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2018年7月 8日

恩師との思い出

おい、宇多津町長の娘であり、玉木雄一郎議員を国会に送り込んだ元敏腕秘書のH女史、お前は人を集めるのが趣味かい!(笑)

四十九日終わって大阪に帰る前に、同級生から県会議員まで声をかけて「ファンキー末吉を囲む会」なるものを企画している(>_<)

「こいつ絶対ワシをどっかから出馬させようとしとるな(笑)」
と思いつつも
「ミュージシャンやっとる間は絶対に政治と宗教だけはやらんからな」
と言いながら出席させて頂いたら、なんと高校の時の恩師がいらしてくれていた。

宇多津町長の娘、玉木雄一郎議員を国会に送り込んだ元敏腕秘書のH女史、人を集めるのが趣味かい!(笑) 「ファンキー末吉を囲む会」に県会議員から同級生まで集まって、一番嬉しかったのが恩師の北条先生!! 今日も思わぬエピソードで目頭が熱くなりました!! 続きはブログに書こう・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

御歳74歳、まだまだお元気で大手前高校で働いてらっしゃるというのでびっくりした。

私の通っていたこの大手前高校という学校は、香川県でも有数の進学校。
今ほど履修に関して厳しくなかった当時、
体育など受験に関係ない授業は全くなく、文化祭や修学旅行などもない、
それはもう「高校」というよりも「予備校」、
もっと言えば当時の気持ちとしては「監獄」だった。

まあこんな学校なのだから勉強して偉くなるヤツはなるし、
落ちこぼれてグレるヤツはグレる・・・

後者がこの私(笑)
そこに赴任して来た担任がこの恩師である。

後に奥さんからこの話を聞くことになるのだが、
実はそれまでエリートサラリーマンだった恩師、
当時流行ってた「われら青春」とかの学園ドラマを見て、
「俺は教師になる!!」
と言ってサラリーマンをやめた。

大きな夢と希望を抱いて最初に赴任して受け持ったクラスが、この私のクラス・・・

そこには毎回ドラマに登場する「落ちこぼれ」がいた・・・それが私(笑)

きっと
「こいつを立ち直らせることが自分が教師になった使命なのだ」
とか思ったのであろう、私にとってはとてつもなく「暑苦しくてうっとおしい」先生だった(笑)

今の時代だとこんなことも皆無なのかも知れないが、
「今度の日曜日にみんなで先生の家に遊びに行こう」
となって初めて先生のお宅にお邪魔した時、
奥さんが私の顔を見てこう言った。

「あんたが末吉くん?!!」・・・

上記のエピソードを語ってくれたのはその時である。
どうやら先生はいつも学校から帰ると私のことを話題に出してたようだ(笑)

「この子は決して悪い子じゃない。こんなにリーダーシップがあるんだから、この子さえもっといいようにクラスを導いてくれたらうちのクラスは最高のクラスになる」
とかこぼしていたようだ。

「こんな監獄のような学校で何が最高のクラスじゃい!」
と当時はそんなことを思ってたのを覚えている・・・

そして今日の再会の時に、
先生からまた新しいエピソードを語って下さって顔を赤らめた。

「当時若い国語の先生がいらっしゃったのよ。
その新米の先生をいじめるみたいな感じかなぁ・・・
終業ベルがなる5分前に突然生徒が「起立!!礼!!着席!!」と号令をかけて強制的に授業を終わらせる・・・
全員が一糸乱れずそれをする・・・そんなクラスだったんですよ・・・
後でその先生に「なんてクラスなんですか」とクレーム言われましてねぇ・・・(笑)」

はい、それ・・・私が号令かけてました<(_ _)>

そして次のこのエピソードは今までも色んなところで語って来たから有名だが・・・

リッチーブラックモア率いるレインボーが来日して広島でコンサートをやるというので、他の学校のバンド仲間と学校をサボって見に行った。

他の学校は自分で学校に電話して
「風邪ひいたんで休みます」
とでも言えばそれでよかったのだが、
うちの学校は厳しいので必ず折り返し学校から確認の電話が来る。

母が学校からの確認電話を受けた時には、
もうドラ息子達は鈍行列車と連絡船で広島に向かっていた。
当時のことだから携帯なんかありゃしないので連絡なんかつきやしない。

コンサート終わってまた鈍行列車と連絡船に乗って真夜中に帰って来たら、おふくろはカンカン!!
そして学校に行ったら案の定先生が私を手招きして「カウンセラー室」に呼ぶ。

このカウンセラー室は当時私専用と言ってもいいだろう、色んなことでいつも呼ばれてはここで説教されていた。

「昨日はウソまでついて学校休んで何をしてた」
熱血先生はこの日も説教する気マンマンである。

「レインボーのコンサート行ってました」
「何やそのレインボーっつうのは」
「ロックです」

そんなやり取りの後、先生はこう聞いた。
「勉強とそのロックとやらとどっちが大切だと思ってるんだ」

その時に私はこう答えた。
「勉強は明日頑張れば取り返せるけど、レインボーは今日を逃したらもう2度と見れない」

さて熱血先生、いつもだとここからが長いのだ・・・(笑)

しかしその時、ちょっと考えて先生はこう言った。
「そうか、わかった。じゃあ勉強の方も頑張れ!」

拍子抜けして呆気に取られている私を尻目に、先生はさっさとカウンセラー室を出て行った!(◎_◎;)

そして今日、先生は更にこんなことも語ってくれた。
「あの時に私は思ったのよ。こいつにとって今勉強より大切なものがある。
どんな生徒にも今、勉強よりも大切なことがあるんだなということがわかった。
教師としてあの時、私は末吉に大切なことを勉強させてもらったよ」

私はその話を聞いた時、涙が出そうになった。
「先生、そんなええもんとちゃうんです。単なる悪ガキの子供じみた言い逃れですから(号泣)」
そんな言葉を涙と共にビールに流し込んで飲み込んだ。

今、その「ロック」とやらで生計を立てているわけで、
それも相成ってこのエピソードは「伝説」になっているだけのことで、
先生は今日、こんなこともおっしゃってた。

「末吉は昔からバイタリティーがあった。
こいつは何をやっても生きていけるな、そう思ってたよ」

そうなのだ。
例えその後私が「ロック」とやらをやってなくても、
私は持ち前のバイタリティーとやらで何とかこの世の中を生き抜いて、
そしてこのエピソードはきっと自分の人生の中で、きっと同じように「伝説」となってただろう。

そう言えば、それより前か後か、
あまりに成績が悪くてまたこのカウンセラーに呼ばれた時にこんなことを言ったことも思い出した。

「大学になんか行くつもりはない。学校もやめてしまってもいい。
僕は大阪に行ってブルースをやるんです!」

当時は四国の片田舎は関西の文化圏、
関西では上田正樹やウエストロードブルースバンドを筆頭とする大ブルースムーブメントが吹き荒れてた。

東京なんてところに行くつもりなんかサラサラない。
梅田か難波か、キタとかミナミとか言われているまだ見ぬ素敵な街の、
場末のキャバレーかどっかでドラムを叩いて、
人生に疲れたブルースな女性と一緒になって、
それこそブルースの歌に出て来るようなブルースな人生を送る・・・
それが若き日の私の「夢」だった。

そう言えばその時にも先生は、怒るでもなくたしなめるでもなく、こう言った。

「そうか、でも別の人生もあるかも知れんということも考えておいた方がいいぞ」

その通り、別の人生もあった。
ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってRockをやるか、
後には「大阪に行ってブルースをやる」という夢は、もう形を変えて別のものになってしまい、
そして東京を選んで今がある・・・

恩師とて後に私がこのような人生を送るようになるとは思ってなかっただろう。
ただ、恩師が言うように私はどんな職業についたとしても、きっと持ち前のバイタリティーとやらで何とかこんな風に生きて来てただろうと思う。

感謝すべきはそのバイタリティーを恩師は一度たりとも叩かなかったことである。

その「バイタリティー」だとか「リーダーシップ」とやらがいつもクラスを悪いように導く。
だけど恩師はそのことについて私を叱ったことがない。

ただただ家に帰ってはいつも奥さんに愚痴を言いながら
「どうすればよくなるんだろう」
などと悩んでいたのだ・・・(涙)

そう言えば先生の担当だった世界史が私はどうしてもダメで、
赤点で卒業すら危うかったのによく卒業出来たなぁと思う・・・

普通の学校だったら本当に留年してたかも知れないが、
ここにこの学校の「特殊性」がある。

当時商店の息子はその商店を継ぐのが暗黙の「常識」で、
私も家業だった中華料理屋「平和園」を継ぐであろうということで何も考えずに文系のクラスを選択していた。

しかしその実、文系の教科はどれもからきしダメで、
何故か数学だけはべらぼうないい点数を取ってた私に、
数学の比重が多い文系の大学ばかりを選んでくれたのはこの恩師である。

私の受ける大学は数IIIまで必要。
だが文系のクラスなので履修は数IIしかない。
数学の先生と相談して、
私だけ数学の授業は一番前の席で数IIIを自習、
数学の先生が他の生徒には数IIを教えながら時々私の自習を見る・・・

こんな型破りなことが出来たのも、
当時のこの学校が今ほど履修に厳しくなかったことと、
この学校が「大学に受かればそれでいい」というそんな「特殊」な学校だったからだろう。

「こんな学校だからこそ最高のクラスにするんだ」
と燃える熱血教師と、
「こんな学校だから俺は監獄の外でバンドをやる」
というこの生徒とは、
一見交わるところはないように見えて、
見事に当時の「青春学園ドラマ」のように、この落ちこぼれが恩師の指導によって立ち直ってゆく・・・

当時は「こんな最低な学校」と思ってたけど、
今思えばそんなことは決してない。

こんな学校だったからグレて「ロック」とやらを始めたわけだし、
こんな学校だったから自分なりに好きな教科だけいっぱい勉強して、
入口だけでも普通の人生を送ってみることが出来た。

だから「今」がある。

嬉しいかな恩師は私の「今」をよしとしてくれていることだ。
そしてそれは決して「成功したから」とかではない。

「末吉はやっぱり末吉だな」
そう思ってくれてることがこの落ちこぼれの生徒にとって何よりも嬉しいことなのである。

恩師にとっては一生忘れられない「最初に受け持ったクラス」であるが、
私たち生徒にとっても一生忘れられない高校生活である。

青春ドラマのように「最高の先生」と「最高のクラス」だったと思うぞ!!

Posted by ファンキー末吉 at:14:38 | 固定リンク

2018年7月 7日

母の四十九日

選んだように布衣のツアーの移動日に亡くなった母
四十九日もビッタシ例年恒例のはっつぁん祭りの翌日!!

娘と息子は先にキャンピングカーで出発し、
ワシはライブ終了後に夜バスでとりあえず神戸ぐらいまで行って、
着いたら車に合流して・・・

・・・とか考えてたらまず、
バスのチケットを1日間違えて取っていた(>_<)

楽屋ですぐさまキャンセル!!
・・・しかしそれ以前に関西四国地方は大雨で警報まで出ているそうではないか!!!(◎_◎;)

娘たちの車は高速の通行止めで苦戦ちう〜

翌朝新幹線で行こうと思ったが瀬戸大橋線が運休してて四国に渡れない(>_<)

こうなったら飛ぶか飛ばんかわからんが飛行機で行くしかない!!
・・・というわけで法事は15時からだが始発を予約!!

ライブ終わりでとりあえず蒲田まで行ってカプセルホテルで泊まる・・・

朝5時に起きて京急線で羽田へ〜
私の乗る便は飛ぶか飛ばないか7時の天候を見て決めるらしい・・・

結局「飛んでも降りられなかったら羽田まで引き返します」という条件の下離陸〜!!

高松はちょうどその時には雨はやんでたようで無事着陸〜
坂出までのリムジンバスに乗り込んで降りたところが元実家の前!(◎_◎;)

この実家の方は、両親が離婚して父親は家業の中華料理屋平和園、母親が当時借金だらけだった貸しビルをもらって、私は母の方についたのでふたつ目の実家ということになる。

やはり生まれ育った平和園が気になるので見に行ってみる・・・

そうそう、この3階が私の部屋で、まあいわゆる不良の溜まり場(笑)
ドラムセットからアンプから持ち込んで、
学校から帰ったらみんな集まって「ロック」なる「不良の音楽」を大音量で練習していた・・・

さすがに近所の人が「親の頭を疑います」と匿名でハガキを送って来て、
母がそれを無言で部屋のドアに貼り付けてたなぁ・・・(シミジミ)

商店街も散策してみたかったけど、
あいにくステージ衣装のまま、
つまり「Funky Sueyoshi」と大きく書いたFunkyTシャツで生まれ育った商店街を歩く勇気はない(笑)

迷惑をかけた近所の人に会わぬようそそくさとその場を後にした・・・


さて娘たちの方は何とか夜中に大村亭に着いたようだが、
あいにく四国に渡る橋はふたつとも通行止め!(◎_◎;)

もう四国に渡る手段はありませぬ・・・

まあ法事自体は喪主の私がいれば出来るのだが、
問題は遺影と喪服を車に積んで運んでもらっていることだ・・・

まあ遺影はどうあがいてももう仕方がない。
着替えがなくてもう臭くなってるのももう仕方がない(笑)

喪服がないのも仕方がないのだが、
FunkyTシャツはまあ黒だからいいとして、
この真っ赤な短パンはいかなるものか・・・(>_<)

お供え物を買いに、幼馴染の高木フルーツに行ったついでに、
「すまん、黒いジャージかなんか貸してくれんか〜」

・・・ってそう言えば親父の時にもここで黒い服を借りたのを思い出した(笑)

さてお供え物も買ったし、お花も買ったし、
納骨とやらもやるので線香などの墓参りグッズも買ったし、
時間通りにお寺に着いたらやはり誰も来ていない・・・

聞けば高知は橋が崩落したので高知からの親戚は来れない・・・

相変わらず本州から四国に渡るルートはないので他の親戚も来れない・・・

まあいい、賑やかにやることが目的ではない。
一般常識の欠如した親不孝なダメ息子が、ちゃんと四十九日っつうイベントをマネごとなりとも取り仕切ってやれればそれでいいのである。

住職さん、実は近所で崖崩れで人が亡くなったとかで、
色々忙しくて寝てないらしく読経するにも声が出ない(>_<)
・・・というわけで副住職さんの読経で法事が始まる・・・

まあいいのよ、住職さんであろうが副住職さんであろうが、
ワシがちゃんとここにいて一緒にお経を聞くことが大事なのである。

読経が終わったら納骨・・・
・・・って外はもう土砂降りの雨!(◎_◎;)

携帯の電源を入れると警報アラーム鳴りまくり!!

!(◎_◎;)・・・

「今日はちょっと納骨は無理ですねぇ・・・」
住職さんが明日責任持ってお骨をお墓に入れておいてくれるということでお寺を後にした。

今日はこちらで泊まって明日雨が小降りになったらまたお寺に行ってみよう・・・
問題は明後日大阪まで行けるかな(>_<)

それにしてもおふくろよ・・・よりによってこんな「ロック」な日を四十九日にせんでも・・・(笑)

Posted by ファンキー末吉 at:15:42 | 固定リンク

2018年7月 5日

ファンキーはんと大村はん東北ツアー

前回は函館から青森まで車で行けると思ってて大失敗(>_<)
今回はちゃんと「移動日」を作って青函フェリーに乗りました!!

青森では前回食べられなかった「味噌カレー牛乳ラーメン」を召して、

ねぶた記念館に行って、

鋼鉄節(メタルブシ)との対バンライブ!!

いや〜相変わらず凄いな(笑)

ステージではヅラを被ってオフステージとは別人!!
ザビエル大村も調子に乗ってヅラを被る(笑)

アホですなぁ〜(笑)

本番では「1時間ドラムソロをやれ!!」と言われたのでダラダラと長い長いドラムソロ!!

大村はんもたっぷりとギターを披露!!

打ち上げでは鋼鉄節(メタルブシ)ベーシストによる津軽弁講座!!

さっぱりわからん(笑)

翌日はお約束のごとく「のっけ丼」を頂いて盛岡へ向かふ・・・

盛岡着いたらさっそく冷麺を召し・・・(写真がない!!)
紅茶の店「しゅん」にてライブ!!(写真がない!!)

翌朝は噂の「福田パン」を召して秋田へ向かふ・・・
(食い物ばっかりかい!!笑)

日本海はスバラシス・・・

ツアー最終日は前回もお世話になったHOUND!!
今回も「HR研究会」の主催ですが「HR」はなし(笑)
たっぷりとブルースを披露して打ち上げ!!

夜走りで八王子まで戻る!!!

ツアー終了!!セルフ打ち上げ!!

運転はほとんど大村はん!!
どうもご苦労様でした!!!

残すは追加公演の新宿と大阪!!

是非お集まりあれ!!

Posted by ファンキー末吉 at:05:45 | 固定リンク

2018年6月30日

ファンキーはんと大村はん北海道ツアー後半

次の街は標茶!!旧友キヨシの営む「とうろの宿」の近所である。

予め連絡をしてあったらまた色々気を使わせるので、今回は近所まで行ってから電話をかけた。

「ありゃ、今買い出しに出かけてます〜」
ということで、
「ほな帰りにでも寄るわ〜」
と電話を切った。


ライブ会場の「ぽけっと」は小さな喫茶店、
お酒は置いてないということで何とシラフで歌!!(◎_◎;)

まあ酒飲んで出来ることは飲まなくても出来るはずなのだが、
照れ隠しのため「飲まんかったら歌えん」と言っている。

実際、全く「歌えない」ことはないのだが、
何やら冷静過ぎて自分の歌のアラばっかり聞こえて「調子が出ん」というのが現実だろうか・・・

「自分」と戦いながら一生懸命歌わせてもらった<(_ _)>

演奏後はママさんの手料理で打ち上げ!1

本当にお世話になりました!!

さて、本当はここの駐車場に泊まらせてもらって、
翌日キヨシんとこ寄ってから釧路に行こうとしてたのだが、
色んな要因でそのまま釧路に走ることになってしまった・・・

帰り道では鹿に遭遇!!

キツネもおるでよ〜

というわけで釧路で一泊〜
次の日に訪ねて来ると思って待っててくれたキヨシが肩透かしを食って、
何と差し入れを持ってコインランドリーまで来てくれた(笑)

洗濯してたらレッドウォーリアーズのキヨシが訪ねて来てくれた〜\(^o^)/ - Spherical Image - RICOH THETA

差し入れ〜

さて釧路でのライブから、お持ち帰りCDのために録音してるZOOM H5のライン入力で、
歌の単独とギターの単独も録音しておきたいということで、
地元の長崎さんが地元のPA業者からマイクのパラケーブルをゲットしてくれた。

そうそう、調子に乗ってライブ盤でも発売しようかと画策してるのよ〜(笑)

もうちょっと頑張りたいな・・・(笑)
いっぱいテイクを録ってから選びたい・・・


さて次の日は釧路から帯広まで移動してライブ!!

ここでもマスターが手作り料理でもてなして下さいました〜
どうもお世話になりました〜

さて、この店の駐車場で泊まらせて頂いて、
今回最大の移動!!帯広〜函館!!

写真は途中の昭和新山辺り・・・
大村はんほぼひとりで運転してくれて、
夕方には何とか函館近郊の温泉に入ることが出来ました〜

そして北海道最終地!!函館ライブ!!

淀川リバーサイドBlues・・・やっと初日が出たな(笑)

函館朝市で一杯ひっかけて青函フェリーで青森に渡ります〜
北海道の皆さま、お世話になりました〜!!

Posted by ファンキー末吉 at:07:58 | 固定リンク

2018年6月27日

生楽器の新しいレコーディングのやり方

弦や管の生楽器レコーディングはアレンジャーにとって晴れの舞台!!

打ち込みやバンド録音などは長くやっていても、
これら生楽器をアレンジしたことない、もしくは出来ないというアレンジャーも少なくない。

日本の場合、これら生楽器のレコーディングは予算もかかるし「敷居が高い」というのもあった。

その昔、バブルでスタジオミュージシャン全盛だった頃、
売れっ子ミュージシャンは高級カーを乗り回してスタジオをハシゴしていたと聞く。

彼ら売れっ子ミュージシャン達にとって、
ぽっと出の新米アレンジャーなど格好の「イジメ」の標的であったとも聞く。

当時はコンピューター譜面などはなかったので、
一生懸命手書きで書いたオーケストラ譜(スコア譜)を、
写譜屋さんという専門業者に出してそれをパート譜に書き直してもらう。

売れてる写譜屋さんなどは写譜ペン一本で家が建ったと言われていた時代である。

人間が手書きで書いているのだから当然ミスが出る。
優秀な写譜屋さんは音楽的に判断してそのミスを直してくれてスコア譜にしてくれたとも言うが、それでも人間がやってるので当然ミスは出る。

#やbなど明らかに写譜ミスだろうという音でも、
意地悪なプレイヤーはワザとそのように間違えて音を出す。

アレンジャーの耳を試しているのだ。

「音は濁っているけどどれが間違いかわからない」
とパニクっているアレンジャーに容赦なく罵声を飛ばす。

「おい、アレンジャーさん、この音はこれの間違いじゃねーのか!!」

そんなことが平気で行われていたというのだから、生楽器のレコーディングはさしずめ「戦場」である。

かく言う私もスタジオでイジメられたことはある。

「音が濁っている」と感じたら、
とっさにどのパートが間違えているのかを聞き分けて指示を出す。

それが瞬時に出来なければ罵声が飛ぶのだから「命がけ」である。

特に弦楽オーケストラのビオラなどは小学校の音楽の時間に習った「ト音記号」でも「ヘ音記号」でもない「ハ音記号」で書かれているのでとっさにどの音なのかが口に出せずにしどろもどろになったりする。

レコーディングが終わると冷や汗で身体はネトネト、
しかしそんなことが私の音楽人生には大きな「経験」となった。

経験値が高くなるともうナメられることもないし、
何よりも、いつの間にやら録音に来るミュージシャンよりも、私の方が数段歳上になってしまった(笑)

いつの間にやら、ストリングスだったら中国ではこのオーケストラ、みたいな「チーム」が出来上がって来る。

彼らは「プロ」なんだからどなた様の書いた譜面でも演奏する。

小沢征爾が中国に来た時に呼ぶオーケストラなどが、私の仕事なんかにも来てくれるということになってしまうのだ。

中国のスタジオミュージシャンは「1曲いくら」なので、
当然ながら順調にレコーディングが進んで早く家に帰れた方が「時給」が高くなってよい。

「アレンジャーいじめ」なんかやってるヒマなんかありゃしないのだ。
一致団結して、なるだけ高いレベルの演奏を短時間で録り終えれるように一緒に頑張る。

弾き方のニュアンスなどを書き込み忘れてたって、
棒弾きなどしてアレンジャーをイジメているヒマなんかない。

「こう弾けということだろうな」などとコンマスが判断して、
もうとっとと指示を出してリハーサルを始めている。

こちらはそれを聞いて「そうそう」とか頷きながら(笑)、
万が一これがライブなどで演奏される時のために、それをスコア譜にメモ書きで追加しておくのだ。


しかしこれだけシステムが出来上がっていても、
それでも私にとってはオーケストラのレコーディングはやっぱり命がけである。

気を抜いたら失敗する。

前回映画音楽の時にこんな失敗があったのも、
気を抜いてアシスタントなど使って
「低いなとか思うところがあったらオクターブ上げたりして譜面整理しといて」
などと指示していたからだ。

現場で音が違って聞こえる・・・
こんな風に書いたつもりはないのだが、
でもどこが違うか全くわからない・・・

冷や汗をかきながら譜面をガン見してどのパートが間違えてるのかを探るが、
どう聞いても誰も間違っていない・・・

時間切れ(>_<)

オーケストラを帰してからひとりで検証してみると、
実は原因は、アシスタントがどこかのパートをオクターブ上げるか下げるかする時に、間違えて5度上げるか下げるかして譜面を印字していたのだ。

譜面が間違っていた(>_<)

他の楽器のコードを変えて事なきを得たが、
それ以来気を抜くこともなく、毎回命がけで現場に挑んでいる。

ところが先日、
布衣の次のリーディングソングに弦を入れたいということで、
鼻息荒くして現場に行った時に肩透かしを食らった。

いつものように譜面を印字してそれとにらめっこ。

「このアレンジでいいのだろうか」
そんな気持ちを飲み込んで
「昨日まであれだけ試行錯誤してこれに落ち着いただろ!!自分を信じろ!!自分が書いたこの譜面を信じるのだ!!」
と自分に言い聞かせる。

これ即ち「自分との戦い」・・・

ストリングス録音です〜毎回ながら緊張します〜 今日のオーケストラはいつもの人達とちゃうからな〜なおさらです(>_<) 頑張るもへったくれもない、夕べ書いた自分の譜面を信じるしかない!! ちゃんと書いたからちゃんと録れるじゃろ!! - Spherical Image - RICOH THETA

私は指揮こそしないが、
オーケストラに指示を出すのと、生の響きがどう聞こえるのか勉強のために、
いつもブースに入って指揮者の位置で聞くようにしている。

ちなみに、今どき中国でのポップスのオーケストラ録音に指揮者など来ない。
みんなクリックとBaoHaoという小節番号を録音したトラックだけを聞いてそのまま録音するのだ。

つまり、そのBaoHaoの録音こそが指揮者の代わりとしてアレンジャーの大きな仕事なのである。
(中国ならでは)

ところがエンジニア曰く
「あ、BaoHaoはもう録音してありますから」

更には
「ブースで聞かなくてもいいですよ。コンソールで聞いて下さい。あとは僕らがやっときます」

オーケストラのコンマスがやって来た。
いつもの人とは違う。

おそらくいつもの人は国家級の偉い人になってしまったのでその下が来たのだろう。

「じゃあ譜面を下さい」
コンマスは自分の弾くパート譜ではなく全部のパートがあるスコア譜を要求、
ブースに入らずにコンソールルームでスコア譜を見ながらオーケストラに指示をし始めた。

「何小節目、ニュアンスとしてはスラーで弾いてみようか。
セカンドバイオリン、この部分モタらないように気をつけて」
など指示をしながら簡単にリハーサル。

「こんな感じでいいですか?」
と私に確認してその場でレコーディング開始!(◎_◎;)

つまり「ディレクション」という一番の「戦いの場」をコンマスが私の代わりに全部やってくれるのだ・・・

ワシ・・・全くやることないんですけど・・・(笑)


時々弾き方に関して
「これはこのような弾き方がいいですか?それとも」
などと選択肢を出して来るので
「こっちがいい」
と選べばそれだけでよい。

そして逆に私がディレクションするよりも音に対する要求が厳しい。

私ならOKとして後で聞き直して判断するテイクでも、
早めに止めてさっさとやり直しをさせる。

「餅は餅屋」である、きっとその方が高いクオリティーを短い時間で録り終えることが出来るのだ・・・

あっと言う間にレコーディングは終了し、
オーケストラをバックにMV撮り!!

これは1曲分のためにスタジオを押さえると、
スタジオ代もオーケストラのギャラも割高になるので、
「1曲半」としてMV撮りのために先ほど弾いた譜面を2回通り最初から最後まで弾いてくれという風にブッキングしたためである。

私はもう役目を終えたので、
最初のテイクはスタジオの中で聞いて、
実際自分の書いた譜面がどのような生音として響いているのかを勉強のために頭に叩き込んでおく。

2回目はコンソールルームでもう一度、バンドの中でどう聞こえるのかを最終チェック!!

まあ問題があるはずがない。
そのままさっさとオーケストラは帰って行った。

「录得很好!!(素晴らしい録音でした)」
そう言ってコンマスを褒めると、
「写得好!!写得好!!(あなたの書いた譜面がいいからですよ)」
と言われる。

この瞬間が「合作愉快!」
戦い終わったアレンジャーとプレイヤーが心を交わす至福の時間である・・・

・・・とか何とか言いながら今回ワシ・・・全く戦ってないがな(笑)

これらのブッキングを全部やってくれたLaoLuan曰く、
「最近はもうアレンジャーは現場に来ないよ」

!(◎_◎;)・・・そこまでシステム化が進んでいる?・・・

中国最高峰のアレンジャー、三宝や捞仔などは、
もうメールでここに譜面とDEMOを送りつけるだけで、
あとは全部このチームが完璧に録音して送り返して来るそうな・・・!(◎_◎;)

考えてみればドラムも最近そうよなぁ・・・

データが送られて来て、ガイドで打ち込まれたドラムパターンを聞いて、
そこにドラマーとしてアイデアを加えてひとりでレコーディングして、
ちょっと迷った部分があったらテイク2も録音しといて、
データをネットで送ってそれで仕事終わり。

それもこれも私自身がプロデューサーでもあるので、
「この音楽だったらこうだろう」
というのを織り込んでゆくから出来ている部分もある。

オーケストラでこれが出来るというのは、
やはりこのエンジニア自身もその「センス」があるからではないかと思う。

日本ではエンジニアは文字通り「技師」であり、
音楽の内容には口を出さないという不文律があるが、
中国では参加する全員がプロデューサーなので(笑)
それによってこのシステムが成り立っているのではないかと思う。
(まあまかり間違えば時々このせいで大混乱を生むのだが・・・(笑))


さてまた長い長い前置きはさておいて、
今回北海道ツアーの間に更に民族楽器もレコーディングせねばならなくなり、
さっそくこのシステムを使わせてもらった。

その都度このようなショートビデオが送られて来て状況が伝わって来るのだが、
最初は「録り終わったらmp3で送ってね〜確認するから」と言ってた私も、
そのうち「いいや、もう聞かないからそっちで勝手に録っといて」となった。

奏者も知り合いで何曲が一緒に仕事をしてるので、
「こんな弾き方もあるわよ」
と色々送って来てたのだが、
「それもいいねぇ〜じゃあそのバージョンも録って入れといて」
でそれでいいのだ。

聞くのは全部録り終わってデータ送ってもらってから選べばよい。

釧路でファンキーはんと大村はんのライブをやっているうちにレコーディングは無事に終わったようだ。

ライブ終了後に携帯を開くと、
データと共にこんなメッセージが添えられていた。
「写得好!!真好听!!(いいアレンジだ。とってもよかったよ)」

その場には一緒にいないが、アレンジャーとミュージシャン、
そしてこの「チーム全体」が作った音楽が高いところに昇って行った気がしてとても嬉しかった。

Posted by ファンキー末吉 at:15:46 | 固定リンク

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