2019年12月30日
カンボジアFunkyスタジオ計画
昔は自分のスタジオが北京と八王子にあった。
Funky Studio Beijing
Funkyスタジオ八王子
しかし北京の院子が取り壊しになり、次に引っ越した院子で完全防音のスタジオを作ってみたもののそこも取り壊し(>_<)
家賃も物価もどんどん高くなってしまっている北京、そしてせっかくスタジオを作ってもいつ取り壊されるかわからない開発ラッシュ・・・
防音せずとも「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」という社会ではなくなって来た北京で、スタジオを作るのはもう無理だろうと判断して、今はスタジオがあるのも日本だけになってしまっている・・・
X.Y.Z.→AのNewアルバム「WONDERFUL LIFE」のドラム録りを2日間で終わらせ、そのまま布衣のツアーを周りながら考える・・・
ドラムの叩き直しが来たらどうしよう・・・
北京にスタジオがあった頃はまだいいが、中国でのツアー先からいちいち日本まで飛んで帰るのはあまりにコスト高である。
ところが中国から(北方に行かない限り)東南アジアに飛ぶのは比較的安い・・・
カンボジアにスタジオ作れんかのう・・・
色んな人に色んな相談をするのだが、きっかけはこれ!!
大事なのは、カンボジアはまだ北京のよかった時代、「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」がまだ存在しているところである。
先日もくっくま孤児院で歌を録ろうと思ってたら、近所のご家庭の大音量カラオケがうるさくて録れなかった・・・
(カンボジアでは今、ご家庭に大音量のカラオケを置くのが流行っているようだ)
逆にくっくま孤児院で毎日バンドの音がうるさくても、近所はまあ別に文句は言って来ない・・・そんな社会がまだあるというのは素晴らしい!!
というわけで色々場所を探していたら、いつもライブでお世話になっているHIBACHIの土井さんが新しく出したカラオケ屋の3階が丸々空いているらしい!(◎_◎;)
というわけで、1月に北京のエンジニアである方言(FangYan)にカンボジアまで来て頂いて、まず場所を見て検討してもらおうと考えている・・・
スタジオを作る上には色々考えなければならない問題はあるが、
まず防音の部分は北京でも最初は防音などしてなかったのでそれはまあ置いといて、
1、機材をどうやって北京から送るか
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
3、常駐エンジニアをどうするか
の問題がとりあえずは最優先である。
1、機材をどうやって北京から送るか
については、街中をトゥクトゥクがこんな中国語の看板を掲げて走っているのだから、まあ中国人がこっち来て探せば簡単に方法は見つかるであろう(笑)
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
はちょっと難しい。
だいたいにしてそんな専門機材を売っているところはデカデカと看板を出していはいない。
コネを使って地道にリサーチするしかないのだが、
ここで大きかったのは、こちらでドラムが録音できるスタジオが見つかったことである!!
残念ながらここにはProtoolsで録音できる設備はなく、インターフェイスやマイクプリなどを調達しようと思ったら少々無理がある・・・
しかしこの投稿を見て食いついて来た、私のことが大好きでたまらない(笑)地元のベーシストがドラマーの友達を連れて来てくれた!!
これは何気に大きい!!
このドラマーも自分の家にドラムセットがあり、何とか録音出来るように設備を買い揃えたいと思っているということなので、
「じゃあ中国からエンジニアが来るから色々相談すればいい」
ということで「持ちつ持たれつ」である。
彼ら地元のミュージシャンに、もっとプロ仕様のスタジオを紹介してもらってそこで色々尋ねるのもよかろう。
アジア、と言わず世界中の国々ではまず「助け合い」、そのためには「コネ」が必要である。
「友達がいなければ何もできない」というのは決して中国に限ったことではないのである。
さて、
3、常駐エンジニアをどうするか
については、まだ本人に何も話してないので全くの未知数なのだが、
くっくまバンドのキーボード「ティアルッ」に頼んでみてはどうかと考えている。
彼は来年の11月に高校を卒業するので、もしよかったらそこに「就職」してみないかということである。
もちろんスタジオなんてそう金を生むもんじゃないし、
給料は最低限の額にしてもらい、その代わりこの物件だったらスタジオで住むことは出来る。
居酒屋勝プノンペン店がオープンすれば(笑)、そこで賄いを食べることも出来る!!
そして何より、彼がそこに常駐すればいつでも自由にくっくまバンドのレコーディングが出来るということである。
いやこれは逆にどんどんやってもらわなくては困る!!
方言(FangYan)も最初の頃は、自分は学校でエンジニアリングを勉強しているので非常に自信がある。
しかし私がWyn Davisなどから教わったこと、色んな経験から覚えたことなどと彼の考えとはことごとく衝突する。
北京人特有の「頑固」さに負け、
「じゃあお前の思う通りやってみろよ」
となって、彼は自分のやり方で何日も徹夜してやってみる。
数日後、目を真っ赤に腫らした彼は涙声でこう言うのだ。
「Funky老子、あなたの言う通りでした。このやり方では最終的にいいミックスが出来ません。最初っからやり直します(涙)」
こうやって仕事を覚えてゆく・・・全ては「経験」なのである!!
方言(FangYan)がそうやって試行錯誤しながら何度もやり直して作ったアルバムは、時を超えて後に大ヒットすることになったし、
何よりもそうやって何枚もアルバムを作った布衣は、今では中国で一番多くツアーを廻るバンドとなった。
当然ながらみんな貧乏バンドなわけだから金なんか取れない(笑)
くっくまバンドをはじめ、こちらで新しく出来た音楽仲間が集う場所になったとしても、決してそれでお金が稼げるようになるのは数年、いや10年以上先のことかも知れない・・・
でもその間にエンジニアは育つのである。
当面は私が自分でボタン押して自分で録音すれば良いが、そのうちにFunkyスタジオ北京の方言(FangYan)、Funkyスタジオ八王子の仮谷くんのように、エンジニアとして育ってくれれば言うことないが・・・
それまでワシ・・・生きとるかのう(笑)
まあ彼が卒業するまでまだ1年ある。
口説くのは来年からにして、まず方言(FangYan)の初カンボジアを満喫してもらい、中国人ならではの「コネクション作り」をしてもらおう・・・
早よ来い方言(FangYan)!!
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2019年10月 7日
くっくまバンド純カンボジア風新曲!!
中国でもそうだったが、「その国らしい曲やアレンジ」というのは「その国」に住んでないとなかなか難しいというのが私の持論である。
その国の人たちと一緒に暮らし、同じものを食べ、同じ空気を吸う(これ大事!!)、そうでなければ「それ風」のものは作れても、本当に現地の人の心を揺さぶる作品は出来ないと思っている。
かくいう私は別にカンボジアに住んでいるわけではないが、
この部屋を借りて以来、何やらバイオリズムが変わって来ているように思う。
地元ミュージシャンの知り合いも増え、密に連絡も取れるようになり、
今後のセッション活動にも大きな変化が現れるものと思われる。
そんな中、400ドルで買ったバイクに乗り、エンストと戦いながらふと降り立ったTuol Tompoung Marketでとあるメロディーが降りて来た。
まあその骨董品に囲まれた雰囲気、暑いので仕事せずに寝てるおばちゃん、
そこに場違いのように迷い込んだ金髪の変な男のコミカルさがメロディーになって出て来たのかも知れないし、単にその市場のどっかから流れて来たのを聞いただけかも知れない。
なんかそのメロディーを口ずさみながら市場の中を歩いていると楽しい・・・
そんな中で「サビ」をつけてみる。
しかし気がつくとまたそのメロディーに戻ってしまっている・・・
「まあいいや」とばかりそのメロディーを符号化して頭の中にメモしておく。
こうして符号化して置いてあるメロディーは多い。
家に帰ってからまだ残っていればそれを数字譜にでもして実際にメモして置いておくし、忘れてしまってたら「ああその程度の曲か」ということで忘れてしまうことにする。
ところがこのメロディーは、忘れるどころか、カンボジアのこのプノンペンの空気の中でまた突然頭の中に響いて来るのだ・・・
「じゃあちゃんと曲にでもしときますか〜」というわけでLogicで簡単に打ち込んでDEMOにしてみる。
私は自分のことを「天才」だとは思ってないので、「スッゲーいい曲出来た!!」みたいな時は、「どうせどこかでヒット曲かなんか聞いてそのメロディーが頭に残っていたのだろう」と信じて疑わない。
だから常に「どっかにあるメロディーなんじゃないか」と疑ってその「元曲」を数日間かかってでも探す。
この作業が私が「遅筆」である理由のひとつでもある。
運よく元曲が見つかれば、「雰囲気は似てるけどメロディーは違う」みたいに落ち着くように整理するし、「全く同じ」ならばもう諦める。
元曲が思いつかない場合は大変である。
どの曲とは言わないが、実際に発表した後にとある曲と全く同じだったということもあった・・・
ところがこの如何にもカンボジアっぽいメロディーは自分としては検証のしようがない(>_<)
そもそもそんなにカンボジアの曲をたくさん聞いたわけでもないし、
カンボジアのこれらの曲と似ているお隣のタイのルークトゥンだったりすると、
過去のアジアの番組をやってた時に紹介した曲のメロディーだったりするともうお手上げである。
まあこれは一度ちゃんとした曲のして、DEMOをくっくま孤児院に送りつけて、実際にカンボジアで住む人たちに聞いてもらえばと思った次第である。
サビの歌い出しは「サビ」なのだが、気がつけばそこからまたAメロと同じメロディーに戻っている・・・
こういう部分はわざとメロディーを違えて「サビ!!」という感じにするのだが、何やらメロディー自体がそれを変えられるのを嫌がっている感がある・・・
まあここカンボジアの「空気」が、「何しよるん?別にええやんこのままで」と言ってるように思われ、結局メロディー整理は断念(>_<)
曲の「掴み」として最後にブレイクして「何か言葉を乗せる」と文面では書いておくが、DEMOとしてはとりあえず不協和音の変なメロディーを打ち込んで「ここは言葉なんだよ」みたいなことを匂わせておく。
「ここに面白い詞を乗せたらウケると思うよ」と注釈も送っておく。
しばらくしたらそれを聞いたくっくまバンドの二人からメッセージが送られて来た。
現地の人が聞いたらやっぱこの曲はいい曲なのか!(◎_◎;)・・・というのが先月半ばのこと。
そして昨日、勝山に「居酒屋勝プノンペン店を出さんか〜」と言うてみたら「ほな一度行ってみましょうかねぇ〜」と言うので、私も南京のイベントの終了後、北京までの移動日を利用して(笑)ここプノンペンに降り立った。
勝山がタコパの準備をしている間、バンド部屋にてバンドのメンバーと会ったら、「もう歌詞は出来ました」と・・・
しかも今回はボーカルのスレイクォイが書いたのではなく、ドラムのダビッが書いたらしく、私がLogicをインストールして置いていったパソコンでちゃんとダビッの歌でDEMOまで作ってあった!(◎_◎;)
使い込んでおるのう・・・(嬉)
くっくまバンド新曲DEMO - Spherical Image - RICOH THETA
「この曲、ダビッが歌うの?」と聞くと「いえ、私が歌います」とスレイクォイ。
じゃあ実際に演奏してみようということでバンドでやってみる・・・
ところが最後の部分、「この部分はメロディーではなく言葉で」と書いていたのに、解釈が違ってて、私が打ち込んだ不協和音の変なメロディーを完璧にコピーしてキーボードで弾いている(笑)
いや、違うし〜・・・しょせん彼らが日本語を喋れると言っても生活言語程度、私が日本語と共に英語とクメール語でメールを送ったと言ってもしょせんGoogle翻訳(笑)
やはりコミュニケーションは実際に会ってやるには全く及ばない。
「この部分に面白い言葉を乗せるとむっちゃウケるよ!!」
いわゆる曲の「キモ」の部分である。
「みんなで考えて〜」
私が作ったのは5文字の言葉だった。
スネア1回叩いて1文字、また1回叩いて1文字、そして次に2回叩いて5文字。
この5文字が「キモ」、ここでウケればこの曲は大成功!!ウケなければ・・・まあ普通の曲(笑)
みんなゲラゲラ笑いながらあれがいいこれがいいと出して来る。
ちなみに私にはどんな意味か全くわからない(笑)
なんかひとつの言葉に落ち着きそうだったので助け舟を出す。
別に4文字だったらそれでもいいよ。その空間を短くするから・・・
結局4文字か5文字いうのではなく、何やら喋るような言葉を選んで来た。
ディレクションとしては「みんなウケてるかどうか」(笑)
拍数としては3拍、リズムとしては4分の2が入って・・・
と説明しようと思ったが、まだ彼らには難しいか・・・
「喋り終わったらスネア叩いて〜」
これで完成!!本人たちはきっと4分の2が入っていることはわかってないが、まあこれでいいのだ!!
こうして一応初めてこの曲が形になった!!!
おっ!!なかなか楽しいぞ!(◎_◎;)
「キモ」の言葉も何言ってるやらわからんが、ロックやヒップホップみたいな響きでかっこいいぞ!!
そもそもひとつの子音にひとつの母音がついてそれだけの発音である日本語と違って、カンボジアの「クメール語」というのは子音が複合子音で巻き舌音が入ったり、英語のように末尾子音がついたりするのでこのように「語感」が全く違うのだ。
はてさて、どんな内容を歌っているか全くわからんが(笑)、彼女たちが楽しくて、結婚式などで歌い継がれてゆく曲になると嬉いぞ〜!!
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2019年6月19日
カンボジアRock!(◎_◎;)
くっくま孤児院のくっくまバンド、前回はオリジナル曲を2曲演奏したが、
今回は私からのリクエストで私が最初に出会ってこの子たちを見初めた曲を演奏してくれと頼んだ。
この曲にやられちゃったのよね〜・・・
音楽を職業なんかにしちゃったら、私なんか音楽を聞く度に「仕事」になっちゃう。
気がつかないうちに頭の中では曲を分析し始めるのよね〜(>_<)
メロディーやコードの組み立て方とかアレンジのやり方とか・・・
ところが時々ぶっ飛ばされちゃって全く仕事ではなく「観客」になってしまうことがある。
それがこの曲・・・
もうね、作り方が変!!(笑)
聞けばこれは元々がカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
それをカンボジアのテクノアーティストかなんかがテクノにアレンジしてYouTubeにアップしてたのをこの子たちが耳コピしてバンドで演奏してるからもうぐちゃぐちゃ(笑)
それが私の「仕事脳」をぐちゃぐちゃにして完全にノックアウトしちゃうのよねぇ・・・
今回のライブで、またライブ会場でをDVD売るべくリハーサルを録画する・・・
この曲は歌ってない部分が多いので
「なんか振りつけて踊らなきゃ」
とボーカルの子に言ってたのだが、次の日はこんな振りをつけて恥ずかしそうに踊っていた。
聞くところによるとこれもカンボジア民族舞踏によくある動きらしい・・・
もうテクノは入るわ伝統舞踊は入るわぐちゃぐちゃ(笑)
いや〜この動きがいいのよ・・・
さて本番!!・・・当日に美和お母さまからメッセージが入る。
「ボーカルのスレイクォイが喉の調子が悪くて泣いてます(涙)」
いやそれもまた「ライブ」!!
中野も一度ステージで突然声が枯れてやっとこさ最後まで歌ったことがあるし、
二井原は実際声が出なくなってライブをキャンセルしたこともある。
一度も声が枯れたことなんかなかった渡辺英樹が全然出なくなったこともあるぐらいである。
まあ全く出なくなるのじゃなければ、声の調子が悪いのもまた「ライブ」である。
リハが始まった・・・
「リハは一生懸命歌わなくてもいいからね」
と言ってたのだが、見てるとやはり一生懸命歌っている。
まあまだ「手を抜く」ということが出来んのね、それはそれでよかろう・・・
ファンキーはんと大村はんのライブ(割愛・・・笑)が終わっていよいよくっくまバンドの登場!!
(リアルタイムにライブ配信してたアーカイブ)
なんか前回よりパワーアップしとる!(◎_◎;)
先生から与えられたオリジナル楽曲ではあるが、だんだん「自分のもの」にしていった感があるのう・・・
オリジナル2曲が終わり、育ての親のソバン先生を交えての最後の曲・・・
ソバン先生は、もともとこの孤児院の母体となった孤児院をやってた人で、
自分の孤児だったのだけれども、この子たちを引き取って、
ないお金を回しながら育てて来た。
それを見たくっくま孤児院の代表者が見るに見かねてくっくま孤児院を作ったというわけだ。
ソバン先生が素晴らしかったのは、孤児たちにカンボジアの伝統舞踊を教え込んだところである。
だからこの子たちはみんな伝統舞踊が踊れる。
踊るための楽器演奏も自分たちで演奏出来る。
そこから派生したのがこの「バンド」である。
そしてソバン先生もギターで参加しての最後の曲!!
それにしてもこの楽曲の破壊力は凄まじい・・・
全ての日本人客はこの楽曲を聞いたことはないのだが、
それでもこの曲は予備知識もない日本人客の心を完全に鷲掴みにしとる・・・
何よりもオリジナル曲も含め、この店のカンボジア従業員が大盛り上がりに盛り上がっていることが物凄い!(◎_◎;)
日本人のほとんどはくっくま孤児院を応援しているわけで、
その「当たり前」の状況を度外視して、全く損得勘定がないカンボジア従業員がこうして大喜びで楽しんでいることこそが何よりの「手ごたえ」ではないのか!!
思わぬアンコールが来た!!・・・やる曲あるのか?・・・
今日やった曲をもう一度やるのかと思ったら、私の知らないカンボジアの曲を演奏し始めた!(◎_◎;)
もうね・・・先生完敗(>_<)
先生が手取り足取り教えて、それをやっと消化してこのステージに立っているわけではない!!
この子たちは自分たちだけで既にここまで来ているのだ!!
そしてこの先生さえも貪欲に飲み込んで更に大きくなってゆく・・・
この曲もカンボジアの古い曲だろう。
タイのルークトゥンと同じように、楽しいリズムに乗っけて、泥臭い生活感を歌っているのだと思う。
この国の不条理を全て背負って、拳を挙げながら戦ってゆくだけが「Rock」ではない。
全カンボジア人、いや世界中の人々を巻き込んで、
こうやって明るく楽しくのし上がってゆくのもまた「Rock」である。
くっくまバンド・・・実はとてつもない「ロックバンド」に育っていってるのかも知れない・・・
そんなことを感じた今日のライブであった・・・
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2019年6月11日
くっくまバンド初ライブ
ひょんなことからカンボジアのこの孤児院の子供達をカンボジアで一番の大スターにしてやるという「希望の星プロジェクト」が始まった。
今回は私がひとりドラムでプノンペンで演奏するので、
「ゲストで2曲演奏してや〜」
と頼んでいたのだが、予定が近づいて来たら美和お母様から、
「ファンキーさん、バンド内でバチバチ喧嘩が始まって」
と・・・
!(◎_◎;)
詳しい事情はよくわからないが、
どうやら一番早くから「私は歌手になる!!」と決めているボーカルのスレイクォイが、
それよりも意識は低いであろうバンドのメンバーに対して気が逸り過ぎて、
バンドはバンドで「あいつ何なんだ!!」となっているような感じだろうか・・・
バンドあるある!!(笑)
まあでも同じ「バンドあるある」でも、ボーカルと他のバンドメンバーとの対立というのは一番始末が悪い。
ボーカルというのはバンドの「顔」なので、万が一その気になっちゃえばその他のすげ替えなんて簡単に出来てしまうのだ・・・
美和お母様は一生懸命それぞれのメンバーと話して解決を図っているいるのだが、
基本的に「人間の感情」というものは何を積まれたって人がコントロールすることは無理なのだ。
例えば私が「あんたバンドやめたらもうあんたも相手にしないからね」などと言ったところで、
「じゃあ」ということで表面だけ繕ってまたやり始めたっていいモノなんか出来やしないのだ。
心の中で「あいつはイヤだ」と思ったらやっぱ人間なんだからそれが態度に出たり「音」に出たりする。
どんなエサをぶら下げたって「イヤなものはイヤ」なのだ。
まあ9日にライブやることは決まっているのだから、
誰が誰をどう思ってようがライブはちゃんとやらないかん!!
ライブの後のことは置いといて、とりあえずはおだてたりすかしたり、
ありとあらゆる手を使ってライブだけはちゃんとやれるように持ってゆくことが私の「責任」である。
とりあえず何も知らない顔してくっくま孤児院に乗り込んだ。
カンボジアくっくま孤児院なう〜明日は一緒にライブ!!頑張って練習するのぢゃ!! - Spherical Image - RICOH THETA
「もうそれぞれは会っても口もきかないんですよ」
と美和お母様は心配そうに言うが、
まあ私が来たら、私からみんなにモノを言うだけで、別にそれぞれが相談したり会話したりする必要は全くない!!
色々と指示を出しながらリハーサルが始まった。
この日の目標は、翌日のライブで売るべくいい練習テイクの動画を撮ること!!
一応そのDVDを1ドルで売ろうと思っているのだが、
私は「スーパースターになる!!」ということはこの「1ドル」の上に積み重なるものだと思っている。
「よく僕は(私は)スーパースターになるんだから」ということで、
全てをすっ飛ばして「スターになれば全て帳消し」みたいに思ってる若者もいるが、
どんな「商売」もその「1ドル」の上に乗っかっているのが「世の常」だと私は思っている。
だからこの子たちにも早いうちからそれをわかってもらいたい。
頑張って今日、少しでもいいテイクの動画を撮って、
それを明日1ドルで売るんだ!!
次はもっといいテイクを撮って、それも1ドルで売って、
いつかはアルバムも作って、それを今度は10ドルで売るんだ!!
そしてその延長線上に信じられない大金を動かすこの子たちの未来があるかないか・・・それは本当に神様のみが知ることである。
人間は神様にはなれない。
人間が出来ることは「努力」と「準備」だけしかない。
だからそれをやって天命を待つ。
それしかないのである・・・
もし仲違いがもう決定的で、この1ドルのDVDが、彼らの最初で最期の作品になるかも知れない。
神様がそう決めたのだったらそれはそれでもう仕方がない。
最初で最期の作品を出来るだけいいものにするしかない。
一回練習してはそれを撮ってメンバーに見せる。
まあ言わなくてもわかってる部分はあるので、気づいてないだろう部分とアドバイスだけを伝えてもう一度やってみる。
まあこれを何度か繰り返すだけである。
知らんぷりしながら時々こんなことも言ってみる。
「ほら、今回はドラムがとてもよくなったからそれに影響されて歌が変わったでしょ。それがバンドだからね、あなたも自分がもっと輝きたかったら他のプレイヤーを励ましながら歌いなさい。そしたら自分がもっとよくなるからその方が得でしょ」
見れば根深い仲違いなどはなさそうで、前情報などなければ彼女たちが大喧嘩をしてたなんて全く分からない。
バンドは楽しいのだ!!
楽しいからちょっとぐらいイヤなことがあってもバンドやってると忘れちゃうのだ!!
それでいいのだ!!
誰かが間違って撮り直しをしても誰も文句は言わない。
「頑張ってもう一回やろうよ!!もっといい演奏を撮ろう!!」
「音楽」とは全くもって素晴らしいものである。
グルーブもだんだん出来上がって来て、最終的に撮れたのがこのテイク!!
いや、もっと何回もやればもっといいのが撮れたかも知れないけど、
おじさんもう疲れた・・・(笑)
というわけでこの日は夕方で練習やめてとっとと帰った。
「あとは自分たちで練習してね」
そうそう、仲違いなんかしてたら明日いい演奏出来ないよ(笑)
「明日みんな緊張でガチガチになって全然弾けなかったら歌えなかったらどうしよう・・・」
どの国もお母様は気苦労が多いものである(笑)
出来なかったら出来なかったでそれも含めて「ライブ」なんですよ!!
そう伝えてくっくま孤児院をあとにした。
翌日、午前中に美和お母様からこんなメッセージが飛び込んで来た。
「キーボードのティアルッが朝から頭痛で寝込んでます!!」
しゃーないなぁ・・・それもひっくるめて「ライブ」である。
私が一応ギターででも代わりが出来るように練習しとこう・・・
もし本番までに彼がよくなればギターの上にキーボードが乗っかればそれでいい・・・
というわけで最終リハをやるためにまたくっくまに向かう・・・
キーボードのティアルッも何とかリハに参加している。
無理しなくていいのに・・・
もう私のギターのためのリハーサルなので(笑)一度通しただけで機材を積み込んで会場へ向かう・・・
男の子たちは機材車に乗り込んで、女の子たちはお母さんのバイクで・・・って3人乗り!!!(◎_◎;)
カンボジア人かっ!!・・・頼もしいのう・・・(笑)
会場に着いてサウンドチェック代わりまた1回だけ通す!!
それでもうあとは本番を待つのみである!!
さて本番である!!
ギターにかまけて自分がドラムを叩くということを全く忘れていて、
ケーブルを一本持って来るのを忘れてたのでホテルに取りに帰り、
目的のケーブルを持ったら別のケーブルを置いて来てしまってまたホテルに取りに帰る(笑)
もうね、何をやってんのですわ・・・あたふたとセッティングしてドラムを叩いて、
メインゲストであるくっくまバンドを紹介する・・・
そしていよいよくっくまバンド初ライブ!!
曲を書いたのは私だけど、詞は自分で書いて、「自分たちの曲」となったこの2曲を初めて人前で演奏した瞬間である。
映像で見てもよくわからないが、「むっちゃ緊張してたね」というお客さんもいた。
でも途中で止まることなく最後までちゃんと演奏出来た!!
ドラムのダビッは力み過ぎてちょっとヨレたけど、
気持ちが余ってのことならライブでは問題ない。
むしろ怖いのは気持ちが「萎えて」しまうことである。
そういう意味では4人ともみんなよく頑張った!!
気がつけば仲違いとか全く忘れてしまってた・・・
思えば彼女たちは一緒にこの孤児院で暮らして来た「兄弟姉妹」のようなもの。
いくら兄弟喧嘩したって兄弟であることは変えられないのと同じである。
バンドは難しいものだけど、色んな困難を一丸となって乗り越えて頑張っていって欲しい。
次は6月18日!!!ファンキーはんと大村はんのゲストで、今度は4人だけでやってよ〜
もちろんまたリハーサル映像撮って1ドルで売るよ〜
同じ曲が前より下手になってたらメンツ丸つぶれだからね〜(笑)
頑張ってよ!!
もっと団結してもっと進歩した君たちを待ってるぞ!!!
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2019年6月 3日
ボーカルレコーディング@くっくま孤児院
くっくま孤児院に古いMacBook Airとインターフェイスやマイクなども置いて来て、バンドのメンバーが自分たちでボーカルレコーディングが出来るようにしている。
エンジニアはキーボードのティアルッ君。
キーボードプレイヤーの仕事というのは今やパソコンを使える人というご時世なので、「覚えておいて損はないよ」とばかり彼に色々と基本的なことを教えておいた。
「自分たちで録音してデータを送ってね」
ということで最初にデータが送られて来たのだが、
まあ最初なので仕方がないが色々不備があるのでまた指示をして送り返す。
これを数度やり取りしていると、ティアルッ君のスキルがどんどん上がり、歌録りの音質自体は今やもう何も問題がない。
ボーカルのスレイクォイのレベルも元々高いのではあるが、
ここにひとつの欠点を発見!!
まあここのみんなは音楽教育を受けたことがないので当然なのだが、
「ソルフェージュ能力」というか、
新しく与えたメロディーを把握する能力とか、一度間違って覚えてしまったら直せないところがあるようだ。
それだったらというわけでタイでボイストレーナーをやっているMIMIさんに声をかけてカンボジアまで来てもらった。
まずは発声法!!
これ歌の基本だそうで、「お腹から声を出す」!!
せっかくなのでバンドのメンバーや他の子供たちにもみんなに指導してもらいました。
そしていわゆる「ソルフェージュ」の基本!!
音を聞いてそれが何の音かがわかるようにする訓練をゲーム形式でやってみました。
ずっと昔に「笑っていいとも」のゲームコーナーで、お笑い相手に同じようなゲームをやっていて、ゲストの森口博子は全部一瞬で答えるのに、お笑いの人たちは「何でわかるの??!」とびっくり。
森口博子が逆に「何でわかんないの??!」とびっくり!!(笑)
確か小学校の音楽の聴音のテストでも同じようなのがあったのを覚えているが、
私は小さい頃ピアノをやってたせいか労せずして全部わかったが、
同級生が全くわからないのを不思議に思ったことを覚えている。
「才能」でも何でもない。
要は訓練!!平ったく言えば「慣れ」である。
コツがあって、「これはドの音です」の時に、頭の中に「ドレミファソラシド」を思い浮かべて、出題された音がその頭の中で鳴っている音のどれに当たるかを考えればそれで良い。
もし鍵盤を弾きながら「これかな」とか探してゆけば誰にでも出来ることで、
「要は頭の中で鍵盤を弾く」みたいなもんで、
これが出来ればメロディーを覚えるのも楽だし、
メロディーが違っていいれば頭の中で瞬時に違っていることを認識出来る。
初日はとりあえずここまで。
次の日はMIMI先生はボーカルのスレイクォイの個人レッスン。
私はヒマなので(笑)ドラムのダビッにドラムのいい練習方法を伝授した。
この練習はリズムのウラ拍を意識する為に非常に有効な方法で、
メトロノームを表で聞くと、どうしてもそれに合わせてリズムを「置いて」ゆくようになってしまうが、ウラで聞くとこちらがずれると容赦無く置いてかれるので非常にシビアなリズム練習となる。
いや初めてでこの速度でやれるようになるっつうのはなかなか大したもん!!
さてやるだけやったら最後に大目的のボーカルレコーディング!!
エンジニアのティアルッ君は私の知らないショートカットキーとかも駆使しながらなかなかのもの。
この曲のBメロの一部分、ボーカルラインを間違えて覚えているのでそれをやり直しているうちにトラブル発生!!
何度かやり直してるうちに、突然ボーカルのスレイクォイから何の反応もなくなったと思ったら・・・泣いているのだ!(◎_◎;)
よほど悔しかったのだろう。
泣いていることすら知られたくないという感じで両手で顔を押さえて泣いていた・・・(写真自粛)
水を打ったように沈黙が広がる・・・
私はメンバーの様子をまず観察した。
3人のメンバーは誰も言葉を発しない。
一緒にこの孤児院で暮らして来た「家族」である。
誰よりもスレイクォイのことを知ってるのだろう。
「こんな時こいつは何も言わずにほっとくのが一番なんだ」
と言わんばかりに「無言の暖かさ」で彼女を包み込んでいる・・・
5分だろうか10分だろうか・・・
かなり長い沈黙を破って彼女が口を開いた。
「大丈夫です。歌います!!」
彼女は逃げることなく、甘えることなく、自分で乗り越えた!!
これだからレコーディングをやると格段にレベルがアップする。
この修羅場を乗り越えた者だけが「次」に行けるのである。
かく言う私も爆風スランプの1枚目のアルバムをレコーディングする時に、
叩けなくてこっそりトイレに行って泣いた・・・
当時はアナログレコーディングなので、ドラムのパンチインパンチアウトなどがまだ出来なかったので尚更である。
ドラムが間違えたら全員最初からやり直し。
最初から最後まで間違えずに叩けて、そのレベルが自分や他が納得するものであって初めて他の楽器の録音が出来るのである。
今やもうデジタルの時代になって、ドラムであろうがどんなに細かいパンチインパンチアウトが出来るようになっても、この「経験」によって今の私がある。
「これぐらいパンチインパンチアウトなしで最初っから最後まで叩ける」
という「自信」が今の中国でのステジオミュージシャンの仕事をする上での何よりの「ルーツ」となっているのである。
人生においても、今後どんな困難があっても、
逃げることなく、甘えることなく、こうやって全て自分の力で乗り越えていって欲しい・・・
見ればMIMIさんが隣で涙目になっている(笑)
このまま録音して全て終了!!・・・と思ったら、
歌いすぎてスレイクォイの声が枯れて来ているので翌日に持ち越し!!
翌日も声は回復してなかったので、
前日のボイストレーニングで一番声が変わったベースのスレイレアッにコーラスを歌ってもらう。
そのレコーディング風景を見ているスレイクォイにも、
自分が歌っている時と違った目線でレコーディングを見ることが出来る。
「ああこういうことなのか・・・」
ということがわかったんじゃないかな・・・
頑張れみんな!!
こうやって自分の力で乗り越えてゆくことを、おじさんは「ロック」と呼んでいるんだよ。
こうやって自分の人生も「ロックの精神」で乗り越えていって欲しい・・・
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カンボジア希望の星プロジェクトまとめ
<<くっくまバンドとの出会い>>
2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。
日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。
別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。
プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。
その時のブログ記事:希望の星になれ!!
カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時、ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。
結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。
この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。
当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。
ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。
その流れの中に「バンド」があった!!
この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。
音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。
楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。
ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。
この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。
ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎
これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・
<<希望の星になれ!!>>
この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。
これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
<<その後の活動>>
私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。
まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。
ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!
翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。
ブログ記事:支援は人のためにあらず
それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。
最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。
もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。
そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・
そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。
ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」
ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。
こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!
この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。
私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。
ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)
私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。
全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。
返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。
歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。
詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・
ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・
これが私の頭をよぎった「想像」である。
こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・
数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。
でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。
この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・
それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。
そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・
真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)
ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・
しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・
<<オリジナル曲作り>>
作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。
私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。
とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!
元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。
それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。
ブログ記事:くっくまバンド新曲
これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・
2019年6月9日のリハーサル
2019年6月9日のライブ
そして2019年6月18日のライブ
<<仲違い>>
2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・
「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」
小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。
歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。
バンドあるある(笑)・・・
要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。
美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。
でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。
ブログ記事:くっくまバンド初ライブ
考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・
私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。
力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!
<<DTM>>
ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。
ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。
だが困ったのはキーボードである。
「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。
プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。
ブログ記事:キーボードという「楽器」
ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。
そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。
くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。
ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・
いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)
自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。
ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)
最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・
さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。
もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。
今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。
これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。
この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。
2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。
<<結婚式での演奏>>
カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。
この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。
日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。
毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・
私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。
大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。
日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。
しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。
これを私は大きな「出口」だと感じた。
くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。
その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。
人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。
そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。
将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・
だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。
毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。
頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!
<<その後>>
ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング
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2019年3月 9日
くっくまバンド新曲
カンボジアは現在結婚式シーズンだそうで・・・
カンボジアの結婚式はそれはそれは盛大に行い、
歌えや踊れやで何時間もバンドが演奏したりするらしい。
くっくまバンド時々呼ばれて歌いに行ってるということらしいが、
客から「この曲をやってくれ」と言われた時に歌えなかった曲は、
帰ってからまた一生懸命練習しなければならない。
そんなこんなで忙しい最中であったらしいが、
前回置いていった曲の中からこの曲が仕上がっていた。
(リハの一発録りなので音が悪いのは許せ)
元曲は中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲で、
「赤い靴」という、一度履いたら死ぬまで踊り続けるという靴の唄である。
この「赤い靴」の話、調べてみたらこんな話!(◎_◎;)
アンデルセンって残酷よのう・・・(>_<)
詩を書くにあたって
「もともとの詞はどんなお話なんですか?」
と聞かれて、これはちょっと言えんかったぞ・・・
「原曲にとらわれず好きにどんな詞でも書いてみなさい」
と言ったらどうやら「結婚おめでとう」という唄になったようだ・・・
めでたいめでたい・・・
カンボジアの結婚式では、長い時は5時間も6時間も延々演奏するらしく、
定番曲以外にもその中でこの曲も演奏して、
そのうち「あの結婚式の唄を歌ってよ」と言われるようになればいいな・・・
日本のアマチュアバンドのように、
まずライブハウスにノルマ払って出演して、
バイトして自費でCD出して・・・
とかとは全く違う「出口」がこの国にはあるような気がする。
では忙しい結婚式シーズンが終わったら、
次来る時までに、次の点を改善してみよう〜
ドラムは、もう少しリズムが揺れないように、
オカズは何をやるか決めて、一番いいものだけを毎回叩くように。
ベースは、今は5度の音までがやっとだけど、
慣れたらオクターブ上や、もっと魅力的なフレーズが弾けたらいいね。
キーボードはまだコードを弾くのにやっとだけど、
頑張って裏メロなども入れらるように頑張ろう〜
全ては「慣れ」じゃぞ!!
頑張って練習して結婚式で演奏するのぢゃ!!
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2019年1月17日
キーボードという「楽器」
「縁」というものは不思議なもので、
中国でのツアー先から「一番安く行ける暖かい国」でチケットを検索したらそれがカンボジアだった。
やることもないのでデスメタルバンドでも探そうとSNSに書き込んだら
「くっくま孤児院にバンドがあるよ」
という情報が流れて来て、
全く興味がなかったのだけれどもヒマだったから行ってみたら・・・
この演奏に心を鷲掴み!(◎_◎;)
そしてこの子たちをカンボジアで一番のスターにするプロジェクトが始まったのです。
そしていろいろ試行錯誤しながらやり始めてみたら・・・
なに、この子・・・逸材!!!(◎_◎;)
もうね、この歌を聞いてるだけで涙が出て来た・・・
そしていろいろわかって来るのだが、
この子はやっぱこの「バンド」でやっていきたいのだと・・・
まあね、一緒に孤児院で育った「兄弟」みたいなもんやからね、それはとてもいいこと・・・
・・・というわけで、ボーカルだけではなく各楽器のこともいろいろ考えてアドバイスをする・・・
まあドラムは教えることはいっぱいあるからいいとして、
ベースはスラップ奏法などやってみようかとか、
キーボードは・・・
と、ここで大きくつまづいた。
キーボード奏者ほどスタートラインに差がつく楽器はない。
「昔ピアノを習ってた」とかがスタートラインになるので、
当然ながらピアノを習えるような状況ではなかったこのキーボードの子は「奏者」としては全くスタートラインが違い過ぎるのである(>_<)
でもね、最近のキーボード奏者って、「弾く」というよりは「アレンジ」、
コンピュータを使ったDTMがこれだけ発達した昨今、
全く鍵盤が弾けないキーボード奏者とかもゴロゴロしていて、
そんな「キーボーディスト」がヒット曲を連発出来る世の中になった。
ところがこのキーボードの子はそのDTMを持っていない。
つまり「楽器」を持ってない・・・
「ドラムを叩きたいのだけれどもドラムセットを持ってない」のと同じである。
そこで非力なマシンではあるが使ってないMacBook Airがあったので、
それをまっさらにしてLogicだけを入れて彼専用の「楽器」にしようと思い立った。
DTMソフトは最近は「Studio One」を使ってる人が多いと聞くが、
まだ私はマスタリングのISRCコードを書き込むだけにしか使ったことがないので、
現在よく使っているLogicの方が何かあった時に教えやすいと思ったのだ。
全然使ってない古いMIDIキーボードもあったので、
「誰か日本からカンボジアに行く人いませんか〜」
と募ったら、
この「くっくま孤児院」を運営するNPO法人の代表の方が今月カンボジアに行く(帰る?笑)というので、池袋に停めたのキャンピングカーの中で(笑)使い方をレクチャーしたというわけだ。
いっぺんにいろんなことを教えてもパンクするので、
今回はオーディオ録音は省いてMIDI録音だけをレクチャーすることにした。
オーディオ録音は3月にまた行くのでその時にして、
その時までにMIDIキーボードで多重録音が出来るようになってて欲しい・・・
とか考えながらレクチャーしてたらふとこんな事が頭をよぎった・・・
これ、別にキーボード奏者だけじゃなく、
ドラマーでも誰でも興味がある人がこれを使いこなしたらそれでええんとちゃうん!(◎_◎;)・・・
そう、こうして日本のおじさんドラマーもこれを使いこなしてそれで立派に「商売」しているではないか・・・
時代が変わって、「ピアノが上手い」のが「才能」ではなく、
むしろ「機械が好き」なのが才能みたいな時代になっている。
このおじさんはテレビゲームはやった事ないので、
何やらのゲームでゴールまで行くって、それはそれは遠い遠い物凄い事だと思うけど、
子供たちは毎日遊んでるだけでこのおじさんが考えられないようなところに行ってしまう・・・
それと同じで、このDTMを使いこなすのもゲーム感覚でやれば早いだろう・・・
子供は何でも早いからなぁ・・・
次に行った時には立派にこれを使いこなせている事を楽しみにしとくぞ〜
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2018年12月22日
クメール語版「中国のマドンナ」
このアルバムに収録される「中国のマドンナ」という曲(DEMO音源21:40から、ライブ音源20:25から)は、他の国のバージョンでは「別にシチュエーションは黄河のほとりとか中国でなくてもいいよ」と言っている。
カンボジアのくっくま孤児院に着いて、車座になって「どんなシチュエーションにする?」と話し合った。
まずは「君たちがね、将来好きな人が出来て、結婚して住むとしたらどんなところがいい?」と聞くところから始まる・・・
バンドの4人の意見はだいたい同じだったようで、やはりそこはプノンペンのような都会ではなく、小さな田舎の村だったようだ。
「川のそばの小さな村の中の小さな家」というのがこの曲のテーマである。
みんなどんな村を想像してこの詞を書いたのだろう・・・興味津々である。
実際にそのイメージを詞にするのは主にボーカルの子。他の3人は意見を言ってこの子が詞にまとめる。またこの子がちょっと言葉探しなど迷った時にはみんなに意見を聞いているようだ・・・
作詞ちう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
座って書いてたのだが、だんだん熱が入って寝そべって来る・・・(笑)
出来たら歌ってみる。
ここからはボーカルだけの作業で、他の3人は心の中で声援するのみ・・・
ここでワンコーラスだけだが一応最初のバージョンが完成するのだが、「詞を直したい」というので、残りは翌日に持ち込んでこの日は終了!!
このような前向きな意見が出るということは素晴らしいことである。詞のレベルが上がるだけではなく、詞にどんどん思い入れが詰まってくる。
終了後は孤児院のみんなと一緒に差し入れのスキヤキをみんなで食べる〜・・・ちなみに生卵はイオンプノンペン店で生食用のを買って来ました。牛肉は一応25人分買って来たつもりだが、英語塾に行っている8人の分もほぼ全部食べちゃった・・・(笑)
さて翌日に子供たちが学校から帰る頃を見計らって行ってみたら、うろ覚えだったメロディーも完璧に覚えていて、詞の直しも終わっていた。
つるっとレコーディングして2番を作っておしまい!!
演奏するのは簡単な曲なので、イントロとかをバンド用に作ってあげて簡単なバンドアレンジをしてあげる。
なぜかと言うと、この子たちは先日も結婚式に呼ばれて演奏するという「仕事」に行って来た。
カンボジアでは結婚式は延々4時間とかずーっと演奏しなければならないらしく、これはバンドとしては「出口」があるなと考えてのことである。
日本のバンドから「僕たちデビューしたいんですけどどうやったらデビュー出来ますか?」と聞かれることがあるが、こっちが聞きたい!!(笑)
日本はひと握りのレコード会社と音楽プロダクションが全てを牛耳っていて、そこに辿り着かないとあとはインディーズしかない。
インディーズも、ライブハウスは基本自分で客を呼ばねばならない訳で、ここから顧客が広がってゆくということは夢のまた夢である。
カンボジアの音楽界もきっと一部のトップの人たちだけで回っているのだろうけど、見知らぬ大勢の人の前で演奏出来るチャンスが多いということは、彼らのように「何も持たない」人たちにとっては大きな「出口」だなと思ってのことである。
4時間も演奏するのだから、このようなオリジナル曲を演奏したっていいだろうし、この曲の設定の村を新郎新婦の村に変えるだけで、新郎新婦への大きなプレゼントになる・・・
彼らは孤児なので当然音楽教育など受けたことはなく、見様見真似で楽器を弾いているだけと言うが、なかなかどうして飲み込みも早く、一瞬でバンドバージョンが出来上がった。
さて前日の歌入れの時にも思っていたのだが、もともとこのオケがあって、それに合わせて歌っているだけなので仕方がないのだが、この子にとってはこの曲のキーはちょっと低いようだ・・・
ちゃんとキー合わせをしてみる。
もともとCのキーなのだが、Dぐらいまで上げてあげるのがよさそうだ・・・
というわけで、バンドのみんなにはこれは「宿題」。さっき演奏したものをDのキーで出来るようにして、間奏も自分でいいメロディーを考えて完成させて下さい〜
それにしてもこのボーカルの子はずーっとリーダーシップを発揮していて、さすが「歌手になりたい」という夢を持っているだけのことはある・・・
彼女から送られて来たお手紙
オケのキーを機械で強引に変えて彼女にもう一度歌ってもらった。
もうメロディーもちゃんと頭に入っているのでつるっと2回歌ってもうOK!!
ホテルに帰ってデータを編集して簡単なMTVにしてあげた。
これを作りながら何故か彼女の歌と可愛らしさに涙が出て来た・・・
いや、本当に「歌手になる」どころか、ヘタしたら「カンボジアで一番のスター」になれるかも知れんぞ・・・(ブログ「希望の星になれ」)
この子たちははたしてどんな村のどんな小さな家を思い浮かべて詞を書いたのだろう・・・
そして将来はどんな伴侶を見つけてその描いたような生活をするのだろう・・・
この子たちがこの日に思い描いた通りに、幸せな人生を歩んで欲しいと心からそう願う。
この曲はオケは既に完成。クメール語版の本チャン歌入れは来年、そして日本語版の歌は年末に入れる予定です。
仕上がりをお楽しみに!!
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2018年10月26日
クメール語バージョン制作開始!!
このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!
日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。
日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。
私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。
実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。
ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。
何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。
サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・
だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)
うって変わって二井原実。
X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。
私の場合は考え方が二井原に近い。
いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。
例えばこのアルバムの歌詞で言うと、
M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ
とか
M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ
とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。
(このアルバムのDEMOフルバージョン)
歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。
いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。
「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。
M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。
要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。
この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。
ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・
このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。
でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・
そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・
そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・
数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。
私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?
私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・
異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。
彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。
20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)
そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。
だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。
年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。
そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・
そうなって欲しい。
まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・
この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事)
まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。
一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。
上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。
そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!
このバンド
そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!
その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。
私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)
このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。
共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。
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Posted by ファンキー末吉 at:06:53 | 固定リンク
2018年8月30日
希望の星になれ!!
「縁」というのはそもそもがこのようなものなのかも知れない・・・
この商売、「休みを取る」という感覚がない。
スケジュールがぽっかり空く時、それが「休み」である。
最近は北京でいる時よりも中国のどっかの地方都市でいる時の方が多いので、
その最後のスケジュールが終わってその後にスケジュールが入ってなかったりしたら、
「ムズムズ・・・どっか南の国に行こうかな・・・」
などと考え始める・・・
いや別に日本に帰ったっていいのだが、
往々にして日本への航空チケットは高い(>_<)
というわけでいつもその時々で一番チケットが安いアジア諸国を探すのだが、
それが今回はたまたまカンボジア!!
何と上海から往復で3万円ぐらいで来れたのだ\(^o^)/
プノンペンに着いて真っ先に前回ドラムを叩いたバーに行ってみたのだが、
なんと白人がカントリーを歌う店になっててがっかり(>_<)
他に生演奏をしてるバーはないかと探したが、
この日は月曜日なのでライブは休み(>_<)
しゃーないなぁ・・・と、ふと考える・・・私は一体何をしたいのだろう・・・
前回はドラムを叩いて楽しかった。(映像)
まあ「休み」なのに「仕事」であるドラムを叩くのも変な話だが、
「趣味」でもあるのだからそれは仕方がない・・・
まあドラムが無理なら、カンボジアにデスメタルのバンドがあるみたいなのでそれを探してもみたかった。
ポルポトの大虐殺の子孫がどんなデスメタルをやっているか興味があったのだが・・・
まあそんなこんなで初日は何の収穫もなく、ホテルのプールサイドでぼーっとしてたのだが、
何やらタイムラインに色んな人から書き込みが・・・
「プノンペンで日本人が運営している「くっくま孤児院」のお子さん達が「くっくまバンド」というのを組んで一生懸命練習しています(^^)機会がありましたらぜひ」
まあええよ、ヒマやし(笑)・・・そしてこれこそが「縁」だったのである。
何の期待もなく、ただヒマであるからということで向かったこの孤児院、
まあ一応ドラムセットはあるだろうということで、「ひとりドラム」が叩けるような準備だけはして行った。
まあどこでどんな状況で叩こうがやることは一緒なのでそれはまあいい。
問題はその後に彼ら達の演奏を聞かせてもらってびっくりした。
!(◎_◎;)・・・いい!!この音楽、むっちゃいい!!
聞けば彼らは当然ながら孤児なので音楽教育を受けたこともなく、
耳コピで見よう見まねで弾いているだけだそうなのだが、
この演奏が私の心を鷲掴みにした。
思えば1990年に初めて北京に行った時、地下クラブで偶然見た黒豹のライブ、
当時の稚拙な彼らの演奏から口ではうまく説明出来ない「何か」を感じて、
そしてその後の自分の人生が全く変わってしまって今も私は中国でいる。
同じような「何か」をこの演奏から感じ取った。
黒豹はその後中国ロック界の重鎮となったわけだが、
この子達にも「何か」を感じる・・・
実はこの子達とはまた別の小さな縁があった。
秋に日本語の歌を歌うイベントがあるらしく、
この子達が今練習している曲が偶然にも「Runner」。
この子達が歌ってくれる「Runner」を聞きながら不思議に思う、
「こんなこともあるんだなぁ・・・」
たまたま慰問に来た人間が、たまたまその時に練習してる曲の作曲者だっただなんて・・・
園長さんはこの曲を作ったのが私だということは知らなかったので、
「実はこれ・・・私が作曲したんです・・・」
と言ったら、子供達が私にこう言った。
「すごーい!!(◎_◎;)作曲ってどうやってやるんですか?!!」
その時に私は心に決めたのだ。
「俺が何でも教えてやる!!」
北朝鮮で「ロック」を教えて来た人間である。
カンボジアでこの子たちに何を教えるなんて私にとってはしごく簡単なことである。
Facebookの私の投稿を見て、ある人がこう書き込んだ。
「いよいよカンボジア編スタートですね*\(^o^)/*」
「北朝鮮プロジェクトに続いて」という意味なのだろう。
私はこう返信した。
「北朝鮮に比べたらはるかに障害は少ないですよ(笑)」
映像に立派な演奏機材が映ってるのを見て、後々
「なんだ、この子達は恵まれてるじゃないか。他にもっと大変な孤児院はいっぱいあるのに」
などと言う人が現れるかも知れないので先に言っておこう。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!(キッパリ)
そもそもが、この子達に小さい頃から伝統舞踊を教えたこの孤児院の創設者が素晴らしいのだ。
「貧しい人に食べ物を与えるのが援助じゃない。釣竿を与えて釣り方を教えて、その人達が自分の力で食って行けるようにすることが大切なんだ」
と言った人がいたが、その通り、この子達は実際に伝統舞踊を踊ったりして収入を得ている。
まだまだ日本などからの支援の額には及ばないが、
それでも「自分で食ってゆく」何らかの「技術」があることは素晴らしい!!
他にも困っている孤児院はいっぱいあることも事実だろう。
でも私は「たまたま」この子達と知り合った。
だからこの子達を先に援助する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
北朝鮮ロックプロジェクトが始まって最初に平壌に行った時、6月4日高等中学校軽音楽部の女の子達と初めて会って私はこう思った。
彼女たちの笑顔こそが「ロック」なんだ・・・
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
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