
2014年8月 4日
ひとりドラムin湖北省「武漢」
布衣のツアーで寧夏回族自治区「中衛(ZhonWei)」と青海省「西寧(XiNing)」を廻り、
彼らはチベットへとツアーで旅立ったが外国人であるということからワシは入境出来ず、
次は数日後は湖北省の山奥だということで北京に帰ってまた戻って来るのも癪なので、
中間地点の四川省成都で暴飲暴食・・・
・・・とここまではよかったのだが、
次の現場が「武漢より山奥だよ」と聞いていたので、
とりあえず武漢で何かやっておこうということでブッキングしたのがこのひとりドラムin湖北省「武漢」。
ところが地理的にはこれはちょっと間違いであった・・・
次にワシが行く土地は恩施土家族苗族自治州、ここは何と成都と武漢のちょうど真ん中にあったのだ(>_<)
成都と武漢がだいたい1300kmということで、
まあ例えて言うと福岡から名古屋に行く間にブッキングした土地が仙台だったようなものである(>_<)
どうせやったら大阪ぐらいをブッキングしとけよ!!
やるんやったら武漢じゃなく重慶じゃろ!!
・・・ということなのぢゃが、
実はこの武漢のライブがワシのひとりドラム人生において非常に大事なライブとなる・・・
まずブッキングしてもらったのが武漢に住む日本人である奥野竜太郎。
Facebookなどで自分の中国人美人妻の写真やその話などはよくUPしているのぢゃが、ワシの周りでは実際にその美人妻と会ったことのある人間がいない(驚)
彼が北京に住んでいる時に一度お宅に泊まりに行ったことがあるが、
その時は「嫁はたまたま北京にいない」と言うことで会うことが出来ず、
その時からワシは実は「バーチャル妻」ではないかという疑惑が拭い切れていない。
まあ今回の2週間の中国ツアーのど真ん中ということで、
洗濯もんも溜まったので一度お宅にお邪魔して洗濯でもさせて頂こうということでお邪魔したら、また「たまたま」外出していて会えなかった。
次の日の朝に洗濯もんを取りに伺ったが、
その時も「たまたま」バトミントンの練習で外出していたということで、
ワシの中ではもう完璧に「バーチャル妻」であろうということに確定してしまっている。
まあそんな奥野竜太郎がブッキングしてくれたこのライブ、
小屋は過去にPairのツアーで出演させて頂いたことがあるVoxというライブハウス。
(その時の話・・・暑かった・・・涙)
まあ奥野竜太郎にも上海ライブとかいろいろブッキングしてもらったことはあるが、
今回のライブが特別なものになったと言うのは、「対バンがいなかった」ということである。
日本でもそうぢゃが、いちドラマーがひとりでドラム叩いて動員が出来るわけはないので、
地元地元のバンドとかに対バンを頼む。
上海なんかではこうしてブログで対バン募集すると、
日本人バンドの対バンのみならず蘇州や杭州や、近隣都市からのライブオファーまで集まった。
しかし武漢に滞在する日本人はたったの600人、
その中でバンドをやってる人なんか皆無に等しいだろうから、
奥野竜太郎としても小屋のオーナーに頼んで中国人バンドをブッキングしてもらってたのぢゃが、
これがブッキングが急だったということもあって見つからず、
結局はワシのひとりドラムのみ、文字通り「たったひとり」の出演となってしまったのだ・・・
こんなんで客入るん?・・・
奥野竜太郎も一生懸命600人の日本人に声をかけてくれたのだが、
何人の日本人が来てくれるかわからないと言う・・・
ところが蓋を開けてみたら何と中国人ばかりで50人以上入った(驚)
そのうち日本人なんてたった一人だったと言う・・・
これにはワシ自身がびっくりしてしまった。
武漢というとまあ中国でいうと大都市のひとつではあるが、
まあ言えば「田舎」である。
日本で言うと六大都市のひとつだとしても、
例えば広島でワシひとりでやって客がこんなに入るか?・・・
そもそもがこの全中国ひとりドラムツアーは、
パール楽器の代理店である中音公司がもつ100を超えるパール倶楽部、
つまり全中国のドラム教室のイベントに呼ばれて廻っているわけだから動員をする必要がない。
お仕事としてもギャラをもらってやってるので動員を気にすることもない。
ところがこうしてたったひとりでチャージバックでライブをやって、
このぐらい動員出来るとなったらもの凄い可能性がある。
今回もらったチャージバックで暴飲暴食して次の土地に移動出来るのだ・・・
ということはこれで全中国ツアーが廻れるぞ!!!!!!!
奥野竜太郎は昔中国のバンドのマネージメントをしてて全国のライブハウスをブッキング出来るし、
バンドと違ってひとりだから経費も要らん。
それにワシの場合は全中国に知り合いがいるし、
この日もそうだったが、行けば必ず新しい知り合いが出来るのだ。
今回MCの中で「天界への7番目の扉」を演奏する時に、
「これは私が96年に出したソロアルバム亜洲鼓魂の中の曲です」
と紹介したら、客席から
「持ってるぞ!!俺はこれを聞いて育ったんだ!!」
という人がいた。
もちろんその頃に亜洲鼓魂を聞いていたということは今はもう「若者」ではない。
そんな人が往々にして音楽関係の仕事をしてたりするのだ。
ライブ終了後に一緒に飲んだ。
やはりイベントのブッキングなどをやってる人だそうだ。
その他地元の歌舞団の打楽器奏者とかいろいろ・・・
奥野くん、これ・・・全中国100本ぐらい廻れんかねぇ・・・
「今日も物販売れましたしねぇ、廻れますよ!!絶対!!」
よっしゃー!!ワシは別に移動日は要らんし、
冬は広州とか南の方を100本、
夏は寧夏とか北の方を100本廻ろうか!!
酒の上の話ではない、往々にしてワシがこんなことを言い出したら本当に実現するのだ・・・
ひとりドラムの軌跡・・・中国大陸がこのアイコンで埋め尽くされる日は近い・・・