
2016年4月29日
アメリカツアー中止でバトル勃発(>_<)
そもそもはと言えばこいつが悪いのである!!
今回のツアーはBig Johnこと張嶺(Zhang Ling)が自分のアルバムレコーディングのためにアメリカに行った時に盛り上がって決まったことのようだ・・・
ワシはだいぶ前から言われて6月1日から20日までのスケジュールを押さえている。
現地に住む中国人ミュージシャンHはBig Johnと20年来の友人。
レコーディングも彼の家に寝泊まりして一緒にアルバムを作り上げたらしい。
彼が現地のアメリカ人コーディネーターJと共に頑張ったのだろう、
数日前に喜び勇んでメッセージが送られて来た。
「凄いだろ!!無名の中国人のライブがこれだけ取れたんだぞ!!」
聞けば過去にはジミヘンなどが出演してそこから有名になったという老舗のライブハウスもあるらしい・・・
Hは興奮してWeChatのグループチャットでばんばんメッセージを送って来る。
通知音で夜も眠れないほどである(笑)
ワシなんかはボストンに行けば息子の慧(さとし)が近所にいるはずだからその話をResしたり、北京発着の便か東京発着にするか、そんな話のやり取りをしてたのだが、
ワシ以外のメンバーのResが少々悪い・・・
重い腰を上げてBig Johnが
「張張(Zhang Zhang)、お前確か11日か何かにスケジュールが入ってたとか言ってたよなぁ・・・あれどうなった?」
と聞く。
返事がない・・・
そうなのだ、この男は困ったことがあるといつも返事も返さないし電話にも出なくなるのだ(>_<)
青島の大きなコンサートの音楽監督を一緒にやった時、
一番忙しい制作途中にヤツが消えた・・・
だいたい仕事の割り当てをして勝手に消えられると仕事が滞って仕方がない(>_<)
「ヤツはいないもの」だとして割り当てを変更して結局自分ひとりでやる羽目となる・・・
そしてほとぼりが冷めた頃「Funkyさーん〜」とか言ってなに食わぬ顔して現れて来るのだ・・・
まあヤツが来れないなら他のプレイヤーを調達すればよい。
Johnの華南ツアーもそうやって乗り切った。
ところがBig Johnの次の書き込みで流れが大きく変わった。
「じゃあ俺も11日北京で仕事あるんでそれ入れるわ〜」
「え?!(◎_◎;)」
まあワシも和佐田もX.Y.Z.→Aのアメリカレコーディングの時には日本で仕事が入っていてそのためだけにアメリカ日本を往復したことがあるので「まあそんな風にやるのかな」と思っていたら・・・
翌日はこのバンドでの音楽フェスティバルのリハのために全員が揃う。
その時に状況が一気に明るみに出た。
実は張張(Zhang Zhang)が入れていたのは11日一本の仕事だけではなく、
11日までびっしりとスケジュールを入れていたのだ!(◎_◎;)
「じゃあアメリカツアーは12日からにしよう」
そう決まるのはまあ当然の流れなのだが、
その旨をBig JohnがWeChatで送った瞬間にバトルが勃発した。
「&#☭〄;$※♂☞?!!」
もうね・・・一晩中通知音が鳴りっぱなしでアメリカからずーっとBig Johnを詰ってるの・・・(>_<)
まあ自分が一生懸命ブッキングしたライブをドタキャンされて、
ライブハウスのオーナーにも面子が立たんかも知れん、
アメリカ人コーディネーターにも面子が立たんかも知れん・・・
「まあまあ、せっかくスケジュール押さえてるんだから、
張張(Zhang Zhang)の代わりに別のキーボード立てて予定通りツアーやろうよ〜」
ギタリストが助け舟を出す。
しかしもう時は遅し、Big Johnとてこれだけ言われてもう後には引けない。
「お前なぁ、ギャラの提示も出来なくて何言ってんだ!!」
まあBig Johnにしてみれば行ったはギャラ払えませんではワシらミュージシャンに悪いのでその辺は昔から突っついてたのだろう・・・
しかし無名の中国人ミュージシャンがアメリカでギャラ売り出来るほどアメリカのマーケットは甘くはない。
もうね、話は泥沼・・・
「お前とはもう友達でも何でもない!!」
とまで飛び出す始末・・・
「メンバー各位、アメリカツアーは中止になりました。
そもそもお金にもならないのにこんなに長く中国離れてたら食っていけないでしょ。
皆さん自分の仕事入れて下さい」
あのね、もう既にいろんな仕事をこのスケジュールのために断ってるの・・・(>_<)
まあ気持ちはわかるよ。
11日にきっとオイシイ仕事が入ったのだろう。
それをやっとけばしばらく金には困らずに自分の好きな音楽が出来る。
気持ちはわかる!!
でも日本人ミュージシャンとしてなかなかそうはやってられない。
そもそもが日本の老舗のライブハウスなどでは、
「あ、すみません、このスケジュール、オイシイ仕事が入ったので他の日に移してくれませんか」
などと言い出そうものなら
「うちの店二度と出入り禁止!!」
となるだろう。
どんな小さな仕事でも「決定」になったらそれは「決定」!!
ドタキャンなどは絶対に許さない!!
というのが日本の社会である。
それに比べたら中国などはかなりユルい・・・
しかしまあそのユルさのお陰で、
10年前親父が危篤になった時に、
「そりゃそっちが大事だ!!帰っておやり」
とばかり全ての仕事をドタキャンして日本に帰って親父の最期を看取ってやれた。
まあ
「中国人同士なんだからうまくやって下さいよ」
というのがワシの本音なのだが、
そこに「面子」というのが入って来ると中国人同士ほど始末に負えないものはない(>_<)
問題は「中国ロックへの面子」にまで発展した。
Big John個人の名義では集客も心配なので
「Chinese Rock All Stars」
と銘打ってライブをブッキングしてたのだが、
関係者全てから
「Fuck you Chinese Rock!!」
と言われているとHは言う。
「Fuck you Chinese Rock!!」
つまり
「中国ロック糞食らえ!!」
お上品に言うと、
「中国ロックさん、うんこ召し上がれ」
ということで、
これはもうBig Johnのせいで中国ロック自体の名誉が地に落ちてしまったではないか!!ということである・・・
「ほな誰か他のChinese Rock Starでスケジュールの穴埋めしたらええんとちゃうん」
というわけでHが昔馴染みの罗琦(Luo Qi)という女性ロッカーと連絡を取って来た。
酒場でケンカして片目を潰さた伝説のロックシンガー。
その後麻薬で姿を消して、後に政府の麻薬撲滅運動に協力して復活したという伝説の人である。
ワシがデビューアルバムをプロデュースして大ヒットした歌手「李慧珍(Li HuiZhen)」は偶然にもこの罗琦(Luo Qi)の後を担うようなスタイルで一世を風靡したのだ。
しかし人には不思議がられるが、ワシ自身は実は罗琦(Luo Qi)とは一度も面識がない。
そんな伝説のシンガーとアメリカをツアーで廻れるなんて夢のようだ・・・
と思ってたら「スケジュールが急過ぎて無理なんだって」と連絡が来る。
「誰かいないか?」
ということで名前が挙がったのが今度は「李漠(Li Mo)」ひょんなことから共通の知り合いがいるものだ・・・
Hに「あいつのファーストアルバムはうちで録ってやったんだぞ」と言うとびっくり!!
トントン拍子に李漠(Li Mo)で予定通りツアーを廻って全ての面子が落ち着いてちゃんちゃん!!・・・と思ってたらここでまた問題が勃発した(>_<)
何とHがWeChatでBig Johnとの絶交宣言から彼の悪口を書きまくって来たのだ・・・
(>_<)
もうね、いい加減にして欲しい(涙)
ここまで問題を大きくされたら、
もしワシがアメリカ行ってツアーしたとしても写真のひとつもUP出来ない。
それを見る全ての人がこの書き込みを思い出して「気分悪く」なるのだ。
そりゃワシはアメリカをツアーで廻るのが夢だが、
それをやって色んな人がイヤな気分になるぐらいだったらやめた方がいい。
アメリカ行きは諦めて、リハーサルの合間に空いたスケジュールの調整をいろいろやっている。
5月初旬は中国でもゴールデンウィークで音楽イベントが多く、
その掛け持ちでリハーサルのスケジュール組みも大変なのだ。
いくつかの現場でこいつが一緒にいる。
ワシよりもはるかに多くのレギュラーを抱えてて、
ワシなんかふたつの現場で既にスケジュールが衝突してるというのに、
「お前、それだけ掛け持ちしててよくスケジュールが衝突しないなぁ・・・」
と言った時のこいつの答え!!
「衝突?・・・一度も衝突なんてしたことありませんよ・・・」
お前なぁ・・・もともとはと言えばお前から始まったことじゃろ!!
(ふりだしに戻る)
ワシがこの国でちゃんとスケジューリングしてゆけるようになるのはまだまだ先の話のようだ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:17:32 | 固定リンク
2016年4月24日
ヴァッケン・メタルバトルin中国
居酒屋兆治の田端さんの息子、翔くんが、
「すみません、ドラム叩いてくれませんか」
と言うのでふたつ返事で引き受けた。
とりあえずは5月1日の蘇州MIDIフェスティバル、
そして今回の鎮江(ZhenJiang)だったのだが、
「コンテスト」と聞いていささか不安になった・・・
アマチュアバンドのコンテストにワシなんかが参加してもいいのだろうか・・・
コンテストと言えば爆風スランプの前身バンド「爆風銃(Bop Gun)」も「EAST WEST」と言うコンテストから出て来たのだから懐かしいことこの上ないが、
そもそもが若かりし頃の好戦的で性格の悪いワシらは、楽屋なんかで他のバンドに闘志をむき出しにしてたのだから、そんな殺伐とした雰囲気のところにワシなんかを呼んだバンドなどが一緒にいて他のバンドから反感を買ったりしないだろうか・・・
「いいんですよいいんですよ」
と言うのでリハーサルに行って来た。
いや、人相悪いな・・・特にボーカル(笑)
リハ後にはみんなでタバタバーに行ったのだが、
そこでこの人相悪いのがバーカウンターでカクテル作るのな(笑)
いや、オシャレなの作れば作るほど似合わんぞ(笑)
まあでもバンドでバーをやってるっつうのはええわな(全員酒飲みの場合)
リハ後のミーティングも自分のバーでやることが出来る・・・
そこで聞いた話、実はこのコンテストはドイツ最大のヘビーメタルイベント「ヴァッケン・オープン・エア」への出場権をかけた「メタルバトル」というイベントらしい。
「ヴァッケンってどっかで聞いたことがあるなぁ・・・」
と思ってたら何かのテレビ番組で今年は日本からはラウドネスが出場するというと言ってたイベントではないか・・・
「えっ!(◎_◎;)ラウドネスが出るんですか!!」
ラウドネスっつうか二井原実の大ファンであるボーカルが狂喜乱舞!!
人相悪いのに人間可愛いのな・・・(笑)
「よし!!イベントではグランプリ取って絶対ドイツ行くからな!!」
なんかワシの中では妄想がどんどん広がっていって、
「ラウドネスを紹介してやるぞ」
という感じから、酔いが進むにつれ
「中国の無名のバンド、ラウドネスを完全に食った」
とかにまで妄想が広がってゆく・・・・
そして当日、会場である鎮江(ZhenJiang)は生憎の雨・・・
コンテストなのに野外でやるんかい!!(◎_◎;)
なんかコンテストと言うより、
これも全世界で開かれる「ヴァッケン・オープン・エア」のメタルイベントのひとつなんなんだろうなと思った。
ワシなんかもうグランプリ取るつもりやからな、ドイツ行くつもりやからな!!
まあワシの場合、強く信じ込んだらそうなっちゃうから怖いよね・・・(笑)
命懸けでドラム叩いたら、集まってるメタルファン呆然・・・
対バンのドラマーとかステージ袖でワシと記念撮影撮りまくり・・・
ほんまワシって「ミュージシャンズミュージシャン」やなぁ・・・(笑)
出番が終わったら対バンと酒飲みに行って盛り上がるし、
やっぱこれは「コンテスト」と言うよりは「メタルイベント」やな・・・
さて結果は最終日が終わってみないとわからないということで、
バンドのベーシストが残ってその結果をメンバーに伝えるということらしい。
もうワシなんかドイツ行く気まんまんやからな!!
ところがビール飲みながら何の気なしに聞いたこの一言で打ちのめされた・・・
「ところでドイツってスケジュールいつなん?」
「はい、8月4、5、6日です!!」
ワシ・・・日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールが入ってるから参加出来んやん(>_<)
しゃーないな・・・グランプリ取れたらお前らだけで行って来い!!(涙)
まあこのパスとTシャツだけ記念でもろとくわ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:19:33 | 固定リンク
2016年4月21日
中国ロック30年の歴史コンサートのリハ開始!!
悪いのは自分だ、よくわかっている(>_<)
WINGのワールドツアーで香港、オーストラリア、マレーシアの美味いもんばっかりを食い、そのまま日本に帰ってX.Y.Z.→Aのツアーでまた暴飲暴食!!
帰る前日には二井原が「反省会ぢゃ!!(バーべQやって昼から飲むの意味)」と言うので昼から飲んで、そのまま終電で蒲田まで行って北京戻りの激安朝5時発の飛行機に乗って・・・
それからである。
11時にはミーティングと言うのでビジネスランチでビールを飲んだ・・・
15時からはミーティングなのでよかろうと思ったのだが、
実はそれはレコーディングだった(>_<)
夜の12時に終わった時にはもう身体がおかしくなっている・・・
あまりないことなのだが頭痛がひどく、
身体の節々の関節が痛くなり、
腹は下すし思いっきり踏ん張れないのでドラムも叩けない(>_<)
夜中にやっと院子に帰り着いて寝ようとしても、
身体の節々が痛くてなかなか寝付けない(>_<)
夕方からリハ・・・
実は5月9日には「中国ロック30年の歴史」みたいなオムニバスコンサートがあって、
ワシは
栾树,唐朝老五,爽子の3つのバンドでドラムを叩くということで、その色んなリハが細々とブッキングされている・・・
中国ロックの黎明期を築いた大御所ロックバンドのギタリストで、
ワシのインタビューでもこのように引用されている伝説のギタリストである。
古くは中国ではロックのバイブルのひとつとなったワシのソロアルバム「亜州鼓魂」に参加してくれたのだが、
会ったのは15年前の彼の結婚式の時以来、
そして一緒に音を出したのは・・・
20数年前、彼らが日本のレコード会社と契約して初来日した時に、
目黒ライブステーションに無理やり出演させて頂いて、
そこで一曲だけ一緒にセッションしたっきりである。
その後ベースの张炬(ZhangJu)が北京でバイク事故で亡くなり、バンドは次第に求心力を失って活動停止・・・
彼がバンドを脱退してソロになってからは一緒に音を出すチャンスは一度もなく、
今回なんと初めて「バンド」として音を出すことになったのだ。
歴史の人と久しぶりに音を出す感激・・・
長年の友と久しぶりに音を出す感激・・・
腹具合が悪く、無理して気張ってもいつぞやのように漏らしてしまうことなき感激・・・(涙)
それにしてもこんなレジェンド達に囲まれてワシの顔も名前も小さくポスターに載せられていること自体が感激じゃよ!!
リハはしばらく続く・・・ゆっくり寝て体調を整えるのぢゃ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:34 | 固定リンク
2016年4月 4日
葉世荣(Yip Sai Wing)という男
この男とはもう25年の付き合いになる。
いい時も悪い時も一緒・・・というより、
人間やはりどん底の時に一緒にいた友達関係は一生の付き合いになるのかも知れない・・・
中華圏で今だにどのバンドも超えることが出来ない大成功を収めたバンド、
そのバンドのボーカリストが日本で事故で亡くなり、バンドは活動停止して、
残された彼はドラム台を降り、立ち上がってギターを持って歌を歌った。
今までリードボーカルなどそんなに取ったことがなかった彼にとってかなりの苦難の道だったようだ。
彼がギターを持って広東省の田舎町のキャバレーなどを廻っているのによく遊びに行ったりした。
その後のBEYOND再結成からは残された3人で立派にリードボーカルを割り振りし、
(今思えばC-C-Bのようじゃ)
今では彼は歌手として中国大陸では3人の中で一番成功しているように見える。
でもねぇ、お金的にはどうなのだろう・・・
彼はいつも自分のバンドWING BANDを連れて廻り、
経費だけを考えたら、あの時のようにギター片手に、もしくはカラオケ持ってBEYONDのヒット曲歌って廻ったら莫大な富を稼げたはずである。
ワシは長年の付き合いでなしくずしにWING BANDの一員にされているが(笑)
彼は大陸の小さな都市などでのコンサートにはワシではなく香港の若いドラマーを連れてゆく。
「若手を育てたい」という考えてなのだろう、ワシは今回のように海外の舞台や、北京や香港など大事な大きな舞台にだけ呼ばれるという感じである。
そしてワシがドラムを叩くコンサートでも必ずその若いドラマーも一緒に呼び、
ゲストのバンド部分や彼にもドラムを叩く場を用意する。
経費だけを考えてたら人数を減らせば減らすほどいいのは当たり前だが、
彼の頭にはそういう考えてはどうもないようだ・・・
その昔一緒に飲んでた時、
「ビジネス的にオイシイ話が来たので投資したい」
みたいな話をしてたので
「やめとけやめとけ」
と言ってたら、
「僕は理財の才能があるから大丈夫」
などと言ってたから本気で止めた。
直接は知らないが、この男は過去にどれだけの人間に騙されて金を失ったことだろうと想像する・・・
だいたい金儲けの上手い奴なら若いドラマーなんてギャラが安いから利用してるだけで、扱い方自体が違うはずである。
また、前回の北京公演の時に感じたことがある。
彼はオープニングアクトとしてマレーシアから「异种(YiZhong)」というバンドを呼んだ。
言っちゃぁ悪いがいい年したおっさんのバンドである。
金のことだけを考えてたら売れ線のバンドとかにチャンスを与えて、
それが成功したらそこからまた自分にお金が落ちて・・・
というのがむしろ「普通」であるのだろうが・・・
「Funky、紹介するよ、このバンドはなぁ・・・」
それを聞いてワシは「ああこいつらしいな」と思った。
彼らは1988年にBEYONDが最初に北京公演をやった時のオープニングアクトだったバンドであったそうだ。
何処かで再会した彼はきっと彼らにこう言ったのだろう。
「懐かしいなぁ・・・まだバンドやってんの?じゃあ世界ツアー一緒に廻ろうよ」
そんなWINGのワールドツアー、香港での楽屋でワシにとっても懐かしい人と出会った。
元BEYONDの敏腕マネージャー「レスリー」である。
BEYONDを中華圏最大の成功に導いた立役者、
北京に紅星レコードを設立して中国大陸のロックブームの火付け役となった敏腕マネージャー・・・
その後はBEYONDと契約関係でもめたとか、
紅星では目の出ないロックバンドを片っ端から青田刈りしてるとか言われていたが、
ワシの名前を中国じゅうに響き渡らせた「許魏(XuWei)」をはじめとして、今中国で一線で活躍する数多くのロックスターは、彼がいなければ世に出てなかったかも知れない・・・
実はその紅星で制作を任されていたのが、
現在ワシが一番一緒に仕事をしているLaoLuanである。
つまりワシはLaoLuanと共にレスリーが大陸でやり残した大きな仕事を引き継いでいるとも言えるだろう・・・
そのレスリーも音楽業界を退いて長い。
噂ではオーストラリアに移民して音楽の仕事は一切していないという噂だ・・・
そんな彼をWINGが自分の香港でのコンサートに呼んだ。
北京コンサートにも旅費や滞在費を出して呼んだと言う・・・
何故か?・・・
ここからは想像でしかないが、
ワシがその前にレスリーと会ったのは1993年東京女子医大病院、
つまりBEYONDのボーカル黄家駒が命を落とす間際である。
全くの想像でしかないが、
レスリーはその時ちょっと居場所のない感じだった。
BEYONDとは契約関係でもめていると聞いてたし、
そのBEYONDと契約したアミューズはレスリーを目の上のタンコブのように思っていたのだろう、そんなレスリーが病室に現れてアミューズのスタッフが右往左往していたのを覚えている。
その後、黄家駒も死んで、BEYONDのメンバーもそれぞれの活動を開始して、
「レスリー元気かい?僕は今歌を歌ってるんだ。よかったら見に来てくれないか?」
そう言ってWINGがレスリーをオーストラリアから香港、そして北京へと呼び寄せたことは想像に難くない。
特に北京では、30年近くの時を越えて、同じこの北京で、自分がマレーシアからブッキングした「异种(YiZhong)」と再会することとなる。
どんな気持ちだっただろう・・・
レスリーの気持ちに火がついたと言えば言い過ぎだろうか・・・
結果的にはレスリー自身がこのWING世界ツアーのオーストラリア公演をブッキングすることとなったというわけだ・・・
もちろんWINGは計算ずくでそう仕組んだわけではない。
WINGの「気持ち」とその「友情」に答えたのではないかとワシはそう思う。
元敏腕マネージャーは頑張った!!
蓋を開けてみたら会場は中華系のオーディエンスで満杯!!
中華系以外のオーストラリア人には全く無名のこの男が歌う、
自分が昔プロデュースしたBEYONDの曲を、
自分が一生懸命プロモーションして集めたオーディエンスが全員で大合唱する・・・
そんな姿をレスリーはどんな気持ちでステージ袖から見ていたのだろう・・・
自分が30年前にBEYOND北京公演のオープニングアクトでブッキングしたマレーシアのバンドが、30年の時を越えて今度は自分の住むオーストラリアの自分が作り上げたステージの上で歌っている・・・
そんな姿を彼はどんな気持ちで眺めていたのだろう・・・
コンサートは大成功に終わり、一行は打ち上げ会場に向かう。
また豪勢な中華料理を想像してたのだが、予想に反して打ち上げ会場は中華系のカラオケ屋。
ここでワシはだんだんとこのツアーのからくりを理解してゆく・・・
いくらチケット代が十数年前のKISSよりも高くたって、
アリーナクラスではない会場に高々数百人満杯にしたところで、
これだけの数のツアーメンバーの旅費と食事、
そしてこの豪勢なホテル代を全部支払ったら元が取れるわけがない。
おそらくこの豪勢なホテルのオーナーも、
豪勢な食事を食べたレストランのオーナーも、
そしてこの中華系カラオケ屋のオーナーも全て中国人!!
その中国人実業家達がこのコンサートのスポンサードをしていることは間違いないだろう。
だからその主役であるWINGはそのスポンサーの店は廻らねばならない。
WINGがスポンサー達を接待して、
スポンサーは命がけでワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する。
そんな一風変わった変な循環がワシには感じ取れた・・・
世も更けてカラオケ屋で出前の中華をつまみながらレスリーの帰りを待つワシらに、グループチャットでレスリーが写真を送って来た。
「まだ終わらないよ〜」
ワシらが飲んでいる間に、主催者であるレスリーは現地スタッフと共にまだ片付けをしている。
どんな気持ちで片付けをしてたのだろう・・・
祭りの後の寂しさ?・・・もしくは昔のこんな風景を思い出してノスタルジー?・・・
次の日、WINGは地元の大金持ちのプライベートジェット機で遊びに行った。
バンドのメンバーは3人は香港に帰ったが、
ほとんどの人間は次のマレーシア公演までここに滞在する。
そして地元の人達はワシらバンドメンバーやツアーメンバーを接待する・・・
こちらに来て1食目の中華料理屋さんで今晩の晩メシをご馳走になった。
そして料理がない打ち上げのカラオケ屋に料理を差し入れたのもこの中華料理屋だったのだが、
ここのオーナーのロゼッタは実はBEYONDの初期スタッフだった。
爆風で言うと初期ファンクラブスタッフの「みのよ」みたいなもんだろうか・・・
アマチュアだったBEYONDに惚れ込んで押しかけスタッフをして、
そこにレスリーが契約書持って現れて、
「じゃあ私はもういいわ」とバンドから離れて、
その後BEYONDは大ブレイク・・・
その後レスリーもBEYONDを離れて、
気がついたら偶然にも同じオーストラリアに移民して、
こうして今度は一緒に助け合ってこのWINGのコンサートをサポートしている・・・
オーストラリアではワシらは北京語、広東語、そして英語を使って会話をするが、
英語で的確に言い表せない言葉がある・・・
縁・・・中国語で「缘分(YuanFen)」
WINGのお陰で切れていたいろんな「缘分(YuanFen)」がまた繋がってゆく・・・
かく言うワシもびっくりするような「缘分(YuanFen)」があった。
マレーシアのバンド「异种(YiZhong)」のベーシスト
(まあ彼は若いから新メンバーなのだろうが)
は実はワシがマレーシアで行ったひとりドラムの時、ブログでも「全作大人買いしてくれた青年が」と書いているその青年が彼だったのだ!!
WINGがワシにくれたのは毎回いくら入ってるかわからないギャラ代わりの「红包(HongBao)」だけではない。
お金では買えないいろんな「缘分(YuanFen)」をくれた。
レスリーやロゼッタも、決してWINGの金儲けに利用されて動いたのではない。
きっとお金で買えないいろんなものをWINGからもらったのではないかと思う。
お金のことだけを考えてたらカラオケ持ってひとりでくればいい。
こんだけのバンドメンバー連れて、マレーシアからオープニングアクトのバンドまで連れて来たんじゃWINGだけじゃなく誰も金を儲けることなんか出来ない。
でも金じゃないいろんなものを得たと感じるのはワシだけではないと思うぞ・・・
最後に少し・・・
彼はコンサート当日に突然『風継続吹』という曲をを歌うと言い出した。
送られて来た音源を聞いてみたら山口百恵の『さよならの向う側』である。
実はこの日、4月1日は彼の友人でもあったのだろう、自殺したレスリー・チャンの命日。
「1コーラスだけでいいから彼の曲を歌いたいな」と思ったのだろう。
人は生きていればいろんな出会いがあって別れがある。
それを引っくるめて中国語で「缘分(YuanFen)」と言う。
バンド仲間の事故死、フィアンセの事故死、そしてお父さんの死・・・
そんなものを全て乗り越えて、彼はその亡くなったバンド仲間の歌を歌う・・・
そしてそこにまた新しい「缘分(YuanFen)」が生まれてゆく・・・
葉世荣(Yip Sai Wing)・・・
友達思いで後輩思いで、バカでお人好しで本当に金儲けがヘタな男・・・
ワシのとても大切な友人である。
Posted by ファンキー末吉 at:02:31 | 固定リンク
2016年4月 1日
WING世界ツアー2016年オーストラリア初日
香港でのリハを終え、今回のワールドツアーの最初の公演地であるオーストラリアはシドニーにやって来た。
「僕は中国人がいる国だったらどこにでも行くよ。逆にその他の人間は僕のこと知らないからね」
と笑って言ってたWINGさん。
確かにオーストラリアには80万人近くの中華系の移民がいるらしく、実際こちらに来てみてから感じたのは広東語を話す人なんかもかなり多いということである。
着いて最初の食事である昼メシの時に行った中華料理屋さんでも、決して広東料理専門店ではないのに従業員は全て広東語を話してたし、晩メシの超高級中華料理屋でも広東語が普通に話されてた。
そうそう、
「香港人とツアーに行くと中華しか食べないんだよ」
とよく言われるが、
WINGの世界ツアーでも毎回ほぼ全食中華である(笑)
ワシなんかは「オーストラリアと言えばオージービーフ」で、
過去のWINGツアーでもそうだったが、オーストラリアならぶっちして自分ひとりでオージービーフとオーストラリアワインと行きたいところなのだが、
ご一緒してると滅多に食べられない高級中華にありつけるのでそのタイミングが難しい・・・
今回は何とカジノが入っている高級ホテルに宿泊なのだが、
晩メシはその高級ホテルのオーナーなのか何やら偉い人と共に食事である。
今まで見たことがない巨大なカニ!!(◎_◎;)
足の部分だけでこんなに!!
巨大甲羅にて焼きそば!!これが上品な味にカニ味噌の香りで絶品!!
そしてアワビ!!
をしゃぶしゃぶ!!!(◎_◎;)
でもね、料理だけではない。
この後「じゃあ飲みに行こう」となって行ったのが何とカジノのVIPルーム!(◎_◎;)
どうもWINGの席に座ってた偉い人たちの中にはこのカジノのオーナーがいたらしく、その人の案内によるものらしい・・・
「パスポートは持ってるか?」
どうもVIPルームに入るにはパスポートが必要らしい・・・
「僕はパスを持ってるから」
とWINGはそれ専用のペラペラ紙を見せてくれた。
カジノなんか入るのは生まれて初めてで、
入ったら入ったでスロットマシンやルーレットなどギャンブル台が並んでて映画なんかで見るカジノと全く同じなのでむっちゃ緊張した。
(写真自粛・・・というか禁止か?)
そのカジノを抜けて専用エレベーターで最上階の17階に上がる。
いくつかのギャンブル台が並んでて中国人がディーラー相手にブラックジャックをやっている・・・
賭け金:最低1,000$最高500,000$
!(◎_◎;)・・・大雑把に計算して最低で10万円足らず?!!!
最高額賭けたら一勝負5億円?!!!(驚)
どんな人がこんなギャンブルをやってるのかと思ったら全員中国人!(◎_◎;)
賭けてるチップが100万円だとすると、
それで賭けてる人は優に毎回何百万の勝負をしている・・・
最上額のチップであろう、少し大きくて値段が書かれているのは100,000$・・・ってあーた!!いっせんまん?!!!(◎_◎;)
とある中国人・・・そのチップを何枚も賭けて、一勝負で高級マンションがぽんぽん飛んでゆく・・・(眩暈)
興味深いのはそれを見ているワシらは額を計算して目がクラクラしているのに、
そんな大金を賭けているご本人は買っても負けてもさほど気にしてない様子なことだ。
恐らくこれぐらいは「はした金」なのか、
もっと大きく勝ち負けした時にだけ感情を表に出すのだろう・・・
ワシらは隅っこのテーブルに座って、時々立ち上がってはその「はした金」の勝ち負けを覗き見してたのだが、
「コニャックでも飲むか」
と言うのでワシは大きく頷いた。
そもそもは、何やらここでしか飲めない数十万のコニャックをご馳走してくれると言うからついて来たのだ。
これ!!
日本円で80万円ほどする代物らしい!!!(◎_◎;)
(ちなみに瓶はクリスタルガラスで作られているらしい・・・)
これを惜しげもなくワシやバンドのメンバーに振舞ってくれる(驚)
まあ一瞬のうちにマンション何軒かが買える金が動いているこのカジノのオーナーにとってはこのコニャック一本ぐらい「はした金」みたいなもんか?・・・(恐)
飲みながらこんなことを考えた・・・
オーナーがもしこの貧乏バンドメンバーからコニャックの元を取ろうと思ったとしたら、一人に一枚ずつチップを振る舞えばよい。
スタッフも合わせて20人ほどが一度だけそのチップで博打をすればそれでいいのだ。
10万円が動くその勝負を一度だけ体験すればそれでいい。
20人いたら2〜3人は運良く勝つ人が現れるだろう・・・
その人は「10万円儲かった」と言ってすぐにそのチップを両替するか?
またその20万円を賭けて勝負をしたらもう後には引けない・・・
このホテルにはATMも山ほど設置されてるし、聞くところによるとクレジットカードでチップも買えるらしい・・・
20人いて一人がひと財産全部スってしまえばコニャックどころかみんなに配った最初のチップぐらいすぐ元が取れてしまうんではないのか・・・(恐)
帰り際にパスポートを返してくれたのだが、
それぞれにWINGと同じくこのVIPルームのパスが配られた。
でもワシはもう足を踏み入れないと思う・・・
博打は人生だけでもう十分!!