2018/09/25
布衣秋のツアー2018青海省「西寧」
さて、西安から青海省の西寧までは高速鉄道で移動・・・
5時間って・・・東京から博多まで行けるがな・・・(>_<)
青海省西寧へご〜 - Spherical Image - RICOH THETA
何にもない山の中をひたすら進む・・・
列車の中でヒマだったので西寧のことを色々調べていたのが悪かった・・・
標高2275mと知った途端に息苦しさと頭痛・・・(>_<)
前回来た時には何もなかったのよ〜(涙)
まあ風邪ひきさんやし体調にもよるのよねぇ〜
4000mのチベットのラサの時でもすぐに慣れたからまあ大丈夫でしょう・・・
ふうふう言いながらセッティング!!
ここにも地元の若いドラマーが「何か手伝いましょうか」と待ち構えているのだが、如何せんチューニングやセッティングって自分でやるしかなくって手伝えることがないのよねぇ・・・(>_<)
北京から飛行機でも3時間近くかかる辺境の地、バンドからしてもそんなにしょっちゅう来れるところではない。
ファンにしても滅多に生で見れないわけだから盛り上がらないわけはない!!
しかし盛り上がれば盛り上がるほど酸素がなくなるのよねぇ・・・(笑)
・・・と酸欠がとにかく不安(>_<)
酸欠と言えば、爆風スランプでアメリカはコロラドにある帝京大学デンバー校の学園祭に呼ばれて行ったことがあるが、
ライブ中に「やけに息苦しいなぁ」とは思っていたが、そこでも高々1609mである。
まあ年取ってかかった水疱瘡で40度の熱でも叩けたのである、
どんな状態でも「ドラムが叩けない」ということはないだろうとステージに上がった・・・
酸欠や風邪の影響もあるのか、頭がぼーっとしている。
「そもそも自分はドラムを叩いている時にどのように息継ぎをしてるのだろう・・・!(◎_◎;)」
それが全くもって思い出せない・・・
ある時、X.Y.Z.→Aの超高速ツーバスを踏み終えた時に、ぜーぜー言ってぶっ倒れそうになったことがある。
「俺・・・曲中って息してないんちゃうん?」
と思って恐ろしくなったことがある。
この高地で息継ぎなしで叩いてたら本当に死ぬかも知れんので(笑)、
ちょっと自分の呼吸を意識して聞いてみたら、
リズムを叩いている時にはゆっくりと吐いたり吸ったりしているようだが、
フィルとかシンバルを入れる時に無意識に「ホーッ!!」とか「ハーッ!!」とか声を出しているようで(笑)、その時には一瞬深く呼吸をしているようだ・・・
まあそんなことがわかったところでどうしようもないので、ひたすら音楽に集中して叩く!!
見ればステージ袖で若いドラマーが食い入るような視線でこちらを見ている・・・
「滅多に見れんやろうからちゃんと見ときや!!ドラムはこう叩くんやで!!」
などと思いながら叩いているのだけれども、
実はこのドラムセットのシンバルスタンド、シンバルを留める留め金が緩くって、強く叩くとすぐ飛んで行ってしまうのよね・・・(>_<)
気にせず叩いてたらシンバルまで外れてすっ飛んで行った!(◎_◎;)
叩きながら若いドラマーに「こっちに来て直せ!!」と目で指示を送るのだが、
意味がわからないのか、わかってもステージに上がるのははばかられるのか動こうとしない。
「何やってんねん!!すっ飛んで来んかいボケー!!」
こんな時の私は容赦ない・・・入ったばかりのX.Y.Z.→Aのローディーがこの剣幕に恐れをなして次の日に辞めたという逸話もある(笑)
布衣のスタッフが異変に気付いてすっ飛んで来てシンバルを直す・・・
「あの若いドラマーを連れて来てここに座らせとけ!!」
そう指示をして、スタッフがドラマーを連れて来た。
曲間のMCで首根っこを掴んで、
「いいか、お前はここにずーっと座っててシンバルがトラブったらすぐに直せ!!」
物凄い形相でそう言われて若いドラマーが固まっている(笑)
いや別に首根っこ掴んでケンカ腰で言うようなことではないのだが、
ステージの上ではアドレナリンが出まくっているので正常な状態ではないのよねぇ・・・許せ!!
こんな感じ・・・
(写真は終演後に撮りました、まだちょっとビビっている・・・(笑))
まあこれで安心して修羅場に戻れるわけであるが、
この日は酸欠でぼーっとした頭の中で、昔のあるライブのことがフラッシュバックされて来た。
X.Y.Z.→A結成してすぐのツアー・・・
「メタルはJazzなんかと違って毎日連チャンで何本もライブが出来ないのよ」
ということを知らず、1週間の移動日なしのツアーを組んでしまったその最終日・・・
名古屋ELLというライブハウス、
今では大きなホールのようになっている老舗のライブハウスだが、
当時はまだ小さい小さい地下室である。
天井が低く、この小屋にぎゅうぎゅうに客を詰め込むと、
客の頭上には空間がほとんどないという状態になるため、
当然ながら「酸欠」になる。
普通の「酸欠」ではない。
客席の横に細長く設置されている通路兼楽屋兼調理場みたいな空間で、
店の人間がタバコを吸おうとしたらライターに火がつかないのだ。
「酸欠」というより、もう「酸素」自体がない(>_<)
その頃、爆風スランプは活動を休止したばかりで、
その日は偶然にも同じく名古屋でサンプラザ中野とパッパラー河合がどこかで営業仕事をしていたと聞く。
「踏み絵ですか(笑)私たちファンはどちらに行けと言うんです?」
そんなファンの声を思い出しながら朦朧とした頭でこんなことを考えていた。
同じバンドのメンバーが、片や新幹線のグリーン車で名古屋にやって来て、
Runnerと旅人よを歌ってまた新幹線で帰ってゆく。
片や自分で車を運転してこの小さな小さなライブハウスで汗だくになって酸欠と戦っている・・・
実はこの小屋、爆風スランプが最高動員記録を持っている。
客を詰め込むだけ詰め込んで、入れない客が階段の上で待っている中、
演奏を始めたら客が前に押し寄せるので後ろに出来た隙間にその待っている客を入れる。
最前列の客が押されて、酸欠で倒れるのを一番前から救出して、
楽屋兼通路兼調理場から外に連れ出す。
そうすると後ろにまた少し隙間が出来るので外の客を後ろから入れる・・・
よく人が死ななかったと思うが、
これが物理的にこの店に客が入れるマックスの量なわけだから、
この「動員記録」はその後も誰も破ることは出来ないでいる・・・
酸欠になるとこれらの思い出がフラッシュバックして来る。
きっと身体に染み込んでいるのだろう・・・
この日も酸欠の中で朦朧とこんなことを考えてた・・・
片や新幹線でやって来てヒット曲を数曲歌って新幹線で帰る。
片や自分で車を運転してひと握りのファンしか知らない曲を生きるか死ぬかの酸欠で演奏している。
ある人達から見たら私の方を「ミジメ」だと思うかも知れない。
しかし私はそうは思わない。
「俺はここで生きて来て、そして今もここで生きている!!
これから色んなところで演奏もするだろうが、
俺は必ずここに戻って来る!!」
こここそが私が育った場所であり、これからも生きてゆく場所なのである!!
そんな事を考えてると「力」が湧いて来る。
中国の最果ての場所まで来て、
アンダーグラウンドのバンドのドラマーとして、酸欠と戦いながらドラムを叩く自分を、誰がどう思おうが自分はこれを「誇り」に思う!!
こここそが私が生きて来て、そしてこれからも生きてゆく場所なのだ・・・
そんな思いが込められたいいステージだったと思う。
ツアーの中で色んな要素が重なり合って高いレベルの演奏になった時、それをバンド用語で「初日が出た」と言う。
(詳しくはこちらを参照のほど)
布衣にドラマーとして参加して2回目のツアー、
9本目にしてやっと「初日」が出たようだ・・・
大満足な心の裏腹にそんな自分にこう突っ込む・・・
「ほな初日からこう叩けよ!!(笑)」
40年以上ドラムを叩いていてまだまだである・・・
変わらず精進しましょう〜
この日のドラムソロ・・・若いドラマーがいい仕事をしてます(笑)

