ファンキー末吉プロフィール

香川県出身。
81年に「爆風スランプ」を結成し、98年の活動停止までドラマー、コンポーザーとして活躍。99年にXYZ→Aを結成。
90年頃から中国へ進出し、プレイヤー、プロデューサー、バーの経営等、現在に至るまで多方面で活躍中。

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シンガポール最終日、移動日
シンガポール滞在二日目、本番
シンガポール滞在一日目、サウンドチェック
いざシンガポールへ!!
香港である
マレーシアドタキャン
こんなこともあるもんじゃ
香港返還記念ポップロックフェスティバル
一夜明ければ香港
サルサの本場、キューバでも・・・
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2008年11月14日

シンガポール最終日、移動日

バンドマンの朝が弱いのは世界共通のようで・・・
しかも特にこのBeyond関係は筋金入りである。
ワシの経験では夕方からのリハーサルに寝坊で遅刻して来るのだから半端じゃない。

当然ながら最終日の出発は朝いちで・・・なんてあり得ない!!
ホテルに追加料金を払ってでも夕方出発である。
仕方がないのでワシは観光・・・

SingaporeMerLion1.JPG

名古屋ぐらいしかない大きさの国じゃが、
やっぱ観光と言うと一応マーライオンに行っておかねばなるまい。
ホテルから見えてるのでジョギングついでにちょこっと行って来た。

これである。

SingaporeMerLion2.JPG

まあ「これは何じゃ?」と言われればそれまでじゃが、
口から水を吐く半獅子半魚の銅像である。
土佐の高知のはりまや橋は「日本がっかりする名所」のワースト5に入っていると言うが・・・うーむ・・・

その隣にある「小マーライオン」が更に哀愁をそそる・・・

SingaporeMerLion3.JPG

赤道直下、真昼間には影も出来ない灼熱のシンガポールじゃが、
朝夕は涼しいし、昼間でも日本の蒸し暑い夏と違って非常に過ごしやすい。
ジョギングの後はホテルのプールでひと泳ぎし、
マレーフードとビールでみんなの起床を待つ。

ほろ酔いのままシンガポール空港へ。
さっそくポールはファンに囲まれる。

SingaporeAirportPaul.JPG

ワシはベンチで酔いを醒ましていたら、
隣の白人が目を白黒させて聞いて来た。

「Who is him?」

まあ無理もない。
中華圏では大スターでも欧米では(チャイニーズ系以外)まるで無名である。
「He is a Chinese Rock Star!」
ワシが胸を張る必要はないのじゃが、
何故か胸を張ってそう答えた。

中国のロックスターとの旅は今日で終わりである。
このまま香港に帰り、仮眠して翌日朝一番で日本に帰る。

願わくば直行便、もしくは午前の便でその日のうちに日本に帰りたかった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:06:29

2008年11月09日

シンガポール滞在二日目、本番

昔とある日本人留学生の友人からこんなことを聞いた。

「中国人ツアーでタイに旅行したんだけど、食事が毎食中華なの。
私はね、タイ料理が食べたかったんで、今日こそタイ料理かな、と思ってたら、
結局最後までずーっと中華だったの。
どうして?って聞いたら、
だって中華が世界一おいしいのに
何を好き好んでそれより不味いものを食わなきゃなんないだ
、って・・・」

都市伝説のような話であるが、
実際今回のこのツアーの御一行の食事は確かに中華ばっかりであった。

シンガポールは国自体が大きな中華街のようなもんじゃが、
マレー系やインド系を抱える多民族国家である。
この日は早起きして地下鉄で「Little India」へ行った。

SingaporeLittleIndia.JPG

飯もここに来て初めて中華でない店に飛び込んだ。
マレー系の代表的なメニューであるナシゴレン(マレーシア焼き飯)や、
ミーゴレン(マレー系焼きそば)もあったが、
これは夜だけのメニューということで、隣の人が食っているのと同じものを頼んだら、

SingaporeIndianRestaurant.JPG

朝からカレーを食うハメになってしまった・・・。

ちなみにアイスミルクティーを頼んだが・・・ひたすら甘い・・・。
ストローで飲むと下の方はホットのままなので、
氷のある上の方から飲む。
最終的にはぬるま湯になる。

ちなみに持ち帰ろうと思うと、
後ろのオッサンが持っているようにビニール袋に入れてもらえる。
これにストローを挿して飲みながら歩けるわけである。

街にはイスラム教の寺院や、
さすがはリトル・インディアというだけあってインド寺院もあった。

SingaporeIndianTemple.JPG

そう、多民族国家シンガポールでは宗教も多種多様である。
当然ながらチャイニーズ系のコンサートではこの儀式は欠かせない。

SingaporeBai.JPG

まずはメインの出演者と主催者、
そしてミュージシャンやスタッフ全ての人間が代わる代わる線香を持ち、
四方に向かってコンサートの無事と成功を祈って拝む。
もともとは道教から来ている香港台湾など中国南方の習慣なのじゃが、
今では北京や地方のコンサートでもこれをやるので、
ワシは名実ともにこれを一番経験している日本人ということになる。

楽屋の飯は日本や北京ではだいたいが楽屋弁当じゃが、
香港ではよくひとつの部屋を開放してビュッフェ形式がとられるが、
ここシンガポールでもはたしてそうであった。

SingaporeBuffe.JPG

ドラムを叩く前に食い過ぎると後で地獄を見ることを知りながら、
これがなかなか旨いのでついつい食い過ぎてしまう。
やっぱ中国人が言うように中華は最高なのかも知れない。

本番が始まる。
ステージ前に垂らした黒幕を通して満員の客席が見える。

SingaporeConcertStart.JPG

(一応)解散したバンドのメンバーがふたり集まってのジョイントコンサートで、
解散前と同じくスタジアムを満員に出来るというのが凄い!!
しかもここは「外国」なのである。
この「Beyond Next Stage」という企画で、
ひょっとしたらまた全世界ツアーが組めるのではないか。
そしたらワシは彼らと全世界の中華圏を廻れるのか?!!
満腹なのに胃袋が反応してしまう・・・。

コンサートが始まった。

SingaporeWingSinging.JPG
(今やもうすっかり「大歌手」になってしまったWing)

SingaporePaulSinging.JPG
(この企画の一番オイシイ部分。PaulとWingとのジョイント)

ちなみにこれらの写真は
Paulバンドのドラマーが演奏しているすきにドラム台から降りてかぶりつきで自分で撮った。
中国系のコンサートは何でもアリなので楽しい。

そしていつもながら思うのじゃが、
中国人のオーディエンスっつのはハケるのが早っ!!

SingaporeAudienceGoing.jpg

終了後1分も経ってないのに客席はこれである。
「余韻を楽しむ」っつうことを知らんのかい!!」と言いたくなるほど、
あれだけ熱狂してたオーディエンスがコンサート終了後すぐ帰る。
現実的なんやな、中国人は・・・。

そして打ち上げ。

SingaporeUchiage.JPG

中国語で「慶功宴(QingGongYan)」と言う。
ご想像の通りその後大いに飲み食いし、
みんなそのまま二次会に繰り出したが、
年寄りは早々と退散させて頂いた。

ホテルに着いたらそれでも夜中の3時・・・
いやー・・・毎度のことながらドラム叩くより飲むのがキツいですわ・・・

Posted by ファンキー末吉 at:08:57

2008年11月07日

シンガポール滞在一日目、サウンドチェック

シンガポールは3度目である。

一度目は85年に爆風スランプのアジアツアー。
と言っても当時の爆風スランプは、
その後に続く米々クラブや聖飢魔Ⅱなど、
(当時のレコード会社曰く)お笑い系の先陣として、
「売れるか売れないかわからんが、
とりあえず面白いのでレコード出してみよう。
あ、そこそこ売れたなあ、じゃあ本格的に次のバンド売ってみよう。
何?アジアツアー?
じゃあとりあえず爆風にやらせてみよう。
うまくいったら後に続くバンドで本格的に・・・
何?失敗した?
じゃあ後のバンドはもっと大事に育てよう」
とばかりいつも試験台に使われてた。

受け入れ先の現地のソニーは大赤字、
タイではパッパラー河合が、
「生水は飲むな」
と言われていたにもかかわらず、
プールで泳いでプールの水を飲んで下痢で倒れてしまい、
ヤクザがかった招へい元の呼んだ医者にモルヒネを打たれ、
いきなり元気になって今までにない爆発したステージをやったと言う伝説がある。

当時のシンガポールは入国の審査が非常に難しく、
長髪が絶対にだめだということで、
ワシはでっかいアフロヘアーをカツラにしまって入国したのを覚えている。


2回目はNHKでやってた音楽番組のクリスマス特番の収録で、
マレー系の歌手が
「ワタシ、イスラム教ナンデ、クリスマス祝エマセン」
と言い出して大変だった記憶がある。

この時は確か2泊1日ぐらいしか滞在しなかったが、
その間にディスコの生バンドに乱入して、
「Highstara」と「You Realy Got Me」を叩き、
マレー系のミュージシャンに絶賛された記憶がある。

あと、U-Tubeを検索してたらこんなのがHitしたので、

どの国行ってもそうなので、
きっとJazzクラブにも乱入してドラムを叩いていたのじゃろう。
確かマーライオンの近くのJazzクラブだったと思う。

そして今回はそのマーライオンの近くの高級ホテルに滞在している。

SingaporeMarLion.JPG
(ホテルから見た光景。真ん中の下の方で水を噴出しているのがマーライオン)

高級ホテル街なので周りには何もなし。
とりあえず探索は明日にすることにして、
会場に入ってサウンドチェック。

SingaporeSoundcheck.JPG

手前はキーボード兼ギターの家豪くん。
後ろに3台ドラムが並んでいるのは、
右奥がWingバンドであるワシが叩くドラム、
左がPaulバンドのドラマーが叩くドラム。

そして真ん中が一番オイシイ時にWing本人が叩くドラムである。

SingaporeWingDruming.JPG

これは中国人じゃないと説明するのが難しいが、
Beyondと言うと、中国語(広東語じゃが)で初めてオリジナルのロックをやったバンド。
つまり「中国のビートルズ」みたいなもんである。
つまりWingというとリンゴスターみたいなもんである。

今は歌を歌っているが、やっぱりファンは彼のドラムを聞きたいもの。
やっぱ「歴史」やからね。

ワシはいつも思うのよ。
ワシ・・・一生懸命ドラム叩くよね。
そいで彼の衣装替えでドラムソロするよね。
そりゃもう一生懸命叩くわけよ。

客もいつもそりゃ盛り上がるよ。
「こいつは凄い!!人間か?!!」
とか言われるよ。

でもね、その後にワシはバスドラを踏んで、
それに乗ってWingがドラム台に乗ってドラム叩きながら下からせり上がって来る。
ドラムソロ(と言うよりサウンドチェックのような)、

ドンドンドン!バンバンバン!!

これで観客はいつも狂喜乱舞、興奮のるつぼ。
ここがコンサートの一番盛り上がるポイントなのである。

ワシ・・・1時間以上何頑張ってたん?・・・

と思うぐらいその熱狂は凄まじい。
これぞ「スタープレイヤー」、
スーパースターのあるべき姿なのであるが、
ワシはひそかにこう思うのよ。

ドラムはやっぱ顔やな・・・って・・・。

片やこれ・・・
WingConcert.jpg

片やこれ・・・
Tanuki.JPG

これは「同じドラマー」と言うよりも、
むしろ「同じ生物」ではないと言えよう。

うむ・・・でもいいのじゃ。
仲良しやし・・・

そんな問題じゃないか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:23:46

いざシンガポールへ!!

朝8時半にBeyond Band Roomに集合し、
機材を積み込んで空港へ。

あまりの機材の多さに空港でもめるバンドメンバー。
これ、ツアーのお決まりの出来事である。

SingaporeKizaiMomeru.JPG

手前はWingバンドのメンバー、
奥で荷物を預けているのがPaulバンドのメンバー、
ちなみにメンバー達は機材と一緒に空港に来たが、
スター達はそれぞれ手荷物でやって来る。

空港で待ち構えてたファンに写真をせがまれるWing。

SingapreWingPhoto.JPG

ファンにサインをねだられるPaul。

SingaprePaulSign.JPG

そしてこのファンがみんなで同じ飛行機に乗る。
「シンガポールまで追っかけするんかい!」
Beyondのファンのパワーには恐れ入る。

この日は移動日で何もないので、
そのまま屋台で乾杯!!

SingaporeKanpai.JPG

右側のテーブルがPaulバンドのメンバー。
こいつらがまた・・・飲むのよ・・・。

シンガポールまで来て中華の屋台で香港人と酒を飲んでると、
こりゃまだ全然シンガポールに来た実感なし!!

探索は次の日ということにしてとりあえず酔いつぶれるのじゃ!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:20

2008年11月05日

香港である

Wingのシンガポールツアーのため香港にやって来た。
ここで3日間リハーサルをしてからシンガポールに旅立つ。

旨いものが多いのよ、香港は・・・

HongKongYatai.JPG

地元の人と一緒だと滅多に食べた事のない物が食べられる。
世界各地に友達を作っておくべきである。

Posted by ファンキー末吉 at:13:29

2008年10月09日

マレーシアドタキャン

伊達弦というパーカッショニストがいる。
彼が友人のミュージシャンに電話をかけた時の話。

「伊達弦ですが・・・」
奥さんが出たので丁重に自分の名を名乗る。
ところが電話口では奥さんが凍って固まってしまってる様子・・・

「もしもし・・・伊達弦ですが・・・ダ、テ、ゲ、ン!」
丁寧に自分の名前を連呼する伊達弦。
やっと我に帰った奥さん、旦那を呼びに行く。

「あんた!あんた!・・・大変やでぇ!!ドタキャンやて!!」

旦那が慌てて飛び出してくる。
「そりゃ大変や!・・・んで?・・・どのイベントがドタキャンになったんや?」

「さあ・・・」

「そいで一体誰からの電話なんや?」

「さあ・・・」


というわけで、伊達弦の話は置いといて、
ワシの今の心境はまさにこの奥さんの心境である。

出発予定日が近づいているのに
マレーシア側からフライトのインフォメーションが来んので、
香港側にメールで問い合わせたらこんな返事が来た。

「マレーシアツアーは延期あるよ。
私たちも行きませんのでファンキーさんも行かないよろし」

今日び、中国社会でもちゃんと契約を取り交わしてからスケジュールを押えるので、
数日前にドタキャンなんて・・・

まあ出発予定日である今日、
ワシが日本でのんびりブログなんぞを更新しているんだから、
やはりこれは伊達弦ではなくドタキャンなのであろう・・・

せっかくこの「日本代表Tシャツ」でドラムを叩こうと思ってたのに・・・

NipponDaihyou.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:09:50

2008年10月02日

こんなこともあるもんじゃ

香港から大阪戻りのチケットを渡された。

当初の予定は
とりあえず関空から高知に行くか、
もしくは実家に帰ってる嫁と合流して新幹線で帰ろうと思っていたのじゃが、
予定が変わって東京戻りにしてくれと言ってたのが
チケットが変更不可キャンセル不可なのでということで
「ほなまあええわ」
とばかりそのチケットを持って香港空港へ。

ワシは飛行にに乗る前はとりあえずビールを飲む。
これが「乗ってすぐ熟睡」の秘訣である。

それぞれの空港にもいつも行く店が既に決まってあり、
成田、関空では鮨屋、
北京第二ターミナルでは世界食堂、
第三ターミナルでは韓国食堂(の後隣のバー)。

香港空港はちょっと様変わりしていて、
ふと見ると「元気寿司」という回転寿司チェーンが・・・

全中国ツアーで「濃い」ものばっかり食ってたので、
ついつい寿司につられて入ってしまった。

さっそくビールを注文すると、
「うちビール置いてないあるよ」
と広東語訛りの中国語で言われて激怒!

「ビールを飲まずに寿司が食えるか!!!」

しかし周りを見ればOL達がおとなしくお茶で回転寿司。
そうじゃった、このチェーンは客の回転をよくするために
アルコール類を置いてなかったのじゃ・・・

寿司をぶっちしてもうチェックインしようかとも思ったが、
やっぱ寿司の誘惑に負けてポリシーを曲げ、
お茶に寿司という情けない状態(ワシにとっては)と相成った。

悪いことは続く。
香港人の考えた奇妙な創作寿司を食いながらはっと思いだした。

「ワシは車で成田に行ってたのじゃ!!」

車は成田の駐車場に停めているので、
関空で降り立ってもまたどうしても成田まで行かねばならない。

すっかり元気をなくして「元気寿司」を出てチェックイン。
ビールを飲んでないので機内で熟睡できるかどうか不安。
熟睡できずに3時間半のフライトは辛いのじゃ・・・
ワシ・・・もう移動飽きたのじゃ・・・

何やらパチパチと端末を操作していた受付のお姉ちゃん、
顔を上げたと思ったら広東語訛りの中国語でひとこと。

「あいやー、お客さん、今日エコノミー満席あるね」

イラン航空やパキスタン航空ではオーバーブッキングで乗れないこともあるが、
ANAで、しかも香港発行の行きのチケットでオーバーブッキング?・・・

それでもニコニコしながらボーディングパスを手渡すお姉ちゃん。
ふと見るとこれは・・・ビジネスクラス・・・

ワシも一番金があった頃は無茶をしていた。
ラーメンが食べたいといきなり香港に行こうと、
パスポート持って成田に行き、
その場でファーストクラスのチケットをノーマル料金で購入して日帰りしたり、
まあそんな生活をしてたら次の年に税金を払えずに借金をするのは当然である。

今では少なくて月に数回、
多ければ10回以上飛行機に乗ってるワシは、
もうここ数年エコノミーしか乗ったことはないのじゃ。

ビジネスとエコノミーはまず椅子が違う。
しかしそれより一番違うのは「飯」と「酒」である。

その証拠に食事が始まるとエコノミー席との間のカーテンを閉めてしまうじゃろう。
これは「ブタのエサ」を食らう貧乏人にビジネスクラスの食事を見させないためである。

よし!今日は乗る前にビールを飲まなくてよい。
ビジネスクラスにはおいしい酒がこじゃんと置いてあるのじゃ。
しかも飲み放題で全部タダ!!

見よ、この食事!!

BusinessClassMeal.jpg

梅酒から始まり、ビール、ワインと移行したところで写真をウェイトレスさん、
もとい、スチュワーデスさんに撮ってもらった。

日本酒、ブランデー、ジントニックまでいった頃に着陸。
このまま成田に行ってたらきっと飲酒運転でつかまっていたじゃろう。

大村亭で一泊して伊丹空港から成田に飛び、
何とか八王子まで帰って来た。

サンプラザ中野のライブリハが始まる。

Posted by ファンキー末吉 at:08:28

2007年07月04日

香港返還記念ポップロックフェスティバル

PopRockFestexivalPoster.jpg

LAからの帰りの飛行機は10時間もかかる。

この短い期間に北京からチベット行って、
帰って来てから東京に行って、
そしてLAを往復したワシの腰はもうイってしまってた。

そのまま香港なのだから成田にホテルでもとればよかったのだが、
実はその香港の準備どころか、
その後すぐに高知に飛ぶ準備も全然してなかったので、
仕方ないのでファンキー荘まで荷物を取りに帰るハメとなる。

ファンキー荘が浅草に引っ越してくれて、
成田に行くのも羽田に行くのも近くなって便利なのじゃが、
成田からの京成線たかだか1時間が、
腰がイっているので座っているのが辛い。
席が空いているのにわざわざ立って帰った。
この方が楽なほどである。

時差ボケのため帰ったらすぐばたんQ(死語)、、
起きたらすぐまた成田へ向かう。
腰がマジでもうあかん・・・


香港の空港に着いたら数百人のファンが出迎えてくれてたので、
満面の笑顔で手を振ったら無視された。
どうも日本からw-indsとか言うグループが来るらしく、
全てはそのファンであった。

会場にそのまま直行してサウンドチェック。
そこでポスターを見て初めて知る。
w-indsってこのイベントに一緒に出るのね・・・

どうせw-indsのファンはワシのことには興味がないだろうから、
(当たり前である)
そのままリハーサルスタジオに直行、その日は寝る。


翌日は朝から会場で
出演者全員参加のセッションのリハをする。

その後、恒例のお祈りである。

BaiBai.jpg

思うにこれは道教から来ている習慣ではないかと思うのじゃが、
最近では香港や中国の南方でのコンサートのみならず、
北京等大陸全体に流行してしまっている。

日本でもそのうち流行るかも?・・・
(んなわけないか・・・)

リハが終わると、
歌手達は主催者が用意してくれたホテルで休憩。
行くとこがないのでWingについてゆくと、
なんと超高級ホテルのスウィートルーム・・・

DelluxHotel.jpg

時差ボケのワシはここで4時間も惰眠をむさぼってしまった。

目が覚めたら大雨。
フェスティバルはどうなってしまったのかと心配しながら会場へ。

ちなみにワシは自分では晴れ男だと思っていたのだが、
XYZと言うバンドはいつも雨が降る。
橘高や二井原を責めてみると、
彼らもそれぞれのバンドでは雨が降ったことはないらしい。

Wingが晴れ男なのか、
やはり橘高か二井原が雨男でワシが晴れ男だったのか、
幸運にもワシらの出番の時には雨が上がった。

しかし先ほどの大雨のためにスケジュールは大幅に遅れている。

イベントには関係なく、8時には街の各所で花火が打ち上げられる。
Wingの出番はこの一番オイシイ時間帯で、
ちょうどその出番を終えて、
それまでの出演者を舞台に上げて
セッションが始まった時に花火が上がるようにプログラムされていた。

しかしそれも無事にイベントがオンタイムに進行していたらの話である。
すでに1時間押し。
前の出演者が曲をカットしながら一生懸命巻こうとしているのじゃが、
そうはうまくはいかないのがイベントと言うもんである。

30分押しのままWingの出番となった。
「君の豊富なキャリアで何とかしてくれ」
と舞台監督はWingに全てを託したが、
そう言われてもキャリアで時間を止めることも出来ず、
とりあえず曲を2曲Cutし、MCをほとんど喋らないことにして、
運を天に任せてプログラムをスタートさせる。

最後の曲のドラムソロになった時、
舞台監督はかまわずに出演者をステージに上げた。
Wingの目くばせを受けて、
ワシはその曲の後半部分を全てCutし、
全員参加のセッション曲のドラムのイントロを叩き始めた。

全員でそのセッション曲を歌い終えた時に時間となり、
花火が街中で打ち上げられ始めた。

オンタイム!
大成功である。

FireWorks.jpg

イベントはまだまだ続くが、
ワシらはまた高級ホテルに戻ってシャワーを浴び、
イベント会場には戻らずに飲みに行った。
おりしもまた雨が降り始めた。
そろそろw-indsの出番ではないのか・・・

わざわざ日本からやって来て中止にでもなったら、
彼らにとってもファンにとっても可哀想なことこの上ないが、
いくらワシでもWingでも、
天候までは何ともすることが出来ない。

願わくば彼らが晴れ男であることである。
頑張れw-inds!

・・・と言っても最後までこのグループがどんなグループなのかわからないまま香港を後にした。

Posted by ファンキー末吉 at:09:22

2007年02月10日

一夜明ければ香港

朝まで極寒の中石炭を焚いてたと思ったら、着いたとたんにこちらの人はみんな半袖である。

飛行機の中で既に厚手のパーカーは脱ぎ捨てていたが、入国手続きで並んでいる時にたまらず2枚穿いていたジャージと、同じく2枚穿いていた厚手の靴下を脱ぎ捨てる。
空港エキスプレスに乗る頃にはそれでも暑くてたまらないので服の下に着込んでいる厚手のモモヒキを脱ぎ捨ててしまいたいのじゃが、そうしたらいきなりパンツいっちょになってしまうので汗だくのまま列車に乗ったら今度は冷房で寒いぐらいである。

香港は屋内と屋外の温度差が激しく、いつもこれで体調を崩してしまう。
Wingがいつも宿舎として用意してくれるマンションに着いて、とりあえず自動的にONになるクーラーを全部止めて窓を開ける。
蒸し暑い方が寒くて風邪を引くよりマシである。

リハ会場までは毎度の通り自力で地下鉄に乗る。
服装はジャージとTシャツ、しかし革ジャンも手放せない。
駅に着く頃にはじっとりと汗ばんだ体が、地下鉄に乗った途端に急激に冷やされるからである。

乗り換えの度に革ジャンを着たり脱いだりしながらやっとリハ会場に着いた。
ここも冷房がんがんであるが、ドラムを叩けばちょうどいい。

Wingのレパートリーはロックナンバーが多いのでやってて気持ちがいい。
歌手のバックなどではハイハットを開いたままシャンシャン叩いたり、ライドシンバルのふちをガシャガシャ叩くのは気がひけるが、
このバンドではどれだけ馬鹿でかい音で叩こうが、そうしたら他の楽器もアンプのボリュームを上げ、ボーカルが自分の声が聞こえなくても文句を言わない。

これがロックである。
久しぶりにいい汗かいた。

フルオーケストラと競演して指揮者の振り下ろすタイミングにどうしても合わすことが出来ずに流す冷や汗とは全然違う。

リハ終わりに飲むビールも旨い!!

BeerWithWingBand.jpg

ずーっとこじれている風邪が治ることうけおいである!!

Posted by ファンキー末吉 at:21:08

2001年09月18日

サルサの本場、キューバでも・・・

さて先日コンガで出演したテレビ番組の反響がすこぶるよかったらしい。
おかげでコンガの仕事が増えて手が痛い!

今日いきなりS氏から電話が来た。
「ファンキーさん20日はまだこっちにいる?ちょっと出張だよ。
常州まで行ってくれる?」
常州って一体どこなんや!っつう話だが、
何か次は地方出しで同じことをやってくれと言うことらしい。
中央電視台も太っ腹である。

あんまし評判になると日本人であることがバレて大変なので困るんですけど・・・


この曲はウィグル族の民謡を完全にサルサのリズムにアレンジされていて、
陳琳(ChenLin)のアルバム収録曲ではなく純粋にテレビのためだと言うので、
まあ予算ももったいないので全部自分ひとりで録音した。
まあ早い話、ひとりオルケスタ・デ・ラ・ルスみたいなもんである。
パーカッションをかぶせながら、
伊達弦やら寺内やら、みんなの顔を思い出してた。
手が痛い!

中国人がこの本格的なサルサに対してどうリズムをとるのか興味津々だったが、
先日の会場での大盛り上がりの観客は、
2-3のサルサのリズムなど無視して、みんな頭打ちの手拍子だった。
ちょっと揉み手も入ってたりして・・・

ま、いいのよ。楽しんでもらえばそれで・・・


デラルスもラテン諸国ではいろんな笑い話があったようで、
いつも飲み会ではそんな話で大盛り上がりするのだが、
日本の女の子ラテンサルサバンド、CHICA BOOMもそうだったらしい。

コンガ奏者のMIKIからMailが来た。


>  お久しぶり!MIKIでーす!
> メルマガ毎回楽しみにしてます。

> No47を読んで、
> CHICA BOOMがキューバのTVに出た時と同じだ!と思って笑えました。
> 私達も日本の料理を紹介してくれと言われて
> 「それじゃ鳥の照り焼き丼でも作りますか」
> と話しがまとまり、局の人につれられて数人が買い出しへ行ったのね。
> 外国人用のスーパーでは品数も豊富でほとんどのものは手に入るんだけど、
> 出演者の分も含め量がいるだろうと思い、
> たくさん買い込んでレジに並ぶと、スタッフが払う気配無し。
> もしや自前?と聞いてみると「そうだ」と涼しい顔。
> こっちも旅の途中だって言うのに、自前なんてとんでもない!
> 焦って食品をもとに戻して最小限の量を買いました。

> 出演当日は控え室があるでもなく、台本を配られるでもなく、
> 7時に始まるらしいということしか分からず、取り合えずリハーサルを終える。
> ゴールデン・タイムにほとんどのキューバ人が見ている
> ということは事前に聞いてたんだけど、
>最初に一曲演奏してリーダーとボンゴ
> (当時のキューバ大使館員で何故かうちのバンドに入ってた)
> の子が通訳となって5,6分のインタビューが終わると、
> メンバーはどこにいていいのかも分からず、
> 取り合えずスタジオの一画にある流し台周辺に立ちんぼ。
> この間誰からも説明は受けず。

> 「一時間半の番組でしょ?そろそろ作んなきゃまずいんじゃない?」
> という憶測のもとで勝手に料理開始。
> 私は米とぎを担当したんだけど、
> 米袋にいろいろ何やらわからんものが混ざっているので、
> まずそれを取り除き(こんなことやるのもはじめててビックリしたけど)
>スタジオのどこからか細長いホースが流し台に引き込まれていて
> その水圧の異常に低いチョロ・チョロ水でなんとか洗いました。
> 炊飯器はあったかなあー?。
> たぶん無かった。
> 「はじめチョロチョロ」とか言いながらPANで焚いたと思う。

> 「これ、終わらなかったらどうするつもりかねー」
>とこっちが気を揉みながら、
> とにかく各自キョロキョロとスタジオの進行状況を伺いつつ、
> 料理はなんとか完了。
> 「Finito!」作れたよ、と報告するや否や、
> カメラがテーブルに並んだ数個のドンブリを映し出す。

> と同時に司会者が「まーなんておいしそう!」とか言っているうちに
> 出演者がテーブルにドッと押し寄せ、
> カメラの前に立ちはだかるのも構わず、試食し始めた。
> 我々はもはや画面の外。
> すぐ横に置いてあるモニターを見つめるしかなく、一同唖然。
> 「食糧難だもん仕方ないやね。」
> とは思いながらも、こっちも滞在3週間目に突入していて、
> 毎日同じホテルの、お世辞にもおいしいと言えない食事しか
> 食べていなかったので、
> 日本食、特に米と醤油味に飢えてるわけ。

> 全く苦労して作ったのに(しかも自費で)、
> なんとかひと口でもふた口でも食べてやろうと、
> キューバ人で塞がれたテーブルから一つのドンブリを奪い取り、
> みんなで回して食べました。

> お互いの胃袋事情がからんで、ものすごい状況。
> TVの生番組、それもキューバ中が見ているってーのに・・・。
> ほんとに笑えた。ゲラゲラ笑いながら食べた。
> もう10年も前のことだけど、面白かったわー。

> なんか我々のシステムと全く違う社会で、
> 本当に目からウロコの事件ばかり毎日起きていた。
> おかげで脳みそトロけたわ、社会復帰できなくなったもん。
> ひと月もいると「帰りたい!」と思うんだけど、また行きたくなる。
> キューバという国も中毒性のある国でした。

> BY MIKI


はい、中国もなかなか中毒性のある国です。
何かこれらの事柄に腹が立ってしまえばおしまいだけど、
それを笑い飛ばせる人がその国を好きになれるんだよね。


もう私は別に突然「今日どこそこ行ってね」とか言われても驚きません!

今日は午後からレコーディングだからと言うので朝からスタジオ来てたら、
昼間は別のレコーディングが入ってて、
結局夕方まで待たねばならないのも腹が立ちません!

仕事が相次いで非常に大量のギャラを稼いだはずなのに、
いつの間にか自分のパソコンとかレコーディング機器をここに買い揃えていて、
「いやーファンキーさん、
自分のスタジオが北京に出来たねえ、よかったねえ・・・」
とおだてられながら実は
結局そのギャラから天引きされることになってても腹が立ちません!

それが実は事務所の端っこに置かれたデスクと、
その裏のホコリだらけの配電室であっても気にしません!

ここで毎日詰めながら、
実はこの会社のいろんなことをタダでやらされるハメになっても気にしません!


メシ食わせてくれるからねえ・・・
ビールは大瓶でも30円ぐらいやし・・・
これには勝てませんわ!


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:16:30

2001年04月04日

香川県の双子ユニットをデビューさせた。

ところでワシはヒマである。
二井原がオリジナルラウドネスの復活、
そして今はMetalizationの英語版のレコーディング。
ワシと言えばはおふくろを麻布十番温泉に連れて来て、
その帰りにひとりでスタバに寄ってこれを書いている。

最近はデータベースソフト、Access2000のプログラマーとして、
事務所のイベント管理データベースから、
XYZレコードのリリース管理データベースから、
ファンクラブのから会計から、
そりゃそりゃもういろいろ構築した。
ワシがOLやったら間違いなく高給取りである。

こんなことやってたら音楽からどんどん離れ、
ストレスが溜まるかと思ったら実は逆で、
これがワシのリフレッシュ法なのかも知れない。
何せ小さい頃の夢は
数学の先生かコンピューター技師になることだったんやから・・・



現在は出版業務のデータベースを構築中。
XYZレコードが和佐田プロデュースとかでもどんどんアイテムを出すので、
管理楽曲もすでに30曲を超えている。
メガヒットがあるはずもないので、
労力に報われんほどの収入のために人が働くのもアホらしい。
データベースさえ構築すれば、
まずそれを開けば
どの楽曲に関する作品届、そして契約書、分配等が滞ってるか、
そしてJASRACから送られた書類をアホみたいにそのまま入力しさえすれば、
分配金から明細書までが打ち出せる夢のようなデータベースである。

もう構築に半月以上費やしている。
風呂に入ってても、道を歩いてても、
考えることはプログラムのことばかりである。
もはや頭の中はこのVBAと言うプログラム言語でモノが考えられている
と言っても過言ではあるまい。

先ほども麻布十番温泉に入りながら考えていたら電話が鳴った。
「もしもし・・・ピアノの進藤ですが・・・」
「おう、進藤くん。この前はお疲れさん」
「あのー、五星旗の2ndに入っている私の曲なんですが・・・」
「ああ、オリエンタル・フライトね」
「まだ契約書とかにサインした記憶がないんで電話したんですが・・・」
げっ・・・・
半年も前のアルバムの楽曲を、まだJASRACに登録してなかった・・・

データベース構築する前に、業務をちゃんとやっとけよってな話である。



さてこうして小さいながらレコード会社なんぞをやってたら、
知り合いから「レコード出してくれませんか」と言う話はごまんと来る。
めんどくさいのでよっぽど関係が深いところとか、
酒飲んで無理やりウンと言わされないかぎりやりたくないのだが、
そんな中でも和佐田プロデュースの
「アコースティック・パワーin関西」
と言う弾語りのオムニバスは初日に160枚とかのバックが来た。
三井はんと大村はんの売上枚数を初日に追い抜いたのである。
(何と言う低レベルの戦いなことか・・・)
まあ低レベルなら低レベルで、
会社として赤は出ずにいい音楽聞いて旨い酒でも飲めればそれでいいのだが、
先日その発売記念ライブを見に行ったのだが、
その中でも特に小竹っつう奴の歌は鳥肌もんやね・・・
こんな奴がまだ埋もれてたんかと思うとこれが非常に酒が進んだ。
日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

聞けば小竹には双子の弟がいて、
一緒にバンブーブラザースと言うバンドもやっているらしい。
見てみたいもんだ。

最近双子に縁がある。
先日も鬼太鼓座の看板スターだった井上兄弟の新ユニット
「阿吽(あうん)」のレコーディングに行って来た。
篠笛と和太鼓とハードロックドラムの競演である。
他にもTMスティーブンスがプロデュースした、
阿吽三味線ハードロックバージョンなどもあってなかなか楽しい。

そして今度ROCOCOと言う香川県の双子のユニットをデビューさせる。
先日高松に歌入れに行って来た。
オケは東京、歌は高松など、
中国やタイでレコーディングしている私には屁の河童(死語)である。
片っ端から歌を入れて、そのデータを東京に送りつける。
もう今や全世界どこでいても仕事は出来るのである。

今回は夜総会バンドの時にコンビを組んでた
作詞の田久保さんと久しぶりにコンビを復活した。
サンプラザ中野に次ぐ私の半身のような存在である。
(下半身やったらイヤやなあ・・・)
何か痒いところに手が届くような感触でレコーディングを進めてゆくうちに、
だんだんとこのROCOCOにハマってゆく自分を感じた。
歌データを聞いた田久保さんも「これは凄いわ・・・」と感心している。
何が凄いんだろう・・・

データを整理しながら考えた。
「双子だから凄い」のである。
ザ・ピーナッツを研究して、
意外とハーモニーよりもユニゾンが多いことを発見!
コーラスラインをどんどんとユニゾンに変えてレコーディングをしていったのだが、
同時に歌うふたりの音のずれ方・・・
つまり人間なんだから絶対にぴったり同じ音程にならないのだが、
基本的に同じ声帯を持っているんだから同じ声なのに、
それが人生が違うから歌い方が微妙に違ってたり、
そんなのがお互いの出方を探りながら、
絡まりあうように音程が瞬時に落ち着くのである。
これぞ双子の醍醐味・・・

二井原なども自分の声を2度重ねたりするが、
その場合は同じ声が同じ歌い方で
前のテイクを聞きながら同じように重ねてゆく。

通常のデュエットの場合は、
違う声のふたりがお互いを探りながら絡まり合う。
ところが双子は同じ声なのに違う人間なのである。

モスラと言う映画に、ザ・ピーナッツ演じる双子の妖精が出て来るが、
双子と言うのはその妖精のように、
人間ではなく、小動物に近いのではあるまいか・・・

Puffyのふたりも区別出来ないワシは、
もちろんROCOCOのふたりを区別することは不可能だが、
声のデータを聞いて、どっちが姉の愛子で、どっちが妹の奈央子かはわかる。
「よくそんなことわかりますねえ」
とエンジニアリングもしているco-producerの仮谷くんが言うが、
性格が違うから当然歌が違うのである。

田久保さんがそんな情報を受けて、
また「人間の表と裏を歌い分ける」詞をつけて来る。
「この曲に関してはね、
愛子は人間の表を表現して、奈央子はその心の裏側を表現するんだよ」
そんなディレクションをしながら、
アーティスティックなことをいろいろ考えた。

これが通常のデュエットだったら、
違う人間が別々の人間としてひとりの人間の表と裏を歌い分けるのであるが、
双子の場合は、限りなく同じ人間として歌い分けることが出来る。
・・・深い・・・
この双子ユニット、
当分は私と田久保さんのアーティスティックな欲望の表現者となることであろう・・・



そんな話を先日アコパのライブの時に小竹にしていた。
「なあ、君ら兄弟もROCOCOと一緒にやらんか?
バンドなんかどや?
そしたら阿吽も呼んできて双子3組でなんかおもろいんちゃうん!」
「ファンキーさん、それなら7組集めて七対子(チートイツ)っつうのはどうです?」
おもろい!

よし、このメルマガの購読者に呼びかけて双子を大募集!
7組集めて・・・・
集めて・・・・
集めて・・・・

何をやろう・・・・

それより今度は三つ子を探して来て双子と組ませて
「フルハウス」っつうのはどやろ・・・

・・・とか考えつつ、うちの社長にクギを指された。
「末吉ぃ、それってネーミング以外の何が面白いとこあるの・・・」

うーむ・・・
レコード会社を持ってしまった今となっては、
出そうと思ったアイテムは何でも発売出来るのは非常に危険である。

とりあえず夏頃には双子ばかりを集めたイベント
(アメリカで以前やってて騒がれたよね)
をやろうと思う。
誰か双子おったら紹介して!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:19:00

2001年01月19日

ビジネスマンM氏とP氏のタイでの熾烈な戦い

いやータイはよかった。
何と言っても暑い!
冬だと言うのに十分プールで泳げる。

帰国して2日目の今日この頃、
相変わらず留守のために溜まりに溜まった仕事をこなして一息ついたら、
もう数時間後にはまた飛行機に乗って、
今度は極寒の地、北京。
マイナス18度と言うから気がひける。

タイにも中国人はいっぱいいて、
不自由な英語で苦労してた時、ひょんなことから中華系に出会って助かったりする。
しかし同じ民族でもこんなに違うところで住んでいるのね・・・

うちの嫁は日本で住んでる中国人だが、
来日して9年目にしてやっと国籍を変えようと言うことになった。
いわゆる帰化して日本国籍となろうと言うのである。
「だって中国のパスポート不便だもーん」
ぐらいなノリである。

韓国人等に言わせると帰化と言うのは民族の誇りを捨てた行為であるとされ、
いろいろ大きな議論に発展したりするのだが、
俺が見る限りどうも中国人にとっては国籍などどうでもいいことらしい。

今回のタイ行きは帰化申請中と言うことで嫁は海外には出れず、
結局、動脈瘤によるクモ膜下出血による瀕死の状態から奇跡的に助かった
リハビリ中の岡崎はんと一緒であった。
と言っても仕事で連れてゆくほどの復帰にはまだほど遠く、
「入院中にご心配をかけたみなさんでメシでも食ってください」
と彼のご両親から渡された数万円の現金を
俺ら「みなさん」が「ほなそうでっか」とありがたくもらうわけにもいかず、
ほなこの金でタイにでも行こや、
みんなはご家族に会ったら「ご馳走さま」言うとくんやで!
とタイ行きの切符に化けた。

数ヶ月前は「絶対に助からん!」と言われてた岡崎はんも、
今では酒飲めるぐらいまで復帰し、
ただ、左眼にちょっと麻痺が残っているのと、
基本的な体力がまだ復帰してないぐらいで、
ギターも弾けるし、無理しない程度の海外旅行も大丈夫である。

予算には限りがあるので、
世に現存する一番安いパックツアーを申し込んで、
ツインルームにふたりで投宿する。
基本的にはまだ病人の範疇なので、
「一日ひとつにしようや。どこに行きたい?何したい?」
ってな海外旅行である。

この男、ほっといたら基本的に英語等一切使わず、
主体性のないこと甚だしい。
北京ライブに行っても「姉ちゃん、お勘定、いくら?」やし、
五星旗のNYレコーディングに行ってファーストフードのステーキ屋に並んでも、
前の黒人が頼む「Combo5 Please」っつうのを見て、
「姉ちゃん、ワイも5番ちょーだい!5番ね、5!」
ってな男である。
食事は他の人が頼む物と同じ物を頼み、
ステーキの焼き方から食後のコーヒーまで同じである。

俺はタイプロジェクトのコンベンションライブのために来ているので
基本的にはいつも岡崎はんをほったらかして先に出かける。
だいたい格安のパックツアーと言うのはホテルと飛行機から格安になり、
ホテルなど繁華街から程遠い不便なところになってしまう。
電話やFax等でやりとりしながら自力で会場まで来させようとするのだが、
まあこんな男なんで仕方がないと
リハから本番の間にタクシーでピックアップに行ったりする。

毎日それも大変なので、
繁華街に一番近いホテルのホテルカードを入手して、
「タクシーに乗ってこれ見せたら何も言わんでも連れて来てくれるから」
と準備万端にしていても、携帯が鳴って
「地図がどっか行ってもうたにゃわ・・・」
と来る。
しゃーないからまた往復1時間以上かけてタクシーでピックアップに行く。
「老人介護みたいなもんやなあ・・・」
とは自他共に認める俺の感想である。

さて極寒の地に数時間後には降り立つ俺が
常夏のタイを懐かしんでお送りする今日のお題。

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M氏がアジアに戻ってきた・・・

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さて、今回のマスコミ・コンベンション。
M国のPレコード会社の社長だったM氏も招待されていた。
東南アジアに行けばどの国にも彼がいて、
今は惜しまれつつ日本に帰ってしまったが、
ある時は音楽ビジネスを、
またある時はカバンの輸入、
そしてある時はGショックの並行輸入をしていた。
ある日など成田空港でばったり遭遇し、
「何やってんですか?」
と聞いたら、何と当時入手困難だったワールドカップのチケットを手に握り締めて
「いやー、人に頼まれまして香港経由でやっと入手したんですよ」
と頭を掻いていた。
この人はきっと数人分身がいて、
アジア各国でいろんなことを同時に分身たちが動いているに違いない。

さて、そんなM氏が立ち上げてくれたこのタイプロジェクトだが、
その後こうして正式にレコードがリリースされ、
このコンベンションライブでは
「一般招待客は別にして、取材人が80人来たらまあ大成功でしょう」
と言うことで100枚しか用意してなかった取材人用のパンフレットも足りなくなるほどの盛況ぶり。
その結果もあってチャートにも初登場17位と言う上々な滑り出しであった。

基本的にレコード会社の社長と言うのは音楽畑出身な人が多いが、
ことM氏は商社マン出身と言うことで発想もどこか全然違う。
「ファンキーさん、せっかくタイに行くんですから、
今度のオリジナルメンバーで再結成したラウドネスの東南アジアでのライセンス、
これ今回タイで決めて来ましょうよ。XYZのアジア進出にも有効でしょ」
と来る。

まあXYZの東南アジアライセンスも彼がアテンドしてるので仕事と言えば仕事なのだが、
今やM国のP社の社長ではない日本に帰っている彼には基本的に全然メリットはない。
まあそう言う金にもならない布石が商売なんだと言えばそれまでだが、
今回はそのルーツを垣間見るような出来事に遭遇した。



爆風スランプが所属していたSONYレコードはタイにもあり、
そこの社長のピーターガンと言う人間は知る人ぞ知るアグレッシブな人間である。
爆風でも2度ほど彼にお世話になったことがある。

SONYのタイタニックのCDは世界的なベストセラーであるが、
タイSONYだけで20万枚と他国を圧倒している。
裏を返せば、これは単価の安いタイでの製品を、
彼は平気な顔をして他国に流していると言うことでもある。
SONYと言う会社は
「どこが打ってもグループの売上やないかい」
と言う考え方を持っているのでお咎めなしだが、
他社だとこれは大問題だとM氏は言う。

そう言えば北京にはSONY(ハードの方)の営業所があるが、
合弁法の厳しいこの国において、
この営業所は外貨を持ち帰ってはご法度なので、
ひたすら自社製品のメンテ等ケアーをしていると言う。

またここでおかしいことが、
関税が200%とか300%のこの国で、
SONYの製品が日本と同じ値段で売られていることである。

これは北京Jazz屋発足の時期に
カクテルの原料となる酒の入手方法を調べた時の情報であるが、
基本的に官僚等コネのある人間が、
香港経由で大々的に密輸している場合が多いと言う話である。

そこで北京の現地のSONYの人曰く、
「どこからどのようなルートで入ってきているのかは別として、
どうであれうちの製品がここで売られているのは事実なんですから、
これをメンテしてお客さんにちゃんと使ってもらえることが総合的な私達の利益です」
と言うのである。

この考え方がM氏と非常に似ていると言うか、
杓子定規な他の日本企業とは大きく違うところである。



さてそんなM氏とピーターガンが遭遇した。
「いやー、電話では何度もやりとりしたけど会うのは初めてだねえ」
から始まって、お互い矢のような英語のやりとりである。
俺はと言えば最初に
「いつぞやはお世話になりました。爆風のドラムです。今タイ人のプロデュースやってます」
と挨拶し、
「いやー、久しぶり!覚えてるよ。あの頃は一生懸命プロモーションしたけど残念だったねえ」
と笑顔で迎えられた以後はずーっと蚊帳の外である。

ふたりの英語のレベルは俺には表面しかわからないが、
M氏は日本から頼まれた某有名バンドの映像原盤を小脇に抱え、
あげくの果てにそのバンドのキャラクターグッズのライセンスの権利まで決めている。
後で聞いた話だが、
「Mさん、そのキャラクターの話まで依頼されてたんですねえ」
と聞いたら、
「いや、全然!ありゃブラフですよ。
だって日本側にとったって金銭になるし、何より先方が一番喜ぶ話じゃないですか。
それを最初にぶちかましておかないと商談は成り立ちませんよ」
と来る。

こんなふたりのやりとりをしばしぼーっと聞いてた俺だが、
とにもかくにも生き生きと話すふたりを見て、
俺らミュージシャンがステージでしか生きれないのと同じだと感じていた。
こんな話をしてる時が、彼らビジネスマンにとって一番至福の時間であって、
これは金のためではなく、
最終的には金にはなるのであるが、とにかくこの瞬間のために彼らは生きているのである。
俺らミュージシャンが、
「俺はプロやから金は取るでぇ」
と言いながら実は音楽やってる時には金のためにはやってないのと似ている。
事実この話は決まってもM氏には1銭も落ちない。
金にもならないのに日々Jamセッションやってる俺のようなもんである。

それにしても話も早いが英語も速い。
俺にはもう表面を聞き取るだけで精一杯である。
ぼーっとして聞いていたらいきなりピーターガンがこっちを向いた。
「んで?なんでタイ人のプロデュースやってんの?その話を聞かせてもらおうか」
と来る。
このペースで英語など喋れるわけもない俺が困るより先に、
M氏がすかさず俺の隣に座りなおし、
「いやー、ファンキーと言えばねえ・・・」
から始まって一連のなれ初めから現状、そしていかに俺がお買い得かを説明する。

またピーターガンとてそんな人間である。
「そうか、んで?値段はいくらだ?」
「ね、値段ですか?・・・」
音も聞かずにいきなりまず値段なのであるが、
タイでやってる仕事のやり方をとりあえず日本語で説明してM氏に訳してもらう。



日本人がアジアで音楽活動がやりにくい原因のひとつに、
そのシステムが国によって全然違うと言うところがある。
日本人はとかく自分のシステムを壊すことが怖いと思うらしく、
自分のやり方で何とか相手に合わせてもらうように無意識のうちにしているらしい。

俺はと言えばどちらかと言うと中国的と言うか、
逆に自分がイヤと言うほど中国人からやられているので、それを人にやっているところがある。
基本的に楽曲は買い取りでも印税でもなく、アドバンスをもらった上での印税制。
中国人がよく使う、権利も持ちつつ現金も手に入れる方法である。
こんな日本人はきっといないだろう。

またこのタイプロジェクトの場合、支払いもアドバンスはキャッシュで日本円だが、
印税は現地のお金でもらうことにしている。
何故かと言うと為替レートが高くてもったいないからである。
日本円で振り込んでもらったとしたら20%の為替手数料がかかる。
例えば100万円の入金があったとすると、
手数料で20万円取られてしまうのである。
20万あればその国まで往復できんか?
おまけに美味いもん食って、美味い酒飲んで、
ついでに現地でまた新しいチャンスに出会えるやないの。

そんなこんなでタイでは自分の口座を開設している。
ピーターガンがどんな方式を提示しようと俺は全て受け入れられるのである。

これだと話が早い。
あとは「やるかやらんか」だけである。
「よし、じゃあ日本円で値段を決めたらレートの変動でめんどくさくなるのでバーツで決めよう。
1曲○○バーツ。あと印税は○○パーセント。これでいいね!」
ピーターガンのまくし立てに目を白黒させてるうちにM氏が話をまとめる。
「じゃあ月曜日の朝までに資料楽曲を届けさせます。
いやー、今日はお会いできてほんとによかった・・・」
ぼーっとしている俺を尻目にふたりは興奮しながら英語でシメに入っていた。



俺はそのままホテルに帰り、
リリースしたばかりのタイプロジェクトのCDをパソコンに取り込み、
ストックしてある楽曲のMIDIやMP3データを変換してCD-Rに焼き付ける。
この作業、楽に二日がかりである。

その間、岡崎はんは傍らでぼーっとしている。

老人介護の俺としては一応気を使ってみる
「腹減った?何か買うて来てビールでも飲むか?」
傍ら仕事をしながらタイ料理を頬張りながらビールを飲む。
焼き付けの待ち時間にはJazzがかかり、いつものようにアホな話に花が咲く。
「これって新大久保のあんたの家でいつもやってることと変わらんなあ」
「ほんまやなあ、どこに行ってもおんなしやなあ・・・よう言われるわぁ」
まあ料理が本場になったんと、酒の値段が数分の一になったんと、
そんぐらいやなあ・・・

かくして俺のタイでの休日はこれでつぶれた・・・
書かねばならん原稿も書かんかった・・・
ホームページの更新もまたせんかった・・・
曲など1曲も作らんかった・・・



タイプロジェクト、ひとつめが好調に滑り出し、
聞けばこちらは年に6枚リリースしなければならないと言う。
そしてSONYのプロジェクトも始まったりしたらマジでこっちに住んだ方がええでぇ。
俺が今、世界一物価の高い東京で住んでる理由って何なの?

M氏が交渉ごとの時に水を得た魚になるように、
俺らミュージシャンはライブの時がそうである。
ツアーツアーの毎日で、家になど月に何度帰るだろう。
ほな家ってなんで必要やねん!

気が付けばいつの頃からか家には俺の部屋はない。
基本的に俺の物もほとんどない。
必要な物はすべてパソコンに入っていて、
別に人が咎めなければ一年中同じ服を着ていても気にしない人間である。

「ちなみにタイって家賃いくらぐらいなの?」
現地スタッフに聞いてみた。
「そうですねえ。一等地でも日本円で5~6万出せば結構なとこ住めますよ。
メードさんも月1~2万円ぐらいで雇えますし」

俺が家族の生活のために日本に落としてる金っていったいいくらや!

タイでの生活費。
岡崎はんと飲むビール、1缶70円。
タイカレーや惣菜1食分60円。
疲れた時のフットマッサージ1時間700円。
タイ式全身マッサージ2時間900円。
庶民のバーに飲みに言って、結構酔っ払っても1000円。
シメのラーメンは60円。

同じく新大久保での俺らの生活。
岡崎はんと飲むビール、1缶200円。
100円ショップで買ってきたお惣菜でも1/3食分ぐらいで100円。
ほなサウナでも行こか、で1500円。
マッサージ30分して3500円。
和民や白木屋でヘベレゲになって2000円。
シメのラーメンで650円。

この国って一体どうなってんの?



嫁にさりげなく持ちかけて見る。
もしそうなれば俺は日本に家はいらん。
どうせツアーで渡り歩いてるやろうし、
うーむ・・・ピーターガン次第やなあ・・・

「何言ってんですか、末吉さん。
住むんだったら北京にして下さいよ。部屋用意しますよ。
カクテルバー「Jazz-ya」、日本料理屋「飯屋」、Sushiバー「Sushi屋」、焼肉店「牛屋」
に続いてライブハウスでもやりましょうよ」
北京の安田がそう言って電話してくる。

でも北京は寒いからなあ・・・

あ、もうぼちぼち荷造りをせねば・・・

ほな。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:04:00

2000年10月21日

三井はんと大村はん結成。そしてタイプロジェクトの話

三井はんと言う男がいる。
アホである。

その昔、通称TOPSマンションっつうのがあって、
和佐田を含む、TOPSと言うバンドのメンバーが池尻のマンションで合宿生活をしていた。
私やジャニーズのグッバイのメンバーなどがよく出入りをしていたのだが、
この話はとある狂乱の宴の夜のこと・・・

酔いつぶれずに残ったメンバーは私とグッバイのドラマー、えとうこういち、
そしてTOPSのボーカリスト、三井はん。
人間あまりに多量の酒を摂取し、あまりにアホなことばかりを喋っていると、
次第に特殊な脳内麻薬、アホデッシャネン(すまん!今勝手に命名した)が分泌され、
危ない薬物などやらなくてもそれに匹敵するぐらい十分ハイになるらしい。

その夜、どれぐらい飲んだかは定かではないが、
気が付いたら三井はんは素っ裸であった。
どんなアホな話をしてたかは定かではないが、
すでにみんなは危険なぐらいアホデッシャネンが分泌され、
ハイになっていて気が付いたら全員素っ裸で車座になって笑い転げていた。

笑い転げると言う表現が日本語にあるが、
人間、あまりにおもろいことがあると、本当に転げまわって笑うようだ。
何を喋っていたのか全然記憶にないが、
男ばっか全員素っ裸で酒を飲んでいると言う特殊な状況が拍車をかけ、
もう誰が何を言っても文字通り、転げまわって大笑いをしていた。

男と言うのは女と違って独特の突起物を所有しているので、
女と違っていちいち鏡等を持ち出さなくても
その突起物を自分の目で見ることは容易である。
しかしキンタマ袋の裏っかわと言うのはなかなか見る機会はない。

その夜、私は真正面に座った三井はんが笑い転げる度に、
そのキンタマ袋の裏っかわと言うのを初めて真正面に見据え、
「ああ、キンタマ袋の裏ってこうなっとんのか・・・」
とまたアホデッシャネンの分泌が促進され、
そんな特殊な状況がまた酒量に拍車をかけ、
今や誰がどんなギャグを言っても笑い転げ、
そしてまたその状況がどんな特殊な状況に変化したとしても、
誰もそれを不思議だとは思わず受け入れてしまう、
そんな夜であった・・・・

誰が言い出したのか
「よし、池尻神社にお参りに行こう!」
それを受けて
「せや、せや!お参りに行こう!」
もうお参りをしなければ話は始まらない、と言ったそんな新しい状況が生まれた。

TOPSマンションは246沿いにあり、
マンションの玄関を出て右に出て246の歩道を数軒行ったところが池尻神社である。

えいほ、えいほ・・・

全員で表に飛び出したのだが、
あまりに酔っ払っているので視界はまるで200キロで失踪するバイクのように狭く、
私は自分のすぐ前を走る三井はんの尻だけを見ながら走っていた。
表が心なしか部屋より明るいことは認識しながらも
「ヤバイ!いつの間にか朝になっとるぞ」とは誰も言わず、
246が通勤通学でいつものように大渋滞していることを認識しながらも、
すし詰めのバスの乗客が目を丸くしながら通り行く私たちを見ていることも、
歩道を歩く人々が悲鳴をあげながら道を空けている状況も全て認識しながらも、
何故か「前をゆくこの尻を見ながら走ることが俺の生きて来た証である」とも言うべき、
神の啓示にも似た確固たる使命感と共に数十メートルの歩道を駆け抜け、
そして右に折れて池尻神社の境内に入った瞬間に、
そこを掃除していた神主さんが腰を抜かすのを見た。

「その格好で入ってはいかーん!」
レレレのおじさんのような竹ぼうきを持ちながら、
両手でストップを出す神主さんを
「ええい!」
とばかり横に押しのけ、
私の目の前の尻はずいずいと境内の中に進んでゆく・・・

賽銭箱の前で鈴をならし、
大きな音で手をぽんぽんと鳴らし、
ふたり並んで何をお祈りしたかは今となってはもう定かではない。

えいほ、えいほ・・・
またその尻を見ながら帰路に着く。
神主さんはすでに呆然としているのが見え、
同じく裸なのだが、勇気がなくて神社に入れなかったえとうこういちが
鳥居の影に隠れて恥ずかしそうにしているのが見え、
神社を出て歩道を左に折れて家路につく・・・

反対側から来る通勤客がモーゼの十戒のように道を空け、
渋滞で同じ所にまだ止まっているすし詰めバスからは、
乗客が身を乗り出してこちらを見ているのが見え、
そしてTOPSマンションの窓からは
TOPSのメンバー達が身を乗り出して覗いているのが見え、
そこに胸を張って手を振りながらTOPSマンションの門をくぐった。

気分はまるで新記録を打ち立てたマラソンランナーである。
みんなに拍手喝采で迎えられ、
そして何を喋りながら何を飲んだのかはもう覚えていない。

そんな三井はんは今、
加古川に引っ込んで、好きな釣りの合間に
XYZのロゴやキャラクターグッズのデザインをしてくれている。



大村はんと言う男がいる。
ハゲである。

いつ頃からか頭にはほとんど毛はなく、
しかし本人も別にそれをコンプレックスに思うどころか、
人にウケと認識を得る武器として使っているところもあるぐらいである。
これもまたアホである。

ギターフリークで、
京都産業大学の軽音学部時代には
「京都三大ギタリスト」ならぬ「京都産大ギタリスト」と呼ばれていたらしい。
淀川っぺりの彼のマンションには無数のギターが並び、
そしてそこが関西での私の寝床となる。

ラグタイム・ギターと言うジャンルの奏法がある。
私がそれを最初に聞いたのは、上田正樹と有山じゅんしの「ぼちぼちいこか」であったが、
1本のギターで、ギターのみならず、
ドラムやベースの役割までこなしてしまう気色のよい奏法である。
チョッパーと言うベースの奏法が編み出されたのは、
実はその日の仕事にドラマーがおらず、
ベースが仕方なくドラムの役割もやったところから始まったと言うが、
ラグタイム・ギターこそこのような究極のひとり芸であろう。

察するに大村はん、やっぱり友達があまりおれへんのやと思う。
せやからこの奏法の名手になったんやなあ、きっと・・・

時には数日、合鍵を借りて大村邸にひとりで泊まることもあるが、
家の電話は鳴ったことはなく、
飲みに来る輩は全て私の知り合いばかりである。
そして私の酒の相手の合間に、好きなラグタイム・ギターをひとり爪弾いている。



そんなふたりがユニットを組んだ!
と言っても何も大仰なことでも何でもない。
ただ酒飲みながら一緒に歌ってただけである。
レコーディングしようと言うのもアホだが、発売しようと言うのはもっとアホである。

11月22日には全国のCDショップに並ぶ。
発売するのもアホなら販売するKingもアホなのであろうか・・・
そして何百枚も注文を出した全国のCDショップはもっとアホなのであろうか・・・
「おもろいやんけ」
と11月24日に特番を組むFM-COCOLOはもっとアホなのであろうか・・・
世も末、いやおもろい世の中になったと言うべきか・・・

一応XYZレコードはメジャーレーベルと言うことになるので、
当然ながらレコ倫の検閲を受けることになる。
XYZの2ndアルバムの歌詞、例えば
「○○と言う言葉はある特定の人々を蔑視している表現ではないのか」
等の議論が私どもとレコ倫理の間で喧喧囂囂と交わされているのを尻目に、
「ち○×ん」とか「○んずり」とかの放送禁止用語が何の議論もなく通ったりする。
相手にされてないと言うのが現状かも知らんが、それを受けて前述の三井はんが一言、
「時代がやっと俺たちに追いついたのう・・・」

いや、やっぱりアンタが一番アホやと俺は思う。
あの時一緒にお祈りしてたのはこのことやおまへんやろな!



と言うわけで今日のお題(長い前置きやなあ・・・)
「タイはええとこ一度はおいで」

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と言うわけで私は今タイにいる。

タイでTSUTAYA THAILANDから
女の子3人のグループのプロデュースを頼まれたことは以前のメルマガで書いたが、
その後TSUTAYA THAILANDの上層部で揉め事があり、
TSUTAYAの共同経営者であるインド人と日本人Sさんとが分裂してしまった。

まあ私にとっては別に対岸の火事なのだが、
今回はその後その女の子たちを連れて出たSさんからの依頼で、
過去の私が彼女達に提供した作品等の録り直しと、
新たにヒットチャートに送り込むための書き下ろし楽曲のレコーディングに来たと言うわけだ。

そして来て見たらどうも私の曲がヒットチャートに入っているらしい。
「ゴルフ場でとある有名な歌手を紹介された時があって、
その時彼が”あの曲だろ、知ってるよ”とファンキーさんの曲歌ってくれたんですよ」
とS氏は嬉しそうにそう言う。

中国などでもそうだったが、
自分の楽曲が、そのアルバムをレコーディングしに来た時に
すでにチャートに上っていると言うのは、
私たち日本人にとっては少し不思議な感覚である。

日本と違ってこちらは音源が発売される前にチャートに上がる。
これはこちらのチャートが売上チャートではなくラジオOAチャートだからである。
製作側はとにかく音源が出来たらラジオ局に送り、
リスナーはヒットチャートに上ってる曲を聴いて、気に入れば買いに行くし、
気に入らなければ別にお金を出してまで買いには行かない。
思えばわかり易いシステムなのではあるまいか・・・



さて今回は訪泰したその日、
S氏がいいレストランがあると言うので連れて行ってもらった。
聞けばS氏、そことも何らかの合弁契約をし、
本格的に音楽ビジネスに参入するらしい。

そこで紹介されたのはとあるアメリカ人キーボートプレイヤー。
タイに移り住んで25年、タイ人と結婚し、タイ語もペラペラであると言う。
彼と私のコラボレートを画策するS氏、
ここはひとつ面通しして末吉にもここを見ておいてもらおうと言うことらしい。

客席が1000席以上もあるどでかいスペースに、
申し分ないPA設備とどでかいステージがあり、日本で言うとまるで
川崎クラブチッタか赤坂ブリッツがそのまま全部レストランになったようなもんである。

本場のタイ料理に舌鼓を打ちながら、
ウリであると言う生ビールを流し込む。
美味い!
アンプラグドのオープニングアクトの後にショーが始まる。
映像をも駆使したなかなか凝ったショーである。
タイの民族楽器を多用してそれにオリジナル楽曲等をからめたり、
今タイで流行っているムーランの映像にシンクロして、
そのテーマや劇中歌をタイ語で歌ったり、
音楽性は極めて高度で、これらの物をうまく昇華させ、
喜太郎やパットメセニーの域まで持っていってるように思えた。

中でも凄いと思ったのは終盤で出てきたルークトゥンの歌手である。
ルークトゥンとはタイの田舎歌謡とでも訳そうか・・・
日本で言うと演歌とか民謡とかナツメロとか、
そんないわゆるイナタイ旋律が小気味のいいルンバのリズムに乗せて歌われる。
それまで洋楽やタイチャートのヒット曲を歌っていたショーを見ながら、
上品に高級な料理とショーを楽しんでた1000人以上の客が、
その歌いだしと同時に一斉に狂喜乱舞する。
テーブルから離れて踊りだす輩も少なくない。
S氏のスタッフ、言わばタイではエリート集団の集まりである。
英語はもちろんのこと、日本語まで操ったり、音楽のプロも多い。
そのエリート達がその歌いだしと共に「ぷっ」と吹き出したと思ったら
やんややんやの手拍子で大盛り上がりである。

さて蚊帳の外は私たち日本人である。
ルークトゥンもタイの文化も知らない私たちには単に想像でしか物は言えないが、
例えて言うと日本で、マライヤ・キャリーとかサザンとかを演奏しながらも、
それにちゃんと民族音楽も交えて
喜太郎とかパットメセニーの世界にまで持っていってる高尚なバンドに、
ある瞬間に突然植木均が現れて
「サラリーマンは~気楽な家業ときたもんだ」
と歌いだしたようなもんであろうか・・・
日本だと狂喜乱舞するか?
わからん・・・

ともかく私はこのステージに打ちのめされた。
北京のウィグル料理屋「阿凡提」のウィグル族バンドの歌と踊り以来である。
あれも最後には全員テーブルの上に乗っかって踊りだすわ物凄かったが、
こちらは仕掛け人がアメリカ人だったと言うところが興味深い。
私も北京で25年住んだとしたらこんなことが出来るだろうか・・・

いやいやSさん、すみませんが
タイ語もルークトゥンもタイ人にウケるツボも知らない私には無理です。
今まで通り日本的なのか中国的なのかようわからん楽曲提供しますんで、
どのようにでも使って商売してくらはい。
そいでまたいいレストランに連れてってくらはい。
(今夜もレコーディング終了後にいいレストランに連れていってくれるらしい)

タイはええとこ一度はおいで・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:19:30

2000年08月28日

五星旗のレコーディングでNYに

12時間飲み放題9万1千円の旅・・・



今回は東海岸、ニューヨークへの旅立ちである。
前回はX.Y.Z.で西海岸、ロサンジェルスでレコーディングとライブをやって来たが、
今回は五星旗でニューヨーク録音、そしてライブである。

アメリカ・・・
中国にこんなに入れ揚げる前にはいつも夢みてた。
俺はやっぱ大陸が好きなのかも知れない。

黒人達が奏でる「ブルース」と言う音楽を初めて聞いて、
俺も黒人になってメンフィスとやらに行くんだと思ってた。
ファンキー末吉と名乗って、
でーっかいアフロヘアーで、金ラメの短パンに上半身裸、
ネックレス等をじゃらじゃらつけて顔の3倍はある大きなサングラスをかけて
その格好で山手線に乗っていたあの頃・・・
結局メンフィスがどこにあるやら知らないままJazzへ傾倒してゆき、
わが聖地は次第にニューヨークへと移っていった。

考えてみれば当時から不思議とL.A.と言うのはなかった。
去年、二井原に連れられて初めてロックの聖地、L.Aを訪れるまでは、
俺にとってアメリカと言えばニューヨークだった。

もともと四国の片田舎で暮らしてた頃、
東京に出てロックをやるかニューヨークに行ってJazzをやるか、
人生の岐路に立って悩んでいた。
そのまま東京を選んでロックで生計を立てられるようになり、
置き忘れた何かを探すかのように、
憧れの街、ニューヨークの土地を初めて踏んだ。
爆風スランプは当時大全盛だったが、
そんな中、俺はともすればそれを全て捨てて人生をやり直すつもりで、
スティック片手にBlue Noteの門をくぐった。

おりしも着いた日は金曜日。
そこでは飛び入り自由のJam Sessionがくりひろげられていた。
案内人は当時バークリーに留学してた友人の松宮くん。
「よし、どんなもんか見てやるぜ」
気負いだけはあるものの、
その素晴らしい本場の演奏に圧倒され、
ハナ肇のサイン付の宝物だったスティックケースは、
次第にテーブルの下の見えないところへと押しやられていった。

セッションリーダーのトランペットの黒人が、
「最後に、それじゃあ誰かドラマーはいませんか」
と言っている。
「末吉さん、ドラマーいないかって言ってますよ」
完全にびびってるが、
かと言って通訳してくれる松宮に格好つけなければならない俺は、
「う、まあ、えーと、あとひとりどんなもんか見てから叩いてやろうかな・・・」
などと最後の曲なのにわけのわからないことを言いつつ、
スティックケースをさらにそのトランペッターから見えないところに押しやる。

「そうか、ドラマーはいないのか。
じゃあ俺のブラザー、○○に叩いてもらおうか・・・」
と呼ばれて叩いたその黒人ドラマーのプレイがまたすさまじかった・・・
自分がナンバーワンだと思ってる俺は、何とか心の中でいいわけをつくる。
「松宮ぁ、あれはプロだよ。うますぎる。
ほら、ブラザーだって言ってたから彼の弟かなんかだよ、きっとそうだ」
「末吉さん、ブラザーって言う意味はね・・・」
「あ、松宮ぁ、セッション終わって降りて来た。話し掛けてくれぇ」
俺はそのドラマーを呼び止めて話し掛けた。

「さぞかしご高名な方だと存じ上げます。
私は今日初めてニューヨークに着いたところで、
機会があればもう一度あなたのプレイを聞きたいと思ってます。
毎日でも行きます。どこでプレイしてますか?」
松宮がそれを通訳する。
ブラザーと呼ばれたその黒人ドラマーは、
黒人独特のあのおどけたポーズで笑いながらこう言った。

「は、は、は、俺のドラムを聞きたいって?
簡単だ。じゃあ来週の金曜日またここへ来いよ。じゃあな」
笑いながら去ってゆく彼を後に、
「どう言う意味なの?それ?」
松宮に尋ねる。
「来週のJam Sessionに来いってことじゃないの」
「それって、彼はアマチュアってこと?・・・」
アメリカのあまりの層の厚さにぶったまげた俺は、
その旅でもうスティックケースを持ち歩くことなく、
観光旅行をして帰った。



狂ったように日本でJam Sessionをやりまくり、
数年後また聖地ニューヨークに行った時は、
今度は狂ったようにJam Sessionを荒らしまくった。
案内人は松宮くんと、当時日本から移り住んで来ていた西岡女史。
「今夜も行くんですかぁ、もう勘弁して下さいよ・・・」
ふたりがかわりばんこに俺の通訳兼ガイドをしつつ、
一晩に何軒もハシゴし、あのBlue Noteを始めとし、
ドラムを叩けるならば
どんな危ないストリートにあるわけのわからんJazzクラブにも行った。
ふたりがかりでふらふらになるまで毎日やってたんだから俺の体力も物凄い。

「なんじゃ、数年前はなんて凄いんじゃと思った本場ニューヨークのレベルも、
改めて聞いてみると大したことないじゃん」
鬼門であったBlue Noteでちょっといい気になってる俺に松宮くんが水を挿す。
「最近、打ち込み音楽が主流でしょ。
腕のいいプレイヤーが仕事がなくなってどんどんナッシュビルに流れてるんですよ。
超一流は超一流で活躍してるけど、
Jam Sessionで光ってるぐらいのクラスのミュージシャンが
一番空洞化してますよね」
そうか、本場のレベルが下がっただけだったのか・・・
あのグレイトなプレイをしていた黒人ドラマーのことを思い出した。



それにしてもこの時の体験が俺に大きな勇気と自信を与えてくれた。
今やどんな場所の、どんな人相手にでもびびらずに太鼓が叩ける。

思えば、ある程度うまくなって、
いろんなジャンルで人よりも経験を積んで来ると、
後はドラムはうまいか下手かではなく、「いい」か「悪い」かになる。
そこで長年培われた音楽性や、人生や、いろんなものが武器となって来る。
もう今さら、実力を十分に発揮出来ないことはあっても、
人に恥ずかしいようなプレイをすることはまずない。
年をとると言うことはいいことなのだぁ(バカボンのパパの口調で)。

先日もロックの聖地、L.A.のライブハウスで演った時も、
別に本場の地元バンド相手に気負うこともなく、
いつもの通り(ちょっと張り切りすぎてたと言う話もあるが・・・)
いつもの演奏をするだけに過ぎない。
リハ終了後などにそこのメンバーやスタッフが話し掛けて来るが、
もう別に昔のようにコンプレックスがあるわけでもない。

面白いのが、
「何年ドラムを叩いてるんですか」
と聞かれて、
「そうだなあ、25年ぐらいかなあ・・・」
と答えた時の相手のリアクションである。
思えば彼らの人生ぐらいもう太鼓を叩いているのである。
「俺のこといくつだと思ってる?41だよ」
これでまた相手はびびってしまう。
40を超えてこんな体力勝負の音楽をやる奴はよっぽどのアホなのである。
恐れ入ったか・・・

・・・とまあこんな具合に、
早い話、周りが全部年下になってしまったので、
思うぞんぶんいやなジジイよろしく態度がでかくしていられる。
儒教万歳である。
(何のこっちゃ・・・)



さて今回は3度目のニューヨーク。
行きのこの飛行機の中でメンバーと、
「Jam Session行こうぜ」
などと盛り上がっている。
思えばこのメンバー達も東京のJam Sessionで知り合った仲間達だ。
昔はアメリカに責めてゆく立場だったのが、
今度は若いミュージシャンを引っ張ってゆく立場になってしまっている。
これも時代の流れか・・・
俺が初めて行った時もこんな先輩がいたらよかったのになあ。

今回のレコーディング・エンジニアはあの松宮くん。
今ではフリーのエンジニアとして活躍している。
ジャケット撮影は、あの西岡女史の彼氏であるチャイニーズのカメラマン。
何や、俺も立派にネットワーク作りあげてるやないの。

「深夜のJam Sessionのハシゴはもう勘弁して下さいよ」
そう言う奴等の顔が目に浮かぶ・・・

うーむ・・・
・・・てなことを考えながら飲むただ酒はうまい。
1万メートルを越す上空ではワイン1本が実は3本に相当すると言うから気をつけねば・・・

コリアン・エアーよりは機内食がまずいノース・ウェストの機内にて・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:18:50

2000年07月21日

何故かマレーシアにいる・・・

マレーシアである。
首都のクアラルンプールである。

タイからもっと近いと思ってたら思ったより遠いのね・・・
隣の国やと言うてもどちらも縦長の国やからね。
結局4時間も飛行機にゆられるのね。

・・・と言っても今回俺は乗ったらすぐ寝て、
着いたら隣のオッサンに叩き起こされたので何も覚えてない。

以前爆風のツアーで熊本かどっかに行く時、
飛行機のエンジンがトラブって、
ドーンと言う音と共に一瞬急降下。
機長の
「みなさま、機体が少々揺れましたが大丈夫です。
大丈夫ですが念のため羽田空港に引き返します。あっ!・・・・しーん・・・」
と言う不気味なアナウンスと共に引き返し、
飛行機を乗り換えてやっと現地入りした時も、
顔面蒼白のメンバーをよそに、
俺は乗ったらすぐ寝て起こされたらまだ羽田だったので
何のことやら覚えてない。

さて寝ぼけ眼でクアラルンプールの空港に着いたらぶったまげた。
前回来たのはもう5年ほど前だろうか、
こんな近代的な空港ではなかったような気がするが・・・
5年前に来た時も、マレーシアはなんて近代国家なんだと思ったものだが、
今回さらにそれを改めて思い知らされた。

さて今回の訪馬目的は、
先ほど全てが終わったばかりのタイプロジェクトのご報告と
X.Y.Z.英語版のプレスとライセンスをお願いしている、
P社へのビジネスミーティングのためである。

移動にこんなに時間がかかるとは思ってなかったので、
最終便にて夜中に着いて、
次の日の最終便にてタイに帰らなければならない。
時間がないのよ・・・

そう言えば結局タイでも時間がなかった。
これと言うのもホテルの隣のマッサージのせいである。
日本円で700円ほどでタイ式全身マッサージとフットマッサージが受けれる。
フットマッサージは1時間なのだが、
全身マッサージは2時間とフルコース。
これが気持ちよくてつい寝てしまうのだが、
毎日この3時間を捻出するために、
寝るヒマ惜しんで飲んでた酒も飲まずにマッサージにいそしんでいた。
この俺が酒より選ぶんやからどれだけ気持ちいいか・・・

さてそんなことよりマレーシアである。

マレーシアの思い出は、
5年前タクシーの運転手に連れられて行ったダンドゥット・バーである。
ダンドゥットともともとインドネシアの大衆歌謡なのであるが、
同じ民族で、言語がそのまま通じるマレーシアとインドネシアと言うことで、
当然ながらマレーシアにも流れ着いている。
基本的にはリズムはルンバなのであるが、
クンダンと言うタブラのような打楽器のリズムに乗って、さすがイスラム文化と言うか
首が横に平行に動いてしまうようなあのリズムと旋律が何とも言えない。

「よし、そのままタクシーに乗って、ダンドゥット・バーに直行だ!」
とばかり空港の人にタクシー乗り場を聞いたら、
そのままバス乗り場に案内された。
クアラルンプールは空港から市街まで遠く、
まあ言ってみれば成田のようなもんなのだが、
短パンにハリウッドのTシャツ(嫁からの誕生日プレゼント)、
スニーカーにパソコンリュックサックと言う、
どっから見ても典型的なバックパッカーである俺の風体を見て、
「こりゃタクシーで行かせるわけにはいかん、バスじゃ」
と判断したのだろう。
タイもそうだが、ここマレーシアも
本当に悪い人がいないのではないかと思うぐらいいい国である。
これ、ほんと。

でもねえ、言っちゃ悪いけど金なら持ってるでぇ。
X.Y.Z.英語版の全世界への製造の拠点であるここへの
支払いを今回は現金で持ってきているのである。
だって為替手数料って高いのよ。
100万円支払うとすると15万円取られるのよ。
手持ちで持ってきた方が安いっつうねん。

この汚いリュックに札束が入ってるとは誰も思わず、
小汚いバックパッカーとしてバスのターミナルに行くが、
今度はどのバスに乗ったらいいのかわからない。
思えばL.A.でもこうやったなあ・・・

中国系の人が一生懸命自分でバスに荷物を積んでたので聞いてみた。
思えばどうして中国系の人っていつもみんなたくさん荷物を持ってるんでしょう・・・

この辺の人は広東人か福建人が多いのだが、
それらの人同士がコミュニケイションするために北京語も喋れたりする。
まったくもって中国人は偉大なのであるが、
俺はあえて英語で喋った。
今、頭の中では中国語と英語がごっちゃになってて、
このチャンスに英語に切り替えないとやっていけない状態なのである。

まあ、それはいい。
結局バスに揺られ、ホテルに着いたら、
そこのバーで生演奏をやっていた。
もちろん洋楽なのであるが、
ついでなので俺は部屋にも入らずに直接そのバーで一杯やった。

マレーシアはイスラム国家で、
宗教省なる省庁もあって宗教裁判もあると聞くが、
そんな中、夫以外に肌を露出してはならない敬虔なイスラム教徒が
今流行りのチューブトップでお臍まで露出して歌ってていいのか!

俺が5年前、あのダンドゥット・バーに惹かれた大きな理由は、
そこで歌ってた綺麗なねーちゃんである。
宗教上酒を飲まないはずのマレーシア人が、
飲んでもいい中華系の人間は絶対に来ないであろうダンドゥット酒場にて、
宗教裁判を恐れず・・・かどうかは知らないが・・・
地下のクラブで(そのバーは廃屋のようなビルの地下だった)、
肌の露出こそは一切してないがプロポーションはくっきりわかるドレスをまとって、
聞きようによっては淫靡なダンドゥットに身をくねらせる姿が今も忘れられない。

俺がアメリカのエロ本が好きではない理由に、
あのモロ出しの色気のなさがある。
歌舞伎町のストリップにも数年前友人に連れられて行っては見たが、
あのエアロビクスのようなご開帳には閉口する。
ああ、あのつつしまやかなダンドゥットお姉ちゃんはまだあそこで歌ってるんだろうか・・・

タクシーを拾おうと思ったら、
なんと俺が泊まっているこのホテルには何とハードロックカフェが入っていた。
5年前も来たなあと思って覗いて見た。
当時はマレーシアにロックバンド・・・と感激したもんだが、
こうも諸外国が日常になってしまうと別に普通のハコバンである。
そうそうに後にした。

タクシーを拾って、
「ダンドゥットを聞きたいんだ。出来れば生演奏がいい。どっかに連れて行ってくれ」
とまくしたてる。
思えば相手も英語のネイティブではないので、
心なしかL.A.より通じやすいような気がする・・・

「Oh! ダンドゥット?!」
色黒のマレー系運転手がいぶかしそうに聞き返す。
「日本人かい?ダンドゥットが好きなのかい?そりゃ珍しい。
外国人にとっちゃ全然ポピュラーな音楽じゃないのにねえ・・・」
日本で言えば演歌バーを探すフィリピン人のようなもんか・・・

連れられたところが「サン・ダンドゥット」と言うクラブ。
「最近はダンドゥット・バーでもポップスやってたりするよ」
と言う運転手の言葉通り、
そこはいわゆるキャバレーでカラオケの生バンドだった・・・
そうそうに後にする。

またタクシーに飛び乗って同じ風にまくしたてる。
「ダンドゥットかい?よし連れてってやろう」
と言って連れられたのは何のこっちゃない俺のホテルの近くだった。
「この辺はここもダンドゥット、あそこもダンドゥットだよ。ほな」
「ほんまかいな」
「ほんま、ほんま、お姉ちゃん持ち帰りも出来るよ」
いわゆる日本で言うと
「演歌バー連れてって」
と言って高級クラブ街に下ろされた外国人である。
俺が行きたいのは彼らにとっては歌舞伎町の裏通りの民謡酒場なのかも知れない・・・
カラオケ店に入る気もせず、とぼとぼと歩いてホテルに帰った。

いろんなバーで生演奏が繰り広げられていた。
どれもいわゆる西洋音楽である。
ああ、俺の大好きだったマレーシアはどこに行ったのか・・・
つつしまやかなあのお姉ちゃんは今どこで歌っているのだろう・・・

肌を露出してポップ・ロックを歌うマレー姉ちゃんを横目で見ながら、
「マレー人やのに何でダンドゥットやのうて西洋音楽歌ってるんやろ」
などと考えてみたりする。
あのダンドゥット歌ってた姉ちゃんが、
肌露出して西洋音楽歌ってるあんた達より一番色っぽかったでぇ。

ホテルに着いてドアのガラスに映る自分が見えた。
長髪で洋服を着て、西洋音楽の権化であるRockとJazzをやっている。
英語版をリリースしてアメリカの中華街に移住しようとしている。
俺って何なんやろ・・・

ホテルでひとりで飲もっと・・・
飛行機で熟睡したため眠れずにこれを書いているのであった・・・

音楽界の兼高かおる(今、誰がこの名前を知っとるっつうねん!)ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:04:50

2000年07月19日

飛行機はタダ飲み出来るそら飛ぶバーなのじゃ!

俺は大韓航空のファンである。

二井原のようにスチュワーデスの姉ちゃんが綺麗だからと言う理由ではない。

まずは機内食である。

今回はL.A.への2度の往復でどちらも大韓航空を利用させて頂いたが、

機内食に出てくるピビンバは絶品である。

「そうかぁ、末吉は明日先に日本に帰るんかぁ・・・

ほなちょっとコリアンタウンにでも行って末吉の好きな韓国料理でも食うか」

と数時間前までカルビをぱくついていたのもつかの間、

今、またこうして機上の人となってもピビンバをぱくついている。

食事が配られた後、いたるところから

かちゃかちゃかちゃ・・・

と音が聞こえるのが楽しい。

器に盛られた野菜類にコチュジャンと言うからし味噌とごま油をかけ、

パック入りのあったかい飯をぶっかけ、

スプーンでかちゃかちゃとかき混ぜるのである。

これがもう、主食としても酒のつまみとしてもばっちし!

聞くところによると、ピビンバと言うのは何も特別な料理ではないと言う。

余り物の野菜をメシにぶっかけ、コチュジャンで食べる、

まあ日本で言うとお茶漬けか雑炊にあたるものではなかろうか。

しかし、全日空が機内食にお茶漬けを出すか?

JALが機内食に雑炊を出すか?

考えてみれば日本と言うのは食文化が薄い国なのではあるまいか。

そして俺は今、TDにいそしむ二井原と橘高を残してL.A.を後にし、

日本に帰国したと思ったらつかの間、

翌々日にはJALに乗ってタイに向かっている。

しかし、何だぁ?

L.A.の時に使った大韓航空と違って、

このJALの機内食と言うのはまことに味気ない。

ビーフシチューですかぁ・・・

洋食やんけ!

悔しかったらJALやANAは

機内に寿司職人や天麩羅職人を連れてきて、

これが日本の食文化やっつうのを世界に見せつけて欲しいもんじゃ・・・

いろんなとこにいろんな飛行機で行ったりするが、

一番びっくりしたのがイラン航空。

北京まで安かったんでこれで行ったのだが、なんと座席が自由席。

どこにでも空いてるとこに座ってくれと言う。

乗合バスかい!

しかしこの食事が、ほのかにカレーっぽくてイスラムっぽくてよかった。

いいねえ、○○らしいって・・・

音楽もそうありたいもんですなあ・・・

 

さて飛行機ももう手馴れたもんである。

L.A.を2往復し、げっそりしている隣の和佐田に

「末吉っさんはええなあ、しんどいとか、不安なとかをパワーに転化出来るからなあ・・・」

乱気流に揺れる飛行機の中、不安なのは和佐田だけではなかったらしいが、

俺はいつものように「9時間飲み放題の旅!」とべろんべろん。

ウェイトレス、違った、スチュワーデスさんが韓国人なので、
まるで韓国居酒屋のノリであった。

しかしまあ気圧が低いので酔うのよ、これが・・・

帰りは偏西風の影響で11時間飲み放題の旅となるが、

それを2往復しながら、また今回6時間飲み放題の旅となっている。

このまま来月は韓国、

帰国してそのまま成田でトランジットしてニューヨーク、

帰国してすぐ香港行って、そのまま上海である。

香港-上海のチケットより、一度成田に帰って往復した方が安いと言うからハードである。

何が?いや、肝臓が・・・

そうそう、その後すぐ北京である。

佐山雅弘さん(Ponta Box)と言う偉大なピアニストに呼ばれ、

彼のバンドの一員として北京でJazzライブ。

いやー久しぶりにモロJazzで嬉しいですわ。

大韓航空のマイレージは、L.A.往復ですでにぱんぱんに溜まっとるし、

前回の訪泰はANA、今回はJAL、

もうどこにでもタダで行けるでぇ。

・・・っつうことは、

酒飲みたくなったら、どっか海外に行けばタダで数時間飲み放題っつうことか・・・

そのまま往復して帰って来たりして・・・

ファンキー末吉@機上の人

Posted by ファンキー末吉 at:03:50

2000年07月14日

LAにて誕生日を迎えた

L.A.日記・・・

(日記っつうんやったら毎日書かんかい!)

7月13日(こちら時間)

今日も晴れ。そして明日も明後日もきっとずーっと晴れ。

 

さて椰子の木が生えてるようなこんな街にいてアホになるだけではなく、

TDなのでさほどやることもなく、

しゃーないので酒飲んでブタになってしまったファンキー”コニイハラ”末吉であるが、

アメリカ時間の今日、めでたくバカボンのパパと同い年となった。

誕生日だからと言って何をやるわけでもない。

スタジオではケーキによる祝福を受けたが、

嫁は先週より中国人パックツアーで今頃はラスベガス(カードの支払いが怖いのよ)

に行っとるし、

今朝もイビキがうるさいため隔離されている台所部屋でひとり目覚め、

朝からコニイハラ脱却のため、

元祖二井原(オオニイハラ)がメシ食ってゴロゴロしているのを横目で見ながら、

アパートのジムへと足を運ぶ。

でも41にもなると腹筋10回やっただけで起き上がれんのよ・・・

今週頭からこうして運動にいそしんでいるのだが、

やはりこちらに来てから太った分はあっと言う間にダイエットした。

問題はこちらに来る前から溜まってる皮下脂肪である。

なにせ、長い年月かけて溜めたやつやからなかなかである。

自慢じゃないけど金と年月かかっとるでぇ・・・

 

ダイエットと言っても別に禁酒絶食するでもなく、

要は食わなくてもいい時に食わず、

飲まなくてもいい時に飲まず、

ゴロゴロして酒飲んでるぐらいなら、

ゴロゴロせずに仕事して酒飲めばいいのである。

まあ仕事が一番のダイエットっつうやつやね。

 

ところでこの椰子の木が生えてるような街で、

日本と同じように仕事を探すのはひと苦労であるが、

しかしインターネットにひとたびつなぐと、

それはそれはいろんな仕事が飛び込んでくる。

X.Y.Z.のAsian Typhoon英語版のマレーシア製造におけるトラブル。

X.Y.Z.来月の韓国公演のブッキングと韓国ライセンス。

X.Y.Z.マレーシア、シンガポールでのライセンスの契約書作り。

X.Y.Z.上海公演のまたもやお流れ情報。

五星旗のニューヨークレコーディングとニューヨークでのライブの詰め。

五星旗の上海、香港ライブのツアー組み。

五星旗のマレーシア公演ブッキング。

佐山雅弘バンドでの北京Jazzライブ打ち合わせ。

ファンキー末吉トリオでのJazz-ya北京5周年記念ライブのメンバー決め。

そして何より、今回X.Y.Z.のL.A.ライブでお世話になった、

ライブハウスのオーナー、スタッフ、コーディネーター、へのお礼状。

感激して名刺を置いていったレコード会社(製作会社?)へのコンタクト。

日本での100本ツアー終了後のアメリカでのツアー組み。マネージメント探し。

等々、これらのMailのやりとりは、中国語圏以外は全て英語である。

おまけに先日訪泰してレコーディングした

TSUTAYA THAILANDが手がける女の子グループ、”b'"のレコーディングが大詰めである。

私が現場にいずに、全てMailのやりとりだけで全てが動いていくんだから

インターネットとはまことに偉大なしろものである。

最後の曲のオケ録音を五星旗のベーシスト、仮谷くんに発注し、

データをもらってチェックする。

こんなやりとりは日本語だからまだいい。

問題はタイ側との英文でのやりとりである。

英語が苦手な俺は、こっそりと自動翻訳ソフトを使って楽をしてるのだが、

これがまたアホで・・・

例えば

「Good morning Pat.」と言う文は、「よい朝のPatさん」と訳されるし、

「Dear Funky.」は「ファンキーな愛すべきもの」である。

二井原の英語名「Mick」は「アイルランド人」やし、

可哀想なのは香港のエージェント、SamとQueenyが連名で書いたMailは、

「Sam/ Queeny」が「ホモのサム」になってしまう。

ウケ狙ってるんちゃうん!

このアホな自動翻訳機と、かれこれもう半年間付き合っているが、

最近ではこのアホが狙ったウケも黙って聞き流せるようになり、

「ところで」を「at the space」と訳しても怒りより笑いで付き合えるようになった。

英単語をほとんど知らん俺がこのアホと共にまとめた海外プロジェクトは数あるが、

潰れたプロジェクトは数少ないので、まあ俺程度の相棒としてはまあまあである。

 

そんな中、明後日帰国したらすぐまたタイに飛ぶことになった。

最後のレコーディングをするのさ。

そして足裏マッサージをして700円の全身マッサージをするのさ。

そしてたらふくタイ料理を食うのさ。

 

いやー、やっぱりアジア食でしょ。

西洋のメシはやっぱ口に合わん!

こちらで俺が食うと言ったらやっぱりタイ料理かコリアン・フ-ド。

3食ハンバーガーを食う気にはならんし、

今や国民食となったと言う、豆とイモのメキシカンももう飽きた。

何か豆とかイモとかパンとか、

そんなのしか並ばない食卓ってミジメに感じるのよね、俺って・・・

アメリカ人はステーキバーガーとか言うて、

ステーキがパンに挟まれて、

それより多い量のポテトチップスが盛られた皿を「ご馳走」と感じるが、

俺なんか、頼むから同じ量のステーキならそのまま皿に置いて、

少量でいいからライスを並べて欲しい。

ライスがなければビールでいい。

ハンバーガーやステーキバーガーつまみにしてビールは飲めんじゃろ!

タイ料理はええでぇ、メシも進むし酒も進む。

でもこちらのタイ料理って何か大味っつうか、やっぱりアメリカン・タイフードなんやねえ・・・

中華もしかり、コリアンフードもしかりである。

そんな中、本場の中華の味を見つけた。

しかも洋食の権化とも言うべき、ショッピングモールのファーストフード街である。

日本食のファーストフード店も並び、「TERIYAKI」なんたらとか書いてあっても、

我々日本人がそれを食う気にはならないのと同じように、

嫁もそのチャイニーズフードには手が伸びない。

結局俺が目をつけていた「四川牛肉麺」を頼み、嫁はピザとなるのだが、

この牛肉麺がばっちし!

「四の五の言わんとこれ食ってみぃ!」

嫁に一口勧めてみる。

期待せずに口に運んだ嫁が笑いながら一言。

「これ、何の味に似てるかわかる?」

「何って、北京のラーメンとじゃろ?」

「だから、北京の何ラーメンと似てると思う?」

「何ラーメンって・・・」

「加洲牛肉麺」

つまり北京で一時流行っていた、

カナダ、アメリカの華僑料理であったのだ。

なるほど、そりゃこちらの方が本場やわ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:08:50

2000年06月19日

LAレコーディング続報

またまたL.A.からである。
 
街の中に椰子の木が生えとるような街で1週間もおったらアホになると言うが、
二井原実を始め、もうすでにみんなアホである。
橘高もアホなのであるが、
やはり御大二井原には負けている、
と言うか、ギタリストがいま、仕事が佳境なのである。
彼までがアホになったらこのアルバムは終わってしまうのである。
和佐田もおったらとっくにアホになってたところだが、
ベースを弾き終わったらそそくさと帰国してしまった。
事務所関係がクリアして「サポート」の表記がなくなったと思ったらいきなりこうである。
 
そんなことはどうでもよい。
レコーディングである。
俺はどちらかと言うとレコーディングと言う仕事は嫌いである。
ミュージシャンはレコーディング好きとライブ好きと大きくふたつに分かれるらしいが、
俺はやはりライブ好きである。
毎日ライブやって酒飲んで、死んでいってそれで別にいい。
勝手にライブ音源でも録音してくれてそれが世に名盤として残っていけば言うことない。
(そんなわけにはいかんのやけどね)
それに反して橘高はレコーディング好きである。
時間と予算さえ許せば、一生スタジオに篭ってるような男である。
かく言う俺も、自分の受けたプロデュース仕事なんかでは、
それが仕事なので最後まで責任持ってスタジオで詰めたりするが、
それがそこ、バンドと言うのはよくも悪くも分業である。
ドラムを叩き終えたらもう「よし、後は橘高に任せた!」である。
人間、好きなことをするのが一番健康的でよい。
 
さて、俺は何が好きかと言うと冒険が好きである。
人生、おかげでこうである。
よし冒険に出かけるぞー!
(全然レコーディングの話やないやないかい!)
 
まあ去年は、こちらに7年基盤を置いてたと言う二井原におんぶに抱っこで、
結局自分ではどこにも行けなかった情けない状況だったが、
今年はその上、金をけちって国際免許も取ってなければ自動車保険にも入ってない。
車がなければ何も出来ないこのアメリカ社会で、
俺ほど何も出来ない人間はいないのである。
しかし世の中捨てたもんでもない。
バスとか地下鉄とか言う乗り物があるではないか!
・・・と思ったら「この辺からは車じゃないとねえ・・・」との答え。
早い話誰も行ったことがないのである。
 
いわゆる繁華街であるダウンタウンと言うところから見ると、
スタジオと俺らのアパートがあるレドンドビーチと言うところは、
東京から見た小田原のようなところである。
車でもなければ出てゆく気にもならないのが普通であろう。
またフリーウェイが充実しているので、
車で行くと何の不便さも感じないのであるが・・・

そんな中で、地下鉄グリーンラインの終点がレドンドビーチであることを発見。
ほな近いやないかい!
と思ったら大間違い。

カリフォルニア州だけで日本と同じぐらい、
ロサンジェルスと呼ばれる地区だけで関東地方ぐらい、
レドンドビーチと呼ばれるとこだけでどのぐらいの大きさなのやら・・・
結局そこまでは車で送ってもらうか、バスを乗り継いで行くしかない。
エンジニアのウェイン・デイビスは
「地下鉄に乗るのか?俺でも乗ったことない。危険だからやめろ」
と来る。
なんか暴動のあった、あの治安のよくない場所を通るので、
地元の人間はまずは乗らない代物らしい。
「わかったわかった。とりあえず、今日は
その駅までバスで行けるようになったら帰って来るよ」
と言い残してとりあえずバスに乗ることにする。
 
アパートの前にバス停があるので、
そこでしばし待っては見たのだが一向にバスが来る気配がない。
仕方ないからとぼとぼと歩いて見るのだが、
そうするとバスがぷいーっと追い抜いて行ったりするものだ。
人生とかくそのようなもの。
追いかけて行った先に、大きなショッピングモールがあった。
その名も「ファッション・センター」
去年には二井原と橘高がお揃いのスーツケースを買ったその場所だった。
そこに大きなバスターミナルがある。
「よし、ここを拠点にして出発だぁ!」
と思いつつもどのバスに乗っていいのやらわからない。
とりあえず「LAX」と書いたバスに飛び乗った。
空港まで行けばとりあえずL.A.のどの場所にもバスが出てるだろう。
そしてそこから飛び乗ったのがL.A.ダウンタウン行き。
行けるじゃないの・・・・
 
バスに揺られること1時間あまり、
雰囲気はすこぶるよく、運転手も客も気さくで、
乗って来たらいきなり友達みたいなそんなノリである。
とりあえず終点まで行ったら、着いたところがユニオン・ステイション。
いわゆる東京駅みたいなもんか・・・
地図を見るとそこからチャイナタウンはすぐである。
しかしもうすでに夕方・・・
どうするべきか・・・
暗くなって地下鉄に乗るのは危険だし、
夜バスに乗る勇気もない。
でも腹も減ったし、あの味気ないアメリカのファーストフードを食う気にもならない。
「よし」
とばかり一番近いラーメン屋に飛び込む。
 
英語がほとんど喋れない俺だが、
漢字で書かれている看板の店なら気持ちも落ち着くと言うもんだ。
北京語を喋れる人も喋れない人もいたが、
基本的にその店はベトナムの華僑がやってる店だったようだ。
そこのラーメンが絶品!
大満足のうちに引き返す。
 
ユニオン・ステイションでバスを待つこと1時間。
(もうその頃にはレドンドビーチまでの直通バスを発見)
乗って揺られること2時間近く。
結局往復4時間以上。
滞在時間30分。
ラーメンを食うだけの上京だった。
 おまけに、レドンドビーチの公衆電話から電話をかけて、
その電話の上にザウルスを置き忘れて紛失。
踏んだり蹴ったりである。
でもこれでひとりでバスでどこにでも行ける自信がついた。
 
翌日は地下鉄の駅で降りて、悪名高い地下鉄でハリウッドへ。
ちょっと生活水準の低そうな人達が乗っては来るが、
さほど怖いと言うほどでもなく、
それでも帰りは地下鉄は避けてバスで帰った俺だが・・・
帰りのバスの運ちゃんはファンキーだった。
映画に出てきそうな太ったファンキーな黒人で、
ポリバケツのようなタンクの水をがぶ飲みしながら、
ラジカセから大音量で古いR&Bをかけまくる。
これって日本で言うと北島三郎をかけまくる運転手?
俺が若かりし頃、四国で「ファンキー末吉」と名乗ったきっかけとなった、
数々の悪魔的なナンバーを聞きながら、
何となく二井原の顔が思い浮かぶ。
そう言えば俺らはR&B仲間やったんや。
俺や和佐田なんかは彼のことをハードロックも歌えるR&Bシンガーやと思っとる。
着いてから申し訳程度にスタジオに顔を出す。
「どう?順調?」
「ファンキー、シャレんならんでぇ、これ聞いたら腰抜かすでぇ」 
ヤツの「シャレんならん」と「腰抜かすでぇ」を100万べん聞いて来た俺だが、
今度はほんまに腰を抜かさなアカン日が来たようだ。
「ほな、帰るわ」
「おいおい、もう帰るんかい」
「おったってやることないしな。ほな後は頼むわ」
「頼むわ言うてどないして帰んねん」
「俺もうこの辺のバスばっちしやし」
すでにアパートの前からダウンタウンに直通のバスがあることを発見していた俺だった。
そしてその終着駅からは全アメリカへ鉄道が走っている。
 
次にこのメルマガを書くのはもう、ここL.A.ではないかも知れない。
 
ほなさらばじゃ!
(レコーディングはどないなってんねん!)
 
ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:18:00

2000年06月15日

LAレコーディングの模様

L.A.である。
街の中に椰子の木が生えとるような街で1週間もおったらアホになる。
二井原実は朝から下ネタを連発し、
「ブレイクダンス!」
と絶叫し、変な踊りを踊ったかと思うと頭を打ち付けて悶絶しとる。

だいたい雨が降らん!
空が底抜けに青い!
空気が乾いとる!
酒がうまい!

これでアホにならんやつはおるまい。

そんなアホどもが、大アホの巣窟でレコーディングしている。

ウェイン・デイビスと言うエンジニア・プロデューサーは、
ガンズとかドッケンとかを手がけたすんごい人間だが、デブである。
去年ドラムの音を録った時、その音色に度肝を抜かれた。
「俺のドラムってこんな音がするんか・・・」
またその音色がすんごいもんやから、
ついつい調子にのってフルパワー前回で叩き過ぎてしまう。
思えばハードロックと言う音楽は、
アングロサクソンのあのでっかい二の腕をぶん回して叩いた、
そんな音色とビート感で出来上がってる音楽なのではあるまいか。

通常の音楽なら何時間叩いても平気な俺も、
1曲叩き終わると汗だくである。
ウェインがマイクの位置などを調整しに来る。
特にバスドラにはこだわりがあるらしく、
でかい体を横たえてミリ単位で打面からの距離を調整する。
「ぜーぜーはーはー」
息切れしている俺の息が落ち着いたと思ったら
「ふーふーはーはー」
他にも息切れしとる奴がおる。
ウェインである。
デブやからちょっと動くとすぐ息が切れるのである。

さて、このドラムサウンドの秘密には、
もうひとりこの人間なくして語ることは出来ない。
ドラムテックのマイクである。
いわゆるチューナーと言って、
プロフェッショナルとしてドラムのチューニングをする職業である。
またこれがデブなのである。
お互い200kgを越そうと言うウェインとマイクが握手をして抱き合う姿は圧巻。

さてマイクがまた「ふーふー」言ってチューニングを始める。
俺はぼーっと見ているだけである。
まあ彼がいじると、
アメリカのパールが用意してくれたこの大口径のドラムセットが小さく見えること・・・

前回、二井原から連絡をもらって
このX.Y.Z.のレコーディングを引き受けることになったウェインが、
「お前はええけど、他のメンバーはちゃんと演奏出来るのか?」
と聞いていたそうだが、
ある日このフルセットがパールから送りつけられて度肝を抜かれたらしい。
「お前んとこのドラマーは何もんや。
電話一本であのパールがこんなフルセットを送りつけてくるなんて・・・」
と言っていたらしい。
マイクに言わせても、
「やっぱ大事なのはドラムセットだよ。
ドラムがよくなければいいチューニングしたって意味がない」
と言う。
ここで改めてパール・ドラムに感謝!


さてレコーディング開始。
基本的にはドラムを録り終えなければ次の作業には移れない。
責任重大なのである。

前回は3日で録り終えたが、
今回は1曲目からつまづいた。
テンポが速いツーバスの曲である。

ツーバスを連打することを「自転車こぎ」と言ったりするが、
早いツーバスはそれこそ最高速でランニングしてるのと同じである。
これは「難しくて叩けない」のではなく、
物理的に叩けないのである。
音楽ではなくスポーツに近い。
そのタイムが出るまでひたすら叩きつづけるしかない。
必要なのはテクニックではなく、根性である。

当然、足首を痛めたりもする。
その日はその曲は断念、他の曲から録り始める。
1日5曲。
「はーはー、ぜーぜー」
ウェイン・デイビスが
「お前、手がよく大丈夫だなあ」
と言うが、手より何より体力である。

アパートに帰ってバタンQ(死語)!と思ってたら、
同行している嫁が、
「見て見て、テニスラケット買ったのよ」
仕方ないのでテニスを付き合う。

「はーはー、ぜーぜー」

このアパートメントにはテニスコートのみならず、
プールやジャグジー、そしてトレニングジムまで完備している。

「次はプールで泳ぎましょう。
その次はジムね。
ダイエット、ダイエット」

「はーはー、ぜーぜー」

それでも日々太ってゆく俺の体ってどないなっとんの?・・・

数日して嫁が悟りきったようにこう言った。
「わかったわ、
アメリカ人がどうしてこんなにジョギングとかジムとかが好きなのか」
「なんでやねん」
「気候もいいしさ、
毎日こんなとこにいたら他にやることないからよ、きっと!」

やることないんはお前だけや!
みんな仕事しとるっつううねん!


こうして3日後にはドラムを全て録り終えた。
あとは飲むだけである。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:04:50

2000年04月28日

タイプロジェクト始動!

CDのサンプル担いでタイはバンコクまで来てますわ。
これが結構かさばるのよ・・・・

今回の仕事がTSUTAYA-THAILANDの仕事なので、
「TSUTAYAさん、タイにある60店舗のTSUTAYAでなんとかXYZのCD売って下さいな・・・」
とか、
「いやー、どっかで会ったと思えば毎年福岡のアジアイベントで会う
なに人かようわからんオッサンやないですか。
え? レコードのディストリビューターやったんでっかいな。
ほなこのCD夕イで売って<らはいな」
等、ほんま「わしゃ何をやる人やねん!」状態ですわ。

ここで南アジアのライセンスを決めて、
明日には香港飛んで北アジアのライセンスとLAライヴのブッキングですわ。
わしゃほんまに何をやる人なんやろう・・・
(それにしてもLAのブッキングがなんで香港経由なんやろ・・・)

さて今日のお題、「タイ・プロジェクト」

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マレーシアのとある日本資本のレコード会社の社長と友達である。
商社マン上がりのM氏は、業界によくある音楽畑の人間ではなく、
会社の売上が悪い時はカバンやGショックの並行輸入でも何でもして売上を稼ぐ。

エスキモーに最初に冷蔵庫を売りつけたのは日本の商社マンだ
(天然の冷蔵庫の中で暮らす彼らに冷蔵庫など誰も思いつきやしなかったのを
「この箱を使えば肉が凍らないよ」とセールスし、バカ売れしたと言う話)
と世界のビジネスマンの間にまことしやかに伝えられているが、
俺は内心これはきっとM氏ではないかと思っている。

そのM氏、レコード会社の社長でありながら、
アジア中のいろんな国を行商にうろついている。
オルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーが、
「ラテン諸国行ったらどの国にも和佐田はんがおんねん。
ある国ではタクシーの運転手してたり、ある国ではバーで働いてたり」
と、和佐田のラテン顔を称してそう言ったりするが、
ことアジアでは「どの国でM氏がいた」と言うと、
それはきっとその国でその日、本当にM氏がいたのである。

そんなM氏、ある日のことタイの街中を歩いていた。
「やけにTSUTAYAの看板をたくさん見るなあ・・・」
何の面識もなくTSUTAYAに飛び込んで、
TSUTAYA THAILANDの社長に売り込みを開始する。
「わが社のこのビデオ、お宅で売ったら儲かりまっせ」
(ちなみにM氏は関西人ではないので関西弁は喋らないが便宜上)
と言うのを受けてTSUTAYA THAILANDの社長も試しに仕入れて見た。
「こんな、日本のアイドルが水着になって
”こんにちわ、○○でーす”
とか言うとるオムニバスビデオがタイで売れるんやろか・・・」
(ちなみに社長は淡路島の人間なので関西弁)
と思ってたら、
タイのおりからの日本ブームの煽りを受けて、
タイ語の字幕もない、ヌードも一切ないそのビデオがバカ売れした。

それを受けてM氏、
今度はTSUTAYAシンデレラ2000と言うオーディションを行って、
プロダクション業務に進出しようとしているTSUTAYA THAILANDの社長に今度は、
「プロデューサーならファンキーしかおりまへんで」
と推薦。
それを受けて、宮島氏からMailが来る。

「本場のタイ料理でもたらふく食いに来まへんか」

「シンハー・ビールもつけてや」

でこうして俺は今タイにいるわけであるが、
よく考えたら、話はそんなに簡単なんじゃろか・・・


ある日突然、事務所にとある伝言があった。
一昨年までお世話になってた大手プロダクションA社の幹部からだと言う。
折り返し電話が欲しいと言うことだった。
「何の話やろ、また迷惑でもかけたかなあ・・・」
恐る恐るその幹部に電話をしたら突然、
「末吉ぃ!今、タイで何かやろうとしてるだろ!」
「ひえー・・・何でそれを・・・」
つい先日引き受けたばかりのプロジェクトを何故に・・・
「SUTAYA THAILANDの社長さんと言うのはな、
元日本のTSUTAYAでな、
わが社と一緒に立ち上げたアミューズメントの会社の社長を俺と一緒にしてた人だ。
それをやめて家族と共に今はタイに住んでいる。
今、日本に帰って来ててさっきまで一緒だった。
俺とはほんとに長い付き合いなんで、
末吉もくれぐれもよろしくな!」
ははあ、心してかからせて頂きます・・・・

さて、このTSUTAYA THAILANDの社長、
当時数軒しかなかったタイのTSUTAYAの権利をTSUTAYAから買って、
1年半でTSUTAYAをタイで60店舗にしたと言うつわものである。
初対面の時に俺にこう言った。
「いやー、プロダクション業務とかやったこともおまへんのでな、
A社の会長さんとかいろんな人に相談に行きましたんや。
そこでファンキーさんの名前を出したら、
全ての人が”彼なら出来る。いや彼にしか出来ない”言うんですわ」
ひえー・・・
飛ぶ鳥後を濁さずと言うが、
後を濁しっぱなしで彼方に飛んで行ったアホに向かってなんたる過分なお言葉・・・

と言うわけで、その恩に報いるべく、
数少ないストックの中から一番大事に取っておいた楽曲を提出する。
やりとりは全部E-mailである。
データはMIDIデータとMP3である。
世界中どこで住んでても仕事が出来るように、
俺は全ての仕事をE-mailでやりとりするのだ。
こうして立ち上がったタイ・プロジェクトは、
コーディネーターがマレーシア、
製作責任者がシンガポール、
そしてプロデューサーと製作が日本、
舞台はタイと言う4カ国を股にかけたプロジェクトである。
しかし幸いにも担当者は全て日本人なので、
日本語のMailでいいのは助かる。
前回Wingの著作権をめぐって、
香港側は英語、こっちは中国語でのやりとりっつうのには疲れ果てた・・・


さて、タイに着いた。
M氏とは実際非常に久しぶりなのだが、
ずーっとMailのやりとりをしてるので全然そんな感じがしない。
ホテルにチェックインしたら、何と一流ホテルのスウィートルームである。
「M氏ぃー。予算もないんですからもっとチープなホテルでいいんですよぉ」
「まあまあ、いつも利用してるホテルなんで私が取れば安いんですよ」
値段を聞いてみれば、都内のビジネスホテル並に安い。
この人っていったい・・・

さてTSUTAYA THAILANDに今までMailでしかやりとりをしてなかった人間達が
一同に会する。
スタッフ一同で少々の認識の違い等を整理していざレコーディング開始。
アジアの仕事では現場処理が当たり前なので、
来て見たら決定曲が違っててオケを作って来てなかったり、
翌日プレス・コンフェレンスで口パクで歌うので1日で完成させなきゃなんなかったり、
そんなことはもうお手のもん。
北京レコーディングのように、
気が付いたらエンジニアを大声で探しまくる必要がないだけ楽である。

一番の問題は言葉。
「トムヤムクン」しかタイ語を知らない俺は、
何を聞かれても「トムヤムクン」と答えるしかない。
「日本語とタイ語か、中国語とタイ語かの通訳を必ずつけて下さいね!」
これが俺が唯一TSUTAYA THAILANDに要求した事柄である。
「それなら大丈夫ですわ。うちには日本語喋れるタイのスタッフもおりますから」
と言われて紹介されたのがNochと言う若い女の子。
中国系と言うので北京語で話してみたら立派に通じる。
家族とは潮州語で話すらしいが、
仕事では英語だから、
タイ語、日本語、英語、北京語、潮州語を操る才女だと言うことだ。
華僑って凄いよなあ・・・

さてバンコクでナンバーワンのスタジオにやって来たら、
エンジニアがカナダ人だった。
「君はタイ語喋れるの?彼女作るのが一番だよ」
と言うM氏に質問に対して
(ちなみにM氏は昔ポーランドに住んでいたので通訳レベルのポーランド語も喋るが、
それも彼女がらみだったと言う話である)
「実はもう結婚してるんだ」
と言うWilliamが可愛い。
どこにでもいるんだなあ、彼みたいな奴。

そう言えばM氏の招聘でマレーシアのフェスティバルに出演した時、
世界的に有名なパーカッショニスト、スティーブ・ソートンと共演したが、
彼もマレーシア人と結婚してクアラルンプールで住んでいた。
俺だけか、まだ日本でなんか住んでるの・・・

さて、俺は英語は苦手である。
喋ろうと思うとつい中国語が口から出てしまうが、
Nochはそんな中国語も通訳出来るので便利である。
Williamは俺の中国語交じりのヘタな英語を苦労しながら理解してレコーディングする。
Nochは日本語から英語へ、そして中国語から英語へと、まことに器用に訳してゆく。
シンデレラGirl達に対しては英語で言っても通じないものはNochがタイ語に訳してくれる。
ただ、今度はNochがいなくなると全てが止まるのである・・・

まずオケがないを突貫で作ってしまわなければならない。
持ち歩いているVAIOにインストールしている簡単なシーケンサーソフトで作成する。
要は歌のデータだけ録って日本に持って帰ってオケを差し替えればよいのである。
でもこれじゃあ歌録りはいいとしても明日のプレス・コンフェレンスが心配である。
詞のプロデューサー、Ann女史の到着が遅れているのをいいことに、
常にセッティングしているドラムセットで
(いちいちドラムを持ち込まなければならないなんて日本ぐらいよ)
ちょちょいと叩き直す。

打ち込みから生に差し替える仕事は、
最近では「太陽にほえろスペシャル」のテーマソングでやった。
その時もドンカマなどなかった。
戦いのシーンでのドラムソロの曲は辛かったなあ・・・
打ち込みのドラムソロ聞きながら同時にドラムソロ叩くんだから。
今回はリズム聞きながらリズム叩くんだから楽なもんである。

俺は「一回しか叩かんでぇ」ドラマーで、
音決め等が終わったら集中してTake1で決めることを信条としている。
要は集中力なのである。
よし録るぞ!
しかしWilliamが俺に何か一言言ってるがようわからん。
「え?何言うてんの?
コード?
ドラム叩くのにコードなんて関係ないやんか・・・」
おーい!Noch!訳してくれー・・・
ドラムをほっぽり出してNochを探しに行く。
集中も何もあったもんじゃない。
Nochがやって来て訳してくれる。
「録音しますか? だそうですよ」
Record?
この一言さえ俺は聞き取れんかったんかい・・・

ああ、やっぱ英語勉強せにゃなあ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:21:20