
2014年9月16日
働け!!心を豊かにするために!!
怒濤のアーリー爆風ツアーも終わり、
すぐにひとりドラムツアーにつながって、
気がつけばワシは24本連続ライブということになっているらしい・・・
いや、人はびっくりするけど別に大したことじゃないぞ。
好きな音楽やって少々でもお金もらって、
それで土地土地の美味しいもん食ってまた次の土地に行って・・・
理想の生活ではないか・・・(笑)
家に帰らないので嫁から自宅に届いた郵便物をどどんと渡されている。
そういうのをチェックするのが基本的に嫌いなので、
よっぽどヒマが出来た時にホテルでゆっくりとチェックするのだが、
そこで娘の大学の学費の振り込み用紙が出て来た・・・
60万!!!!(◎_◎;)・・・やっぱ私立は高いのう・・・(>_<)
支払い期限は今月末までなのだが、
ワシはこのまま24本目の盛岡が終わったら10月10日まで中国に行ってしまうので明後日までに振り込んでしまわねばならない。
ほなということで慌てて金策を始めるのぢゃが、
その「モード」というのが実は精神的にあまりよくない。
ワシは基本的に楽天的な性格なのぢゃが、
何かの拍子に精神がローに入るとどんどんとモノを悪く考え出してしまう自分がいたりする。
今回は前日の福島で物販で本と亜洲鼓魂が売り切れたというので、
そうなる前にと補充を発注したのだが連休とかで今回の郡山に間に合わず、
そうなると当然セルチャンスを失うことになるのだから収入が減る・・・
あかん!!ワシはもうあかん!!貧乏や・・・
などと全てを悪い方に悪い方に考えてしまったりする・・・
そんな中でとあるFacebookの書き込みを見た。
何のことはないとある中国人フレンドの普通の書き込みである。
名を王さんと言う・・・
実は北京の黒豹の友人で、90年に彼らを通して日本で知り合った。
ところが彼に関しては実はちょっとだけ、本当にちょっとだけ心にひっかかってることがあったのだ。
もう20年以上前の記憶なので定かではないが、
確か武蔵小山のお祭りに一緒に行った時、
「お金に困っている」というので10万円かなんか貸した記憶がある。
「働いてきっと返しますから」
と彼はその時言ったのは覚えている。
しかしそれを本当に返してもらったかどうかの記憶がない(>_<)
彼とはFacebookメッセージでいろいろやり取りするのだが、
彼の態度の中に別に悪びれた様子はないので、
これはきっともう返してもらったのだろうと思っていたのだが、
その肝心の「返してもらった記憶」がないのでそれが心にひっかかってしょうがないのだ。
精神状態がいい時には
「いや、覚えてないけどきっと返してもらったはずだ」
ぐらいに考えているものが、精神状態がローに入ると、
「いや、きっと返してないのにしらばっくれてるんだ」
なんてことも心をよぎったりする・・・
楽屋でちょっと時間があったので彼にこんなメッセージを送ってみた。
「王さん、ちょっと言いづらい話をします。
前から気になってたんですが、90年に出会って一緒に武蔵小山のお祭りに行った時に確かお金を貸してくれということで10万円貸したと思うのですが、それってあれから返して下さったでしょうか・・・
どうも頭の中で気になって仕方ないものですみません」
まあ失礼だとは思うのだが、ワシにしてみれば前回のこんないい話もあるので、
まあ「忘れてました」で10万円が戻ってくればそれはそれで非常に助かる・・・
しかしその王さんから帰って来た返事を見てワシは自分のことが恥ずかしくてしょうがなくなった。
こんにちは、あの時ちょっと北京に帰って父親が急になくなり、それで二ヶ月間向こうに滞在して、戻ってきたら家賃が溜まり仕事もなくなり、末吉さんに相談したら、十万円貸してくれたですが、その後返そうと言ったら末吉さんが返さなくてもいいって言ってくれて、そのお金は末吉さんのために仕事の報酬としてとってくれと言ってくださって、当時黒豹とあの歌のやりとりがあっていたもんで、私は向こうの仲間みんなこのことを言ったし、本当に一番困った時助けてくれて今でもそう思います。ここでも言ったことがあります。もし、必要があるなら、急に揃えないが、少しずつ返します。今中日関係のせいで商売とてもしつらいでぎりぎりです。
穴があったら入りたいとはこのことである。
彼は決してワシからの借金を忘れて厚顔無恥でワシとメッセージのやり取りをしていたわけではない。
ワシが胸を張って「報酬」としてそのお金を「あげた」のだ。
人間とは何と都合のよい記憶だけを覚えていて都合の悪い記憶は忘れてしまうものか・・・
そして「貧乏」とは何と心を貧しくしてしまうものか・・・
ワシは王さんに平謝りに謝り、改めてそのお金は返す必要がないものだと伝えた。
あの頃、彼が動いてくれて中国といろんなやり取りをしてたから今のワシの地盤がある。
彼が向こうの仲間に言ったというこの話は、
改めて今のワシの中国での絶対的な「信用」になっていると思う。
「ファンキーは絶対に友達を裏切らない」
これは中国で生きてゆくためには絶対に必要な「信用」である。
王さんの向こうの仲間のひとり・・・今では大プロデューサーになってワシに一番仕事をくれているLuanShuは、
ワシが中国でスタジオミュージシャンの仕事を始めたばかりの時、
仕事を取られた中国人ドラマーにこう言われたという・・・
「あなたも外国人に与える仕事があるなら、ぼちぼち中国人ドラマーにももっと仕事を与えるべきなんじゃないですか」
その時LuanShuは笑ってこう言った。
「バカだなぁ・・・何言ってんだ?ファンキーは中国人じゃないか!!」
中国人なら困っている中国人を助けて当然のことなのだ・・・
何も中国に地盤が欲しいからやってたことではない、
困ってる人がいるなら助けてやるのは当然のことだろう・・・
ましてやあの頃は有り余るほど金を持ってた頃だから今と違って10万円なんて何でもない金である。
王さんはそのままFacebookメッセージで思い出を語る。
お金を貸してくださった時
90年に出会って一緒に武蔵小山のお祭りに行った時
ではないです
私北京から戻ってきた時です。
あの日お宅で美味しいカレーを食べました。
おう・・・そうだったのう・・・
そして彼のメッセージは、また「末吉さんは私の恩人です・・・」と続く・・・
ひぇー!!!やめてくれ〜!!恥ずかしくて穴に入りたい・・・
彼との長い長い思い出話の一段落した頃、
今度は彼の奥さんからFacebookでメッセージが届く。
家内でございます。
主人が大変お世話になりました。
主人からいろいろ聴いておりました。
恩人であると。
本当にありがとうございました。
感謝申し上げます。
今後とも、主人をよろしくお願いします。
ひぇー!!!奥さん!!!ワシはもう恥ずかしくて自殺したい!!
そんな旦那さんを心の隅っこで少しでも疑ってしまったんだから・・・
ワシとのやり取りが終わった後、王さんはきっと奥さんにもこの話をしたんやろうなぁ・・・
恥ずかしいなぁ・・・いやぁ・・・全くもってワシは恥ずかしい!!!
というわけで今度ワシは王さんが暮らす長野県上田市に行こうと決めた。
誰か上田でひとりドラムをブッキングして〜!!!
王さんは上田で中華料理屋をやっとるというので、
上田でひとりドラムやってその打ち上げをその中華料理屋でやるのぢゃ!!
上田市上田1483の4「中国家庭料理 王記茶屋」
せめてもの罪滅ぼしにお客さん全員そこに連れて行って打ち上げして「まぼろしの商売繁盛えらいこっちゃ(古っ)」ぢゃよ!!
・・・なんてことを考えたりしながら、反省も兼ねていろんなことを考えた。
精神をローに入れないためにも、ワシの場合やっぱ仕事をしよう、と・・・
金なんか働けば必ず入って来る!!
多くはなくても必ず増えるのだ!!
足りなければもっとライブを入れればそれでいいではないか!!
「休みたい」なんて言ってるヤツは往々にして一生休んでるような人生を送ってる。
天は「働きたい」と思ってるヤツにしか「仕事」を与えないのだ。
「働け!!」などと言うとバブルの頃の過労死を連想して反感を買うかも知れないが、
ワシの仕事は基本的に「自分の好きなこと」をやっている。
言わば「命がけで遊んでいる」みたいなもんである(笑)
これで少々でもお金をもらえるんだったら、
まあ大きく言えばこれは「天が与えた仕事」である。
大切なのは老い先短いこの人生であと何本この天が与えたこの「仕事」が出来るかということである。
昨日はお客さんが2人しかいなかったが、
それでもその2人を目一杯幸せにしてやった。
休んでたら少なくともそれは「ゼロ」だったではないか・・・
この先、何人の人を幸せに出来るか知らんが、
天がその「仕事」を与えてくれたのだったら、
ワシはやっぱ生ある限りその仕事を多くやっていかなあかんな・・・
そう考えてさえいればきっとワシのこの卑しい心もちょっとは豊かになるのではないか・・・
などと思ったのである。
というわけでこのひとりドラム、上田をはじめそれ以北はまだいったことないので、
どなたかブッキング出来る方は是非ブッキングして下され〜
今回のツアーも残すところあと3本!!
2014/09/17
仙台 BARTAKE
2014/09/18
岩手 紫波情報交流館
2014/09/19
盛岡おでってホール(プラザおでって)