
2018年10月29日
布衣秋のツアー2018広西チワン族自治区「南寧」
私のX.Y.Z.→AとJazzツアーの為に、前回の蘭州から間が空いてしまいましたが布衣の秋のツアーが再開!!
後半は広西チワン族自治区「南寧」ということで八王子から南寧に駆けつけるが・・・これが遠い(>_<)
まずは5時に起きて高尾発の成田エキスプレスに乗る・・・
これがなかったら4時に起きて5時発の成田行きのバスに乗らねばならなかったところなので助かるのよ〜もっと便増やして〜!!
5時起きで広西チワン族自治区南寧へ〜 飛行機乗り継いでドアtoドアで14時間もかかるのか!(◎_◎;)・・・でもやっぱ八王子〜成田が一番大変やな(笑) 1日に数本ある高尾発の成田エキスプレスが助かるなぁ・・・貸切やし(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
・・・ってこんな貸切状態やったら無理やわな(笑)
2時間成田エキスプレスに揺られ、
フライトの2時間半前に着いて、無事搭乗手続きを終えて上海へ〜
フライト時間2時間半、自宅から成田より短い(笑)
13:25に着いて、2時間半のトランジットを経て南寧へ〜
フライト時間3時間15分!(◎_◎;)
やっぱ中国は広いなぁ・・・
結局ドアtoドアで16時間かけて到着〜!!
朝5時に家出てから16時間〜やっと南寧に着きました〜 明日から1カ月のツアー!! - Spherical Image - RICOH THETA
なんと中国の最南西、もうすぐベトナムなのよ〜
それにしてもこの辺に来たら思い出すのはこの事件!!
高速のパーキングでうんこしてたらバス置いてかれて
しゃーないから高速をマラソンで走ってバスを追いかけた事件
まあ人生色々です。
うんこは人生にいろんな彩りを添えます(笑)・・・
前回布衣のイベントで来た時にもこれを食って・・・
次の朝ひとりでタクシーに乗って空港まで行く時にエマージェンシー!!((((;゚Д゚)))))))
高速にはパーキングがあったのだが全面改修中で使えず、
何とか伝説を作ることなく空港のトイレに駆け込むことが出来ました・・・(笑)
さて今回の布衣はイベントではなくライブハウス!!
なんとここは地元のバンドが経営しているライブハウスらしい!(◎_◎;)!!
春のツアーで行った安陽でも地元のバンドが経営するライブハウスでライブをしたが、
ここは一等地の映画館の隣、聞けば全国でも珍しく商業的に成功しているライブハウスらしい・・・
なるほどリハーサルの時にスタッフがドラムの横で食い入るように私を見ていて、
叩き終わったらいちいち親指を立てていたので、スタッフは全員バンドのメンバーらしい(笑)
性根を入れてドラムソロ!!
打ち上げはそのままライブハウスで行いました〜
ライブハウスでそのまま打ち上げなう〜 このライブハウスは彼ら地元のバンドのメンバーが経営してて、全国でも珍しく赤字でないという!(◎_◎;) ずーっと布衣に来て欲しかったんだと!! どの土地でもライブハウスは物語があるのう・・・(涙) - Spherical Image - RICOH THETA
ライブハウスは色々とドラマがあって面白いなぁ〜・・・
後半のツアーは17本!!次は雲南省へ向かいます!!
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2018年10月26日
クメール語バージョン制作開始!!
このプロジェクトのクメール語(カンボジアの言語)バージョンの制作が始まった!!
日本語の楽曲を外国語に訳して歌う、というのにも色んな考え方があるようだ。
日中間で色々仕事をさせて頂いたことがあるが、
まずヤン坊マー坊の中国語版を作った時は、
「原詞から少しも意味を変えることなく」
というのがクライアントからの発注であった。
私たちの世代なら誰でも耳にタコが出来るぐらい聞いた、
天気予報で流れるあの「僕の名前はヤン坊〜」というアレである。
実はこの歌詞にはあまり知られていない3番があり、
その中に「双子」という言葉が使われていた。
ヤン坊とマー坊は双子の兄弟〜みたいな感じだったと思うが、
ところが「双子」というのは中国語で「双胞胎(ShuangBaoTai)」、
つまり「胎盤が二つ」と書くのでどうも歌詞にするにはよろしくない。
何とか「仲良し兄弟」とかに出来ませんかねぇ・・・
北京から日本のクライアントに国際電話までして、そう相談した記憶がある。
サンプラザ中野が北京オリンピックに合わせて
「Runnerと玉ネギを中国語で歌いたい」
という話もあって、LaoWuに歌詞を発注したのだが、
「どんな細かいところも変えてくれるな」
と言うので「無理!!(>_<)」となって、結局中国語の喋れる日本人に丸投げした・・・
だって中国にはロッカールームなんてないし~
ペンフレンドもようわからんし〜
コンサート会場の上に野菜が乗ってるって中国ではどうなの?(笑)
うって変わって二井原実。
X.Y.Z.→Aの英語版を出す時に彼は、訳詞の人に
「ええよ別に〜作りやすいように所々変えてくれても〜」
と言っていたのを覚えている。
私の場合は考え方が二井原に近い。
いつもやってるやり方としてはこうである。
まず日本語の詞をそのままその言語に直訳する。
私の場合、その時に色んな注釈をいっぱい書き加える。
例えばこのアルバムの歌詞で言うと、
M1の
「この人が私の父となる人 その愛ゆえに今 生まれてゆく」
はM10の
「ママがパパを愛してあなたが生まれたの これだけは覚えててね...」
とリンクしてますよ
とか
M4の
「河の見える小さな部屋で」
は後に結婚して住むM8の
「黄河のほとりの丘の上に 私たちの家がある」
とリンクしてるんですよ
とか、興醒めのようなことでもどんどん書き込んでおくのだ。
(このアルバムのDEMOフルバージョン)
歌詞は、奥に別の意味があったとしてもそれを限定させるように表現するのではなく、聞き手に想像させるように作ってゆく。
でも訳詞者にその裏の意味を託すのでは楽曲がまた違った意味になってしまう可能性もあるので、
無粋ではあるけれども敢えて細かく書き加えて、その直訳から「詞」にする時に、その人のセンスで、その人なりにぼやかせて貰えば良い。
いや私なんぞはむしろ、
「根本的な流れが合っていれば、細かいところなんかどんどん変えていってくれて良い」
ぐらいに思っている。
「中国のマドンナ」とか別にどこの国にしてもらってもいいし、別にシチュエーションは黄河のほとりじゃなくてもいい。
河でもいいし山でもいいし、要はM4とM10が同じシチュエーションであればそれでいい。
M3「ゴメンね」にしても、まだ初恋を知らない頃の青春の甘酸っぱさが表現出来れば、内容やシチュエーションが全く違ってもいいし、M11「娘の初恋」も、要は次の曲「娘の嫁ぐ日」が感動的になる「娘のエピソード」であればそれでいい。
要は「訳詞」というよりは、その言語で「作詞」して欲しいのだ。
この「クメール語(カンボジアで使われている言語)版」は、くっくま孤児院の子供達自身で詞を作ってくれとお願いした。
ところがこの詞の直訳用原稿を書いている時のこと、突然こんな考えが頭をよぎって筆が止まってしまった・・・
このコンセプトアルバムの物語は、主人公が雲の上で自分で両親を選んで生まれて来て、
母の愛から次には自分の娘への愛となり、
父の愛から恋人に対する独占欲や嫉妬心となり、
最後には愛する人と巡り合って幸せに暮らし、その伴侶を看取るまでの物語である。
でもこの子たちは孤児なのだから、ヘタしたら両親の愛どころか両親の顔さえ知らずに育っている?
母親から、父親から愛情を注がれたことなど全くない子供たちだっているんではないのか?・・・
そんな子供達にこんな物語を作詞させるのて・・・あまりに残酷なのではないか?・・・
そんなこと考えてしまったらもう全く筆が進まない・・・
数日間ずっと悩んでいたのだが、ある日やっとこんな考えに至った。
私は(当たり前だが)孤児になったことはないので、この子たちの本当の気持ちはわからない。
両親は仲悪くて離婚したけど、この子たちに比べたら幸せに育てられた自分が・・・
などと、私は「この立場」でこの子たちを見ていたのではないか?
高いところから低いところを見てるようなその考えこそが一番良くないことなのではないか?
そんな風に考えてることこそ、ずっとこの子たちとの間に「壁」を作っていることではないのか?
私がそんな真綿で包んであげるようなことをしたところで、この世の中はこれからも、容赦なくこの子たちに「現実」を浴びせかけてゆく・・・
異国の地でこの子たちを、母親代りとなって育てている楠美和さんの顔が浮かんで来た。
彼女は決してそんな風に、真綿で包むようにこの子たちと接してはいないだろう。
ある時はぶつかり合い、ある時は突き放し、いつも「同じ目線」でこの子たちと接しているに違いない。
20数人の子育てって・・・どんなん?・・・(涙・・・笑)
そもそもが「歌」などは全て実体験を歌っているものではないのだ。
「歌手」とは「役者」に似ているものだと思う。
自分の体験してないことを、自分が体験した経験からシミュレーションしてそれを「表現」する。
つまりはその世界観を「演じる」わけだ。
だからこの子たちなりに考えて、この子たちなりに「想像」して、この子たちなりに「表現」して欲しい。
年長組は、もう数年でこの孤児院を卒業して独り立ちする。
この国でこの社会に出た君たちは、また容赦なくいろんな「現実」を浴びせかけられ、強く逞しくそれと戦って生きてゆくことだろう。
そしていつの日か、あの時に「想像」した通り、理想の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築き、子供を作り、命がけで子を愛し、育て、いつかこの歌のように伴侶を看取り、または看取られながら神のみもとへ召されてゆく・・・
そうなって欲しい。
まあその頃には私は絶対に生きてはおらんがの(笑)
雲の上からそれを楽しみに見ておくぞ・・・
この「クメール語版」は、この子たちを「希望の星」にするためのほんの序章。(関連記事)
まず「作品」を残して、それを自分たちの「商品」にする。
自分たちが売る「商品」を自分でたち自身で頑張って作るのだ。
一番好きな曲の順にそれをライブで歌って、その「商品」をお金にしてゆけばいい。
今回作ったクメール語版のCDをライブで売って、それで下の子たちを養っていけるようになれば言うことない。
上の子が巣立っていったら、下の子がまたこれを歌い継いでゆけばよい。
そんなこんなしてるうちに、次はバンドのオリジナルアルバムを作るぞ!!
このバンド
そしていつか君たちはカンボジアで一番の大スターとなって、この国の恵まれない子供たちの「希望の星」となるのだ!!
その時に、このアルバムの最後の一行、
「世界中の全ての人々が、本当に幸せに召されてゆくことができますように...」
とクメール語で歌って欲しい。
私が生きてるうちにその姿が見れるかな(笑)
このクラウドファンディングは、
「まあ100万円もあればアルバム一枚ぐらい作れるだろう」
ということで始めてますが、
このアルバムの先には、このようなもっともっと壮大な「夢」がいっぱい控えてます。
共感して下さる方は、是非ご支援のほどよろしくお願い致します。
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Posted by ファンキー末吉 at:06:53 | 固定リンク
2018年10月24日
「権利商売」はその先にある!!
「日本の音楽が危ない」第2弾としてこんなプロジェクトを立ち上げた。
「新しいビジネスモデル」と言われたってピンと来ない人が多いだろう。
まずは笑い話としてこのブログ記事を読んで頂きたい。
「笑い話」と言ったのは、中国ももうこのような時代ではないからである。
ナン億元も持ち逃げしたこの人は、
身分証がなければ飛行機にも列車にも乗れず、全国どこのホテルにも泊まれないこの国で、今はどのように暮らしてるのだろうと想いを馳せるばかりである。
さてこの笑い話を受けての反応は下記に大きく分かれると思う。
1、これだから・・・1円でもお金をもらえなきゃ着メロなんかに使わせないぞ
2、羨ましい・・・タダでいいから自分の曲も使ってもらいたい
おそらく日本人は「1」の人が多く、逆に中国人は圧倒的に「2」だろうと思う。
なにせ、このおかげで布衣は今や、
全中国をツアーで廻れる動員数を誇れるバンドのひとつにのし上がったであるから・・・
今ではこの曲は色んな映画に使われたりして、使用料が布衣を通して私のところに振り込まれたりする・・・
「権利商売」は実はこの笑い話のもっとその先にあったのである。
さて今度は日本のお話・・・
私はドラマーであるが作曲家でもある。
中国では基本、楽曲は「買取」で、書いたその場で「報酬」として現金がもらえる。
日本では「印税」というシステムで、書いた時点では一銭ももらえず、
後に売れた分だけの「印税」がもらえる・・・ことになっている。
しかし書いた楽曲が大ヒットすることって果たして何万曲に1曲の確率なの?・・・
私は運よく「Runnner」というヒット曲に恵まれたが、
この記事のように、今は出版社の意向で、JASRACからCM部分の管理を外されている。
例えば1000万円のCM使用のオファーが来たとして、
JASRACはそれを右から左へ出版社に振るだけで250万円の手数料を得る。
「濡れ手に粟」である。
「いちいち許諾先に連絡するのは面倒でしょ?うちが一括管理をしましょう」
などという考え方は、このITが進んで世の中でもはや化石なのでは?・・・
今の世の中、CMに使おうというような有名曲の許諾先を探すなんていとも簡単な作業である。
JASRACに250万払うぐらいだったら出版社自ら直接やって、そのぶん権利者みんなで分けましょ!!
これが出版社の意図だと思う。
そして実際にそうなった今、私の場合はRunnerのCM使用料だけが出版社から直接振り込まれることとなる。
今色んな楽曲をJASRACから引き上げているところだが、
私はだいたい200曲近い楽曲をJASRACに預けていた。
Runner以外の曲は今まで通りJASRACから振り込まれるのだが、
前回JASRACから振り込まれた印税額はなんと25円!(◎_◎;)
「リゾ・ラバ」などのヒット曲も含む200曲近い印税の合計額が、たったの25円!!(大笑)
これこそがこの国の「権利ビジネス」の成れの果て!!
我々日本の音楽家たちはこんなものにしがみ付いて生きているのですぞ!!
(注釈:こんなことを書くと、「JASRACが操作して末吉の印税をわざと少なくしている」と言う人が多いだろうが、それをやることは大きな「犯罪」なのでここではそんなことはないという前提で話を進めます)
さてこのプロジェクト、
100万円もあればアルバム1枚ぐらいは作れるだろうということで目標額をこのぐらいに設定しているのだが、決して「これで儲けよう」ということではない。
「ビジネスモデル」は他にあるのである。
例えば中国。
日本語版が完成したらそれを持って、私はとある私の大切な友人である女性歌手を訪ねてゆく。
彼女にこのアルバムの中国語版を歌ってもらうのである。
決して「売り込みに行く」わけではない。
「これ、あげるから歌ってよ」
というわけである。
「楽曲さえ気に入ってもらえば」という大前提だが、
タダでオケのデータ全部もらえると言うのだから断るわけはない。
そして彼女が歌えばこのアルバムは必ずヒットする。
そしたらそれこそ「桶屋が儲かる」・・・
なにせ
「美人とは金が稼げることなんだぞ(関連ネタ)」
という国である、「有名になる」ということはそれだけで「お金になる」ということなのである。
分かりやすく言うと、
このアルバムが中国でヒットすれば私の作家としての価値はまた上がり、
日本で言う「買取額」に当たる「報酬」がまた上がるのだ。
ちなみに中国ではもう今は「使用権」の買取であり、
楽曲の「権利」はそのまま作家に残る。
(通常そのような契約を結ぶという意味)
他の歌手がカバーしたい場合、また映画音楽やCMなどで使いたい場合は、
権利を持っている私自身にお金を払わねばならない・・・
そう、まさしく「権利ビジネス」はその先にあるのである!!
もちろんJASRACのような団体は必要ない。
そんなものなんかなくても、今の世の中、歌手に聞いたり発売元に聞いたりして、私の連絡先を調べるなんて簡単なことなのである。
さて日本・・・
前述の通り「作曲」という仕事で「報酬」は支払ってくれない。
必ずJASRACなどの団体に権利を譲渡してガチガチにされて初めて発売。
最終的にいくら入るかは出してみないとわからない。
そして自分の曲を自分で使おうとしてもJASRACなどに必ず許諾が必要である。
私は前回のツアーで「お持ち帰りCD」と銘打ってその日のライブの音源をその場で売ろうと画策した。
JASRACは裁判の中でも
「この楽曲はお前の楽曲ではない。JASRACに委託しているのだからJASRACの楽曲である」
という理論を声高に叫んだので、自分の楽曲であろうがJASRACに許諾申請をする。
ところがこの手続きがあまりに煩雑過ぎて、3枚売ったところでもう諦めた(>_<)
あとで徴収が来たので19円支払ったが、
自分の曲を自分で使って金を払うというのはまだいい。
(煩雑過ぎて)「自由に使えない」ことが一番の問題なのである。
また私は、毎年「サマードラムスクール」を開催しているが、
JASRACが音楽教室相手に徴収を始めて訴訟にまで発展しているので、
このドラム教室では自分の楽曲でもJASRAC管理楽曲は教材に使うわけにはいかない。
このため、もう色々な楽曲をJASRACから引き上げる作業をしているのだが、
ここに「JASRAC信託会員」というご無体な契約がある。
私はもう契約解除したが、
共作者がこの会員契約を結んでたらもうにっちもさっちもいかない(>_<)
当時はJASRACしか団体がなかったので気にしなかったのだが、
これは実はとんでもない契約なのである。
なにせこの契約、
「あなたが作った曲は、それを作った瞬間から未来永劫JASRACのものですよ」
というもの・・・
私も含め、多くの音楽家は当時、
「その方が得ですよ」
と言われてあまり考えずにこの契約を結んでいるので、
人によってはもう忘れてしまっている人も多い。
この契約があるとどうなるか・・・
まずこのプロジェクトのように
「自由に歌って、使って欲しい」
ということなど夢物語である。
なにせ、
「お前の作った曲は作ったその瞬間からお前のものではない。JASRACのもの」
なのだ。
「自由に使って欲しいなどという権利はお前にはない!!」
ということである。
このプロジェクトはクメール語(カンボジアの言語)に訳して、くっくま孤児院の子供たちに歌ってもらうことになっている。
(関連記事はこちら)
この子たちのオリジナルアルバムの前に、このこのプロジェクトのクメール語バージョンを歌ってもらって、
その後この子たちがライブの時に販売出来る「商品」にして欲しいと考えているからだ。
カンボジアは外国だからJASRACは手が出せないが、
もし私がまだJASRAC会員で、この孤児院が日本の孤児院だったとしたら・・・
JASRACは地獄の底までこの著作権料を徴収しに来るだろう・・・
「孤児であるこの子達の為に・・・」というこのプロジェクトはその時点で頓挫しただろう・・・
さて「もしも」の話ばかり言ってても始まらない。
日本の多くの音楽家、特に自分の楽曲を自分で演奏、歌唱している音楽家のことを考えてもらいたい。
「大手レコード会社と契約=プロ」という図式が崩れ去って久しいこの国の音楽界で、
そういう人たちが自分の楽曲をJASRACに預け、
そして自分でレコードを作って、自分で演奏、歌唱して、自分でお金を払う。
そう、まるで「みかじめ」のように・・・
印税には「一次使用料」と「二次使用料」というのがあるが、
大手レコード会社に所属して鳴り物入りでデビューでもしない限り、
多くのシンガーソングライター達がJASRACと契約すると、
レコードを出したりの「一次使用料」は自分で支払うという現状が多いだろう・・・
そして実際に収入が大きいのが「二次使用料」である。
ヒットすればカラオケで多く歌われたり、ラジオやテレビで放送されたり・・・
そして一番大きな収入が「CM」!!
そして私個人の現状ではCM以外は25円!!(笑)
音楽家の皆さん、こんな現実を見るに、最初っからJASRACに楽曲を預ける必要ある?・・・
もっと売れて来て、ラジオなどでガンガン放送され出してから契約したっていいのではないの?・・・
さて最初の質問、この笑い話を受けての反応・・・
1、これだから・・・1円でもお金をもらえなきゃ着メロなんかに使わせないぞ
2、羨ましい・・・タダでいいから自分の曲も使ってもらいたい
「1」の人・・・
「俺の曲使いたかったら金よこせ!!」
これって今の時代、よっぽど偉い人しか言えないよね・・・
私を含め、大抵の人は「タダでもいいからどんどん使って宣伝して欲しい」と思うんじゃないかなぁ・・・
例えて言うと、
バンドも歌手も契約以前から事務所やレコード会社に対して高い条件を突きつけて、
それで「もういいや」と言われて結局デビュー出来ない、
みたいな例に似ているのではないかと思う。
「デビューした瞬間からすぐに大金を稼げると思うな!!」
である。
「大金はお前が売れた後にいくらでもついて来る!!」
楽曲も同じ、「権利商売」はその先にある!!のである。
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2018年10月21日
布衣秋のツアー2018甘粛省「蘭州」
春と秋に数十本ずつほどツアーを廻る布衣楽隊、
今回の秋のツアーは私が途中にX.Y.Z.→AとJazzツアーがあるので、
わざわざそのスケジュールを避けてその前後2回に分けて組んでくれた・・・
蘭州は秋の前半の最後のツアー先である。
蘭州と言えば「蘭州牛肉麺」!!
日本でも流行っているらしく、この書き込みが日本人に反応が大きい(笑)
蘭州と言えば「蘭州牛肉麺」!!
— FunkySueyoshi (@FunkySueyoshi) 2018年9月29日
日本でも流行っているらしいのでご存知の方も多いかと思いますが、蘭州では単に「牛肉麺」と言います。
讃岐と同じく、とにかく至る所に牛肉麺があるので、競争原理でむっちゃレベルが高い!!
牛肉を追加してチャーシュー麺ならぬ牛肉増し増し麺!! pic.twitter.com/tSvOs2lZ0u
でも美食は牛肉麺だけではない!!
美食街の正宁街夜市!!
そう、この日は新疆ウイグル自治区ウルムチから高速鉄道で移動したのだ。
移動時間12時間って、日本だと函館から鹿児島まで行ける(>_<)
そうそう、ウルムチで発覚したのだけれども、
銀川のホテルにこの列車の切符を忘れて来たのよね(涙)
中国で切符を失くすと大変です!!(>_<)
こうなる・・・
というわけで来るまでには色々あったけれども、
ライブハウスに来てやることは同じ!!
会場入りしてみると、なんと昨日の会場の半分以下の広さ!(◎_◎;)
ここに昨日の倍以上の人間が入るんだと・・・(>_<)
布衣秋のツアー前半最終日!! 今日の小屋はまた狭い!(◎_◎;) 聞くところによると、この店は宣伝を打つ客が入りきれないのでいつもシークレットでやるとか・・・ それでもウルムチの倍入るのではという噂・・・恐ろしか話ばい(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
まあ酸欠と灼熱はロックドラマーと生まれたからには避けて通れない道なのでやるしかない!!
おいおい、子供は危険やぞ!!・・・と思ったら最後には2階の楽屋に通されてそこで見てたようです(笑)
この日のドラムソロ!!
そして翌日には北京に帰って数本仕事をして、
X.Y.Z.→Aのツアー、そしてJazzツアー!!
それが終わったらまた広西チワン族自治区南寧からツアー後半開始!!
Posted by ファンキー末吉 at:08:49 | 固定リンク
2018年10月 6日
布衣秋のツアー2018新疆ウィグル自治区「ウルムチ」
ウルムチは前回来た時にも思ったが、とにかく「セキュリティーが厳しい」(>_<)
北京なんかでも地下鉄乗るときにも飛行機乗る時みたいなセキュリティーチェックがあるのでうんざりするが、ここウルムチではホテルからライブハウスから、およそ人が集まるところには全てセキュリティーチェックがある!(◎_◎;)
まあ日本は平和なのである。
中国当局の発表だけで、ここ新疆ウィグル自治区だけで年間200のテロが起こっていると言う・・・
まあメディアも国のもの、一党独裁体制にとって都合の悪いことは絶対言わないこの国で「200」と発表されているのだったら、実際はその数倍の数のテロが起こっているというのが現状だろう・・・
何にもない山の上を何時間も飛んで、やっとウルムチに降り立ってすぐに目にするのがスローガン!!
まあどこの街にもスローガンはあるのだが、
ここウルムチで見ると「スローガンとは出来ないことを掲げるのだな」と思えて仕方がない・・・
あと、時差!!
中国国内は新疆ウィグル自治区含め全て北京と同じ中国時間を採用しているのだが、
なにせタイよりもミャンマーよりも西に位置しているのである!(◎_◎;)
勝手に現地時間として「ウルムチ時間」を採用して生活しているというのも頷ける。
なにせ通常ライブ開始時間の8時半になってもまだまだ明るいのだ!(◎_◎;)
この日のライブは北京時間9時半、ウルムチ時間7時半より開始!!
いや〜いっぱい入った・・・
しかしウルムチでライブをやるといつも思うのだ。
「来てるの漢民族だけ?・・・」
ウィキペディアによれば新疆ウィグル自治区のウィグル族は45パーセント、
それに対して漢民族は40パーセント。
同じ比率で客が来たとしたら、漢民族の客よりもウィグル族の客の方が多いはずである。
しかし実際は、爽子の時は見る限り全員漢民族、
今回布衣の時には、もろウィグルだなぁというルックスの女の子がひとり、
こりゃウィグルの血が入ってるなという美女(ウィグル族は男女共に本当に美形)が数人のみである。
爽子は北京語のラップなのでウィグル族がいなくて布衣は歌なので数人いたという話ではない、単に動員数の問題だと思う。
つまり、ここウルムチではウィグル族は漢民族の音楽を聞かないのだ!(◎_◎;)
これは多民族国家マレーシアでも見られる現象である。
Wingのワールドツアーでマレーシアに行った時、
東京で知り合ったマレーシアのバンドを訪ねて行ったら、
「そうなの?そんなチャイニーズの歌手がいて今日コンサートなのね?
私たちは全くチャイニーズの曲は聞かないから知らなかったわ・・・」
と言われてびっくりした。
同様に中華系マレーシアンはマレー系の音楽はほとんど聞かない。
まあこれはこれでこの国マレーシアは何とかうまく多民族国家を運営しているのでよかろう。
問題はこのテロ問題山積みの中国である。
民族問題の火種はチベット、モンゴル、ウィグルと多岐に渡るが、
やはりここ新疆ウィグル自治区が一番激しいように感じる。
モンゴルにも民族的対立があるんだとしても、
ライブをやって、「あ、これはモンゴル人だ」とぱっと見でわかるモンゴル人は少ないが、ウィグル族は一眼でわかるほど異質な民族なのだ。
(びっくりするほど美男美女が多い)
それが例えば中国系マレーシアンのように、チャイニーズの文化は守りながらもマレーシアという国家に「愛国(スローガンにあるね)」の気持ちを持っているのと違って、
ここウルムチではどうもウィグル族が同じくらい(でいいから)中国共産党を愛しているとはどうも思えない。
マレーシアのWingのライブにマレー系の客がいないからと言って、
「ああそんなもんか」
としか思わなかったが、ここウルムチでこの現実は、
「大丈夫かなぁ・・・この国・・・」
と思うような現象に思えて来る・・・
そう考えると、昔北京にあった「阿凡提(AFanTi)」というバンドは素晴らしい!!
昔同名のウィグル料理屋の箱バンだったのだが、
彼らが演奏するそのウィグル語の音楽が素晴らしく、
北京のロックミュージシャンにも少なからず影響を与えた。
私がウィグルの曲を少しでも知っているとしたら全て彼らからの影響である。
政治と人民は違うというのは常で、北京の漢民族(を含めて全ての民族)は彼らの音楽を愛し、彼らの民族を尊重し、フレンドシップを築いて来た。
暴動を起こす一部のウィグル族を除いて、その気持ちはウィグル族とて同じだろう。
独立を掲げる→武力で制圧する→対立が深まる
というこの図式の中で、この「阿凡提(AFanTi)」のように音楽によってその垣根を取っ払えるバンドがまた出て来ないものか・・・
そしてそんな漢民族のバンドが出て来ないものか・・・
そんなことを考えながらこの日はドラムソロをぶっ叩いた。
ウィグル族の朋友たちために、そして世界平和のために・・・