
2010年12月18日
全中国ドラムクリニックツアー2010年 江蘇省「揚州」
北京では結局朝のレコーディングが終わったらヒマになってしまった・・・
昼から飲んで、夜汽車に乗る前にもがんがんに飲んでそのまま寝台車でしこたま寝た。
一晩気絶して、着いたらもう揚州である。
日本に「揚洲商人」というラーメンチェーン店があるが、
「揚州ラーメン」というのは厳密に言うと存在しない。
揚州の名物と言えばチャーハン、「揚州炒飯」である。
腹ごなしをして会場へ・・・しかしそこは・・・
体育館であった!!!!
こりゃ明らかにもうドラムクリニックの会場ではあるまい・・・
サウンドチェックをするのだが、
何やら北京からバンドまで呼んでいるようである・・・
弥藏楽隊・・・
こちらの方をメインアクトにしなはれ!!
ワシはドラムひとりなの!!
客を煽ることも出来なければただひたすらドラムだけ叩いとるんやから!!
というわけで本番前に会場に入ったのだが・・・
この会場がほぼ満杯になっているところが恐ろしい・・・
この人達・・・何が面白くて日本のドラマーのクリニックを見に来てるのだろう・・・
少々胃に痛みを感じつつとりあえずステージを見る。
オープニングは子供達の演奏・・・これはいい!!
過去の記憶で一番華々しかったのは徐州だったと思うが、
規模はこれよりは小さくても方向性は同じである。
ところがその後の出し物で演劇が出て来たのには頭をかしげた。
どこの世界に「ドラムクリニックに来てくれ」と呼ばれて、
来てみたらその前に演劇をやっているというシチュエーションがあり得るのだろう・・・
この頃から胃がちくちくと痛くなって来る。
アイドルコンサートのごとく光り物を手にしたオーディエンスを、
ワシはひとりドラム叩いてどう盛り上げろと言うのか・・・
だいたいドラムひとりでステージに上がるというのが間違っとる!!
キーボードだドラムだっつうのは基本的に動けんので目線が変わらず、
数曲で客は飽きてしまう。
それはもう何十カ所もクリニックツアーを廻って、
どうなれば子供が飽きて遊び出すか身をもってよく分かっている。
過去一番大きかった会場は貴州省の田舎町である。
1200人余りの観客がドラムひとりの演奏にどう反応していいかわからず、
地元の人間が立ち上がって手拍子をしようにもリズムが難しく叩けず、
ロックファンがヘッドバッキングをしようにも変拍子で頭振れず、
結局1200人が盛り上がれずに終わったのを覚えている。
ワシはここで強く言いたい!!
「ワシは客を盛り上げるために来てるのではない!!
ドラムを教えに来ているのじゃ!!!」
この時点ではワシは本当に強くこう思っていた。
ドラマーひとりしかいないのだから、
そりゃリズムも複雑にするし、
演奏曲もドラマーがうなるような難曲を用意して来る。
アイドルコンサートを見に来るつもりで来て盛り上がれるわけはない!!
演劇がまた始まった・・・
なんか音楽があっては演劇がある。
また客席がその演劇で非常に盛り上がっているのが胃が痛い・・・
しばらく悩んでいたのだが、
ワシの出番の前にステージに上がった弥藏楽隊・・・を見て思った。
しょせんこの客は何でもいいのである!!
演劇であろうがバンドであろうが子供のドラムであろうが、
楽しければ拍手をし、嫌であれば帰る。
ただそれだけの客なのである。
人を感動させるとは何か?
ワシは芸能ごともいろいろ勉強させてもらったからいろいろ出来る。
こんなシチュエーションでどんな風にやれば持っていけるかの手法論もいろいろ持っている。
しかしワシは日本では今だに「芸能人」として見られているところは多いが、
ここ中国では少なくとも「ドラマー」でしかない。
ワシはドラムを叩いてなんぼなのである!!
弥藏楽隊は盛り上がってアンコールまで来ている。
基本的に歌もなく、ドラマーひとりがやっているパフォーマンスで彼らにかなうわけはない!!
しかしワシはドラムを叩きに来てるのである!!
ワシがドラムを叩いて、どんな客であろうと観客がどっちらけになったとしたら・・・
それはやはりワシが悪いのだと思う。
とどのつまり「人を感激させる」ということは「人間力」の成せる技である。
ワシのパフォーマンスが弥藏楽隊にかなわないとしたら、
それは「ワシひとりの人間力が彼ら5人の人間力に劣っている」というだけのことなのだ!!
ワシは悟り切った心境でステージに上がった。
客は結果・・・ウケた・・・
なんのこっちゃない・・・彼らは何でもいいから・・・「感動しに」来ているのだ・・・
終わってステージ袖の看板を見た。
「70年代80年代に生まれた人達が昔を懐かしむパーティー」
なんのこっちゃない。
ただの体育館コンサートのひとつの演目にワシが呼ばれていただけのことである。
このドラムクリニックツアーももうすぐ足掛け4年になる。
最初の1年で終わる予定だったこのクリニックツアーも、
結局「次の年も次の年も」ということで毎年やっている。
パール本社の企画として始めたこのツアーが、
次の年から中国の代理店主導でまた始まったということは、
少なからずその代理店に「メリット」があるということである。
中国人が言う「メリット」というものは、
日本人のそれと違い、「メリット」であればその形はどんどん変わっていってよい。
これはもう「ドラムクリニック」ではないのだ!!
ファンキー末吉という「人間」が、
「ドラム」という楽器を使って「人間力」によって人を「感動」させる「パフォーマンス」なのだ。
それが少なからず関わりある中国人に「メリット」がある。
それだけのことなのだ!!
ワシは少なからずこのプロジェクトに魅力を感じている。
そのひとつはまずここが「外国」であること。
自国内でどれだけ「有名」でもその実力がない人達をたくさん知っている。
自分だけはそうなりたくないと昔から思ってた。
だから爆風銃がコンテストでグランプリを取っても、
「これはマグレで取れたんではない!!
来年顔も変えて名前も変えてエントリーしても必ずまたグランプリを取れる!!
これは俺たちの実力なんだ!!」
と思ってた。
だからプロダクションがアーティストよりも強い力を持つ「芸能界」に強い反発を持っていた。
ところがここは「外国」である。
自国でどれだけ有名であろうが外国に来てしまえば何の役にも立たない。
ワシは「スティック2本」だけでここで「勝負」しているだけのことなのである!!
もうひとつは毎回たくさんの子供達がワシと記念撮影をし、
サインをねだってゆくことである。
かれこれ数十カ所の街を廻って来た。
反日感情など会ったこともない!!
かれこれ数万人の子供達にサインを書いた。
北朝鮮でもそうだったが、
その国がどれだけクソっ食らえであろうが、
そこで暮らす子供達はどれも素晴らしい!!
子供に罪はないのである!!
日本のマスコミもあらゆる日本人も、
まだまだ中国人のことを理解していない。
世界第二位の経済大国となったこの国が、
ひょっとして世界を滅ぼしてしまうだろう危機感をそんなに持ってない。
ワシはこの国がいつか日本を巻き込んだ世界と戦争をするのかも知れないと思っている。
そんな予想が当たらないに越したことはないが、
北朝鮮だ中国だがもし日本と戦争したとしても・・・
その昔アメリカが日本と戦争をしてた時代・・・
Jazzという素敵な敵国の音楽に魅了された日本人が、
売国奴と呼ばれる危険性をものともせずに、
ラジオから流れるチャーリーパーカーを譜面に起こしていた・・・
そんな時代が日本にだってあったのだ。
平和のこの時代に、中国が反感を持っている国のひとりのドラマーが、
中国人アーティストでさえ行ったことがないような街に行って、
ひとりでドラムを叩いて何もわからないその土地の人達を感動させる。
これは現在世界中の人間の中でワシしか出来ないことなのだ・・・
「今年最後に揚州を選んだのは何でかわかるか?」
中国側の担当者、沙泳江はこう言った。
「輪廻ってバンドの烽火扬州路って曲があっただろ」
アホの考えることである。
自分がやっていることは全て「ロック」だと思っている。
それに付き合っている日本のアホがいる。
だからロックは美しい!!
アホでなくてはロックは出来ない。
アホこそ世界を救うのである!!
来年も、再来年も・・・ワシとこのアホが生きてる限り、きっとこのツアーは続くに違いない・・・
烽火扬州路(轮回)
凭谁问,廉颇老矣尚能饭否!
千古江上英雄曾道寄奴曾住,
人道是舞榭歌台风流总被雨打风吹去.
斜阳草树,
寻常项末人道寄奴曾住
想当年金戈铁马气吞万里如虎.
权家曹操,封狼居婿,
赢的仓皇呀仓皇北顾
四十三年呀,望中尤记,
烽火扬州路,烽火扬州路.
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
凭谁问,廉颇老矣尚能饭否!
千古江上英雄曾道寄奴曾住,
人道是舞榭歌台风流总被雨打风吹去.
斜阳草树,
寻常项末人道寄奴曾住
想当年金戈铁马气吞万里如虎.
权家曹操,封狼居婿,
赢的仓皇呀仓皇北顾
四十三年呀,望中尤记,
烽火扬州路,烽火扬州路.
啊!!!
咽!!!
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
可叹回首,壁里瓷下,
一片神鸦社鼓
呦呵!!!
ファンキー末吉ひとりドラムツアーの軌跡(こちら)