
2019年6月19日
カンボジアRock!(◎_◎;)
くっくま孤児院のくっくまバンド、前回はオリジナル曲を2曲演奏したが、
今回は私からのリクエストで私が最初に出会ってこの子たちを見初めた曲を演奏してくれと頼んだ。
この曲にやられちゃったのよね〜・・・
音楽を職業なんかにしちゃったら、私なんか音楽を聞く度に「仕事」になっちゃう。
気がつかないうちに頭の中では曲を分析し始めるのよね〜(>_<)
メロディーやコードの組み立て方とかアレンジのやり方とか・・・
ところが時々ぶっ飛ばされちゃって全く仕事ではなく「観客」になってしまうことがある。
それがこの曲・・・
もうね、作り方が変!!(笑)
聞けばこれは元々がカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
それをカンボジアのテクノアーティストかなんかがテクノにアレンジしてYouTubeにアップしてたのをこの子たちが耳コピしてバンドで演奏してるからもうぐちゃぐちゃ(笑)
それが私の「仕事脳」をぐちゃぐちゃにして完全にノックアウトしちゃうのよねぇ・・・
今回のライブで、またライブ会場でをDVD売るべくリハーサルを録画する・・・
この曲は歌ってない部分が多いので
「なんか振りつけて踊らなきゃ」
とボーカルの子に言ってたのだが、次の日はこんな振りをつけて恥ずかしそうに踊っていた。
聞くところによるとこれもカンボジア民族舞踏によくある動きらしい・・・
もうテクノは入るわ伝統舞踊は入るわぐちゃぐちゃ(笑)
いや〜この動きがいいのよ・・・
さて本番!!・・・当日に美和お母さまからメッセージが入る。
「ボーカルのスレイクォイが喉の調子が悪くて泣いてます(涙)」
いやそれもまた「ライブ」!!
中野も一度ステージで突然声が枯れてやっとこさ最後まで歌ったことがあるし、
二井原は実際声が出なくなってライブをキャンセルしたこともある。
一度も声が枯れたことなんかなかった渡辺英樹が全然出なくなったこともあるぐらいである。
まあ全く出なくなるのじゃなければ、声の調子が悪いのもまた「ライブ」である。
リハが始まった・・・
「リハは一生懸命歌わなくてもいいからね」
と言ってたのだが、見てるとやはり一生懸命歌っている。
まあまだ「手を抜く」ということが出来んのね、それはそれでよかろう・・・
ファンキーはんと大村はんのライブ(割愛・・・笑)が終わっていよいよくっくまバンドの登場!!
(リアルタイムにライブ配信してたアーカイブ)
なんか前回よりパワーアップしとる!(◎_◎;)
先生から与えられたオリジナル楽曲ではあるが、だんだん「自分のもの」にしていった感があるのう・・・
オリジナル2曲が終わり、育ての親のソバン先生を交えての最後の曲・・・
ソバン先生は、もともとこの孤児院の母体となった孤児院をやってた人で、
自分の孤児だったのだけれども、この子たちを引き取って、
ないお金を回しながら育てて来た。
それを見たくっくま孤児院の代表者が見るに見かねてくっくま孤児院を作ったというわけだ。
ソバン先生が素晴らしかったのは、孤児たちにカンボジアの伝統舞踊を教え込んだところである。
だからこの子たちはみんな伝統舞踊が踊れる。
踊るための楽器演奏も自分たちで演奏出来る。
そこから派生したのがこの「バンド」である。
そしてソバン先生もギターで参加しての最後の曲!!
それにしてもこの楽曲の破壊力は凄まじい・・・
全ての日本人客はこの楽曲を聞いたことはないのだが、
それでもこの曲は予備知識もない日本人客の心を完全に鷲掴みにしとる・・・
何よりもオリジナル曲も含め、この店のカンボジア従業員が大盛り上がりに盛り上がっていることが物凄い!(◎_◎;)
日本人のほとんどはくっくま孤児院を応援しているわけで、
その「当たり前」の状況を度外視して、全く損得勘定がないカンボジア従業員がこうして大喜びで楽しんでいることこそが何よりの「手ごたえ」ではないのか!!
思わぬアンコールが来た!!・・・やる曲あるのか?・・・
今日やった曲をもう一度やるのかと思ったら、私の知らないカンボジアの曲を演奏し始めた!(◎_◎;)
もうね・・・先生完敗(>_<)
先生が手取り足取り教えて、それをやっと消化してこのステージに立っているわけではない!!
この子たちは自分たちだけで既にここまで来ているのだ!!
そしてこの先生さえも貪欲に飲み込んで更に大きくなってゆく・・・
この曲もカンボジアの古い曲だろう。
タイのルークトゥンと同じように、楽しいリズムに乗っけて、泥臭い生活感を歌っているのだと思う。
この国の不条理を全て背負って、拳を挙げながら戦ってゆくだけが「Rock」ではない。
全カンボジア人、いや世界中の人々を巻き込んで、
こうやって明るく楽しくのし上がってゆくのもまた「Rock」である。
くっくまバンド・・・実はとてつもない「ロックバンド」に育っていってるのかも知れない・・・
そんなことを感じた今日のライブであった・・・
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2019年6月16日
ある愛の唄プロジェクトまとめ
「ある愛の唄」
1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。
同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。
その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。
「中国で本物のロックを見つけた!!」
インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。
爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。
「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」
つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。
「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。
<デモ制作>
そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸恭子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。
デモ音源
<コンセプト>
当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。
のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。
<天安門にロックが響く>
さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。
この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。
そしてこの小説が原作となって、漫画「北京の春」が発刊された。
この本は中国語に翻訳され、香港、台湾で発売された。
中国共産党のお膝元である中国大陸ではもちろんご法度であるが、中国人である私の妻(当時)の両親が北京から来日した時に見つかってしまいこっぴどく説教をされた。
「中国では絶対にやってはいけないことがふたつある。ひとつは色ごと、もうひとつは政治批判!!家族の中でそんなことやってる人間が現れたら一族郎党どんな目に遭わされるやらわからない」
と・・・
実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。
また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。
<キョンマとの再会>
私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。
これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。
「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」
私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。
その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。
<制作開始>
そしてついにアルバムが仕上がった!!
(こちらで購入できます)
そして2019年5月19日にアルバム全曲再現ライブが行われた。
そして、このアルバムの楽曲は「世界中のより多くの人に歌ってもらいたい」というコンセプトにより、現在のところ「著作権フリー」にしている。
その流れを受けて、歌手の山下直子さんもこのアルバムを歌って下さった。
そして今、世界中の人たちに歌ってもらうべく、キョンマ自ら歌うベトナム語版、
そして中国の著名歌手「李慧珍」が歌う中国語版と、
カンボジアくっくま孤児院の子供たちが歌うクメール語版の制作が始まっている。
ブログ記事「ある愛の唄中国語版」
ブログ記事「ある愛の唄中国語版その後」
ブログ記事「中国の契約書との戦い」
ブログ記事「クメール語バージョン制作開始!!
ブログ記事「支援は人のためにあらず」
ブログ記事「クメール語版「中国のマドンナ」
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Wing&Paulシンガポール
前回のマカオに続いて私は2回目の参加となる「衝動効応Impulse」すなわち「Wing&Paulワールドツアー(と私は呼んでいる)」!!
その間に行われた広東省佛山と四川省成都はスケジュールが合わず断念(>_<)
結局海外のみに参加している私です・・・嬉しいのか悲しいのか・・・
例によって香港で2日間リハをやってシンガポール入り!!
宿泊先はハードロックホテルなのよ〜
お決まりのオブジェ!!
プールには砂浜もある!!
さすがハードロックホテル!!プールに砂浜があります!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA
プールの中に座って飲めるバーも!!
プールの中で飲めるバーもある!! 朝からは営業してないけど・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
ジャグジーも!!
ジャクジーも〜 - Spherical Image - RICOH THETA
遊びに来たのではない!!仕事である・・・
会場がまたデカい!!
シンガポールの会場なう〜 またこりゃ大きな会場ですなぁ〜 - Spherical Image - RICOH THETA
ドラムはちゃんとPearlのドラムセット!!
いい音で鳴ってます!!
サウンドチェックも無事終わり、メシでも食いに行こうと思ったら、
この辺はリゾートワールドセントーサっつう大高級リゾート地。
コンビニもなければ夜中開いてる屋台なんか皆無です(>_<)
仕方ないのでタクシーでセントーサ島を離れ、24時間営業だという屋台村「テロック・エア・マーケット(ラオパサ)」へ!!
久しぶりに再会したエンジニアの吉田くんと台湾人スタッフ!!
ゲネプロ終わってスタッフと一緒にシンガポール屋台〜!! - Spherical Image - RICOH THETA
シンガポールは英語も中国語も通じてとても便利!!
だけどやっぱ物価が高い(>_<)
まあ屋台なのでシンガポールの中では安い方だがそれでも日本と同じかちと高いぐらい?
タクシー代も片道数千円とちょっとお高い(>_<)
でも味はなかなかでしたぞ!!
というわけで就寝!!翌日本番!!
いや〜満席!!!・・・よく入った!(◎_◎;)
3万5千人収容出来ると言うけど、
人口500万の国で3万5千人と言うと、
日本を1億人として計算したら70万人集めてる?!(◎_◎;)
もちろんマレー系、インド系は皆無で中華系ばっか(笑)
ボーカリストとなったWingさんもライブでは数曲ドラムを叩きます!!
私もメンバー紹介曲で少々ソロを〜
そして今回のWingさんのソロ!!
いや、ピアニシモから持っていく客の煽り方とかなかなかのもんやったぞ!(◎_◎;)
最後の曲はやっぱこの曲でしょう!!
もうね、涙なしでは叩けません!!
カーテンコール終わって楽屋に戻ったらメンバーみんなワシを拝むのな(笑)
そのうちドラム台が仏壇になることであろう(笑)
「次のマレーシアは来れるの?」とみんな。
「行きますとも!!」と言うとみんなで万歳する・・・
愛されとるのう・・・(涙)
次は8月24日のマレーシア!!
タイが決まりそうで決まらんが、スケジュール合うといいなぁ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:05:53 | 固定リンク
2019年6月13日
株(クイゼ)を守る
昔の中国の「宋」という国のお話です。
あるところに、田畑を耕す人が居ました。
その人の田畑には切り株がありました。
ある日、ウサギが走ってきて、その切り株にぶつかり、首の骨を折って死んでしまった。
それを見た彼は、またウサギを得ようと、田畑仕事をサボり、すっとその切り株を見張っていました。
(ニコニコ大百科)
いやね、別にサボっているわけではないんだけど、今まさにそんな生活(笑)
もうね、「ワールドツアー」と言いながらどんどんスケジュールが変わる(涙)
ブッキングしてる方も受けてる方もみんな「中国人」なんだからしゃ〜ない(>_<)
Wing&Paulのワールドツアー、だいたいは土曜日にブッキングされるのだが、
その前に香港で必ず2〜3日のリハをやり、
スター達はプロモーションのために前々日には現地入りするので、
逆算すればその週は一週間まるまる押さえられてしまうことになる。
それがころころとスケジュールが変わるとなると、
必然的に一週間ぽっかりとスケジュールが空いてしまうことになるのだ(>_<)
「リハは一本参加出来ないけど本番は行けるから」
ということで、
「Funkyは上手いから大丈夫だよ」
とか言ってたくせに、いざとなったら、
「やっぱこのスケジュールは別のドラマーに頼むし〜」
とかになったり、結局は6月は半月間ぽっかり空いてしまったのよ〜・・・
しゃーないなぁ〜・・・というわけで、
ベトナムのダナンに着いて〜
ニャチャンに行って〜
ニンホアにちょこっと寄って〜
トゥイホアでマグロ食って〜
クイニョンで桃源郷を見つけ〜
そこで村人たちとのんびり暮らし〜
そしてダナンでライブやって、
プノンペンでくっくまバンドとライブやってから香港入り!!
2週間で2日しか働いてない(笑)
まあ豪遊してるわけではなく、国内移動もバスだったり、
宿も一晩5ドルのバックパッカー宿だったり、
飛行機乗っても激安過酷乗り換えだったり、
美食以外にそんなに金も使わんし、もうこのまま南の島でセミリタイヤでもええやん!!しゃーないなぁ〜・・・っつう感じ(笑)
でもねぇ・・・また数ヶ月ぶりにホンモノと一緒にリハやってると楽しいの・・・
ちょうど今、香港では中国共産党の非民主的なやり方について香港人が大規模なデモをやっとる・・・
こんな映像見たら30年前の天安門事件のことを思ってしまうのう・・・
中国共産党は手加減せんからのう・・・
30年前にも無茶やっていっぱい人を殺したから、今回も死人が出なければいいなと切に願う・・・
ところで数年前に行われた香港の民主化運動で集まった市民に歌われたのがこの曲!!
「加油!加油!」豪雨に打たれながら合唱する「香港デモ」の若者たち【動画あり】
凄いぞお前ら!!
天安門事件の時に広場で崔健の一無所有が歌われたのを彷彿させる・・・
歌詞の日本語訳がこのサイトに載っている・・・
ぼくのわがままを許してくれないか
一生誰にも従わず
気ままにがむしゃらに
自由を愛し続けて行きたいんだ
(抜粋)
泣かせるのう・・・(涙)
香港ではもうこの曲を「香港の国歌」だと言う人もいる。
香港は国ではないので本当なら中国の国歌が香港の国歌なんやけどね・・・
若くして日本で死んだひとりの若者の歌が、これだけたくさんの人々を支えてる・・・
もうね、ワシええわ・・・ずーっと株(クイゼ)を守って余生を暮らす!!(笑)
いくらスケジュールが動いてもなるだけこのワールドツアーには参加しますわ!!
リハで叩いてても涙もんです・・・(号泣)
Posted by ファンキー末吉 at:17:38 | 固定リンク
2019年6月12日
中国の契約書との戦い
もちろん私が最初に中国に行った時にはこんな感じではなかった。
ロックミュージシャンに機材を買って来てくれと頼まれて、
税関で没収されたらコネを伝ってそれを裏口から出す。
まあ「法律」なんか「上に政策あれば下に対策あり」なのだから何のためにあるのかという話である・・・
まああれから30年近く経ってるのだから中国も近代化して来て当たり前!!
でも「昔は良かった」という部分もあるわけで、このままガチガチで日本みたいに全く融通の効かない国になったら魅力半減という部分もある・・・
大きな山が動いた・・・私が30年近く前に作って、そのまま日本に絶望して中国に渡ってしまったために忘れ去られていたコンセプトアルバム「ある愛の唄」の中国語版がついに実現となったのだ。
日本人の音楽業界人には信じられないことかも知れないが、
今では著作権ビジネスが日本より進んでいるかもという中国のこと、
当然ながら彼女のような大歌手に歌ってもらおうとするならば会社が出て来て「契約書」などの締結が必須である。
彼女は彼女で事務所にこう伝えたと言う・・・
「Funkyは私のことをとても愛しているからお金は要らないと言うけど、そこはそこできちっとしてあげてよね」
ここで言う「愛」は、世間で言う「愛」とはちょっと違う。
非科学的なことを言うなら、彼女は前世でもきっともっと前でもいつも一緒にいたような気がするが、男女としてはいつも一緒にいない・・・
そう、「自分の分身」か「家族」のような感じである。
今世では一緒に「亜州鼓魂」と彼女のデビューアルバムを生み出しただけである。
そのおかげで彼女はスターになり、私はこうして中国での地盤を確固たるものにした。
そして今は・・・時々思い出したように数年に一度食事をしたり、
まあSNSとかで相手が元気なことを確認しては「ほっとする」・・・
そう、「分身」なのだから不幸になってくれたらちと困る。
お互いにチラ見して「ああ元気そうだな」と言うと「安心する」・・・そんな関係である。
まあこのアルバムをどうしても彼女に歌ってもらいたかったというのも、こう考えれば「必然」のような気もするし、布衣のツアーで彼女の住む海南島三亜に訪ねて行った時も、漠然と「こうなるだろう」とは感じていた。
そしてそこからが大変であることも重々承知していた。
「会社」が出て来るからである。
「プロジェクトを始めるためには、まず会社とあなたが楽曲の権利に関して契約書を交わさなきゃならないの」
と彼女は言う。
聞けば会社は、このアルバムは通常の商業的なアルバムではないので、他の投資会社も巻き込んで日本円で数千万円の投資をすると言う。
日本とは全く違う権利ビジネスを歩んでいる中国音楽界であるが、
もう昔のように「歌ってよ、いいわ」で済むような世界は遠い遠い昔の話である。
契約書の雛形が送られて来て、それを布衣のマネージャーに見せたのが悪かった・・・
彼女が内容を見て激怒したのである。
「何よこの契約書!!あんたに全く不利じゃない!!」
広い中国には私を本当に愛している人がたくさんいる。
音楽ビジネスの深い仲間であるLuanShuやLaoLuanが見たらもっと激怒するだろう。
今の中国では、このアルバムが万が一売れたとすると、
日本でJASRACなどからの分配よりももっと多額の金が入って来るのだ。
「末吉が損をする」・・・これは私を愛する全ての人が忌み嫌う、一番あってはならないことなのだから・・・
でもね、「金は要らん」と言うとるんやからそれでええんとちゃうん?
権利商売はその後にあるのよ・・・
私も人から「損」だと見られることでも、結局は「恩返し」を受けて今があるし、
そもそも「契約」っつうこと自体が会社に損になることは書くわけはないのだから「そういうもの」である。
昔はよかった・・・とか言っても、
昔にもし「これしたげるから必ずこれしてね」みたいな契約書を交わさねばならなかったとしたら今の私はないだろう・・・
というわけで私はここから「板挟み」で胃が痛くなるような毎日が始まる。
ついには当の本人の李慧珍に泣きついた・・・(涙)
「心配しないで、私はあんたのこと愛してんだからあんたに悪いようにするわけないでしょ」
いや、そりゃそうなんだけど、これは俺とお前の話じゃなく会社の問題なんですけど・・・(>_<)
愛されるものの辛さである・・・
何じゃかんじゃで基本この内容で布衣んとこの弁護士に契約書をまとめてもらい、
あとは会社と私が双方で署名捺印、それでこのプロジェクトは晴れて動き出すことが出来る・・・
でもアジア諸国を放浪してるのにどうやって契約締結?・・・(笑)
最初はベトナムから一度北京に帰ろうと思ってたのだが、ビザの関係で出国出来ず(>_<)
カンボジアに郵送してもらおうと思ったが契約書送るには郵便事情が不安・・・
その後結局、大元の日本語版のタイトルを書き入れねばならなくなったので、
契約書をメールで送って来るのでそれに書き入れて、
それを印字して先に私が署名捺印して北京に送り返すことになった。
そういう作業なら1泊5ドルのバックパッカー宿でやるよりは、Wingさんが取ってくれる香港の高級ホテルがよかろう・・・
というわけでホテルで印字!!
そして署名して捺印!!・・・って朱肉がないやん(>_<)
朱肉を買いに行くところから始めて署名捺印!!
別に印鑑は持ち歩いてるけど拇印がいいんですと・・・
そりゃそうやろなぁ・・・日本ぐらいやろなぁ印鑑がこれほどまでに万能な国・・・
そして割印!!
これであとは北京に送り返すだけである!!
香港でよかった(涙)・・・カンボジアやったらどないなってたことやら・・・(笑)
はてさて賽は投げられた・・・このプロジェクト、どうなりますことやら・・・
Posted by ファンキー末吉 at:16:39 | 固定リンク
2019年6月11日
くっくまバンド初ライブ
ひょんなことからカンボジアのこの孤児院の子供達をカンボジアで一番の大スターにしてやるという「希望の星プロジェクト」が始まった。
今回は私がひとりドラムでプノンペンで演奏するので、
「ゲストで2曲演奏してや〜」
と頼んでいたのだが、予定が近づいて来たら美和お母様から、
「ファンキーさん、バンド内でバチバチ喧嘩が始まって」
と・・・
!(◎_◎;)
詳しい事情はよくわからないが、
どうやら一番早くから「私は歌手になる!!」と決めているボーカルのスレイクォイが、
それよりも意識は低いであろうバンドのメンバーに対して気が逸り過ぎて、
バンドはバンドで「あいつ何なんだ!!」となっているような感じだろうか・・・
バンドあるある!!(笑)
まあでも同じ「バンドあるある」でも、ボーカルと他のバンドメンバーとの対立というのは一番始末が悪い。
ボーカルというのはバンドの「顔」なので、万が一その気になっちゃえばその他のすげ替えなんて簡単に出来てしまうのだ・・・
美和お母様は一生懸命それぞれのメンバーと話して解決を図っているいるのだが、
基本的に「人間の感情」というものは何を積まれたって人がコントロールすることは無理なのだ。
例えば私が「あんたバンドやめたらもうあんたも相手にしないからね」などと言ったところで、
「じゃあ」ということで表面だけ繕ってまたやり始めたっていいモノなんか出来やしないのだ。
心の中で「あいつはイヤだ」と思ったらやっぱ人間なんだからそれが態度に出たり「音」に出たりする。
どんなエサをぶら下げたって「イヤなものはイヤ」なのだ。
まあ9日にライブやることは決まっているのだから、
誰が誰をどう思ってようがライブはちゃんとやらないかん!!
ライブの後のことは置いといて、とりあえずはおだてたりすかしたり、
ありとあらゆる手を使ってライブだけはちゃんとやれるように持ってゆくことが私の「責任」である。
とりあえず何も知らない顔してくっくま孤児院に乗り込んだ。
カンボジアくっくま孤児院なう〜明日は一緒にライブ!!頑張って練習するのぢゃ!! - Spherical Image - RICOH THETA
「もうそれぞれは会っても口もきかないんですよ」
と美和お母様は心配そうに言うが、
まあ私が来たら、私からみんなにモノを言うだけで、別にそれぞれが相談したり会話したりする必要は全くない!!
色々と指示を出しながらリハーサルが始まった。
この日の目標は、翌日のライブで売るべくいい練習テイクの動画を撮ること!!
一応そのDVDを1ドルで売ろうと思っているのだが、
私は「スーパースターになる!!」ということはこの「1ドル」の上に積み重なるものだと思っている。
「よく僕は(私は)スーパースターになるんだから」ということで、
全てをすっ飛ばして「スターになれば全て帳消し」みたいに思ってる若者もいるが、
どんな「商売」もその「1ドル」の上に乗っかっているのが「世の常」だと私は思っている。
だからこの子たちにも早いうちからそれをわかってもらいたい。
頑張って今日、少しでもいいテイクの動画を撮って、
それを明日1ドルで売るんだ!!
次はもっといいテイクを撮って、それも1ドルで売って、
いつかはアルバムも作って、それを今度は10ドルで売るんだ!!
そしてその延長線上に信じられない大金を動かすこの子たちの未来があるかないか・・・それは本当に神様のみが知ることである。
人間は神様にはなれない。
人間が出来ることは「努力」と「準備」だけしかない。
だからそれをやって天命を待つ。
それしかないのである・・・
もし仲違いがもう決定的で、この1ドルのDVDが、彼らの最初で最期の作品になるかも知れない。
神様がそう決めたのだったらそれはそれでもう仕方がない。
最初で最期の作品を出来るだけいいものにするしかない。
一回練習してはそれを撮ってメンバーに見せる。
まあ言わなくてもわかってる部分はあるので、気づいてないだろう部分とアドバイスだけを伝えてもう一度やってみる。
まあこれを何度か繰り返すだけである。
知らんぷりしながら時々こんなことも言ってみる。
「ほら、今回はドラムがとてもよくなったからそれに影響されて歌が変わったでしょ。それがバンドだからね、あなたも自分がもっと輝きたかったら他のプレイヤーを励ましながら歌いなさい。そしたら自分がもっとよくなるからその方が得でしょ」
見れば根深い仲違いなどはなさそうで、前情報などなければ彼女たちが大喧嘩をしてたなんて全く分からない。
バンドは楽しいのだ!!
楽しいからちょっとぐらいイヤなことがあってもバンドやってると忘れちゃうのだ!!
それでいいのだ!!
誰かが間違って撮り直しをしても誰も文句は言わない。
「頑張ってもう一回やろうよ!!もっといい演奏を撮ろう!!」
「音楽」とは全くもって素晴らしいものである。
グルーブもだんだん出来上がって来て、最終的に撮れたのがこのテイク!!
いや、もっと何回もやればもっといいのが撮れたかも知れないけど、
おじさんもう疲れた・・・(笑)
というわけでこの日は夕方で練習やめてとっとと帰った。
「あとは自分たちで練習してね」
そうそう、仲違いなんかしてたら明日いい演奏出来ないよ(笑)
「明日みんな緊張でガチガチになって全然弾けなかったら歌えなかったらどうしよう・・・」
どの国もお母様は気苦労が多いものである(笑)
出来なかったら出来なかったでそれも含めて「ライブ」なんですよ!!
そう伝えてくっくま孤児院をあとにした。
翌日、午前中に美和お母様からこんなメッセージが飛び込んで来た。
「キーボードのティアルッが朝から頭痛で寝込んでます!!」
しゃーないなぁ・・・それもひっくるめて「ライブ」である。
私が一応ギターででも代わりが出来るように練習しとこう・・・
もし本番までに彼がよくなればギターの上にキーボードが乗っかればそれでいい・・・
というわけで最終リハをやるためにまたくっくまに向かう・・・
キーボードのティアルッも何とかリハに参加している。
無理しなくていいのに・・・
もう私のギターのためのリハーサルなので(笑)一度通しただけで機材を積み込んで会場へ向かう・・・
男の子たちは機材車に乗り込んで、女の子たちはお母さんのバイクで・・・って3人乗り!!!(◎_◎;)
カンボジア人かっ!!・・・頼もしいのう・・・(笑)
会場に着いてサウンドチェック代わりまた1回だけ通す!!
それでもうあとは本番を待つのみである!!
さて本番である!!
ギターにかまけて自分がドラムを叩くということを全く忘れていて、
ケーブルを一本持って来るのを忘れてたのでホテルに取りに帰り、
目的のケーブルを持ったら別のケーブルを置いて来てしまってまたホテルに取りに帰る(笑)
もうね、何をやってんのですわ・・・あたふたとセッティングしてドラムを叩いて、
メインゲストであるくっくまバンドを紹介する・・・
そしていよいよくっくまバンド初ライブ!!
曲を書いたのは私だけど、詞は自分で書いて、「自分たちの曲」となったこの2曲を初めて人前で演奏した瞬間である。
映像で見てもよくわからないが、「むっちゃ緊張してたね」というお客さんもいた。
でも途中で止まることなく最後までちゃんと演奏出来た!!
ドラムのダビッは力み過ぎてちょっとヨレたけど、
気持ちが余ってのことならライブでは問題ない。
むしろ怖いのは気持ちが「萎えて」しまうことである。
そういう意味では4人ともみんなよく頑張った!!
気がつけば仲違いとか全く忘れてしまってた・・・
思えば彼女たちは一緒にこの孤児院で暮らして来た「兄弟姉妹」のようなもの。
いくら兄弟喧嘩したって兄弟であることは変えられないのと同じである。
バンドは難しいものだけど、色んな困難を一丸となって乗り越えて頑張っていって欲しい。
次は6月18日!!!ファンキーはんと大村はんのゲストで、今度は4人だけでやってよ〜
もちろんまたリハーサル映像撮って1ドルで売るよ〜
同じ曲が前より下手になってたらメンツ丸つぶれだからね〜(笑)
頑張ってよ!!
もっと団結してもっと進歩した君たちを待ってるぞ!!!
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2019年6月 7日
バンセオとの戦い
ベトナムの食べ物で「バンセオ」というのがある。
私も何度かY社長からご馳走になった。
パリパリの固く焼いたお好み焼きみたいなものをライスペーパーに包んで食べるものだ。
これが春巻のようで中のパリパリ感が素敵な食べ物である。
ところがダナンから南下して最初のニャチャン、次のトゥイホア、
そして思わぬ長期滞在してしまったクイニョンの漁村で見かけたこの小さなクレープのような食べ物・・・
写真
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2019年6月 3日
ボーカルレコーディング@くっくま孤児院
くっくま孤児院に古いMacBook Airとインターフェイスやマイクなども置いて来て、バンドのメンバーが自分たちでボーカルレコーディングが出来るようにしている。
エンジニアはキーボードのティアルッ君。
キーボードプレイヤーの仕事というのは今やパソコンを使える人というご時世なので、「覚えておいて損はないよ」とばかり彼に色々と基本的なことを教えておいた。
「自分たちで録音してデータを送ってね」
ということで最初にデータが送られて来たのだが、
まあ最初なので仕方がないが色々不備があるのでまた指示をして送り返す。
これを数度やり取りしていると、ティアルッ君のスキルがどんどん上がり、歌録りの音質自体は今やもう何も問題がない。
ボーカルのスレイクォイのレベルも元々高いのではあるが、
ここにひとつの欠点を発見!!
まあここのみんなは音楽教育を受けたことがないので当然なのだが、
「ソルフェージュ能力」というか、
新しく与えたメロディーを把握する能力とか、一度間違って覚えてしまったら直せないところがあるようだ。
それだったらというわけでタイでボイストレーナーをやっているMIMIさんに声をかけてカンボジアまで来てもらった。
まずは発声法!!
これ歌の基本だそうで、「お腹から声を出す」!!
せっかくなのでバンドのメンバーや他の子供たちにもみんなに指導してもらいました。
そしていわゆる「ソルフェージュ」の基本!!
音を聞いてそれが何の音かがわかるようにする訓練をゲーム形式でやってみました。
ずっと昔に「笑っていいとも」のゲームコーナーで、お笑い相手に同じようなゲームをやっていて、ゲストの森口博子は全部一瞬で答えるのに、お笑いの人たちは「何でわかるの??!」とびっくり。
森口博子が逆に「何でわかんないの??!」とびっくり!!(笑)
確か小学校の音楽の聴音のテストでも同じようなのがあったのを覚えているが、
私は小さい頃ピアノをやってたせいか労せずして全部わかったが、
同級生が全くわからないのを不思議に思ったことを覚えている。
「才能」でも何でもない。
要は訓練!!平ったく言えば「慣れ」である。
コツがあって、「これはドの音です」の時に、頭の中に「ドレミファソラシド」を思い浮かべて、出題された音がその頭の中で鳴っている音のどれに当たるかを考えればそれで良い。
もし鍵盤を弾きながら「これかな」とか探してゆけば誰にでも出来ることで、
「要は頭の中で鍵盤を弾く」みたいなもんで、
これが出来ればメロディーを覚えるのも楽だし、
メロディーが違っていいれば頭の中で瞬時に違っていることを認識出来る。
初日はとりあえずここまで。
次の日はMIMI先生はボーカルのスレイクォイの個人レッスン。
私はヒマなので(笑)ドラムのダビッにドラムのいい練習方法を伝授した。
この練習はリズムのウラ拍を意識する為に非常に有効な方法で、
メトロノームを表で聞くと、どうしてもそれに合わせてリズムを「置いて」ゆくようになってしまうが、ウラで聞くとこちらがずれると容赦無く置いてかれるので非常にシビアなリズム練習となる。
いや初めてでこの速度でやれるようになるっつうのはなかなか大したもん!!
さてやるだけやったら最後に大目的のボーカルレコーディング!!
エンジニアのティアルッ君は私の知らないショートカットキーとかも駆使しながらなかなかのもの。
この曲のBメロの一部分、ボーカルラインを間違えて覚えているのでそれをやり直しているうちにトラブル発生!!
何度かやり直してるうちに、突然ボーカルのスレイクォイから何の反応もなくなったと思ったら・・・泣いているのだ!(◎_◎;)
よほど悔しかったのだろう。
泣いていることすら知られたくないという感じで両手で顔を押さえて泣いていた・・・(写真自粛)
水を打ったように沈黙が広がる・・・
私はメンバーの様子をまず観察した。
3人のメンバーは誰も言葉を発しない。
一緒にこの孤児院で暮らして来た「家族」である。
誰よりもスレイクォイのことを知ってるのだろう。
「こんな時こいつは何も言わずにほっとくのが一番なんだ」
と言わんばかりに「無言の暖かさ」で彼女を包み込んでいる・・・
5分だろうか10分だろうか・・・
かなり長い沈黙を破って彼女が口を開いた。
「大丈夫です。歌います!!」
彼女は逃げることなく、甘えることなく、自分で乗り越えた!!
これだからレコーディングをやると格段にレベルがアップする。
この修羅場を乗り越えた者だけが「次」に行けるのである。
かく言う私も爆風スランプの1枚目のアルバムをレコーディングする時に、
叩けなくてこっそりトイレに行って泣いた・・・
当時はアナログレコーディングなので、ドラムのパンチインパンチアウトなどがまだ出来なかったので尚更である。
ドラムが間違えたら全員最初からやり直し。
最初から最後まで間違えずに叩けて、そのレベルが自分や他が納得するものであって初めて他の楽器の録音が出来るのである。
今やもうデジタルの時代になって、ドラムであろうがどんなに細かいパンチインパンチアウトが出来るようになっても、この「経験」によって今の私がある。
「これぐらいパンチインパンチアウトなしで最初っから最後まで叩ける」
という「自信」が今の中国でのステジオミュージシャンの仕事をする上での何よりの「ルーツ」となっているのである。
人生においても、今後どんな困難があっても、
逃げることなく、甘えることなく、こうやって全て自分の力で乗り越えていって欲しい・・・
見ればMIMIさんが隣で涙目になっている(笑)
このまま録音して全て終了!!・・・と思ったら、
歌いすぎてスレイクォイの声が枯れて来ているので翌日に持ち越し!!
翌日も声は回復してなかったので、
前日のボイストレーニングで一番声が変わったベースのスレイレアッにコーラスを歌ってもらう。
そのレコーディング風景を見ているスレイクォイにも、
自分が歌っている時と違った目線でレコーディングを見ることが出来る。
「ああこういうことなのか・・・」
ということがわかったんじゃないかな・・・
頑張れみんな!!
こうやって自分の力で乗り越えてゆくことを、おじさんは「ロック」と呼んでいるんだよ。
こうやって自分の人生も「ロックの精神」で乗り越えていって欲しい・・・
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カンボジア希望の星プロジェクトまとめ
<<くっくまバンドとの出会い>>
2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。
日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。
別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。
プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。
その時のブログ記事:希望の星になれ!!
カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時、ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。
結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。
この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。
当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。
ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。
その流れの中に「バンド」があった!!
この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。
音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。
楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。
ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。
この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。
ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎
これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・
<<希望の星になれ!!>>
この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。
これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。
私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!
そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」
そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!
何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!
「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!
人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。
絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。
考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!
だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・
老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。
そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・
<<その後の活動>>
私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。
まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。
ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!
翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。
ブログ記事:支援は人のためにあらず
それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。
最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。
もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。
そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・
そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。
ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」
ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。
こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!
この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。
私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。
ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)
私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。
全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。
返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。
歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。
詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・
ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・
これが私の頭をよぎった「想像」である。
こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・
数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。
でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。
この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・
それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。
そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・
真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)
ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・
しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・
<<オリジナル曲作り>>
作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。
私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。
とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!
元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。
それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。
ブログ記事:くっくまバンド新曲
これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・
2019年6月9日のリハーサル
2019年6月9日のライブ
そして2019年6月18日のライブ
<<仲違い>>
2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・
「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」
小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。
歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。
バンドあるある(笑)・・・
要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。
美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。
でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。
ブログ記事:くっくまバンド初ライブ
考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・
私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。
力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!
<<DTM>>
ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。
ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。
だが困ったのはキーボードである。
「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。
プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。
ブログ記事:キーボードという「楽器」
ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。
そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。
くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。
ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・
いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)
自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。
ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)
最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・
さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。
もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。
今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。
これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。
この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。
2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。
<<結婚式での演奏>>
カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。
この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。
日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。
毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・
私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。
大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。
日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。
しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。
これを私は大きな「出口」だと感じた。
くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。
その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。
人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。
そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。
将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・
だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。
毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。
頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!
<<その後>>
ボーカル録音開始!!
2019年9月14日のライブ
涙のボーカルレコーディング
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ベトナム旅日記(クイニョン)
マグロの街トゥイホアからはバスで北上することにした。
取りあえず次の大きな街と言えばクイニョン〜
ホテルのフロントで聞いたバスターミナル!!
長距離バスで、何と寝台バス!!(◎_◎;)
大人が何人も寝転がって行ける・・・日本はどうしてこれを導入しないのか・・・
ネットで色々調べてたのだが、
何やらクイニョンの郊外にとてもいい手付かずのビーチリゾートがあるらしい・・・
夢のビーチリゾート ベトナムのクイニョンなら格安で贅沢! - Tabit Info
まあ急ぐ旅ではないのでここに行ってみることにした。
Googleマップを見ながら近くに来たら運転手さんに言って降ろしてもらう。
村の入り口にはこんな看板・・・
高知の池の浦のような小さな漁村・・・
浜辺まで降りてゆくとそこに噂のこのホテル「Life's a beach」がある。
門をくぐって中に入ってみたら驚いた!!
プライベートビーチ?!
なにこれ?!!天国かっ!!(◎_◎;)
さっそくピニャコラーダを頼んでみる・・・
ビーチはもうプライベートビーチ状態・・・
桃源郷にいます・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
もうね、ここは桃源郷?・・・
このホテル、近所に「Life's a beach apartment」っつう「離れ」もあり、2kg南には「Life's a beach backpacker」っつうのもある。
最安値一泊6ドル!(◎_◎;)
これはもうここに泊まるしかないでしょ!!
夕方になると漁民が浜辺に出て来て磯焼きを始める・・・
磯焼き!! - Spherical Image - RICOH THETA
みりん干し(笑)があったので焼いてもらって取りあえずビール!!
これだけだと熱海と何も変わりがないので(笑)、
得体の知れないせんべいみたいのんを焼いてたので頼んでみる・・・
これがまたビールに合うのよ・・・(涙)
シーフードは今日はウニを選んでみる・・・
そのまま焼いてワサビと醤油で食えばいいものを、
何やらベトナム風の味付け・・・
美味い!!(涙)
もうね、ウニがフランス料理になるのね?(フランス料理食べたことないけど)・・・
もうこれで旅も終わり!!
何故ならもうこれ以上彷徨ってもここよりいい場所には出会えないでしょう!!
ビザが出来上がるまでここで余生を過ごすことにします〜
Posted by ファンキー末吉 at:10:27 | 固定リンク
2019年6月 2日
ベトナム旅日記(トゥイホア)
ニンホアをほぼ素通りで北上し、辿り着いた「トゥイホア」という街・・・
駅からタクシーでビーチまで〜非常にローカル色豊かなビーチである!!
ホテルの近くにむっちゃ繁盛しているレストランがあったのでそこに飛び込んでみる・・・
何屋さんなのか全くわからんが、みんな壺のようなものを頼んでいたので指差しで頼んでみると・・・
マグロの目玉スープ!!(◎_◎;)
・・・というか、マグロの目玉煮込みで、スープは辛くて脂っこいので飲んだら胸焼け(>_<)
このメニューが有名なのかタクシーで客が乗り付けるほどの繁盛店である。
人の集まるところ「流し」あり!!
カラオケの機械を持って来て勝手に歌を歌う(笑)
盲目のギタリストがギターを弾く!!
なぜかエレキ!(◎_◎;)しかもレスポール(笑)
まあメロしか弾かずバッキングもなし・・・
プレイに対して金を払うのではなく、物品を買ってあげるのだが、
まあキーホルダーとか要らんし今回は買ってあげなかった・・・(>_<)
ベトナムではこのような「流し」は多いのだが、
特筆すべきは「ぬいぐるみ物売り」!!
これはダナンのレストランの風景なのだが、
今回、ここトゥイホアで出勤中のぬいぐるみと遭遇!!
何度もベトナムには来ているがこれは貴重なショットである!!
ぬいぐるみ君、お仕事頑張りたまへ〜!!
さてこのまま安宿でこてんと寝ながら調べてたら、
何とここトゥイホアはマグロの街らしい!(◎_◎;)
だから昨日の店でみんなマグロの刺身を食ってたのか・・・
日本からベトナム来て何でわざわざマグロ食わないかんのと思ってたら(>_<)
何とかリベンジしたいのでFish Marketというのを探しておいた。
ところが4:30から7:00までしか営業してないというので、
朝早起きして朝日を拝む・・・
着いたらそこは漁師町・・・
メシ食うところなんかありゃしない(>_<)
ここがマーケット?って言うより地元の人が漁師から買い付けてるだけ?・・・
おばちゃん仕事頑張って!!
しゃーないなぁ〜・・・ここでマグロは諦めて、
昨夜行ったマグロ専門店(らしい)の店に行ってマグロを注文!!
日本のワサビもちゃんと出て来るが、
基本は葉っぱに包んでベトナム風!!
ベトナムの醤油はちょっと甘くて九州風・・・
本当は白ご飯頼んで白飯に乗っけて食いたかったのだが、
Google翻訳さんに頼んでも「白ご飯は置いてません」と(>_<)
仕方ないのでこれもまたお店の名物らしいマグロお粥!!
とっても美味でした!!
思い残すことなくまた北上します〜
続く
Posted by ファンキー末吉 at:08:56 | 固定リンク
ベトナム旅日記(ニンホア)
「歩く速さで生きてゆきたい」
これはRunnerがヒットして初めて事務所から長期休暇をもらった時、私がファンクラブ会報に書いた言葉である。
それを見て和佐田がひと言・・・「末吉の歩く速さは人が走るんより速いからのう」(笑)
はいはい、わかりました!!
それでは今回ベトナムにちなんで言わせてもらいましょう!!
コーヒーの落ちる速さで生きてゆこう!!
ここはニャチャンのバス停前の喫茶店。
隣街のニンホアまでの待ち時間である。
一応長距離バスなのだろうが、時刻表があるわけでもなく、前もってチケットを買うわけでもない。
炎天下のバス停でぼーっと待つと熱中症になってしまいそうなので、
取りあえずバス停の前の喫茶店に飛び込んだというものだ。
ベトナム独特のこの練乳入りコーヒーは、
フランス統治時代、フランス人がカフェオーレを飲みたくて、
暑さで傷みやすいミルクの代わりに練乳を使ってからという話であるが、
コーヒーをたっぷり入れて、押して密度を上げると落ちる速さがゆっくりになり、
ゆっくりになればなるほど濃いコーヒーとなるわけだ。
そう、急ぐ旅でもないのだからゆっくり待てばよい。
NINH HOAと書いたバスは一台来たけれども、
またどうせすぐに来るのだから濃ゆいコーヒーでも飲んでゆっくり待てばよい・・・
・・・と思ったらいきなり店員がやって来てドリッパーを斜めにした!(◎_◎;)
斜めにするといきなり落ちる速度が上がるのな・・・(驚)
というわけであたふたと次に来たバスに乗り込んだ・・・
長距離バスと言うよりは普通のローカルバス・・・
運転手の他に車掌さんもいて、
「どこまで行くんだ」
と聞いて来てるのだろう、一生懸命ベトナム語で話して来るので、
「ニンホア!!ニンホア!!」
と叫んでいたら切符をくれた。
22,000ドン・・・日本円で110円・・・安い!!(◎_◎;)
しばしのんびりとバスの旅〜
Googleマップによると隣街のニンホアまでは大体1時間ちょっと。
このバスのルートにはビーチはないので、取りあえずマップを見ながら鉄道駅の近くに来たら声をかけて停めてもらう。
バス停で降りて駅まで行ってみるが、駅には何もない(>_<)
駅前もこんな感じ
列車も来る気配がない・・・
取りあえずぽつんと一軒オシャレな美容院があったので髪の毛を洗ってもらいながら考える・・・
この街は海まで遠いのですっ飛ばして次の街へ行こう!!(笑)
・・・というわけで駅に戻って時刻表を探す〜
北に上る列車はもう1時間前に出ているはずなのに、なぜか待合室にはいっぱい人がいる・・・
駅員さんに聞いてみると、なんとその列車が1時間遅れていてもうすぐ着くと!(◎_◎;)
急いで隣街の「トゥイホア」までの切符を買ってやって来た列車に飛び乗る!!
座席のチケットはなく、二等寝台席だったのだが・・・
メシを食ってなかったので食堂車を探す・・・
一等座席車両(中国で言うと软座)を抜けて二等座席車両(中国で言うと硬座)を抜けると、食堂車があった!!
奥に調理場があるようだ・・・
メニュー!!
取りあえずビール!1
指差しで頼んだものはこんなんだった〜
テーブルにはちゃんと調味料などもある!!
チキンも売りに来たのでそれも〜!!
ほろ酔いで席に戻ると景色は絶景!!
子供にも絶景はわかるのだな・・・
列車に揺られること2時間弱、目的地(でもないが)のトゥイホア(どこや?)に着いた!!
続く・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:28 | 固定リンク
2019年6月 1日
ベトナム旅日記(ニャチャン)
ビザの関係で10日間(かどうか定かでないが)国外に出られないので、行ったことのないどこかベトナムの街に行ってみようと思い立った。
「ベトナム縦断鉄道に乗りたい」と思っていたので、北に行くか南に行くか・・・ダナンはちょうど真ん中なのだが、北に行けばフエやハノイ、南に行けばビーチリゾートで有名なニャチャン・・・
ビーチリゾート?・・・加山雄三の次にビーチが似合うファンキー末吉としてはやっぱここだろうということで初ベトナム縦断鉄道!!
ダナン駅ちっちゃ!!(笑)
チケットセンターも何やら駅の売店みたいなとこで買っていざ乗車!!
乗る列車は向かいのホームなんですが、陸橋とかがあるわけでもなく線路から乗り込む(笑)
ひと晩ゆっくり寝ればもうニャチャン!!
やっぱり線路に降りる(笑)
ニャチャン駅もちっちゃ!!(笑)
タクシーでビーチまで行って適当にホテルにチェックイン!!
バックパッカーなので大体1000円から3000円ぐらいまでを選ぶ・・・
ホテルから見るビーチ!!
まあダナンとさほど変わらない・・・
ダナンと大きな違いは酒を売ってる店が多い!(◎_◎;)
そしてロシア語の看板が多い!(◎_◎;)
聞くところによると、モスクワからニャチャンまで直航便が飛んでいて、ニャチャンはロシア人に人気のリゾート地なんだと・・・
ロシア人酒飲むからのう・・・(笑)
観光で食ってる街のイヤなところは、色んなところでボラれること(>_<)
早速ビーチでボラれてこの街がイヤになる・・・
都会はこれだからイヤなのよ〜(涙)・・・でも都会ならではのいいところもあるだろうと、オシャレなステーキ屋を探す!!
シーフードは食い飽きたのでぼちぼち肉が食いたいのよ〜
レベル高っ!!(◎_◎;)・・・ちなみに日本円で1500円ぐらい!(◎_◎;)
スエーデン人の親子が経営していて、11歳の白人の子供が給仕に来るのだが、英語もベトナム語もペラペラで、給仕のサービスも最高!!
ちなみに5ヶ月前に開店したばかりで、Googleの口コミでいきなり大繁盛!!・・・そりゃそうやわのう、レベル高すぎ・・・
帰り道にビーチでイベントをやっていたので見に行った。
前座か?ピンクレディーみたいな女性二人組!!
中国のイベントでもよくある地元の演歌歌手?・・・
蓮舫さんか秋野暢子さんにしか見えない女性歌手!!
など出て、トリがベトナム民謡っぽい歌を歌う大歌手(っぽい)!!
ええなぁ・・・やっぱりこんなのが一番この国に合うのよねぇ・・・
というわけで酔っ払ってホテルに帰って翌朝の朝日!!
・・・まあベトナムの海は全て東に面してるから、どのビーチも海から朝日が昇るのよねぇ・・・
ダナンと違うのは砂浜に自転車が乗り付けられること。
自転車でやって来て朝泳ぐ地元民が多い。
この街は物価が高そうなので一泊だけでそそくさと次の街へ向かふ!!
小さな街を経由してゆっくりダナンに向かう所存であります!!