
2017年9月18日
ベトナムのダナンにいるんだな〜ん
ベトナムのダナンにいるんだな〜ん そうかぁ・・・ワイキキはサンセットビーチやったけどベトナムは東が海だから水平線から朝日が昇るのね!(◎_◎;) 詳しくはhttps://www.funkyblog.jp/2017/09/post_1195.htmlを〜 - Spherical Image - RICOH THETA
執筆で煮詰まっているということを聞いて、ダナンにいる知り合いがご招待してくれた〜
この知り合い、とりあえず名前は「Yさん」ということにしておこう。
私が北京で知り合ったビジネスマンなのであるが、きっかけは何と「北朝鮮」である。
北京の日本人会から私のことを聞いて「是非お会いしたい」と連絡して来たのだ。
豪勢な食事をご馳走になりながら、Yさんはちょっと身を乗り出してこう言った。
「実は繊維関係の工場を元々は天津、しかし人件費の高騰で今は武漢に移転したんですが、中国はもうダメでしょう。私は工場を北朝鮮に移転したいんです!!」
まあ「北朝鮮なら末吉に聞け」ということでここまで辿り着いたのであろうが、ビジネスマンでも何でもない一介のミュージシャンには「お門違い」も甚だしい(笑)
しかしこれがきっかけで「面白い人だなぁ」と北京で時々一緒に飲むようになった。
北朝鮮に工場など最初のきっかけは丸っ切り忘れてしまって、その後はただバカなことばっか言って飲むだけの付き合いだったのが、それがひょんなことから一転する。
私が日本にいる時に、とある在日朝鮮人の方が私を訪ねて来てこう言ったのだ。
「私は北朝鮮の著作権を管理している者です」
聞けばテレビ局などと裁判になったこともあるらしく、最高裁は「国交のない国の権利を守る必要はない」ということで退けたらしい。
ちょうどJASRACが私が作曲した「ムルムピョ」を「JASRAC会員なんだからこの曲はお前のものではない!!JASRACのものだ!!」などという主張をして来た時期だったので、
「この曲の詞は朝鮮民主主義共和國のものなんだから、じゃあこの曲がJASRACの曲なんだったらお前がこの曲の権利を守れって訴訟してみたらどうですか?」
などとバカなことを話したりしてた。
(JASRACの考え方は詞と曲は切り離せないものであるというものなので、曲だけの権利を守って詞を放棄することは出来ない)
まあそんな話がきっかけで時々一緒に飲むようになったのだが、その時に聞いたのだ。この人の親戚が平壌で繊維工場をやってる、と・・・
私はさっそく北京のYさんに国際電話を繋いでふたりを結びつけた。
そしてYさんは中国人社員を平壌に派遣して工場の視察をするまでにこじつけたのだ。
「平壌に工場が出来たら是非私を招待して下さいよ」
などと私も非常に楽しみしていたのだが、残念ながらコストの関係とかで実現までには及ばなかった。
しかし転んでもタダでは起きないビジネスマン、その時に「平壌の自由市場にスペースが持てるかも」という話を持って来て、「平壌の自由市場で100円ショップをやろう!!」という企画が持ち上がった。
もうYさん最高である!!(笑)
中国の10元ショップで色んなものを買い込んで、日本語の達者な中国人社員がまた平壌へと向かった。
彼女が北京に帰って来て「Funkyさんにお土産がある」と言うので「土産物より土産話が聞きたい」と集まった。
ところが帰って来たばかりの中国人社員がぷんぷん怒ってて最高である。
「あそこの国の人、みんなドロボウね!!ちょっと目を離したらこっちから何か盗む、そっち見てたら反対側から違う人が盗む、もうこんなところで商売やれないね!!」
それと「盗聴された」というのにもぷんぷん怒っている。
「もうね、報告だから夜に社長のYさんに電話かけるネ、そしたらすぐに案内人から電話かかって来て"今のは日本語ネ、何話してたか"って聞いて来るの、もうこんなところで商売ゼッタイに無理ネ!!」
ワシは大笑いしながらこう言った。
「お嬢さん、あなたの国だってちょっと前までそうだったんですよ(笑)」
そんなこんなでYさんは結局工場をこのダナンに移し、何とそこがビーチリゾートの素晴らしい街だということでワシを招待してくれたのだ。
もう細かい予定は全部ぶっちしてここで本を書き上げる所存で御座います!!!
ps.そうかぁ・・・ワイキキはサンセットビーチやったけどベトナムは東が海だから水平線から朝日が昇るのね!(◎_◎;)