
2022年12月18日
急激なゼロコロナ緩和で混乱の北京へ
人にもよく言われるが、私はどちらかと言うと運がいい方だと思う。
9月末にツアーが終了して、メンバーはそのまま銀川に帰ったのだが、私はレコーディング仕事があったのでそのまま北京に行った。
そしたら運のいいことに銀川市がロックダウン。
銀川には帰れないのでそのまま1ヶ月半ほど北京に滞在していたら、今後は北京がどんどん危なくなって来た。
銀川の方がまだマシとばかり北京をあとにした瞬間に、全ての北京市民は毎日のP C R検査が義務付けられ、検査結果が健康アプリに反映されてQ Rコードが緑色でなければ、商店や施設、タクシーにも乗れないという有様である。
銀川はそれほど厳しくなく、外地から帰って来た人は3日間のうちに2回P C R検査を受ければその後は健康アプリのQ Rコードは緑色のままで、それを施設入口のリーダーにかざせばどこにでも自由に出入りすることが出来る。
帰って来てから半月ほどは平和に過ごしていたのだが、11月25日にいきなり都市封鎖の通達が来た。
これは銀川の感染者数というより中国全土の感染者数がこれまでになく増えたことにより、地方政府もそれぞれに危機感を高めたためではないかと思う。
人生6度目の隔離(>_<)
銀川もついに都市封鎖!(◎_◎;) たかだか数十人の感染者で200万人以上の自由を奪うなんて凄いわぁ〜(>_<) 隔離は人生5度目だけどロックダウンは初めて!!デリバリーも出来んなるん?!(◎_◎;) 口コミで連絡来たので酒とか肉とか買いこんだ〜5日間と言うから飲んだくれますか〜(笑) って上海は4日と言われながら3ヶ月ロックダウンされたからのう〜 ((((;゚Д゚)))))))
末吉覚さんの投稿 2022年11月24日木曜日
隔離最終日〜(の予定なのぢゃがどうなることやら) マイナス13度の霜降る中、毎日のおつとめ敷地内PCR検査に凍えながら並ぶ〜 外国人はアプリが対応してないから手入力で時間かかるのよね〜後ろの人怒らんといてや〜ほんま怒りたいのはお互い様なんやから(>_<)
末吉覚さんの投稿 2022年11月28日月曜日
キタキタキターーーー!!! 最初の通知では11月29日までと書かれてるやろ〜今日は30日なのに何の通知もなく隔離は続く〜(涙) 食料はゲットしたからええけど酒が足りんのう・・・ 12月からのツアーも必然的に延期(涙)無職状態は続く(>_<)
末吉覚さんの投稿 2022年11月29日火曜日
今回のロックダウンは「ソフトロックダウン」程度のもので、飲食の店はデリバリー以外は営業禁止。私の住むマンション群は出入り禁止だが、そうでもなく自由に出入り出来る地区もあり、どうやらマンション群の社区と呼ばれる自治体に判断を任されているようだ。
ところが隔離中の11月24日に、新疆ウィグル地区の火災で死亡者が出て、それが防疫用柵で消防隊の到着遅れたためではないかということで、全国でゼロコロナ政策に反対する抗議活動が起きた。
私などは「第二の天安門事件に発展するかも」と心配していたのだが、拍子抜けのように政府はゼロコロナ政策を大幅に緩和することを発表した。2022年12月7日のことである。
これを受けて銀川では、スーパーや商業施設に入るための48時間以内の陰性証明の提示が不必要となった。
当然隔離もなし崩しになくなった・・・。
そんな頃である。北京でレコーディングの話が来た。
いや、話はだいぶ前からあったのだが、ゼロコロナ政策による厳しい行動制限や、外地からの流入規制、そして都会よりいつも1テンポ遅れて対策が変わるこの銀川に、北京から帰って来てちゃんと入れるのかという心配があったので「今は北京には行けない」と言うしかなかったのだ。
ところがこの12月7日の規制緩和の発表に続いて、中国で省を跨ぐ移動の際の陰性証明の提示が撤廃された。
これはコロナ禍で長くツアーを廻っていた私に取ってはとても嬉しいニュースである。
実はI T大国の中国で、便利に思えるそのアプリの数々、特に省ごとに違う健康アプリのほとんどは外国人には対応していないのだ。
ところが北京に住む友人の話によると、規制が緩和されたと言っても、飲食店などに入るためには48時間以内の陰性証明が必要で、ところが規制緩和に伴ってP C R検査場を次々と閉鎖しているので、今度はちゃんと検査を受けられる検査場を探すのが大変。特に私たち外国人にとっては外国人に対応していないP C R検査場というのもあるから更に大変である。
こんな笑い話も伝わって来る。
「陰性証明が必要なんだけどどこにも検査やってないじゃない」
「検査なら病院行ってやれ」
「その病院に入るのに陰性証明が必要なんだよ!!」
銀川のような逆に対応の遅い地方都市はまだよいが、北京など大都市では急激な政策転換によってかなりの混乱が起こっているようだ。
そんな大混乱の中、12月9日に北京行きが決まった。出発の頃には北京で爆発的に感染者数が増えているという噂も聞くが、銀川の友人たちなんかは
「お、いいじゃん!!帰って来たらメシ食おう」
と笑う。
感染したらメシどころじゃないのに何を言ってるんだろう、とその時にはわからなかったが後にそれがわかることとなる。
さて、そうなると心配なのはP C R検査である。北京の友人夫婦は、久しぶりに私と飲むことを楽しみにしてP C R検査を受けているのだが、毎日検査しても結果が全然反映されず、結局8日間検査を受けてないことになっており、飲食店どころかどこの施設にも入れないのだ。
北京で陰性証明をゲットするのは難しいだろうと思い、私は出発前に銀川でP C R検査をすることにした。
噂通りP C R検査場が減って来ているので長蛇の列である。
検査は今までは無料だったのだが、今回から有料になっていた。3.5元と言えば円安とは言え70円程度である。安い!!
10人分の検体を1つの試験管にまとめる方式の検査である。
結果はだいたい半日後には出る。夜汽車に乗って朝着く頃には検査結果がアプリに反映されていることだろう。
外国人はQ Rコードを読み取るだけではダメで、そこから手打ちにパスポート情報などを入力するのだが、スペルなどちょっと間違えただけで結果は反映されない。
私も実際それでP C R検査を受けているのに反映されずにQ Rコードが黄色になって困ったことがあったが、この検査場はいつも必ず反映されるので安心なのである。
さて、いつものように夜汽車に乗ったらすぐ寝られるようにガンガンに酒を飲んで銀川駅へ〜
これまでは厳重な健康アプリや行動アプリのチェックがあったのだが、それらが全くなくなり何もチェックされなかった。
北京に着いた。地図アプリを開いたら見慣れない赤いものがたくさんある。
「疫情高风险」つまりここには感染者がいるから大変だよ、という意味である。
北京に着いてからも全く何のチェックもなく、昔検査場だった場所に看板だけがまだ撤去されずに残っていた。
そこからは地下鉄に乗り換えるのだが、見ればきっと同じ列車に乗って来たのだろう、防護服を来ている親子連れらしき乗客もいた。
きっと感染爆発と言われている北京に行くのに、娘だけは感染させないようにという親心なのだろう。
「コロナは怖い病気だよ」と宣伝してゼロコロナ政策をやっていた政府は、いきなり「オミクロン株は全く怖くない」と言い始めた。人民は自分の身は自分で守るしかない。全国の薬屋から解熱剤などの風邪薬が全て売り切れたという噂である。
地下鉄も、一時期はガラガラだったと聞いたがそうでもなくそこそこの乗客がいた。
レコーディングまでには時間があるのでスタバにコーヒーを飲みに行ったら陰性証明の提出を求められた。
それから、知り合いの中国人がやっている日本料理屋に行ったのだが、そこはホテルの中の施設という厳格なはずの場所なのに、そこでは陰性証明の提出は必要ではなく、Q Rコードをスキャンして「この場所に来た」という足跡を残すのみであった。きっと規制緩和を受けての対応が店によって違うのだろう。
日本語が上手なママさんは病気で出勤してないということだが、来たことを告げると喜んでメッセージを送って来た。
「実はコロナにかかってしまったんです」
と泣いている。
ママさんはガンの闘病生活もしており、そこにコロナは大変だろう。
「もうね、家とスーパーマーケットだけしか行ってなかったのに感染しちゃうなんて、なんて酷い国なの!!」
と怒っているが、ママさん・・・ここはあなたの国です・・・(笑)
しばらくメッセージでやり取りをした後スタジオへ。
出迎えてくれたのはドラムをレコーディングする歌手本人とエンジニアの二人。手にはアルコール噴霧器を持っていて、握手の度に消毒したり、決してマスクを外さなかったり、とてもコロナを恐れているように見えて緊張したが、理由は他にあったことが後に判明する。
香港のAlex Toという有名歌手のレコーディングやった〜 若く見えるけど実は同じ世代らしく、古いソウルやディスコの音を求めてらっしゃったので、スネアに紙を貼ってみたり、タムを全部外してみたり、色々遊びながら試してみて楽しかった〜
末吉覚さんの投稿 2022年12月10日土曜日
レコーディングは順調で、5時には全ての作業を終えて「飲みに行こう」ということになった。歌手も一緒に行くのかと思ったら「帰る」と言うので、結局エンジニアと二人で深酒をすることとなる。場所は日本居酒屋だったのだがそこでも陰性証明の提出は必要ではなく、Q Rコードをスキャンして足跡を残すのみであった。
前述の友人ご夫婦も招待しようと連絡したらショッキングな事実を伝えられた。
私と一緒に飲むのを楽しみにして、そのために飲み屋に入るためにP C R検査を受けて、結果が出ないので毎日毎日検査を受け続けていたのだが、先日出た結果が「陽性」。厳密には「ひとつの試験管で検査した十人の中に陽性者がいた」というもので、彼ら自身が陽性なのかどうかはわからない。
そもそも10人がひとつの試験管で検査するなんて、まるで毎日ロシアンルーレットをやっているようなものである。
せめてもの救いが、昔なら有無を言わさず収容所のような隔離施設に送られるのだが、今は緩和されて自宅で自主隔離となっているようだ。
エンジニアと盛り上がって飲んでいる時にまたショッキングな事実を聞いた。
「歌手が一緒に飲めなくてすみませんと謝ってましたよ。実は彼も陽性で」
って陽性なのにスタジオ来てたの?・・・というより一瞬でそこまで緩くなったということか・・・
そして彼自身も私にショッキングなことを言った。
「実は妻も陽性で家で寝てるんです」
って私は今陽性者と同居している男とマスクを外して酒を飲んでいるの?!!
あれだけ幻覚だった中国のゼロコロナ政策が、一瞬のうちにここまで緩くなっているのが信じられない。
酔いも覚めてしまったので帰ろうと、院子の同居人に連絡を取る。
院子というのは中国伝統的な長屋式住居で、ひとつの庭(院子)を囲むように3方もしくは4方の建物が建っており、院子を共有してそれぞれの棟は独立して緩い共同生活を営むという、友人と暮らすなら願ってもない生活環境である。
今は北京市内にはこういう伝統的住居は無くなって全て高層マンションになってしまったが、辺鄙な場所にはまだ残っていて、私の院子も市内から30kmほど離れた辺鄙な村の中にある。
ところが同居人が言うには、その村にはタクシーの乗り入れも出来なければ、この村の住人である証明書(出入証)がなければ入ることが出来ないと言うのだ。
もう緩いのか厳しいのかわからないゼロコロナ政策緩和!!あるところではとてつもなく厳しく、あるところではとてつもなく緩い・・・
その日は友人宅に泊まらせて頂いて、翌朝冷静になって考えてみて怖くなった。
例えマスクをしてたとしても感染者と一日スタジオで一緒にいて、その後感染者の同居人と一緒にマスクを外して酒を飲んでた私は、普通で考えると当然感染しているのでは?・・・
少なくとも濃厚接触者であることだけは確かである。ちょっと昔ならこれだけで隔離施設行きである。
私はもう既に6回隔離されていて、病気より何より隔離が怖い。
あともし感染してたとしたら、今度は人に感染してしまうのが怖い。特に一緒にバンドをやっているメンバーにである。
ちょうどバンドのグループチャットでは感染について色々面白おかしいやり取りがされていた。
北京のスタッフに対して、「北京は大変なの?じゃあなんか菌がついてるの郵送してよ」
とか何の冗談なのかよくわからない。
私だけ大真面目に昨日のレコーディングの話をして、「このまま北京に滞在して様子を見ようか?」と提案してみる。
ところがシリアスになっている私をよそに「イエィ!!」と盛り上がっている。
「Funky早く帰って来て感染してよ」とか「Funkyは僕らの救世主だ」とか訳がわからない。
こちらはとりあえず銀川に帰ったら1週間ぐらいは自主隔離かなと思っていたのに、「じゃあ火曜日のリハが終わったらみんなでFunky囲んでメシ行くからな!!」と大盛り上がり・・・
過去のチャット履歴を見ると、どうやらどこかのバンドのメンバーが感染してツアーが中止になったらしい。
布衣楽隊の冬のツアーは本来ならもう始まっている予定だったが、先月のゼロコロナ政策による締め付けのため来年1月からに延期になった。
だからこの12月の間に出来ればメンバー全員感染しておきたいのだ。
「コロナは一度感染すると半年はもう感染しない」という医者の発言がネットで出回っている。
もう一体何を信じていいのやらわからない(>_<)
銀川に帰り着いて、私はまだ感染しているのかどうかはわからない。
P C R検査を受ければもっと色んなめんどくさいことが起きるだろうから怖くて受けられないのだ。
もう今ではP C R検査を受けなくてもこの国で生きてゆける。
省を跨ぐ移動も何の障害もなく出来る。このような無症状の感染者が平気で中国じゅうを飛び回っているという事例はきっともっともっとたくさんあるのだ。
なのに政府発表による中国のコロナ感染者の数は減ってゆく一方である。
もう誰もP C R検査を受けないのに、一体何を根拠にこの数字を出しているのか?
そのうち中国政府はこう発表するかも知れない。
「我が国の偉大なるゼロコロナ政策を大成功を収め、ついにこの国ではひとりのコロナ患者もいなくなりました!!」
上に政策あれば下に対策あり。
この国の人民は政府の発表に翻弄されながらも逞しく「自分の身は自分で守って」生きてゆくのだ。
銀川に戻ったその日、政府は「行動アプリ」の撤廃を発表した。
これまで、過去1週間(ちょっと前までは2週間だった)に行った都市の一覧が出るアプリである。仲間内は大喜びでこのニュースを拡散した。
しかしだからと言ってこの国の国民の行動の監視が緩まるわけではない。
「コロナに関して」ということだけであることに間違いはなかろう。
ゼロコロナ緩和・・・まだまだ混乱は続きそうだが、このまま上手く着地して収束してくれることを願うのみである。
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2021年8月13日
教え子・・・
泉くんというドラマーがいる・・・
もう30年近く前になるだろうか、アメリカのバークリー音楽学院を卒業して、「日本に帰るのもなんかなぁ〜」ということで北京に来て、その後北京現代音楽学院の先生をやりながらJazz活動などをやっている。
当時は音楽学院と言うとクラシックを教える学校がほとんどで、ロック、Jazz、ポップスなどを教えるところは本当に少なかったので、今になってみると、中国の音楽界で活躍しているドラマーはそのほとんどそこで泉くんに教わったということになる。
先日のドラムフェスティバルで会ったドラマーも
「俺は泉先生の生徒だよ、こいつも。まあ中国のほとんどのドラマーはそうだよ」
などと言っていた(笑)
こいつら
それはそれで凄い話なのであるが、私はと言うと、「誰に師事した」というのもなく、まあ心の師匠としては村上ポン太さんなどがいることはいるが、実際ドラムを教わったこともない・・・
まあどんな楽器もそうなのであろうが、ドラムもある程度の技術を持つと、あとは生き様というか、なんかもっと別のものが大切なような気がしている・・・
中国では「ドラムを教えて下さい」とやって来る若者がたくさんいた。
(こんなヤツもいた)
(こんなヤツも)
もう最近では「じゃあ1年俺と一緒に生活しろ!!」と言う(笑)
「包丁一本サラシに巻いて〜」という歌があるが、その昔日本の料理人の世界でも、弟子入りして数年は包丁も握らせてもらえないという話があった。
毎日毎日皿洗いをしながら師匠の仕事を見る。
「ああ包丁を握りたい」と思っても「まだ早い!!」と言って怒鳴られる。
数年経って、「もういいだろう」になった頃、スポンジに水が染み込むように教えが浸透してゆくという話だ。
ドラムだって同じだと思うぞ・・・
「俺のドラムを学びたかったら、まず俺の生き様を見ろ!!それがロックだ!!」
などと言って突き放す(笑)
実際それについて来た人間というのは、実はドラマーではなくキーボードの張張(Zhang Zhang)!!
「僕の全てはFunkyさんから教わったんです」
と言うが、さもありなん、出会った時はコード3つしか知らなかったんだから「全てを教えた」と言っても過言ではあるまい(笑)
まあ自分自身が人から教わったことがないわけだから、「人に教える」ということは、私にとってはそれはそれは大変なことである。
「クリニック」と言って呼ばれるものは、「1日だけ」教えるわけで、必然的に「生き様」など教えられるわけもなく、「上っ面のテクニック」だけを教えて帰ることとなる。
まあ呼ぶ方もそれで満足なのだから別に問題ない(笑)。
こちらもそこに誰がいたのか覚えていて、その生徒の将来を案じて・・・とかも全然ない(笑)。
そうでない場合はと言うと・・・北朝鮮でロックを教えるプロジェクト!!
彼女たちはこの私の「ロックの愛弟子」だと思ってるし、最後に教えた一平(イルピョン)などは、「Funkyさんは私の最初のドラムの先生です」と言っていたのでやっぱ「教え子」である(笑)
朝鮮総連のイベントに出演して、平壌に行く団体があると言うことで、ファンキー末吉モデルのスティックを彼に渡してもらうように、ステージ上からそれを託した時に、
「会いたい人に自由に会いにも行けない世の中にしたのは私たち大人です。あの子たちにそんな世の中を変えてもらいたい」
とスピーチしながら泣いた・・・
「日本人は悪い人ばかりだ」と教わって育った彼らに、「敵国の音楽」である「ロック」を教えた・・・
短い時間ではあったが、そのこと自体が「ロック」であり、「生き様」を教えたことであると思っている。
今はドラムを叩いてないかも知れない。
でもどこかに私と共有した時間を覚えていて、それを抱きながら「世界をもっとよくしよう」と頑張って生きているのだとしたら、それこそ紛れもない「私の教え子」である!!(涙)
まあ北朝鮮にはいたとしても、この中国にはなぁ・・・と思ったらいた!(◎_◎;)
これはある大学生から布衣に宛てたファンレターである。
そこには大体こんなことが書かれている。
「自分は大学生で、今バンドをやってます。
実は自分は山東省临沂の出身で、2010年ぐらいにFunkyさんが地元の大劇場で演奏するのを見ました。
(注釈:これか?)
その頃自分はまだ8歳だったので、わけもわからずそれを見てましたが、Funkyさんの爆発力に震撼させられ、わぁ〜ドラムってこういう風に叩くんだ〜と思いました。
その後頑張ってドラムを練習してましたが、16歳の頃、学業とのプレッシャーで続けることが難しくなって来ました。
ところがある日、ひょんなことからFunkyさんのドキュメント映像を見て、電気に打たれたようなショックを受けました。
それからFunkyさんの映像を探しては見たりしてたのですが、自分が一番感激したのはFunkyさんの生き様です。
あの時、何もわからない小学生の子供だった私が、あの日もう一度スティックを手にしてドラムの前に座りました。
思えばあの10数年前のFunkyさんの演奏、あれが私のロックの扉を開いたんだと思います」
おったんやなぁ・・・シミジミ
似たような話で彼女!!
彼女も小さい頃、青島の私のクリニックに参加してたらしい!(◎_◎;)
その時の様子・・・
その後打楽器奏者への道を歩み、今では世界の色んな賞を受賞してミュンヘン音楽学院への留学が決まっているという・・・
もうね、彼女の演奏が凄いのよ〜・・・
もうね、スネアという楽器だけ取るとワシより断然上手い!!(>_<)
彼女のプレイから「ロック」を感じるのは私の贔屓目?・・・
お父さん曰く、「小さい頃に貴方の演奏を見たのは大きく影響してるだろう」とのこと・・・
彼女からこんなメッセージが送られて来た・・・
「先生、私はあなたのことが大好きです!!!!ずーっとあなたを尊敬してます。
当時私を認めてくれて励ましてくれてありがとう御座います。
これからもあなたから学び続けます!!!」
ってあーたドラムセットは別にして、打楽器奏者としてはもうワシからなんぞ学ぶことなんかないやろ!!(笑)
そう言えば彼女もやっぱ私の色んなドラム映像を見まくっているようじゃのう・・・
ネット社会の新しい影響力やな・・・
まあどこで誰に撮られてアップされてるかわからん世の中やから、毎回毎回悔いが残らんように叩いとかないかんのう・・・(>_<)
また先日の河南省開封での美女!!
一番前のど真ん中に陣取ってワシばっか見て、ワシにばっか質問!(◎_◎;)
ワシが男前やからと思ったらそうでもないらしい(笑)
「ドラムのチューニングについて教えて欲しい」
と言うのでLaoWuが「じゃあリハ時間に会場おいでよ」ということでちょっとしたクリニック・・・
そして彼女はこの夏休み、わざわざ銀川までやって来て2日間私のクリニックを受講した!(◎_◎;)
その時に聞いたのだ、彼女も実は小さい頃唐山のクリニックに来てたと・・・
このブログの中でも書いているが、ここのドラム教室の先生もこの時の北京でのクリニックを見に来ていたらしい・・・
そんな連鎖の中で今も私はこの活動を続けている・・・
大事なことは「今もやり続けている」ということである。
もしやり続けていなかったら、冒頭の若者は「ロックの扉」をこじ開けられて(笑)再びスティックを持つことはなかったかも知れない・・・
(その方が貧乏ロッカーより幸せか?笑)
全中国を廻る活動は2008年からだが、大きい会場では1000人以上入ってたわけだから、100本廻ったとしたら、少なく見積もっても数万人の子供ドラマーが私のドラムを見ている・・・
その多くはきっと受験戦争とかでドラムをやめてしまってるだろうが、何人かはまたスティックを手にして、私から受け取った「爆発的な感情」を胸に抱いて新しい人生を生きているのかも知れない・・・
1回その土地に行ってドラムを叩いたからと言って「教えられること」なんかほとんどない。
上っ面のテクニックとかじゃなくて、何らかのこの男の「生き様」を感じ取ってくれさえすれば、それが私の一番「教えたい」ことである。
「教え子」と呼べる人間はほとんどいないが、
でもその「生き様」がその子の人生を大きく変えたのだとしたら、それはそれで立派な「教え子」なのではないか・・・
多くの教え子達に恥ずかしくない人生を送らないかんのう・・・
そんなことを思う今日この頃であった・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:27 | 固定リンク
2019年12月25日
個性の塊!!才能の宝庫!!
前回のこの修羅場の仕事の前にこのバックの仕事は決まっていた。
「Funkyさん〜曲数が多くて大変な仕事なんだけどひとつ頼むよ!!」
そう言ってLaoLuanから頼まれていた。
どんなイベントなのかはその時には聞いてない。
まあどんなイベントであろうがやることは同じ、
曲をもらって、それをライブアレンジにアレンジして、バックバンドのメンバーに指示してそれを完璧に仕上げる・・・それだけである。
と言いつつ、例によって中国!!曲が出て来たのはイベントの1週間前!!(>_<)
中国あるある〜である。
私は自身はいつも前日にやるのでいいのだが、他のミュージシャン、特にピアノの弾き方やギターの弾き方まで完璧にコピーしなければならないギタリストやキーボーディストは大変である。
早く譜面を書いて渡して上げなければそれだけ演奏の質が下がってしまうということになる。
かと言って私はこの修羅場をまだやっているわけだから譜面を書く時間なんてない(>_<)
ということでネットで譜面書いてくれる人を募集した。
手を挙げてくれた高橋亜土さん、やり始めて気付く、
「これ1曲に1時間かかったとして、26曲だと26時間かかるじゃないですか!!」
つまり他の仕事をやりながら1日数時間ずつやってたのではリハーサルにも間に合わないということになる・・・
困った時のよーしーずということで渋谷有希子にも応援を頼み、二人が徹夜して1日で全部書いてくれた!(◎_◎;)
いや〜大助かり!!、譜面がなくって100回聞くより、譜面を見ながら数回聞く方が数段頭に入りやすい。
「みんな各自コピーしといてね」という現場もあるが、それは各人にこの20数時間の労働を強いているわけだし、それぞれがコードなどを間違って採ってたりすると、それこそリハでぐちゃぐちゃになって能率が悪い。
やはりバンマス(バンドリーダーの意)が「これで!!」と大きな指針を提示することが大事なのである。
つまり、この「譜面起こし」でバンマスの仕事のほとんどは終わっているというわけだ。
こちらの修羅場が終わったら、全曲聞いて、コードが間違ってないかチェック!!
間違えてる部分はメンバー全員にそれを通達する。
ストリングスやギターの大事なフレーズなどはここで注意書きとして送っておく。
その通達には、中国ではWeChatというアプリを使う。
というか、リハーサル場所の共有やファイルの共有、更にはギャラの振り込みまで、中国ではこのアプリを持ってないと仕事が出来ないというぐらいである。
「バンマス仕事」をやりながら、「ドラマー」としてドラムのコピーもせねばならん。
ドラムが入ってなかったり、エレドラだけであっても、一応そのフレーズはコピーして譜面に書き込んでおく。
レコーディングの場合はこのエレドラの音色にこだわってこのように完成したとしても、生演奏の場合は生ドラムで叩いた方がライブ効果としてよかったりするからである。
特殊な音色や世界観など、プログラムを走らせないと無理な楽曲も多く、それぞれの歌手に手配をお願いする。
「誰か私の代わりにプログラム走らせるの担当してくれない?」
メンバーグループの中でそう発言してみるが、誰も尻込みして手を挙げてくれない(>_<)
誰もいなければ自分でデータ取り込んでドラムのところから自分でプログラムを操作しなければならない。
(ちなみにX.Y.Z.→Aとかプログラムが少ない現場ではいつもはそうしている)
まあ実質私には時間がないから無理なのである。
誰もいなければ誰か雇わねばと思ってたらキーボーディスト扬乐(YangLe)が手を挙げてくれた。
ちなみにこの作業はキーボーディストがやることが多いが、ラップシンガー爽子(Shuangzi)の場合はベーシストがやってたり、プロデューサーがその操作専門でツアーに同行したりもする。
キーボード奏者を二人にしてもらってて正解!!
結局この扬乐(YangLe)はキーボードを弾かずにプログラム操作に忙殺されることとなる・・・
いざリハーサル!!
メンバーはコーラス以外、扬乐(YangLe)を含めて皆初対面!!
「若手」というにはおっさんばかりだが、私と一緒に一時は中国全ての仕事を一緒にやってた一流プレイヤー達はもう大御所となってしまい、きっとギャラも高くて呼べないのであろう・・・
私を若いミュージシャンと組ませる、その意味は「若手を育てる」ということである。
グループメッセージには
「あの偉大な大先輩と一緒に仕事をさせてもらうんだから一生懸命大先輩の仕事を勉強させて頂きます」
という書き込みがあるぐらいで、私としてはこうなるともうどんな仕事であろうが手は抜けない。
とにかく仕切り、そしてドラムのプレイにはどこをどう切り取っても「完璧」であるしかない。
緊張感漂う中、初日のリハーサルは終了!!
次の日には歌手を招いてリハーサルである。
ここで歌手の意見を取り入れて変更とかあり得るのでフレキシブルに考えておかねばならない。
最初の歌手はLaoLuanとこの歌手で顔見知りなのでさらっと終わったが、
次の歌手は実は採譜するのも大変な電子音楽で、これがまたとびきりの美人なのだが、クールビューティーで全く笑わない((((;゚Д゚)))))))
プログラムデータも送られて来ていたが、やっぱバランスとかも気になるのだろう、カラオケにドラムだけ生で足してということになった。
1曲叩いて聞いてみる。
「こんな感じでいいですか?」
「いいわよ」
クールビューティーは全く笑わない((((;゚Д゚)))))))
次の曲はもらってた音源と違う曲で、結局叩くことは出来ないので、
「これは今日は無理なので当日出来るようにしときますから」
「いいわよ」
また全く笑わない((((;゚Д゚)))))))
見れば他の歌手はマネージャーや付き人などがついて来てるのに彼女はひとり。
データが違ってたりしていると自分でパソコンを開いてデータを送る。
こいつ・・・全部自分でこれだけの音楽を作っとるのか!(◎_◎;)
美人なのに美人なのに・・・(涙)
↑(自分で言っててあまり意味がわかりません(笑))
このクールビューティー、私とは結局ひとこと、
「你的头发很酷!!(あなたの髪型かっこいいわねぇ)」
というのを交わしただけであるが、それでも笑顔を見せない。
いや、怒っててこんな会話にはならないわけだから、彼女にとってはその時は精一杯の笑顔だったのかもわからないが、きっと「破顔一笑」というのは出来ない人なのかも知れない・・・
そこから入れ替わり立ち替わり歌手がやって来てリハーサル終了!!
ラグタイムあり、ブルースあり、スウィングJazzあり、民族音楽から民謡、テクノにブルーグラスまで何と多彩な歌手たちの集まりであろう・・・
どんなイベントなんだろう・・・興味が湧いて来る・・・
ライブ当日、私は前日に東京でX.Y.Z.→Aのライブがあったので、
そのライブの終了後そのまま羽田に行って3時の飛行機に乗り、6時に北京着、そのまま会場に入った。
どうやらこのイベントは中国最大のIT関連会社テンセント主催。
この会社は中国最大のSNS「WeChat」と共に、中国最大の音楽配信サイト「QQ」も運営している。
(このブログ記事「今や中国の著作権ビジネスは日本より進んでいる?!」に出て来る音楽配信サイト)
つまり今日のこの出演者達はこのサイトで音楽配信をやっているアーティストなのだろう・・・
演目は3部に分かれていて、バンドを連れて来る人、カラオケで歌う人もいるが、半数以上は私がバンマスを務めるこのバンドが演奏することになる。
出演順に記憶を辿ってレポートしてみよう・・・
1、许均:バンドを連れて来たのでこちらの演奏なし、中国ロック
2、鹿京周:中国では珍しいラグタイムブルース(大村はんがやっているようなジャンル)と典型的なブルーグラスの楽曲を歌った。ギターを弾きながら歌う歌手だが、プログラムを走らせる曲なのに勝手に弾き始めて、結局プログラムなしで演奏(>_<)
<こんな曲>
鹿京周-芭提雅
3、林侧:アコギを使った不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
清晨幻想曲-林侧
4、张羿凡:叙情的なポップスを歌う
<こんな曲>
环岛之旅-张羿凡
5、何小河:浮遊感漂う不思議なポップスを歌う
<こんな曲>
天尽头 - 何小河Doris
6、张浅潜:しわがれたロックな声で歌うシンガーソングライター、かなり古い歌手で、20年近く前から名前は聞いていたが残念ながらこの日歌った曲の音源は見つからず・・・
7、张楚:この日のイベントのハイライト!!私が90年に最初に北京に行った時に私を黒豹のライブに連れて行ったパンクスである。
次の日にこの曲を
「中国人は蟻だ!!大きな足で踏み潰される」
と言ってホテルの部屋で歌ってくれた。
「マイマイマイマイ」のサビが最後の方になると「マビマビマビマビニママディビ」、つまり「Fuck Your Mother!」になると聞いて、「よしお前の歌を俺が街中で歌ってやろう!!どこで歌って欲しい?」と聞くと彼はこう言った。
「Tian An Men Square」
かくして彼の見守る中、ギターを持って天安門広場に立った私は、密告おばさんとかに囲まれて怖くて歌えず、「お前らはこんな中でロックをやってるのか!!」と激高して今があるというまさにその曲である。
今の時代、パンクになって「Fuck Your Mother!」になることもなく普通にこの曲を歌って終わった(笑)
さてここでちょっと休憩が入り、私は楽屋でバンドメンバーに説教をすることとなる。
そもそもが、今日の本番に向けてLaoLuanがみんなに激を飛ばしている。
「みんな、Funkyさんをよく見て、決してミスをしないように!!」
LaoLuanにとって私は「絶対に間違わない人」・・・
いや、私だって人間だからやっぱ間違ったりもする。
ここまでの演奏だって、リム叩くところスネア叩いたり、小さな間違いだったらちょっとは合った。
でも人にはわからない。
それをうまく処理してミスに聞こえないように叩いている。
「絶対にミスをしない!!」
これを常に目標に掲げているので、少々理想からは下がったとしてもこの程度で済んでいるだけに過ぎないのだ。
それに比べてこいつらと来たら・・・
「ミストーンが多過ぎ!!それにどうしてカウント入れても入らないんだ?聞こえないのか?」
だいたい一番間違うヤツに限って言い訳が多い。
「ドラムまで遠いからカウントが聞こえないんです」
じゃあ見とけよ!!
「私の場所からは見えないんです」
言い訳すんな!!集中しろ!!
まあ次のステージからはコンダクターマイクという、曲席には聞こえないがメンバーにだけ聞こえるようなマイクをドラムの横に置いてそこに向かってカウントを言うことにする。
次のステージ、私のバンドが演奏したものだけ抜粋すると、
10、马梓皓:R&Bシンガー。リハでは自らライブアレンジを仕切って、前半は自分ひとりでギター弾いて歌い、2番からバンドが入るというアレンジになった。
<こんな曲>
马梓皓《已读不回》
11、莫非定律:男女二人組のキーボードとボーカルのユニット。質の高いポップスを歌う。
<こんな曲>
一次性劫难 - 莫非定律More Feel
12、宋黛霆:Jazz歌手かなぁ・・・Jazzフィーリングのボサノバの曲でJazzドラマーとして楽しくドラムを叩かせて頂きました。
<こんな曲>
宋黛霆的一首《RawAffections(feat》
13、Tngahook:京劇風のサウンドで、中国ならではの日本人にとっては全く新しいサウンド。電子ドラムの部分を生ドラムで叩かせて頂きました。
戏子
14、董晓禾:これもJazz歌手なのであろう、4コードで延々即興のように歌ったり、古い民謡であろう楽曲をオールブルース調のJazzにアレンジして歌ったり、残念ながらアップされている音源は見つからなかった・・・
15、晓月老板:こりゃもう、古い民謡をJazzとかにアレンジして最高!!久しぶりにSwing Jazzを楽しく叩かせて頂きました!!
<こんな曲>
晓月老板-虞美人·听雨
ここでまた休憩が入って、3ステージ目。
18、李文琦:これはレコーディングも私がやったし(その時の逸話はこちら)、まあLaoLuanとこ所属の歌手なので全く気を使わずこんな感じ〜
19、朱婧汐:リハでカラオケに合わせてドラムを叩いたものの、本番はやっぱ「要らんわ」となったのかコーラス隊だけ参加でバンドは参加しなかったので、私はいそいそとこのクールビューティーのライブを袖から見た。
いや〜・・・圧巻やった!!!(◎_◎;)・・・客席に向かっても全く笑わん(笑)
他の歌手は少なくとも観客とコミュニケーションを取る。
笑顔を振りまくまではいかなくても、何らかの方法で客席と一体化を図ろうとするのだが・・・
この歌手はまるで「私の歌を聞きなさい!!それだけでいいから」と言わんばかり・・・
つまり一切の「媚び」がないのだ((((;゚Д゚)))))))
特に圧巻だったのはこの曲!!
Intelligent高级智能
曲のテーマとなるリズムリフは、ともすれば2拍ずれてるように取れるリフで、
ご丁寧に頭に2拍フレーズを入れてもっとわからなくしているだけでなく、
歌もちょうど2拍待ってから歌うのでどこが頭か一瞬わからなくなる・・・
よーしーず、2/4を入れずによく譜面にした!!
それにしてもこの娘・・・ほんまにこのオケを自分で打ち込んで作ったのか?!(◎_◎;)
電子音楽系の仕事が来たら彼女に発注したいわ!!(笑)
私も仕事で時々このようなスタイルのアレンジをするが、
これはとにかく時間がかかるのだ・・・
「音色」こそが命なので、例えばドラムの音色ひとつ決めるのに数時間かかる・・・
イメージに合ったシンセの音色を、コンピュータの中の何万という音色から探し当てるのに、ヘタしたら一晩徹夜することだってあるぐらいだ。
それをこの美女がやっているのだとするとそれこそが物凄い!!
いや、決してブスを卑下しているわけでも何でもない。
「美人でいる」ということは、一日の中でそれなりにそのために時間を費やさねばならないと思うからである。
ひとつの曲を徹夜で仕上げて、髪はボサボサ皮膚はボロボロでリハにやって来るのだったらまだわかる。
元々顔立ちがいいのだからスッピンでやって来るのだったらまだわかる。
彼女は「美人である」ということをキープするために時間をかけながら、このオケを作っているということが物凄いと思うのだ・・・
この曲、サビでリズムがなくなって「Lie、Lie、Lies・・・」と呟く。
よーしーずが採譜する時に「コードがぐっしゃぐっしゃで何弾いてるかわからない」と泣いていたが、そのぐしゃぐしゃの混沌としたところから「Don't trust anyone」と歌ってそこを抜けるところがこの曲最大の魅力なんだと思うが、1番ではサビと同じく裏声(もしくは高音の綺麗な声)でそこを歌い、2番では地声で歌って曲が終わる。
ライブでは2番のこの部分を絶叫し、そのままステージに座り込んだ!(◎_◎;)
客を置いていくにも程がある。
おそらく前客席はぼーぅ・・・私はステージ袖で鳥肌が立った・・・
ちなみに、噂によるとこの歌手の他の曲はアメリカのビルボードでチャートに入ったという噂である。
<朱婧汐新歌登录Billboard TOP 40流行指数榜>
日本で言うと坂本九から始まり、ラウドネス、オルケスタデラルスに続く快挙である。
私は昔、日本でアジアの音楽を紹介するラジオ番組をやっていたが、
その時にフィリピン人の歌手がチャートに入ったのを紹介した時に、
「いつの日にか次は中国人歌手がチャートインする時代が来るよ」
と発言した。
そして、当時「アジアブーム」に沸く日本の音楽界がみんな、
「テレサテンに続け」とばかり、中国人歌手を演歌班に所属させていることを痛烈に批判した。
「この人たちは日本なんか経由しなくても自力で中国人観客だけでマジソンスクエアガーデンを満杯にするんですよ!!何班でもいいからその会社の一番メインの班に置いてこそしかるべきでしょ!!」
今となってようやく日本の音楽業界は聞く耳を持たざるを得なくなったことだろう。
彼女たちは日本なんか飛び越えて「世界」を見てる。
日本だけですよ、取り残されているのは・・・
さて、話がそれた。
バンドは最後の歌手「馬条」で仕事納め。
この「馬条」の音楽が素晴らしかった!!
男前でも何でもないこの「おっさん」の男臭い歌声に涙が止まらない。
「若くなきゃ売れない」とか「流行りの音楽をやらなければ売れない」とか誰が決めた!!
不器用な(かどうか知らんが)おっさんが一生懸命人を愛する。
そして男臭い声でその「気持ち」を歌う。
そこには「売れる」だの「売れない」だのはない。
「いい」か「悪い」かだけなのである。
売れてる音楽が必ずしも「いい音楽」とは限らない。
同様にいい音楽が必ずしも売れるとは限らないけど、
彼の音楽を聴いてたら、私はもう「いい音楽」しかやりたくない、と強くそう思ってしまう。
項羽と劉邦の最後の戦いの時、四面楚歌に陥って最後に項羽は自分の兵隊にこう言った。
「ほら見ろ、俺たちは強い!!決して俺たちが弱いから滅ぼされるのではない!!天が俺たちに天下を取らせなかった、それだけのことだ」
天下を取れなくても項羽は歴史に残る英雄だし、私も後世に「下らない音楽をやった人間」だという不名誉を残すぐらいだったら別に一生売れなくてもいい。
「天が私を売れさせなかった」
それだけのことなのである。
彼の歌声を聞きながらそんなことをずっと考えていた・・・
この日の最後の曲。
コンサートが終わったら、バックステージで通り過ぎる人みんながこのメロディーを口ずさんでいた。
間違っても「ヒットする」というど真ん中の曲ではない。
しかしこれはきっと世界中の誰が聞いても「いい曲」である。
昔「ヒット曲を作れ」と躍起になってやらされていた時代、
例えこんな曲が出来たとしてもきっとボツになってただろう。
「こんな曲が売れるもんか!!もっと今のヒット曲を勉強しろ!!」
これが日本の音楽業界である。
だから日本のチャート番組を見ても聞いても、どれも似たようなテイストの曲ばかりになる。
イベントをやったとしても、売れてるアーティストを集めたとすると、基本的にはJーPOPの似たような出演者ばかりになるだろう。
とてもこのような個性豊かなアーティスト達が集まる、というかこんなアーティストが存在することすら無理であろう、それが日本の音楽業界である。
このイベントの出演者がどうしてこうも個性的なアーティストばかりだったのか・・・
それはきっと主催者のテンセントが音楽配信会社だからではないかと思う。
日本のレコード会社は何千万円もかけてレコードを作り、
何億円も宣伝費をかけてそれを売っていった。
今もその幻想を捨て切れずにそんなビジネスモデルを展開している。
CDなんか作っても、若者に渡したら
「これどうやって聞くんですか?」
と聞かれる時代に、である。
「スマホで聞くんだったら、まずこれをパソコンに取り込んで、そこからスマホに転送するんだよ」・・・
今やパソコンにCDドライブすらついてない時代なのだ・・・
「Jazz?そんなもん今の時代に売れるか?民謡?民族音楽?論外だね」
そんな幻想に取り憑かれている限り、今日の出演者の音楽などはどれも「論外」と感じるだろう。
でも配信会社は何千万もかけて音源を作るわけでもないので基本的に敷居が低い。
それぞれのアーティストが自分で作った作品を「売れないだろう」という理由で配信しない理由などありはしないのだ。
だからこんなに個性豊かなアーティストが集まったのだと思う。
さあ日本の音楽業界の皆さん、この個性豊かな才能の塊を見てどう思う?
いや、見やしない、聞きやしないだろう。
欧米の話じゃない、自分たちより遅れてると思ってるアジアの話なのだ・・・
そう思ってるうちにこの国の若者達は日本なんか飛び越えてどんどん世界に出てゆくだろう・・・
きっとそうやって日本だけが取り残されてしまうのだ・・・
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2019年8月11日
ラジオで生演奏生放送((((;゚Д゚)))))))
中国も変わったなぁ・・・先日監獄から出て来たばかりの爽子(Shuangz)を由緒ある北京广播电台で生放送で歌わせようとは・・・((((;゚Д゚)))))))
北京广播电台と言えば、45周年記念のイベントに爆風スランプで出て、
「客を煽り過ぎた」という理由(不明)で、コンサート中に警察がロック仲間である中国人スタッフを満場の客の前でめった打ち!!
そのまま制止を聞かずに最後まで演奏した私たちは銃を持った恐ろしい人たちに別室に監禁されるという事件があった・・・
また、ここのスタジオは李慧珍のアルバムをレコーディングしてた。
エンジニアのKeizoのギャラを計上して提出してたら、
「Funkyは私たちを騙している」
と問題になったなぁ・・・
当時、エンジニアはスタジオについているもので、
それを別に計上するなど「水増し請求」だというものである(笑)
いや〜このエンジニアっつのが全く芸術的ではなく本当に「機械エンジニア」(>_<)
夕方になったらさっさと帰るし!(笑)
いや〜色々と思い出のある北京广播电台であるが、
国家が運営するそんな老舗の放送局が、
ワシが知るだけでもう3回監獄に入っているこの犯罪者(笑)を生で2時間喋らせるというのはどういうことか!!(笑)
危険じゃないのか!!
そう言えばまた別の刺青だらけのラッパーがテレビで共産党にそぐわない禁止用語を連発して、それから刺青が目の敵にされ服とかで隠さないとテレビに出れない時期もあったなぁ・・・
まあ私が生放送だと聞いたのは実は放送局に着いてから。
それまでは客入れての公開録音ぐらいに思っていた。
そりゃこの状態では
「Funkyさん、回線が6chしかないから今回はカホンか電子ドラムにして下さいよ」
と言われてたのも頷ける。
カホンも電子ドラムも全くの「別の楽器」なので、
「ヤダ!!」と言って拒絶してたら、生ドラムどころかちゃんと大きなサブミキサーまで持って来てた!(◎_◎;)
さすがに初めてやなぁ〜北京广播电台の生放送スタジオにバンドが入って生演奏生放送!(◎_◎;) 生放送なのでドラムのチューニングもサウンドチェックもへったくれもない!!DJが喋ってない時に静かにセッティングして泣いても笑っても17時から生放送!! - Spherical Image - RICOH THETA
でもアンプはないのでギターはアコギ、
モニターはDJと同じ回線のヘッドホンをタコ足にして聞くことになる。
ところが私は張張(Zhang Zhang)が出すプログラムのクリックを聞かねばならない。
いつもイベントなどではクリック専用のイヤモニを渡されるのだが、
放送局にそんなものがあるはずもなく、
ミキサーも別回線でクリックを出すことは出来ない。
しゃーないなぁ〜・・・と張張(Zhang Zhang)がパソコンから直でクリックの回線を出す。
音量は大きくないがしゃーない、それで一度サウンドチェック代わりに演奏してみよう・・・
・・・って実はちゃんとそのためのサウンドチェックの時間が取られえているわけではない!!
日本でもよくある昼からの帯の番組のようで、
DJがオンエアに乗ってる時にはみんな声を潜め、
音楽や録音物を流している時にちょちょいと音を出す程度である(>_<)
ところが音を出してみると、
私はクリックとプログラム、まあこれは同じパソコンから出しているからいいとして、
ベースやキーボード、そして生音のアコギや歌なども全く聞こえない(>_<)
あかんやろ・・・(涙)
17時からの生放送の時間は刻々と迫っている。
人間追い詰められると脳みそが高速回転するらしい。
「そうだ!!みんなが聞いているそのヘッドホンの回線、あとひとつ余ってる?」
実は60歳の誕生日の時に李慧珍が誕生日プレゼントでこんなヘッドホンをくれたのだ。
もうね、6万円もするヘッドホンなんて失くすのが怖くて持ち歩けるかい!!
と思ってたら、一度飛行機で使ってみたらノイズキャンセリングが素晴らしく、
嘘のような静寂の中でiPadに落とした映画が楽しめる。
ちょうどこの収録終わったら最終便で寧波に飛ぶので持って来てたのよ〜
電源を入れずにケーブルを繋ぐと普通のヘッドホン!!
クリックを聞いているインナータイプのヘッドホンの上からこの大きなヘッドホンを被ればクリックと共にみんなのお供聞ける!!\(^o^)/
ちょっと圧迫で耳が痛いけど(笑)
というわけで生放送開始まであと5分のところで回線だけは確保した!!
そのまま本番!!!!
ちょっと心の片隅で心配してはいたが、刺青だらけのこの犯罪者(笑)、
DJに振られた話題を素朴にちゃんと真面目に答える。
ここで「Fuck You!!」など口走ったら冗談でなくこいつは終わる!!
「Fuckin Goverment!!」などと口走ったら一族郎党命が危ない(笑)
あとで聞いたのだが、
ラップなので中に危ない歌詞はいくつかあったらしい。
聞けばそれを瞬間的に察知して違う言葉に入れ替えたりハナモゲラにしたり、
物凄い反射神経でそれら全てを無事に乗り切ったらしい!(◎_◎;)
凄いぞ爽子(Shuangz)!!
そんだけの才能があるんだからもう監獄はやめような(笑)
2時間の生放送、なかなか緊張感の連続でかなり疲れたけど、
まあドラムもいいプレイが出来たしなかなか楽しい経験をしたぞ。
意外だったのは、セキュリティーがむっちゃ緩かったこと・・・
何せ放送局はクーデターが起こったらすぐに占拠されるところ。
昔だったら入口でIDやパスポート、持ち物の検査まで厳しかったのに、
いくら顔認証が発達しているからと言って、これだけの不審な荷物(笑)をノーチェックで持ち込めてIDチェックもしなかったというのは、やはり中国も少しは平和になったのか・・・
ならんならん(笑)
まあでもこんな犯罪歴のあるラップ歌手に2時間生放送で喋らせるんだから、
そういうことに対する緊張感は昔に比べたら確実に薄まっている。
逆に「ロック」自体がもう恐るべきパワーを失っているということか?
・・・考え過ぎか・・・
中国は恐ろしい速度で今も変化している。
私としてはこれが悪い方向ではなく、平和な世界へと向かっていることを願うのみである・・・
Posted by ファンキー末吉 at:20:43 | 固定リンク
旧パスポートとの戦い(>_<)
私は中国に3つ銀行口座を持っている。
ひとつは工商銀行、あと二つは招商銀行、
でも使っているのはひとつだけ。
確かよーしーずが口座を開く時に一緒に行って開いた招商銀行のやつ・・・
昔はそんなもんなかったが、
今ではその口座はネットと連携していて、
キャッシュレス社会の中国ではもうそこから現金を引き出すこともない。
ところがよーしーずがいざ現金を引き出そうとしたらこんなATMにこんなアラートが出たらしい・・・!(◎_◎;)
はてさてワシのあと二つの口座は長いこと使ったことないがどうなっておるのじゃろう・・・
というわけで土曜日なのだが銀行にやって来た。
こちらの銀行は土日も営業してるから助かるのよねぇ・・・
まずATMで二つのキャッシュカードを入れて残高照会してみる・・・
招商銀行の方は残高ゼロだったが、工商銀行の方は2000元近く入っとる!(◎_◎;)
そうそう、この口座は日本への航空チケットを買うために作ったもので、
その昔はeチケットなどなかったので現金を旅行会社にまで持って行ってたが、
その頃に「振込」とやらが出来るそとなって、
一番振り込むのに便利なこの工商銀行の口座を開いたのだった・・・
(工商銀行が一番支店が多い)
まあ当時は振込は最寄りの工商銀行で出来たが、
チケットを発券したら必ず旅行会社まで取りに行かねばならなかった(>_<)
今のようにスマホでチケット選んでスマホで決済してそのまま乗れるなんて夢のような世界である・・・
でもここで3万円近く眠らせておくのももったいないぞ!!
特に最近は複数の口座を持つことが禁止されてたり、
いきなりこの金を没収されたりしたらどうなる!!
・・・というわけで引き出そうとしたらよーしーずと同じメッセージが(>_<)
これはいかん!!
よーしーずは新しいパスポートに切り替えたばかりで、
古いパスポートと一緒に持って行って事なきを得たそうだが、
はてさてワシがこの口座で登録しているパスポートは古いのだっけのう新しいのだっけのう・・・
まあとやかく考えるより窓口に持って行けばわかるだろう。
番号札を取って並ぶ・・・ついでにこの口座もネットで操作出来るように申請すれば言う事なし!!
順番が来た!!
番号札と今のパスポートとこのキャッシュカードを窓口に提出する。
「ああ、この登録されているパスポート番号はこの番号と違いますね」
え?!!(◎_◎;)
「古いパスポートを持って来てくれないと手続き出来ません」
え?!(◎_◎;)
実のところ、招商銀行の方は(まあ時代もあるのだろうが)こんなに厳しくはなかった。
「番号が違いますけどパスポート更新したんですね。こちらで変えときます」
ああ、なんていい時代だったんだろう・・・
日本がどんどんマニュアル社会になって住みにくくなってゆく中、
中国は本当に住みやすいいい時代だった・・・
呆然としている私に窓口のお姉ちゃんは訝しそうにこう言った。
「まさか失くしちゃったんじゃないでしょうね・・・」
あのね、パスポート更新なんてもう8年も前のことよ、
もうどこに行ったかなんて家探ししたって出て来まへんがな(>_<)
ワシはとっさに笑顔を作った!!
イケメンの田端翔が、ビザかなんかの件でどうしても融通を利かせてもらいたく、
どうしようもなかったので担当者の若いお姉ちゃんを口説いて事なきを得た話を思い出したのだ。
昔は窓口ではお釣りとかも投げてよこして、
品物が目の前にあるのに「没有(メイヨー)」と言ってた時代も今は昔・・・
「スマイル0円」ではない、「スマイルは金が稼げるんだ」とばかり少しは笑顔を見せるようになった中国の服務員、ワシの満面の笑顔を見てニコっと笑い返したと思ったら・・・
次の人の番号のボタンを押して私の書類を突っ返して終わり(>_<)
そう言えばワシはその時に田端翔に言ってたのだ。
「お前はええのうイケメンやから・・・ワシやったら脅すしかないもんなぁ・・・」
そうなのだ、最初からこの人相で脅してたらよかったのだ!!
いやいや、窓口はガラスで仕切られていてマイクを使って話しているので脅しは通用しない・・・
つまりどうしようも無い!!・・・しゃーないなぁ〜・・・(>_<)
トボトボと帰ってネットで色々と調べてみるに、
工商銀行は特に厳しいらしく、新旧のパスポートと共に日本大使館で発行した「同一人物証明」、つまりこの新しいパスポートの人と古いパスポートの人とは同じ同一人物ですよという証明を取って持って来なければならないらしい!(◎_◎;)
同一ってあーた!!どうせ銀行には昔のパスポート情報が入ってるんやろ?
姓名と誕生日と、ヘタしたらパスポート写真も入ってるかも知れん。
それと今のパスポートとってその番号しか違わんやん・・・
名前変わっとらんし、瀬年月日変わっとらんし、
何より顔はだいぶ老けたけど変わっとらんやろ!!
どう見たって「同一人物」でしょうが!!
しゃーないなぁ〜・・・中国の「役所」はある意味日本より厳しいからのう・・・(>_<)
というわけでどうやら大使館に行って「同一人物証明」とやらをもらって来るしかないようだ・・・
調べてみると、古いパスポートを失くしてても証明は発行してくれるらしいが、
その代わり月曜日に出したら水曜日にやっと出来上がるらしい・・・
地方に行っては蜻蛉帰りで帰って来て1日しか北京に滞在しないワシには無理!!(>_<)
というわけでこの2000元が引き出せるようになるのは、
次にレコーディングで長く北京に滞在する10月になってしまうのう・・・
それまでに没収されるなよ〜・・・(>_<)
その夜、方言とメシを食いに行った。
今では北京市内には少なくなった店の外で食べるスタイル、
うちはかなり郊外にあるのでまだ残っているが、
こういう古き良き北京の風物詩もどんどんなくなっている。
「発展」とはすなわちそういうもん。
「昔は良かった」と言ってもそんな不便だった昔に戻りたいなどと思う中国人は誰もいない。
昔はビールが2元(30円)、野菜の炒め物は8元(120円)、肉が入っても12元(180円)ぐらい。
それが今では二人で1000円近くする(>_<)
物価は高くなり、昔のような人情も少なくなり、
便利にはなったけどどんどん日本のようなマニュアル社会になってゆく・・・
敢えてまた言わせてもらおう・・・ちょっと不便だったけど昔は良かった・・・
中国ももう十分「住みにくい」ぞ(>_<)
夏は40度、冬はマイナス15度、春は黄砂が吹き荒れ、今からが北京の一番いい季節・・・でもこれも1週間ぐらいですぐ寒くなります (>_<) こうやって外でメシ食べるのもどんどんなくなってゆく・・・これが「発展」というものです (>_<) 昔はビール2元、野菜8元、肉モノでも12元か今では全部で日本円で1000円ほど・・・昔はよかった・・・ - Spherical Image - RICOH THETA
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2019年7月16日
還暦記念亜州鼓魂ライブ
7月13日は渡辺英樹さんの命日でもあるので毎年英樹さん絡みのイベントを行っていたが、今年は「60歳だろ?中国じゃもの凄いことなんだぜ」ということで中国の仲間がイベントを立ち上げてくれた。
曲順
M01:出发
M02:我爱你亲爱的姑娘
M03:羊肉面
MC
M04:流星
M05:小卢的初恋
VCR(BEYONDの3人からのメッセージ)
MC
M06:七到天门
M07:Memories(记念黄家驹)
VCR(艾梦萌からのメッセージ)
M08 红舞鞋
(ドラムのリズムに乗せて李慧珍登場)
M09 向前走
MC
M10 不安
MC
M11 亚洲鼓魂
M12 力量
M13 Let Me Be Free
VCR(爽子からのメッセージ)
MC
M14 这是我
MC
M15 礼物
EN 生日的歌
ライブはまず友人代表としてLuanShuのお話から始まった。
「Funkyさんは無私の心で中国ロックや中国流行音楽に多大な貢献をし・・・」
いや、一応お金もらってるんやから「無私」ではないと思うが・・・
まあ中国ロックの黎明期は楽器やCDや教材やら色々持って来てやったからな、その部分は「無私」かな・・・
以下は彼のWeChatの書き込み・・・
相识于1991,没想到会一路同行持续合作到今天,Funky桑不只是亚洲鼓魂,对待音乐的态度他是我一直学习的典范,他对中国流行音乐所作出的无私奉献和真爱值得敬佩,他是真正的摇滚战士[强]老方生日快乐
まあ出会ったん90年やけど・・・(笑)まあええか・・・
そして布衣!!
「布衣の曲でヒットした曲って全部Funkyの曲なんだよな・・・(笑)」
はい、でもVoThMの曲もやりました!!
英樹さんの命日やしな・・・
ここから二胡が入るわけだが、
今回呼んだのは上海で知り合った美人二胡奏者!!
そのまま「ろう君の初恋」!!
その後にBeyondの3人からのメッセージを流して、亜州鼓魂の最後のインスト2曲。
この時にどうしても喋りたいことがあったのよねぇ・・・
彼らと出会ったのは91年のこと。
同じ所属事務所の紹介で爆風の4人とBeyondの4人が会った時、
こちらの4人はみんながみんなWingがボーカルだと思って疑わなかった。
Beyondのライブも見たことがない日本人には、
やはり一番ルックスがいいのがWingだったわけである。
そして一番スケベなのもWingと黄家駒(笑)
「要日本的女朋友〜」とか言いながら毎日飲んでいたが、
結局色々女の子紹介しても黄家駒は全部玉砕!!(笑)
そんなバカな毎日のある日、
Wingから電話がかかって来て、黄家駒がテレビ局で事故にあって意識不明の重体と聞く。
急いで病院に駆けつけ、それから1ヶ月近くずーっと病院に詰めていた。
そして1993年6月30日、医者が臨終を告げた時に、
まるで映画のようにWingが卒倒して私の腕の中に倒れて来た。
そして気が触れたようにケケケと笑ってこんなことを言う・・・
「あいつは今、真っ白でとっても気持ちいい所にいるんだって・・・
そこは酒を飲むよりも、セックスするよりももっと気持ちいいんだって・・・カカカ」
私は思った、
音楽、特にJazzのような即興性の高い演奏の時に、
色んな偶然が作用して時々ふわっと身体が浮いたような、
そんな真っ白な世界に行く時がある・・・
そう、彼はそこにいる・・・
でもそこには7つの扉があって、
ひとつを開けたらまたその向こうに扉がある。
音楽を精進して、その7つの扉を全部開けた所に彼がいる・・・
だから亜州鼓魂の最後の2曲はこのコンセプトの下、
天界への7番目の扉〜Memoriesでアルバムを終える・・・
Memoriesは香港で行われえた黄家駒の葬儀の時に書いた、彼への追悼曲である。
日本でJazzなんかやってても誰にも興味など持たれず、
それでも毎月SOMEDAYというJazzのライブハウスでセッションをやっていた。
ある日Beyondの4人がライブを見に来てくれて、
演奏に大喜びだった黄家駒が私にこう言った。
「凄いよ!!全くもって凄い演奏だった!!
今度はいつやるんだ?次も絶対に見に来る!!」
それが彼が私と交わした最後の言葉となったのだった・・・
その後「艾梦萌」からのメッセージを紹介して、渋谷有希子が歌う「红舞鞋」、
間髪置かずにドラムのリズムから入って李慧珍の登場である。
この後のMCで、何やら彼女が長々と喋っている・・・
私は同期のクリックを聞くためにイヤホンをしてるし、
ライブ録音の回り込みを避けるためにモニターに何も返してないので全く聞こえないが、
見れば私への感謝の言葉とか思い出とかを喋りながら泣いているようだ!(◎_◎;)
彼女のWeChatの書き込み・・・おそらくこんなことを言いながら涙ぐんだのだろう・・・
18岁认识Funky桑,他把我从一个音乐小白一路教会我什么是一个专业歌手的品质,早早就让我见识什么是中国最顶尖的乐手,让我学习了当年最top的唱片制作模式~谢谢你Funky桑,爱你 [爱心][爱心][爱心]再次祝生日快乐
お前が泣くとこちゃうやろ!!ワシを泣かせるとこやろ!!(笑)
そしてLaoWuも参加して、
「小さい頃、このアルバムが欲しかったんだけど金がない。
だから仲間うちで献血に行って血を売ってこのアルバムを買ったんだ」
というMCに続いて、亜州鼓魂の1曲目から3曲目までをメドレー!!
圧巻やったな・・・
その後に爽子(Shuangz)のメッセージが流れるのだが、
実はもともと、このライブに彼も参加する予定だった。
ところが文化部に申請を出そうとしたある日、
「爽子が全く連絡が取れないんだ。きっとまた捕まって監獄に入れられたんだろう」
!(◎_◎;)
あのね、長いことイベントやコンサートやっとるけど、
出演者が監獄に入れられたから出演出来んなんてこいつぐらいや!!(>_<)
まあまたケンカだったらしいが、
監獄から出て来た時にはもう文化部への届出は終わっていて、
こうしてメッセージだけで参加というわけだ・・・
彼の代わりに四暗刻のラッパー揚洋(YangYang)が歌ってくれた。
そして本編最後の曲「礼物」!!
バイク事故で亡くなった唐朝楽隊のベーシスト「张炬(Zhang Ju)」のために作った曲である。
この追悼アルバムで「お前も何曲かプロデュースしてくれ」と言われ、
その担当となった布衣と初めて会って今がある。
これで本編終わってアンコール・・・と思ったら誰も引っ込まず、
結局そのまま続けてアンコール(笑)
亜州鼓魂の中に収録されている誕生日の歌、
原曲は24歳の誕生日だが、揚洋(YangYang)が今日のために60歳の詞を作ってくれてラップする。
それで全て終了なのだが、当然ながらアンコールが来る。
しゃーないなぁ〜・・・でドラムソロ!!
これで全て終了!!よくやった!!
これを見てたある人がこんなことを呟いた・・・
「歴史やな・・・」
そう、30年の私と中国との歴史がここにある。
願わくばこのまま歴史を紡ぎ続け、10年後にまたやろう!!
70歳記念ライブ!!(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:10:44 | 固定リンク
2019年4月25日
労働ビザとの戦い
アメリカがトランプ政権になってから外国人の労働ビザが取りにくくなったのと同じように、中国でもどんどんと厳しくなって来たようだ。
「ようだ」と言うのは、私は仕事の出来る簡単なビザを持っているのだが、それがどんどん厳しくなって来たそうで、そのままだとヘタしたらドラム叩いてる時に公安がステージに上がって来て、そのまま連行されて強制送還・・・なんて噂もある((((;゚Д゚)))))))
こりゃちゃんとした労働ビザ取らないかんなと思い立ったのが去年の夏。
それからずーっとその戦いを続けている・・・(>_<)
今ではこんなにややこしいのよ〜(涙)
何よ!このランク分けって(号泣)
これはねぇ、中国には今アフリカからの不法労働者が多く、
それが中国人の労働を奪ってるとか、
アメリカのメキシコ人みたいなことが起こっとるんですと・・・
だから「学歴のないヤツは要らん」と!(◎_◎;)
あのね、学歴に関係ない職業として音楽家を選んで、
ここに来て学歴で弾かれると・・・(涙)
あとね、60歳はもう定年でしょ?
何でビザ必要なん?
60歳になったら申請も受け付けんと!(◎_◎;)
もうね、だから去年から命がけでずーっと戦ってるのよ・・・(>_<)
まずは日本で色んな証明書を取り寄せる。
卒業証明書はまだいいが、警視庁行って無犯罪証明書!(◎_◎;)
よかった〜犯罪歴なくって(>_<)
まあ書類を、いっぱいいっぱい手に持って中国に渡る。
それを持って「就業許可証」というのを申請するんだけど、
これがまあ大変なこと大変なこと(>_<)
まず芸能ビザみたいな項目を見つけたのでそれで申請しようと頑張る。
「人民大会堂ぐらいの施設で自分名義のコンサートを行ったことがある」
という資格を見つけて、
「ワシ、爆風名義なら武道館どころか代々木体育館もやったことあるやん!!」
と思ったら、
「国の主催イベントじゃないの?じゃあ遊びでしよ?」
!(◎_◎;)
中国は国家に認められた第一級音楽家免許を持ってる人しか音楽家と認められんからなぁ〜
ロックなんかでそこで演奏したってそれは金出せば誰だって出来ることでしょ・・・みたいな?・・・(涙)
ワシなんかワシなんか、別に音楽大学出てるわけじゃないし、
職に関して何にも資格を持ってるわけじゃないしぃ!!(号泣)
もう学歴ないわ資格ないわ、ここに来てこんだけコンプレックスにさいなまさせられるとは夢にも思わんかったぞ(>_<)
そこでついに発見した・・・「経営者ビザ」!!
ワシは中国人が日本で起こした会社の代表取締役!!
曲がりなりにも立派な「経営者」ではないか!!
しかもその会社は中国の音楽ビジネスの会社の「関連会社」である!!
もうすぐ60歳でも経営者で申請したら通るかも知れんぞ!!
いや〜人助けやと思て会社起こすの手伝っててこんなところで役に立つとはのう・・・
というわけでそれで申請しよう!!
ところがここで問題が・・・
ここで「就業許可証」が出たとしたら、
今度はそれを日本に持って行って日本の中国大使館でZビザを発行!!
発行には数日かかるので、秋の布衣の長い長いツアーの合間にはその申請が出来ない(>_<)
じゃあ布衣のツアーが終わってから日本に帰って申請して、
それを中国に持って行って・・・
「末吉さん、それ持って中国に入国したら、1ヶ月から1ヶ月半は出国出来ませんよ」
!(◎_◎;)
では冬に日本で全くスケジュール入れずに北京に行ってひと月半滞在するか・・・
「あ、その時期は春節があるから無理ですねぇ」
(>_<)・・・あのね、ワシにどうしろと言うの(涙)
というわけで春節の辺りの日本ツアーの間に日本で申請して、
それ持って春の布衣のツアーで入国したらそのままひと月半どころか2ヶ月以上中国国内ですがな!!\(^o^)/
というわけで日本にて無事にZビザをゲット!!
ツアーは広東省から始まるので、
カンボジアかベトナムから直で広東省に入れば近いではないか〜・・・
っと思ってたら、
「Funkyさん、入国したらすぐに住居証明取らなきゃならないのに、広東省だと取れないでしょ」
!(◎_◎;)
しゃーないなぁ〜・・・というわけで広東省を飛び越えて一度北京まで飛ぶ(>_<)
北京の公安で住居証明書を発行!!
今回北京に戻って来たのはビザの申請のためなのよね〜 トランプ政権のアメリカと同じく取得がどんどん大変になる(>_<) まずは住宿登记表を取るために公安局・・・ 公安怖い・・・何もしてなくてもしょっぴかれそうで・・・中国ではシャレにならんからのう・・・ガクガクブルブル - Spherical Image - RICOH THETA
そしてそこからまた引き返して広東省からツアー開始!!
・・・ところが2週間後に就業許可証の申請のためにパスポートが必要というわけで、福建省の移動日に北京にとんぼ返り(>_<)
そしてまたすぐとんぼ返りでツアーに復帰したら、今度はまた2週間後に居留許可証の発行のためにまた北京に来いと・・・(>_<)
しかも!!
あなたは「経営者」ということでビザを申請してるんですからね!!
経営者らしい格好をして来て下さいよ!!
経営者らしい格好って・・・(>_<)
しゃーないからライブハウスのオーナーから借りた!!
これ・・・オーナーが結婚式の時に来たっきりなんですと・・・
ちなみに中の白いシャツは現地で買いました(>_<)
安徽省芜湖から始発の高速鉄道で、途中南京乗り換えの時に牛肉麺食ったら汁が飛んでこの有様(>_<)
着なれんものはこれやから・・・(>_<)
半日かけてやっと出入国管理局へ!!
ここで仲介業者に釘を刺される。
「中に入ったら中国語話さないで下さいよ!!喋れないことにしといたら私が全部自分で説明出来ますから」
ボロが出るのか?経営者のボロが出るのだな!!(涙)
でもまあ「面接」というほどちゃんとした面接ではなく、一応「本人確認」ぐらいで終了!!パスポートを預けてこれをもらう。
ここからツアーにとんぼ返りして、乗る飛行機、鉄道、ホテルのチェックインなど全てのところでこれがパスポート代わりになるのだ!!
嫌やなぁ・・・「これ何や」言うて職員に突っ返されるの(涙)
「もうこれで最後ね!!」
と仲介業者に確認するのだが、
「じゃFunkyさんはいつパスポート取りに来るんですか?」
!(◎_◎;)・・・3回北京に往復したらよかったんちゃうん?あんたがパスポートを旅先にでも送ってくれたらええやん・・・
「この紙がないとパスポート受け取れません」・・・(>_<)
それによく見ると「取証期限」というところに4月25日と書いてある・・・
その期限が切れたらこの用紙の有効期限が切れて列車や飛行機に乗れないかも・・・
((((;゚Д゚)))))))
スケジュールを見てみると、ちょうど25日は山東省临沂から同じく山東省青島までの移動日・・・
むっちゃ大回りになるけど北京行きます!!行かせて下さい!!(涙)
もうね、パスポート失くした時にあれだけ大変だったんだから、この紙切れの有効期限切れたら・・・終わる!(>_<)
というわけで今日!!
とんぼ返りで北京に帰って来てパスポートゲット!!
そこにはこんな居留証が押されてたのでした!!\(^o^)/
しかしここからまた戦いが始まる・・・
ビザは2年間あるが、それを更新する時には60歳を超えてるのでおそらく受け付けてくれないだろう、と・・・
!(◎_◎;)
ほなどうすんの?!!・・・
そうですねぇ・・・自分名義の会社でもこちらにあれば・・・
60歳になるまでに就労先を変更せねばならんので新たに会社起こすのは間に合わんぞ・・・
そうや!!日本の会社はLuanShuの会社の子会社なので、
そこの総経理であるワシを親会社の名義に入れてもらえばいいのではないか?!!
60歳まであと3ヶ月ない・・・間に合うのかワシ・・・
戦いは続く・・・そしてワシはどんどんホンモノの「経営者」になってゆく・・・
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2018年9月25日
布衣秋のツアー2018北京麦田フェスティバル
元々はこの日は青海省「西寧」から次の寧夏海賊自治区銀川までの移動日だったのだろう、近くを拾ってゆく理想の組み方だったのにここにいきなり北京でのイベントが飛び込んで来た・・・そう想像している・・・
このおかげで過酷な移動(>_<)・・・一行は4時半に起きて北京へ向かふ・・・
4時半起きで北京へごー!! 本来なら寧夏回族自治区の銀川への移動日だったのがイベントが飛び込んで来たのよね〜しゃーないなぁ〜・・・ せっかく高山病反応にももう落ち着いて来たんやけどなぁ〜・・・まあ来よう!! - Spherical Image - RICOH THETA
北京空港には主催者が用意した車が迎えに来ているのだが、
如何せん会場は北京市内の南の方・・・結局2時間近く車に揺られるハメに・・・
青海省より遠いやん(>_<)
ふう・・・国内線なのに2時間15分って中国はやっぱデカいなぁ〜・・・ イベント主催者のよこした車で会場入り〜(市内南なので1時間以上(>_<)) - Spherical Image - RICOH THETA
会場に着いたらもうイベントは始まっていて、
私たちの前はラッパーのステージで、ドラマーはいなかったのでタムを持って来てもらってステージ袖でチューニング・・・
会場はもう溢れんばかりの客・・・!(◎_◎;)
前の演者が終わると一応客席からは見えないように幕が上がるのだが、
音はそのまままる聞こえのままサウンドチェック!!
麦田Festivalセッティングちう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
サウンドチェックが終わったら申し訳程度に一度ステージを降りて、
幕が降りたらまた出て来てライブ開始!!
ここまでの映像がロードムービーにまとめられてます・・・
このように和やかにコンサートが終わると思ってたら、
実はとんでもないことが起こって来る・・・
ふと気づくと客が一団となって何かを叫んでいるのである。
「下去!!下去!!」
ステージ上では聞き取れなかったのだが、後で聞いたらいわゆる「帰れコール」!(◎_◎;)
LaoWuの態度を見てたらいたって普通なのでまさかブーイングが起きてるとは思わな買ったが、実はこのイベントはロックイベントではなく、麦田というレコード会社が主催する「流行歌」のイベントだったのだ・・・
流行歌ファンにだってロックが好きな輩はいる。
ロックファンは布衣のステージに狂喜乱舞するが、
それが流行歌ファンには不快でたまらない。
なにせ彼女たちは徹夜で並んでこの一番前の席を取っているのだ。
前からはわけのわからないウルサい演奏、後ろからはわけのわからない連中の歓声・・・
彼女たちからしたら「ウルサいわねぇ!!もうやめてよ!!」ということだったのだろう・・・
また中国では今だにロックコンサートでは日本では危険なので禁止されているモッシュやダイブをしたりするが、
まあ見ての通りぎゅうぎゅうなのでそれが出来る状態ではない。
それでも後ろから押されたりするのだろう、キレた流行歌ファンが、
徹夜で並ぶために持ち込んだ折り畳み椅子を後ろのロックファンのところに投げつけて流血騒ぎにもなったと言う・・・
乱闘も起こってたのだろうが、如何せんステージからは客席はもう一面の「豆粒」なので状況が全くわからない・・・
とにかくこの「ロックバンド布衣」の登場によって、「流行歌ファン」と「ロックファン」の間に大戦争が勃発したということなのだ!(◎_◎;)
LaoWuは「帰れコール」を受けながら全く動じることなくステージを進めてゆく・・・
以下は私が後で思ったこと・・・
思えば私が最初に出会った頃、布衣結成10周年と銘打って小さなライブハウスで記念ライブを行ったが、そんな節目の記念ライブにも関わらず客は10人。
その後一緒に何度かライブもやったが、まあ・・・客がいたことがない(笑)
別に男前でもファッショナブルでもない、「農民ボーカル」とまで言われているこの男・・・
器用でもないので流行りの音楽を作ることも歌うことも出来ない。
「これをこう変えればもっと売れるのに」
という考えすらなく、ただ自分が出来ることだけを変わらずずーっとやり続けて来て今がある。
満場の拍手で迎えられたって、客から「帰れ」と言われたって、
この男にとっては自分が歌えるたったひとつのこの「自分の音楽」を歌うしかないのだ・・・
だからいつもの通りに「自分の音楽」を歌った・・・そういうことなのだと思う。
でも私なりに言わせてもらうと、
布衣の音楽はそんな激しいロックばかりではない。
「我爱你亲爱的姑娘」、これは私が作った映画音楽の挿入歌で、
中国人では知らない人はいないというぐらいに「流行」した音楽でもある。
激しい曲では「出発」、これも何かの大きなタイアップになって知名度が高い・・・
(・・・って有名なのん俺が書いた曲ばっかりやないの〜(笑))
この場にいた流行歌ファンはどう思っただろう・・・
「こんなウルサい音楽、やめてしまえ」
と思ってたら自分でも知っている曲が演奏されて、それがこの毛嫌いしてたこのバンドの曲なのだ・・・
そしてソロ回し・・・いわゆる「技術の祭典・・・
まあちょっと違うけど、言うならば「サーカス」や、もっと言ったら「雑技団」みたいなもんである。
いくらロックが嫌いな流行歌ファンだって、長年命をかけて培って来た「芸」というのはわからないわけはない。
小畑秀光のギターソロ!!
実はこれは私の「ミス」であったのだが、
「イベントだろ?ロックファンが多いんだったら小畑のソロを入れとけよ」
とLaoWuに助言していたのだ。
「ギターソロは曲中にもいっぱいあるじゃん」
と言うのを、
「曲中のソロは中国人ギタリストでもみんな弾いてる。でもギター単独のソロなんて中国人ギタリストには誰も出来ないだろ」
と言って説得したのだが、もちろんこの時点でこのイベントが「流行歌イベント」だとは夢にも思ってない。
まあ小畑にとっても客が実は大ブーイングをしてるなんて夢にも思ってないわけで、
たとえ思ったとしてもこいつのは「命がけで客を煽る」しか選択肢ないのだかしゃーない(笑)
人数比のほどはわからないが、「流行歌ファン」と「ロックファン」が戦争をしてたのだとすると、この頃にはもう「ロックファン」が大圧勝だということである。
布衣のステージ終了!!
終了〜!! - Spherical Image - RICOH THETA
そして次の日の移動の時に雑談でこの「帰れコール」の事を初めて聞くこととなった。
WeiBoという中国のTwitterみたいなサイトにあるこのイベントの主催者アカウントにある布衣もページには、既に何百という書き込み・・・
・・・というよりここがまた「流行歌ファン」と「ロックファン」のなじり合いとなって炎上している・・・
日本だとロックファンが歌謡曲をバカにして・・・みたいなことはあったかもわからんが、流行歌ファンがロックファンに対してこんなに敵意を燃やすなんてやっぱり「中国ならでは」なのだろうか・・・
ジャニーズのイベントにメタリカが出演したってこうにはならんぞ・・・と思うが、もしその時にメタリカが全ジャニーズファンを自分のファンにしたとしたら、「ロックって凄いなぁ」と私は思うぞ!!
布衣もなかなか善戦したのではないか?
中国ロックもなかなか素晴らしい!!
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2017年9月16日
香港とイギリスで活動するバンドのボーカリスト募集!!
JASRAC本の執筆が当時の精神状態を追体験するので、「これはたまらん」とちょっと逃避しに出かけて行った。
うちの村にはビールと白酒ぐらいしか飲めるところはないので、
中国では法律的には自転車と同じ、しかも飲酒運転は取られないという電動チャリにて出かけて行った。
ところが乗ってみるとバッテリーの容量が心もとない・・・
近所に住む香港の大スターWINGさんのマンションの1階に寿司屋がオープンしてたのを思い出して、そこで一杯飲みながら充電させてもらうことにした。
(中国は日本と違って基本的に充電は必ずと言っていいほどさせてくれるのよ〜)
まあそこの寿司屋が不味かったら目も当てられないので、
久しぶりにWINGに連絡して「お前んとこの1階の寿司屋は美味いのか?」と聞いてみる・・・
そしたら彼がもらった連絡でこんなことを返してくるのだ・・・
「Funky〜実は俺の友達の香港の老外(欧米人のことを称してこう言う)のバンドがさぁ〜、英語で歌えるボーカルを探してるんだ。
ボーカル見つかったら早速アルバムをレコーディングしたいらしいんだけどどこの国の人でもいいから誰かいない?」
というわけで香港とイギリスで活動するどんなバンドかわからんバンドのボーカルになりたい人大募集!!(笑)
バンドのデモ
https://soundcloud.com/puntgunsdemo-n-umero1/therapy-v5-master/s-2aWxV
https://soundcloud.com/puntgunsdemo-n-umero1/punt-guns-v5-master/s-qBEP5
バンドのスタイルはFoofigtersやNirvanaのようなスタイル。
男性ボーカルで英語で歌えることが条件。
その後香港で住んで活動するのか、または日本から通うのか、生活を保障してくれるのかどうか等は一切未定(笑)
ご自身で直接そのバンドと交渉して頂くことになります。
(当然ながらやり取りの言語は英語)
我こそはと思わん方は、ご自身の歌をアップしたYouTube等のアドレスを、ご自身のプロフィールや紹介文(英語)と共にこちらに送って下さい。
こちらとしてはそのメールをそのまま先方に転送します。
後のやり取りは全てご自身でやって頂いて、
その後どのような問題が起こっても当方は一切感知しません。
全てご自身で解決して下さい。
まあ海外のチャンスなんてだいたいそんなもんよ〜
我こそはと思われる方は是非〜
Posted by ファンキー末吉 at:21:53 | 固定リンク
2017年5月25日
むっちゃ便利な中国のレンタル自転車サービス
先日、日本の「未来世紀ジパング」という番組で紹介されていたので私からもちょいとレポートしようと思う。
東京でこのようなサービスは見たことはある。
LuanShuのベイエリアの部屋の近くには江東区のレンタル自転車というサービスがあったを見たのだが、めんどくさそうだったので結局登録はしなかった・・・
実は中国にはもっと進んだサービスがあるのは聞いてはいたのだが、
存在こそは知っていたが使ったことはなかった。
前回上海に行った時にやたらこのレンタル自転車を多く見たので試しに登録してみた!!(ドキドキ)
登録自体は非常に簡単!!
このアプリをDLして、デポジットを299元WeChatで支払って、電話番号やパスポート情報など個人情報を入力する・・・
入力してしばし待たされたが、しばらくしたらメッセージが来てもう使えるようになった!(◎_◎;)
あとは自転車の後部にあるQRコードをWeChatで読み取ったら自動的にカギがカチャンと開いてもう使えるようになる。
最初に料金をチャージするように促されるが、
デポジットはデポジットで解約した時に戻って来るだけで、
料金は料金で別途チャージしとかなければならないのね・・・納得・・・とりあえず100元ほどチャージしとく・・・
1回30分1元(日本円で約15円)と格安なので、
100元(日本円で約1500円)もチャージしてたら100回乗れるぞ!!(100回も乗るんやろか・・・)
さて上海で登録したからと言って北京で乗れるかどうか・・・
実は上海だけのサービスで北京では使えないとなったら大損ではあるが、
見てみると駅などにいっぱいこの自転車が置かれてある!(◎_◎;)
よしとばかり使ってみようとするとエラー!(◎_◎;)
なんとこのシステムには既にいろんな会社が参入していて、
ワシが登録したのはオレンジ色の自転車、これは赤・・・
その他、緑やら黄色やらいろんな会社の自転車があるようだ・・・
とりあえず目の前にあった「黄色」もアプリをDLして登録してみた・・・
まあ使い勝手は全く同じなのだが、
オレンジのはスマホをかざすとカチャっと鍵が解錠されるのに対して、
黄色のはスマホに番号鍵の番号が送られて来る。
どちらの自転車も基本的にどこに乗り捨ててもOK!!
これが実はむっちゃ便利なのである。
例えば自分の自転車でどっかまで行くとすると、
帰りも必ずそこを通らなければならない。
行きは自転車で行ったけど帰りは飲んだからタクシーで〜
とかいうと、翌日には自分でわざわざ自転車を取りに行かねばならないのだ。
タクシーを探しながらとりあえずモバイクで移動しつつ、
見つかったらそこで乗り捨ててタクシーに乗ってもよい。
至るところに自転車が乗り捨てられているので、
どんな辺鄙なところに行ってもアプリを開けばGPSで近くにある自転車を検索出来る。
当然ながら需要の多い地下鉄駅などではむっちゃたくさんの自転車が乗り捨てられてるということになるのだが、
見れば業者が定期的に回収に来ているようだ・・・!(◎_◎;)
うーむ・・・完璧なシステムではないか・・・
どうして日本ではこれが出来んのやろ・・・
まあ土地の広い中国と違ってどこにでも乗り捨てられたら困るというのはあるかも知れんが、
駅などでの駐輪場の設置とかここ数十年でも遅々として進まんし、
まあ何か新しく変わろうとすると遅々として進まんのが日本という国なのかも知れん・・・
中国ではこのシステムが出来たおかげで自転車泥棒がめっきり減ったというのと、
番組では中国の経済を活性化させるために車の渋滞の軽減、
そしてPM2.5に代表される環境問題に対して有効であるということで国家が推進している民間プロジェクトでもあるらしい・・・
日本でもこれが広まれば同様の効果はあるはずじゃぞ・・・
写真は江東区で実験的に行われているレンタル自転車サービスの駐輪場・・・
中国と違って何と電動アシスト!!!(◎_◎;)
中国やったらいっぱつでバッテリーとか盗まれてしまうやろうなぁ・・・(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:09:59 | 固定リンク
2017年4月28日
印鑑大作戦!!
もうね、日本ってホンマめんどくさい(>_<)
LuanShuの日本の会社の口座を開設してくれることになったのだが、
代表取締役が外国人の場合、「もしも何かがあった時に電話で相談出来ないので」一日に動かせるお金は100万円までです!(◎_◎;)
もう既に1000万円以上が動くプロジェクトが始まってるのにそれでは全然足りんじゃろ・・・(>_<)
こっちが通訳用意するからとか、日本語勉強させるから(笑)とか色々言ってみようとは思っても、これは「規則」というよりは銀行によって独断で決める「裁量」みたいなもんだから、その担当者にあーだこーだ言ってもどうにもならない・・・
「でも、末吉さまが今は取締役ですが代表取締役になられてれば末吉さまにお電話差し上げることが出来ますのでその制限は外れます」
!(◎_◎;)・・・代表取締役ってふたりでもええの?!!
役員がワシしかおらん「有限会社ファンキー末吉」みたいなんしかやったことなかったから知らんかった(笑)
はよ言わんかい!!
知ってたらそうしてるがな・・・(>_<)
銀行が言うには「会社の実印があれば末吉さまが帰国なされてしなければならないことはないはずですが」と言うのでたかをくくっていたが、先ほど発注した業者の方から連絡があった。
「法務局に問い合わせたところ、代表取締役になられる方の実印が必要です」
はよ言わんかい!!
数時間前なら日本に帰る小畑に持たせたがな・・・(>_<)
ワシはこれから鄭州、西安、上海、新疆ウィグル自治区とツアーなので日本に持って帰るヒマはない。
誰か日本から取りに来させようかとも思ったけど、連休前なのでチケットが高い(>_<)
だったら連休前に日本に帰る人行く人を探そう!!
日本でいるとこんな発想は出て来ないかも知れないが、
中国社会はとかく「ネットワーク」の世界、
友達の友達が偶然その日に日本に帰る、行くということは十分にあり得る・・・
見れば上海のイベントの前日の出演者にWeiWeiWuuさん!(◎_◎;)
さっそく連絡を取ってみる・・・
「2日に日本に帰りますよ〜」
そうかぁ・・・
2日に着いたのでは3日から連休なので連休前に手続き出来んなぁ・・・
この銀行が言うには、
申請してから1ヶ月以上経ってしまうと審査を最初からということでまた口座開設
遅くなると言うのだ・・・
「他に誰かおらんか〜」
中国在住日本人のネットワークを探してみる・・・
「ゆうき君が1日に上海から日本に帰るそうですよ〜」
30日に娘が北京から上海に行くのでその時に実印持って来てもらってそのゆうき君とやらに渡せばよい!!
「そのゆうき君とやらのWeChat教えて〜」
WeChatIDを教えてもらって繋がろうと思ったらもう繋がっとる!(◎_◎;)
どこで会ったことある人なんやろう・・・
と思ったら「本の即売飲み会https://www.funkyblog.jp/2012/11/post_824.html」でゴールデン街で一緒に飲んだ人ではないか!!!
もうこれで一件落着!!と思ってたら、
今度は中国人ネットワークから連絡が来た。
LuanShuにも
「誰かお前の友達で日本行く人いないか?」
と聞いていたのだ。
「航空会社の友達に聞いてみるよ」
と言ってたのだけれども、
送られて来た連絡先はとある航空会社の社長(>_<)
あのね、社長じゃなくても従業員でも誰でもいいんですけど・・・
・・・ってまあ社長でも日本に行くならそれでいいんですけど・・・(>_<)
「LuanShuから紹介されたって言えばいいの?」
あとはワシが受け渡し等を詰めればいいんだけど、
全く面識もない人なら名刺替わりに「紹介者の名前」は絶対必要である。
「○○航空の朱社長の紹介だと言えばいいよ」
ってまた別の会社の社長かい!!!(◎_◎;)
こいつ社長しか友達おらんのやな・・・(>_<)
まあいい、どっかの航空会社の社長さんだろうが、その社長さんの友達の他の航空会社の社長さんであろうが、誰だろうが、信用出来る人が日本に持って行ってくれるならそれでいい・・・
それにしてもひと息ついたら我ながら凄いと思った・・・
日本にいて何か北京に持って行ってもらうものがあったら、
日本のネットワークでこれだけ探せるか?・・・
日本にいる中国人のネットワークって?・・・
それにしても日本のどっかの航空会社の社長に託す?・・・・(笑)
何はともあれ実印届いたら法人の定款変更して、
晴れて会社の銀行口座が開設か?・・・
いや、まだまだ落とし穴があるような気がしてならん(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:17:07 | 固定リンク
2017年4月11日
作品は極上だけど人間は極悪(笑)
表題は北京のラップシンガー爽子(Shuangz)がやめた事務所の人間が彼を称して言った言葉である(笑)
まあ事務所としては彼を見出して、
ワシに手付金まで払ってデビューさせる段取りをつけてたのに彼女と手に手を取ってタイに逃避行じゃあ腹も立つわのう・・・
「あいつだけは絶対潰してやる!!」
と豪語ししながら、
「でもあいつの作品だけは極上なんだけどなぁ・・・」
で表題の発言となるわけである(笑)
そんな極悪なラップシンガーの全国ツアーが始まった!!
うちの院子で一緒に暮らしている布衣なんかは結成20周年と称して2ヶ月半出ずっぱりのツアーを廻っている(今年は21周年と称して結局毎年やっているのだが)が、デビューしてまだそこそこ数年の若造がこれだけのツアーが組めたら大したもんである。
このツアーの前には「唐果(TangGuo)」(元「星光現場(XingGuangXianChang)」TestamentやLoudnessなどが演ったこともある)北京最大のライブハウスで2デイズ満杯にしている。
(ちなみに彼はこの小屋の動員記録を持っているらしい)
しかし全国ツアーとなれば大手事務所に見放された彼にはなかなか大変であろう・・・告知を見るに全部がライブハウス!(◎_◎;)
いや、布衣だってライブハウスなのだが、
メンバーとまあせいぜいマネージャとエンジニアの方言(FangYan)ぐらいを引き連れての貧乏ツアーなら今の彼らぐらいの動員なら必ず黒字になるだろうが、「歌手」だとバンドメンバーに固定ギャラを支払わなければならないので大変である。
(ちなみに「バンド」だと儲かったぶんをみんなで(中国の場合はエンジニア等にも同様に)均等に分配する)
ワシは真っ先に「採算」を心配した。
「極悪」と言うのだからメンバーのギャラなんか平気で踏み倒しそうなもんである・・・
「一本でも踏み倒しやがったら次以降のスケジュールは全部キャンセルしてやる」
という腹づもりで戦々恐々としてツアーに挑む・・・(笑)
さてツアー初日は遼寧省の省都「瀋陽(ShenYang)」!!
なんと車移動!!!(◎_◎;)
・・・まあ経費節約ね、ええよ・・・気楽に考えてたら車で8時間(>_<)
まあ敬老精神で(笑)ワシには後部座席全部をひとりで使わせてもらってるので、しこたまビール買い込んで酔い潰れて横になって寝れる・・・
初日の移動日はこうして潰れ、着いたら地元の知り合いが労をねぎらってメシを奢ってくれた。
8時間かけてやっと着いた〜 瀋陽は朝鮮族の焼肉が有名だそうで、北京でもよく見る三千里の本店なう〜 - Spherical Image - RICOH THETA
そして再び酔い潰れてホテルでバタンQ(死語)・・・
車の中で寝てても決して疲れは取れてないのね・・・と実感(>_<)
翌日は元気にサウンドチェック!!!
ラップ歌手「爽子」のツアー初日!!青島もそうだったが、まだライブハウスというものがない街では箱バンが入っている店の営業前にライブを行う・・・ 往々にしてドラムが鳴らないようにされてるので大変(>_<) - Spherical Image - RICOH THETA
ところが終わってから「このまま車で石家庄(ShiJiaZhuang)」まで移動です!と・・・!(◎_◎;)
遼寧省瀋陽から河北省石家庄まで960km・・・これって絶対10時間はかかるんですけど・・・(涙)
飯食って移動したら間に合わんと言うことで、
コンビニで10時間飲むだけのビールと好みの激辛ソーセージも買った・・・
初日終わって河北省まで車で960km移動!(◎_◎;)・・・ってとうきょから九州まで行けるやん!!(>_<) 何で車やねんと思ったら直行便の飛行機はないわ列車移動も早起きで大変なのね・・・ 飯食って酔い潰れて車に乗ろうと思ったら少しでも早く着くようにと車中食・・・ コンビニで10時間飲むだけのビールと好みの激辛ソーセージも買ったしだんだん楽しくなって来たぞ!!(笑) - Spherical Image - RICOH THETA
ところがいざ移動してみると、パーキングで休み休みで結局14時間!!(>_<)
14時間移動の乗り打ちって過去のワシの歴史の中でも最大級の乗り打ちです(涙)
ところがここで問題発生!!
ホテルの駐車場に着いたところで、駐車場代を払えと言う駐車場の管理人と、
「なんでホテルで荷物機材降ろすだけのホテルの駐車場で金払わなきゃなんないんだ!!」
と爽子(Shuangz)が激怒、いきなり助手席のドアを開けて飛び出して行ってその管理人に殴りかかって行った!(◎_◎;)
おいおいやめろよ!!(>_<)
こいつはタダでさえケンカでブタ箱放り込まれてリハがキャンセルになったことだってあるのだ・・・
みんなが一斉に車から降りて彼を止めるが、何発かは命中したのだろう、おじさんがうずくまって寝ている・・・
みんなは「当たってないのに大げさなんだよ」と取り合わなかったが、
結局は救急車や警察まで来る大騒ぎ・・・(>_<)
「ああこのまままたブタ箱だな、今日のライブはキャンセルだな」
などと考えながら、一番気になるのはギャラのこと・・・
「例えキャンセルになっても今日のギャラは絶対に取るからな」
と戦々恐々・・・(笑)
何でツアーに出てここまでギャラのことを心配せないかん・・・(>_<)
ホテルで仮眠してから会場へ出発・・・
その時にちょうど停電でエレベーターが止まっていた。
いつもは温厚なギタリストが階段で降りて来てフロントに噛み付いている・・・
「まあまあまあ」とみんながなだめるのだが・・・
そもそももう14時間乗り打ちの移動なんてやめようよ(>_<)
明るく元気なんワシだけやん・・・(>_<)
気を取り直してサウンドチェック!!
14時間の車移動の後にそのままライブという歴代最強の乗り打ちライブです!! 終わって私は夜行列車で北京に行ってから武漢に飛びます〜 - Spherical Image - RICOH THETA
その後ワシは夜汽車で武漢、そのまま日本に飛んで爽子(Shuangz)の内モンゴルに合流というスケジュールなのでした・・・
つづく
Posted by ファンキー末吉 at:08:45 | 固定リンク
2017年1月 1日
高級マッサージ
中国では元旦は単なる一日の祭日でしかないので普通の祭日のように仕事がある。
もう十数年前だろうか、大晦日にレコーディングしてて、
年越し寸前に仕事が終わり、
じゃあということでスタジオの隣のサウナに飛び込んだ・・・
ところが「浴池(YuChi)」と書かれたその施設があかんかった(>_<)
大浴場にはお湯が入っておらず、サウナにも電源は入れられてない。
仕方なくシャワーだけを浴びるのだが、そしたら従業員に紙制のパンツを渡されてマッサージルームへ・・・
またマッサージルームが赤いルームライトなんか灯されていて見るからに「抜き系」(>_<)
現れたマッサージ嬢も化粧ばっちしでドレスなんか着てて・・・
中国語喋れたら「交渉」されちゃうので、
「ワタシ外国人、中国語シャベレマセン」
のノリね(涙)
「Massage Please!!」とかね(泣笑)
通常マッサージはうつ伏せから始めるのでさっさとうつ伏せになるが、
太ももを数分撫でてたマッサージ嬢はすぐに仰向けにして、
また太ももなどを撫でながら今度はつるんと紙パンツの中に手を滑らせて来る。
こちらとしては全く通常のマッサージをしに来ている言葉の通じない外国人を装ってるので、
向こうとしても強引にそっち系に持って行って通報されたりしても困る。
しゃーないのでつるっと手が滑った振りをしては紙パンツの中に侵入して来るのである(笑)
こちらとしても命がけである。
「立ったら抜かれる」
とばかりその時は三井はんの顔を思い浮かべて寝たふりを決め込んだ。
數十分その戦いは続き、頃を見てガバッと起きた振りをして
「あ、寝てた。マッサージ終わった?サンキュー気持ちよかったよ」
と言って事なきを得た・・・
「せっかくなんだから抜いてもらえばいいじゃん」
などと思っている読者の諸君は考えてみて欲しい。
そんな場末の施設で大晦日に抜いてもらって、
そのまま悲しい気分で新年を迎えてどうしようと言うのだ(号泣)
それ以来ワシは信頼出来るマッサージ店しか入らない!!
ちゃんとした韓国サウナか盲人マッサージ!!
ところがここに来て海南島の仕事から帰って来たらどうも五十肩が痛くてたまらない(>_<)
時はまた大晦日の夜。。。いつもの盲人按摩は開いてないだろうし、韓国サウナに行くにも排ガス規制で車が使えない・・・
というわけで近所のセレブ街の一角のマッサージ屋に飛び込んでみた・・・
まあ見るからに高そうではあるが、年越しである!!
ちょっと贅沢してもよかろうということで飛び込んだ!!
高級マッサージ店 - Spherical Image - RICOH THETA
豪勢な個室に連れて来られ、服を着替えさせられ・・・
ベッドの上にはご丁寧に薔薇の花なんかが置かれていた!(◎_◎;)
いや、何よりもどうして浴槽がある?・・・
これ、新手のソープみたいなんちゃうん?(>_<)
マッサージ嬢が部屋に入って来た・・・
化粧っ気もなく、ちょっと太っていて失礼だがあまり美人でもない性格の良さそうな彼女を見てワシは直感的に感じた。
「この人は抜かん!!(王様のジェスチャーを真似ながら)」
桶に入れたお湯に足を浸しながら彼女がちょっと肩を揉んでくれる・・・
「う、上手い!!(◎_◎;)」
マッサージはマッサージする相手との相性も必要なので、
おそらくその相性がぴったりなのだろう・・・
「左肩が痛くて腕が上がんないのよ〜」
「五十肩」という中国語があるのかどうかわからんのでとりあえず症状を説明すると、
「あら、それだったらひとつ上のコースがいいわよ、むっちゃ気持ちいいから」
まあ「むっちゃ気持ちのいいコースがあるから」と言って抜き系を勧めるマッサージ店もあるが、彼女が勧めたのはオイルマッサージのコースだった。
このオイルマッサージというのが実はワシは全く好きではない。
何を好き好んで初対面の女の前ですっぽんぽん(にさせるのは抜き系だが)になって、シャワー設備もない店舗で身体に油塗られてそのまま帰らねばならんのだ!!
・・・と思ったが、
「そうか、そのためにこの浴槽があるのか・・・」
と思い直して決意!!
日本円にして7000円ほど、
普段の盲人マッサージやタイでやるマッサージに7回行けるが、
まあ日本でも2時間たっぷりマッサージやってもらったらそれぐらいするだろう。
一年頑張った自分へのご褒美である・・・
ところがこのオイルマッサージが今までに味わったことのない感覚!!
指圧というのを転がしながらやる感覚で、
痛いと言えば痛いのだが、中国語で言う「酸っぱ痛い(中国では肩がこってる状態を"酸っぱい"と表現し、このような感覚を酸痛(SuanTong)と言う)」という感じで全然苦痛ではない。
しばらくして彼女が
「ちょっと携帯貸して。写真撮ってあげるわ」
と言うので何を撮るのだろうと思ったらワシの背中を撮ってくれた。
もうね、びっくりである。
オイルマッサージってこんなんなるのね!(◎_◎;)
悪い血が全部浮き上がって来て、
特に背骨の辺りの何とかというツボと何とかというツボは特に悪いらしい・・・
「左が特に悪いけど右も同じようにやっときましょうね」
と言って左右同じようにやり終わってまた写真を撮る。
「ほらね、やっぱり左の方が悪いでしょ」
やはり悪いところの血が浮き上がって来るようだ・・・
「これだったらバークアンやった方がいいわよ」
バークアンというのは丸い壺みたいな容器に火を入れて肌にくっつけて真空にして血を吸い出すあれかと思ったがのだが聞いてみると違うらしい・・・
料金表見せられて「むっちゃ気持ちいいから」と言われて頼んでみた。
そしたらうつ伏せなのでよくはわからんが、
今度は背中を何やら道具のようなものでガリガリ擦るのだ!(◎_◎;)
そりゃ皮膚としては擦られて削られてるんだから痛いは痛いが、
まあそんなに我慢出来ないほどのものではない。
やり終わってまた写真を撮ってくれた。
まあきっと壺を使って血を吸い出すのと同じで、溜まった悪い血を出しているのだろう。
「今晩はお風呂入らないで下さいね」
え?!(◎_◎;)・・・風呂入れへんの!!
けっきょくオイルは風呂で洗い流すのではなくタオルで拭くだけで終わってしまったが、
不思議なことに全然上がらなかった左肩が全く問題なく上がる!!(◎_◎;)
一日経った今でも皮膚の痛みはそれは少々あるが、
肩こりとかいうものが綺麗さっぱりすっ飛んで行った状況である。
会員になれば今後安くなるわよと言われたけど、
普段の10倍近い値段のこのマッサージに今後来続けてゆく経済力があるかどうかわからないのでお断りしたが、
仕事に対する真面目さ、仕事のレベルの高さに感激して彼女には200元チップをあげた。
記念にパチリ!!
中国にもこんなプロがいるんだなぁと感心!!
日本円で1万円ちょっとでこのレベルだったらなかなかいいかも知れんぞ・・・
また一年頑張って、次の大晦日にでもチャンスがあったらまた行くとしよう〜・・・
Posted by ファンキー末吉 at:08:52 | 固定リンク
2016年11月 3日
スケジュール管理どころかSIM管理も(>_<)
20数年来の老朋友LuanShuの満を辞したアルバム発売とソロコンサートのことをずーっと手伝っている・・・
まあ前回の青島でもそうだったのだが、
「友人を助けてる」と言う作業がいつの間にやら「音楽監督」の仕事となってたりする。
まあワシにしてみればいいのよ、
こいつらがいたからワシは今中国にいるわけで、
中国的に言うと困った時はいつも助け合う!!
これが文化大革命の嵐、もっと言うと4000年の戦乱の歴史を生き抜いた中国人民の生活の知恵である・・・
元はと言えば10月に予定されていたこの大きなコンサート、
いろんな要因でドタキャンになって11月28日に執り行われることになっていた。
まあでもこの10月のキャンセルは有希子(よーしーず)とかにはことの外ダメージを与えたらしく、
「このためにもう渡航チケットいくら無駄になったと思ってるんですか!!」
とおかんむり(笑)
まあでも中国のミュージシャンはよくやっている。
ドタキャンとドタキャンの合間にどれだけ実入りのある仕事を入れてゆくか・・・
もうね、中国でのスケジューリングなんて「芸術」!!(笑)
そんな中で20数年生きてるワシがこの11月28日が12月21日になったっつうのには切れた(>_<)
ワシはこのために既に北京ー関空のチケットを押さえている。
前日は宣化(XuanHua)というところでひとりドラム活動なので、
Pearl関係に無理を言って、終了した11月27日の夜汽車を取ってもらって、
そのまま朝北京に着いて関空に飛ぼうというスケジューリングにしている。
ところがこの飛ぶ日にコンサートをやることになったのが11月28日・・・
航空チケット取り直しである(涙)
ワシが押さえているチケットなんか激安チケットなんで、
変更もキャンセルも出来たもんじゃない・・・
このチケットを捨てて新たに29日当日に高知に間に合うチケットを取るしかない・・・
(しかも東京羽田経由・・・高いし遠い・・・涙)
それがドタキャン(>_<)
もうね、言ってやりましたよ!!
この度重なるドタキャンでワシがどれだけ損失を被ったか・・・(涙)
まあ損失は弁償するということで、
この日にブッキングしていた寺内の損失も弁償してもらうことでまあ一応は話は落ち着いた・・・
ところが次に絶対に問題発生するのが次の決定日におけるリハーサル、本番のすべてのミュージシャンのスケジューリングである・・・
「全てのミュージシャン、スタッフのスケジュールを表にしろ!!」
まあ「音楽監督」の端くれ、とにかく若いスタッフに檄を飛ばす・・・
そんな中でワシのスケジュールにぽっかり「12月17日LuanShu押さえ」・・・
・・・ってこれ何?・・・
当のLuanShuも「これ・・・覚えとらんなぁ・・・」(笑)
まあ本人も覚えとらんのだからこのスケジュールをカレンダーから抹消!!
あとは同じ日に仮押さえである王偉(Wang Wei)からの仕事で許飛(Xu Fei)の四川省ツアーと、
何やらわからんがWINGが「押さえといてね」というスケジュール(笑)
LuanShuのが外れたのだからこのどちらかを決定にせねば・・・
と思ってたら、外れたと思ったその日の仕事のスタッフからWeChatでメッセージが廻る・・・
零点(Ling Dian)のボーカル周晓鸥(Zhou XiaoOu)の仕事だったのね・・・
グループにはちゃんとLuanShuも加われていて、
まあこれがこの前言ってた仕事なのね、と・・・
(本人忘れてたけど・・・笑)
でも詳細を見るに、テレビの収録で場所も小さいのでひょっとしたら電気ドラムになるかも・・・(>_<)
あのね、電気ドラムってドラムじゃないから!!
全く違う楽器でワシ専門外で叩けんし・・・
じゃあ競合してる他のスケジュールの発注主と連絡を取る・・・
許飛(Xu Fei)はまあ12月3日の北京が参加出来る人じゃないとダメなのね、
じゃあWINGは・・・
なんと雲南省ツアー!!!!(◎_◎;)
もうこれ行くしかないでしょ!!・・・
・・・ところがこういう仕事に限ってなかなか決定が出ない(>_<)
もうしゃーない・・・両方にOKだと言ってどっちかがドタキャンになるのを待つ!!(笑)
でもね、これが結構うまくいったりすんの・・・(驚)
結局11月27日の大阪行きチケットも、
航空会社から「遅延になります」連絡が来て、
「そんなん困るがな、次の乗り換え間に合わんし!!」
と乗り換えもないのにゴネたら激安なのにキャンセル出来たり、
まあ中国式にはこれなんやろうなぁ・・・(笑)
そんなこんなで北京空港ではすったもんだやりながらスケジュール調整の嵐・・・
そして日本着〜・・・
というわけで、ワシらモバイラーはそれぞれの国の空港を降りたらまずすることはSIMカードの交換である!!
日中の行き来ではメインのiPhoneのSIMと緊急連絡用のMarshall PhoneのSIMとを入れ替えるだけでメイン着信電話の入れ替えは終了だが、中国と日本ではそれぞれiPad用のSIMも使っている・・・
前回タイで前々回使ったSIMをiPadに挿してみたが、
期限切れでずーっと圏外なので、
中国に帰る時に中国のiPad用のSIMに交換して機内で使えないSIMをぶち捨てた!!
さて今回日本に帰国して、メインのiPhoneとサブのMarshall Phoneの入れ替えはばっちし!!
iPadに入っている中国用データ通信SIMを抜いて、タイのコインとかSIMなんかと一緒にしまってある日本用フリーテルSIMを取り出して挿す!!
・・・っと思ったらやっぱ圏外!(◎_◎;)
老眼なのでよく見えないのでiPhoneの虫眼鏡ソフトで拡大して見て見る・・・
diacってこれ・・・タイのSIMやん!!!(>_<)
っつうことはワシ・・・
タイから帰る飛行機の中で・・・
わざわざ期限切れで使えんSIMをiPadから抜いて・・・
中国のiPad用のSIM入れて・・・
ほなこのタイのSIMは使えんのやから捨てるわ言うて・・・
日本のフリーテルのSIM捨ててもーたんやな!!(号泣)
スケジュールもSIMも管理を間違えると大変なことになりまする・・・(>_<)
Posted by ファンキー末吉 at:01:45 | 固定リンク
2016年10月29日
スケジューリング崩壊の男
全くもってどうしてこんなことが起こるのかわからない!!(>_<)
今日10月28日と29日はカレンダーに「爽子上海」と書かれているではないか・・・
日にちが近づいて来たら
「ぼちぼちリハをやりましょうか」
と連絡が回るだろうと思ってたらそれがさっぱり回って来ないので当の爽子に問い合わせてみた・・・
「え?月末にはライブはありませんよ・・・」
え?!(◎_◎;)・・・
月の間違いかとも思ったが、
月が変わればこんなにすぽっと週末になるのも難しいしまさか月違いではないと思うのだが・・・
中国ではWeChatというLINEのようなアプリでスケジュールのやり取りからギャラの振込から全てが成されるので、
過去の爽子とのやり取りを調べてみるがこれに関するやり取りが全然見つからない・・・
ワシのこのスケジュール入れたの誰〜?・・・
いや、書き入れたのは紛れもなくワシ自身ぢゃが、
問題は誰からこのスケジュールをブッキングされたのかということである・・・
爽子と言えばバンドのキーボードはあのデブだし、
まあ他の仕事もあいつと一緒な場合が多いのでとりあえずヤツに聞いてみる・・・
「あ、それ僕です・・・張墙という歌手だったんですが、別の人に決まりました」
(>_<)・・・なぜ早くそれを言わん・・・
・・・ってか週末にスケジュールをこんだけ長く押さえてたら、
毎週末に何十本もの音楽イベントが行われているこの国でこのスケジュールのために何本仕事を失ったかわからんぞ・・・(涙)
っていうかこいつ・・・
仕事詰め込み過ぎてスケジュール管理ぐちゃぐちゃ過ぎ!!(>_<)
先日もFunky末吉Trioのライブ、
「え?今日ライブなんですか?僕聞いてませんよ」
と抜かすのでWeChatでのやり取りをスクショして送りつけてやった!!
そうそう、今後はスケジュールに書き入れる時にその時のやり取りまで書き入れるのぢゃ、そうすればその仕事の発注元をすぐに検索出来るようになる・・・
しかし問題はこのぽこんと空いたスケジュールをどうするかである・・・
止まったら死ぬでぇ〜動いてなかったら死んでしまう・・・
ところで冬になるといろんな動物は基本的に活動量が落ちるらしい・・・
いやぁ・・・それにしても北京は近頃まためっきり寒い・・・
ワシには珍しく「休みたい」とか思うというのは、
歳のせいだというよりはひょっとして基本的に活動量が落ちて来ているのかも知れない・・・
月で暦を作ってた旧暦というのは実は本当にうまく出来ているらしく、
旧暦で春節を過ぎると暖かくなるし、
中秋の名月を過ぎた頃からほんといきなり寒くなる。
冬はマイナス15度、夏は40度、春は黄砂が吹き荒れ、秋だけが良い季節なのに1週間ぐらいですぐ冬になってしまうのだ・・・
全くもって夏生まれの南国育ちが何を好き好んで北京だの八王子だの・・・(>_<)
寒いと肉体の動きが鈍くなるだけでなく、
どうやら脳の働きや精神状態にも大きな影響が出るようだ。
一番よくないのが寒いと「悲観的」になること・・・
その昔、借金で首が回らなくなった時にタイに行って、
足裏マッサージなどしながら
「ま、何とかなるか・・・(笑)」
となって本当に何とかなったことがある。
そうよ、暖かいところにいるときっと人間は「楽観的」になるのよ・・・
・・・ということでちょちょいとチケットを検索してみる・・・
安い!!!(◎_◎;)
2万円ちょいで往復出来るのな・・・
ちょいと夜行バスで高知まで行って来るわ〜みたいなもんではないか・・・
このアレンジ
https://www.funkyblog.jp/2016/10/post_1153.html
の仕事が終わったら自分へのご褒美にポチっとしようかな・・・
などと思いながら、気がついたらまだ終わってないのにポチッ!!(笑)
いや〜アレンジ料だけもらって歌入れやミックスダウンまで付き合ってらんないでしょう・・・
後は任せるから〜というわけで「一泊一日」の弾丸ツアー!!
そして出発の前日、デブと一緒に唐朝老五(TangChaoLaoWu)のリハーサル!!
11月19日上海中国ロック30年の歴史コンサート唐朝老五のリハーサル!! 超高速のツーバスがあるのでX.Y.Z.→Aモードで上半身裸で叩いてます!! - Spherical Image - RICOH THETA
もうね、リハの初日だったけど汗だくでドラム叩いた甲斐があって、
「リハーサルそんなにたくさん要らないよね、どれかキャンセルして休みにしよう」
ということになった\(^o^)/
そうするとすかさずデブ・・・
「あ、僕30日は地方でコンサートがあってリハに参加出来ないのでこの日をキャンセルにしましょう」
・・・ってあーた!!またダブルブッキングしとるやないかい!!(>_<)
姑息なこいつのこと、言い出すに言い出せなかったと見えて、
このチャンスにここぞとばかりダブルブッキングを解消する(笑)
そしてふとWeChatに目をやると・・・
とある別仕事のWeChatのグループ・・・
ミーティングのスケジュールのについてヤツのこんな発言・・・
「11月31日のミーティングなんですけど・・・
僕はその日外地でコンサートがあるので参加出来ません」
またかい!!!(◎_◎;)
前回のミーティングの時に「31日なら空いてます」と言ってたではないか!!
なんで参加出来んのを「出来る」と言ってスケジュールを入れる?!!(>_<)
・・・ということは・・・
30日と31日の仕事がなくなったということは・・・
ワシ別にこんな弾丸で帰らんでもええやん・・・
というわけでタイ!!
11月1日にはリハが3つとミーティングがひとつ入っているが・・・
まあギリギリまでゆっくりするとしよう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:01:39 | 固定リンク
2016年10月12日
またもや中国ロック界を騒がすインタビュー記事
目が覚めたらまた微信(WeChat)でこんな記事がいっぱいいっぱいリツイートされている。
这个日本人亲身经历了黄家驹的离世,见证了中国摇滚26年,如今却待在中国不愿离开
(この日本人は黄家駒の死を経て中国ロックの26年を見届け、今も中国にいて離れたくないと思っている)
自分の記事がネットを騒がすことはよくあったが、これはちょっと大きいな・・・
ちょいとここに残しておこうと思う・・・
不得不说,日本的大仙儿太多了。但要科普的话,滚君最先想到的不是什么大牌乐队,而是常年混迹在中国的"怪蜀黍"Funky末吉。
(言うまでもなく、日本には大仙人はたくさんいるけれども、一番伝えるべきだと私が思うのはどんなビッグなバンドよりも、この長年中国にいる「変なおじさん」Funky末吉であろう)
最近のネット言葉「怪蜀黍(変なおじさん)」で始まるこの長い長い文章は、
その膨大な取材力と筆者の思い入れと共に、
読み進むにつれて、本当にこの変なおじさんが中国ロックと共に長く生き、尻尾が8つに分かれた妖怪となってこの世に存在しているかの印象を受けるようになって来る(笑)
很多朋友都见识过他的鼓技
(たくさんの友人たちは彼のドラムの技術は目にしたことがあるだろう)
ということで紹介されているのが許魏(Xu Wei)の楽曲と伝説のコンサートでの鼓三儿とのドラムバトルの映像(ワシ・・・ほとんど写ってないがな・・・笑)
その後鼓三儿も死んでしまったのでこの映像も伝説化してしまってるなぁ・・・
そしてどこから拾って来たのかX.Y.Z.→Aのアー写を爆風スランプとして紹介してるのはご愛嬌として、Funky末吉が90年から黒豹やBEYONDと出会った話が始まってゆく・・・
そしてこのインタビュー映像となるのだが・・・
愛ちゃんの結婚インタビューの中国語に比べたらワシの中国語・・・ヘタやな(>_<)
ある日香港からインタビューさせてくれと言われて、
微信(WeChat)の無料音声通話で寝っ転がって話していた記憶があるが・・・
こんな風に使われていたのね(笑)
この写真なんかどこから探して来たんやろ・・・
WINGおらんし・・・喜多郎さんおるし・・・(笑)
そしてここからが不思議なのだが、
他曾家日本的高知新闻上连载过几期他与Beyond的故事,其中就详细描述了家驹去世时的场景
(彼は日本の高知新聞での連載においてBEYONDの話や、その中には家駒がこの世を去る時の場景について書かれてある)
高知新聞の連載を香港で入手したのか?!!!(◎_◎;)
そしてその文章を中国語に訳している・・・
新聞の写真まであるし・・・(驚)
まあその内容は私の自叙伝に書いたのと同じなのでここでは割愛するが、
日本人に向けて日本語で書かれた本がこうして中国語で紹介されるのは初めてのことで、
それがやはり中国人にとってはインパクトがかなり大きかったのだろうと思う・・・
世界中の中華圏では知らない人はいない日本では全く無名なロッカーがその日本で死んでゆく・・・
その無念さ、無力感、絶望感・・・
それを胸に抱いて亜州鼓魂というアルバムを作り、
そしてその中の家駒への追悼曲「Memories」の音源が紹介される・・・
なんかねぇ・・・この中国語の文章を読んでるうちにいろんなことが思い出されて来て胸が熱くなった。
ワシが絶望したのは「人が死ぬ」ということではない。
この高知新聞のタイトルでも書かれているように、
「無名は価値がないのか?」
ということなのである。
まあいわゆる「芸能界」というところの価値観とこの日に「決別」したのであろう・・・
そして中国に渡って、この新しい「仲間たち」と新しい価値観を求めて戦って来た。
Funky和中国一代最朝气、最热血的年轻人一起变老,也见证了中国摇滚乐的兴衰和发展
(Funkyは中国のあの輝ける世代、最もエネルギッシュな若者と一緒に年を取り、そして中国ロックの繁栄と衰退を見届けて来た)
そして最後には当時のステージ衣装であった毛沢東のTシャツ、
つまり「毛沢東を背負って」ドラムを叩く写真が紹介されている。
まさしく「怪蜀黍(変なおじさん)」(笑)
この記事は黄家駒を中心に綴られていてあまりにも「伝説」っぽ過ぎて、
「何や俺・・・もうすぐ死ぬんちゃうん?」
などと思ってしまうが、
このまま生き続けてドラムを叩き続ければきっと尻尾が8つに分かれて「怪蜀黍(変なおじさん)」が更にもっと怪物化してゆくことだろう・・・
人間を超えるぞ(笑)
日本では自分のインタビュー記事なんか破って捨ててしまいたいものばっかりだったが、
大きな情熱でこの記事をまとめて下さった著者に敬意と感謝を捧げます。
どうもありがとう・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:59 | 固定リンク
2016年9月26日
中国のヤなとこ日本のヤなとこ
まあ中国のヤなとこを挙げれば枚挙にいとまがないが(笑)、
先日のリハスタからの帰り道では本当に腹が立った・・・
とある小さな交差点、
こちらの道路は非常によく流れていて、
交差する道路はむっちゃ渋滞・・・
ところがその渋滞の交差点にバスが突っ込んで来て、
そのままこちらが青信号になっても前に行くことも下がることも出来ない・・・
しかも2連結バス(>_<)
これが30分ずーっと道をふさいでるおかげでこちらは全く動きが取れない。
当然ながらこちらの道路も大渋滞となるわけだが、
こちらの後ろの方の車は割り込んででもワシらの車の前に出たいと思って遠い遠い後ろの方から対向車線を走って来るのだが、
そうすると右折してこちらの車線に入って来た車と正面でぶつかることになり、
「お前が下がれ」だ「いやもう下がれない」だのダンゴになって渋滞に拍車をかける(>_<)
もうね、こんなことが珍しいのじゃなくしょっちゅう起きるのだ(涙)
また、小畑を迎えに行った空港の駐車場・・・
1度目は定刻通り朝の4時半に行ったのだが飛行機は2時間遅れということで一度院子に引き返し、今度6時半に行ったら駐車場はごった返している・・・
そんな中に駐車線の2台のど真ん中に駐車してる人・・・(>_<)
もうね、「民度が低い」と言ったらそれまでだけど、
日本人だってバブルの頃「エコノミックアニマル」と言われ、
ジャパンマネーで現地人のほっぺた叩いてもっとひどいことをしてた。
生まれて初めて地下鉄で席を譲られたのは北京だったし(笑・・・そして涙)
中国の民度は徐々に上がって来ているのを実感している今日この頃である・・・
ところが民度が世界一高いと個人的に思っている日本でヤなことがあるとこれは本当に落ち込むしかない・・・(>_<)
日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールの会場を後にして、中国人ご一行を連れて電車で東京まで帰り道、
渋谷有希子嬢が住む街の駅に停まった時にその駅名の看板を写メ撮って送ってやろうかと思って開いた入り口に向けてカメラを向けたら、
自分が撮られてると思ったのかなぁ、一瞬固まった人がいたので、
「違うんですよ」
という感じで一度カメラを下ろして、人がいなくなったら撮ろうと・・・
そんなことをしてたら、きっとワシがそれをやっているドア越しの隅っこの場所を取りたい人がいたのかな、いきなり「何やってんだよ」と怒って来た。
まあ邪魔になったとしたら自分が悪いのでぺこりと頭を下げて座ったら、
その人・・・ずーっと「どこのバカだよ」と怒っている。
中国人ご一向も「何事か」とこっちを見るけど、
一度はもう会釈で謝っているし、
中国人ご一行に気を使わせても悪いので聞こえない振りしてたら、
そのままずーっと「どこのバカなんだよ」とか「バカが!!」とかずーっと大きな声の独り言みたいに喋り続けている・・・
いや、先日Facebookの友人の投稿でも似たようなことをUPしていた。
電車の中で友人と立ち話をしてたら同じように注意・・・というかその場合は絡まれるレベルになって警察にまで行ったらしい・・・(恐)
日本の電車の中は中国に比べたら圧倒的に静かである。
反面「静かにしなければならない」という圧迫感がある。
もうここまでやると「電話禁止」どころか「会話禁止」やな・・・(笑)
まあ優先座席付近で携帯は電源を切ろうというのはわかるが、
そもそも長い時間電車で移動せねばならない時にこの「電車内通話禁止」というのは結果「余計な仕事」を増やすことになって仕事効率が落ちるぞ・・・(>_<)
新幹線だとデッキに出てかければいいのだが、従来線だとそうはいかない・・・
急ぎの電話だと近くの駅で降りて電話で話して次の電車に乗る。
乗り換えが悪いとそのせいで何十分も到着が遅れる・・・
だから(というか海外でいることが多いので)ワシは基本的に
「電話しないでくれ、メールで連絡くれ」
ということにしている。
でも電話でやれば1分で終わるやり取りもメール等でやろうとすると同様に何十分もかかったり、返事が遅かったら急ぎの用事で間に合わなかったりするから仕方ない。
その気持ちはわかる!!!
でもね、シンガポール行ったらもっともっと規則が厳しいの・・・
MRT(地下鉄)には様々の禁止事項
・列車内、駅構内でのポイ捨て
・列車内、駅構内での喫煙
・列車内、駅構内をうろうろ歩き回る?
・切符を折り曲げる??
すべて最高5000Sドルの罰金!(◎_◎;)
まあね、どんだけ罰則が多くてもそのお国に行ったらそれを守るよ。
当然ながら日本でそれが禁止ならそれは守る・・・
まあそれが「窮屈」かどうかは別にしてね・・・
そもそもワシは別に電車で隣の人が電話してても気にならない。
中国語は日本語よりうるさく聞こえるし、
別に電話してようがお喋りしてようが気にならない。
まあ日本では多数決かなんかで気になる人が絶対多数なのね・・・
しゃーない・・・この国に来たらそれを守る。
それは当たり前のことである・・・
などと考えていたら今度はワシの電話が鳴った(>_<)
いや〜ワシは中国にいる時は日本のSIMをMarshal Phoneに挿して、
取りあえずボリュームを最大音量にしている。
日本の電話が鳴る時なんて、
今ではもう施設に預けているお袋の容態ぐらいなもんで、
それはもう「緊急電話」なので最大音量にしているのだが、
日本に帰って来たら逆に中国のSIMを入れてて、
そしたら中国のセールス電話が鳴るので電源を切ったりしておくのだが・・・
何の間違いがそれがまた最大音量になってたらしい・・・(>_<)
もうね、Marshal Phoneって呼び出し音もむっちゃ「ロック」なのよね・・・
それが電車内に鳴り響く・・・(>_<)
慌てて電源を切った・・・
そしたらもうね、先ほどのおじさん鬼の首を取ったように
「うるせーな!!どこのバカだよ!!」
を大声で連発する(涙)
まあ悪いのは電源を切り忘れたワシなのだ。
申し開きも出来ない・・・
だけどここで立ち上がって謝りにでも行ったら間違いなくこのおじさんと言い争いになる(>_<)
そうするとまた中国人ご一行にむっちゃ気を使わせてしまうことになり、
せっかくの楽しい旅が台無しになってしまわないか・・・
そう思って、心の中で何度も何度も
「ごめんなさいごめんなさい」
と手を合わす。
しかしおじさんは容赦をしない・・・
結局30分ほどだろうか、
ワシら一行が乗り換えで電車を降りるまでずーっと
「バカが!!バカが!!」
を大声で繰り返していた・・・
確かにそのバカはワシなんだけれども、これってきっと中国人だから日本語わからんだろうと思って言ってるのかなぁ・・・
本当に日本語わからんかったら気にしないだろうが、
日本人で気の弱い人だったらもう居場所がなくて途中下車するか、
ひょっとしてもっと気の弱い人なら自殺するかも知れんなぁ・・・(涙)
シンガポールは確かに日本の数倍規則は厳しいが、
それを破った人間に対して罰金以上のこのような制裁を加える人はいない。
(と思う・・・少なくともワシは見たことはない)
「日本って住み辛いなぁ・・・」
こんな時にまた思ってしまうのだ・・・
まあそんなことがあって、ご一行も無事に投宿先の新大久保に着いて、
丸亀製麺があったのでみんなを連れて行った。
丸亀製麺と言えば北京のが最悪だったので(笑)、
少しでも本場に近い讃岐うどん(香川県の会社ではないですが)を食わせてやりたいと思って、
彼らの投宿先の新大久保近くの丸亀製麺を探して連れて行った。
まあでもうどんって中国人10人で食うもんじゃないな(笑)
ひとりで10人分いろんなうどんを注文して、みんなでシェアして食べてみて、
美味しかったのをまたお代わりしたらええやん・・・
とひとりで注文してると後ろで待ってる人ずーっと待ってないかんのな(笑)
すんまへんなぁすんまへんなぁと頭を下げながら、
みんなの座っているテーブルに配ってこれは醤油をかけるこれはタレにつけるなど説明して、やっと一息・・・
好物の醤油うどんをすすってたら、
店のおばちゃんがやって来て床のある部分を見て烈火のごとく怒って大声で叫んでる。
「誰なの!!これー!!!」
見ると携帯の充電器を床のコンセントに挿して充電している・・・
剣幕におされて慌ててコンセントを抜いて携帯を取って帰った中国人に
おばちゃんは更に怒鳴り続ける。
「ダメでしょう、そんなことしちゃー!!!」
中国では普通にOKどころか無料サービスとして充電器の充電までしてくれるぐらいだから何も考えずに充電しちゃったのだろう・・・
「日本じゃ充電しちゃダメなんだよ」
と中国語で優しく言ってやると、
おばちゃんは言葉が通じないと思ったのだろう、
慢心の力を込めて両腕でバツ印を作って彼に向かってこう叫ぶ。
「ダメー!!!」
もうねぇ・・・
「お前はコント番組の佐藤蛾次郎か!!(笑)」
というぐらいの大袈裟なポーズで、店中に響くような声で怒る・・・
まあその中国人も恥ずかしくて小さくなっているので、
ワシは全然気にしない感じで敢えて別の話題を振る・・・
ここで詳しく説明とかしてたら彼のメンツはますますズタズタになっちゃうからね・・・
確かに日本では勝手に充電すると「電気を盗んだ」ということでこれは「窃盗罪」である。
ワシもそれに気付いてたらうまく説明してやめさせるのだが、
うどん配るのに忙しくて気付かんかった・・・(>_<)
なんかね・・・窮屈(>_<)
先日も夜中に羽田に着く便で帰ったので、
初めて「天然温泉平和島」の「深夜パック」なるものを利用してみた。
深夜便で帰国、もしくは来日して、
タクシーでホテルに行くような人種じゃない人間は、
多かれ少なかれワシのような「バックパッカー」であろう(笑)
ワシらみたいな人間が「泊まる」時に一番気にするのは
「デバイスの充電」
である!!
ところがこの施設の全てのコンセントは・・・
いや、わかるよ!!勝手に充電したらこの国では「窃盗罪」でしょ!!
でもひとつのデバイスを充電して与える損害っていくら?・・・
ここまで目くじら立ててその小さな損害を守ろうとする「商売」ってどうなん?・・・
中国という国は、まあ最近はよくなったとは言っても、
ワシの知る限り世界で最も「サービス」の悪かった国であろう・・・
そんな国でさえ、携帯の充電を頼むと、
仏頂面したレストランのお姉ちゃんでさえ
「しゃーないわねぇ」
とわざわざカウンターで充電してくれる・・・
サウナなんかでは預けている電話が鳴ったらわざわざ風呂場にまで電話持って来てくれるぞ(笑)
「充電出来ないんですか?」
カウンターのお兄ちゃんに聞いてみた。
お兄ちゃんは丁寧に教えてくれた。
「モバイルバッテーリーを300円でレンタルしますんでそれを使って充電して下さい」
いや、電気をバッテリーに充電してそれで充電するぐらいなら、
最初っからお金払って直接充電した方が環境に優しいんですけど・・・
そもそもワシのデバイスは多い(>_<)
iPhoneにiPad Pro、Marshal Phoneにモバイルバッテーリー・・・
そして何よりもパソコンでしか出来ない仕事もあるわけだからパソコン自体も充電しなければならない・・・
「コンセントからの充電も出来ますよ。30分300円になります」
!(◎_◎;)・・・全てのデバイスとパソコンを充電したら・・・
300円×3+300円×パソコンが満充電出来るまでって・・・
入浴料よりもっともっと高いやん!!!(涙)
確かに勝手に充電するのは「窃盗罪」、これはわかる!!
でも世界的にサービスが最低レベルであった中国でどこでも充電ぐらい無料でしてくれるのに、
これが世界的にサービスが高度だと言われてる国の「商売」なのであろうか・・・
窮屈じゃぁ・・・住みにくいのう・・・
などと思いつつ先日の上海ツアー・・・
北京駅に着いたら、座る場所がとっても少なくてみんな床に座ったり立ってたり・・・
なのにその少ないベンチってこれ(>_<)
その向こうの列ってこれ(涙)
もうね、電車の中でワシに怒ってたおじさん!!
渡航費出すから中国来て、
ここで大声で同じように30分「どこのバカだ!!!」って怒鳴っててよ〜
丸亀製麺のおばちゃん、丸亀製麺より高い時給出すからここで
「誰なの!!これー!!!」
って犯人探して、北京駅じゅうに聞こえるような大きな声で、
遠くからでも見えるような大きなバツ印作って叫んでよ〜
「ダメー!!!」って・・・
どっちもおそらくケンカになるな・・・(笑)
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2016年9月 4日
フェスティバルのハシゴ(2016年夏)
これだけ中国じゅうで山ほどの音楽フェスティバルが催されているんだから、スケジュールがガッチンコしない方がおかしい・・・
去年はこんな感じでフェスをハシゴし、今年も去年に負けずの移動距離を飛ぶこととなる・・・
もともとは周韧(Zhou Ren)の北京でのフェスが8月26日に入っていて、
爽子(ShuangZi)が同じイベントの最終日28日に入った。
そしてその間の27日に長春でのイベントが入ったので、
北京ー長春ー北京という移動を余儀なくされることになったのである。
26日のイベントのサウンドチェックは前日25日に行われることになったのだが、一緒に住んでいる布衣(BuYi)も同じく26日に同じイベントのサウンドチェックだと言う・・・
このイベントは各出演者の近所に送迎バスを出してピックアップして廻るというので、少々早く出る必要はあるが布衣のバスに便乗させて頂いた。
ガラの悪いのがどんどん乗り込んで来る・・・(笑)
まあこれが乗り合いバスやったら普通の人は絶対に乗らんわな(笑)
会場は北京市内とは思えないむっちゃ広い芝生の公園だった!!
会場着いた・・・広い!(◎_◎;) pic.twitter.com/t5Ww9BkKbL
— livebarxyz(ファンキー末吉) (@livebarxyz) 2016年8月25日
なんと主催者は以前のこのドタキャン騒ぎ(これとこれ)の主催者と同じで、
そのうちひとりは20年前からの友人でもあるので、
「26日にドラム叩き終わった瞬間に飛び出しで空港まで行きたいんだけど」
と相談しておく。
「よっしゃ、じゃあお前のために車一台用意しとくよ」
これで解決!!
タクシー呼んだり待たせたり、余計な手間が一気になくなった・・・(嬉)
当日!!
また布衣もバスに乗って早めに会場入り!!
バスに乗るミュージシャンもみんな「敬老精神」に溢れているので(笑)
ワシは最後部座席でごろんと横になれる。
いや〜これ全然違うのよ・・・疲れのとれ方が・・・(ホント)
さて会場着いたら先に布衣のライブ!!
そして周韧(Zhou Ren)!!
ちなみにどちらのギタリストも苗佳(Miao Jia)が弾いているので、
みんなが「なんだこれ苗家音乐节じゃねえか」とか
「苗家和他的朋友们じゃねえか」とか彼をからかうのがツボに入って、
ワシも彼を見る度にそう言ってからかう・・・
ワシはこの日の出演は周韧(Zhou Ren)のみ!!
彼のメニューにはドラムソロのコーナーもあり、
ネットにUPされてたので貼り付けとこう・・・
ドラム叩いたら即飛び出しで空港まで!!
何とか間に合って長春へ!!
着いたらワシを待ってすぐにゲネプロだと言われていたが、
結局は朝いちにゲネプロということで数時間ほど仮眠・・・
早起きしてサウンドチェック!!
ここでの出演はワシは李夏(Li Xia)と張嶺(Zhang Ling)のみ!!
のみったってふたつ出演するわけだが・・・(笑)
オープニングメドレーと唐朝老五のふたつがドタキャンになったからなのだが、張張(Zhang Zhang)はそのふたつに参加しているので、
レギュラーの鄭鈞(Zheng Jun)とワシと一緒の張嶺(Zhang Ling)と含めてまた4つ!!
ちなみに前回の北京のイベントではワシが4つでヤツは5つ・・・
なーに今回はリハのスケジュールがなかっただけで
次の上海はLuanShuと周曉歐(Zhou XiaoOu)と唐朝老五と、おそらくBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強とオープニングメドレーも入るだろうから5つじゃ!!!
と指折り出演バンドの数を数えて自慢するのも馬鹿馬鹿しいと思い直し、
いくつでもいい!!中国ロックの歴史に残るぐらいいい演奏をすることが大事なんだよと自分に言い聞かす・・・
ちなみに今回の李夏(Li Xia)の演奏、
全くワシのせいではないのだが、2曲目はベースが変則チューニングでチューニングを下げるのだが、きっと全体的に全部半音高い(>_<)
(こちら3番目のバンド)
もうね、やめて欲しいのこんなミス(涙)
ライブ終わって散々責めたが、本人はチューニングが狂ってることすらわかってないので全く気にせず飲んでるし〜(>_<)
ちなみに前回の北京のイベントで
「Funky〜久しぶり〜!!」
と声をかけられたこのイベントの主催者・・・
もう女漢子(NvHanZi:女性の豪傑の意)っつうそのまま!!(>_<)
土佐のはちきんのようにキンタマが8つあるんではないかというぐらい・・・
前回の北京では打ち上げで各テーブルを回って白酒でイッキをし、
酔い潰れて若いミュージシャンに担がれて帰って行ったが今回もこんな感じ・・・
想像するにきっと20年前出会った時にはペーペーのロック好きだったのだろう。
それが入党かなんかして今では共産党幹部かなんか・・・
昔好きだった仲間たちを呼び集めて大きなイベントをやりたい!!
私の今の力ならそれがやれる!!・・・
・・・ってなもんではなかろうか・・・
中国ではこういうロック世代が今政府の重要ポストに入ってたりするので、
経済のバブルと相まってロックが非常に盛んなお国柄になっているのだと言えよう・・・
そのおかげで爽子(ShuangZi)や李夏(LiXia)などの若い世代のバンドが日の目を見るようになってるんだから、中国ロックのためにワシも一緒に飲んで彼女を盛り上げてやろう・・・
まあ何じゃかんじゃで打ち上げも終わって朝5時起きで北京戻り!!
一昨日出演した北京のフェス会場へ向かう・・・
一昨日車の手配をしてくれた主催者である古い友人がワシを見つけてこう言う。
「おかえり〜Funkyさん、今日はどこに行く車を手配しようか?(笑)」
いや、もうどこも行きたくないし・・・と苦笑いで返すと、真顔でこんなことを言った。
「いや〜Funkyさんのドラムはやっぱ違うよ。
イベントには元スコーピオンズ(だっけか忘れた)とかのドラマーも来てたけど、
やっぱ全然違うよ。あんたは最高だよ!!」
主催者からこんなことを言われるなんてミュージシャン冥利に尽きるぜ・・・(感涙)
この日は爽子(ShuangZi)のステージだけなので、
他にも掛け持ちをしている苗佳(Miao Jia)を
「どうだい、苗佳和他的朋友们のイベントは?」
などとからかう(笑)
「かんべんして下さいよ」
と照れながら、
「でもFunkyさんの方が飛び回ったり一番忙しいじゃないですか」
まあ彼は同じところで4つのバンド、
ワシは北京ー長春ー北京で4つ。
張張は最初の北京がないが長春ー北京で5つ。
でもまあ「誰が一番忙しかった」とか「誰が一番稼いだ」とか関係ない!!
「誰が一番いい音を出したか」っつうのが一番大切なのである。
最後の爽子(ShuangZi)のステージも頑張って叩かせて頂いた。
ステージ袖で主催者である友人がこっちを見て親指を立てている。
これがやっぱ一番嬉しいよね。
爽子(ShuangZi)はこのイベントの大トリだった。
(偉くなったのう・・・)
スタッフが片付けに入り、ちょっと「祭りの後の寂しさ」が心に湧き出て来る・・・
「そうだ、ギャラを渡さなきゃ」
他のアーティストは最近ではみんなWeChatで振り込み(ホンマ便利になった)なのだが、
爽子(ShuangZi)はヤクザなので(笑)いつまでたっても現金でぽんと渡される。
中国の最高紙幣は100元札、たかだか1500円ぐらいなのだから、
数万円ぐらいのギャラだったらちょっとした「札束」になる。
写真に撮ってブログにUPして、
「こんなにもらいました!!でも日本円に両替したらちょっとしかないのよ〜」
とウケを取ろうと思ったら、渡された札束がむっちゃ薄かった(>_<)
おい!!爽子(ShuangZi)!!!
まあいい、金のためにドラムを叩いてるのではないのだ!!
そのままひとりで日本居酒屋行ってキープしてる焼酎を飲みながら3日間の余韻に浸った・・・
これでいいのだ!!
これでいいのだ!!
幸せじゃぁ〜
ドラム叩いて酒を飲む
今日は東へ明日は西へ〜
(名句)
Posted by ファンキー末吉 at:15:30 | 固定リンク
2016年8月22日
リハが組めるわけがない(>_<)
北京に帰って来た・・・
前回の北京ライブライブ以来だからほぼ一ヶ月ぶりである・・・
実は週末に3つ音楽フェスの仕事が入っている。
まず26日は「紅焼肉」という老摇滚(LaoYaoGun:ロックの大御所)のバンドのボーカル、周韧(ZhouRen)で北京のロックフェスに出演する。
1日飛ばして28日はラップ歌手の「爽子(ShuangZi)」で同じフェス。
ところがその間の27日に吉林省の長春というところに行かねばならない。
これが前回の「中国ロック30年の歴史コンサート」のツアー版。
その後11月には上海でもブッキングされている。
前回は「オープニングメドレー」と「唐朝老五」と「LuanShu」と「爽子(ShuangZi)と4つのバンドでドラムを叩いた。
同様に今回も
「え?ファンキーさんいるの?」
となると、
「じゃあうちでもドラム叩いて!!」
ということになる。
まあそれはいいのだ。
嬉しい限りである。
今回も数えてみると、
「唐朝老五」「張嶺(ZhangLing)」と「オープニングメドレー」、
そして「ドラマーが来れなくなったんだ(涙)ファンキーさんいるなら叩いて」という「李夏(LiXia)」(笑)
全部で4つね、はいはい・・・
と思ったら今度はBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強のバンドのドラマーとしても?・・・
先だっての日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールに参加した王暁旭(Wang XiaoXu)が鶴の一声、
「家強のバンドのドラマーは最近今の状況に胡座をかいてて緊張感がないから、
俺の権限で次の長春からドラマーはファンキーさんにお願いする!!」
と来ている。
まあ「今回は5つね」・・・
本番は問題ない。
まあ叩けばよいのである。
問題はリハーサルである。
今日西安から帰って、周韧(ZhouRen)のリハが5日間毎日入っている現状で、
爽子(ShuangZi)も含めてあと5つのリハをどこで組めばええのん?
もう分刻みである(>_<)
・・・ところが中国という国はそう時間に思い通りになる国ではない(涙)
北京のフェスティバルはこのリハのスケジュールの中で会場まで行ってゲネプロをやらねばならないのだ・・・
まあゲネプロ優先したらリハは無理やな(笑)
ただでさえ朝早くに集合して遠い遠い会場までゲネプロに行って、
帰って来て2本リハーサルして、
その合間にThe Push推乐队のレコーディングまで入っとる(>_<)
そして長春の主催者側からの爆弾発言・・・
「ゲネプロは前日の26日なのにファンキーさんが来れないってどういうことですか!!」
どういうことですかってそれなら「26日と27日」って二日間ってブッキングするべきなんちゃうん!!(涙)
ワシがトランジットでタイに行ってる間にいろんなバンドはワシの代わりに他のドラマーで何回かリハをやっていて、ワシが北京に帰って来たら更に1回か2回か合わせて本番・・・という腹積りでいたのだが、
リハのスケジュールが取れないどころかゲネプロにまで来れないんじゃぁ・・・
ということで
「すみません、やっぱそのドラマーで本番もやります」
とまず「唐朝老五」から連絡が来る・・・
まあ1曲しか演奏しないのに4回もリハをやるというこのプロジェクトには、
このスケジュールではなかなか参加出来ないのだから仕方がない(>_<)
「すみません、じゃあオープニングメドレーも今回は・・・」
はいはい、こちらこそすみません、ではそのように・・・
黄家強からは連絡が来てないが、
リハが取れないゲネプロも参加出来ないでは「まあ今回は」ということになるだろう・・・
「次は是非」ということで11月の上海は押さえられているのだが、
今回の教訓で前日もスケジュールを空けておこう(笑)
じゃあこれでいいのね・・・と安心してたらこんなメッセージが届く・・・
「Funky桑 26号晚我让摇滚三十年给你定最晚的一个航班去长春
所以你晚上演完出后务必要赶到啊
全演唱会的人等着你到了一块儿大彩排走台
你角色太重要别人替代不了
辛苦到时候赶赶场啦 机票订好后我发消息给你」
ファンキーさん、26日の夜は長春に行く最終便を中国ロック30年側に押さえさせるから、あなたはフェスでの演奏が終わったら必ず間に合うようにそれに乗ってね。
全出演者はみんなであなたの到着を待ってからゲネプロをやるから。
あなたはとても重要な立場なんだから他の人には代われないの。
ご苦労だけど間に合うように来てね。
チケットが取れたら情報を送るから。
(>_<)
26日7時半に北京の南の外れの会場で演奏が始まって、
(予定通りに始まればですが)
8時過ぎには終わって、
(予定通りに終わればですが)
タクシーかなんかを待たせておいて、
(予定通りちゃんと待っててくれればですが)
それに飛び乗って10時までに北京の北のはずれにある空港に着いて
(予定通り着けばですが)
11時の飛行機の飛び乗って
(予定通り飛べば)夜中の1時には会場着いてゲネプロ?・・・
それを全出演者が雁首揃えてワシの到着を待つ?・・・
もう勘弁して下さいよ(>_<)
ワシいなくても他のドラマーでやって下さい!!
お願いします・・・(涙)
写真は毎日ベタで行われている周韧(ZhouRen)のリハーサル・・・
5回もリハ必要か?と思ったが、
久しぶりのライブで、古い曲もバンドでリアレンジして、
新しいスタイルの「紅燒肉楽隊」としてステージに立ちたいのだろう・・・
そもそもこのバンドの26日出演さえなければ全てのバンドでゲネプロも出来てリハも出来て、一番丸かったのだが・・・
自分をご指名でお願いされてそれを自分で断るのはやはり心苦しい・・・
出来ることならその望まれるものをなるだけ全部実現してあげたい・・・
物理的に無理で先方から断られる方が気が楽である。
まあ女性を自分から振るより振られた方が気が楽なのと同じか?
振られたことしかないが・・・(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:09:28 | 固定リンク
2016年8月 2日
喜欢!(XiHuan:好き!❤️)
元はと言えばこの張嶺(Zhang Ling)の撮影の時のことである。
カメラマンのアシスタントとしてえらいべっぴんさんが来てはるなぁとは思っていた。
まあ男とはアホなもんなので、ちらちらとワシの方を見ている視線を感じるような「気のせい」は、まあ大女優と会った時にもそういう風に思うのだからこりゃもうどうしようもない(>_<)
人間とは「煩悩」の生き物なのだから、
偉大なドラマーを目指す人間としてはどれだけその「煩悩」を振り払うかが日常、
それこそスティックを持ってない全ての時間がその「鍛錬」なのである。
そう、それは「撮影」という仕事(でもないが)の時であろうとそうなのである!!
・・・と心の中で強くそう思いながら煩悩を打ち払う・・・
ところがどうも「どこかで会ったことがある」などと思うのはどうしたものか・・・(>_<)
まあ有名女優さんだったら「どっか」では見てるだろうからいざ知らず、
一般人の美女とそう出会う機会はない(というか若い娘に至っては皆無である)ので、
まあそれも「煩悩」のひとつなのかなぁと思ってたら思い出した!!
彼女は去年BB-King追悼ライブの時にドラムを叩いていた女性ドラマーではないか!!(◎_◎;)
(左から6番目の金髪の女性)
まあなるほどね、ギタリストがカメラマンでドラマーがアシスタントで、
みんなでブルース仲間の張嶺(Zhang Ling)の撮影を助けているなんてのはよくある「いい話」である。
まあドラマーだったらワシのことを意識するのも当然だろうし、
ワシの撮影が終わったら
「一緒に写真撮って下さい」
と言うのもまあ当然の流れであろう・・・
一緒にぱちり・・・
そしてその後、彼女が自分のWeChatにUPした写真を見て愕然となった・・・
まあ写真はいい!!
それに添えたこのコメントは何じゃ!!!!!!!
喜欢!(XiHuan:好き!❤️)
ちなみにハートマークは「意訳」としてワシが勝手につけたものだが、
ニュアンスとしては「喜欢!(XiHuan)」は「Like」、
「愛(Ai)」は「Love」で「想(Xiang)」は「Miss」なので、
面識はあるが話したこともないような関係で「Like」というのはまさに「好き!❤️」ということではないのか〜〜〜!!!!!!!!!!!!
まあそういうことを美女から言われたことがほとんどないワシにとっては、
まあ例えてみると生まれて初めてオナニーをしたぐらいの衝撃がここにある・・・
まあ冷静になって考えてみたらワシのルックスが「好き!❤️」なわけではないじゃろうから、
まあドラマーとして「好き!❤️」なのであろうと逸る心を押し留める・・・
奇しくも翌々日はマッド大内さん、佐々木隆さんが北京に来て一緒にライブをやるではないか!!・・・
・・・まあそれにご招待してお近づき・・・
いやいやドラム談義でもしてお近づき・・・
いやいやドラマー同士の交流が始まって中国ロックの発展のために何かお役に立てばと思う次第につき、
まあ「しゃーないな〜」ということで、次の日にメッセージを送ってみる・・・
「明日は日本から凄いドラマーが来て一緒にライブをやるよ、来る?」
まあね、ちゃんと彼女のWeChatをGetしてるのもこれも中国ロックの将来のためやからね、誤解なきよう・・・
ところが待てども待てども返事が来ない!!(待っとったんかい!!)
これはひょっとして・・・
好きで好きでたまらない人から思わずメッセージが届いてびっくりして、
恥ずかしくて返事が出来ない?・・・いや、それはちょっと困るなぁ・・・
などと思いながら当日(笑)
まあ一応
「来るの来ないの?名前入れとくよ」
とメッセしてみると・・・
「ごめんなさん、今日はデニスチェンバースのクリニックを友達と見に行くの・・・」
そうかぁ、デニスチェンバースが今全中国を廻っていて、
ワシも見たかったのじゃが残念ながら同じ日だったのよね・・・
まあこれが他のどうしようもないドラマーだったら少々「カチン」と来たかも知れないが(笑)、
相手がワシも大好きなデニスチェンバースだったら負けてもそれは仕方がない。。。
でもまあ、中国のライブハウスは演奏開始が遅いので、
「じゃあそっち終わったらよかったらおいでよ、友達の分も2名で名前入れとくから」
とメッセージを入れておく・・・
一応ライブは「9時」と告知されているが、
「開場」とか「開演」とか書いているわけではなく、
まあリハの時から「開場」っつうか客は入ってるし、
もし9時になって客足が悪かったら9時半とか、
まあ中国だから適当にユル〜く始まる。
この日は「ファンキーさん、まだ始めないの」と出演者に言われても、
「まあのんびり始めようや」
となかなか始めなかったのは、
決して自分のトリオが最初だから彼女にそれを見せたいためではなくね・・・
まあ、ひとりでも多くの若いドラマーに見せなければっつうかね、
なんと言うか、まあ中国ロックの将来のためにね・・・
まあ30分遅れで始まって、
張張と渋谷有希子とのファンキー末吉トリオも終わり、
それに佐々木隆を加えての超絶ツインドラムセッションが終わって、
汗だくになってステージを降りてしばらくして客席に彼女の姿を見つけた。
「間に合ったんだ?・・・」
そう聞くワシに彼女は
「ごめんなさい、さっき着いたばかりなの・・・」
「でもまあ、最後の布衣(BuYi)のセッションでも叩くからね」
(ワシ満身の笑顔ね)
まあ今演奏している小畑秀光マッド大内セッションが終わればワシのドラムを叩く勇姿を彼女に見せてあげることが出来る・・・
いやね、別に彼女が好きなのはワシのドラムであって、
別に彼女の気を引こうっつうんじゃないよ。
中国ロックのためにね・・・
ところがワシはそのステージが終ってまさに自分がステージ上がろうとした時に見たのだ・・・
彼女が一緒に来た男性と腕を絡めて仲良くライブを見ているのを・・・
(涙)・・・「友達」って「彼氏」だったのね・・・
布衣(BuYi)セッションが始まった。
「それでも一生懸命ドラムを叩くぞ!!」
と思って張り切るワシを尻目に・・・
彼女はライブを見ずに彼氏と手に手を取ってそのまま帰ってしまった・・・(号泣)
もうね、わけがわからない!!
ライブハウス来たのはいいけどドラム聞かずに帰るって、
この娘ワシの何が「好き!❤️」なの?・・・
ひょっとして顔か?!!(◎_◎;)
まあオーストラリアでは(おっさんばかりではあるが)モテ期を実感したことはしたが、若い女性ドラマーがワシのドラムより顔が好きってあーた・・・
などと考えていたらドラムのリズムが「煩悩」によって乱されるので、
一生懸命「煩悩」を振り払ってドラムを叩く・・・
「心が揺れる」は即ち「リズムが揺れる」・・・
このぐらいのことで心動かしてちゃぁ立派なドラマーとは言えない!!
最後の曲「喝不完的酒(HeBuWanDeJiu)」で3人のドラムソロ!!
まずはマッド大内がフリーな感じのロックスタイルで叩いてワシにバトンを渡す。
受けたワシは間を取ったロック+フュージョンスタイルで叩いて佐々木さんにバトンを渡す。
ここで初の試みなのじゃが、
佐々木さんのポリリズムを駆使した超難解なドラムソロは、
基本となる「1、2、3、4」がないと単なる「デタラメ」に聞こえてしまう・・・
「じゃあ佐々木さん、私が叩き終わったらテンポ出しますからそれに合わせてドラムソロ叩いて下さい」
別にハイハットでも何でもよかったのだが、叩いたのはライドシンバルのカップ。
「チーン」・・・
「1、2、3、4」はとりあえずはハイハットを踏んでみる・・・
何年か昔、店の新年会の時だったか佐々木さんのドラムソロに合わせてカウベルを叩いたのだが、
「本当に合ってるの?」
という不安と共に冷や汗をかきながらカウベル頭打ちを続けてたもんだが・・・
この日は違う!!
何と「何を叩いているか」が全部わかるのだ!!(◎_◎;)
リズムとはとどのつまり「時間の流れ」である。
細分化された細かいリズムを聞きながらそれに合わせていったって仕方がない。
時間軸を大きく取って、
「1小節が1拍」
みたいな気持ちで叩くのだ。
「チーン」
合間にハイハットを4分で踏むと「チゥチッチッチッ」、
しかしこれは私自身が1小節を細分化して固定してしまうので、
もう「チーン」だけにして、頭の中で「1、2、3、4」と数える程度に留める。
そうすれば佐々木さん自身もこの「チーン」と「チーン」の間を4分割ではなく3分割、場合によっては5や7で分割してもよい。
「自由度」が生まれるというわけだ。
更にその「チーン4つでひとつ」みたいなもっと大きなうねりを感じて来る。
「空間」を「表現する」というか「感じて来る」のである。
(そのうちネットにライブ映像がUPされると思いますのでそしたらここにUPします)
そうするとこの「チーン」の響きが何かとても高尚なものに聞こえて来る・・・
最初のうち佐々木さんの何拍子かわからない複雑なポリリズムをあっけにとられながらポカンと聞いていた観客も、
「あ、これ・・・4拍子なんだ・・・」
と気づいて来る・・・
ひとり、またひとりと気づいては、舞台下手の佐々木さんに目が釘付けになってた観客も、
ハッと気づいてワシの方を見る。
誠に不思議な光景である。
観客が、超絶ドラムソロをやってる演者だけではなく、
「チーン」しか叩いてないワシの方を交互に見るのだ・・・
「神様が降りて来る」
と音楽をやってる人間の間で言われる感覚があるが、
この時こそまさに「神」が見えた!!
いや、「神」というとキリストのように西欧系をイメージするが、
この場合は明らかに東洋系・・・
この「チーン」の間に頭の中に数えてる「1、2、3、4」・・・
これが「ポクポクポクポク」に聞こえて来るのだ・・・
「チーン・・・ポクポクポクポク」
そう!!これはまさにお経!!
降りて来た「神」はまさしく「ブッダ」!!!
そうなのだ!!
ワシはついに全ての煩悩を克服して「ブッダ」と共にいるのだ!!
そう言えば昔はさっぱりわからなかった佐々木さんのドラムソロが、
全部が全部手に取るようにわかる・・・
人生は難解なものだが、
もしも人生を俯瞰で見ることが出来たらこんな感じなのかも知れない・・・
「神の世界を見た」
これは人間界ではあり得ないほどのトリップを生み出す・・・
もう美女がどうであろうとか自分がモテ期であろうとかどうでもよい!!
「解脱」とはこのことである。
ワシは今「神」と一緒にいる!!
しかもそれは「ブッダ」である!!
なるほどワシの顔は「ブッダ」・・・
そりゃ悟りを開きたい美女も寄って来るだろう・・・
しかし人生とは「無」・・・美女を追っかけてどうなる・・・
ドラムソロが終わるとシーンとしてた客席から山のような拍手が起きて、
ステージを降りる時には店のオーナーが大感激でワシをハグして来る・・・
みんなも一緒に「神」を見たのだ・・・
楽屋でもワシはハイになっていた・・・
「Funkyさん始まる前はむっちゃ暗かったのにむっちゃ楽しそうね」
渋谷有希子はそう言うが、
何せワシはついに「解脱」したのだ!!
世の中にもう「苦しみ」などひとつもない!!
マッドさん、佐々木さんは北京が初めてなので、
「明日早いけど一杯飲みに行きますか?」
などと誘ってみる。
それが実は美女が来たら誘ってみようと思ってた店だなんてことは、
もう既に「解脱」してしまったワシには全く関係ない!!
人生とは「無」なのだ!!美女がどうしたと言うのだ!!
しこたま飲んで、ドラマーが3人集まって高尚なドラムの話をするでもなく・・・下ネタ(笑)
もうね、ワシなんか「解脱」してるんだからね、
ここまで来たら「ドラムの話」も「下ネタ」も、
人生を俯瞰から見たらそんなものは全く同じに等しいものなのよ!!
そのまま楽しい宴がいつまでも続くと思ったら、
「もう3時ですよ、ぼちぼち帰らなくていいんですか、明日は7時起きですよ」
という渋谷有希子の言葉で現実に引き戻され、タクシーに乗って帰って撃沈・・・
朝起きたら頭は痛いわ気持ち悪いわ・・・完璧に二日酔い!!
老呉(LaoWu)の運転で空港まで送って行ってもらう・・・
これから3日間のサマードラム教室なのだ・・・
「なんじゃこの顔は!!」
自撮りの写真を見てびっくりする。
解脱して「世の中の苦しみから解放された」顔なんかではない!!
「世の中の全ての苦しみを背負った」ような「二日酔い」ではないか!!
煩悩じゃ〜煩悩にまみれておる!!
まみれて〜ラーラララー・・・
ps.最終形は「4小節+2拍」という形で天に昇りました・・・
Posted by ファンキー末吉 at:19:13 | 固定リンク
2016年7月27日
撮影という仕事・・・
Big Johnこと張嶺(Zhang Ling)から「来週空いてるか?」と連絡が来た。
どうもバンドの宣材写真がいいものがないのでみんなでちゃんと撮らないかということらしい・・・
久しぶりやなぁ・・・こんな本格的なスタジオで撮影するのん・・・
思えば爆風スランプやってて一番苦痛だった仕事がこの「撮影」とやらである。
こんなことに「遺伝」っつうのがあるのだとしたらうちの上の息子もそうなのだが、
スナップショットを撮ろうとカメラを向けるとぷいとよそを向いてしまう・・・
ワシも小さい頃そうだったらしく、
我が家には自分の「アルバム」というものが存在しなかった。
何故だかわからないのだが小さい頃からカメラを向けられるのが嫌いだったようだ・・・
それが「職業」となって、
多い日など一日でいくつもの取材が行われ、
朝から晩までこんな撮影スタジオに缶詰になる生活に疑問を持たずにはいられなかった。
「俺は日本一のドラマーになるために東京に出て来たのだ!!」
なのにスタイリストに今まで着たこともない・・・一生着ることもないような服を着さされてカメラを向けられる・・・
そのストレスはある日の撮影でピークに達した。
ブッキングされたスケジュールの通りに撮影スタジオには、
紙で出来た大きな男性器(つまり「ちんちん」)の模型が作られていて、
メンバーが揃ったらカメラマンはワシらにこう言った。
「はい、脱いで!!」
・・・え?・・・
呆然とするワシらにカメラマンは口調を荒げる・・・
「脱いで全員この後ろに立って!!」
・・・え?・・・
「仕事」に対して真面目な順(誰だっけ?自分だったかも)からTシャツを脱ぐ・・・
「はい、下も全部脱いで!!」
・・・え?・・・
どうせその模型で下半身は隠れるのだ、
(そうでなければ雑誌は発売出来んじゃろ)
どうして下半身まで裸にならねばならん!!!
さすがにその時にはパンツだけは脱げずに、
「仕事」としては少しでも「ミッション」を拒絶した最初の仕事になったと記憶している・・・
(ワシらは4人が4人共とても「マジメ」だったのだ)
「チッ」っと下打ちが聞こえたのか聞こえなかったのか、
今となってはどのような攻防があったのかは覚えてないが、
そうしてちんちんの模型の後ろで笑ったりポーズをとったりさせられているワシらにカメラマンは最後にこう言った。
「はい、じゃあ4人で抱き合って!!」
もうね、何が悲しくてバンドメンバーの素肌を素肌で感じ合わねばならない!!(涙)
もう気持ち悪くてねぇ・・・(やったのか?!(◎_◎;)・・・やったのだな・・・)
それから・・・でもないが、もともと写真嫌いなのだから仕方がないが、
大御所のカメラマン(誰だっけ・・・篠山紀信じゃなかったと思うが)が来た時なんかも態度が偉そうで相当カチンと来た。
かと言って乗せ上手なカメラマンとマンツーマンの個人写真は、
「お、いいね、いいね」
とか乗せられて西城秀樹のローザのようなポーズ(笑)を取ってたりする(>_<)
乗せられたワシが悪いのよ、
なんでドラマーが歌手みたいなポーズをせないかんの・・・(涙)
乗せ上手と言えば「安珠」という女性カメラマンはワシが一番心を許したカメラマンだった。
「末吉くんねぇ・・・」
(彼女だけはワシを「ファンキーさん」でもなく「末吉くん」と呼んだ)
「末吉くんって武士顔だと思うのよね・・・」
その頃はどんな髪型をしてただろう・・・長髪だったかも知れないが、
「おデコ見せた方がいいと思うんだよね・・・」
爆風時代ワシが自分の髪型を人に触らせたのはその日が最初で最期だったと思う・・・
別にファッションにこだわりがあるわけでも何でもない。
ビジュアルを気にするポリシーも一切ない。
でも黒人音楽を愛して家出をして・・・
つまり「全て」を捨てて東京に出て来て、
ファンクバンドを組んで「アフロ」にした。
カメラマンやレコード会社や、
そんな人たちにとってボーカル以外の「プレイヤー」など「添え物」である。
どうしてそんな奴らに俺の「アフロ」を触らせなきゃなんない!!
頑なに心を開かなかったワシの心を溶かしたのは、
偶然この女性カメラマンのそんな一言だったのだ・・・
(お元気にしておられるだろうか・・・)
「武士だったらいいのよ。武士だったら・・・」
今でも「武士道」は「ロックの生き様」だと思っている。
きっとその時も何か思うところがあってこの緩んだ顔がきっとキリッとしてカメラに写ったのであろう・・・
(写ったものを自分で見ることはまずないので覚えてはいないが・・・笑)
メイクも嫌いだった。
顔にベトベト変なものを塗られるあの感覚が嫌いである。
でもまあ今では、張嶺(Zhang Ling)のメイクをしていた彼の奥さんが、
「Funkyさん、テカテカしてるからあんたも塗ったら?」
と言えば
「はいな〜じゃあ頼むわ」
と抵抗なく言える。
考えてみたら何を塗られたってガマの油に匹敵するワシの顔の脂に匹敵するわけはないではないか・・・(笑)
撮影自体も昔のあのギスギスした雰囲気と違って和やかに進む・・・
カメラマンに
「Funkyさん、ちょっと斜に構えてみようか」
とか言われた時に、
「おいおい、Funkyの腹は大丈夫か」
などと触られてるところ・・・
やかまし!!(笑)
そう言えばこのカメラマンは全員の名前を普通にスラスラと呼んでいる・・・
昔は予め覚えて来るカメラマンも少なかったが、
頑張って勉強して来る人もやはりつけ刃なのでうろ覚えであった・・・
「このカメラマンは俺たちをリスペクトしてる・・・」
そう感じたのも当たり前、彼は去年のBB-Kingトリビュートセッションでギターを弾いていたミュージシャンであったのだ!(◎_◎;)
まあね・・・有名人ではあるとしても、
この「Musician's Musician」の張嶺(Zhang Ling)がそんなにビジュアルのために割けるようなたくさんの金があるわけがない。
きっとミュージシャン仲間同士でうまくやってるのだろう・・・
ワシにしても別に「仕事」ではない。
彼に「頼まれた」から「いいよ〜」で時間を割いているだけの話である。
報酬なんかもちろんない。
その代わり彼はワインを一本持って来た。
スタジオにてワインがグラスに注がれる。
車だったのでご遠慮したが、その「気持ち」が嬉しいじゃないか・・・
「終わったらメシ食いに行こうぜ!!」
そんな誘いも嬉しかったが、
夜の9時から始めて夜中の1時までかかったのでもう結構くたくたである(>_<)
昔の人は「カメラは魂を抜かれる」と恐れてたと言うが、
まあヘビーメタルのツーバスほどではないがかなり寿命は吸い取られている気はする・・・(笑)
車じゃなく電車で行けばよかったな・・
思えばあの頃の日本はバブルの真っ只中だった・・・
カメラマンも雑誌社も、そしてレコード会社の新人ディレクターも、
この新人バンドを足がかりにして何とか上へ向かおうと必死だった・・・
今は中国も負けず劣らずのバブルである。
しかし基本的にメンツを重んじる中国人は、
「被写体」の「心」を踏みにじってまで「仕事」をしようとは思わない。
あの頃のバブルって何だったなだろうな・・・
あの頃も、そして今もきっと、
撮影スタジオにはその時一番流行りの、もしくは最先端の音楽をかけながら撮影が進む・・・
昔はそれがイヤでねぇ・・・(>_<)
だってただでさえワンワンと共鳴する撮影スタジオで音楽なんか流されたら、
カメラマンがこちらに対して指示する言葉が全然聞き取れんではないか・・・
新曲のプロモーションだったらその曲ばかりをループして流す。
そんなもん流されたら撮影されながら自分のプレイのあら探しばかりしてしまうではないか・・・
「音楽止めて下さい」と言ったこともある。
どうしてなのか全く理解されなかったが、
「わがままなタレントさんがそう言うんだから仕方ないか」
みたいな白けた感じの撮影現場になったことを覚えている。
今ではあの頃よりももっと難聴になってる上に、
中国語なのでこんな状況で音楽なんか流されたら全く聞き取れない(笑)
でもよく考えたらカメラマンだって被写体にどうして欲しいか伝える時には必ずジェスチャーも加えるから全く問題ないではないか・・・
音楽だって張嶺(Zhang Ling)が、そしてギタリストでもあるこのカメラマンが好きなブルースが延々と流れていて、
ワインでも飲みながら和気あいあいと撮影してたらきっとご機嫌で数本は空けてたんじゃないかな・・・
年を取るのもなかなかいいものだ。
若い頃にはわからなかった色んなことが今になってやっとわかるようになって来る。
もしあの頃にもっと色んなことがわかってたら・・・
ワシももっとビジュアルに特化したドラマーになれてたかな・・・
なれへんなれへん!!(笑)
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2016年7月 3日
中国共産党建党95周年文芸晩会
2016年7月1日
日本では浜松で爆風スランプデビュー前の下らないアホ曲を演奏してる頃、
中国では共産党建党95周年の式典が厳かに執り行われていた・・・
まあこんな映像をブログにUPするだけで
「なんと香ばしいヤツ」
などと思われても仕方がないが(笑)、
実はこのイベントの最後の方で演奏されている「国際歌」という曲(1時間4分辺り)はワシがアレンジしたのだ!!(キッパリ)
いや、でもワシは全く共産主義とは関係ないし〜・・・(笑)
まあこの全世界共産主義者のテーマソングのような楽曲を、
アレンジしたのは日本人・・・ファンキー末吉
オーケストラ等手伝ったのは日本人・・・堀田星司
ドラムを叩いているのは日本人・・・ファンキー末吉
ベースを弾いてるのは日本人・・・仮谷克之
ギターを弾いているのは日本人・・・田川ヒロアキ
オーケストラ録音とミックスをしたのはアメリカ人・・・Wyn Davis
・・・などと書くと、時代錯誤な香ばしいヤツから
「こいつらはアカか!!」
と糾弾されるかも知れないが、
(名前を伏せて欲しい方は直接ご連絡下さい〜伏せ字にします〜笑)
世界から見たらもっと時代錯誤に見える強大なこの中国共産党の式典の一番大事なこの部分を、このように殆ど資本主義国の人間が作り上げているところが「今の中国」である。
3コーラス歌い終わった後に行われる「入党宣言」の部分、
この部分に一番苦労した・・・
ここで初々しい新しき共産党員が入党宣言をする時に、
列席した幹部たちは感激して涙して、
テレビ放送を見た全中国人民は
「共産党牛逼!!(Fuck'n Greatの意)」
とテレビに向かってロックピースを高々に挙げるようにアレンジする・・・
そんなことが「Must」として求められるこの仕事で、
まあ全中国人民がこんなお下劣なロック言葉で共産党を賞賛したかは別にして、
まあ列席した幹部たちの反応は映像を見る限りでは上々なようだ・・・
DEMOの段階ではこの入党宣言の部分、
仮にLuanShuがこの宣言文を読み上げただけで
「共産党牛逼!!(Fuck'n Greatの意)」
とロックピースを高々と挙げそうになったが、
この宣言文を若い女性リーダーが読み上げてそれを団員が復唱する姿はさすがにインパクトがあるな・・・
党の規則を厳守し、
党員の義務を全うし、
党の決定を忠実に執行し
規律を守り、秘密を保守し、
党に忠誠を誓い、
共産主義のために生涯奮闘努力し、
党と人民のために全てを犠牲にすることも厭わない・・・
希望に満ちたこの若者たちはいつまでその心を持ち続けるのだろうか・・・
そんな若者たちの入党宣言に聞き惚れる幹部たちは、
その昔、同じように党のために全てを犠牲にして、
国民党の圧政から人民を救い、日帝の侵略から人民を守り、
こうして強大な一党独裁の大国を作り上げた。
そして今は経済は資本主義、政治は社会主義の「中国独自の社会主義」を歩み、
当時考えていた理想とはちょっと違うけど、まあ昔では考えられなかったような豊かさを享受している・・・
先日天津で一緒にライブをやった趙衛(Zhao Wei)なんかは昔は軍人だった。
同じように軍に忠誠を誓い、
軍の楽団での演奏の仕事で日本にやって来て、
日本からの出演者「アリス」を見て感動し、
軍をやめてロックギタリストとなって今に至る・・・(笑)
中国ではそういうロックミュージシャンは多い。
中国ロックを作り上げて来た当時の老摇滚(LaoYaoGun:ロックの大御所の意)たちの多くは、両親が文化大革命の嵐を音楽をやることで生き抜いて来た。
当時は党の音楽をやることしか選択肢がなかった彼らの両親達は、
同じように子供達に音楽をやらせることで次の時代の嵐を乗り越えて貰えればと楽器を買い与えた。
ところが時代は変わり、彼らが傾倒したのは党の音楽ではなく、「ロック」と呼ばれる当時は党が毛嫌いするけしからん音楽だったのだ・・・
そしてまた時代は変わり、その党の大事な式典の音楽はこうして、
当時彼らが戦った敵国の、そして以前は忌み嫌ってたロックにどっぷり染まったチームが制作している。
もちろんこの党幹部たちはそんなことはつゆ知らず、
この希望に満ちたこの若者たちの入党を自分の人生と照らし合わせて涙ながらに見つめているのだろう・・・
この若者たちが幹部になる頃、
中国共産党はどのように変わっているかはわからない。
この幹部たちが目を剥くような「新しい中国共産党」を作るのかも知れないし、
ツーバスでドコタコドコタコ叩いている時にも頭打ちで手拍子を叩くこの幹部たちのように、
「変わりたくても絶対に変われない」
のかも知れない・・・
でもこのアレンジを聞いた中国のロック仲間はこう言うのだ。
「Funkyがやりやがったぜ!!共産党の式典にこれだぜ!!
むっちゃロックだぜ!!牛逼!!(NiuBi:Fuck'n Greatの意)」
クレジットには絶対に載らない、
もし載ったとしても絶対に抹消されるであろうこの仕事をやったのは日本人とアメリカ人だったことをワシは誇りに思い、
何故か最近中国からブロックされているのかアクセス出来なくなったこのブログにこっそり書き込んで、
ぺろりと舌を出してこうつぶやくのだ・・・
してやったり(笑)
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2016年6月 3日
怒涛のスケジュールが始まる・・・
まあ音楽業界も「水商売」なんだから、
仕事はある時にしかなくて、ない時には全然ない。
だからある時に無理してでもやっとかなければならないのだが、
何せここ中国ではブッキングが全て突然過ぎる(>_<)
このふたつの仕事が来たのも先月、同じくベーシストの王偉(Wang Wei)という人間からのブッキングである。
そもそも彼は布衣のライブでトラに呼ばれてワシと一緒にやってから、何かっつうとワシと一緒にやりたがる。
「Funkyさん、とある歌手のバックバンドを僕らバンド組んでバンド形式で一緒にやりませんか?」
そう誘いが来たのは半年前、数回リハーサルをやって、
結局本番はスケジュールが合わず、一度も本番には行っていない(笑)
もともとはこの6月5日はアメリカのツアーが入ってたので
「行けないよ〜」
と言ってトラを入れてもらってたのだが、
「キャンセルになったので行ける〜」
と急いで連絡入れて初めての参加となる。
これが許飛(Xu Fei)という歌手。
アメリカツアーのために空けてたこのスケジュールにこれが埋まっただけで十分だったのだが、
「5月30日〜6月2日と6月8日は空いてますか?」
と連絡が来る。
もう芸術的である!!
3日はレコーディングで5日に許飛が西安なら、
ちょうどそこにすっぽり入るスケジューリングではないか!!
というわけで邵雨涵(Shao YuHan)の長沙が8日に入る。
(それにしても先日初のコンサートを開いてもう湖南大劇場でワンマンやるのか・・・凄いなぁ・・・ワシが関わり合うとブレイクするという都市伝説は本当かも・・・笑)
まあこれで万々歳なのである!!
5月29日まではちょうど張嶺(Zhang Ling)のツアーなので、
そこからまあ恐らく長沙からの戻り日になるであろう6月9日まで綺麗に埋まった!!
・・・なんてことが中国であり得るわけがない(>_<)
まあワシも悪いのだが、
5日に西安で8日に長沙なら途中一度日本に帰れるな・・・
と弾丸帰国スケジュールを入れている。
LuanShuが日本に会社を興すと言うので
(何やるんやろ・・・本格的に日本で音楽業務でもやるんかなぁ・・・)
「株やるからお前も役員になってくれ」
(それでワシ何やるんやろ・・・まあくれるもんは貰っとくけど・・・笑)
と言うのでどうしてもこのスケジュールで帰国して会社設立せねばいかんらしい・・・
まあこれがアダとなったな・・・
「じゃあ長沙入りは7日で、着いたらゲネプロね〜」
ワシ・・・6日に西安から帰国して7日にそのミーティング入れとるんですけど・・・
フライトを調べて、ミーティング後に上海経由で夜中に長沙に入れることがわかってそれを伝えると、
「ゲネプロどうすんのよ〜」
と泣きが入る・・・
ゲネプロって前回も夜中から始まったでしょ!!(涙)
だいたい中国でそんなに時間通り進むことの方が稀なので十分だろうと思っていたのだが、
しゃーないのでミーティングを6日の夜に動かしてもらって、
その夜中の便に飛び乗れば朝の3時過ぎに上海に着いて、
そこから朝いちの便で長沙に飛べる・・・
ちなみに6日に成田に着くのは午後1時35分、
そこから役所が開いてる時間に八王子まで帰ってとんぼ返りでミーティングしてそのまま羽田・・・
しゃーない(>_<)
まああとはスケジュールを押さえている6月2日までで邵雨涵(Shao YuHan)と許飛(Xu Fei)のリハを組めばそれで何とかなる・・・
というわけでリハーサル組みが始まる・・・
中国ではWeChatというLineのようなアプリでメッセージを交換するのだが、
まず邵雨涵(Shao YuHan)の方でコーラスの女の子だと思うひとつの発言からまた状況が一変した。
「私6月2日までは仕事入っててダメ〜」
おい!!
そもそもリハは5月30日〜6月2日の予定でしょ!!
それだから仕事受けたんでしょ!!
当然ながら
「じゃあリハは3日からやるしかないな、皆さんスケジュールは?」
3日はレコーディングで4日は許飛(Xu Fei)の西安が入ってるんだから無理でしょ・・・(困)
しゃーないから無理言ってレコーディングを2日にしてもらう。
もともと5日だったのを許飛入れたいから3日に動かしてもらったのだが・・・(>_<)
じゃあ3日と4日にリハしましょう!!
ワシ「4日は許飛で西安に行くから午前中じゃないとダメ!!」
スタッフ「じゃあ4日は朝8時から12時までリハです〜」
コーラスのお姉ちゃん「何で朝なの〜朝8時なんて声出ないじゃん!!」
おい!!
元はと言えばこのお姉ちゃんのせいでぐちゃぐちゃになってるんでしょ!!
などと言っても仕方がないので
「すみませんねぇ・・・ワシのせいで・・・」
と謝っておく・・・(涙)
そこで疑問・・・許飛(Xu Fei)のリハってどこでやんの?・・
バンマスの王偉(Wang Wei)に連絡する。
ちなみにこのふたつの仕事はどちらも彼がバンマスで、
しかも長沙の方は自分は来れないのでトラを入れてバンマスだけをやっている(驚)
「じゃあ3日の昼にしましょう」
おい!!・・・お前が入れた邵雨涵(Shao YuHan)のリハが入っとるじゃろ!!
「皆さん、リハ時間変更です。夜の20時からになります」
みんな「え〜なんで夜なの〜」
ワシ「すんませんねぇ〜ワシが昼間リハーサル入ってて・・・」
って何でワシが謝らないかんの!!!(怒)
というわけでマトメ・・・
ワシは今日3日は13時から19時まで邵雨涵(Shao YuHan)のリハやって〜
20時から恐らく夜中まで許飛(Xu Fei)のリハやって〜
夜中に帰って来て明日4日は朝6時に荷造りして出発して〜
8時から邵雨涵(Shao YuHan)のリハやって〜
12時きっかりに飛び出して空港行って西安行って〜
着いたら許飛(Xu Fei)のゲネプロやって〜
5日にコンサートやって〜
6日に西安ー成田に飛び乗って〜
八王子とんぼ返りして会社設立して羽田行って〜
上海行きに飛び乗って7日の朝3時に着いて〜
朝一番の便に乗って長沙行って邵雨涵(Shao YuHan)のゲネプロやって〜
8日は邵雨涵(Shao YuHan)のコンサート〜
さてと・・・出発するか・・・
まあ年末年始も似たようなスケジュールやってたから出来んことはないやろ・・・(笑)
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2016年5月17日
続・日本に家を買いに来る中国人・・・そしてワシは仕事に追われる(>_<)
もうね、「続々」と言ってもいいぐらい(笑)
この人たちねぇ、ホントに金持ちなのよ・・・
この前北京でレコーディングが終わったらそのまま「メシ行こう」となって連れて行かれたのがそんなおひとりのご自宅・・・
もうね・・・お屋敷!!!(◎_◎;)
調度品はねぇ・・・まるで西安の兵馬桶(笑)
何せ掘り出して土偶がちょっと欠けてる感じがもう「調度品」というよりは「博物館」(驚)
通された居間はプロバンドがリハーサルする都筑スタジオや芝浦スタジオ並みに広い!(◎_◎;)
そこに並ぶ料理が逆に豪勢なのではなく普通のイスラム料理なのが逆に凄い!!
「この店はなぁ、美味しくていつも長蛇の列でなかなか食べられないんだぞ」
と言いながらそこのシェフが自宅でそこの料理を作ってくれてるのだ(驚)
ワインがまた超高級!!
・・・というよりそれを飲むグラスがまた高級で、
「乾杯〜」と言ってグラスをぶつけると「チーン」といって音がいつまででも共鳴して鳴り止まん(驚)
居間には池があって・・・って部屋の中に池があるのよ!!
中には鯉が何匹も泳いでいて、それは全部日本から空輸したんだと!(◎_◎;)
そんなところに住んでる人が日本で5000万ぐらいの家なんて見たらまるで「箱庭」やんな・・・
日本人からしたら軽井沢の5000万の別荘なんて「むっちゃ高級やん」ってな感じやけどな(涙)
まああんまし高い物件はなかなか借り手がつかんかったり投機目的としては有利ではないということで5000万ぐらいとこでも買っとくか、みたいな・・・(眩暈)
それより何億もする物件なんてそんなに売ってないがな・・・ふつうの日本人高過ぎて買えんし(>_<)
というわけで今回のLuanShuの来日にはそんなお金持ちグループの中のひとり、
中国を代表するオリンピック選手が一緒に来日した。
ここまで来ると「国の宝」なので国家は税金を免除にするんだとか・・・(驚)
まあ税金もかからんし家でも買うとこか、みたいな・・・
もうね、ワシ不動産なんか全然わからんし、秘書の茜ちゃんに丸投げ!!(笑)
これで美味いメシだけ一緒に食えれば万々歳と思ってたら、
今回はLuanShu、いろいろレコーディングの仕事持って来たのよね〜・・・
日本で2曲ギターと2曲ブラス・・・
「最近知り合った日本人のプロデューサーとやってみたい」
と言うので
「それは是非是非そうして下さい(笑)」
とばかりワシはブラスだけを担当・・・
・・・と言いつつちょうどその日は名古屋空港から北京に帰るので寺内に丸投げ!!(笑)
そもそもワシはそのために来日したのではなく、
高円寺でのひとりドラムと、翌日の昼間千葉朝鮮学校と終わってそのまま夜豊橋っつう無茶なブッキンツのために来日したのよ〜
激安チケットが11日の夜中出発の便だったのでたまたま数日前に着いただけで、
まるで「仕事する」みたいなつもりはなかったのよ〜
ところが着いたその日にLuanShuから
「急ぎでドラム1曲レコーディングしてくれ」
と発注が来る。
夜中にせっせこドラムをセッティング、
「いつでも録れるよ」
となってアレンジが仕上がるのを待つ。
詞が上がったらすぐに彼が仮歌歌ってDEMOを録り、
北京に送って歌手がそれを練習するらしい・・・
アレンジはアメリカで張毅(ZhangYi)が担当しているらしく、
アレンジが上がったらアメリカから送って来るから、
そのデータに合わせてすぐにドラム録って、
そのままベースとギターも録って、
北京でボーカルと生のストリングスレコーディングして、
それが送られて来たらそのまま日本でミックスして、
その合間に東京と軽井沢で物件を見る!(◎_◎;)
もうね、これやっぱ無茶苦茶なスケジュールでしょ・・・
いつでもドラムが録れる状態のまま車運転して到着する彼らを迎えに行く。
とりあえずツラ突き合わせてうまいことスケジューリングしないと、
結局ワシが動けるのは翌日の高円寺のライブの入り時間までしかないのだ・・・
昼間にスケジューリングして夜は不動産の人と食事、
その合間にホテルの部屋で仮歌を録る。
あとはアレンジを待ってからドラム録り・・・
と思ったらメシの方が先になってしまった(>_<)
「あれ?飲まないの?」
・・・って車やし〜それにアレンジ上がったらすぐにドラム録らな・・・
「ドラムは明日でいいよ」
!(◎_◎;)
・・・そやなぁ・・・美味しいもん食べて酒飲まんのもなぁ・・・乾杯!!
というわけで結局車は駐車場に置いたままカプセルホテルに泊まる・・・
・・・と実はこれが後にスケジュール的に大変なこととなるのだ(>_<)
カプセルホテルで朝8時に起きて、車運転して八王子まで帰って、
まずDEMOの音源に仮歌を乗せて簡単なDEMOにして北京に送る。
そしてお隣のエンジニア仮谷くんを呼び出してドラム録り!!
本来ならばプロデューサーが立ち会ってディレクションするのだが、
「遠いから行かない!!お任せ!!」
と言って物件を見に行った(>_<)
「お任せ!!」はいいのだが、そうすると叩き終わった音源をドラムの音大きめに仮ミックスしてWeChatで送って、それ聞いて「ここ直して」に対応して、また叩いて仮ミックスして送り直して・・・
時間かかるのよ・・・(涙)
なんとか高円寺の入り時間ギリギリまでやって無事脱出!!・・・
と思ったら
「歌手の人のための歌のガイドDEMOを作ってくれ」
と・・・!(◎_◎;)
「朝送ったでしょ・・・」
「あんな簡単なんじゃダメ!!歌手が聞くんだから仮歌もちゃんとエディットしてドラムとベースも本物入れて製品レベルのDEMOにして!!」
!(◎_◎;)
マルチが送られて来てまへんがな・・・(涙)
いや、アメリカから何やらファイルは送られて来たのだが、
それは中国でDLしやすい形式で日本では開かんかったので、
ドラムは実は2ミックスのDEMOに合わせてレコーディングしたのだ・・・
時差はあるけど向こうが夜中だろうが何だろうが
「すぐ送れ!!」
とアメリカに連絡して取りあえずドラムと同じやり方でベースだけ録音!!
アメリカからマルチが届いたらDLしてそのベースデータも入れて仮歌入れて仮ミックス・・・
ちなみにワシは高円寺のライブハウスにいるのでこの作業は仮谷くんがするのだが、
物件見てるLuanShuから、アメリカの張毅(ZhangYi)から、北京のスタジオから、
全ての連絡はワシに来るのでいちいちライブハウスの外で電話したりもう大変!!(>_<)
「え?夜ライブだって?みんなで見に行くよ」
・・・って逆に大変だから来なくていいし・・・って思ってたら来た。
これはそのオリンピック選手がWeChatにUPした投稿・・・
看日本鼓王现场演出,鼓王的梦想就是世界巡演到处流浪,在九十年代大红大紫的时候选择来了中国,值得尊敬的艺术大家
「日本のドラムキングのライブ、ドラムキングの夢は世界じゅうを放浪しながらツアーしたいんだと。90年代一番売れてた時に中国に来ることを選択したんだと。ほんと尊敬に値する大芸術家だわ」
・・・ってあーた!!中国の国宝級の金メダリストが高円寺のアンダーグラウンドなライブハウスの最前列にいること自体がおかしいでしょ!!(◎_◎;)
というわけでそのまま飲み!!
終電乗り過ごして何とか帰宅してちょっと仮眠して千葉の朝鮮学校!!
もうね、大阪の朝鮮学校ん時もそうだったけど、
学校が七輪をたくさん持ってて校庭で焼肉焼くのな・・・(>_<)
在日の幹部クラスの人に捕まってマッコリのビール割を飲まされて、
「どうしてこの後にスケジュールを入れてしまったのだろう」
と後悔しながら新幹線に飛び乗って豊橋へ・・・
もちろん新幹線の中でも中国からアメリカからひっきりなしに連絡が入る(>_<)
開場時間ギリギリに会場着いてすぐにイベント開始!!
今回は「ファンキー末吉公開処刑」と銘打って
「アマチュアバンドの曲を一度聞いただけですぐに叩けるかどうか」
ということをやらされる(酒の上で「出来る」と豪語したのでこうなったのであるが)イベントである。
結果はこちら
もうね、「Helpカード」と言って、一度だけ聞き直せるカードを出すと、
その代わりにバーボンをロックで一気飲みせないかんのでもうベロンベロン(笑)
そんな打ち上げの中、中国から
「アメリカから送られて来たマルチデータがグーグルなので中国では開けん」
と来る(>_<)
「VPN入れろよ!!」
と言いたいところを我慢して、
こちらでDLしてQQメールで中国に送る・・・
QQメールは大容量のファイルも送れて便利なのよねぇ。。。
・・・と言いながら中国語なのでそれを使ってない仮谷くんからファイル便で送られて来たファイルが「日本語なのでDLわからん」ということでそれも送り直す・・・(>_<)
この日は宿は取らず、ライブハウスが布団用意してくれてそこに泊まるということで、
ライブハウスが仕事場となって作業の後、
翌日は朝から田川くんがギター入れ・・・
もうね、「通訳用意するから直接やり取りしてね」の世界・・・(>_<)
午後はブラスのレコーディングと仮谷くんのミックスが同時進行・・・
そんな中、秘書の茜ちゃんから連絡が入る。
「物件決まりました」
え、誰がどこの物件買ったの????!!(◎_◎;)
いや、言わなくていい・・・
ワシはもう夜の便で北京帰りますんで後のことは皆さんでやって下さい・・・(>_<)
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2016年5月11日
楽屋は同窓会
2016年5月9日、工人体育館にて行われた「中国ロック30年の歴史コンサート」の模様がネットにUPされている。
フルバージョンはこちら
それぞれの演目も別個にUPされているので、
ゆかりのある方々の思い出なんかと共に紹介していこうと思います。
まず最初の「オープニングメドレー」に関しては、
曲目についてこちらで説明してますが、
面白かったのはリハーサルの時、
この曲は総監督が直々に色々指示を出すのだけれども、
最後の「国際歌」に関して「みんなで揃えて手拍子をするように」とか色々ウルサイ(笑)
きっとこれだけが「お国」のもんだから、
何か粗相があったら大変だという感じなのだろうか・・・
なかなか「中国的」で面白かった。
この「国際歌」を歌っているのが李夏(LiXia)。
老呉(LaoWu)と同じく寧夏出身で、
毎年ESPミュージックアカデミーが行っている「馬場の中心で愛を叫ぶ」というイベントで去年来日した。
立東(LiDong)というオルタナティブロックのバンド
(同じ名前で民謡ロックのようなアコースティックバージョンも演奏したりする)
をやっていて、過去には小畑秀光も飛び入りしたことがある。
中国好声音というオーディション番組に出たことで有名になり、
そのイベントにワシがドラマーとして呼ばれて一緒に出たり、
モンゴルの草原イベントではトリを飾ったりしている。
昔は貧民街の院子でワシらと一緒に住んでいたが、
ワシらが立ち退きで今の院子に引っ越して来たら彼も偶然近所に引っ越して来たのでまた「ご近所さん」である。
このオープニングメドレーはワシがドラムを叩いているが、
次の出演者「爽子(ShuangZi)」もワシが叩く。
映像はこちら
彼とも色んな思い出があるが、
まずは彼のデビューアルバムをプロデュースするということで知り合ったのだが、
結局は彼女と手に手を取ってタイに逃亡して流れてしまった(笑)
その後別の人間によってアルバムは完成され、
その中にはワシがその時に作った曲も収録されているらしく、
今回のライブではその曲も演奏された。
彼と一緒にライブをやるのは彼のデビューアルバム発売ライブの時以来だが、
実はVoThMの北京ライブも見に来ていて、打ち上げの時に
「あのベースの人をレコーディングに呼べるか」
などと言ったりしてたので、渡辺英樹さんが生きてたら一緒にやるチャンスもあったのにね・・・(涙)
次の出演者は天堂(TianTang)
もうね、歴史だけは長いがあんまし売れないうちに「大御所」になってしまったバンドなのだが(笑)、
ベースの九(Jiu)というのがいつも色々バンドのために動いていて、
最初に出会った時には「この曲をアレンジしてくれ」と頼まれたのだが、
そのアレンジが素晴らしいということで次には
「Funkyさん、うちのバンドに入りませんか」
と来る(笑)
中国のバンドはライブ収入だけが命なので、
ワシのように日本でスケジュールが入る人間は「バンド」という形では無理ですと断ったのだが、
結局そのアレンジ料は今ももらえていない(>_<)
まあ「バンドのメンバーにしたらドラムの能力だけじゃなくこのアレンジ能力もタダで使えるから」とでも思ったのだろう(笑)
その後そのアルバムはLuanShuがプロデュースして制作することになり、
当時ドラマーが不在だった彼らのレコーディングに「仕事」としてドラムを叩いたのでまあよしとしている(笑)
もうね、会えば必ずモノを頼むのがこいつ(>_<)
先日も洛陽のイベントで一緒になったのだが、
「久しぶり」ということでWeChatアドレスを交換したらさっそく彼が経営かなんかしている音楽学校のためにビデオコメントを撮って送ってくれと言って来る(>_<)
もうね、慣れた(笑)・・・憎めないハゲである。
そしてステージは初対面の若いバンドを挟んで唐朝老五(TangChaoLaoWu)!!
ここでもドラムを叩きました・・・こちら
彼は唐朝脱退後に絵を描いたり芸術家として活動していたが、
そのギタースタイルである早弾きギターソロとはちょっと違うアコースティックなものを追求していたようだ。
当然ながら彼のような伝説のギタリストにファンが求めるものは、
やはり変わらずロックで早弾きで〜みたいなものなのだが、
今回の選曲は、彼のやりたいアコギの世界観と、
ファンが求める早弾きロック曲とがどちらも混在していてよかったと思う。
「一緒にツアーを廻ろう」と言われているのでツアーが実現することを楽しみしているぞ・・・
また若いバンドを挟んで、張楚(ZhangChu)!!
(ライブはこちら)
実は彼との間には本には書いたのだがブログには書き切れなかった大きなエピソードがある。
初めて北京にやって来た1990年の時、
最終日にホテルのボーイに
「いつもお前たち若者が遊んでるところに連れてってくれ」
と頼んで連れて行かれた音楽茶座・・・まあカラオケのあるパブみたいなものなのだが、
そこのウェイターに
「Do you have any Rock'n Roll Music in Beijing?」
と聞いた時に、従業員控え室からそれを聞いて
「Oh!! Do you wana Rock'n Roll?!!」
と叫んで飛び出して来たイカれたパンクスが彼だった。
「お前はラッキーだ!!今日はバンドが4つ出るパーティーがある。お前も行くか?」
と言って連れて行かれた地下クラブで演奏していたのが黒豹。
「中国にロックを見つけた!!」
と興奮したワシが今に至るきっかけを作ったのは実は彼だったのだ。
そして実はその次の日、
「天安門広場で彼の歌を彼の代わりに歌ってやる」
となって教えてもらった曲がこのライブでも歌っている蚂蚁蚂蚁(MaYiMaYi)という曲。
今はオシャレにレゲエかなんかで歌ってるけど、
「中国人は蟻と同じだ!!大きな足で踏み潰される!!」
というパンクな曲だった。
サビの「マイマイ・・・」というのがライブでは
「マビマビ・・・(Fuck Your Motherの意)」
となるという恐ろしい曲をいざ自分が天安門広場で歌うとなると恐怖で身体がすくんで歌えなかったというエピソードもある。
当時は文字通りロックをやるのも命がけだったからね・・・
そしてステージは黒豹のライブ!!
単体の映像が見つからないので彼らのドキュメンタリー番組を!!
5人目のボーカル加入のエピソードを語っているが、
数々の思い出があり過ぎてとてもじゃないけどここでは書き切れない・・・
またチャンスを見て書いてゆこうと思う。
そしてステージはBEYONDのベーシストSTEAVEこと黄家強!!
もうね、会うの10数年ぶり(感涙)
最後に会ったのは確かこの時のライブの打ち上げだったと思う。
あれから彼は日本人と結婚して子供が二人いると言う。
チャンスがあったら一度その奥さんともお会いしてみたいものだ・・・
ライブを見て思ったのだが、
同じ曲でもWINGが歌ってるのと全然違うな(当たり前か・・・)
最後の「光輝歳月」を聞いたら不覚にも涙が出て来た。
人種差別と戦って生きた黒人の曲、
「虹があんなに美しいのは色と色とが分かれてないからだ」
と歌った黄家駒はもういない・・・
黄家駒が東京女子医大病院で死んだ時、
途方に暮れた3人が
「中心を失ってしまってこれからどうやって活動してゆこう」
とワシに相談して来た時の彼の姿を思い出しちゃってね・・・
今は彼とPAULが仲違いしちゃってBEYOND再結成の話は流れてしまったらしいけど、
またいつでもいいから3人集まって再結成して欲しいなと思っているのはワシだけではあるまい・・・
さてステージはもうラス前となってしまって鄭鈞(Zheng Jun)!!
ライブ映像はこちら
彼とは一緒に飲んだりはしてたのだが仲々一緒に演奏するチャンスはなく、
実は今回からのツアーメンバーとしてオファーが来たのだが、
残念ながら一本だけスケジュールが合わなくて流れてしまった・・・(涙)
また次のチャンスを心待ちにしているぞ・・・
そして大ラスはLuanShu!!
ライブ映像はこちら!!
ゲストボーカルの周暁欧(Zhou XiaoOu)とは零点(LingDian)のプロデュースをしてた頃から数多くの思い出があるが、
それもここでは書き切れないので別の機会に書いてゆきたいと思う。
馬上又はマグロ漁船のヨウヨウさん。
去年実現しなかったこの企画、今年こそは実現したいと言っていた。
楽しみにしてます〜
そして李漠(LiMo)ともたくさんのエピソードがある。
結婚して子供を産んでしばらく産休してたので会うのは数年ぶりで、
見た感じプロデューサーのLuanShuとあまりうまくいってないように感じたが、
「何か困ったことがあったら訪ねて来い」
と耳打ちしておいた・・・
さてライブ終わって打ち上げ!!
もう写真撮るのも忘れるぐらいのぐっちゃぐちゃ(笑)
特にプロデューサーなんだろうが偉い女性の酔っ払い具合が半端じゃなく、
ワシも何度となくイッキさされて、ご本人は白酒飲み過ぎで酔い潰れて両肩支えられて連れて帰られた豪傑である。
リハーサルの時から
「Funky〜久しぶり!!」
と言われたのだが実はワシはどこで会ったのか全然覚えてない(笑)
まあ今年で26年北京にいるんだから会ったことのある人も数も半端じゃないのでいちいち覚えてないのだが、
昔若かりし頃(失礼)はやはり相当なロックファンだったのだろう。
それが今は共産党幹部ぐらいまで上りつめちゃったんじゃないかな、
この豪傑のおかげで今回のコンサートを開くことが出来たのであろう。
中国ロックが生まれてこの日でちょうど30年、
当時中国政府から忌み嫌われていたロックの洗礼を受けた若者たちが、
今は政府の中枢に入ってたりする。
その人たちが今の中国のロックを支えているのだ。
この日はそんな連中ととことん飲ませて頂いた・・・
またチャンスがあったら集まろう!!
素敵な仲間たちに乾杯!!
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2016年4月29日
アメリカツアー中止でバトル勃発(>_<)
そもそもはと言えばこいつが悪いのである!!
今回のツアーはBig Johnこと張嶺(Zhang Ling)が自分のアルバムレコーディングのためにアメリカに行った時に盛り上がって決まったことのようだ・・・
ワシはだいぶ前から言われて6月1日から20日までのスケジュールを押さえている。
現地に住む中国人ミュージシャンHはBig Johnと20年来の友人。
レコーディングも彼の家に寝泊まりして一緒にアルバムを作り上げたらしい。
彼が現地のアメリカ人コーディネーターJと共に頑張ったのだろう、
数日前に喜び勇んでメッセージが送られて来た。
「凄いだろ!!無名の中国人のライブがこれだけ取れたんだぞ!!」
聞けば過去にはジミヘンなどが出演してそこから有名になったという老舗のライブハウスもあるらしい・・・
Hは興奮してWeChatのグループチャットでばんばんメッセージを送って来る。
通知音で夜も眠れないほどである(笑)
ワシなんかはボストンに行けば息子の慧(さとし)が近所にいるはずだからその話をResしたり、北京発着の便か東京発着にするか、そんな話のやり取りをしてたのだが、
ワシ以外のメンバーのResが少々悪い・・・
重い腰を上げてBig Johnが
「張張(Zhang Zhang)、お前確か11日か何かにスケジュールが入ってたとか言ってたよなぁ・・・あれどうなった?」
と聞く。
返事がない・・・
そうなのだ、この男は困ったことがあるといつも返事も返さないし電話にも出なくなるのだ(>_<)
青島の大きなコンサートの音楽監督を一緒にやった時、
一番忙しい制作途中にヤツが消えた・・・
だいたい仕事の割り当てをして勝手に消えられると仕事が滞って仕方がない(>_<)
「ヤツはいないもの」だとして割り当てを変更して結局自分ひとりでやる羽目となる・・・
そしてほとぼりが冷めた頃「Funkyさーん〜」とか言ってなに食わぬ顔して現れて来るのだ・・・
まあヤツが来れないなら他のプレイヤーを調達すればよい。
Johnの華南ツアーもそうやって乗り切った。
ところがBig Johnの次の書き込みで流れが大きく変わった。
「じゃあ俺も11日北京で仕事あるんでそれ入れるわ〜」
「え?!(◎_◎;)」
まあワシも和佐田もX.Y.Z.→Aのアメリカレコーディングの時には日本で仕事が入っていてそのためだけにアメリカ日本を往復したことがあるので「まあそんな風にやるのかな」と思っていたら・・・
翌日はこのバンドでの音楽フェスティバルのリハのために全員が揃う。
その時に状況が一気に明るみに出た。
実は張張(Zhang Zhang)が入れていたのは11日一本の仕事だけではなく、
11日までびっしりとスケジュールを入れていたのだ!(◎_◎;)
「じゃあアメリカツアーは12日からにしよう」
そう決まるのはまあ当然の流れなのだが、
その旨をBig JohnがWeChatで送った瞬間にバトルが勃発した。
「&#☭〄;$※♂☞?!!」
もうね・・・一晩中通知音が鳴りっぱなしでアメリカからずーっとBig Johnを詰ってるの・・・(>_<)
まあ自分が一生懸命ブッキングしたライブをドタキャンされて、
ライブハウスのオーナーにも面子が立たんかも知れん、
アメリカ人コーディネーターにも面子が立たんかも知れん・・・
「まあまあ、せっかくスケジュール押さえてるんだから、
張張(Zhang Zhang)の代わりに別のキーボード立てて予定通りツアーやろうよ〜」
ギタリストが助け舟を出す。
しかしもう時は遅し、Big Johnとてこれだけ言われてもう後には引けない。
「お前なぁ、ギャラの提示も出来なくて何言ってんだ!!」
まあBig Johnにしてみれば行ったはギャラ払えませんではワシらミュージシャンに悪いのでその辺は昔から突っついてたのだろう・・・
しかし無名の中国人ミュージシャンがアメリカでギャラ売り出来るほどアメリカのマーケットは甘くはない。
もうね、話は泥沼・・・
「お前とはもう友達でも何でもない!!」
とまで飛び出す始末・・・
「メンバー各位、アメリカツアーは中止になりました。
そもそもお金にもならないのにこんなに長く中国離れてたら食っていけないでしょ。
皆さん自分の仕事入れて下さい」
あのね、もう既にいろんな仕事をこのスケジュールのために断ってるの・・・(>_<)
まあ気持ちはわかるよ。
11日にきっとオイシイ仕事が入ったのだろう。
それをやっとけばしばらく金には困らずに自分の好きな音楽が出来る。
気持ちはわかる!!
でも日本人ミュージシャンとしてなかなかそうはやってられない。
そもそもが日本の老舗のライブハウスなどでは、
「あ、すみません、このスケジュール、オイシイ仕事が入ったので他の日に移してくれませんか」
などと言い出そうものなら
「うちの店二度と出入り禁止!!」
となるだろう。
どんな小さな仕事でも「決定」になったらそれは「決定」!!
ドタキャンなどは絶対に許さない!!
というのが日本の社会である。
それに比べたら中国などはかなりユルい・・・
しかしまあそのユルさのお陰で、
10年前親父が危篤になった時に、
「そりゃそっちが大事だ!!帰っておやり」
とばかり全ての仕事をドタキャンして日本に帰って親父の最期を看取ってやれた。
まあ
「中国人同士なんだからうまくやって下さいよ」
というのがワシの本音なのだが、
そこに「面子」というのが入って来ると中国人同士ほど始末に負えないものはない(>_<)
問題は「中国ロックへの面子」にまで発展した。
Big John個人の名義では集客も心配なので
「Chinese Rock All Stars」
と銘打ってライブをブッキングしてたのだが、
関係者全てから
「Fuck you Chinese Rock!!」
と言われているとHは言う。
「Fuck you Chinese Rock!!」
つまり
「中国ロック糞食らえ!!」
お上品に言うと、
「中国ロックさん、うんこ召し上がれ」
ということで、
これはもうBig Johnのせいで中国ロック自体の名誉が地に落ちてしまったではないか!!ということである・・・
「ほな誰か他のChinese Rock Starでスケジュールの穴埋めしたらええんとちゃうん」
というわけでHが昔馴染みの罗琦(Luo Qi)という女性ロッカーと連絡を取って来た。
酒場でケンカして片目を潰さた伝説のロックシンガー。
その後麻薬で姿を消して、後に政府の麻薬撲滅運動に協力して復活したという伝説の人である。
ワシがデビューアルバムをプロデュースして大ヒットした歌手「李慧珍(Li HuiZhen)」は偶然にもこの罗琦(Luo Qi)の後を担うようなスタイルで一世を風靡したのだ。
しかし人には不思議がられるが、ワシ自身は実は罗琦(Luo Qi)とは一度も面識がない。
そんな伝説のシンガーとアメリカをツアーで廻れるなんて夢のようだ・・・
と思ってたら「スケジュールが急過ぎて無理なんだって」と連絡が来る。
「誰かいないか?」
ということで名前が挙がったのが今度は「李漠(Li Mo)」ひょんなことから共通の知り合いがいるものだ・・・
Hに「あいつのファーストアルバムはうちで録ってやったんだぞ」と言うとびっくり!!
トントン拍子に李漠(Li Mo)で予定通りツアーを廻って全ての面子が落ち着いてちゃんちゃん!!・・・と思ってたらここでまた問題が勃発した(>_<)
何とHがWeChatでBig Johnとの絶交宣言から彼の悪口を書きまくって来たのだ・・・
(>_<)
もうね、いい加減にして欲しい(涙)
ここまで問題を大きくされたら、
もしワシがアメリカ行ってツアーしたとしても写真のひとつもUP出来ない。
それを見る全ての人がこの書き込みを思い出して「気分悪く」なるのだ。
そりゃワシはアメリカをツアーで廻るのが夢だが、
それをやって色んな人がイヤな気分になるぐらいだったらやめた方がいい。
アメリカ行きは諦めて、リハーサルの合間に空いたスケジュールの調整をいろいろやっている。
5月初旬は中国でもゴールデンウィークで音楽イベントが多く、
その掛け持ちでリハーサルのスケジュール組みも大変なのだ。
いくつかの現場でこいつが一緒にいる。
ワシよりもはるかに多くのレギュラーを抱えてて、
ワシなんかふたつの現場で既にスケジュールが衝突してるというのに、
「お前、それだけ掛け持ちしててよくスケジュールが衝突しないなぁ・・・」
と言った時のこいつの答え!!
「衝突?・・・一度も衝突なんてしたことありませんよ・・・」
お前なぁ・・・もともとはと言えばお前から始まったことじゃろ!!
(ふりだしに戻る)
ワシがこの国でちゃんとスケジューリングしてゆけるようになるのはまだまだ先の話のようだ・・・
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2016年4月24日
ヴァッケン・メタルバトルin中国
居酒屋兆治の田端さんの息子、翔くんが、
「すみません、ドラム叩いてくれませんか」
と言うのでふたつ返事で引き受けた。
とりあえずは5月1日の蘇州MIDIフェスティバル、
そして今回の鎮江(ZhenJiang)だったのだが、
「コンテスト」と聞いていささか不安になった・・・
アマチュアバンドのコンテストにワシなんかが参加してもいいのだろうか・・・
コンテストと言えば爆風スランプの前身バンド「爆風銃(Bop Gun)」も「EAST WEST」と言うコンテストから出て来たのだから懐かしいことこの上ないが、
そもそもが若かりし頃の好戦的で性格の悪いワシらは、楽屋なんかで他のバンドに闘志をむき出しにしてたのだから、そんな殺伐とした雰囲気のところにワシなんかを呼んだバンドなどが一緒にいて他のバンドから反感を買ったりしないだろうか・・・
「いいんですよいいんですよ」
と言うのでリハーサルに行って来た。
いや、人相悪いな・・・特にボーカル(笑)
リハ後にはみんなでタバタバーに行ったのだが、
そこでこの人相悪いのがバーカウンターでカクテル作るのな(笑)
いや、オシャレなの作れば作るほど似合わんぞ(笑)
まあでもバンドでバーをやってるっつうのはええわな(全員酒飲みの場合)
リハ後のミーティングも自分のバーでやることが出来る・・・
そこで聞いた話、実はこのコンテストはドイツ最大のヘビーメタルイベント「ヴァッケン・オープン・エア」への出場権をかけた「メタルバトル」というイベントらしい。
「ヴァッケンってどっかで聞いたことがあるなぁ・・・」
と思ってたら何かのテレビ番組で今年は日本からはラウドネスが出場するというと言ってたイベントではないか・・・
「えっ!(◎_◎;)ラウドネスが出るんですか!!」
ラウドネスっつうか二井原実の大ファンであるボーカルが狂喜乱舞!!
人相悪いのに人間可愛いのな・・・(笑)
「よし!!イベントではグランプリ取って絶対ドイツ行くからな!!」
なんかワシの中では妄想がどんどん広がっていって、
「ラウドネスを紹介してやるぞ」
という感じから、酔いが進むにつれ
「中国の無名のバンド、ラウドネスを完全に食った」
とかにまで妄想が広がってゆく・・・・
そして当日、会場である鎮江(ZhenJiang)は生憎の雨・・・
コンテストなのに野外でやるんかい!!(◎_◎;)
なんかコンテストと言うより、
これも全世界で開かれる「ヴァッケン・オープン・エア」のメタルイベントのひとつなんなんだろうなと思った。
ワシなんかもうグランプリ取るつもりやからな、ドイツ行くつもりやからな!!
まあワシの場合、強く信じ込んだらそうなっちゃうから怖いよね・・・(笑)
命懸けでドラム叩いたら、集まってるメタルファン呆然・・・
対バンのドラマーとかステージ袖でワシと記念撮影撮りまくり・・・
ほんまワシって「ミュージシャンズミュージシャン」やなぁ・・・(笑)
出番が終わったら対バンと酒飲みに行って盛り上がるし、
やっぱこれは「コンテスト」と言うよりは「メタルイベント」やな・・・
さて結果は最終日が終わってみないとわからないということで、
バンドのベーシストが残ってその結果をメンバーに伝えるということらしい。
もうワシなんかドイツ行く気まんまんやからな!!
ところがビール飲みながら何の気なしに聞いたこの一言で打ちのめされた・・・
「ところでドイツってスケジュールいつなん?」
「はい、8月4、5、6日です!!」
ワシ・・・日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールが入ってるから参加出来んやん(>_<)
しゃーないな・・・グランプリ取れたらお前らだけで行って来い!!(涙)
まあこのパスとTシャツだけ記念でもろとくわ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:19:33 | 固定リンク
2016年4月21日
中国ロック30年の歴史コンサートのリハ開始!!
悪いのは自分だ、よくわかっている(>_<)
WINGのワールドツアーで香港、オーストラリア、マレーシアの美味いもんばっかりを食い、そのまま日本に帰ってX.Y.Z.→Aのツアーでまた暴飲暴食!!
帰る前日には二井原が「反省会ぢゃ!!(バーべQやって昼から飲むの意味)」と言うので昼から飲んで、そのまま終電で蒲田まで行って北京戻りの激安朝5時発の飛行機に乗って・・・
それからである。
11時にはミーティングと言うのでビジネスランチでビールを飲んだ・・・
15時からはミーティングなのでよかろうと思ったのだが、
実はそれはレコーディングだった(>_<)
夜の12時に終わった時にはもう身体がおかしくなっている・・・
あまりないことなのだが頭痛がひどく、
身体の節々の関節が痛くなり、
腹は下すし思いっきり踏ん張れないのでドラムも叩けない(>_<)
夜中にやっと院子に帰り着いて寝ようとしても、
身体の節々が痛くてなかなか寝付けない(>_<)
夕方からリハ・・・
実は5月9日には「中国ロック30年の歴史」みたいなオムニバスコンサートがあって、
ワシは
栾树,唐朝老五,爽子の3つのバンドでドラムを叩くということで、その色んなリハが細々とブッキングされている・・・
中国ロックの黎明期を築いた大御所ロックバンドのギタリストで、
ワシのインタビューでもこのように引用されている伝説のギタリストである。
古くは中国ではロックのバイブルのひとつとなったワシのソロアルバム「亜州鼓魂」に参加してくれたのだが、
会ったのは15年前の彼の結婚式の時以来、
そして一緒に音を出したのは・・・
20数年前、彼らが日本のレコード会社と契約して初来日した時に、
目黒ライブステーションに無理やり出演させて頂いて、
そこで一曲だけ一緒にセッションしたっきりである。
その後ベースの张炬(ZhangJu)が北京でバイク事故で亡くなり、バンドは次第に求心力を失って活動停止・・・
彼がバンドを脱退してソロになってからは一緒に音を出すチャンスは一度もなく、
今回なんと初めて「バンド」として音を出すことになったのだ。
歴史の人と久しぶりに音を出す感激・・・
長年の友と久しぶりに音を出す感激・・・
腹具合が悪く、無理して気張ってもいつぞやのように漏らしてしまうことなき感激・・・(涙)
それにしてもこんなレジェンド達に囲まれてワシの顔も名前も小さくポスターに載せられていること自体が感激じゃよ!!
リハはしばらく続く・・・ゆっくり寝て体調を整えるのぢゃ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:12:34 | 固定リンク
2016年3月21日
日本に家を買いに行く中国人
前回志賀高原でご一緒したLuanShuの親分Hさんだけでなく、
LuanShu本人も家を買うと言うので物件を探しに一時帰国・・・
いやね、土地の値段がバカ高い北京の人たちにとって、
日本で1億円ぐらいの物件なんか安い安い!!
ほんま北京市内に1億円以内で家買おうと思ったら大変よ・・・
それに中国は家を「所有」するわけではない、
70年間の「租借権」を買うという形らしい。
つまり土地は全て「国」のものなのであるから、
「70年の間自由に使っていいからその分お金を払いなさい」というもの・・・
これってワシは、もし70年経つ前に売買したとしたら当然ながらそこから70年間の租借権となるのかと思ったら実はそうではないらしい・・・
例えば20年住んで中古で物件を売却したら、
そこにはあと50年しか住めないということである(驚)
この制度が始まってまだ20年も経ってないだろうが、
あと50年経ったら全ての物件はどうなるのだろう・・・
そこにどんな人が住んでようが国が全部没収してしまうのだろうか・・・
はっきり言って国はまだそんなに考えてないのだということらしい。
「到了再说吧(その時が来たら考えよう)という感じで、
買う方は買う方で
「70年後にはどうせワシ生きてないし〜」
ぐらいにしか考えてなくて全中国でこのシステムが定着してしまっている(驚)
まあ中国人にとってみたら、
北京より安い金で日本に家買ったら永久に自分のものになるだけでなく、
ヘタしたら自分の子孫にまで財産が残せるんだからこんなオイシイ話はないだろう・・・
でもそれはそれで大変なんちゃうかなぁ、
そんな大金をどうやって両替するのだろう、どうやって持ち出しするのだろう・・・
何か多額の送金は国が制限し始めたということで、
まさか現金をバッグに詰めてハンドキャリー?・・・
んなわけないか・・・
金持ちは金持ちでワシにはわからんいろんな方法を知っとるんやろうなぁ・・・
まあ「お前が持って行け」と言われて現金で1億円渡されたら持って行くけど(笑)
場所は軽井沢と野沢温泉を所望らしい。
まあ北京に比べたら空気も格段にいいからええかも知れんな。
「自分が泊まらない時は管理も頼む」と言うので十数年ぶりに軽井沢でペンションやっとる幼馴染を訪ねてゆく。
まあ管理はそいつに任せて、使ってない時はワシが別荘代わりに泊まりに行ったるぞ〜
Posted by ファンキー末吉 at:04:16 | 固定リンク
2016年3月16日
またまたドタキャン(>_<)
日本人の一流ミュージシャンばかりでバックバンド再開!!という使命を受け、
前回とはひとりを除いて全く違うメンバーが集まった。
前回はワシ自身が参加できなかったが、実は今回はワシ自身もドラマーとして参加である。
実は迷ったのよね〜・・・
長年の朋友WINGのオーストラリア、マレーシアツアーのために26日に香港に飛ぶ飛行機が押さえられているので、本来ならば本番のスケジュール26日が完全にぶつかっている・・・
今回のこの上海でのバックバンドの仕事は「自分が仕事したい」というよりも、中国の音楽界の活性化や日本のミュージシャンが将来もっとバリバリに中国で仕事をしてもらいたいがためのもので、むしろ日本の一流ドラマーに来てもらった方がよい。
しかしまあ主催者側もワシがいてくれなければ不安だということで考えた!!
だいたいにして朋友WINGは夜型の人間である。
リハが行われるのはだいたいにして夕方開始が多い。
(それでも寝坊して来る時もある・・・笑)
香港でのリハは27日から開始ということは確認しているので、
万が一昼からのリハになったとしても27日の朝いちで香港に飛べば間に合うであろう・・・
しかしこの段階でワシはWING側には「27日のリハ当日に香港入るよ」とは伝えてない。
この辺は「センス」である。
後にこれが大当たりで大きく助かることになる・・・
さて、お声をかけさせて頂く方には
「中国の仕事はドタキャンが多いから」
と仕事の発注の時点でお伝えしているのだが、
(そのためにちゃんと前渡金を取って渡している)
人によってはなかなか詳細が詰まらないと不安な人もいるようだ。
まあその気持ちもわかるので、間に立ったワシは一生懸命中国の事情を説明する。
今回も
「空港でWi-Fiをレンタルするのにフライトが羽田か成田か知りたい」
という方がいて、
「もう羽田ということでオーダーは出してるんですがまだ回答がないんですよ」
と説明した。
思えばその時にこんな発言をしなければよかったのだ・・・
「前回はこの段階でドタキャンになりましたけどね(笑)」
「言葉が運命を呼び込む」というのは本当にあるのかも知れない。
まさにこの発言をメールで送りつけた瞬間にワシのWeChatがメッセージを受信した・・・
またまたドタキャン(>_<)
もうね、先方の平謝りが凄いのよ・・・(笑)
(まあ2回連続なのでそうなのだろうが)
でもワシとしては前渡金ももらっているので「没問題(MeiWenTi)」と返事しておく。
しかしこの辺においては日本人ミュージシャンとしては考えが分かれるようだ。
前回も
「そんなことだろうと思った。パスポート返して下さい」
と少々お怒りのメールをお送りになった方もいて結構ショックを受けた・・・
まあ日本の非常にシステマライズしたやり方に慣れている方にとってはこれらのことは許せんことかも知れんが、ワシなんかは前回はただ人助けで皆様のために一生懸命前渡金も取って一番働いたわけぢゃが、今回は初めてもらう側になって・・・
もうね・・・全然「没問題(MeiWenTi)」!!\(^o^)/
スケジュールをしばらく押さえるだけでお金もらって、
(ワシの場合はLaoLuanとこに入るのだが)
結局はその金返さずにスケジュール空いて別の仕事も入れられるなんて天国よ〜(笑)
そこで前述の香港行きのチケットが生きて来る!!
実は前渡金をゲットした瞬間にWING側にチケットの変更、もしくはキャンセルをお願いしようか迷ったのよ・・・
まあ
「自分の都合なので先に自分で上海ー香港のチケットを押さえてから連絡しよう」
と思ってアプリでポチリ!!!・・・
・・・しようと思ったら何故だか指が重い・・・
まるで左門豊作と対決する星飛雄馬の腕に左門豊作の弟妹達がへばりついてピンチングを邪魔する(古っ!!)みたいな感じである。
「まあいいや、そのまま置いといて上海行きのチケットがFixされたら取るか」
とずーっと置いといたのが助かった。
ヘタしたら26日香港行きのチケットも失ってこの上海ー香港も無駄になってたかも知れない・・・
もうね、この国で生きてゆくにはいろんな「テクニック」が必要!!(>_<)
会場は全部国のモノ、許可は全部国の鶴の一声、
共産党一党独裁であるこの国で日本のようなシステマライズされた状況を期待したって絶対無理なのである。
でも中国の仕事もどんどん状況はよくなっている。
前渡金を2度もゲット出来るなんて10年前には考えられなかった。
次もまた同じような仕事が来るだろう・・・しかもまた直前に(笑)
ホント、こんなんでいいと思って頂ける日本の一流ミュージシャンの方は、
これに懲りずに是非また私の誘いに乗って下さい(ペコリ)
皆様が更に大きく羽ばたけるチャンスがこの国にはあると思ってます。
Posted by ファンキー末吉 at:09:27 | 固定リンク
2016年2月19日
25年来の親友来日
1990年、最初に北京に行った時にひょんなことから地下クラブで演奏する当時まだアンダーグラウンドだった黒豹のライブを見ることになり、その時から一番の友人となっているLuanShu。
いい時も悪い時も一緒にいる25年来の親友である。
ここ最近精神を病んで静養していたようで、
彼が受けた映画音楽の仕事などを彼が出来なくなったからワシが引き継いでやったりしてたが、
いやなるほど、このレベルの仕事をずーっとやり続けていたら病気にもなるわ・・・
「ゆっくり休めばいいよ」と思ってそっとしておいたが、
先日ひょんなことから一緒に飲んだ。
この写真を彼がUPした時のコメントがこれ。
这一刻很快乐,Funky先生家中小聚,一位伟大的音乐家、技艺精湛的打击乐鼓手,是我的老师兄长,57岁Metal打一宿!Jazz,Blues是用鼓说话的人,我们从91年相识至今从他那里学到很多知识[调皮]我制作的很多专辑都有老方的鼓声[抱拳]
楽しいひと時、Funkyさんと家で飲んだ。
偉大なる音楽家で、テクニカルな打楽器奏者、私の先生であり兄。
57歳でメタルを叩き、ジャズやブルースなどはドラムで話をするような人。
91年(注釈:本当は90年)に知り合ってから今まで、彼から色んなことを教わり、
私のプロデュースした数多くのアルバムには全て彼のドラムが入ってます。
なんか嬉しいね。
ワシも酔っ払って「旧正月はどうすんの?日本においでよ」と言ってたのだが、
日本へのマルチビザを取って本当に来日の運びとなった。
前回の来日は2009年。
奥さんと一緒に来日したのだが、その時は1週間の滞在で、
「いくら両替したかわかんないからとりあえず100万円両替したんだけど、2人で1週間これで足りるかなぁ・・・」
と言うので
「お前なぁ。100万あったら2人で3ヶ月暮らせるよ!!」
と言ってたのだが、結局100万で足りなかったほどの大豪遊!(◎_◎;)
今回の来日にはいくら持って来るのかなと思って羽田まで迎えに行ったら、
「Funky、両替しなきゃ」
と言う。
人民元を日本で両替するとレートが非常に悪く、
例えば100万円両替したとしたら10万円ぐらい損するかも知れない。
「銀聯カードで1日10万ずつ日本円引き出せるからそうしたら〜」
と勧めていたが、結局は両替したのだろう、また札束を持ち歩いていた(笑)
滞在は銀座の一流ホテル。
メシはとりあえず近所の寿司屋にした。
銀座で寿司・・・(笑)
いや〜日本にいる中国人の友人も集まって日本酒飲んだので、
気がついたら酔いつぶれて歩けなくなったワシ・・・
「じゃあ同じホテル取ってやるからそこで寝ればいいよ」
と銀座の一流ホテルに部屋取ってそこに担ぎ込まれる酔っ払い(笑)
滅多に経験出来ない銀座で2泊を過ごすこととなった・・・
2日目はコンサートを見たいと言うのでマドンナのチケットを取ってやった。
1枚5万円のVIP席・・・
これは実はソールドアウトだったので当日券を狙おうと思ったのだが、
運良くFacebookで「行けなくなったので安く譲りたい」というのがあってそれをGET!!
ワシは見に行かずホテルで寝ていて帰りを待つ。
大事な任務はメシの段取りなのだ。
前日が寿司なので肉がいいなと銀座で夜中に開いている焼肉屋を予約!!
極上カルビや希少部位6種盛りなど、
人民元に換算すると「安いなぁ・・・」
円高に動き出してはいるもののまだまだ日本円は安く、
その上、北京の物価はどんどん上昇しているので、
銀座の高級店と言えど今では北京に比べたら安いのである・・・
次の日からは志賀高原にスキー!!
移動は新幹線、当然グリーン車である。
この日は彼の奥さんの誕生日ということで、
あらかじめホテルの一番いいレストランを予約し、
ちゃんと名前も入れたケーキを用意している。
ところがやって来たのは彼らだけではない。
この日に合わせて中国から有名映画監督やらLuanShuの乗馬クラブのオーナーでもある弁護士夫婦とその子供、
「彼女が日本で誕生日祝うんだったら僕らも行かなきゃね」
ということで集まって来た。
なんと滞在期間ずーっと車をチャーターし、
その中国人運転手と助手の二人の滞在費や高級ディナーまで振る舞うという大変なお金持ち!!
もうね・・・ディナーコース10人分で一食軽く10万超え!(◎_◎;)
ちなみにこの中国人運転手、顔が北朝鮮のトップの方と酷似している。
和佐田が昔MCなどで
「末吉の携帯には金正恩の電話番号が入ってますからねぇ」
などとジョークを言ってたので、彼の番号を保存する時に名前を「金正恩」と入れたのだが、
彼から電話がかかって来ると「金正恩」と表示されるので心臓の鼓動が速くなってしまう(笑)
さてそんな御一行、スキーをすると言うならワシも10年ぶりに滑らねばならんじゃろうということでウェアーをレンタル!!
いや〜金正恩はいるわ内田裕也はいるわのわけのわからない団体となっております(笑)
内田裕也役の大きな仕事は「ロッケンロー」ではなくメシの段取り。
前日は「肉のコース」だったので次の日は日本食がいいと言うので探しまくる・・・
しかし周りには「レストラン」というものがない。
仕方ないので近くの温泉旅館に片っ端から電話して、
「食事だけで利用出来ませんか」
と聞きまくる。
しかしどこもそんな営業はしてないのよね〜
「金ならいくらかかってもいい!!一番いい日本料理を食わせてくれ!!」
とまくし立てる。
実際「金に糸目はつけないから一番いいものを」というオーダーなのだ。
全ての旅館に断られたが、
ひとつだけ「木戸池温泉ホテル」というところだけがそのオーダーに応えてくれた。
ここの女将さんが実は娘が爆風のファンだったらしく、
「高校生だった娘を車で長野市民会館まで送って行ったわよ」
と語ってくれた。
女将さん、無理言ってすみませんでした。
御一行とても大喜びでした!!どうもありがとう御座います。
次の日は最終日。
ワシの身体は10年ぶりのスキーでハンパない筋肉痛!!
使う筋肉が違うじゃろうということで途中スノボに乗り換えたら、
結局は最後には全身くまなく筋肉痛!!(>_<)
午後は滑るのは諦めて、
スキーをしない奥様方を「野猿公苑」に連れて行った。
温泉に入る猿が見れるというのだが、
なんと車では入れずに30分山道を歩かねばならない(>_<)
全ての筋肉が死んだ頃、初めて見た!!
本当に猿が温泉に入っていた!(◎_◎;)
いや〜まだまだ知らない日本の名所ってあるんやなぁ・・・
奥様方も大喜びで、
LuanShuの奥さんに話によると、
弁護士さんもこの辺が気に入って、
この辺に家を買おうとかいう話である!(◎_◎;)
買うんだったら管理とかどうすんの?
とLuanShuに聞いたら、
「あ、あの人ね、世界中どこ行っても気に入ったらすぐに家買って、
自分でもどこに家買ったか忘れてるような人だから気にしなくていいよ」
とのこと・・・
どこまで金持ちやねん!!!(◎_◎;)
さてこの日は今度はその弁護士の奥さんの誕生日!!
「昨日の日本料理がいいな」
と言われるが、運悪く「木戸池温泉ホテル」は休日(>_<)
仕方ないのでホテルのレストランで牛肉しゃぶしゃぶコース!!
もうね、りんご食べて育った「りんご牛」とかね、
また一食10万円超え!(◎_◎;)
でもね、まあ喜んでもらえたらそれでいいのよ。
お金で「幸せ」を買えるなら安いもんかと思い出して来た。
そしてワシは次の日の朝一番のバスで長野駅まで出て、
名古屋空港から上海に飛ぶ。
彼がわざわざ早起きして見送りに来てくれた。
監督と彼らはタクシーをチャーターして野沢温泉に向かい、
弁護士さん一家は金正恩の運転で成田に行って香港に飛ぶらしい・・・
ワシは上海ー無錫ー蘇州ー連雲港ー青島とひとりドラムでツアー回ってから北京に帰る。
ちなみに青島はLuanShuの故郷である。
「え?青島行くの?
俺、旧正月に青島に里帰りしてないから行かなきゃと思ってたんだ。
じゃあ22日に北京帰ったら青島で合流しよう!!」
また続くんですね・・・(笑)
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2015年12月29日
前渡金ゲット!!
ここだけの話、北京では現在仕事の数に対してミュージシャンが絶対的に足りていないのだ。
先日もリハーサル中にそのバンドのベーシストからいきなり
「12月29日にリハで1月3日本番の仕事が出来ないか」
と耳打ちされた。
29日はこうして日本戻り、
そして1月3日は豊橋でイベントが入っているので無理である。
悲しそうに頷いてまたベースを弾く彼・・・
そして昨日には「キーボードが見つからないんだ」と泣きが来た。
「有希子(よーしーず)はキーボードでこんな仕事受けてくれないかなぁ・・・」
ライブで左手でベース右手でキーボードを弾くのを見てた彼は藁をも掴む思いでそんなことを言う・・・
「あ、大丈夫大丈夫!!スケジュール聞いとくから」
勝手に安請け合いするワシ(笑)
日本でもキーボードとして仕事をしてたみたいだから大丈夫じゃろう。
スケジュールは大丈夫そうなので勝手にOKしておいた(笑)
あとは言葉の問題のみ!!
頑張って覚えたての中国語で直接コミュニケーション取るよーに!!・・・
・・・とまあ、こんなに数日後のスケジュールがぽんと決まるんだから全てのミュージシャンがそれに合わせられるはずがない。
いつもどこかで誰かがミュージシャンを探しているというのが現状である・・・
さて前置きはさておいて、
前回のテレビの収録のバックバンドの話・・・
国内有名歌手の曲をアメリカやイギリスの有名アレンジャーにアレンジさせて、
それを日本の一流ミュージシャンに演奏させようという企画・・・
ネット番組などで国内全てのミュージシャンが駆り出された話は書いたが、
結局のところこの数多い(ネットも含む)テレビ番組が、
それぞれ国内トップのミュージシャンを片っ端から押さえていったら、
そもそもいくら若手のミュージシャンが育って来たと言ったって足りるわけがないのだ。
そこで日本人ミュージシャンに目をつけた・・・
ここは敢えて胸を張って自慢させてもらうが、
「日本人ミュージシャンは腕がよくて仕事が真面目である」
という中国の音楽界での評判はワシが25年間の活動の中で築き上げて来たものである。
だから「日本人ミュージシャンを集めてくれ」と言われたところで、
ヤツらは別にそれぞれのミュージシャンの音源など必要としない。
「ファンキーが一流と言うのだからそれは一流に違いない」
と暗黙のうちに思われてしまっているのである。
いわば「ブランド」である。
だからその期待に応えられるであろう友人を集めた。
彼らなら私の25年間に泥を塗ることは絶対にないだろう。
しかし初めての「中国の仕事」がの方が彼らとワシの友情に泥を塗る可能性はある(涙)
だからワシは
「スケジュールを大決定にするには必ず前渡金を支払うこと」
という条件をつけた。
それなら例えドタキャンになったとしても、その空白のスケジュールに対して報酬を支払っているわけなので少なくとも友情にはヒビは入らないだろう(笑)
ところがこの「中国人から金を取る」ことこそがどんな難曲を初見で演奏するよりも難しいことなのである。
というわけで「中国人には中国人を」で間にLaoLuanを立てた。
そしたら何と彼がちゃんと前渡金を取ってくれたのである(驚)
ワシがリハーサルをしているスタジオにLaoLuanが金を届けに来た。
リハを中断して分厚い封筒を受け取る(恐)
周りに気付かれないようにそっと中を覗くと、
日本円だけではなく中国元も混ざっている。
「明日日本に帰るから日本円に両替して持って来てね」
と言ってたのだが、中国人の日本爆買いツアーのおかげで近頃では日本円に両替は数日待ちという状況らしい・・・
中国元の最高紙幣は100元で日本円でたかだか2千円程度なので、
こうしてちょっとまとまったギャラとかになると札束いくつにもなるのだ・・・
日本人のミュージシャンを紹介して、
彼らへの前渡金に中国人がどさっと札束を渡す・・・
凄い時代になったもんじゃのう・・・
問題はその「額」が日本人ミュージシャンにとって満足出来る額なのかということである。
封筒の中身を確認したいのはマウンテンマウンテンなのだが、
いかんせんスタジオの中では他のミュージシャンの目がある。
今日の過酷な移動のまず最初、北京駅では、
ただでさえ置き引きやスリが多いので札束の封筒なんて出せやしない・・・
トイレの中でとも思ったが、大きなトランクを外に置いてたら置き引きにあってしまう・・・
天津までの寝台車の中でカーテンを引いてこっそり金勘定しようと思ったが、
日本の寝台車と違って仕切りのカーテンがない・・・
天津駅に着いて駅前のホテルで仮眠を取ろうと思ったが外国人宿泊禁止(>_<)
タクシー捕まえて天津空港まで行く途中にとも思ったが、
運転手に見られた日にゃぁノックアウト強盗されてしまって目も当てられない・・・
結局天津空港に着いて障害者用の大きなトイレの中で封筒を開いてみた。
なんとその額は立派に日本人ミュージシャンが満足出来る額であろうとワシにはそう感じた。
まあLaoLuanがいくら取ってるかは知らんが、
そもそもLaoLuanがいなければこの金は取れなかったわけだから、
結果ミュージシャンが満足する額が残ればそれでよい。
かくして帰国したらこの金を各ミュージシャンに振り込む!!
そしたら1月には彼らが北京にやって来て、
それこそ期待通り以上の演奏をしてくれるだろう。
すると北京のミュージシャン達はきっとワシにこう言い出すのだ。
「ファンキーさん、ほんとミュージシャンが見つからないんです。困ってるんです、日本から呼んでもらえません?」
日本人は世界一真面目で腕のいい民族だと思っている。
ところがそのギャランティーはワシの知る限りこの30年上がっていない。
北京は年々上がっているだけでなく、ここに来ての円安人民元高。
上海バンスキングの時代のように、
活動の場がない日本に見切りをつけて中国に稼ぎに来る・・・
いや、渋谷有希子(よーしーず)のように中国に引っ越して来るようなミュージシャンがどんどん増えて来たとしても不思議ではないと思うぞ・・・
中国人はその昔、戦乱の続く祖国に見切りをつけて、
新たな場所へ飛び出して行ってそこの言葉と文化を学び、
「華僑」となってそこを新天地としていった。
島国根性に見切りをつけて
日本人も飛び出していって「倭僑」となってそこを新天地としてゆけばいいのだ!!
ワシがよく講演会などで話している「倭僑のススメ」である。
中国人なら「華僑」?
日本人なら「倭僑」?
じゃあフランス人なら「仏教」?・・・
おあとがよろしいようで・・・
Posted by ファンキー末吉 at:05:29 | 固定リンク
2015年12月24日
日本の一流ミュージシャンばかりでバックバンドを!(◎_◎;)
怒涛の年末年始の移動スケジュールの第一弾、
無事に成田ー関空ー煙台ー北京の移動を終えたワシは、
その夜ほぼ徹夜で20曲ほどの譜面起こしをしてそのまま6時出発でリハーサル・・・
ダンス系の歌手らしくドンチキものとバラードばかりなのでその辺は楽だったのだが、
問題はそのままリハ終わりの別ミーティング!!
実は数日前にこんな発注があったのだ・・・
1)仕事の性質:テレビの娯楽番組が、ライブスタイル。
2)収録時間:2015年1月14日リハーサル、15日午後予備放送帯 の収録 、夜は視聴者付きの撮影。
3)仕事内容:6人の中国歌手が1人2~3曲の伴奏(全部で15曲ぐらい )
4)作品の背景:流行音楽のジャンルを経て、作品はアメリカとイギリス著名な音楽プロデューサーが新たに編曲して,そして米英両国の専門のプロミュージシャンスタジオで録音しました。
5)バンドの要求:いつも有名な歌手のコンサートで伴奏する、専門のバンド 。
6)時間ノード:2015年12月20日夜8時前に、参加することができるかどうか 返事しなければならない、確認後歌のオーディオ資料を送りします。
時間が厳しいから、よろしくお願いします。 ありがとうござい❗️@有希子
日本語が少々変だが、これは渋谷有希子に送られて来た原文!!(笑)
そして回り回ってワシのところにこれと全く同じ中文が送られて来る。
トドのつまりは要するにみんなでよってたかったワシを捕まえたかったようだ・・・
ワシの中国の携帯は日本にいる時は方言(FangYan)に転送されるが、
同じ内容で方言(FangYan)の電話がいろんな知り合いからの電話で鳴りまくる(笑)
そうしてプロデューサーがついにワシにたどり着いて、
「至急に」ということでワシがこのスケジュールが空いている日本の一流ミュージシャンを探すという羽目になったのだ・・・
ちなみにワシはその日は全中国ひとりドラムツアーの活動で连云港(どこや?笑)に行っているので参加出来ない。
ベースはバンマスで渋谷有希子は大決定ということで、
キーボード二人とギター二人は何とか見つけたが、
(決定になったらお名前出しますが、まあいつものセッション仲間の一流ミュージシャンです)
問題はドラマー!!(>_<)
何せもともとはワシに頼もうとしてたのだから、
ファンキー末吉レベル、もしくは「それより上手い」ドラマーを求められている・・・!(◎_◎;)
いや〜「何ぴとたりともワシより上手いドラムは叩けまい!!」という思い込みだけでここまでやって来たので自分より上手いドラマーを探すのは骨が折れるのよね〜(笑)
以前WINGの仕事でワシのスケジュールが合わなくて、
菅沼孝三と長谷川浩二に打診したことがあったのでこの二人には真っ先に連絡したがスケジュールがNG(>_<)
岡本敦夫さん、そうる透さんにも連絡したがNG(>_<)
あ、今年のサマードラムスクールに参加して下さった長谷部徹さんがいるぢゃないか!!
と電話をかけたがNG(>_<)
サマードラムスクールと言えば衛藤浩一さんがいるが、
去年のような「おいた」をされた日にゃぁワシが25年間築いて来たものを一瞬で無にしかねないので彼だけはハナから外した(笑)
あと誤解のないように言っておかねばならないのが、
ワシの友人のドラマーで「俺には声かかってないよ」という人も多々いるが、
別に「一流じゃない」とか「ワシより下手」とか思ってのことではない。
この仕事は「バックバンド」の仕事である。
例えばひぐっつぁんが生きてたとしても決して声をかけることはなかっただろう。
バックバンドに長けてる人、すなわちスタジオミュージシャンの中から色々探していたのである・・・
やっぱね、住んでたところが「ロック界」なのでスタジオミュージシャンにそんなに知り合いおらんな・・・
仕方がないので渋谷有希子に「ワシより上手いドラマーを探せ!!」ミッションを出す。
「もし探せられなかったら村上ポン太さんを呼ぶからお前が仕切れよ!!」
ひえ〜!!!!!
村上ポン太さんはワシの憧れのドラマーで、
日本のドラマーの中でワシが一番影響を受けた人ではあるが、
何せ「大御所」過ぎて、また「あの時代」の人なので酒や女の武勇伝が物凄過ぎて、
まあワシら世代のミュージシャンでポン太さんを「仕切れる」人間はいない(笑)
思えば今の若い人もワシのことをこんな風に思ってるのかなぁ・・・
まあ結局はいろんな人からの紹介で、ワシとは直接の面識はないとある一流スタジオミュージシャンにお願いしたのだが、まあこれも大決定となるまではまだお名前は伏せておこう・・・
さてそれまではずーっとそのプロデューサーとWeChatという中国のLINEみたいなツールでやり取りをしてたのだが、
「じゃあ北京に帰って来たら会って話をしようじゃないか」
ということになってこの日にミーティングが行われたわけだ。
指定された店はなんと「羊の足の丸焼き」の店!(◎_◎;)
「何でワシの好物を知っている?!!」
とびっくりしたが、
「ファンキーさん白酒は飲みますか?」
と来たので少々雲行きが怪しくなって来た・・・
「ミーティング」と称して結局は酒を飲まされていろんなことをうやむやにされることがこの国では本当に多い・・・
ワシは自分が紹介したミュージシャンに少なくとも「前渡金」を取ることを何よりも優先するミッションとせねばならない。
ドタキャンの多いこの国の仕事で、
前渡金も取らずにこの一流ミュージシャンのスケジュールを移動日も合わせて4日間も押さえ続けることは、すなわち
「衛藤浩一を中国に放り込む」
のと同じぐらい危険なことなのである・・・(笑)
こういう話し合いは中国人同士の方がいい場合が多いので方言(FangYan)も同席させる。
ところが
「ついでにLaoLuanのスタジオ行ってワシのiPhoneの充電ケーブル取って来て〜」
と別ミッションを命じたのがいけなかった。
「じゃあ僕は7時半にはスタジオに行かねばならないので最初に顔出したらすぐ出ます」
ってあーた!!それだと全く役に立たんじゃろ!!!
充電ケーブルなんていつでもいい!!今日はとにかくここにいろ!!
兎にも角にも方言(FangYan)と二人でその店に出かけて行ってそのプロデューサーと会った。
乗りがDongLinとちょっと似ている・・・
まあDongLinも爽子(Shuangz)の仕事とかをくれたりもしたが、
その大半は会って熱くロックを語って終わるだけである。
今回も前渡金の話をはぐらかされて飲んで終わったのでは、
スケジュールを押さえて待ってくれてる日本のミュージシャン達に申し訳が立たない・・・
ところがビールを頼んで羊を焼いて、
世間話に花が咲いて「これから本題に」という時に方言(FangYan)がこんなことを言い出した。
「じゃあ僕はあなたの充電ケーブル取りに行きますのでここで失礼します」
って行くなー!!!肝心の本題の話をしてから行け!!!
どうもこの時間しかスタジオには人がいないらしい・・・
充電ケーブルなんかいつでもいいし、最悪捨ててしまったっていい!!
お前は頑張って金の話をするのぢゃー!!!!!
「だってこのためだけにLaoLuanがスタジオの鍵開けに来てくれるんですよ・・・僕から今更断れませんよ・・・」
ところがこの「LaoLuan」という言葉にプロデューサーが反応したので
「知り合いですか?」
と聞いてみた。
「ああ、マブダチだよ」
じゃあ話は早い!!中国人には中国人、しかも音楽業界のドンみたいなLaoLuanに間に入ってもらったらどんな人間ももうトラブルを起こせない\(^o^)/
早速LaoLuanを電話で呼び出した。
まあもともと充電ケーブルみたいなどうしようもない用事でこの中国音楽界のドンみたいな男を呼び出しているのだ。
「仕事だ」と言ったら来てくれないわけはない。
LaoLuanが来る前にプロデューサーといろいろ世間話をしてみる。
「LaoLuanと知り合いなら、こんなに色んな人に声をかけなくてもいっぺんで私と連絡取れたじゃないですか」
「いや〜日本、日本というのが頭にあったのでLaoLuanのことは全く思いつかなかったよ〜(笑)」
「そもそもがどうして有希子(よーしーず)と繋がってるの?」
「俺は眼鏡蛇楽隊(COBRA)のスタッフでもあるからさぁ・・・」
そうかぁ・・・有希子(よーしーず)もどんどんこの業界に深く入り込んでいってるんだなぁ・・・
と感心しつつ、とりあえず彼女がバンマスを務める今回のバックバンドのレベルは大したもんだよと説明しておいた。
「日本人ミュージシャンは真面目だしね。その仕事にはきっとあなたも満足すると思うよ」
「わかってますよ。俺が何年あなたの熱烈なファンをやってると思ってるんですか!!」
ドラマーだったのか!(◎_◎;)・・・
ドラム話で花が咲いている頃、LaoLuanがやって来た。
日本人ミュージシャンにギャラを払った場合の税金や会社間のやり取り、領収書の発行など業務的な話は一瞬で終わり、話題は先日のあわや強制送還話で盛り上がった。
どこの国の人にも絶対にウケるネタをたくさん持っている人生って素晴らしい(笑)
まあこの仕事はLaoLuanの会社が間に入ってうまくまとめてくれるだろう。
前払金さえ受け取ったらこの仕事は「決定」である。
日本の一流プレイヤーが中国のバックバンドの世界に大挙して進出して来るのである!!
「俺はね・・・中国のミュージシャン達に彼らの一流の仕事を見せてやりたいんだ」
酔っ払ったワシはまたLaoLuanにこんこんと語る。
ワシがこの国でスタジオミュージシャンとして仕事をし始めた時、
レコーディングで譜面を用意したりDEMOを聞かせたりすることすらなかった。
時間通りスタジオに来るのなんて今でもワシぐらいである。
この国の色んなことをワシが変えていった・・・
「だってそうした方が結局最終的に音楽のレベルが高くなるからいいだろ?」
ひと握りのミュージシャンが全ての仕事を独占している時代は終わって、
今ではワシも会ったことのない若手ミュージシャンがいっぱい仕事をしている。
「そいつらにこの日本の一流ミュージシャンの仕事を見せてやりたいんだ。
そうすればこの国の音楽のレベルがまた上がる!!」
ひいては「この国のロック」のレベルが上がるのだ。
これも全て「中国ロック」のためなのである。
実現するといいなぁ・・・
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2015年11月18日
映画音楽・・・怒ったらあかん!!(>_<)
日本でツアーを廻りながら、実は映画音楽制作は続いている・・・!(◎_◎;)
もうね・・・もの凄い!!(涙)
いやね・・・語るに語り尽くせん!!(泣)
日本へ向かう前に起こった大事件がこれ!!
もうね・・・歌う人替えてレコーディングし直すなんて無理!!(>_<)
元々は制作側が自分とこ所属の女優さんに歌を歌わせようとするからこんなことになるのだ・・・
その歌が上手くないからと言ってこれはもうこちら側の責任でも何でもない!!
LaoLuanが必死で説得に回る・・・
そもそもがどうしてその女優さんに歌わせたいのか、
それは万が一その曲が大ヒットしたらその女優さんはそれを引っさげて全中国を営業で莫大な金を稼ぐことが出来るから・・・
この国では儲かるのは「歌手」なのだ、
自分とこ所属の女優が「売れっ子歌手」に化けてくれたら会社としてもこんないいことはない・・・
それにしても
LaoLuanの説得は全くもってツボを突いている。
「別の歌手が歌ったらその利権は会社には落ちませんよ、その歌った人が持って行ってしまうじゃありませんか」
制作側もそんなことは重々承知である。
「だから別の歌手に歌ってもらって名義はうちの女優にするの!!」
そんなこと許されるわけはない!!・・・誰しもそう思うだろうがこの国ではそれも可能なのだろう・・・
そこでのLaoLuanの説得も非常に的を得ている。
「声が違う人が歌ってたらそれ持って営業に行けないじゃん!!ここは何が何でも本人の"声"じゃなくっちゃダメだろ?」
「じゃあその仮歌の声を大きくしてうちの女優の声に被せて!!」
そう言えばX.Y.Z.→Aが初めてアメリカでレコーディングした時にテレビで見た映画でそんな話があった。
歌の下手な歌手のミックスで、プロデューサーが
「本チャンの声を下げて仮歌をもっと上げろ!!」
と同じように指示する。
最後にはミキサーがこう泣きを入れるのだ。
「プロデューサー、もう仮歌しか出てません!!(涙)」
映画のそのシーンを思い出して苦笑いする。
二井原なんかが爆笑しながら通訳してくれたそのシーン・・・
現実にそうなったら現場では誰も笑いやしない(>_<)
みんな頭を抱えてしまうだけなのである・・・
エンジニアの方言(FangYan)は泣きながら仮歌をエディットして本チャンの歌と全く同じタイミングで被せてゆく・・・
「これ以上無理です!!(涙)」
となったテイクを制作側に送りつけてワシは日本に発った。
それからずーっと日本でツアーを廻ってたが返事が来ない・・・
「どうなったのかなぁ・・・」
などと心配してたら、実はそんなことが吹っ飛ぶぐらいの大問題が勃発していたのだ!(◎_◎;)
岡崎でのライブ会場でそのメールを受け取った。
「Funkyさん、ちょっと見て下さい!!オープニングの映像編集が終わったんだけど、何となく音楽と合ってない気がするの・・・」
オープニングテーマはこの時に既にOKが出ている。
しかし映像はワシが見た感じでも確かに合っているとは言い難い・・・
そりゃそうだ、監督の要望はこの最初の時点から「緊張感があって、インストで、年寄りが聞いても楽しめる、オシャレでPOPな、Clubミュージックサウンド」
という要求である。
ワシはてっきり007みたいな映像を考えているのかと思ったら、
戦争映画よろしく1分42秒ずーっと戦闘シーンなのである(>_<)
そもそもが「Clubミュージック」などこの映像に合うわけはないのだ(涙)
落胆してても仕方がない、今から全部作り直すのは無理だ、
頭をフル回転で働かせる・・・
そこで思い出したのがこの曲!!
仮タイトルが「Theme Of The War」つまり「戦争のテーマ」
戦闘シーンには持って来いではないか!!!!
送られて来た映像ファイルは非常に大きく、
日本でダウンロードすると2時間はかかってしまうのだが、
幸いiPhoneのプレビューで見るとすぐに見ることが出来る。
「この映像にはこの曲が合うよ」
というプレゼンには映像にその音楽を貼り付けて送りつけるのが一番説得力がある。
ワシはまずそのプレビューを別のiPhoneで撮影して、
その映像にこの音楽を貼り付けてとりあえずLaoLuanと方言(FangYan)にだけ送り付けておく。
まずはこのDEMOで大体の形を見せておいて相談して、
いざ制作側に送りつける時には2時間かけてDLしたその映像にこの音を貼り付ければよい。
むっちゃ仕事が早い!!
ライブ会場でのリハ前に受け取ったメールの解決策は、
リハが終わって本番前にはちゃんと送られているのだから・・・
LaoLuanはもう困り果てていて、
「Funky、いつ北京に戻って来る?一緒に会いに行って制作側と話し合おう」
とメッセージを送って来たそれとほぼ同時にこのDEMOを受け取り、
「これは凄いわ、映像にぴったりじゃないか・・・」
と舌を巻く。
この音を映像に合わせてみた時に
「ワシは天才かっ!!」
とつい自画自賛してみたが、実はこれは非常に「運」がよかっただけの話なのだ。
何せもともと戦闘シーンをイメージして作った曲の上に、
5拍子のリズムなのでClubミュージックよりもアクセントの位置が多く、
乱暴にシーンをつないだ映像でもどこかのアタックにあってたりするのだ。
そしてライブ終了後にはDLした映像に音を貼り付けて、
それを制作側に送り付ける時間を相談・・・
・・・というのは実はこんな出来事があったからである。
先週ひょんなことから中国の映画音楽家のヨウヨウさんが北京のうちのスタジオにやって来た。
その時にワシらが今やっている映画音楽制作の話を笑い話として彼に話してたら「3つの大事なアドバイス」をくれた。
1、金を受け取らなければ仕事は開始しない
2、誰の言うことを聞くのかひとり決めてその人以外の意見は聞かない
3、仕事は早くやり過ぎない
彼はこの条項を必ず契約書に入れ込んでから仕事を始めるのだと言うが、
1はまあLaoLuanが間に入っているのだからうちには関係ない。
2はうちの場合主導権が監督から制作側に移ったような感じで振り回されているのだから確かに大事な項目である。
(彼曰く、現在のうちの状態なんかまだマシな方で、金を出したスポンサーなんかが口を出して来たらもうやってられないそうだ)
3は実はうちにとっては大きなアドバイスだった。
何せワシの「仕事」は中国人にとったら驚異的に「早い」のである。
毎回毎回LaoLuanが「Funky、全くお前は凄いよ」と言うのに気を良くしてどんどん仕事が早くなってゆく・・・
これが危ないのだそうだ。
「そしたら発注側は自分の要求はこんなに簡単なのかと思ってどんどん無茶な要求を出して来るようになっちゃうだろ」
だから今回は送り付けるまでにわざと時間を置いた。
ワシとてスーパーマンではない。
これはたまたま偶然「合った」だけで数時間で出来上がったが、
「ああ簡単なことなのね」とか思われてまた無茶な要求を振られたのでは本当に困ってしまう。
ワシはタダの「音楽家」であって「魔法使い」でも何でもないのだ(>_<)
さて翌日たっぷりと時間を空けて音楽を貼り付けた映像を送り付けた。
反応はすこぶるよい。
「個人的な感想としてはとてもいいと思うわ」
いつも会社の意見なのか自分の意見なのか文句ばかり言う連絡係の女の子が珍しくそんなことを言う。
送り付けたのはDEMOの音源をエディットしたものなので、
ワシはもう既に方言(FangYan)に
「本チャンのテイクをこのようにエディットして最終形を作れ」
と指示してある。
ところがここに来てまた意外なダメ出し(>_<)
「映像編集者からこの曲は平坦だからオープニングに相応しくないとダメが出ました」
・・・って突然出て来たその映像編集者って誰?!!!(◎_◎;)
結局は最初のオープニングで「1分10秒から変えてくれ」ということになったが、この部分・・・何度変えたら気が済むの?(涙)
変えろと言われて作り直して既にOKが出たんとちゃうの・・・(号泣)
LaoLuanがここで「待ち」を入れて数日、
結局はこのような原因でぐちゃぐちゃになってしまったようだ・・・
日本ではわからんが、中国ではこのような長いテレビドラマの場合、
「音楽を作る人間」の他に「作った音楽を貼り付ける人間」を雇う。
ここからはワシの想像だが、ワシらなんかが雇うその業者なんかと違って、
きっとこの会社が丸投げした会社は有名で地位の高い会社だったのだろう、
その「とっても偉い」映像編集者とやらが、
「こんなんじゃ貼り付けられねーよ〜音楽作り直させろ」
とでも言ったのだろう。
もうこうなるとLaoLuanの仕事である。
「いい加減にしろ」とでも会社にクレームを入れてるのだろう、
待つこと1週間余、返事が来たのはツアー最終日前の岡山のことだった。
「Funkyさん、新しいオープニング映像が出来上がったんで見てみて下さい」
メッセージと共にまた大きな映像が送られて来る。
2時間かけてまたDLして見てみる・・・
「えーと・・・これ・・・音が何も入ってませんよね・・・」
恐る恐るそう返信する。
「そうよ、映像だけを送ったからそれに音楽つけてちょうだい」
!(◎_◎;);
・・・音楽に合わせて映像を作るんじゃなかったのか・・・
もう被害者意識が植え付けられてしまっているのだろうか、
実はこのやり取りは単なるミスコミュニケーションだった。
どうやら
「11月8日にあなたが送って来た音楽をつけてちょうだい」
ということらしい。
11月8日に送ったのは「Theme Of The War」のDEMOだったので、
その本チャンを編集して送ればいいのだなと判断、
さっそく方言(FangYan)に指示して編集させる。
「これが終わったら仕事納めやから頑張れ!!」
目先にニンジンをぶら下げるのも忘れない。
思えば新しく勃発したオープニングテーマの問題で、
エンディングテーマの問題がすっかり忘れ去られている。
このままうやむやになってしまえば本当に「仕事納め」なのである\(^o^)/
方言(FangYan)は頑張った!!
一度は直しを入れたが、最終的に出来上がった新バージョンは素晴らしいミックスだった。
映像に貼り付けてみる。
さすがにDEMOに合わせて編集しているだけあって、タイミング等もばっちしである。
自信満々で制作側に送り付ける。
すぐさま返事が来た。
「この曲じゃないわよ!!11月8日にあなたが送って来た曲よ!!」
!(◎_◎;)
「11月8日に送った曲ってこれですけど・・・」
「違うわよ、イントロが全然違うじゃない!!」
しばらくしてまたメッセージが届く。
「あ、この曲でした・・・」
一同胸を撫で下ろす。
ああもうこれで仕事納めなんだなとみんなが安堵したその瞬間、
また新たなメッセージが届く。
「40秒辺りから盛り上がりに欠けるわよね〜直して!!」
!(◎_◎;)
完成形を送り付けてるんだからもう直せないんですけど・・・(涙)
ここで方言(FangYan)とLaoLuanが激怒する。
「ヤツら全く何もわかっちゃいない」
「無茶苦茶ですよ全く」
「クソッタレ!!」
など3人だけのグループチャットで罵声が届いて来る。
「まあまあまあ」
とりあえずなだめて制作側にメッセージを送った。
「じゃあ40秒から何か別の楽器を被せます」
これにはさすがに方言(FangYan)も
「Funkyさんは本当に優しい人ですねぇ・・・」
と感嘆するが、このワシが「優しい」なんてわけはない。
ケンカしたって仕事は終わらない、
ワシはちゃんと仕事が納められさえすればそれでいいのだ。
「楽曲と構成はOKなんですね?」
とちゃんと確認のメッセージを送ってある。
要は楽曲がOKで構成も直す必要ないなら何かダビングするだけで仕事納めなのである。
はてさて更に何をダビングしよう・・・
ストリングスとホルンはもう使ってあるし、
ディストーションギターも既に使っている。
あとは管楽器ぐらいだが対旋律によってメロディーの合間は既に何かの楽器が埋めてしまってある・・・
うーむ・・・とりあえずコーラスでもダビングして分厚くしてみるか・・・
昔だと軍隊のコーラスでも呼んで生で録音出来たのだが、
今はギャラも高くなってそうもいかないので取り敢えず打ち込みで頑張ってみるか・・・←イマココ
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2015年9月10日
抗日ドラマの音楽?!(◎_◎;)
久しぶりにテレビドラマの音楽の仕事が来た。
監督から資料が送られて来て、サンプル映像を見たら戦争モノ!!
爆弾ドッカンドッカンでこりゃメタルがふんだんに使えそうな映画である。
以前やった「上海森林」というドラマではテーマソングにX.Y.Z.→AのWINGSの中国語バージョンを使わせて頂いた。
通常テーマソングはタイアップ先の歌手とか、主役の役者とかのヘタクソな唄で録音されるのだが、
X.Y.Z.→Aのバージョンを聞かせて
「これを歌える歌手が国内でいますか?!!」
とアシスタントの方言(FangYan)が力説して二井原の中国語バージョンがそのまま使われることになった。
二井原凄いなぁ・・・
今回は戦争映画と言っても、
サンプル映像を見る限り近代兵器みたいなんはバンバン使われてるし、
隊長は美人兵でセクシーなタンクトップを着て、長髪なびかせてばっちりメイクしてるって何よ・・・(笑)
などと突っ込みながら見ていたのだが、
よくよく見るとこれ、国民党軍が共産党軍とアメリカ軍と手を組んで日本軍を打ち破るという・・・
抗日ドラマ?・・・(注:「反日」ではないからね)
まあ中国の映画とかドラマは抗日が多い。
実は前回の「上海森林」も最期には戦争シーンで抗日となってた。
これはやっぱお国柄である。
映画会社としては多額のお金を投資して土壇場で国からストップがかかったら大赤字であるが、「抗日」と付くとまずはストップがかからないのだ・・・。
まあいい、仕事は仕事である。
問題は方言(FangYan)がちゃんと交渉ごとをまとめてくれるかどうかである。
監督側とつないでギャラの交渉をするのだが、
こいつは何故かワシの値段をむっちゃ高く設定するので困る。
そりゃ前回の「疯狂的石头」は日本円で100万かからずに1本の映画音楽を作ってしまって、
それがタイタニックを抜く興行成績を稼ぎ出したんだから、
ワシの名前と共にその安いギャラも有名になってしまい、
何かというと安い仕事ばっか来るのでそれを阻止したいのもわかる。
しかしただでさえ映画より安いテレビドラマの仕事である。
その何倍もふっかけるのはふっかけ過ぎではないか?・・・
前回も寧夏電視台の仕事で法外な値段をふっかけて企画自体がボツとなった(>_<)
「ファンキーさんの名前は今やブランドなんだから安い仕事なんてしてはいけません!!この値段は最低の値段です!!」
ってあーた・・・ワシ仕事せずにごろごろしとるぐらいやったら安くてもええから仕事したいのよ〜・・・
ギャラ交渉は今日から始まるらしい。
なぁ〜安くてもええからこの仕事取ろうよ〜・・・
真面目だけが取り柄の頑固で融通のきかないこの男、
いくらで交渉して仕事を取るのか断るのか・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:38 | 固定リンク
2015年6月 5日
渋谷有希子中国の歴史的バンドに加入決定!!
「これどういう意味?」
iPhoneを持ってユッコ嬢がやって来る。
見ればWeChatに肖楠(XiaoNan)からメッセージが入っている。
肖楠(XiaoNan)とは1989年に中国で最初に出来たガールズバンド眼鏡蛇楽隊(COBRA)のギターボーカルである。
WeChatというのは日本でいうLINEみたいなもんで、
LINEにはない色々便利な機能があるのだが、
その中でも特に便利なのが翻訳機能!!
メッセージを長押しすれば「翻訳」というコマンドが現れ、
それをタッチするとそのメッセージを機械翻訳してくれるというものだ。
まあ機械翻訳なので結構しっちゃかめっちゃかではあるが、
他にも「百度翻译」というアプリもあり、
これはなかなか頑張って翻訳してくれるのでコピペしてそれを使ったり、
まあユッコ嬢ぐらいの中国語力でもこれら機械の力を借りればメッセージのやり取りぐらいは出来る。
要はそれを超える内容のメッセージが来た時にワシの部屋の門を叩くわけだ。
(暑いので門は開けっ放しだが・・・笑)
まあ会話というとまだまだ(と言っても一ヶ月でここまで喋れるようになるのは大したもん!!)じゃが、
肖楠(XiaoNan)が今晩うちに来ると言うのでほな通訳でもしたろかと待ち構えていた。
数年前の再結成肩慣らしライブぶりの再会だが、
何と彼女はユッコ嬢がうちの院子で暮らしていることを知らなかった!(◎_◎;)
まあ話の内容は予想通りユッコ嬢に眼鏡蛇楽隊(COBRA)に加入して欲しいということじゃったが、
ワシに連絡が来るのではなく直接本人に連絡が来るのが不思議である・・・
数日前老呉(LaoWu)から
「肖楠(XiaoNan)とは親しいか?」
と聞かれたので、
「25年来の知り合いだよ」
とは答えていた。
「じゃあきっとお前に連絡が来るよ。ベーシスト探してるからな」
思えば布衣のベーシスト林那(LinNa)は眼鏡蛇楽隊(COBRA)のベーシストでもあるので、
アメリカ人の旦那がアメリカに帰るというので一緒に移住するとなったらどちらのバンドもベーシストを急募せねばならないというわけだ。
ところが肖楠(XiaoNan)はワシに連絡をすることもなく直接ユッコ嬢と連絡を取り、
その後ろにワシがいることにびっくりしている・・・
「誰からの紹介で彼女を見つけたの?」
と聞くと、予想通りLaoLuan・・・
「女性ベーシスト探してるんだったら"友達"にいいのがいるよ」
と言ってふたりを繋いだらしい。
思えば先週LaoLuanの家で飲んだ時、
家にウッドベースがあるので「なんで?」と聞いたら、
「え?知らないの?俺は音楽学校で専攻してたのはベースなんだよ」
と言われ、ユッコ嬢のことをやたら「師匠!!師匠!!」と呼んでいた(笑)
まあこの中国音楽業界のドンのような人間に"友達"と呼ばれるというのは凄いメリットである。
「他にも老呉(LaoWu)からも林那(LinNa)からも彼女を紹介されてたしね。
彼女は今や中国の音楽界で知らない人はいないわよ」
更には
「歌も歌ってたわよね」
と言うので何のことか聞いてみたら
昨日の張張とのトリオでユッコ嬢がSlapしながら歌っている映像ももう既に見ているというわけだ。
中国は今ではもう、演奏能力から舞台上のルックスから、
既に説明もプロモーションもする必要がないというインターネット時代だというわけだ。
「時の人よ、いろんなところから引っ張りだこでしょ?」
と言ってたが、
なるほど今日も何かの食事の時に一緒になった人のバンドでもベースを弾いてくれとメッセージが届いていた。
知り合った人と名刺交換をするわけでもない、
バーコードをスキャンするだけで連絡から動画共有まで出来るというWeChatというツールの便利さである。
そう言えば近所(と言っても電動自転車で30分かかるが)にオープンした日本居酒屋で飲んでた時に偶然昔馴染みのミュージシャンがやって来て、
「ちょうどいい、紹介するよ」
とユッコ嬢を紹介しようと思ったら、
「知ってるよ、凄腕のベーシストだろ、Big Johnから聞いたよ」
と言う・・・
10年ぶりに会うミュージシャンでもこうなんだから確かに
「中国の音楽界で知らない人はいない」
というのも過言ではあるまい。
林那(LinNa)が秋にはアメリカに行ってしまったら、
まず全中国どこに行っても各会場500人以上は動員するビッグなバンドになってしまった布衣のベーシストとして、
そして大きな音楽イベントなんかでは必ず呼ばれる中国ロックの老舗バンド眼鏡蛇楽隊(COBRA)のベーシストとして、
もう生活には困らんな・・・
滞在一ヶ月でもう地盤が出来たっつうのは凄いな。
あとは語学やな・・・
まあ女性は男性よりもこの辺の能力は高いからな、
頑張るのじゃユッコ嬢!!
金持ちになったら日本居酒屋でワシに馬刺しを奢ってくれ〜
Posted by ファンキー末吉 at:02:53 | 固定リンク
2015年5月31日
推乐队The Push
北京音楽業界のドンのひとりでもあるLaoLuanからの紹介で加入したピンクフロイドのようなバンド「推乐队The Push」のライブが今月23日に開かれた。
いや〜舞台装置や照明にもこだわる彼らのこと、
布衣のように着の身着のままでふらっと行って歌って帰るというわけにはいかない・・
専属の照明スタッフは朝の10時から会場に入ってメシも食わずにセッティングしてようやく本番に間に合うという有様である。
昼過ぎに会場に来てみたら、
狭いライブハウスのステージに山ほど照明が組まれていて、
しかも電源の形状がライブハウスのと合わずにハンダ付けするところから作業が始まったということである・・・
プログラムを流す専属のスタッフがいて、
メンバー全員がイヤモニでクリックを聞いて演奏する。
まあクリックに合わせてドラムを叩くのはお手のもんではあるが、
何せ彼らの曲は全てがテンポが遅いので逆に大変である。
こちらから聞けます(外国からでも大丈夫かな?)
サウンドチェックが終わると控室ではたくさんのマスコミが詰めかけていて囲み取材が始まる・・・
なんとこのマイクの数!!(驚)ワシはとんでもないバンドに新加入したのではなかろうかと思ってしまう・・・
囲み取材はこれでもかこれでもかと延々続き、開演時間の21時になっても終わらない(>_<)
まあ中国はそういうところ時間にはルーズなのでいいかと思っていたが、
控室から会場に降りてみると・・・
なんと山ほどの客がいたのでびっくりした!(◎_◎;)
この満場のオーディエンスが大盛り上がり・・・
というわけではない。
何せ彼らのデビューアルバムのタイトルは「发呆(FaDai)」
辞書で調べてみると
「動詞 (びっくりしたり,別のことを考えて)ぽかんとする,ぼんやりする,きょとんとする」
という意味・・・
ボーカリストが冒頭のMCで
「我们是推乐队。今天大家一起发呆」
とつぶやく。
通常ロックコンサートでは「一緒に盛り上がろうぜ!!」と言うのに対して、
彼らは「一緒にぼんやりしましょう」と言うのだ(驚)
500人を超えるオーディエンスが全員ぼんやりしてステージを眺める。
さしずめ照明ショーをぼんやり眺めに来るコンサートというところであろうか・・・
これだけ照明を当てられたら当然ステージは暑い・・・
頑張ってドラムを叩く・・・
彼らの曲の中でも少しは派手な曲の冒頭ではちゃんとドラムソロもくれていたが、
全曲クリックに合わせるので小節が少しでもずれてたら大変である。
その他ちゃんとロートタムを叩くソロ部分ももらっている。
いや〜日本ではなかなかこんなソロは出来んから楽しいなぁ〜(笑)
まあ持ち込む設備が多すぎてそう頻繁にはライブをやれるバンドではないが、
次は一応7月31日に上海でのライブが決まっている。
あとワシは最初マグロ漁船のスケジュールとぶつかっていたのでNGを出していたが、
6月21日の寧夏音楽フェスティバルにも出演が決まっていたらしく、
ちょうど老呉(LaoWu)からお誘いが来たので日本から小畑も呼んで老呉(LaoWu)のバンドで参加する。
どうせいるのだからということで推乐队The Pushでも叩くことになるだろう・・・
ロートタムも持ち込んで、照明もまた持ち込むんか?
イベントでの出演って彼らどんなやろう・・・
いろんな意味で楽しみである。
Posted by ファンキー末吉 at:18:10 | 固定リンク
2015年5月20日
映像いろいろ
中国ではライブをやったらすぐに映像がUPされるので面白い。
前回のライブもすぐにネットに出回っている。
ご覧になってわかるように広告がかなり鬱陶しい(笑)
まあ広告収入がどれだけ大きなマーケットになっているかをうかがわせるな。
何せ中国の若者など今や誰もテレビなんぞ見ないのだ。
400以上あるテレビ局は万年ソフト不足だし、
インターネットで面白い番組探した方が断然楽しめる。
人気番組になると広告収入が大きいので予算がかけられる。
毎週制作費200万元(今のレートで4000万円!(◎_◎;))かけて「テレビの水準を越えろ」を目標に始めたオーディション番組が大当たり。
もう今やテレビなんぞ誰も見なくなったというわけだ・・・。
まあネットの世界は見るだけでなく、
ユーザーはどんどん「発信する」立場になるのでライブをやるとすぐにこんなのもUPされる。
ちなみにこのサイトにスマホでアクセスすると、
このような動画を簡単にUP出来るアプリを勧められる。
そんなのが出回っているから中国でライブなんかやるとみんなステージ見ずにスマホで撮影ばっか!!(笑)
まあ今やロックは「拳」を挙げる時代ではなく「スマホ」を挙げる時代なのね・・・(笑)
極め付けはこれ!!
これは前回ワシが音楽監督を務めた栾树のソロコンサートのドキュメントじゃが・・・
もうここまで来ると「テレビ番組」やな・・・2時間半のコンサートが全部収録されていてそれがタダで見れる(驚)
もちろんこれはオフィシャルなもので、
テレビ局にこの映像売って全部の出演者に許諾取ってはした金もらって誰も見ないテレビなんかで放映するより、
こうして無料で全国の人に見てもらった方がメリットがある。
「生まれ故郷の青島以外でもこれをやって下さい」
などと言われたらこんな大きなプロモーションはない。
日本ではほんとはした金でテレビ局に全部権利取られて、
それをネットで流してもいちいち削除される。
要は「影響力」が欲しいのか「金」が欲しいのかということである。
中国で「影響力」が欲しかったら日本のテレビ局みたいなやり方は誰も相手にしない・・・
面白いのは栾树をはじめ中国の大スター達が共演するこの映像が10万ヒットいってないのに、
数年前までほんの無名のアンダーグラウンドバンドの映像が20万ヒット超えてることである。
これは布衣が行った初のホールワンマンのフル映像!!(◎_◎;)
老呉も今やスターの仲間入りやな(笑)
そして最後はベトナムでUPされていた前回のホーチミンライブの映像!!
VUA TRỐNG CHÂU Á SUEYOSHI AT ACOUSTIC BARVUA TRỐNG CHÂU Á SUEYOSHI TRÌNH DIẼN TẠI ACOUSTIC BAR một bài HEAVY METAL dành cho các bạn yêu thich Rock.
Posted by Acoustic on 2015年5月13日
いや〜嬉しいねぇ〜
ドラム叩けるうちにいろんな外国行ってこんなことやりたいな・・・
どなたかアフガニスタンとかイラクとかブッキングして〜(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:11:11 | 固定リンク
2014年11月20日
マグロ漁船出航決定!!
前回のマグロ漁船が出航しなかったため、声をかけた渋谷有希子さんには大きな迷惑をかけてしまった。
と思ったらまたすぐに大きな話が転がり込んで来るのがここ中国である。
ことの始めは青島コンサートのリハーサルの時、
歌手として参加する馬上又が小声で話しかけて来た。
「ファンキーさん、大きな仕事があるんだけど是非あなたにやってもらいたい」
小声で話しかけて来るのでまるで「悪だくみ」である。
「ここでは詳しく話せないが」ということでワシはリハ終わりに彼に電話をかけた。
まるで一緒に悪だくみをしてるようである(笑)
聞けば本番30本の上にリハーサルが60本入り、
その全てのギャラが日本より高い(驚)
あまりにも大きな企画なので中国の音楽界にはまだ秘密にしたいのだろう、
というわけで詳しい内容はまだここでは書けないが、
要はロックミュージカルみたいな仕事である。
但し、いつもみたいな音楽監督の仕事でもなく、演奏者としての仕事でもない。
いや、厳密に言うと「演奏者」なのぢゃが、むしろ「出演者」である。
「え?俺・・・演技なんか出来んよ・・・」
戸惑うワシに彼はこう説明する。
「演技をする必要はない!!
ファンキーさんはいつものようにドラムを叩いてくれればいい!!
ドラムを叩いてるだけでヘタな役者より表現している、そんなプレイヤーを探してるんだ」
というわけで同じぐらい存在感を持つプレイヤーとして彼から田川ヒロアキの名前が上がった。
どこかで会ったかな?・・・映像でも見たのかな・・・と思ったら、
何度か田川くんを北京に連れて来てライブをやったうちの1本を偶然見に来ていたそうだ。
いろんな人を北京に連れて来たが、
それがこうして「仕事」としてつながってゆくということはおせっかい冥利に尽きることである・・・。
ドラムとギターは決まった、じゃあベースは?・・・
ということで先日の北京ライブに監督はじめ関係者全員が渋谷有希子さんのプレイを見に来たというわけだ。
結果は満場一致で決定!!
ついでにその時に出演してた小畑秀光まで乗船決定となったオマケ付きである(笑)
ちなみに彼は終演後に送って来たメッセージの中でこう語った。
「監督たち飯に連れてくから先に出るよ。
みんなみんなあんたのこと大好きだって、ばっちしだよ!!」
このライブは彼にとっては「ファンキー末吉ありき」のこの作品を監督にプレゼンする大事なライブでもあったのだろう・・・。
彼は昔からワシに絶対的な信頼と尊敬の念を抱いてくれてる。
きっかけはこんな些細なことだった。
一緒にレコーディングとバックバンドをやって中国ロックの新しい時代を作った許義(XuWei)の最初のライブの時・・・
当時ワシはこちらのスタジオミュージシャンとして絶頂期で、
多い時にはヒットチャートのほとんどのドラムはワシが叩いているような状態だった。
中国ロックに憧れてこっちに移住して、
やっていることは音楽を金に変えるような毎日じゃ日本でいたって同じじゃないか・・・
そんな悩みを抱えていた頃で、
それを「神がかり」ということで解決しようとしていた。
エイトビートの4拍子の曲なんてもうどんな状態でも叩ける、
でもだったらそれで満足するんじゃなくもっと上に行こう・・・
楽屋で出番直前までひとり、譜面とにらめっこをしているワシに彼が声をかけた。
「ファンキーさんはいつもそうやって真面目に仕事しますけど、
それはやっぱ日本人特有の気質というものによるんですか?」
ワシは一瞬きょとんとしたが意味がわかって笑ってこう答えた。
「ほら、神業ってあるじゃん・・・
でも人間はいくら頑張っても神にはなれない。
偶然時々神が降りて来る時があるだけよ。
人間が出来ることは努力と準備だけだからね。
それしか出来ないならそれを出来るだけやっとかないともったいないだろ」
結果その許魏(Xu Wei)の北京ライブは伝説のライブとなった。
神が降りて来たのだ・・・
それ以来、彼はワシの「仕事」には絶対の信頼を置いている。
今回このマグロ漁船を出向させるために提出した数かぎりない資料、
それを監督、制作会社、投資方に見せる時に彼は胸を張ってこう言ったという・・・。
「ほら、ファンキーの仕事は完璧だからね」
ところが人間は神にはなれないのでその後いろいろミスが出て来るのだが・・・(>_<)
さて、そんな彼ももう偉くなった。
当時はいちキーボード奏者だったが、今では音楽プロデューサー、歌手として有名になった。
ワシが音楽をやって大ヒットした映画「疯狂的石头(クレイジーストーン)」の続編映画は、
ワシではなく彼がその音楽を担当したのだからもうワシなんかよりは「大御所」だろう(悔)。
何度も「一緒にバンドをやろう」と誘われた。
「三顧の礼」よろしく貧民街にも何度も足を運んでくれたが、
こちらのスケジュールは直前に決まり、日本は数ヶ月前に決まるので、
ライブ収入が全てのバンド活動で「その日は私は無理です」ではこちらでバンドなんかやっていけない・・・
そんな彼からの仕事なので間違っても前回のように「ドタキャン」はなかろうとは思うのだが、
自分だけならいざ知らず、日本人ミュージシャンを呼ぶんだったらやっぱ「前金」である。
スケジュール押さえるなら「まず前金」!!
というわけで9日間のツアー中ずーっと4人のスケジュール調整、仮契約書の作成、
等いろんなことをやってたのでいつものように旅先ブログ更新が出来なかったわけだ。
ちなみにこの「仕事」で一番キツいのが「中国語」(>_<)
ワシレベルの中国語で契約書クラスの翻訳は無理なのだが、
契約書の草案も全てワシが作った。
簡単な契約書である。
「これこれのスケジュールをいついつまで押さえさせてね〜お金いくら払うからさ〜」
本契約はまたちゃんとやるとして仮契約は簡単であるほどよい。
これにサインして前金さえもらっておけば、後は仕事が潰れようが友情は潰れない(笑)
というわけで田川くんは日本にいるので後回しとして、
末吉、ユッコ、小畑が中国にいるうちにそれぞれ契約をしてとっとと前金を受け取っておくことである。
誰かひとりでも前金を受け取って初めてマグロ漁船「出港!!」ということになる。
白羽の矢が立ったのが小畑秀光!!
彼の帰国スケジュールだけが二人より早く、
14日の10時から12時までなら北京空港でインターセプト出来る。
契約書の内容を何度かやり取りして最終的なものにして、
小畑に見せても中国語なんでどうせわからんし、とりあえずこう命じた。
「10時に北京の国内線に着いたら国際線の出発ロビーに行って、
ギターを抱えたまま時刻掲示板の下で待ってろ!!」
ただでさえ高所恐怖症で飛行機に乗れない男が、
格安航空券のせいで寧波ー北京ー上海ー東京(ちなみに寧夏と上海はすぐ近所)という3度も飛行機に乗らねばならないスケジュールの上にこんな大仕事を仰せつかったのだ、本人も気合を入れたのだろう・・・
ここなら見つけてくれるだろうと思ったのかこの大きなぼんぼりの下を選んで、
このギターをルパン三世の五右衛門よろしく抱きかかえて座っていたらしい(笑)。
さて音楽プロデューサーの馬上又、どうやって本人を見つけるのか不安でしょうがなかったが、
ワシが「絶対見つかるから」というので不安を抱えながら行ってみたらすぐ見つかった。
「まるで武士やなぁ・・・(笑)」と彼の弁・・・
しかし実はこの馬上又という男、ガタイがデカい上にロッカーなので全身刺青である。
そんな男に声をかけられ、全然言葉も通じない上にいきなり中国語の契約書を見せられ
「サインしろ」
と言われる・・・
やっぱ偉いな、小畑秀光・・・失うもんがないというのはホンマに強い!!
こいつはきっと臓器売買の契約書でもサインしてたやろうな・・・(笑)
というわけで前金ゲット!!!!!!!
よくやった小畑秀光!!これにてマグロ漁船出港決定!!!
日本のみなさん、来年は基本的に中国にいますので日本の仕事は・・・
企画がぽしゃれば喜んでやります!!(キッパリ)
これがあるから中国はまだまだ安心出来んな・・・(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:17:24 | 固定リンク
2014年11月19日
9連チャンの中国ツアー始まりは波乱・・・
いや、別に中国では定例ライブやらツアーやらいろいろやっとるけど、
よく考えたら自分名義で9本連続でツアーが組めるって凄いな・・・
別にライブはライフワークなんで軽く考えてたら大変やった・・・(飲み食いが)笑
毎日移動っつうのも結構大変やな。
ホテルの連泊がなければ洗濯が出来ん(>_<)
あと、よく考えたらワシは前回の青島終わってから1ヶ月以上ほぼ毎日移動しながらライブやってたんやな!(◎_◎;)
ドラム上手くなったかな(笑)
いや、叩いてる時間なんか1日2時間足らずなんやから毎日がこれ「移動」である。
腰に悪いのよね・・・(>_<)
まあ寄る年波か蓄積疲労か、
はたまたこれから小出しにするいろんな原因で毎日ブログを更新出来なかったので、
ここにずどどどんとダイジェストでまとめてみたい。
まず今回始まりの波乱ぶりをまとめてみたい・・・
一緒に回ったユッコちゃんのブログにあるように、
ワシは名古屋空港から夜中着の便で北京入りしたが、
まあ言葉も通じずに村の連中と仲良くしてたようぢゃ。
翌日の取材日を経て大高さんが北京入り。
小畑は激安上海乗り換え便なので本番ギリギリ着。
老呉(LaoWu)の奥さんに迎えに行ってもらってほっといて北京のライブハウス江湖に入る。
ライブの模様は毎日新聞の大高さんの記事を〜
ここで実は私は大きな仕事をいくつも並行している。
その中でも一番大きなのが「マグロ漁船」こと来年の大きなロックミュージカルの仕事、
この音楽プロデューサーと監督がこのライブを見に来るのね。
まあワシありきで話は進んでいるということぢゃが、
ここでユッコちゃんが目に留まれば前回のマグロ漁船出航せずの穴埋めが出来るだろうということでワシも必死なのぢゃよ・・・
結果、初めてワシのドラムを見る監督も、その他スタッフもワシのことは気に入り、
「聞いた通りだろ」と音楽プロデューサーも鼻が高い。
そしてベーシストは・・・一発OK!!
さすがユッコちゃん、腕だけじゃなく華もあるからな・・・
と思ったら意外なところから
「あのギタリストも呼べないかなぁ・・・」
と意外なところから小畑が・・・(>_<)
いやね、呼ぶ前からイヤな予感がしてたのよ・・・
呼んだらこれがあるやろ?そしたらまたこいつがオイシイとこかっさらっていくんじゃないかと・・・
家に帰ってもこいつがおるし、ツアーに出たら同じ部屋やし、
いい加減面倒見てるんやからもうええやろと思ってたら嫁が「呼んだげなよ、喜ぶよ」と言うので渋々飛行機代を出してやったのだが、案の定こいつばかりが喜ぶことになるのがもういい加減・・・飽きた!!!(笑)
この日は昼間WINGと一緒に取材だったので小畑とも久しぶりということでライブにも来てくれたのだが、
この日しか北京にいないという時に限って電話がかかって来る。
a href="https://www.funkyblog.jp/2014/10/post_1012.html">青島コンサートの立役者でもあるLaoLuanは、
まあ今では一番仕事を振ってくれてる人間だし引っ越しやスタジオ作りにお金を借りてたりするし、
いろんな話もあるので今日会っとかねばということで一緒にした。
WINGも小畑と久しぶりということで関係ないけど小畑も・・・(>_<)
というわけで言葉が通じないのでただ美味しいものを食ってるだけの小畑をほっといてビジネスミーティング・・・
・・・って小畑くん、写真ぐらいちゃんと撮ろうよ・・・(涙)
男前のWINGだけが写っておらず、オッサンふたりですんませんという感じである(笑)
WINGはWINGで、「来年こそは世界ツアー廻ろうぜ〜」と決意を新たにするし、
LaoLuanはLaoLuanで「青島のコンサートがむっちゃ評判でFunkyに音楽監督頼みたいという歌手が何人か来てるんだけど・・・』
・・・って無理!!!マグロ漁船だけでいっぱいいっぱいです!!!!
・・・というわけで既にいっぱいいっぱいなのか、
実はこの時にライブハウスにiPadを忘れて来てしまっているのです。
このiPadはひとりドラム等の伴奏を再生させるための大事なもので、
Live Bar X.Y.Z.→Aの常連さんが紹介してくれたiRiffPortという特殊なケーブルで再生させている。
これが古いタイプのiPadにしか対応してなく、
iPadMiniだの新しい小さなコネクターはアダプターをつけて変換しても認識しない。
仕方がないので現地現地で古いiPadの購入手配とデータ復帰、
そして小畑が新たに加わったマグロ漁船の詰めをしながら9本廻る羽目になってしまったのだ・・・
続く
ひとりドラムツアーの軌跡はこちら
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2014年10月 3日
風呂桶
北京の緯度は盛岡と同じくらい・・・
冬は当然ながらマイナス15度を下回る寒さになるが、
その代わり(?)夏は40度を超える暑さとなる(>_<)
春は黄砂が吹き荒れ、一年のうちで「いい季節」というのは秋だけなのだが、
これがまた秋っつうのがあっという間に終わる(>_<)
今回北京に来たのが9月20日、
ちょうどひとりドラムの盛岡からやって来たのであまり違いは感じない・・・
短パンとTシャツで降り立ったのだが、
まあ「過ごし易い」といういい季節である。
院子に着いて生活を始めるに、「暑くも寒くもない」という感じではなく、
どちらかというと「暑かったり寒かったり」で、
それでもマイナス15度の冬や40度の夏とは比べ物にならないほど「過ごし易い」。
ところがリハの前半が一段落する9月末ぐらいになると今度は突然寒くなった(>_<)
雨なんかが降るともう上着なしでは外を歩けないぐらいである・・・
昔の院子からコタツを持って来たので引っ張り出して来た。
いや、言うは簡単だがこれが大作業である。
何せまだ全ての荷物は段ボールに入ったままなので、
まずそれを収納する棚を準備して、
ひとつずつ開けては中身を取り出して収納しながらコタツ布団と電源ケーブルを探す・・・
ちなみにタタミは昔特注したものをそのまま持って来た。
タタミなんぞ中国では超高級品で、
日本料理屋か、もしくはよっぽど金持ちが日本式の部屋を作ろうという時にしか発注されない・・・
日本のように「京間の一畳」とか決まった単位はなく、寸法を指定して作ってもらう。
昔の院子の寸法で作ってもらったが、まあ新しい院子の部屋でもちゃんと使えている・・・
コタツは上海のKさんの伝手で上海の業者から買って送ってもらった。
いくらだったか忘れたが、まあ日本に比べたら決して安くない・・・
まあ何じゃかんじゃ言ってワシの北京の暮らしぶりなんて結構贅沢なのねぇ・・・
と思いつつ、それならばということでやはり「風呂」がないとということで頑張った!!
中国人はもともと湯船に浸かるという習慣がなく、
シャワー文化なのでこれがなかなか同居する方言(FangYan)や老呉(LaoWu)などに「風呂桶」への執着が理解してもらえない。
「いいじゃん、ちゃんとお湯出るんだからシャワーで・・・」
という感じで
「何でそんなものを苦労して手に入れなければならないのだ」
という感じである(>_<)
まあワシとて方言(FangYan)によく
「金がないんだからそんな贅沢な音響設備よりもまず絶対に必要なものから少しずつ買え」
と口を酸っぱくして言ってるのに、何故こんな「風呂桶」のような無駄なものを買わねばならないのかが理解に苦しむようだ・・・
嫌がる彼らを無理矢理説き伏せて「垃圾天堂(直訳:ゴミ天国)」、
まあワシが「泥棒市場」と呼んでいる中古家具市場に行こうと車に乗り込んだが、
前の村が開発のためお取り潰しになってるんだからそんなところが残っているわけがない。
探しに探して別の泥棒市場を見つけたが、
トイレはたくさん転がっていたが風呂桶なんかはやはり売っていない。
泥棒市場は壊されたマンションとかからドアやら家具やら拾って来て売っているところなのだが、
シャワー文化の中国人に風呂桶なんか売れないし、
それ以前に貧乏人の住むところにはそんなものを置くスペースなどないので拾ってこないのだろう・・・
しゃーないので高級家具売り場にやって来た。
イオンぐらいの敷地にドでかいビルいっぱい家具を売っているところがたくさんあるのだ・・・
そこには風呂桶がいっぱい売られているが、
浴槽からシャワーが生えてたり、
ただの瀬戸物の桶をそうやって高級化して何千元も取っている(>_<)
何千元って・・・日本円で何万円の上の方・・・払えんな!!(キッパリ)
前回買ったヤツが木製の桶で800元(日本円で2万円弱・・・今円安のため)
今回も木製を選んだのだが最安で1300円(2万円越したな)涙・・・
しかし考えてみたら10年前から物価が2倍近く上がってるんやな・・・(驚)
これじゃあ庶民は生きてゆくのも大変やし、
そしたら暴動起こしたり政府に煽られて反日運動で暴れたりもするわなぁ・・・
ちなみにこの木製風呂桶売り場には木製のサウナ室が売られている・・・
「誰がそんな高級品買うんじゃ?・・・」
とは当然の疑問なのだが、実はこれは決して「一部の金持ち」が買うものではない!1
これを理解するには中国のマンションの売り方を知らねばならないのだが、
日本と違って中国のマンションは買う時に「内装」を買い手がやる。
間仕切りやら埋め込み家具やら、当然ながら風呂桶も自分で選んで「設計」するのだ。
想像に難くないが、庶民がやっと「マイホーム(死語)」を手に入れるのだ。
そこにどんな家具を入れますか?どんな風呂桶を入れますか?
どうせそれ込みで銀行にローンを組むのだ。
どうせなら最高級の家具で埋めたいと思うのが人情であろう・・・
これで中国のバブルが成り立ってるんだなぁ・・・としばし感心・・・
そしてやっと我が家に風呂桶が来た!!
まあタイル張りに木製の風呂桶が浮いていると言えば浮いているが・・・
本当はここにジャグジー付の瀬戸物の・・・
とか思いつつも金がない・・・(>_<)
いいのよ、風呂なんて、入れれば・・・
というわけで初入浴・・・日本人にはやっぱ風呂ですなぁ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:06:37 | 固定リンク
2014年9月17日
渋谷有希子を救え!!
さてと、前回こんな仕事が来たので渋谷有希子さんをブッキングしたのだが、
ここが中国This is Chinaで、このマグロ漁船は結局出港しなかった(>_<)
つまり「ドタキャン」である。
中国ではよくこんなことがあるのでワシは大きな仕事は必ず「前金」をもらってやっている。
中国に「前金制」を導入するのは大変だったのよ〜
まあワシの記憶ではワシが最初にこのシステムを中国の音楽界に持ち込んだ。
全てが朋友朋友(ポンヨウポンヨウ)の「関係(グアンシー:コネの意)」の上に出来上がっているこの国に
「仕事するなら半金は前金でくれよね」
などと言うと
「お前は友達ではないのか!!」
と激怒されて全ての仕事を失ってしまう羽目になりかねない。
「すみませんねぇ・・・私は外国人なんで外国のシステムでひとつよろしくお願いしますよ〜」
ということで長い時間かけてやっとこのシステムを定着させた。
もちろん日本はこんなシステムではないのでウソではあるが立派に方便!!
今回は初めて仕事をする相手なのでアシスタントのFangYanにキツく「前金を必ず取れ」と命じていた。
まあ向こうも「払います」と言うので話は進んでいたのだが、
ワシがちょうど年末の大橋セッションのお断りを入れようかなと思ってた矢先、
「やっぱりあの話はなかったことに」という連絡が来た。
まあワシはいい。日本よりもむしろ北京でぼーっとしてた方が仕事があるのだ。
問題はこのために全ての仕事をキャンセルした渋谷有希子さん、
これではあまりに可哀想ではないか・・・
というわけでとりあえず大高清美さんとのトリオをブッキング!!
2014/11/05
美女と野獣トリオin北京
2014/11/06
美女と野獣トリオin寧夏回族自治区大武口
2014/11/07
美女と野獣トリオin寧夏回族自治区銀川
2014/11/08
美女と野獣トリオin寧夏回族自治区銀川
それだけで帰らせるのも可哀想だろうということで老呉(LaoWu)に相談・・・
布衣も最近は有名になってるので、
「何本ぐらい組む?1ヶ月ぐらい廻るか?」
と頼もしい(笑)
ところが今度は大高さんから
「そんなに長く中国に居られません〜」
と泣きが入ったので、じゃあということで張張をブッキング・・・
彼も最近売れっ子になって忙しいだろうということで結局このぐらいだろうというスケジュールが送られて来た。
11.9上海育音堂
11.10常州迷宫Livehouse
11.11苏州WaveLivehouse
11.12杭州酒球会
11.13宁波城门口
おうっ!!前回ひとりドラムで行った土地が含まれておる・・・
この前対バンした日本人バンドの方々は対バン出来るのかのう・・・
今回はワシ主催じゃないので老呉(LaoWu)につなぐので対バン希望の方はご連絡下さい〜
それにしてもノービザ15日間目一杯の滞在で帰ってゆく渋谷有希子さん、
この9本だけでも穴埋めとまではいかんな・・・
どなたか日本に帰った後も何かブッキングしてあげて〜連絡先はこちら(HPより)
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2014年7月14日
55歳の誕生日
この年になって誕生日を祝おうとかそんな気持ちは別にない・・・
もともとが「記念日」とかが苦手なのだ。
自分の誕生日も忘れて何事もなく過ぎてゆくこともよくあった。
今年は7月13日が日曜日ということもあって、
52歳の時にやったように北京でマラソンライブなどでもやって、
次の日に日本に帰って55本連続ライブツアーでもやろうと思ってたのだが、
月末には寧夏回族自治区だの青海省西寧だの布衣のツアーや、
ひとりドラムで湖北省のむっちゃ田舎に呼ばれたりもしてるので連続は無理だろうということで連続ライブはやめた。
新しいファンキースタジオの工事もあるし、
まあ工事や引っ越しの片付けなどしながら夜はいつものように飲めばいい・・・
ぐらいに思っていたら、11日のライブの打ち上げの時に、
「えー!!ファンキーさん誕生日なの?じゃあ何かパーティーでもしないと!!」
ということになった。
布衣のスタッフから電話があって、
「19時半から两个好朋友を押さえたからね」
と言うので、
「こりゃ楽器持ち来んでセッションでもするのかな」
と思ったら単なる飲み会だった(笑)
このライブハウスのオーナーも元々はワシらの院子出身なので、
「ファンキーさんの誕生日なら自由に使って〜」
ということなのだろう。
山ほどのビールを冷やして、串焼きを焼きながら、
別に何をするわけでもなくだらだらと飲む・・・
それだけである。
ほんとにささやかなもんである。
同じ誕生日である元黒豹のボーカル秦勇(QingYong)も誘ったが、
あいにく最近売れっ子になって北京にいないとか・・・
ワシは別に彼のように有名人なわけではないのだけど、
周りの人は同じように見るのか、
「ファンキーさんの誕生パーティーにしてはささやかですねえ」
と言う人もいるにはいた。
「ファンキーさんの誕生日だったらきっと何百人も集まっているのだろう」
とでも思ってる人も多い・・・。
「ファンキーさんのお友達は何人来ますか?」
と聞かれたが、別にこの辺の若い衆数人しか呼ばなかった。
ちゃんと告知廻してパーティーなんか開いたりしたら、
それこそワシがドラムを叩いた蒼々たる大歌手達がみんな花束など送りつけて来て大変なことになるだろう・・・
まあ突然だったし呼ばなかったのよ〜
でもそれがよかった。
若い衆は有名人など来ない方が気が楽だし、
気心が知れた連中だけでダラダラ飲むだけの誕生日もなかなか素敵だったぞよ。
実は数日前にこんな話を聞いたのだ。
この日はもう既に大仕事を終えて寧夏に帰った老呉(LaoWu)と、
キーボードの張張(ZhangZhang)、ベースの韓陽(HanYang)、ギターのBeiBeiが
「ファンキーがもう年老いてドラム叩けなくなったら俺たちみんなで養ってゆくんだからな、わかったな」
という話・・・
老呉(LaoWu)は確かにもう一緒に暮らして長いし家族のようなもんだし、
デビューアルバムもワシがプロデュースしたし、
布衣に2曲書いた曲は今でも彼らの代表曲になっている。
張張(ZahngZhang)も二十歳ぐらいの頃酒場で弾いてたのをワシが見初めて今では売れっ子ミュージシャンになっているし、
韓陽(HanYang)も最初にやったスタジオ仕事はワシの仕事だったし、
ドラマーには弟子はいないが彼ら二人が本当にワシの弟子のようなもんである。
BeiBeiはもうしょーがない。
何度も何度も「助けてくれ」と言っては今でもワシの力を借り続けている。
しかしそれにしても「みんなでファンキーの老後を養おう」という発想はいかなるもんか・・・
ちょうどパーティーには日本人エンジニアのKeizoとその妻Narumiちゃんが来てたので、
「これこそ中国人らしい発想だよねぇ・・・」
と話をしていた。
時代が変わって、
ロックが一番熱かったあの北京はもうない。
一緒に夢を語った若者はみんな成功してここにはいない。
25年もここにいれば周りにいる人間も変わって来るけれども、
ひとつだけ変わらないのはこの中国人のメンタリティー・・・
これがあるから「ああやっぱ北京はいいなぁ・・・」といつも思う。
「地縁と血縁と金しか信じない」と言われている中国人だが、
特に北京の人間は「友達のためには人をも殺す」と言われている。
敵に回したらこんなやっかいな人達はいないが、
こうしてど真ん中に飛び込んだらこんないいヤツらはいない。
「ファンキーさんの日本の周りだってきっとそうですって」
とKeizoは言う。
「そうそう、ただそれを日本人は中国人と違って口に出さないのよね」
とNarumiちゃん。
まあでもこうして口に出してくれる方が嬉しいよねぇ・・・
ただその方法論がちょっと笑えるだけで(笑)
老呉(LaoWu)の話ではその時みんな一斉に
「そうだそうだ!!そうしよう!!そうするべきだ!!」
と即答してたのに対して、いつものようにBeiBeiだけが反応が鈍かったというので、
さっそく酒の肴にヤツをイジメてみる。
「おい!!お前だけワシを養うのがイヤらしいなっ!!!」
「な、な、何言ってんですかファンキーさん・・・養うに決まってるじゃないですか・・・」
大笑いでみんなが話に首を突っ込む。
「何言ってんですか、僕だって養いますよ!!」
まあ酒の肴である。
ワシだとて本当にヤツらがワシの老後を養ってるだろうなんてことはないと思う。
しかし・・・それが起こり得るのがこの国だからこの国は素敵なのだ・・・
現に(この日は呼んでないが)こうして院子が引っ越しで金が要ると聞いたら、
メール一本でワシが中国にいなくたって100万近い金をぽんと貸してくれる仲間がいる。
そんな仲間だって出会った頃は今の彼らよりももっとペーペーだったのだ。
こんな若い衆に囲まれて、何の発展的な話もせず、
ただひたすらダラダラと飲む誕生日・・・
これはこれでとっても素敵な誕生日だったぞ!!
ありがとうな、みんな。
頑張って大きくなれよ!!
Posted by ファンキー末吉 at:17:47 | 固定リンク
2014年6月 4日
北京定例ライブwith D-Drive
北京で毎月を目標で行っている「Funky末吉和他的朋友们」のライブ。
もう何回目になるのか忘れたけど、
今回は日本からD-Driveというバンドがやって来て一緒にライブをやった。
彼らとは岡山のひとりドラムで一緒になって、
そのテクニックの高さとか歌を歌わないとかポリシーの貫き方に感動して、
「北京においでよ、自腹で(笑)」
と言ったら本当に来てくれた。
女性がふたりいるのでうちの院子で暮らせるのかなと心配してたけど、
ドラムのChiikoちゃんは中身オッサンやし、
Yukiちゃんは埃アレルギーだったので埃っぽい客間を避けてワシの寝室を使ってもらったら、
まあ何とかアレルギーも起こらずに暮らせたようだ。
ここに泊まれるっつうのがまあひとつの「才能」やな(笑)
贅沢を言えばキリはないけど、
住むところの条件を高くするとホテル代とか経費がかかる。
必然的にハードルが高くなってバンドが身軽に動けなくなる。
経験出来たら何かの肥やしになるものを、
ハードルが高くなるがために経験出来なかったらそれだけ進歩も遅くなる。
その代わりワシが日本では食べれない美味しいものをたらふく食わせてやるからな(笑)
というわけで着いてその日は昼夜と美食!!どこも観光せず(笑)
次の日は昼間美食!!夜は羊の丸焼き!!!
さて満腹になって吐きそうになりながらいつものようにひとりドラムからライブは始まった。
ところが変なオッサンがステージの上に上がって来て、
ずーっとスマホでワシの動画を撮り続けている。
次の張張と韓陽とのトリオの時もずーっと撮っている・・・
この張張の前にどんと立ちはだかって動画撮ってるのがそのオッサン(笑)
さすがに亀仙(グイシエン)が上がって来て引き摺り下ろしたけどな・・・
そうそう、亀仙(グイシエン)と言えばYukiちゃんが好きになって大変やった(笑)
Yukiちゃん達が帰る時には
「いや、俺には感じる。彼女はきっと俺に気があるはずだ」
ってアホやろ〜(笑)
まあ亀仙(グイシエン)の話はおいといて、
ライブはその後バックのメンバーは変わらずにBeiBeiのユニットPair、
そして老呉(LaoWu)と続き、最後にD-Drive。
亀仙(グイシエン)なんぞYukiちゃんの真ん前にかぶりつきである(アホ)笑
ところがYukiちゃんのマーシャルがどうも具合が悪い(>_<)
セッティング換えの時に電源がぶちぶち切れるのはきっと電源コードのせいなのだろうが、
替わりのコードはないので騙し騙し使ってたら、今度はシャーというノイズが出始めた。
曲間にワシがステージに上がって電源落としてみたりいろいろしてたのだが全然直らない。
ふと見ると亀仙(グイシエン)がのしのしとステージに上がって来た。
「おいおい、お前が上がって来たって何の役にも立たんじゃろ」
と突っ込もうと思ったら、平手でいきなりマーシャルの横っ面を張り倒した。
ピタッ!!・・・ノイズ止まったがな(笑)
悠々とステージを下りてゆく亀仙(グイシエン)、笑い転げながら下りてゆくワシ・・・
かくしてライブは大成功!!
一緒に見てたBeiBeiも老呉(LaoWu)も大感激である。
彼らの顔を見ながらワシはどうしてこんなバンドを中国に連れて来るのかよくわかった。
ワシは彼らに刺激を与えたいのである。
インターネットがいくら発達したってやっぱ生でライブを見るにはかなわない。
彼らの演奏を見て、その後のヤツらの演奏にまた何かの変化が生まれる。
中国ロックがまたひとつ発展するのである。
D-Driveのみなさん、本当に素晴らしい演奏をありがとう。
あなた達の演奏は中国ロックの将来に必ず何かの影響を与えます。
中国ロックを愛する者のひとりとして心からお礼を言いたい。
また来て下さいな〜
Yukiちゃん〜亀仙(グイシエン)が待ってるよ〜(笑)
Posted by ファンキー末吉 at:10:48 | 固定リンク
2014年4月26日
頑張れ若い衆!!偉くなるのぢゃ!!
手数セッションとのジョイントツアーファイナルから翌日にはVoThMのツアーに出ていた。
最終日は豊橋だったのぢゃが、その翌日には名古屋空港から北京に飛び、
帰りは関空に降り立ってそのままひとりドラムツアーとなる。
飛行機のチケットというのはかなり前から押さえないと安いのがないので、
元々はパールの全中国ドラムクリニックツアーがあるというので押さえていたのだが、
またこれが中国なのでころころ予定が変わって結局何もないのに北京に飛ばなくてはならない。
キャンセルの値段も調べたりしていたのぢゃが、
よく考えたらひとりドラムツアーの翌日から和佐田と三田くんのブルースバンドのツアーにつながっていたので、
ずーっと東京にいないので今抱えている日本の仕事のドラムをレコーディングするスケジュールがない。
じゃあということで北京でその仕事のドラム録ればいいやと思ってたら、
ぽこんとまた別のレコーディングの仕事が入って来た。
中部国際空港から北京に着いてそのスタジオに直行する。
見れば若いアレンジャーである。
よく聞くと一度ワシの院子(ユエンズ)に来たことがあると言う。
(若い衆数が多過ぎて覚えられないのよね〜)
偉くなったのう・・・
こんなに売れてる歌手のプロジェクトをプロデュースして、
全権を任されて一存でワシのような高いギャラのドラマーを自分の意志でブッキング出来る・・・
中国の音楽界においては結構なポジションにいると思うぞ。
そしてワシのレコーディングが終わるのを待ち構えていたかのように現れたのがベースの韓陽(HanYang)、
この曲のレコーディングベーシストとしてブッキングされていたのだ。
韓陽(HanYang)こそうちの若い衆の中の若い衆、
何せ彼の初めてのスタジオ仕事はワシが与えた仕事で、
それをきっかけに今では売れっ子のスタジオミュージシャンになっている。
二人が顔見知りなのも同じ世界で生きてる証拠、
何やら話が盛り上がっているようなので聞いてみるとまた別の若い衆の話題である。
趙兆(ZhaoZhao)というキーボーディストがいて、
Jazzが弾けるというので韓陽(HanYang)とトリオでよくライブをやっていたのだが、
それがこのアレンジャーの大学の先輩に当たるらしい。
彼には「ゴースト(笑)」として映画音楽の仕事なんかを振ってて、
「仕事を振ってもクライアントとは接触させるな」
という原則が日本にもあるだろうが、
ワシは別にその後クライアントと直で仕事やってもらって構わないと思っているので直でつなげたら、
案の定その後はそれをきっかけに映画音楽の仕事を直で受け始め、
しまいには北京オリンピックの閉会式の音楽のひとつを制作するほどになってしまった。
そういうことを嫌う人間もいるが、ワシは別段イヤではない。
若い衆はワシを踏み台にしてどんどん大きくなればいいのぢゃ。
どうせワシは映画音楽みたいな仕事を一生毎日やり続けるのも困るのでやりたいヤツがやればそれでいい。
最近趙兆(ZhaoZhao)は最近ではもっと偉くなって
いろんな大きな仕事をしている、「あいつ凄いよなぁ」という話題である。
おい!!最近ピアノトリオに来なくなったと思ったら偉くなっとったんかい!!(笑)
韓陽(HanYang)と会うのも久しぶりなので、
彼のベース入れが終わるのを待って一緒にメシを食いに行った。
見れば1曲分の報酬として結構分厚い札束を受け取っていた。
「最近1曲いくらで弾いてるの?」
と聞いたら、もう全盛期の頃のワシと同じギャラになっていたのでびっくりした。
偉くなったのう・・・
ちなみにワシは今ではもっと高くしていて、
どうしてもという人だけが呼んでくれればいいと思っている。
そうすることによって腕のよくてまだ値段の安い若い衆に仕事が廻ればいいではないか。
メシを食ってたらドラマーが呼ばれてやって来た。
一度紹介したことがあると言うが覚えていない(>_<)
若い衆いっぱいいるからなぁ・・・
向こうは覚えているがこっちはなかなか覚え切れん・・・
韓陽(HanYang)が彼を呼んだのは「相談に乗って欲しい」ということだった。
彼はロックドラマーで、バンド系の仕事は多いのだが、
レコーディングの仕事をしたいと言うので韓陽(HanYang)が趙兆(ZhaoZhao)の仕事を紹介したのだがうまくいかず悩んでいると言うのだ。
韓陽(HanYang)はずーっとワシの仕事っぷりを見てるので、
それを例にいろいろアドバイスをして来たそうだが、
今日ここに本人がいるんだから直接聞けということである。
ドラムのことならなんぼでも教えてやるぞ〜
まあ自分の覚えたことはもったいないから人に教えないという人もいたが、
ワシは全然気にしない。
ワシのプレイは生き様から来とるからマネしても叩けないのよね〜(笑)
というわけでしこたまドラム談義、というよりレコーディングにおけるプロデューサーとのコミュニケーション方法ね。
まとめるとこんな感じである。
プロデューサーってドラマーじゃないからね、
彼らの言うこと真に受けちゃダメよ。
今日の仕事だってね、アレンジャーはサビの繰り返しでタムを入れている。
一応仕事だからその通りに叩いてみるけどね、
要は「盛り上げたい」というのが彼の場合タムだっただけで、
他の手法でもっと盛り上がったらそれでいい。
要はその言葉の内側にある「どうして欲しいか」というのを感じ取って形にするのが仕事ぢゃよ。
まあこればっかりは経験がモノを言うということで、
明後日うちでレコーディングするワシの仕事で叩いてもらおう。
大丈夫、慣れればすぐにレコーディングなんか出来るようになる!!
要は経験値です!!
頑張るのぢゃ若い衆!!
みんな偉くなってワシに美味いものを奢るのぢゃ!!!
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2014年3月26日
北京の4つのミーティング
今回は大高清美さんと渋谷有希子さんに始まって、
秀光とRebellioNも来たので滞在2週間でほとんど仕事らしい仕事はしていない(>_<)
というわけで最終日の今日に全てのミーティングが集中した。
午後から3本、最後は中国にありがちな酒と晩飯付である。
ところが出発前にメールが来る。
先日寧夏回族自治区で大高さん達とライブをやった時、
寧夏電視台の人が来て
「バンドコンテストの番組をやりたいから音楽監督やってくれ」
という話が来ていたが、その具体的な話である。
内容より何よりスケジュールである。
「ワシが空いてる日はこれだけよ〜」
とメールを送っていたのだが、
彼らはその空いてる日を全部押さえてそれでスケジューリングした新しい企画書を送って来た。
ふたつ目のミーティングは必ずスケジュールの話になるだろうから、
取りあえず行きのタクシーで寧夏のメールには目を通しておく。
さてひとつ目のミーティング!!
去年尖閣諸島の問題で流れてしまった「日中友好こども(大人も可)サマードラムスクール」の企画、
これがいきなり大決定になって中国側からの応募30人でもう明々後日締め切ろうと言う。
中国の仕事はなかなか動かないが、いざ動いたらすぐに決まる。
ワシは日本側と連絡して企画を大決定にして全てGOせねばならない。
中国語の企画書はもう作って送ってあるが、
至急日本語の詳細を作らねばならんのだ・・・(院子に帰ってやろっ!!)
ついでに全中国ひとりドラムのスケジュールも合わせようとするが、
そこまでやるとキャパを超えるので取りあえず「それは後で」と逃げ出しておく。
そして駆け込んでふたつ目のミーティング!!
これがいつもの峦树(Luan Shu)の仕事なのだが、
長々とミーティングをしているのだが、
ネイティブの中国語はこの日のワシにはあまり理解出来ず、
結局わかったのは青島で何やら大きな音楽祭をやるということらしい。
隣にはよく一緒に仕事をするストリングスのアレンジャーが来ているので、
ワシはよくわからんがきっといつものようにバンド側の取りまとめなのだろう。
問題はスケジュール!!
寧夏電視台がこれだけ押さえてしまうと、
このプロジェクトで1ヶ月押さえてくれと言われても無理である。
通常日本人だったらここで「無理です」で仕事を断るのであるが、
中国で20年仕事をしているワシはそんなことはしない!!(キッパリ)
スケジュールがバッティングしても取りあえず「やる!!」と返事しておくのだ。
まあ「ドタキャンされる国なので最終的にはドタキャンしてもいい」という理論もあるが、
中国では通常この段階の話では往々にして「大決定」ではないのだ。
ひとつの仕事だけでぼこっとスケジュールを押さえていて、
それがドタキャンでぼこっと空いてしまったら目も当てられない。
両方やる方向で押さえておき、
万が一両方ともGOになったら最終的には双方でスケジュールを調整してもらえばいいのだ。
もちろん二つの仕事を同時にこなすと死んでしまうが、
この世界、仕事がない時はずーっとないので、
ある時にやっとかなければ結局飢えて死ぬのだから同じである。
演奏するであろう曲をみんなで聞いて、
まあワシが何を担当するかはわからんが、
ドラムはもちろんのこと、アレンジだったらそれもやるし、
譜面を書くならそれもやる!!(またゴースト使うかもわからんけどな・・・)
この綱渡りが出来ないと中国ではこの仕事が出来ないのだ(ホント)。
幸いにも今までダブルブッキングで仕事を断ったことはない。
最終的に何とかなるのがこの国なのである。
そしてみっつ目のミーティング!!
まあこれはミーティングと言うより「メシ」が主で、
先日せっかく目の見えないゴーストがやったアレンジを断ったロッカーが
「お金は会社が払いますから」
と言うのを断って
「今度メシ奢ってくれればそれでいいから」
となったそのメシを奢ってもらうのだ。
これは実は中国では次の仕事につなげるために非常に大事な「仕事」なのだ。
この会社の彼とはもう知り合って10年になるが、
まあ金になる仕事も振ってもらってるが、だいたいは金よりも「メシ」である。
でもまあ「その節は迷惑かけたなぁ、食ってくれよ」というものである。
彼が用意したのが「牛すじ鍋」と「羊の背骨焼き」。
ワシが20年中国で美食三昧しているのに北京でまだ食ったことのない美食があったなんて驚きである!!
美食にうなりながらビールを飲み、久しぶりに会ったので情報交換していたら、
どうやらワシがやることになるであろう寧夏電視台のバンドコンテストは、
どうやら彼が他のテレビ局に持ち込んだ企画が廻り廻ってここに来てのだろうという話が出た。
だいたいロックだバンドだと言うと全中国でそれ関係の人間はどっかでつながっている。
この広い中国で、あるところまで来ると音楽界など「狭い」ものなのである。
その狭い世界で「ファンキーは最近何してる?」と言って、
「いや実はねぇ・・・」と話題に事欠かないことがその狭い世界では重要なのだ。
この国の仕事は「いる人」にしか来ない。
日本にいて「仕事なら呼んで下さい」なんてのはこの国ではあり得ない。
この国に「いない人」などに仕事は来ないのだ。
ちなみにひとつ目のミーティングの時にその会社でいた人間はこの時に一緒に飲んでいるし、
ふたつ目のミーティングの人達も私も彼もよく一緒に仕事をしている。
この世界はどこかで誰かが必ずつながっているのだ・・・
先日のライブの時にRebellioNに
「国内最大のイベントをやるから出演してくれ」
と言ってたDongLinもつい最近までこの会社でいたのだ。
そのイベントの話も出始めたのでそうそうにおいとました。
もうひとつプロジェクトを抱えたら潰れてしまう。
大決定になったら教えてくれればそれでいいのだ。
さて最後のミーティング!!
ここまで別のプロジェクトが詰まって来たら寧夏の方も詰めなければならない。
院子に帰ってこれを紹介したLaoWuと、
ある時はアシスタント、ある時は便所掃除と石炭焚き、
またある時は「经纪人(JingJiRen:マネージャーと言うか社長みたいに偉い存在)」となって方言(Fang Yan)にギャラの交渉をしてもらわねばならない。
先方の送って来た企画書とスケジュールを一生懸命解読して、
「ファンキーさんぐらいならこれぐらい取らなきゃ」
とまたむっちゃ法外な値段を提示する。
友人関係の安い仕事ばっかやっているのでワシには「法外」としか聞こえないが、
彼らにしてみたら
「テレビ局なんてスポンサーからがっぽり金取るんだからあんたが値段を安くする必要はない!!」
となかなか手厳しい・・・
でもいいのだ。万が一それで通れば大儲けだし、
敬遠されてボツになったら現状のようにスケジュール調整で頭を悩まさずにすむ。
ぽっこり空いたスケジュールに全中国ひとりドラムツアーを入れて青島音楽祭を入れればいいだけの話だ。
この時間になって全ての処理が終わった・・・
あとは「日中友好こども(大人も可)サマードラムスクールの日本語ページを立ち上げるのみ!!
数日後にページ立ち上げてUPしますのでお楽しみに〜!!
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2014年1月 9日
中国ロックの創始者「崔健(CuiJIan)」が春節晩会に出演!!
ニュース元はこれ。
http://www.56.com/u/ipad-NTYxOTcyOTA.html
「春節晩会」というのは日本で言うと「紅白歌合戦」みたいな番組である。
これに関しては「崔健も体制に迎合したか」とかいう意見もあるが、
ワシにとっては「中国共産党もついに崔健を出しますか!!」とびっくりした。
崔健とは長年の知り合いではあるが、
Jazzのセッション以外一緒にプレイはしたことないし、
一緒に飲んだことは数回あるが、学芸大学の滝寿司で飲んだ時、
「俺の音楽は政治とは関係ない!!
寿司職人はここの寿司のように美味しい寿司を作るのと同じように、
俺はいい音楽を作るのが仕事だ。
同じように政治家は人民を豊かにするのが仕事だ」
と言った彼の言葉が今でも頭に残っている。
彼ほど「ブレない」男は珍しい。
ワシにとっては「気難しい」男であるが、
ワシは「中国ロックの創始者」として彼をこよなく尊敬している。
まさか彼から「春節晩会に出させてよ」とお願いしただろうはずもなく、
あれだけ彼を、いや「ロック」を目の敵にしていた共産党が、
その創始者である彼にその看板番組に出演させるということがショッキングな出来事である。
二十数年前、北京の地下クラブで当時まだアンダーグランドだった黒豹のライブを見た時、
その後一緒に飲んだ峦树(LuanShu)は、
「ファッキンガバメントはロックを恐れてる!!だから俺たちはロックを聞くこともやることも出来ない」
と言った。
「共産党はもうロックを恐れる必要はなくなった」
ということなのか・・・
昔、北京のお姉ちゃんがつくスナックに行った時、
若いお姉ちゃんと話を合わせる話題が全然ないので、
「どんな音楽が好き?」
と聞くと台湾香港の音楽ばっかだし、
「ロックは?」
と聞くと「ロックって何ですか?」と来る。
カチンと来て店にいる女の子全部呼び集めて、
「よし、俺は今からお前らの国のロックの歴史を教えてやろう!!」
と一席ぶった。
「中国のロックはな、1986年に崔健という偉い人が一无所有という曲を作った時に始まったんだ!!」
と導入部分を話した瞬間に、
「86年って私達誰もまだ生まれてません〜」
と来て身体中の力が抜け落ちた(笑)・・・
あの日・・・
「中国人民よ立ち上がれ!!」
崔健がそう叫ぶと人民はみんな拳を上げた。
「共産党を打倒しろ!!」
と叫んだら人民はみなその拳を共産党に向けただろう。
だから共産党は崔健を徹底的に弾圧した。
しかし人民が「ロック」を求めたのは「今は昔」
もうみんなが求めているのは「金」だけである。
豊かになれさえすればそれでいいのだ。
ワシなんかはこんなことを想像してみた。
ひょっとして、あの頃崔健の音楽を聞いて拳を上げてた若者が、
出世して中央電視台のディレクターになってたり、
自分の青春の象徴である崔健に自分の是非自分の番組に出て欲しかったりしたのではないか・・・
こんなことを想像してたら頭の中にこんな曲が聞こえて来た。
「就職が決まって〜髪を切ってきた時〜もう若くないさと〜君に言い訳したね〜」
中国ロックと天安門事件の話を人にする時に、
ワシはウッドストックと安保闘争を例えに使ったりする。
ベトナム戦争に対する反戦ムーブメントから
ウッドストックやその後のロックが花開いたとしたら、
日本では安保闘争からフォークムーブメントとして花開いた。
大学を占拠して機動隊を火炎瓶で攻撃して催涙弾の水平射撃を受けた若者達、
武力で国家権力を倒して革命を起こすことを夢見てた若者達・・・
そんな若者達も大人になって、10年後の安保改正の時には誰も集まって来なかった。
みんな生活に追われて安保どころじゃなくなったのだろう・・・
髪を切って体制側に就職した者、
本当にヒッピーとなって世の中からドロップアウトしてしまった者・・・
でもそんな人達もみんな心の中で「安保」を持っている。
ワシは学生運動の世代よりは後だったので政治には全く興味がないが、
ヒッピー文化はいろんな「ロック」から影響を受けた。
「コミューン」よろしく「ファンキー村」なるものを作ったり、
北京の村ではまるで「原始共産主義」のような生活である(笑)。
思えばアメリカやイギリスでなく中国や北朝鮮であることからして「らしい」・・・
上から押さえて来る「権力」に対して損を承知で牙をむくのも「らしい」・・・
髪の毛を切って紅白にも出て、大きなものに巻かれて「大人」になったけれども、
やっぱりいつまで経っても捨て切れない「安保」がワシにもある。
(政治は興味がないが言葉の便宜上の「安保」ね)
そんなことを考えていると、
「崔健が春節晩会に出たってそれはそれでいいのではないか」
と思えて来る。
変わったのは「時代」であって「崔健」ではない、
そう思わせてくれればそれでいいのだ。
彼のことだ、きっといつものように楽しそうに演奏するだろう歌うだろう。
それが彼「らしい」。
今はネットで中国の番組も見れるだろうから旧正月には彼の「今」を見ようかな・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:25 | 固定リンク
2013年10月 6日
マキシムレストラン
天安門広場を中心に広がる北京市内の中でも、
だいたいの音楽の仕事はその東北の方向にある朝陽区がほとんどなので、
市内の南の方に行く機会はほとんどない。
ところが昨日、北京ダックを食いに久しぶりに北京駅南部を通ったら・・・
おおっ!!マキシムレストラン!!!!こんなところにあったのか・・・
1990年、最初に北京に行った時、
最終日に知り合った不良どもの連れて行かれて初めて中国ロックと遭遇したのがここである。
タクシーに乗せられた時は身の危険を感じてとてつもなく長く感じたのだが、
実際はこんな近くにあったのだ・・・
仲良くなったホテルのボーイは
「奴らは不良だ。危険だから行ってはならない」
と泣いて止めるし、ワシはワシで仲間に
「ライブは朝の4時までだと言うから、5時に帰らなかったら大使館に連絡してくれ」
と、全くあの頃の中国ではロックを見るのも命がけだった。
実際その不良どもに連れられてこのマキシムの階段を上がる時には足が震えたし、
運良く黎明期の黒豹のライブを見た時には逆に興奮で身体中が震えた。
その翌月、奇しくも天安門事件の1年後である6月4日、
彼らの天津体育館のライブでドラムを叩いた時は、
「ファンキー、会場に着いたら絶対に口をきくな。外国人だとバレたらどんな目に遭うやらわからない」
と強く念を押されていたので、この時も「死」を覚悟した。
ドラムソロをぶっ叩いて、
割れんばかりの大歓声と裏腹に誰も立ち上がらず座ったままだったのは、
当時は立ち上がったら逮捕されるのだと聞いて後から足が震えた。
数年後、北京工人体育館にてラジオ局の開局イベントに爆風スランプが出演。
中止命令を無視して演奏を続行!!
2万人の観客の目の前のPA席で、
出音を消そうとする公安が、それを阻止しようとするワシの友人の中国人スタッフをボコボコに殴り、当時はロックの象徴であった彼の長髪を鷲掴みにして引きずり回すのをドラムを叩きながら見ていた。
音の出ないマイクと生音のアンプとドラムの音だけで演奏を終えたワシたちは別室に連れて行かれ、
心配してやって来たその友人の仲間が、ボコボコにされて恐怖に震える友人の長髪にひざまずいてキスをした。
「お前達は外国人だからいい。俺は中国人なんだ。絶対ヤツらに殺される!!」
そう言ってブルブル震えている彼の肩を抱きながら、
「こいつを殺したら俺はトラックでも盗んで中南海に突っ込んでやる!!」
と心に決めた。
この国でロックをやるのは文字通り「命がけ」だったのだ・・・
時は流れ、ロックブームが到来し、
当時ヤツらが「ファッキンガバメント」と呼んでいた中国政府は、
「ロックは金になる」とばかり相反するふたつの勢力は裏で手を結んだとばかり、
今では反政府的な歌を歌わない限り自由にロックをやることが出来るようになった。
若者は流行りのファッションを着替えるように、
テクノが流行ればハードロックの洋服を脱ぎ捨ててそれを着るように、
中国のロックも時代と共にめまぐるしく様変わりをした。
あの時かけた「命」は一体何だったんだろう・・・
中国でドラムを叩く時にいつもそんなことを考える・・・
「どう生きるか」は「どう死ぬか」と考えた方が結論が簡単だからという単純な理由でそこに向かって突っ走っていただけかも知れない。
ドラムを叩く時は「これが最後の演奏になる」と覚悟する。
実際に何度も「死」を覚悟したのだ、簡単な話である・・・
北朝鮮に行ってロックをやるなんてワシにとったら危険でも何でもない。
あの頃にヤツらと一緒に中国ロックの黎明期を作り上げるのは文字通り本当に「命がけ」だったのだ。
全中国ドラムクリニックツアーで、
子供達が課題曲としてメタリカを叩くのを見て不思議な気分になる。
あの頃ロックを聞いて拳を振り上げてた若者が大人になって、
田舎に帰ってドラム教室の先生になり、
あの頃に聞いてたロックを子供達の課題曲に指定し、
なに不自由無く育った子供達はそれをそのまま受け入れて演奏する。
平和になった・・・と言えないこともない・・・
それは決してロックの先人たちが命をかけて今の社会を作ったのではなく、
単に「時代が移り変わった」だけなのかも知れないが、
兎にも角にもあの頃には絶対に想像だに出来なかった世の中に今はなった。
北朝鮮だっていつかはそうなるんだと信じても何ら不自然ではない。
平和だ・・・
小畑秀光が路上で歌っているのを見てまたそんなことを考えた・・・
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2013年6月21日
ファンキースタジオ八王子が中国の音楽工場になる日々
王様のツアーの最終日に中国から電話がかかって来た。
「この2〜3日どんな感じ?」
最近どうしてる?と聞いてるのかと思って、
日本でツアーしてるだの次は無錫だ上海だ香港だの、
北京にはその帰りに汪峰のレコーディングで1日だけ北京行くけどねぇ〜とか話してたら、
「違う!!この2〜3日のスケジュールを聞いてるんだ。
メドレーのアレンジを頼みたいんだよ。ギャラもちゃんと出るし・・・」
と来た。
また例のよってネット番組の仕事である。
このブログでも時々紹介しているが、
最近の中国ではテレビなんかよりネットの方が視聴率がよい、
つまり宣伝費が集まるということで制作費が出る、
というわけで1本の番組に2000万以上の制作費を出して、
それを毎週毎週製作しては放送したりしてるんだから制作側も大変である。
ついに来たな・・・
もう正味回っていかないのだ・・・
あちらのトランぺッターのアルバムをプロデュースしてるのだが、
キーボードの張張(ZhangZhang)がこの番組に掛かりっきりにされているので、
全ての仕事は張張(ZhangZhang)待ちというわけで全然進まない。
頃は同じくして江建民(Jiang JianMin)という、
北京に引っ越して来た台湾で一番売れてたアレンジャーからの仕事の連絡が来る。
「6月28日から7月4日までの間でどっかレコーディングしてくれ〜」
何と日本からの渡航費まで出すと言う(驚)
6月28日は高田馬場で王様のツアーファイナルやし、
29日には無錫まで飛んで全中国ひとりドラムやし〜
7月1日に上海でライブやって、2日から香港やから無理〜・・・
忙しい時ほど仕事が入ると言うけど、
汪峰のレコーディングもここ最近飛び込んで来て、
「香港から日本への飛行機をキャンセルしても来てくれ」
と言うのだからよっぽどミュージシャンが回ってないのだろう・・・
まあ北京まで行くのは無理だが、こっちで録ってもいいなら出来るぞ・・・
というわけでメドレーの仕事は引き受けた。
ところがネット番組っつうのは毎週生放送で流してるんだから〆切がキツい(泣)
「ひとりの歌手は20日しかスケジュールがないから、
その曲だけでも20日までに仕上げてくれ」
メドレーは全体を作らないとその1曲がどうなるやらわからんので、
こりゃ王様ツアーから帰ったら徹夜やぞ・・・
・・・と思ったらやはり疲れていたのかすぐ寝てしまった・・・
今朝起きてうむと考えた。
誰か代わりにちゃちゃっとアレンジしてくれる人はいないもんか・・・
早起きして仮谷くんにメールを書いてみるが、
夕べは岡崎トリオだったので深酒しているのか起きて来ない。
でもメドレー仕事はワシや仮谷くんのような人は機械で打ち込まねばならないので非常に手間がかかるが、キーボーディストだったら早いぞ・・・
・・・ふと思い出したらうちの近所にHeysukeさんというキーボーディストが住んでいるではないか・・・
電話番号は知らないのでメールと、
ついでにTwitterでつぶやいたらすぐに連絡が来た(驚)
「忙しいところすみませんが・・・」
というわけでさっそくかけつけてもらう。
それまでに仮谷くんと手分けして8曲のメロディーを打ち込んでおく。
それを聞きながらクリックに合わせてピアノでも入れといてもらえれば何とか形になる。
中国から連絡が来た。
「北京時間6時には伴奏を送ってくれ」
うーむ・・・Heysukeさんは5時には出て他の仕事に行くので、
そこから2時間で歌を歌えるオケを作るにはドラムなんか打ち込んでたら間に合わんなぁ・・・
というわけで生でドラムを叩く・・・
ベースも仮谷くんに生で弾いてもらう・・・
曲の長さが15分以上あるのでBounceに時間がかかる・・・
ファイルを送るのも時間がかかる・・・
向こうは向こうで受け取って全部聞くのにも時間がかかる・・・
その間にギタリストをブッキング・・・
西野やすしさんが24日にうちで何かレコーディングするとか言うとったんで、
「その前の日とか徹夜する気ありますか?」
と聞いたら、それより何よりそうなると早く来るために京都から徹夜で車運転せなあかんので危ないのでやめた。
田川くんに「徹夜する気ある?」と聞くと、
「面白そうだから徹夜します」
と来たのでとりあえずキープ・・・
中国側から直しが来る・・・
直してまた中国に送る・・・
あれ?・・・〆切から逆算すると、
ギターを録る前に必ずドラムは録り終えとかないかんから、
結局ワシが徹夜?・・・
うーむ・・・直しの決定が来るまでとりあえず今寝とくか・・・
それよりも今回うまくいって「また来週も」となったらどうしよう・・・と取らぬタヌキの皮算用・・・
誰かに振るか?・・・
いや、やり取りは全部中国語やし、
曲の長さをカットするには必ず歌詞をチェックして切らないと大変なことになるので中国語が分かる人が大前提・・・、
何より中国人受けするアレンジってそこの空気吸ってる人じゃないと無理なのよねぇ・・・
やっぱ次来たら断ることにしよう・・・(笑)
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2013年5月27日
中国のオーディション番組に出演する日本人歌手
中国ではオーディション番組が花盛りである。
生バンドで伴奏する番組が多く、
優秀なミュージシャンが全部それらに駆り出されてしまっているので仕事にならないほどである。
かく言うワシも、先日とあるミュージシャン仲間から誘われた。
「6月から1クール頼むからドラム叩いてもらえないか・・・」
もちろん断った。
スケジュール的に絶対に不可能なのだ・・・(涙)
火曜日に生放送、
そのためには月曜日にゲネプロ、
週末までには全曲リハーサルをすませ、
参加者達全員にそのオケを送っておかねばならない。
生放送が終わったらすぐに次の週のを準備・・・
それが3ヶ月延々に続くのだ!!(恐)
この時に言った彼の言葉
「ファンキー、頼むよ〜・・・ギャラも結構出るんだよ〜」
というのをみなさんとりあえずここで覚えていて欲しい。
さて数あるオーディション番組にの中で一番有名なのが冲刺好声音という番組だという。
なんとテレビ番組ではない。ネット番組なのである!!(驚)
「なーんだネットTVか・・・」
などとナメてはいけない。
日本のように数局だけがしのぎを削っている小国ではない。
中国のテレビ局は400以上もあり、
今やそのチャンネルのどこを選ぶかというより、
それだったらということでみんなネットTVを見るのだ。
視聴率が集まれば当然ながらスポンサーが集まる。
スポンサーが集まれば金が集まるので制作費が潤う。
このネットTVは
「テレビのクオリティーに負けてたまるか!!」
をスローガンに何と一本の制作費に200万元、
つまり日本円で2400万円かけて製作するのだ!!(驚)
今日本で1本に2400万かけて作る歌番組ってある?(笑)
だからこそバンドにもちゃんとギャラが支払われる。
「ファンキー、頼むよ〜・・・ギャラも結構出るんだよ〜」
という言葉はここに起因するのである。
さてこのお化けネットTV冲刺好声音、
今期の音楽プロデュースは峦树が請け負ったおかげでワシの周りのミュージシャンは全てこれに駆り出されている。
もちろんこのバンドからも「ドラム叩いてよ〜」と声がかかる。
いや〜お前ら、実はドラムが目的じゃないじゃろ・・・
2人のキーボーディストが毎回曲を分担してアレンジをし、
譜面を書いてプログラムが必要なら打ち込んで・・・
それを毎週毎週延々に繰り返す・・・
ワシが参加すればアレンジも出来るし譜面も書けるし打ち込みも出来るし・・・
便利やから使いたいんやろ〜〜〜〜(笑)
日本のスケジュールは数ヶ月前には決まってしまってるからな〜
いきなり言われて3ヶ月間ずーっとベタで仕事はやれんよ〜〜〜(笑)
話変わって、
ワシはワシで(6月はお休みするが)毎月北京で自分のライブをやることにして、
今月も21日に行ったのだが、
この番組のおかげでデブのキーボード張張(ZhangZhang)が忙殺されていて、
毎回毎回来れるやら来れないやらがわからない。
今回も「来れるか?」と電話をしたらちょうどゲネプロ中で、
それが終わったら折り返しすぐに電話がかかって来た。
「番組で出演者を探してるんだ。
前回お前のライブで歌った日本人歌手ってこの番組に出ること可能か?」
その日本人歌手というのは宮脇詩音、
Live Bar X.Y.Z.→Aのオーナーでもある上海のKさんの店を手伝いながら中国語の勉強をしている。
言っておくが、中国のオーディション番組はケタ外れなのである。
ワシが昔プロデュースした艾梦萌(Ai MengMeng)という歌手は、
そのオーディション番組の走りであるお化け番組に出て今では有名歌手の仲間入りをした。
(その物語はこちら)
現在1回の番組制作費に200万元使って作られているお化け番組に、
どんな手を使ったって出演さえ出来れば、それだけでもう中国じゅうに顔が知れる有名人の仲間入りとなるのだ。
当然ながら厳しい予選を勝ち抜いて来た人ばかりである。
アーカイブを見ると「これがアマチュアか?」という歌手ばかりである。
ワシの想像だが、
きっとこのような「プロ裸足」の歌手たちはいろんな中国のオーディション番組を掛け持ちしているので、このように大事な時に参加者が不足して来たのだと思う。
昔ワシが演奏したオーディション番組でもそうだった。
せっかく勝ち残った歌手が突然次の回からは出演しなくなったりするのだ。
理由は「プロダクションが決まったからもう出演しなくていい」というのから、
「他のオーディション番組でもっといい成績だからそっちに行く」とかいろいろである。
全くもってこれが中国、プロ裸足はこんなところでもプロが裸足で逃げてゆく商魂たくましさである。
厳しい予選をすっ飛ばして途中から参加出来るだけ無茶ラッキー!!
「これは出るべきやで〜」
彼女は中国語がまだまだ喋れないのでマネージャー代わりをしていたKさんから夕べ連絡が来た。
「プロデューサーから連絡がありました!!出られるそうです!!」
彼女はKさんにとって友人の娘なので「親代わり」のようなものだが、
「親」ってやっぱ大変である。
「すぐに北京来て、1週間滞在して、火曜日には生放送の本番なんですが・・・
それに付き添う通訳がいないんです・・・」
自分が行けないからワシに行ってくれと言うのじゃが・・・無理!!!(笑)
かくして北京じゅうの中国語喋れる日本人を探したが、
みんな当然ながらそんなにヒマではない。
そう言えば深センに引っ越して自分で会社起こした男がいたのう・・・
奥野竜太郎・・・後は頼んだぞ!!どろん!!
ps.張張(ZhangZhang)からメールが来た。
「聞いたか?計画は成功したな。じゃあお前のあの曲の譜面を送ってくれ」
・・・お前ひょっとして・・・自分の仕事を1曲ぶん楽するために彼女をねじ込んだ?・・・
勝ち抜いたら次の曲もワシが譜面を書け、と?・・・
勝ち抜き続けてる間じゅうずっと?・・・無償で?・・・ギャフン(>_<)・・・
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2013年4月25日
初めての中国語曲
上海で中国語を勉強している日本人歌手宮脇詩音ちゃん、
今回は初の中国語曲を歌うということで着いてすぐにその曲をレコーディングしてみる。
ディレクションはBeiBei、エンジニアは方言、
おいおい、二人とも何か普段と熱の入り方が違うぞ・・・(笑)
まあ90年生まれの美女で歌も美味いとなったらほっとくわけがない。
特に方言は美女のためなら水深15cmの湖に飛び込む男なのである!!
(いかん・・・思い出しただけでまた笑いが・・・)
ワシは通訳とちょっとした発音のアドバイス
(・・・と言うのも、ネイティブの中国人は「Xuだよ、どうして発音出来ないの?」としか言えないが、学習したことがある日本人だけが、「ウの口でシーって発音してみぃ」というアドバイスが出来るから・・・)
をした後にこてんと寝てしまったが、
この二人が盛り上がって夜中まで詩音を放さない。
BeiBeiは「今日は用事があるから帰る」と言いながらずーっと居座るし、
方言に至ってはBeiBeiが帰っても最近凝っている「お茶」を勧めて夜中の3時まで話し込んでいたらしい(呆)
まあその話を翌日聞いた時に、
また方言のアホさ加減に大笑いすると共に、
たかだか数ヶ月の中国語学習で片言でもネイティブの中国人と何時間もコミュニケーション出来る彼女に感心した。
これならちゃんと中国語のMCも出来るのではないか・・・
ワシはひとつだけ大事なアドバイスをした。
「中国語は速く喋った方が通じる」
これは経験則なのだが、
日本人はとかく発音を丁寧にしようと思ってゆっくり喋ろうとするが、
そうすると逆に発音のアラが出て通じなくなる。
どうせ外国人はそれぞれの発音のエレメントは正しくないのだ。
むしろ大事なのは「四声」と言われるイントネーション。
これもネイティブが速く喋ると既に崩れてしまっている。
どうせ日本人より発音の下手な田舎の中国人がたくさんいる国なのだ。
ネイティブのように速く喋った方が中国人には聞き取り易いのである。
かくしてライブ本番、
張張(ZhangZhang)とのJazzセッションに続いて、
中国人歌手の揚青(YangQing)が3曲歌い終わったら彼女を紹介する。
舞台に上がってとりあえずは喋らずにそのまま歌い、
1曲終わってのMCはなかなかのものだった。
もう1曲日本語の歌った後に問題の中国語曲。
「初めて中国語の歌を歌います」
と言っておけば掴みは問題ない。
問題はちゃんと歌えるかどうかである。
かくして・・・
ちゃんと歌えた!!!
いや〜彼女この1曲でこの日のライブ全部持って行ったなぁ(驚)
来月は5月21日にやるからまたおいで〜
ps.ところでこの映像で仲間内が一番笑ったのがBeiBeiである。
美女に気に入られるべく一生懸命ギターを弾くのだが、
頑張れば頑張るほど萎縮して顔がゲゲゲの鬼太郎化してくる。
そして人生何をやっも運の悪い彼は何度も譜面を落とす(笑)。
やっと廻って来たギターソロでここぞとばかり頑張って弾くのだが客は誰もBeiBeiなど見ていない(爆)
一番前で撮影しているおそらくは揚青(YangQing)だろうが、
ギターソロだろうがボーカルしか写してないのだ(涙)
いや~笑った笑った・・・
BeiBei~お前の恋はまだまだ遠い!!
まずはギターを精進するのぢゃ!!
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2013年4月24日
90后(JiuLingHou)の女性歌手達
中国で、理解不能な新人類、現代っ子のことを総称して「80后(BaLingHou)」と呼ばれ出してからもう久しい。
「80年代生まれ」という意味なのだが、
この言い方で言うと59年生まれの私は「50后(WuLingHou)」、
聞いただけでもの凄いインパクトである(笑)
中国は78年に経済開放したと言うから、
「80后(BaLingHou)」の子供達は共産主義のイデオロギーの時代を知らず、
89年に起こった天安門事件も知らず、
一人っ子政策もあり、親戚一同から一人が愛され、
豊かさを享受しながら育った新世代である。
インターネットにより世界中の情報も自由に手に入る時代に育った彼らは、
それこそ文化大革命の荒波を乗り切った世代からは理解不能な人類・・・
そんな彼らももう今や30代となり、
この新しい中国でバリバリに仕事をしている。
うちの若い衆だとキーボードの張張(ZhangZhang)、
ベーシストの韓陽(HanYang)、ギタリスト(と言うより作曲家プロデューサー?)の貝貝(BeiBei)などがそれである。
10年前に出会った頃にはペーペーの20代だったのが、
今や若手として音楽界でバリバリに仕事をしている。
中国の音楽界ももうすぐ彼らの時代となるだろう・・・
そんな彼らを脅かしているのが「90后(JiuLingHou)」と呼ばれる更に新世代。
中国も確実に変わっていってると実感せざるを得ない・・・
実は今日は「Funky末吉とそのお友達ライブ」。
前回のライブの大好評を受けて、
ワシはこんなライブを毎月中国で行おうと画策している。
もともとは隣人である布衣(BuYi)のドラマーとしてドラムを叩いたり、
バンドではないのでなかなかライブが出来ないBeiBeiのユニット「Pair」にライブをやらせてやろうというところから始まったのだが、
やればBeyondのWingだの有名人が遊びに来て飛び入りしたり、
「眼鏡蛇(COBRA)」が肩ならしに出演したりと、
なかなか「凄いこと」が起こるライブになって来た。
毎月続けてたらそのうちにもっと凄いことになるぞ(笑)・・・
ということで現在そのように考えている。
実は今回のライブには上海で知り合った90后(JiuLingHou)の日本人歌手を呼んである。
宮脇詩音というAvex所属の歌手なのだが、
Live Bar X.Y.Z.→AのオーナーであるKさんの友人の娘で、
今は上海でKさんのところに住み込みながら中国語を勉強している。
前回の上海でのライブに一緒に出演したのだが、
カラオケで日本語の自分の持ち歌を歌う彼女にちょっとしたアドバイスをした。
「中国なんだから中国語の曲歌ったら〜」
まあ言うのは勝手だが言われた方は大変である。
何をどうしていいやらわからない(笑)
幸い20年以上中国で仕事をしているワシには、
中国語のオリジナル曲など山ほどあるのだ。
既に未発表曲をいくつかメールで送って選んでもらっている。
今日のライブが決まった時、老呉(LaoWu)からメールで、
「出演者は全部で誰と誰?告知始めるから教えて〜」
と言われたので、
「あんたも出る?」
と軽く詩音ちゃんにメールしたら、
「え?中国語曲まだ1曲しか歌えないのにライブなんて無理〜(>_<)」
とばかり丁重にお断りされた(笑)
まあいい、人の世話など無理強いしてやるもんではない。
気がむいたらやればいいよ〜
ぐらいで結局毎度のごとく布衣(BuYi)とPairだけでライブを組んだ。
どうせ張張(ZhangZhang)も仕事が終わったら駆けつけて来るだろうし、
蓋を開けてみればどうせ毎回出演者は結局増えているのだ。
ところがそれから一生懸命考えて、
清水の舞台から飛び降りるようなつもりでメールしたのだろう
「やっぱりやります!!」
と返事が来た。
よっしゃ〜!!ゲストその1決定!!!
BeiBeiに連絡取って、「今回のバンドメンバー誰?」と聞いてみる。
そのメンバーにそのまま詩音のバックをやらせればそれでいい。
ところがBeiBeiから思いがけない返事が帰って来た。
「ボーカリストの安敏捷(AnMinJie)がテレビの仕事で来れなくなったんです(泣)」
「ほな誰か歌手呼べば〜」
軽く答えるワシ・・・
「ほな誰か探します〜」
と答えるBeiBei、知り合いの歌手に声をかけた。
「オリジナルを歌ってる歌手なんですけど・・・」
と彼女のオリジナル曲をメールで送って来た。
ギターとボーカルだけで歌っているDEMOなのだが、
これがなかなかいい感じの曲で、
「やっぱ90后(JiuLingHou)は違うなぁ・・・」
と舌を巻く。
彼女と詩音ちゃんでBeiBeiと演奏して、
その後に駆けつけて来た張張(ZhangZhang)とワシの曲などセッションして、
最後に布衣(BuYi)でシメればいい感じのライブになるではないか・・・
・・・と思ってたら直前にBeiBeiが慌てて電話をかけて来た。
「あの女性歌手ダメになりました(困)」
事情を聞くとこういうことらしい。
「そいでそのライブって誰が出るの?」
「そもそもFunkyのライブで、あと布衣(BuYi)とかJazzの人とか・・・」
「FunkyってあのFunky?」
「そうだよ」
「私出ない!!!」
「え?」
「あのFunkyさんでしょ?私なんかが恐れ多くて歌えるわけないじゃん!!」
「え?そんなことないよ」
「何言ってんの!!私の曲なんか聞かせたらまだまだだなとか言われるに決まってるじゃん!!私出ない!!」
いや・・・顔はともかくとしてそんなに怖い人ではないと思うんだけど・・・(泣)
日本人の皆様には別に違和感はないかも知れないが、
ワシは中国人がこのような行動を取るというのが信じられない。
通常中国人だったら「恐れ多い」とは考えない。
中国でワシがスタジオミュージシャンとしてやっていけるのはひとえに、
「え?このドラムがこの値段で?」
という中国人の即物的なモノの考えによるものである。
若い歌手からしたらワシと知り合うことによっていろんな「チャンス」が生まれるだろうと考える人も多い。
実際そのまま「うちでレコーディングすれば〜」でレコードを出してスターになった女性歌手もいる。
チャンスなど飛び込んで初めて手に入るもので、
それをこうもいとも簡単に放棄するのがさすが90后(JiuLingHou)!!
中国も豊かな新時代に突入したんだなとしみじみとそう思った。
結局BeiBeiは彼女をあきらめて別の歌手を連れて来た。
それがまた英語、日本語、朝鮮語を操る才女で、
オリジナル曲も英語で歌詞を書いて来ている(驚)
その女性歌手に彼女の話をしたら、
「へ〜・・・私なんかふたつ返事よ〜
Funkyさん?凄いじゃん、やった〜って感じ〜」
これもある意味90后(JiuLingHou)(笑)
今日のライブはそんな日中の90后(JiuLingHou)と、
BeiBeiや張張(ZhangZhang)達80后(BaLingHou)、
そして老呉(LaoWu)達70后(QiLingHou)、
だいぶ離れてワシ50后(WuLingHou)が入り乱れてのライブとなる。
楽しそうやなぁ〜今月から毎月こんなライブやるど〜!!!
場所:蓝溪酒吧
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2013年4月23日
中国人の「仕事」ときたら全く・・・
小畑秀光が金もないのにグッズを作りたいと言うので、
人民元だったらあるから中国で作るならいいよということで作ってやった。
上海に日本人がやっている会社もあるそうで紹介されたのだが、
やはり日本人の「仕事」はいい仕事をするだけあって単価も高い。
いろいろ調べてみたら北京のアンダーグラウンドバンドは鄭州の会社を使っているらしい・・・
まあバンド連中がいつも使っている会社なら大丈夫だろうということで発注した。
サンプルを作らせてみたらモノはなかなかいいようだ。
まずはハチマキ!!
まあこんなもんは悪く作ろうにも作りようがないのでまあ完璧と言ってよかろう!!(喜)
次は旗!!
これはさすがにどんなもんが出来て来るやらわからんかったので、
サンプルを作らせてチェックして問題なさそうなので発注した。
「大きいのはこのサイズで、小さいのはハチマキの絵柄のサイズね!!」
と言ってたにも関わらず出来て来たのがこれ!!
小さいのが大きいのとほとんど変わらんやん!!!
これはワシ自身が受け取ったので文句を言ってやった。
「小さいのはハチマキの絵柄と同じサイズって言ったよね!!」
その時の答えがまことに中国人らしい。
「だってそんなに小さかったらかっこ悪いじゃん!!」
かっこ悪いかどうかはワシが決める!!
お前が決めるな〜!!!!!!!(怒)
そう言えば昔Wingの北京での大きなコンサートの時に、
香港人の舞台監督が泣いていた。
「この人達、舞台監督の言うことなんて何も聞かないんですよ。
バトンを上げる人は指定したタイミングでなんか上げやしない。
このタイミングが一番だろ!!
とばかり自信持って自分のタイミングで上げて威張ってんですから(泣)」
大小2種類の旗を作るつもりが大中小になってしまったが、
まあ中の使い道は考えるとしてまた新たに小を発注する(涙)
そんなこんなしてたらTシャツが届いた。
ちゃんとサンプルも作ってもらってチェックしているのでモノは心配ない。
こんなにいっぺんに持って帰れないので
半分ぐらい持って帰ろうとばかりトランクに詰め込む。
大きさはS,M,L,XLといろいろあるので、
それぞれ半分ずつもって帰ろうと思うのだが、
どれがSでどれがMやらわからない。
首元のタグに書かれているのだが、
襟が小さいTシャツなので首元に埋もれていて、
いちいちビニールを開けてみないと確認出来ないのだ。
どうしてちゃんと分類して箱に入れて来ん!!!!(怒)
ちなみに段ボールを見ると、
ひとつの箱にはL40,S40と書きなぐっている。
もうひとつの箱にはMとだけ書かれている。
じゃあMの箱にはMだけが入っているのだろうとそれを取り出してトランクに詰める。
問題はもうひとつの箱である。
そこにLとSが40ずつと、残りXLが入っているのじゃな!!
とばかりビニールを開けて自分で分類する(涙)
これはSだなとわかったらSと、
LだなとわかったらビニールにLとマジックで書いておく。
どうしてその作業を業者がやっとかん!!!(怒)
そして分類していくうちに不思議なことが起こって来る。
なんとこの箱の中にもMが混じっているのだ・・・
悪い予感がしてトランクにしまったTシャツを開けてみる。
そしてさすがのワシもそこで叫び声を上げた。
SやらLやらも入っとるやないのーーーー!!!!!!(怒)(怒)(怒)
結局業者は2つの箱にでたらめにいろんな大きさのを放り込んでいるのだ(涙)
そして何の意味もないS40,L40という数字を段ボールに書きなぐっているのだ(号泣)
仕方がないので全部開けて自分でマジックで書き込む羽目となる・・・
発注してくれた老呉(LaoWu)にはこの話はしていない。
どうせ、
「モノはよかったんだろ、だったらいいじゃない」
と言われるのがオチである。
「分類までちゃんとしろ」などと言ったら、
「日本人って全くどうでもいいところに細かいよな」と言われるのがオチである。
どうでもよくないっ!!!!!!(怒)(怒)(怒)
まあこの業者に発注している全てのアンダーグラウンドはこんなことでクレーム言ったことはないんじゃろうからワシが何も言えることではない。
安かったしモノはいいからまあよしとするか・・・(泣)
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2013年2月19日
今日からまた北朝鮮・・・
「こんな御時世に!!」とまた怒られてしまいそうだが、
ワシが前々からスケジュールを入れているその出発直前にあの国は毎回なんかやり出しよるんだから本当に困ったもんである。
まあ毎回毎回土壇場になるまで本当に入れるかどうかわからないのでとりあえずスケジュールだけは入れておくのだが、
今回は本など出版したりしたので本国にそれが伝わってどのような影響が出るのかも読めなかったし、
まあ入れなかったら北京で飲もうぐらいのつもりでこっちに来てたら土壇場でビザが出たそうなのでやはり行って来ることにした。
昨日はいろいろ持って行くモノを買いに北京の街へと出て行った。
日本国は経済制裁をしてるのだから日本でモノを買って持って行くといろいろ問題が多かろうといつも北京で買い揃えるのだ。
まあ同じことかも知れないが、
どうせ日本国が知らないだけでこの国からは山ほどの物資や金があの国に流れているのだから、経済制裁だけやってほったらかしとけばいいなんて実は何の意味もないのだ。
中国という国は国際舞台では「核実験なんかけしからん!!」と口では言いながら、
裏ではこの手付かずの市場に湯水の如く投資しているのだ。
そりゃそうだ。
中国が開放された時に、いち早く投資した人間は大きく儲け、
遅れて投資した人間はそれでも儲け、
二の足を踏んでた人間は結局儲けることが出来なかったことを、
この国のほとんどの人間は身体でそれを知っている。
あの国が開放された時には今度は一番儲ける人間になりたいと、
全ての商売人はあの国にばんばん湯水の如く投資をしているのだ。
しかし中国人と来たら「儲かる」ことしかしないので、
これから世界じゅうが役に立たない経済制裁をもっと強化したとしたら、
結局は楽器だのドラムの部品だの、
生活に直結しない「儲からない」ものは全部後回しになってしまうのだ。
結局は庶民が、子供達が、弱い者だけが犠牲になるだけで、
上のモノ達はいつの世も甘い汁しか吸わないという図式がここにもある。
取りあえずワシは北京でドラムのヘッドを探した。
20年前、北京でもドラムヘッドなんかどこにも売ってなかった。
あの頃はドラムヘッドだギターの弦だは全部ワシが日本から運んで来てたのだ。
時代は変わって今はこんなドラムショップまで出来ている。
オーナーの宣芸兵だって昔は五道口で小さな楽器屋をやっていて、
そこにワシは呼ばれてサインをしに行ったりしてた。
今では北京有数の巨大な楽器レンタル会社となり、
外国のアーティストなどのリクエストに備えるために全てのドラムセットやパーツを揃えている。
「あんな国に何しに行くんだよ」
彼はドラムヘッドを袋に詰めながら笑いながらワシにそう言った。
「お前らの国だって同じようなもんだったじゃないか!!」
ワシはそう言って笑う。
そう、あの国の今はこの国の数十年前と同じなのである。
この国の「今」がそんなにいいのか?
そりゃ自分は金持ちになったからいいかも知れんが、
お前の子供がいつ大気汚染で病気になったとしてもこの国は何の保証もしてくれんぞ・・・
国の話はもういい。
ワシにはあの国にロックの生徒たちがいるのだ。
部長が卒業して、今は新部長の時代。
笑顔の素敵なハナちゃんや、後輩の一平や、
あとベースのやたら上手かったペコちゃんがいる。
ペコちゃんも来月には卒業なので、
何かチョッパーベースのテクニックを伝授してあげたい・・・
そう思って日本で教則DVDをポチってしまった。
まあ日本にもベースの教則ビデオは数あるが、
例えばワシが江川ほーじんのDVDで勉強してそれをペコちゃんに伝授するのもキモチワルイではないか・・・(笑)
どうせ勉強するならキャワイイ方がいいし、
何よりペコちゃんが江川ほーじんのようになっても困るけど、
KOGAちゃんのようになるなら大歓迎ではないか!!(笑)
というわけで一応このDVDも持ち込んでみるけど・・・持ち込めるかな・・・(不安)
北朝鮮ロックプロジェクトまとめはこちら
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2012年11月24日
本の発売記念即売飲み会in北京
明日から福岡ー京都ー大阪ー高知と続く即売飲み会ツアー(?)だが、
そのまま北京でも即売飲み会が決定!!
日時:12月4日(火)19時〜
場所:北京市朝陽区麦子店78号(農展館北路)華康ホテル内2F西側「ジパング」
TEL:+86 10 6586 6541
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本をご購入(130元)の方には誰にも言えなかったDEEPな裏話をとことん語ります。
日本酒におでんをつまみながら盛り上がりましょう!!
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2012年10月14日
中国美女の友人達
李慧珍(Li HuiZhen)からバンドをやろうと誘われてからもう数ヶ月経っている。
中国のTwitter微博(WeiBo)などで「今日から北京に帰るよ〜」などとつぶやくと、
「いつまでいるの?」とResが来るが、残念ながらスケジュールがなかなか合わない。
年末にはEP(日本で言うシングルみたいなもん)出すからね、
と言うので年間スケジュールを送ったがなしのつぶて。
どうも全然スケジュールが合わなかったかららしいが、
今回はやっとお互い北京にいるということで、
「じゃあむっちゃくちゃ美味しいお肉をご馳走するわ」
ということになった。
向かった所は香港式火鍋,
ワシはちょっと早く着いてしまったので先に座っとこうとばかり中に入ったら、
いきなりLaoLuanの奥さんに遭遇。
「何やってんの、こっちよこっち」と彼らの部屋に連れて行かれる。
「いや、李慧珍とメシ食いに来たんだけど・・・」
と言いながら、じゃあ彼女が来るまで先に一杯やっとこうとそこに座り込む。
そこにはこの前一緒に飲んだ美女が座っていた。
元女子十二学坊の二胡奏者の孙婷(Sun Ting)である。
女子十二学坊などそれぞれのメンバーに何の発言権もなく、
給料もひと月2000元ぐらいで、文句を言ったら
「代わりなんかいくらでもいるんだから」
とクビになる。
彼女も早々とやめて今に至るのだろうが、
この周り(このテーブル)にいる人脈を見ると、やめて正解だったのではと思う。
性格も明るくて楽しいお嬢さんで、前回飲んだ時には二胡も弾いてくれた。
ちなみに隣で騒いでいるアホなオッサンが、
昨日ブログで書いた黒豹のドラマー趙明義である(笑)
「周りにいる人脈」というのは彼のことも含まれる。
今日のテーブルの流行音楽界や映画界の偉い人達だけではなく、
まあご覧の通りアホなオッサンなのだが、業界では(特に裏社会)では大きな力を持つ。
そう言えばこんなこともあったなぁ・・・
と李慧珍が来てから思い出話に花が咲いた。
李慧珍はお母さんを連れて来た。
深々と私に頭を下げる。
「娘をこんなに長きに渡って支持してくれてどうもありがとう」
彼女とはもう20年になるが、彼女の人生も決していいことばかりではなかった。
ホリプロが全中国で行ったスカウトキャラバン、
「中国の山口百恵を探せ」
で3位に入賞した彼女も、北京の水が合わなかったのか、
来てすぐに吹き出物は出るわ太っちゃうわ。
日本側は「これでは・・・」ということで
彼女を外して他の娘を入れて「中国のホリプロ3人娘」として売り出した。
しかし彼女の歌のうまさは中国側も何とかしたいということで、
その後ワシと出会ってソロアルバム「亜洲鼓魂」で彼女を起用。
そしてその後にプロデュースした彼女のアルバムは鳴り物入りでデビューしたホリプロ3人娘よりもヒットした。
しかしその後事務所ともめて干される時期もあり、
脳に大きな病気をして生死をさまよう手術もした。
今は、まあトップ歌手というわけではないが有名歌手のひとりだし、
高級車を乗り回すほどの金持ちでもあるが、
思えば彼女の人生の中で、ワシと出会ったことが一番「幸運」だったのかも知れない。
お母さんは彼女が北京に来て太ったことにより不運が訪れたと思ってるのか、
今のような痩せている彼女が好きだと言うが、
ワシはあの出会った頃のあの田舎者の感じの彼女が好きだ。
数年前に撮った写真だというが、その頃の面影がある写真がこれ!!
残念ながらこの写真はお母さんはあまり好きではないらしい(笑)
思い出話に花が咲いてる頃、私たちの部屋に突然美女が飛び込んで来た。
ホリプロ3人娘のひとり、張茜(Zhang Qian)である。
いや、不覚にも写真を撮り忘れたので、
彼女の写真の中からその日のイメージの写真を選んだのじゃが、
いやいやこんなもんじゃないぐらいびっくりするぐらい美人じゃった!!!
とりあえず彼女の写真のサイトがあるのでこちらを見て想像して欲しい。
ちなみに李慧珍の写真はこちら!!
ふたりとも18やそこらの小娘だったのが、今や40歳。大人の女である。
人生いろんなこともあっただろうが、まあ二人とも高級車を乗り回して、
それなりに楽しい人生を歩んでいるのじゃろう。
いろんな思い出話を語りながら食った料理はとっても美味しかったぞ!!
また奢ってくれ〜!!
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2012年9月17日
文明国の資質
愛国無罪・・・なんか物凄い状況になって来ましたなぁ・・・
嫁が「私が北京にいた頃はこれほどではなかったよね」と言うので思い返してみたが、
あの頃はたしか靖国問題でもめていたと思うが、今は領土問題である。
靖国問題は過去の戦争のこと、
だが領土問題は現在のこと。
こりゃ解決するわけないわのう・・・
日本政府のみなさん!!言っておきますが、
この国って国際司法がどんな結論出そうが必ず
「尖閣諸島は自分たちのもんだ」
と言い張ります!!
絶対に譲歩はしません!!
まあこれは中国と断交覚悟で、
尖閣諸島に自衛隊でも送り込んででも守るしかないわのう・・・
(断交してもワシはあっちでドラム叩くやろうけど)
中国のTwitter「微博(WeiBo)」でもちょこちょこメッセージが来たが、
キツいのは一度来てこのように返信したら慌てて削除しおった(笑)
これはワシにとっては伝家の宝刀!!
これに逆らえる若者は中国にはおらんわのう・・・
と思ったらまた新たな書き込みが・・・
「听说有人在微博上骂你,是吗?
(誰かが微博でお前を攻撃したらしいけど本当か?)
放心我们这些接受过你帮助的朋友会支持你的,
(安心しろ我々お前に助けられた朋友はお前を支持する)
不要伤心!那些傻逼会得到惩罚的!
(傷つくことはない。あんな腐れマンコは俺が懲らしめてやる)」
天堂楽隊のベーシスト「久(ジョウ)」なのだが、
こいつはいつもながらタイミングが悪い(苦笑)
もう沈静化しとるんやからまたぶり返すなよ!!と言いたい・・・
まあこいつはロック界では歴史は長いは長いが、
まあ影響力という点ではまあまあであるが、
そこに李慧珍がレスをした。
「我们都在!(私たちがいるわよ!!)
他给了中国摇滚音乐人 20多年无偿的帮助,
(彼は中国のロッカーに20数年も無償の援助をして、
帮助那些新人完成对音乐的梦想!
(その新人達の音楽の夢をかなえてあげた)
他应该得到尊重!(彼こそ尊重されるべきなのよ!)」
これにまた「久(ジョウ)」が追い打ちをかける。
「不管世事怎么变,你永远都是中国摇滚界的好朋友,
(世の中がどれだけ変わったってお前は永遠に中国ロックの好朋友だ)
这一点不会变。(これだけは変わらない)」
ま、伝家の宝刀ですな、これで鎮火!!
「あなたのことは大好きですが魚釣島は私たちのです」
とか
「あなたも日本人です魚釣島をどう考えますか?」
などというユルい書き込みも自ら削除してしまったようだ。
あ、そう言えば
「次に北京に帰る時はいろいろ注意して下さいね」
というものもあったが、
帰ると言っても貧民街やからなぁ・・・
この貧民街に住む食い詰めた日雇い労働者にとっては、
尖閣諸島がどこの領土であっても全然関係ないからなぁ(笑)
仕事をすると言ってもロック界は味方ばっかりやから、
基本的に反日感情に接する機会がほとんどないからなぁ・・・
日本人と会うことも滅多にないし(笑)
というわけでここからが本題。
ワシのようなケースは「特殊な例」と言えるのかも知れないが、
逆に「中国国民」という大きな中で言うと普通であるとも言える。
大部分の中国人は貧民街の人達と同じく、
政府がどうなったって自分らの生活が変わるわけではないのだ。
だが一部の血気盛んな若者が今「暴徒」と化している。
「魚釣島は我々のもの、蒼井そらはみんなのもの」
というスローガンが表してるように、
そのノリは「政治のもの」というよりはもっとユルい。
蒼井そら自身も微博(WeiBo)で日中友好を呼びかけたらしいが、
「政治と私たちの関係は別よ」
ということは実現出来ても、領土問題までは解決しない。
もし中国政府が魚釣島を手放したとしたら、
彼らは反日に向けてたその矛先を中国政府に向けるだろう。
この流れで反政府運動をされたら天安門事件の二の舞である。
こりゃ戦争してでも魚釣島を手に入れるしかないわのう・・・
ちなみに天安門事件は日本では
「民主化を叫んだ若者を独裁政権が武力で鎮圧した」
と報道されているが、
このような側面もあったということは西側諸国には知られていない。
プロパガンダがあるのは何も共産圏だけではない。
「ほら社会主義はよくないでしょ、資本主義万歳」
というプロパガンダに隠されて何も見えないようにされていたことを
ワシは当時ロッカー達の付き合いで強く感じていた。
そう言えばロッカー達はみんな天安門事件を経験しているが、
今暴徒と化してる若者はそれを経験していない・・・
時代は繰り返すのか・・・(怖)
「中国は4000年の文化があると言うが文明はない」と言われる。
デモで焼き討ちをするなどおよそ文明国家の国民がやることではない。
上海では日本人に対する傷害事件が起こったと言うが、
日本で逆に中国人に対してそんな事件が起こったとしたら、
ワシは同じ日本人としてそれはどうかと思うぞ。
日本は世界に誇る「文明国」である。
どこかの焼肉チェーンの社長が、中国人従業員の給料明細に
「尖閣諸島は日本のものです」と書いて渡したという噂があるが、
もしそれが本当だとしたらワシはこう言いたい。
「そんな恥ずかしいマネはしなさんな!!」
中国人だと見たら優しくしてあげればいいのだ。
「あんたの国では今、我々日本人がヒドい目にあってるけど、あんた達は大丈夫?
我が国では絶対あんた達をそんなヒドい目に合わささないからね」
と言ってやればいいのだ。
要は「人間の資質」の問題である。
それが出来る国を「文明国」と言う。
中国はまだまだである。日本はきっと出来るぞ!!
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2012年6月20日
私バンドをやりたいの
仕事というのはない時には全然ないが、
ある時にはどんどん重なるものである。
今うち(ファンキースタジオ北京)はさしずめ「工場」である。
幸いアホのアシスタントが「使える」ようになって来たので、
彼を彼を司令塔にして、
現在製作中であるドラマ音楽は張張(ジャンジャン)に、
新しいドラマ音楽はキーボード「L」とキーボード「H」と私と3人で、
よっしゃー!!同時に制作開始するぞー!!
と思いきや、昨日の夜8時に来る予定だった張張は現在朝4時になってもまだ来ない。
キーボード「L」は昨日の夕方2時間「H」は3時間遅れで来たが、
私は李慧珍に呼び出されて美味しいもんを食いに行って酔っ払って帰って来ている。
まあ中国の仕事はこんなもんである。
仕事の発注元もこうであることを願うのみ!!
李慧珍は前回の大高さんらとのライブにも来てくれた。
ライブ終了後に「話があるの」と言ってたが、
日本勢をホテルに送り届けねばならないのでその日はお引き取り頂いた。
内容はわかっている。
「バンドをやりたい」と言うのだ。
その前から電話などで本人からそう聞いている。
「三顧の礼」というのが中国の文化にある。
劉備玄徳が諸葛孔明を軍師に迎える時、
彼のあばら屋を三度訪れて礼を尽くしたというやつである。
奇しくも彼女は私ごときに同じように三度ずーっと待ちぼうけをくらって来たことになる。
ゆえに私は今回、逆に礼を尽くして呼び出しに応じたというわけである。
約束の時間に指定されたレストランに行くと、
彼女の名前を言っただけで別室に通された。
ところが本人はいない。
入れ墨だらけのおっとろしい兄ちゃんが一人で座っていて、
そのおっとろしい兄ちゃんがワシに会釈する。
全くもっていつも入れ墨のおっとろしい兄ちゃんに会釈されるのも肝を冷やすもんである。
顔に印象はないが、そう言えばこの入れ墨には印象がある。
「昔会ったことあるよね?」
隣に座り込んでダベり始める。
ビールを頼んで二人で飲み始めるが誰も来ない。
1時間が経過し、ビールが4本空いた頃、やっと彼女が来た。
「ごめんね〜警察に捕まってねえ」
彼女の新車のベンツのスポーツカー(どれだけ金持ちやねん!!)のナンバーが仮ナンバーだったため止められたらしいが、
自分の名前を言ってCDにサインしたら見逃してくれたらしい。
有名人やん!!!
彼女と出会ったのはもう20年前。
ホリプロが中国の山口百恵を発掘すべく全中国で大々的に行ったオーディションで、
彼女は堂々3位に入賞したが、
日本側は彼女ではなく別の歌手を立てて「中国ホリプロ3人娘」としてデビューさせた。
その後彼女は私と出会い、
デビューアルバムを私がプロデュースして、
皮肉なことに中国ではそちらの方がヒットしたというわけである。
その後彼女は事務所と揉め、
思うように活動出来ない時期から
「私バンドをやりたいの」
と言っていた。
その後身体を壊して入院したり、
事務所の圧力でほされてたり、
数年音沙汰がなかったが、
それが解決して別の事務所と契約して今に至る。
その事務所は彼女を「流行歌手」として売り出すために、
彼女をロックから遠ざけていた。
しかし今はもう事務所とも契約が切れて自由に活動出来るので、
原点に戻って「バンドがやりたい」ということになったと言う。
この国では音楽やって儲かるのは歌手だけである。
彼女の営業ギャラは詳しく知らないが、
まあ彼女クラスだと日本円で100万円だとして、
それを彼女達は全中国で年間100本廻るのだ。
事務所は通常取り分20%なので、
カラオケ持って廻っていればそのほとんどの収入は彼女の懐に入る。
しかし「バンド」となれば4人バンドだったら彼女と合わせて5で割るのだ。
まあバンドメンバーに取ってはオイシイ話だが、
歌手がその割に合わないことをわざわざやりたいと思うんだから相当の覚悟である。
ワシはもうこの国は20年と長いが、
「バンド」という形で活動したことはない。
日本にはワシの終の住処とも言うべきX.Y.Z.→Aがあるし、
何よりもこの国では「ライブ(営業コンサート)」によってその収入のほとんどを得るわけだから、
「その日は日本で仕事が入ってます」などと言ったらバンドのメンバーに迷惑がかかってしまうのだ。
しかし彼女はその辺も考えていた。
バンドのメンバーはドラム、ベース、ギターとプログラマー、
ワシが来れない時にはプログラマーがドラムをプログラムして、
ワシのポジションは永遠にワシのために空けておくと言うのだ。
覚悟決めとんなあ・・・
出会って20年、
別々に歩き出して15年、
その別れた道がまたひとつになるならそれはそれで素晴らしいことであるが・・・
バンドのメンバーがやって来た。
全身入れ墨のおっとろしい奴ばかりである。
ワシだけ入れ墨ないし、
そもそも年齢層が全然違うぞ・・・
まあこっちの話は始まってみないと始まるかどうかもわからないのだ。
取りあえず「決まったら教えてね」で飲む。
激ウマ高級ステーキ肉のマカオ火鍋、ごちそうさん!!
Posted by ファンキー末吉 at:04:54 | 固定リンク
2012年5月26日
日本超級VSOP3日目:現代音楽学院にてクリニック!!
寧夏省銀川から北京に帰る飛行機も、
「それが一番飛行機代が安い」
ということで朝一番の飛行機である。
毎日ライブをやってその後毎日5時起きを強いるのはこの偉大なミュージシャン達に対して非常に心苦しいのではあるが、
悪いことにこの日は昼間に音楽学校でのクリニックも入れてしまっている。
電光掲示板に歓迎されながら、結局現場に着いたのはクリニック開始時刻の15分前。
満席の生徒達の目の前でセッティングをしてそのままクリニックライブ。
元々はワシではなく大高さんと納さんをメインにいろいろ語ってもらおうと思ってたのだが、
いかんせんしょっぱなに中国語で喋ってしまったので当然ながら質問は全部ワシに来る・・・
ワシの中国語力なんて知れてるのだから、
会話の流れで予想されている話題とまるで違う単語をぶつけられると脳の処理能力をオーバーしてしまって何を言ってるのか全然聞き取れなくなってくる。
「それでは何か質問があればどうぞ!!」
というクリニックの場で、
「毎月いくら稼いでるんですか?」
という質問をいきなり言われても何を言ってるのかわからんぞ!!(笑)
クリニック終了後も機材を片付けながら質問攻めにあうのだが。
用意してくれてた英語の通訳は一切役に立たず、
結局はワシが納さんや大高さんの通訳にかけずり回ることとなる。
「オルガンという楽器を初めて見て感激しました。
とどのつまりシンセとの違いというのは何なんですか*」
という質問はまあよかろう。
「それでこれっていくらするんですか?」
とか、納さんのところでは
「このベースはいくらで買えるんですか?」
とか、
中国の若者よ。そんな質問ばっかりするな!!!!!
そう言えば昨日の寧夏でも若いベーシストが、
「あのベーシストのプレイには本当に感激したよ。
僕もあの五弦ベースを買うことにしよう」
と言うので、
「アホか!!あのベースを買ったからあのプレイが出来ると思うなよ!!」
と釘を刺しておいた。
帰り道、大高さんがやけにご機嫌である。
「凄いわぁ・・・
何をやっても"初めて見た"っていう反応って日本ではなかなかないもん・・・」
そうなのだ。こちらでは「オルガン」という楽器を誰も知らないのだ。
エレクトーンもあんまり普及してないので足鍵盤すら見たことがない。
張張(ジャンジャン)にアレンジを頼んだ時、
オルガンのチャンネルにはPADと同じく棒弾きの白玉が入ってたので、
「アホかオルガンっつうのはそうやって弾くんとちゃうんじゃ!!」
と説教したことがある。
何せ見たこともないんだから奏法がわかるわけがないのだ。
「ファンキーさん、ローランドに言うからふたりで全中国ツアーしよう!!」
とご機嫌な大高さん・・・
その後に「こんな国もうイヤー!!!」と言いかねないほどの仕切りと遭遇することをこの時点でまだ誰も想像だにしていない・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:35 | 固定リンク
2011年8月17日
戦争勃発?!!
過去、中国のロック史に残る争いとして、
歴史上一番レコードを売った黒豹の第二期のボーカリスト巒樹(LuanShu)が、
第三期ボーカル秦勇(QinYong)と黒豹、
そして日本のレコード会社JVCを相手取って起こした訴訟がある。
自分が歌っている音源をあたかも秦勇(QinYong)が歌っているかのように商売をしたと言うのだ。
昔の仲間を告訴するなんてことはやめた方がよい。
その頃巒樹(LuanShu)は誰にも相手にしてくれる者もいなくなり、
そんなことを知らないワシがいつものように
日本から遊びに来て彼んちに泊まったりしてたもんで、
今では
「いい時もどん底の時もずーっとそばにいた朋友」
となって今でもしょっちゅう仕事もしている。
ワシは今回北京に戻って来て、
何故か零点からリハのブッキングがないなと思ったら突然ミーティングに呼ばれ、
脱退したボーカルの周曉歐(ZhouXiaoOu)を相手に訴訟を起こすと言うのだ。
聞けば周曉歐(ZhouXiaoOu)が地方の営業の仕事で「零点」という名前を使ったらしい。
まあ例えて言うと、もし
「ラウドネスを脱退した二井原がラウドネスという名前で仕事をしたらタッカンがどれだけ激怒するか」
という感じだが、
彼らの場合はもっと流行バンドなので、
国内にふたつの零点が現れたら誰もバンドの方なんか見向きもしない。
彼らにとったら致命的に「絶対に許せない」ことなのである。
「そんなヒマあったら練習せーよ!!もっと上手くなりなはれ!!」
しかしやつらは既に訴状を用意し、
マスコミを呼び、明日宣戦布告をすると言う。
「ファンキーさん、明日から全中国が大注目する訴訟劇が始まる。
いい宣伝になるから今晩すぐ1曲アレンジしてくれ。
急いでレコーディングしてネットにUPする!!」
ひぇー!!!
まあ金さえもらえば別に急ぎの仕事でも何でもするが、
人の争いで金をもらうのも何か武器商人のようですっきりしない。
院子に帰る道すがら周曉歐(ZhouXiaoOu)方面の友達にも電話を入れる。
「零点が訴訟まで考えてるから気をつけろって伝えといて!!」
そして零点側にも「訴訟劇の最中に絶対俺の名前を出すな」と伝えておかねば・・・
こんなことに巻き込まれて敵など作りたくない。
中国の音楽界は狭い。
人と恨まれなんかしたら商売なんて出来やしないのだ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:19:33 | 固定リンク
2011年6月 7日
ドラムを教えるということ・・・
こうして全中国をクリニックツアー(もう既に「コンサートツアー」となってしまっているが)で廻って、
全国各地のいろんな老師(先生)達と会う。
「僕は北京でドラムやってたんだけどやめて田舎に帰って、
全然違う仕事についたんだけどやっぱ音楽のそばにいたいと思って、
それで脱サラしてドラム教室始めたんだ」
という老師もいれば、
「ドラムなんか叩いてて金になりますか?
生徒集めて教室やった方が全然儲かるじゃないの!」
という老師もいる。
人それぞれである。
ワシはもちろん前者の老師の方が個人的には好きだが、
まあ人の人生である。ワシがとやかく言うことではない。
日本では有名ドラマーがモニターとなってドラムの売り上げに貢献するが、
中国ではこの老師たちがモニターとなる。
それはパールドラムの中国の代理店である中音公司の、
そのドラム担当である沙が考え出した中国ならではのシステムである。
「有名ドラマーをモニターにしたって、
若い衆は必ずしもパールドラムを買うとは限らない!!
先生をモニターにしたらその生徒は必ずパールを買うではないか!!」
という発想で始めたそうだが、
まあ今のところはそれが中国マーケットでは成功してると言えるだろう。
そして、日本のドラム教室はロックをやりたい若者が習いに来たりするが、
中国ではピアノなどの習い事と同様その生徒のほとんどは子供である。
ロック好きには時々、
「あいつのどこがモニターに値する腕がある?!!
あんなのは子供騙して金にしてるだけじゃないか!!」
などと言うやつもいるが、
ワシは決してそうは思わない。
「いいドラマーが必ずしもいい先生とは限らない」
そしてその逆もまた真なのである。
まあ稀には菅沼孝三のように
世界的なドラマーでもあり教室をいくつも持つ優秀なドラム教師でもある人もいるが、
ワシはと言うとやはり根気がないのか「人に教える」というのはからっきしである。
ある時、院子に若いドラマーがワシを訪ねてやって来た。
「僕は今までドラムを練習して来てわかった。
僕が伸び悩んでいる原因はいい老師と巡り会わなかったからだ!!
高名なファンキーさん、お金はいくらでも払います。
是非僕を弟子にして下さい!!」
ワシは聞いた。
「君はどうなりたいの?」
「決まってるじゃないですか、あなたのようになりたいんです。
国内の大きなコンサートは全部僕が叩き、
レコードは全部僕が叩き・・・」
無理〜!!!!
更にこう聞いた。
「じゃあどんな音楽が好きなの?」
「何でも好きです。ロックもジャズも・・・何叩いたっていいです!!」
ワシはこんこんと言った。
「お前は決して音楽が好きなわけではない。
金儲けが好きなだけだ。
本当に音楽が好きなら俺と一緒にここで住めばいい。
1年も一緒に住めば俺から学べることはいっぱいあるぞ!!」
まあ住んだとしてもだいたい数日で泣いて逃げてゆくだろう。
酒飲んで毎晩さんざん説教されてスティックも握らせてもらえないんだから・・・
日本の職人気質に、
「お前はまだ料理の心を知らん!!
包丁を持つなんて10年早いわ!!!」
みたいなのがあると聞くが、まさに「ドラム道」だとてそれだとワシは思う。
不思議なことにドラマーにはひとりもいないが、
ベースの韓陽、キーボードの張張などはワシから巣立って行って、
今では若手で一番仕事の多いミュージシャンのひとりとなった。
ワシから「音楽とは何か」、「仕事とはどうやってするのか」、
など、まさにワシの生き様からモノを学んだのだ。
全くもってワシはいい「先生」ではない。
ワシが教えられるのは「生き様」であって「ドラム」ではないのだ。
今回非常に熱心な老師がいて、何かと言うとワシに質問する。
「ファンキーさん、
やっぱシングルストロークはテンポ200まで練習しないとダメですよねえ」
菅沼孝三だったらそこで的確なアドバイスが出来るだろうが、
そんな「基礎練習」とやらをやったことのないワシは、
非常にバツが悪いのではあるが「知りません」と答えるしかない。
テンポ200でツーバスを踏むこともあるが、
それは「その楽曲をどうしても演奏しなければならない」ので
単に死にもの狂いで叩いているだけである。
ただ「プロ」として、「大人」としてそのことに「責任感」があるから、
テンポ120の時と同じようにヨレずにモタらずに、
また絶対にくじけて音量が下がったりしないように、
とにかく「負けない」、「誤摩化さない」で人生を賭けて戦っているだけのことである。
これで負けたらワシのドラム人生はその時点で終わりなのである。
そしてその日、教育熱心なその老師はひとりの子供ドラマーにドラムを叩かせて、
それをワシに聞かせてこう言った。
「どうです、この子は? 上手いでしょ? この子の前途をどう思いますか?」
そんなことを聞かれて
「うん上手いですねえ、頑張りなさい」
以外に一体何を答えてやればいいのだろう・・・
前途も何も、これら数多くの子供ドラマーのうち、
大きくなってもまだドラムを叩いてる子はほんの一握りなのだ。
またそうなったとしてもどうせ今と同じように伴奏に合わせてドラムを叩いて、
一番うまくいったところでこの老師たちと同じように、
また同じような子供達を集めてドラム教室をやっているといったところである。
ドラム教師が悪いと言う意味ではない。
今まで行った中で大きな教室では生徒が600人以上いる。
ひとりが2000円ずつ月謝を払ったとしても月収100万円は下らない商売なのだ。
その昔、17歳でバリバリに叩きまくる女の子ドラマーのDVDを見たことがある。
その娘も今では先生となって北京で教室を開いている。
「どうして私にはファンキーさんのような音楽の仕事が来ないのでしょう・・・」
呼び出されて相談を受けた時にワシはこう答えてあげた。
「そりゃそうだよ。生きて来た世界が違う。
あんたはいつもひとりでドラムを叩いて来た。俺はずーっとバンドをやって来た。
それだけの違いだよ・・・」
多くの子供ドラマーは決して「音楽」をやっているわけではない。
ただ「ドラムを叩いている」だけなのだ。
その証拠に、もし最後まで決して「子供だ」ということを隠して、
果たして彼らの「音」が大人のそれと同じように通用するか?
それを聞いた人は同じように拍手をするか?
「それを聞いた人は同じように涙するか?」
と書こうと思って気がついた。
そもそも彼ら自身が本当に涙したことがあるのか?
「世の中はこんなにも矛盾に満ちている」と、
その「怒り」をドラムにぶつけたことがあるのか?
「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」と、
その「悲しみ」をドラムで表現したことがあるのか?
彼らにはその表現すべき「人生」がないのだ。
ワシは老師達にはよくこう言って話を誤摩化す。
「まあ彼らが大人になって、初恋でもして失恋でもして、
その時にまだドラムを叩こうと思ってたら、
それが彼らの音楽へのスタート地点じゃないですか」
と・・・
そんな子供ドラマーの中に、
広州に住む日本人の男の子がいた。
前回会ってから時々メールをくれるのだが、
今回はちょっとメールの内容が大人びていた。
「先生のドラムを聞いてドラムの素晴らしさを実感した」
ワシはちょっと興味を持って彼を食事に誘った。
身体も大きくなってもう中学2年生だと言う。
同じような質問をする。
「君はどうなりたいの? 何をしたいの?」
少年から今までどんな中国の若者が答えたのとも違った答えが返って来た。
「どんどん音楽が好きになって来て、だんだんこんな風に思って来たんです。
出来たら将来もずーっとドラムを叩いてるか、
もしくは何か音楽に関する仕事について僕はずーっと音楽のそばにいたいって」
彼ははもう入り口まで来た。そこからが「音楽」のスタートだ。
別に音楽は他の仕事をしながらでも出来る。
高校行ってバンドをやるもよし、どっか大学行ってバンドをやるもよし。
「君のその夢は必ずかなうよ」
日本の高校に行くことになったら、
家もそんなに遠くないというから、うちの店でアルバイトでもすればいい。
うちに出ているいろんな素晴らしいミュージシャン達の生き様を見て、
そこから何かを学んで自分の生き方を考えればいい。
貧乏さえ苦にしなければ、一生音楽と共に生きてゆくなんて簡単なことなのである。
「僕は音楽で僕の気持ちを伝えたいんです」
と彼は言った。
果たして10年後、彼が本当に音楽をやり続けているかどうかはわからない。
その「伝えたい気持ち」を別の仕事で表現してたとしても別に構わない。
彼の音楽は・・・つまり彼の「人生」は今始まったばかりなのである。
今からどんな「人生」を作ってゆくのか、それこそが彼の「音楽」なのである。
また広州か、八王子で会おう!!(笑)
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2010年10月17日
中国の結婚式
日本ではほとんど人の冠婚葬祭には出ない!!
出ようにも「礼服」とやらを持ってないのだ!!
中国では別に葬式も普段着でよいので出たりするが、
結婚式にはなかなか縁がなくて列席出来なかった。
古くは唐朝のギタリストの結婚式に出たのが6年前、
この時は純中国風だったが、その後仕事仲間の結婚式に出た時は純正洋風だった。
今回はこちらで秘書をやってくれてた石蘭が結婚するという連絡をもらい、
重慶を日帰りで帰れば参加出来るとばかりよろこんで参加させてもらった。
お相手は元その上司であった横澤さんと言うが、
長い付き合いじゃがそんなこと全然知らんかったぞ!!!!
ま、いい!!めでたいことである。
いくら普段着でいいと言っても日本人も多く列席するであろうから、
先日香港で買った中国服を着させて頂いた。
しかしズボンは持ってないのでいつものジャージである。
許せ!!!
まあいい、服装は別に「自由」なんだからジャージが悪いとは言わせないが、
問題は「紅包(HongBao)」つまりご祝儀である。
日本でもこの辺はほんとによくわからないのだが中国でもなおさらである。
とりあえず「紅包(HongBao)」の封筒を買ってタクシーに飛び乗る。
タクシーの運転手に
「結婚式行くんだけどいくらぐらい包めばいいかねえ」
と聞くと、
「800元から始まって1800でもいいし、2800でも、
要はその人との関係がどれだけ深いかによるなあ」
そんなに高いんかい!!
数年前まで300元ぐらいだったのにもう数倍にも値上がっているぞ・・・
しかもタクシーの運転手のような「庶民」がそう言うなら、
業界人の石蘭なんていくら包めばいいんじゃ?・・・
ちなみに「八」という数字が末広がりで縁起がいいというので「八」に絡む数字にすると言う。
日本では2万とか「2で割れる」数字は縁起が悪いと言うので、
じゃあ日本円なら「1万円」か?・・・少なければ次は「3万円」やのう・・・
どの道困った問題である。
ワシは社会常識がないのじゃ!!
「社会常識を勉強するヒマがあったら音楽理論でも勉強してた方がなんぼかいい」
と思ってこの年になってしまったんだからもう取り返しがつかない。
とりあえず「1万円」にしたが少なかったかのう・・・
会場はホテルの宴会場、式は純然たる西洋式だったが、
ところどころに中国式な儀式があって興味深かった。
まずは新郎新婦のご両親を舞台に上げて、
新郎が新婦の両親にお茶を飲ませる。
そして新婦が新郎の両親にお茶を飲ませる。
新郎の父君はお亡くなりになっていたので母君だけだったが、
石蘭が日本語で、
「お母さん、お茶をどうぞ」
と言ってたのが興味深かった。
中国では「結婚」というのは「家と家との結びつき」という意識が強いんだなあと改めて思った。
そしてお決まりの乾杯!!
ここで新郎新婦が手を交差して酒を飲むのが中国式!!
「なんでこうするの?」といろんな中国人に聞いたが何故だかわからない。
「マレーシアの中国人もこうしてましたよ」と聞いたので、
きっと中国の昔からの何かのしきたりなのであろう・・・
あとは新郎新婦が各テーブルを周り、
誰もシメをしないうちに三々五々帰って行って終わりである。
どうしてシメをしないのかも不思議であるが、まあそれも「中国」なのであろう。
今回の結婚式は平和だった。
誰も酔い潰れてないし、名物の「1対何百」のイッキ大会もない。
通常中国の結婚式だと新郎側と新婦側でイッキ大会になり、
特に新郎側は「うちの大事な娘を持って行きやがって」というのもあり、
命がけで飲まされるものだと言う。
だからだいたい結婚式にはひとりやふたり「酒飲み」の友人を必ず用意する。
酒を飲むためだけにブッキングされるのだ。
私の友人にもひとりいる。
寧夏省の友人「馬向東(マーシャンドン)」である。
今度は寧夏の結婚式にも出席してみたいものだ・・・
お幸せに、横澤さん、石蘭さん!!
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2010年9月 7日
北京のお仕事とは
基本的に北京にいないと仕事が来ないのである。
「あ、いないのか、じゃあ別の人に頼もう」
で、いないとどんどん仕事がなくなって来るのが常である。
まあどの国もそうなんじゃろうが、
ここ北京は仕事が全て「関係学(コネクション)」で出来上がっているから尚更である。
ワシの場合はもう20年になるので「関係学(コネクション)」も強いし、
何よりも当時貧乏だった奴らが出世して一緒に仕事をしているので、
もうこれは「一生の付き合い」である。
仕事をするためにはまず「飲む」から始まるが、
(最近は大分近代化して来たが)
ワシの場合は仕事のために嫌な人間と飲んだりする必要がなく、
長年の友達と飲んでたらそのまま仕事になるので楽である。
最近は全中国ドラムクリニックツアーがまた始まったのでしょっちゅう北京にいる。
そしたら仲間内と飲むことも多く、
「ファンキーが帰って来た」
みたいな感覚が彼らにはあるのじゃろうが、
どっこいワシは「行ったり来たり」しているだけなのじゃ。
先日飲んだ時に、
「いるのか?じゃあ11日にちと仕事してくれよ」
と言うので安請け合いしてたら、
小さなチャリティーライブではあるが、蒼々たる大物歌手達のバックである。
「譜面も書いてね」
と言われたのできっとこれは「バンマスをやれ」ということなのじゃろう・・・
寧夏の最終日にはどこも遊びに出ずに10曲譜面を書いた。
夜の便で北京に帰って来たら2曲追加が来てた。
朝方まで書いて早起きして、
今度はそのドラム譜を書く。
自分がバンマスの時は往々にして、
曲のコード進行やアレンジの面ばかり把握していて、
実際ドラムをどう叩くのか覚えてなかったりするので大変である。
だいたいこういうのは当日の朝やることにしている。
年をとって頭も悪くなって来てるのでその日にやった方が物覚えがいいのだ。
今日、明日とリハーサルして明後日一度日本に帰り、
明々後日スペクトラムトリビュートのリハーサルをして、
その翌日朝一番で帰って来てそのままライブである。
月末には来月にもこんなスケジュールを入れてくれた。
いやいや、大変だというわけではない。
世界中いろんなところで自分を必要としてくれてるということは、
ドラマーとして非常に嬉しいことである。
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2010年7月 4日
北京に来てみたらスケジュールぐっちゃぐちゃ!!
今日HPのスケジュールを更新していて頭ぐっしゃぐっしゃになった。
まず今月末に予定されていたWing中国ツアーの北京公演がキャンセルになっていた。
まあそれはいい。ヒマになるのはいいことだ!!
しかしそれがあるからついでとばかりブッキングしていた天津での張張のライブはどうする?
どうせ天津の小さなライブハウスで何かやるのだ。
このためだけに渡航しても絶対に赤になるじゃろう。
まあ中国はドタキャンもされるけどしても怒られないので(笑)、
まあこの小さなライブはキャンセルしようと思っていたが、
天津の日本人雑誌の人から取材依頼が来て初めて知った。
このライブ・・・ワシ名義のライブやないの!!!
そりゃキャンセルも出来んわのう・・・
まあその数日後に全中国ドラムクリニックツアーが入ったので、
まあそれとくっつければいいか・・・
と思ったらそのツアーは8月15日にも入っている。
スケジュールの打診が来た時には12日と13日の山本恭司、江川ほーじんセッションが終わったら空いているよとは答えたが、
その後に西やんから16日に京都RAGでやろうと言われたのでOKを出していた。
そうなると問題である。
15日の貴陽というところは日本から直行便はないので、
14日にはどこか中国の国際空港を経由して現地に入っておかねばならない。
そして15日のクリニックが終わったらとりあえずその国際空港にその日のうちに入っておく。
そうすれば16日の朝いちの便で関空に飛んでかろうじて京都に間に合うということになる。
日本でいる時にはよくこんな無茶なスケジューリングをしてたが、
それは日本が「狭い」からである。
この小さな島国でその日のうちに移動出来ない距離ではない。
しかし中国は平気で数日かかる土地だってある。
飛行機の乗り換えだってどうなってるかわからない。
何より飛行機がちゃんと飛ぶかどうかもわからない・・・
大丈夫なのかこのスケジュール・・・
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2010年2月28日
今日は旧正月最後の日
いつも仕事をしているプロデューサーが
「うちにメシ食いに来いや」
と言うので行ってみたら、
そうそうたるメンバーが集まってがんがんに飲んでいた。
役者もいれば歌手もいればロックスターもいれば、
まあ「いつもの連中」なのじゃが、
何でこんなに盛り上がっているのかワシだけがわけわからない。
聞いてみると、今年の旧正月は2月14日。
28日がちょうど15日目。
旧正月最後の日ということで15日目は正月と同じように過ごし、
14日目は当然ながら大晦日と同じように過ごす。
つまり酒飲んで大騒ぎするのである。
よう酒飲む民族やなあ・・・
ワシなんか日本の正月で酒飲んで、
中国の正月で酒飲んで、
そいで正月最後の日にまた酒飲んだら大変ですわ・・・
実際中国人は旧正月前後一ヶ月は働かないのですわ・・・
これは中国本土だけのことではない。
全世界で中華系の従業員がいる会社はこの時期全く稼働しなくなる。
タイで仕事をしている時もそうだった。
「この時期はダメだ!スタッフがみんな里帰りしてるんだ・・・」
マレーシアでもそうだった。
アメリカでもきっとそうだ。
経済効果悪過ぎるやん!!!
夕べは遅くまで爆竹がぱんぱん鳴り響き、
今日は朝早くからまたぱんぱん鳴り響き、
これに関しては経済効果良過ぎるやん・・・
ま、ええわ。ワシも覚悟決めて今年3回目の正月を楽しもう。
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2009年5月 9日
戻って来たら北京は夏だった
前回は寒くてコタツにくるまってたというのに、
ほんの2週間ちょい留守にしてただけでもう夏になってた。
ほんと北京は春だ秋だの過ごしやすい期間は非常に短い。
今朝は早く起きて
1週間の和佐田ツアーで溜ってたメール仕事をこなしながら、
コタツを片付けたり毛布を片付けたり、
夏支度をしてたらあっと言う間に集合時間である。
今日はPairの全中国ツアーの初日。
もともとは大連から始まる予定だったが、
やはり最初は北京の小さいところで肩ならしをしてからということで
今回突如ブッキングされた。
ワシは和佐田ツアーの最終日の高知から直入りしてるので、
大連だったら間に合わなかったかも知れないのでよかったと言えばよかったのじゃが、
それにしてもこのギリギリの移動、
はっきり言って老体にはもうしんどい・・・
会場に着いたらポスターが貼られていてそこにはワシの名前も・・・
なになに?・・・2009年度巡演城市・・・
上海、広州、シンセン、成都、重慶、西安、武漢、長沙、杭州、天津、フフホト、長春、大連、青島、ハルビン、貴陽、包頭、南宁、銀川、岳陽、常徳、蘇州・・・
こんなに廻るんかい!!!
このテの小型ツアーはライブハウスを廻るので必然的に客が入る週末だけがブッキングされる。
つまりワシは今年じゅう毎週末このギリギリの移動をせねばならんというわけか・・・
6月からはパールのドラムクリニックツアーも始まると言う。
それもスケジュールは全て週末である。
どうなるワシのスケジュール・・・
久しぶりに合ったメンバー達、
「今回はいつまでいられるんだい?」
にこやかに聞かれてもついどよーんと答えてしまう。
「明日もう帰りまんねん」
目を白黒させながら再びこう聞くメンバー達。
「じゃあ今回はこのライブのためだけに帰って来たの?」
力なく頷くワシ。
やりとりを聞いてたBeiBei、
悪そうに近寄って来てこう耳打ちする。
「今回はライブハウスなんで300元しか出ないんですけどいいですか?」
いいですかも何ももう来てしまってますがな!
入り口の看板にはライブの値段が書かれている。
成人40元、学生30元
それでも学生10人分のチケット代をワシにくれると言うんだから
それでもかなり頑張ってくれたのだと思うしかない。
サウンドチェックの合間にMengMeng(モンモン)から電話が入る。
「社長のスケジュールが今しかないの。今から会社に来れないの?」
行けまへん!!
だいたいどんだけ偉い人か知らんが、
ワシはこういうスケジュールの人間なんやから、
そちらが合わせてくれんと一緒に仕事は出来まへん!!
めんどくさいので全部デブのキーボートプレイヤーZhangZhangに振ってぶっちする。
この親娘と付き合ってたら身体がいくつあっても足りないのじゃ。
汗をだらだらかきながらデブが電話で話し終わって、
泣きそうな顔で哀願する。
「MengMeng(モンモン)の次のアルバムなんですが、
会社の社長はもう張亜棟(ジャン・ヤードン)にお願いしてるんですけど、
彼女はどうしてもファンキーさんにお願いしたいと言うので、
是非社長に一度会って欲しいとのことなんです」
張亜棟(ジャン・ヤードン)とは中国で一番売れているプロデューサーで、
当然ながら値段も一番高い。
「張亜棟(ジャン・ヤードン)に払える金があるんだったらそれでいいじゃん!
ワシは金のない奴の面倒見るので忙しいの!!」
また泣きそうな顔で哀願するZhangZhang。
「あの人達の申し出を断る労力を考えたら、
一度だけでも社長に会う方が全然楽なんですけど・・・」
仕方がない、来週末の来北京は予定を一日早めることにする。
社長がそのスケジュールじゃ駄目ならワシゃもう知らん!!
レコーディングするならもう八王子に来てやってくれ!!
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2007年1月13日
イスラム文化のリハーサル
新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。
毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。
北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。
今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。
かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。
文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。
次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。
まあ飾りつけと言えば、
XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。
そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、
つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・
まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!
と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。
次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。
しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・
イスラム社会・・・今だに謎である・・・
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2006年9月21日
MengMeng(モンモン)の物語
重田から電話があったのがもう数ヶ月前。
「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」
超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。
「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。
「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。
北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。
書いてるだけで吐きそうである・・・
「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。
後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。
全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。
「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」
まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。
「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」
年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。
その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。
結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・
・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。
そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。
DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」
そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。
そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。
当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。
北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。
モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。
吐きそうになってきた・・・
じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・
「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」
かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html)
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。
呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。
「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。
「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」
なんかわかったようなわからんような・・・
ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html)
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。
何の役にも立たん!!
この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。
さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。
実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。
現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・
さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。
「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」
吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。
「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」
「ロック界?なんで?・・・」
「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」
吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・
かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。
見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。
金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。
始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。
6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。
なんでいきなり最終カードを切るの?!!
ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。
久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。
お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!
音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。
結果は・・・・落選!!!
最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。
楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。
ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。
ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。
「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。
老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。
負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。
そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。
人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。
恐ろしい番組じゃ・・・
さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。
かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。
番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。
「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。
すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。
もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!
さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。
最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・
やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。
「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。
「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」
確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。
吐きそうである。
「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。
ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。
ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。
今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。
しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。
・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。
「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」
やったぁー!!!残ったぁ!!!
と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・
数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。
「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」
かんべんしてくれーーーーー
丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。
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2006年5月30日
ウィグル族の仲間たち
どうも最近新疆ウィグル自治区の人たちと縁があるようだ。
新疆ウィグル自治区は、北京から直線距離にしておよそ2,400 km。
もちろん日本に帰るより遠いのにやっぱ中国の中のいち地方である。
この前行って来たシルクロードの起点と言われる西安から更に西に進み、
井上靖の小説や映画でも有名な敦煌よりも更に西に進み、
いわゆるシルクロードの中国最西端である。
最近ではJazz-yaライブに時々参加してパーカッションとボーカルを担当する
阿布都(A Bu Du)が新疆ウィグル族と言うことで、
彼のバンドの連中(ひとりを除いて全員ウィグル族)と仲良くなったり、
まあ中国と言えば友達になれば何でも助け合わねばならないのが常で、
お金にもならないのに彼らに楽曲をプレゼントしたり、
日本語の詞をそれにつけてくれと頼まれて徹夜して考えたり、
今では「ご近所の苦情で自宅で練習出来なくなった」と言うことでうちに来てよく練習している。
阿布都(A Bu Du)は新疆ウィグル地区でもかなり田舎の方の出身らしく、
貧しくて、小さい頃から民族打楽器を叩いたり歌を歌ったりして家族を助けていたと言う彼の歌は
Jazz-yaライブのリハーサルの時に従業員が涙したと言うほどである。
最近うちの院子に部屋を間借りし、週末には別荘代わりに泊まりに来る吉野嬢も彼らの音楽にはめろめろである。
もともとワシと新疆ウィグルとの縁と言うのは阿凡提(A Fan Ti)と言う新疆ウィグルレストラン
によく行ってたのがきっかけだったのではあるまいか。
羊肉を食い、新疆ワインを飲み、酔っ払ってステージに上がってそこで演奏していた阿凡提(A Fan Ti)と言うバンドに飛び入りしていたりしていた。
数年後にとあるライブハウスで演奏している新疆ウィグル人に
「よっ!久しぶり!」と声をかけられた。
全然覚えてなかったが、顔がぱっと見て中国人っぽくないので、きっと新疆ウィグル族だろうと思っていたら、やはりその阿凡提(A Fan Ti)でギターを弾いてた克爾曼(KAHRIMAN)である。
その時に交わした電話番号がきっかけで今、彼の新しいユニットの曲をレコーディングしている。
昨日は阿布都(A Bu Du)のバンドもリハーサルしに来てたりして、
うちはさしずめウィグル族の溜まり場である。
みんなワシに必ず「今度新疆ウィグル自治区に招待するから」と言う。
行ってみたいが北京から飛行機で4時間である・・・遠い・・・
ウルムチ出身の克爾曼(KAHRIMAN)はまだいいが、
阿布都(A Bu Du)の実家はそこから更に飛行機で1時間半かかると言う。
新疆ウィグル自治区、実は日本が20個すっぽり入ってしまうほどでかい・・・
レコーディングが終わり、克爾曼(KAHRIMAN)とそのユニットのボーカル(実は彼の奥さん)と一緒に記念撮影。
シャッターを押してもらった岡崎はんがしきりに
「全然中国人ぽくないけどあれでも中国人なんやなぁ・・・あんな美形で羨ましいよなぁ・・・ほんま・・・」
と1日中ずーっと言ってたので克爾曼(KAHRIMAN)のことかと思ってたら嫁さんの方やった・・・
惚れたな・・・岡崎はん・・・
Posted by ファンキー末吉 at:11:07 | 固定リンク
2001年8月14日
北京に住み始めた。手始めは五星旗のTD
北京レコーディング
1ヶ月以上に渡る日本でのレコーディングが終わり、
残すは五星旗のTDのために北京にやって来た。
別に日本でやってもいいのだが、
北京で友人がスタジオをOpenし、
エンジニアも、黒豹のエンジニアでもあり、
五星旗の1枚目もやってもらったKEIZOと言う日本人エンジニアがいるので、
まあ飛行機代を出したとしても安くあがるし、北京TDに踏み切った。
実の話、東京のこのスタジオはもう飽きた。
飽きたのは俺だけではなく、
スタジオの従業員が俺のことをもうとっくに飽きている。
朝出社したらいて、帰る時にはまだいるんだからしょうがない。
毎朝毎朝寝起きの末吉の顔を見せられるのもどうしたものか・・・
昼夜ないもんだから、別に昼飯からビールを飲み、
自分が仕事をしているのにスタジオのソファーで酔いつぶれている姿を
見せられる従業員の気持ちはどうしたものか・・・
最後にはスタジオのビールは底をつき、
「また仕入れなきゃなんないんですけど、銘柄は何がいいですか」
と俺に聞くのもどうしたものか・・・
まあ人間関係がこじれないうちに居を北京に移したと言うわけだ。
ところが東京にも別に居を構えているわけではないのだが、
北京でも実はそうである。
嫁は子供を両親に預けて、
「職探し」と言う名目で北京の従妹のところで毎日遊んでいる。
そこに泊まるわけにもいかないので、
今回は元ビクターのOさんが借りている北京の部屋に住まわせてもらうことにした。
日本にいながら北京に部屋を持っているなんて素敵じゃない?
着いていつものようにすぐJazz-ya北京に直行する。
「頼んでたお酒、買ってきてくれました?」
安田がそう言うが、
朝から朝まで毎日レコーディングしてていつ買いに行くヒマがあるものか・・・
「いいんですよ、また今度荷物がない時に持って来て下さい」
俺の今回の山ほどの荷物を見て安田が慰める。
データが読めなかった時のために山ほどのマルチテープと共に、
嫁から持って来いと言われている家財道具の一部。
引越しの時に嫁はドラム部屋に荷物を運び込み、
その段ボールに通し番号を付けて俺が北京に来る度に持って来させるのである。
「頼んでたアレ、買って来てくれた?」
嫁が開口一番にそう訊ねる。
出発直前に国際電話がかかって来て「タンポンを買って来い」と言うのである。
仕方がないので事務所の西部嬢に大量に買って来てもらったのだが、
どうも銘柄が違ってたらしくぷんぷん言う。
「俺に頼むな!」っつう話である。
嫁はブツを受け取ったらそうそうに遊びに出かける。
お気楽なもんである。
俺はそのスタジオのオーナー、沈とエンジニアのKEIZOと飲みに行く。
「Oさんの部屋ってどこ?」
「ああ、うちの家の向かいだから送って行きますよ」
KEIZOがそう言うので遠慮なく酔って大暴れさせて頂いた。
日本からYさん、インドネシアからIさん、ベトナムからKさん、
と偶然この日はアジア関係の業界人が北京に終結し、俺は悪酔いして酔いつぶれた。
後はKEIZOが面倒見てくれる。
末吉プロジェクトのミキサーはこんな面倒まで見なければならないので大変である。
さてOさんの家にやっと着いた俺はKEIZOが持つ合鍵で部屋に入ろうとしたら、
なんと長年留守にしているのでついに電気が止められている。
中国の場合は張り紙をした後、
それでも払わなければブレイカーごと取り外して行くから物凄い。
真っ暗な中、手探りでベッドらしきところにたどり着いてそのまま寝た。
朝になってあまりの暑さに目が覚めた。
「ここはどこ?私は誰?」
となるのが普通だが、
東京でのスタジオ終了時間が半端に早い時、
仕方がないのでドラム部屋に帰って仮眠をしている状況に酷似していて、
「あ、もう9時か・・・スタジオ行かなきゃ・・・ラジオ行かなきゃ・・・」
・・・と思わず飛び起きてしまう。
悲しい性である。
スタジオに向かい、機材をチェックする。
全てのデータが読み込めることを確認してから、
試しに1曲大音量で聞いてたら電話が鳴った。
スタジオのドアの外で電話してたら風でドアが閉まってしまった。
見るとオートロックである。
カギを開けた沈はもうすでに出かけてしまい、
むなしくドアの隙間からYangYangのボーカルが大音量で聞こえて来る。
「閉め出されたんですけど・・・」
沈に電話をしたら大笑いされ、
「もうすぐ誰かがそっちに行くから待っててよ」
と言われ、ドアの前で数時間ぼーっと待つ。
大体にして北京での仕事はそうである。
以前もMACを持ち込みでやって来たが、
初日に電源を入れたら壊れてしまい、
次の日は修理に持って行くので1日、
その次の日は取りに行くので1日、
そのまた次の日からやっと仕事が始まった。
北京の風に吹かれながらドアの前でぼーっとするなど
言わば「これぞ北京」の日常ではあるまいか・・・
夜にはJazz-yaに行って安田相手に楽しそうにそんな話をする。
「いやー、電気が止まっててねえ・・・」
安田にそう言ったら
「末吉さん頼みますからうち泊まって下さいよぉ。
ファンキー末吉が電気もないところに泊まってるなんて僕が恥ずかしいですよ。
頼みますからまたそんなことメルマガに書くのやめて下さいよ」
書くもんねぇ!
Jazz-yaに行ったら、食い詰めたバックパッカーが職探しに来ていた。
世界中を旅しているTAKUROと言う22歳の若者である。
「すまんが今は労働局がうるさくって、ビザのない人間に働かせるわけにはいかないのよ。
末吉さんが面倒見てくれるかも知れないから言ってみぃ」
かくして毎日腹が減るとTAKUROがスタジオにやって来る。
面白いのでメシ食わせてビール飲ませてほったらかしている。
無銭旅行の土産話のギャラがメシとビールと言うわけだ。
使えるお金はあと300元、ホテル代は25元なのであと10日余りが勝負である。
「25元のホテルっつうのは凄いよねえ。どんなとこなの?」
バックパッカーの溜まり場であるが、
35元出せばクーラーがあるらしいが、25元はクーラーなし。
それでも俺の住んでいるOさんの家よりはマシかも知れない。
TAKUROはホテルまで2時間歩いて帰ったが、
俺はさすがにタクシーで帰宅する。
もちろん今夜は蝋燭を準備して帰った。
キャンプ生活のようでなかなか楽しい。
ガスが出ないので水シャワーを浴びてみる。
考えて見ればこれって俺の日本での生活とあんまし変わらん・・・
「末吉さんて人生がバックパッカーみたいなもんですからねえ・・・」
買い物をしようと外に出て、安田のこんな言葉を思い出してニヤニヤしながらドアを閉めたら、
ここもオートロックであることに気が付いた。
ひえーっ・・・
「うちのホテルも遊びに来て下さいよ。バックパッカーばっかで楽しいですよ」
TAKUROの言葉を思い出す。
うちの上の子供は天津の友人宅に遊びに行ってると言うので、
レコーディング終了したらTAKUROと一緒に天津にでも行ってみるか・・・
ファンキー末吉