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2019年1月17日

キーボードという「楽器」

「縁」というものは不思議なもので、
中国でのツアー先から「一番安く行ける暖かい国」でチケットを検索したらそれがカンボジアだった。
やることもないのでデスメタルバンドでも探そうとSNSに書き込んだら
くっくま孤児院にバンドがあるよ」
という情報が流れて来て、
全く興味がなかったのだけれどもヒマだったから行ってみたら・・・

この演奏に心を鷲掴み!(◎_◎;)
そしてこの子たちをカンボジアで一番のスターにするプロジェクトが始まったのです。

そしていろいろ試行錯誤しながらやり始めてみたら・・・

なに、この子・・・逸材!!!(◎_◎;)
もうね、この歌を聞いてるだけで涙が出て来た・・・


そしていろいろわかって来るのだが、
この子はやっぱこの「バンド」でやっていきたいのだと・・・

まあね、一緒に孤児院で育った「兄弟」みたいなもんやからね、それはとてもいいこと・・・

・・・というわけで、ボーカルだけではなく各楽器のこともいろいろ考えてアドバイスをする・・・

まあドラムは教えることはいっぱいあるからいいとして、
ベースはスラップ奏法などやってみようかとか、
キーボードは・・・

と、ここで大きくつまづいた。

キーボード奏者ほどスタートラインに差がつく楽器はない。
「昔ピアノを習ってた」とかがスタートラインになるので、
当然ながらピアノを習えるような状況ではなかったこのキーボードの子は「奏者」としては全くスタートラインが違い過ぎるのである(>_<)

でもね、最近のキーボード奏者って、「弾く」というよりは「アレンジ」、
コンピュータを使ったDTMがこれだけ発達した昨今、
全く鍵盤が弾けないキーボード奏者とかもゴロゴロしていて、
そんな「キーボーディスト」がヒット曲を連発出来る世の中になった。

ところがこのキーボードの子はそのDTMを持っていない。
つまり「楽器」を持ってない・・・
「ドラムを叩きたいのだけれどもドラムセットを持ってない」のと同じである。

そこで非力なマシンではあるが使ってないMacBook Airがあったので、
それをまっさらにしてLogicだけを入れて彼専用の「楽器」にしようと思い立った。

DTMソフトは最近は「Studio One」を使ってる人が多いと聞くが、
まだ私はマスタリングのISRCコードを書き込むだけにしか使ったことがないので、
現在よく使っているLogicの方が何かあった時に教えやすいと思ったのだ。

全然使ってない古いMIDIキーボードもあったので、
「誰か日本からカンボジアに行く人いませんか〜」
と募ったら、
この「くっくま孤児院」を運営するNPO法人の代表の方が今月カンボジアに行く(帰る?笑)というので、池袋に停めたのキャンピングカーの中で(笑)使い方をレクチャーしたというわけだ。

いっぺんにいろんなことを教えてもパンクするので、
今回はオーディオ録音は省いてMIDI録音だけをレクチャーすることにした。

オーディオ録音は3月にまた行くのでその時にして、
その時までにMIDIキーボードで多重録音が出来るようになってて欲しい・・・

とか考えながらレクチャーしてたらふとこんな事が頭をよぎった・・・

これ、別にキーボード奏者だけじゃなく、
ドラマーでも誰でも興味がある人がこれを使いこなしたらそれでええんとちゃうん!(◎_◎;)・・・

そう、こうして日本のおじさんドラマーもこれを使いこなしてそれで立派に「商売」しているではないか・・・

時代が変わって、「ピアノが上手い」のが「才能」ではなく、
むしろ「機械が好き」なのが才能みたいな時代になっている。

このおじさんはテレビゲームはやった事ないので、
何やらのゲームでゴールまで行くって、それはそれは遠い遠い物凄い事だと思うけど、
子供たちは毎日遊んでるだけでこのおじさんが考えられないようなところに行ってしまう・・・

それと同じで、このDTMを使いこなすのもゲーム感覚でやれば早いだろう・・・

子供は何でも早いからなぁ・・・
次に行った時には立派にこれを使いこなせている事を楽しみにしとくぞ〜


Posted by ファンキー末吉 at:02:37 | 固定リンク

2019年1月15日

中国のスケジューリングもう無理!!(>_<)

去年から参加している布衣の全中国ツアー
春と秋には毎年数ヶ月に渡って全中国を廻る・・・

まあこれがあると他の歌手のツアーはスケジュールがぶつかるのは仕方ない。
「Funkyのスケジュールに合わせるよ」
と言ってくれてるので、
去年の秋にはど真ん中にX.Y.Z.→Aのライブがあったのでついでに「おすし」のレコーディングツアーも入れて、結局布衣は秋の前半と後半という風に2回に分けてツアーを廻ることにしてくれた。

毎年冬にはジェイル大橋のTOセッションが入るのだが、
今回は東阪名のツアー!!・・・まあ布衣のツアーは終わっているので大丈夫!!

・・・と思ったら突然WingとPaulのワールドツアーのオファーが来た!!

リハーサルが香港で3回もあり、最初のリハーサルは布衣のツアー中(>_<)

だがよくよく見ると、甘粛省张掖からツアーファイナルの北京までのぽっかり空いた数日にぴったりスケジュールが入る!(◎_◎;)

同様に2回目のリハはその北京からTOセッションの間、
本番も含めた3回目のリハはTOセッションのツアーの隙間にぴったり入った!(◎_◎;)

もうね、「奇跡」である。
これは黄家駒が私に是非彼の遺作を叩いて欲しいのだろうとそう思えて仕方ない・・・

しかし「ワールドツアー」である。
そこから後のブッキングが絶対にぶつかるに違いないと思ってたら・・・

2月16日広東省佛山・・・無理(>_<)
2月は旧正月があって毎年中国では仕事がないので日本でツアー入れてるのよ〜(涙)

まああちらはスタジアムクラスのワールドツアー、こちらはライブハウスの小さなツアー、
先方にしたら「それキャンセルしてこっちやってよ」と言わんばかりであるが、
これはフリーのミュージシャンにとっては「生き様」に関する問題で、
私はやはり「こちらの仕事が大事」とかいう考えを持っていない。

先に決まっているものは自分の「責任」として「キャンセル」はしない!!

さすがの黄家駒もそこまではやってくれんかったんやなぁ・・・
と諦めていたら・・・

「佛山のスケジュール動きました!!」・・・(◎_◎;)

しかしその日は仮でスケジュールが入っている(涙)
しかし無茶な移動をすれば本番飛び込みで行けないことはない・・・

「リハとサウンドチェック参加出来ないかも・・・」
恐る恐るそうそう伝えて見ると・・・

「お前はそれだけ上手いんだからリハはいいよ。他のドラマーでやっとく」

!(◎_◎;)・・・

それはありがたい!!
・・・というわけで飛び込みで行く覚悟を決めてたら・・・

「佛山のスケジュール、また動きました!!」・・・(◎_◎;)

後ろに動いてくれる分にはむしろ都合が良い\(^o^)/
これなら楽しい楽しい香港でのリハーサルにも参加出来るではないか!\(^o^)/

というわけでこれは決定!!
しばらくしたらタイのスケジュールが上がって来た・・・

4月かぁ・・・布衣のツアーのど真ん中やなぁ・・・
まあまた迷惑をかけることになるが布衣に言ってスケジュール空けてもらう・・・

5月に四川省のスケジュールが上がって来る・・・
日本で高田馬場音楽室一週間が入ってるがな・・・(>_<)

でもこれはまだ大決定ではないので関係者全てにお願いして一週間前倒しにしてもらう・・・

その後、6月にマレーシアとシンガポール・・・
うん、もうそこまで来ると何もぶつかるスケジュールはない\(^o^)/

もうね、思わず天を見上げて黄家駒に手ぇ合わせましたがな・・・


さて何事もなく平穏に暮らしていた数日間・・・そこでは実は大きな戦いがあった・・・

アメリカがトランプ大統領でビザ申請が厳しくなったのと同様で、
ここ中国でも就労ビザの取得がどんどん難しくなっている。

音楽の道を志して以来、
「学歴なんかどうでもええ!!」
とばかりに生きて来たが、
今や中国では大卒や博士号とかないと就労ビザの取得も難しい!(◎_◎;)

これもアフリカから不法就労で出稼ぎに来て中国の労働者の仕事を奪うという、まあアメリカと同じような理由によるものだが・・・

60歳になるともう就労ビザ申請も受け付けん!(◎_◎;)

つまりこうだ。
中国政府としては、大学も出てない60歳の年寄りみたいな人材は必要ない!!
我が国に来ないで頂きたい・・・

ぐらいの勢いである(涙)

59歳のうちに申請しとかないと大変なことになるとばかり、
それはそれは煩雑なビザ申請をやっているのだが、
日本の中国大使館でビザが下りて、
次に中国に入国したら居留証の申請とかでパスポートを預けるので1ヶ月から1ヶ月半国外には出られない(>_<)

まあ布衣のツアーでずーっと中国にいるからいいか・・・
と思ってたら4月のタイのスケジュール・・・

佛山が後ろに動いたから、もっと早く中国に入国して申請しとけばタイには間に合うか・・・
と思ったらリハが香港・・・

香港は返還されたからもう「中国」でしょ?
・・・と思ったら、移動手続きとしては「出国」になるのでパスポートが必要(>_<)

つまりタイに合わせてビザを申請したら香港のリハには参加出来ない。
香港のリハに参加したら佛山終わってからの居留証等の申請になるのでタイの頃にはパスポートがないので出国出来ない(>_<)

そんなこんなのうちにまたタイのスケジュールが動いた・・・
しかも前倒しになったのでもう絶対に出国出来ない(涙)

布衣の方ももうスケジューリングで悲鳴を上げる。

「こんなにころころ変わってたらブッキング出来ないじゃない!!」
女性マネージャーにキーキー言われる(涙)

おまけに香港側からは今度は5月の四川省のために前にずらしたスケジュールと全くバッティングするスケジュールで遼寧省のツアーが入る・・・

もう・・・無理!!(>_<)

本番スケジュールが決まったら容赦なく香港でのリハーサルスケジュールが組まれるのだが、
香港に住んでるみんなはいいけど、こちらはそんなに何日も香港におれまへんがな・・・(涙)

「え?リハーサル参加出来ないの?」
お前は上手いからいいよと言ってたマネージャーももうピリピリし始めている(>_<)

畳み掛けるようにワールドツアーのグループでこんなメッセージが廻る・・・
「7月6日南京、7月20日深セン、みんなスケジュール大丈夫?」

そもそもこのグループのメンバーが、私を除いて全員この無茶なスケジュールに合わせられるっつうのが不思議で仕方がない。

キーボード奏者のバンマスなんかかなりの売れっ子プロデューサーのはずなのだが・・・

考えてみれば「レコーディング」というスケジュールだとコンサートと擦り合わせが簡単なのだ。
北京でスタジオミュージシャンしてた頃はこんなにぐちゃぐちゃになったことはない。
ツアーとツアーだからぶつかるのだ(>_<)

私はもう諦めた。
「大決定になったら連絡ちょうだい!!」
それまではメッセージも見んし、返事もせん!!

ツアーの仕事は1本参加出来なければ全部を失うのが常である。
「腕のいいドラマー」より「全部参加出来るドラマー」の方が重宝されるのだ。


「ワールドツアー」・・・この甘美な言葉の裏にこんなぐちゃぐちゃなスケジュールブッキングがある。
スタジアムクラスのコンサートが直前でころころスケジュールが変わる。

それもそのはず、東南アジアでやろうがアメリカでやろうが、
その主催者や現地スタッフやブッキングしてる人も含めて全てのスタッフは「中国人」なのだ・・・(涙)

Posted by ファンキー末吉 at:11:13 | 固定リンク

2018年12月31日

SING THE BLUES FOR YOUライナーノーツ

01:最後までよろしく
 (作詞:ザビエル大村・三井雅弘 / 作曲:ザビエル大村)

私が大村はんと出会ったのは2000年春のこと。
X.Y.Z.→A (エックス・ワイ・ズィー・トゥ・エー:Vo 二井原実、 G 橘高文彦、B 和佐田達彦、Ds ファンキー末吉)というバンドで「100本ツアー」と銘打って日本全国をくまなくツアーで廻っていた。
二井原実が喉の不調により関西方面のライブが何本かキャンセルになってしまい、共通の友人"三井はん"の紹介で大村はんのマンションに初めて泊まりに来た。
マンションには「ギター部屋」があり、見たこともないようなギターがいっぱい並んでいた。
その中から一本を取り出して弾いてくれたのがこの曲。
ギター1本でベースラインから伴奏、メロディーまで奏でる「ラグタイムギター」という奏法に度肝を抜かれた。


02:淀川リバーサイドBlues
(作詞作曲:ファンキー末吉)

谷町線「守口」駅からほど近い、淀川を見下ろせる
大村はんのマンションにあるCDはそのほとんどがブルース。
大村はんがギターを爪弾いてもその全てはブルース。
朝起きてからそんなブルースばかり聞いていたら、ついつい酒を飲みたくなる。
昼間っからウィスキーの水割りを飲みながら「ええなぁ」とブルースに酔いしれる。
当時このマンションの近所に「へんこつや」というホルモン屋があり、夕方にはそこに行ってホルモンを食う。
そんな数日間の生活でだんだんわかって来たのだが、このマンションにはちょっと前まで「嫁」がいたらしいが出て行ってしまったらしい。
「歌になるなぁ...」ということで出来上がったのがこの曲。


03:ハゲでよう見たら背もちっちゃいからずんぐりむっくりやけどそれでも今日からあたいの大事なだんな様(仮)
(作詞作曲:ファンキー末吉)

「髪」、いや「神」というのはいるもんなんですなぁ・・・
そんな大村はんにも「二人目の嫁」がやって来た。
爆風スランプの追っかけの双子姉妹のひとり。
双子というのは面白いことに二人でいつも一緒にいる。
学校も同じ、卒業して職場も同じ、趣味も同じ爆風スランプ、妹はサンプラザ中野、姉はファンキー末吉のファン。
また面白いことに双子というのは二人を一緒くたにされるのが嫌らしい。
「だったら一緒におるな!!」という話なのであるが、姉は姉、妹は妹、ちゃんと一人して区別してくれる相手じゃないと、結婚どころか恋愛とかも絶対にダメらしい。
そこで「髪」ならぬ「神」が登場!!
ある日、同じ大阪でサンプラザ中野のライブとファンキー末吉のライブが同じ日に行われたのである。
双子の姉妹はここで初めて別々に別れてライブを見に行くことになり、私のライブにひとりで来た姉を大村はんに紹介し、トントン拍子に結婚と相成った。
私は新郎新婦の紹介者として結婚式の仲人となり、披露宴で歌うこの曲を作ってプレゼントした。
思えばこの結婚式以来誰も歌うことがなかったこの曲を、私自身が歌い継ごうと思い今回アルバムに収録した。
タイトルは今だに仮タイトルのままである。


04:おお BEIJING
 (作詞:サンプラザ中野、作曲:ファンキー末吉)

爆風スランプが「Runner」「リゾ・ラバ」などヒット曲を連発していた頃、実は私の精神状態は一番よくない状態であった。
毎日テレビの娯楽番組などで忙殺され、「芸能界」というところが大嫌いになり、「自分は何をやっているんだろう」という思いがピークになって来たある日、友人の鍼治療に同行して初めて中国に旅行に行った。
その時偶然地下活動をしている中国のロックバンドのライブを見た。
血が逆流するほどの感動の中で「俺は中国人になる!!」と言って今に至る。
若かりし頃、黒人音楽を初めて聞いて「俺は黒人になる!」と言ってアフロヘアーにし「ファンキー末吉」と名乗って以来の人生の大転換である。
頃は1990年、前の年に起こった天安門事件以来、一番締め付けが厳しい時代の中国で、地下活動としてロックをやっている若者たちのことを思ってこの曲を作った。
サンプラザ中野はこの曲に天安門事件の民主化のリーダーの一人とその恋人をモチーフにしてこの詞を書いた。


05:ママの初恋
(作詞作曲:ファンキー末吉)

北京から帰った私は「心ここに在らず」でいつも中国ロックのことばかり考えていた。
爆風スランプが活動停止となったのもこれがひとつの大きな原因である。
そんな中、私は中国ロックを題材に小説を書き、それが「小説現代」に掲載され文壇デビューすることとなる。
この「天安門にロックが響く」という小説は、その後「北京の夏」という漫画の原作となり、それが翻訳されて香港、台湾で発売された。
中国共産党が支配する中国大陸ではもちろんご法度である。
私の嫁(当時)は中国人で、その両親が初めて日本に来てこの漫画を見つけた時、私にそれはそれはこんこんと説教をした。
「中国では絶対にやってはいけないことが二つある。
ひとつはエッチ系、そしてもうひとつは政府批判」
そしてこう強く念を押した。
「家族のうち誰かがそんなことをしていただけで、ひょっとしたら一族郎党殺されていまうかもわからないのよ」
そんな時代である。
だが私は当時、天安門事件で恋人を殺されるこの小説の主人公である女性ロッカーをモデルにしたこんな曲まで作っていた。
これは当時作ったコンセプトアルバム「ある愛の唄」の主人公(この女性ロッカーの子供)が、子守唄として母親から恋人との恋物語を聞くというお話である。

(小説はこちら、コンセプトアルバムの詳細はこちら、別バージョンのこの曲のMTVはこちらにあります)


06:あんた好みの女
(作詞作曲:ファンキー末吉)

その時代、私はよくオカマバーに飲みに行ってた。
年老いた化け物のようなオカマが経営する小さなスナックに行くと、「ようこそお化け屋敷に〜」とそのママさんがドスの効いた声で言うのが好きだった。
そこのメグちゃんという筋肉隆々のオカマ。
彼氏に振られたらしく私が一生懸命慰めていた。
「それでね、彼ったらね、腹いせに女なんか連れて来たのよ〜」
さめざめと泣きながら涙を流すメグちゃん。
「それで?どうなったの?」
「もちろん半殺しにしてやったわよ」
心は女、でも身体は筋肉隆々のメグちゃんが好きだった。
後に化け物のようなママさんが私にこう言った。
「あんたあの娘のこと好きでしょ、ダメよ〜あんたは女ともすぐに友達になっちゃうでしょ、そんな男はオカマにはモテないの。オカマはね、ち○ち○好きで人間捨てたのよ〜オカマ好きになるならすぐにやっちゃわないと」
オカマの世界も深い・・・
私もいつかこんなオカマと手を繋いで街を歩いてみたいものである、という曲。


07:あたいの100$の恋
(作詞作曲:ファンキー末吉)

売春婦に本気で恋をした男がいた。
貧乏なミュージシャンなのであるが、金が入ると彼女に全部使っていた。
無口な男なのだが、ツアー中に電話がかかって珍しく長話をしているのでついつい聞いてしまった。
「だからツアーなんだよ。仕事なんだ。帰ったらすぐに会いに行くから」。
女性と縁遠かった彼がやっと恋人が出来たのかと思ったらその売春婦だった。
「え?でも普通に一緒に食事したりしてるんだったらもう恋人じゃん」
私なんかは単純にそう思ったのだが、
「だって、やったらお金払わなくちゃなんないし・・・」。
私は彼にこう聞いた。
「でも・・・君は彼女のこと好きなんでしょ?」
これはちょっと困った顔でこう言った。
「いや、そんなにお金ないですから」
返答に困っているのか質問と答えが微妙に食い違っている。
「じゃあお金あったら結婚したいとか思う?」
「いや、お金ないっすから・・・」
また質問と答えが微妙に食い違う。
「もしあったらの話だよ。結婚したいと思う?って聞いてるの」
彼はちょっと間を置いて小さく頷いた。
涙なしでは歌えないBluesである・・・


08:Merry Christmas Blues
(作詞作曲:ファンキー末吉)

2000年ぐらいに北京に居を移した私に飛び込んで来た色んな世界情勢のニュースの数々。
アメリカの同時多発テロ、その対テロ戦争としてのアフガン侵攻・・・
そんな北京である日、ギターを爪弾いてたらふと浮かんだこのメロディーと歌詞。
遅筆な私には珍しく、最後まですらすらと歌詞が出来上がった。
そこでは生きていてもどうしようもないというほど悲しみに満ちた女性が世界平和を祈る。

その後とある中国の有名歌手がこの曲を歌ってくれて、その歌手が愛してやまないこの曲を作ったのが私だと聞いて涙を流して抱きついて来た。
(その時の話はこちら
この歌手にこんなにも愛されて、この曲はなんて幸せなんだろう、そして作った私もなんて幸せなんだろうと思った。
この曲はそうやって世界平和を願う多くのシンガーに歌い継いでもらいたいと、心からそう思う。


09:Star
(詞:渡辺英樹、作曲:丸山正剛)

一世を風靡したバンド「C.C.B.」のベーシストでありリーダーでボーカリストの渡辺英樹さん、
彼の最後のバンドとなった「VoThM」のレコーディングが北京で行われ、それが最後のアルバムとなって彼は帰らぬ人となった。
この曲は、その時にレコーディングされた曲である。
基本的に自分の作った曲しか歌えない私が、それからこの曲を歌い継ごうと決意した。
毎回毎回ライブの時に、
「あんたほど上手くは歌えないけどね」
と天国の英樹さんに言い訳しながら歌う。
「かっかっかっ」・・・生きてる頃の高笑いが聞こえてきそうである。
ところが北京の自宅でひとりで真夜中にこのテイクを録音している時に、いつもは絶対出ないようなこんな声や歌い方が突然出来た。
どうしてなのかわからない。
こんなテイクはもう二度と録れないだろう。
「かっかっかっ・・・その後のライブでは頑張ってこんな風に歌いなはれや!!」
天国で英樹さんがそう言って笑っているような気がした。


10:What a Wonderfull Night
(作詞作曲:ファンキー末吉)

私は、はすっぱな女が好きである。
まだ会ったことはないが自分のことを「あたい」と言い、相手のことを「あんた」と呼ぶ・・・
そんな女が本当に絶望したらどんな気持ちなのか・・・
そんなことを考えながら多くのBluesの曲を作ってきた。
しかしこの曲の主人公は珍しく男性である。
同様に人生に絶望し、この相手こそはと思った相手が、朝になったらいなくなってしまうことを知っている。
それでも「なんて素敵な夜なんだ」と歌う・・・
男性版Bluesの決定版である。


11:キーキー言われてもーたBlues
(作詞作曲:ファンキー末吉)

「世の女性という生き物は、どうしてあんなにキーキー言うのだろう」
世の男性は、口には出さないもののみんなこのように思っているに違いない。
ある時にアマチュアミュージシャンのジャムセッションでとあるベーシストに会った。
彼は本当に楽しそうにベースを弾き、そして本当に美味しそうに酒を飲む。
そしてこんなことを言うのだ。
「幸せだなぁ...ほんっと、金がないのと嫁がキツいのを除けば人生はほんっと楽しい!!」
この話を題材に、詞だけ書いてツアーに持って行った。
曲なんかは
「キーはDの3コードのブルース。手ぇ挙げたらブレイク!」
これだけでBluesの曲なんかすぐに出来てしまうのだ。
ライブの度に歌い回しやメロディーなどを変えてゆき、キーがDからEに、そして最後には金切り声のGまで上がり、ギターもオープンチューニングのスライドギターになって完成されたライブバージョン。
こうして全世界の男性の心の叫びを代弁するBluesが 出来上がった。


12:人は何で酒を飲むのでしょう
(作詞作曲:ファンキー末吉)

2000年に私がプロデュースしてデビューした「三井はんと大村はん」の代表曲。
当時のレコード会社にはJazzのレーベルがあり、そこで私のJazz系のユニットがレコードを出させて頂いていたためにそのレコード会社から発売させて頂くことになった。
ところがそのJazzのプロデューサーのトップの方が私の事務所に打ち合わせに来た時に、出来上がったばかりのこの曲が事務所で流れていた。
そのプロデューサーは打ち合わせを中断してこの曲に聞き入り、そしてこう言った。
「末吉くん、この曲は・・・哲学だよ!!」
ライブバージョンなので途中の間奏に喋りが入っている。
「結婚は判断力の欠如!離婚は忍耐力の欠如!!そして再婚は記憶力の欠如!!!」
哲学である・・・


13:65歳の地図
(作詞作曲:ファンキー末吉)

1989年にリリースされた爆風スランプの楽曲に「45歳の地図」という曲がある。
奇しくもちょうど20年後にこの「65歳の地図」という楽曲がリリースされることになるのだが、残念ながらアンサーソングではない。
「45歳の地図」は主人公が息子に、中学校の文集で「親父のようにはなりたくない」と発表されるお話だが、こちらの設定は息子ではなく娘。
定年退職を目前に控えて熟年離婚されるサラリーマンの悲哀と娘への愛情を歌った曲である。
私の友人にモリタカシという人間は存在するのだが、そこの家庭の物語ではない。
別の友人「E」の家庭が、実際に自分の部屋に食事を運んでもらってひとりで食べてたところからこのストーリーを思いついた。
もっとも「E」は同じ家にいながらご飯のお代わりが欲しい時は嫁にメールしていたのだが・・・

この曲のMTVはこちら

これら楽曲はこちらからダウンロード購入出来ます。
(視聴も出来ます)

Posted by ファンキー末吉 at:11:54 | 固定リンク

2018年12月27日

裏おすし

Jazzなのだから毎回演奏は違う。
「失敗」も含めて、「人生」と同じでそれも含めてひとつの「作品」である。

今回「おすし」の「いただきます」をライブ録音するに当たって、ワンツアー全てのライブを録音して、結果一番勢いのある最終日2日間の録音を採用した。

しかし他のライブにもいいテイクがいっぱいあった・・・

というわけで、「いただきます」と全く同じ曲順で、テイク違いのアルバムを作ろうと思い立った。
タイトルは「ごちそうさま」(笑)

「いただきます」はこちらでも販売しているが、「ごちそうさま」はライブ会場のみでCD-Rにて販売する。

配信はこちらにて両方ゲット出来るので、コアな人は両方揃えて聞き比べてみるとよいと思う。

配信では詳しいディティールを書ける場所がないので、下記にそれぞれのディティールを解説と共に書いてみたいと思う。


まず、ミックスは予算がないので私自身がやらせて頂いた。
そのせいかドラムがちょっと大きいなというテイクもあるかも知れない(笑)

あと世俗的過ぎると言うか、小市民と言うか、
「いただきます」は拍手はなるだけ切っているのに対して、
こちらの方は思いっ切り大きく、そして長く入れてあるのであわや74分のCDに入らなくなるところだった(笑)

マスタリングはファンキーStudio北京の方言(FangYan)。
銭金抜きでやってくれたのはいいのだが、その分こだわり過ぎて・・・(>_<)

まず最初のバージョンが送られて来た時にはびっくりするぐらいよくて小躍りしたもんである。
ところがしばらくして「あのバージョンはダメだ」と言い出して、またしばらくして2つ目のバージョンが送られて来た。

これが私としては個人的には気に入らない。
いじり過ぎてて何か人工的過ぎてJazzっぽくないのである。

やり直しをお願いしたらそれから1ヶ月音沙汰なし!(◎_◎;)、
この前北京に帰った時に聞いてたら、更に5つか6つバージョンを作ってたらしい。

「もうええから提出しなはれ」
と言って提出させたバージョンがこれ。

工場に納めた後も
「Funky老師〜またちょっと直したいんだけど・・・」
と言うので
「もうええわい!!工場に入れたわい!!」
と言ってやり直しを拒否した(笑)

まあ録音した場所が違うので一概には言えないが、「いただきます」に比べて音が太い印象がある。

「いただきます」が「白」のイメージだとしたら、このアルバムは「木目」のイメージ。
シンバルレガートの音がシンバルというよりスティックの木の音が強く聞こえているような気がする。

それではそれぞれの曲の解説を・・・
(「いただきます」「ごちそうさま」共通の解説も含む)


01:The Door To 7th Heaven(2018年10月22日高田馬場音楽室DXのリハーサル)

これだけが「いただきます」と同じ高田馬場音楽室DXでの、こちらは本番ではなくリハーサルのバージョン。
この曲はライブ毎に色んな変更点を加えていって、結局この最終日にやっと完成形となったのでこのテイクしかなかったのだ。

ちょっと聞くと「いただきます」と「ごちそうさま」どちらがどちらのバージョンかわからない演奏である。

最初の小さなドラムソロの部分は、「いただきます」と同じフレーズを叩いている。
これは8分の7拍子のソロの部分にいきなり4分の7拍子になるフレーズを叩くので、リハとして
「本番ではこんな風に叩きますからね」
と叩いたものが採用されてしまったからである。

まあJazzとしては少し残念だが、これも含めて「テーマ」と考えれば納得がゆく。

(この曲のエピソードはこちらにもあります)


02:ろう君の初恋(2018年10月15日名古屋Breath)

これはもう長くやっているのでどのテイクも甲乙付け難い。

このバージョンはツアー初日のバージョン。
Breathのドラムは他の店と違ってロック系のドラムセットで、タムもフロア含めて4つ並んでいるのでタム回し系のフレーズが多い。

この店だけ定位が他と違ってドラムが真ん中、ベースが左で、ピアノが右となっている。


03:Dream Express(2018年10月18日京都RAG)

京都RAGはピアノが生ピアノなのが特筆すべき点である。
ピアノの定位も客席から見て後ろを向いているので右が高音部、左が低音部と「いただきます」の逆になっている。

ツアーのこのぐらいからこの曲のドラムソロの最後のフレーズがスティーブガッド系3拍フレーズに固定された。
ドラムソロのソロフォームは、テーマ部分を最初から演奏してサビの部分をXtimeで繰り返している。
サビに入ったところで1小節目と4小節目にテーマメロをもじったセクションが入るが、
次の小説頭で仕切り直さずそのまま叩くことによって小節感を不思議にしているところがミソである。


04:Dolphin Dance(2018年10月15日名古屋Breath)

ハービーハンコックの名曲で私の大好きな曲である。
最後のドラムソロでは、このライブで3連符の8つ取り、8ビートに聞こえるフレーズをやってみたら面白かったのでその後この曲ではずーっとそれをやっている。


05:Everything Is From the Sea(2018年10月18日京都RAG)

進藤陽悟のオリジナルで3拍子の曲。
3拍子は非常に自由なリズムで、2拍で取ってゆっくりの4ビートになったり、
3拍4連で取って早い4ビートになったりする。

生ドラムと電子ドラムと同じように、生ピアノと電気ピアノとは全く違う楽器である。
楽器が違うので当然「弾き方」が違う。
生ピアノバージョンならではのセッションをお楽しみあれ。


06:炎の靴(2018年10月18日京都RAG)

「いただきます」と比べて一番違うのが「テンポ」。
こちらのバージョンが落ち着いて聞こえるのは演奏が落ち着いているだけでなくテンポそのものが落ち着いているのである。
それにしてもあの重い生ピアノの鍵盤で電気ピアノと同じように軽やかに弾く進藤陽悟は大したもんである。


07:Diamond Dust(2018年10月18日京都RAG)

ジェフベックの「ブロウバイブロウ」に収録されている5拍子の美しい曲。
ピアノトリオでこの曲をやろうとなって3人で色々試行錯誤した。

まずテーマをベースが取った時に、分数コードの分母を弾く人がいなくなる。
そして今度はピアノがテーマを取った時に、分散和音のアルペジオを弾く人がいなくなる。

結局分数コードは何とかアッパーコードで解決し、
5拍子のアルペジオを左手で弾きながら右手でテーマを取るという風に落ち着いた。

ウッドベースは「作音楽器」と言って、ピアノのように「この鍵を押さえたらこの音が出る」というのではなく「音を探りながら演奏する」楽器である。

「歌えないメロディーは弾けない」らしく、この転調の激しいメロディーを一生懸命空で歌えるようにしていた大西さんが印象的である。


08:Memories(2018年10月15日名古屋Breath)

全中華圏で知らない人はいないというバンドBEYONDのボーカル黄家駒が日本のバラエティー番組の事故で亡くなったことを受けて、その香港での葬式の時に浮かんだメロディーで作った追悼曲である。

彼は今真っ白な気持ちのいい世界にいて、音楽家は「偶然」が重なって「名演」と呼ばれる演奏が出来た時だけトリップしたような感覚になってその世界に行くことが出来る・・・


09:Canal Street Samba(2018年10月18日京都RAG)

いつもアンコールで演っているサンバの曲。

途中のドラムソロは、いつの間にか出来るようになった「上下巻全分離」。
足ではずーっとそのままサンバのリズムを刻んでいるが、
手は3連の5つ取りや16符の5つ取り等を経て、最後には足はそのままで全く自由に叩くという、「ソロ」というよりは今やもう「芸」である。


10:ママの初恋(2018年10月18日京都RAG)

天安門事件で恋人を殺された女性ロッカーが、その娘に自分のその恋の話を子守唄として語るという曲のインスト版。
2018年年末が2019年初頭までに私は4枚のアルバムを出すが、その全てに収録されている曲である。

それぞれの配信はこちら

「おすし/いただきます」、「おすし/ごちそうさま」、「ファンキーはんと大村はん/SING THE BLUES FOR YOU」が現在(2018年12月29日現在)配信されてます。

コンセプトアルバム「ある愛の歌」ただ今制作中!!詳しくはこちら

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Jazzへの思い

私の生まれ育った香川県坂出市という当時の田舎町では、レコード店にはまだRockやJazzというジャンル分けはなく、大きく「演歌、歌謡曲」と「ニューミュージック」というくくりしかなかった。

町にはレコード店が2店しかなく、比較的近かった「ニチイ」の中のレコード店によく通っていた。

そこには長髪の見るからに「ロック」という店員のお兄ちゃんがいて、
時々聞いたこともないような音楽を店内で流していた。

あとでわかったことだが、
お兄ちゃんとて「店員」なので、売れないレコードを仕入れるわけにはいかない。

そこで見つけたのが若かりし頃の末吉少年。

「ボク、Rock好きか?それならこのレコードを買え!!Rock好きならこれは絶対に持ってなきゃならんレコードや!!」

そう言って自分の欲しいレコードを私に注文させ、
入荷したらそれを店でヘビーローテーションして聞くだけ聞いてから私に売りつけるのだ。

四国の片田舎ではRock雑誌なども売っておらず、
お兄ちゃんがいつもレコードを買う(私に買わせる?)ために参考にしてたのは「ニューミュージックマガジン」という月刊誌。
それとて本屋などに置いてあるはずはないのでおそらく「定期購読」してたのだろう。

そのレコードレビューにオススメのレコードがあれば、それを私に注文させて、入荷したら店でヘビーローテーションさせて自分が聞いてたというものだ。

「ニューミュージックマガジン」というぐらいだから、当時の荒井由実からコアな欧米のRockまで何でも載っていた。

お兄ちゃんのオススメの(彼が聞きたかった)レコードの中に、ハービーハンコックの「ヘッドハンターズ」があり、これにぶったまげて「ハービーハンコックっていう凄いFunkミュージシャンがいる」となって、「そのレコードが欲しい」となる。

お兄ちゃんが「じゃあこれ買え」と言って注文してくれたのが、「VSOPハービーハンコックの軌跡」というレコード。

ド頭の「The Eye Of The Hurricane」がさっぱり理解出来ず、それこそ「擦り切れる」ほどレコードを聞いた。

好きなドラマーが、Rockではコージーパウウェル(高校をサボってレインボーを見に行ったので)、Jazzならトニーウィリアムスというのは全てこのお兄ちゃんのおかげ(せい?)である。

かくして、そのような状況だったので、最初からRockだJazzだのジャンル分けする環境ではなく、私にとっては全部同じく「Rock」であった。

だってレッドツェッペリンとキングクリムゾンは全く叩き方が違うけど同じRockでしょ?
だから私にとってはトニーウィリアムスもRockだったのだ。

実家が「平和園」という中華料理屋だったので、
そこの3階にある私の部屋で色んなバンドを組んで練習してたこともあり、
「平和園ファミリーズ」という名前でインストの音楽を渋谷陽一のFM番組に送りつけ、とても好評されたのを覚えている。

それはJazzというよりFusion。
スウィングの曲もやってたけど当時のテクニックではやはり難しかった。

ミュージシャンの数が絶対的に少ないので、
同じメンバーでツェッペリンをやったり、出来る程度のJazzをやったり、それが「平和園ファミリーズ」。

ジャンルを超えたP-FUNKみたいな存在だった(笑)

そんな状況なので、当時はRockをやるかJazzをやるかなどの「夢」ではない。
「とりあえずこの田舎町を出なければならない」という状況なので、
1、ニューヨークに行ってJazzをやるか
2、東京に行ってRockをやるか
という漠然とした「夢」でしかなかった。

大阪に行ってブルースをやるという夢は、当時この田舎町でもブルースバンドをやっていたのでいつの間にやら実現した気になっていた)

人生のひょんな運命から東京へ行って、爆風銃、そして爆風スランプへと続き、
そして紅白に出てRunnnerがヒット。

江川ほーじんが脱退して、中野と河合でRunnerのプロモーションをしている頃、
もういい加減日本の芸能界がイヤになってた私は、昔の「夢」がむくむくと頭をもたげて来ていた。

「充電旅行」と称してひとり旅で最初にニューヨークを訪れた時には、
実はもう日本に帰って来るつもりはなかった。
このままニューヨークに住み着いてJazzをやろうと思っていたのだ。

それぐらい日本がイヤだったのだ・・・

着いてすぐニューヨーク在住の松宮という友達に最初に連れて行ってもらったのがBlue Note、憧れのJazzクラブである。

当時ハナ肇さんにサインをもらった白いスティックケースを改造して、
中にパスポートなどを入れるポケットを作って、それだけ持って行動してた。

文字通り「スティックだけ持って世界を廻りたい」という憧れだったのだろう。

折しも金曜日で、Blue NoteはJam Session Day。
ぶったまげるようなレベルのプレイヤーがJazzをやってた。

スティックケースをどんとテーブルに置きながら、なかなか勇気を出してステージに上がることが出来ない。

「末吉さん、誰かドラマーいないか?って言ってるよ」
松宮がそう言うのだが、
「もう一回待とう」
と言って尻込みしてた。

「しゃーないなぁ〜じゃあ俺のブラザー」
とでも言ってるのだろう、セッションリーダーのトランペッターがひとりの黒人のドラマーをステージに上げた。

忘れもしない、彼が叩いた「チュニジアの夜」があまりに凄くて、私はテーブルの上にあるスティックケースをすごすごとテーブル下に隠してしまった(笑)

「ブラザー」と言うのは「実兄弟」だと思ってたので、
きっとそのドラマーはセッションリーダーの兄弟で、名のあるプロドラマーがたまたま来てたのでステージに上げたのだろうと思い、松宮に、ステージを降りるそのドラマーを捕まえて通訳してもらった。

「あなたはさぞかし名のあるドラマーでしょう。私は一週間しかここにいない。その一週間であなたはどこでライブをやりますか。私は全部見に行きたい」
松宮にそう言って訳してもらった。

答えを聞いて愕然とした。
「俺のライブ?・・・じゃあ来週のJam Sessionでまた叩いてるからここに来いよ」

このレベルのドラマーがこの街ではただのアマチュアドラマー?
私は愕然として、もうニューヨーク滞在中にスティックケースを開けることはなかった。


すごすごと日本に帰ってから「芸能人」の生活に忙殺されたが、
むしろ私の闘争心に火がついて、ヒマさえあれば日本のJazzクラブに行ってはJam Sessionで狂ったようにJazzを叩いていた。
時には知り合いになったJazzミュージシャンのライブに行って、飛び入りで叩かせてもらったりした。

「Jazz屋のオヤジ」と言われるいわゆるJazzクラブのオーナーは爆風スランプなんか知らない。
「ドラムがうまいか下手か」だけである。

それが私にとってはとてつもなく居心地がよかった・・・


だいぶ叩けるようになってちょっと自信をつけて来た私は、
生まれ故郷の香川県での爆風スランプのコンサートの移動日に、
高松のJazzクラブでJazzライブをやらせてもらうことになった。

地元のミュージシャンとのセッションライブで、
今ではJazz界の重鎮となった多田誠司さんなんかがいた。

今から考えればなんと無謀な、
PAもない生ピアノで全部生音であるという、特に音の大きな私のようなドラマーにはとにかく過酷な条件である。

「怖いもの知らず」というか、Jazzどころか音楽も十分理解していない当時の末吉は、案の定ガンガンに叩きまくっていた。

「こらドラマー!!」
曲の途中でマスターの怒声が飛んだ。

「うるさいんじゃ!!ピアノが聞こえんじゃろ!!」

ステージ上で罵声を浴びるなど生まれて初めてのことだったので、
もう萎縮してしまってそれから全くろくに叩けない。

半泣きでステージを降りた私の首根っこを掴んだマスターは、
そのままずるずると客席のひとりひとりのところに連れて廻ってこう言った。

「うちの店では最高のJazzしか聞かさんのじゃ。
おい、こいつのドラムはどうやった?正直に言え!!」

全ての客のところにそう言って連れて行かれるのだが、
客だってそうそう面と向かって「下手でした」とは言えない。

でも見ればわかる。
「顔に書いてある」のである。

私は泣いた。
恥も外聞もなく泣いた。

絶対に上手くなってやる!!
そしていつかまたこの店に来てマスターを見返してやる!!


また狂ったようにJam Sessionでドラムを叩いて、
FusionではあるがSOMEDAYという店で定期的に演奏さえてもらえるようになった。

黄家駒が見に来たライブというのはこのライブである。

そこで知り合った佐藤達哉さんという物凄いサックスの人と一緒に高松に凱旋ライブを行った。
マスターは達哉さんの大ファンだったので渋い顔をしながらも今度は怒声を浴びせなかった(笑)

「まあまあやのう」ぐらいの感じであろうか、
「ほらギャラや!!」と無造作に渡してくれた封筒を、一緒にやってくれたJazzメンにそのまま全部渡してみんなで分けてもらった。

「これは私のリベンジのためにお願いして来てもらったのだから私がもらう言われはない」
という意味だったのだが、
「なんや、お前、かっこええやないかい」
マスターは私の頭をしばいてそう言って笑った。

マスターがおごってくれたうどん屋のおでんがすこぶる美味かった。


その後またニューヨークに行く機会があったので、Blue Noteに直行した。
Jamセッションをやってたので、今度は胸を張ってドラムを叩いた。

感触は・・・よかった。

「なんだ東京のレベルはもうニューヨークとあまり変わらないんだな」
と思ったが、後で聞いたら、当時は電子音楽の台頭で、生楽器はニューヨークでは食えないのでみんなナッシュビルに逃げて行ってたという状況もあったらしい・・・

何曲か入れ替わり立ち替わりドラムを叩いたが、
白人の若いドラマーが私のドラムソロを聞いてこう言ったのを覚えてる。

「なんだ、Rockのドラマーか・・・」

Jazz界ではRockであることに常にコンプレックスがあった私だが、
この時には頭の中で何かが弾けててこう言い返してやった。

「そやで、Rockやけどそれがどした?悔しかったら叩いてみぃ!!」・・・日本語で(笑)

その昔、スティーブガッドがチェットベイカーのアルバムでスィングを叩いた時、
「あれはSwingではない!!シャッフルだ!!」と酷評する人がいたが、
私なんかはあれはあれで素晴らしいJazzだと思った。

私自身はスティーブガッドよりはもっとJazzっぽく叩きたくて色々試行錯誤したが、
ソロになると今まで培って来たものが出てしまうのはもういた仕方がない。

「お里が知れる」というものである。

でももうこの歳になって、Jazzより長くRockと共に生きて来たのだから、
お里が知れてどうなのだと今ではそう思う。

初めての純Jazzアルバムをリリースすることになって、
今ではもう何のコンプレックスもなくこれをJazzだと胸を張ってそう言える。

ドラムソロにジョンボーナムのフレーズが出て来ますがそれが何か?
ツーバス踏んでますけどそれが何か?

私はこうやって生きて来た。
涙を流しながら、歯を食いしばりながら、
戦って来た相手は誰でもない。

「自分の中のコンプレックス」である。

私はもう解き放たれた。
それが私の中で一番大切なものである。

だから全ての人に、(高松のマスターにも(笑))、胸を張ってこれを聞かせて、胸を張ってこう言うことが出来る。

「Jazzをやってます」と・・・


Funky末吉アコースティックJazzユニット「おすし」の配信サイトはこちら(視聴もできます)
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Posted by ファンキー末吉 at:12:57 | 固定リンク

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