2023年4月23日
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2019年6月16日
ある愛の唄プロジェクトまとめ
「ある愛の唄」
1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。
同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。
その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。
「中国で本物のロックを見つけた!!」
インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。
爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。
「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」
つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。
「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。
<デモ制作>
そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸恭子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。
デモ音源
<コンセプト>
当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。
のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。
<天安門にロックが響く>
さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。
この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。
そしてこの小説が原作となって、漫画「北京の春」が発刊された。
この本は中国語に翻訳され、香港、台湾で発売された。
中国共産党のお膝元である中国大陸ではもちろんご法度であるが、中国人である私の妻(当時)の両親が北京から来日した時に見つかってしまいこっぴどく説教をされた。
「中国では絶対にやってはいけないことがふたつある。ひとつは色ごと、もうひとつは政治批判!!家族の中でそんなことやってる人間が現れたら一族郎党どんな目に遭わされるやらわからない」
と・・・
実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。
また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。
<キョンマとの再会>
私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。
これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。
「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」
私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。
その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。
<制作開始>
そしてついにアルバムが仕上がった!!
(こちらで購入できます)
そして2019年5月19日にアルバム全曲再現ライブが行われた。
そして、このアルバムの楽曲は「世界中のより多くの人に歌ってもらいたい」というコンセプトにより、現在のところ「著作権フリー」にしている。
その流れを受けて、歌手の山下直子さんもこのアルバムを歌って下さった。
そして今、世界中の人たちに歌ってもらうべく、キョンマ自ら歌うベトナム語版、
そして中国の著名歌手「李慧珍」が歌う中国語版と、
カンボジアくっくま孤児院の子供たちが歌うクメール語版の制作が始まっている。
ブログ記事「ある愛の唄中国語版」
ブログ記事「ある愛の唄中国語版その後」
ブログ記事「中国の契約書との戦い」
ブログ記事「クメール語バージョン制作開始!!
ブログ記事「支援は人のためにあらず」
ブログ記事「クメール語版「中国のマドンナ」
Posted by ファンキー末吉 at:08:05 | 固定リンク
2019年5月 8日
「ある愛の唄」中国語版
ブログ記事「ある愛の歌」中国語版でも書いた「李慧珍(Li HuiZhen)」からやっと返事が来た・・・
彼女にアルバムを聞かせてから、このせっかちな私が全く彼女に連絡せずにひたすらずーっと返事を待っていた。
元々がそんなに頻繁に連絡を取るような間柄ではない。
いつもWeChatのモーメンツとかで相手のアップした情報を見て、
「うんうん、元気そうだな」
と「生存確認(笑)」をするだけでいい。
そんな「間柄」である。
布衣のツアーのアモイの日にメッセージが来た。
「Funky〜あの歌詞カードのデータある?私にくれたのPDFじゃない?文字データのが欲しいの」
事務所の人に聞かせてミーティングするらしい・・・
それからまたぷつっと音沙汰がなくなったが、
このせっかちな私がひたすら待った。
アルバムの感想なども一言も聞いてない。
「聞いたわよ。とても良かった」とかの一言もない。
「催促」とかしちゃったら、大切にしている「何か」が壊れてしまいそうな気がして、逸る心を抑えてひたすら待ったのよね・・・
でも「ミーティングにかける」ということ自体が「良かった」ということではないか・・・
まあ万が一「これはちょっと・・・」と言われる可能性も頭に入れていたのだが、
この「ミーティングにかける」ということ自体で「最初の本人の段階で蹴られる」という懸念は全て吹っ飛んだことになる。
しかしここからが問題。
彼女も、まあ今は第一線は退いているとしても「有名歌手」のひとりである。
ちゃんとした事務所に所属もしているし、彼女自身が「商品」として色んな会社や人々の生活を支えている存在であることも十分想像出来る。
「これいいわねぇ、遊びでいいから出したいわ」
が通じる立場ではない。
「出すならちゃんと商売にする」
という人達の中で生きているのが「スター」なのである。
そのまま布衣のツアーをしながらひたすら待った・・・
そしてようやく先日、長春の山奥にて返事を受け取った。
「Funky、事務所のOKが出たわよ!!
このアルバムは通常の商業的なアルバムじゃなくコンセプトを売るアルバムなので、普通の売り方じゃなくそれ用の宣伝チームを組まなきゃなんない。
だから別の会社も探して来たから、その会社も投資してうちの会社と一緒にやることになりそう」
!(◎_◎;)・・・山が動いた・・・しかも巨大な山となって・・・
「だからね、まず権利関係をクリアにして契約書を結ばなくちゃなんないの」
権利関係ったってワシが作ったもんで別にどこにも権利はおまへんがな・・・
というわけで、現在事務所のマネージャも出て来て難しい契約書のやり取り・・・
・・・ですが皆さん、ここでひとつ声を大きくして言いたいのは、
「今では中国ではヘタしたら日本より著作権がしっかりしている」のだよ!!
発展の速度がハンパじゃないこの国は、気がつかないうちに昔書いた「権利商売」はその先にある!!よりももっと先に進んでいる・・・!(◎_◎;)
まあその辺は次のブログ「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」で詳しく説明するとして、とにかくこの中国語版によって私にはお金が入るのですぞ!!
つまり中国で権利商売が出来る時代になった!!(◎_◎;)
全てはこのクラウドファンディングでパトロンになってくれた方々のおかげ!!
感謝感謝!!・・・もう立派にJASRACなど必要のないシステムがこの国では出来上がっているということです・・・
思い通り以上に上手く動いているこのプロジェクトですが、
そもそも私は別に「儲けよう」と思ってこのアルバムを出したのではない!!(キッパリ)
日本の音楽ビジネスの狭間で捨てられていたこの子たち(このアルバムの曲たち)を、世界中の色んな人たちにもらってもらいたい、歌い継いでもらいたい・・・
DEMOを歌って大事に保管してくれてたキョンマ自身が歌ってくれた世界で最初のこのバージョンに続き、キョンマ自身によるベトナム語バージョン、カンボジアのくっくま孤児院の子供達に夜クメール語バージョンも制作を開始している。
そしてここに来て、日本の歌手「山下直子」さん(通称ナッキー)による新しいバージョンが出来上がりました!!
そうそう、これをやりたかったのよね〜・・・
色んな人に歌い継いでもらいたい!!
ナッキーが「この曲を歌いたい!!アルバム全部歌いたい!!」と言ってくれてとっても嬉しかった。
レコ発ライブもあるというので是非足を運んでやって下さい!!
また、クラウドファンディングでカラオケをゲットして自分バージョンのアルバムを作りたいと思ってる人、まだ躊躇してたり、色んな困難にぶち当たってたりしてたら是非私にご一報下さい。
金はないけど出来ることはお手伝い致します!!
クラウドファンディングには参加してないけど、「私も歌いたい」という方も遠慮なく相談して下さいね〜こちら
ご本家キョンマのレコ発ライブはこちら〜!!
第一部は売り切れです。
19:30からの第二部をご予約下さい〜こちら
世界初のバージョンとなるキョンマバージョンはこちら〜
「ある愛の唄プロジェクト」・・・想像以上に動いてます〜