
2008年9月27日
全中国ドラムクリニックツアーその10、河南省「濮陽」
おもしろおかしかった平頂山を後にして、
一同また車に乗って次の街へ向かう。
一同と言ったのは、車は平頂山パール倶楽部の王先生が用意して、
彼も一緒に次の街まで我々を送りに来たのである。
濮陽・・・どこにあるのかわからんばかりか・・・読めん・・・
どうやらPuYangと読むらしい。
車を走らせること3時間。やっとその街に着いた。
・・・更に田舎である・・・
出迎えたのは政府高官達。
今までと全然勝手が違う。
どうもここのパール倶楽部は、
今までのようにミュージシャン崩れが運営しているのではなく、
地元の歌舞団に属する政府の組織が運営しているらしい。
早く会場でドラムのチューニングをしたいと言うワシの願いは却下され、
そのまま政府高官達と昼食に行くこととなる。
黄河のなまず料理。
「頭を食べる時はこう食べてそれにはこんな意味があって、
腹を食べる時はこう食べてそれにはこんな意味があって・・・」
延々と説明を聞かされるので食った気がしない。
また話題が全然合わない。
部屋を借りたらいきなりその大家が帰って来た話や、
嫁が貧民街に嫁いで来た話や、
ましてや香港でウンコもらした話なんぞは政府高官の前ではご法度である。
またこの人たちは日本からのお客さんだから一生懸命日本の話をしたがる。
政治のこと、経済のこと・・・
どれもワシの苦手なことばっかである。
困った歌舞団の団長は日本の文化に話を振る。
「日本の舞踏を一度テレビで見ましたが、こうやって踊るんですか?」
知らん!
ワシらの世代の日本人は、
アメリカの服を着て、アメリカの音楽を聞き、
生活をアメリカのようにすることしか考えてなかった。
日本の若者は日本の伝統文化に興味がない。
邦楽をダサいと思い、
日本舞踏たるやワシ同様全然知識がない。
この話題もダメかと思った政府高官はオリンピックに話を振る。
「オリンピックの開幕式はどちらで見られましたか」
もちろん
「いやー日本で見たけど、
あんな金あるんだったらもっと四川省復旧に使えよな。
交通は規制して住みにくくなるし、
ミュージシャンは仕事なくなって干上がってるし、
あんなのクソッタレだよ」
なんてことは口が裂けても言えない。
「いやー素晴らしかったです。中国の発展を心からお祈りいたします」
いやーほんと疲れる。
一言で言い表すと、「ワシはあんた達と住んでる世界が違う」ということである。
そんな政府主催のドラムクリニック(これ自体がもうどっかおかしい)、
国の機関のひとつである「中原文化宮」で行われた。
ここは地元の共産党の会議などを行うところである。
アカンじゃろ・・・
まあでもどんなところであれやることは同じである。
ドラムを叩く。
それだけである。
また田舎なのでクソガキ、いやお子さんたちが元気がいい。
観客も
「このチャンスを逃したら次にこの人がここに来ることはない」
と思っているので「もう一曲!もう一曲!」と非常に熱烈である。
久し振りにXYZのWingsもやった。
10分を超すこの曲を客は非常に熱心に聞く。
そして後半のツーバスになった時に客は拍手を送る。
・・・まるでカラオケで1番を歌い終わった時に送るような拍手を・・・
まあいい。
ロックをどのように聞こうがそれは聞き手の自由である。
ツーバスで頭を振ろうが、
50過ぎのオッサンがしんどそうに叩いているのに感心して拍手をしようが、
それは全て聞き手の自由なのである。
大事なのはワシ自身が常にロックの気持ちを持ち続けているかどうかである。
演目が全て終わり、
政府高官はまたワシをもてなすべく宴を用意する。
もう勘弁してくれー・・・
しかし主役が参加しないわけにはいかない。
こんな時ってワシ・・・酒がまずくて喉を通らないのよね・・・
そんな中、ドラムの片づけを終えた若い衆が帰って来た。
連れの彼女はかなりのべっぴんさん(死語)である。
「こいつは無口だからなあ・・・」
政府高官はそう言って彼を紹介するが、
話がロックや音楽生活に及ぶと喋る喋る・・・
最後には彼のドラム演奏を携帯で撮影したものまで見せてくるから恐れ入る。
彼女も一生懸命彼に喋らそうとするし、
何かワシから話が聞けて彼のためになればと一生懸命である。
・・・いいカップルじゃないの・・・
普通なら美女を連れた若いミュージシャンは徹底的に苛めてやるのに、
今日はこのふたりのことを非常に好きになった。
聞けば彼も同様に北京に出て行って頑張ったけど、
帰って来て今は歌舞団でドラムの仕事をしているらしい。
「ロックとは縁遠いと思っても心がロックだったらそれでいいんだよ」
ワシは一生懸命彼を、そして彼を応援している彼女をも激励した。
こんな田舎でいたって幸せはきっとある。
幸福在哪里?(幸せはどこにある?)
幸福在这里!(幸せはここにある)
なのである。
彼ならきっと今日ワシが演奏したWingsの歌の内容を理解出来たと思う。
友達が出来た。
こんなところにでも友達がいる。
ワシはなんて幸せな人間なんだろう・・・
平頂山の王さんも
「君と別れるのは辛いよう、もっと一緒にいたいよう」
と言いながら帰って行った。
移動はとてつもなくしんどかったけど、
今回はいっぱい友達が出来て幸せな旅立った。
翌日の帰りは長距離バスである。
平頂山の友人たちの言うには、
平頂山から北京まではバスで8時間なので、
まあ5時間もあれば着くんではないか、と。
政府高官達はこの日も宴を用意していて、
夜のバスで帰ればよいと言うのを、
ワシはありがたく固辞して「朝一番で帰る」と言い張った。
実はその後に行く予定だった淄博(何と読むのかわからん)と青島は、
会場の都合で日程が来月に変更となり、
やっと今日帰れるのである。
もう一日などワシの肝臓がもう持たん・・・
政府高官を振り切ってやっとバスに乗り込む。
幸いなことに寝台バスである。
自由席なので一番乗りして一番前の上段を陣取る。
このまま寝て5時間なら悪い旅ではない。
「悪い知らせがあるんだ・・・」
酒飲みイスラム族がワシに小声でそう言う。
「どうしたの?」
「このバス・・・北京まで9時間かかるんだって・・・」
寝返りも打てない狭いベッドに缶詰めになって、
結局9時間半かかってやっと北京に着いた。
しんどいよう・・・
明日は香港に行ってWingのコンサートリハである。
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