
2020年7月14日
英語と中国語とクメール語
外国で暮らすのが夢だった・・・
何も知らない幼い頃はターゲットはアメリカしかなく、
それでも日本の英語教育の「間違ったら恥ずかしい」に心挫かれて、
結局ちょっと喋れたら「中国語上手いですねぇ」という中国社会でもう30年も暮らして来たことになる・・・
今となっては、英語は一度頭の中に浮かんだ中国語を引っ込めて仕切り直して英語で喋るみたいな感じで全く喋れなかった。
時々タカシに喋ってて、それが中国とやり取りした直後だったりしたら、こちらは英語で喋ってるつもりでもところどころ中国語になってたりするらしい(笑)
さて日々は移り変わり、今はカンボジアで暮らしてる・・・
この国は基本私ぐらいの英語力で十分暮らしていける国である。
しかし思い立って今英語でクメール語を勉強している・・・
そこで少し気づいたのだが、頭の中がこの生活の中で結構「英語化」されてるのではないか・・・
うちの娘が小学校に上がる前、半年ぐらい中国で暮らしたのだが、
その時点では全く中国語が喋れなかったのだが、
帰国して高知で暮らし始めたら今度は土佐弁しか喋れなくなった(笑)
娘はまだ北京のばーちゃん(もちろん中国人)とかクラスメート(これももちろん中国人)と会話した内容をまだ覚えてるらしく、
でもそれは今になってはそれら中国人が日本語を喋ってるという図で思い出されて来るらしい・・・
そう、大事なのはそのイメージであって、
それを何語で表現するかはその「手段」でしかないのだ・・・
ところが外国語を習得するというのはご存知の通り並大抵の努力では出来ない。
一時期中国語しか出来なかったという娘でさえ今は中国語を喋れない。
お隣さんの二井原実がワシにこんなことを言ったことがある。
『Funky〜そんな日本語が通じん国で老後を暮らしたいと思うか?」
これは実は私にとってはショッキングな発言であった。
おそらく私の中国語より上手い英語を操るこの世界のロックシンガーが、
例えその英語が通じる国よりも母国語である日本で老後を送りたいと!(◎_◎;)
でも気持ちはわかる!!
私は長く中国語で暮らしているが、時々病気のようにあらゆる中国語が耳に入って来なくなる時がる。
頭が中国語を拒絶してるんやな・・・
まあ長くそれと一緒に暮らしているので「まあしばらくしたら治るだろう」ぐらいの「病気」ぐらいに今は考えてるが、二井原の言うのは、「そんな病気が出るような国で死ぬまで暮らしたいか?」ということだろうと想像した。
(二井原にもこの病気があるかどうかは知らんが)
とかく外国語を喋れるようになるためには、
一番障害になるのは「完璧主義」である!!
人が聞くとびっくりするかも知れんが、私はA型で実に完璧主義な人間である。
でも爆風が活動停止して、中国で生きて行かねばならなくなった時にそれは捨てた!
所詮語学に「完璧」なんてものはないのだ!!!
30年中国語で暮らしてても、ここまで喋れたらそれ以上の会話が、そこまで喋れたらそこ以上の会話が・・・いつまで経ってもワシら外国人がその国のネイティブな言語を喋れるようになるはずがない!!!
そんな不自由な世界で老後を暮らしたいのか・・・それは二井原ぐらい英語が喋れても考えるであろうひとつの「正論」である。
さてそんな中で今のワシ・・・
英語を使ってクメール語を勉強している・・・
まあ「なんでクメール語を勉強してるの?」というのに対しては色んな答えがあるけれども、端的に言うと「仕事もないしヒマだから(笑)」・・・
「どうせしばらく帰れんのやからほな〜」という感じである。
でもそれをやってると今度は脳がどんどん「英語化」される・・・
昨日BassのSakhornから呼び出されて飲んだ時にそう思った・・・
この国の売れっ子ミュージシャンである彼が連れて来たのは、若いけど「おじさん」にあたる人らしいが、これもミュージシャンでピアニスト。
クラシック畑から出た人でオーケストラのアレンジも全部出来ると言う・・・
この国でオーケストラ録音するならどうすればいい?みたいな話で盛り上がった。
気がついたらワシ・・・英語で話してるやん!(◎_◎;)
これは私自身にとっては衝撃的なことであった。
何故なら同じテーブルで半年前には3分でカラータイマーが鳴って逃げ出して帰ってたのだから・・・
「言語なんてその国に行けばすぐに喋れるようになるよ」ということをよく言われるが、ワシは全く信用してなかった。
渋谷有希子(長らく音沙汰ないなぁ〜元気かなぁ・・・)が中国に来た時、
やはり毎日一生懸命勉強してて、やっとカタコト喋れるようになって「凄いなぁ」と思ったことがある。
言語なんて勉強しなければいつまで経っても喋れやしないのだ!!
ところがこの国に来てからいつの間にやらちょっと英語が喋れるようになってる!(◎_◎;)
もちろん勉強したわけではない。
「喋れないと生きてゆけない」からである。
この辺はやはり中学校から英語教育を受けて来た「下地」がここで生きて来ているのだろう・・・
勉強しなければ単語は増えることはないが、昔覚えた単語が出て来ているのだ。
自分にとって英語のボキャブラリーと中国語のボキャブラリーとどちらが多いのかはわからないが、今日の話題、音楽家にとって金とは・・・金がなければ音楽も出来ないけど、金のためには音楽はやれないね・・・
ここで「理想と現実」ということを言おうとしたのだが、
現実は「Real」でいいとしても(知らんけど(笑))この「理想」という英語が全く出て来ない(>_<)
中国語だとその言葉の漢字がわかれば大体喋れるのだ。
「理由」と「想像」という単語を知ってると、その「理」と「想」をくっつければ乱暴にそれだけで喋れる。
英語だと「Reason」と「Image」知ってても「Ideal(?)」は出て来んもんなぁ・・
まあこの人の英語が、カナダに留学してただけあって非常に上手いのと、
それでいてネイティブの人みたいに難しい単語でまくし立てるということもない。
でも結局は半分ぐらいわからん会話を、なんとか知ってる単語を繋ぎ合わせて全体の意味を把握している・・・
ああ、これって中国語でもそうやったなぁ・・・
なんとなく思い出した。
語学に「完璧主義」はダメなのだ。
わかってなくても適当に相槌を打ちながら会話を流して全体を把握してゆくことが大切だった・・・
ではクメール語はどうだろう・・・
残念ながら今週で学びの窓も終了!!
4週間のタームが3回で今週が最後、
早いのか遅いのかわからんが、今週で教材も終わってしまうので、これで一度おしまいにした。
学んだ単語を全部エクセルに打ち込んだら600以上、それがまだほとんど覚えてないのだから喋れるわけがない。
会話しようとしてても、「あ、あれ勉強したなぁ・・・何て言うんだっけ」となる。
つまりこの単語を全部復習して頭に定着させたらある程度は喋れるようになるに違いない。
このまままた新しい教材になって、また一日にたくさんの単語を叩き込んでは忘れてゆく・・・まあ語学学習にとってはそれも大切なことなのではあるが、制作の仕事が始まったらもうそれを毎日予習復習する時間がない(>_<)
おじさんとはもう会えなくなるけど、ここは一度学校から離れてこの教材をもう一度最初から復習しようと思い立ったのである・・・
Facebookでカンボジアに住む人から流れて来た情報で、
中国語でクメール語を教えてる人と繋がった。
中国人で日本語も喋れるようだが、日本語で教えると8ドルなのに対して中国語で教えると7ドル!(◎_◎;)
中国語でええし〜(笑)
思えば英語を喋る時も頭の中で一度中国語が浮かんだのを押し戻して英語に変換している。
クメール語の場合はそれを更にクメール語に変換しているので時間がかかってパッと出て来ない・・・
いっそのこと中国語をインターフェイスにしたら回路が繋がるのではないか?(笑)
まあ語学に近道はないので、とにかくこの3ヶ月勉強したことを、ちょっと時間を置いて全部復習してみたい。
おじさん、ワシが来なくなったら心配するかなぁ・・・
それだけが心残りである(笑)
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2020年7月13日
カンボジアの結婚式
前回このドラムレコーディングでお世話になったプロデューサーからメッセージが来た・・・
「12日は私のWeddingだから是非来て下さい」
結婚式かぁ・・・
カンボジアでは路上にどでかいテントを建ててそこで結婚式をしている景色をよく目にした。
聞くところによると今は路上は禁止されてると言うが、
実際この前うちの隣に道路を封鎖してまでテントを建てて、
これは結婚式ではなく葬式なのだが、
まあ三日三晩とは言わないが丸々2日は葬式を繰り広げていた・・・
くっくま孤児院の子供たちも、地方のこんな結婚式に呼ばれて伝統舞踊を踊ったり、そのために今ではPAシステムだけでなくステージや照明器具まで買い揃えていると言う・・・
はてさて、制作仕事が大詰めになっているというのにここで三日三晩飲み続けるスケジュールはない(>_<)
幸い「じゃあBoomBaar君と一緒に来ればいいよ」とのことなので、
「結婚式って何時から始めるの?」
と聞いてみる。
「Evening」
・・・ってあーたそんな大雑把な(>_<)
しかし結婚式となるとまず着て行く服が問題である・・・
LCCに載せられる7kgの荷物だけ持って、それこそ「着の身着のまま」でやって来てそのまま住み着いてるんだから礼服なんかあるわけがない!!
持ってる服と言えばおの写真の後ろに掛けている服だけである・・・
幸いタイで買った白ずくめの上下があったのでBoomBaar君に聞いてみたら、
「いいんじゃない?俺もラフな格好で行くよ」
というわけで、それにネパールでもらった首にかけてくれる布をコーディネートしてみた・・・
まあこれに財布兼色んなものが入っているベストを着るのでこんな感じ・・・
全く普段着やん!!(笑)
まあ中国での結婚式も基本普段着なので大丈夫じゃろう・・・
そうなると問題は「ご祝儀」の額である・・・
少な過ぎると礼を欠くし、多過ぎると浮いてしまう・・・っつうか多く払うその金がないがな!!(>_<)
カンボジア人にいろいろリサーチしてみるが、
「20ドルぐらいじゃない?」とか「30ドルぐらいじゃない?」とか言うのでほっとしてたら、タカシが
「Funkyさんなら100ドルは包まなきゃ」
と言うので腰を抜かしそうになった((((;゚Д゚)))))))
しかしカンボジアでは誰かと一緒に行っても連名で100ドルでいいらしい・・・
おう!助かったぞ!!じゃあBoomBaar君一緒に100ドルで〜
というわけで彼の車に乗って一緒に会場へ〜・・・・
って着いてみたら何?この高級なレストラン!(◎_◎;)
このレストランを借り切って結婚式やってるのか・・・
新郎自ら来客を出迎えてくれて席に案内する・・・
そして入り口でもらったのがこれ!!
まあ「引き出物」っつう感じかな、消毒用アルコール・・・ご時世やなぁ・・・(笑)
というわけで席に案内されたけど、その席はまだ私を含めて4人しかいない。
噂には聞いてたが、10人揃わないと料理が出て来ないのだ(笑)
他の席は美味しそうな料理をもう食べているが、こちらはひたすら人数が揃うまで待つ・・・
そしてやっと料理!!
これ何料理やろ・・・カンボジアの料理ではないような洋風な・・・
そして久しぶりに召すペッパーステーキ!!
このソースがカンボジアの生胡椒が入って美味い!!
このソースをフランスパンにつけて食うとまたこれが美味いのよ〜・・・
カンボジアはフランスの植民地だったのでその影響でフランス料理も多く、ここもフランス料理屋かも知れない・・・
ステージ上では新郎のお父さんが何やらスピーチ・・・
なんか今回は新婦が全くフィーチャリングされないのよね〜
有名プロデューサーだからなのかここのご家庭の事情なのか・・・
ひょっとして新婦の故郷とかに行ったら今度は逆に新婦中心のパーティーをやるのかも知れない・・・
新郎新婦が上がって来て一緒にスピーチをするが、
言っちゃ悪いがみんな食うのに一生懸命で誰もスピーチ聞いてないのよね〜(笑)
料理はシーフードとなり、スープとご飯〜
チャーハンと白飯が半分でハートマークになっているのが結婚式らしい・・・
その後ちょっとトイレに行ったのだが、そしたらBoomBaar君からメッセージが・・・
「どこにいるんだ?食事も終わったから帰るぞ」
・・・ってもう帰るん?!(◎_◎;)
ってもうみんな帰ってるがな・・・!(◎_◎;)
中国でも別に新郎新婦に挨拶するわけでもなく三々五々勝手に帰って行ったが、まあ全部が全部セレモニーになってる日本のやり方の方が特殊なのかもな・・・
心配で「ご祝儀はいつ渡すん?」と聞いたら「帰る時に」と言うので見てたら、本当に玄関にそのような場所があった。
ご祝儀袋が用意されているのが嬉しい(笑)
私が渡した100ドル札をそのご祝儀袋に入れて、BoomBar君が二人の名前を連名で書く・・・
おう・・・この料理で50ドルだったらまあ安いぞ・・・
ということは新郎新婦はこのパーティーにいくら金を使ったんだろう・・・
路上にテント建てて三日三晩飲み食いしてたら果たしてどんなことに・・・((((;゚Д゚)))))))
しかし昔ながらの路上にテントの結婚式ってもう今ではあまりやらんのか?
(路上は禁止されたという話だが・・・)
はたまた彼がたまたま有名プロデューサーで、若者たちの先陣を切って昔のスタイルを打破しようとしてるのか?・・・
色んなことを考えながらBoomBaar君の車で送ってもらって帰路に着く・・・
「カンボジアで結婚するって大変だな、お前結婚する時どうすんの?」
聞いてみたら、「I don't know」と言って肩をすくめる・・・
いや、どっちにしろ大変やと思うぞ・・・
車を降りてから気がついた・・・BoomBaar君、ワシがご払ったご祝儀100ドルの半分、君のぶんの50ドルまだもらってないぞ〜・・・(笑)
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