ファンキー末吉プロフィール

香川県出身。
81年に「爆風スランプ」を結成し、98年の活動停止までドラマー、コンポーザーとして活躍。99年にXYZ→Aを結成。
90年頃から中国へ進出し、プレイヤー、プロデューサー、バーの経営等、現在に至るまで多方面で活躍中。

最新のひとりごと
やっと帰国
今日は旧正月最後の日
あなたのファンからというメール
80后のライブ
中国でのドラム教本チューニング編収録終了
不思議やなあ・・・
めんどくさいなあ
「集金」というお仕事(?)
中国人経営の日本料理屋
韓国人サウナ
カテゴリー
JASRACとの戦い
Live Bar X.Y.Z.→A
Pさんの話
おもろい話(中国のその他の地方)
おもろい話(北京)
おもろい話(日本)
おもろい話(最優秀作品)
おもろい話(香港とその他の外国)
デブが来りてピアノ弾く
ファンキースタジオ八王子
全中国Pairのツアー
全中国ドラムクリニックツアー
北朝鮮ロックプロジェクト
筋肉少女帯
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2010年03月02日

やっと帰国

昨日から雪が降っており、今日帰れるかどうか微妙であった。
「飛行機が飛ばなかったら飲もう」
と飲み会を企画する気が早い奴もいる。

朝になったらうちの貧民街では雪が積もっていたが、
交通量の多い道路なんかは何とか大丈夫そうである。

そうそう、飛行機なんて車と違って別に滑走路が凍っててもそんなに問題はあるまい。
現在進行形で雪が降ってて視界が悪ければ問題だけど・・・

SnowAirport.jpg

搭乗口から見る飛行場はまあ何とか大丈夫そうである。

搭乗!!

しかしこれが搭乗してからがなかなか飛行機が動かない。
アメリカの飛行機会社なので英語のアナウンスを聞いて何とか理解し、
中国語のアナウンスを聞いてそうだったかと確認する。

やっぱ滑走路に雪があっても大変なのか、
何やら知らんが20台の飛行機が離陸を待っているらしい。

ひたすら寝る・・・

起きた頃やっと飛行機が動き出した。
いつもだったら上空でメシが配られてる頃である。

予定をかなり遅れて成田に着く。
パーキングに預けている車を取りに行く。
これだけで小一時間かかっている・・・

そして成田から八王子まで・・・これが遠い!!!

結局朝6時に院子を出て、八王子に着いたのは夕方6時。
LAまで行けるやん!!!

Posted by ファンキー末吉 at:00:02

2010年02月28日

今日は旧正月最後の日

いつも仕事をしているプロデューサーが
「うちにメシ食いに来いや」
と言うので行ってみたら、
そうそうたるメンバーが集まってがんがんに飲んでいた。

2ndNewYear.JPG

役者もいれば歌手もいればロックスターもいれば、
まあ「いつもの連中」なのじゃが、
何でこんなに盛り上がっているのかワシだけがわけわからない。

聞いてみると、今年の旧正月は2月14日。
28日がちょうど15日目。
旧正月最後の日ということで15日目は正月と同じように過ごし、
14日目は当然ながら大晦日と同じように過ごす。

つまり酒飲んで大騒ぎするのである。

よう酒飲む民族やなあ・・・
ワシなんか日本の正月で酒飲んで、
中国の正月で酒飲んで、
そいで正月最後の日にまた酒飲んだら大変ですわ・・・

実際中国人は旧正月前後一ヶ月は働かないのですわ・・・

これは中国本土だけのことではない。
全世界で中華系の従業員がいる会社はこの時期全く稼働しなくなる。

タイで仕事をしている時もそうだった。
「この時期はダメだ!スタッフがみんな里帰りしてるんだ・・・」
マレーシアでもそうだった。
アメリカでもきっとそうだ。

経済効果悪過ぎるやん!!!

夕べは遅くまで爆竹がぱんぱん鳴り響き、
今日は朝早くからまたぱんぱん鳴り響き、

これに関しては経済効果良過ぎるやん・・・

ま、ええわ。ワシも覚悟決めて今年3回目の正月を楽しもう。

Posted by ファンキー末吉 at:18:39

2010年02月27日

あなたのファンからというメール

そう言えば中国の友人からこんなメールをもらった。

あなたのひとりのファンの文章と、
デブのキーボードがライブハウスでやっている「ろう君の初恋」の映像があったんで送ります。

http://blog.sina.com.cn/s/blog_645a3bab0100fy1g.html

とのことである。

そのサイトにいってみると、いきなりワシのソロアルバムの写真と、
ワシのドラムを青島で見たということ、
そして友人に推薦されてこの映像を見たと書かれている。

中国にはワシのドラムに影響された人間は多い。
しかし彼は純粋にこの曲に感動し、
悲しい時はこの曲を聞き、
そしてその恋が終わっていったと書かれている。

五星旗のレコードを出してくれたレーベルのプロデューサーが
こんなことを言っていたのを覚えている。

「Jazzが衰退していった一番の原因は、
人にカバーされる楽曲がなくなって来たからだ」

この曲は進藤陽悟のアルバムでもカバーされたのだが、
その時はリリカルなピアノソロの演奏で全然違和感がなかったのだが、
彼らの演奏はもう既に原作とは遠く離れてしまっている。

昨日のライブでもこの曲は演奏されたが、
だいたいこの曲にドラムソロを入れようなどとはワシは思ったこともないし、
ブラシを使って思いっきり爆発しているドラムソロは、
どちらかというと「初恋」というより「ロック」である。

しかし言い方を変えると、彼らの初恋は「ロック」だったのかも知れない。

自分の生み出した楽曲を愛してくれて、
それを語り継いでくれるというよりも、
別物にして楽曲がひとり歩きをしている姿がワシにはとても嬉しかった。

今度デブが日本に来たら、
是非またこの曲を一緒にプレイしたいものだ。

Posted by ファンキー末吉 at:15:56

80后のライブ

夕べはデブのキーボード
「ライブがあるんだけど見に来ませんか」
と言われたので行って来た。

9時からだというのでちょっと遅れて着いたら、
デブはおらず、ステージではDJが曲を流している。

80HouLive1.JPG

「ライブじゃないの?・・・」

どうもこのDJというものがワシにはよくわからない。
人の音楽を流すだけで何が「ライブ」なんじゃろう・・・

まあそんなことを言ってるからワシは「古い世代」なのじゃ。
何せこのデブらみんなは80年代生まれ、
「80后」と呼ばれる新世代なのだから・・・。

1時間ぐらいたってバンドが登場。

80HouLive2.JPG

DJの「機械のリズム」に合わせてインプロビゼーションを繰り広げる。

おっ、凄いぞ・・・

もともとこのデブはバカテク(死語?)であった。
初めて見た時に
「お前は中国Jazz界のトップになれるぞ!!」
と声をかけた。

彼もワシのソロアルバムを聞いて育った世代なので喜んで食いついて来た。
しかし後に彼はCとAとGのキーしか弾けないことが発覚。

「1オクターブは12音しかない!
だからあと9つ、
つまりあと3倍練習しろ!
そしたら全てのキーで弾けるようになる!」

このテクニックで全キーを制覇したら、
冗談じゃなく中国のJazz界、
いや世界的なプレイヤーになれるぞ!!

ワシは夢膨らんで彼にいろんなことを教えた。
コード理論やJazz理論、モード奏法からアウト奏法まで、
ありとあらゆる奏法を叩き込もうとしたのは、
当時ワシが北京に移り住んで一緒にバンドが出来るほどのレベルのプレイヤーがいなかったのが大きな理由であろう。

いないなら育てる!!
それだけのことである。

しかし彼はそれに背を向けてHip Hopユニットでデビューを目指した。

「アホか!お前はそれだけの腕がありながら歌謡界に行きたいのか!!」
さんざん彼に説教したが、
考えてみれば彼は20歳そこそこからもうキーボード一本で両親を養ってきてるのだ。
この中国でナンバーワンの「プレイヤー」になったところで大金持ちにはなれないが、
「スター」になったら想像もできない大金が転がり込むことになる。

仕方がないので彼らのデビュー曲をプロデュースしてやった。
これである。

まあ今聞けばなかなかよく出来た作品なのじゃが、
ワシは何か面白くなかった。

だってこれ・・・お前じゃなくても出来るじゃん!!
あの超絶ソロはお前じゃないと出来んもん!!

結局このユニットは思惑通りにデビューすることが出来ず、
彼はその後ワシの背中を見ながらスタジオミュージシャンとなった。
歌謡曲をプレイするので必然的に全キーで弾けるようにはなったが、
もうワシ自身が彼をJazzプレイヤーとして育てようという情熱は失った。

ところがライブでの彼のプレイを聞いて、
いきなり初めて彼と出会った時の衝撃が蘇った。

いつの間にやらアウト奏法、3拍フレーズはもちろんのこと、
それより難解である5拍フレーズまで自分のものにしてしまっている。

10年かかったがヤツはちゃんとワシの教えたことを身につけたんだ・・・

80HouLive3.JPG

歌手が登場した。
彼女が歌うアメリカンポップスをDJと共にデジタルにアレンジしているのが気持ちいい。

デジタルが中国のアレンジの主流となって、
ワシは1年寝ずに全てのデジタルソフトウェアを勉強し、
それをおしげもなく彼に教えた。
ソフトウェアを共有することによりワシが彼に仕事を振れるからだ。

こうして重慶雑技団をはじめとし、
数々の映画音楽、テレビドラマの仕事を彼に振った。

「こんな仕事・・・やってられるか・・・」
と、その後この世界に背を向けて、
デジタルからも背を向けてX.Y.Z.→Aのように身体張ってぶつかる音楽に戻っていったワシと違って、
彼はその全てを「自分の音楽」にした。

いや、もともと好きだったのだろう。
その好きなものを融合したらこの日のこんな音楽になったのだ。

最後にラッパーが出て来た。

80HouLive4.JPG

おいおいおい!!ハッパ吸うアクションで歌うなよ!!
10年前だったら即逮捕じゃぞ!!

平和である。
中国も平和になった。

そしてその中国を彼ら80后が引っ張ってゆく。

新世代が自分たちのやりたいことをやっているこのライブ。
ワシは非常に楽しまさせて頂いた。

デブは4月に来日し、筋少のエンゲキロックの仕事を手伝ってもらう。
3ヶ月も日本にいるのだ。
時間があればでもライブをやってもらうことにしよう。

Posted by ファンキー末吉 at:10:13

2010年02月26日

中国でのドラム教本チューニング編収録終了

分刻みのスケジュールの中、
順調に終わったので次の現場に行くまえにレポート。

DrumTuningVideo.jpg

「共鳴を恐れるな!!ミュートなんか貼るな!!
ひとつを叩けば全部がワンワン鳴る。
それがドラムぞ!!」
みたいなことがちゃんと中国語で言えたかどうかは不安じゃが、
まあ後は字幕で何とかフォローしてくれるじゃろう。

字幕の原稿書かねば・・・(涙)

ところでこれらの仕事、もちろんノーギャラである。
パールのドラムを中国に浸透させるために金なんか取ってられません!!

ということで日頃のお礼にSavianの限定モデルのシンバルを贈呈された。

Savian100.jpg

世界で限定100枚しかないという記念シンバル。
ご丁重に物々しい木の箱に入っている。

どうやって持って帰るんじゃ?・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:14

不思議やなあ・・・

日本にいる比率が多くなって、必然的に中国語を忘れている。
思うように喋れなくて、発音も悪くなってるのを自覚する。

しかし喧嘩をすると非常に流暢にに喋れる。
っていうか喧嘩するためには流暢じゃなきゃいかんのだが・・・

飲み屋から出るとタクシーが拾えない。
また服装を春の日本のまま来てしまっているので非常に寒い。

凍えながら交差点の近くまで行ってやっと1台拾えた。
すかさず乗り込んで行き先を伝える。

「この車線からは曲がれないな!あっちの車線の車を拾え!!」
などと言うもんだからワシもいきなり戦闘モードになる。

「Uターンでも大回りでも何でもしろ!!仕事だろ!!」

「交差点近くじゃなく、
もうちょっと後ろで拾ってくれたらここで曲がれたのに・・・」
とかうじうじ言い続けるので、説教する。

「それはお前の勝手であり、客にとってそれは関係ない。
だいたいお前はサービス業というものをどう考える?
お前がよければそれでいいのか?
客がよければそれでいいんだろ!!
結局大回りして儲かるのは誰だ?
お前だろ。
客は大回りしてでも行けと言ってるんだ。
黙っていけばよかろう!!」

あとは何を喋ったか忘れた。
何も考えずに延々言葉だけが出続けるんだから凄い!!
運転手にとっても口論しているヒマがあったら走った方が早いのでとっととメーター倒して走ってゆく。

全く中国で暮らすというのは毎日エネルギーが必要なのじゃよ・・・

今日の仕事は全部中国語を使う。
1時から中国語で話してドラム教本のチューニングの部分を収録。
3時から泰山日中ロックフェスティバルの打ち合わせ。
5時から克爾曼(KAHRIMAN)とレコーディングの打ち合わせ。

夜はデブのキーボードがライブなので見に行くだけじゃが、
昨日のリハビリで中国語力が戻っていることを願うばかりである。

Posted by ファンキー末吉 at:10:10

2010年02月25日

めんどくさいなあ

車で出かけようと思ったら無理だった。
ワシの(というかロック村で共有の)車のナンバーの末尾は5、
なんと今日は五環路の中には入れないという。

またこの数字の法則がよくわからない。

月曜日(星期一という)は末尾が2と7、
火曜日(星期二という)は末尾が3と8、
水曜日(星期三という)は末尾が4と9、
木曜日(星期四という)は末尾が5と0、
金曜日(星期五という)は末尾が6と1、

覚えられんぞ!!
星期一なんだから1と6にせーよ!!

というか東京だったら
「環八内にこの車は入れません」
などとやった途端に大パニックになるぞ!!

相変わらず無茶するなあ中国政府・・・

明日は明日で五環路内のスタジオを取っていたら、
「私の車は明日五環路内に入れません」
と言われてスタジオ変更したぞ!!

渋滞より何より経済効果が悪いと思うんですけど・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:58

2010年02月01日

「集金」というお仕事(?)

ワシはどうも人より「偶然」が多いと見える。
サンフランシスコの交差点で日本から旅行に来ている知り合いと偶然すれ違ったり、
飛行機で知り合いに会うなんざしょっちゅうである。

今回はまた、行きの飛行機でLAで知り合った日本人と一緒になった。
奥さんと北京に旅行に行くところらしい。

そして座席に着いたら今度は隣にソン・ルイという日本に住む中国人ギタリストが座っていた。
前回一緒にバックバンドの仕事をしたミュージシャン仲間である。

聞けば今回も曲世聡の仕事だというので、
そう言えば前回のギャラをまだもらってないので見に行くことにしたのだ。

いわゆる「集金」である。

仕事内容はまたバックバンドというが、
行ってみると音楽賞の受賞イベントで、
生バンドの出演は2曲のみ。
しかも夕べのゲネプロは朝4時までやっていたというのだから、
今回の仕事はワシでなくってよかったと胸を撫で下ろす。

KayouShow.JPG

いわゆる「歌謡ショー」のステージは、
ワシひとりで見るにはあまりに退屈だった。

そう言えばワシはあんましコンサートを見に行くことがない。
コンサートは「見に行く」ものではなく「出演しに行く」ものだったのじゃ・・・

しかもこれはもう既に「コンサート」ではない。
有名歌手、女優等をしこたま呼んで、
授賞式の公開録画を金を取って体育館クラスでやっているだけのもんである。

授賞式ももちろん見に行ったことはない。
「出演する」か、もしくは「受賞しに」行くだけである。

数年前は受賞すると思ってなかったのでジャージとか汚い格好で行ったら、
参加したロックオムニバスが最優秀ロックアルバムを受賞し、
プロデューサーだけではなく参加者みんな壇上に上がれと言われ、
みんな正装してるのにあまりに恥ずかしいのでこそこそ逃げ帰った記憶がある。

それにしても受賞イベントはつまらない。
昔はもっと知り合いがいっぱいノミネートされてたり、
自分がレコーディングした曲が受賞したりしてたものじゃが、
ワシらが参加しなくなったから受賞する音楽がつまらなくなったのか、
はたまた単に時代が変わったか・・・

そんなことを考えながら待てども待てどもバンドが出て来ない。
もう飽きてしまって早く帰りたいのじゃが、
帰ってしまってはまたギャラをもらいそびれてしまうので我慢して見る。

「先にギャラくれよ」と言ってもみたのじゃが、
「仕事終わって一緒にメシ食おうよ、その時に渡すよ」
と言われたら待つしかない。

ほんま中国って何でもかんでもメシ食わねばならないので大変である。

やっと授賞式が終わったが、
ヤツらは機材片付けがあるので、
「どこメシ行くの?先に行っとくよ」
と言って先に会場を出た。

思えば今回はまだ一度も北京料理を食ってない。
これが今回最後の食事になるので是非北京料理を食いたかったのじゃが、
指定されたレストランは何と香港レストランだった。

ちょっと残念じゃが中華は中華なので、
腹がへってたまらないので先にいっぱい頼んでやけ食いした。

GuangDongCai.JPG

当然ながらみんなが集まった頃には満腹である。
おまけに車で来ているので酒も飲めない。

ながーいながーい酒盛りに付き合ってやっとギャラがもらえた。

ShuukinNoOshigoto.JPG

ごっつい札束をもらってむっちゃ稼いだように見えるが、
実は最高額紙幣が100元(1500円ぐらい)なので、
日本円にすると何ぼにもならんのよーん。

でもまあ、遊んでるみたいなもんやからええか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:03:29

2010年01月31日

中国人経営の日本料理屋

昨日は友人のスタジオのドラムのチューニングをしていた。
まあ「人助け」である。

この「人助け」が一日仕事になるのが「中国」である。
何故なら必ず「お礼にメシでも食おう」になるからである。

まあ泰山ロックフェスティバルの話もあったのでちょうどいい。
この話が実現したら舞台制作の一切は彼らにお願いしようと思っていたのだ。

「じゃあ日本料理でも行こうか」

ぎゃー!!やめてくれー!!
ワシはこっち来てから日本人バー巡りをしているので全食日本料理なのじゃー!!
羊肉食わせろー!!辛いもん食わせろー!!

しかし彼らはすっかり日本料理を食う気まんまんで予約までしているというので仕方がない。
連れて行かれたところは中国人が経営している日本料理屋。
非常に高級店である。

食べ放題飲み放題のプランにして日本酒を頼む。
山ほどの料理が運ばれて来る。
食べ放題だからと言って食べきれないぐらい頼むのが中国人である。
とりあえず刺身でもつまんでみる。

不味い・・・

ほんと、中国人が経営する日本料理屋ほど不味いものはない。
もうこの段階で山ほどの料理を食う気にならなくなる。

最後に鉄板焼きが始まる。

TeppanyakiChina.JPG

肉なら食えるぞ!!!

まあ神戸牛のように霜降りでも何でもないが、
アメリカのステーキだと思えば全然食える味である。
要は肉であればいいのじゃ。

たらふく肉食ってえみちゃん達と合流。
また日本人バー巡りである。

結局全部で7軒廻って二日酔い。
今日こそは中華食うぞー!!!

Posted by ファンキー末吉 at:15:51

2010年01月30日

韓国人サウナ

院子はもう水道管が凍っていて水が全然出ない。

つまり「風呂に入れない」!!

まあ北京は乾燥しているので数日入らなくても大丈夫なのじゃが、
それでも日にちが経って来るとさすがにそうもいかない。

近所のスラム街にも公衆浴場はあるが、
浴槽にお湯がたまってなくてシャワーだけだったりするし、
町中にある公衆浴場は抜き系だったりするので危険である。

そんな中、ワシは隣町「望京(ワンジン)」に出来た韓国人サウナがお気に入りである。

フロアに入ったら床暖房で床が暖かいし、
エコ意識もなくお湯が溢れるほど浴槽から流れ落ちている。

サウナのテレビが朝鮮語なのと、
タオルも与えられずお兄ちゃんが濡れた身体を拭いてくれるのだけには今だに慣れないが、
仕事終わりにゆっくり浸かるもよし、
仕事前にざばっと風呂に入るもよい。

今日はスタジオでドラムのチューニングと、
それが終わればその関係者とメシ食って飲まねばならないし(辛いなあ)、
その後はまた美女たちと合流して飲み歩かねばならない(辛い辛い・・・)。

さてひとっ風呂浴びに行って来るか!!

Posted by ファンキー末吉 at:11:19

美女と北京で飲み倒す!!

いやー・・・辛い仕事である・・・辛い辛い・・・(笑)

先日メルマガで送ったように現在飛鳥さんの娘さんと一緒に北京に来ているわけじゃが、
ひとくちに「店をやりたい」と言っても北京の他の店がどんな感じなのかを見なければ話にならない、
というわけで、今回は「1日10軒飲み歩くぞ!」というわけで、
北京中の日本人バーを飲み歩いている今日この頃である。

北京で長く暮らしてはいるが、
暮らしているのが中国人のまっただ中なので、
こんなにたくさんの日本人バーがあるのかと今更ながら驚くばかりである。

お供はこの話の言い出しっぺであるなるみちゃんと、
あと、飛鳥さんと同じ岩手県人会である吉野譲。

気がついてみると3人の美女と飲み歩いているのである。

ustreamでweb配信させない中国政府にたてついて、
違法ソフトを使って配信出来るか実験も兼ねながらやっているので、
配信が成功した時にはその映像は美女と飲んでいる時ばかりである。

「末吉さん、キャバレー行く時は配信切ってないとヤバいですよ」
とありがたいメールが届いたが、
考えてみれば日本人美女と日本語で話しながら飲んでいる映像を配信したところで日本と何も変わりはない。

誰かiPhoneでセキュリティーを破れる方法を教えてくれぃ!!!
そしたらワシは町中をiPhoneで配信するのに・・・

明日は午後からスタジオにドラムのチューニングに行くのでとりあえずそれでも配信してみよう。

www.blasty.jp/barxyzにて可能な限りゲリラ配信中!!

Posted by ファンキー末吉 at:03:24

2010年01月29日

中国からはTwitterが出来ない?!!

中国政府は国内のインターネット接続に関して6つの「関所」を設け、
常に人民のインターネット接続を監視していると言う。
だから国外のサーバーに接続する速度は非常に遅い。

これだけではない。
驚くべきことにYou-Tube等アメリカのサーバーには接続出来ないようになっているのだ。
同様に店の配信システムであるustreamにも接続出来ない。

同様に今回北京に来て発覚したことが、Twitterにも接続出来ないということである。

You-Tube等は反国家的な動画を配信されたらたまったもんじゃないという考えも理解出来るが、
Twitterなんてもんがそんなに国家を脅かすようなことか?・・・

しかし中国人はたくましい。
「上に政策あれば下に対策あり」
という言葉があるように、
政府が取り締まればその抜け道を考えて「うまくやる」のである。

海賊版ソフトがこれだけはびこる国である。
そんな政府のセキュリティーなんぞぶっ飛ばしてしまうソフトが出回っている。

Free VPN

このパソコンがアメリカのIPアドレスに接続しようとしているのではない、
とパソコンを騙してしまうソフトなのである。

中国の若い衆はみんなパソコンにこのソフトをインストールして、
自由にYou-Tube等の動画を楽しんでいる。
もちろん「関所」のせいで速度は非常に遅いが・・・

ところが政府もバカではない。
ワシが北京にやって来てTwitterに接続出来ないことを知り、
それではとこのソフトを立ち上げてみると、
何と見事にこのソフトを使っても接続出来ないようになってしまっている。

若い衆に電話をして聞いてみる。
「あのソフトが使えなくなってしまってるみたいだけど・・・」
答えは簡単である。

「新しいバージョンのが出てるからそれ使ってみぃ」

それだけの話である。
永遠に「いたちごっこ」なのである。

中国政府よ。こんな規制をしたところでどうせ「いたちごっこ」なのである。
金と労力の無駄じゃ!すぐ規制を解きなさい!!!

Posted by ファンキー末吉 at:04:59

2009年12月21日

LaoWuは偉大やなあ

院子に帰って来たら水道管に凍結防止処理がなされたいた。

LaoWuIdaiyana.JPG

ミュージシャンのくせに何でも出来る!!
貧乏がそうさせたのか、出来るからずーっと貧乏で不自由がないのか・・・

彼曰く、
「嫁にも言われたことあるよ、なんであんたはそんなに貧乏なのって、
でも俺は答えたんだ、この生活をやってるからあくせく働かなくていい、
朝から晩までバンドの練習以外お前とテレビ見たり毎日遊んでるだけじゃないか。
こんな生活はよっぱど金持ちかよっぽど貧乏かしか出来ないよ」

けだし名言である。

ワシここまでサバイバルなミュージシャンは彼以外会ったことがない。
彼に空港まで送ってもらって今から日本に帰る。

山ほどの土産である。

YamahodonoOmiyage.JPG

画面下から順に、
前回好評だったビールがいくらでも進む唐辛子の激辛スナック、
武漢名物鴨の喉笛、
寧夏名物手づかみ羊肉、
29日には客と一緒に全部食らうのじゃ!!

Posted by ファンキー末吉 at:15:26

2009年12月20日

空港にて物思う・・・

文無しでもLaoWuが空港まで送ってくれるし、
電子チケットやからパスポート出したらチケットくれるし、
武漢着いたら迎えが来てるから金使うことない。

中国はほんまに金使わんでええから楽やわ・・・

それはそうと昨日のコンサート、
思い起こせば結構歴史に残るいいコンサートやったに違いない。

通常歌謡曲系のコンサートでは「チェイサー」と言って
最後の曲が終わったら歌手の退場のためにエンディングとかをリピートで演奏するのじゃが、
通常はその段階で客はぞろぞろ帰ってしまい、
ひどい時にはチェイサーが終わったら1万人の客が全員帰ってしまっている。

早っ!!

しかし今回は珍しく、
ドラムを片付けているのに大半のファンは帰らずにずーっとアンコールを続けている。
こんなことは中国のコンサートではなかったことである。

中国人・・・合理的やから無駄なことせんし・・・

また、歌謡曲系のコンサートでは出モノ腫れモノ何でも来いじゃが、
あれもやりたい、これもやりたいでいろいろやっても、
まあ成功する企画はせいぜい半分ぐらいである。

ところが昨日のコンサートでは全てが大成功。

しょっぱなの軍隊ダンス(この監督・・・ほんまこれが好きやなあ・・・)
ダンスがバシッと決まって大成功。
小さい頃アニメが好きでということでアニメメドレー、
ドラえもんから始まって聖闘士星矢まで日本語で歌う。
大盛り上がり・・・
ヒット曲のメドレーも電子音楽風にダンスも交えて大成功。
マイケルジャクソンメドレーではムーンウォークからダンスをビシっと決め、
お決まりのバラード(これが大半なのであるが)では、
デブのキーボードがもらい泣きするほどの歌唱力を見せつける。

そう言えば日本にはここまで歌えて踊れるエンターティナーっておらんなあ・・・

基本的に中国の歌手は歌がうまい。
今回のコンサートもそうなるだろうが、
よく大きなコンサートはすぐに海賊版DVDとして発売されるが、
無修正のその音源を聞いて、
バンドはミストーンがあっても歌手が音を外すことはまずない。

彼はMengMeng(モンモン)のようにテレビのオーディション番組で出て来た歌手なのじゃが、
人口比率で言うと応募者の数は日本のオーディション番組の比ではない。
顔がよい、キャラクターがずば抜けているだけでは勝ち残っていけないのだ。

少なくても歌はもの凄く上手い!!これは中国で歌手やるなら必須である。

その上、彼は80后(80年代生まれ)と呼ばれる中国の新世代である。
ネットと海賊版で全ての情報を手に入れ、
一人っ子政策で好き勝手に育った宇宙人世代である。
ワシが「なんだかなあ」と思うことは彼らにとっては当たり前のこと、
中国という国はこの宇宙人世代が牽引しているのである。

ギャラはもらいそびれたが、まあ次の仕事もワシだろう。
その時にもらえばよい。

このバンドのメンバーも全て80后、
デブのキーボードも含め、全てワシが育てた新世代のミュージシャンなのだから・・・
ぼちぼちドラマーも育てにゃいかんのう・・・

おっと出発の時間だ、搭乗するとするか・・・
武漢まで2時間・・・毎度のことながら・・・国内線が遠過ぎる・・・

Posted by ファンキー末吉 at:07:42

ギャラもらうん忘れたぁ!!

文無しである・・・

しゃーないなぁ・・・武漢へ出発ぅ!!!

眠い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:37

2009年12月19日

終わったどー

いやー長かったなあ・・・
これで終わると思ったら思いっきり叩かせてもらったぞよ。
歌謡曲ごときでミスなんかしてたまるかい!!

完璧なドラムです!!!

今から慶功宴。
胸を張って酒を飲ませて頂きます!!

明日朝6時出発で武漢やけど・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:36

ゲネプロは長かったぁ・・・

なにせ1回通して、晩飯食ったらまた最初っから通したもんなぁ・・・

ZhangJieGenePro.JPG

北京工人体育館、キャパ1万2千人。
まあ日本で言うと武道館である。

新人のくせに売れてるらしいから金あるでぇ・・・
(しかし往々にしてバンドには回って来ないのであるが)

出モノ腫れモノ何でもあり!!
バンドのメンバーも多いけどダンサーもうじゃうじゃ・・・

ちなみにこの写真はダンスのリハをしているように見えるが、
実はバンドのサウンドチェックである。
日本だと何時から何時までは照明、何時からはバンド、
と時間をちゃんと分けてやるのが普通だが、
ここ中国では我先にいっぺんにやってしまう。

さすがバス停で並ばずにダンゴになってバスに乗る民族・・・

だいたい「ドラム下さい」とか言われてドンドンとか叩いてるのに、
全然違うテンポで「イーアルサンスー」とか叫びながら
それに合わせてダンスを踊ってるわ、
照明は勝手に色合わせしてるわぐしゃぐしゃである。

サウンドチェックも、まずドラムをひとりで叩いて、
その音が大きいか小さいかをそれぞれのミュージシャンに聞いて、
全員回ったら次はそれにベースを一緒に弾いて、
ベースの音が大きいか小さいかをまた全員に聞いて・・・
という風に順列組み合わせで全員を回ると、
バンドのメンバーが多いので結局ドラムは1時間ぐらい叩き続けている。

このやり方は5−6年前に韓紅という歌手のコンサートでドラムで呼ばれた時、
その時の台湾の舞台監督がやり出したのが最初だったと記憶している。
ミュージシャンにはすこぶる不評だったがそれから定着してしまった。

それにしてもダンサーは凄い!!
全楽器が大音量で別のリズムを延々刻んでいるのに、
全然違う別の曲を踊ってるんだから・・・


さて夕方頃になって歌手が登場!!
見て下さい!!
リハ装束がもうマイケルそのものです!!!


ZhangJieMickelSokkuri.JPG

凄いですねえ。
もちろんMJメドレーもやります!!
ダンスも踊ります!!
ムーンウォークもやります!!

勇気あるなあ・・・

Earth Songに至っては映像もMJと同じです!!
(著作権どうなっとるんやろう・・・)
しかしアレンジがちょっと違ってて、
中国らしく二胡が入っていて、

ZhangJieGtAndErhu.JPG
(画面右手)

この曲のためだけに呼んだ二胡奏者がそれはそれは美人で・・・
(お近づきにはなれなかったが・・・)
それが最後にはステージの一番前でギターふたりに挟まれて弾きながらのけぞるのよ・・・

客席で見たい・・・

いやーやる前は「なんだかなー」と思うことがいっぱいあったが、
ここまでやってくれると何か・・・凄い!!

思うに今の時期、武道館クラスでこうも真っ向からMJを再現する歌手は世界広しと言えど中国だけでしょう・・・

中国人おそるべし・・・

Posted by ファンキー末吉 at:02:03

2009年12月18日

風呂に入るのも命がけ


中国古来の院子(ユエンズ)というのはその作り上
風呂に行くにもトイレに行くにも一旦部屋から出て行かねばならない。
夜中のトイレなんぞ命がけである。

外は零下、サウナに行こうと着込んで外に出るが、
車のエンジンをかけようとして思いとどまる。
この凍った鉄の塊の中でこのオンボロ車がエンジンがかかるまでに凍え死んでしまわないとも限らない。
またこの車ときたら夏はエンジンの熱気で外気より暑いくせに
冬はすきま風で外より寒い。
サウナ上がりに湯冷めしてしまう可能性大である。

そう言えばうちの風呂桶はLaoWuが直してくれたからうちでも風呂が入れるではないか・・・

風呂場に行く。
お湯をひねってみる。
出ない。

水道管が凍っているのだ・・・

部屋に帰ってコタツにくるまって考える。
さてどうしたものか・・・

困った時のLaoWu頼み。
隣なのにコタツから出たくないので電話で呼び出す。
ニ井原がパソコンが壊れたらワシを呼び出すのと同じである。

お湯を持ってLaoWuが現れる。
貧民街では通常部屋の中で練炭ストーブを炊いて(危険やなあ)暖をとるのでその上に置いてあるヤカンにいつもお湯があるのだ。

お湯の温度を調節してお湯をためる間またこたつに飛び込む。
この間にもう体は冷え切ってしまっているのだ。

お湯がたまった頃、覚悟を決めてこたつの中で服を脱ぎ捨てて全裸になる。
えいやとばかり覚悟を決めて外に飛び出す。
零下の院子を駆け抜けてお湯にざっぷん。

わっちっち!!

お湯の温度が熱すぎた。
飛び出して水でうめる。
しかし浴室も外気の温度と同じである。
凍え死にしてしまうのでまた意を決して浴槽に飛び込む。

わっちっち!!

まるで熱湯コマーシャルである。
これをくり返すうちにお湯もうまり、
身体も温まってゆっくりお湯に浸かれるというもんである。

出る時はもう身体も温まっているので裸で院子に出ても大丈夫。
身体から物凄い勢いで水蒸気が出ている。
全然寒くない。

部屋に入って服を着ていざ出陣!!
今日は会場入りしてゲネプロ。

Posted by ファンキー末吉 at:13:33

2009年12月17日

ドラムセットを持ち込んだ

日本ではだいたい全てのライブは自分のセットでやるが、
中国では持ち込まないのが普通である。
リハーサルスタジオは機材リース会社を兼ねており、
ここでリハーサルをするということは即ちここに機材を使うということである。

北京には3つこのような会社があり、
そのひとつはオーナーがドラマーなのでよいが、
あとのふたつの場合ワシはそのドラムをあまり信用していない。
特にワシはパールのモニターなので
その会社の一番のドラムセットがパールとは限らないのでなおさらである。

VisionGreenDrumkit.JPG

持ち込んだこのセットはパールのVisionシリーズ、
中国のパール工場が作った初の国内流通バージョンである。
ワシはこのシリーズの宣伝で全国を廻っているのである。

今回ドラムセットを持ち込んだのは、
このスタジオが用意してくれるパールのセットが必ずしもいいものとは限らないのもあるし、
ドラムより大切なヘッドがちゃんとしてない可能性もあるし、
チューニングがぐしゃぐしゃである可能性もあるし、
でも何よりも今回の歌手が「アンコールでドラムソロをやりたい」と言い出したからである。

勇気あるなあ・・・
いくらワシがギターやピアノの心得があってもアンコールでソロをやらせろとはよう言わんもんなあ・・・

まあ自分のコンサートである。
やりたいことは全部やればよい。
当日はドラムセットを2台用意して、
アンコールでは彼がドラムソロをやりながらせり上がって来るということで、
それをサポートするために自分のドラムセットも持ち込んだのである。
当日はワシは自分のセットを、
彼はこのスタジオが用意したセットを叩くことになる。

叩けるというレベルでもないドラマーにソロが出来るのか?!

・・・出来るのである。
ワシが手取り足取り教えてやろう。
ドラムソロとは即ちパフォーマンスである。
ワシがやるなら難度の高いパフォーマンスが求められるが、
歌手が叩くのに難度は必要ない。

Wingを見てみろ!!
ワシが2時間一生懸命ドラム叩いて、
アンコールで出て来てちょこちょこっとドラム叩いただけで観客の全てを持って行ってしまう。

ドラムはやっぱ顔やでぇ・・・

彼は中華圏で一番のドラムスター、
今は歌を歌っているが、彼がドラムを叩いてくれさえすれば客はそれでいいのである。
しかも彼はショービジネスの世界でいろんなことを知り尽くしている。
彼のドラムソロを手本にして組み立てればそれでよい!!

まずせり上がって来る時にはスネアの連打。
上がり切ったらそのままタムに移動し、
フロアタムまでいったらいきなりツーバスとシンバルで乱れ打ち。

「難しくないか?」
歌手は心配そうに聞くが、
お前がやりたいような複雑なリズムソロは、
テクニックが必要な上に出来たとしてもそんなに効果がない。
ツーバスとシンバルの乱れ打ちぐらい実は誰でも出来るのだ。

そしてゆっくりした速度からシンバル+バスドラ、
そしてスネア、
これを交互にゆっくりから始め、速度をじょじょに上げて速くする。
これだけで観客は狂喜乱舞よ!!

「こんな簡単なことで?」
歌手は心配そうに聞くが、
「じゃあ俺がWingのドラムソロをそのままやってやろう!!」

Wingはこの辺のことを知り尽くしているので、
彼はバスドラ+シンバルではなくスネア+シンバルである。
その時に同時に首も振る。
タンというのを身体ごと打ってるような感じですな。
これをゆっくりからだんだん速くしてゆく。
そして最後にバスドラも交えて乱れ打ち。
客は狂喜乱舞よ!!

「わかったか!!ドラムは所詮は顔よ!!
お前はWingに負けず劣らずルックスがいいんだから絶対に出来る!!自信を持て!!」

なんか言えば言うほど悲しくなって来た・・・

Posted by ファンキー末吉 at:15:14

風呂桶なおった・・

さすがうちの村長ことLaoWuは天才である。
貧乏がそうさせるのかもともと器用なのか、
何でも自分で直してしまう。

Furookenaotta.JPG

今日はリハ終わって帰って来たら風呂に入ってみよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:12:39

2009年12月16日

リハは続くよだらだらと・・・チャット・・・

ドラム台の横にパソコンを置いて、
叩いている時は無理でもヒマがあればメールチェックしている。

ComputerByDrumkit.JPG

昨日は田川くんから別件でメールが来て
そのままメールチャットになってしまった。
(それぐらいヒマなのよん・・・)

>ところで、ヤンクンの時の舞台監督は、ファンキーさんが泣かせた人ですよね。
>OPで鼓笛隊を提案してきたあの監督(笑)。

ワシが泣かせたかなあ・・・泣かされた記憶しかないがなあ・・・

そうそう、あの時は日本から田川くんも呼んで一月滞在してもらって一緒にこの大仕事やったんじゃったのう・・・
何でYangKunのオープニングで軍服着た鼓笛隊が行進せないかんのか今でもようわからんが、
他にもいろいろあったのう・・・
「ベンツの中で女はべらせて歌え」とかのう・・・
YangKunの歌は全部失恋の歌で女はべらせて歌う歌は1曲もないっつうねん!!

>そういえば、ファンキーさんがプロデュースの時、ゲネ前の舞台上で寝ていたのを思い出します。
>本当の大物だと思いました。(笑)

いやーもう・・・疲れ果ててな・・・
コンサートの前日にVIP席の招待券を持ってS社長んとこ行って朝7時まで飲んでたのよ。
音楽監督は誰にでも出来るけどYangKunとS社長を仲直りさせるのは中国広しと言えどワシしかおらんからな。

またステージ上が照明で暖かくて寝やすいのよ。
「ドラムの番になったら起こしてね」ってね。
爆風のツアーでも二日酔いでよくこうやって寝てた。

今回も寝るでぇ!!
あんましたいくつなもんで・・・(笑)

>寝ても寝なくてもギャラは同じですし(笑)

音楽監督でギャラいっぱいもらっても、
あれだけやること多くて神経もすり減らして、
それよりはドラマーでこうやってだらだらやってる方がよっぽどええわな。

あ、リハが始まった。
またチャットしよな!

ほな!!

Posted by ファンキー末吉 at:14:15

2009年12月15日

リハは続くよだらだらと・・・取材・・・

だいたい何が仕切りが悪いってベースが来てないのである。
遅刻するようなヤツじゃないのになあと思って待ってたが、
今日は他のライブがあるので遅くなると言う。

じゃあ遅く始めろよ・・・

待てども待てども来ないのでだらだらしてたら
いきなり取材の人間がうじょうじょ来だした。

中国はよくあるのよ、リハの様子を取材するって・・・

ワシが音楽監督の時はうっとおしくて喧嘩してたけど、
今回はワシの仕切りではないのでどうでもよい。
テレビ用に演奏しろと言うのでベースなしで演奏してたら、
何やらメディアが全部ドラムんとこに集まって来ている。

見れば歌手がドラムのそばで歌っているではないか!!

やめてくれよぉ・・・
と曲が終わったらそそくさとドラムから逃げ出す。
そしたら何か当日のゲストの歌手かなんかが来てインタビューが始まる。

ZhangJieCaiFang.JPG

もうリハどころではないので外に逃げ出してタバコ・・・
をみんなは吸うのじゃがワシは吸えないのでまた戻って来て写真撮影。

聞けば明日明後日はもうゲネプロということであるが・・・
まだ全曲合わせてないぞ・・・

まあ何とかなるのじゃ、中国では・・・

AkireruDebu.JPG

デブもあきれる中国のリハーサル。

Posted by ファンキー末吉 at:19:39

音楽監督の立場とドラマーの立場

中国でこのような大仕事を受ける時には「音楽監督」という立場で仕事を受ける時が多い。
前回はYangKunという大歌手の復帰コンサートであった。

彼は苦節10数年、S社長に拾われて大ブレイクしたが、
事務所移籍に関してS社長ともめて、その結果鬱病を煩って一線を退いた。
そんな彼が満を持しての北京でのソロコンサート、
心配性の彼が訪ねて来たのはS社長の親友であったはずの私である。

「これは相当な覚悟でワシんところに来てるな」
と思ったワシは快く音楽監督を引き受けた。
それからの毎日は筆舌に尽くしがたい。

まず困るのが「舞台監督」との衝突である。
ワシとYangKunとはデビュー前からの付き合いだし、
レコーディングもライブも数々やったので心も通じ合っている。
ところが初めて会うその舞台監督のわけのわからん要求にキレるのはワシだけではなかったようだ。
当のYangKunも
「あいつの言うこと聞かなくていいから。
音楽は俺とお前で作ればそれでいい」
と言ってたぐらいで、最後にはその監督が何を言おうと誰も相手にしなくなった。

昨日のリハーサルでその監督を見た時には目を疑った。
「彼が今回の監督なの?・・・誰が呼んだ?・・・」
ワシは小声でプロデューサーの曲世聡に聞いた。

「前回のYangKunのコンサートが素晴らしかったんで僕が呼びましたが?」

アホか・・・あの監督がどれだけめんどくさいか・・・お前は知らんから・・・
と言おうとしてふと考えた。
別に今回はワシの立場は音楽監督ではない、
音楽監督はこいつである。
つまり監督がまたどんなめんどくさいことを言い出しても聞くのはワシではない、こいつなのである。

「よしよし、君がよければそれでいいではないか」

ワシは今日もリハに行く。
リハはだらだらと続く。
しかしリハが終わればそれで終わりである。
夜中に全部アレンジをやり直したりしなくてよい。
次の日に目を赤くしてやって来た彼の意見を聞いてまたドラムを叩くだけである。

楽しいかな、ドラマーの立場・・・
今はちょっと風邪ひきさんなので、
直ったらバンドのメンバー連れて飲みに行こうかな。

Posted by ファンキー末吉 at:11:31

2009年12月14日

風呂桶壊れた

中国人は欧米人と同じくシャワーしか浴びんが、
日本人はやっぱ風呂である。

この院子に引っ越した時に真っ先に購入したのがこの風呂桶。
ついでにこの桶にいっぱいのお湯を沸かすための給湯器が右側。
これがまた高かったのよ・・・。
風呂はやっぱ中国では贅沢品やね。

Furookekowareta.JPG

そしてこの風呂桶に先日お湯を入れようとして発覚。
風呂桶の木が乾燥により割れ目が出来てお湯が漏れてしまうのだ。

久しぶりにLaoWuに会ったので修理を依頼する。
彼は何でも直せるサバイバルなミュージシャンなのだ。

どのように直すんじゃろ?・・・

まあ彼のみが知ることじゃが、
直るまでワシは風呂に入れない。
韓国人が開いたサウナがあるので当分はそこに通うことになるな・・・

めんどくさいので入らない可能性もあり・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:56

2009年12月08日

リハは続くよ果てしなく・・・

だいたいバンドのメンバーが多い!!

ドラム、ベースにパーカッション、
ギターはふたりにキーボードもふたり、
コーラス4人に音楽監督やらマニュピレーターやら、
そりゃ広いスタジオじゃないとという気持ちはわかるがこれは広過ぎじゃろ・・・

ZhangJieRhStBig.JPG

映っているのでまだ半分である。
左側にまだ同じぐらい広さがあり、
そこにコーラス隊が陣取っている。

しかしリハも佳境になって午後を過ぎると
このスタジオにどんどん知り合いのミュージシャンが集まって来る。
どうもこのスタジオは2時から別の歌手が使うらしい。

「ラッキーね、仕事2時に終わるあるよ、メシ食いに行くアル」
デブのキーボードがワシに耳打ちする。
「よっしゃ!!今日は昼から飲んだる!!」
とワシ。
「昼から飲むアルか、じゃあ私もつきあうアル」
とデブ。

今回北京に着いてからずーーーーーっと働きっぱなしやないかい!!
今日ぐらい飲まんでどうする!!

飲む気満々でリハにも気が入る。
「おう・・・ファンキー、頑張っとるなあ・・・」
次のミュージシャンが次々やって来て感心する。

ところが2時が過ぎ、3時になってもリハは終わらない。
いくら「いつも待たされるから待たせてもいい」という中国人でも
「早くしろよ」というモードになって来る。

「ぼちぼち終わるな・・・」
というモードになって演奏にもいっそう気が入る。

終わった!!・・・機材を片付け始めるメンバー・・・
「よし!!飲みに行くぞ!!」
ワシもドラムの持ち込み機材を片付けて帰ろうとすると、

「終わりじゃないよ、別の部屋に移ってまだやるよ」

がーん!!!!・・・まだ続くのね・・・

スタジオがまた狭いのじゃ・・・

ZhangJieRhStSmall.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:16:52

こりゃなかなかやろ・・・

夕べも2時ぐらいまでリハやってて、
今日は前半の最終日ということで午前中から。

こうもはかどらないのはひとえに仕切りが悪いからである。
曲は直前に届いたが、譜面はないし、
ワシなんか一度聞いただけでそれをメモし、
それをみながら「さあやるぞ」と言われたって
自分で書いたこんな譜面しかないんだからどんな曲だかすら思い出せるわけがない。

JianPuDrum.JPG

ワシが音楽監督の現場は出来れば全てのパートが何を弾くかがわかるような譜面、
少なくともコード譜ぐらいは書いて来る。
つまり現場に入る前にアレンジは終わっているのである。
(まあそれだからそれが出来ない音楽監督はワシを呼ぶのであるが・・・)

もちろんワシの場合は五線譜で譜面を書くが、
中国の場合は「数字譜」が一般的である。
「簡譜」とも言う。

こんな感じ

JianPuStrings.JPG

一番複雑であろうはずのストリングスの譜面がこれである。
出て来る音はご想像の通りである。

一時が万事・・・最終リハはまだまだ続く・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:57

2009年12月07日

潰れかけた屋根

中国古来の住宅形式である「院子」というのは、
四方を(貧乏村では三方を)住居だ囲み、中庭を作る。
通常はこれをその4軒の家の共有部分とするのであるが、
この貧民街では比較的裕福であるワシはその全部を借りている。
(8部屋あって中庭あって月々数万円・・・
しかし暖房は自分で石炭・・・涙・・・)

夏は太陽によって暖められたコンクリートの箱である部屋は外気より暑くなり、
そして冬は外気と同じ温度まで下がるので、
こうして院子にビニールを被せて温室効果を狙うのじゃが、
まあ気休めぐらいにしかならないのじゃが
それでもということで冬支度として毎年ビニールを被せる。

しばらく日本にいた間に2回ほど大雪が降ったそうで、
そのおかげでもう屋根が潰れかけている。

TsuburekaketaYane.JPG

あと1回大雪が降ったら潰れるじゃろう。
今年は北京に大雪が降りませんように・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:35

2009年12月06日

いきなりリハ

寒いよーーー
暖冬の日本と違って北京はほんまに寒いーー

空港から院子に帰ってとりあえず石炭をくべて
そのままオンボロ車でリハスタに向かった。

悪い予感というのは当たるもんで、
新幹線の中でチェックした曲順表にはちゃんと「マイケルジャクソンメドレー」が入っていた。

ほんまにやるんや・・・

リハスタに着いたら「ビリージーン」が聞こえて来たので、
そのスタジオに行ったらハオズがいた。
北京で一番スタジオ仕事が多いドラマーである。

「お前がドラムなの?ほな俺いらんやん・・・」
と言うと、
「Funkyのスタジオは隣!!」
とたしなめられた。

この時期、北京中の歌手がマイケルジャクソンメドレーやるんかい!!!

突っ込み満載のままリハーサル開始!!

ZhangJiePaiLian1.JPG

どんな完璧主義ぶった歌手が来るのかと思ったら来てなかった。
リハがどうしてこんなにたくさん必要かやってみてわかった!!

仕切りが悪いから時間がかかるだけやないの!!!!!

だいたい30曲近くもあってメドレーも何曲もあるのに譜面ひとつない!!
みんなそれぞれコードとって来るんだけどみんな違ってるしぃ!!

まあそのぶん自分もいい加減でいいから助かるけど・・・

・・・てなこと言うてるからこんな時間(夜中の2時)までリハやってたやん!!
もう帰って今日は寝る!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:46

2009年11月02日

長い一日

曲世聡から久しぶりに電話があったのは一昨日の夜。
12月の彼が音楽監督を務めるコンサートのオファーと、
こっちにいるうちに3曲ほどドラムのレコーディングをしてくれないかというオファー。
もちろん大歓迎なので今日の午前中にレコーディングして、
午後から二胡のコンサートというスケジューリングにしていた。

スタジオ押さえとか、最終的なスケジューリングで連絡を取り合った時点では
お互いにまだ知らされていない・・・

その後昨夜UPしたブログで書いたアホな服装問題でもめてた頃、
実はベースの韓陽(HanYang)が一本の電話を受けていた。
陳琳(チェンリン)が自殺したって噂だけど何か聞いてる?」
まさか・・・ってな感じである。

院子に帰ってブログを書き終えた頃、知らない電話番号から電話が来る。
「友人からこの電話番号を聞きました、
○○の記者ですが、Funkyさんは陳琳(チェンリン)ととっても親しかったということなので・・・」

親しいと言っても、どちらかと言えばワシは陳琳(チェンリン)とというよりも
その旦那のS社長と親しかったからなあ・・・。
彼らが別れてから縁がなくて連絡取ってないし・・・。
彼女の新しい旦那は仕事はやったことがあるが電話番号も知らないし・・・。
などと喋ったらさっさと電話を切りよった。

おいおい!!
お前が持ってる情報をワシに教えんかい!!!

ネットで調べてみるが、
どこもその真相をまだつかんでない。
だからワシんとこまで電話がかかって来るのだ・・・。

状況はよくわからんが死んだことは間違いないらしい。
人の生き死にはここ数年よく見てるのでとりあえず考えない。
死ぬということは単なる「形を変えて生き続ける」ということらしいではないか。

釈然としないまま仮眠を取って、
朝7時に起きてレコーディングに出発しようと思ったら、
何といつの間にか大雪である。
車に機材を積もうにもこのありさま・・・

BeijingOoyuki.JPG

やっとこさで機材を積んでスタジオに・・・。
それまで死んだ人のことは忘れている・・・。
いや、忘れるべきなのだ、ましてや自分で命を断ったと言うならばなおさら・・・。

しかし曲世聡と会ったらまたいろんなことを思い出してしまう。
ヤツが初めて北京に来て、初めて生ドラムをレコーディングしたのがワシ。
それも全て陳琳(チェンリン)の曲ではないか・・・。

ワシらはいつも現場に一緒にいた
ワシに言わしめても田舎モンの彼が今や大プロデューサーになっていられるのも全て陳琳(チェンリン)のおかげではないか・・・

同じことを彼も考えていたのだろう。
陳琳(チェンリン)との思い出はお互い相当に深いものである。

思えばワシが最初に中国でやったスタジオ仕事も陳琳(チェンリン)の曲だった。
むっちゃくちゃ旨い四川料理を作ってくれる、
素朴で歌好きの女の子がスターダムにのし上がってゆく最初から最後までワシらはずーっと一緒にいたではないか・・・

でも言わない・・・考えない・・・。
ワシの周りの死んだ人はみんなワシにこう言ってるではないか・・・
「生きてる人間は今を生きろ」と・・・

しかし今日と言う日は会う人会う人、
陳琳(チェンリン)の話・・・聞いたか?』
が挨拶である。

レコーディングが終わって二胡の現場にかけつける。
ここの方がまだ気が楽である。
韓陽(HanYang)とか以外とは別にその話はしないから・・・。

でもその韓陽(HanYang)だって陳琳(チェンリン)の仕事で知り合った仲間じゃないか・・・

思い出が多過ぎる。
過去にメルマガで配信したのだけでもこんなにある。

http://www.funkycorp.jp/funky/ML/47.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/48.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/55.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/56.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/58.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/59.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/63.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/64.html

これだってそうである。
この時に聞いて涙してた音楽こそ陳琳(チェンリン)の音楽だったではないか!!
彼女が死んだお父さんに向けた詞を書いてオーケストラと共演した曲・・・。
あの時、生のオーケストラと一緒にコンサートやって、
リハーサルの時にあんまし奴らが不真面目なんで沖衡(ZhongHeng)が怒ったよねえ。
「これは彼女が死んだお父さんに向けて書いた大切な曲なんだ。
頼むから一生懸命やってくれ」って・・・

お父さんが死んで、君まで死んだらお母さんはどうなる?・・・


秦勇のライブ
を見に来て、
「ねえ、この短期間にどうやってこれらの曲を作り上げたの?」
と聞かれたからこう言ったよねえ。

「簡単だよ、うちの院子においで。
曲を発売するからレコーディングして、それを演奏するからリハーサルして、
そんなんじゃない世界がここにあるから。
銭金じゃない、みんなやりたい音楽をやってる世界だってあるんだよ」

でも君は来なかった。
高いところに立ったら吸い込まれそうで怖くなるけど、
それでも飛び降りたいと思うほど辛かったのかい?

だったらどうして訪ねて来てくれなかったんだろう・・・

みんなそう思ってるよ。
今まで一緒にいろんな音楽を作り上げて来たんじゃない。
この中国の今の流行歌は全て僕たちが一緒に作り上げて来たんだよ。

仲間じゃないか・・・

僕は明日もう日本に帰るから・・・
君のことを誰も知らない国に帰る。

悲しいこともあることはあるけど、
でも僕は楽しく酒を飲む。

美味しいものを食べて好きな音楽をやって、
友達ともいろいろ会っておこう。
君みたいに悩んでる人もいるかも知れないしね。

そしてもう君のことは忘れるよ。

だって僕はまだ・・・生きてるから・・・

さようなら、陳琳(チェンリン)、僕はまだこの世で音楽をやるよ。

Posted by ファンキー末吉 at:01:15

2009年11月01日

民族音楽番組に出演

二胡の劉継紅さんのコンサート、
明日は本番なのだが、今日はテレビの収録である。

「民族音楽の番組では最高峰の番組なんです。
ファンキーさん一緒に出て下さい」
と言われたので、
「テレビ嫌いだからヤダ!!」
ととりあえずは断っていた。

だいたい中国のテレビに出たってワシが得することは全然ない。
有名になったってギャラが上がるわけでもなく、
イヤな仕事がまた増えるぐらいだったら出ない方が全然よい。

X.Y.Z.→Aで出れるんだったら考えてもええけど・・・(無理か)・・・

まあどうしてもと言われると、
延々と話し合いながら断る労力よりも出た方が楽なので
「仕事」として引き受けさせて頂いた。

今回はミュージシャンがみんな売れっ子になってしまったため探すのが大変だったが、
いつものメンバーがスケジュールを空けて集まってくれた。
ドラムやベースアンプを運んで別のところでリハをし、
収録スタジオにまた運んでセッティングするのは大変じゃが、
一流の民族奏者(中国で最高峰ということは世界一の人達か・・・)が演奏する
中国最高峰(ということは世界一ということか・・・)の楽曲に混じって、
私の「ろう君の初恋」と「Memories」を演奏してくれるということは非常に光栄なことである。

リハも一生懸命やり、やる気まんまんで収録スタジオにやって来たら、
ワシらを見てプロデューサーが何やらけげんそうである。

そりゃそうだ、ドレスで着飾った一流の民族奏者に混じって、
ワシらだけ普段着なのである。

「こんな服で出演するつもりですかぁ!!!」
劉さんがきーきー噛み付いて来る。

「いけませんか?・・・」

一応いつも来ている服よりはいい服を着て来たのじゃが、
まあお気に召さないと言うならステージ衣装も持って来ているのでそれに着替えよう。

「テレビに短パンで出るつもりですかぁ!!!」

更におかんむりとなる。
短パンにTシャツはワシの正式な「衣装」じゃぞ・・・

「ひょっとして明日のコンサートもそれで出るつもりじゃないでしょうね!!!」

もちろんそのつもりじゃったが、
あんましきーきー言われるので
「正装しろと言うなら予め言ってくれたら用意するのに」
と一応言ってみる。
用意するにも持ってないのじゃが・・・

「明日DVDのシューティングが入ることは言ってましたよね。
つまり撮影するんだからそれようの衣装を着て来ることは伝えているのと同じですよね!!」

またきーきー言われるので大きく反論してみる。

「中国のあらゆる有名歌手のコンサートDVDを見てみなさい。
ワシが堂々とこの服を着てドラムを叩いてるから。
誰もこの服をダメだと言う歌手はいないよ。
これはワシの正装なんだから」

まあ焼け石に水である。
「住む世界」が違うのである。
彼らにとってテレビやコンサートではドレスやタキシード、
短パンなんぞはもっての外なのである。

それだったら最初から言え!!
拘束時間がどれだけで、労力がどれだけで、
ギャラがいくらで条件が何々、
折り合いがつけばやるし、
条件が飲めなければやらないし、
いきなり言われたって無理でしょう。

・・・と言いながらもし正装が条件なら断ってただろうなあ・・・
・・・映画賞のレッドカーペットも結局ぶっちして帰ったもんなあ・・・

やり合ってる場合じゃない、
もうすぐ収録が始まるのだ。

「ちょっとその上着脱いでみて下さい」
上着の下は筋肉少女帯のTシャツである。
「うん、なかなかいいんじゃない?」
プロデューサーはそう言うが、
何で民族音楽に筋肉少女帯なのかがワシにはよくわからない。

「髪の毛は彼はバンダナを巻きますから大丈夫ですよ」
劉さんが助け舟を出すので一応巻いて見せる。
メイクさんがやって来てみんなにメイクするのだが、
ワシの様子を見て
「うん、この人はこれでいいんじゃない?十分よ」
と言われるところからしてバンダナの威力は偉大である。

MinZuTVnoYiFu.JPG

これよぉ!この格好のどこがいかんのぉ!!
短パンがいかんと言うので思いっきりジャージですが・・・

そして本番が始まる。
前のふたりだけがちゃんとしてればバックバンドなんてどうでもいいのよ・・・

MinZuTV.JPG

と思ってたが・・・やっぱ浮き過ぎじゃろう・・・
明日はちゃんとした服装を持ってゆくとしよう。

Posted by ファンキー末吉 at:00:31

2009年10月31日

ロック村の酒とロックの生活

北京空港に着いてLaoWuに迎えに来てくれとメールする・・・
返事がない。
電話する・・・出ない。

しばらくしてLaoWuの奥さんから電話が来る。
「今リハーサル中よ」

仕方がないからタクシーでロック村に帰る。
空港から近いので運転手さんに嫌な顔されながら、
院子の入り口に着いたらリハーサルの音が聞こえて来る。

まさにロック村。

自分の院子に帰らずそのままLaoWuの院子に直行してリハ見学。
終わったらメシ。

村のレストランに行ったら別の院子のミュージシャン達がいたので合流。
ビールを頼む。

酔っぱらって「ライブ行く時に起こしてね」と言って寝る。

起きてみんなとライブハウスに行く。
このライブハウスのオーナーもロック村出身である。
ここに来て酒に金を払ったことがない。
いつも奢りである。

「よっ、帰って来たのか」
会う人会う人に声をかけられる。
従業員も出演者も会う客会う客みんなロック村出身である。

タダ酒なので飲み過ぎてバタンQ(死語)。
粗大ゴミのように車に乗せられて帰って寝る。

まさにロックな生活である。

Posted by ファンキー末吉 at:11:29

2009年10月26日

北京の若い衆

寧夏省、雲南省に長いツアーに行っていた布衣の連中が帰って来た。
老呉(ラオ・ウー)がエンジニアとして方言(ファン・イエン)まで連れて行ってしまったので、
今回、そして前回は院子に誰もおらず寂しかった。

この方言(ファン・イエン)という男、
去年の布衣のライブ録音の時からうちに常駐しているエンジニアの卵である。
真面目なだけが取り柄の、機転が利かない、要領が悪い、
まあよくあるタイプの憎めない人間である。

あまりにアホなので温厚なワシでも時々癇癪を起こしてしまったりするが、
基本的には彼が院子のスタジオに常駐してくれているのでFunkyスタジオ北京がどうにか存続していると言っても過言ではない。

今回は布衣のみんなが話してくれたツアーのこぼれ話。

まずツアーは布衣の故郷である寧夏省銀川から始まり、
そこのライブハウスに来ていた美女に一目惚れしたことから彼の苦難が始まる。

「だいたい20代そこそこで高級車乗り回している美女が
お前なんか相手にしてくれるわけないじゃないか」

みんなはそう言って彼をバカにするが、
真面目なだけが取り柄な彼は、
空いてる時間は全部彼女の尻を追いかけ、
音響の、設営等の仕事は例によって能率が悪いので、
結局彼は銀川にいる間はほとんど寝ていない。

下馬評のごとく、まるで相手にされることなく銀川を後にし、
一行は雲南省へと向かう。

常春の楽園である雲南省でみんながその大自然を満喫している間、
彼ひとり風邪で寝込んでしまっている。
銀川で寝てないせいか、はたまた恋煩いの病か。
彼らを呼んだライブハウスのオーナーが一生懸命みんなを接待している間、
彼だけひとりで寝ている。

これでは可哀想だと地元の人間がミルクティーを彼に振る舞った。
「これを飲むと風邪なんか吹っ飛んでいっぱつで元気になるから」

実はこのミルクティー、なんかアブナいモノが入っていたそうで、
その通り、彼は一発で元気になった。
街に出てゆき、見るもの聞くものがバラ色である。
露天で言われるままに物を買う。
頭に巻くバンダナと銀のブレスレット。

だいたいにしてお前がいつこんな物を身につけるんじゃ?

80元もした銀のブレスレット、
実際は5元ぐらいの価値だろうとみんなは言うが、
彼はアレルギーで、つけているとすぐ蕁麻疹が出てしまう。

役に立たんやん!!

よし、ワシが買い取ってやろう。
嫁へのプレゼントである。
その代わり、そのバンダナとやらとブレスレットを身につけて写真を撮らせてくれ。

FangYan.JPG

ハイになってバッタもんをつかまされて、
この格好で喜び勇んで帰って来た彼を、人はみんな「アホ」と呼んでいる・・・


Posted by ファンキー末吉 at:11:47

2009年10月25日

北京に戻って来た

久しぶりの北京である。
1ヶ月以上帰って来ないことはここ数年ではなかったのではなかろうか・・・

院子に帰って来たら前回取り付けられていた屋根がなくなっていた。

YuanzYanenashi.JPG

聞くところによると、前回屋根を取り付けたのはワシの仲間たちではなく、
ここの大家が「測量」のために取り付けたと言う・・・。

測量?・・・何のことかと思えば、
何と都市計画でこの村を潰して近代化しようという計画があるらしい。
そのために誰にどのくらいの立退料を払えばいいのか測量しているらしく、
院子のような中庭がある場合はそこは建物ではないと測量されてしまうので、
ちゃんと屋根をつけてその面積も建物ですよと換算してもらうためらしい。

え?・・・この村がなくなるの?・・・

一瞬びっくりしたけれども、
この写真の向こう側に映っている高圧電線、
こんなものを引っ越しするのは並大抵のことではない。
計画はあっても実現するのは数年先のことではないかという噂である。

まあいい、潰されるなら潰されるで、
機材一式持ってみんなで別のところに引っ越せばそれでいいのだ。
どれだけ街を近代化しようが、
近代化されてないところは絶対にある。

こうして住むところを失った天然記念物のトキのように、
貧乏なロックミュージシャンの放浪の生活は続くのじゃ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:43

2009年09月07日

セルフ打ち上げ

ワシは大仕事で何かを生み出した時には、
それを大音量で聞きながら酒を飲むのを愛する。
仮ミックス途中で洛陽に行ってしまったので仮ミックスをまだ聞いていない。

夜汽車でしか寝てないワシはまる二日間風呂に入ってないので、
まず北京に着いたら三日ぶりの風呂!!
そしてずーっとネットにつなげなかったのでいろいろメール仕事をする。

本当はメンバーにデータをUPして聞かせたいのじゃが、
まだデータを受け取ってないので仕方がない。

なんじゃかんじゃしているうちに
スタジオに人が来ている時間になったのでデータを取りに行く。

もう夕方である。
ビールとつまみを用意して、若い衆集めて
「さー今から聞くぞ!!」
ってなもんである。

ところが1曲目を再生してみると、
ストリングスは大きすぎるしコンプはかかり過ぎてるし、
「お前・・・これはないじゃろ・・・」
というぐらい音がひどい。

仮ミックスを頼んだエンジニアも北京ではもう既に有名なエンジニアとなっているのだが、
いかんせんワシにどうやってこれで酒を飲めと言うのか・・・
ワシの求めているものが・・・
いや、要するにワシらの10年の歴史をお前はわかっとらん!!!

メンバーがこれを聞いて同じように感激しながら酒が飲めるか?
仕方がないからミックスをやりなおす。

ところがそうなると開かないファイルが現れて来たりする。
アルバムを録っていると試練に見舞われる曲が次々と現れて来て、
日本では「眠れなくて」のデータを消してしまうし、
アレンジの時はアルバムタイトルチューンの「Yesterday Today Tomorrow」で譜面ソフトがトラブった。

ストリングス録音の時は「Z to A」が開かんかったし、
ここに来て開かなかったのもまたこの曲である。

原因はファイルではなく院子のスタジオのプロトゥールスにあるようだ。
仕方ないのでMacBookのプロトゥールスで開いて作業する。

そしてこういう時に限って院子名物、「停電」である。
かまうもんか!!MacBookは電池でも動く。
ヘッドホンをかぶってひたすら作業する。

「絶望の〜風よもっと吹け〜」
ってなもんである。

呼び集められた若い衆がもう飽きてしまった頃、電気が復活!!
「よし、大音量で聞くぞ!!」
自分で考えた仮の曲順通りにBounceしてゆく。

全部をWavファイルに落とした後に、
それをMP3に変換してWebにUPする。
そのアドレスをメンバー全員にメールすればそれで終わりである。

いやいや、メンバーにメールする前にもう一度Webから音を聞いてみてチェックせねば・・・

最後の曲になる前に酔い潰れて寝てしまった。
セルフ打ち上げ、いつの間にか終了であった。

メンバーにメールを送り、飛行機に乗って日本に帰る。
明日はX.Y.Z.→Aのジャケットの撮影があるのでみんなFunkyスタジオに集合する。

よく考えたらそこでみんなで聞けばよかったのではないか?

いやいや、少しでも早くみんなに聞かせてやりたいのよ。
一日早くみんなに聞かせるために一日無駄にした。
バンドとは突き詰めればそのようなもんである。

Posted by ファンキー末吉 at:19:14

2009年09月06日

大仕事その2管楽器とパーカッション

ストリングスオーケストラが帰って行った後、
スタジオが次の管楽器録音のために大幅なセッティング替えをしてる間、
先ほど録ったストリングスを片っ端からデータ整理してゆく。

ブースの中で聞いているので録ったものをいちいちプレイバックしていない。
また、どの部分はどの部分を貼付けるとか計算しながらやっていたので、
それだからこそこれだけ短時間で録り終えることが出来たのだが、
自分の耳が、そして頭が少しでも悪ければそこでおしまいである。

ひとつひとつの録音を丁寧に聞いてゆき、
数テイク録ったものは一番いいものを選んで貼付けてゆく。
そんな作業をやっているうちに管楽器奏者がやって来た。

今回は管楽器はホルンだけである。
通常の編成では2本呼んでダブルで重ねて4本にするが、
何故かひとりしか呼んでくれていない。
「中国で最高のホルン奏者なんだ。ギャラも最高級だよ」
聞いてみるとひとりで800元(約1万2千円)持ってゆく。

日本のスタジオミュージシャンより高いやん!!

同時録音ではなくダビングだからひとりでよろしい!!
ポケットマネーでレコーディングしてるんだから破産してしまうわい!!

だいたいホルンはオープニングの曲のイントロの8小節だけしかないのだ。
時間で言うと20秒足らず。
譜面を見せたらあからさまに「これだけ?」という顔をしている。

「4本ダビングしてくれるかい?」
そう言うとよろこんで、
「没問題!!(ノープロブレム)」

・・・そりゃそうじゃろ・・・

BeijingStringsHorn.JPG

結局6本ダビングして5分足らずで帰って行った。
5分で800元・・・ワシは一体何をやってるんじゃろ・・・

いかんいかん!
音楽をつきつめる時に金を考えるとよくない。
もともと予算をそのままスタジオに渡しているのだ。
ブッキングもスタジオが責任持ってやってくれる。
ワシは音楽だけを考えていればいいのだ。

パーカッションが着くまでエディットを続ける。
「パーカッションは何時に着くの?」
ワシは9時40分の夜汽車で洛陽に行かねばならないのだ。
「楽器は・・・6時だな。奏者は・・・子供を迎えに行かねばならないので7時だ」

ブッキングしたのは女性。
一流の奏者であるが主婦でもあると言う。

「仕事だからすぐに来るように言いなさい!!」

人の都合よりワシ自身の都合である。
いくらコネで友人を呼ぶにしても金を払うのはワシなのだから・・・

奏者が先に到着した。
まずシンバルを録音する。
「どのシンバルがいい?」
向こうはワシがドラマーであることを知ってるので意見を請う。
とりあえず一番大きいのを選んで叩いてもらう。

このシンバルロールというのは言わば「芸術」である。
同じ打楽器奏者としてこのシングルストロークにはため息が出る。
ワシもよくドラムのレコーディングでやらされるが、
とてもじゃないけどこれだけ粒立ちのよいロールは叩けない。

そりゃそうじゃ、
この人たちはこのシングルストロークだけをひたすら練習して生きて来たのだ。
ロールに「命」がある。

あっと言う間に録り終わり、次は合わせシンバル。
猿のおもちゃみたいに左右からがしゃんと合わすのかと思いきや、
合わせシンバルは横にして、
叩くときに空気を逃がすように一瞬こすり合わせるのだ。

プロじゃ・・・

これもあっと言う間に録り終わり、
そうこうしているうちにティンパニが届く。
この引っ越し業者が実は今回のレコーディングの中で最高額の1200元(約2万円弱)を取ってゆく。

BeijingStringsTimpani.JPG

ティンパニはこの曲の要である。
機材レンタルして自分で叩けと冗談を言われるが、
とてもじゃないけれどもこのレベルで叩けない。
同じ打楽器奏者として悔しくはあるが、「餅は餅屋」である。
それに命をかけて生きて来た人にはとてもかなわない。

これもあっと言う間に録り終えてさっさと帰って行った。
所要時間10分そこそこである。
ちなみにギャラを聞いてみるとやはり最高額の800元。

ワシ・・・ドラムセッティングして30分、
音決めして30分、
いろいろ注文聞いてレコーディング30分、
片付けで30分。

ワシなんか2時間いろんな技を駆使して2000元なのに、
この人シングルストロークだけで10分で800元・・・

いかんいかん、金のことを考えて音楽は出来ん!
とりあえず全部録り終わったのだからビールを注文して
セルフ打ち上げをセッティングしつつエディット作業を再開。
順調に行けば仕上がった音をiPhoneに入れて夜汽車で聞ける予定だったが、
結局はエディットが間に合わず、そのまま夜汽車に乗る羽目に・・・

早く聞きたいよー・・・

洛陽から帰ったら仮ミックスをしてメンバーみんなにも聞かせてやるのさ!!

大仕事これにて終了!!

Posted by ファンキー末吉 at:09:45

2009年09月04日

大仕事その1ストリングス

9時入りと言えばラッシュアワーなので8時に院子を出る。
雨が降り出して道路が少々混みだした頃スタジオに着いた。

8時半、まだ誰も来てないのでしばしスタジオの門の前で待つ。
「日本人は時間の観念が違うねえ・・・」
カギを開けに来たスタッフはそう言うが、
自分が遅刻したらそれが原因で今日録り上げることが出来なくなるかも知れないのに、
それでもゆっくりと来ようとする中国人の性格を疑いたくなる。

譜面の整理などをしてオーケストラメンバーの到着を待つ。
入り時間の10時より前にコンマスのKunYuが到着した。
小沢征爾やヨーヨーマとも競演経験がある実力派である。

BeijingStringsLeader.JPG

彼が心配そうに「譜面を見せてくれ」と言う。
全曲のスコアを見せると、
「美しい!!まるで問題ないじゃないか」
そう、いいアレンジはその譜面が芸術的に美しくなるのである。

そう、今回のアレンジはどれも自信作。
いつもはコンソールルームでガラスの向こうから指示を出すのであるが、
今回はブースの中に入って指示することにする。
中に入って生音を聞いた方が音程とか響きとかがよくわかるからである。

BeijingStringsCondact.JPG

「中で棒でも振るのか?」
とスタジオの連中がからかうが、
クリックに合わせてやるレコーディングは別に指揮者はいらない。
みんなクリックを聞いているのだから。

でも指揮どころかリズム指導までせねばならない事態になることをこの時点では想像だにしていない。

雨が降ったので大渋滞となり、
バイオリンとビオラがそれぞれひとりづつまだ着いてないが、
「じゃあ始めるか」
と言う。
この辺が中国である。
24人もいるのだからひとりやふたりいなくても変わらないさと言うのである。

まあ、待ってて録り終えなくてもいやだから、
少々不満ではあるが録り始めてるうちに到着。
ダブルにかぶせてるうちには全員揃った。

日本のレコーディングシステムではダブルにするとギャラも倍必要だったりするが、
ここ中国ではギャラの中に必ず「ダブルにする」というのが含まれている。
だから

トップバイオリン8
セカンドバイオリン6
ビオラ4
チェロ4
コントラバス2

の24人のオーケストラを揃えても、
実際にはその倍の48人のオーケストラが鳴っているということになる。

1曲目は彼らの得意とするバラードにして正解。
30分もたたないうちに1曲目が終わり、次の譜面を配布。

BeijingStringsFumenHaifu.JPG

順調である。
この調子で行けば予定通り半分録リ終えて昼飯ということになる。
2時半までしか時間がないんだからメシ抜きでやってくれればいいのにと思うのだが、
ここ中国では日本人的なそんな考えは通用しない。
「腹が減ってはいい演奏も出来ないだろ!」
ということで食事の時間は絶対なのだ。

曲によってはその場でスコアを直したりもする。
トップバイオリンにフレットもないような高い音を弾かせたりしているのだが、
それがあんまりよくないのではと言うのだ。

BeijingStringsFumenCheck.JPG

ブラスをアレンジする時にもそうだが、
こういう音はそれが弾ける人がいて始めて成り立つ。
弦の場合はセカンドバイオリンとかがそれをオクターブ下で支えることによってフォローする。
まあしかし結局は
「もっと大編成だといいけどこの編成だからオクターブ下げておこう」
ということになる。
こんな時に馴染みのオーケストラだと楽である。

予定通り午前中の曲を録り終えてメシ!!

BeijingStringsBento.JPG

時間がないのにメシの時間どころか食後の休憩までとる。
焦っても仕方がない。
This is China!! これが中国なのである。

午後の部開始!!

しかし音がだらけきっている。
コンマスなんぞ明らかに
「私満腹で弾けません!」
という音である。

そんなになるまでメシ食うなよ!!

仕方がない、いろいろ指示しながら士気を上げる。
彼らの苦手なロック的なキメとかではリズム指導などもしながら、
最終的には予定通りぎりぎりの2時半には全曲録り終えた。

神業である。

Posted by ファンキー末吉 at:17:06

大仕事の準備

ストリングスを8曲も録るのは初めてである。
前の日に譜面とデータを持ってスタジオに行ってくる。

StringsScore.JPG
(8曲だと譜面の量もハンパじゃない)

日本から持って来たプロトゥールスのデータをコピー。
ファンクラブ用にTDが終わった曲も多いのでデータが大きい。
やっとコピーが終わって開こうと思ったら、
プロトゥールスのバージョンが違っていて開かない。

中国では海賊版を使うために低いバージョンを使っているスタジオが多いことを忘れていた。
すぐさま院子のスタジオまでタクシーを飛ばし、
全てのデータを低いバージョンでSAVEし直す。

前の日にこの作業をやっててよかった。
当日でいいやと思ってたらタイムアウトになるところだった。

何せこの日は弦の人達が3時から仕事があると言うので
朝9時集合で10時からレコーディングである。
2時過ぎには終えようと言うと1曲30分の計算である。
トラブルなんかに見舞われたらまず録り終えれなかったところである。

だいたいかなり前からこの日に大仕事をやるぞと言っているのに、
かまわずにこの日に仕事を入れるのが中国である。

まあ大丈夫だろう、この人たちは前回の「Wings」も30分で録り上げている。
「Funkyの譜面はいつも難しいからなあ・・・」
とボヤイていたそうだが、今回は変拍子の曲はないから大丈夫。
前回の「びっくりミルクMetalicaオーケストラバージョン」のような超難曲ではない。
(あれはいつになったら発売されるのだろう・・・)

あとは管楽器と打楽器の手配である。
ティンパニを運ぶのに引っ越し会社を呼ばねばならない。
こちらでは大きな楽器は引っ越し会社が運ぶのだ。

「んで?ティンパニはお前が叩くのか?」
ドラムが叩けるからティンパニが叩けると思ったら大間違いである。
レコーディングでドラムが終わったら「じゃあコンガも叩いてよ」と言うのが中国人である。

まるで違う楽器やっつうねん!!

「んで?シンバルはお前が叩くんだろ?」
これも悪いがプロにお任せする。
この人達はシングルストロークでティンパニやシンバルをロールすることに命を懸けている人達である。
一生をそれだけに懸けていると言っても過言ではない。
基礎練習が嫌いでライブで修行しようとしているドラマーとは粒立ちが全然違う。

「んじゃあ打楽器は夜ね」
おいおい、言ってなかったっけ?
ワシはこの日の夜の列車で洛陽まで行かねばならないので
夕方には全てを終えねばならない。
全部の楽器は夕方までにまとめてよ。

いろいろあったが何とか準備万端!!
世紀の大仕事が今日始まる。

Posted by ファンキー末吉 at:07:37

2009年09月03日

80万のSTUDERの卓

中国はバブルなので金持ちがうじゃうじゃしてるのか、
いきなりメールが来て、
「今Yahooオークションに出ているSTUDERの卓を競り落としてくれ」
と言う。

「お前がそんなの競り落としてどうすんの?」
と聞くと、
「あれ?言ってなかったけ?俺は北京に今度10個のスタジオをオープンさせるんだ」

何をやってそんなに金があるのかわからんが、
確かに昔は数千万したSTUDERの卓が80万とは安い!!

ところがワシはYahooオークションのIDを持ってないので競り落とすにもオークションに参加出来ない。
何よりも京都のスタジオだと言うからひょっとしたら知り合いかも知れない。
「連絡先が分かれば直接連絡とって交渉してやるよ」
と言うが、競り落とさないと連絡先も分からないのでその時は流れてしまった。

数日たってまたメールが来る。
「あの卓がまたオークションに出たから競り落としてくれ」
お前なあ・・・俺はそれに付き合ってるヒマはないの!!
北京で誰かID持ってる日本人探してそれに競り落としてもらえ!!
金振り込むぐらいだったらやってやる!!

と無下にあしらっていたのじゃが、
本当にID持っている日本人を探し当てて競り落としてしまった。

「ちょっとそこ行って取って来てくれないか」
軽く言うが、この人は京都と東京がどれだけ離れているかわかってない。
それにそもそもこんな巨大な卓をどうやって北京まで運ぶんじゃ?!!

「大丈夫、3つに分割出来るからそのまま北京に送ってもらえば」

税関は?手続きは?・・・
とりあえずワシはもう成田で、今から北京に行かねばならないので、
着いてからまた話をしようと言うと、
「連絡先わかったから連絡だけとってくれないか」
というので、しゃーないから電話した。

「はじめまして、STUDERの卓の件で・・・」
と喋り始めたらすぐに、
「その声は・・・ひょっとしてFunkyさん?・・・」

なんとそのスタジオは知り合いのスタジオだった。
X.Y.Z.→Aのライブ録音もしてもらったことがあるではないか!!

「とりあえず今は成田で今から飛行機乗るので、
詳しいことは着いてからメールでやりとりしましょう」
と言い残して飛行機に乗った。

北京に着いたらメールが来ていた。
「これもご縁ですねえ・・・
オークションに出したらひとつだけ連絡が来て、
一応それが競り落としたことにはなってるんですけど、
それから何の連絡もないし、恐らく悪質ないたずらでしょう。
4日まで待ってリミットが切れたらFunkyさんにお譲りしますから」

それ・・・同じ人間なんですけど・・・

買い手に連絡とってぶーぶー言う。
「とりあえず、その競り落とした日本人に連絡させろ!!
事情を説明してその後はFunkyがやるからと言えばそれでいい!!」

やりたくないが双方の知り合いとなればやってやるしかない。
「とにかく知り合いの貿易会社を探せ!!
その会社まで納めるまでだったらやってやる!!」

めんどくさいことがまた増えてしまった。
今からストリングスの譜面とデータを持ってスタジオに行く。

Posted by ファンキー末吉 at:11:04

2009年08月21日

久しぶりの北京

夜遅く着いたのでわからんかったが、
よく見るとトタン板で屋根が出来ていた。

YuanziNewRoof.JPG

院子らしさが全てなくなってしまったが、
直射日光が当たらないぶん少し涼しいようだ。

それにしてもこの木は実は雑草。
切っても切ってもすぐに屋根より高く育ってしまう。
中国人のたくましさを象徴するような雑草である。


まあ今回もいろいろたまった仕事をせねばならないのじゃが、
それよりももう完パケのスケジュールが迫っているX.Y.Z.→Aの10周年記念アルバムのストリングスの手配が一番重要である。

今回は既に毎月のライブで新曲を1曲づつ発売しているので、
それらの曲も全てリミックスし、
更にはストリングスを入れられる曲は積極的に入れてゆこうということになっている。

成田までの道のりで既に発売した7曲を聞いてみると・・・
これが入れようと思えば全部入るのよ・・・
メタルにストリングスって・・・合うなあ・・・

とりあえずいつも使っているスタジオのオヤジ、
いやいや彼とももう20年来の付き合いでもう家族みたいなもんなのじゃが、
彼にちょっと相談してみる。

「例えば7曲録音したらいくらになるかなあ・・・」

中国がいくらストリングスが安いと言っても、
7曲全部入れたらそれなりに高い値段となる。

日本では1時間いくらで値段を換算するが、
中国では1曲いくら。
前回Wingsの時にはちょっと裏技を使った。

通常5分を超えると(最近は3分になってるらしいが)2曲分と換算されるので、
とりあえず分数は言わず、ストリングスが入る部分しか聞かせない。
弾いている時間が5分以内だから10分を超える大曲でも1曲でいいでしょ、
というわけである。

また、本当はM1の「Heavy Road」とその大曲の「Wings〜Fire Bird」は別の曲なのじゃが、
実はメロディーは同じメロディーであることから、
「ほら同じ曲でしょ。イントロで使うから」
と嘘を言って全部で1曲にしてもらっている。

今回も1曲フルでストリングスを入れる曲よりも、
おそらくサビだけとかそんな使い方をしたり、
それよりも何よりもイントロダクションで使おうと思っている小曲までを1曲と換算されてはたまらない。

「今回は1曲いくらではなく、時間いくらでやってもらえない?」

まあ長年の付き合いである。親身になってストリングス隊と交渉してくれる。
「ま、弾いてくれる人達もみんな友達だから悪いようにはせんじゃろ」
と彼が言うように、
ワシはもう既に数十曲ここでストリングスをレコーディングしているが、
来るのはいつも同じメンバー。
トップのスタジオミュージシャンはいつも同じ連中となるので、
(これは小沢征爾が指揮をするときも同じ)
当然ながらワシとも顔なじみである。

彼らにとっては譜面の準備が完璧で仕事が早いワシの仕事は「ありがたいお仕事」である。
うちの院子の木のようにたくましい中国人と値段交渉するのは本当に骨が折れるが、
交渉を頼んでいるのも中国人なのでまだマシである。

交渉が成立したら日本帰ってひたすらストリングスアレンジをやるぞ!!
うまくいったら全曲ストリングス入れたりして・・・

それも全てはこの値段交渉次第である。

Posted by ファンキー末吉 at:11:23

2009年05月29日

北京楽器フェアー

相変わらず中国の仕事のブッキングは大雑把なものなので、
土壇場になるまでワシはどこに行って何をやるのかも聞いていない。

まあ「ドラムを叩く」のであろうことは疑う余地はないので、
とりあえずスティックとマイナスワンの伴奏を流す器材だけは準備しておく。

毎年ドラムフェスティバルがこの頃に開催され、
毎回参加出来ないワシは「来年こそは参加して下さい」と言われているので、
てっきり今回はドラムフェスティバルに参加するのかと思ってたら、
「ドラムフェスティバル29日に行われます。ふるって参加して下さい」
とメールが廻って来た。

もう29日に日本に帰るチケット取ってもうたがな・・・

もっと早く言えよ!
ってなもんであるが、
じゃあワシの今回の仕事は何なんだろう・・・

器材を持って指定された場所に来てみたらそこは楽器フェアーの会場だった。

GakkiFair.JPG

なるほど前回と同じようにまたパールのブースでデモ演奏すればいいのね・・・
去年のVisionツアーでやったプログラムを演奏して初日は終わり、
万里の長城を見に行ってるというパール本社の方々の帰りを待つ。

そして現れたのが彼

Percussionist.JPG

と彼

MarchingDrumer.JPG

今回はパーカッションの大家とマーチングドラムの大家をアメリカから連れて来たと言う。
それぞれに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。

そして二日目は彼らとセッションしろと言う。
とりあえず晩飯を食いながら親交を計る。

コミュニケーションは英語なのでかなり大変だったが
酒を飲めばどこの人間だろうが同じである
酒と料理と下ネタで盛り上がる。

レストランでしか提供されない黄ラベルの青島ビール。
通常の青ラベルよりクリーミーである。

QingDaoYellow.JPG

ワインにしようかどうしようかと言うのでお薦めした老酒。

HuangJiu.JPG

日本では紹興酒と呼ばれたりするが、
紹興酒は紹興という街で作られた老酒のいちジャンル。
英語ではChinese Rice Wineとメニューには書かれているが、
中国語で黄酒と呼ばれたりするのでYellow Rice Wineと紹介してはみたが、
一口飲んで彼らが名付けたのがFunky SAKE
ペンを取り出して翌日のセッション曲を譜面に書き始める
タイトルがFunky SAKE
いったいどんな曲になるのだろう・・・

FunkySAKE.JPG

次の日演奏してみたら大好評。
見も知らずのアメリカ人と日本人が、
前の日にさらさらっと書いた譜面だけをたよりにセッションする。
息もぴったり。

少々でも打楽器をかじってる人にとってはヨダレもののセッションであっただろう。
次の日も軽くセッションして会場を後にした。
午後の便で日本に帰る。

Posted by ファンキー末吉 at:13:14

2009年04月19日

村のレストランが帰って来た

二井原実田川ヒロアキなど、
北京に来たことのあるミュージシャン全てに舌鼓を打たせた村のレストラン「状元紅」。
オリンピックの締め付けにより潰されて早や半年。
その跡地には「紅辣椒」というレストランが出来ていた。

HongLaJiao.JPG

大繁盛だった「状元紅」と違っていつ見ても客が入っていたためしがない。
最近では「全品2割引」と張り紙をしているが客が入っていたためしはない。

「レッド・ホット・チリペッパーだってよ。
ロックな名前じゃないか。今日はここで食べよう」
と口にしたうちのアホなエンジニアはみんなに総スカンにあう。

「俺達は状元紅が帰って来てくれるのを心待ちにしてるんだ。
誰がこんなレストランに食いに行くか!!」

そんなみんなの思いが通じたのか、ついに状元紅が戻って来た。

ZhuangYuanHong.JPG

跡地には紅辣椒がまだ陣取っているので、その斜め前にオープンである。
これでもう紅辣椒の先行きは決定的になったと言えよう。

「ロック村の社員食堂」というべき状元紅。みんなでいそいそと食べに行った。
味はもちろんのこと、二井原実が「坂田師匠」と名付けた女主人も健在である。

SakataShishou.JPG

坂田師匠、いつもはむっつりしてるので「アホの坂田」に酷似しているが、
きっと初めてのことなのだろう、「一緒に写真を撮ってください」などと言われて、
初めて見るこの笑顔がスパイスとなり、この日は少し食い過ぎたようだ。

嫁が大好きだった「インゲン豆の唐辛子炒め」も健在ならば、
二井原実が絶賛したチャーハンも健在である。

極寒の冬も越して気候もよくなって来た。
皆の衆、北京に来るなら今ぞよ!!

Posted by ファンキー末吉 at:13:14

2009年04月05日

飲んだ飲んだ

突然香港からJamesがやって来たから大変である。
10年ぶりの北京と言うからいろんな人を紹介してくれと言う。

ちょうど日本から大友さんが来てたし、
日本人エンジニアのKeizoなんかも呼び出して市内で外食。
普段貧民街から出ないのでこれはワシにとってもいいチャンスである。

毎日北京ダックとかおいしい物を食べさせて「アワビ話」満開!
今回のツボは、

「その後そのアイドル、新しい名前がついたネ。
コンサートで誰かが叫んだ。
黒アワビ!!
それから全員が彼女をそう呼ぶ・・・。黒アワビ!!」

初対面の大友さんKeizoは抱腹絶倒。
次には何か一緒に仕事出来ればいいね。

ところがこうして私が夜な夜なおいしい物を食って酒を飲んでる時にも、
梁棟(Liang Dong)はひとり院子に残ってドラムの練習。
ワシは午前中は彼に説教し、午後はリハーサル、夜は飲みの毎日である。

「あいつなあ・・・全然進歩しないんだよ・・・どうしたもんかなあ・・・」
ロック村の村長である老呉(ラオ・ウー)に相談してみる。

「あいつはダメだよ。思考が間違ってる。
つまりあいつは焦ってるのさ。
早く習得して有名になりたい、金を稼ぎたい、
親戚のLuanShuみたいに成功したい、
そんな気持ちがある限り無理だよ」

「そうだなあ・・・俺も中国人ミュージシャンは少し焦り過ぎていると思う。
みんな顔に金って書いてるようなもんだ。
まあ周りがみんな金持ちになって何で俺だけって気持ちがあるんだろうなあ・・・」

「その通り。
俺達を見てみろ。
布衣楽隊結成して今年で14年。
今だに成功してない。
でも俺達も何か迷った時にはお前の生き方や、
お前の友達、盲人ギタリストやXYZのボーカルなんかのことを思い出して物事を決めるんだ。
中国人の全てのミュージシャンは周りにそんな人間がいないからな。
中国の古い物語でこういうのがあるんだけど、
達人に人が物を教えて下さいと来る、
達人はでは私と3年暮らしなさい、
その間一切何も教えない、
たいがいの人間はその3年が我慢できなくて逃げて行ってしまうけど、
ども実はその3年の間に実はその奥義の多くは既に伝えてあるんだ、
3年我慢できた人間は
その後にちょっとしたことを教えるだけでびっくりするほど進歩する。
つまり奴はまだ教えるには早いのさ」

深いなあ・・・

明日は日本に帰るというその日。
LuanShuはここぞとばかりドラムのレコーディングをブッキングする。
また悪いことに1曲目は叩きまくりのロックスタイルである。
ツーバスを使ったテクニカルなフレーズに梁棟(Liang Dong)の目はらんらんと輝いてる。

「お前なあ・・・こんなもんいくら練習したって金にならんぞ!
一番金になるのは最後に5分で叩いたバラード!
一度曲を聞いただけで曲の全てを把握し、
Aメロはこの強さ、Bメロはこの強さ、サビは一番盛り上げて、
一打たりともその強弱、打点の揺れがない。
そして歌心な!!
それが出来たら中国じゅうの仕事は全部お前のもんだ!!」

つまりは毎日院子で練習させていることだけである。
理解してるのやら理解してないのやら・・・

レコーディングは夜中に終わり、そのままLuanShuらと朝まで飲む。
これも久し振りのことである。
事情を話して彼らからもうまく説明してもらう。
非常に熱心に聞いてて頭では理解してるんだろうけどダメなのである。

アルコールも回り、最後にワシは業を煮やして怒鳴りつける。
「明日は午後の飛行機で日本帰って、
月半ばにまた北京帰って来るけど、
明日の午前中に最後にもう一度叩いてみて、
それでもこんな簡単なこと出来ないんだったら、
もう次から来なくていい。
お前には無理だ!!」

梁棟(Liang Dong)はもう泣きそうである。
ワシはもう知ったこっちゃない。
別にワシが惚れ込んで教えてるわけでもないし、
もともとはBeiBeiのツアーのためにやってやってるわけだから、
人助けのためにまた人助けしてるようなもんである。

酔いつぶれて寝てドラムを叩く夢をみる。
ここ数日毎日ドラムを叩いてたからなあ・・・

しかし目が覚めてみると
それは隣で練習している梁棟(Liang Dong)のドラムだった。
「なかなかいいじゃない。
それでいいんだよ。やっとわかったか」
遠慮なく誉めてやる。

「ま、これを1年も続けるとお前もいっぱしのドラマーになれるよ」
と言うと、
「い、1年もやるんですか・・・」

ダメだこりゃ・・・

空港まで送って行ってくれた老呉(ラオ・ウー)が言う。
「ま、次に戻って来た時にはまたもとに戻ってるだろうよ。
今はやっとのことで心が平静を保っているけど、
またしばらくしたら焦りが頭をもたげてくる。
同じことだよ」

ワシもそう思う。
改革開放が進むバブル真っただ中の中国で、
真の意味でのロックをやってゆくのは難しい・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:59

2009年03月31日

若手の育成

北京に帰って来てPairというユニットのリハーサル。

このユニットはBeiBeiというギタリストのユニットで、
ワシがプロデュースしたゼロ・ポイント6万人コンサート
ギターアンプの後ろでエフェクターを踏んでた若造が
「ファンキーさん、僕アルバムを出したいんです」
と言い出したところから始まる。

「ほう、君が歌うのかい?」
と聞くと、
「いえ、ボーカルがいないんです。
誰か紹介して下さい」

アホか!!

というところから苦節5年。
うちの院子でレコーディングし、
アメリカからWyn Davisを呼び出してミックスしてもらい、
この度やっとアルバムが出るのか出ないのか・・・

最近わかったのじゃが、
「自分のためには使えないまれに見る強運」
を持ったワシが助けてあげた人はほとんど大成功している。
しかしこの
「不運を絵に描いてゲゲゲの鬼太郎みたいな顔にした」
ようなこの男にはどうも通じないようである。

「アルバム発売の前に全国ツアーをやりたい」
と言うので、
まあ「助けてやるなら最後まで」という気持ちでOKした。

しかしワシとて毎回そんなスケジュールを空けられるとは限らない。
また、中国は土壇場でいきなりスケジュールが変わるのでなおさらである。
ここは別のドラマーを育成して、将来は独り立ちさせてやるに限る。

ということで青島から梁棟(Liang Dong)というドラマーを呼び寄せた。
彼は先日日本に遊びに来たLuanShuから
「うちの親戚がドラム叩いててお前に教えを請いたいと言ってるんだ。
よろしく頼む」
と言われたので遠慮なく呼び出した。

ワシがドラムを教えるにはまず一緒に飲んで語る。
「音楽とは何ぞや?!」ってなもんである。

日本でもそうじゃが、
だいたい若いドラマーは目先のテクニックにしか興味がない。
中国人には「どうやったら金が稼げるか」という話が一番分かりやすいので、

「俺がスタジオ仕事でそんな超絶テクニックを使うことがあるか?
一番大事なのはリズム、グルーブ!それが一番金が稼げるの!!」

と言うのじゃが、
それでも目先のテクニックにしか目がいかないのが常である。

Pairの曲の中で一番簡単な曲を叩かせる。
基本リズムだけの簡単な曲なんかが実は一番難しい。
「オカズを入れるな!」
と言ってるのにほっとくといろいろ小手先に走っている。

「お前!リズムもちゃんと叩けんくせにオカズを入れるな!
クリックからヨレてるのがわからんか!!
オカズはリズムがちゃんとヨレなくなってからじゃ!!」

まあ鬼太鼓座が入団してすぐに10km走らされ、
ちゃんと走れるようになるまでスティックは持たさないよりはマシである。

LiangDongPractice.JPG
(えんえんクリックとリズムだけをやらされる梁棟)

まあ何とかサマになったかなと言う頃、
ワシは市内に出て行ってLuanShuのレコーディング。
勉強になるだろうと彼を連れて行った。

今日の仕事は映画音楽のロック版で、
オーケストラががんがん入ってて
テンポも指揮に従って変わりまくるオケに合わせてドラムを叩く。
リットやアクチェルなどを完璧に合わすのは至難の業だったが、
何とかパンチインを繰り返して録り終えて、
シンバルロールをダビングしている時に気がついた。

梁棟(Liang Dong)がドラムブースの中でらんらんと目を輝かして見ているのである。

「お前・・・ずーっとここにいたの?・・・」
「は?・・・見させて頂いてましたが・・・」
「んで?・・・勉強になった?・・・」
「はい!とっても勉強になりました!」

「お前!音楽が聞こえなくてドラムの音だけ聞いてて何が勉強になるの!!
ここでずーっといてどんな曲なのかもわかんないだろ!!
俺が音楽に対して何を苦労してどう乗り越えたかがドラムだけ聞いてたんじゃ全然わかんないだろ!!」

朝まで説教である。
全くもって若手を育てるのは難しい。
今日からリハーサルが始まる。

若手だらけである。
先が思いやられる・・・・

Posted by ファンキー末吉 at:10:52

2009年03月18日

汪峰のレコーディング

久し振りの北京でのレコーディング仕事。
オリンピックもあり、金融危機の煽りもありで、
音楽業界はしばし沈黙状態であったが、
ここに来てまたぼちぼち活動が活発化し始めたようである。

汪峰と言えば中国を代表するロック歌手であるが、
バンド出身というのもあり、自分の音楽は自分で全てプロデュースする。
ドラム録音でこれほど意見を言う歌手は二井原実か彼ぐらいであろう。

もちろんブッキングも彼自身が自分でやる。
日本にまで電話かけて来て
「いつ帰るんだ?!それじゃあ間に合わない」
とすったもんだあったが、
結局ワシが帰るまで待っててくれたんだな、と思ったら、

なんと既に録音してあるドラムをボツにして録り直すのであった!!

それほどまでしてワシのドラムが欲しいのか!
それほど他のドラムでは満足出来ないのか!

ドラマーにとっては嬉しいことこの上ないことである。

WangFengRecording.JPG

写真右は彼んとこの若いアレンジャーなのじゃが、
これがよくある話でなかなか要求が難しい。
「ここでハイハットを裏で踏んでくれ」とか無理難題が来るのじゃが、
それは彼らの世代ではドラムマシンしか知らないのでこうなるのである。
謹んで無茶な要望を実現してあげる。

パンチインを繰り返しながら最後まで録り終え、
「じゃあこれキープして最初っからもう一度叩いていい?」
これもいつものやり方である。

だいたいにしてドラムというのは、
このように頭を使って叩いても結果がよくないものである。
OKになったオカズももう身体が覚えてしまっているので、
ステージでのライブ演奏のように最初っから最後まで一気に叩く。

「ファンキー!!最高だよ!!」

汪峰がガラスの向こうで叫ぶ。
「本当はこう叩いて欲しいのに」と思ってるアレンジャーも、
プロデューサーが大満足しているのに文句は言えない。

2曲目は最初っから最後まで思い通りに叩く。
もう誰も文句を言わない。
あっと言う間にレコーディングが終わった。

「次はいつ北京にいるんだ?」
別れ際に彼が聞く。
これはすなわち「またドラムをお願いしたい」ということじゃが、
実はドラムはもう既に全部録音し終わっていることをワシは知っている。

既に録音が終わっているオケというのは、
そのドラムのヨレに合わせてリズムが微妙に揺れているので難しい。
自分のリズムで同じようにヨレながら叩いてやらねばならないからである。

中国広しと言えどこれが出来るのはワシぐらいであろう!(自慢)

それにしても汪峰の曲というのは悪く言えばどれも同じ、
よく言えばひとつのスタイルが確立している。
帰り際にはサビのメロディーが頭に残って離れないということはキャッチーであるということでもある。
人のことは言えないが
「よく同じリズムで同じコード進行で曲が作れるよなあ」
ってなもんである。

このアルバムもまた大ヒットするのであろう。
また中国のロックの名盤に参加してしまったという実感である。

Posted by ファンキー末吉 at:11:00

2009年03月16日

北京で仕事がてんこもり

XYZのライブが終わってすぐ北京に帰って来た。
いろんな人が待ちわびていて電話が鳴りっぱなしである。

今日から毎日BeiBeiの全国ツアーに向けてのリハーサル、
加えて明日はロック歌手汪峰のレコーディング。
その合間をぬってパールドラムの全中国ツアーの打ち合わせをせねばならない。

リハーサルはうちの院子で行われることになった。
BeiBei達が住む市内からはちと遠いが、
スタジオ代が要らないということと、ワシに気を使ってのこともあるとは思う。

何せこのBeiBeiと来たらとかく時間を守らない。
デビューアルバムのレコーディングリハでワシは切れたことがある。

「お前、助けてやってるワシが時間通りに来て、
助けてもらってるお前が遅刻するとは何事ぞ!!」

デブのキーボードのZhangZhangっつうのもまた時間を守らない。
ある時ふたりがとある友人と飲み屋で待ち合わせして、
夜の7時という約束なのにその友人ひとりしかいない。
10時頃ZhangZhangが遅れてやって来て、
ふたりで飲んでたら夜中の2時頃やっとBeiBeiがやって来たという逸話もある。

自分ちでやるなら誰が遅れようが来るまで自分の仕事が出来るので時間が無駄にならない。
遅れること1時間以上たってやっとリハーサルが始まった。

BeiBeiRhearsal.JPG
(今回はうちのリハーサル室ではなく、隣の布衣のリハーサル室を借りた)

6時からパールドラムの全中国ツアーの打ち合わせが入っている。
そこにBeiBeiを連れて行って紹介し、
彼がブッキングしようとしている彼らの全国ツアーと、
パールのクリニックツアーとを連携させたいのじゃ。

何せふたつとも
「じゃあ週末はツアーね」
とブッキングが乱暴なので絶対にスケジュールががっちんこするばかりか、
ヘタしたらどちらもワシのスケジュールを見ずにブッキングしたりするから大変である。

クリニックはだいたい昼間行われるので、
昼間クリニックをやった土地で夜BeiBeiのライブが出来れば言うことない。

しかし1時間以上遅れてリハをやってるんだから時間通り5時に終わるわけがない。
「5時半に黒タク(中国では白タクをこう言う)を呼んでるから一緒に行こう」
まあ5時半なら順調なら間に合う時間なので5時半まできっちりリハをする。

そしたら今度はその黒タクが待てど暮らせど来やしない。
打ち合わせの時間を遅らせようとするが今日はもう時間がないと言われる。

明日はリハをやめて打ち合わせとレコーディングである。

万事がこんな調子でBeiBeiとパール、ふたつの全国ツアーがブッキング出来るのか?!
ワシは毎週末過酷な移動で泣かねばならないのではないか?!

ここ中国では蓋を開けてみなければ何もわからない。

Posted by ファンキー末吉 at:18:59

2008年12月17日

こたつ

そして北京に帰って来た。

・・・寒い・・・
暑いとこや寒いとこや、毎日居場所が違うので風邪をひいてしまった。

上海の友人、Kさんが送ってくれたこたつを組み立てる。

Kotatsu.JPG

やっぱ日本人はこたつである。
うちの部屋・・・もう北京の貧民街とは思えない・・・

ちょっと暖を取ったらもう日本に帰る。

Posted by ファンキー末吉 at:09:49

2008年09月09日

宗教とは

ミュージシャンの受難は続く。

「オリンピック期間中、北京にいたってライブはないし、
それだったら俺の田舎に来ないか?」
メンバーのひとりの実家の近くに、
機材も持ってて音も出せる部屋もある友人がいると言うのである。

物価がどんどん高くなっている北京と違って、
田舎の生活はなかなかのものである。
バンドのメンバー全員でその友人の家にこもって毎日練習していた。

「いいもんだなあ・・・
朝起きたら練習して、
飯食って練習して、
ビール飲んで寝て・・・」

ところが1週間ほどしたある日、
その練習場に突然警察が踏み込んで来た。

中国の警察は本当に恐ろしい。
ドアをノックして捜査令状を出して中に入れてもらうような、
そんな日本のような甘っちょろいもんではない。
例えて言うと、いきなりドアを蹴破って「ホールドアップ」という感じである。

別に彼らがロシア人力士のように大麻を吸っていたわけではない。
その部屋の持ち主である友人が法輪教であったと言うだけである。


法輪教はもともとは気功の集団である。
友人の若いドラマーも昔、法輪教に入っていて気功を勉強していた。
彼曰く、とてもよい気功の論理であったと言うが、
その周りの人間がつぎつぎ捕まるので恐ろしくなって法輪教をやめたと言う。

中国政府が法輪教を徹底的に弾圧しだしたのは、
ある日のこと、法輪教が天安門広場で彼らが何万人集まって集会を開き、
「何じゃ?」と思ってるヒマなく、
集会が終わったら何万人が一瞬のうちに跡形もなく消え去り、
その後にはゴミひとつ落ちてなかったと言う事件からであると聞く。

時の支配者、江沢民は激怒した。
よりによって自分のおひざ元で
このような一糸乱れぬ統率力を見せつけられたのである。

殺せ!徹底的に根絶やしにしろ!

中国で別に警察が人民を逮捕するのに、
日本のようにややこしい手続きや逮捕状など必要ない。
警察に「確信」があればそれだけでいい。


事実、その友人は法輪教であった。
だからそのアジトである部屋でうるさい音を出している奴らも一緒に逮捕してしまえ!

とまではいかず、彼らは無関係ということで結局逮捕はされなかったが、
警察がもし「お前らも法輪教だな」と「確信」したら即逮捕である。
誤認逮捕なんて怖くない。
間違って逮捕された人民だって「いやー・・・ひどい目にあった」ぐらいである。

ロシア人力士のように
「納得できない!法的手段に訴える!」
と言ったって無駄である。
ここ中国ではそれこそが「法」なのだから。


北京のワシの院子に住んでいる貧乏ミュージシャン、
その奥さんは顔の皮膚病で悩んでいる。
見ればどうも薬品か何かにかぶれたように見える。

薬を処方してもらえば悪化し、
医者に診てもらえば更に悪化し、
残るは「神頼み」しかない。
彼女は熱心に何たらという宗教を信じている。

これも一種の気功である。
瞑想とかダンスとかをうまく取り入れて、
わかりやすく人間の持つ潜在パワーを引き上げて病気を治す。

その旦那であるミュージシャンはいつも
「嫁が法輪教でねえ・・・」
と冗談で笑い飛ばすが、
本当に法輪教だったら彼らどころかワシの身も危ないので、
これはかなりのブラックジョークと言えよう。

「こういうのはなあ、日本人にはきっと効かないんだ。
いろんな情報もあるし、頭もいいし、
でもな、中国では文明のない農民とかが本当に心から信じる。
そしたら本当に医学では説明がつかないような奇跡が起こるんだ」

そんな奇跡を目の当たりに見た人間は心底それを信じ、
人間の潜在パワーはそれによりまた奇跡が起こる。

その嫁さんの皮膚にはまだ奇跡は起きていない。
ワシなんかが見るに、
「日本でちゃんとした医者に診てもらえば?」
と思うのじゃが、
その医者が女の命であるこの顔をこんなにしたんだと思ってる限り
医学だって万能ではない。
思えば日本人にとっては「科学」こそが心から信じて疑わない「宗教」なのである。

「何をやったって治らない。
毎日毎日皮膚が痒くってしかたがない。
うちの嫁がこの宗教に出会わなかったらきっともう自殺してただろう」

彼にそう言われて「なるほどな」と思う。
その宗教が本物かウソものか、
ワシはそんなことはどうでもいいのではと思っている。
ワシの友人が少しでも幸せになってくれればそれでいい。


八王子のスタジオが何かバイオリズムがいいと思ったら、
二井原曰く、周りの宗教家や学生が毎日お経を唱えているからではないかと。
その宗教自体はワシは昔強引な勧誘にあってから大嫌いなのじゃが、
宗教はもともとは「みんなが幸せになって欲しい」というものではないのか。

学生さん、毎日毎日、ワシや二井原の幸せのために祈ってくれてありがとう。
ワシらもみんながもっと幸せになれるように音楽すっからな。

Posted by ファンキー末吉 at:12:37

2008年09月06日

こちらの業者の仕事ときたら・・・

残暑厳しい日本と違い、北京の秋の過ごしやすさときたら格別である。

涼しい秋風、乾いた空気、
ビール飲んで先日出来上がった畳の部屋にごろんとなるのは至福である。

夕べはちょっと肌寒かったので、こりゃタオルケットだけでは風邪をひいてしまうなあ、
とばかり秋物の布団を出すことを決意。
実はこのたたみの台は箱になっていてそこにいろんなものが収納できるのじゃ。

中国の家具ときたら木なんかすぐに変形してしまうし、
今回はこだわって特上の木材をと発注した。
完全オーダーメイドの畳が1枚6千円程度なのに対して、
その大きさのこの箱だけで1個4万円近くする。

こんな貧民街なんか政府にいつお取り潰しにされるかわからないので、
どこに引っ越してもこの箱と畳と共に移動すれば同じ環境が手に入るというわけである。

「ミュージシャンは畳の上で死ねない」と言うので、
将来的にはこの畳をかついでドラムを叩いたらステージ上でも畳の上で死ねるぞ、
と思ってたら嫁に
「死ぬ時は普通うつぶせに倒れるから畳の下になるんちゃうん」
と諭された。
ミュージシャンはやはりどうしても畳の上で死ねないようなので、
せめて生きてるうちにたっぷり畳でごろごろしたい。

よし布団を出そう!

重い腰をあげて立ち上がった。
ちょっと小さめなので軽い畳をひっぺがす。
箱の蓋には開閉用の紐がついている。
それを引っ張ればぱかっと・・・

ぱかっと開くはずじゃが・・・

こりゃいかん。
あんましここで力を入れたら紐が切れてしまう。
どうやら業者があまりにぴったり寸法を作りすぎたので、
木の微妙な膨張のせいか箱が開かなくなってしまったのじゃ・・・

TatamiTrouble.jpg

トンカチとバールで格闘してやっとこじ開けたら今度は閉まらない。
完璧に見えた業者の仕事であったが、
こちらの仕事なんて蓋を開けてみたらそんなもんである。
て言うか、その蓋が開かないのだから・・・

大騒ぎの末、結局布団はここには仕舞ってないことに気付いた。

しまらないオチでした。

Posted by ファンキー末吉 at:11:12

2008年09月02日

貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・

「ギャラ少し前借り出来ませんか・・・」
テレビドラマの音楽の続きをやらせていたデブのキーボードから泣きが入る。

オリンピック期間中はコンサート等も許可が下りず、
レコードも発売が出来ないのでミュージシャンは開店休業状態である。
請け負っていた映画音楽も四川省地震のため撮影中止となってるし、
そんな中でこのテレビドラマだけが中止にならないのもワシ、
ひいてはこのデブも非常にラッキーなことである。

しかしいかんせんこのテの長期に渡る仕事というのは、
基本的に全部仕上がるまで金がもらえないので、
他の仕事が全然ないデブ達ミュージシャンは仕事はしてても金が回らず、
生活費そのものがなくなってしまうというわけである。

しゃーない、ワシが立て替えておいてやろう。
今日はその主題歌のTDではないか。
アシスタントにある程度やらせておくから飯でも食いに行こう。

ところがそのアシスタントがいつまでたってもやって来ない。
電話をかけると入院したと言う。
尿結石である。

中国では基本的に医療は全額本人負担である。
うちの村では怪我なんかしても病気になっても病院なんか行かない。
家族にひとり重病人が出ただけで一族郎党まとめて破産してしまうという国である。
農村などでは見殺しどころか家族のために病人を殺すこともあると言う。

入院なんかしたらいくらかかるの?・・・

幸いうちのアシスタントは北京の実家で暮らしていて、
両親が彼のために医療保険をかけていたらしい。
保険料もばかにならないだろうが、破産するよりましである。

近所の貧乏ミュージシャンに聞いたら、
やはり保険なんかかけている奴は皆無。
みんな病気にでもなったらそれでおしまいである。

みんな健康には気をつけろよ!!


保険と言えば火災保険にも入ってない友人のライブハウスが火事になったと言う。
このオーナーはうちのロック村出身でドラマーときているので、
行けば必ずタダで飲ませてくれるいいライブハウスであったが、
まあ貧乏なミュージシャンとロックファン相手に商売している店が
火災保険に入る金はあるまいなあ・・・

火事が起こったのが運悪く(運良く)オリンピックの閉幕式の時。
煙を見た通行人が消防署に通報。
警察がかけつけて来て事情徴収。

「よりによって閉幕式に時に火事起こすなよ」
と担当の警察官。
ライブハウスも災難だが担当警察官もえらい災難なのである。
ヘタしたら責任とらされてクビということもありうる。

「よっしゃ!火事は起こってなかったことにしよう。
わかったな!火事は起こってなかった!
その燃えカスは自分たちで何事もなかったかのようにちゃんと片付けとくこと!」

半焼しているライブハウスをミュージシャン仲間で片付ける。
でもこれはむしろラッキーなことである。
オリンピックをぶち壊すようなことをした関係者は、
二度と店など開けないばかりか
将来どんな迫害を受けるかわかったもんじゃない。

何せ「火事は起こってなかった」のである。
燃えた機材を買い替えてリフォームすればすぐにでも営業出来る。
これが火事が一日遅れていたら容赦なく「お取り潰し」であっただろう。

仕事が一段落したら様子を見に行って来よう。
ドラムセットぐらいはワシが責任もって修繕してやるぞ。

営業が再開したらまたばんばんタダ酒飲ませてくれよ!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:55

北京に帰って来た

ナンバーの奇数偶数による車の通行規制はまだ続いている。
昨日は奇数日だったので貧民街の貧乏ロッカーが空港まで迎えに来てくれたが、
よく考えたら今日は偶数日なのでこの村から出ることが出来ん・・・

不便な毎日はパラリンピックが終わるまで続くらしく、
何よりもショックだったのが、

村で一番おいしいレストランが潰れてしまっていた

のである。

うちの嫁がこの貧民街に連れて来られて、
「もしこのレストランがなかったら私はもう泣いて帰っていた」
と言うぐらいこのレストランの味は絶品だった。
この味は二井原実、田川ヒロアキ、等ここに来たことのある全ての日本人の舌も魅了し、
「他で御馳走してくれたどんな高級料理よりもここがおいしかった」
と言わしめるものであった。

潰れた、いや潰された理由は、「煙」だと言う。
オリンピックに備え、中国政府は貧民街のレストランに
「空気が汚れるからレストランで飯を作るな!」
と通達したと言う。
他のレストランはデリバリー専門で対応したが、
このレストランは村の偉い人たちにも御用達だったので、
まあいいだろうとばかりそのまま営業していて、
もっと上の偉い人の目にとまり潰されたと言う噂である。

北京の大気汚染は飯作る煙が原因か?!!

デリバリー専門で営業しても同じだけの煙が出るし、
村で人気の羊肉串の店も、
結局は外で焼いてたのを店の中で焼くので煙の量は同じである。

貧民いじめるヒマがあるなら公害を垂れ流す金持ちを規制しろ!!

貧民街に住むロッカー達が鼓楼にあるライブハウスで演奏していた時、
ちょうどその時、同じく鼓楼で殺人事件があった。
ライブハウスの外は外国人記者でいっぱいである。

警察がライブハウスに飛び込んで来てオーナーを脅す。

「お前ら、記者に何か喋ったらどうなるかわかってるだろうな。
何を聞かれても私は知らないで通すんだぞ。
わかったか」

ミュージシャン上がりのオーナーは青くなってうんうん肯くしかない。
貧乏生活からやっと開いたこの店を
こんなことで潰してしまったんでは元も子もない。

万事がこうである。
パラリンピックが終わるまで貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・

村の噂では、四川省に帰ってしまったレストランのオーナーは、
パラリンピックが終わったらまた戻って来て、
また村の中で同じ味のレストランを開いてくれると言うことである。

その頃にはまたロッカーにとって楽しい毎日が始まることを心から願う。

Posted by ファンキー末吉 at:07:51

2008年07月28日

北京空港にて

ワシは怒っているのじゃ!!

オリンピック前は全てのイベントがことごとくキャンセルになるので、
今回の靖江(どこや?)、徐州のドラムクリニックもキャンセルになる
と踏んで日本でのスケジュールを入れていたが、
そういう時に限ってキャンセルにならないもんで、
仕方ないので日本から自腹で渡航費払って現地まで自力で向かう。
そのレポートは日本に帰ってからゆっくりUPするとして、

ギャラより高い交通費・・・(鯉のぼりの節で歌ってちょ)・・・

はミュージシャンの心意気なのでよい!
しかし問題は中国政府が
「オリンピック前は飛行機、列車に大型電子機器を持ち込むな」
と言うのである。

ワシのドラムクリニック用のシステム(このブログ参照のほど)は、
ひょっとしたら預けることも出来なければ持ち込むことも出来ないかも知れないと言うのである。

自分が好きで金払って中国の子供たちにロックを教えに行くのはいい!
しかし中国政府のために金を払って新しいシステムを構築するのはどうも腹が立って仕方がない。

MDと小さなミキサーを使った新しいシステム
DrumClinickNewSystem.jpg

まあそれもいい!
菅沼孝三の言う通り、MDこそが「絶対に止まらない」安全なシステムであることも事実である。
八王子ムラウチ電気で買ったこの1万2千円のミキサーも
ひいては「ロックで世界平和」のために少しでも役に立てば本望であろう。

それはいいのである!
ワシが怒っているのはそれだけではない!


地方都市からやっとの思いで北京に帰って来たワシは、
いつものように同じ貧民街に住む老呉(LaoWu)に空港まで迎えに来てもらう。
「ワシはお前らの音楽を助ける、お前らはワシの生活を助ける」
持ちつ持たれつ(中国語でどう言うか知らんが)である。

「明日は午後の飛行機で日本帰るからまた空港まで送ってね」
と言うと老呉(LaoWu)は悪そうにこう言う。

「この車は奇数ナンバーなので明日は街を運転できない」

何やと!!!
オリンピックに向けて市内の渋滞緩和のためにナンバーによる運転規制を始めたと言う。
ワシら貧民街に住むミュージシャンは車がなかったらどうやって生活するよ?!!

北京には半日しか滞在しないが、
その間に仕事を済ませておこうと若いミュージシャンをブッキングしていたが、
「ファンキーさん、僕の車偶数ナンバーなんで12時過ぎないとそっち行けません」

何じゃそりゃ!!

村の入り口には門番がいて、許可証がないと村に入れない。
ChuRuZheng.jpg
村の入り口まで迎えに行こうとも12時越したら車を運転することも出来ん。

だいたいこんな貧乏な村の出入りを規制してどうしようって言うの!!!

テロリストは少なくともここの村の住人より金持ちやからこんなところには来んぞ!
言うちゃ悪いけど生き馬の目をえぐり抜くようなこの国で、
日雇労働者として地方から流れて来たこの村の住人ははっきり言って頭も悪い(失礼!!)。
この国を転覆させるようなことを考えたり、
またそれを実行するような頭を持ってたらそもそもこんな貧民街には住まん!
そんな村の出入りを規制するぐらいやったら、
悪いやつがいっぱい住んでる金持ち地区を規制しろ!

レコーディングが始まろうとしたその時、例によって停電。
UPS(電源安定器)は先日の大雨と落雷で壊れてしまったので
いきなりパソコンの電源が落ちる。

だいたいこの時期に毎日大雨っつうのがおかしいんとちゃうん?!!

だいたい北京はもともと雨が降らない土地とちゃうん?!!
オリンピックのために人口雨を降らせているという噂が頭をよぎる。

そうなると全ては疑惑である。
うちの村はもう数週間断水している。
オリンピックのために貧民街にまわす水はないと言うのか?
停電もオリンピックのせいか?

日本ではエコが叫ばれているけど、
ワシの村ではもう数週間風呂にも入れなければ
しょっちゅう停電してるから電気も使ってないぞ!!

電気もなければレコーディングも出来ないので酒を飲む。
ついつい口に出る言葉は

「反対!奥運会!!(オリンピック反対!!)」

回りの若い衆達が慌ててワシの口を押さえる。
「そんなこと言って誰かに聞かれたりしたらどうするんですか」と・・・
知ったこっちゃない。ワシは数時間後には日本に帰るのじゃ!
くそったれオリンピックが終わるまで北京には帰らんのじゃ!

「僕たち・・・どこにも逃げるとこないし・・・」

涙声で訴える若い衆を隣村の朝までやってる食堂に連れて行って酒を飲む。
「ワシはもう9月まで帰らんからな!
お前らワシの仕事ちゃんとやっとけよ!!
ワシはもう知らん!!」

酔いつぶれて寝て、
そのまま黒車(中国では白タクのことをこう言う)を呼んで空港まで来た。
白タクまで奇数ナンバーと偶数ナンバーを用意せなあかんとは何事ぞ!!
空港に着いたら厳重な警備でボディーチェックされる。

BeiJingAirPortChecking.jpg

出国する外国人が目につくのは気のせいか?
中国政府は外国人のビザの延長、更新を規制している。
ワシの友人のアメリカ国籍のミュージシャンも仕方なく帰省している。

空港でビールを飲んで、
酔っ払ったふりをして大声で叫んでやった。

「オリンピック反対!!俺はボイコットするぞ!!」

ただし日本語で・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:09

2008年07月18日

榻榻米

明日で日本に帰る。
オリンピックはボイコットして夏休みじゅう子供たちと八王子で暮らすのじゃ。

そのためには仕事を全部今日までに終えなければならない。
重慶雑技団とテレビドラマの音楽と布衣のニューアルバム・・・
まあ終わるわけがない。

重慶雑技団は引き続き日本に帰ってインターネット経由でやり続けるとして、
テレビドラマは主題歌を今晩レコーディングして後はデブのキーボードに任せて、
布衣は・・・ま、ええか、お前ら後は自分でやれ!

それよりも大事なのは、
ワシの住処の大改造。
何と貧民街に畳の部屋を作ってしまったのじゃ!!

TaTaMi.jpg

居心地がいいのじゃぁ!!
もうこの部屋から出たくない!!

「お前らレコーディングは自分らでしなさい!!」
と、昨日は一歩もここから出ずに畳でごろごろした。

中国語で畳のことを榻榻米(ターターミー)と言う。
日本から輸入することを覚悟していたが、
日本料理屋や、金持ちの中国人の住居のために
中国にもちゃんと榻榻米(ターターミー)業者がいた。
寸法も言った通りの寸法で作ってくれる。
全て手作りである。

ちょっと小さめの寸法のを8枚作ってもらったのじゃが、
1800元(約3万円)と言うので24万円ほど覚悟してたら、
何と8枚全部で1800元だった。

安い!!

その代わり、台にするために収納にもなる箱を特注したがそれはちと高くついた。
まあこの村が開発のために潰されたら箱ごと持って引っ越しすればよい。
貧乏なロッカー達と畳担いで引っ越しする様も圧巻であろう。

何よりもそのために専門の清掃業者を呼んだのじゃがそれが安い!!
ひとり1時間15元(約200円)だと言うから日本とゼロがひとつ違う。

LinShiGong.jpg

家具を運び込む前に全部拭いてくれ、
部屋のすみずみまで掃除してくれる。

畳を見てみんな「なんじゃこりゃ?!」・・・
日本の文化をとくと説明してやった。

ほな清算を・・・
と思ったらいきなり20元に値上がりしていた。
日本人だと思ってボラれたに違いない・・・

もう明日帰る・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:25

2008年06月10日

ところ変われば募金も変わる

前回のメルマガで四川省大地震へ何か援助が出来ないかと言う話を書いたら、
やっぱそんなことを考えてる人は多いと見え、いろいろメールを頂いた。

とある人は何とか被災地の子供たちのために文房具を送りたいと関係者に相談したら、

・新品を送るとピンハネされる
・政府や赤十字みたいなところに送ってもやはり殆どがピンハネされる
・ということで、中古の文房具を信頼の置けるところもしくは人に直接送る
というのがよい

とアドバイスされたそうである。

彼女はワシに言う。
「その文房具をドラムに詰めて担いで四川省まで行ってくれ」
と・・・

こりゃほんま本腰入れて行くしかないか?・・・

知り合いが現地の教育機関に受け入れを要請してくれている。
ひとりではドラムセットすらも担げないので、
隣に住んでる布衣のボーカルに
「お前らどうせヒマなんじゃろ!」
と言うことで声をかけたらふたつ返事でOKだった。

まあ生き死にの段階がすんで、
衣食住が何とかなってから初めて「教育」だろうから、
ワシらが受け入れを許可された頃は少しは復旧が進んでいると言うことじゃろうが、
おそらく宿舎はその受け入れ先の学校となったとしても、
まあワシらの住んでる環境とそんなに違わんしなあ・・・

何とか冬になる前に行かなきゃ凍死するなぁ・・・


しかし彼から中国での募金の状況を聞いてびっくりした。
なんと中国では募金をしたらその名前と金額が公表されると言うのだ。

これは募金の額を吊り上げることには貢献しているが、
自分の名前と額を村に張り出された貧民達はたまらない。
誰それはいくらだからと更に募金をするために借金をする。

とある売れっ子の女性アイドルが被災者のために献血をした。
そのことが報道されると国民全てが怒り狂ってネットで彼女を叩きまくった。

「お前、金持ちなんじゃろ!血じゃのうて金送らんかい!!」

香港のとある超売れっ子歌手が何百万(日本円で)も募金した。
しかし彼よりも金持ちの事業家は中国にはたくさんいる。

「お前、誰それはもっと募金したぞ!お前はたったそれだけか!!」

ネットで叩かれまくって彼は
もう百万単位ではどうしようもないので千万単位の募金をする。
そしてそれよりもっと募金をした人が公表され、彼はもっと叩かれる。

これやったらせん方がマシなんちゃうん!!

ドラエモン募金みたいのんがこっちにもあって、
ある番号に電話をすると電話代から10元が募金として送られるのじゃが、
ワシなんかもうそれで叩かれたらと思うとドキドキよ。
そうやって病気のように毎日募金をする貧民はたくさんいると言う。

でもその金は果たしてちゃんと現地に届くのか?
届くと信じて募金するしかないのじゃが、
現実この国でのその横領は非常に問題になっている。

送られたテントが被災地ではなく受け取った幹部の庭で使われてたり、
物資の横流しは日々ネットで報道されて国民の知るところとなる。

「日本では被災地に国と社会とどっちが多く金を払う?」
変な質問を布衣のボーカルからされる。

「いや?・・・日本では国はまず絶対救済せなあかんし・・・
全力でそれせんかったら次の政権ないし・・・
いや、中国はその政権交代自体がないし・・・」

非常に答えにくい質問だったが、彼から先にこう答える。
「中国ではなぁ。被災地に送った金はほとんどが社会、
つまり国民からの募金なんだ。
政府はオリンピックに費やすお金の数分の一しか使ってない」

被災者よりもオリンピックが大切と言うわけか?
でも政府関係者はこの国では一番金持ちやぞ!
政府要人の個人資産を公表して、
彼らの個人資産からも募金させたらんかい!

先日ネットの書き込みで四川省の被災者をなじった少女が、
翌日にはその本名と住所と電話番号まで公表されて警察に保護された。
逮捕ではなく保護である。

そうじゃなきゃ間違いなく殺される・・・

ワシにも友達がいるが、中国のハッカー達の技術は物凄い。
ひとつの書き込みからその本人を特定するなんぞ朝飯前である。
奴らなら政府要人の個人資産なんぞすぐにハッキング出来るだろう。

その途端に殺されるか・・・

ドラム担いで被災地に行ったところで、
この国がそんなにすぐによくなることはあるまいが・・・

ロックで出来ることなんてほんの小さいことなのよね・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:06

2008年04月04日

中国のJAF

ワシの車はオンボロである。

岡崎はんが初めて中国に来て
初めてこの車に乗った時に発した言葉が
「ポンコツやな」
であった。

今時「ポンコツ」と言う言葉が非常に新鮮だったので褒められたような気がしたが、
決してそんなことはないだろうと言うことは運転してみて初めてわかる。

こっちで買ったタンスが壊れた時に、
こちらの生活十数年のN嬢が
「中国の家具はね、壊れたのを直して直して最後に強いタンスに育つのよ」
と言って嫁を感激させていたが、
この車はラジエーターを直し、マフラーを直し、
最後にはエンジンまで積み替えていて
既に中身は新品であろうと言うぐらい修理したのにまだ壊れる。

冬になるとエンジンがかからんし、
夏になるとラジエーターパイプが熱で爆発する。

街中でエンコすることもしょっ中で、
「押しがけ」と言う言葉さえ知らなかった嫁も
今では「北京いち押しがけがうまい嫁」である。

いつもは壊れるとロック村の村長が飛んで来て直してくれるのじゃが、
今日ばかりは状況が違った。
明日からは布衣の四川ツアーのため、
そのボーカルであるロック村の村長は既に列車で24時間かけて成都に行っているのだ。

ワシはプロデューサーであり、メンバーではないのであるが、
本場の四川料理に目がくらみ、
ノーギャラなのにドラマーとして同行する約束をしてしまったのだから仕方がない。
明日の朝の飛行機で行かねばならないので今日中に仕事を終わらせるべく無理をしたのがいけなかった。

いや、無理をしたのはワシばかりではない。
車もきっと無理をしてしまったのじゃろう。
帰り道の高速道路で突然うんともすんとも言わなくなってしまった。

こうなったらいつも馴染みの(こんな馴染みがあること自体情けないのであるが)
近所の修理工場に助けに来てもらおうと電話をしたのじゃが、
今日に限って
「悪りぃなぁ。今日は車が出払ってるんで行けない」
とそっけなく切られてしまった。

万事休すである。
このまま高速を人力で押して帰ることも考えたが、
仮にも「北京ジープ」、巨大である。
夏のエンストで道端まで押してゆくだけでへばってしまったことを思い出してあきらめた。

片っぱしから友達に電話をかけて救いを求めると、
なんと中国にもJAFがあることが判明!!

これしかない!と言うわけで電話をかけてJAFを呼んだ。

ChineseJAF.jpg

てきぱきとした処置で車を牽引車とつなぎ、
「どこの修理工場に入れますか?」
と非常にプロフェッショナルである。
「うちの近所の修理工場まで」
と言うと
「それは遠すぎる」
と言われたので、とりあえず高速から下してから考えようと言うことになり、
そのまま牽引車の助手席に乗せられた。

ちょっと感激である。
この読者の中にも中国のJAFの牽引車に乗ったことのある輩はそうはおるまい!
と感激している場合ではない。
車をとりあえずどうするかと言うことである。

高速を降りるとそこには韓国系の怪しいサウナと言うかホテルと言うか売春宿がある。
「ここでいいですわ。
この駐車場に止めさせてもらって
明日修理工場の人間に取りに来させますわ」

逆に日本だとこう言うことは難しい。
ある時、京都から関空まで行くリムジンバスのバス停で、
「どうしてもここで買わなきゃならない物があるので
5分間だけこのトランク見といてもらえませんか」
と切符売場のおばはんに頼んだら
「そのような業務は取り行っておりません」
と無下に断られた。

コインロッカーに預けろと言うのだが、
あいにくそれに入る大きさではない。
ヒモかなんかあればそれにトランクをつないで、
片方に結び目を作ってそれをコインロッカーに入れて施錠出来るのではと思い、
(そんなことを思いつくこと自体が貧乏くさいのだが)
「何かヒモみたいのありませんか?」
と聞くと、
「そのようなものは取り扱っておりません」
とまた無下に断られる。

「じゃあヒモ買って来ますんでその間見ておいて下さいよ」
と言っても
「その間トラブルが起こっても責任持てませんので、
そのようなことは一切お受け致しかねます」
と取り付く島もない。

ワシは頭に来て、
「じゃあトランク置いて行きますからね。
周りは全部階段でこんな重いもの持ち歩けないんだから仕方ないでしょ。
別にそれに関して責任とれと言ってるわけじゃない。
誰かがこれを盗みに来たとしたらあんたはそれをじーっと見てればいいから。
俺は勝手にこれを置いて行くだけだからね」
と言ってヒモを買いに行って、
当初の計画通りトランクをコインロッカーに固定してから買い物に行った。

中国だったらまずこのようなことはない。
今回も簡単なものである。
「半日止めさせてよ。
明日修理工場が取りに来るからさあ」
で済む。

当然「お前ここの客か?」と来るが、
「金払うからさあ」
で済むのである。

ご丁寧に従業員4人で、牽引車から外したワシの車を押してくれる。
最初は30元と言ってたのじゃが、
最後には「やっぱ40元くれ」と言う。

「押してくれたからかなぁ」
と思ったら違った。
「僕ら4人だから」
であった。

お前らに行くんかい!この金!!

国際問題の渦中の国であるが、人民はスーダララッタ(死語)と暮らしている。

Posted by ファンキー末吉 at:01:17

2008年02月09日

子供生まれてワシ、ついに神となる(何じゃそりゃ?)

48歳にして第三子の誕生である。
この子が成人する頃にはワシは70に手が届こうとしていることになる。

生きとるやろか・・・


それはよい。
人類最大の痛みと戦いながら子供を生むのは「女」と言う高尚な生き物である。
ちなみに嫁にとっては第一子。

どれぐらい痛いのかと言うと、
聞いた話によると「男」が小便をしてそのままキン○マをチャックで挟んでしまい、
もんどおり打ってひっくり返ったところに運悪く金属製のポールがあり、
「キン!」と言う金属音が出たとか出ないほど強く打ちつけてしまい、
ぱんぱんに腫れあがったキン○マを子供がサッカーボールと間違えて思いっきりキックしてしまい、
「これでは死んでしまう!」とばかり消毒液と間違えてタバスコを振りかけてしまった・・・
と言う痛さの更に47.5倍ほど痛いらしい。

「男」なら必ず気が狂うと言うほどの痛さらしいが、
それを「女」と言う生き物は気絶することもなく、
麻酔とか科学の力を借りることもなく自力でそれを乗り越えて出産するのであるから
尊敬の念を通り越して偉大としか言いようがない。

ちなみにワシの第一子は、
ワシが病院の食堂でステーキ定食を注文し、
不謹慎だがビールを頼もうかと迷っている瞬間に生まれた。
第二子はレコーディングで2バスを踏んでいる時に生まれた。

そして嫁代わり、第三子となるのであるが、
立会出産とまではいかなくても、
今度は嫁のそばでこの偉大なる作業を見守ろうとスケジュールを押さえていたのじゃが、
それはこれ、ここは中国ではないのでそうそうスケジュール通りに生まれはしない。

中国ではスケジュール通りなのか?
それが実にスケジュール通りなのである。

ある日のこと、とある音楽仲間から電話があって、
「明日スケジュール空いてるか?」
と言うので
「空いてるよ。どうしたの?」
と答えると、
「言わなかったっけ?明日俺の子供がうまれるんだ。パーティーやるからおいでよ」
と来る。
生まれるんだと言われても、
ワシも一応2月13日が予定日ではあったが、
別にその日にパーティーをブッキングしたりはしない。

頭の中ムルンピョ(疑問符)ばかりでパーティー会場に行くと、
場はまさに生まれたばかりと言うほど大盛り上がり。
「生まれたの?」
と聞くと、
「生まれたさ。今日だって言ってあっただろ」

????

お前らレコーディングとなっても全然時間守らんのに、
子供生むとなると何でこんなに時間に正確なの?・・・

中国の女性はこんなにも予定日ぴったりに出産するのか・・・
ムルンピョ(疑問符)だらけのワシの顔を見て、
ははぁ・・・とばかり彼は言った。

「日本では帝王切開はしないのか?」

そうなのである。
今日び、中国でお金持ち層の人たちはまず帝王切開で出産するのである。
お金持ち層の女性が出産で苦しみたくないのか、
いやいや、それよりも何よりも大事なことが・・・

・・・風水・・・

そう、何月何日の何時に生まれた子供は風水がよい!
それに合わせて正確に帝王切開で出産するのである。

恐るべし中国人・・・


ところがうちの(今度の)嫁は日本人・・・
それほど風水が大切か?自然分娩に勝るものなかろう・・・
と言うわけで日本で出産である。
当然ながら子供とてそうそう予定通りに出てきてくれはしない。

予定を2週間早まって破水したその時、
ワシは北京で見事に酔いつぶれていた。
不謹慎極まりないと言うことで罰があたり、風邪まで引いている。

その日はWingの工人体育館でのコンサートのゲネプロであり、
ワシは携帯電話を首からぶらさげながらドラムを叩く。
携帯が鳴ろうものなら全ての作業は中止である。
「生まれたか・・・」
アーティスト、スタッフ全てがかたずを飲んでワシを見守る。

「間違い電話でした・・・」

作業続行。
ここが関西なら全員がその場でずっこけていたことだろう。

そして陣痛が始まったと言う連絡を受けた頃ゲネプロは終わり、
ワシは突然呼び出されたレコーディングへとかけつける。

そこでももちろん携帯を首からぶらさげながらドラムを叩くが、
夜中に叩き終わっても連絡なし。

Wingが用意してくれたホテルに帰ってからメールが来た。
「今、分娩室に入りました」
嫁のお母さんである。
出産の大先輩である。
偉大である。

そして無事出産!
男の子である。

Ryunosuke0sai.jpg

名前は「龍之介」。
中国の暦で「丁亥の年、寅の刻」に生まれた「龍」である。
縁起が良いことこの上ない。

しかしこの髪の毛のもじゃもじゃが・・・


WingConcertDruming.JPG

よし、ワシもどうせ親父としてろくなことはやってやれんが、
せめてこの子のために頑張って最高のドラムを叩いてやろうじゃないか!!

まるでこの日は我が子の誕生パーティーさながらの盛り上がりの中、
円形ステージのど真ん中にセットされたドラムセットで叩きまくる。
「神が降りてくる」とでも言うのか、「息子が龍になって降りてくる」とでも言うのか、
確かにこの日のワシのドラムは神がかっていたかも知れない。
全てのアーティスト、スタッフはこの日のワシをこう称賛した。

「お前、もう亜洲鼓王(アジア・ドラム・キング)どころじゃない。
今日からお前は亜洲鼓神(アジア・ドラム・ゴッド)だ!」

龍を生んだのワシではなく嫁なんですけど・・・
ま、いいか・・・その名に負けないぐらいワシ・・・頑張るのじゃ!

Posted by ファンキー末吉 at:02:32

2007年12月17日

シェイクスピアをロックで!

破碎.聲音のドラマーから電話があった。
「師匠!お久しぶりです!大偉(ダーウェイ)です!」
以前こいつが自分の結婚式だっつうんで助っ人ドラマーとしてライブに参加して、
その後一緒に飲んでからそのメンバーとは親しくしているが、
もともとこいつがおらんからワシが駆り出されたわけで、
別に面識のあまりないこいつを弟子にした覚えもなければ、
実は名前を言われたからと言ってワシには全然その顔を思い出せない。
聞けばとある演劇でバンドのドラマーとして参加しているらしい。

「ヘビーメタルバンドが演劇に参加してるんです。見に来ませんか?」

そう言えば上海で一緒になった窒息と言うバンドもそんなこと言ってたなぁ・・・
と思ってよくよく聞いてみたら、
彼が助っ人ドラマーとして参加している痛苦的信仰窒息とふたつもバンドが参加するらしい。
しかもふたつとも筋金入りのアンダーグラウンドなバンドである。

きっと演劇のバンド役かなんかで出演してるのだろうと思って行ってみたら驚いた。
「中国話劇生誕百周年記念演劇」
演目は何とシェイクスピアの「コリオレイナス」

・・・何じゃそりゃ・・・

話劇と言うぐらいだから音楽劇(ミュージカル)ではない。
しかも「お堅い」イメージが強いシェイクスピアにどうしてアンダーグラウンドのバンドが?・・・

しかも主役はワシは詳しくは知らんが、中国では舞台役者の第一人者、
監督は古い世代の大御所中の大御所。
つまりここ中国の現状で言うと、文化大革命の時代の人たち。
およそロックには、
いや新しいものにはまるで無縁であろう人たちなのである。

頭の中はムルンピョ(疑問符)だらけの中、
7時半の開演時間ぴったしに劇は始った。
いきなり窒息の演奏である。
ワシが上海
「お前らこんな音楽やってる限り一生売れん!」
と言う褒め言葉(?)を贈ったそのままの、
重金属と言うか、ボーカルはただグォーとがなっているだけのデスメタルである。

その演奏に合わせて数十人の出演者が全員飛び出して来る。
壮観である。
そして驚くべきはその後、
劇中のバックミュージック、効果音、全ては彼らが生で演奏しているのである。

もちろん生声で喋る演劇に、
大音量のヘビーメタルはそのまま被せることは出来ない。
セリフのバックの演奏はベースだけ、ギターだけ、バスドラだけ等
実に緻密に計算されているのである。
セリフがない部分、役者が叫んだその直後、登場人物が入れ替わるジングル、
等々の部分には遠慮なく大音量のバンドの演奏となる。

敵軍が登場!
上手からはもう一台バンド車が現れて、
今度は痛苦的信仰の演奏が始まる。
そして戦闘シーンではふたつのバンドが両軍を代表してヘビーメタル合戦を行う。

・・・デスメタルとハードコアの掛け合い・・・

凄い!
許されるのか?!こんな演出!!

第一幕の最後は痛苦的信仰のオリジナル曲で締める。
シェイクスピアにハードコアである。


第二幕までの休憩時間、ワシはプログラムを眼を皿のようにして探した。
音楽監督の名前を・・・

ワシも中国ではいろいろ映画音楽をやらせてもらっているのでよく分かる。
この音楽をつけた人間は天才である!

ワシ流の映画音楽理論で言うと、
登場人物、心理状態等においてそれぞれテーマを決め、
そのテーマをメロディー、楽器等で割り振ってそれをコンセプトとするが、
この演劇では見事にそれをロック、しかもデスメタルとハードコア、
そしてその楽器を巧みに使って完璧にそれを表現している。

しかし音楽監督の名前が・・・どこを探してもないのである!!

舞台は第二幕。
ふたつのバンドに役者ふたりもギターを持って参加する。
RockSkakespeare1.jpg

これまたウルサイ!
ぐちゃぐちゃのヘビーメタル(と言うかデスメタルとハードコアが一緒になったような)である。
その部分はセリフがないから別にうるさくてもかまわないのであるが、
演奏が終わり、セリフを言い終わった役者が、
バンドのメンバーよろしくギターをかき鳴らして自分で効果音を入れるところなんぞ、
この演出家、タダモノではない。

演出家がロックを分かっているだけではなく、
名前がどこにも紹介されてないこの音楽監督は、
実に完璧に「ロック」と言うものを理解している。
ギターを、ベースを、全ての楽器を完璧に理解しきっている。
そうでなければこのような・・・

陰謀うずまくシーンでは必ずベースが、
ミ、ファ、シb
いわゆる最低音であるEのコードから半音上の音であるFをぶつけて、
そしてそのFから元キーであるEのフラット5の音にあたるBbをぶつける・・・
ある種ヘビーメタルの王道である。

対抗する軍隊のシーンでは、
ギターが深いロングディレイをかけて、
16分音符のフレーズをそれにからませて演奏する・・・
ある種プログレッシブロックの王道である。

またある部分ではピンクフロイドよろしく、
バスドラを2回づつ、
心臓の音のように踏むだけで役者の心理状態を演出する。
これもある種王道である。

きわめつけは、
ふたりのギタリストがステージ左右に座り込んで、
メタリカのバラードばりの泣きの演奏を奏でながら、
後に役者が出てきてそれに乗せて絶叫する。

鳥肌ものである。

ありえん!
日本で言う大御所と言うと、
唐沢寿明で同じくシェイクスピアのコリオレイナスを演出した蜷川幸雄か?
彼がここまでロックの「奏法」を理解してバンドのメンバーに指示できるか?

もしくは合議制よろしく、
バンドが「このシーンではこんなのどう?」とか言って自然発生的に決まった?・・・
それもありえん!
そうだったとしたら、
このふたつのアンダーグラウンドバンドは、
少なくともワシよりもっと素晴らしい映画音楽家である。

どちらにしても、
これは「ロック後進国」であったはずの中国のそのレベルの音楽ではない!
日本にだってこんな演劇があったか?!!!

ワシも日本では映画や演劇の音楽もやったが、
やっぱ流行歌(歌謡ロック、J-POPも含む)最全盛の日本において、
その「ロック」と言うのは封印せざるを得なかった。

中国は日本より顕著である。
ロックは果てしなくアンダーグラウンド。
ロック好きな劇団が有名ロックバンドとコラボレイトしているのとは次元が違う。
共産党幹部が、ごみだめの中の精神異常者とコラボレイトしているようなものなのである。

もしそうだとしたら日本のロックは、
少なくともロック後進国であった中国には遙かに後れを取っていることになる。

ワシは焦った。
ニッポン!何をしている。
ワシを呼べ!XYZにこれをやらせろ!!
ワシ以外に日本人で誰がこれをやれる?!・・・

日本人で?・・・
じゃあ欧米人なら?・・・

そうだ、きっとこれは欧米で演じられたことのあるロックとシェイクスピアとのコラボレイトなんだ。
バンドは既に演じられた欧米のロックバンドのプレイをコピーしてるんだ。
だから音楽監督の名前がないんだ。

すなわち音楽は全てコピー!
それなら納得がいく。
もしそうじゃなきゃ大変だ!
中国のロックは日本を追い越し、
ついに欧米までを追い越したと言うことになる。


欧米人は肉食ってるから強いだ!
んだんだ!
ワシらも頑張って肉食ってあんなになるだ!
んだんだ!


ワシは気を取り直して観劇する。
舞台はついにはクライマックスを迎え、
ミュージカルならありうるであろう最後のロック演奏もなく、
最後のセリフひとつで幕を閉じる。

あれ?
派手好きな欧米人ならこんな演出はしないがなぁ・・・

カーテンコール
RockSkakespeare2.jpg

最後にバンドのメンバーを代表して窒息のギタリストがこう言った。

「役者の皆さん、スタッフのみなさん。中国ロックを支持してくれてありがとう」

ワシはいても立ってもいられなくなって、
終演後すぐさま大偉(ダーウェイ)に電話をした。

「音楽監督は誰なんだ?!」

詰問するワシに彼は不思議そうにこう答えた。
「そんなのいないよ。俺達が1か月のリハーサルで彼らと一緒に考えたのさ」

しばし呆然・・・

ロック後進国だった中国は、
ここに完全に日本どころか欧米を追い越した。
革命の演劇しかやらなかったであろう大御所監督が、
忌み嫌われていたアンダーグラウンドのロックと手を結んだのである。

聞けば今日で公演は最終日だったらしい。
彼らはロングランしたこの演劇の立役者として脚光を浴びることもなく、
またいつもの貧しいロッカーの生活に戻ってゆく。
客の来ないライブハウスと暖房もない院子の生活に戻ってゆく。

そしてワシはまた彼らに同じことを言うだろう。
「お前ら、こんな音楽やってるうちは絶対売れん!」
そして彼らはまた同じことを言うだろう。

「ま、どっちでもいいや。毎日楽しいし・・・」

Posted by ファンキー末吉 at:07:55

2007年12月14日

あの美少女秘書は今?

ベースの韓陽(ハン・ヤン)から
「今日ライブがあるんだけどヒマだったら来ませんか」
とメールが来たので久しぶりに貧民街を出て行ってみた。

BaiXueFaBuHui.jpg

ライブと言っても彼名義のライブではなく、
「白雪(バイシュエ)」と言う歌手のバックである。
キーボードはデブの張張(ジャンジャン)、
ギターは元Core Of Soulの宋睿(ソン・ルイ)
みんな友達である。
結局朝6時まで飲んで盛り上がるハメとなった。

さていくら奴らがワシのことが大好きで、
「ファンキーのおかげで今がある」
と涙ながらに思い出話をしたところで、
もう既にこちらでも「ロック仙人」と呼ばれだしているワシが
まさかそれぐらいで朝までベロンベロンになるまで連中と付き合ったりしない。

ワシらの盛り上がりを一気にピークに持ってゆく懐かしい娘がそこにいたのである。
その名を「麗麗(リーリー)」、その名前の通り、麗しき美少女である。

初めて出会った時、彼女はまだ15歳(中国式数え年で16歳)。
とあるスタジオで小間使いとして働いていた。
家が貧しいため、学校にも行ってない。
今のワシの住んでるとこみたいな貧民街に一家は住んでいて、
夜道が危険だと言うことで毎日スタジオのソファーで寝泊まりしていた。

(その頃の写真)
LiLiWithTshirt.JPG

そしてワシは彼女ともっとお近づきなるために、ウソ!本当は純粋に彼女の将来ために、
ワシの携帯を留守の時に転送して要件をメールしてもらうと言う「電話秘書」の仕事をしてもらった。

このぐらいの年の少女は数年間で驚くほど変わってゆく。
この頃にワシは日本からのおみやげで化粧品を買ってきた記憶がある。
ワシも化粧品のことは一切わからないので、
店員さんに選んでもらうのに使った写真がこれである。

(ちょっと大人になった彼女)
LiLi1.jpg

後にはワシが中国語の教材本を出すと言うことになって、
そのナレーションも手伝ってもらったりもした。

別に恩を売ってもっとお近づきなろうとかそんなことを考えたわけではない。
純粋に「彼女のためになれば」と思ってのことである。

(その時に本の中で使用した写真)
LiLiPhoto.jpg

こんな美少女を世の中の男がほっとくわけはない。
彼女の心を射止めたのは
よりによってこれがこの日のステージでキーボードを弾いている張張(ジャンジャン)!!!
よりによってこんなデブ・・・いやいや、若い人同士素晴らしいことじゃないですか・・・涙・・・

もともと、ワシが彼女を連れだしてJazzバーに行き、
そこでキーボードを弾いてたのがこのデブである。
いや別に少女を酒場に連れて行ってどうのこうのと言う邪念があったわけではない。
純粋に音楽を愛する彼女に生のライブを見せてやりたかっただけである。
(これホント!)

なのにこのデブは・・・
いやいや、まあ彼の超絶プレイにぶったまげたのはワシだけではなかったと言うわけよ。

・・・涙・・・


と言うわけで月日は流れ、
彼女もデブとは無事別れ、
「ファンキー・・・俺・・・振られちゃったよ・・・」
と言う可愛いデブに「ざまみろ」とも言わず酒を飲ませてやったり、
その後彼女はモデル事務所のスカウトに合ったりもしながら、
(その感動的なエピソードはこちら
結局はその夢のような話も断りながら、
次に務めた会社がこの白雪(バイシュエ)の事務所だったのである。


果たしてライブ会場の受付に彼女はいた。
目を疑ったが間違いない、彼女である。
まさに数年ぶりに見る彼女である。

びっくりさせてやろうとばかり、入場する関係者に資料を渡している列に並び、
いきなり彼女の前に立った俺を見て彼女は絶句・・・

「ファンキー・・・」

心なしか彼女の眼に涙が浮かんでいたと思ったのはワシの錯覚だろうか・・・
数年ぶりに再開するワシらが一生懸命言葉を選んでいる瞬間に、

「ファンキー、来てくれたのか、嬉しいよぉ!!久し振りぃ!!!」
横からデブの張張(ジャンジャン)が割り込んで来てワシに抱きついた。

おいおい!俺が抱擁したいのはお前じゃなくてぇ・・・

彼女はもう次の関係者の接待をしたり忙しそうである。
暑苦しいデブの抱擁の中、
「よし、今夜は絶対このデブを肴に盛り上がってやる!」
ワシは心にそう決めた。

かくして飲み会は絶好調に盛り上がった。
若い衆と飲むのは久しぶりだったし、
日本からは宋睿(ソン・ルイ)も来てるし、
張張(ジャンジャン)が盛り上がって来ると麗麗(リーリー)の話を出したら急にしおれてしまうし、
面白くて仕方ない。

白雪(バイシュエ)のライブ打ち上げなのに、
こちらのテーブルは誰も彼女なんか相手にせず勝手に大盛り上がりしている。
事務所が案内してくれた3次会のカラオケボックスには結局ワシらしか残ってなかった。
アーティストを送り届けて麗麗(リーリー)が戻って来た。

「ふー・・・私にもちょうだい!!」
昔仲間のワシ達のグラスを奪い取ってビールを飲んだ。

「お酒飲むようになったの?・・・」
目を丸くするワシにちょっと笑って彼女は答えた。

「私・・・もう22歳よ・・・」

まだ22歳かい!!!!
白雪(バイシュエ)付きのマネージャーになってもう3年。
もう事務所でのポジションも大したもんだろう。

「給料上がったかい?」
ニコっと笑ってうなずく彼女。
「仕事はどう?楽しい?」
ちょっと苦笑いして彼女はまたビールを飲んだ。

「あのモデルの話・・・断って後悔してない?」

ちょっと考えてから彼女にいつもの笑顔が戻って来た。
大きくうなずく彼女にビールをついでやった。

ま、社会に出ればいろいろあるさ!
彼女にとってはワシらも非常に懐かしい昔仲間である。
嫌なことは忘れて今日は飲もう!

最後に記念写真。
LiLiPinBoke.jpg
ピンボケなのは、
映してくれたPAの吉田君が彼女の美しさに見とれていたからである。
(と言うことにしておこう)

Posted by ファンキー末吉 at:15:31

2007年05月31日

MIDI音楽学校にてクリニック

先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。

と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。

しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。

しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・

と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ClinicAtMIDI.jpg

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。

Posted by ファンキー末吉 at:18:41

2007年05月23日

・・・平和やなぁ・・・

日本から帰って来たらいきなり電話で呼び出された。
「明日ヒマか?」
だいたいこちらの仕事はこのノリでブッキングされるので、
まあ何のことやらわからないながら出かけて行った。

途中のうちの近所の交差点。
信号が青になったにもかかわらず車が進まないのでふと見てみると、
Sheep.jpg
なんと羊飼いが羊を連れて幹線道路を横断しているのである!!

ちなみに、
普段ひっきりなしにクラクションをならす中国人ドライバーも、
羊相手になす術もなくおとなしく通り過ぎるのを待っていた。

・・・平和やなぁ・・・

呼び出された現場に着いてみれば、
そこで何やら「リズムクリニック」とやらが始まると言うのである。
スタジオで一番売れっ子のベーシスト、張嶺(ZhangLing)と、
崔健(CuiJian)のバンドのドラマーとして活躍している貝貝(BeiBei)がちょっとしたデモ演奏を披露し、
終了後、
「さあ、それではみんなで写真を撮りましょう!!」

RythmClinic.jpg

ワシも一緒に呼ばれ、
招待されたマスコミがバチバチと写真を撮る。
それで今日のプログラムはおしまいである。

それだけ?・・・

ちなみに今日呼ばれた人、
全てこの国では名だたるドラマーとベースプレイヤーである。

まるでワシらがここで教室やるみたいやん!!!

まあここ中国ではよくある話である。
数年前も
「新しく音楽教室が開校するから来てくれ」
と呼ばれて行ったらでかでかとワシのポスターが貼られていて、
堂々とここの客員講師として宣伝されていた。

もしワシの名前に釣られてここに入校した生徒がいたらそりゃサギやん!!
と思ってその点をつついてみたら、
「それだったら本当に我が校で講義してもらってもかまいませんよ」
と丁寧に言われたが、
そんなヒマはないだろうから丁重にお断りした。

・・・平和やなぁ・・・

次の日はカナダのシンバルメーカー「Sabian」の人から
「ドラムコンテストの決勝戦があるから見に来てくれ」
と言われていたので出かけて行った。

DrumContest.jpg

全てのプログラムが終わり、
ワシ同様に呼び出されてやって来た全てのSabian中国地区モニターであるドラマーは、
舞台上に呼ばれ、マスコミ達がそれを写真に収める。

でもワシ・・・モニター言われたって・・・
まだシンバル1枚ももらってないんですけど・・・

我が愛する街・・・北京・・・平和である・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:50

2007年05月10日

さすが中国

もうライブの隠し撮り(堂々と撮っていたが・・・)がUPされてました。

http://www.6rooms.com/watch/562206.html

これは日中お友達ライブでの田川くんのソロ曲。
ぶつぶつ切れるけど、我慢して最後までバッファすれば後はきれいに見れるよ。

それにしてもこの曲だけUPされたんじゃ、
世界の二井原がただの司会者とカメラマンではないか!!!
後ろで手拍子してる姿が特に・・・(涙)・・・

世界平和はまだ遠い!!!

ps.インタビューはちゃんと撮られてた。
http://bn.sina.com.cn/rock/2007-05-04/23277031.html

しかしU-Tubeでは二井原実と言うのは・・・
http://www.youtube.com/watch?v=teT7nJza1mo

Posted by ファンキー末吉 at:23:26

2007年02月20日

廟会は楽し

中国は旧正月である。
日本で言うと初詣みたいなもんであろうか、正月は神社とかで廟会が催される。
出店がたくさん出て楽しいので今年も出かけて来た。

MiaoHuiGate.jpg

中は人だかりで、午後ともなるとすし詰め状態で動けなくなるが、いろんな屋台が出て楽しい。

MiaoHui1.jpg

紙芝居もあったし、

Kamishibai.jpg

お面屋さんも出てたし、

Omen.jpg

鯉のぼりも売っていた。

Koinobori.jpg

モンモンのポスターを発見!!

AiMengMengPoster.jpg

そうかそうか、やっと日の目を見れてよかったねぇ・・・

さて、こうして買い物や買い食いなども楽しいが、毎年入ってみたくて入ったことのないこの出店

MisemonogoyaPoster.jpg

見るからに「見世物小屋」である。
暖冬の今年と違って去年は非常に寒かったので入りたくて入りたくてしょうがなかったが断念した。

一番見たい出し物がこれである。

2HeadGirlPoster.jpg

ふた首女・・・
まさに「親の因果が子に報い・・・」の世界である。
こんなのがなければ場末の見世物小屋とは言えない。

入場料は10元。
高いのか安いのか微妙な値段である。
日本で言うと街の空き地に出来たお化け屋敷に1000円払うようなものであろうか・・・

期待に胸を膨らませて中に入ってみると


客はまばら・・・
それでこそ場末の見世物小屋!!
これで客が超満員だったら逆に興醒めである。

MisemonogoyaAudience.jpg

入った時には1ステージ目最後の出し物をやっていた。
カンフーSHOW!!
しかし別に身体を鍛えてるような少年ではないのだが、奇妙なカンフーのようなポーズをしながら、最後には皮膚に針を刺して、それにレンガをくくりつけて引っ張り上げると言うショーであった。

GongFuShow.jpg

そして5分の休憩の後、2ステージ目が始まる。
入れ替えはない。
入れ替えなんかしてたら見る客がいなくなるからである。
飽きるまで何回見てもいいと言うことになっている。

MagicShow.jpg

最初の出し物はマジック。
客はぴくりとも反応せず、拍手もない。
これでこそ場末の見世物小屋である。
客席でワシひとり興奮に胸躍らせていた。

そして早くも次の出し物でワシの興奮は最高潮の達したのである。

SnakeShow.jpg

出たぁー!!!蛇女である。
ポスターの蛇とは全然違うどじょうのような蛇を5分ぐらいかけてゆっくり口に入れてゆく・・・
いや、結局は口に入れると言うより先っぽをちょこっと咥えただけでおしまいである。

チープである!
チープ過ぎる!!!

更に二人組みで見るからに柔らかそうな鉄の棒を曲げるカンフーSHOWや、先ほどの蛇女の行うマジックSHOWなどが続き、そしてまたもや蛇の登場!!!

SnakeShow2.jpg

今度は2匹である。
司会者は「鼻から蛇を入れて口から出す」と言っているが、なんのこっちゃない、鼻に1匹の頭を入れ、口にもう1匹の尻尾を咥えているだけである。

シュール過ぎる!
渋すぎるぜ!!!

そしてクライマックスはついにふた首女の登場である!
司会者がカーテンを開け、大きな箱をステージに運び込み、その箱を開けると、中には果たしてそのふた首女が座っていた!!

2HeadGirl.jpg

もちろん前のおばはんの方に後ろから女の子が首をのせているだけである。
またどうしてひとりがおばはんでひとりが若い女の子なのか理解に苦しむところが非常によい!!
ワシはもう脳みそが沸点に達し、何を考えることも出来なくなり、夢心地の中、司会者からマイクを向けられたそのおばはんが「ニイハオ」と言うのを聞いた。

ああいいものを見た!
今年はいい年になるであろう!!

Posted by ファンキー末吉 at:17:30

2007年02月08日

大変だぁ!!

今日はオーケストラとの競演である。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。

入り時間が早いので目覚ましを7時にかけていたら、何故か5時に鳴って起こされてしまった。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。

仕方ないから今日着る衣装選びでもするとしよう。
「オーケストラから浮かないように黒い服を着てきてくれ」と言われているので、
まあドラマーなんだから黒いTシャツがタンクトップでも着てゆけばいいようなものなのだが、
昨日届いた招待状を見ると、今日は映画人のイベントで、参加者は赤い絨毯を歩いて舞台に上がるらしい。
アカデミー賞みたいなもんか・・・

まあそんなことが「大変」なわけでもない。
物置から懐かしい衣装を引っ張り出して来た。

ISHOW.jpg

絹ではないがそのような光沢があり、ロック的でもあるので髪の毛振り乱してドラムを叩いてても様になる。
問題はこの下に穿くズボンである。

ここ数年、ジャージとか短パンとかぼってりしたズボンとかしか穿いたことがないが、この服にはとてもじゃないがピシッとしたズボン以外は合わないのである。

Gパンはひとつしか持ってないが、ここ数年穿いたことがない。
最後に穿いた時にはやっとの思いでボタンを留めたが、立ってて苦しいのはいいが、座ってドラムを叩ける状況ではなかったので、結局ボタンを外して社会の窓全開でドラムを叩いた記憶がある。

皮パンが光沢もあり理想なのじゃが、亜州鼓魂のレコーディングの時に股が破けてしまい、応急処置で自分が縫ってそのままである。

眠気眼で嫁が、「ほな私の皮パン穿いたら?」とタンスを指差すので引っ張り出して穿いてみた。

だいたいうちは服を共有できる夫婦である。
一般的に女性の方が男性より体脂肪率が高いので、慣れない異国の地での生活を「食生活」で楽しくしている嫁の皮パンなら絶対に穿けると思って足を通してみたら、
そう・・・足を通しただけで終わってしまい、とてもチャックを上げるまでいかない・・・

サァー・・・(血の気が引く音)・・・

俺は嫁に付き合って毎晩うまい物食って、安いもんでビールがんがん飲んでるうちにここまで来てしまったのか!!!

物置を引っ掻き回して、たったひとつしかないピシッとしたズボン、昔のGパンと皮パンを引っ張り出して来る。
足を通してみると、何とか足だけではなく腰も通るようである。

息を思いっきり吐いて腹筋に思いっきり力を入れて、ようやくボタンをとめ、鋲のついた分厚いロックベルトでぎゅうぎゅうに締める。
心なしかベルトの上からお肉が覆いかぶさっているような気がするが、まあ何とか赤い絨毯の上を歩けないことはない。
問題はどうやってドラムを叩くかである。

かくなる上は今から腹筋を繰り返し、もちろん本番までは絶食!
待ち時間は爪先立ちで過ごし、時間が許すなら車なんか使わずにドラム担いで会場まで歩いてゆくしかない!

そうかぁ!そのために神様は俺を2時間早く起こしたに違いない!!

と言いながら、朝からこんなアホなブログ書いてるうちに時間になってしまった。
とりあえず衣装持って会場行ってから考えよう。

Posted by ファンキー末吉 at:07:11

2007年02月05日

泥棒

先日のことである。

草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。

「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」

院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。

YuanziMap1.JPG

だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。

ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。

「盗まれたものはないか?!!」

見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。

YuanziMap2.JPG

夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。

ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。

嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。

腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。

今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。

1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)

2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)

3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)

4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)

5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)

6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)

7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)

アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので
MenYaoShi.jpg
その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。

しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。

と言うわけで手榴弾は却下・・・

そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。

何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。

「ピタゴラスイッチ」

そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。

犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。

レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。

ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。

「アホが見るブタのケツ!」

それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。

焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。

「うわっちっち!これはたまらん」

とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。

「んぎゃー!」

と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。

「たまや~かぎや~」

そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。

「あちちちち」

とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。

「もう悪いことはしません。どうか許してください」

その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。

こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。

しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:03

2007年01月28日

Wyn来たりて風邪を引く

Wyn Davisと言えばロック界では世界的に有名な大御所エンジニアである。
彼のLAのスタジオ、「Total Access Studio」には、Guns and RosesやDokenなどのプラチナディスクがところ狭しと飾られ、レコード棚にはそこでレコーディングしたXYZのCDが申し訳なさそうに末席を飾る。

1999年にXYZのデビューアルバム、「Asian Typhoon」をレコーディングしてからの付き合いなので、もうかれこれ8年がかりの付き合いになるのだが、何の縁なのか、一度も日本に来たことがない彼が今回でもう3回目の北京である。

1度目の北京は当時プロデュースしていた零点のコンサートのライブレコーディングのため。
そして2度目の北京は我がファンキースタジオを作りにやって来てくれた。

つまり過去2回はワシに呼ばれてやって来たのじゃが、今回だけは違う。
「ファンキー、むっちゃ安いチケットがあったんやけどその時期なんかプロジェクトないか?」
とメールが来たのである。

何かと言われても、Wynを呼べるだけのバジェットがあるバンドは中国ではまあ零点ぐらいなもんやし、今ワシが手伝ってるバンドは布衣を含めみんなペーペーのド貧乏である。
あと、BeiBeiと言うギタリストのアルバムも手伝っているので、
「お前ら、10曲言うても絶対無理やろうから、5曲分づつ金だして半分づつやってもらえ!」
ってなもんでWynの相場からしてみたらタダ同然の値段でまた北京までやって来てくれることになった。

200kgを越すと言うWynは例によって飛行機の座席が二人分必要じゃが、今回はお母さんも一緒に連れて来て、二つの座席をお母さんと一緒にシェアしながらやって来ようと言うことになった。
お母さんは痩せているのでふたりで座席二つ分と言うことである。

さて、お母さんは中国どころかアジアは初めての旅行である。
メールでさんざんやりとりをするが、LAで暮らしてる人たちにはどうもこの北京の寒さはピンと来ないようである。

「アメリカで言うたらアラスカ行くようなもんやからね(行ったことないが・・・)!死ぬほど厚着して来なアカンよ!」
とは言うものの、
「まあ寒かったら現地で防寒着買いますわ」
と非常にのんびりしている。

「お母さんのは買えるかもわからんが、Wynのはまずサイズがないよ!」
とさんざん言うのじゃが、
「うちの息子は非常に暖かいBodyを持っているので大丈夫ですわ」
とのんびりしている。

何せ、肌寒い秋の北京に、ワシはもう冬服を着てたと言うのに最後まで半そでで通した人である。
ひょっとしたらマイナス15度の北京にも半そでで来るかも知れんと思ってたら、本当に半そでに薄い上着を着ただけでやって来た。

WynAndMama.JPG

みなさん!本当にこの薄い上着の下は半そでのTシャツなんです!!!

見てるワシが風邪を引いてしまい、ひとり天安門や万里の長城などを観光していたお母さんが風邪を引いてしまい、最後にはやはりWynも風邪を引いてしまった。

そりゃそうじゃろ・・・

と言うわけで、鼻水をすすりながら10曲トラックダウンをし、また激安チケットの過酷なトランジェットでLAに帰って行った。
ワシはまだ風邪で寝込んでいる。


Posted by ファンキー末吉 at:22:00

2007年01月13日

イスラム文化のリハーサル

ABUDU.jpg

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。

毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。

Studio2.JPG

北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。

今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。

かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。

文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。

次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。

まあ飾りつけと言えば、
XYZ_BD.jpg
XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。

そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、
DrumClinicPoster.jpg

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・

まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!

と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。

次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。

しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・

イスラム社会・・・今だに謎である・・・


Posted by ファンキー末吉 at:20:37

2006年12月11日

おでん

映画音楽を「今月中に完パケしてくれ」と言いながら「監督がまだ北京に帰ってないので会ってから着手してくれ」と言うのもヒドい話である。

返事を待ってる間、隣の布衣楽隊のレコーディングをしつつ、BeiBeiと言う若手ギタリストのユニットのレコーディングをする。
ふたりともずーと私のスケジュールを待って待って久しいのでやれるうちにやっとかないと非常に悪いノダ・・・

と言うわけで、このふたつのレコーディングをとっとと仕上げて、映画音楽やらないならそのまま日本に帰ってしまおうと言うことで今ダブルブッキングで頑張っている。
日本に帰るには子供に頼まれたベイブレードとやらを買いに行かねばならない。
日本ではもう発売されてない種類のが北京のイトーヨーカドーにはあると言うのだ。
前回夏休みに北京に来た時にめざとく見つけているんだから子供はあなどれない。

ベイブレードの
●ガイアドラクーン メタルスパイク
●ドライガー メタルスラッシュ
●ドラシエル メタルシールド
と言われてもワシら大人にはさっぱりわからない。

午前のレコーディングと午後のレコーディングの合間にヨーカドーに行ったのはいいが、おもちゃ売り場の中国人の店員に聞こうとも中国語でどう言っていいのかさっぱりわからない。
仕方がないのでベイブレードとやらを全て出してもらい、片っ端から品名を確認してゆく。
これが種類が多いのよ・・・ほんと・・・

そしてやっとみつけたのがこの3つ。
BeyBlade.jpg

せっかくヨーカドーまで来たのだから買い物でもして行こうと地下の食品売り場に降りてゆく。
ここには日本食も置いてあり、おでんが隣の布衣楽隊の大好物なので(彼らの日本ツアーで一番おいしかった食べ物がローソンのおでんだったらしい)、買っていこうとしたら暖めるだけで食べられるレトルトパック詰めがもう売ってなかった。
あんなの買うのはワシら夫婦ぐらいだったのだろうか・・・

と言うわけでダイコンやらレンコンやらを買って自分で作ることにする。
ガンモドキやらチクワブやらハンペンやら、およそ中国語でどう訳していいやらわからないものは、「店内になければすなわち売ってない」と覚悟してあきらめる。
なんか今日はこんなことばっかりしてる日のようだ・・・

帰って来たら院子が非常に賑やかである。
久しぶりにAbudu率いる新疆ウィグル族のバンドがカシュガルから帰って来て久しぶりに練習しに来てるし、レコーディングルームではBeiBeiの中国Popロックがレコーディングされ、その間にある院子では午前のレコーディングを終えた布衣楽隊が卓球をしている。

ワシと重田はひたすら仕込みをしておでんを作る。
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日本酒もあるでよ!

豚肉を使ってないので君らも食べられるんじゃない?
とAbudu達も誘ったが、恒例のお祈りの時間になり部屋から出てこない。
恐らく断食の時期かなんかで食べられないのであろう。
彼らを除いて今日はみんなでぱーっとやりますか!!!

ps.北京在住の方でこのブログをいち早くチェックした人はすぐ来て一緒に食いましょう。


Posted by ファンキー末吉 at:17:17

2006年12月02日

そしてまた忙しくなる・・・

無錫から帰り、日本に行き、結局ずーっと飲んでばっかり・・・
命の洗濯、胃袋の消毒ってなもんである。

ところが帰って来てびっくり!!
日本では持って行った上着をバッグにしまってトレーナーだけで出歩くこともあったと言うのに、こちらは何と気温がマイナス8度!!
「寒い」と言うより「痛い」と言う感じである。

空港から院子に着いたらすぐせねばならないことが焼煤(ShaoMei)。
つまり石炭を焚いて暖房をせねば死んでしまうと言うことである。

貧民街の大部分の家庭では、一酸化炭素中毒でころっと逝くのも顧みず部屋の中で練炭を焚いているが、うちは部屋数が多いので各部屋でそれをやるよりはと言うことで、一括でこのようなボイラーで石炭を燃やす。
LuZi.jpg

この炎でお湯を沸かし、そのお湯が各部屋を循環し、部屋を暖めるのである。
(お湯はこの鉄板の中を廻り、その鉄板の熱で部屋を暖める)
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この方式は石炭が燃える部分は部屋の外に設置してあるので一酸化炭素中毒の心配はないが、逆に熱効率から言うと直接部屋の中で練炭を焚くよりもはるかに悪い。
まあ寒くて死にたくもないが、一酸化炭素中毒で死にたくもないので我が家はこのシステムにしている。

石炭は1トン単位で購入し、値段は去年より50元値上がりして550元(8千円ぐらい)。
なくなった頃を見計らってオッサンが配達に来てくれる。
MeiKuai.jpg

ご存知の通り(そんなことを知っている人はあまりいないかも知れんが)、石炭はそれだけを放り込んで火をつけても火はつかない。
まず新聞紙などの燃えやすい紙を暖炉の一番下に引き詰め、その上に薪を入れてその上に石炭を乗せる。
ここでめんどくさがって石炭をドバーっと入れてしまうと火がつかないので、根気よく石炭を追加してゆくのがコツである。
また、勢いよく火がおこっても、そのままにしておくと水が沸騰して蒸発してしまうので、ほどよい加減で空気の量を調節するのも忘れてはならない。

火がちゃんとおきて、ボイラーが完全に温まるまでに大体2時間強・・・
極寒の中、それら一連の作業をやりながら、震えながらメールチェック、スケジュール調整・・・
北京の美人秘書のブッキングによると、今日はこの後、とある映画のプロデューサーとミーティング・・・

「なぬ?また映画音楽?・・・」
ひとつの映画が大ヒットすると、二匹目のドジョウを狙ってあらゆる映画がそれを模倣する。
それに出演した役者さんもいろんな映画にひっぱりだこになってるぐらいだから、その音楽を担当したワシにもいろんなところからお呼びがかかると言うもんである。

それにしても映画音楽って半年で3本もやるもんなの?・・・

ま、ヒマだと飲んでばかりいてまた太ってしまうからやりましょか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:03:13

2006年09月21日

MengMeng(モンモン)の物語

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重田から電話があったのがもう数ヶ月前。

「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」

超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。

「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。

「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。

北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。

書いてるだけで吐きそうである・・・

「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。

後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。

全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。

「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」

まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。

「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」

年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。

その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。

結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・

・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。

そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。

DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」

そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。

そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。

当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。

北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。

モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。

吐きそうになってきた・・・

じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・

「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」

かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。

呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。

「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。

「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」

なんかわかったようなわからんような・・・

ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。

何の役にも立たん!!

この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。

さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。

実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。

現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・


さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。

「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」

吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。

「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」

「ロック界?なんで?・・・」

「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」

吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・


かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。

見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。

金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。

始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。

一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。

6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。

なんでいきなり最終カードを切るの?!!

ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。

久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。

お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!

音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。

結果は・・・・落選!!!

最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。

楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。

ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。

ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。

「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。

老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。

負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。

そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。

人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。

恐ろしい番組じゃ・・・

さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。

かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。

番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。

「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。

すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。

もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!

さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。

最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・

やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。

「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。

「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」

確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。

吐きそうである。

「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。

ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。

ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。

今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。

しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。

・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。

「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」

やったぁー!!!残ったぁ!!!

と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・
ChaoNv5Qiang.jpg


数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。

「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」

かんべんしてくれーーーーー

丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。

Posted by ファンキー末吉 at:00:18

2006年09月18日

布衣楽隊日本へ行く!!

この前の週末もライブを頼まれた。
布衣楽隊のドラマーは全くもって週末は家庭サービスの忙しいのであろう。

話のついでにボーカルの老呉(ラオ・ウー)に聞いてみた。

「この前のライブハウスのはしごん時のギャラ、50元まだもらってないんだけど・・・」

老呉(ラオ・ウー)は非常に信頼できる男で、お金を踏み倒したり、人を騙したり、そんなことはもちろんのこと、渡すべきお金を忘れていたなんてことはありえないことなので、あれからあの50元をワシにくれないばかりかその話すら出ないことはワシの心の中にいつまでも引っかかっていた小さな不思議であった。

「お?!ああ・・・あれか・・・全部で50元だよ」

相変わらず無愛想にそう言う。
ワシとしても別にその50元が惜しいわけではない。
しかし今回に限ってワシにそれをくれないのは何かおかしい・・・
いぶかしがるワシに彼はまたこうたたみかける。

「ファンキー!あの日は2つのライブ合わせて全部で50元だったんだよ」

いつもは50元だろうが100元だろうが、「今日は全部で500元だからメンバーとミキサーとで5割してひとり100元ね」とちゃんと払うヤツが今回に限ってふたつのライブ合わせて全部で・・・・」

なぬ?!!ひょっとしてふたつのライブの全員のギャラ合わせて50元?!!」

50元と言うとライブハウスの生ビール2杯分である。
つまりひとつのライブハウスのギャラが生ビール1杯分!
それをメンバー4人とミキサーの5人で割るんだからひとりビール5分の1である。
(何もビールを割らんでもええが・・・)

結局手弁当で来てくれた吉田くんにその50元はそのままあげて、メンバーは平等にノーギャラと言うわけである。

しかし大の大人が5人まる半日稼動して全員で50元とは情けなさ過ぎる!
ノーギャラのボランティーの方がよっぽど潔い。

お前ら身分が低いにもほどがある!!!

と言うわけで(と言うわけでもないが)、ちょうど日本のイベントで中国のバンドを紹介してくれと言われてたので彼らを紹介した。

「大阪産業大学経済学部設立20周年記念国際シンポジウム」
なんとこれは「ロック・ミュージックを通して考えるアジア共同体の可能性」と言うタイトルが銘打たれていて、アジアがいわゆるEUのような共同体を経済ではなくロックによって作り上げることが可能かどうかを考えるシンポジウムなのである。

「ヨーロッパは経済によってその国境をなくし、EU共同体を作り上げたが、アジアはそれをロックでやるのじゃ!出来ると思うか?!」
と言う、ちょっと聞いたらおよそ真面目なイベントとは思えんイベントを大真面目に、真剣に主催するのは「大阪産業大学経済学部」。

もちろんワシもパネラーとして呼ばれて参加する。
日 時 2006年10月20日 12:50~18:00
場 所 大阪産業大学本館1階 多目的ホール
出演:ghod(日本)、Ah=SIN(韓国)、布衣楽隊(中国)
入場は無料である。

これに合わせて和佐田が2本のライブをブッキングしてくれた。

10/22(日)大阪・西九条「ブランニュー」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax) アックスバイツ 布衣 他
OPEN 17:00 START 17:30 前¥2000 当¥2500 Lコード:5570 Pコード:240-588
(問)会場 06-6466-0099

10/23(月)京都「都雅都雅」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax 中村建治Key) 布衣 Sirensphere
OPEN 18:30 START 19:00 前¥2000 当¥2500 (問)会場 075-361-6900

お暇な方は是非見に来て下さいな。

Posted by ファンキー末吉 at:14:53

2006年09月10日

Jazzフェス、Rockフェス、そしてワシは貧乏・・・

音楽仲間のLongLongから電話があった。

「ファンキー、今度のJazzフェスに香港の○×△を呼ぼうと思ってるんだ。
知り合いだってな。一緒にプレイしたことあると言ってたぞ。
それでそのベースを俺、ドラムをお前で出演させてやりたいんだけどいいか?やるか?」

日本では香港人の名前は「ブルース・リー」とか英語名で呼ぶが、ここ中国では「李小龍(リー・シャオロン)」と中国語読みで呼ぶので、いきなりその中国語名を聞いてその人を特定するのは我々日本人にとっては非常に難しい。
例えて言えば、いきなり「チョン・ロン」と言われて、「チョン・ロン・・・チョン・ロン・・・ああ成龍ね、すなわちジャッキー・チェン!」と言うように頭の中で何段階も連想をしてから本人を特定する。

ワシはJazzフェスに出演する自分の知り合いの香港人だからと言うのでてっきり「ユージン・パオ」かと思ってふたつ返事で出演を引き受けたら、蓋を開けてみたら実はブルースギタリスト「Tommyチュン」だった。

ま、いい。どうせ叩くのはドラムじゃ!同じようなもんじゃろ・・・

Tommyチュンは元弁護士。
高額収入の全てをブルースに投入し、自費で竹田和夫にプロデュースを依頼して山中湖スタジオで自分のアルバムを録音している。
その後、本職である弁護士すらやめてしまい、自ら香港にブルースバーをオープンしてそこで思う存分ブルースを演奏していたが、噂に聞くと今ではそれも潰れてしまったと言うからワシみたいな人間はきっと世界中にごまんといるのであろう。

ま、いい。友達なんだから「予算がないんだ、それでもいいか?」に駄々をこねるほどワシも人間が出来ていない。

ブルースなんだからリハーサルなんていらないようなもんだけど、LongLongは何故か自分のスタジオで2日間もリハをすると言う。
俺はあの、香港でウンコもらした日に彼の店で延々ジャムセッションをやっているが、ベースの和佐田含めもちろんリハなんてやっていない。

まあしかしリハをやりたいと言うならやぶさかではない。LongLongのスタジオに出かけてゆく。

しかし、機材は全部あると言いながらスネアとシンバルがなかったのでうちに取りに帰る。
それだけでワシは5元の高速代の往復と、ガソリンを撒き散らしながら走っているようなおんぼろジープのガス代だけでえらい出費である。

ま、いい。友達なんだから金の話はいいじゃろう。

2日間のリハを終えていざ本番!
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しかし北京のJazzミュージシャンによる手作りフェスティバルの初日。
バンドの機材を運ぶ車が足りないと言うのでワシのおんぼろジープまで稼動して、入り時間は昼間の12時、サウンドチェックは4時頃から30分ほど、出番は夜の9時過ぎと言う怒涛の待ち時間を経て、挙句の果てには本番中にPAが落ちてドラムと生音だけで1曲演奏したり、話の落ちには機材の運び出しのため結局イベント終了の夜中の12時までひたすら待ってたり、
まあ懐かしい言葉で言うと「ふんだりけったり」である。

(余談であるが爆風スランプのアマチュア時代からのCD未発表曲、「ふんだりけったり」は、今から思えばかなり名曲であると思うのだがどうだろう・・・この曲を知ってるマニアの方、意見を請う!)

さてTommyチュンであるが、せっかく北京まで来てくれたんだからと言うことで、LongLongは更に2本ライブをブッキングしている。
1本は北京のJazzマスター劉元(リュー・ユエン)の新しいJazzバー、2本目は北京のライブハウス、愚公移山にて大ブルースセッション大会で締めくくると言うもの。

ワシ・・・はっきり言って非常に疲れた・・・
特にこの最後のステージは死ぬほど疲れた・・・
Jamセッションは日本ではドラマーが一番多かったりするが、この日はなんとワシだけ。
フルステージを叩いた後、欧米人のわけのわからんミュージシャン達と延々Jamセッションを繰り広ける。

ワシ・・・この数日間、同じような曲しか叩いてないんやけど・・・

ま、XYZの曲をどの曲も同じだと言う人の気持ちもよくわかるし、中国ロックは全部同じに聞こえると言う人の気持ちもよくわかるが、偏見を承知で言わせてもらおう!

ブルースは全部同じ曲である!!!

へとへとでステージを降りたワシにLongLongは言った。

「ファンキー、今日のギャラ1000元もらえたからみんなで分けよう」

Jazzの精神は「平等」だとワシは思っている。
毎月のJazz-yaライブでも、ワシの名前で客を呼んでもワシは必ず若手の無名ミュージシャンとギャラを均等に分ける。
「300元づつ3人で分けて、残りはTommyにやってよ」
この精神がなければJazzやRock、ひいてはブルースなんてもんはやれたもんじゃない。
数倍の値段で歌手のバック等をやる北京最高ギャランティーのドラマーも、ここでは全て「平等」なのである。

「ところで昨日と、あのJazzフェスのギャラってのはいくらなの?」

にこやかな笑顔でそう聞くワシにLongLongは一言。

「ああ、あれはノーギャラ・・・」

なんで?・・・

まあJazzフェスはワシの友達でもあるJazzミュージシャンが持ち出しでやってるもんだし、まあ見るからに収支は赤字やろうし、
あのJazzクラブもいわゆるJamセッションDayに無理やり入れ込ませてもらったようなステージやったし・・・
何より当の本人のLongLongが、自分のスタジオまで提供し、同じくノーギャラでやってんだからワシが何を言える筋合いではない。

「没問題!(ノープロブレム)、じゃあ来年は自分のバンドでJazzフェス出してね」

これでいい!
金のために音楽をやれば音楽が死ぬからこれで十分である。
ここ数日、これでまたブルースへの造詣もまた少し深くなり、ドラムもまた少しうまくなったじゃろう。
音楽家にとってこれは何よりもの財産である。


れから数日。
我がロック村の村長とも言うべき、布衣楽隊のボーカル、老呉(ラオ・ウー)から電話があった。

「ファンキー、週末空いてるか?ドラマーがどうしても参加出来ないんでお前ライブでドラム叩いてくれ」

中国のアンダーグランドバンドの生活は悲惨である。
いわゆる音楽界の空洞化と言うか、メジャーとアンダーグランドの間には大きな距離があり、アンダーグランドはまずよっぽどじゃないとメジャーに上がれない。
日本のアマチュアバンドはバイトをしながらバンドをやるが、北京ではそれをすると「ロック」が死ぬので、彼らのように貧民街に住みながら清く正しく美しくロックをやり続ける。

彼ら布衣楽隊も、まあアンダーグランドでは10年の歴史があり、知名度もそこそこあるので小さなライブは多いがまだメジャーデビューはしていない。
ドラマーはフランス人と結婚し、専業主夫みたいなもんだから、子育て等どうしても家を空けられない時はワシでよければ替わりにドラム叩いてあげるし、ベースは最近アメリカ人と結婚したし、ギターは弟がYanと言うクラブイベントで大成功しているのでそこそこやっていけるのであろうが、問題はこの我がロック村の村長、老呉(ラオ・ウー)である。

「ドラマーはいいよ、ベースもいいし、ギターもまあいいだろ。お前どうすんの?」
と酒を飲んでる時に聞いたことがる。

「俺か?俺ゃいいんだよ。両親がいるし、助けてもらってるよ」

30過ぎてまだ親から仕送りもらっててそれでええんかい!!

「ま、親もそのうち見限るだろうな・・・友達もそのうち見限って誰も俺を相手しなくなっても・・・でも俺はロックを歌い続けるよ」

だからワシは村長が大好きである!
村長に頼まれたらドラムも叩くよ!

かくしてその日はライブハウスのはしご。
9時半から北京の老舗のライブハウス新豪運のロックイベント。
でも客があんましおらず、10時過ぎまで待ったがやっぱりいないので、次もあるのでオープニングを飾ってそのまま機材車に飛び乗る。
そのまま同じく市内のライブハウス、無名高地に飛び込んで、既に始まっている対バンの演奏が終わるのを待って、機材をセッティングして演奏する。
終わって機材を片付けて車に積み込み、帰り道に老呉(ラオ・ウー)が一言。

「ファンキー、悪ぃーなぁ・・・今日のギャラ・・・ライブ2本合わせて50元しかないんだ・・・」

50元と言えば、そのライブハウスでビールを2杯飲めばそれで赤字である。
ま、いい。ワシはロックをやっているのじゃ、とやかく言うヤツは最初からやらねばよい!
・・・と思って笑顔で快諾したらまた次の週末も頼まれた。
どうもドラマーは週末は家庭サービスに忙しいらしい・・・

北京流行音楽節(Beijing Pop Festival)
RockFes.jpg

タイトルこそ流行音楽であるが、今年はスキッド・ローのセバスチャン・バックが参加したり、その実北京を代表するロックフェスティバルのひとつと言ってもよかろう。
このイベントに我が貧民街の代表、布衣楽隊が出演するのか?セバスチャン・バックの前座をやるのか?

期待に胸膨らませながら今日を迎える。
朝8時入りである。
6時半には起きて、老呉(ラオ・ウー)と一緒にバンドの機材を積み込む。
布衣楽隊はまったくもってボーカルの老呉(ラオ・ウー)のバンドで、機材の積み込みから機材車の運転まで全てボーカルがやる。
他のメンバーはみんな既に貧民街を脱出してしまっているので、結果的には老呉(ラオ・ウー)とワシふたりで機材を運搬することとなる。

会場に着くとなんかようわからん欧米のスタッフがサウンドチェックをやっていた。
どうもセバスチャン・バックのスタッフではなさそうだが、きっと自腹で山ほどの機材を空輸してイベントに参加してるんだからご苦労なことである。

世界中のいろんなアーティストが
「中国は今はお金がないですけど、市場は世界一大きいですから今持ち出しで中国にやって来ても必ず将来は得しますよ」
と言われて、のこのこ札びら切ってここにやって来るが、そんな奴らにはいつもこの中国のロックバンドの現状を見せてやりたくなる。

まあいい・・・好きで金払ってここ来てるのである。頑張って下さい。

いつまでたってもワシらのサウンドチェックが始まらないので貧民街に帰った。
12時からイベントスタートと言うので11時半に会場に行けば大丈夫であろう。

しかし11時半現在、まだ別の欧米人のバンドがサウンドチェックをしていた。
きっとアメリカ、もしくはイギリス方式でタイムスケジュールを全く無視して自分達のサウンドチェックだけはちゃんとやらんと出演せんぞ!みたいなノリなのであろう。
小泉首相の靖国参拝により中止になったが、日本から参加が決定していたバンドも来てみればこのようにやるしか自分達の要求は達成しない。

しわよせが来るのが力の弱い者達である。
1番目のバンドは非与門と言う広東省のバンド。
彼らがサウンドチェックの時には既に客入れは始まっていて、サウンドチェックの途中からいつの間にやら本番となり、時間が押しているので「今日は5曲やります」とMCで言いながらも3曲でカット。
続く我が布衣楽隊も4曲の予定を「2曲に減らせ」と言われるが、「曲間をドラムソロでつないで3曲やっちゃえ!」と結局3曲やってしまう。
アンダーグラウンドバンドなので全体のサウンドチェックも兼ねてるのか、1曲目が終わるとステージ進行中であろうがモニタースタッフからトークバックで
「ちょっとベース弾いて!ライン来てないよ!もう一度弾いて!」
とひっきりなしで言われる。

結局本番なのかリハーサルなのかわからないままステージは終了。
セバスチャン・バックは翌日の出演と言うことで結局は会えずじまいだった。

「ほな、せっかく街まで出てきたんだから遊んで帰るわ。あと器材よろしくね!」

老呉(ラオ・ウー)に挨拶して帰る。
ギャラのことを言わなかったのできっと今日もノーギャラだろう。

この数週間、もらったお金は350元。
飲んだビールが五万本(サバ言うなぁ!このヤロー!)

金のない奴ぁ俺んとこへこい!
俺もないけど心配すんな!!!

でもちょっとは心配して欲しい・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:55

2006年07月17日

ドラムクリニック

ちょっとしたリハーサルならうちの院子で出来るのだが、大きなコンサートのゲネプロ等だとそうはいかない。
ひと昔前の北京だとリハーサルスタジオなんぞ皆無に等しかったが、最近はいくつかプロユースのスタジオが出来て非常に便利になった。

そんな中のひとつ、FiERCEは、社長が元ドラマーだと言うことでドラム機材が充実しているので結構好きである。
ある日、リハーサルの合間にドラムお宅の社長とダベっているうちにこんなアイデアが飛び出した。

「ファンキーさん、ヒマな時あったらここでドラムクリニックやって下さいよ」

もちろんふたつ返事で引き受けた。
条件など別に無い。
北京のドラマー、ひいては北京ロックのために何かが出来ればそれでよい。

若いドラマーのMuWeiがポスターを作ってくれた。

DrumClinicPoster.jpg

見ると、なんと入場料はタダ!!!
つまりワシへのギャラもタダだと言うことである。

ま、いいのよ・・・中国の音楽シーンのために何か出来ればそれで・・・(涙)・・・

さてその日が近づいて来たある日、パール楽器の中国での代理店にいたSさんから電話が来た。
「次の週、1週間で毎日いろんなドラマー呼んでクリニックをしてもらおうと考えてるんだけど来てもらえないかなぁ・・・」

ワシは確かにここのドラムスクールが開校する時に、
「パール楽器のためになるんだったら何でもやるよ」
とは言った。
しかしその学校のパンフレットに「講師」として名前を載せてよいとは言った覚えは無い!

まあしかし彼はまだいい方である。
去年趙明義から電話があり、大々的にオープンする音楽学校の教師として名前を貸してくれと言うので、
「名義貸しだったら、まあ年に5万元ぐらいでどうだい?」
と言った途端に烈火のごとく怒り出した。

黒豹葉世榮もタダでやってんのにお前だけ金くれとは何事だ!!!」

あまりの剣幕に恐れをなしたワシは、「いいよ、いいよ・・・じゃあ・・・」と渋々承諾した。
そして当然ながらその開校式には呼ばれる。
校門を入ったところにはでかでかとワシの写真・・・

・・・これってサギじゃないですか・・・

ま、いい・・・これもなんじゃらかんじゃらで中国の商売なのであろう・・・
しかしSさんのドラムスクールは勝手にワシの名前を使っているわけなので、
いくら何でもその上タダでクリニックをするのもナンじゃろ・・・

「私はひとりではなくミュージシャンを連れて行ってデモ演奏を聞かせたいんだけど、少しでいいからギャラなんてのは出ますか?・・・」

だいたい、ものを頼んでいる人間が全然ギャラの話なんか出さず、
頼まれた方が悪そうにその代償を尋ねるなんてのがワシはどうも腑に落ちん・・・

まあそれでもメンバーに交通費ぐらいのギャラは出ると言うので出かけて行った。
そのために自宅スタジオで中国最高度の演奏が出来るまでリハーサルをつんで・・・

DrumClinic1.jpg

着いて見たら生徒はガキばかりである!!!

Sさん曰く、「びっくりしたかい?子供の生徒と言うのが一番商業的には一番いいもんで・・・」
確かに子供の教育のためになら親はいくらでも金を使うからのう・・・
・・・まあ勝手に生徒が中国ロックを背負う若いドラマーばかりだと思ってたワシが悪い・・・

かと言って今さら用意した1時間半のプログラムを変更するわけにはいかん。
ドラムのチューニングから始まってスティックの効率的な振り方まではよかったが、
さすがにポリリズムの話まで行くと生徒は半分寝ていた。

そしてせっかくミュージシャンに楽器まで持って来てもらったのだから用意した高度なデモ演奏・・・
・・・感動して食い入るように見ているのはこのスクールの先生達だけである・・・

・・・そして記念撮影とサイン会・・・

SignToChildren.jpg

お前ら俺が誰だかわかっとんのかい!!!

かくして教える側と教わる側のギャップの多いドラムスクールは無事(?)終了し、
今度はもともと予定していたちゃんとした(?)ドラムスクールである。

ミュージシャンはこの日はまた別のメンバーを呼んだので、ちょっと早めに入ってリハーサル。
そしてちょっと早めに来た生徒達も早く開場に入れて、リハを見たい奴にはとことん見せる。
コンサートではなく、クリニックなのである。
ミュージシャンに指示をするワシ、譜面を整理するワシ・・・それを見ることこそ全部彼らにはためになるクリニックであろう。

しかし毎回定期的にやる「授業」と、1回限りの「クリニック」とは根本が違う。
どうしても内容はテクニック的なものに偏らざるを得ない。
中国のドラマーは「急ぎすぎる」と言うか、上っ面だけを勉強して「もう叩ける」と思ってしまう輩が多いので、
途中の喋りでそれを常に修正しながら何とか最後まで演目を演じ切った。

DrumClinic2.jpg

汗だくである。
喋りが多いぶん、ライブよりも疲れる・・・

しかしこの一夜はきっと将来の中国のミュージックシーンにとっても有意義な一夜となったに違いない。
そう強く感じて締めの言葉を述べてお辞儀をした後に、
司会もつとめたこのスタジオのオーナーから一言。

「では最後にここにいるみなさんを代表してファンキーに一言聞きたいことがある。
来月もまたもう一度ここでクリニックやってくれるかな?」

「いいとも!!」

と言ってしまった自分に後悔・・・
せめて交通費ぐらいは欲しい・・・いやほんま・・・


Posted by ファンキー末吉 at:12:17

2006年07月04日

サラダバーの達人

嫁と一緒にピザハットに行った。
噂どおりピザハットはかなり高い。
13寸(インチのことか?)で98元、9寸でも58元、サラダバーが28元・・・

なぬ?!サラダバーがあるのか?
28元っつうたら村のレストランで生ビール大ジョッキが14杯飲めるが、
ここ中国ではあまり生野菜を食べないので是非奮発してオーダーしてみたいものじゃ。

貧乏人ならまず考えるが、
「ひとつ頼んで二人で食べよう」
しかし店側とてその辺は考慮している。
サラダ取り放題にして、それを一緒に来た全ての客にシェアーして食われてしまったのでは上がったりである。

メニューを見て中国語を解読するに、
ここのサラダバーはお皿に1回取りっきりで28元なのである。

「じゃあ多めに取って来てふたりで食べよう」
と言うことになりサラダバーに立った時にその達人と遭遇した。

「あら、あんた、それじゃぁダメよ。サラダバーはこう取るのよ」

見も知らぬおねーちゃんがワシに指南する。
まず質量の高い、密度の濃い揚げパンとか野菜を皿に盛り、
皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を作り、
そしてその中に入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまたまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルをまた積み重ねて城壁を高くし・・・

あまりに感激したので写真を撮らせてもらった。

SaladaBar.jpg

これから30分後、達人はこの倍以上に高くなったサラダバータワーを持って席に帰り、
見ればひとりで平らげていた。

天高く馬肥える秋の空のように清々しい匠の技であった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:26

2006年07月01日

BEYOND追悼ライブ

中華圏のロックに偉大な業績を残したボーカリスト黄家駒の命日を偲び、
そして解散した(個人的にはまた復活すると思っているが)彼のバンドBEYONDの楽曲を北京のアンダーグランドバンドがカバーしようと言うイベント。

BeyondLive.jpg

何がどうあれ、なんぼ言うてもバンドが多すぎる!!!

日本のライブハウスでは、出演が決まった時点で出演バンド同士が話し合い、
ライブ当日には既に出演順が決まっているのが普通だが、
団体競技の苦手な中国人ではそうはいかない。

ここではライブ当日の開演直前に出演バンド全員が集まってくじ引きをするのである。

恐ろしい話である。
チラシに乗っているバンドだけで15バンド。
当日更に増えて16バンドが30分づつ演奏しても8時間。
夜の8時半に開演と言うから、順調に行って最後のバンドは夜中の3時から始まると言うことになる。

順調になんか行かん、行かん・・・


かくして今回このイベントに参加することになったいきさつはと言うと、王暁旭と言うひとりの友人からの電話である。

「ファンキー、6月30日空いてるか?BEYOND追悼ライブがあるんだけど、
破砕声音っつうバンドでドラム叩いてくんないか?
ドラマーがその日結婚式なんでどうしても参加出来ないんだ」

つい最近も布衣楽隊でドラムを叩いて来たばかりである。
布衣楽隊のボーカル、老呉(LaoWu)は、わがロック村の村長とも言うべきもんだから、
「ファンキー、ドラマーが今日は家庭サービスでどうしてもライブに参加出来ないんだ。
ちょっと助けてくんないかなぁ・・・」
と言われればそりゃふたつ返事でかけつけてゆくのじゃが、
知らないバンドとなるとどうかのう・・・

悩んでるヒマもなく王暁旭がバンドのメンバーを連れて来てリハーサル。
リハが終わってメンバーが悪そうに一言・・・
「今回のライブはギャラは出ないんだけどいいかな・・・」
間髪入れずに王暁旭、

「いいんだ。コイツはドラム叩いてたらそれで幸せなんだから」

お前が言うな!お前が!・・・

と言うわけで昨日がそのライブ。
会場に着いたら人がわんさか溢れていて、過去布衣楽隊とかで来た時とは全然違う。
BEYONDの人気はそれほど凄いと言うことであろう。

若い娘も多い。
ロックねーちゃんみたいのもいれば、素朴な娘もいる。
見れば派手なバンドには派手なねーちゃんがついてるし、
素朴なバンドには素朴なねーちゃんがついているようである。

ワシはと言えば今日は嫁が「夜遅いのはヤダ」と言って家で寝ているので、視線は最初っから最後までおねーちゃんである。

しかしワシに声をかけてくるのは全てバンドのむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー、今日はどのバンドで叩くんだ?お前の見てから帰るわ」
ってな感じで、自分の出番終わったらとっとと帰るはずのバンドのメンバーは居残るわ、
外で自分の出番を待ってる連中も入ってくるわで、
結局ワシの出演時には客席は一気にむさ苦しくなる。

ドラムソロ・・・キャーと言う黄色い歓声が聞こえることもなく・・・
「ウォー!ファンキー!ニュービー(Fuckin' Greatの意、よい子は決してマネしてはいけない中国語)」
お前ら、声がオクターブ低いんやっつうねん!

ライブ終了・・・眼がうるうるしたギャルの視線を感じることもなく・・・
「ファンキー!サインしてくれー!!」
集まって来るのはむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー!電話番号教えてくれー!」
かくしてワシの携帯にはむさ苦しいお兄ちゃんの電話番号ばかり増えてゆく。

すぐその場で消去!

かくはともあれビールである。
一緒に飲んでくれる美女がいるわけでもなく、
奢ってくれるお兄ちゃんがいるわけでもなく、
ノーギャラでドラム叩いて、自腹でビールを買いに行く。

「生ビールちょーだい!20元だったよねぇ」
うちの村のビールは大ジョッキで2元なのに街に出ただけで値段が10倍に跳ね上がる。

「あら何言ってんの。生は25元よ」
ビールを注ぎながらカウンターのおばちゃんがそう言う。
ちょっと悲しそうな顔でポケットの小銭を探すワシを見ておばちゃんが一言。

「ああ、あんたはいいわよ。あんただけ特別に今日は20元」

むさ苦しいお兄ちゃん以外にやっと現れたワシの女性ファン!!
おばちゃんの入れてくれた生ビール(心なしか少し大盛り)はひたすら旨かった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:14:30

2006年06月30日

映画音楽は楽し(安し!!!)

今日、6月30日は日本で亡くなったBEYONDのボーカルのコマ君の命日である。
でもワシはそんなことまるっきり忘れていた。
日本のBEYONDファンからメールをもらって初めて思い出した。

「気がついたら家駒の年齢を遙かに超していました」

おう!!!確かにぃ!!!
死んだ人間は年をとらんからのう・・・

しかし、昨日香港に帰るWingを空港まで見送りに行って思ったが、
(なんでワシ・・・忙しいのにそんなことまでしとるんやろ・・・)
あいつこそあれで43歳っつうのはある種サギである。

(大村はんとWing.。実は二人の年齢差はたったの3歳・・・)

OhmuraWing.jpg

送りに行って帰りに嫁とメシを食いに行ってたらいきなり雷がなって豪雨となった。
電話をしたら(何でワシ・・・そこまでするんやろ・・・)
予想通り飛行機は天候待ちで飛ばない。
ざまー見ろである。
アイドル顔でせめて30歳ぐらいにしか見えなくて男前でアイドル顔でも
しょせん天候にはかなわんのじゃ!!は、は、は・・・


かく言うワシは、
家を出る時うちでリハーサルをしていた新疆ウィグル族のバンドが
「お祈りの時間だ」と言ってイスラム絨毯やらを院子にしきつめて、
メッカの方を向いて全員でお祈りをしてたのだが、
帰って来たらどしゃぶりの中、ずぶぬれになってまだお祈りをしていた。

わけもなくむっちゃくっちゃ感動した・・・


そんなことはどうでもよい!今日、6月30日は実は、
ワシが映画音楽を担当した「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の公開日なのである。

監督は「寧浩(Ning Hao)」。
香港の大スター劉徳華(アンディー・ラウ)が投資して、
アジア各国の6人の若い監督に映画を撮らそうと言う壮大な企画の中で、
中国の監督として選ばれたのが彼。

実はワシのアシスタントをやっててくれた重田
彼とは留学時代に一緒にバンドを組んでた仲間であったと言うことから、
重田ぁ・・・実は予算を全部撮影で使い果たしてしもうてなぁ・・・
音楽作る経費がほとんど残ってないやけど何かええ方法ないかのう・・・」
と相談されたところからこの話が始まる。

「末吉さんだったら紹介出来るけど、いったいいくら残ってんの?」
と聞いた重田に監督が答えた額は、
さすがにメルマガでは何でもネタにするワシでもちょっと公表できないぐらいの値段。
(公表したことのある貧乏ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/60.html
「冗談じゃないっすよ。とりあえず断っときましたから・・・」
そう言う重田に一言。

「でもうちはスタジオがあるからね。
音楽製作物の経費のほとんどはスタジオ代だからね。
それが外に出ないと言うことは結構安い値段でも受けれるっつうことよ」

しかし時は遅く、
既に中国で一番安い映画音楽家にもう発注してしまったと言うことで、
「ま、久しぶりに映画音楽が出来ると思ってたら縁が無かったのね」
と思ってたら、
「末吉さん!どの中国人映画音楽家でもこの値段じゃ出来ないって
全部サジ投げられて困り果ててるそうなんですけど・・・」
と言われ、
「じゃあ人助けだと思って私がやりましょ」
と引き受けたのがなれそめである。

つまりワシは全中国で(と言うことは全世界で?)
一番安い映画音楽家であると言うことである。
まあ人助け、人助け・・・


かくして映画音楽の製作が始まった。
映画音楽は1曲の時間は短いが、しかし曲数は半端じゃなく多い。
曲を作ると言う作業は実は5分の曲を作るのも1分の曲を作るのも労力は同じである。
そんなのをバージョンを変えつつ少なくとも50曲は作るんだからどれだけ大変か。

渡された映像を見ながらワシなりに解釈して、
「太陽にほえろ」と「ルパン3世」を足して2で割ったような世界観で全てを構築し、
ついに第1回目の監督との接近遭遇である。

ワシ的には非常に自信があった。
聞いたとたんにきっと監督は涙流して喜び、絶賛し、涎垂らして放心し、
ヘタしたらウンコもらしてへたりこむかもわからんので、
一応ティッシュと雑巾と消臭剤を用意して、
OKが出ればすぐレコーディング出来るようにミュージシャンまでブッキングし、
そのまま怒涛の酒盛りまで出来るようにあらゆる酒まで買って揃えて反応を見た。

「音楽そのものは非常にいいんですが・・・
ちょっと僕の考えてたのとは違いますねぇ・・・」

それから延々彼は自分の映画論を語り、
ワシは用意した酒を飲みながらそれを聞いた。
買い揃えた酒は大半がここで消費されることとなった。

「理解してくれてありがたいです。では僕はこれで・・・」
と言うわけで彼が酔っ払ったワシを残して家路に付く。
何のことはない「全部作り直し」なのである!!!

こんなやりとりを何度も繰り返す。
作った曲は100曲をゆうに超え、参考用にもらったDVDを何度も見、
酒量は限界を超え、当初の締め切りの期限はとっくに越していた。

結局は2ヶ月以上をこのプロジェクトに費やしたであろうか・・・
自給で割ったら(割りたくない、割りたくない)確かに仕事としては最悪である。
しかしやっぱり映画音楽は楽しい。
何故か?それはひとえに「映画は究極には監督ひとりのものである」からである。

ポップスは「売れること」を目的として製作される。
会った事もない、実像もへったくれもない「庶民(中国語で老百姓と言う)」
と言う人々をターゲット・・・と言うよりも神より大切なものとして作られる。
高度な音楽性のものは極力排除され、
「聞く人バカなんだからもっとそこまで落とさないと売れないよ」
と訳知り顔のディレクターやプロデューサーはそう言い、
「いやーこれは新しいよ、これは売れるよ、ファンキーちゃん」
とかわけのわからないことを言い出したらやっとそれで仕事が終わるが、
その神様より大事な老百姓が果たしてそれを好きかどうかは発売するまでわからない。

まあ「売れるため」に作った音楽が売れなかった時ほどみじめなものはないが、
結局売れるためにみじめな思いをして製作し、
売れなくてみじめな思いをしてお金をもらう仕事っつうのはどないなもんやろと思う。

しかし映画音楽は違う。
世界で一番「凄いもん」を作っちゃるぞ!が原点である。
わけのわからん不特定多数の神様のために音楽やるより、
ひとりのその「神様」が納得するものを作ればいいのだから気が楽である。

時には「この編集はねーなぁー、俺ゃこれじゃストーリーわかんなかったべ」
と逆にその神様の考えにケチをつけたりもすれば、
「あなたはこのシーンでどんな感情が沸き起こって来ますか?
それに対してあなたがつけた音楽はどのような感情を沸き起こすものですか?」
と神様からケチをつけられたりする。

まあ早い話、監督と言うきさくな神様と一緒に大きな遊びをやっているだけなのじゃ。
もの凄く音楽性の高いことをやりたければやればいいし、
ごりごりのロックをやりたければやればいい。
要は監督が満足すればそれでいいのである。

「監督ぅ・・・
最後はやっぱ生のオーケストラ入れてガーンとぶちかますのがええんでねぇの?」
まあ作り手としてはどんどん欲が出てくる。
「そんなことが出来ますか?」
顔が心なしかほころぶ神様。
「んだぁ。オラはこう見えてもこっちでもう数十曲オーケストラ録ってるがね」
ドラマーのくせに弦がアレンジ出来る変態である。

「末吉さん、何言ってんですか。予算がどこにあるんですか!」
止める重田を振り払い、泣き叫ぶ嫁を殴り飛ばし、
つられて泣き出す子供たちを質屋に売り飛ばし、
力なく説教する高知の親を姥捨て山にぶち捨ててまで自腹で録ろうかと思ったが、
髪の毛一枚のところで思い直し、
不本意ながら予算内で全ての音楽を録り終えることが出来た。

完成して納めてお金をもらえば仕事は終わりである。
しかし映画の場合は是非それを劇場に見に行かねばならない。
試写会の招待状が来たので大村はんとそれを見に行って来た。

Poster.jpg

公開前に既に話題の映画となっており、
特に音楽は業界では大絶賛されていると言う。
DVD海賊版全盛のこのご時世で、
既に300本もの劇場公開が決まっていると言うのは物凄いことである。

期待の新作に劇場中がかなり興奮気味で、
ちょっと緊張気味に見ているワシなんかを尻目に、会場は爆笑に告ぐ爆笑。

そう、この映画は実はブラックユーモアをちりばめたコメディー映画なのである。
舞台は中国の重慶で台詞は全部四川地方の方言なので、
製作している時は台詞はわからんわ、台本見て頭で理解しても笑えんわ、
で結局一度も笑ったことなかったが、
そうかぁ・・・コメディーってこうやって会場で爆笑すんのね・・・

中国語の字幕がついているのでそれを追いながら、
隣の大村ハゲ頭がどうして笑ってるのかをいちいち聞いて来るので、
それに答えながら訳しながら見ているとワシは結局最後まで全然笑えんかたが、
最後には会場全部大拍手で幕を閉じたり、結果としては試写会は大成功である。

聞くところによると、来年あたりには日本でも公開が決まっているらしい・・・
関連サイト:http://www.imx.ne.jp/info/2006/0314.html
http://www.ffcjp.com/kutsu/news/4thNewsletter.pdf
万が一これが全世界でヒットしたりなんかすると、またワシ・・・印税生活ですかぁ?!!!・・・

「重田くん、ところでこの音楽の著作権って一体どのようになっとるのかね?」
恐る恐る聞いてみる。
金がないと言うからタダ同然でやってやったのである。
大金を生むかも知れないならそこから取れるものは取りたいと言うのが人情であろう。

「何言ってんですか、
末吉さんがいいって言うから奥さんが替わりに契約書にサインしたじゃないですか」

と言うことはこれ・・・どれだけ売れてもワシの元には1銭も入らないのね・・・
ま、いい。製作した音楽ソフトも海賊版やったし、資料用に見たDVDも海賊版やった。
これで印税もらったら罰が当たるじゃろう・・・


と言うわけで、今日は晴れてこの映画の公開日。
過去自分が携わった映画の公開日には毎回ワクワクしながら劇場に行った。

爆風スランプの「バトルヒーター」(出演)・・・劇場に人おらず・・・
香取慎吾の「香港大夜総会」(映画音楽)・・・劇場に人おらず・・・
高島礼子の「劇場版ショムニ」(映画音楽、出演)・・・劇場に人おらず・・・

今日はBEYOND追悼イベントが北京のライブハウスであり、
とあるアンダーグラウンドバンドに頼まれてドラムを叩きに行くので見に行けない。
まあこれだけ評判の映画なんだから客の入りもきっと結構なもんじゃろう。
「ワシがたずさわった映画はみなコケる」
と言うのをジンクスとして信じ切っていたが、
実は「ワシが公開日に劇場行くとコケる」のかも知れない。

今日はおとなしくBEYOND追悼イベントに専念するとしよう。

ファンキー末吉


MovieCregit.jpg

瘋狂的石頭(Crazy Stone)関連サイト
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/fkdst/
http://post.baidu.com/f?kw=%B7%E8%BF%F1%B5%C4%CA%AF%CD%B7
http://blog.sina.com.cn/m/ninghao
http://www.FFCJP.com/
http://www.c-c-club.net/director/ninghao.htm

Posted by ファンキー末吉 at:14:18

2006年06月23日

Wing北京コンサートを終えて

葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。

コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。

「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」

俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。

BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)

一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。

そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。

音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。


香港でのリハーサル風景
WingRh.jpg


会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。

知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。

ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)

XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・

前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。

そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。


WingConcert.jpg


初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」

Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」

彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。

俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。

ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。

「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。

BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。

俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。

コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。

アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。

ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。

それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。

同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。

どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?

これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。


ファンキー末吉

ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:39

2006年06月11日

西部来たりて酔い潰れ

岡崎はんが北京から帰国する飛行機とちょうど入れ違いの東京からの飛行機で団長が北京でトランジェット。
いわゆる五星旗歴代ギタリストが空中すれ違い、今度はその団長を連れてそのまま香港へ。
WINGのリハーサルのためである。
5日間のリハーサルを終え、昨日の正午やっと北京に帰って来た。

ちょうど日本からは元ファンキーコーポレーション幹部、西部嬢がやって来てたので、
貧民街のうちの院子にご招待。
西部嬢は「喋らなければ美人」と誰もが言うが、ルックスとはうらはらに性格はもろ「オッサン」である。
趣味は「晩酌」。しかし時には昼から晩酌。
結婚前は缶ビール片手に公園で酔い潰れ、結婚後も毎日酔い潰れてソファーで寝ているらしい。
団長とは久しぶりと言うことで、村のレストランで昼から1杯2元(約30円)の生ビールで乾杯。
だがワシはうちのスタジオで1曲ドラムのレコーディングがあるので飲まず。
若いうちはベロンベロンでもドラムを叩いていたが、年をとったのかもしくは音楽に対する欲求が高くなったのか今は叩く前は絶対に飲まない。

しかしヤツらは飲む飲む。。。
ワシが仕事してる横で中庭とも言える院子で飲む飲む。。。
そしてワシが1曲叩き終わった頃には西部は潰れていた。

Nishibe1.jpg

うちの院子は貧民街にあるので夏はやはり蝿、蚊はかなり多い。
蝿もやはり美人が好きなのか西部にたかるたかる・・・
気にせず大いびきで寝続ける西部。

Nishibe2.jpg

夕方頃には起きてどこへとなく帰って行った。
今頃は恐らく飛行機の中。愛するカナダ人の夫の待つ日本に帰っていってる頃である。
恐るべき来客であった。
14日には大村はんがやって来る。

Posted by ファンキー末吉 at:09:51

2006年06月02日

岡崎はんの北京の1日その2

岡崎はんの北京滞在もあと残すところ3日となった。
別に帰ったって何があるわけでもないんやからおればええのに、
そう言うところだけは相変わらず意固地な岡崎はんである。

関西空港で3万円を人民元に両替し、(約2000元)
まあ2000元あればこの村では数ヶ月暮らせるので、
滞在1週間を過ぎてから「俺が払うわ」と一生懸命使おうとしているのだが全然減らん。

残すところ3日であと700元使い切りたいと言うので、村の若い衆連れて羊肉串を食いに来た。

YangRouChuan2.jpg

路上でがんがん食うのが北京式である。
100本頼んだのじゃが、1本が5角(約7円)なのでやっぱ全然減らん。
ビールもここでは大瓶1本1.5元(約20円)なので何本飲んでも全然減らん。

結局支払いは93元(約1400円)。
一人頭で勘定すると200円いかない。
日本やったらビールも1本飲めんし、焼き鳥も1本しか食えんぞ・・・

「こんなに金使わん海外旅行は初めてじゃ・・・」

岡崎はん
日本に帰国して社会復帰出来るのか。。。
(もともと社会復帰してないか・・・)

Posted by ファンキー末吉 at:09:31

2006年05月31日

岡崎はんの北京の一日

克爾曼(KAHRIMAN)のレコーディングも終わり、
ネットを介してやりとりする(先進的やなぁ・・・)香港のレコーディングも終わり、
採用されたら2万元くれると言う北京オリンピックテーマソングの応募曲のレコーディングも終わり、
(中野が是非中国語で歌いたいと言うので一応Runnner中国語版も作って応募してみた)
後は岡崎はんに付き合って観光あるのみである。

夕べは日本のぴあの偉い人が北京に来てて、
中国語版ぴあの見本版を見て意見を聞きたいと言うのでしこたまただ酒を飲み、
二日酔いのまま朝早く起きて故宮に向かった。

OkazakiGuGong.jpg

岡崎はんの趣味はウォーキング(もう既に老人の域)。
村に来てもひとりで1時間2時間平気で散歩をするので半日以上かかる故宮の観光も平気である。
景山公園の方から入って天安門まで抜けた頃にはワシはヘトヘトじゃが彼は平気。

OkazakiTianAnMen.jpg

昼は是非北京ダックをと言うことで、口コミで聞いた美味しい店と言うのがここ。
前門にある利群北京ダック店

OkazakiBeijingDuck.jpg

紹介してくれた友人は「前門で輪タク乗ったら連れてってくれる」と言う話だったが、
値段が観光客料金で30元とべら高なので歩いて行った。
老人の散歩が趣味の岡崎はんは平気じゃが、ワシと嫁は既にへろへろ。


夜には新疆ウィグルレストラン阿凡提(A Fun Ti)に行った。
昨日、実は岡崎はんの好みの女性は新疆ウィグル族の女性ではないかと思っていたら、
やはり舞台で踊るウィグルダンサーに釘付け。

OkazakiWatchingGirl.jpg

蛇を身体に巻きつけて踊るパフォーマンスに釘付け。

OkazakiSnake.jpg

かなりご満悦でワシとしても非常に嬉しかったのだが、さすがに嫁がダウン・・・
次の店に行くのはやめて早々と院子に帰って来た今宵でした。

岡崎はん帰国まであと3日。
嫁の体力は持つのか?そしてワシの体力は・・・

そして大阪から1本のメール。
「楽しそうやなぁ・・・ワシも北京行こうかな・・・6月の半ばか末頃って大丈夫?・・・」
大村はんである。

歓迎!歓迎!
みんないっそのこと北京で住みなはれ!

Posted by ファンキー末吉 at:23:32

2006年05月30日

ウィグル族の仲間たち

どうも最近新疆ウィグル自治区の人たちと縁があるようだ。

新疆ウィグル自治区は、北京から直線距離にしておよそ2,400 km。
もちろん日本に帰るより遠いのにやっぱ中国の中のいち地方である。
この前行って来たシルクロードの起点と言われる西安から更に西に進み、
井上靖の小説や映画でも有名な敦煌よりも更に西に進み、
いわゆるシルクロードの中国最西端である。

最近ではJazz-yaライブに時々参加してパーカッションとボーカルを担当する
阿布都(A Bu Du)が新疆ウィグル族と言うことで、
彼のバンドの連中(ひとりを除いて全員ウィグル族)と仲良くなったり、
まあ中国と言えば友達になれば何でも助け合わねばならないのが常で、
お金にもならないのに彼らに楽曲をプレゼントしたり、
日本語の詞をそれにつけてくれと頼まれて徹夜して考えたり、
今では「ご近所の苦情で自宅で練習出来なくなった」と言うことでうちに来てよく練習している。

ABUDU.jpg

阿布都(A Bu Du)は新疆ウィグル地区でもかなり田舎の方の出身らしく、
貧しくて、小さい頃から民族打楽器を叩いたり歌を歌ったりして家族を助けていたと言う彼の歌は
Jazz-yaライブのリハーサルの時に従業員が涙したと言うほどである。

最近うちの院子に部屋を間借りし、週末には別荘代わりに泊まりに来る吉野嬢も彼らの音楽にはめろめろである。


もともとワシと新疆ウィグルとの縁と言うのは阿凡提(A Fan Ti)と言う新疆ウィグルレストラン
によく行ってたのがきっかけだったのではあるまいか。
羊肉を食い、新疆ワインを飲み、酔っ払ってステージに上がってそこで演奏していた阿凡提(A Fan Ti)と言うバンドに飛び入りしていたりしていた。

数年後にとあるライブハウスで演奏している新疆ウィグル人に
「よっ!久しぶり!」と声をかけられた。
全然覚えてなかったが、顔がぱっと見て中国人っぽくないので、きっと新疆ウィグル族だろうと思っていたら、やはりその阿凡提(A Fan Ti)でギターを弾いてた克爾曼(KAHRIMAN)である。

その時に交わした電話番号がきっかけで今、彼の新しいユニットの曲をレコーディングしている。
昨日は阿布都(A Bu Du)のバンドもリハーサルしに来てたりして、
うちはさしずめウィグル族の溜まり場である。

みんなワシに必ず「今度新疆ウィグル自治区に招待するから」と言う。
行ってみたいが北京から飛行機で4時間である・・・遠い・・・
ウルムチ出身の克爾曼(KAHRIMAN)はまだいいが、
阿布都(A Bu Du)の実家はそこから更に飛行機で1時間半かかると言う。
新疆ウィグル自治区、実は日本が20個すっぽり入ってしまうほどでかい・・・


レコーディングが終わり、克爾曼(KAHRIMAN)とそのユニットのボーカル(実は彼の奥さん)と一緒に記念撮影。

KeErManDiLi.jpg


シャッターを押してもらった岡崎はんがしきりに
「全然中国人ぽくないけどあれでも中国人なんやなぁ・・・あんな美形で羨ましいよなぁ・・・ほんま・・・」
と1日中ずーっと言ってたので克爾曼(KAHRIMAN)のことかと思ってたら嫁さんの方やった・・・

惚れたな・・・岡崎はん・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:07

2006年05月29日

YangYang来たりて飲みまくる

前回来た時は、いきなり大酒をかっくらい下ネタ叫びまくり、
院子(ユエンズ:ファンキースタジオ兼住居のある北京の貧民街の一角にあるロックミュージシャンの集落。通称「ロック村」とも言う)の若い衆を捕まえては
「お前!可愛いから今日オレと一緒に寝ろ!」と部屋に連れ込もうとして逃げられ、
それを追いかけては夜通し酒瓶持って叫びまわり、
「怪獣」と言う呼び名をつけられたのはもう先々月のこと。

今回はかなりおとなしくなったとは言え、酒は昼間から飲むわ、寝てる時以外は基本的にずーっと喋ってるわ、とにかくこの怪獣の出すエネルギーには生身の人間は「当てられて」しまう。

2~3日嫁と共に相手して、既に疲れ切っていた頃やっと岡崎はんがやって来た。
その前日には嫁と共に王府井(WangFuJing:北京の銀座とも言うべき大ショッピングストリート)
で死ぬほど買い物をし、店員が泣き出すほど値切りに値切り、
「売らないならこのまま店の前で歌い続けるぞ」と脅し、
汗をかいたと言えば洋服を試着して汗を吸わせ、「要らない」と言って結局買わず、
夜は夜で阿凡提(A Fun Ti)と言う新疆ウィグル料理のパフォーマンスレストランで死ぬほど飲み、
ステージに上がって踊り、
「よし!明日はモンゴル料理だ!」
と言うことで空港に降り立ったばかりの岡崎はんを連れて蒙古人と言うモンゴルレストラン。

MengGuRen.jpg


この店は民族衣装を着た歌手と馬頭琴奏者が来て歌を歌いながら白酒をついでくれる。
岡崎はんはもう飲めないほど飲んだが、YangYangは更に1本追加して余ったら持ち帰り。
その後もASKAと言う日本人スナックで飲み、歌い、
嫁は疲れ果てて寝込み、ワシは飲み過ぎで胃が痛み、岡崎はんは食い過ぎでぶくぶくと太ってしまった。
26日に布衣のライブに3曲参加し、27日にJazz-yaライブ、28日にやっと日本に帰って行った。

ワシらは1日間ゆっくり休み、一昨日の晩は友人のライブハウスが1周年と言うことで、
岡崎はんらとセッション。
ちょうど楽器フェアーのRolandのデモ演奏で北京に来ていた西脇さんも遊びに来て2曲ほどハーモニカ吹いていった。

JAM.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:15:13

2006年05月20日

秦勇(QinYong)ライブ

中国を代表するロックバンド黒豹から、第3期ボーカリスト秦勇(QinYong)が脱退したと言うニュースを聞いたのはもう1年以上も前のこと。

もともと黒豹は第1期ボーカリストの竇唯(DouWei)があまりにも偉大であったため、
第2期ボーカリストの巒樹(LuanShu)秦勇(QinYong)はいつもそれと比較され、苦難の道を強いられていた。

脱退前の秦勇(QinYong)と最後に会ったのは零点(ゼロ・ポイント)6万人コンサートの打ち上げの時。
ぐでんぐでんに酔っ払った彼が、
「ファンキー、お前もきっと俺のことが嫌いなんだ。
竇唯(DouWei)の黒豹が好きだからな・・・」
とつぶやいていたのが印象的である。

竇唯(DouWei)黒豹を脱退した後、
ある種天才の行き着く道と言うか、わけのわからない音楽をやり続け、
レコードはたくさん発売するのだが、
試しに聞いてみると、環境音楽みたいのが延々と続いて、結局最後まで1曲も歌を歌わなかったり、
不一定(決まってないよと言う意味)と言うバンドをやったりもしているのだが、このバンドがまた、
いつライブをやるのかも不一定、
やっても何を演奏するのかも不一定、
竇唯(DouWei)はドラムを叩いたりして、歌を歌うのかどうかも不一定。
最近ではメディアでの発言や、行動にも奇行が目立ち、
天才はやはり天才なんだなぁと思わざるを得ない・・・

一方、黒豹はと言えば、相変わらず竇唯(DouWei)時代の大ヒット曲を演奏して地方を回ると言う、
まあぱっとしない状態がずーっと続いていた。

バンドのマネージメントは、
「ドラマーの中では一番商売がうまい、商売人の中ではドラムが一番うまい」
と自負する趙明義が取り仕切っていて、
竇唯(DouWei)黒豹に戻って来てくれたら、また黒豹は昔のようにトップに返り咲くことが出来るぞ」
と言うことで実際に彼と交渉し、
そのまま秦勇(QinYong)をクビにしたのか、はたまた秦勇(QinYong)が自分で脱退したのか、
かくしてボーカルが竇唯(DouWei)に復帰して初のリハーサルが行われた。

「じゃあ久しぶりに昔の曲、やってみますか・・・」
と言うメンバーに対して竇唯(DouWei)が一言。

「俺、メロディーのある歌なんか歌わないよ!」

変人の極みである。
メンバー唖然・・・
「じゃあ何すんの?・・・」とばかりバンドはその場で崩壊。
今さら脱退した秦勇(QinYong)に戻って来てくれとも言えず、
新たにボーカリストを探して来て、相変わらず昔のヒット曲でメシを食っている。

かくして脱退後初めて秦勇(QinYong)と会ったのは何と街中の商店でのこと。
この広い北京(何と北京市の面積は日本の四国4県合わせたのと同じぐらい)の中で偶然再会するのも何かの縁であろう。
前回の愚痴のことも頭に残ってたし、
「次の活動、どうすんの?うちスタジオもあるし、何でも協力するから言ってね」
と言い残してから数ヵ月、
彼が参加する春節晩会(日本で言う紅白歌合戦。しかし今回のは地方版)
で歌う曲をアレンジしたりレコーディングしたり、
いやそれにしても彼のレコーディングはビールの消費量が凄まじい。
初日はみんなでビールを1ケース空けてしまい、
2日目は2ケース買って来といたが、それも空いてしまった。

そんな話は余談として、そんな交流の中から、
兄貴の店で今度ライブがあるんだけどドラム叩いてくんない?」
と電話が来た。

彼のお兄さん、秦奇(QinQi)QinQi.jpg
は北京ロックの黎明期からのギタリストで、
ライブが出来るバーを開いたり、レストランを経営したり、
大山子と言うところにある芸術家村に巨大な芸術スペースを開いたり、
今回はその芸術村で3バンド集めて無料ライブをやろうと言う企画である。

入場料無料なのでもちろん出演料もナシ!
タダの仕事ほど楽しいと言うのが音楽も含む芸術の世界なのであるが、
さすがは芸術村、
ライブの前に行われる芸術家によるパフォーマンスがこれまたよくわからない。

例えばこの人

Performance1.jpg

は頭の上にカセットテープのテープの部分をたくさん取り付けて、
四方八方からそれを引っ張ってもらってライトを当ててもらって綺麗だな、面白いな、と言う参加型パフォーマンス。

また、この人たち

Performance2.jpg

は、マッサージ台を2台置いて、怪しげなライトの中で音楽を流してマッサージをする。
上に飾ってあるのは全て同じ時間を指してある時計。
(秒針はそれぞれ違う)

わけがわからん・・・

かくしてライブが始まる。
一番有名人である秦勇(QinYong)がしょっぱな。

QinYong.jpg

うちでリハーサルやって作り上げた新曲3曲だけやってさっさと舞台を降りる。
後で聞いたらこれが彼の黒豹脱退後初のライブと言うことであった。
大成功と言えよう。
音楽のよさはビールの消費量に比例した。

次のバンドはS社長の会社と契約したニューメタル系の男女のユニットである。

Gemini.jpg

レコーディングでもワシが叩いたのでここでもタダでドラムを叩く。
秦勇(QinYong)バンドのベースの重田もタダで借り出される。

ワシと重田は日本語で会話し、
ワシらと中国人ボーカリストは中国語で会話し、
中国人ボーカリストとフランス人ギタリストはフランス語で会話し、
そのギタリストとワシらは英語で会話する。
国際的と言えば国際的なのじゃが非常に疲れる・・・

そして最後のバンドはZiYou楽隊
実はこのボーカルのHelenと言うのは、
XYZの中国語版を録音した時に仮歌とコーラスをお願いした在米中国人のお姉ちゃんであった。

Hellen.jpg

歌もパフォーマンスも非常によく、その日のビールの消費量は自己限界を超えた。

通風が心配である・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:14

2006年05月13日

中国のアサヤンもどき(のモドキ)

中国の音楽界で(まあ日本でもそうなのでしょうが)、
新人がいきなり社会現象になるほどヒットすることはまれである。

日本の「アサヤン」(実は見たことないのでよくわからんのだが・・・)
のようなオーディション番組をテレビで放送したところそれが去年爆発的なヒットとなり、
それに出場している女の子達がレコードも出してないのに
(まあこちらではレコードは名刺みたいなもんですが・・・)
超アイドルとしていろんなメディアにひっぱりだこになったのはほんの1年足らず前の話。
正にこちらでの「社会現象」のひとつであった。

しかし柳の下には何匹もどじょうがいると言うのがここ、中国である。
予想をまるで裏切ることなく、それモドキの番組が現在もどんどん作られている。

いつも仕事をくれるLaoLuanから電話が来た。
「Funky、小工作(日本で言ういわゆる小商い)なんだけど頼んでもいいかなぁ・・・」

まあ日本での生活もそうじゃったが、
こちらでは今やテレビすら持ってないワシにテレビの仕事を説明するのは骨がおれるらしく、
「超級女声って知ってるか?」と簡単に説明されただけだったので、
ワシはてっきりあの超級女声のバックをするのか・・・と思ってそれを引き受けた。
・・・と言うより、実はやっている時でさえずっとそうだとばかり思っていた。

かくしてリハーサルスタジオに着くと、
15人の初々しい(そうでないのも数人いるが)アイドル予備軍の女の子達が、
初々しく緊張しながら(そうでないのも数人いるが)ワシ達の到着を待っていた。

日本ではミュージシャンの地位は非常に低く、
爆風でテレビに出た時なんかもテレビ局のスタッフに
「バンドさんはこちらへ」と言われ、メンバー一同苦笑したことがあったが、
こちらではたかがバックバンドであっても「老師(先生)」と呼ばれるので
それこそ大違いと言うか、逆にちとこそばゆい。

女の子達も、日本の若い新人歌手達のように
「アンタたち誰?」みたいな視線を投げかけることもなく、
かと言って教育が行き届いたアイドル歌手のように
「よろしくお願いしまーす」と無味乾燥な笑顔を投げかけてくるわけでもない。

ここでの立場はどちらかと言うと
テレビ局が用意したダンスや歌唱指導の先生に似た感覚なのであろうか、
ある種の緊張感と尊敬の念を込めた眼差しでワシ達と接する。

ま、ドラム叩いて32年、
彼女達が生まれる遥か前から音楽をやってるワシを「老師(先生)」と呼ぶのはまだしも、
LaoLuanが呼び集めた、(まあ予算が少ないからであろうが)
ワシ以外の若い駆け出しのミュージシャン達にとっては、
年端も変わらない女の子から「老師(先生)」と呼ばれるのはかなりこそばゆいらしく、
「いい娘たちばっかりなんだけど、あの老師っつうのだけは何とかならんかのう・・・」
とは言うものの、
やはりこちらはレコーディングしててもミキサーから通行人までが歌入れに意見を言う
「13億総プロデューサー」の国である。
照れてたのは最初だけ、彼らもバンバン歌唱指導するする・・・
かくしてその場の雰囲気は、オーディションのリハーサルと言うよりはいきなり
「学園祭の練習」みたいになってしまったのである。

さて実は、そのリハーサルスタジオは一般貸しもやっていて、
アンダーグラウンドのロックバンドや、社会人、学生バンド達にもよく使われている。
まあ地元のアンダーグラウンドのロックバンドなんかが来た時には
ガラス越しにワシや若いミュージシャン達を見つけて我が物顔で中に入って来るのであるが、
そこに運良く(運悪く?)やって来たのがどうも日本人の学生バンドか何かだったらしく、
ガラス越しにどうもどっかで見た顔のドラマーを見つけるのであるが、
奥ゆかしい日本人には中国人のようにづかづかと中まで入ってゆく勇気はない。
バンド全員でガラス越しに貼り付いて中を覗いてる彼らに中国人が声をかけた。
「何やってんの?」
そこで彼らが初めてこう尋ねる。
「あのドラム叩いてるのファンキーさんですよね?」

「そうだよ」と答えられ、納得した彼らは、まあ別にワシに声をかけることもなく
そのまま自分たちのリハーサルを終え、帰って行き、
ワシは後に中国人スタッフが教えてくれて初めてそのことを知った。

「ファンキー、お前やっぱ有名人なんだなぁ・・・
あの日本人の若者達、ずーっとお前見て、ずーっとお前のこと話してたぞ・・・」
と言われ、何か複雑な心境・・・

あの人たち・・・ワシが若い女の子集めて何やってたと思ったんでしょ・・・


さてその女の子達であるが、
一応アイドル予備軍なんだから(そうでないのも数人いるが)ルックス的には一応可愛いが、
歌唱力となるとこれがなかなか難しい。
生まれてこのかた生バンドでなんか歌ったことないんだから、
いつも歌い慣れているカラオケの伴奏との違いに戸惑うばかり。
ある娘は老師たちに教えを請い、
またある娘は老師たちに胸を張ってこう言った。

「バックコーラスないの?」

一応に固まるスタッフ一同。
顔見合わせるワシ達・・・

「コンテストだからね、プロのコーラスがいるとみんなそれに頼っちゃうでしょ」
(本当は予算がないからなのであろうが・・・)一生懸命なだめるスタッフ達・・・
「お前、コーラスやれよ!」
新しく生まれためんどくさい仕事をお互いになすりつけ合うメンバー達・・・

しかし、ワシは個人的には実はこの発言をした娘が一番歌がうまいと思っていた。
ルックスも、その時は「お前、絶対年齢サバよんでるじゃろ」としか思わなかったが、
本番になるとばっちし化粧して結構美人だったし・・・
歌がうまくてルックスよければとりあえず性格は、ねぇ・・・

あと、印象に残った娘が、背がちょっと低くてぽっちゃりしていたために、
審査員からも総評の時に「それからあの・・・おデブちゃん・・・あんた歌うまいわねぇ・・・」
と言われていた女の子である。
彼女が選ぶ歌が、ちょっと古いタイプのバラードが多く、
うまいんだけどあんまし興味がなかったが、
本番のメドレーで彼女のルーツであるオペラを歌ってそのうまさに絶句。
歌がうまくて性格よければとりあえずルックスは、ねぇ・・・

しかしまあ後の娘達はと言うと・・・まあ・・・歌は・・・どうしようもない・・・

ひとり、ワシが昔プロデュースした李慧珍の曲を歌ったが、
「お前・・・頼むからその曲だけは歌うなよ・・・」
と言いたいほど情けない。
そいつだけは満場一致で「どうしようもない」のであったが、
本番ではそんなのが当選したりするんだから不思議なもんである。

歌えないと言えばひとり、頬を赤らめてマイクを両手で抱えるように持って・・・
これがまた本当に全然歌えないんじゃが、ワシのロリコン心を刺激して非常に可愛い。

本番では審査員から「あんた、可愛いのはわかるけどここは学芸会じゃないのよ」
と酷評されて見事落選。
しかしその時流した一筋の涙に司会者が同情し、
「じゃあせっかく練習したんだから1曲だけ歌っていいわよ」
とチャンスを与えてあげる。

涙ながらに歌う彼女・・・
ワシも何か他の曲よりも一生懸命ドラムを叩いたりするが、
こんな娘の選んで来る曲ってのがまたドラムなんてどうでもよいアイドル物だったりする。

でも・・・はっきり言って楽しい仕事じゃ・・・

SoGouNvSheng.JPG


さて、若き美しい(そうでないのも数人いるが)娘達の涙と笑顔に囲まれながら、
ワシの楽しき仕事はこれで終わった・・・と思ったらそうでもなかった。

「じゃ、また来週!」
あれ?これって決勝戦じゃなかったの?・・・
「これは15人の中から7人を選ぶ予選。来週はその中から5人を選ぶ」

・・・ワシの楽しみは続く・・・


・・・と思いしや、実はLaoLuan自身があまりのギャラの安さにこの仕事を降りてしまい、
結局ワシの楽しみは次の北京特別唱区の決勝で終わってしまった。

仕方がないのでそれをインターネットで放映しているサイト
http://www.supergirl.sohu.com/でその続きを見る。
ワシの仕事はもう既に過去のものとなってUPされてないが、
いやはやこれは・・・はっきし言って面白い!

ワシが一番歌がうまいと思った二人は最終予選で落とされてしまったようじゃが・・・
結局一番どうしようもないのが結局最後まで残ってたりするから不思議である。

うーむ・・・タダでもいいからずっとやりたかったぞ・・・この仕事・・・

Posted by ファンキー末吉 at:02:07

2006年01月29日

花火爆竹の中国のお正月

新年好!新春快楽!
今日は旧暦の1月1日、中国語で「春節」、いわゆる旧正月である。
日本では通常の1日でしかない今日は、中国では一番大事な祭日。
言うならば盆と正月がいっぺんに来たようなもんである。

ワシがこちらで春節を過ごすのは実はまだ2回目。
(1回目の話はコチラhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/96.html
前回と大きく違っているのは嫁がいることと、
根っからの放浪癖にピリオドを打って「住処」を定めたこと。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html

今回は実は旧正月前から夫婦して日本に帰る予定だったのだが、
チケットの予約が遅れ、どうにも満席で日本への便が取れず、
仕方がないので春節明けの2月2日のチケットを取って今もこうして北京に残っている。
誰もワシが今北京に残っているとは思ってないので
誰にも「うちに来いよ」誘われることもなく、
言うならば典型的な「家族水入らずで過ごす」春節である。

しかしワシらふたりでどう過ごせばええのん?・・・

初めてのことなのでとりあえず人を呼んで賑やかに過ごすことにする。
「中国では餃子にコイン入れてそれを茹でてみんなで食べるのさ!」
と知ったかぶりに嫁に言うが、
「餃子ってどうやって作るの?皮から作るんでしょ?」
と聞かれ、いきなりしどろもどろ・・・

そうなのじゃ。ワシは誰かが作ってくれた餃子を食べたり、
せめて誰かが作ってくれた皮を一緒に包んで餃子にしたりしてただけなのじゃ・・・

誰か餃子の皮作れるヤツはおらんか・・・
院子のロックミュージシャンはほとんど里帰りしてしまってるし、
前回一緒に旧正月を過ごした友人達は今年はみんな外地に行ってしまってる・・・
若いミュージシャン達は実家に帰ってたり、
基本的に北京人は家庭にこもって家族と過ごすので出てこない。

仕方ないので春節なのに日本に帰ってない日本人を呼び集める。
元XYZのPAエンジニア吉田くん夫妻に、
元ワシのアシスタントの若い衆重田くん、
そして昔BayFMのラジオ番組「Asian Pop Connection」
を一緒にやってた相方「千葉麻衣子」がひょんなことから北京に留学に来ているので
みんな一堂に呼び出して総勢8人で「鍋」。
そう、誰も餃子作れないから日本人的に鍋屋で鍋を囲むことにしたのだ。

XYZ北京ライブhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/61.html
の打ち上げでも使った中国式牛肉しゃぶしゃぶ鍋に集合して飲むぞ!
と思いきや、その向かいが政府公認の花火爆竹販売店。

そうそう・・・聞くところによると今年から北京市内で爆竹が解禁になったとか・・・

よしとばかり花火と爆竹を購入しようと心に決めつつとりあえず食事。
食べながらもいろんなところでバンバン、ヒューヒュー、ボカンと言ってるのを聞きながら、
気もそぞろになりながら食事を終え、やはり春節は花火と爆竹でしょう!!!
向かいの花火屋に駆け込んで花火と爆竹購入!!

しかしこれって意外と高いのよね・・・

百連発とかの爆竹が40元(600円)。
ロケット花火、打ち上げ花火が90元(1500円)。
これを大勢で盛り上がってやりまくろうとすればやはりひとり1万円がとこ必要である。
我が家の財布を握っている花火好きの嫁が
喜び勇んで300元(4500円)ぽんと出したところでどれほども買うことが出来ない。
「吉田家の厄払いです」と言って100元出してくれる吉田くんはありがたいが、
結局はみんなで打ち上げ花火数発と爆竹で終ってしまう。

ちと物足りない気もするが、
厄払いが目的ならもう十分目的は果たしたとばかり家路に着く。
彼らは市内へ、ワシら夫婦は貧民街へと帰ってゆくのだが、
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/113.html
心なしか道々、周りで花火を上げている数が増えて来るように感じる。

聞くところによると規制が厳しかったのは北京市内で、郊外は言わば無法地帯。
昔からいたるところで花火や爆竹とは聞いていたが・・・
だいたい都会のど真ん中のビル街で打ち上げ花火を上げようと思えば大変だろうが、
ウチの村はちょっと外れれば全て未開の空き地である。
花火なんぞ上げ放題なのではあるまいか・・・

・・・と期待に胸を膨らませて家路に着くが、
まあこれと言って凄い花火や爆竹の嵐があるわけでもなく、
院子に帰って風呂に入り、大家が放った爆竹の音を聞きながら眠りに着こうとすると、
夜中の11時を過ぎたぐらいから爆音と共にいきなり窓の外が明るくなり出す。

花火好きの嫁がいそいそと起き出して窓から眺めたり外に出たり、
近所のいろんなところで上がってる打ち上げ花火が小さく見えるので、
「よし、車で花火やってるとこまで見に行こう!」
とばかりふたりで起き出して車に乗る。

「近所の空き地じゃないわよ。きっとあっちの高級別荘地よ」
そうそう、花火が結構高いものだと分かった今、
あんな巨大な打ち上げ花火を、うちの村の貧乏人がやれるわけはない。
隣接する超高級別荘地に繰り出してみると、
そこはもはや隅田川の花火大会よりも凄まじい勢いで花火が打ち上げられている。

しかも路上の真ん中で一般人が勝手に墨田川級の花火を打ち上げているのである。

隣接する超高級別荘地では、恐らくその別荘の管理会社が花火を上げているのか、
それでもかなり大掛かりな花火がボンボン上がるそのま横の路上で、
車のトランクに花火を満載した人たちがどんどん集まって来て、
自分勝手にボンボンと更に巨大な打ち上げ花火を打ち上げる。

「タマや~!カギや~!」
などと風情のあるもんではなく、
花火がひとつの花だとすると、その花びらの下っ側はヘタしたら地面すれすれだし、
横っ側はヘタしたら別荘地の屋根すれすれである。

お前ら、高度が低すぎんねん!
と言ったところでそれは売られている花火のみが知っていることなのでどうしようもない。

綺麗と言えば、こんな至近距離で花が咲くんだからそれは綺麗である。
花火好きの嫁、狂喜乱舞・・・

頃は夜中の0時ともなると、
高級別荘地の全ての住人がまた自分で火を上げるもんで、
もうそこらじゅう花火だらけ・・・
綺麗を通り越してもう「壮絶」である。

隅田川も淀川も、これほど広範囲で花火を打ち上げることはあるまい・・・
またこんな至近距離でこれだけの数の花火を見ることはあるまい・・・

嫁・・・狂喜乱舞・・・

毎年死者が出たり火災が起こったりで市内では禁止されていた花火爆竹。
今年より条件付と言えど解禁!
しかしその条件と言うのが「花火購入はひとり30kgまで」と言うのは本気か!!!
この国は正月に花火で死んでもええんか!!!

かなりの数の警察が動員され、厳戒態勢で行われた花火爆竹解禁。
幸いにも本日、春節の一日で負傷者は出たが死者はゼロと言う。
そしてその負傷者のほとんどは顔面に火傷を負ったと言うものであるそうだ。

お前ら!そうまでして花火やりたいかい!!
ちなみに日本大使館は
日本人がのこのこ見に行くことを自粛するよう要請していたらしい・・・

帰り道でも道のど真ん中で打ち上げ花火をやっているので、
さしずめ戦争映画の一場面のようにそれをよけながら家路に着くワシら夫妻。
花火好きの嫁が、屋台を引いて売りに来ている花火屋さんに聞いた。
「あの一番大きな打ち上げ花火、いくら?」

「タマや~!カギや~!」の20連発で700元(1万円)。
至近距離で爆発する花火に照らされた嫁の美しい横顔がこう語っていた。
「来年はきっと院子で高級別荘地に負けない花火を上げてやるわ!」

ダンナ、来年の花火代のために一生懸命働くのみ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:01

2005年12月17日

貧民街の日本人妻

さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。

何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・

数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。

一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。

村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。

その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。

「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」

同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。

村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。

「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」

そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・

かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。

瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・

などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。

「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」

しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・

貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇

ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。

翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。

壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。

これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。

家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。

「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」

トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」

しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・

かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。

「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・

夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。

「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。

何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。

ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。

ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。

ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!

と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。

時間の問題か・・・

 

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:10

2005年10月06日

みの吉ネタ「野茂とホモの違い」

忙しくて忘れていたが、そう言えばみの吉和尚から久々のアホメールが来ていた。

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お笑いが恋しいこの頃・・。
ホモは辛い。

最近、野茂とホモの違いが分からないと聞きます。

完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ
打たれるのをいやがるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ
野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ
家族で楽しく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて玉を揺らすのがホモ
フォークが得意なのが野茂、トークが得意なのがホモ。
アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。
野茂はカレーが好きだが、ホモは彼が好き。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。
優勝して感動するのが野茂、融合して浣腸するのがホモ。
タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。
野茂は投手、ホモは同種。
野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂はあまり喋らないが、ホモはよくしゃぶる。
野茂はトレーニングをするが、ホモは彼にングッする。
バックに守られるのが野茂 バックから攻められるのがホモ
野茂の高校は成城だが、ホモの行動は正常じゃない。
ただの投手じゃないのは野茂 多田野投手はホモ。

ごきげんよ~♪

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相変わらずのみの吉和尚だが、
そう言えば彼は先日北京まで来てXYZ中国語版のボーカル録れをしていた。

こんな彼だが、仕事に取り組む時だけは非常に真面目である。
一言も喋れない中国語の発音を、
ワシが徹夜で書いた発音指南書と、中国人ボーカルに歌ってもらった仮歌を元にして、
自分なりの発音指南書、つまりカンペを作成し、
1曲、と言ってもこれはコンセプトアルバムの最後を飾る3曲のメドレーなのだが、
10分を越す大作の中国語ボーカルを4日かかって録り終えた。

カンペと言っても実はこれがヒドイもんである。
仮にもNHK中国語会話のパーソナリティーをも務め、
仮にも中国語学習の本まで出版したことがあるこのワシが徹夜で

無:ウー(日本語のウより少し口を尖らせて発音する)
力:リー(英語のLi、カタカナのリに近い)
改:ガイ(日本語のガイに近い)
変:ビエン(カタカナのビから英語のアップルのaを経てnに終る)
只:ジー(舌を巻いて喉の奥でジーと言う)
有:ヨウ(イォウに近い)
悲:ベイ(日本語のベイに近い)
傷:シャンg(舌を巻いて喉の奥でシャンと言い、語尾は飲み込む感じ)

などと20ページに渡る発音指南書を書いてあげたと言うのに
「これでは歌えん!」
とばかり二井原が自分で作ったカンペは次のようなもんである。

瓜・Gay・鼻炎・痔・洋・Bay・シャン

これで歌えるんかい!

ちなみに中国語の詞ではここは、
「世界はどうして俺が思い描いた天国でないのか!また自分の無力さに心傷ついてしまう」
と言う非常に感動的な部分であるのにそれが「鼻炎と痔かい!!!」・・・作者号泣・・・

まあいい。録音してるのはワシのスタジオである。
別に何日かかって録り終えてもスタジオ代はタダである。
自分の納得するやり方で死ぬまで何回でも歌ってもらえばよい。

聞けば全米で大ヒットしたラウドネスのデビューアルバムも、
当時英語が喋れなかった二井原は
音程よければ発音が・・・発音よければニュアンスが・・・
「これで完璧やろ!」と思えば
「Mick!惜しい!今のはちょっとカンサス地方の訛り入ってる。
メタルはやっぱLA訛りで歌ってくれないと・・・」
で結局数行に3日間かけてまぐれ当たりを狙って録るしかなかったと言うし・・・

さて発音にも苦労してもらうが、
実はこの二井原の特殊な声をちゃんと録音すると言う作業もこれがかなり大変である。

自分のドラム録音のためだけに7月に完成し、
今や既に30曲以上のドラムを録音しているわが北京ファンキースタジオ
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html)
であるが、実はこの日のためにボーカル録音もちゃんと出来る設備を整えてあった。

スタジオ作りのためにその巨体を2シート分の飛行機に乗せ、
LAからわざわざ北京まで来てくれたWyn Davisが、
「これはMick(二井原の英語名)のボーカルにもとてもいいよ」
と選んでくれたドラムのオーバーヘッド用のマイクは実は日本円で1本40万円近くするし、
またこの時のために実は、ドラム録りにはまるで必要ない
AVARONと言う数十万円するプリアンプ、コンプレッサーも揃えている。

ところが「レコーディングとはとどのつまりEQとコンプレッサーの使い方に尽きる」と言うぐらい
特にこのコンプレッサーと言うものの使い方が非常に難しい。

ドラムの音に関してはWyn Davisの作ってくれた音をそのままの状態で保存し、
ドラムのセッティングからマイクの位置までまるで変えないので、
日々の微調整ぐらいでこのTotal Accessサウンド
(と言うより今や北京ファンキースタジオの音)を完璧に再現出来るが、
ことボーカルとなるとWynが作ってくれてるわけでもないので
エンジニアの吉田君と頭を抱えてたら、
「よ、ファンキー。あのラウドネスのボーカルが来てるって?」
と北京在住のアメリカンコリアンのエンジニア、Alexがふらっと遊びに来てくれた。

彼はセリーヌ・ディオンやらマライア・キャリーやらを手がけたり、
アメリカで大成功したと言うが何故かそれを全て捨てて北京に移住。
ワシが友人を紹介したりしてあげてるうちに今や北京でも売れっ子のエンジニアとなった。

彼曰く、ラウドネスは彼がハイスクールの時のアイドルだったらしい。
二井原の声に合わせたセッティングをしてくれ、
後にはこの曲の最後を飾る北京のフルストリングスオーケストラのレコーディングまで
全てを無料でやってくれた。

謝謝!Thanks! カムサハムニダ!

まだ発売が大決定してない中国語版は、
実は今のところ全部ワシの自腹、持ち出しなのよん・・・涙・・・

また、最終日には
女子十二樂坊のアレンジャー、プロデューサーとして名高い梁剣峰まで遊びに来てくれ、
今や1曲手がけたらそれこそ国内最高峰の値段である彼が
やはり無料で歌のディレクションをしてくれた。

何せ「鼻炎と痔」で歌ってるんだから中国人が聞いてどう聞こえるのかが心配であったが、
「なかなかいいじゃないの。とても中国語を全然喋れない外国人が歌ってるとは思えない」
とお褒めの言葉を頂いて胸を撫で下ろしてたら、彼はいつもの笑顔で一言。

「ところでファンキー。これを俺は今日は一体どのレベルまでやればいいの?」

値段だけでなく、仕事の細かさも国内一、
このワシが彼の仕事で1曲叩くのに10時間かかったと言う伝説を残すほどである。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/103.html)
二井原には非常に可哀想ではあったがワシは彼にこう言った。

「ネイティブの中国人が歌ってるレベル」

これはたまったもんじゃない!
歌録れは1日4時間が限度だと言うMickこと二井原実、またの名をみの吉和尚は、
結局その日は8時間以上歌うハメとなってしまった。・・・歌手号泣・・・

さてAlexや梁剣峰ら多数の人の助けにより、
何とかXYZのニューアルバムの全てのバージョンは録り終えた。
後はデータをアメリカに持って行って、
Wyn DavisのTotal Accessスタジオでミックスダウンを行うのみである。
また北京から成田経由の長いフライトでLAに降り立った。

知り合った当初は二井原の知り合いとして紹介してくれたWyn Davisであるが、
中国の数々のプロジェクト
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/105.html)
を一緒にやるうちに、
言葉もろくに通じないワシが今では彼のアジアの大親友となってしまった。
週末には彼の結婚式にまでご招待されている。

初めてお会いした彼の母親から再婚相手のイタリア系美女の奥さん、
その連れ子の若手メタルギタリストまで紹介されてもワシ・・・
・・・英語がそんなに喋れへん・・・(またもや号泣)・・・

まあ音楽用語は日本でも全ては英語からの外来語なので、
何とかミックスダウンでのコミュニケーションは出来る。
ひとりで数十チャンネルもダビングするギタリストと、
自分で声を重ねて数十チャンネルコーラスを入れるボーカリストのおかげで、
4人しかメンバーがいないのにProToolsのチャンネルが足りなくなるほどのトラック数を
Wynとふたりで一生懸命整理する。
ストリングスオーケストラが入る最終曲は特に大変である。

「Mickからメールもらったんだけど、やっぱMickって中国語うまいねえ・・・」

Wynの言っている意味がよくわからない。
何度も聞き返すがどうもわからない。

「だからぁ。中国語で歌ってるんだろ、この曲。
俺には日本語と変わらないぐらい流暢に聞こえるがねぇ・・・」

Wynさん・・・それ・・・日本語・・・中国語版はまだ発売が決定してないので今回は・・・

そうじゃそうじゃ、北京に残して来た中国語版・・・
そろそろ発売元の社長が聞いて決定かどうかを伝えてくれる頃である。

国際電話をかける。
「もしもし、社長さん?聞いて頂けました?」
もしここで「ダメだ」と言われたら発売は流れ、
費用を立て替えたワシは丸損なのでかなりドキドキもんである。

「聞いたよ。素晴らしい!
あのボーカルは日本でも相当有名なボーカルなんじゃないか?」
かなり興奮して言う社長。
「いや、日本でと言うよりはアメリカや世界的に有名なボーカルですよ」
とにかく押しに押すワシ。
「歌は素晴らしい!曲も非常によいのだが、しかし10分はちょっと長すぎるなあ・・・」
すかさず押しに押すワシ。
「いえいえ、あれは3曲メドレーなんで、最初のバラードで切って編集すれば4分強。
サイズとしてはちょうどいいのでは?」
日本語版ではフルアルバムなのでコンセプト上どうしても3曲で1曲であるが、
中国語版ではロックのオムニバスへの参加なので別に編集しても事足りる。
「そうか!よし!このバンドは決定!帰って来たらさっそく契約しよう」

やったぁ!!!

オムニバスに1曲参加とは言え、念願のXYZ中国発売である。
こうなればまだ発売の決まってない日本とどちらが早いかである。
ついでに中国語版のミックスダウンもここでWynにやってもらおうか・・・
などと考えながら電話を切ろうとしたら社長さんが一言。

「それで、本チャンの歌録れはいつすんの?・・・」

あれだけ苦労したのにまた最初っから録り直すんですかぁ・・・(関係者一同号泣)・・・
二井原はん・・・アホなメール書いてへんでまたもう一度北京に来てもらえますか・・・

ファンキー末吉

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●X.Y.Z.→A●
http://www.funkycorp.jp/xyzrecords/xyz/index.htm

Vo.二井原実(ラウドネス)
Gt.橘高文彦(ex.筋肉少女帯)
B.バーベQ和佐田(爆風スランプ)
Dr.ファンキー末吉(爆風スランプ)

足掛け3年かけて製作したニューアルバムがついに今完成しようとしている。
感激もんである。
LAから帰りに日本によってミーティングをし、
スタッフ一同に聞いてもらって発売日が決定する。

さてその発売日とはいつなのか?
そして中国語版の行方は?

続報を待て!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:16

2005年09月04日

どでかいロックフェスティバルでドラム叩いたら

「見たよ、見たよ・・・」
先日からやたら人にそう言われるので何かと思ったら、
7月1日に行われた大きな野外ロックイベントがテレビで放映されたらしい。

崔健(ツイ・ジエン)、唐朝(タン・チャオ)、黒豹(ヘイ・バオ)、超載(チャオ・ザイ)、等
中国ロックの創始者の世代の大御所バンドから、
それを受けて商業的に一番ブレイクさせた零点(リン・ディエン)、
香港からはBEYONDのギタリスト、黄貫中(PAUL)まで参加した、
そんな中国ロックの大同窓会のような顔ぶれの中、
ワシは韓紅(ハン・ホン)と言う人気歌手のバックバンドとして呼ばれ、
毛沢東を讃える革命の歌を「ロックにアレンジしてくれ」と言われ、
それをしゃかりきに叩きまくっていた。

「何十年の歌手生活の中で、初めてよ、ロックイベントになんか呼ばれたの・・・
ロック歌手、韓紅(ハン・ホン)・・・何かくすぐったいわねぇ・・・」
と言ってMCで受けを取ってから気合たっぷりで始まった韓紅(ハン・ホン)のステージ。

しかしワシのアレンジがちと複雑過ぎたのか、2番に入りそびれた韓紅(ハン・ホン)、
バンドもどのパートを演奏したらいいかわからいのでちりじりバラバラになるが、
さすがは場慣れした大御所歌手である。あわてず焦らず、
「ありゃりゃ、入りそびれたわ。どっから歌うの?まあええわ・・・」
とばかり、ドラムス!ファンキー!」と絶叫してワシに振る。

しゃーないのでドラムソロごとくドラムをぶっ叩く。
このクラスになるとメンバーも一流のプレイヤー達なのでそれに絡んで来て盛り上げる。
最高潮に達した時に韓紅(ハン・ホン)のカウントにより2番に入り、
結局おかげでこの曲はこのコンサートで一番盛り上がった演奏となる。
ステージ脇のスクリーンではこれでもかと言うぐらいワシのドラムのアップ・・・
客席で見ていた嫁は
「歌手を差し置いてあんなにアップになったらアカンわ・・・」
と言うぐらい誰よりもフィーチャリングされていた。

しかしここが問題である。
この日のテーマは共産党がファシズムに打ち勝った記念日を祝うコンサート。
つまり抗日記念イベントでもある。

反日、反日と騒がれるご時世に、
日本人ドラマーがこんな抗日イベントに参加して
しかもこんなにフィーチャリングされたらアカンわぁ・・・

楽屋は昔懐かしい友達ばかりなので、
「お前、今日は何のコンサートか知っているのか!
日本人であるお前がどの面下げてドラム叩いてんだ!」
とワシをからかうが、
「こんな面でぇーす」
とばかりアホ面を巨大スクリーンにさらす。
恐らくテレビのオンエアーでも
かなりのカット数でこのアホ面が全中国に流れたことであろう・・・

日本のNHKと同じで、
中国でもひとつの大きなプログラムは北京電視台等関連放送局で何度も再放送される。
全中国にこのアホ面が流れる度にみんなワシに「見たよ、見たよ・・・」と言うのだが、
とある友人は大受けしてこう言った。

「日本人がこの趣旨のイベントに参加して、
しかもこれだけ活躍すると言うことは素晴らしいことだ。
俺は今から中国じゅうのマスコミ集めてお前のことを取材してもらう。
共産党もお前の一生の食いっぷちのみならず、住居や市民権、
ヘタしたら中華人民共和国の国籍を与えてくれるやも知れん!」

頼むからやめて下さい・・・そっとしといて下さい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:23

2005年08月20日

ドラマーがドラムスタジオを作るワケ

日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている

だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・

昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる

このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・

昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む

・・・身体に悪い・・・

この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明

つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい

それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む

・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・

まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・

もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない

これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない

つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである

しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!

・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・

二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・

すっからかんなはずじゃ・・・

実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・

結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・

そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・

初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:24

2005年05月07日

反日デモって何?・・・それよりワシはスタジオ作るぞ!!

Sonyのエアーボードと言うテレビを購入して北京に持って来た。

このテレビはなかなかすぐれもので、
本体を東京に置いてモニター部分だけを外国に持って来て、
それをインターネットにつなぐことにより、その本体の映像、
つまり日本のテレビ番組がそのまま外国で見れるのである。

ただし設定が非常にややこしく、
本体に固定IPアドレスを割り当てたり、これはとてもじゃないけど素人さんには無理である!
せっかく買ったのに北京で見れないのはあまりにくやしいので、
本体をファンキー荘http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlに置き、
設定全てを住人Cに全部任せて北京に発つ。

彼の涙ぐましい努力により
やっと北京からインターネット経由で本体につながったのはいいが、
こちらの回線って遅いのよねえ・・・特に海を越えると・・・

カクカクの画面と途切れ途切れの音声で、
まあニュースぐらいなら字幕もあるし何とか見れないことはない。

と言うわけでこうしてやっと日本のテレビを見れるようになって思ったのが、
なんと日本では中国での反日感情のニュースが多いことよ!

そんなにヒドイかなあ?・・・

まあ住んでる世界が違うので縁がないんだろうけど、ワシなんか
「今日は大規模なデモがあるから外に出ない方がいいよ」
と言われてたその日に北京の若いバンドのライブに行き、
カウンターでビールを頼む時に「日本人か?韓国人か?」と聞かれて胸を張って
「日本人だよ」と答え、
結局ライブ終了後にそのバンドの連中と客のほとんどを連れて
ドメスティックな中華料理屋で日本人を囲んでドンちゃん騒ぎを繰り広げていたが
別に投石されることもなく酔い潰れてちゃんと家まで連れて帰ってくれてた。

中国のお偉いさんが世界の中でもどれだけ頭がいいかは前々号
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlでも書いたが、
薄っぺらい切り口の日本のマスコミには考え付かないようないろんなもくろみを
このお偉いさん達は全部計算してやらせているんだと言う噂がある。

1、国民のうっぷんの矛先が新政権に向かないようにする
2、政治運動が勃発しやすい五・四運動を前にして、国民を国内問題から気をそらせる
3、文化革命の時代の壁新聞よろしく、
挑発してやらせるだけやらせといてその首謀者をリストアップしてブラックリストを作成する

まあもっともな話だが、
大規模デモの日に中国人ロッカー集めてドンちゃん騒ぎをしている日本人には
今後もどの道関係がなさそうな話である・・・

ところでその日一緒にドンちゃん騒ぎをしていた若いバンド、
布衣(ブーイー)楽隊と言うのが、前号
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/108.htmlで書いた、
唐朝のベーシスト、ZhangJuの追悼アルバムで私が1曲担当したバンドである。

バンド肌であるワシとしては、どうしても
「スタジオで初顔合わせで現場でヘッドアレンジすればいい」
と言うレコーディングのやり方には納得がいかず、
「どうしても彼らのリハーサルに参加して一緒にアレンジしたい」と言い張り、
じゃあと言うことで単身そこに行って見てびっくり!

五環路(東京で言うと環八か?)の更に外側のとある貧民街に
メンバー全員が院子(ユエンズ:長屋みたいなもん?)を借りて住み、
そこに機材を入れて練習場にしとる・・・

その院子(ユエンズ)は既に他の若いロックミュージシャン達も住み着いて、
ちょっとした「ロック村」を形成してしまっている。

平房(平屋の一番安い形式の建物)なので風呂もなければトイレも汲み取りで共同で、
近くにはバスもなければタクシーなどまず通らない。
不便極まりない環境なのだが、
彼らはコミューンとも言えるその仲間達と貧乏ながら楽しく暮らしていた。

好きやなぁ・・・俺・・・こんな感じ・・・

そしてお決まりのように「ここって家賃いくら?」と聞いたりしてみる。
いくつかの部屋が集まって三方を囲み、
中庭を共有した院子(ユエンズ)がいくつか集まってこのロック村を形成しているのだが、
その院子(ユエンズ)ひとつ、3部屋と中庭がついて一月たったの1万円!!!

安い!!!

去年「家を買うぞ!」と決心しhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/97.html、
その明け渡しをずーっと待ちながらついに最近ドタキャンに合い
「売らない」と言われてしまったワシである。

「そうじゃ!スタジオを作ってここに引っ越して来よう!!!」

スタジオ作りの費用として大きいのは機材と家賃と防音工事である。
しかしここは家賃はタダ同然だし、ロック村なので別に防音もちょっとしたもんで足りる。
XYZのレコーディングももうすぐ始まるし、
家の頭金として用意した金もほっとけばどうせアルコールに化けてしまって消えるので、
その金で機材を買ってここにスタジオを作り、
飽きたらいつでも機材引き上げて引っ越してゆけばよい。

そうである。
家なんか買って毎月のローンに追われ、
更には100万円近くかけて防音してスタジオを作るなんてナンセンスである。

と言うわけでさっそく家賃を半年分、6万円少々払い、
大きな部屋に壁を作って半分に割ってもらい、隣の部屋を住居にし、
残りの部屋をシャワールームと台所にする。

さすがは貧民街である。
家賃を払ったところで大家は何の契約書を作成するわけでもなく、
壁を作る工事も大家とそこの人夫がやってくれるっつうんで2万5千円ほど渡し、
更には近所の中古市場行って、
クーラー2台とソファーとベッドと机と椅子を買って全部で2万5千円。
これなら別に、もしXYZのレコーディング終って引き払っても痛くはない。

部屋に金をかけるのはポリシーに反するので、
「君らのファーストアルバムをここでタダで録ってやる」
と言う約束でその若いバンドの連中を駆り出して自分達で手作り内装工事をやる。

ペンキ塗りなんて初めてやったわぁ・・・ちょっと楽しい・・・

住居部分がようやく完成し、
ちょうどその日はその住民のひとりが誕生日だと言うのでみんなで飯を食いに行き、
ハッピーバースデーと共にその会はワシの入居祝いにもなった。

住民にも認められ、もうワシはれっきとしたこのロック村の住人である。

北京ロックンロール・ビレッジ、ファンキースタジオは6月にオープン!

外部に貸し出すつもりは一切ないが、宿泊設備と共に利用したい日本の方がいたら、
そりゃ日本より断然安くレコーディングできまっせ!

XYZのレコーディングではアメリカからウェイン・デイヴィスを呼ぶ予定である。
貧民街のくせに国際的やなあ・・・
ウェインもいっそのことそのままここに住み着いてくれんかしら・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:26

2005年04月09日

台湾で一番売れっ子のアレンジャーギタリストまで

また反日感情が高ぶってるんか???

中国に通い始めてからもう15年。
北京に住むようになってからもう5年。
どう言うわけか一度もその反日感情とやらに出会ったことがない。

去年はサッカーの試合でどうたらこうたらで、日本のラジオのインタビュー等を受けると
必ずと言っていいほど反日感情についての質問が来る。

まあ日本のマスコミは往々にして、
まず結論がありきでその結論に導くための材料を集めるやり方で番組を作るため、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
こちらに住んでこれだけ長い人間から
「いえ?反日感情なんてあったこと一度もありませんよ」
なんて言われたら番組にならない。

まああったことも目の当たりに見たこともないので、「ある」とも言えないし、
本音を言えば
「俺が中国ロックのためにどれだけのことをして来たと思う?
俺の前で反日感情なんぞ持つ人間が現れたら
中国じゅうのミュージシャンから袋叩きに合うぞ!」
とでも言いたいもんだがそうもいかず、
「まあひとつの視点だけでみてそれが中国を代表することは土台無理なことなんで・・・」
とひとつひとつ説明するしかない。
反日感情の中で苦しんでいる企業も実際あるだろうし、
ワシのようにこれだけ深く関わりながら15年間一度もあったことがない人間もいる。
それもひっくるめて「中国」なのである。

まあ反日感情ではないが一度、
よく仕事をやってるLuanShuと言うプロデューサーに売り込みの電話があったと言う。
「LuanShuさん、あなたも中国人なんだからぼちぼち中国人のドラマーを使うべきですよ」
LuanShuはその時笑ってこう言ったと言う。

「Funkyのことか?アホか!あいつは中国人じゃい!」

彼と出会ってもう15年。
いい時も悪い時も、更にはワシは彼が一番どん底の時に唯一そばにいた人間でもある。
中国人だ、日本人だを超えて、誰が俺達のこの間に入って来れる?

まあそう言う意味では特殊な日本人じゃわのう・・・ワシは・・・
とても日本人を代表してコメントなんか出来んわい

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江建民(ジャン・ジエンミン)と言うギタリストがいる。
中国ポップスのファンなら一度は彼の名前をクレジットの中で見たことがあるだろうし、
そうでなくても必ず一度は彼のギターを聞いたことがあるはずである。
台湾のあらゆるヒット曲のアレンジをし、あらゆる楽曲にギタリストとして参加している。
ワシのアシスタントの重田に言わせると「台湾のスティーブ・ルカサー」だそうだが、
そんな超売れっ子ミュージシャンが去年北京に移住して来た。

日本のスタジオの世界は、アレンジャーはアレンジャー、プレイヤーはプレイヤー、
ある偉いプロデューサーが昔、
「○○クンもいつまでも”弾き”やってないで早く”書き”やんなきゃ」
と言ってたのを聞いたことがあるが、どうも日本では
プレイヤーを卒業してアレンジャーやプロデューサーにグレードアップするようである。
だから小室はすでにキーボードプレイヤーではないし、
その他名うてのアレンジャー、プロデューサーを
プレイヤーとしてスタジオに呼ぶような恐れ多いことは通常ありえないが、
こちらではある時はワシの仕事で江建民(ジャン・ジエンミン)をギタリストとして呼び、
またある時は彼の仕事でワシがドラマーで呼ばれたりする。

そんなかんなでしょっちゅう仕事をしてるので仲良くなり、
ある日興味しんしんで質問してみた。
「何てあんたほどの超売れっ子がわざわざ台湾捨てて北京くんだりまで来たの?」
ワシとしては
「いやー・・・実は北京の娘に恋をしてねえ・・・」
などとロマンチックな答えを想像していたのだが、答えは簡単明瞭。
「音楽業界不況真っ只中の台湾のどこに仕事がある?」
であった。

あんたほどの超一流に仕事が来ないほど?・・・

そう言えば日本の音楽業界もまた売り上げ40%ダウンたらなんたら・・・
古株は相変わらず君臨してるわ、若手はどんどん台頭して来るわ・・・
まるで日増しに小さくなる丼の飯を
どんどん増え続ける大勢の人間が奪い合いながらむさぼっているようなもんである

・・・日本のミュージシャンってホンマに仕事あんの?・・・

インターネットのダウンロード等に押され、全世界どこの音楽界も不況である。
中国の海賊版事情も同様に、いやもっと深刻ではあるのだが、
この国はそれを上回るほど人口が多い。
日本全土がすっぽり入るぐらいの土地と人口を持つ中国のいち地方には、
日本人の歌手と同じぐらいの数の歌手がいて、
その地方が単純に10個以上はあり、
その全ての歌手が首都、北京に出て来てレコードを作るわけだから、
単純に10倍の仕事があるとすれば
例え日本と同じように売り上げ40%減になったとしてもまだ6倍の仕事がある。

まあそんな単純計算では割り切れないだろうが、それでも彼曰く、
「台湾の音楽業界は終った。残るは北京だけだ」

まあ、あんたらは言葉が同じやから楽やわなぁ・・・

しかしそれでも中国の音楽業界のシステムには戸惑うことも多いらしく、
同じく外地からやってきた先輩としていろいろアドバイスをする。
彼も今ではもうすっかり慣れてしまったのか、中国らしく
「ファンキー明日空いてる?」
で仕事が来る今日この頃である。

そんなある日、また彼から仕事が来る。

ワシはと言えば、命に関わるからもう今年から無茶な仕事の入れ方はやめよう
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.html)
と決意したものの、
スケジュールのブッキングがいつもこうも突然ではなかなかそうもいかない。

その日はLuanShuと共に10年前にバイク事故で死んだ、
中国を代表するロックバンドのひとつ、唐朝のベーシスト、ZhangJuの
追悼アルバムをレコーディングしているところで、
今年からアレンジ、プロデュースはあんましやらんよと言ってはあるものの、
死んだ友人のためならいた仕方ない。これは仕事ではない!!
若いバンドをひとつ受け持って、
風呂もトイレもない長屋のような彼らの住居の彼らの練習場でリハをし、語り合い、
「俺、好きやなあ・・・こんな生活・・・」
と、また自分の四畳半時代を懐かしみながら感情移入し、
まさにそのレコーディング当日にダブルブッキングで仕事を受けるハメとなる。

仕方がないのでバンドに朝早くスタジオに入ってもらい、(迷惑な話やのう・・・)
レコーディング途中で抜け出して江建民(ジャン・ジエンミン)のドラム録り。

今年は頑張らんのちゃうんかい!!

でもまあドラムの仕事ですし・・・
スタジオ仕事は順調だと1曲30分ほどで終るし・・・
と思っていたら彼の譜面(と言っても五線譜ではなく中国式数字譜ですが)を見てびっくり!!
8小節に渡るギターとオールユニゾンの32分音符を含む複雑なキメ・・・
まあ人間が物理的に叩ける速度ならどんなに難しくても叩けないはずはない!!
と覚悟を決めてそのままDEMOを聞いていると
サビは確かどこかで聞いたことがあるようなメロディー・・・

「これ・・・BEYONDの曲やん!!!」

タイトルを見ると「長城」。まさにワシとBEYONDが出会った時、
彼らが日本で初めてレコーディングをしていたまさにその曲である。
そしてワシらは友達になり、その後リードボーカルの黄家駒はワシの目の前で死んだ。

「ちと時間くれるか?」
日本のスタジオミュージシャンは1時間いくらであるが中国は1曲いくらである。
でもここが日本であってもワシは時給いらんから時間くれと言ってただろう。

光栄な話である。
死んだ友人が作った歌を、10年以上の月日がたった今ここで、
こうしてワシがその曲のドラムを叩いているのである。

死んだ友人のためである。これは仕事ではない!!
たっぷりと感情移入させて頂いてスタジオを後にする。

元のスタジオに戻るとバンドはまさにギター録りの真っ最中。
今日じゅうに歌まで全部録り終わらねばならない。
夜中の3時にやっと終了。長い一日を終える。

何か今日は死んだ人間のためオンパレードの日やったなぁ・・・
うん、よう働いた。

「ありがとう、私達のためにこんなに頑張ってくれて」
とバンドのマネージャーからショートメールが届く。
いやいや、君たちのためっつうか・・・別にそう言うわけでも・・・

まあよう働いたことは働いたが、何のためと言われてもほな何のためやろ・・・
人間なんでこんなに一生懸命働くんやろ・・・
食うために? 生活のため?
音楽なんて100%金のためやったらこんな割の悪い仕事もないでぇ。時給低いでぇ・・・

まあもともとは自分で金払ってバンドやってたのが原点である。
音楽なんてもともと金払ってやるもんである。
それがこんなありがたいことに、金もらって、
しかも人に感謝され、尊敬され、お金をもらう・・・
こんなありがたい話があるか!!
よし、かっこつけて胸張って声高に叫んでやろう。

音楽は金のためにやるもんじゃない!!

ふふふ・・・かっこいいぜ、俺・・・と思ってたらふと思い出した。
昼間の江建民(ジャン・ジエンミン)の仕事のギャラまだもろてない・・・
(こちらの仕事はその場で現金清算、とっぱらいが原則)

すまん、やっぱ金も必要です。次の仕事ん時絶対清算してや!!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:28

2005年03月13日

あらゆる海賊版ソフトを使いこなす中国の若き天才達に・・・

迎春にたてた今年の目標

先日爆風の再結成ライブで
パッパラー河合とサポートキーボーディストのエンペラー福田が話しているのを聞いた。

「福田さん、ソフトシンセって使ったことある?」
「あるよ。この前仕事でFM7のレポートの仕事やってねえ。
いやー、あれは結構凄いよ。使えるよ。」

ちなみに福田さんは「日本シンセサイザー協会副会長」とか何かの肩書きを持っている
いわゆる日本を代表するシンセサイザー奏者のひとりなのにソフトシンセがFM7???

http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.htmlでも書いたが、
この国では、中国の音楽家達は「海賊版反対!」と叫びながら、
自分は海賊版ソフトを使って音楽を作ってたりする。
だからどうせ使うならFM7よりももっと高級な、
日本だと高くて誰も手が出せないようなソフトを使う。

世界中のあらゆる最先端の優秀なソフトが全部「タダ」なのじゃよ!

今では中国を代表するプロダクションのひとつを取り仕切る
業界の風雲児となってしまったS社長がある日こんなことを言っていた。

「中国の政府のトップの人たちって、どれだけ頭がいい奴らだと思ってる?
一党独裁のこの国である日あいつらが本当にその気になったら、
”海賊版全部撲滅するぞ”
の一言で中国中の海賊版がひとつ残らず撲滅出来ちゃう人たちだよ。
でもどうしてそれをしないと思う?
今中国で流通している全ての海賊版からロイヤリティーを徴収したとしたら、
中国は何百億単位の金をアメリカに払わねばならない。
結局儲かるのはアメリカなのよ。
そんなの国益を考えたらたとえ明日出来たとしても絶対やるわけがない。
今の状態で中国人民が海賊版音源や映像を見放題聞き放題で耳も肥え、
海賊版ソフトを使ってクオリティーの高い音楽作ったりしてそのうち、
そのうち中国がアメリカからお金を取れるようになってから撲滅すればいいのよ。
そのぐらいのことを考える人たちだよ、あの人たちは・・・」

本当かウソかはわからない。
しかしこの海賊版おかげでこの国の若い音楽家達は
日本だとひとつが何十万もするソフトを平気でいくつも使いこなし、
日本人よりももっとアメリカやイギリスのヒットチャートに精通していて、
ほんと、ここでアレンジャーとしてやっていこうと思ったら
通常の日本人アレンジャーぐらいのレベルではやっていけないのではないかと思う。

その昔、ピアノとオーケストラしか書けなかったアレンジャーが、
シンセサイザーの発明によりシンセサイザーを使いこなせないと仕事が出来なくなった。
そして今、ソフトシンセ、プラグイン、あらゆるデジタル機器に精通してないと、
特にここ、中国ではアレンジャーとして食っていけない。

アレンジの概念もすっかり様変わりしてしまった。
私ぐらいの世代のアレンジャーは
「いい対旋律を書くこと」がすなわちアレンジだったのに対し、
今の世代は「いい音色やループを選ぶこと」がすなわちアレンジである。

1音色選ぶのに一晩徹夜せねばならんのよ!!!

ソフトシンセ、こちらではVSTプラグインが広く使われているが、
ひとつのソフトがどう言う個性を持っているソフトかを知るために、
全音色聞き比べ、軽く使ってみてそのソフトの概念がわかるまでに
ヘタしたら1週間は徹夜せねばならない。
そんなソフトが100個以上手に入るとしたら
その中から気に入ったいくつかのプラグイン以外を捨てて
自分のシステムを完成させるまでに幾晩徹夜せにゃいかん?

更にVSTプラグインの高度な使い方としては、
音色の中に既にリズムやメロディーなどが含まれている音源データ自身を、
曲と完全に同期させながらリアルタイムにエディットしつつ、
そのエディット情報を音楽データと一緒にデータに書き込んでゆくことが出来る。
つまりメロディーを打ち込むように音色の変化を打ち込むわけである。

ここまで来ると、1週間徹夜してやっと理解出来るソフトを100個以上、
つまり100週間以上徹夜して選んだ自分のシステムの中から
1音色選ぶのにまた徹夜してそれを何音色も選び、
その選んだ音色をまた幾晩か徹夜して何パターンにもエディットする。
この国の若き天才アレンジャー達・・・
彼らは果たして幾晩徹夜してこのレベルまで達成したと言うのだろう・・・

でもこれって音楽?!!!

しかし世界中のロック、ポップス、全てのジャンルの音楽の中で
電子音、つまりデジタル音色が使われてない曲はないと言うぐらい
電子系は今や流行と言うより定着に近い位置まで広がった。

音色が勝負!
だったら同じセンスだとしたらたくさん音色持ってる人が必ず勝つよ!

海賊版のない日本で同じ環境を構築しようと思ったらいくらかかる?
こんなことが出来るのはよっぽど売れてて金が有り余っている
ほんのほんの一握りの人たちだけであろう。

そのうち絶対負けるよ、日本人・・・
いや・・・もう既にもう負けとるかも知れん・・・

まあワシと言えばテクノ大嫌い、電子系も全然好きじゃない、
特にロックはシンセもいらん!と言うXYZ魂ばりばりの人間である。
ところが耳が肥えたこの国のクライアントが発注するアレンジには、
まあ世界的な風潮から見てもそうなのだが、
必ずデジタル、電子系の味付けが不可欠である。

デジタルの師匠、若きプロデューサーDの仕事を
彼の作ったデータを見せてもらったりして勉強する。
そしてある日わかった・・・と言うか、悟った!

彼にとってコンピューターと言うのはワシにとってのドラムと同じ。
つまりアレンジャーにとってパソコンそのものが「楽器」なのである。

その日からワシは電子系に対しての嫌悪感がなくなった。
勤勉で真面目がとりえの日本人気質、「仕事」となれば「好き嫌い」は関係ない職人肌、
さらにはワシの負けず嫌いとパソコン好きが災いして、
今では電子系のアレンジの発注まで来る始末。

でもそのためにワシが幾晩徹夜した?!!!

更には次のXYZの新譜を自分の今までの集大成にするべく
並行して壮大なコンセプトと組曲を1年かけて作り上げているので、
気がついたら北京では2日間寝ずに働いて6時間寝てまた2日間徹夜する生活が続く。

こんな生活がいつまで続く?!!!

その代わり日本に帰ったら反動で15時間寝続けたりする。
人間、寝ないと死ぬのである。
実際「ああ・・・あともう少し行くときっと死ぬんだな・・・」と思う瞬間もあった。
ドラム叩きながら死ぬのは本望じゃが、
このファンキー末吉がパソコンの前で死んでそれでええんか?!!!

と言うわけで、旧正月に里帰りして15時間寝ながら考えた。
音楽的に深いドラミングや、数々のアレンジ、プロデュースの仕事が評価され、
「ドラマー」と言うよりは「音楽人」と評価されることが多くなった今日この頃。
「ドラマー」としてはそんなに自分の前を走っているドラマーを思いつかないが、
アレンジャー、プロデューサーはこの国では若き天才達がたくさんいる。
その人達全てを死ぬまでに追い越すべくもっと頑張るか?

もうええじゃろ、ドラム叩いてなんぼでその金持って飲みに行くのが一番ええわ。

日本では10以上スタジオミュージシャンの値段は変わってないが、
こちらでは年ごとにミュージシャンのギャラが高くなり、私のドラムの値段は
S社長が5年前に当時の一番高いスタジオミュージシャンの値段設定してくれたのだが、
今では他のドラマーに比べてあまりに安すぎるから頼むから値段上げてくれ
とミュージシャン仲間にお願いされても頑として上げず、
その代わりアレンジの値段を最高額に上げた。

ワシに、この額を取ってるあの天才達と同じレベルの仕事が出来るんか?・・・

出来るわけがない。
でもこう言えばアレンジやプロデュースの仕事が減るからそれでいいのよん。
ドラム叩くよん。酒飲むよん。酔い潰れて寝るよん。

ええなあ・・・今年の目標は「頑張らない」

XYZの新譜も半分までは死ぬ気で作り上げたが、
後は橘高にでもおぶせて楽するとすっか・・・

と思ったら今度は橘高がつぶれた。
わかったわかった。やっぱみんな一緒にやろうな。
今年もやっぱ「ちょっとは頑張る」から・・・

----------------------------------------------------------------------
東京にヤサが出来た。

昔住んでた武蔵小山の5LDKマンション。
名義は母の名義なのだが、誰も住まなくなったので人に貸してたら、
今年になって突然出てしまうと言う。

そのまま遊ばしてたら管理費や固定資産税等でおふくろの年金が飛んでしまうので、
不動産屋に「次の借り手見つけて下さいよ」と催促するが、今日びのご時世で
家賃32万、売値5600万のマンションなんぞ貸すに貸せず売るに売れない。

はたと困ってたところに飲み友達のめいりんからメールが来た。
「友達男女4人で共同生活しようと部屋探してるんだけどどこも貸してくれないの」
日本ではルームシェアーの習慣が定着してない上に、
男女の共同生活と言うとまだまだ大家である大人たちには感覚的に受け入れがたい。

「よし、うちに住め!」
とは言ってはみたものの、芸術家を目指す若い男女4人がどれだけ頑張っても
月に32万の家賃を払うのは無理である。

「いくらだったら払えるの?」
「4人合わせて18万」
そりゃあんた安すぎじゃろ!
母にしてみても遊ばしてるよりはいいが32万が18万じゃイメージが悪いじゃろ・・・
「何とか20万出せんか・・・」
「出せない!」
こうもはっきり言うんだからそりゃ絶対に出せんじゃろう・・・
「よし、5LDKに4人やったら一部屋余るじゃろ。ワシが2万円出してそこ借りちゃろ!」

ところが家賃はこれで解決しても次には敷金礼金と言う大きな問題がある。
「敷金、礼金、出せるの?」
「うーむ・・・・そんなに出せないかも・・・」
礼金をゼロにしたら間に立っている不動産屋の儲けがなくなるので不可欠だが、
敷金は単なる預かり金だからナシでもええんちゃうの・・・

ところが大家と借主がそれでいいと言っても不動産屋が商売だからそれでは通らない。
結局敷金はワシが持つことにしてやっと話をまとめた。

ワシ・・・敷金40万払って家賃2万円のヤサを手に入れた男・・・

ワシらの時代からすると「コミューン」とも言うべきめいりん達の新居、
その名も「ファンキー荘」
ワシは月に数回しか帰らないだろうから、
井上陽水のデビューライブのアナログ版がかかってたりする(お前ら年いくつや!!)
素敵なリビングに面したワシの部屋は普段はゲストルームとして使われる。

みなさんも東京に宿が必要になった時には「ファンキー荘」のゲストルームに泊まって、
若き芸術家達のために1000円でも2000円でもカンパしてあげて下さいな。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:30

2004年12月28日

どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・

ドラム物語

パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。

アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。

そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。

その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。

ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。

ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」

パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。

そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。

そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。

木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。

・・・非常に面白い・・・

そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。

だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・

そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。

このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。

パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。

このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。

つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。

「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・

北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。

しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。

それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。

名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。

そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。

とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。

ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・

音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・

こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。

しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。

愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。

新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・

こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。

数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。

「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」

家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。

しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。

「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」

「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。

「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」

まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。

アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:34

2004年11月17日

亜洲鼓魂があるから今のワシがある!!

ホリプロの堀さんが北京にいらっしゃった。

非常に懐かしい!
お会いするのはもう5~6年ぶりではなかろうか・・・

あれは10年ほど前の話・・・
日本は「アジアブーム」に浮かれ、
雑誌やメディアはどこでも中国ネタを取り上げ始め、
企業は不景気から抜け出せない日本から脱却すべく中国に夢を見た。

そんな中で
その数年前に既に中国にかぶれ、挙句の果てに中国人と結婚して
家庭内言語を中国語で暮らしているアホなドラマーにみんな興味を持った。

いちいち呼ばれて飲みに行くのもめんどくさいので
新宿で中華料理の屋台「萬吉」を開き、
そこで定例の如く業界の人間が集まってアジアの話をする、「アジア会」
と言うのがいつの間にか始まりだした。

日本で初めての中国ロック専門のレーベルを設立したJVCビクターを始めとし、
中国ロックの創始者「崔健(ツイ・ジェン)」を日本デビューさせた東芝EMI、
酒井法子を有するサンミュージック、
「第二の山口百恵」を探すべく中国で40万人オーディションを開き、
現地でプロダクションも設立して
中国の「ホリプロ3人娘」をデビューさせたホリプロ、
他、全アジアに支社を設立したポニーキャニオンや
中国最大のレコード会社ロックレコード等々、
中国と音楽に関係のある全てのそのトップの人たちが
何故かこのキタナイ屋台に毎月顔を出し、
北京家庭料理を食いながら北京の二鍋頭酒と言う56度の白酒を飲んでアジアを語った。
堀さんともこの中で出会ったである。

今思えばそうそうたるメンバーであるが、
思い起こせば北京にアミューズ北京まで設立して本格的に中国進出に乗り出した
所属事務所であるアミューズの国際部だけがあまり顔を出さなかったように思う。
アミューズだけが何故かワシを相手にしてくれなかったのである。

そんな風だからワシは
アミューズに所属しながら、爆風のレコード会社であるSONYではなく、
言わばライバル会社と言ってもよいであろうホリプロからソロアルバムを出すこととなり、
結果ワシの夢は叶い、「亜洲鼓魂」は日本と中国で発売され、
そのまま華僑ネットワークでアジア中の国々にライセンス(か海賊版か知らんが)された。

その後、そのアルバムで歌を歌ってもらった新人歌手、
「李慧珍(リー・ホイチェン)」のデビューアルバムをプロデュースし、
彼女は結果的にホリプロ中国三人娘より先に成功し、
いろんな新人賞を始めとしてワシも十大金曲作曲賞を受賞、
それが認められて日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞した。

その受賞パーティーを
所属会社であるアミューズではなくホリプロ仕切りで開催するのも変な話であるが、
そのパーティーの席で堀さんはスピーチでこう言ってウケをとった。

「もうアジアはこりごりですよぉ。みなさんもういい加減にやめましょうよ。
結局得した人はファンキー末吉ぐらいなもんなんですから」

そして堀さんの言う通りそのままアジアブームは収束を向かえ、
全ての音楽系企業は中国から撤退した。
JVCも、ポニーキャニオンも、アミューズも、そしてホリプロも・・・

あの時アジア、アジアと声高に言ってた人は、
熱病がさめたかの如く本業に戻り、もしくは今度は韓国ブームに踊らされ、
ワシだけがこうして今、北京で暮らしている。

ワシは本当に得をしたのか?

こちらに来て徒然に考えてみた。
「何でワシはこれほどまで中国が好きやったんやろう・・・」

確かに「友人のためなら人をも殺す」と言う北京人気質は大きい。
中国ロックも大きな感銘を受けたし、
食文化をはじめ、ここの生活や風土(極寒の冬を除く)も大好きである。

ワシは死ぬならここ、北京で死にたいと思っている。
いや、そう心に決めている。

なんで?・・・

BEYONDの黄家駒が死んだりして、
まあ年をとるといろいろ考えたりもするんだけども、
思うにまあ人間生きてるうちに出来ることってそんなにないのよね。

いろんな夢見て挫折して、またいろんな夢みて、それでも結構叶って来た。
レコードデビューも出来たし、挙句の果てに個人名義のソロアルバムまで出してもらった。
ドラマーの夢である自分モデルのスティックまでPearlさんに作ってもらっている。
あの程度だが金持ちになったこともあるし、美人女優と浮名を流したこともある。

でもある時、自分の若い頃の夢を思い出した。

当時の四国の片田舎ではレコード店には演歌と歌謡曲しかなく、
探して探してロックやJazzのレコードを手に入れた。

そこで聞いた数々の音楽、それはワシにとってかなりの衝撃だった。
「この人たちは人間ではない」
そんな神様にワシはなりたかった。

本当はJazzピアニストになりたかったが、
選んだ楽器と言うか楽器に選ばれたと言うか、
手の小さいワシは縁あってスティック握ってドラムを叩いている。

ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってロックをやるか、
でも縁あって東京に行ってバンドをやり、
親の功徳か前世の成就か、
はてまた死んだ姉の霊的加護のおかげか何故かあのような成功を収めることが出来、
しかしひとつの成功はまたひとつの苦悩を生む。

まあ今思えばあの成功はワシには分不相応に大きすぎたのと、
あと、ちょっとだけ種類が違っていた。

テレビなんかでアイドル達とご一緒させてもらうと思うけど、
やっぱあの人たち・・・凄い!
歌手の人たちもやっぱ・・・凄い!

こっちでまたプロデュースするハメになった新人の女の子も、
やっぱインタビューした時に言うとった。

「私もいつかあんな風に大勢の人の前で歌ってテレビにも出て、
みんなに知られてて、愛されてて、そんな大きな歌手になりたい」

みんな凄いわぁ・・・
ワシ・・・悪いけど一度もそんな大それた夢みたことない・・・
恥ずかしいわぁ・・・あんなプロ達と一緒にテレビなんか出て・・・

顔も売れるから人にサインを求められたりもする。
「爆風の人ですか。ファンなんです。サイン下さい」
サインしながら時々こう聞かれる。
「あのう・・・爆風の何やってる人でしたっけ・・・」
そんな時は時々黙って「パッパラー河合」と書いたりする。

ワシはやっぱ日本にいると永遠に「爆風の人」である。
ところが北京ではワシはただ「ドラムのうまい人」である。

ワシは別に街歩いてて振り返られる有名人になりたくて東京出て行ったわけではない。
ワシはただ・・・あの時聞いたレコードの中の・・・あんな・・・
神様になりたかった・・・

まあ今だに神様からは程遠いが、
ワシはここにいれば「ドラマー」として生きられるのでここにいる。
ここはワシにとってほんの少しだけまだその頃の夢に近いのである。

そしてそのスタートとなったのが
アジア会がきっかけとなって生まれた「亜洲鼓魂」なのである。

若いミュージシャンと初めて仕事をする時に、
「高校の頃あのアルバムを聞いた」と言われることが多い。
あのアルバムは中国の今のワシには非常に大きな地盤となっているのである。
だから堀さんが北京に来ると聞いたからどうしても会ってお礼が言いたかった。

「堀さん、あのアルバム出してくれてありがとう。
あれがあるから今のファンキー末吉があります」

夕べは堀さんと、李慧珍(リー・ホイチェン)、
そしてホリプロ3人娘としてデビューしたダイヤオも来てて懐かしかった。
あれから10年近く会ってないのである。

なにせこのワシの最近の生活である。
若い娘と話をすること自体が久しぶりなのでそれだけでも感激しているのに、
懐かしい上にまたふたりともしばらく会わない間に美人になって、
そしてやっぱ現役の歌手なので何より華があるね。

李慧珍(リー・ホイチェン)なんか初めて会った時はまだ18歳とかそのぐらいだった。
アルバムのレコーディングの時に20歳の誕生日を祝ってあげた記憶があるから、
・・・もう三十路?・・・
ダイヤオは確か・・・彼女より年上?・・・

見えんのう・・・

会社が撤退して堀さんがその後の彼女たちを非常に心配してたけど、
大丈夫、彼女たちは十分たくましい。
ホリプロは確かに金銭的には損をしたのかも知れないが、
でもそのおかげで今、彼女たちがいるし、そして何よりも今もまだ歌を歌っている。
これは素晴らしいことだと思う。

ついでに今のワシもいるし、今もドラム叩いている。
(小さいフォントで書いたつもり)

確かに10年前のアジアブームで、
中国で損した人の話はよく聞くがあまり儲けた人の話は聞かない。
2008年オリンピックが近づいたら、また日本が中国ブームに沸いたりするんだろうか。
そして加熱するだけ過熱したらまた何事もなかったかのようにブームが去り、
残された人の中で儲けた人もいれば、また損した人もいることだろう。

でも得をすると言うことは何も銭金のことだけではない。
ワシはそりゃ中国のおかげでひと財産潰したが、でもおかげで今の生活を得た。

うん、ワシは確かに一番得したかも知れん・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:37

2004年11月11日

零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!

前回の来日は長かったぁ・・・

2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・

ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。

まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。

「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・

この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・

まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」

ひぇーーー

「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」

ひぇーーーひぇーー

んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・

「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。

「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。

「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、