
2013年7月 8日
Wingワールドツアー1本目香港コンサート
1本のギャラが日本円で1000万円を超えると言われているBEYONDの再結成話を断ってまでやりたかったのは「自分の音楽」だと彼は言う。
逆に言えばBEYONDに頼らなくても「自分の音楽」が出来る立場になったということか・・・
「スタイルをメタルにシフトしたいから日本人のメタルギタリストを紹介してくれ」
と言われたのが去年のこと。
小畑秀光を北京まで連れて行ってライブをブッキングし、
自分の目でそれを見て決めろと言って今がある。
「ワールドツアーを廻りたいんだ」
と彼は言っていた。
まあ中国人の話はだいたい話半分に聞いておくのだが、
お膝元であるこの香港を皮切りに、8月には台湾、11月には日本、
そして来年にはオーストラリアやカナダなど中華系の移民が多い国をブッキングしていると言う。
ただ彼がしょっちゅうコンサートに行っているマレーシアやシンガポールなどは、
それが彼にとっての営業の生命線であるため、
そのギャラや待遇などを絶対に落とすことが出来ないので逆にちょっと難航しているらしい。
確かに去年友人を通して彼をマレーシアにブッキングした時は、
その条件が厳しすぎて結局実現しなかった。
「一度でも落としたらもうそれが次からの値段になっちゃうからね」
悪そうに彼はそう言った。
逆に日本のようにマーケットがない国はどうでもよい。
BEYONDを知っている日本人の方が少ないのである。
マーケットもへったくれもない。
だから11月には逆に小さなライブハウスでみんなで車移動しながら日本じゅうを旅しようぜということになっている。
20年前日本での活動を始めたBEYONDは、
ボーカリストの黄家駒がフジテレビのウッチャンナンチャンの番組で事故死してから撤退を余儀なくされた。
BEYONDが果たせなかった日本ツアーの夢を、
形を変えて彼が実現出来るとしたら別に規模や金など彼にとってはどうでもいいことなのだ。
折しも今年は黄家駒の没後20年に当たり、
香港では様々なBEYOND関係のイベントが行われている。
彼としては本当は6月30日の黄家駒の命日にこのコンサートを行いたかったのだが、
あいにくワシのスケジュールが既に入ってしまっていたので、
わざわざワシのために1週間ずらしてくれて今日行うことになった。
ありがたい話である・・・
さて7月1日の上海ライブを終えたワシと小畑秀光は、
7月2日の予定されてフライトで無事に香港に・・・
着くはずだったのだが、
上海の空港で飲み過ぎたふたりは飛行機に乗り遅れてしまい、
その後の便に変更して香港入り。
その日はミーティングのみで、
曲順や全ての流れを確認する。
そして3日、4日、5日とリハーサルをしながら、
衣装合わせやヘヤーメイクなど、
バックバンドというよりは完全に「バンド」である。
演目の中にもワシのドラムソロや小畑秀光のギターソロのコーナーまで用意されている。
衣装は「ロック」の統一感があり、ワシはこんな感じ・・・
いつもの履き慣れた靴でないことと、
短パンではなく叩くと蒸れる皮パンであることに抵抗はあるものの、
それでもせっかく用意してくれたのだから頑張って慣れさせて頂こうと思う。
ヘヤーメイクは香港島のセントラルにある高級美容室がタイアップしており、
ワシの髪の毛をさらにもじゃもじゃにしてくれた。
さて本番、10時半にロビーで集合して、会場に着いたらびっくり!!
なんと大きな会場ではないか・・・
チケットは既にソールドアウトしていると言うから彼の位置ももう結構なところに来ているのだろう。
ドラムセットは香港最大の楽器屋であるTom Leeが用意してくれていた。
ワシはドラムセットはPearl、シンバルはSabianのモニターなのだが、
当初はそれが用意出来ないということだったのだが、
当日はたくさんのメディアが取材するだろうかそれではまずいだろうということで頑張って用意してくれたようだ。
用意されたタムは10、12、13、14、16というもので、
頑張ってチューニングしたのだが、
12、13、14のインチ数が近すぎてどうもうまく決まらないので13インチのは外させて頂いた。
香港のコンサートは夜8時からとか遅く始まるくせに、
だいたいが3時間を越える長丁場のコンサートとなるが、
今回のメニューは4時間近くいくんではないかというほど盛りだくさんである。
リハーサルもほぼフルでやって、そのままヘヤーメイクに取りかかる。
先日お伺いした香港島セントラルの美容室のスタッフが数人やって来て、
Wing本人をはじめバンドのメンバー全ての髪の毛を数人掛かりで作ってゆく。
衣装を来て、渡されたチェーンをじゃらじゃらとつけたりしてたらもう客入れの時間である。
(道教から来ていると言われているが、コンサートの前には必ずここでお祈りをする)
楽屋は訪ねて来た関係者や友人達でごったがえして、
お喋りをしたり写真を撮ったり、まるで緊張感などありはしない。
舞台監督らしき人間もおらず、何分押しで開始するのかすらわからない。
ただ客席の興奮度はもの凄く、
BGMの曲が変わる瞬間に音が切れると、
今から始まるんだと思ったオーディエンスはウォーっと歓声を上げる。
こんなに大きな期待感を持ったオーディエンスは、
私がバックを務めたの「許魏」の2003年の北京コンサート以来である。
熱狂的に支持されていた許魏はその後スタジアムをひとりで満杯にする歌手の仲間入りをすることとなった。
ワシはWingのどん底の頃を知っているだけに、
このコンサートがきっかけで彼もそのように大ブレイクして欲しいと心から思う。
メイクが終わったWingが立ち上がって、
「よっしゃー!!やるぞ!!」
これで全スタッフに伝令が走る。
It's time to ROCK!!
メンバー全員が円陣を組んで気合いを入れる。
その声が漏れ聞こえたのかオーディエンスがまた興奮のるつぼとなる。
コンサートは先月のリハーサルで作り上げたメタルアレンジのナンバーから始まるが、
香港のオーディエンスに一人馴染みのない小畑秀光は、
この数曲で見事にがっちり認知されたようだ。
最初のメンバー紹介で、長年バックを務めているEverのメンバーよりも拍手をもらった。
Wingにこいつを紹介したことが大当たりであったことが嬉しい。
ワシも負けてはいられない!!
ドラマーであるWingのコンサートでは何故か必ずワシのドラムソロ!!(笑)
そしてラッパーのゲストを迎えてその後はBeyondコーナー。
数曲のBeyondナンバーをバンドで歌った後、
最新シングル「薪火相传」の前にWingがギターを持って客のリクエストに答えてBeyondの歌を歌う。
前日のゲネプロの時に、
「バンドは適当に伴奏してればいいから」
と言われたが、小畑秀光以外全ての人間は知っている大ヒット曲ばかりなのでついつい一生懸命叩いてたら、
「Funky、ダメだよ。オリジナル通りに叩いちゃ〜。
ファンが本気になって入れ込んじゃうでしょ。
遊びでいい加減に叩いてくんなきゃ〜」
と言われたのだが、どれも思い出深い曲ばかりなのでワシとしてはそうもいかない。
ふと見るとステージのドラムのそばには若いドラマーがローディーとしてうじゃうじゃついているではないか!!
そいつらに順番に叩かせる(笑)
(ステージ上で平気で記念撮影は中国でも香港でも・・・笑)
3曲ほど1コーラスずつ代わる代わるに叩いてたら、
Everの連中も振り返って大笑い。
しまいにはボーカルの家豪もやって来てドラムを叩いた。
これでいいのだ(笑)
ワシはやることがないのでドラムの後ろで両手でロックピースをして手を振っていたら、
客席が全員それに合わせてロックピースをする。
20年前の光景がフラッシュバックして来た。
黄家駒の棺を見送る時、葬儀場の前の道路を埋め尽くしたファン達はみな、
こうしてロックピースを掲げながら「Beyond!! Beyond!!」と絶叫していた。
あの時は号泣しながら振っていたロックピースも、
今ではみんなが笑いながらここで振っている。
不覚にもここで涙が出て来てしまった・・・
ロックの育たない香港で自分たちだけが歴史に残る大成功を収めたBeyond。
黄家駒が何とか香港の若者にもっとロックをという意思を継いで、
Wing達はこうして若手を育成し、日本の若いメタルギタリストにまでチャンスを与える。
最新シングルの「薪火相传」という曲は、
黄家駒の没後20年目を受けて、
「あんたの精神を俺たちは次の時代に伝えてゆくよ」
という曲なのである。
彼がメタルにスタイルをシフトしたいという思いも、
このようなシングル曲は香港歌謡よろしくポップに作ったとしても、
「ロック」の曲は限りなく「ロック」であり続けたいという気持ちが大きいのだと思う。
「流行らないから」という理由でどんどん廃れてゆく音楽のジャンルは多いが、
"ほら「ロック」はまだまだ死なないよ"ということを、
どうやったって食ってゆくことが難しいであろう香港のロックミュージシャン達に、
そして小畑秀光のような外国のロックミュージシャン達に対しても自分がちゃんと示してあげたいのだた思う。
ロック?・・・あるじゃないか、ここに・・・
黄家駒がどこかで笑ってこのコンサートを見ているような気がしてならない。
Wingもワシも、きっと彼に対して、
「ほら、俺たちも変わってないだろ?相変わらず楽しいよ」
というのを見せたいのだと思う・・・
コンサートの最後はゲストのポールが出て来て盛り上げてくれた。
もうステージに彼が上がって来ただけでオーディエンスは絶叫である。
Beyondのふたりがこうしてステージに並ぶと、
まるで黄家駒もここにいるみたいである。
ポールはポールで、まあ彼はもうセールスとか気にする立場にはないので、
遠慮なくグランジやニューメタルの道をまっしぐらだし、
Wingはどん底から這い上がって何とかここまで来た。
黄家駒は死んで神様になったけど、
残されたポールやWingはそれぞれの「それから」を生きている。
ワシはもう20年、Wingの「それから」とずーっと一緒にいる。
それはきっとまだまだずーっと続くのだと思う。
ワシらが「ロック」をやめない限り、
ワシらはずーっと黄家駒と一緒にいる。
あの時の笑顔のまま黄家駒はずーっとワシらのことを笑いながら見ているだろう。
Its Time To ROCK!!