
2016年5月26日
全中国ひとりドラムツアー2016年 湖南省「株洲市」
駅には地元の王老師が迎えに来てくれていた。
初対面かと思ったら一度どこかでお会いしているらしく、
ツーショットの写真が送られて来たがどこだったか全然覚えていない(笑)
手ぐすね引いて待っていた王老師は、ワシを車に乗せて1時間かけてこんなところに連れて行ってくれた・・・
ここから船に乗って向こう岸のレストランで食事をするのだ・・・
ここで「農家菜(NongJiaCai)」を食べながらいろんな話をした。
ここでまた新しい「朋友」を作ったという感覚である。
そもそもこの全国行脚、
振込詐欺に名前使われてワシのために金を用立てようとする老師まで現れるほど、
ワシにとっては全中国に「朋友」を作りに廻っているようなものである。
担当者のShaも、今では
「初対面でもほっとけばFunkyはまたきっと地元の老師と仲良くなって帰って来るから」
とでも思っているのか今回は全てほったらかしでついて来てもいない・・・
こう見えて実はワシは人見知りなのだが、
酒飲んでご馳走を頬張って、ひょんなことで自分の心が開くその瞬間を一生懸命逃さないようにしているだけなのだ。
今回は話の中でパールドラムのことで一気に盛り上がった。
「俺はねぇ、Sha兄貴に本当に感謝してるんだ。
どうしてもPearl倶楽部を立ち上げたくてね、
本当は元手が5万元ないと無理だと言われたんだけどね、
俺はこう言って説得したんだよ。
俺の口座には金がない!!でも俺の倉庫はPearlのドラムでいっぱいにして見せる!!
ってね・・・笑」
何で彼はそんなにもこのPearl倶楽部をやりたかったのか・・・
その答えとして彼はこんなことを言った。
「だってPearlドラムって牛逼(NiuBi:ファッキングレイトの意)でしょ!!」
担当のShaもいつも同じことを言うが、
Pearlドラムを売る立場の人間が言うのとはまた趣が違う・・・
「Funkyさんだってそうだからモニターやってるんでしょ?」
それにふたつ返事で
「当たり前じゃねぇか!!」
と言えない事情がワシにはあった。
実はワシはPearlの担当者にこんなことを言われたことがある。
「ファンキーさん、長年モニターやって頂いて本当に感謝してます。
でもひと言言わせてもらっていいですか、あんたどのドラム叩いても音いっしょ!!(笑)」
これはドラマーとしては一番大きな「誉め言葉」である。
でもじゃあどうしてYAMAHAじゃなくTAMAでもなくPearlなのか?
どうせ何叩いても同じ音なんだったらメーカーなんかこだわらなくてもいいじゃないか?・・・
それにはこんな理由がある。
その昔、爆風スランプがまだアマチュアだった頃、
仕事としてやらせて頂いてたクリスタルキングがYAMAHAの所属だったので、
まずはYAMAHAに「モニターをさせてもらいたい」と言ったら断られた。
爆風が名古屋のELL(まだ地下の小さいライブハウスの頃)でライブの時に、
同じく名古屋に本社があるTAMAに電話をかけた。
「モニターにしてもらいたくお電話させて頂きました。
今日名古屋でライブなのでよかったら見に来て頂けませんか」
これに対する担当者の答えはこうだった。
「あんたねぇ、モニターひとり契約したらこちらがいくら金がかかるか分かってんですか?」
まあ当時誰も知らないアンダーグラウンドのバンドのドラマーである。
「けんもほろろ」な対応、それは頷ける・・・
最後に千葉にあるPearl本社に行った。
誰も知らないアンダーグラウンドのバンドを担当の市岡さんは知っていた。
「爆風スランプ?知ってるよ。いいバンドじゃないか・・・」
クリスタルキングの名前でも何でもなく、
市岡さんは誰も知らないこのアンダーグラウンドのバンドの将来性を見てワシをモニターにしてくれたのだ・・・
そして爆風スランプは売れた。
パッパラー河合がYAMAHAのギターを使っていたことから、
ある日担当者がリハーサルにやって来てワシにこう言った。
「末吉くんもぼちぼちYAMAHAのモニターになったらどうだい?待遇よくするよ・・・」
「町工場」であるPearl楽器とは違う「大企業」である。
担当者もコロコロ変わるし、ある日バイクを売ってた人間がドラム担当になることもあるだろう、
別にこの担当者に何の罪もない。
仕事を一生懸命しているだけである。
しかしワシは机をバンと叩いてこう言った。
「あんた達はあの時俺を全く相手にしてくれなかったじゃないか。
誰も相手にしてくれなかった俺をPearlだけは相手にしてくれた。
俺は一生Pearlと一緒に生きてゆく!!」
思えばShaと初めて旅をした時、
酒を飲んで同じ話をしてバンと机を叩いた。
「だから俺は一生Pearlドラマーさ!!」
この時から彼は「こいつと一緒にこの活動をやろう」と思ったのだろう。
今では「お前が生きてる限り俺はこの活動をブッキングするからな」と言う・・・
片やPearlドラムの魅力、片や人情話と「きっかけ」は違うけど、
この日また机をバンと叩いてこの話をするワシに、
王老師は同じようなシンパシーを感じたのであろう。
初対面のワシらはまるで何十年も一緒にこの活動をしている「戦友」のような気になって酒を酌み交わしたのだ。
翌日は昼間に本番!!
またどでかい会場である・・・
ステージもでかい!!
いつものようにドラムをぶっ叩く!!
記念撮影・・・
資本金が足りなくてこのPearl倶楽部を開くのが困難だった王老師・・・
今ではこんなに生徒がいる。
Pearl倶楽部としては全国でも規模が大きい方だろう・・・
ワシなんかよりももっともっとこのPearlドラムを愛し、
文字通り彼んとこの倉庫にはPearlドラムがいっぱいあるのだろう・・・
中国でドラムセットを売ってゆく・・・
「楽器屋なんかに卸したって誰がドラムなんて買うかよ」
そう考えたShaは全国にこのPearl倶楽部を今では100以上作っている。
「有名ドラマーをモニターにしたって誰がドラムなんて買うかよ」
そう考えたShaはこんな全国のPearl倶楽部の先生達をモニターにした。
こんなPearlドラムを心から愛する老師達が、
その生徒達がドラムを買いたいと言ったら当然ながらPearlドラムを勧める。
地元でドラムセットを購入しようという人間は当然ドラマーなんだから、
当然地元のこのPearl倶楽部のことを知っている。
初心者だったら習いに来るだろう。
楽器屋なんかに卸すよりも確実にPearlドラムが売れてゆくのだ。
このからくりに気付いた他のドラムメーカーは、
このPearl倶楽部のシステムごと乗っ取ろうとする。
「え?Pearlは卸値で貴方のところに卸してるんですか?
ヒドいですねぇ。ここの教室のドラムを全部うちのドラムにしてくれたら最初のセットは全部タダで差し上げますよ!!」
ところが各Pearl倶楽部の老師達は首を縦に振らない。
そうさせないためにワシが全国のPearl倶楽部を廻っている。
「Shaとは義兄弟だ。Funkyさんとはマブダチだ。友達を裏切るわけにはいかない」
こうやって今日もこの広い中国大陸でまたPearlドラムが売れてゆく・・・YAMAHAよりもTAMAよりも多くのドラムがこうやって売れてゆくのだ・・・
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