
2019年5月31日
ベトナムビザとの戦い
末吉〜移動っつうのはなぁ、何時間かかったかっつうのよりやっぱ「どんだけ移動したか」やで・・・
とは和佐田の言葉・・・
つまり、1000kmの距離を飛行機で2時間で移動しようが列車で10時間で移動しようが、やっぱ「1000kmぶん」疲れると言うのである。
まあ科学的な立証のほどはさておいて・・・やっぱ移動は疲れる(笑)
今年は1月7日から2月24日まで日本各地でツアーを周り、
そのまま3月3日までほーじんエイド関係、そして3日にX.Y.Z.→Aをやった後にはカンボジアに飛ぶ(これ逃避(笑))
そしてそのまま布衣のツアー!!移動距離2万km!!地球半周(笑)
まあね、毎日けっこう寝てるのよ。
睡眠時間は足りてるし、労働言うても所詮は毎日ステージに上がる2時間程度、
ミュージシャンはその2時間に全てを凝縮するので、あとはまあぼーっとしてると言うか「生きてない」(笑)
まあ頑張ってるのはせいぜいその2時間だけで、後の22時間はその準備!!
これだけ見ると「楽な職業」なんやけどなぁ・・・
私の場合、この合間にいろんなプロジェクトや事務処理をやるからそれはそれで疲れるのだけれども・・・
これがこれで同じところでずーっと作業してたとしたら「こんなに疲れるかな」とも思う・・・
(まあそれはそれで「明日が今日と同じである」という生活が出来ない私にとっては「地獄」なのだろうが)
誰かと飲んでた時に、私の身体を心配してくれた人にまた和佐田はこんなことも言った。
「末吉はこう見えてオンオフの切り替えが上手いから大丈夫よ」
うむ、まさにその通り!!
日本ツアーと布衣の中国ツアーの間にカンボジアが入っているのが大きな息抜き!!
というわけで今回、布衣ツアー終わりで音楽室DX5Daysを終えた後、私はすぐにベトナムのダナンに飛んだ!!
香川県高松市で母の法事、そして「KAGAWAアンバサダー」に任命されたためそのまま香川県知事を表敬訪問、そしてそのまま大阪に移動して関空からバンコク経由でダナンに降り立ったのである。
ベトナムは日本人はノービザで入国出来る。
でも気をつけなければならないのは、
「一度出国したら次の入国が一ヶ月以内の場合はビザが必要」
なのである。
入国先をダナンにしたのは、6月6日にY社長のイベント「百人交流会」の賑やかしでドラムを叩くから取りあえず先にダナンに入ったわけで、
その後6月18日から始まる「祝!!65歳の地図PV1万回再生記念ファンキーはんと大村はんアジアツアー」
でホーチミンとダナンに来るのでビザもちゃんと取ってあった。
ところが旅行会社との連絡ミスで、蓋を開けてみたらザビエル大村と同じ「6月18日入国」というビザが取られていた!(◎_◎;)
つまり今回の5月22日入国時にはこのビザは有効ではなく、
この時の入国の際には「ノービザ入国」となる(>_<)
まあノービザでも15日間滞在出来るので、そのまま6月6日までベトナム居ればいいのね・・・と思ったら、5月22日に入国して15日目は、イベント前日の6月5日!(◎_◎;)
つまりこのまま6月6日まで居残ればオーバーステイ(涙)
じゃあ一度出国してまた戻って来ればいいのだが、
前述の「一度出国したら次の入国が一ヶ月以内の場合はビザが必要」という原則で、
6月18日から有効なベトナムビザ以外に、その前にもう一度入国するためのビザが必要!(>_<)
もうパスポートにページがないのよ・・・(涙)
というわけで現地のY社長に相談!!
会社のベトナム人スタッフに調べてもらったところ、
18日から有効のビザの有効期限を書き換えることが可能とのこと!(◎_◎;)
つまり今回はノービザ入国ではなく、書き換えて有効になったビザで入国したことになる、つまりはその後何度出入国を繰り返してもビザが有効な期間は問題ないということになる\(^o^)/
というわけでベトナム人スタッフに連れられて、出入国管理局なのか何なのかの施設に連れて来られたのだが・・・
この施設には全く英語表記がなく、全ての手続きはベトナム語で行わねばならない!(◎_◎;)
もうね、ベトナム人スタッフ万歳!!あなたが居なければ絶対に無理でした!!(涙)
そしてどどんと渡されたのがパスポート全ページのコピー!!(◎_◎;)
それぞれのページに割印が押されていて、パスポートを預けている間、これがパスポートの代わりになるのだとか・・・
中国で言うとこの書類みたいな感じやな・・・
んで?・・・ビザはいつ交付されてパスポートはいつ戻って来んの?・・・
10Days?・・・10日かぁ・・・長いのう・・・
・・・って10営業日やったら6月6日のライブも終わって次カンボジアのライブにもない合わんやん(>_<)
しゃーないなぁ〜・・・まあ取りあえず国外には出れんがこのコピーあれば列車や飛行機には乗れると言うから、ベトナム縦断鉄道でも乗ってどっか遠くにでも行きますか・・・
探さないで下さい(笑)
ベトナム縦断列車で朝日を拝む〜 - Spherical Image - RICOH THETA
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2019年5月14日
布衣2019年春のツアーを振り返って
今回のツアータイトルは「一甲子」。
これは十干(じっかん)という「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10個の並びと、
十二支(じゅうにし)の「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」のそれぞれの最初「甲」と「子」の組み合わせは60年に一回であるということから、「Funky60歳記念ツアー!!」という意味合いがある(らしい)・・・
オフィシャルサイトからの回顧レポートによると、
《一甲子》巡演首轮36站半程回顾记,
(ツアーの最初の半分、36箇所を振り返るよ)
24载布衣,60甲子鼓魂,
(結成24周年の布衣、60歳のドラムスピリッツ)
50/70/80/90后,
(50年代生まれ、70年代生まれ、80年代生まれ、90年代生まれ)
9人布队,4万公里摇滚取经路,走着
(9人のメンバーが4万キロのロックの道を行くよ)
・・・4万キロ!(◎_◎;)・・・って地球一周??・・・
・・・って実はこれは秋のツアーと合わせての走行距離で、春の36箇所ではだいたい半周だとか・・・それでも凄いのう・・・
布衣は現在では中国のバンドの中で一番多くツアーを廻っているバンドらしい。
動員数ではまだまだこれを上回るバンドはあるが、
そんなバンドはもうこんなに細かくツアーを回らない。
大きな会場ばかりをピックアップして、必然的に本数は減ってゆく・・・
LaoWuと最初に出会った頃から、飲めば
「バンドはなぁ、ライブやで!!ツアーやで!!」
と言ってた私の影響をモロに受けていると言えよう(笑)
今では大ロックスターとなっている、友人の謝天笑が、LaoWuにこうアドバイスしてたのを聞いたことがある。
「ライブハウスもなぁ、選ばなきゃダメだよ。
アンダーグラウンドなとこに出演してたらいつまで経ってもアンダーグラウンド。
バンドが大きくなったらそれにつれて大きなところでやって箔を付けなきゃ」
いわゆる自らを「ブランド」にしていって大きくなってゆく手法だが、
LaoWuはそれを一喝してそれからもアンダーグラウンドな小屋を回り続けている。
「あんな田舎街のライブハウスなんてちゃんと演奏出来るの?」
という街に行って演奏して、
「布衣がライブやったらしいぜ」
ということで他のバンドも「じゃあやってみるか」になる。
つまりは「先駆者」である。
想像だが、小さな街のオーナーからしてみたら、
メシ奢るから、ホテル代ぐらい出してやるからというわけかも知れない。
ブッキングはまことに巧妙で、
そういう小さな街は平日にブッキング、
週末は動員力が見込める大きな街をうまくブッキングしている。
3月15日(金)広東省珠海
3月16日(土)広東省広州
3月17日(日)広東省深圳
3月18-19日:移動日、現地オフ
3月20日(水)広東省东莞
(ブログ記「布衣2019年春のツアー広東省」)
エピソード:ここでライブ前に広東メシ満腹食って終演後に吐く(>_<)
それ以降ライブ前には食わない!!
ライブ終了後にそのまま空港へ〜三亜まで飛ぶのではなく海口まで飛んで列車移動〜
3月22日(金)海南省三亚(飛行機移動)
3月23日(土)海南省海口
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー海南省」)
3月24日(日)福建省福州(飛行機移動)
3月25-26日:移動日、現地オフ(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
3月27日(水)福建省厦门
(ブログ記事:「布衣2019年春のツアー福建省」)
3月28日:移動日
3月29日(金) 江西省赣州
3月30日(土)江西省南昌
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー江西省」)
3月31日(日)浙江省温州
4月1日:移動日
4月2日(火)安徽省黄山
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー浙江省と安徽省黄山」)
4月3日:移動日
4月4日(木)浙江省杭州(ブログ記事はこの中に)
4月5日(金)上海
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー上海」)
4月6日(土)江蘇省无锡
4月7日(日)江蘇省苏州
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー江蘇省」)
4月8日:移動日
4月9日(火)安徽省銅陵
4月10日(水)安徽省芜湖
4月11日:移動日(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
4月12日(金)安徽省安庆
4月13日(土)安徽省合肥
4月14日(日)安徽省六安
4月15-16日:移動日、現地オフ
4月17日 安徽省淮南
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー安徽省」)
4月18日:移動日
4月19日(金)河南省开封
4月20日(土)河南省新乡
4月21日(日)河南省安阳
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河南省」)
4月22-23日:移動日、現地オフ
4月24日(水)山东省临沂
4月25日:移動日(私はビザの申請のために北京にとんぼ返り)
4月26日(金)山东省青岛
4月27日(土)山东省济南
4月28日(日)山东省淄博
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー山東省」)
4月29-5月2日:移動日、現地オフ
5月3日(金)黑龙江省哈尔滨
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー黒竜江省ハルビン」)
5月4日(土)辽宁省沈阳
5月5日 吉林 长春
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー遼寧省「瀋陽」と吉林省「長春」」)
5月6-7日:移動日、現地オフ
5月8日(水)河北省沧州
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河北省「沧州」」)
5月7日:移動日
5月10日(金)河南省郑州
5月11日(土)天津
5月12日(日)辽宁省大连
(ブログ記事「布衣2019年春のツアー河南省「鄭州」、天津、遼寧省「大連」」)
いや〜非常にうまく組まれている・・・
飛行機移動は海南島に渡る2本だけで、あとは全部列車移動!!
ちなみに海南島には橋とかトンネルで大陸と繋がってるわけではなく、
列車移動だとそのまま列車がフェリーに積み込まれて渡るらしい!(◎_◎;)
乗ってみたいのう・・・
(と言ったらアホかと言われた(笑)列車に缶詰で蒸し暑いらしい)
さてこのように上手いことツアーを組んでるので、9人の大所帯で廻っても何とか赤字にならずに廻れているのであろう。
中国のツアーと日本のツアーの相違点!!
中国の不利な部分、それはチケット代が圧倒的に安いこと(>_<)
日本だと5千円や6千円もザラだが、中国では200元(3千円ほど)もしたら学生にはもう手が出ないだろう・・・
布衣のチケット代は100元(1500円)前後。
この収入だけで全ての経費を賄い、
政府への楽曲の申請(なんと有料!(◎_◎;))や、Webでの宣伝費なども支払わねばならない・・・
でも中国のよいところは、交通費が圧倒的に安い!!
高速鉄道はだいたい1分乗ってる距離だと1元ぐらいの目処だと言われているが、
東京大阪が2時間だとすると中国だと120元(2000円)!(◎_◎;)
中国の高速鉄道は時速300km以上出るので厳密に正しくはないが、
1万円以上する日本の新幹線よりは格段と安いことに間違いはなかろう・・・
あとホテル代。
日本は「おひとり様おいくら」という世界でも珍しい料金設定で、
中国や諸外国のように「ひと部屋いくら」ではない。
私は「敬老精神」でひとり部屋を取ってもらってるが、
他のスタッフ、メンバーは全員ツイン部屋。
つまり9人いても部屋数は5部屋ですむ。
そしてホテル代が田舎に行けば絶対的に安い!!
ひと部屋2000円程度のもあった!(◎_◎;)
私的にはホテルが会場のすぐ近くにあるというのは非常に助かる!!
まず移動は、乗り打ちの場合、朝早く出発して昼ごろ着くように乗車券をブッキングしているようだ・・・
着いてメシ!!その後に昼寝!!(笑)
いやいや、この「シエスタ」っつうのが非常に助かるのだよ!!
その後、いつもだいたい3時頃からスタッフが会場入りするのだが、
私はドラムのチューニングがあるので一緒に入る。
4時頃メンバーがやって来て、
サウンドチェックはもう毎日やってる曲だから決まった2曲しかやらん。
5時にはホテルに戻ってまたごろごろ・・・これがいいのよ!!
中国のライブは(ってアメリカもそうで日本が早すぎる)だいたい8時半頃始まるので、
疲れている時とかはまたここで仮眠!!
長い列車移動も、iPadで映画を何本か見てればいいし、
飛行機と違って自由に立ち上がって車内をうろうろ出来る。
何より、飛行機は欠航という恐ろしい罠が待ち構えているので列車移動の方が確実である。
それもこれも中国の高速鉄道網が今ではこんなに網の目のように張り巡らされているから出来ることである。
春のツアーは南の方から東北の方まで廻ったわけだが、
秋のツアーでは今度は内陸部の西北を廻る・・・
移動距離がハンパないのよね〜地球半周以上するかも〜(笑)
今回の移動Map!!(直線距離で書いてるけど実際は色んな乗り換えで移動した)
日本の大きさと比べたらこんな感じ〜
Posted by ファンキー末吉 at:06:28 | 固定リンク
2019年5月 8日
「ある愛の唄」中国語版
ブログ記事「ある愛の歌」中国語版でも書いた「李慧珍(Li HuiZhen)」からやっと返事が来た・・・
彼女にアルバムを聞かせてから、このせっかちな私が全く彼女に連絡せずにひたすらずーっと返事を待っていた。
元々がそんなに頻繁に連絡を取るような間柄ではない。
いつもWeChatのモーメンツとかで相手のアップした情報を見て、
「うんうん、元気そうだな」
と「生存確認(笑)」をするだけでいい。
そんな「間柄」である。
布衣のツアーのアモイの日にメッセージが来た。
「Funky〜あの歌詞カードのデータある?私にくれたのPDFじゃない?文字データのが欲しいの」
事務所の人に聞かせてミーティングするらしい・・・
それからまたぷつっと音沙汰がなくなったが、
このせっかちな私がひたすら待った。
アルバムの感想なども一言も聞いてない。
「聞いたわよ。とても良かった」とかの一言もない。
「催促」とかしちゃったら、大切にしている「何か」が壊れてしまいそうな気がして、逸る心を抑えてひたすら待ったのよね・・・
でも「ミーティングにかける」ということ自体が「良かった」ということではないか・・・
まあ万が一「これはちょっと・・・」と言われる可能性も頭に入れていたのだが、
この「ミーティングにかける」ということ自体で「最初の本人の段階で蹴られる」という懸念は全て吹っ飛んだことになる。
しかしここからが問題。
彼女も、まあ今は第一線は退いているとしても「有名歌手」のひとりである。
ちゃんとした事務所に所属もしているし、彼女自身が「商品」として色んな会社や人々の生活を支えている存在であることも十分想像出来る。
「これいいわねぇ、遊びでいいから出したいわ」
が通じる立場ではない。
「出すならちゃんと商売にする」
という人達の中で生きているのが「スター」なのである。
そのまま布衣のツアーをしながらひたすら待った・・・
そしてようやく先日、長春の山奥にて返事を受け取った。
「Funky、事務所のOKが出たわよ!!
このアルバムは通常の商業的なアルバムじゃなくコンセプトを売るアルバムなので、普通の売り方じゃなくそれ用の宣伝チームを組まなきゃなんない。
だから別の会社も探して来たから、その会社も投資してうちの会社と一緒にやることになりそう」
!(◎_◎;)・・・山が動いた・・・しかも巨大な山となって・・・
「だからね、まず権利関係をクリアにして契約書を結ばなくちゃなんないの」
権利関係ったってワシが作ったもんで別にどこにも権利はおまへんがな・・・
というわけで、現在事務所のマネージャも出て来て難しい契約書のやり取り・・・
・・・ですが皆さん、ここでひとつ声を大きくして言いたいのは、
「今では中国ではヘタしたら日本より著作権がしっかりしている」のだよ!!
発展の速度がハンパじゃないこの国は、気がつかないうちに昔書いた「権利商売」はその先にある!!よりももっと先に進んでいる・・・!(◎_◎;)
まあその辺は次のブログ「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」で詳しく説明するとして、とにかくこの中国語版によって私にはお金が入るのですぞ!!
つまり中国で権利商売が出来る時代になった!!(◎_◎;)
全てはこのクラウドファンディングでパトロンになってくれた方々のおかげ!!
感謝感謝!!・・・もう立派にJASRACなど必要のないシステムがこの国では出来上がっているということです・・・
思い通り以上に上手く動いているこのプロジェクトですが、
そもそも私は別に「儲けよう」と思ってこのアルバムを出したのではない!!(キッパリ)
日本の音楽ビジネスの狭間で捨てられていたこの子たち(このアルバムの曲たち)を、世界中の色んな人たちにもらってもらいたい、歌い継いでもらいたい・・・
DEMOを歌って大事に保管してくれてたキョンマ自身が歌ってくれた世界で最初のこのバージョンに続き、キョンマ自身によるベトナム語バージョン、カンボジアのくっくま孤児院の子供達に夜クメール語バージョンも制作を開始している。
そしてここに来て、日本の歌手「山下直子」さん(通称ナッキー)による新しいバージョンが出来上がりました!!
そうそう、これをやりたかったのよね〜・・・
色んな人に歌い継いでもらいたい!!
ナッキーが「この曲を歌いたい!!アルバム全部歌いたい!!」と言ってくれてとっても嬉しかった。
レコ発ライブもあるというので是非足を運んでやって下さい!!
また、クラウドファンディングでカラオケをゲットして自分バージョンのアルバムを作りたいと思ってる人、まだ躊躇してたり、色んな困難にぶち当たってたりしてたら是非私にご一報下さい。
金はないけど出来ることはお手伝い致します!!
クラウドファンディングには参加してないけど、「私も歌いたい」という方も遠慮なく相談して下さいね〜こちら
ご本家キョンマのレコ発ライブはこちら〜!!
第一部は売り切れです。
19:30からの第二部をご予約下さい〜こちら
世界初のバージョンとなるキョンマバージョンはこちら〜
「ある愛の唄プロジェクト」・・・想像以上に動いてます〜