
2018年12月 4日
BEYONDの思い出の曲
黄家駒が生きてた頃は、ただ毎日一緒に飲んで遊んで、死んでから初めてBEYONDがこんなに偉大なバンドだと知った。
最初に愕然としたのがこの曲!!
AMANI
アイドルとして(?)人気絶頂の時にアフリカに行って戦争で焼け出された子供たちを慰問し、この反戦歌をヒットチャートに放り込んだんだから凄い!!
黄家駒の葬式の時だったか、
香港のどっかの広場でWINGと待ち合わせしてて、
なかなか来ないからひとりで開店寿司屋に入ってビール飲んでたのよね。
そしたらこの曲がテレビで流れて来てしかも字幕付き・・・
戦争の影でいつも傷つくのは
何の力もない子供たち
僕は歌うよ!!
以下AMANIのからの一節はスワヒリ語で「愛、平和、僕たちに力を」
もうね、ちょっと前に死んだ人間が
「僕は歌うよ!!歌い続ける!!」
と歌ってんだから、ひとりで号泣!!
ビールが日本酒に変わり、泥酔して葬儀に行った・・・(笑)
ところでこの曲の日本語バージョンがYouTubeにアップされてた!(◎_◎;)
あのね、これ私が作った日本語詞、夜総会バンドの音源なんですけど・・・(笑)
次にこれ!!光輝歲月!!
神に召された黒人の追悼曲で、
「彼の人生の意義は皮膚の色による差別との戦いだった」
とか
「虹が美しいのはそれぞれの色が分かれてないからだ」
とか、もう涙・・・(号泣)
もうこの辺は大スタンダードで、中華圏の酒場だけでなく、
タイのパタヤビーチやチャン島の箱バンまで演奏してた定番曲ですな!!(凄っ)
そして最近お気に入りなのはこれ!!
「理想よさようなら」と来て、最後には
「共にRock'n Rollと高らかに叫ぼう!!」
ですからもう涙が止まりません!!(号泣)
Rock'n Rollと言えば、人差し指と小指を立てたロックピースサインを初めて見たのは黄家駒の葬儀の時だった。
葬儀場から棺が運ばれる時に、道という道を埋め尽くしたBEYONDファンがみんな、このロックサインを掲げて泣きながら「BEYOND!!BEYOND!!」と全員で連呼していた・・・(涙)
そう、BEYONDは偉大な「ロックバンド」だった。
黄家駒は死んで「ロックの神様」になった。
その精神を残された私たちが継承してゆく・・・(まだ道半ば)
黄家駒の遺作となったこの曲
なんかを叩く時はいつも泣きながら叩いている。
「ドラムを教えてくれ」という中国人にはいつもこの曲を例に取ってこう言う。
この曲のな、間奏に入る前には今まで押さえつけてたものを全部解き放つかのようなオカズを入れるんだけど、間奏に入った瞬間にはちょっとだけ力を抜いてやるんだよ。
それが「悲しさ」を表現する・・・
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」
そんな気持ちをドラムで表現しながら天と会話するのだ。
この曲なんかも思い出深い・・・
これはBEYONDというよりWINGとの思い出・・・
思えば彼が一番どん底の時・・・
ドラムをやめて歌を歌い始めた彼が、
広東省の酒場でギターを弾きながらこの曲を歌ってた。
「何でバンドじゃないんだ!!バンドだったらどんなど田舎にも俺がドラムで一緒について行ってやるのに・・・」
などと思ってたら、十数年後にはWINGバンドで一緒にワールドツアーを廻っている(笑)
そして今度はPaulも一緒!!
あと2回リハーサルしたらマカオでコンサート!!
その後は広東省と四川省、タイとマレーシアとシンガポールが決まってます!!
今回3回も香港に往復してリハをやるスケジュールも含めて全部すっぽり合間に入ったけどさすがに広東省はスケジュールがぶつかった(>_<)
あとアメリカとカナダも行くんやと・・・スケジュール合いますように!!