
2011年12月29日
全中国ドラムクリニックツアー2011年 湖南省「岳陽」3日目
さてこの朝にパソコンでだいたいの仕事を全てやり終えてしまった。
ワシはこのパソコン、まあ周辺機器も含めて全ての仕事はいつも持ち歩いてるこのリュックサックさえあれば全部こなせるのだ。
だからこのようにツアーなどに出ると非常に仕事がはかどると言うわけだ。
今では北朝鮮以外どんな国に行っても同様にネットに繋げ、
同様に仕事が出来るシステムを持ち歩いているというわけだ。
さてこの日は地元を観光して夜汽車で帰るということになっている。
私は別に観光など興味はないのであるが、
地元の人にとっては
「こんな遠くまで来て頂いて何のおもてなしもしない」
というのは中国人的な「面子」に関わる問題なのだ。
一度担当者Shaとの連絡ミスで、
「明日何時に帰るの?」
となった時、
「え?明日は一日こちらで観光するという約束でしょ?」
と地元の人が悲しみを超えて怒りまでいったことがある。
まあ一日観光をお付き合いするのも「仕事」のひとつだということだ。
何せこの全中国ドラムクリニックツアーにはPearlドラムを宣伝するだけではなく、
「各地のパール倶楽部との連携を強化する」
という大きな目的もあるのだから・・・
名所ということで「岳陽楼」というところにやって来た。
「岳陽楼」と聞いても別にピンとはこなかったが、
そこに面する「洞庭湖」というのは聞き覚えがある。
確か「洞庭湖を臨む」とかいう漢詩を学校で習わなかったか?・・・
とりあえず岳陽楼に登って洞庭湖を臨んでみる。
まあなんつうことはない。
ここが中国最大の淡水湖だということで
なるほどこの辺は魚料理が多かったのかと思えた程度である。
さて観光するところなど言ってみればここぐらいのもんなのであろう、
地元観光もあっという間に終わり、
あとはお決まりの「飲む」と「食う」だけである。
食うと言ってもそんなに延々と食い続けることなどは出来やしないので、
とりあえず途中足裏マッサージなど行ったりしてまたメシを食う、
そんなことを続けてたわけだが、
晩飯終わって
「まだ列車まで時間があるなあ、よっしゃ、ほなサウナでも行こう!!」
となった時に事件が起きた。
車に乗り込もうとしたら、
車の所でみんなが呆然としている。
「どうしたの?」と駆け寄ってみると、
車の窓ガラスが無残にも割られ、
中のものがごっそりと持っていかれている。
ワシのトランクやリュックも全てである。
トランクの中にはひとりドラムをするための器材、
リュックの中には
「それだけあればどこにいても仕事が出来る」
というパソコン一式の機材類とiPad、
そしてパスポートが入っていた・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:11:39 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 湖南省「岳陽」2日目
午前中はホテルでかなりの量の仕事をこなした。
この日と次の日の午前中に仕事を全部こなしてなければその後数日間何も出来なくなるのだから世の中うまく出来ている。
昼飯は魚の大鍋!!
なんとこの大鍋はテーブルにがっちり固定されている。
洗う時はどうするのかとまず思うが、
従業員がオタマとタワシを持って来て、
水をかけてはタワシで擦り、
それをオタマで掬ってはバケツに捨てながら器用に洗っていた。
なぜ鍋がテーブルに固定されているかと言うと、
このテーブル自体が炉になっていて、
ストーブのように薪をくべてその直火で鍋が焚かれるというわけだ。
そのため、この鍋とテーブルは完璧に密閉されてなければならず、
煙はテーブルとつながった壁を経て外に流れてゆく。
見事なほど店内には煙は流れない。
見事なもんだと腹鼓〜
腹も叩いてドラムも叩く〜
いや〜田舎に行くほど人は集まるねぇ〜
ドラムクリニックなんて別に何百人の人に見せる代物ではないと思うのだが・・・
今回難儀だったのはお決まりのサイン会。
いつもはPearl製品の宣伝も兼ねて大きなポスターにサインをしてたのだが、
今回は日本から大量に仕入れたというファンキー末吉モデルのスティック。
スティックってサインするの大変なのよねぇ・・・
聞けば中国のPearl担当のShaが最初にこのパール倶楽部というシステムを作ったのがこの街、
つまりこの街のパール倶楽部の張老師がやった一番最初の冒険が今の中国でのパール楽器の全ての基盤となっているというわけだ。
Shaはきっとこのファンキー末吉モデルのスティックを中国で販売したいんだな。
だからまず最初にここで実験してみてそれから国内生産に着手しようとしてるのではないかと想像する。
かくしてこの日も「平和に」終わりゆく・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:10:48 | 固定リンク
全中国ドラムクリニックツアー2011年 湖南省「岳陽」初日
思えばクリスマスなのだが関係ない。
23日の夜中に北京に着いたワシは、
次の日には指定された便に乗り込み機上の人となった。
「長沙行きCA1373」?・・・
確か広東省で二本やると聞いてたが、まあその辺は気にしない。
問題はこの湖南省というところが暖かいところなのか寒いところなのかということである。
地図で調べると・・・
(地図は後ほどUPします)
緯度は沖縄ぐらい低いではないか・・・
ということで軽装で来てしまったのが大間違い。
その後滞在中ずーっと寒い思いをすることになるとはこの時点では夢にも思っていない。
ただANAのマイレージがつくはずのCAに3時間も乗りながら、
チェックインの時に登録を忘れたことばかりが気になって仕方がない。
後にそんなことなどどうでもよくなる事件が勃発するとはこの時点では夢にも思ってないのだ。
長沙でやるのかと思いきや「岳陽(YueYang)」という街でやるらしく、
そのまま車に揺られること2時間強、
着いた頃にはもう腹が減ってたがそのまま会場入り。
毎度の事ながら垂れ幕デカ過ぎなんちゃうん!!
今回のセットはタムがあまりにも小口径だったのでイアンペイス式セッティングにした。
「タカトン」という常道フレーズを叩いた時に、
小口径のタムだとスネアよりも音程が高くなり、
聴感上キモチワルイのだ。
このセッティングだとタム2を叩くことになって座りがよい。
通常のバスドラにタムホルダーを挿すセットだとアダプターが新たに必要なので難しいが、
今回のようにタムホルダーを挿す穴がないバスドラだと、
もともとアダプターでセッティングするので楽である。
そんなこんなでセッティングもサウンドチェックも終わり、
湖南料理に舌鼓を打って初日は「平和に」終わってゆく・・・
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)
Posted by ファンキー末吉 at:09:43 | 固定リンク
2011年12月14日
北朝鮮ファンキー末吉ロックスクールの生徒たち
今は亡き金日成首席が
6月9日にここに学校を建てるようにと指示したことから
「6月9日高等中学校」と名付けられたこの学校。
日本語で「ロック」と読めるではないか!!
とファンキー末吉が思ってしまったがために、
2006年からこの学校の軽音楽部はひそかに
「ファンキー末吉ロックスクール」
となっている。
2006年7月25日に初めてこの学校を訪れ、
その時に在学していた美少女達が
「ファンキー末吉ロックスクール」の「第一期生」となった。
懐かしい第一期のバンドメンバー達
ベース&ボーカル 鄭慶姫(チョン・キョンヒ) 通称「あねご」 |
|
![]() |
メンバーの中で最年長の6年生。
(北朝鮮は小学校と言える人民学校に4年通い、 その後中学校と言える高等中学校に6年通う。 つまり日本で言うと高校1年生) 彼女がこの時代のクラブの「リーダー」である。 歌を歌いながら弾く楽器としてベースを選んだのであるが、 「こんなに難しいプレイを求められるとは夢にも思わなかった」 と後に語る。日テレの特番で流れた、別れの時の彼女の涙は記憶に新しい。 |
ドラム&ボーカル 李恵蓮(リ・ヘリョン) 通称「カレンちゃん」 |
|
![]() |
同じく最年長の6年生。
ほわーっとして天然入ってるキャラクターで見るものを虜にしていたが、天然どころか実はとても勉強が出来る優等生だったと後で聞いた。 最初にファンキー先生のドラムを聞いた時、一番目を輝かせていたのが印象深い
|
・・・と、ここまでが「ファンキー末吉ロックスクール」の「第一期生」である。
彼女達を中心として「ムルンピョ(疑問符)」をレコーディングした。
そして「第二期生」と言えるその1年下の世代。
ギター&ボーカル 李順(リ・スン) 通称「おでこちゃん」 |
|
![]() |
彼女が「アネゴ」の後を継いでクラブのリーダーとなる。
手を口に当てて「おほほ・・・」と笑う、生まれも育ちも生粋の「お嬢さん」である。 今回の訪朝でも学校まで私を訪ねて来てくれて、花の女子大生となった姿を見せてくれた。 結果的にはこのプロジェクトとしては一番付き合いが長く、深い人間となった。
|
キーボード&ボーカル 金秀慶(キム・スキョン) 通称「ボンボンちゃん」 |
|
![]() |
実はアコーディオンの名手で、後に「おでこちゃん」とふたりで「デコボン」というユニットを作って、ドラムにファンキー末吉も交えて「豊年の春」というインストナンバーをレコーディングした。
その音源はまだ世に出してないが、機会を見てまた発表したいと思っている。
ちなみに北朝鮮では楽器を持って農業や工業などの現場を「応援」しに行く活動があり、電気が要らないアコーディオンはここでは一番「要」の楽器である。 |
・・・と、ここまでが「第二期生」と言えるだろう。
ところがこの「第一期バンド」の中にとんでもない逸材がいた!!
ギター&ボーカル 柳真玉(リュウ・ジンオク) 通称「末っ子」 |
|
![]() |
その更にひとつ下の学年で、メンバーからは「末っ子」と可愛がられていた彼女、ひとたびギターを持てばその超絶テクニックにファンキー末吉をはじめ、それが放映された特番を見ていた全ての人間を唖然とさせた。
いや、厳密に言えば「超絶」というより「真っ白」であったため、ファンキー先生が教えるチョーキングやライトハンドなどロック的な新しい奏法をあっと言う間に自分のものにしていったということだろう。 ファンキー末吉ロックスクール「第三期生」の中心人物となった。 |
その後「お前は関西人かっ!!」と言いたくなるほどのキャラを持つ「長男の嫁」や、これまた美少女の「ホクロちゃん」などのキャラもその下に現れるのであるが、
わけあってその時代の映像や写真はUPされていない。
そして3年のブランクを経て今回訪朝し、
今のメンバーと初めて出会うこととなる。
「第五期」メンバーの中心人物、
ギター&ボーカル:リュウ・イエギョン 通称「部長」
いやーこの娘にはもう振り回されっぱなし!!
私の目から見ても「新人類」であるが、
北朝鮮の社会の中でも、もうこの子達の世代は
「戦争を知らない子供達」ならぬ「革命を知らない世代」である。
第一期生たちが
「先生の言うことは絶対に聞かねばならない」
という感じだったのに対して、
この世代の子たちは
「はっきりと自分の意見を言う」
そしてその意見が先生と違っていても
「自分の意見を通す」
という世代である。
思えば「末っ子」の世代にもそういう風潮はあった。
「お客さんが来たら必ず出迎えとお見送りをするのよ」
ということになっているにも関わらず、
末っ子や部長はよく考えたら結局一度も来たことがない。
その時になるとす〜っといなくなるのである(笑)
「イヤなものはイヤ!!みんなはやっても私はやりません!!」
という世代なのかも知れない。
いや、北朝鮮の世代が徐々にそのように変わって来ているのかも知れない。
それは「一人っ子」がもたらす「核家族」の影響かも知れないし、
中国をはじめとする巨額の投資を受けての「経済」の変化が原因かも知れないが・・・
「第六期」メンバー
ベース&ボーカル:リ・ヘジョン 通称「ペコちゃん」
第一期メンバーの「アネゴ」が「歌いながら弾く楽器」としてベースを選んだのとは違って、
アコーディオン奏者(北朝鮮では「楽器」と言えばアコーディオン」なので多くのプレイヤーがアコーディオンを演奏出来る)でもある彼女は、
純粋に「ベース」という「楽器の面白さ」に魅力を感じて始めたように見受けられる。
その「吸収力」は「末っ子」に共通するものがあり、
オクターブランニングからスラップ奏法までをあっという間に習得する。
「じゃあみんなで曲を作ろう」とか
「みんなで詞を考えよう」とかの時にも積極的に意見を言うという面も持ち合わせている。
こと北朝鮮では全ての面において「リーダー」は絶対であり、
そういう意味では「部長」はこのクラブでは「絶対的」に君臨している。
「リーダーに逆らうこと」は即ち「国家に逆らうこと」と同等であるというぐらいこの国ではその「秩序」に厳しい。
しかし私が感じる最近の北朝鮮では、
もっと「合議制」に近いというか、
感覚的な言葉で言うと・・・ユルい感じ・・・
になって来ているのではと感じることがある。
たかが「クラブ活動」なのであるが、
昔はもっと「肩肘張った」ものであったような気がするが、
今では「けいおん」のようなユルさが生まれて来ているような気がする。
(しかし厳しいところは厳しい部長)
(でも笑うとやっぱりカワイイ部長)
というわけでこのペコちゃんと部長が中心となってバンドを引っ張ってゆくことになるのだが、
第一期のバンドに実はボンボンちゃんがそうであったように、
「バンドの音楽的な中心人物」というのが存在したりする。
「第六期」メンバー
キーボード&ボーカル:キム・ソヨン 通称「ハナちゃん」
思い起こしてみれば、今回作ったオリジナル曲のメロディーは、
結局のところ彼女が全部生み出したと言っても過言ではない。
部長はとどのつまり「採択する」という「役割」なのだ。
例えば
「やーね〜 誰かここんとこ何かアイデアない?」
と部長・・・
そんな時に率先してメロディーを口ずさんだりするのが彼女である。
さて写真の後ろの方で所在なく立ちすくんでいるこの少年。
彼こそがこのバンドで最年少であり、
唯一の男の子であるドラマー!!
「第八期」メンバー
ドラム:キム・イルピョン 通称「一平」
「イルピョン」というのを漢字で当てれば「一平」ということで私達も「一平」と呼んでいるわけだが、
まあ最年少も最年少、最年長の部長から見ると3歳も年下なので、
部長をはじめ、いろんなところから
「こらイルピョン!!私の上着取って来い!!」とか、
あれしろこれしろといろんな声が飛ぶ。
女性ばかりのクラブの中でひとり男、そして最年少となると、
まあ「オソロシイお姉様方」の「パシリ」となるわけである。
また本人いたって性格が明るく、
何を押し付けられても笑顔で使いっ走るので、
そういう意味でもクラブの全女性からマスコット的に愛されている。
当然ながら曲を作るだの詞を作るだの、
意見を出したところでまともに取り合ってもらえないのだから、
みんなが喧々囂々話合ってる時もひとりアクビをしたり、
ぼーっとしててそれをまた突っ込まれてやいのやいの言われるわけである。
一番面白かったのは、お姉様方3人が順繰りにインタビューを終え、
最後に一平に「お姉様方はオソロシイ」ですか?とインタビューした時、
横に並んだお姉様方(特に部長)が一斉に、
「あんた!!余計なこと言ったらコロスわよ!!」
ってな感じでニラミを聞かせたシーンである。
それをチラ見した一平、生ツバをごくりと飲んで、
「お姉様方はみんな優しいです」
と答えたということは言うまでもない(笑)
そんなこんなで楽しく、あくまでもユルく、
彼女達のオリジナル曲が完成した。
6月9日高等中学校バンド2011年版
「学校へ行こう!!」
メロディーは全部彼女達自身によるもの。
アレンジは私が提示したものを部長を中心に彼女達自身が自分で選んだもの。
詞はもともとこの学校の先生か書いてあったものを元に、
彼女達が自分たちで変えたり付け加えたりして作り上げた。
変な輩に突っ込みされる前に書いておくが、
彼女達が加筆した部分に「将軍様」という一節がある。
私は敢えてそれを変えろと言わなかった。
(もちろん言ったところでそれは「将軍様を否定すること」になるのだからこの国では削除することは不可能なのだが)
今となっては私は
ロックの様式美に「悪魔」だの「ハイウェイ」だのがあるように、
「そこにそれを持って来ると曲が締まる」
のではないか、
もっと言うと
「それがなくては曲が締まらない」
ぐらいのアイテムとなっているのではないか、とそう思う。
うちのおふくろやその世代の日本人に
「天皇は神様じゃないんだよ」
と言ったところで理解出来ないのと同じように、
この国の人に私たちの常識を伝えたっておいそれとは理解は出来ないだろう。
同じように私たちにとって彼女達の「常識」を理解することは非常に難しい。
でも世が世で、私が見た「現代の北朝鮮の若者達」が、
神様が「死ね」と言ったら躊躇なく敵に向かって自爆するような、
そんな世代ではもうないのではないかと強く感じる。
北朝鮮はどんどん変わって来ている。
それが日本人には見えないだけである。
彼女達北朝鮮の若者、そして日本の若者達が、
今の大人達が成し得なかった「新しい関係」を作っていってくれることを切に願う。
(あらまあ、大きく出たわねえ・・・と部長(笑))
北朝鮮ロックプロジェクトまとめはこちら