2018/05/30
布衣春のツアー2018遼寧省「大連」「瀋陽」
さて話はちょっと戻るが、
山東省ツアー最後の街「烟台」から飛行機で渤海を越えて大連へ〜
ご覧の通り陸路で行くと大回り、
船で行くという選択肢もあったが、
時間的なことと船酔いを恐れて飛行機ということになったようだ・・・
海鮮で有名な街「大連」は日本人も多く、
Facebookで「ここ出演したことがある」とか、
「タクシーで15分ぐらいのところに住んでるのに」
とか日本人からメッセージも届く。
「大連の小屋は歴代3番目に暑いですからね」
と聞いていたが、普通のバーにステージがあるだけのような小屋では、
結局天井が低いので、詰め込めるだけ詰め込んだらその上に空間がなくなるから空気が少なくて冷房がおっつかないのだ(>_<)
ふうふう言いながらドラムソロ!!
人の気も知らずに客がダイブしとるし〜(>_<)
まあ中国の客は何でもありです(笑)
この小屋のオーナーはミュージシャンで自分もバンドやってツアーとか廻ってるらしく、
ミュージシャンシップよろしくみんなを連れて打ち上げをご馳走してくれた。
日本と違って中国のライブハウスは毎日ライブをやってるわけではなく、
(箱バンみたいのが入って毎日演奏してるバーはあるが)
時々開催されるライブの中で、こうして北京からアンダーグラウンドとは言え有名バンドが来てくれるというのはやっぱ嬉しいのだろう・・・
ご馳走さまでした!!
そしてその後北上して、黒竜江省「ハルビン」と吉林省「長春」を挟んでまた遼寧省に戻って来た。
瀋陽・・・昔の呼び名を「奉天」という・・・
この街に来る度にいつもこの人のことを想う・・・
李香蘭・・・またの名を山口淑子・・・日中の間で数奇な運命を駆け抜けた、もはや「歴史上の人物」と言っても過言ではない。
この街、奉天で生まれ、
日本人に中国語を教えていたお父さんに、完璧な中国語を教え込まれて、
中国人スター「李香蘭」として満州映画などでも大活躍することとなる・・・
戦争が終わって、中華民国政府から「漢奸(売国奴・祖国反逆者)」の廉で軍事裁判にかけられ、処刑される寸前に日本人であることが証明されて命からがら引き上げ船に乗って帰国した話は、李香蘭を題材にした映画やドラマ、ミュージカルではクライマックスのシーンである。
面白いのは、その引き上げ船に乗って一緒に引き揚げた「野口久光」という人は、
私のJazz仲間であるピアニスト「ジャバ」のお父さんである。
映画などで友達のお父さん役というのが演じられているのを不思議な気持ちで見ていた(笑)
私が「李香蘭」という存在を知ったのは、
90年に初めて中国を訪れて以来、
中国に関する本などを読みあさっていて頃である。
本屋でふと見つけた「李香蘭〜私の半生」という本を読んで大きな影響を受けた。
一番感激した部分は、
関東軍が満州鉄道を爆破した事件(柳条湖(溝)事件)が起こった時に、
李香蘭のお父さんが
「関東軍の馬鹿野郎!!中国語もろくに喋れないくせに」
と呟いたところである。
当時、「アジアブーム」に乗って、私の所属事務所も含めて色んな日本企業が中国に進出していたが、どれも「ジャパンマネーで中国人の頬っぺたを叩く」ような状況で、それをいつも心苦しく思っていた。
「中国人の方があんた達より数倍金儲けに長けてるんだから、その内に大きなしっぺ返しに会うよ」
と思ったら、やはりそのほとんどは無様なほどに中国から撤退した(笑)
「日本のやり方が最高なんだ。だからこのやり方でやれ」
というような進出の仕方が私にはどうも整理的に嫌でたまらなかったのだが、
この本の中の「中国語も喋れないくせに」という一言が私の人生を大きく変えた。
最初は片言の英語で中国ロッカーとコミュニケーションを取っていたのだが、
「これではダメだ」
と思って中国語の猛勉強を始めたのもこの一言に背中を押されたからである。
実は私はお亡くなりになる前に、一度ご自宅にて李香蘭さんとお会いしたことがある。
「何日君再来」という曲の数奇な運命を取材する特別番組で、
私がそのナビゲーターとして取材させて頂いたのだ。
芸能界から退いて長かった彼女が、私のこの番組によって久しぶりにブラウン管に登場するという「歴史的な」インタビューであった。
リビングに通されたはいいけど、ご本人はなかなか部屋から出て来ない。
恐らく、往年の銀幕の大スターが、
長い年月を経てまたこうしてブラウン管に登場することに、心の準備とか色々あるんだろうと漠然と想像していた。
中国から来た若いカメラマンが、彼女の登場シーンを撮ろうとカメラを構えていたのを、私は「中国語で(笑)」それを止めた。
「いいか、若いお前は知らないかも知れないが、この人は歴史上の偉大な人物なんだ。最大の敬意を払って接するんだぞ」
それから30分、私たちは無言でひたすら待ち続けた。
少々の緊張の面持ちと、明るい笑顔を携えて出て来た往年の銀幕のスターは、
もう御歳85歳と言えど衰えぬ強いオーラを発していた。
「何日君再来」の話をする時には上海時代の思い出と共に本当に楽しそうに語って下さった。
私が中国語を交えて話をすると、
「あら発音いいわねぇ」
と褒めて下さって、
「本に書かれていたあのお父様のあの一言で頑張って勉強したんです」
この程度ですけれども・・・と頭を掻きながら答えたのを覚えている・・・
余談が長くなってしまった(笑)
そんな街(どんな街や(笑))、瀋陽でのライブ!!
工場を改造した(?)のであろう芸術村の中にあるライブハウスは天井も高く、
「こりゃ今日はそんなに暑くならんな」
と思ってたら、
「今日は600枚チケットが売れてるらしい」
と言う!(◎_◎;)
出会った頃にはライブやっても数人しか集まらなかったバンドが、
ずーっとライブをやり続けたらこれだけ動員出来るバンドになった。
素晴らしいことである・・・
しかし蓋を開けてみると当日客もいるので600人ではきかない(>_<)
大盛り上がりの中でライブ終了!!
客席の様子
いつものドラムソロ!!
実はこの日も楽器電源が落ちて、
仕方ないのでドラムソロ!!(笑)
停電とかアクシデントは逆に盛り上がるよなぁ・・・
この日は歴代最高のライブが出来たと思う。
今回ツアーのテーマソング、故)加賀八朗作「黄金色した憎いヤツ」中国語バージョン「啤酒怪兽]
故人もこの曲が海を越えてダイブとかモッシュとかされることになろうとは思ってもみなかったやろうな(笑)
中国のネットチャート急上昇中!!
今年のサマードラムスクールの課題曲のひとつでもあります。
そしてツアーは次がいよいよ最終日!!天津へと向かふ・・・