
2021年9月28日
頑張れ手数王!!
多くのミュージシャン達と同じく、私もこの書き込みを見てショックを受けている・・・
私がこよなく愛する打楽器奏者の江川ゲンタ君もこんなコメントを寄せている・・・
かく言う私もそうだ、
こーぞーさんがいたから自分は手数系に走らなかった、いや「走れなかった」。
音楽は「数字」ではないので、ホッピー神山の「音楽王」であろうが、私の「亜州鼓王」であろうが、「違うよ、この人の方が・・・」と言われても、所詮は「好き嫌い」が決定するものなので比べようがない。
ところが「手数」は文字通り「数字」である。
オリンピックの記録と同じように明確に比べられるものである。
その名をつけた、すなわちそれを背負って生きて来た彼の生き様にまず敬服である・・・
まあ会うとそれなりに「ライバル意識」もあるし照れもあるし、今までこんなことを素直に口に出すことが出来んかったが、多くのドラマーが私のように彼に対してコンプレックスを抱いて生きて来たのであろうと想像する。
私の場合、彼には敵わない手足の速さを、自分の叩ける範囲でなるだけ速く聞こえるようなフレーズばっか編み出して来て今に至る(笑)
それでも手足はもっと速く動いた方が「楽しい」ので、「何とかならんか?」と努力もしないまま今に至るのだが(笑)、
作曲やアレンジ仕事をしてる時に時々こんなことが頭をよぎることがある・・・
「こんな他所ごとやってる暇あったらもっとドラム練習してた方がええんとちゃうん!!」
いつの間にやら、ドラムではない音楽の仕事で時間を割かれていることを「言い訳」にしてますます練習しなくなる(>_<)
「こんなことせずにドラムだけやってたら俺はもっと上手いでぇ」・・・こんなの全くもって「言い訳」でしかない(涙)
でもドラムの進歩を犠牲にして他の音楽仕事をやって来たのだとしたら、実はそのおかげで今があるのも事実である。
前述のゲンタ君もそうだろうが、私もプロデュース業を数多くやって来たおかげで非常に音楽的なドラムが叩けるようになったと言える。
今中国という異国でドラム叩いてメシが食えているのはこれがあるからである。
こーぞーさんとは違う「私の人生」を生きて来た・・・
よくこーぞーさんとはドラムバトルをしたが、意地の悪いあいつ(笑)は、私のソロの後には決まって私の叩いたフレーズを模して手数を入れる・・・
「自分の土俵」に誘っているのである・・・
その手に乗って崩壊したことも一度や二度ではないので、今ではそんな誘いには乗らずになるだけ「こちらの土俵」で戦おうと頑張って来た!!
おかげで「音の大きさでは誰にも負けん!!」とか、「一発のスネアでロック魂を表現する」とか、「ドラムソロはプロレス技」とか、わけのわからん「自分の土俵」をたくさん確立して来た(笑)
昔、楽屋で交わした彼との会話・・・
「なあこーぞーさん、今の若いドラマーでええドラマーって誰?」
「いや、おらんで〜俺ら59年生まれから下にはもう誰もおらん!!」
一歳年上ではあるがひぐっつぁんを始め、クドーちゃんやマッドさん、日本のロック界を築いて来た数々の個性的なドラマーが生まれた背景には、多かれ少なかれ菅沼孝三という存在があったからこそ「それ以外の方向性」を模索して確立して来たからではあるまいか・・・
彼のことを書いた昔のブログ記事があった・・・菅沼孝三考
そう、ソンゴの叩き方を教わったのはあの日清パワーステーションでの楽屋であった・・・
教わって彼はすぐにステージで叩いてたが、私はそれを人前で叩くのに数年かっかっている(>_<)
ブログ記事:ラテン叩いてみた(Orquesta De La Luz:SoySincera)
これを左手メインで叩くのに1ヶ月半かかっている(>_<)
でもこーぞーさんがおらへんかったら一生こんなリズムを叩くことはなかったやろうと思うぞ・・・
私の生まれ故郷の田舎町では、レコードにJazzもRockも区別がなく、「歌謡曲」と「その他」だったので、私自身も別にジャンルに関係なく何でも叩いて来たが、中国人にこんなことを聞かれたことがある。
「日本のドラマーってみんなFunkyさんみたいにJazzもRockも叩くんですか?」
「いや、菅沼孝三ぐらいやで〜あとはRockに特化した素晴らしいドラマーとJazzに特化した素晴らしいドラマーと、Fusionに特化した素晴らしいドラマーと・・・でもそれぞれが他のことはするのはあんまり見ることないなぁ・・・」
なので、こんな私がドラムに関して「モノを聞ける」のは実はこーぞーさんだけだったのかも知れない・・・
彼からは色んなことを教わった・・・
そんな彼が今病魔と戦っている(>_<)
でもまあ癌のステージ4で余命宣告されて、それでも復帰してる人もいっぱいいるからな。
復帰したら今度はもっと心の垣根を下げて、聞きたいことを素直にいっぱい聞こうと思う。
それと最近になってやっとやり始めた「基礎練習」とやらをやってるといつも思うことがある。
こんなほんまに辛い作業を、50年以上ずーっとやって来た男がおる・・・
それは本当に驚愕に値する彼の人生である!!
あんたがおったから避けて来た道を、遅ればせながらもう一回歩み直すから、あんたが復活したら今度こそあんたの土俵でバトルしようや・・・
待ってるで〜
その時は、いつか話した「中国でのヤマハvsパールの戦い」やろうや〜
商売敵である二つの会社が一緒になって、それぞれの製品をワシらの戦いに乗っけて宣伝する・・・おもろいなぁ〜やろやろ!!言うてたやろ〜
お互い背中にヤマハとパールの看板背負って、二人で全中国廻ろうや〜!!
あんたの土俵では今から始めてあんたに叶うレベルにまで行くかわからんけど、精一杯腕磨いて準備しとくでぇ〜
復活、心待ちに待ってるからな〜!!
59年生まれのドラマー仲間より、長き友情と尊敬の念を込めて