
2016年5月26日
全中国ひとりドラムツアー2016年 湖南省「株洲市」
駅には地元の王老師が迎えに来てくれていた。
初対面かと思ったら一度どこかでお会いしているらしく、
ツーショットの写真が送られて来たがどこだったか全然覚えていない(笑)
手ぐすね引いて待っていた王老師は、ワシを車に乗せて1時間かけてこんなところに連れて行ってくれた・・・
ここから船に乗って向こう岸のレストランで食事をするのだ・・・
ここで「農家菜(NongJiaCai)」を食べながらいろんな話をした。
ここでまた新しい「朋友」を作ったという感覚である。
そもそもこの全国行脚、
振込詐欺に名前使われてワシのために金を用立てようとする老師まで現れるほど、
ワシにとっては全中国に「朋友」を作りに廻っているようなものである。
担当者のShaも、今では
「初対面でもほっとけばFunkyはまたきっと地元の老師と仲良くなって帰って来るから」
とでも思っているのか今回は全てほったらかしでついて来てもいない・・・
こう見えて実はワシは人見知りなのだが、
酒飲んでご馳走を頬張って、ひょんなことで自分の心が開くその瞬間を一生懸命逃さないようにしているだけなのだ。
今回は話の中でパールドラムのことで一気に盛り上がった。
「俺はねぇ、Sha兄貴に本当に感謝してるんだ。
どうしてもPearl倶楽部を立ち上げたくてね、
本当は元手が5万元ないと無理だと言われたんだけどね、
俺はこう言って説得したんだよ。
俺の口座には金がない!!でも俺の倉庫はPearlのドラムでいっぱいにして見せる!!
ってね・・・笑」
何で彼はそんなにもこのPearl倶楽部をやりたかったのか・・・
その答えとして彼はこんなことを言った。
「だってPearlドラムって牛逼(NiuBi:ファッキングレイトの意)でしょ!!」
担当のShaもいつも同じことを言うが、
Pearlドラムを売る立場の人間が言うのとはまた趣が違う・・・
「Funkyさんだってそうだからモニターやってるんでしょ?」
それにふたつ返事で
「当たり前じゃねぇか!!」
と言えない事情がワシにはあった。
実はワシはPearlの担当者にこんなことを言われたことがある。
「ファンキーさん、長年モニターやって頂いて本当に感謝してます。
でもひと言言わせてもらっていいですか、あんたどのドラム叩いても音いっしょ!!(笑)」
これはドラマーとしては一番大きな「誉め言葉」である。
でもじゃあどうしてYAMAHAじゃなくTAMAでもなくPearlなのか?
どうせ何叩いても同じ音なんだったらメーカーなんかこだわらなくてもいいじゃないか?・・・
それにはこんな理由がある。
その昔、爆風スランプがまだアマチュアだった頃、
仕事としてやらせて頂いてたクリスタルキングがYAMAHAの所属だったので、
まずはYAMAHAに「モニターをさせてもらいたい」と言ったら断られた。
爆風が名古屋のELL(まだ地下の小さいライブハウスの頃)でライブの時に、
同じく名古屋に本社があるTAMAに電話をかけた。
「モニターにしてもらいたくお電話させて頂きました。
今日名古屋でライブなのでよかったら見に来て頂けませんか」
これに対する担当者の答えはこうだった。
「あんたねぇ、モニターひとり契約したらこちらがいくら金がかかるか分かってんですか?」
まあ当時誰も知らないアンダーグラウンドのバンドのドラマーである。
「けんもほろろ」な対応、それは頷ける・・・
最後に千葉にあるPearl本社に行った。
誰も知らないアンダーグラウンドのバンドを担当の市岡さんは知っていた。
「爆風スランプ?知ってるよ。いいバンドじゃないか・・・」
クリスタルキングの名前でも何でもなく、
市岡さんは誰も知らないこのアンダーグラウンドのバンドの将来性を見てワシをモニターにしてくれたのだ・・・
そして爆風スランプは売れた。
パッパラー河合がYAMAHAのギターを使っていたことから、
ある日担当者がリハーサルにやって来てワシにこう言った。
「末吉くんもぼちぼちYAMAHAのモニターになったらどうだい?待遇よくするよ・・・」
「町工場」であるPearl楽器とは違う「大企業」である。
担当者もコロコロ変わるし、ある日バイクを売ってた人間がドラム担当になることもあるだろう、
別にこの担当者に何の罪もない。
仕事を一生懸命しているだけである。
しかしワシは机をバンと叩いてこう言った。
「あんた達はあの時俺を全く相手にしてくれなかったじゃないか。
誰も相手にしてくれなかった俺をPearlだけは相手にしてくれた。
俺は一生Pearlと一緒に生きてゆく!!」
思えばShaと初めて旅をした時、
酒を飲んで同じ話をしてバンと机を叩いた。
「だから俺は一生Pearlドラマーさ!!」
この時から彼は「こいつと一緒にこの活動をやろう」と思ったのだろう。
今では「お前が生きてる限り俺はこの活動をブッキングするからな」と言う・・・
片やPearlドラムの魅力、片や人情話と「きっかけ」は違うけど、
この日また机をバンと叩いてこの話をするワシに、
王老師は同じようなシンパシーを感じたのであろう。
初対面のワシらはまるで何十年も一緒にこの活動をしている「戦友」のような気になって酒を酌み交わしたのだ。
翌日は昼間に本番!!
またどでかい会場である・・・
ステージもでかい!!
いつものようにドラムをぶっ叩く!!
記念撮影・・・
資本金が足りなくてこのPearl倶楽部を開くのが困難だった王老師・・・
今ではこんなに生徒がいる。
Pearl倶楽部としては全国でも規模が大きい方だろう・・・
ワシなんかよりももっともっとこのPearlドラムを愛し、
文字通り彼んとこの倉庫にはPearlドラムがいっぱいあるのだろう・・・
中国でドラムセットを売ってゆく・・・
「楽器屋なんかに卸したって誰がドラムなんて買うかよ」
そう考えたShaは全国にこのPearl倶楽部を今では100以上作っている。
「有名ドラマーをモニターにしたって誰がドラムなんて買うかよ」
そう考えたShaはこんな全国のPearl倶楽部の先生達をモニターにした。
こんなPearlドラムを心から愛する老師達が、
その生徒達がドラムを買いたいと言ったら当然ながらPearlドラムを勧める。
地元でドラムセットを購入しようという人間は当然ドラマーなんだから、
当然地元のこのPearl倶楽部のことを知っている。
初心者だったら習いに来るだろう。
楽器屋なんかに卸すよりも確実にPearlドラムが売れてゆくのだ。
このからくりに気付いた他のドラムメーカーは、
このPearl倶楽部のシステムごと乗っ取ろうとする。
「え?Pearlは卸値で貴方のところに卸してるんですか?
ヒドいですねぇ。ここの教室のドラムを全部うちのドラムにしてくれたら最初のセットは全部タダで差し上げますよ!!」
ところが各Pearl倶楽部の老師達は首を縦に振らない。
そうさせないためにワシが全国のPearl倶楽部を廻っている。
「Shaとは義兄弟だ。Funkyさんとはマブダチだ。友達を裏切るわけにはいかない」
こうやって今日もこの広い中国大陸でまたPearlドラムが売れてゆく・・・YAMAHAよりもTAMAよりも多くのドラムがこうやって売れてゆくのだ・・・
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2016年5月25日
全中国ひとりドラムツアー2016年 湖南省「岳陽市」
「5月19日から23日まで空いてるか?」
とメッセージが届いたのが2ヶ月ほど前だから、
突然来る歌手のバックなどの仕事よりもよっぽど段取りがよい(笑)
「今回は俺はついて行けないからお前ひとりで頼むよ」
と言うので「もう慣れたもん」とばかりに列車に飛び乗った。
「岳陽」を「洛陽」と見間違えてたワシは、
鄭州を越えた辺りで、
「列車が南に進んでるやん!!西に行けばすぐ洛陽なのに・・・」
と一瞬不安になるが、
6時間かけてやっと「岳陽」に着いた。
岳陽はワシがパスポートを失くして大変だったところ・・・
駅まで迎えに来てくれた張老師と一杯!!
いや〜パスポート紛失の祭にはいろいろお世話になりました!!
現場に来れない担当者のShaからは
「くれぐれもFunkyを命がけで接待するんだぞ!!」
と指令が飛んでいるのでもう毎食湖南料理の山!!
お隣の長沙名物の臭豆腐!!
独特の調味料が地元風味!!
翌日は洞庭湖で取れた魚の頭!!
このスープをメシにぶっかけると絶品!!
そもそもこの辺のレストランではメシがおひつに入れられてテーブルの上に置かれていて食放題なのだ・・・
それだけこの辛い湖南料理と白飯は合うということ・・・
また「幸せ」をいっぱい皮膚の下に溜め込んでしまいました!!(笑)
会場に着いたら何やらどでかい大仏さんのようなものがステージにどんと座っている(驚)
ステージが暗転になったりすると不気味である・・・
子供達を見守っているかのようにも見える・・・
自分も見守られてドラムを叩く!!
記念撮影!!
打ち上げ!!
もうね、Shaから命じられた張老師が、
若い衆に「お前らわかってんだろうな!!」と命じるので、皆さんもう命がけの接待!!(笑)
いろんな湖南料理が出て来たけど、珍しい一品はこれ!!
まあいわゆる・・・「蛇」ですな・・・
湖南料理の味付けでお味の方はいいのですが・・・
別に食材はこれでなければあかんのかと言った感じ・・・(笑)
メシの上にのっけるとリアル・・・
翌日は・・・これは・・・「鳩」ですな・・・
お味もシンプルで非常に旨かったのだが、「別にチキンでもいいのでは・・・」と思うのはワシだけだろうか・・・(笑)
杜甫や李白が詩を詠んだという洞庭湖の君山島を見学して次の土地「株洲(ZhuZhou)」へと向かいました!!
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2016年5月17日
続・日本に家を買いに来る中国人・・・そしてワシは仕事に追われる(>_<)
もうね、「続々」と言ってもいいぐらい(笑)
この人たちねぇ、ホントに金持ちなのよ・・・
この前北京でレコーディングが終わったらそのまま「メシ行こう」となって連れて行かれたのがそんなおひとりのご自宅・・・
もうね・・・お屋敷!!!(◎_◎;)
調度品はねぇ・・・まるで西安の兵馬桶(笑)
何せ掘り出して土偶がちょっと欠けてる感じがもう「調度品」というよりは「博物館」(驚)
通された居間はプロバンドがリハーサルする都筑スタジオや芝浦スタジオ並みに広い!(◎_◎;)
そこに並ぶ料理が逆に豪勢なのではなく普通のイスラム料理なのが逆に凄い!!
「この店はなぁ、美味しくていつも長蛇の列でなかなか食べられないんだぞ」
と言いながらそこのシェフが自宅でそこの料理を作ってくれてるのだ(驚)
ワインがまた超高級!!
・・・というよりそれを飲むグラスがまた高級で、
「乾杯〜」と言ってグラスをぶつけると「チーン」といって音がいつまででも共鳴して鳴り止まん(驚)
居間には池があって・・・って部屋の中に池があるのよ!!
中には鯉が何匹も泳いでいて、それは全部日本から空輸したんだと!(◎_◎;)
そんなところに住んでる人が日本で5000万ぐらいの家なんて見たらまるで「箱庭」やんな・・・
日本人からしたら軽井沢の5000万の別荘なんて「むっちゃ高級やん」ってな感じやけどな(涙)
まああんまし高い物件はなかなか借り手がつかんかったり投機目的としては有利ではないということで5000万ぐらいとこでも買っとくか、みたいな・・・(眩暈)
それより何億もする物件なんてそんなに売ってないがな・・・ふつうの日本人高過ぎて買えんし(>_<)
というわけで今回のLuanShuの来日にはそんなお金持ちグループの中のひとり、
中国を代表するオリンピック選手が一緒に来日した。
ここまで来ると「国の宝」なので国家は税金を免除にするんだとか・・・(驚)
まあ税金もかからんし家でも買うとこか、みたいな・・・
もうね、ワシ不動産なんか全然わからんし、秘書の茜ちゃんに丸投げ!!(笑)
これで美味いメシだけ一緒に食えれば万々歳と思ってたら、
今回はLuanShu、いろいろレコーディングの仕事持って来たのよね〜・・・
日本で2曲ギターと2曲ブラス・・・
「最近知り合った日本人のプロデューサーとやってみたい」
と言うので
「それは是非是非そうして下さい(笑)」
とばかりワシはブラスだけを担当・・・
・・・と言いつつちょうどその日は名古屋空港から北京に帰るので寺内に丸投げ!!(笑)
そもそもワシはそのために来日したのではなく、
高円寺でのひとりドラムと、翌日の昼間千葉朝鮮学校と終わってそのまま夜豊橋っつう無茶なブッキンツのために来日したのよ〜
激安チケットが11日の夜中出発の便だったのでたまたま数日前に着いただけで、
まるで「仕事する」みたいなつもりはなかったのよ〜
ところが着いたその日にLuanShuから
「急ぎでドラム1曲レコーディングしてくれ」
と発注が来る。
夜中にせっせこドラムをセッティング、
「いつでも録れるよ」
となってアレンジが仕上がるのを待つ。
詞が上がったらすぐに彼が仮歌歌ってDEMOを録り、
北京に送って歌手がそれを練習するらしい・・・
アレンジはアメリカで張毅(ZhangYi)が担当しているらしく、
アレンジが上がったらアメリカから送って来るから、
そのデータに合わせてすぐにドラム録って、
そのままベースとギターも録って、
北京でボーカルと生のストリングスレコーディングして、
それが送られて来たらそのまま日本でミックスして、
その合間に東京と軽井沢で物件を見る!(◎_◎;)
もうね、これやっぱ無茶苦茶なスケジュールでしょ・・・
いつでもドラムが録れる状態のまま車運転して到着する彼らを迎えに行く。
とりあえずツラ突き合わせてうまいことスケジューリングしないと、
結局ワシが動けるのは翌日の高円寺のライブの入り時間までしかないのだ・・・
昼間にスケジューリングして夜は不動産の人と食事、
その合間にホテルの部屋で仮歌を録る。
あとはアレンジを待ってからドラム録り・・・
と思ったらメシの方が先になってしまった(>_<)
「あれ?飲まないの?」
・・・って車やし〜それにアレンジ上がったらすぐにドラム録らな・・・
「ドラムは明日でいいよ」
!(◎_◎;)
・・・そやなぁ・・・美味しいもん食べて酒飲まんのもなぁ・・・乾杯!!
というわけで結局車は駐車場に置いたままカプセルホテルに泊まる・・・
・・・と実はこれが後にスケジュール的に大変なこととなるのだ(>_<)
カプセルホテルで朝8時に起きて、車運転して八王子まで帰って、
まずDEMOの音源に仮歌を乗せて簡単なDEMOにして北京に送る。
そしてお隣のエンジニア仮谷くんを呼び出してドラム録り!!
本来ならばプロデューサーが立ち会ってディレクションするのだが、
「遠いから行かない!!お任せ!!」
と言って物件を見に行った(>_<)
「お任せ!!」はいいのだが、そうすると叩き終わった音源をドラムの音大きめに仮ミックスしてWeChatで送って、それ聞いて「ここ直して」に対応して、また叩いて仮ミックスして送り直して・・・
時間かかるのよ・・・(涙)
なんとか高円寺の入り時間ギリギリまでやって無事脱出!!・・・
と思ったら
「歌手の人のための歌のガイドDEMOを作ってくれ」
と・・・!(◎_◎;)
「朝送ったでしょ・・・」
「あんな簡単なんじゃダメ!!歌手が聞くんだから仮歌もちゃんとエディットしてドラムとベースも本物入れて製品レベルのDEMOにして!!」
!(◎_◎;)
マルチが送られて来てまへんがな・・・(涙)
いや、アメリカから何やらファイルは送られて来たのだが、
それは中国でDLしやすい形式で日本では開かんかったので、
ドラムは実は2ミックスのDEMOに合わせてレコーディングしたのだ・・・
時差はあるけど向こうが夜中だろうが何だろうが
「すぐ送れ!!」
とアメリカに連絡して取りあえずドラムと同じやり方でベースだけ録音!!
アメリカからマルチが届いたらDLしてそのベースデータも入れて仮歌入れて仮ミックス・・・
ちなみにワシは高円寺のライブハウスにいるのでこの作業は仮谷くんがするのだが、
物件見てるLuanShuから、アメリカの張毅(ZhangYi)から、北京のスタジオから、
全ての連絡はワシに来るのでいちいちライブハウスの外で電話したりもう大変!!(>_<)
「え?夜ライブだって?みんなで見に行くよ」
・・・って逆に大変だから来なくていいし・・・って思ってたら来た。
これはそのオリンピック選手がWeChatにUPした投稿・・・
看日本鼓王现场演出,鼓王的梦想就是世界巡演到处流浪,在九十年代大红大紫的时候选择来了中国,值得尊敬的艺术大家
「日本のドラムキングのライブ、ドラムキングの夢は世界じゅうを放浪しながらツアーしたいんだと。90年代一番売れてた時に中国に来ることを選択したんだと。ほんと尊敬に値する大芸術家だわ」
・・・ってあーた!!中国の国宝級の金メダリストが高円寺のアンダーグラウンドなライブハウスの最前列にいること自体がおかしいでしょ!!(◎_◎;)
というわけでそのまま飲み!!
終電乗り過ごして何とか帰宅してちょっと仮眠して千葉の朝鮮学校!!
もうね、大阪の朝鮮学校ん時もそうだったけど、
学校が七輪をたくさん持ってて校庭で焼肉焼くのな・・・(>_<)
在日の幹部クラスの人に捕まってマッコリのビール割を飲まされて、
「どうしてこの後にスケジュールを入れてしまったのだろう」
と後悔しながら新幹線に飛び乗って豊橋へ・・・
もちろん新幹線の中でも中国からアメリカからひっきりなしに連絡が入る(>_<)
開場時間ギリギリに会場着いてすぐにイベント開始!!
今回は「ファンキー末吉公開処刑」と銘打って
「アマチュアバンドの曲を一度聞いただけですぐに叩けるかどうか」
ということをやらされる(酒の上で「出来る」と豪語したのでこうなったのであるが)イベントである。
結果はこちら
もうね、「Helpカード」と言って、一度だけ聞き直せるカードを出すと、
その代わりにバーボンをロックで一気飲みせないかんのでもうベロンベロン(笑)
そんな打ち上げの中、中国から
「アメリカから送られて来たマルチデータがグーグルなので中国では開けん」
と来る(>_<)
「VPN入れろよ!!」
と言いたいところを我慢して、
こちらでDLしてQQメールで中国に送る・・・
QQメールは大容量のファイルも送れて便利なのよねぇ。。。
・・・と言いながら中国語なのでそれを使ってない仮谷くんからファイル便で送られて来たファイルが「日本語なのでDLわからん」ということでそれも送り直す・・・(>_<)
この日は宿は取らず、ライブハウスが布団用意してくれてそこに泊まるということで、
ライブハウスが仕事場となって作業の後、
翌日は朝から田川くんがギター入れ・・・
もうね、「通訳用意するから直接やり取りしてね」の世界・・・(>_<)
午後はブラスのレコーディングと仮谷くんのミックスが同時進行・・・
そんな中、秘書の茜ちゃんから連絡が入る。
「物件決まりました」
え、誰がどこの物件買ったの????!!(◎_◎;)
いや、言わなくていい・・・
ワシはもう夜の便で北京帰りますんで後のことは皆さんでやって下さい・・・(>_<)
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2016年5月11日
楽屋は同窓会
2016年5月9日、工人体育館にて行われた「中国ロック30年の歴史コンサート」の模様がネットにUPされている。
フルバージョンはこちら
それぞれの演目も別個にUPされているので、
ゆかりのある方々の思い出なんかと共に紹介していこうと思います。
まず最初の「オープニングメドレー」に関しては、
曲目についてこちらで説明してますが、
面白かったのはリハーサルの時、
この曲は総監督が直々に色々指示を出すのだけれども、
最後の「国際歌」に関して「みんなで揃えて手拍子をするように」とか色々ウルサイ(笑)
きっとこれだけが「お国」のもんだから、
何か粗相があったら大変だという感じなのだろうか・・・
なかなか「中国的」で面白かった。
この「国際歌」を歌っているのが李夏(LiXia)。
老呉(LaoWu)と同じく寧夏出身で、
毎年ESPミュージックアカデミーが行っている「馬場の中心で愛を叫ぶ」というイベントで去年来日した。
立東(LiDong)というオルタナティブロックのバンド
(同じ名前で民謡ロックのようなアコースティックバージョンも演奏したりする)
をやっていて、過去には小畑秀光も飛び入りしたことがある。
中国好声音というオーディション番組に出たことで有名になり、
そのイベントにワシがドラマーとして呼ばれて一緒に出たり、
モンゴルの草原イベントではトリを飾ったりしている。
昔は貧民街の院子でワシらと一緒に住んでいたが、
ワシらが立ち退きで今の院子に引っ越して来たら彼も偶然近所に引っ越して来たのでまた「ご近所さん」である。
このオープニングメドレーはワシがドラムを叩いているが、
次の出演者「爽子(ShuangZi)」もワシが叩く。
映像はこちら
彼とも色んな思い出があるが、
まずは彼のデビューアルバムをプロデュースするということで知り合ったのだが、
結局は彼女と手に手を取ってタイに逃亡して流れてしまった(笑)
その後別の人間によってアルバムは完成され、
その中にはワシがその時に作った曲も収録されているらしく、
今回のライブではその曲も演奏された。
彼と一緒にライブをやるのは彼のデビューアルバム発売ライブの時以来だが、
実はVoThMの北京ライブも見に来ていて、打ち上げの時に
「あのベースの人をレコーディングに呼べるか」
などと言ったりしてたので、渡辺英樹さんが生きてたら一緒にやるチャンスもあったのにね・・・(涙)
次の出演者は天堂(TianTang)
もうね、歴史だけは長いがあんまし売れないうちに「大御所」になってしまったバンドなのだが(笑)、
ベースの九(Jiu)というのがいつも色々バンドのために動いていて、
最初に出会った時には「この曲をアレンジしてくれ」と頼まれたのだが、
そのアレンジが素晴らしいということで次には
「Funkyさん、うちのバンドに入りませんか」
と来る(笑)
中国のバンドはライブ収入だけが命なので、
ワシのように日本でスケジュールが入る人間は「バンド」という形では無理ですと断ったのだが、
結局そのアレンジ料は今ももらえていない(>_<)
まあ「バンドのメンバーにしたらドラムの能力だけじゃなくこのアレンジ能力もタダで使えるから」とでも思ったのだろう(笑)
その後そのアルバムはLuanShuがプロデュースして制作することになり、
当時ドラマーが不在だった彼らのレコーディングに「仕事」としてドラムを叩いたのでまあよしとしている(笑)
もうね、会えば必ずモノを頼むのがこいつ(>_<)
先日も洛陽のイベントで一緒になったのだが、
「久しぶり」ということでWeChatアドレスを交換したらさっそく彼が経営かなんかしている音楽学校のためにビデオコメントを撮って送ってくれと言って来る(>_<)
もうね、慣れた(笑)・・・憎めないハゲである。
そしてステージは初対面の若いバンドを挟んで唐朝老五(TangChaoLaoWu)!!
ここでもドラムを叩きました・・・こちら
彼は唐朝脱退後に絵を描いたり芸術家として活動していたが、
そのギタースタイルである早弾きギターソロとはちょっと違うアコースティックなものを追求していたようだ。
当然ながら彼のような伝説のギタリストにファンが求めるものは、
やはり変わらずロックで早弾きで〜みたいなものなのだが、
今回の選曲は、彼のやりたいアコギの世界観と、
ファンが求める早弾きロック曲とがどちらも混在していてよかったと思う。
「一緒にツアーを廻ろう」と言われているのでツアーが実現することを楽しみしているぞ・・・
また若いバンドを挟んで、張楚(ZhangChu)!!
(ライブはこちら)
実は彼との間には本には書いたのだがブログには書き切れなかった大きなエピソードがある。
初めて北京にやって来た1990年の時、
最終日にホテルのボーイに
「いつもお前たち若者が遊んでるところに連れてってくれ」
と頼んで連れて行かれた音楽茶座・・・まあカラオケのあるパブみたいなものなのだが、
そこのウェイターに
「Do you have any Rock'n Roll Music in Beijing?」
と聞いた時に、従業員控え室からそれを聞いて
「Oh!! Do you wana Rock'n Roll?!!」
と叫んで飛び出して来たイカれたパンクスが彼だった。
「お前はラッキーだ!!今日はバンドが4つ出るパーティーがある。お前も行くか?」
と言って連れて行かれた地下クラブで演奏していたのが黒豹。
「中国にロックを見つけた!!」
と興奮したワシが今に至るきっかけを作ったのは実は彼だったのだ。
そして実はその次の日、
「天安門広場で彼の歌を彼の代わりに歌ってやる」
となって教えてもらった曲がこのライブでも歌っている蚂蚁蚂蚁(MaYiMaYi)という曲。
今はオシャレにレゲエかなんかで歌ってるけど、
「中国人は蟻と同じだ!!大きな足で踏み潰される!!」
というパンクな曲だった。
サビの「マイマイ・・・」というのがライブでは
「マビマビ・・・(Fuck Your Motherの意)」
となるという恐ろしい曲をいざ自分が天安門広場で歌うとなると恐怖で身体がすくんで歌えなかったというエピソードもある。
当時は文字通りロックをやるのも命がけだったからね・・・
そしてステージは黒豹のライブ!!
単体の映像が見つからないので彼らのドキュメンタリー番組を!!
5人目のボーカル加入のエピソードを語っているが、
数々の思い出があり過ぎてとてもじゃないけどここでは書き切れない・・・
またチャンスを見て書いてゆこうと思う。
そしてステージはBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強!!
もうね、会うの10数年ぶり(感涙)
最後に会ったのは確かこの時のライブの打ち上げだったと思う。
あれから彼は日本人と結婚して子供が二人いると言う。
チャンスがあったら一度その奥さんともお会いしてみたいものだ・・・
ライブを見て思ったのだが、
同じ曲でもWINGが歌ってるのと全然違うな(当たり前か・・・)
最後の「光輝歳月」を聞いたら不覚にも涙が出て来た。
人種差別と戦って生きた黒人の曲、
「虹があんなに美しいのは色と色とが分かれてないからだ」
と歌った黄家駒はもういない・・・
黄家駒が東京女子医大病院で死んだ時、
途方に暮れた3人が
「中心を失ってしまってこれからどうやって活動してゆこう」
とワシに相談して来た時の彼の姿を思い出しちゃってね・・・
今は彼とPAULが仲違いしちゃってBEYOND再結成の話は流れてしまったらしいけど、
またいつでもいいから3人集まって再結成して欲しいなと思っているのはワシだけではあるまい・・・
さてステージはもうラス前となってしまって鄭鈞(Zheng Jun)!!
ライブ映像はこちら
彼とは一緒に飲んだりはしてたのだが仲々一緒に演奏するチャンスはなく、
実は今回からのツアーメンバーとしてオファーが来たのだが、
残念ながら一本だけスケジュールが合わなくて流れてしまった・・・(涙)
また次のチャンスを心待ちにしているぞ・・・
そして大ラスはLuanShu!!
ライブ映像はこちら!!
ゲストボーカルの周暁欧(Zhou XiaoOu)とは零点(LingDian)のプロデュースをしてた頃から数多くの思い出があるが、
それもここでは書き切れないので別の機会に書いてゆきたいと思う。
馬上又はマグロ漁船のヨウヨウさん。
去年実現しなかったこの企画、今年こそは実現したいと言っていた。
楽しみにしてます〜
そして李漠(LiMo)ともたくさんのエピソードがある。
結婚して子供を産んでしばらく産休してたので会うのは数年ぶりで、
見た感じプロデューサーのLuanShuとあまりうまくいってないように感じたが、
「何か困ったことがあったら訪ねて来い」
と耳打ちしておいた・・・
さてライブ終わって打ち上げ!!
もう写真撮るのも忘れるぐらいのぐっちゃぐちゃ(笑)
特にプロデューサーなんだろうが偉い女性の酔っ払い具合が半端じゃなく、
ワシも何度となくイッキさされて、ご本人は白酒飲み過ぎで酔い潰れて両肩支えられて連れて帰られた豪傑である。
リハーサルの時から
「Funky〜久しぶり!!」
と言われたのだが実はワシはどこで会ったのか全然覚えてない(笑)
まあ今年で26年北京にいるんだから会ったことのある人も数も半端じゃないのでいちいち覚えてないのだが、
昔若かりし頃(失礼)はやはり相当なロックファンだったのだろう。
それが今は共産党幹部ぐらいまで上りつめちゃったんじゃないかな、
この豪傑のおかげで今回のコンサートを開くことが出来たのであろう。
中国ロックが生まれてこの日でちょうど30年、
当時中国政府から忌み嫌われていたロックの洗礼を受けた若者たちが、
今は政府の中枢に入ってたりする。
その人たちが今の中国のロックを支えているのだ。
この日はそんな連中ととことん飲ませて頂いた・・・
またチャンスがあったら集まろう!!
素敵な仲間たちに乾杯!!
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2016年5月 7日
蘇州太湖MIDIフェスティバル
中国最大のロックイベントMIDIフェスティバルは、
元々は中国で最初に出来たロック学校の文化祭として始まった。
開校時にはワシも呼ばれて講義などをした記憶がある。
91年頃だっただろうか・・・
アンダーグラウンドバンドばかりが出演するこの学園祭は、
後には大規模になってのべ10万人は集めるであろう中国最大のロックフェスティバルとなった。
二井原なんかと一度参加したことがある・・・
元々は北京だけで開かれていたこのイベントは今では全国各地いろんなところで開催されているらしい。
Big Johnこと张嶺(Zhang Ling)が参加するということでスケジュールを押さえていたら、田端翔のバンドNever Beforeも参加するというのでドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあペーペーのバンドがこのイベントに出場出来るなんて大したもんである。
喜んで引き受けた。
前日の洛陽からの移動はすったもんだしたが、
何とか夜汽車の切符が取れてそれに飛び乗った。
会場は蘇州駅からも遠いらしく、
迎えに来た見知らぬオジサンの車に乗せられて、
まずはホテルに連れて行かれるのだがそこは会場から更に遠く、
着いたらちょうどNever Beforeの連中が会場に行くバスに乗るところだったので、
チェックインだけしてそのバスに飛び乗り、結局洛陽から11時間かけてやっと会場に着いた(>_<)
噂によるとMIDIは、太湖の畔りのこの公園もMIDIフェスティバルのために買い取って会場にしているという・・・(驚)
中にはちょっとした遊園地もあって、
子供連れも多く、テント持参で3日間泊まり込みで参加するオーディエンスも多い。
张嶺(Zhang Ling)はメインステージでのゲストだが、
翔くんのバンドはサブステージ。
取り敢えずサブステージで翔くんのバンドのサウンドチェックをしてからメインステージで张嶺(Zhang Ling)のサウンドチェック!!
終わった時にはもうこんな感じ(笑)
まあ一瞬寝ればすぐに体力が回復する体質なので気力十分でまずサブステージに向かった。
いや〜サブステージはメタルばっかで客が本当にクレイジー(驚)
モッシュやダイブや何でもありで、
客の上に乗っかって旗は振りまくるし、
発煙筒を振り回すのまでいて危険極まりない(笑)
Never Beforeのステージも盛り上がりました!!
そしてすぐさまメインステージに移動!!
张嶺(Zhang Ling)のライブはまあブルースなんで大人の雰囲気でしっとりと・・・
と言いながらやっぱ盛り上がりました!!
終わってからまた遠い遠いホテルまでバスで揺られて、
ふたつのバンドメンバーが一緒に飯を食って飲む!!
いや〜新人バンドに取ってはこんな大御所ミュージシャンと飲めるなんて夢みたいなことなのか、あまり飲めないはずのボーカリストもガンガンに飲んで絶好調やったなぁ・・・(笑)
とことん付き合ってやりたかったんやけどワシら次の日は朝5時出発で寧波なのよね〜
また今度ゆっくりタバタバーで!!
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2016年5月 1日
洛陽「唐Townフェスティバル」
5月1日は中国でも労働節で連休である。
いつもこの時期はイベントが多く、ワシも5月1日にBig John張嶺(Zhang Ling)の蘇州でのイベントに呼ばれていた。
ところがその前日である4月30日に「海亀先生」という名前のバンドでドラムを叩いてくれということで突然忙しくなった。
聞けば日本人ドラマーHAYATOくんがドラムを叩いていたそうだが、
彼もいろんなバンド4つをかけ持ちしているので、
まあ全国でイベントが行われるこの時期にスケジュールがぶつからないわけはない・・・
というわけで代わりに呼ばれて洛陽まで行って来た。
入りは前日の29日入り。
北京ー洛陽の直行便は一日に2本しかなく、空港はこのイベントに出るバンドで溢れている・・・
そんな中のひとつなのであろう、隣でチェックインをしているバンドマンがワシに声をかけた。
「Funky老師でしょ?!!」
また「亜州鼓魂聞いてました」とか「許魏のアルバム聞いてました」とか世間話をされるのかなと思ったら、
「機材が多くて超過料金取られちゃうんです。ひとつそちらの荷物として預けてもらえませんか」
まあ同じイベントに出るミュージシャン同士助け合いである。
ワシの預ける荷物はツインペダルだけなので喜んで彼のエフェクターボードもこちらで預けてあげた。
洛陽空港に着いて用意されたバスに乗って取りあえずホテルへ・・・
見れば今年から始まったというこのイベント・・・
若いバンドが多くて半分以上知らないバンドである(>_<)
夜のサウンドチェックのためにロビーにいたら、
スタッフなのかよっぽど熱心な追っかけなのか、
ワシを見つけてこう言った。
「打扰一下,乐队的吗?(ちょっとすみません、バンドの方ですか?)」
まあバンドの方と言えばバンドの方なのだがいきなりこう言われてどう答えていいやら分からずに何度か聞き返してるうちにあきらめてどっかに行ってしまった・・・
こちらのバンドのメンバーが集まったのでそのままバスに乗って会場へ!!
そしてそこでワシらの前にリハーサルをしていたバンドの名前が・・・
「打扰一下乐队(ちょっとすみませんバンド)」
(>_<)・・・バンドの名前だったのね・・・
初めて見るバンドだったが、可愛い女性ボーカルとイケメンのギタリスト(彼もところどころリードボーカルを取る)のポップなロックバンドである。
ワシは持ち込んだツインペダルと、最近フェス用に譜面を全部取り込んだiPad Proを持ってステージ上をうろうろしてたら、バンドのリハーサルが終わった。
「Funky老師、リハが押しちゃってどうもすみません!!」
メンバー全員がワシを見て頭を下げる!(◎_◎;)
・・・いや、別に自分のバンドじゃないし何も迷惑はかけられてないからいいよ・・・
サウンドチェックが終わってバンドのメンバーと酒を飲みに行くにもみんなが気を使って大変(>_<)
まあ年数経ってるだけでそんな偉い人間じゃないのよ・・・
翌日は各々昼飯を食ってバスで会場へ!!
いや〜いっぱい人がいるなぁ・・・
海亀先生もとても人気で、盛り上がってライブは終わりました!!
さて、実はここから「戦い」が待っているのだ。
翌日朝の蘇州での音楽フェスティバルのサウンドチェックに間に合うためには、
実は空路だと130km離れた鄭州まで行って、
そこから朝一番の上海行きに乗って、
車を用意してそこから蘇州まで走るしかない・・・
ところが夜行列車が取れれば夜乗ってれば朝蘇州に着く!!
でも満席で取れなかったのよねぇ・・・(>_<)
スタッフが頑張ってくれて「抢票(QiangPiao:キャンセル待ち)」してくれてたんだけど、
もっと先の華山北という駅からの切符しか取れなかった。
「これで乗れるよ」
と言うのだが、日本で言うと「プラっとこだま」みたいに切符に書かれた駅からしか乗れない切符もあるではないか・・・
また我々外国人は個人認証がパスポートなので、
チケットを発券する時に自動発券機が認識しないので長蛇の列の窓口に並ばなければならない(>_>)
昔小畑と無錫から蘇州に移動する時はこのせいで列車に乗り遅れている・・・
ライブ終わりにまず駅に行ってチケットを発券!!
なんとかチケットはゲット出来た!!
そうなればあとは乗るだけである。
もっと向こうの華山北とかの駅から乗らなくていいなら夜の11時まで飲んでれば良い。
「もし乗れなければ」など酒を飲んだらもう考えない。
ヘタして乗せてもらえなかったら車チャーターして130km走って鄭州まで行けばいいだけの話である・・・。
フェスのハシゴ・・・この広い中国で週末や連休には至る所でフェスが開かれている。
バンドの数も増えてかけ持ちをしているミュージシャンもかなり多く、
必然的にフェスをやれば数多くのミュージシャンがこのような移動を余儀なくされ、
イベント開催スタッフももう色々対処しているので慣れたもんである。
悠久の大地中国のスケジュールもだんだん分刻みになって来たということか・・・