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2014年7月 7日

はっつぁん祭

去年この世を去ったはっつぁんゆかりのミュージシャンが集まって、
はっつぁんの曲、もしくはゆかりの曲のみでライブをやろうという企画、
私は「ハウスバンド」のドラマーとして呼ばれた。

ところが先日リハに行ってみると、
ワシの他にも衛藤浩一はじめいろんなドラマーが参加するので、
純粋にワシがドラムを叩くのはたったの3曲、
それと全員参加のセッションのみである。

ワシがドラムを叩く曲の中には渡辺英樹、田口智治のおふたりのバックもあり、
あの「Pさん」ことパッパラー河合さんが歌う曲のバックもある。

リハには渡辺英樹さんは30分前に着いているというのに、
Pさんは30分しかリハ時間ないのに30分以上遅刻して来る(笑)

それでもちゃんとギターを持って来ただけよい。
ある時なんかギター忘れて現場来て、
「お前なにしにここに来たんや!!」
ということもあった・・・

その辺はC-C-Bの田口くんも似たようなところがある。

王様ツアーのゲストで熊本呼んだ時も手ぶらで来て、
小屋にキーボードがなくって大慌てしたこともある。

この日のリハにも田口くん、
当然ながら与えられた曲の譜面すら持って来てない・・・(笑)

どんなバンドにもこういうメンバーがひとりいて、
C-C-Bでは田口くん、爆風ではPさん、
そしてTHE GOODBYEではさしずめえとーさんであろう・・・

魅惑の3トップがこの日に集結した!!(笑)

Hacchanmatsuri3top.JPG

さて話はまたPさんに戻るが、
往々にして遅く来るヤツほど早く帰るもので、
与えられた曲を1回だけ歌ったらもうギターを片付け始めている(笑)

「もう一回やらんの?」
と聞くと、例によってきょとんとして不思議そうにこう答えるのである。

「やるの?」

何が不思議なのかワシらにはわからない(笑)
そもそもが一回だけでええなら別に当日リハで十分なのである。

「不思議なことを言う人達だけどみんながやりたいならやってもいいよ」
と言わんばかりにまたギターを取り出してもう一回歌う。

しかもその構成は一回目とはもう違っているのだ(笑)

ワシはメンバーに
「歌が入ったところがAメロということで、あとはフリー!!」
と説明する。

そしてその構成が違うもう一回を歌い終わったら、
もう問答無用でさっさとギターを片付けて帰ってしまうのだ。

もちろん本人は自分が違う構成で歌っていたことなど夢にも思っていない・・・(笑)

そして衝撃の事実が発覚する。
何と彼は当日の昼間には7時間耐久マラソンのスケジュールを入れているのだ(驚)

まあいい、この人に大きな期待をしてはいけない。
本番にさえ来てくれればそれでいいのだ・・・

・・・ただしそれさえもが「忘れていた」で実現しないことが多いのだが・・・


兎にも角にも当日がやって来た。
Pさんのことは一切忘れて通しリハーサルが始まる。

実のところワシはこの段階で既に涙腺が崩壊しかけていて、
目の前のえとーさんをイジメて気を紛らわせる(笑)

何にそんなに涙腺を崩壊させられるかと言うと、「曲」なのである。

THE GOODBYEの曲と言えばやっちんか義男の曲がメイン曲で、
はっつぁんの曲はまあ言ってみれば「アルバム曲」というか、
いわゆる「メイン」ではない。

THE GOODBYE解散後に組んだバンドの曲とか、
まあいわゆる「売れてない」バンドの曲なんだからやはり「マイナー」な曲である。

ところが世の中で言うその「マイナー曲」ばかりを並べたこのコンサートメニュー、
これがどの曲もいい曲ばかりで素晴らしいのだ・・・

「マイナーで何が悪い!!」
はっつぁんがまたあの笑顔でそう言っている姿が見えるようだ。

ワシは自分も曲を書いたりするからよくわかる。

レコード会社は絶対これらの曲をメイン曲に持って来たりしない。
そう言えば河合も選曲会議の時に
「これが売れるの?」
という言葉をよく使っていた。

そう、ワシらは「売れるため」に曲を書いて来た。

まるで大人になるにつれて恋が上手になって、
いつの間にやらあんな無防備な恋をすることが出来なくなってしまうように、
いつしか曲も「上手に」書いていってしまう。

そうならなければならなかったのだ。
いつの間にやらワシらは「売れるため」にバンドをやっていた。
幼稚なこと、子供っぽいことは捨てて「大人」にならなければならなかった。

でもはっつぁんはいつも「愛と平和」のために曲を作ってた。
そしてやりたいことをやるためにバンドを組んでいた。

「それしか出来ねぇんだから仕方ねーだろよ〜」
とまたグラス片手に笑ってるはっつぁんの顔が思い出されて来る。

リハが終わって英樹と顔を見合わせて、
「飲みますか〜・・・」
となった。

ワシはどうせ3曲しか叩かないのだ。
普段は叩く前には飲まないワシも、
「飲んじゃえ〜」
とはっつぁんにまた笑いながらそう言われているような気がする。

HacchanmatsuriHideki.JPG

いつの間にやら楽屋で宴会が始まった。

司会の綾和也と会うのも4年振りの結婚式以来である。
アホな思い出話で笑い転げながら本番が始まった。

主催者の池沢もとい未亡人となった加賀ゆう子さんの挨拶から・・・

HacchanmatsuriIkezawa.JPG

演目が進むにつれ酒も進む・・・

HacchanmatsuriWasada.JPG

タイムスケジュールをかなり余裕を持って作っていたため、
2バンド目が終わったら既に10分巻き!!

仕切りたがりのワシは司会の綾和也、衛藤浩一に伝令を飛ばし、
もっと各出演者にはっつぁんとの思い出話を語らせるよう指示を出す。

実際THE GOODBYEに加入する前に組んでいたバンドとか、
ワシはおろかやっちんでさえ知らなかったりするのだ。

ワシらの知らないはっつぁんのエピソードをもっと聞きたい・・・

しかしそんなこんなしていると結局、
ワシらもお客さんもMCに曲に釘付けとなってトイレに立つヒマもないのだ。

「休憩を入れよう」
とやっちんが言い出して15分ほどゆっくり休憩。

やっちんの出番から後半戦がスタートするのだが、
その次がワシがドラムを叩くコーナー・・・

と言えばPさんが来てなければならないところがまた来ていない・・・

電話にも出ずにLINEも返さない。
池沢はだんだん青ざめた顔になってゆくのだが、
慣れているワシや和佐田は、
「まあ本番終わる前に来てくれればそれで御の字ですから」
と余裕である。

まあ何とか間に合ってワシからPさんを紹介してステージに呼び込む。

いや〜出て来たら満場の拍手で気をよくしたのか喋る喋る!!(笑)
結局持ち時間10分のところ30分も喋ってたのです(驚)

それにしてもこの起爆力・・・
爆風スランプがブレイクしたのはこのPさんのエンターテイメントによるものは大きいな・・・

爆笑の30分が終わり、30分押しで最後のコーナーが始まる。
いや〜飛び込みで飛び込んで来た義男がまた喋るのな・・・(笑)

でもTHE GOODBYEの曲歌う時はちょっと泣いてたな。
きっと義男もワシと同じ気持ちだったのだろう。
ステージ袖でずーっと全ての出演者を食い入るように見てたやっちんも・・・

はっつぁんの曲・・・どれも素晴らしいな・・・

最後に全員参加のセッションが終わって、
はっつぁんの曲流して写真をスライドショーで流すのじゃが、
さすがに酔いも回って涙腺崩壊したな・・・

はっつぁん・・・まるでジョンレノンのようじゃないか・・・

考えてみると曲なんかしょせんその人が「どう生きたか」という生き様でしかないなのだ。

化粧して一生懸命着飾って生きてたあの頃・・・
化粧も上手くなって、いつでもそこそこの「自分」を見せられるようになった。

そしていつしか化粧しなければ、
着飾らなければ街も歩けなくなってしまった・・・

そんな感じでしか曲なんか書けなくなっちまった・・・

金も出来たし名声も出来た。
でもいつも何か物足りなかった・・・。

着飾ってないアホな「仲間」がいたからこそ、
着飾らなくてよいそんな「付き合い」があったからこそ今がある。

そんな「仲間」が死んでこのコンサートがあるまで、
そいつがそんなジョンレノンみたいなヤツだってことすら知らなかった。

ジョンレノンのように有名じゃないけれど、
たかだかこの会場いっぱいの人ぐらいにしか知られてなくても、
ジョンレノンのように生きて、
ジョンレノンのように死んでいった仲間がいた・・・

そいつの仲間がまたみんなバカばっかで・・・
アホばっか言いながらバカやって・・・

そしてワシらもいつかはあんたのところに行く・・・

ワシが死んだらそんな仲間がまた集まって、
こんな風にワシの曲をみんなで歌ってくれるのか・・・

来年もまたあんたの歌をみんなで歌おうじゃないか!!
アホな仲間が集まって、あんたの歌を歌おうじゃないか!!

飛び切りアホで飛び切り素敵な仲間に乾杯!!

HacchanmatsuriKanpai.JPG

はっつぁん・・・あんたが残していったこの仲間たちは・・・
ほんまにアホで最高なヤツらです!!

HacchanmatsuriFinale.jpg


HacchanmatsuriKazuya2.JPG

HacchanmatsuriKazuya1.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:10:10 | 固定リンク

2009年10月11日

イベント無事終了!!

いやー本当にご苦労だったのは和佐田である。
気苦労でやせ細って見る陰もない(ウソ)。

まずPさんの機材を楽屋からステージに運ぶ。

WasadaSettingForP1.JPG

この体格できびきび動かれると本当にきびきび感じるから不思議である。

そしてセッティング。

WasadaSettingForP2.JPG

どうしてギタリスト本人がセッティングしないのか?などと考えてはいけない。
「スター」は自分でセッティングなどしてはいけないのである。
イベントプロデューサーである和佐田が全てをせねばならない!!

WasadaEating.JPG

このままやせ細って風で飛ばされてしまっては困るので食事。
ちなみにこの弁当の手配もプロデューサーの仕事である。

WasadaSingingKyotoMyLove.JPG

イベントの最後を飾るのは誰の歌でもない。
京都と言えばこの人!!
バーベQ和佐田が歌います「京都My Love」!!

こうして一連の大イベントは無事に終了した。
和佐田は居残って残務処理であるが、
一同はそのまま新幹線で東京まで帰って行った。

偉いぞ和佐田!!
頑張れ和佐田!!
世界の平和はその痩せこけた肩にかかっている!!

Posted by ファンキー末吉 at:08:24 | 固定リンク

2009年10月10日

Pさん無事に御到着!!

出演者、スタッフの全てが
「河合さん来るかなあ」
と言うのが朝の挨拶になっていた頃、
京都駅新幹線ホームで待ち構えてたスタッフから伝令が走った。

「河合さん無事GETしました!!」

その伝令は平安高校じゅうの関係者に即座に伝わり、
一堂安堵の空気に包まれていたが
「水をさして悪いが、
ギターを忘れるとかエフェクターを忘れるとか、
とかくあの人に関して安堵は御法度やでぇ」
とワシ。

しかし本人さえ来ていれば楽器は何とかなる。
例え持って来たギターに弦が張られてなくても何とかなるのである。

本人が着いた。
みんな拍手で迎える。
思えば来るだけでこんなに大騒ぎされるギタリストはいない。
これを人は「スター」と言うのである!

ギターは持って来たか?
持って来た!
弦は6本ちゃんとあるか?
ちゃんとある!
エフェクターは持って来たか?
持って来た!!

順調過ぎるほど順調である。
これでもうステージでミストーンを出そうが例えギターが全然弾けなくてもそれでもいいのだ。

何故ならば彼は「スター」なのだから!

大きな安堵の中リハーサル。
これでちゃんとギターを弾いてるのだから順調過ぎる!!

「河合さん到着」のニュースはスタッフや出演者のみならず
心配してくれた多くの友人達の間を駆け巡り、
「よかったですね」と多くのメールを頂いた。

しかしワシは安心いていない!

全てが順調である時ほど何か大きな事件が起こるのだ。
例えば・・・

「出番まで4時間もあんの~?」
とPさん、
ひょっとしてどっかに出かけて行ってそのまま寝てしまったらどうする?!!
そんな時に限って携帯を置いて行って、
結局出番まで帰って来ないとか・・・

まさかそんなことが・・・
と人は思うかも知れない。
しかしその「まさか」が起こり得るのがPさんなのである。

「こりゃ河合に外出禁止や言うとかないかんなあ」
と三井はん。
河合を探すが見当たらない。

「西本願寺見物に行かれましたよ」
とスタッフ。

「なぜ止めない!!」
とワシ。
言われてきょとんとするしかないスタッフ。

みんなまだまだPさんをわかっていない。

Posted by ファンキー末吉 at:12:25 | 固定リンク

Pさんの思い出その2

初日の前夜祭は順調に成功した。
各出演者をホテルに送迎してほっとした和佐田をメシに誘った。
「ワシは十分なチャリティーが出来てないからこのメシ代をチャリティーするわ」

この店は大衆食堂形式で、食べたいものを取ってからお勘定をする。
しかしお勘定を払う段になって発覚!!
「財布を忘れて来てしまった・・・」

しかしワシのポシェットにはいつもパスポートと人民元とドルが入っている。
いついかなる時にそのまま海外逃亡出来るようにであるが、
幸いにも少々日本円が入っていたのでそれで払おうとしたが、
もうちょっとという額でお勘定が足りない。
和佐田はちょうどトイレに行ってたので、

「藍ちゃん・・・ちょっと小銭持ってる?・・・」

労をねぎらうどころか、ボランティアで駅のホームまで送迎等、
歌うだけではなくスタッフとしてもお疲れの藍ちゃんのお金を使わせてしまった。

藍ちゃん・・自分の音楽をやるためにバイトしながら一生懸命頑張ってる君のお金を使わせてしまった・・・

情けないが仕方がない。
いろいろ面白い話でも話してあげながら今日の労をねぎらってあげたい。

「明日・・・Pさん・・・時間通りに来るかなあ・・・」

あの秋田の話で笑わない人はいない・・・と思ったら藍ちゃんは少々不可思議な表情・・・
つまり自分にとって雲の上の人であるPさんはいったいどういう思考回路の下でこのような行動を・・・とか考えてるに違いない。

よし!もっと凄いエピソードを言ってやろう!!
これを言えばPさんがあなたや私たちとは違う思考回路を持っているとわかるだろう。

和佐田が入る前の本物の(和佐田毎回ライブで卑屈にそう言う)爆風時代、
車で寝泊まりしての貧乏ツアーはさんざんやったことがあるが、
イベンターがついて初めて招待されてのツアーの時、
言わばイベンターというのはアーティストを接待するのが仕事である。

「みなさん、今晩は何が食べたいですか?」

また悪いことにそれをPさんに向かって聞いてしまった。
ジャンクフード大好きのPさん、
普段はレトルトのカレーのルーを、
暖めるのはめんどくさいから隅っこを切って口の中で暖めながらチューチュー吸ってた時代である。
迷わず、

「マクドナルド!!」

ワシはびっくり仰天して「それだけは勘弁してくれ!!」とわめいた。
地方には地方でしか食えない旨い物が山ほどあるというのに、
何を好き好んでイベンターの奢りでマクドを食いに行かねばならないのか・・・

Pさんは真顔でこう言う。
「末吉はマクドが嫌いなんだ・・・」

いや!!好き嫌いの問題じゃない!!地方に来てまでどうしてマクドを食わねばならないのだということである!!

雰囲気を察したPさん。
と言っても今でこそKYという言葉があるが、
それを超越した人間にはこんな小市民であるワシの考えなんぞ理解出来ようはずがない。

「じゃあロイヤルホスト行こう」

これにはさすがの中野も切れた。
「お前はバカか!!!」

しかしPさんは一向にワシらの考えを理解出来ない。
「みんなロイホ嫌いなの?おいしいよ」

そんな問題ではない!!
何で旅先にまで来て、イベンターの奢りでみんなでロイホに行かねばならないのかという問題である。
最後の最後にはPさんが切れた。

「よくわかんないけど、だったら俺に聞かなきゃいいじゃん!!」

その通りである。
その理論は全くもって正しい。
この場でPさんに何が食べたいか聞いたイベンターが悪い!!
Pさんはこれっぽっちも悪くない!!

一事が万事こうである。
Pさんはいまだかって間違ったことは言ったことがない。
遅刻をして人に迷惑をかけたことはあるが、
一応本番を飛ばしたことはないので、
明日は例え寝過ごして北九州まで行ったとしても、
恐らくは本番までには必ず現場に着いているであろう。

和佐田は大人である。
Pさんが明日時間通りに新幹線に乗るか、
はたまた京都駅で寝過ごさずにちゃんと降りるかなんてことは一切気にかけていない。
和佐田は和佐田のやるべきことを一生懸命やるのみなのである。

人間は人知を超えたことを理解することは出来ない。
ましてやPさんを理解したりコントロールしようとしたり、
そんなことを考えること自体が神への冒涜である。

和佐田・・・明日も頑張れよ・・・

乾杯しようとして自分のビールのジョッキが空になってることに気づいた。
しかしもう日本円は一銭も手元に残っていない。

「和佐田ぁ・・・すまんがビール一杯奢ってくれんか・・・」

労うはずの和佐田に奢ってもらった・・・
和佐田ぁ・・・明日もしPさんが時間通り着いたとしたら、
ワシはお前の好きな物は何でも奢ってやるぞぉ!!!

心に固く誓うワシであった。

Posted by ファンキー末吉 at:01:06 | 固定リンク

2009年10月 9日

平安高校着いた

ワシがおアホなブログネタで河合さんの昔話をUPしてる頃、
和佐田は自らのブログで
「しんどいよー」とコメントしていた。

しんどい要因にはそれはそれはいろんなことがある。
当初想像してたよりはるかに大きなイベントになってしまい、
一番テンパっているのは当の和佐田である。

ワシは少しでも負担をかけないよう、
渡されたチケットを乗変することもなく、
八王子からの横浜線に乗り遅れることもなく、
中で朝から缶焼酎を飲むこともなく(?)
新横浜で名物の崎陽軒のシューマイだけだはなく
酒のつまみになるということで鯖寿司まで買って新幹線の中で酒を飲むでもなく(?)、
名古屋を過ぎた頃酔いつぶれて田川くんに起こしてもらうこともなく(?)、
無事に平安高校に着いて領収書の整理をしている和佐田を見た時、
背中がひと回り小さくなったと感じたのはワシだけであろうか・・・

WasadaSenaka.JPG

思えば幸薄き男である。
末吉ナイトでは自らの体験を語って涙(笑い)をさそっていたが、
その前にでライブをやった時にはファンから
「和佐田さん、この前のプロデュースナイト物凄くよかったです」
と言われるので、てっきり和佐田ナイトだと思ってたらその前の二井原ナイトのことであった。

「数曲しか弾いてないやん!!」

頑張れ和佐田!!
ワシはお前のことを評価しとるぞ!!
この前のプロデュースナイトもとってもよかったぞ!!
(橘高ナイト、3曲しか弾いてないけど)

Posted by ファンキー末吉 at:13:50 | 固定リンク

2009年10月 7日

Pさんの思い出

誰よりも遅く来て誰よりも早く楽器を片付けて誰よりも長くダベって帰って行ったPさんの話をずーっとしていた。

「いや、な、今日のリハが近づくにつれてな、
あ!河合さんギター家に置いてなくって持って来れんのちゃうかな思て」
と和佐田。
「楽器は事務所の倉庫に置いてて当日になるまでそのこと忘れとるってな、
あるある・・・」
とワシ。

「それでな、慌てて電話したんよ。
ギター忘れたらあかんで言うてな」
と和佐田。
「そりゃ賢明やな」
とワシ。

「そいでな、はっ!と思い立ってまた電話したんよ。
エフェクターもちゃんと家にあるか言うて」
と和佐田。
「うん、それも賢明やな」
とワシ。

「でもそれを横で聞いてた友達がな、
いくら何でも子供やないんやから、と」
と和佐田。
「わかっとらんな、その人」
とワシ。
「ほんまわかっとらんな」
と和佐田。

ワシらは20年近く前の話をしみじみと思い出す。

クリスマスイヴの秋田でのコンサート、
その日はおりしも大雪であった。
朝の羽田発の飛行機が欠航すればあわやコンサートが中止になるところであったが、
何とか飛ぶんではないかとなったその前日、
スタッフの心配は今度はPさんがちゃんと遅刻せずに来るかということである。

前の日から散々スタッフに釘を刺されたPさん、
何せ乗り遅れたら他の便は年末なので満席だし、
陸路では開演時間に間に合わないのでコンサートが中止になると聞いて、
絶対に遅刻は出来ないとばかり寝ずに羽田にやって来た。

スタッフ一堂安堵し、チケットを渡して機内集合。
ワシもいつものように空港内でビールをひっかけて搭乗する。

ところが今度はなかなか飛行機が離陸しない。
乗務員が慌てて走り回っていたが、
今度はうちのスタッフが慌て出した。

Pさんが乗っていない!!!

スタッフが懸命に説得するが、
たった一人の乗客のためにこれ以上離陸を遅らせるわけにはいかない。
飛行機はPさんを置いたまま1時間遅れで離陸した。

さて、ではPさんはどこで何をしていたのか?・・・

絶対に遅刻は出来ない!
その大きな緊張感の中、
寝ずに空港にやって来たPさん。
チケットを受け取った瞬間に、
その安堵感のため、ゲート前のベンチに座ったまま寝てしまった。

携帯電話などない時代である。
空港じゅうに「秋田へご出発の河合康夫様」とアナウンスしても起きない人間を起こす術などない。
本人が自力で起きることを願うしかないのである。

このまま夕方まで熟睡してたら本当にその日のコンサートは中止であったが、
運良くP氏は自力で目覚め、事務所に電話をした。

「僕はこれからどうすればいいのでしょう」と。

事務所はすぐに陸路を調べ、
満席の飛行機のキャンセル待ちよりも彼を上野に走らせた。

走る走る俺ひとり 流れる汗もそのままに
たとえたどり着いても 開演に間に合わないけど

幸いこのツアーのメニューは途中に20分の長い喋りが入る。
我々は客に事情を説明し、
3人でそのMCコーナーからコンサートを始めた。
順調にいけばこのMCコーナーが終わった頃Pさんは着くはずである。

しかしそれは「順調にいけば」と言う前提での話である。
何せ彼は神戸での仕事に寝坊し、
次の新幹線に飛び乗ったが、
中で寝てしまって岡山まで行ってしまい、
慌てて飛び降りて反対側の新幹線に飛び乗ったらそれは新神戸に停まらない新幹線で、
結局新大阪まで行ってしまい、
いつまでたっても現場に来られなかった過去を持つ。

当時はまだ秋田新幹線など開通していない。
盛岡まで東北新幹線で行って、
在来線に乗り継いで秋田まで来ねばならない。
新幹線でまた熟睡でもされたらアウチである。

「僕、今から盛岡まで迎えに行きます!!」
当時のマネージャーだったM氏がそう言う。
先に盛岡に行って、東北新幹線が着いたら座席まで行って寝てたら引きずり降ろして在来線に乗せるのだ、と。

それを聞いてた和佐田、
「何もそこまでせんでも・・・子供じゃないんやから」

それを聞いた途端、
滅多に怒ったことのない温厚で有名なM氏が怒気を荒げてこう言った。

「じゃあこれが大人のすることなんですか!!!」

和佐田よ、今回のイベントが成功するためには、
トリを飾るバンドのギタリストが現場に着いてなければならん。
あわよくばちゃんと予定通り新幹線に乗ったとしても、
予定通り京都で降りてくれるとは限らんぞ!!

このイベント、終わってみるまで何が起こるやらわかったもんじゃない。

http://www.on-ko-chi-shin.com/

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いやー変わっとらん

久々に会う人間が変わってなかったら人は微笑ましくなるものだが
彼の場合、それを通り越して爆笑である。

まず太りもせず痩せもせず、
トレードマークの弁髪をゆえなくなった頭髪以外の外見が一切変わってないのは素晴らしい。
それに比べて当時から10kg以上太ったワシと和佐田は情けない。

昔話を中断してまで「早うやろや」と仕切りたがりのワシは変わっとらんとしても、
ギターケースからギターを取り出して初めて弦が切れてることを発見する河合さんに一堂爆笑。

そして一回通し終わったら有無を言わさず一人機材を片付け出す河合さんにまた爆笑。
ちなみに予想通りちゃんと遅刻して来るのにも爆笑。

パッパラー河合、やっぱこの人はただ者ではない。
問題は当日の早朝の新幹線に一人でちゃんと乗れるかである。

和佐田チャリティーイベント、
一筋縄では行かないであろう。

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