昔は自分のスタジオが北京と八王子にあった。
Funky Studio Beijing
Funkyスタジオ八王子
しかし北京の院子が取り壊しになり、次に引っ越した院子で完全防音のスタジオを作ってみたもののそこも取り壊し(>_<)
家賃も物価もどんどん高くなってしまっている北京、そしてせっかくスタジオを作ってもいつ取り壊されるかわからない開発ラッシュ・・・
防音せずとも「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」という社会ではなくなって来た北京で、スタジオを作るのはもう無理だろうと判断して、今はスタジオがあるのも日本だけになってしまっている・・・
X.Y.Z.→AのNewアルバム「WONDERFUL LIFE」のドラム録りを2日間で終わらせ、そのまま布衣のツアーを周りながら考える・・・
ドラムの叩き直しが来たらどうしよう・・・
北京にスタジオがあった頃はまだいいが、中国でのツアー先からいちいち日本まで飛んで帰るのはあまりにコスト高である。
ところが中国から(北方に行かない限り)東南アジアに飛ぶのは比較的安い・・・
カンボジアにスタジオ作れんかのう・・・
色んな人に色んな相談をするのだが、きっかけはこれ!!
大事なのは、カンボジアはまだ北京のよかった時代、「人も迷惑かけてるから自分も迷惑かけても大丈夫」がまだ存在しているところである。
先日もくっくま孤児院で歌を録ろうと思ってたら、近所のご家庭の大音量カラオケがうるさくて録れなかった・・・
(カンボジアでは今、ご家庭に大音量のカラオケを置くのが流行っているようだ)
逆にくっくま孤児院で毎日バンドの音がうるさくても、近所はまあ別に文句は言って来ない・・・そんな社会がまだあるというのは素晴らしい!!
というわけで色々場所を探していたら、いつもライブでお世話になっているHIBACHIの土井さんが新しく出したカラオケ屋の3階が丸々空いているらしい!(◎_◎;)
というわけで、1月に北京のエンジニアである方言(FangYan)にカンボジアまで来て頂いて、まず場所を見て検討してもらおうと考えている・・・
スタジオを作る上には色々考えなければならない問題はあるが、
まず防音の部分は北京でも最初は防音などしてなかったのでそれはまあ置いといて、
1、機材をどうやって北京から送るか
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
3、常駐エンジニアをどうするか
の問題がとりあえずは最優先である。
1、機材をどうやって北京から送るか
については、街中をトゥクトゥクがこんな中国語の看板を掲げて走っているのだから、まあ中国人がこっち来て探せば簡単に方法は見つかるであろう(笑)
2、足りない機材をどうやってカンボジアで調達するか
はちょっと難しい。
だいたいにしてそんな専門機材を売っているところはデカデカと看板を出していはいない。
コネを使って地道にリサーチするしかないのだが、
ここで大きかったのは、こちらでドラムが録音できるスタジオが見つかったことである!!
残念ながらここにはProtoolsで録音できる設備はなく、インターフェイスやマイクプリなどを調達しようと思ったら少々無理がある・・・
しかしこの投稿を見て食いついて来た、私のことが大好きでたまらない(笑)地元のベーシストがドラマーの友達を連れて来てくれた!!
これは何気に大きい!!
このドラマーも自分の家にドラムセットがあり、何とか録音出来るように設備を買い揃えたいと思っているということなので、
「じゃあ中国からエンジニアが来るから色々相談すればいい」
ということで「持ちつ持たれつ」である。
彼ら地元のミュージシャンに、もっとプロ仕様のスタジオを紹介してもらってそこで色々尋ねるのもよかろう。
アジア、と言わず世界中の国々ではまず「助け合い」、そのためには「コネ」が必要である。
「友達がいなければ何もできない」というのは決して中国に限ったことではないのである。
さて、
3、常駐エンジニアをどうするか
については、まだ本人に何も話してないので全くの未知数なのだが、
くっくまバンドのキーボード「ティアルッ」に頼んでみてはどうかと考えている。
彼は来年の11月に高校を卒業するので、もしよかったらそこに「就職」してみないかということである。
もちろんスタジオなんてそう金を生むもんじゃないし、
給料は最低限の額にしてもらい、その代わりこの物件だったらスタジオで住むことは出来る。
居酒屋勝プノンペン店がオープンすれば(笑)、そこで賄いを食べることも出来る!!
そして何より、彼がそこに常駐すればいつでも自由にくっくまバンドのレコーディングが出来るということである。
いやこれは逆にどんどんやってもらわなくては困る!!
方言(FangYan)も最初の頃は、自分は学校でエンジニアリングを勉強しているので非常に自信がある。
しかし私がWyn Davisなどから教わったこと、色んな経験から覚えたことなどと彼の考えとはことごとく衝突する。
北京人特有の「頑固」さに負け、
「じゃあお前の思う通りやってみろよ」
となって、彼は自分のやり方で何日も徹夜してやってみる。
数日後、目を真っ赤に腫らした彼は涙声でこう言うのだ。
「Funky老子、あなたの言う通りでした。このやり方では最終的にいいミックスが出来ません。最初っからやり直します(涙)」
こうやって仕事を覚えてゆく・・・全ては「経験」なのである!!
方言(FangYan)がそうやって試行錯誤しながら何度もやり直して作ったアルバムは、時を超えて後に大ヒットすることになったし、
何よりもそうやって何枚もアルバムを作った布衣は、今では中国で一番多くツアーを廻るバンドとなった。
当然ながらみんな貧乏バンドなわけだから金なんか取れない(笑)
くっくまバンドをはじめ、こちらで新しく出来た音楽仲間が集う場所になったとしても、決してそれでお金が稼げるようになるのは数年、いや10年以上先のことかも知れない・・・
でもその間にエンジニアは育つのである。
当面は私が自分でボタン押して自分で録音すれば良いが、そのうちにFunkyスタジオ北京の方言(FangYan)、Funkyスタジオ八王子の仮谷くんのように、エンジニアとして育ってくれれば言うことないが・・・
それまでワシ・・・生きとるかのう(笑)
まあ彼が卒業するまでまだ1年ある。
口説くのは来年からにして、まず方言(FangYan)の初カンボジアを満喫してもらい、中国人ならではの「コネクション作り」をしてもらおう・・・
早よ来い方言(FangYan)!!
続編はこちら
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