちょっと難しい。
だいたいにしてそんな専門機材を売っているところはデカデカと看板を出していはいない。
コネを使って地道にリサーチするしかないのだが、
ここで大きかったのは、こちらでドラムが録音できるスタジオが見つかったことである!!
残念ながらここにはProtoolsで録音できる設備はなく、インターフェイスやマイクプリなどを調達しようと思ったら少々無理がある・・・
しかしこの投稿を見て食いついて来た、私のことが大好きでたまらない(笑)地元のベーシストがドラマーの友達を連れて来てくれた!!
これは何気に大きい!!
このドラマーも自分の家にドラムセットがあり、何とか録音出来るように設備を買い揃えたいと思っているということなので、
「じゃあ中国からエンジニアが来るから色々相談すればいい」
ということで「持ちつ持たれつ」である。
彼ら地元のミュージシャンに、もっとプロ仕様のスタジオを紹介してもらってそこで色々尋ねるのもよかろう。
アジア、と言わず世界中の国々ではまず「助け合い」、そのためには「コネ」が必要である。
「友達がいなければ何もできない」というのは決して中国に限ったことではないのである。
さて、
3、常駐エンジニアをどうするか
については、まだ本人に何も話してないので全くの未知数なのだが、
くっくまバンドのキーボード「ティアルッ」に頼んでみてはどうかと考えている。
彼は来年の11月に高校を卒業するので、もしよかったらそこに「就職」してみないかということである。
もちろんスタジオなんてそう金を生むもんじゃないし、
給料は最低限の額にしてもらい、その代わりこの物件だったらスタジオで住むことは出来る。
居酒屋勝プノンペン店がオープンすれば(笑)、そこで賄いを食べることも出来る!!
そして何より、彼がそこに常駐すればいつでも自由にくっくまバンドのレコーディングが出来るということである。
いやこれは逆にどんどんやってもらわなくては困る!!
方言(FangYan)も最初の頃は、自分は学校でエンジニアリングを勉強しているので非常に自信がある。
しかし私がWyn Davisなどから教わったこと、色んな経験から覚えたことなどと彼の考えとはことごとく衝突する。
北京人特有の「頑固」さに負け、
「じゃあお前の思う通りやってみろよ」
となって、彼は自分のやり方で何日も徹夜してやってみる。
数日後、目を真っ赤に腫らした彼は涙声でこう言うのだ。
「Funky老子、あなたの言う通りでした。このやり方では最終的にいいミックスが出来ません。最初っからやり直します(涙)」
こうやって仕事を覚えてゆく・・・全ては「経験」なのである!!
方言(FangYan)がそうやって試行錯誤しながら何度もやり直して作ったアルバムは、時を超えて後に大ヒットすることになったし、
何よりもそうやって何枚もアルバムを作った布衣は、今では中国で一番多くツアーを廻るバンドとなった。
当然ながらみんな貧乏バンドなわけだから金なんか取れない(笑)
くっくまバンドをはじめ、こちらで新しく出来た音楽仲間が集う場所になったとしても、決してそれでお金が稼げるようになるのは数年、いや10年以上先のことかも知れない・・・
でもその間にエンジニアは育つのである。
当面は私が自分でボタン押して自分で録音すれば良いが、そのうちにFunkyスタジオ北京の方言(FangYan)、Funkyスタジオ八王子の仮谷くんのように、エンジニアとして育ってくれれば言うことないが・・・
それまでワシ・・・生きとるかのう(笑)
まあ彼が卒業するまでまだ1年ある。
口説くのは来年からにして、まず方言(FangYan)の初カンボジアを満喫してもらい、中国人ならではの「コネクション作り」をしてもらおう・・・
早よ来い方言(FangYan)!!
続編はこちら
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2019年9月16日
プノンペンの隣町「タクマウ」
先日のHIBACHIでのライブ・・・
実はギリギリまでベーシストが決まってなかった・・・
かくなる上はと北京からよーしーずを呼ぼうとか、
八王子からお隣さんの仮谷くんを呼ぼうかと画策したが、
結局どちらも丁重にお断りされ(笑)、
しゃーないなぁ〜・・・ベースなしでやりまひょか〜と思ってたら、。
プノンペン在住のJazzギタリスト山内さんがベトナム人のベーシストを連れて来てくれた。
ベトナムの方がいっぱい仕事があるやろうに、
何を好き好んでそこより小さな国に・・・と思ったが、
「外国で仕事をしたかった」
と・・・
ワシみたいなやっちゃ(笑)
ところが昼間ちょこっとリハやって、
どうやら娘さんを学校や塾に送り迎えとかで出て行って、
本番開始時間30分が過ぎても戻って来ん(>_<)
じゃあ当初の予定通りベース抜きで始めまひょか〜
と思ったら30分押しギリギリで戻って来た(笑)
まあ演奏は何でもそつなくこなせる腕を持っていて、
共通言語は英語となるが、なかなかいいミュージシャンシップを築けた夜となった。
そして翌日、彼から山内さんに連絡が来た。
「自分が今晩演奏してる店に来てちょこっと演奏してくれないか」
と・・・
実は彼はその店での仕事が入ってたのだが、
それを断ってまでこちらのライブに来てくれたそうだ。
これはミュージシャンシップとして断るわけにはいかんと二つ返事でOK!!
ところがそこがプノンペンではなく隣町の「タクマウ」という街!(◎_◎;)
遠いけどしゃーないなぁ〜・・・というわけで、
山内さんが経営するJapan Guitar Shopに集合してみんなで隣町へ向かう〜
いや〜雨が降ってたのであまり景色が見えなかったのだが、
これが川沿いの素敵な街で、
何よりもプノンペンと違って中国語の看板がない!!(笑)
国を乗っ取る勢いの中国人もまだここまでは進出してないんやなぁ・・・
きっと昔のプノンペンもこんな感じやったんやろうなぁ・・・というそんな街の中にあるこんなバー!!
ステージもなかなかちゃんとしたものがある・・・
ちなみに中国式の神棚「地主神」があるが、
別にここが中国人経営なわけではない。
呼び出した当の本人のベーシストはまだ来てない。
そりゃそうだ、こちらの仕事に30分遅れる人なんだからそりゃなかなか・・・(笑)
ところがこの店、演奏が始まる頃には満席!(◎_◎;)
何やら地元でちょっと遊ぼうと思ったらこの店しかないらしく、
週末はいつもこのように満席になるらしい・・・!(◎_◎;)
ベーシストからそれぞれのメンバーを紹介されて、
お決まりの乱入セッション!!
ドラムソロを振られたので、この日は足がサンバリズムの手が分離しての鉄板ネタ!!(笑)
いや〜ウケたなぁ・・・
だいたいこの店は何から何までユルい!!
かぶりつきの最前列では客が既に酔いつぶれてるし、
おっさんがどんな曲だろうが踊り狂っとるし、
その席でボーカルの姉ちゃんがステージ降りて飲んでるし(笑)
この夜の便でタイに帰るMIMIさんや、山内さんやボーカリストの奥様もステージに上がってセッション!!
途中、前で踊り狂っていたおっさんがステージに上がって来て、
ドラムんとこ来て何か言ってると思ったら、
「I go back to home!」って・・・知らんがな!!(笑)
初めて寧夏回族自治区の銀川でライブをやった時を思い出した。
ここの客はもちろん音楽の知識などあるわけもなく、
技術的にドラムが上手いの下手だのわかるはずもなく、
演奏が楽しかったら狂喜乱舞する、それだけである。
私は別に芸術家ぶって難しいことを(やってるけど)それを理解する相手のみに向けて演奏しているわけではない。
人様の前に出て演奏しているからにはそれは「パフォーマンス」。
ドラムというその場に座って動けない楽器で、
何も音楽を知らない人を楽しませられるということが出来たということが何よりの幸せである。
また、ここの人が私が何者なのかを知らないというのも私にとっては非常に心地よい。
演奏終わってベーシストにこの店のオーナーのところに連れて行かれて挨拶をしたが、
張張(Zhang Zhang)が覚えたての日本語でよく言う
「オマエナニモノジャ」の乗り(笑)
「旅行者です。この街最高!!この店最高!!また来ます!!」
これだけでいい。
「この人は日本では有名なドラマーなんですよ」
なんてのは全く必要ない。
私は私がここにいてドラムを叩く。
それを見た人がそれぞれどう思うか、だけが私にとって大切なことである。
昔日本のラジオだかテレビだかで、とある日本の「有名ドラマー」が生演奏して、
それを司会者が「日本一のドラマー」として紹介していたが、
いやいや、有名度は日本一かも知れんが、腕は世界に出て通用する腕ではないぞ(笑)
こういう例はそのドラマーだけではなく、あらゆる有名人がその「有名である」というだけにしがみついて生きているのを、私は常に反面教師として生きて来た。
虚栄心でも何でもない。
演奏して客にウケるということは即ち「自分の進むべき道」への確認である。
まだまだ世界一にはほど遠いが、
前を進んでいる憧れのドラマー達の背中が私にははっきり見える。
裸一貫でドラムを叩かないと、そんな進むべき道しるべさえ見えなくなってしまう・・・
Jazzを始めたのだって、
「これが出来たら世界中どこ行っても初対面の人とすぐ演奏出来て楽しいだろうなぁ・・・」
がきっかけである。
「あんなに叩けたら楽しいだろうなぁ・・・」
と思って精進して、実際に叩けるようになったらやっぱり楽しい。
あとはこの「楽しさ」をもっと精進して上に行くのみである。
ベトナムからこのカンボジアにやって来て、
それこそ一度お手合わせしただけのこの名も知らぬドラマーを、
こうして自分の店に呼んで「また一緒に演奏したい」と思ってくれる、
それこそがミュージシャンとして何よりも嬉しいことなのである。
この店、バンドの入る店ではよくある西洋料理の店ではなく、料理はクメール料理!!(◎_◎;)
カンボジア名物の生胡椒を使った料理を食べてもらえたのが良かった。
まあ心残りっつうか、世界中どこ行ってもそうなのだが、
客席の女性客は誰ひとりとしてワシに見向きもせんのな(涙)
狂喜乱舞するのはおっさんばかり(笑)
いいのよいいのよ、おっさんでもおばはんでも誰であろうと自分音楽に感動してくれたらそれで!!
しゃーないなぁ〜・・・(笑)
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2019年6月19日
カンボジアRock!(◎_◎;)
くっくま孤児院のくっくまバンド、前回はオリジナル曲を2曲演奏したが、
今回は私からのリクエストで私が最初に出会ってこの子たちを見初めた曲を演奏してくれと頼んだ。
この曲にやられちゃったのよね〜・・・
音楽を職業なんかにしちゃったら、私なんか音楽を聞く度に「仕事」になっちゃう。
気がつかないうちに頭の中では曲を分析し始めるのよね〜(>_<)
メロディーやコードの組み立て方とかアレンジのやり方とか・・・
ところが時々ぶっ飛ばされちゃって全く仕事ではなく「観客」になってしまうことがある。
それがこの曲・・・
もうね、作り方が変!!(笑)
聞けばこれは元々がカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
それをカンボジアのテクノアーティストかなんかがテクノにアレンジしてYouTubeにアップしてたのをこの子たちが耳コピしてバンドで演奏してるからもうぐちゃぐちゃ(笑)
それが私の「仕事脳」をぐちゃぐちゃにして完全にノックアウトしちゃうのよねぇ・・・
今回のライブで、またライブ会場でをDVD売るべくリハーサルを録画する・・・
この曲は歌ってない部分が多いので
「なんか振りつけて踊らなきゃ」
とボーカルの子に言ってたのだが、次の日はこんな振りをつけて恥ずかしそうに踊っていた。
聞くところによるとこれもカンボジア民族舞踏によくある動きらしい・・・
もうテクノは入るわ伝統舞踊は入るわぐちゃぐちゃ(笑)
いや〜この動きがいいのよ・・・
さて本番!!・・・当日に美和お母さまからメッセージが入る。
「ボーカルのスレイクォイが喉の調子が悪くて泣いてます(涙)」
いやそれもまた「ライブ」!!
中野も一度ステージで突然声が枯れてやっとこさ最後まで歌ったことがあるし、
二井原は実際声が出なくなってライブをキャンセルしたこともある。
一度も声が枯れたことなんかなかった渡辺英樹が全然出なくなったこともあるぐらいである。
まあ全く出なくなるのじゃなければ、声の調子が悪いのもまた「ライブ」である。
リハが始まった・・・
「リハは一生懸命歌わなくてもいいからね」
と言ってたのだが、見てるとやはり一生懸命歌っている。
まあまだ「手を抜く」ということが出来んのね、それはそれでよかろう・・・
ファンキーはんと大村はんのライブ(割愛・・・笑)が終わっていよいよくっくまバンドの登場!!
(リアルタイムにライブ配信してたアーカイブ)
なんか前回よりパワーアップしとる!(◎_◎;)
先生から与えられたオリジナル楽曲ではあるが、だんだん「自分のもの」にしていった感があるのう・・・
オリジナル2曲が終わり、育ての親のソバン先生を交えての最後の曲・・・
ソバン先生は、もともとこの孤児院の母体となった孤児院をやってた人で、
自分の孤児だったのだけれども、この子たちを引き取って、
ないお金を回しながら育てて来た。
それを見たくっくま孤児院の代表者が見るに見かねてくっくま孤児院を作ったというわけだ。
ソバン先生が素晴らしかったのは、孤児たちにカンボジアの伝統舞踊を教え込んだところである。
だからこの子たちはみんな伝統舞踊が踊れる。
踊るための楽器演奏も自分たちで演奏出来る。
そこから派生したのがこの「バンド」である。
そしてソバン先生もギターで参加しての最後の曲!!
それにしてもこの楽曲の破壊力は凄まじい・・・
全ての日本人客はこの楽曲を聞いたことはないのだが、
それでもこの曲は予備知識もない日本人客の心を完全に鷲掴みにしとる・・・
何よりもオリジナル曲も含め、この店のカンボジア従業員が大盛り上がりに盛り上がっていることが物凄い!(◎_◎;)
日本人のほとんどはくっくま孤児院を応援しているわけで、
その「当たり前」の状況を度外視して、全く損得勘定がないカンボジア従業員がこうして大喜びで楽しんでいることこそが何よりの「手ごたえ」ではないのか!!
思わぬアンコールが来た!!・・・やる曲あるのか?・・・
今日やった曲をもう一度やるのかと思ったら、私の知らないカンボジアの曲を演奏し始めた!(◎_◎;)
もうね・・・先生完敗(>_<)
先生が手取り足取り教えて、それをやっと消化してこのステージに立っているわけではない!!
この子たちは自分たちだけで既にここまで来ているのだ!!
そしてこの先生さえも貪欲に飲み込んで更に大きくなってゆく・・・
この曲もカンボジアの古い曲だろう。
タイのルークトゥンと同じように、楽しいリズムに乗っけて、泥臭い生活感を歌っているのだと思う。
この国の不条理を全て背負って、拳を挙げながら戦ってゆくだけが「Rock」ではない。
全カンボジア人、いや世界中の人々を巻き込んで、
こうやって明るく楽しくのし上がってゆくのもまた「Rock」である。
くっくまバンド・・・実はとてつもない「ロックバンド」に育っていってるのかも知れない・・・
そんなことを感じた今日のライブであった・・・
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2019年6月 3日
ボーカルレコーディング@くっくま孤児院
くっくま孤児院に古いMacBook Airとインターフェイスやマイクなども置いて来て、バンドのメンバーが自分たちでボーカルレコーディングが出来るようにしている。
エンジニアはキーボードのティアルッ君。
キーボードプレイヤーの仕事というのは今やパソコンを使える人というご時世なので、「覚えておいて損はないよ」とばかり彼に色々と基本的なことを教えておいた。
「自分たちで録音してデータを送ってね」
ということで最初にデータが送られて来たのだが、
まあ最初なので仕方がないが色々不備があるのでまた指示をして送り返す。
これを数度やり取りしていると、ティアルッ君のスキルがどんどん上がり、歌録りの音質自体は今やもう何も問題がない。
ボーカルのスレイクォイのレベルも元々高いのではあるが、
ここにひとつの欠点を発見!!
まあここのみんなは音楽教育を受けたことがないので当然なのだが、
「ソルフェージュ能力」というか、
新しく与えたメロディーを把握する能力とか、一度間違って覚えてしまったら直せないところがあるようだ。
それだったらというわけでタイでボイストレーナーをやっているMIMIさんに声をかけてカンボジアまで来てもらった。
まずは発声法!!
これ歌の基本だそうで、「お腹から声を出す」!!
せっかくなのでバンドのメンバーや他の子供たちにもみんなに指導してもらいました。
そしていわゆる「ソルフェージュ」の基本!!
音を聞いてそれが何の音かがわかるようにする訓練をゲーム形式でやってみました。
ずっと昔に「笑っていいとも」のゲームコーナーで、お笑い相手に同じようなゲームをやっていて、ゲストの森口博子は全部一瞬で答えるのに、お笑いの人たちは「何でわかるの??!」とびっくり。
森口博子が逆に「何でわかんないの??!」とびっくり!!(笑)
確か小学校の音楽の聴音のテストでも同じようなのがあったのを覚えているが、
私は小さい頃ピアノをやってたせいか労せずして全部わかったが、
同級生が全くわからないのを不思議に思ったことを覚えている。
「才能」でも何でもない。
要は訓練!!平ったく言えば「慣れ」である。
コツがあって、「これはドの音です」の時に、頭の中に「ドレミファソラシド」を思い浮かべて、出題された音がその頭の中で鳴っている音のどれに当たるかを考えればそれで良い。
もし鍵盤を弾きながら「これかな」とか探してゆけば誰にでも出来ることで、
「要は頭の中で鍵盤を弾く」みたいなもんで、
これが出来ればメロディーを覚えるのも楽だし、
メロディーが違っていいれば頭の中で瞬時に違っていることを認識出来る。
初日はとりあえずここまで。
次の日はMIMI先生はボーカルのスレイクォイの個人レッスン。
私はヒマなので(笑)ドラムのダビッにドラムのいい練習方法を伝授した。
この練習はリズムのウラ拍を意識する為に非常に有効な方法で、
メトロノームを表で聞くと、どうしてもそれに合わせてリズムを「置いて」ゆくようになってしまうが、ウラで聞くとこちらがずれると容赦無く置いてかれるので非常にシビアなリズム練習となる。
いや初めてでこの速度でやれるようになるっつうのはなかなか大したもん!!
さてやるだけやったら最後に大目的のボーカルレコーディング!!
エンジニアのティアルッ君は私の知らないショートカットキーとかも駆使しながらなかなかのもの。
この曲のBメロの一部分、ボーカルラインを間違えて覚えているのでそれをやり直しているうちにトラブル発生!!
何度かやり直してるうちに、突然ボーカルのスレイクォイから何の反応もなくなったと思ったら・・・泣いているのだ!(◎_◎;)
よほど悔しかったのだろう。
泣いていることすら知られたくないという感じで両手で顔を押さえて泣いていた・・・(写真自粛)
水を打ったように沈黙が広がる・・・
私はメンバーの様子をまず観察した。
3人のメンバーは誰も言葉を発しない。
一緒にこの孤児院で暮らして来た「家族」である。
誰よりもスレイクォイのことを知ってるのだろう。
「こんな時こいつは何も言わずにほっとくのが一番なんだ」
と言わんばかりに「無言の暖かさ」で彼女を包み込んでいる・・・
5分だろうか10分だろうか・・・
かなり長い沈黙を破って彼女が口を開いた。
「大丈夫です。歌います!!」
彼女は逃げることなく、甘えることなく、自分で乗り越えた!!
これだからレコーディングをやると格段にレベルがアップする。
この修羅場を乗り越えた者だけが「次」に行けるのである。
かく言う私も爆風スランプの1枚目のアルバムをレコーディングする時に、
叩けなくてこっそりトイレに行って泣いた・・・
当時はアナログレコーディングなので、ドラムのパンチインパンチアウトなどがまだ出来なかったので尚更である。
ドラムが間違えたら全員最初からやり直し。
最初から最後まで間違えずに叩けて、そのレベルが自分や他が納得するものであって初めて他の楽器の録音が出来るのである。
今やもうデジタルの時代になって、ドラムであろうがどんなに細かいパンチインパンチアウトが出来るようになっても、この「経験」によって今の私がある。
「これぐらいパンチインパンチアウトなしで最初っから最後まで叩ける」
という「自信」が今の中国でのステジオミュージシャンの仕事をする上での何よりの「ルーツ」となっているのである。
人生においても、今後どんな困難があっても、
逃げることなく、甘えることなく、こうやって全て自分の力で乗り越えていって欲しい・・・
見ればMIMIさんが隣で涙目になっている(笑)
このまま録音して全て終了!!・・・と思ったら、
歌いすぎてスレイクォイの声が枯れて来ているので翌日に持ち越し!!
翌日も声は回復してなかったので、
前日のボイストレーニングで一番声が変わったベースのスレイレアッにコーラスを歌ってもらう。
そのレコーディング風景を見ているスレイクォイにも、
自分が歌っている時と違った目線でレコーディングを見ることが出来る。
「ああこういうことなのか・・・」
ということがわかったんじゃないかな・・・
頑張れみんな!!
こうやって自分の力で乗り越えてゆくことを、おじさんは「ロック」と呼んでいるんだよ。
こうやって自分の人生も「ロックの精神」で乗り越えていって欲しい・・・
カンボジア希望の星プロジェクトについてはこちら
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カンボジア希望の星プロジェクトまとめ
<<くっくまバンドとの出会い>>
2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。
日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。
別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。
プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。
その時のブログ記事:希望の星になれ!!
カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時、ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。
結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。
この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。
当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。
ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。
その流れの中に「バンド」があった!!
この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。
音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。
楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。
ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。
この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。
ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎
これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・
<<希望の星になれ!!>>
この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。
これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
<<その後の活動>>
私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。
まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。
ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!
翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。
ブログ記事:支援は人のためにあらず
それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。
最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。
もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。
そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・
そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。
ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」
ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。
こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!
この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。
私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。
ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)
私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。
全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。
返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。
歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。
詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・
ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・
これが私の頭をよぎった「想像」である。
こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・
数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。
でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。
この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・
それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。
そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・
真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)
ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・
しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・
<<オリジナル曲作り>>
作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。
私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。
とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!
元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。
それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。
ブログ記事:くっくまバンド新曲
これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・
2019年6月9日のリハーサル
2019年6月9日のライブ
そして2019年6月18日のライブ
<<仲違い>>
2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・
「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」
小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。
歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。
バンドあるある(笑)・・・
要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。
美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。
でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。
ブログ記事:くっくまバンド初ライブ
考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・
私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。
力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!
<<DTM>>
ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。
ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。
だが困ったのはキーボードである。
「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。
プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。
ブログ記事:キーボードという「楽器」
ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。
そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。
くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。
ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・
いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)
自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。
ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)
最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・
さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。
もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。
今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。
これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。
この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。
2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。
<<結婚式での演奏>>
カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。
この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。
日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。
毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・
私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。
大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。
日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。
しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。
これを私は大きな「出口」だと感じた。
くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。
その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。
人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。
そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。
将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・
だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。
毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。
頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!
<<その後>>
ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング
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2018年12月22日
クメール語版「中国のマドンナ」
このアルバムに収録される「中国のマドンナ」という曲(DEMO音源21:40から、ライブ音源20:25から)は、他の国のバージョンでは「別にシチュエーションは黄河のほとりとか中国でなくてもいいよ」と言っている。
カンボジアのくっくま孤児院に着いて、車座になって「どんなシチュエーションにする?」と話し合った。
まずは「君たちがね、将来好きな人が出来て、結婚して住むとしたらどんなところがいい?」と聞くところから始まる・・・
バンドの4人の意見はだいたい同じだったようで、やはりそこはプノンペンのような都会ではなく、小さな田舎の村だったようだ。
「川のそばの小さな村の中の小さな家」というのがこの曲のテーマである。
みんなどんな村を想像してこの詞を書いたのだろう・・・興味津々である。
実際にそのイメージを詞にするのは主にボーカルの子。他の3人は意見を言ってこの子が詞にまとめる。またこの子がちょっと言葉探しなど迷った時にはみんなに意見を聞いているようだ・・・
作詞ちう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
座って書いてたのだが、だんだん熱が入って寝そべって来る・・・(笑)
出来たら歌ってみる。
ここからはボーカルだけの作業で、他の3人は心の中で声援するのみ・・・
ここでワンコーラスだけだが一応最初のバージョンが完成するのだが、「詞を直したい」というので、残りは翌日に持ち込んでこの日は終了!!
このような前向きな意見が出るということは素晴らしいことである。詞のレベルが上がるだけではなく、詞にどんどん思い入れが詰まってくる。
終了後は孤児院のみんなと一緒に差し入れのスキヤキをみんなで食べる〜・・・ちなみに生卵はイオンプノンペン店で生食用のを買って来ました。牛肉は一応25人分買って来たつもりだが、英語塾に行っている8人の分もほぼ全部食べちゃった・・・(笑)
さて翌日に子供たちが学校から帰る頃を見計らって行ってみたら、うろ覚えだったメロディーも完璧に覚えていて、詞の直しも終わっていた。
つるっとレコーディングして2番を作っておしまい!!
演奏するのは簡単な曲なので、イントロとかをバンド用に作ってあげて簡単なバンドアレンジをしてあげる。
なぜかと言うと、この子たちは先日も結婚式に呼ばれて演奏するという「仕事」に行って来た。
カンボジアでは結婚式は延々4時間とかずーっと演奏しなければならないらしく、これはバンドとしては「出口」があるなと考えてのことである。
日本のバンドから「僕たちデビューしたいんですけどどうやったらデビュー出来ますか?」と聞かれることがあるが、こっちが聞きたい!!(笑)
日本はひと握りのレコード会社と音楽プロダクションが全てを牛耳っていて、そこに辿り着かないとあとはインディーズしかない。
インディーズも、ライブハウスは基本自分で客を呼ばねばならない訳で、ここから顧客が広がってゆくということは夢のまた夢である。
カンボジアの音楽界もきっと一部のトップの人たちだけで回っているのだろうけど、見知らぬ大勢の人の前で演奏出来るチャンスが多いということは、彼らのように「何も持たない」人たちにとっては大きな「出口」だなと思ってのことである。
4時間も演奏するのだから、このようなオリジナル曲を演奏したっていいだろうし、この曲の設定の村を新郎新婦の村に変えるだけで、新郎新婦への大きなプレゼントになる・・・
彼らは孤児なので当然音楽教育など受けたことはなく、見様見真似で楽器を弾いているだけと言うが、なかなかどうして飲み込みも早く、一瞬でバンドバージョンが出来上がった。
さて前日の歌入れの時にも思っていたのだが、もともとこのオケがあって、それに合わせて歌っているだけなので仕方がないのだが、この子にとってはこの曲のキーはちょっと低いようだ・・・
ちゃんとキー合わせをしてみる。
もともとCのキーなのだが、Dぐらいまで上げてあげるのがよさそうだ・・・
というわけで、バンドのみんなにはこれは「宿題」。さっき演奏したものをDのキーで出来るようにして、間奏も自分でいいメロディーを考えて完成させて下さい〜
それにしてもこのボーカルの子はずーっとリーダーシップを発揮していて、さすが「歌手になりたい」という夢を持っているだけのことはある・・・
彼女から送られて来たお手紙
オケのキーを機械で強引に変えて彼女にもう一度歌ってもらった。
もうメロディーもちゃんと頭に入っているのでつるっと2回歌ってもうOK!!
ホテルに帰ってデータを編集して簡単なMTVにしてあげた。
これを作りながら何故か彼女の歌と可愛らしさに涙が出て来た・・・
いや、本当に「歌手になる」どころか、ヘタしたら「カンボジアで一番のスター」になれるかも知れんぞ・・・(ブログ「希望の星になれ」)
この子たちははたしてどんな村のどんな小さな家を思い浮かべて詞を書いたのだろう・・・
そして将来はどんな伴侶を見つけてその描いたような生活をするのだろう・・・
この子たちがこの日に思い描いた通りに、幸せな人生を歩んで欲しいと心からそう願う。
この曲はオケは既に完成。クメール語版の本チャン歌入れは来年、そして日本語版の歌は年末に入れる予定です。
仕上がりをお楽しみに!!
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2018年11月 2日
支援は人のためにあらず
いや、このプロジェクトへの支援のことじゃないですよ(笑)
カンボジアくっくま孤児院の子ども達が訳詞作業に入ったようでメッセージが届きました〜
私はちょうど早起きしてこのオーケストラアレンジを詰めていたのですが、
「もうこれで完成かな」
と思っていたのを思い直して、最後にもうひと盛り上がりストリングスを駆け上がらせることにしたのです。
この作業はとても大変で、既に木管楽器も金管楽器もそれに緻密に絡んで作り上げているので、
ストリングスを変更するとそれも全部変更せねばならない・・・
でもね、彼らのメッセージを見て、「しんどいからって諦めちゃいけない」と思った。
まだ出来ることがあるんだったらしんどくたってやってしまおう・・・
それがね、しんどいのに無理やりっつうんじゃなく、
本当に爽やかに、「よっしゃ〜!!ほなやりますか!!」みたいに思えてくる・・・
孤児院のプロジェクトムービーの中にこんな言葉があるのです。
子ども達の家庭環境はさまざまですが
そんな事を感じさせないキラキラの笑顔は
私たち日本人が忘れかけていた
大切な何かを思い出させてくれます
そして元気をくれます!
これを見た時に、私は最初に中国ロックのために身を捧げた事を思い出しました。
天安門事件の翌年、中国共産党の締め付けの厳しい時代に地下活動としてロックをやっている若者を見て、何かをやってあげたいと思って・・・
まあそのせいで爆風スランプも活動休止に追い込まれ、結果日本の色んなものを捨てて中国に渡って来たわけですが、
時々中国のロック関係者や熱烈なロックファンから、
「Funkyさん、あなたがしてくれた中国ロックのための多大な援助に心から感謝します」
と言われることがあるが、いつもこの言葉に違和感を感じていたのです・・・
「私は中国ロックから教わったことが多い。むしろ私こそ中国ロックに感謝しています」
いつもそう答えるのですが、今回ちょっとこんな考えが脳裏をかすめました。
私がもし中国ロックと出会わなかったらどうなってただろう・・・
爆風スランプはそのまま活動を続け、ひょっとしたらRunnnerやリゾ・ラバに続くヒット曲もどんどん生み出すことも出来て、私はもっともっとお金持ちになって、その金で中国でロックをやってた?・・・
歴史に「もしも」はないのでこればかりはわかりませんが、
私は、あの時に中国ロックと出会ったことにより、「ロックとは何か」を追求する道に入ったということだと思うのです。
それは別に爆風スランプをやりながらでも追求出来ることなのかも知れないけど、
私は中国ロックにその道しるべを教えてもらって、その道しるべと共に行きたかったのだと思うのです。
まあこればかりは今も道半ばで、一生追求し続けることなのだと思いますが、
中国で「ロックとは何か」という議論になると、決まって最後には
「Funkyを見てみろよ。あれがロックだよ」
と言って議論が終わって笑顔で乾杯になったりします(笑)
そんな時にいつも身が引き締まるような思いがするのです。
この道の後ろをついて来る若者がいっぱいいる・・・
だから気を抜けない!!どんな小さなコンサートでも最高の演奏をする!!
そう思うと別にしんどいこともしんどくないのです・・・
くっくま孤児院の子ども達を支援している数多くの方々も、
きっとこの子たちから「何かをもらっている」と感じていると思います。
支援は人のためにあらず・・・
かく言う私も孤児院を訪ねた時に少額ですが支援金を置いて来ました。
「ありがとう御座います」とスタッフに深々と頭を下げられてどうもむず痒い・・・
「いやいや、川沿いのビヤバーでお姉ちゃん侍らせてベロンベロンになるまで飲んだらもっと取られるんですから(笑)」
そう、お姉ちゃんに巻き上げられるぐらいだったら、ここにお金を落とした方がもっともっと「楽しい」よ。
その日は、いやそれからもずーっと私は楽しい思いをしている・・・
この、日本の音楽ビジネスの狭間で捨てられてしまったこのアルバムが、
こうして時を超えて海を超えて、この子ども達の未来に何かを残してくれるならこんなに楽しいことはない。
色んなことが「楽しみ」に変わる。
だから数多くの日本の方々がこの子たちに支援をしているんじゃないかな・・・
よかったら皆さんもこの子たちを支援してみては如何ですか・・・こちら
米米マンなんて面白そう・・・(笑)
正月は勝山連れてカンボジアまでおせちの炊き出しに行こうかな・・・
そして、この「ある愛の唄プロジェクト」も皆さまから支援を受けて初めている事を改めて肝に命じ、頂いた支援よりも大きなものを返せるように頑張ろうと心を新たにしている今日のこの素晴らしい朝です。
ひとつのビデオメッセージが「幸せ」を運んで来てくれました。
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2018年10月26日
クメール語バージョン制作開始!!
このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!
日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。
日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。
私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。
実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。
ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。
何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。
サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・
だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)
うって変わって二井原実。
X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。
私の場合は考え方が二井原に近い。
いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。
例えばこのアルバムの歌詞で言うと、
M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ
とか
M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ
とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。
(このアルバムのDEMOフルバージョン)
歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。
いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。
「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。
M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。
要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。
この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。
ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・
このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。
でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・
そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・
そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・
数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。
私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?
私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・
異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。
彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。
20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)
そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。
だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。
年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。
そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・
そうなって欲しい。
まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・
この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事)
まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。
一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。
上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。
そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!
このバンド
そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!
その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。
私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)
このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。
共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。
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2018年8月30日
希望の星になれ!!
「縁」というのはそもそもがこのようなものなのかも知れない・・・
この商売、「休みを取る」という感覚がない。
スケジュールがぽっかり空く時、それが「休み」である。
最近は北京でいる時よりも中国のどっかの地方都市でいる時の方が多いので、
その最後のスケジュールが終わってその後にスケジュールが入ってなかったりしたら、
「ムズムズ・・・どっか南の国に行こうかな・・・」
などと考え始める・・・
いや別に日本に帰ったっていいのだが、
往々にして日本への航空チケットは高い(>_<)
というわけでいつもその時々で一番チケットが安いアジア諸国を探すのだが、
それが今回はたまたまカンボジア!!
何と上海から往復で3万円ぐらいで来れたのだ\(^o^)/
プノンペンに着いて真っ先に前回ドラムを叩いたバーに行ってみたのだが、
なんと白人がカントリーを歌う店になっててがっかり(>_<)
他に生演奏をしてるバーはないかと探したが、
この日は月曜日なのでライブは休み(>_<)
しゃーないなぁ・・・と、ふと考える・・・私は一体何をしたいのだろう・・・
前回はドラムを叩いて楽しかった。(映像)
まあ「休み」なのに「仕事」であるドラムを叩くのも変な話だが、
「趣味」でもあるのだからそれは仕方がない・・・
まあドラムが無理なら、カンボジアにデスメタルのバンドがあるみたいなのでそれを探してもみたかった。
ポルポトの大虐殺の子孫がどんなデスメタルをやっているか興味があったのだが・・・
まあそんなこんなで初日は何の収穫もなく、ホテルのプールサイドでぼーっとしてたのだが、
何やらタイムラインに色んな人から書き込みが・・・
「プノンペンで日本人が運営している「くっくま孤児院」のお子さん達が「くっくまバンド」というのを組んで一生懸命練習しています(^^)機会がありましたらぜひ」
まあええよ、ヒマやし(笑)・・・そしてこれこそが「縁」だったのである。
何の期待もなく、ただヒマであるからということで向かったこの孤児院、
まあ一応ドラムセットはあるだろうということで、「ひとりドラム」が叩けるような準備だけはして行った。
まあどこでどんな状況で叩こうがやることは一緒なのでそれはまあいい。
問題はその後に彼ら達の演奏を聞かせてもらってびっくりした。
!(◎_◎;)・・・いい!!この音楽、むっちゃいい!!
聞けば彼らは当然ながら孤児なので音楽教育を受けたこともなく、
耳コピで見よう見まねで弾いているだけだそうなのだが、
この演奏が私の心を鷲掴みにした。
思えば1990年に初めて北京に行った時、地下クラブで偶然見た黒豹のライブ、
当時の稚拙な彼らの演奏から口ではうまく説明出来ない「何か」を感じて、
そしてその後の自分の人生が全く変わってしまって今も私は中国でいる。
同じような「何か」をこの演奏から感じ取った。
黒豹はその後中国ロック界の重鎮となったわけだが、
この子達にも「何か」を感じる・・・
実はこの子達とはまた別の小さな縁があった。
秋に日本語の歌を歌うイベントがあるらしく、
この子達が今練習している曲が偶然にも「Runner」。
この子達が歌ってくれる「Runner」を聞きながら不思議に思う、
「こんなこともあるんだなぁ・・・」
たまたま慰問に来た人間が、たまたまその時に練習してる曲の作曲者だっただなんて・・・
園長さんはこの曲を作ったのが私だということは知らなかったので、
「実はこれ・・・私が作曲したんです・・・」
と言ったら、子供達が私にこう言った。
「すごーい!!(◎_◎;)作曲ってどうやってやるんですか?!!」
その時に私は心に決めたのだ。
「俺が何でも教えてやる!!」
北朝鮮で「ロック」を教えて来た人間である。
カンボジアでこの子たちに何を教えるなんて私にとってはしごく簡単なことである。
Facebookの私の投稿を見て、ある人がこう書き込んだ。
「いよいよカンボジア編スタートですね*\(^o^)/*」
「北朝鮮プロジェクトに続いて」という意味なのだろう。
私はこう返信した。
「北朝鮮に比べたらはるかに障害は少ないですよ(笑)」
映像に立派な演奏機材が映ってるのを見て、後々
「なんだ、この子達は恵まれてるじゃないか。他にもっと大変な孤児院はいっぱいあるのに」
などと言う人が現れるかも知れないので先に言っておこう。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!(キッパリ)
そもそもが、この子達に小さい頃から伝統舞踊を教えたこの孤児院の創設者が素晴らしいのだ。
「貧しい人に食べ物を与えるのが援助じゃない。釣竿を与えて釣り方を教えて、その人達が自分の力で食って行けるようにすることが大切なんだ」
と言った人がいたが、その通り、この子達は実際に伝統舞踊を踊ったりして収入を得ている。
まだまだ日本などからの支援の額には及ばないが、
それでも「自分で食ってゆく」何らかの「技術」があることは素晴らしい!!
他にも困っている孤児院はいっぱいあることも事実だろう。
でも私は「たまたま」この子達と知り合った。
だからこの子達を先に援助する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
北朝鮮ロックプロジェクトが始まって最初に平壌に行った時、6月4日高等中学校軽音楽部の女の子達と初めて会って私はこう思った。
彼女たちの笑顔こそが「ロック」なんだ・・・
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
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2017年12月 4日
寒さ恐れてアジア周遊5「プノンペン」
初めて訪れるカンボジア、このチャンスを作ってくれたのはホーチミン在住のベーシスト、レオさん(この記事にあるこの写真の人)。
レオさんは陸路でホーチミンから、私は空路でバンコクから向かうのだが、
チケットを押さえるのは中国のアプリなのでカンボジアもプノンペンも中国語でどう言うのかわからん(>_<)
カンボジア:柬埔寨(Jian3Pu3Zhai4)
プノンペン:金边(Jin1Bian1)
・・・って全然違うやん!!!(>_<)
まあ今後も行くこともあるだろうからちゃんと覚えとこう・・・
というわけで入国!!
VISAは必要だが、着いたら空港でアライバルVISAを発行してくれるらしく、
ちょっと待たされたが問題なく入国!!
でも困るのよねぇ・・・パスポート増補してもう残り少ないページに毎回デカデカと1ページに渡ってスタンプ押されるの・・・(>_<)
陸路より断然早く着くので、日式ホテルの露天風呂で時間潰してたらこの現地駐在の日本人と会う。
・・・そして色々と現地の話を聞いた。
「治安は悪いですよ。銃は禁止されてますが政府が躍起になっても一掃できません。
友人もホールドアップされて血だらけにされましたから・・・」
でもそうなった原因はここにある!!
もうね、文化大革命を知らずに中国を語れないのと同じように、
カンボジアを語るにはこのポルポトの大虐殺を避けては通れない。
「むっちゃ気分は落ち込みますけど見に行っといた方がいいですよ」
と言って勧められて行ったキリングフィールドというその虐殺の場所(のひとつ)・・・
帰りはほんまに落ち込んだ・・・
帰りは誰しもがあまりのやるせなさにへこみます。 でもカンボジアを知るにはここを避けて通るわけにはいかない!! しゃーないなぁ〜・・・・・ https://www.facebook.com/FunkySueyoshi/posts/10155535868479900 - Spherical Image - RICOH THETA
なにせ人口の4分の1を殺したんですから・・・
他にも餓死した人もいるだろうから人口の半分がこの人のせいで死んだんですよ・・・
そこから立ち直ろうと今もカンボジアは一生懸命頑張ってる、
そして銃を持って悪いことしている人もいれば、
その激動の時代を乗り越えて健気に頑張ってる人民もいる・・・
幸い私が出会った現地の人はみんないい人ばかりで、
初めて行ったこの国が私は大好きになってしまったのでした・・・
まず人民たちが笑顔!!
居酒屋勝がある次の国ミャンマーに行こうと思ってたら何故かカンボジアのプノンペン!! 自国通貨よりドルが流通してるらしくATMで引き出してもドルが出て来る!(◎_◎;) ローカルな食堂でヌードル食ってドルで払ってお釣りは現地通貨・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
なるだけローカルなレストランに入ったのですが、
みんな笑顔で英語で話しかけて来て、
北京のキレイだけど怖いウェイトレスさんに慣れてる私にはそれだけでもうメロメロなのですよ(笑)
人民の結婚式に遭遇!!
こうやってテントを建てて三日三晩続いたりするんですと!(◎_◎;)
ホテルの近所でずーっと生演奏の音が聞こえて来るので行ってみたら・・・
なにやらチャリティーだと思うけど土日の朝から晩までずーっと演奏してるのな!(◎_◎;)
聞くところによると、チャリティーイベントは盛んらしく、
こんな歩いてる人が少ない道路沿いでもわざわざ車を停めて募金に来るのだとか・・・
苦難の時代があったからこそ助け合いの精神は人民に根付いているという話である.
夜は歓楽街に出て行って・・・
プノンペンの歓楽街なう〜 ここにライブハウスがあるらしい・・・ ドラムでも叩けたらちっとは世界を平和に出来るかな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
そこでドラムをぶっ叩く!!
ライブハウスというよりは生演奏の入ってるガールズバーみたいですが叩きますよ〜!!! 世界平和のために!!! - Spherical Image - RICOH THETA
ベトナムの田舎町ダナンにも箱バンの入ったライブハウスみたいなところはあったけど、
まあドラムは叩いたけど、レパートリーが新しいナンバーが多くでセッション曲選びが大変やった。
でもここプノンペンのこの店は、レパートリーがほぼクラシックロック!!!(◎_◎;)
どうしてかなぁ・・・と思ったんだけど、客層が歳とった欧米人が多いのな・・・
こちらに暮らしてる欧米人も多いらしく、そういう人たちに向けて選曲するからそういうナンバーになるのかも・・・
結局次の日もこの店に行ってドラムを叩かセてもらい、この繁華街も大好きになったのでした・・・
翌日もこの店に行って地元バンドとセッション!!
AC/DCなんてダナンの店ではレパートリーにも入ってなかったぞ(笑)
次の日の朝には北京に帰らねばならない・・・
私はこのバンドのメンバーにグーグル翻訳でこんなメッセージを伝えたのでした。
カンボジアの言葉、クメール語・・・難しいな(>_<)
好きになった国の言葉は頑張って勉強してみようと思うんだけど、
同じ苦労して覚えても人口1500万人にしか通じんって・・・少なっ!(◎_◎;)
まあこのライブハウスではとりあえず英語が通じるから英語から頑張ろ・・・
昼間のライブハウス前にて・・・
ライブをブッキングしてくれたコータローくん、ゆうじくん、あおいちゃん、
現地人にしか見えないけど日本人です(笑)
セントラルマーケットのローカルフード!!
セントラルマーケット内で見つけた超ローカルフード!! ホルモン串を茹でては持って来て食べた分だけ串の数で清算!!ビールが進む・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
ナイトマーケットで打ち上げ!!
ひとりドラムinプノンペン終了!!近所のナイトマーケットで打ち上げなう〜 なんとここでは広場に椅子とテーブルではなくゴザを敷いてそこで飲み食いするのな!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
皆さん色々お世話になりました〜
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2017年11月29日
寒さ恐れてアジア周遊2「ホーチミン」
さて帰りのチケットもダナンで捨ててしまったことだし、次はどこへ行こうか・・・
誰も知り合いがいないところだとつまらないので「知り合いのいる国」、
つまり北朝鮮を含め「案内人」がいる街を目指すのぢゃ!!
というわけでタイ!!
ここには元Jazz屋北京のスタッフだったやんず嬢がいる。
そして何よりチケット代が安い!!
この辺の東南アジア各国って数千円で行ったり来たり出来るのな!(◎_◎;)
激安チケットで乗り換え便となるので、ハノイ乗り換えかホーチミン乗り換え・・・
ハノイには知り合いおらんがホーチミンなら2年前にライブやった時にいっぱい知り合いが出来たではないか!!
それに聞くところによると被告勝山の店「居酒屋勝」がホーチミンにオープンしたそうではないか!!
勝山曰く
「末吉さんは家族なので全世界の居酒屋勝ではお金要りませんので好きなだけ飲み食いして下さい」
\(^o^)/
というわけでホーチミン経由のバンコク行きのチケットを押さえる!!
17時に着いて、21時35分のフライトだから2時間前に戻って来るとしても2時間半あるからまあ居酒屋勝で1時間半は飲めるぞ!!・・・
というわけでダナンの案内人ザキヤマさんに別れを告げて搭乗!!
・・・そしたら飛行機は遅れるわ荷物は出て来んわ・・・
結局タクシー飛び乗ったのは18時(>_<)
そして運転手はそのまま道を間違えて直進、居酒屋勝を通り越してしまったのだ(>_<)
もうね、ワシはキレた!!
運転手にキレたのではない、こんな南の国まで来て分刻みで移動している自分にキレたのだ!!
もう泊まるし〜帰りのチケット捨てるし〜(涙)
・・・というわけで腰を据えて飲む!!!
ホーチミン居酒屋勝なう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
ホーチミンの居酒屋勝を仕切っている日本人は村田さん!!
初対面だと思ってたら一度新宿で会ったことがあるとか・・・
異国の地でご苦労様です!!これからもホーチミン在住の日本人のために美味しい料理を提供してあげて下さい〜
ベトナムホーチミンの居酒屋勝に着いた〜\(^o^)/ 店長の村田さん初対面かと思ったら一度新宿で会ってたとか<(_ _)> オーナーの勝山さんから「末吉さんは家族なんで全世界の居酒屋勝チェーンでは一切お金払う必要ありません」と言われてますのでよろしくお願い致します〜(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
さて一晩ゆっくり出来るので飲みに繰り出す!!
前回来た時にはひたすら「ローカルな場所」ばかりをリクエストしてたので、今回は日本人の集まるこの辺を探索してみたら・・・
居酒屋勝を出て日本人飲屋街を探索ちう〜 バンコクのパッポン通りが英語圏なのに対して日本語だけでこの規模の日本人飲屋街があるのは凄い!(◎_◎;) ホーチミン在住の2万人の日本人は全てここに集まってるとか・・・蘇州みたいやな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
なんと巨大な日本人街があるではないか!!
バンコクのパッポン通りが英語圏なのに対して日本語だけでこの規模の日本人歓楽街があるのは凄いぞ!(◎_◎;)
ホーチミン在住の日本人は2万人というから上海なんかに比べたら格段に少ないが、上海の日本人街がいろんな場所に点在しているのに対して、この街ではこの一角に集中しているのであろう・・・
女の子のつくところは色々めんどくさいし、何よりも金がない(笑)ので、早々に退散してアイリッシュバーで一杯飲んで今晩のヤサへ〜・・・
地元の日本人が焼き鳥屋の2階で住んでるというところでその焼き鳥屋に泊めてもらうことになった・・・Wi-Fiもあるし十分ここで住めるぞ!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
なんと今回ホーチミンの「案内人」となってくれた内田くんは焼き鳥屋の2階で暮らしてるということで、その宴会場で泊まらせてくれることになった。
貧乏バックパッカーにとっては宿代が節約になって助かるぞ!!\(^o^)/
今後はホーチミンに足を運ぶことが多くなる予感・・・(笑)
翌日はチャイナタウンでメシを食い、
ベンタイン市場でお買い物!!
ベンタイン市場なう〜 ダナンに比べたら圧倒的に品揃え豊かやけどやっぱ高いな(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
そして新しく買い直したチケットでタイに飛ぶ・・・のだが・・・
実は昨日の飲み会で心惹かれる誘いがあったのよねぇ・・・
「ファンキーさん、カンボジア行きませんか?プノンペンはホーチミンからバスで6時間ですよ」
バスで6時間!(◎_◎;)・・・中国人の感覚では「目と鼻の先」ではないか!!
タイに行ってからまたホーチミンに戻って来てカンボジアに行くか、
もしくはタイから直接カンボジアに飛ぶか・・・うーむ・・・
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2017年11月26日
プノンペンで心のスキマ埋められる・・・
どういう流れでカンボジアまで来たかということはまた別のブログ記事に書くとして、
私はタイから朝一番の空路で、私を誘ってくれたホーチミンのレオさんは陸路で向かい、
プノンペン市内の日式ホテル「東屋」で合流ということになっていた。
レオさんはバスで6時間かけて向かっているということで、
それまで屋上の露天風呂にでも浸かりながら待とうということになった。
貸切状態でこんな感じ・・・
ところがここにひとりの日本人が入って来た。
(まあ「国籍」を確認したわけではないが、このホテルを利用するんだから勝手に「日本人」と思っただけなのだが・・・)
サウナで汗を流しながら色んな現地情報を聞いていたのだが、
「じゃあビールでも飲みますか!!」
ということになって、カンボジアビールで乾杯!!
ホーチミン在住の刺青だらけのベーシスト(今バスでこちらに向かっている)が取ってくれたホテルが完全日本式なで、露天風呂に入ってたら地元の日本人と意気投合してカンボジアビールで乾杯!! - Spherical Image - RICOH THETA
夜は市内のライブハウスでドラムを叩くからそこで会おうということでとりあえずここで別れた。
地元の人たちに連れて行かれたプノンペンの歓楽街・・・
プノンペンの歓楽街なう〜 ここにライブハウスがあるらしい・・・ ドラムでも叩けたらちっとは世界を平和に出来るかな・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
ライブハウスというよりは箱バンの入ったガールズバーという感じだったがとりあえずドラムを叩く!!
ライブハウスというよりは生演奏の入ってるガールズバーみたいですが叩きますよ〜!!! 世界平和のために!!! - Spherical Image - RICOH THETA
そう、私は昼間の約束を全く忘れてしまってたのよね(>_<)
というわけで彼から連絡が来て合流〜
そして連れて行かれたのがこんな店!!
入り口に看板はない。
民家のような雑居ビルの1階のとあるドアを開けて入るといきなりこんな空間が現れるのだ!(◎_◎;)
「ここは日本料理屋です。
普段は予約でしか営業してくれず、
しかも予約は1日1組までしか受けてくれません。
今日は特別に開けてもらいました」
そんな店があるのか!!(◎_◎;)・・・しかもカンボジアで・・・
そして彼は私に強くこう注意した。
「この場所を人に教えてはいけません!!
オーナーの写真を取ってもいけません!!
オーナーの名前をアップしてもいけません!!
約束ですよ〜」
とりあえず日本でもなかなか手に入らないという珍しい酒を頂く・・・
つまみはまず海ぶどうが出て来る・・・カンボジアなのに・・・
茄子とイカの塩辛の一品!!
モッツァレッラチーズの一品!!
漬物も絶品!!
ここは果たしてカンボジアなのでしょうか・・・
カンボジアのプノンペンにある看板の出てない日本料理屋・・・私は心のスキマを埋められたに違いない・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
もう夜中の2時は過ぎてるであろうか・・・
「ほなもうぼちぼち帰ろうかな・・・」
そう言った私に、写真をぐるりと回して向こう側に座っている彼がこう言った。
「お代は要りません。ここは私が払っておきますので・・・」
!(◎_◎;)
「ファンキー様が満足されたらそれが何よりの報酬でございます。ホーッホッホッホ!!」
そう言って彼はトゥクトゥクに乗って帰って行った・・・
翌朝、目が覚めたら二日酔いで頭が痛い・・・
一体どれだけの酒をあそこで飲んだのだろう・・・
試しにポケットをまさぐってみるとお金は全然減っていない・・・
今晩もあそこに行くのだろうか・・・
いや、今晩行ってみたら、きっと昨夜入り口だったところは壁になっててドアが消えているのだ・・・
プノンペンの夜に心のスキマ埋められた・・・
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2015年5月 4日
ベトナム食レポ
初日のシーフードはこちら、屋台のメシはこちらにUPしたゆえ、
今回はその他のベトナム絶品料理を列挙してゆこうと思う。
まず一回目のライブの時に
「絶品のヌードルがあるから是非そこへ!!」
と言われていたのだが、
ライブ前は飲めないし食い過ぎると吐いてしまうので(笑)、
ライブ終了後に連れて行ってもらった。
麺が出来る前にここ名物の肉まん、牛すじ、そして野菜が出て来る。
これをツマミにベトナムビール「333(バーバーバーと発音する)」を飲んで待つ。
待望のヌードルはフォーのような汁ヌードルを想像してたら油そばのような汁なしヌードルだった・・・
調味料を調合してくれて、それを入れて混ぜて食す!!
こんな感じ・・・
いや〜これは美味かったなぁ・・・
そして「青汁」のようなもんだろうか・・・
地元で流行っている野菜ジュース・・・これは・・・
こんな感じ・・・
その日は夜中に散々食って飲んで、
翌日昼間は今度はまた全く違うベトナム料理屋に連れて行って下さった。
まずは文字通り「えびせん」に海老を乗せてピーナッツバターをちょっとつけて食す!!
たこ焼きのように見えて実は練りモノ!!
しかし半身はパン粉みたいのが塗していて食感がパリパリしている。
これはナゾの食べ物・・・
カリカリに焼いたおコゲのようなものにタレをかけて食す。
ナゾなのはこれを店内狭しと従業員が部屋の端から端に放り投げては皿で受けて・・・粉々に砕くパフォーマンスなのだろうか・・・
全然砕かれてはいないのだが・・・(笑)
タレに浸されて柔らかくなると美味!!
そしてお決まりの野菜とそれをつけて食べるタレ(右上)
左上は魚の煮付け。
どちらも味が濃くて白飯によく合う!!
聞けばベトナムはそんなに豊かな国ではないが、
米だけは多量に穫れるので、一品で多量の米を消費するこんなオカズが人気なのだとか・・・
トドメに野菜のスープ!!
ここまでの料理、前日に引き続きまたもやご馳走になってしまいました!!
本当にご馳走様で御座います!!
さて夜のライブのリハーサル終了後、
地元の日本人の皆様が「是非一緒に」ということで、
禁断の出番前お食事!!
伝統的ベトナム家庭料理のお店なのだが、入り口のビール棚が眩しい・・・
個人的にはサイゴンビールに気を引かれるのだが我慢して席に着く・・・
伝統的ベトナム家庭料理ってどんなん?・・・と思ってたら、
日本食とも通じる数々の食べ物・・・
まずはこれは単なる「さつまげ」?・・・
単なる「豚角煮」?・・・
そして・・・これは「単なる」ではないな・・・ナス!!
そしてお決まりの野菜とタレ!!
この日はハマグリのタレとニガウリ!!
野菜!!
野菜!!
と、ベトナム料理は野菜が多くヘルシーな印象を受けたな。
しかもタレが濃いので白飯にも合うし、酒のツマミにもバッチシ!!
そしてライブ終了後の打ち上げ!!
お決まりの野菜!!
野菜炒め!!
ちなみに醤油は魚醤と普通の醤油が選べるが、
普通の醤油がちょっと甘めで素敵だったなぁ・・・
同じ野菜でもこんなのが出た!!
野菜だけではない!!海老!!
これを醤油で食べると単なる広東料理なのだが、
ここでは「塩胡椒レモン」で頂く!!
そうすると突然「ベトナム料理」になるんだから不思議よのう・・・
同様にイカも頂く!!
トドメは野菜鍋!!
豚のホルモンが入れられているが、
これは単にダシを取るためのもので、あくまでも「野菜」を食べる鍋である!!
最後にはこれに麺を入れてトドメ!!
番外編として、この日はヤシの実とラム酒を買って来て、
ファンキー末吉特製ヤシの実カクテル!!
タイだったか香港だったかホテルで試したら美味かったのでオススメした。
ベトナムでも流行るかも知れんな・・・(笑)
ベトナム料理とことん堪能しました!!
また行きます!!
Posted by ファンキー末吉 at:16:52 | 固定リンク
2015年4月29日
ベトナム2本目!!現地バンドの抱える問題点
ベトナムライブ2本目は基本日本人相手のライブ!!
・・・と言ってもちゃんとベトナム人のバンドも対バンで入っていた。
女性ボーカルがギターも弾き、
曲によってはギターの男の子が歌ったり他の男性ボーカルが入ったりする。
これって?・・・思ったのだが典型的な「箱バン」のやり方である。
カバー曲を歌う箱バンは歌のレパートリーを増やすためにこうやったボーカルを持ち回ったりするのだ。
その辺の謎は後の打ち上げの時に明らかになる・・・
さて、ライブとしては
まず日本人バンドでベトナムでも人気のアニメの音楽をやるLCLというバンド
そこに入ってランナーとリゾラバ(ボーカルはドラマー)
その後ひとりドラムとなって・・・
その後に例のベトナムのバンドとなる。
そしてこのライブを主催してくれた加藤さんのバンドに入ってラウドネス、HIDE、クリキンの「愛をとりもどせ」を叩く。
ベースの人の刺青・・・気合入っとるなぁ・・・
これでちゃんとサラリーマンとして仕事が出来るんやろか・・・
打ち上げの時にお話ししたけど、ここが好きで日本からやって来たという筋金入り。
ワシこちらで感じたのが、「こちらの人はみんなロックが好き」という感覚なので、きっとそれが好きで飛び込んで来たのかな・・・
最後には地元の重鎮の日本人ギタリストHiroさんとセッションで2曲。
ここには他のベトナム人のバンドのメンバーが飛び入りして歌ったり、
聞けば「よく対バンする」とのことで、
日本人の社会人バンドが本当にうまくベトナム人バンドと交流している姿が印象に残った。
そして打ち上げの席・・・
いや〜このサイゴンの日本人コミュニティー半端ねぇ〜!!
駐在員としてこちらに派遣されている人も、
ベトナム語を喋り、ベトナムの地元バンドとちゃんと交流し、
そしてこんなライブを簡単にブッキングすることが出来る・・・
大したもんである・・・
しかしこの打ち上げでいろいろ地元のバンドの事情を聞いて
「なかなか大変やなぁ・・・」
と思った。
まずまだまだベトナムの庶民の生活水準は低い。
だからまだまだ「お金を出してライブを見る」という習慣がない。
アメリカからどんな有名なアーティストがコンサートでやって来たって、
まあチケット代が高いのもあるだろうけど、
そもそも「お金を出してライブを見る」という習慣がないんだから客が入るわけがない。
しかしこの国の人は音楽好きである。
特にメタルとか、ハードコアなんかも非常に人気であると聞く。
バーに行ってそこでバンドが入ってたりするところは大好きである。
だから前日演奏させてもらった店などは毎日毎日超満員なのだ。
バンドも客が大好きな「ロック」を演奏するのだが、
オリジナルがないのでみんな洋楽の有名な曲をカバーする・・・
その話を聞いて地元バンドの構成がどうして箱バン形式なのか理解出来た。
ただ、このホーチミンという都市がいくらベトナム一番の商業都市だからと言って、この街での事情が必ずしもベトナム全土で共通なものなのかどうかはわからない。
例えば中国では、上海は首都である北京よりも大都市だけれども、
オリジナルをやって成功するとかになると首都でなければ無理である。
大阪の芸人が東京に出て行って初めて全国区になれるのと同じように、
中国では北京以外でロックバンドが成功することはない。
ベトナムの首都ハノイに行ったことがないのでわからないが、
ここホーチミンではこのような現状であることは事実のようだ。
そこで考えた。
ワシには著作権登録してないメタル曲がいろいろある。
それを彼らベトナムのバンド達に自由にベトナム語でカバーしてもらえばどうだろう・・・。
激鉄♪MAX!!のテーマや、Live Bar X.Y.Z.→Aのテーマなどなんぼでも使ってもらってええぞ〜
地元の日本人に相談すると「それは大歓迎」とのこと。
別に金なんか一銭も入らんでもいい。
自分の作品がこの国のロックを盛り上げる牽引になればありがたい話である。
またホーチミン来ないかんな・・・
チャンスがあればハノイも・・・
前日の店のオーナーがドラムクリニックツアー組んでくれる言うてたからな・・・
次は数日でなくどっぷりとこの国に飛び込んでみようと思う・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡はこちら
Posted by ファンキー末吉 at:19:16 | 固定リンク
2015年4月25日
ベトナム初ライブ!!
朝フォーと昼おかず乗せご飯を食って仮眠して、16時に会場に向かった。
ベトナムはホーチミンで2本ライブをブッキングしてもらい、
今日はその1本目でドメスティックな会場で現地の人相手のライブ。
日本人相手の方が物販の売り上げも含めて実入りは大きいのだが、
どこの国に行っても日本人相手にしか演奏できないようなミュージシャンだけにはなりたくないので必ずこんなライブをブッキングしてもらっている。
このAcousticというライブハウスは正にそんなライブハウスで、
毎日いくつものバンドが出演して現地人そして欧米人などでいつも満員!!
日本人はほとんど来ることがないという店である。
キョンマ女史の旦那様の会社にはたくさんの家族同然のスタッフがいて、
そのひとりホンさんがキョンマ女史とこの店に来て、
ホンさんがとても盛り上がっていたのを見て
「末ちゃんここで演奏したらいいのに」
と思ってブッキングしてくれたということだ。
かと言って縁もゆかりもない日本人がそうは簡単にブッキング出来るものではない。
実はもうひとりの家族同然のスタッフであるデュクさんが、
後でわかるのだがこの店のオーナーの同級生であったことが判明し、
そんなこんなでトントン拍子にブッキング出来たということらしい。
しかし内容の詰めはなかなか難しい。
日本でもそうだが、「ひとりドラム」なるものがどんなパフォーマンスなのか誰も想像もできやしないのだ・・・。
ところが会場に入ってオーナーの前でドラムをぶっ叩いたらいきなり態度が変わった。
Master SUEYOSHI trong buổi soundcheck chiều nay...show time :10pm - tối nay thứ 6 - 24/4......KĨ THUẬT cực đỉnh .....
Posted by Acoustic on 2015年4月24日
大体の訳:
今日の午後マスター末吉が今夜のShowの為のサウンドチェックをした。
彼のテクニックは素晴らしくクールだ!
もしあなたがロックが嫌いなら後ろの席に座るべきだ。
彼のドラムはパワフルでクレイジーだからだ。
あなたがドラムをやってるなら招待するからジョインするといい。
ファンキー末吉のドラムソロ、五星旗アルバム、爆風スランプの過去永続など
CDも会場で販売します!
ということらしい。
当初
「うちは歌モノの店だからインストのパフォーマンスは15分で・・・」
と言ってたマスターがいきなり
「では30分で!!」
と豹変したらしい。
聞けばマスター自身もドラマーで、
もちろん地元の全てのドラマーと知り合いということで、
今度来る時は是非ドラムクリニックツアーを廻ってくれということになった。
嬉しい限りである。
軽くサウンドチェックを終えて一度ホテルに帰って、
10時からの出番前に会場に着くと、
地元バンドの演奏で既に会場は満員のお客さんである。
モニターには店の宣伝や今日のライブの紹介などの映像が流れているのだが、
そこでこれを発見!!
おいおい!!
世界中どこ行っても「Funky」じゃなく「Sueyoshi」で呼ばれたことは一度もないぞ!!
というわけで、最初っから最後まで、「スイヨシ」とか誰もワシの名前をまともに紹介出来る人は現れなかった。
これだけたくさんのオーディエンスがいて誰も「Funky」という名前を覚えて帰ってくれた人はいないというわけだ・・・(涙)
しかし客は入った・・・
この店にとっては毎度のことなのだろうが、
立ち見も含めて立錐の余地もないぐらいぎゅうぎゅうに客が入っている・・・
そんな中でひとりドラム始った!!
いや〜ウケたなぁ・・・
酒飲みながら洋楽のヒット曲などの歌モノに合わせて大合唱しに来ているお客さんが全員食い入るようにワシのドラムプレイを見ている・・・
特にヘビーメタルはウケたな。
ベトナムの人もヘビーメタル好きなのね・・・
毎度のごとく下手な英語で、
「ワタクシ当年とって55歳!!
それでは55歳のヘビーメタルをお聞き下さい!!」
というお決まりのMCで始まったこの曲は一番ウケた。
Funky Sueyoshi Metal Drumドラムは叩けないけどホントに凄いのは分かります!ベトナムの少年少女も思わずヘドバンです動画では凄さが伝わらないので是非見に来て下さい
Posted by 加藤 聡一 on 2015年4月24日
そしてひとりドラム終了後には地元バンドとセッション!!
全員初対面のぶっつけ本番だが、
ワシのプレイを見てくれているので非常に気さくである。
特にボーカルのMinhさんはいきなり
「あんた55歳か?俺は51歳だよ」
と言って握手を求めて来た。
昨夜のアコースティックLIVE in Saigonドラムソロ後はベトナム人の人気ボーカリストHinhさんとのセッション。みんな盛り上がって楽しそうだった〜(≧∇≦)
Posted by 真辺恭子 on 2015年4月24日
いいなぁ、おっさんロッカー!!素敵だぜ!!
また一緒にやろうぜ〜
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