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2019年6月20日

カンボジア希望の星プロジェクトまとめ

<<くっくまバンドとの出会い>>

2018年8月、私は中国での仕事を終え、少しだけ空いた時間をどう過ごそうかと考えていた。

日本に一時帰国してもよかったのだが、往々にして日本行きのチケットは高い。
だが東南アジアなら往復3万円ぐらいでゲット出来る。

別にどの国でもよかったが、その時に一番安いチケットがプノンペンだったので、こうして2度目のカンボジア行きが「偶然」決まったのである。

プノンペンに着いて、別に何の予定があるわけではない。
前回来た時に立ち寄ったライブハウスに行ったり、
また、「デスメタルバンドがある」という噂を聞いたので情報を探したりしていた。

その時のブログ記事:希望の星になれ!!

カンボジアのデスメタルバンドには少々興味があった。
最初にカンボジアに来た時ポルポトの大虐殺に関する遺跡を見て、この国で生まれた「ロック」というのはどんなロックなんだろうと漠然と考えていたからである。

結局デスメタルバンドを見ることはなく、私のSNS投稿を見た人が紹介してくれたくっくま孤児院に足を運んだ。


この孤児院は、もともと「ソバン先生」という、この方も孤児だった人が、自分たちで孤児を引き取って、自分たちのお金で孤児たちにご飯を食べさせて、学校に通わせていたのが前身である。

当然ながら資金には限界があり、運営が行き詰まった時に日本人スタッフと出会い、日本からの援助を受けて今の形になったのだという。

ソバン先生の素晴らしいところは、子供たちにカンボジア伝統舞踊とかの「芸能」を教え込んだところである。
実際、この孤児院の子供たちは、みんなで伝統舞踊を踊ったりして少しでも孤児院の運営費を稼いだりしている。

その流れの中に「バンド」があった!!

この子たちの演奏を聞いて私はぶったまげた。

音楽などを「仕事」にしていると、私の場合は普段、音楽を聞いて「楽しみ」にするということはない。
全て「仕事」になってしまうのだ。

楽曲を聞くと、その作り方、メロディーに対するコードの当て方とかアレンジとか、
そんなものを常に分析してしまって「疲れる」ので普段の生活では全く音楽などは聞かない。

ところが時々、そんな「仕事脳」というのをぶっ飛ばされる音楽に出会うことがあり、
この子たちの演奏がまさにそれであった。

この奇妙奇天烈なシンセフレーズ、
タイのルークトゥンを彷彿させる楽しいリズム、
元々はカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
そのメロディーの作り方など、おおよそ日本人には全く発想にないこの音楽に「仕事脳」はノックアウトされてしまったのである。

ブログ記事:カンボジアRock!(◎_◎

これこそが「縁」、こうして私はくっくま孤児院のこのバンド「くっくまバンド」と出会ったのである・・・


<<希望の星になれ!!>>

この動画をSNSにアップした時に、それを見た人は多かれ少なかれ、この孤児院にこれだけの機材が揃っていることにびっくりしたようである。

これも日本からの支援なのであるが、
「他に支援が受けられない貧しい孤児院もいっぱいあるのに・・・」
という意見が出て来る前に、私はこう宣言した。

私はこの子達から演奏機材を取り上げて別の孤児院に回せばいいのではなどとは考えない!!
私が出会ったのはこの孤児院だったわけだから、まずこの孤児院に「音楽」を支援する!!

そして私はこの日、こう心に誓った。
「俺がこの子達をカンボジアで一番の大スターにする!!」

そしたらこの子達は下の子達を食わせていけるというだけではない。
この子達がカンボジアの全ての孤児達の「希望」になる!!

何の才能も環境もない孤児が、頑張ってこんなに成功したんだ!!俺だって!!私だって!!
そう思ってさえくれれば、もう泥棒や売春なんかやらなくたっていい!!

「孤児がのし上がるにはもうなにも犯罪を犯すだけが選択肢じゃないんだよ」
そんな世の中になったとすればそれこそ「大成功」ではないか!!

人を助けるには「力」が要る。
でももしこの子達がそんな大きな「力」を手に入れたとしたら、
この子たちはきっとそんな恵まれない孤児のためにその「力」を使うだろう。

絵空事を言ってるのではない。
この子達には「何か」そんな「力」があるように思えて仕方がないのだ。

考えてみれば、カンボジアの孤児達であるこの子達こそが直接的な「ポルポトの被害者」ではないか!!

だからこそ思うのだ。
この子たちの笑顔こそが「ロック」なんだ!!と・・・

老い先短いこの私が生きてる間にどれだけのことが出来るかわからんが、
たとえ私がいなくなっても、
たとえこの年長組の子達が就職したり結婚したり、バンドが出来なくなっても、
その下の子達がその「夢」を引き継いでゆけばそれでいい。

そしていつかこの国の「希望の星」になってくれればいい。
いつまでも「笑顔」で頑張って欲しい・・・


<<その後の活動>>

私は別のプロジェクトとして「ある愛の唄プロジェクト」というのをやっている。

まずはこの子たちにこのアルバムのクメール語(カンボジアの言語)バージョンを録音してもらおうと思い立った。

ブログ記事:クメール語バージョン制作開始!!

翻訳作業に入った子供たちがメッセージを送って来てくれた。

ブログ記事:支援は人のためにあらず


それから私はまた一度カンボジアに渡った。
この子たちはそれに合わせて一生懸命辞書を引きながら訳詞を考えてくれたようだ。

最初に取り掛かってもらったのが、アルバムの最後を飾る「ある愛の唄」という曲。
でもクメール語で歌ってもらった感覚としてはあまりいい感触ではなかった。

もちろん私自身はクメール語が全くわからないが、
なんとなく「乗っていない」というか、語呂が悪く聞こえたのだ。

そもそもはこの曲は長く一緒に暮らした伴侶の死に対して歌う歌である。
その内容が子供であるこの子たちにちゃんと理解出来ているかどうかにも疑問が残る・・・

そこでちょっと目先を変えて、アルバムの中の「中国のマドンナ」という曲をその場で内容を伝えてクメール語の詞として考えてもらった。

ブログ記事:クメール語版「中国のマドンナ」

ちなみにこのやり取りは日本語で行う。
この孤児院の子たちは日本の支援で大きくなったので、みんな片言の日本語を喋るのだ。

こうして2日がかりで出来上がったのがこのテイク!!

この歌声を聞いて、私は思わず涙が出て来た。
もちろんクメール語は全く理解してないのだが、何やら心の底から伝わって来るものがあるのだ。

私はこの動画にクメール語の歌詞とその意訳を載せようと思って、パソコンでクメール語の歌詞を打ってもらった。

ところがそれをGoogle翻訳にかけてみて発覚したのだ。
歌詞の内容が全然違う!!!(◎_◎;)

私はこの孤児院のお母さまである美和さんに連絡を取って、
一体どうなっているのかを調べてもらった。

全く違う文章が送られて来たのかも知れないし、
実際Google翻訳がバカだっただけなのかも知れない。

返事が来るまで私はひとり勝手な想像を巡らせた。

歌詞を書いているのはボーカルのスレイクォイ。
今回わかったことは、彼女は自分で作詞が出来る。

詞を書く時の非常に前向きな気持ちもひしひしと伝わって来る・・・

ひょっとして彼女には「書きたい詞」があって、私の説明を無視して勝手にその「書きたい詞」を書いたのではなかろうか・・・

これが私の頭をよぎった「想像」である。

こう考えると、2日目に2番の内容を説明して書き始めた時の、何やら「引いた」感じの態度に思い当たる節がある・・・

数日して美和お母さまが本人と話したと言って連絡をくれたのだが、
「日本語がそんなに完璧にわからないので、大元のとちょっと内容がずれたところがあるかも知れない」
ということであった。

でも私は自分の「想像」通りであったらいいなと逆に思う。

この子はこのメロディーを聞いて浮かんだ、「どうしても表現したい」ことがあった・・・
それはこの日本から来た「先生」の意見を無視してもどうしても書きたかった・・・

それは全然悪いことでも何でもない。
表現者としてそれほど強いものを持ってるということは非常に大切なこと。

そう考えると、クメール語もわからない私がこんなに強くこの歌に惹きつけられるのも頷ける。
この子はそうまでして「表現したいこと」があったのだ・・・

真相はどうなのかはわからない。
でもどちらかと言うと、私はそうであってくれた方が嬉しいかな(笑)

ひょっとしたらこの子はそれほど「強いもの」を持っている。
だからひょっとしたら本当にこの子はカンボジア一番の大スターになるかも知れない・・・

しばらくは勝手にそのように思い込んでおくことにした・・・


<<オリジナル曲作り>>

作詞が出来るとすると、制作方法は大きく変わってゆく。

私はもう既に日本で200曲を越える楽曲を作って発表しているので、
その中から彼女たちに好きな楽曲を選んでもらえれば「バンドのオリジナル曲」などすぐに出来てしまう。

とりあえず権利が自分だけにある自由に使用できる曲を100曲ほど置いて帰ったのだが、
この子たちがまず最初に選んだのはこの曲!!

元々中国のアイドル歌手に書いた「红舞鞋(HongWuXie)」という曲なのだが、
美和お母さまの話によると、この曲を再生した途端に「ワオー」とみんな飛び上がったらしい。

それならばということで、この曲に詞をつけてもらった。

ブログ記事:くっくまバンド新曲

これは最初のリハーサル風景・・・この後、この曲がどんどん進化してゆく・・・

2019年6月9日のリハーサル

2019年6月9日のライブ

そして2019年6月18日のライブ


<<仲違い>>

2019年6月9日にプノンペンで小さなライブを計画していたのでカンボジアに向かおうとしてた時、美和お母さまからメールが・・・

「メンバーが今仲違いして関係が険悪なんです・・・」

小さい頃から歌手になるのが夢であったスレイクォイ。
そして今ではプロの音楽家になりたいと思っているそれぞれのメンバーだが、
意識の点でも、「楽器演奏」という点でもボーカルと差が出て来てしまう。

歌を歌うという「楽器演奏」は小さな頃からやれるから経験値が高くなるが、
バンドメンバーはそれぞれの楽器演奏を小さい頃からやってる人などいないわけだからそれも当然である。

バンドあるある(笑)・・・

要はそのボーカリストがそのメンバーとずっと一緒にやりたいと思うか、
もしくはバンドメンバーを切り捨ててひとりでやっていきたいと思うかである。

美和お母さまがひとりひとりに考えを聞いて間に立つ。

でも初ライブに向けて練習しているうちにだんだんと雪解けを感じて来た。

ブログ記事:くっくまバンド初ライブ

考えてみればこの子たちは一緒にこの孤児院で育った「兄弟姉妹」のようなものである。
言わば「兄弟喧嘩」・・・

私が見るに、この子たちはむしろ「自分だけは」という考えは持ってないと思う。
一緒に育ったみんなと共に上を目指そう!!・・・そう思っていると思う。

力を合わせて頑張るのだ!!きっと君たちの夢は叶う!!


<<DTM>>

ボーカルのスレイクォイだけでなく、
今はバンドのメンバー全員が「プロになりたい」という夢を持っている。

ドラムのダビッはまあ私がドラマーなので教えることは多いとして、
ベースのスレイレアッも、まあ私が教えられることは何でも教えてゆこう。

だが困ったのはキーボードである。

「キーボード」という楽器はみんな小さい頃からピアノを習ってた人が担当する場合が多いが、
メンバーの中で一番年上のティアルは、孤児なのだから当然音楽教育など受けたことがない。

プレイヤーとしては大きくスタートラインから遅れているのである。

ブログ記事:キーボードという「楽器」

ところが昨今、ピアノも全然弾けないのにアレンジャーとして活躍しているミュージシャンは多い(私もそのうちのひとり)。

そのためにはコンピューターで音楽を打ち込む方法、DTM(デスクトップミュージック)」を習得することが必須となる。

くっくまのみんなのパソコンにはどっかから無料のDTMソフトをダウンロードしているようだ。

ティアルッはそれを私に見せて
「これどうやって使うんですか?」
と聞くが・・・

いや、ワシにもわからんし・・・(>_<)

自分だけの特殊な環境で慣れてしまうと、
他の人からのアドバイスは受けられなくなるし、
何より将来他のプラットフォームでの互換性がなくなるので、
ここはとりあえず私が使っている「Logic」というソフトを余っているMacにインストールして持って行った。

ティアルッよりソバン先生の方が興味を示している・・・(笑)

最初はMIDIでのキーボード録音のみ教えて、
何か曲が出来たら送ってもらったり、
こちらからLogicファイルを送ってそれを見て色々研究したり・・・

さらには2019年6月の渡航の時に、マイクとインターフェイスも持って行って、ボーカルをレコーディング出来るようにしておいた。

もちろんエンジニアはキーボードのティアルッをご指名である。

今後は毎月私が楽曲のオケを送って、それに詞をつけてボーカルトラックを送り返してもらう作業をする。

これは私の「業務」としてやってもらう。
何故なら最近中国で私の楽曲を購入したいという話が多いのだが、
私自身が歌っているDEMOだと「いい曲も悪く聞こえる」そうで(笑)、
彼女の声でちゃんとしたDEMOを録音してくれるとありがたい。

この「仕事」をやってもらいながら、
その中でバンドが気に入った曲があればそれを練習してもらうだけで「レパートリー」がどんどん増えてゆくという寸法である。

2020年10月には最上級生のティアルッが高校を卒業する。
それまでに何とか「音楽で食ってゆく」という足がかりが出来ていればなあと思う。


<<結婚式での演奏>>

カンボジアでは結婚式が盛大に行われる。
踊りや歌など、それこそ4時間5時間ぶっ通しで行われる。

この子たちは時々そういうところに呼ばれて伝統舞踊を踊ったりする。
そこでこの「バンドバージョン」の存在に重きが置かれて来るのだ。

日本のアマチュアバンドは本当に「出口がないなぁ」と思う。

毎回ライブハウスに決して安くない「ノルマ」を払って、
自分たちが呼んだお客さんの中だけで延々演奏し続けて、
一体「出口」はどこにあるのだろう・・・

私はカンボジアのこの結婚式の状況を聞いた時に、
カンボジアならではのバンドの「出口」があるのではと思った。

大きな結婚式では歌手や生バンドを呼ぶと言うが、
それはあくまで有名なカンボジアの曲を歌ってもらうための「コピーバンド」の仕事である。

日本でも同様に酒場などでの「箱バン」という仕事があるが、
その仕事の中には自分たちのオリジナル曲を演奏するチャンスはない。

しかしカンボジアでは4時間も5時間も演奏し続けるのだから、
中に何曲オリジナル曲を演奏しようが咎められることはない。

これを私は大きな「出口」だと感じた。

くっくまバンドは来たる乾季の結婚式シーズンに向けてカンボジアの有名曲のレパートリーを増やすために一生懸命練習している。

その中で歌えるオリジナル曲を増やしてゆきたい。

人前で演奏するということは大きな「経験」になる。
客の反応を見て演奏や歌い方、詞もひょっとしたら変えた方がよいかもとか色々試行錯誤することが出来る。

そうして「完成」されたオリジナル楽曲をCDに焼いて、
出来たらその結婚式で売ってゆけばよい。

将来カンボジア一番の大スターになって多額の金を稼ぐようになったとしても、
その始まりはいつもそんな数ドルの小さなものであるから・・・

だから私と一緒にやった2回のライブでは、
この子たちがその練習風景を録画したDVDを1ドルで売ることにした。

毎回ライブの度に何かを売ってゆこう。
今はそれが1ドルでも、将来それがもっともっと大きなお金で売れるものになってゆくはずである。

頑張れくっくまバンド!!カンボジアの希望の星になるのだ!!

Posted by ファンキー末吉 at:12:14 | 固定リンク

2019年6月19日

カンボジアRock!(◎_◎;)

くっくま孤児院のくっくまバンド、前回はオリジナル曲を2曲演奏したが、
今回は私からのリクエストで私が最初に出会ってこの子たちを見初めた曲を演奏してくれと頼んだ。

この曲にやられちゃったのよね〜・・・

音楽を職業なんかにしちゃったら、私なんか音楽を聞く度に「仕事」になっちゃう。
気がつかないうちに頭の中では曲を分析し始めるのよね〜(>_<)
メロディーやコードの組み立て方とかアレンジのやり方とか・・・

ところが時々ぶっ飛ばされちゃって全く仕事ではなく「観客」になってしまうことがある。
それがこの曲・・・

もうね、作り方が変!!(笑)

聞けばこれは元々がカンボジアの古い歌謡曲らしいのだが、
それをカンボジアのテクノアーティストかなんかがテクノにアレンジしてYouTubeにアップしてたのをこの子たちが耳コピしてバンドで演奏してるからもうぐちゃぐちゃ(笑)

それが私の「仕事脳」をぐちゃぐちゃにして完全にノックアウトしちゃうのよねぇ・・・


今回のライブで、またライブ会場でをDVD売るべくリハーサルを録画する・・・

この曲は歌ってない部分が多いので
「なんか振りつけて踊らなきゃ」
とボーカルの子に言ってたのだが、次の日はこんな振りをつけて恥ずかしそうに踊っていた。

聞くところによるとこれもカンボジア民族舞踏によくある動きらしい・・・

もうテクノは入るわ伝統舞踊は入るわぐちゃぐちゃ(笑)
いや〜この動きがいいのよ・・・


さて本番!!・・・当日に美和お母さまからメッセージが入る。
「ボーカルのスレイクォイが喉の調子が悪くて泣いてます(涙)」

いやそれもまた「ライブ」!!
中野も一度ステージで突然声が枯れてやっとこさ最後まで歌ったことがあるし、
二井原は実際声が出なくなってライブをキャンセルしたこともある。
一度も声が枯れたことなんかなかった渡辺英樹が全然出なくなったこともあるぐらいである。

まあ全く出なくなるのじゃなければ、声の調子が悪いのもまた「ライブ」である。

リハが始まった・・・

「リハは一生懸命歌わなくてもいいからね」
と言ってたのだが、見てるとやはり一生懸命歌っている。

まあまだ「手を抜く」ということが出来んのね、それはそれでよかろう・・・

ファンキーはんと大村はんのライブ(割愛・・・笑)が終わっていよいよくっくまバンドの登場!!

(リアルタイムにライブ配信してたアーカイブ)

なんか前回よりパワーアップしとる!(◎_◎;)
先生から与えられたオリジナル楽曲ではあるが、だんだん「自分のもの」にしていった感があるのう・・・

オリジナル2曲が終わり、育ての親のソバン先生を交えての最後の曲・・・

ソバン先生は、もともとこの孤児院の母体となった孤児院をやってた人で、
自分の孤児だったのだけれども、この子たちを引き取って、
ないお金を回しながら育てて来た。

それを見たくっくま孤児院の代表者が見るに見かねてくっくま孤児院を作ったというわけだ。

ソバン先生が素晴らしかったのは、孤児たちにカンボジアの伝統舞踊を教え込んだところである。
だからこの子たちはみんな伝統舞踊が踊れる。
踊るための楽器演奏も自分たちで演奏出来る。

そこから派生したのがこの「バンド」である。


そしてソバン先生もギターで参加しての最後の曲!!

それにしてもこの楽曲の破壊力は凄まじい・・・

全ての日本人客はこの楽曲を聞いたことはないのだが、
それでもこの曲は予備知識もない日本人客の心を完全に鷲掴みにしとる・・・

何よりもオリジナル曲も含め、この店のカンボジア従業員が大盛り上がりに盛り上がっていることが物凄い!(◎_◎;)


日本人のほとんどはくっくま孤児院を応援しているわけで、
その「当たり前」の状況を度外視して、全く損得勘定がないカンボジア従業員がこうして大喜びで楽しんでいることこそが何よりの「手ごたえ」ではないのか!!


思わぬアンコールが来た!!・・・やる曲あるのか?・・・

今日やった曲をもう一度やるのかと思ったら、私の知らないカンボジアの曲を演奏し始めた!(◎_◎;)

もうね・・・先生完敗(>_<)

先生が手取り足取り教えて、それをやっと消化してこのステージに立っているわけではない!!
この子たちは自分たちだけで既にここまで来ているのだ!!

そしてこの先生さえも貪欲に飲み込んで更に大きくなってゆく・・・

この曲もカンボジアの古い曲だろう。
タイのルークトゥンと同じように、楽しいリズムに乗っけて、泥臭い生活感を歌っているのだと思う。

この国の不条理を全て背負って、拳を挙げながら戦ってゆくだけが「Rock」ではない。
全カンボジア人、いや世界中の人々を巻き込んで、
こうやって明るく楽しくのし上がってゆくのもまた「Rock」である。

くっくまバンド・・・実はとてつもない「ロックバンド」に育っていってるのかも知れない・・・

そんなことを感じた今日のライブであった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:11 | 固定リンク

2019年6月16日

ある愛の唄プロジェクトまとめ

「ある愛の唄」

1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。

同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。

その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。

「中国で本物のロックを見つけた!!」

インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。

爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。

「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」

つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。

「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。

<デモ制作>

そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸恭子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。

デモ音源

<コンセプト>

当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。

のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。

<天安門にロックが響く>

さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。

この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。

そしてこの小説が原作となって、漫画「北京の春」が発刊された。

この本は中国語に翻訳され、香港、台湾で発売された。
中国共産党のお膝元である中国大陸ではもちろんご法度であるが、中国人である私の妻(当時)の両親が北京から来日した時に見つかってしまいこっぴどく説教をされた。
「中国では絶対にやってはいけないことがふたつある。ひとつは色ごと、もうひとつは政治批判!!家族の中でそんなことやってる人間が現れたら一族郎党どんな目に遭わされるやらわからない」
と・・・

実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。

また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。

<キョンマとの再会>

私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。

これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。

「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」

私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。

その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。

<制作開始>

ドラムレコーディング

ハーモニカ入れ

ベース、キーボード完了〜!!歌入れも平行して始めてます

Logicを使ったオーケストラアレンジ

二胡(ErHu)と扬琴(YangQing)のレコーディング

中国民族楽器レコーディング

ギター録り完了!!

そしてついにアルバムが仕上がった!!


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そして2019年5月19日にアルバム全曲再現ライブが行われた。

そして、このアルバムの楽曲は「世界中のより多くの人に歌ってもらいたい」というコンセプトにより、現在のところ「著作権フリー」にしている。

その流れを受けて、歌手の山下直子さんもこのアルバムを歌って下さった。


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そして今、世界中の人たちに歌ってもらうべく、キョンマ自ら歌うベトナム語版、
そして中国の著名歌手「李慧珍」が歌う中国語版と、
カンボジアくっくま孤児院の子供たちが歌うクメール語版の制作が始まっている。

ブログ記事「ある愛の唄中国語版
ブログ記事「ある愛の唄中国語版その後
ブログ記事「中国の契約書との戦い

ブログ記事「クメール語バージョン制作開始!!
ブログ記事「支援は人のためにあらず
ブログ記事「クメール語版「中国のマドンナ

Posted by ファンキー末吉 at:08:05 | 固定リンク

Wing&Paulシンガポール

前回のマカオに続いて私は2回目の参加となる「衝動効応Impulse」すなわち「Wing&Paulワールドツアー(と私は呼んでいる)」!!

その間に行われた広東省佛山と四川省成都はスケジュールが合わず断念(>_<)
結局海外のみに参加している私です・・・嬉しいのか悲しいのか・・・

例によって香港で2日間リハをやってシンガポール入り!!

宿泊先はハードロックホテルなのよ〜

お決まりのオブジェ!!

プールには砂浜もある!!

さすがハードロックホテル!!プールに砂浜があります!(◎_◎;) - Spherical Image - RICOH THETA

プールの中に座って飲めるバーも!!

プールの中で飲めるバーもある!! 朝からは営業してないけど・・・ - Spherical Image - RICOH THETA

ジャグジーも!!

ジャクジーも〜 - Spherical Image - RICOH THETA

遊びに来たのではない!!仕事である・・・

会場がまたデカい!!

シンガポールの会場なう〜 またこりゃ大きな会場ですなぁ〜 - Spherical Image - RICOH THETA

ドラムはちゃんとPearlのドラムセット!!

いい音で鳴ってます!!

サウンドチェックも無事終わり、メシでも食いに行こうと思ったら、
この辺はリゾートワールドセントーサっつう大高級リゾート地。
コンビニもなければ夜中開いてる屋台なんか皆無です(>_<)

仕方ないのでタクシーでセントーサ島を離れ、24時間営業だという屋台村「テロック・エア・マーケット(ラオパサ)」へ!!

久しぶりに再会したエンジニアの吉田くんと台湾人スタッフ!!

ゲネプロ終わってスタッフと一緒にシンガポール屋台〜!! - Spherical Image - RICOH THETA

シンガポールは英語も中国語も通じてとても便利!!
だけどやっぱ物価が高い(>_<)

まあ屋台なのでシンガポールの中では安い方だがそれでも日本と同じかちと高いぐらい?
タクシー代も片道数千円とちょっとお高い(>_<)

でも味はなかなかでしたぞ!!

というわけで就寝!!翌日本番!!

いや〜満席!!!・・・よく入った!(◎_◎;)

3万5千人収容出来ると言うけど、
人口500万の国で3万5千人と言うと、
日本を1億人として計算したら70万人集めてる?!(◎_◎;)

もちろんマレー系、インド系は皆無で中華系ばっか(笑)

ボーカリストとなったWingさんもライブでは数曲ドラムを叩きます!!

私もメンバー紹介曲で少々ソロを〜

そして今回のWingさんのソロ!!

いや、ピアニシモから持っていく客の煽り方とかなかなかのもんやったぞ!(◎_◎;)

最後の曲はやっぱこの曲でしょう!!

もうね、涙なしでは叩けません!!

カーテンコール終わって楽屋に戻ったらメンバーみんなワシを拝むのな(笑)
そのうちドラム台が仏壇になることであろう(笑)

「次のマレーシアは来れるの?」とみんな。
「行きますとも!!」と言うとみんなで万歳する・・・

愛されとるのう・・・(涙)

次は8月24日のマレーシア!!
タイが決まりそうで決まらんが、スケジュール合うといいなぁ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:53 | 固定リンク

2019年6月15日

監視対象?(笑)・・・そして香港デモの話

申し遅れましたが、ワタクシどうやら中国政府から監視対象にされているようです(笑)

去年の年末なのですが、カンボジアのプノンペンから布衣のライブのために北京を往復した時の話・・・

北京の第2ターミナルっつうのは、搭乗手続きのカウンターんとこに入る前に一度手荷物の検査があるのよね〜

まあ別にX線の機械に荷物を通すだけなのだが、
その時に係員がやって来て「パスポートを見せろ」と言う。

「荷物を開けろ」ではなく「パスポートを見せろ」?!(◎_◎;)

「あんたここ最近で3回ここに出入りしてるよね、一体何やってんの?」
ここで「おかしいな」と思うのは、その職員がパスポートも見ずに「3回」と言ったことである。

あとでスケジュールを調べてみると、
ここ数日では確かに12月23日にプノンペンから北京に入って、
そしてこの日、25日にはまた北京からプノンペンに飛ぶ。
しかしもう一回は?と調べてみると・・・

だいたい一ヶ月前ぐらいに香港から北京に入っている。
確かに「3回」、しかし解せないのは、この渡航は第2ターミナルではなく、そこから遠い第3ターミナル。

ちなみにこの職員が私に声をかけて来た段階ではまだパスポートを提出してないので、職員はX線を通した私のトランク、もしくは私の顔を見ただけでこの渡航歴がわかったということである。

しかもこの第2ターミナルから遠く離れた第3ターミナルの入国情報までわかっているということだ!(◎_◎;)

おまけに「ちゃんとビザあるよ」と言ったら
「それは知ってる」

・・・!(◎_◎;)・・・知ってるのか?!!

この話を聞いた友人は「きっと顔認証でしょう」と言う。
どこかにカメラがあって、そのカメラが私の顔を認識した途端にアラートが鳴る→職員が飛んで来て職質・・・というわけではあるまいか・・・

友人は続けてこんなことを言う・・・
「中国ではよくある話ですよ。だからファンキーさん、ブログやフェイスブックに政府批判とか書き込まない方がいいですよ」

まあ私とて別に中国政府に対して反政府運動をしているわけでもなんでもない。
ただ「悪いことは悪い」と言ってるだけなのだ。

ただこれが本当に中国政府が「危険人物である」と認定したとすると、
まあ私の入国やビザのことはまだいいとして、
私が音楽活動で参加している全ての人たちに迷惑がかかる(>_<)

例えば一緒にツアーを廻っている布衣、彼らが次にツアーを廻る時にはもう許可が下りないかも知れない・・・

こんなこともあった。
7月13日の私の還暦祝いコンサート、
刺青だらけのラップシンガーも私の曲を歌ってヒットしているので、
「お前も時間あったら来てあの曲歌え!!」
と言ってたのだが、しばらくして彼が音信不通・・・

周りの噂では「また監獄に入れられたらしいよ」・・・(>_<)

まあまたケンカかなんかだろう、しばらくして出て来たらあっけんからんと
「出て来ました〜7月13日は大丈夫ですよ」
と・・・(笑)

布衣のマネージャーは「キー!!やめて〜!!」
いやね、ここで君の名前を入れて文化部に申請を出すと通るものも通らんのよ・・・(>_<)

「許可が間に合わないから」と丁重にお断りした・・・

そんな「国」なのだ。
ドラマーでプロデューサーで代表曲の作曲者でもある私が、
「危険人物」だと政府に烙印を押されたとしたらこのバンドの将来はどうなるのだろう・・・

だからせめてフェイスブックとか中国から見れない外国のサイト(それでも監視対象なら見るけど)には書き込むが、WeChatやWeiboなど中国のサイトには絶対にそんな(こんな)内容は書き込まないことにしている。

日本なら反政府的な言動を「かっこいい」と見る向きも無きにしも非ずだが、
中国では周りに大きな「嫌悪感」を抱かせる。

「バカかこいつ(>_<)」みたいな感覚であろう・・・
次に思うことは
「このバカのせいでとばっちりを食ったらたまらん」
ということで友達はどんどん減ってゆくだろう・・・

それを「いい」とか「悪い」とか言うつもりはない。
これが「現実」、中国人はこの「世界」の中で「頑張って生きて」いるのである。


さて香港返還以来一番大きなデモとなった今回のデモ。
事の発端は「逃亡犯条例」、つまり「香港に逃げ込んだ中国の犯罪者は中国に引き渡しなさいよ」というものに反対するデモなのではあるが、根っこの部分は「一国二制度を守れ!!」、まあ簡単に言えば「民主化運動」の流れである。

自由の街だった香港がどんどん中国に飲み込まれてゆく・・・それに対する反対運動である。

まあ香港政府は97年までは「イギリス」だったので中国は手も足も出せなかったが、
返還されて「中国」になったら、「一国二制度を守る」と言いながら自治をないがしろにしてどんどん中国が支配して来る・・・

いや、あの人たちは本当に無茶をする。
そもそも「催涙弾」なんて日本では最近いつ使われた?
その催涙弾から身を守るために雨傘をさしたところから「雨傘運動」・・・

でも今回は2014年のその大規模なデモよりもはるかに大きなデモ行動となり、
政府側は催涙弾のみならずゴム弾の顔面射撃!(◎_◎;)

あかんやろ・・・(>_<)

当然ながら中国の報道ではデモ隊のことを「暴徒」、
つまり「暴徒鎮圧のために仕方ないんですよ」と・・・

そんなものを世界の誰が信用するか?(笑)

中国独特の社会主義、つまり彼らは「独特」だからそれでいいのである。
それで世界に通用する、いや「通用させる」気でいるのだ。

一説によると、香港の警察には制服に識別番号がついていて、
今回の「暴徒鎮圧」にはその識別番号がない、もしくは認識番号が「ニセモノ」である警官が投入されている、と。

つまり中国共産党が送り込んだ軍隊が香港人を鎮圧している?・・・

天安門事件の時に、
中国人は中国人を殺せない、だからウィグルとか別の民族の部隊を使ったと・・・!(◎_◎;)

香港人に香港人は殺せない、だから大陸から部隊を投入して鎮圧している、と・・・(>_<)

殺すんか?!(◎_◎;)・・・やめてくれよなぁ・・・と言ってもあの人たち本当に何をするかわからんからなぁ・・・(>_<)

また一説によると、学生側の方にもアメリカから送り込まれた(?)過激な学生とかがわざと騒ぎを大きくしているとか?・・・

いや、色んな情報が交錯していてようわからん(>_<)

私としては30年前の天安門事件の時のように死人が出ることだけは勘弁して欲しいと祈るばかりである・・・

若くして日本で死んだ友人が残した曲がこの民主化運動を支えている・・・
若者が血を流すこと、死んでゆくことなどが彼の思いではない!!

ところでここからは笑い話なのだが、
中国の西北部、香港からむっちゃ遠いところで生まれ育ったヤオヤオ君
初めて来た香港で、着いてすぐにWingさんと飯を食いに行って、そのレストランで流れていたこのデモのニュースにびっくり。

とにかく、ニュースの詳しい内容よりも、こんなニュースが「報道されている」ことにびっくりなのだ・・・

もちろん中国ではこんな風には報道されない。
「暴徒」やもんなぁ・・・

駅前で街宣活動をやっている法輪功を見て目を丸くする。

もちろん中国ではご法度、即逮捕である。
巻き添えを食うと困るのでこんなの見たら逃げ惑うであろう、ヤオヤオ君も腰が引けている(笑)

もちろん誰にでも見れるWeChatのモーメンツには上げないが、
布衣のメンバーしか見れないグループに法輪功の写真をアップしたら、
「すぐ消してくれ!!見つかったらこのグループが消されちゃうよ」
とひとりのメンバー・・・

無理もない、このグループの誰かが法輪功に関係しているとかなろうもんなら、
この全ての人間にどんな迷惑がかかるかわからないのだ。

それが中国・・・

ちなみに「消してくれ」と書いたメンバーは、以前私に
「共産党なんか大っ嫌いだ。好きなヤツなんかいるのかよ」
と小声で言った人間。

いくら大っ嫌いでもそれを大声では言えない。
また、周りの人間が大声で言ってたら「やめてくれ」と言わざるを得ない。

それが中国人・・・

天安門事件の後に生まれて、
中国共産党に大切に育てられた新人類のヤオヤオ君、
せっかく初めて香港来たのにずーっとホテルにいるので、
「ちょっと外にでも行って来いよ。地下鉄乗ったらデモやってるとこにも行けるよ」
と言ったら、
「ブルブルブル、そんなところ恐ろしくて行けませんよ。僕は大陸の人間なんですからね、行ったらもう帰って来れません((((;゚Д゚)))))))」

遠巻きに見てて逮捕はされんて!!(笑)
・・・でもまあ気持ちはわかる!!

万が一このヤオヤオ君のような人が間違って逮捕された場合、それを無条件で中国に引き渡すのではなく、ちゃんと司法として分立した香港で裁判を受けさせるべきだ、とこのデモ隊は主張しとるわけね。

まあ政府が許可した内容のデモしか出来ない中国と違って、自由にデモが出来て自由に報道出来るだけ香港はまだマシか・・・

しかし今回、香港の地下鉄駅の切符売り場が大混雑であったらしい。
普段ならSUICAのようなプリペイドカードで入場する若者たちも、
記録が残って政府(というより中国共産党?)に調べられないようにみんな切符を買ったからだと言う・・・

香港がどんどん中国に飲み込まれている・・・


さてここからが「オチ」の笑い話なのだが、
布衣でギターを弾いている小畑秀光、
私がツアー中に「ダライ・ラマ」の本を読んでたら、彼がそれを見てこう言った。

「あ、この人、むっちゃ悪い人間らしいですよね」

???

・・・ツアー中いつも彼と一緒にいるヤオヤオ君の顔を思い出した。

まあ、中国政府にとってはダライ・ラマは許しがたい極悪人かも知れんけどな・・・(笑)
みんな、外の世界を見よう!!色んな情報を見聞きして、それで色んなことを自分で判断しようよ!!


シメとして・・・

この運動をやってる人たちは
「海外の人に多くこれを伝えたい」
と言う。

自分たちは「歴史を作ってるんだ」と・・・

中国は海南島を次の香港にしようと計画している。
環境保全も考えて島にはもうガソリン車も持ち込めない。
全て電気自動車である。

観光と貿易に力を入れて、
完全に中国政府の管理の元での自由貿易港・・・

それが成功して「新しい香港」が出来たとしたら、もう今の香港など要らなくなってしまったとしたら、一体中国は今の香港をどうしてしまうだろう・・・

将来香港がどうなってしまっても、
それに反対を唱えたたくさんの香港人がいたことを「歴史」として刻みたいと言うなら、
私も「監視対象」であろうが(笑)、私なりに面白おかしく書いたこの文章に込めて、今の香港のことを「記録」としてこのブログに残しておきたいと思う・・・


ps。今しがた入ったニュースで、香港が逃亡犯条例の施行延期を決めたという情報もある。

政府高層深夜急召會議 林鄭料今宣布暫緩修例

まだまだどう決着がつくかわからないこの動き・・・
本当に死人が出るような事態だけにはなって欲しくないと心から願うぞ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:38 | 固定リンク

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