2011年4月 9日
雲南の少数民族歌手
張張がプロデュースした雲南省の少数民族高洪章のアルバムを、
ぜひ日本のファンキースタジオで仮谷さんにミックスしてもらいたい
と言われてその音楽を初めて聞いた。
サックスのような強烈なブロウのインプロビゼイションを聞いた時、
「これ何の楽器?」
と聞いたら、
「何言ってんですか、歌ですよ」
と言われて度肝を抜かれた。
いわゆる「金切り声」を自由自在
に操って歌ってるんだからこれぞ「メタル」!!
また張張のアレンジも素晴らしく、
民族音楽とロック、FUNKなどが見事に融合しとる!!
(全音源をUPしました)
そんな高洪章のアルバム発売記念コンサートは雲南省の昆明で行われるというので、
「ファンキーさんスケジュール大丈夫ですか?」
と言われて無理矢理スケジュールを開けて駆けつけた。
何せ常春の雲南省にリハを含めて5日間滞在すると言うのだ!!
行かねばなるまい!!
リハーサルは3日間、
北京から5人メンバーのバンド編成でやって来てたのだが、
日に日にメンバーが増えてゆく。
琵琶、中国琴、二胡、中国笛から始まって、
雲南省の見たこともない民族楽器から、
民族歌唱のコーラス隊まで加わって最後には大所帯のバンドになってしまった。
その音楽監督が張張なのである!!
偉くなったのう・・・
さていよいよ本番当日、
会場に着いて真っ先に目に飛び込んだのは数メートルもある巨大なポスターである。
ご丁寧にワシの写真まで入っているというのに、
音楽監督の張張の写真がない。
その代わりギタリストの写真は2枚あるのできっと間違えたのであろう(爆笑)。
コンサートはまずイントロダクションでこの楽器が登場!!

何という楽器なのかは聞き忘れたが、
いわゆる「ラッパ」である。
「ぶぉ〜〜」という音がする。
それを循環呼吸を使って
音が途切れずにずーっと吹き続けるのだ!!
ワシが循環呼吸というのを初めて聞いたのは、
クルセイダースのライブアルバム「スクラッチ」であった。
トロンボーン奏者(だったと思う)が、ソロでひとつの音を延々吹き続けて大拍手をもらう。
この循環呼吸奏法というのは、
まあ鼻から吸いながら口から息を吐き続けるようなもんで、
当然ながらむっちゃ難しいテクニックである。
Jazzのセッションなどで同様のソロが振られた時、
友人の一流管楽器奏者などがよく本番では挫折して別のソロをやっていた。
必ず成功するかどうかわからないというそれほど難しいテクニックを、
彼は、というよりこの楽器奏者は必ず出来なければならない。
この楽器を始めた時からずーっとそれを訓練して、
必ず何時間でも吹き続けられるようにならないとこの楽器奏者と言えない。
ティンパニー奏者のロールの話を書いたことがあったが、
それと同じでこの「音」こそが彼の「人生」なのである。
人の「人生」を目の当たりに感じた時に人は涙が出て来る・・・
それだけではない!!
その後に出て来たこの民族パーカッション!!

名を「神鼓(Shen Gu)」と言う。
タイコに鈴が付いていて、
右手でそれを揺らして鈴を鳴らし、
左手でバチでタイコを叩く。
普段はこのように地べたに座って演奏するのだが、
最後のサビの繰り返しになると突然立ち上がって、
狂ったように踊りながら演奏するのだ!!
リハの時にそれを見た瞬間にワシは号泣!!
本番の時はワシの位置からは見えなかったが、
よく見える位置の張張が号泣!!
「ファンキーさん、あれはねぇ、神様と交信してるんだよ。
誰にもじゃま出来ない神との会話なんだよ!!」
それもそのはず、彼の職業はもう音楽というレベルを越えている!!
病気の人がいればそこに行って「神鼓(Shen Gu)」を叩き、
運気が悪い人がいればそこに行って「神鼓(Shen Gu)」を叩く。
神鼓奏者というのはもう音楽を越えて呪術師のレベルにいっているのだ。
宗教は人を救うために生まれ、
そして時には戦争を起こし、人を殺す。
ヘタな宗教をやるぐらいだったら、
楽器をつきつめて神と交信した方がよっぽど平和である!!
ゲストで出てくれた少数民族のふたり、
この歌も鳥肌もんであった。
人間の声が、訓練によってここまでになるのかという鳥肌である。
もちろん訓練だけではなく天性のものも必要なのであろうが、
この少数民族にだけその天性のものがあるというわけはない。
やっぱ「訓練」というよりは「生き様」なのである。
ワシは結局この人達から感激ばかりさせられながら、
それでも頑張ってドラムを叩いた。
わざわざ民族衣装を買いに行って衣装にしたぐらいである!!

昔はマッド大内のように上半身裸で叩いていたが、
太って腹が出て来てからそれも気後れしてやめてたが、
この少数民族の兄ちゃん達を見るにそれもバカらしくなった。
腹が出てようが何だろうがカッコイイのである!!
むしろその腹がカッコイイ!!
わざと裸でベストを着て、
ズボンは下っ腹の下で縛り、
腹もひとつのオプションとしてカッコイイ!!

ギネスの公式記録を軽々と上回る循環呼吸奏法を軽々と成し遂げつつ、
ステージで狂ったように踊りながらコーラスをする。
「これが男だ!!」
その証拠に、彼らの民族衣装を身にまとって狂ったようにドラムを叩くワシに、
コーラスの美女達はメロメロで
「一緒に写真撮って下さ〜い」
なんて寄って来るのじゃよ!!
は、は、は!!・・・というわけでコンサートは大盛況のうちに幕を下ろした。
打ち上げである。

噂には聞いてたが少数民族は飲む飲む!!
今までは本番前だということでセーブしてたのだろう、
ここに来てまた狂ったように飲む!!
ワシもひとりひとりと乾杯をしながら飲む飲む・・・
この中で一番偉いであろう人がワシの肩を抱いてこう言った。
「私たち一族はあなた達に感謝の意を表します」
私たち一族?・・・
そう、マネージャーも歌手の奥さんなら、
コンサートホールの支配人も親戚、
当然ながらワシにメロメロのはずの美女達は・・・
「そう、あれはあの歌手の嫁さんと、
もうひとりはあちらの楽器奏者の兄さんの嫁」
そうですかそうですか・・・俺がそんなにモテるわきゃないよっとくらぁ(涙)
しかし自分の一族だけでこの大きなコンサートを実現出来るというのも凄いし、
その一族の中にこれだけ優秀な楽器奏者や歌手が揃うというのがもの凄い!!
宴もたけなわの中、
さすがにもう飲めんので先においとましようと思ったら、
最後に高洪章とゲストの歌手が一緒に「酒歌」を歌ってくれた。

あまりに楽しくて涙が出て来た。
彼らは嬉しい時には酒を飲んでこの歌を歌い、
悲しい時には酒を飲んでこの歌を歌う。
民族の歴史は必ずしも平穏ではなかったと想像するが、
それでも彼らはこの歌を何十年、何百年、
いや、ひょっとしたら民族が生まれてからずーっと歌い続けて来た。
今年ヒットして来年には忘れ去られる音楽しかやってないヤツに、
彼らのこの歌声はどう響くのであろうか・・・
「そこに酒があれば〜行って飲み〜
そこにベッドがあれば〜そこで寝る〜」
コンサートでも歌った曲であるが、
狂ったように踊りながら大声を張り上げてこの歌を歌う彼らを見ながらこう思った。
日本のみんな、酒を飲んで歌を歌おう!!
狂ったように踊りながら歌を歌おう!!
民族の歴史は決して平穏ではないが、
それでもみんな楽しく生きてゆこう!!
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2011年3月12日
世界に尊敬される日本人
震災が起きて日本のツイッターにも目が離せないが、
中国ツイッターにも目が離せなくなった。
日本のツイッターは店のアドレスなのだから
フォローしてくれた人にはなるだけ全部フォローしようと頑張っているが、
中国ツイッターは基本的に知り合いしかフォローしてない。
それでもその42人しかいないフォロワーの会話の中で
「歓迎日本に最大の震災!!」
とかふざけた書き込みをRTで見ることが出来てびっくりした。
国家安全のために国民の全書き込みを検閲するひどい国家も
さすがにこれは即座にサーバーから削除した。
そしてみんなから散々非難を浴びる。
「お前はそれでも人間か!!」
とか
「お前みたいなのは民族の恥だ!!」
とか。
中国は今国家戦略もあり民族意識が高揚しているが、
ワシには昔からこの「民族」という意識がよくわからない。
「日本人として」というのもよくわからない。
しかし今回彼らのツイートの中にこの写真を見つけた時に思った。

「四川省大地震の時のこの人達を覚えているか。
我々中国人のために最大の哀悼をしてくれたこの人達が、
今はまた一番忙しく働いていることだろう。
ご武運を祈ろうではないか!!」
いろいろ心配してくれたり書き込んでくれた中国の朋友達に感謝すると共に、
ここに今一度胸を張ってこう叫びたいと思う。
日本人は素晴らしい!!
ワシは言う「日本人」というのは民族でも何でもない。
この島に生まれた同様の「気質」を持っている、
言わば「日本人気質」とでも言うべきか。
この人達はあの反日感情の中、
ただ自分の任務を一生懸命に全うしただけかも知れない。
ワシは一度News Weekの
「世界が尊敬する100人の日本人」
とやらに選ばれたことがあったが、
ワシも含め、ワシの知り合い数人も含め、こんなろくでもないヤツにこんな称号はいらん。
本当に世界に尊敬される日本人というのはこのような人達のことなのだ。
被災地の映像を見た中国人はこぞって
「見ろよ、彼らはこんなに秩序だって動いている、
俺たちがこうなるにはあと50年はかかるぞ!!」
と。
その通り!!
言っちゃぁ悪いがバスに乗るのにも並ばない君たちには
まだこのレベルには来るのは到底無理な話である。
中国が日本を抜いて世界第二の経済大国になったことを受け、
「日本はもうダメだ」
と嘆く人は少なくない。
しかし考えても見て欲しい。
GDP(国内総生産)というのは「総生産」なのだから当然ながら人口の多い国の方が有利である。
中国は日本の10倍あっておかしくないどころか、
日本はその10分の1の人口で世界第3位なのだ。
唯一の被爆国であり、何度も震災にあい、
そして毎年台風もやって来るこの島国の国民は、
その度に持ち前の勤勉さと真面目さでそれを乗り越えて来た。
外国のメディアはこぞって、
「この規模の災害でこの程度の被害で収まってるいるのは奇跡だ」
とかき立てる。
同じ気質を持つこの島国の国民達よ!!
想像しろ!!すれば実現する!!
今回も必ず乗り越えることが出来るのだ!!
みんな自分がやるべきことを一生懸命やるだけでいい!!
歌舞音曲を禁止するなんてもっての他である。
歌うやつは歌えばいい、踊るやつは踊ればいい。
電気が不足してたら生音でやればいい。
いわき市が復興したらみんなで常磐ハワイアンセンターに行って、
飲んで食って大騒ぎしてお金を落とそう!!
食いたい物を食って、飲みたい酒を飲んで、
それぞれの職務を一生懸命全うしよう!!
働くのだ!!そして遊ぶのだ!!
そしたらこの国はきっとまた不死鳥のように復興するだろう!!
我々は世界に誇るべき「気質」を持っているのだから!!
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2010年12月28日
何よりも大切なのはパソコン?データ?
前回のシステム総取っ替えで買った新しいパソコンが朝起きたらお亡くなりになっていた・・・
「まだ買って一ヶ月やん!!」
と怒るよりも先に困り果ててしまった。
ワシは知っている〜Macの修理は非常に時間がかかるのよ〜
今日は明日幕張で行われるカウントダウンジャパンの筋肉少女帯のリハ。
そのままリハ終わりに会場の近くに用意してくれたホテルに泊まり、
翌日はX.Y.Z.→Aのライブ終了後にそのままマレーシアに行ってしまう。
そのまま年を越してしばらく滞在するのだが、
その間パソコンがなければ仕事どころか何も出来ないのだ・・・
メールやTwitterなどはiPhoneやiPadでも出来るが、
何よりも前回のシステム総取っ替えでインストールしたLogicを使ってアレンジの仕事や、
Finaleを使って譜面作業が出来なくなってしまう・・・
旅ばかりやっているワシはパソコンさえあれば全てが出来るようになっているが、
逆にパソコンがなければ何も出来ないのだ・・・
新しいのを買うか・・・
一応嫁に相談してみる。
「ええよ、買うたら」
となかなか反応はいい。
ちなみに末吉家は家計は嫁ではなくワシが握っている。
結婚当初、北京で住んでた頃は嫁が握っていたが、
ミュージシャンという浮き草稼業、
仕事がある時は1ヶ月寝ずに仕事をしてるが、
ないときは1ヶ月何もないというのざらである。
ある時「パパ〜今月家賃も払えんよ・・・」と泣きが入る。
「んなもん何とかなるがな」
実際何とかなって来たから今こうして生きてられるのだが、
嫁は精神的にこれが性に合わない。
「毎月こんな思いをするのは心臓に悪い」とばかり財布を返上、
今に至る・・・
またワシが四国生まれのくせに落語に出てくる江戸っ子ばりに宵越しの金を持たないのよ・・・
よし!!ビックカメラに買いに行こう!!
一応お亡くなりになったパソコンも持ってゆく。
修理より何より、「初期不良」で新品に交換してくれるならそれにこしたことはない。
パソコンにはかなり強い方だが、
インストールディスクで初期化も出来ないというのは異常である。
昔ビックカメラで初期不良のパソコンをすぐに交換してくれたことがあったので、
持ち前の「言ってみるもんや」の精神である。
慌てて家を飛び出す。
なぜならリハに行くべく橘高王子がもうすぐ車で迎えに来てくれることになっているのだ・・・
着くや否や「時間がない!!」とまくしたてる。
「ワシはパソコンには強い!!
週刊アスキーで連載してるほどである。
そのワシが言ってるのだ!!これは初期不良である!!」
店員がびびって上の者を連れてくる。
ワシは更に捲し立てる。
「初期不良ですぐ交換してくれるならそれでよし。
さもなくば新しいのを買って帰るのですぐに返事をしろ!!
ワシは時間がないのじゃ!!王子がもうすぐ迎えにくるのじゃ!!」
上の者はびびりながら
「初期不良かどうかはお預かりして調べなければならないので」
と丁重に説明してくれるが、
「あ、そう。じゃあ買うわ。これの上位機種のこれね。
カードで払うとポイントが減る?ほな金引き出しに行ってくるから!!」
立ち去ろうとするワシを呼び止める。
「お客様、在庫があるかどうか確認して来ますのでしばしお待ちを」
「待たん!!時間がないんじゃ!!お前が調べとけ!!
その機種がなかったらその下位機種な、ほな!!」
嵐のように去ってゆき、また嵐のように戻って来た時には
商品は既に用意されていて店員はお亡くなりになったMacを調べている。
「ほなこれ買うし、それは修理しといてや!!」
嵐のようにレジに行く。
店員が金魚のウンコのように着いて来て、
隣で一生懸命梱包してるが、
「梱包なんかいらん!!それより修理の預かり証持って来い!!
金払ったらすぐ帰るぞ!!王子が迎えに来るのじゃ!!」
と一括する。
「あのう・・・Macはうちでは修理はお受けしてないんです。
銀座のMacセンターに持ち込んで頂かないと・・・」
言い終わるか終わらないかぐらいですかさず一喝する。
「お前んとこで買うたんやお前んとこが何とかせい!!
不良品売りつけてそれをたらい回しにするつもりか?!!」
店員がまた上の者を呼ぼうとするので、
「とりあえず電話番号置いとくからどうなるか決まったら連絡せい!!」
電話番号を置いて、
買ったばかりのパソコンを持って嵐のように去って行った。
パソコンのデータはAppleのタイムカプセルにバックアップしている。
無線LANルーターにもなって、
接続している間に自動的にバックアップしてくれるスグレモノである。
これを引っこ抜いて筋肉少女帯のリハに持ってゆき、
ドラム叩いてる横でゆっくり復元していればそれでよい。
ところがここに来て大問題が発生!!
なんとパソコンがタイムカプセルを認識しないのだ!!
データが復元出来なければパソコンなんてワシにとってただの「箱」ではないか!!
いろいろ試行錯誤してみるがやはり駄目。
困り果てている頃に電話がなった。
先ほどのビックカメラである。
「先ほどはどうもすみませんでした」
君に謝られるような覚えはないが・・・
と突っ込む前に店員はこう言った。
「先ほどのMacですが、直りました!!」
げっ!それでは24万かけて買ったこの「箱」は・・・
と一瞬思ったが、よく考えたら前のんは13インチで老眼のワシには少々使い辛かった。
15インチに買い替えたということで、
後は13インチからデータを移行すればそれでいいではないか・・・
「ワシ八王子に戻るわ!!電車で幕張入るし・・・」
リハ会場の高井戸から東京の西にある八王子まで京王線で行き、
パソコン取ってJRで東に向かう。
新宿も東京も通り過ぎてもっと東の千葉県まで・・・
立派に東京を横断しとるやないの・・・
まあいい!!
ただの箱と認識しないタイムカプセルを持ってホテルに入った日にゃぁ、
ワシはきっと徹夜でそれを認識させようとしてしまうのだ!!
ホテルに着いたらゆっくりデータ移行しよう・・・
ビックカメラに着いた。
心なしか店員がワシにびびっている。
ワシは意識して笑顔を作りながら店員に聞いた。
「どうやったら直りました?」
店員は自信ありげにこう言った。
「インストールディスクから無事に初期化出来ました!」
ガーン!!!するとデータはもう残っておらんではないか・・・
いやいかん、顔に出てしまった。店員がまたびびっている。
君のせいではないのじゃよ。タイムマシンが悪いのよ!!
ワシはおとなしくお礼を言ってビックカメラを後にした。
今からひとり電車で東京を横断するのだ・・・
背中には今朝買ったばかりの「箱」を背負い、
手には新たにゲットした「箱」を持って・・・
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2010年11月 5日
Sからの贈り物
昔いっしょにつるんでいたSから突然メールが来た。
「末吉さんご本人にどうしても連絡が取りたい事があり、
どこに連絡すれば良いのか分からなく、こちらにメールしました。
お手数ですが、ご覧になられましたら、
以下の連絡先を末吉さんにお伝えいただけますでしょうか」
おいおいそんなにかしこまらんでもこのメアドはワシ個人のやぞ!!
というわけで懐かしくなってその連絡先に電話をした。
なんと20年振りである。
「おうっ!!久しぶりやないかい!!何やってんねん!!」
Sは当時17歳、同じアミューズのタレント部門所属だった。
もともとワシに引き合わせたのはまだ売れない頃の福山雅治だったのだが、
当時ふたりともそれはそれは金がなく、
武蔵小山のJazz屋で会うといつもふたりに酒を奢ってやってた。
覚えてないがS本人曰く、「毎日奢ってもらってた」そうである(笑)
どちらも当然ながらイケメンなので、
それを肴に女の子を呼び出そうと、
「今から飲み来んか? イケメンも一緒やでぇ」
と電話をしても
「どうせ福山とかSとかでしょ」
と言って相手にしてもらえなかった、そんな時代である。
当時ぺーぺーで仕事も何もない福山と違って、
テレビ等にレギュラー出演していたSの方がまだ売れてたのだが、
そこは体育会のワシら、先輩の福山がいつもSの面倒を見てたのを覚えている。
福山もあんな甘いルックスのくせに非常に男気のある奴で、
ワシも個人的には大好きだったのだが、
ちょっと「不良」が入ってたSのことは「ほっとけない」というか、
結局うちに泊めたり連れて飲み歩いたりしていた。
ひどい時は
「おい、今から金沢のおもろい友人がおるから訪ねて行くぞ!!」
若い衆集めて当時のマイカー「ダットラ」とオンロードのバイク
(当時はオンロード、オフロード、アメリカン、サイドカーと4台のバイクを所有してた)
と並走して関越自動車道をぶっとばした。
要は自分がバイクに乗りたいというだけで、
でも疲れたら車にも乗りたいので、
バイクの免許を持っているSが便利だったのである。
金沢でしこたま飲んで、
「ほなワシは飛行機で帰るわ、お前バイク乗って帰っといて!!」
Sは彼の身体よりひと回り小さいワシのツナギを着せられて、
窮屈でアザが出来る思いをしながら徹夜でバイクを転がして、
東京でいち早く飲んでいるワシのとこに届けてこう言った。
「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」
かんべんするどころかワシの傍若無人は止まらない。
2丁目のオカマバーにハマってた頃は、
「おいお前、あの人達はなあ、俺たちなんかより凄い人達なんじゃ。
人間を越えとるんじゃ!!お前も勉強しに来い!!」
とか何とか言って連れてゆき、
お化け屋敷のようなオカマ達に囲まれながらSが本気で
「末吉さん・・・かんべんして下さいよ・・・」
と言ってたのを覚えている。
同じように福山もオカマバーの洗礼をと連れて行ったが、
本当に「かんべんして下さいよ」と言って二度と寄り付かなかったのと違い、
何故かSは何度も何度も「かんべんして下さいよ」と言いながら、
結局はいつもいつも一緒にいたんだから大したものだ。
そんな中、
「軽井沢に友達がペンションやっとるからツーリングに行くぞ!!」
とまたSを呼び出し、
みんなで山道を攻めて走ってた時、
カーブを曲がり切れず、Sがトラックと正面衝突した。
現場に駆けつけて救急車を呼んで、
病院に運んだのを覚えている。
幸い骨折と全身打撲ぐらいで大事には至らなかったが、
それ以来なんとなく疎遠になってもう20年・・・
とりあえず翌日会う約束をして電話を切った。
ほどなくメールが来た。
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末吉さん、電話有難うございました!!!
20年、本当にあっというまでした。
どうしても悔やまれていた、バイク代、
富士銀行時代の通帳等と共にやっと、明日、お渡しできます!!!
飲み代、ぷらっとこだまに乗り遅れた交通費の足しにして下さいませ(*^_^*)
バイクで事故をした後、意識を取り戻し目を開けると、病室で末吉さんが、
「おまえはあほやの~。」と笑って言ってました。
武蔵小山マンションのウォーターベッドで寝ていると、
「そこは俺の寝床じゃ!どけ~!」と怒って起こされました。
音楽したいんです!って相談したら、
「ぼちぼちいこか」をきけ~!っと、関西ラグタイムのアルバムは、
今、お借りしたまま私の自宅にあります。
時代と共に変わっていかなきゃいけないものだらけの20年でした。
末吉さんは、
時代には関係なく変わっちゃいけないものを20年保ち続けた男前な先輩でした。
成功しようがしまいが、男前な生き方を示した先輩と、
若き日に時間を共有できた事は、私にとってかけがいのない宝物です。
末吉さんの20年は、過去のメルマガを全部通読させて頂きました。
その文脈の奥に、文章にならない数々の想いが伝わって、涙がたくさんこぼれました。
この方は、本物やと。。
末吉さんの熱い人生(音楽)との取り組みを私も誇りにして、
自分の人生(仕事)に精進しております。
これから先は、受けた恩を少しでもお返しします!
どこまでできるかわかりませんが、
日本にいらっしゃるオフの日は、大江戸温泉にご一緒させて下さい。
(大江戸温泉代くらいは!稼ぎます!!!)
末吉さんがへたって日本に帰ってきて入院して、意識を取り戻したら、
「あほですね~、養生せんからですよ~!養生してくださいっ!」
と、病室で笑って話しかけたいです。
明日、お会いできるのを楽しみに!
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何故か涙が出て来て止まらなかった。
あの頃俺はなんであんなに狂ったように遊んでたんだろう・・・
まるで芸能人というクソっ食らえな職業で稼いだ金が憎いのかというぐらい、
毎日毎日湯水のように金を使い、
何千万あった預金は1年でゼロになり、
税金が払えなくなってアミューズに借りに行ったらこう言われた。
「そりゃお前から取りっぱぐれる心配はないから貸すことに問題はない。
でもこれは友人として忠告する、その生活を改めよ!!」
ワシもその数年後にはアミューズをやめることとなるが、
Sはこの頃にはもうアミューズをやめている。
大組織の中でうまくやってゆけず、
完全に浮いてしまっているこんな人間とつるんでたから感化されてやめてしまったのか、
もしくは同じような人間だからつるみだしたのか、
それは今となってはわからない。
テレビにもよく出ていたSはその後職探しにも苦労したようだ。
どこに行っても「芸能人」というのはついてまわるのだ。
このワシがどこに行っても爆風スランプがついてまわるのと同じように・・・
芸歴を隠して就職し、
今では裸一貫で会社を起こして頑張っているという。
20万という金は、返せそうな額で実はやりくりするのが大変な額である。
「それをぽんと返せるということは
ちゃんとまっとうに生活出来るようになったということなんだな!!」
ワシはありがたくその金をちょうだいした。
「今日は僕が奢ります」と言うSを制止してワシは言った。
「アホか、もし俺がおちぶれてお前が大金持ちになったとしても、
永久に俺はお前の先輩や、後輩に奢られてたまるかい!!
お前はまたお前の後輩に奢ったったらええねん!!」
昔ほど豪遊する金はないが、
Sと20年振りに朝まで飲んでそのまま羽田から北京に飛んだ。
金の問題ではない。
あいつはもっと素晴らしい利子をいっぱいつけて俺に返してくれたのだ。
同じ爆風のメンバーが同じように儲けた金でいい車を買ったり別荘を買ったり、
結局俺だけが家も売って金もなく・・・
でも俺にはこんな素晴らしいものがあったんじゃないか・・・
ありがとな!!S!!
昔ほどはアホ出来んけどまた飲もうな!!
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2010年11月 3日
ポール(梅原達也)
今回のツアーは44マグナムのポールこと梅原達也が、
何と京都と大阪の2本、遊びに来てくれてステージで一緒にセッションした。
彼がパーキーソン病にかかり、
それでも頑張って歌い続けていることは皆の知るところである。
(関連動画)
久しぶりに会った彼は少し元気そうでちょっとだけ安心した。
しかし現代医学を持っても完治は難しいという現代の奇病である。
薬とかでちょっと状態がいいだけで決して治っているわけではない。
このまま病気が進行すれば、歌うどころか動くことすら出来なくなるのだ。
京都では風邪気味だったのでお先に失礼したが、
大阪では最後までゆっくり一緒に飲んだ。
昔話に花が咲く・・・
関西メタルブームのまっただ中、
他のバンドより頭ひとつ抜きん出てそのブームを牽引してたのが44マグナムである。
爆風スランプの「たいやきやいた」という曲の前口上でいつも、
「アクションはおじんだ!!
ラウドネスは天狗だ!!
そして44マグナムはバカだ!!」
と叫んでいたが、
実は私は彼らとは面識がなかった。
何かの映像で彼らを見た時、
「ヤバいぞ、これは・・・こいつら・・・ハンパじゃない・・・」
と思ってマジでビビった。
折しも関西のメタルバンドが東京のライブハウスに乱入し、
東京のバンドと血みどろの喧嘩が起こっていた頃である。
こんなことをステージで言ってたらそのうち標的にされ、
俺はきっと奴らに殺されるんだ・・・と本気でビビった。
「よし!!何とか本人達と仲良くなろう!!」
末吉ならではの処世術である。
パール楽器を通してまずドラムのジョー、
そしてその近所に住んでいたジミーとバン、
最後にボーカルのポールにやっとたどり着いた。
九段会館でのコンサートの時、
「ステージを見に来てくれ」
と言って本人の前で「44マグナムはバカだー!!」を絶叫した。
マグナムが解散してからも時々飲んだりしてたし、
パーキーソン病を煩ってからもポールポジションで一緒にツアーを廻ったりしていたが、
今回ひょんなことからライナセロスの話が出た。
「ほーじん元気かなあ・・・」
バンドをやってるといろいろある。
ほーじんも爆風銃への書簡で言ってるように、
爆風だっていろいろあった。
ある時期ほーじんと私が憎み合わねばならなかったように、
ポールとほーじんもいろいろあったと聞くが、
なーに年をとるということは素晴らしいことである。
いやなことから忘れてゆくのだ・・・
私は迷わずすぐにほーじんに電話をかけた。
携帯も持たずに突然旅に出て連絡が取れなくなるスタッフ泣かせの男が、
この日だけは何故かワンコールで電話に出た。
二人がこうして電話で話すのも十数年ぶりであろう。
電話に割り込んで私はこう言った。
「今月18日の米川君とのセッション、
ポールも病状がよかったら来てもらおうや」
この日は江川ほーじん6DAYSの初日である。
私は次の日からまたツアーに出るが、
ポールの体調さえよければ6日間いつでも来て歌って帰ればいい。
自宅からの送り迎えが必要だが、
なーに、下戸のほーじんが喜んでやってくれるだろう。
電話を切って飲み会もお開きとなり、
ポールとも別れて和佐田とホテルに帰る道すがら、
私はこんな提案をした。
「なあ、週末とかなあ、
みんながヒマな時、店でポールの日やらんか?
もちろん病状が芳しくない時はドタキャンあり!
チャージ無料のおひねり制!!
ポールの送り迎えは俺がやるわ・・・」
それを聞いた和佐田、ちょっとだけ間をおいてこう言った。
「そやなあ・・・ワシらがあの店立ち上げたのはひょっとしてこのためやったんかも知れんなあ・・・」
この病気は現在のところ完治する見込みはない。
こうして今は酒が飲めてても明日はどうかわからない。
今日は歌が歌えてても明日歌えるという保証はないのだ。
麻痺でろれつが回らないポールと
シンバルで耳がやられて難聴の私が
酔っ払って会話してると実は大半が聞き取れてなかったりする。
しかしポールははっきりとこう言った。
「歌いたい」と・・・
よし、手始めには18日のほーじん米川セッションやな。
早起きして迎えに行くか・・・
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2010年11月 2日
ツアーの思い出:名古屋ELL
名古屋はELLというライブハウスでやらせて頂いて、
そこの名物オーナーしげさんと味仙でメシ食いながら昔話に花が咲いた。
名古屋ELLは昔は地下にあるそれはそれは小さなライブハウスだった。
名物オーナーのしげさんは当時植木屋として働きながら、
合間に手作りで店を仕上げてELLが出来上がった。
爆風がライブをやった時、
客がほとんどいないのに河合が客席にダイビングして椅子を壊し、
「俺が植木屋やりながら作った大事な椅子を壊すとは何事じゃ!!」
とさんざん説教されたのを覚えている。
また言っちゃ悪いがこのしげさん、人相が悪い。
奥さんのぞうさんがまたちょっとケバい系の美人なので、
ぱっと見はヤクザとそのスケと言った出で立ちである。
そんなのに本気で説教されたんだから河合がかなりびびってたのを覚えている。
もともとそんな無茶するバンドと知りながらブッキングしたのはしげさん本人である。
客も全然入らないのに好き好んで毎月毎月ライブをブッキングし、
ついでに全国のライブハウスに
「おもろいバンドがおるで」
と紹介して毎月毎月爆風スランプは大きくってすいません号でツアーをしてた。
デビュー前のアマチュアバンドである、客なんか入るわけがない。
多くても10人、少ない時はステージ上のメンバーより少ない。
それでも懲りずにブッキングしてくれて毎月毎月ツアーをしていた。
毎月毎月ライブやってるもんだから名古屋では
「爆風スランプは名古屋のアマチュアバンドだ」
と客はみんな思っていた。
いや、全国各地のライブハウスの客もそう思ってたのかも知れない。
そんな中、サンプラザ中野はMCでこう言った。
「僕たちやっとCBSソニーからデビューすることになりました!!」
その時の客の反応が面白かった。
全員が全員口を揃えて「うっそー」と言って笑うのである。
地元名古屋のアマチュアバンドだと思ってたおかしなバンドがデビューする・・・
そんな噂の相乗効果もあってか、いつの間にやら動員数は桁外れに増えた。
当時
「どこそこのヘビメタバンドがどこそこのライブハウスで動員記録を塗り替えた」
という時代である。
もともとそんなに客なんか入れない小さなライブハウスのELLであるが、
しげさんは
「じゃあ次は爆風2DAYSやろう!!」
という暴挙に出た。
ELLで2日間で600人・・・
これは物理的に塗り替えようがない爆風の持つELLの動員記録である。
当時のELLを知る者はみんな言う。
「あの店のどこにそんなに客が入れるんですか?・・・」
しげさんは無茶をやった。
立錐の余地もないほど客が入り、
外にも入り切らない客が並んでる状態でまず演奏を始め、
わーっと前に客が押し寄せて後ろに出来た隙間にまた客を入れる。
元々小さな地下室である。
天井も低いし酸素も少ない。
カウンターでタバコを吸おうとしたしげさんが
「ライターの火がつかんがねー」
と言ってた状態でこれだけ客を詰め込むとどうなるか・・・
後ろから押されて前の方の客が次々と失神してゆく・・・
いや、ステージ上で演奏しているワシら自体がもう酸欠で失神寸前なのである。
この上、後ろから押されている小さな身体の女子は体力のない順に倒れてゆく・・・
その失神した客をスタッフがステージから救い出して、
楽屋を通って外に出す。
そしたらまた前に詰まって後ろにちょっとだけ隙間が出来るのでそこにまた客を入れるのである。
当時ライブハウスで押されて死人が出たりしていた時代である。
この動員記録はその後物理的に破ることが出来ないようになった。
当時はライブハウス全盛の時代である。
爆風のようにライブハウスからメジャーシーンに躍り出たバンドが山ほどいた。
しかし時代は変わる・・・
メジャーになればブッキングは事務所管轄になり、
そこと関係が深いイベンター預かりとなる。
イベンターは「ライブハウスの次はホールだ」とばかりホール展開し、
「ライブハウスはアンダーグランド」というイメージが定着する。
ロックが「ビジネス」となってしまい、
「ライブハウスはホールに行くまでの足がかりだけ」
という図式になってしまったのだ。
これでは一生懸命ライブハウスのオーナーがバンドを育てたところで、
おいしいところは全部イベンターが持って行ってしまうということになる。
その後ビジュアル系のブームが来て、
店に出るバンドにいつものように説教していたしげさん、
「お前らそんなヘタクソでどうする?!!もっと練習せい!!」
あるバンドは深くその言葉に聞き入り、
「わかりました。僕ら今日解散します」
にはぶったまげたと言うが、
言うことをよく聞いたバンドは逆に動員数が減っていったりしたと言う。
当時ビジュアル系に若い女の子が売春して貢いでた事件が問題になったりもしたが、
そんなファン達が
「あのバンド、うまくなっちゃってもう私たちがいなくても大丈夫」
とばかりヘタクソなバンドの方に走っちゃうと言うのだ。
あの頃の時代・・・それはバンドは「上手い」ことだけが命だった・・・
俺もほーじんもそれに命をかけていた。
「この世界、ナメられたらおしまいじゃ!!」
そう思ってた。
三井はんや和佐田がいた「ITACHI」もそうだった。
対バンした時の態度がすこぶる悪かった。
「お前ら、爆風がなんぼのもんじゃ!!ワシらの方が数段上手いんじゃ!!」
対バンとは即ち「音で喧嘩!!」
勝敗は「上手いか下手か」である。
「俺は上手いから偉そうにしとる!!
ヘタクソは楽屋のすみっこで小さくなっとれ!!」
ってなもんである。
時代も変わり、しげさんも大人になり、
もう出演者に説教をすることもなくなった。
そのせいかどうかはわからんがELLはホールクラスの大きなライブハウスとなり、
動員数の少ないバンドも出演出来るよう小さなELLも作り、
しげさんも今では4件のELLのオーナーである。
いろんな伝説を作った昔のELLはもうない。
最後に出たのはX.Y.Z.→Aの最初のツアーである。
メタルがこんなしんどいもんだとは知らず、
関西四国8本連続のツアーを組んだ最終日がELLだった。
宣伝もしてないので動員数も少なかったが、
ツアーの最終日には噂が噂を呼び、
小さなELLが超満員になった。
当然ながら酸欠である。
薄れる意識の中であの遠い日のELLを思い出した。
おりしも同じ日、中野と河合は営業の仕事で同じく名古屋に来て、
アコギでランナーと旅人よをやって新幹線で帰って行ったが、
俺と和佐田はあいも変わらず車を運転して酸欠ライブをやっている・・・
生きている世界が違うのである。
ああ、そう言えば俺たちもあそこでいたこともあったなあ・・・
でも今はやっぱりここで生きている・・・
だから俺はあいも変わらずツアーを廻るのだ・・・
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2010年10月 6日
昔住んでいたアパート
夕べは小林エミさんのCD発売ライブで高田馬場に行った。
いつもは車で行くのだが初めて電車で行ったので、
帰り道にふと昔住んでたアパートの前を通ってみた。
東京に来て初めて借りたアパート。
陽の当たらない台形の5.5帖のその部屋はまだあった。
飲み屋と飲み屋の間の暗い廊下を入っていった突き当たり右手の部屋がそうである。
この部屋の手前を右に入ったところが飲み屋のトイレにあたり、
1階の唯一の住人であるうちのトイレもここということになる。
うちの部屋はいつもカギをかけてなかったので、
知り合いはいつもうちに来て宴会をしていた。
そのまま酔い潰れて雑魚寝は日常茶飯事だった。
そんなある日、ワシはバイトに出かけるので雑魚寝の友人達をまたいで玄関まで来た。
陽の当たらない部屋なので電気を付けなければ朝でも真っ暗である。
起こしたら悪いと思って手探りで玄関まで来て靴を探す。
玄関には絨毯運びのバイトでもらって来た絨毯の端切れを足拭きに使っていたのだが、
そこに足をかけた途端なにやら湿っているような・・・
そのまま気にせず靴を履いてドアをあけた。
廊下の向こうの道からの光がわずかに差し込んで来てワシが見たものは・・・
・・・辛子明太子?・・・
何故玄関のたたきに辛子明太子が置かれているのかがよくわからない。
しかもその辛子明太子には野沢菜がまぶされている。
野沢菜入りの辛子明太子を誰が玄関に放置した?・・・
よくわからないことだらけである。
外の廊下のその外の明かりだけなのでよくはわからんが、
常識で考えて野沢菜入りの辛子明太子を、
いくらカギがかかってないからと言って外部の人間が人んちの玄関にそっと置いて帰るわけはない。
これはどう見てもウンコである・・・
しかし誰が玄関先でウンコをする?・・・
これも謎だらけである。
ワシはあきらめてバイトに行った。
犯人はきっと夕べ野沢菜を食べた人間なのだ!!
ワシは家で雑魚寝している人間にかたっぱしから電話した。
「あんた夕べ野沢菜食べた?!!」と・・・
ところが全員が全員
「食べてないよ、それどころか朝起きてからウンコしたよ。いっぱい出たよ」
と言う。
そこに雑魚寝していた人間ではないのか?・・・
考えてみれば変である。
ワシが「何やら湿っている」と感じたのは恐らく・・・おしっこ・・・
部屋の中で雑魚寝していた人間が犯人だとすると、
その人間は寝ぼけてトイレに行こうとして玄関でウンコをした・・・
ついでにおしっこをしたと考えると、
当然ながらウンコは部屋側、おしっこはドア側にあるのではないか?・・・
この状態でウンコとおしっことをするためには、
寝ぼけて部屋を出ようとして玄関で身体を反転させねばならない。
そんな理性のある人はやっぱちゃんとトイレに行くのではないか・・・
犯人が外部の人間である可能性もある。
飲み屋で泥酔している客は「トイレはどこだ?」と聞くと、
「そこの廊下を入って行って奥の右側にあるわよ」
と答えられる。
ワシの部屋の手前の路地を通り越して突き当たりの右側のドアがうちなのだ。
しかしそれも不自然である。
ふつうトイレに入った人間はウンコをしたら紙で拭くであろう。
うちの玄関には野沢菜入り辛子明太子はあったが拭いた紙はなかったぞ・・・
その謎はいまだに解けてないが、
この部屋にはその他にもいろんなドラマがあった。
爆風銃のイーストウェストでグランプリをとった楽曲もこの部屋で生み出されたし、
恋もしたし失恋もしたし、
この部屋の向かいの工事現場で爆風銃のメンバーと泣きながら大喧嘩をして爆風銃は解散した。
思い起こせば大学を勝手に中退して東京に出て来て、
公衆電話に30円だけ入れて
「今、東京、大学やめた」
とだけ家に電話して電話が切れた。
その後、母親は血眼になってワシを探したと言うが、
ワシはどこ吹く風で日雇い土方のバイトをやりながらその日ぐらしをしてた。
金もなく、職もなく、家もなく、
その日泊まる家は早稲田のキャンパスで仲良くなったヤツに酒を飲ませて泊まらせてもらってた。
それはそれは身軽で楽しかった。
でもこの部屋を借りてから生活が一変した。
金がなくなって初めてバイトすればよい生活が、
「たかが1万4千円の家賃を払うために毎日バイトする」生活になってしまった。
ふられた女にバカにされ、
「どうしてもドラムセットが欲しいんだ」
と言って親に手紙を書いた。
「そんなことよりあんたはどんな生活をしてるの?!!」
そうやって母親が初めて上京して来た時、
おりしも爆風銃が小さなコンテストに参加し、
偶然にもそこでグランプリを取ることが出来た。
手にした20万円の賞金を
「お世話になった人達みんなで飲もう」
と言ってどんちゃん騒ぎをしていた。
自分の息子には何不自由なく育てて来たという母親が見たその息子の生活は、
およそ人に自慢出来る生活ではない、
言わば世の中の底辺のような生活だった。
でも我が息子は「輝いていた」・・・そう思ったのかも知れない。
母親はこう言って高田馬場を後にした。
「あんたがどんな生活をしようがお母さんはもう何も言わん。
あんたにはあんなに素敵な友達がたくさんいる。
それだけでお母さんはもう安心や。
もうこれからはあんたは自分の力で思い通りに生きなさい」
そう言って当時のお金で数十万のお金をぽんとくれた。
「これであんたの欲しいというドラムセットとやらを買いなさい」
と・・・
念願のドラムセットは手に入ったが、
生活は何も変わらなかった。
悲しいことも楽しいこともいっぱいあったけど、
でももしも一度だけ昔の自分に戻れると言うならば、
一番売れてたあの頃ではなく、この頃に戻りたい。
そう思ってアパートの廊下をちょっとだけ中に入って行った。
傘立てに傘が置いてあるところを見ると今も誰かが住んでいるのだろう。
どんな人間が住んでるのだろう・・・
こんな部屋に住んでいるんだから社会的に弱者であることは間違いない。
今日び風呂付き、トイレ付きじゃないと学生すら部屋を借りないご時世なので、
本当に世の中の底辺の人なのかも知れない・・・
ドアをノックしようとしてやめた。
この部屋はタイムマシン・・・
きっと俺のような人間がきっと俺のように夢を持って、
きっと同じように楽しく生きているのだ。
「生まれ変わるならその時代に戻りたい」
彼がそう思うのはまだまだ何年も先のことなのだ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:08:11 | 固定リンク
2010年9月22日
日本のマスコミ
今日のスペクトラムトリビュートが終わったら明日また北京に発つのだが、
やはりいろんな人が「中国大丈夫?」と聞いてくる。
二井原のブログにも書いてあったように、
現地に行ってみると往々にして意外と拍子抜けするもんである。
どうしてか?
それにはやはり日本のマスコミにも問題があるとワシは常々そう思う。
昔、女子十二楽坊が売れ始めた頃、NHKの人から国際電話があった。
NHKの別の部署の人からこの電話番号を聞いたとのことだが、
「女子十二楽坊の取材をしたいんですが」
という質問だった。
どこに取材の申し込みをしたらよいのかもわからないご時世だったので無理もないが、
その人がワシにこんな一言を言ったことでワシは少しカチンときた。
「彼女達は北京では街も歩けないぐらいの大スターなんでしょ?」
ワシは自信を持ってこう言った。
「誰も女子十二楽坊なんか知りませんよ」
これは本当である。
日本に逆輸入されて後にはそこそこ知られるようになったが、
その当時は北京では女子十二楽坊なんぞ知る人はいない。
「そんなはずないです。
彼女達は北京で有名になって日本に来たって言ってましたよ」
お前が誰からそんなウソを聞いて真に受けてるのかは知らんが、
彼女達が全然有名でないことは「事実」なのである。
電話の人は更にこう聞いた。
「彼女達は全国数千人のオーディションから選ばれたエリートで、
中国でもトップクラスの腕なんでしょ」
ワシは言った。
「音大とかから集めた、
どれも素人に毛が生えたようなレベルですよ」
と・・・
話があまりに噛み合わないので電話の人は最後にキレた。
「それでは番組にならないんです!!」
番組になろうがなるまいがワシは知ったこっちゃない!!
ワシは女子十二楽坊のCDでは必ず何曲かドラムを叩いとるし、
音楽プロデューサーも非常に懇意にしている友人である。
何よりも中国の音楽界のことを一番よく知っている日本人はワシなのである。
中国の携帯は電話を受けた人も同額の電話料を支払うので、
ワシはNHKがその人に経費で落とした電話代と同額の電話料を
支払ってその電話口でキレられたことになる。
その後その番組はどのように作られてどのように放送されたかはワシは知らない。
だが多かれ少なかれ日本のマスコミはこのように
「落ちどころを決めてから取材をする」
というところがあるように思える。
数年前、反日感情が高ぶってデモとかが起こっている時、
サッカー場かどっかで日本人が殴られているシーンをテレビで放送されたことがあったらしい。
ちょうど同じ日にワシは、
布衣のライブを初めて見て感激し、
彼らと一緒にどんちゃん騒ぎをしていた。
思えばその飲んでた店でも中国のテレビでデモのニュースを流していた。
反日感情を持っている人もいるし、
日本人ドラマーと大喜びで酒を酌み交わしている人もいるし、
その人達に喜んで酒や料理を運ぶ店の人もいる。
「中国各地でデモが起こり、中国じゅうが反日感情で湧いている」
というのはどう考えてもウソなのである。
サッカー場で日本人を殴る中国人もいただろうし、
それを止めようとする中国人もいたはずだ。
だがマスコミはその「日本人を守ろうとする中国人」は一切映そうとしない。
もし映り込んでいても絶対カットする。
ましてや同じ日に中国人と生涯の友情を築き上げる飲み会をしている日本人などに興味はない。
何故か?
「だってそれは少数でしょ」
と彼らは言うだろう。
「反日感情が多数で、親日は少数だ」
と。
でも違う!!
全中国人にもしアンケートが取れたとしたら、
大多数の中国人はこう言うだろう。
「日本なんか関係ない。
俺は明日自分が豊かになることの方が大切だ」
と。
こういう中国人が例えば90%いたとして、
残りの10%のうちの9%の人が
反日感情を持ってたとしたらマスコミは、
「全中国人は反日感情があって」
と報道するだろう。
ワシは今まで日本で中国を正しく報道しているメディアを見たことがない。
取材しているほとんどの人が駐在員で、
会社から与えられた豪勢なマンションで、
日本人や会社が付き合う偉い中国人とだけ一緒にいて、
庶民の中に飛び込んで一緒に暮らしたこともなく、
生涯の友と呼べる中国人と出会うこともなく、
みんな揃いも揃って任期を終えたらとっとと日本に帰ってしまう。
そんな人間に中国の何がわかる?!!
尖閣諸島問題、
ワシはこの問題がそんなに簡単に解決することはないと思う。
思想家と呼ばれる人はどの国にもいるし、
活動家と呼ばれる人もいて、
どういうシステムかわからんがそれで商売しているとも聞く。
メディアも「商売」なので面白おかしくそれを報道しなければならない。
ただ例えば、
北朝鮮がミサイルを打ったら朝鮮学校の子供をいじめたり、
日本がそんな人間が住む国にだけはなって欲しくない。
同様にワシも今まで通り反日感情に会うこともなく、
中国の仲間たちと楽しく酒が飲める中国であって欲しいと思う。
「国は国、人とは人」なのである。
思えば中国人はあんまりメディアを信用しない。
国が垂れ流すアホみたいな情報より、
自分の目で見て自分の心で感じたことを信用する。
日本人もええ加減アホなメディアの見方ばっかりを鵜呑みにしなさんなや。
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2010年9月19日
クドーちゃんにはかなわんなあ・・・
若いうちはドラマー同士ライバル意識があったり、
若気ゆえにいろんなことを競ったりしていた頃もあったが、
年をとってくると既にそんなものはどっかに消え失せ、
「長年の友達」というか戦友のようなそんな感覚になって来る。
思えば若かりし頃、同じくモニターをやっているパール楽器から、
「工藤義弘モデル」なるドラムセットが発売された。
白黒のストライプのかっこいいドラムセットである。
ワシら若かりしドラマーの夢というと、
1、大手メーカーのモニターとなり、カタログに名前が載る。
2、自分モデルのスティックが発売される。
3、自分モデルのドラムセットが発売される。
というのが一般的な夢である。
ワシは2番までは実現していたが、
その最後の夢をクドーちゃんに先を越されてしまったことで闘争心に火がついた。
思えばデビューも早かったし、モニターになったのも早かったし、
工藤義弘モデルのスティックだってワシより早く発売されてるんだから、
今になって考えるとこんなことで闘争心を燃やすこと自体が無駄である。
「若気の至り」としか言いようがないが、
しかしワシは実際むらむらとクドーちゃんに闘争心を燃やして、
「ファンキー末吉モデルのドラムセットも発売してくれ!!」
とパール楽器に怒鳴り込んだ。
パール楽器にとってはワシとてクドーちゃんと同じく大事なモニター様である。
無下にも出来ないので、
「ではどんなドラムセットかデザインして下さい」
というので苦労に苦労を重ねて作り上げたのが「すいかドラム」である。
いやーこれには苦労した!!
まずスイカの断面は透明なヘッドを内側から赤く塗り、
そこにマジックでタネを書けば簡単に出来たのだが、
表面のシマシマにはいろいろ試行錯誤をした。
もともとスイカというのは緑に黒のシマシマがあるのだが、
最初緑のドラムセットを注文して、
カッティングシートでそこに黒でシマシマを貼付けたのだが、
これでは緑と黒の区別がつかず、シマシマが目立たない。
そこで考えた!!
「色」というのはイメージであって必ずしも忠実に再現する必要はない!!
要は見る人に「スイカ」を連想させられればそれでいいのだ!!
この試行錯誤で既に数ヶ月の時間が経過している。
そして満を持して考えついたのが黄色!!
スイカには確かに黄色のイメージもあるので、
今度はパールに緑から黄色にラバーを張り替えてもらい、
それに今度は緑のカッティングシートでシマシマを貼付けてついに完成した。
ちなみにこのドラムセットは爆風スランプの初の武道館公演でも使用され、
「大きな玉ねぎの下で」という曲のイントロに入っている「ドドーン」という音を再生するためにシンセドラムもセットアップされたのだが、
ここでまた大きく悩まされることとなる。
このアナログなドラムセットのデザインと、
デジタルな六角形のシンセドラムとが馴染まないのである。
この六角形を基本にして何とかスイカと馴染むデザインに出来ないか・・・
武道館を成功させるための音楽的な悩みよりもワシは悩んだ!!
悩んで悩んでやっと思いついたのはこれだ!!
そうだ!!スイカなんだから昆虫だ!!
というわけでドラムセット上部に高く掲げられたシンセドラムは、
ひとつはゴキブリ、ひとつはハエとなって頭上を飛んでいるようにセッティングされたのだ。
完璧だ・・・
ワシは心底自分の才能に恐れ入った。
いくらクドーちゃんが偉大なドラマーでも、
このワシの才能には足下にも及ばないのではないか!!
武道館コンサートは大盛況のうちに幕を閉じ、
ワシは自信たっぷりにパールの人に連絡を取った。
「見てくれましたか?あのセット!!
あれをファンキー末吉モデルとして売り出しましょう!!」
当時パールはシンセドラムにも力を入れていたので、
このスイカと昆虫の抱き合わせは大きなセールスを生むこととなるのではないか!!
ワシはワクワクしながら反応を待った。
パールの担当者は電話口でゆっくりと口を開いた。
「こんなドラムセットが末吉さん以外の誰が欲しいと思いますか?・・・」
ガビーン!!!
天才というものはいつの世もこうである。
世の中が天才について来るのには「時間」がかかるのだ。
かくなる上は自分を殺して世の中に妥協するか、
もしくはもっと推し進めて有無を言わさないほどの作品を作り上げるかである。
ワシは後者を選択し、考えた。
果物の中で切り口が特徴的でもっと目立つモノは何だろう・・・
そしてついに進化系を思いついた!!
キウイだ!!!
緑のスプレーでヘッドを塗ってタネを書き、
ボディーは「毛」を貼付ければキウイになるぞ!!!
しかしパールの担当者は冷酷にこう言った。
「ドラムセットというものは、
ボディーにモノを貼付ければ貼付けるほど鳴らなくなりますから・・・」
ずーっと一緒にドラム製作を手伝ってくれた若い衆もこう言った。
「末吉さん、もう・・・やめましょうよ・・・」
かくしてワシはクドーちゃんに負けた・・・
前置きが長くなったが、
それ以来ワシは人と競ったりそんなことに興味がなくなって今があるが、
ところが昨日、ワシは久しぶりにクドーちゃんに嫉妬した。
いや、「負けた!!!」と思わざるを得ないことを彼はやってのけたのだ。
昨日店の6Fでは<EARTHSHAKER PRESENTS SMC>という、
毎月やっているシャラとマーシーのユニットのライブで、
シャラのバースデーイベントが行われていた。
末吉家は5Fの「水餃子食べ放題イベント」で家族全員で食事をしてたのだが、
いきなりクドーちゃんが5Fに降りて来たのでびっくりして聞いた。
「あれ?今日はシェイカー4人で出てるの?」
クドーちゃん曰く、
「いや、違うよ。ヒマやったから遊びに来たんや」
なるほど、長年連れ添ったメンバーのバースデーイベントである、
花を添えに来たのだろう。
かまわず5Fで飲んでたら、今度は6Fで飲んでたお客さんが腹を抱えて降りて来る。
「いやークドーさん・・・ハンパじゃないっすよ・・・」
聞けばクドーちゃんがいきなりステージに上がり、
「ちん毛焼き」なるものを披露したというのだ!!

かく言うワシも渋谷の公園通りで尻を出して三角倒立をして、
尻の上でドラゴン花火を燃やしたりいろいろやった。
しかしワシらはもう50歳である。
嫁もいれば子供もいる。
人に無理強いされてステージに上がったわけでも何でもない、
自分で勝手に遊びに来て、
勝手にステージに上がって勝手にちん毛を焼くとは・・・
クドーちゃん、あんたはもうワシの神様じゃ!!
いつまでも元気でパールドラムを背負ってドラムを叩き続けてくれ!!
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2010年9月 8日
方言(Fang Yan)が英雄(YingXiong)になった日
愛の力とはもの凄いものである。
若くて美人、スタイル抜群で頭もよく、
そして金持ちで性格もよい寧夏の女性に恋をした方言(Fang Yan)、
何とか彼女の気を引きたいが自分には彼女の気を引ける気の効いた「芸」がない。
「ファンキーさんのようにドラムでも叩ければ・・・」
と思うのは人の常だが、
彼はもともとギターをやってはいたがそれほどの腕ではない。
時は寧夏の一日目、沙湖でのこと。
「じゃあ次は湖で泳ごうぜ」となった時、彼の目が輝いた。
泳ぎだったら俺に任せろ!!
彼の頭の中ではくっきりと自分の姿が想像出来た。
さっそうと飛び込んで悠々と沖まで泳ぐ彼を、
憧れの目で見る彼女の姿が・・・
しかしそこには地元の悪友達の大きな罠が仕掛けられてたのである。
この湖、水が汚れているわけではないが、
緑色で透明度が著しく悪い。
水の底など全然見えないという水質なのである。
場所は船着き場、
まさか船着き場の水深がこんなに浅いとは誰も夢にも思わない。
悪友のひとりが方言(Fang Yan)がいないところでぽちゃんとここに飛び込んだ時にこのいたずらを思いついた。
「方言(Fang Yan)、ここは水深4mはあるからぱーっとかっこよく飛び込んで見ろよ!!」
もう彼は居ても立ってもいられない。
彼の頭の中ではくっきりと自分の姿が想像出来た。
さっそうと飛び込んで悠々と沖まで泳ぐ彼を、
憧れの目で見る彼女の姿が・・・
いそいそと水着に着替えに行く彼、
大笑いで笑う悪友達、
しかしワシは
「まさかこんな子供騙しに引っかかるヤツはいないだろう」
と思っている。
彼が帰って来た。
みんなカメラを構えて
「さあ飛び込め!ベストショットを撮ってやるぜ!!」
と構える。
彼は水に手を入れてちゃぽちゃぽと水温を見ている。
通常は水温よりも水深を計るものだが、
彼の頭の中はもうさっそうと飛び込んで悠々と沖まで泳ぐ彼を、
憧れの目で見る彼女の姿しか見えていない。
思えばこの時にもう少し手を伸ばせば水底に手が当たっていたのだ・・・
「こんないたずらに引っかかるヤツはいない」
そう思ってたワシはバカだった。
彼は手を引っ込めるといきなりさっそうと飛び込んだ!!
見よ、この勇姿!!この美しさ!!
しかしこの水深は実は15cmしかないのだ!!!
「こんないたずらに引っかかるヤツはいない」
と思ってたワシは慌てたがもう間に合わない。
ほんの一瞬の出来事だったのである。
別カメラの連続写真がある。

おいおい、本当に飛び込むつもりか・・・

おいおい、マジかよ!!

ヤバい!!こいつ、本当に飛び込みよった!!!

ざっぽーん!!!

後ろで笑い崩れてゆく悪友達の姿が見える。
この場でいた全員が笑い崩れてもう立てない状況である。

ぷっかーん・・・いかん!!死んだか?・・・助けなきゃ・・・
・・・でも笑い過ぎて立てん・・・お腹がよじれる・・・苦しい・・・

動かんぞ・・・死んだか?・・・助けなきゃ・・・
・・・でも笑い過ぎて立てん・・・

ぷっかーんとしばらく浮いていた方言(Fang Yan)・・・
それが何秒だったのかもう誰もわからない。
人間笑い死ぬということがあるんだなというぐらい七転八倒してた悪友達を尻目に、
しばらくしてむっくりと起き上がった方言(Fang Yan)、
そのまま沖に行って、何事もなかったかのように悠々と泳ぎだした。
こんな姿をマンガ以外で見ることがあるのだろうか・・・
一同はまだ腹抱えてもんどうりうっている。
こうして彼は、3日間の首と腰の痛みを引き換えに、
我らの英雄(YingXiong)となった。
もちろん水底が砂であると知っての狼藉である。
よい子は絶対にマネしないように・・・
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2010年8月28日
続・九龍城砦のお話
香港在住の日本人の方から更なる情報を送って頂いた。
無断転載したいと思う。
まず全景!!

凄いですねえ・・・
ここに全盛期は5万人住んでたというんだからもの凄いです。
嫁はこの写真見ただけでもう吐きそうでした・・・
違法建築のビルが密集していて、
もう崩れそうになってるのに隣のビルにもたれかかってかろうじて建っている様子がよくわかります。
真ん中のくぼみには老人ホームと幼稚園があったという話です。

屋根の上は周囲の住居から投げ捨てられたゴミでいっぱいですが、
それでも本当に「無法地帯」であるはずのここが、
それなりに住民達により治安が保たれていたということを感じさせます。
城壁の中の映像ですが、
昼間でも光は当たらず、天井には電気や電話や水道、
そして汚水のパイプなどが網の目のように張り巡らされているのが見えます。
そして次の映像で嫁は本当に吐きそうになった。
考えても見て下さい。下水がないのです!!
ここで魚などをさばいたその水はどこに流れてゆくのでしょう・・・
カメラが歩くその道路がじゅくじゅく濡れているのは全て「汚水」です。
悪臭も凄まじかったらしいが、
食品衛生法が適用しないこの地区で、
香港のホテルなどで出すほとんどの点心が作られていたというのは驚きです。
医師法も適用されないのであらゆる闇医者がここに集まっていたらしい。
それにしても人間のたくましさよ!!
映像で映っているここで生まれ育った少女が大きくなって
またここで子供を産んでまたその子供が大きくなってゆくのだ。
下記にいろんな情報がまだまだあります。
興味のある方はご覧下さい。
http://www.ourradio.hk/forum/viewthread.php?tid=13676
Posted by ファンキー末吉 at:10:41 | 固定リンク
2010年8月26日
九龍城砦のお話
先日のWingのライブが行われたのは取り壊された九龍城砦のすぐ近くだった。
地元の日本人から話を聞いて感激したのでちょっとここでご紹介しておきたい。
流れだけ大雑把に説明するが、
うろ覚えのところもあるし、もっと詳しく知りたい方はいろいろ調べてみて下さい。
まず、アヘン戦争で負けて清が香港を植民地として明け渡す時に、
ちゃんと返還されるかどうか心配だった清がこの地区を飛び地として中国領土にしたところからその歴史が始まる。
香港の中にぽつんと城壁で囲まれた中国領土があり、
桟橋から船で中国と行き来が出来てた頃は、
この地には中国の役人も駐在して完全に中国領土だったが、
ある日中国の役人が祝い事で爆竹を鳴らしたことを口実に、
イギリスは「イギリスの軍事活動の妨げになった」とイチャモンをつけて中国役人を追い出してしまう。
桟橋も壊され、陸の孤島となったが、
イギリスは条約があるためここをイギリス領とは出来ず、
名実共にこの地区はどこの主権も及ばない地区となってしまった。
つまり「どの国の法律も適用されない無政府状態」である。
当然のごとく犯罪の温床となり、
麻薬、売春、あらゆる犯罪がここに集中するわけだが、
外で語られてるよりは自警団の力が強く、
食品衛生法が適用されないので中華料理の点心のほとんどはここで安く作られてたり、
医師免許も適用される法律がないのであらゆる闇医者が集まってたとも言う。
大陸から亡命者もどんどん流れ着き、
ピーク時には0.026km2(約200m×120〜150m)の僅かな土地に
5万人もの人々がひしめき合って
人口密度は約190万人/km2と世界で最も高い地区となってたらしい。
畳1枚に3人が暮らしていたことになる。
違法建築でビルがどんどんと上に作られてゆき、
そのビルが互いに寄り添ってかろうじて強度を保っていたという状態である。
無政府状態なので生活インフラは自分たちで何とかせねばならない。
光も届かないその内部は迷路のように複雑になっており、
通路の天井には電話線やら電気コードやら、地下水を汲み上げた水道管やら、
香港側に汚水を流すホースや、それらが破れて垂れ流しになっていて凄まじい汚臭が漂っていたという。
そんな中にも自警団がいて、幼稚園も老人ホームもあり、
また香港側とは自由に行き来が出来るので、
それはそうで人民はそれなりに暮らしていたという。
取り壊されるまでそこには行ったことがないが、
もし行ってたらまた「ここで暮らしたい!!」と言い出してたかも知れない。
いや・・・前世はひょっとしてそこに住んでたのかも・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:19 | 固定リンク
2010年7月 9日
昔話2・・・
昨日は小林エミさんレコ発ライブを終えて、三井はんと和佐田はんと飲んでいた。
どこからそんな話になったかは忘れたが昔話に花が咲く。
あれは爆風がまだRunnerでブレイクしてない頃だったかな?
TOPSはまだ池尻のTOPSマンションでタコ部屋共同生活をしてた。
野村義男のThe Good-byeは結構売れていて、
そこのドラマーの衛藤浩一とはしょっちゅう飲んでいた。
その日はその衛藤浩一と当時爆風のマネージャーだった綾和也と、
TOPSマンションで三井はんも交えて飲んでいた。
何が楽しかったのか全然覚えてないが、
べろんべろんになって楽しくて楽しくて、
誰が脱ぎ出したのか覚えてないが4人とも素っ裸になって飲んでいた。
むっちゃハイである。
しらふで帰って来た和佐田はそのあまりのテンションについていけず、
とばっちりを受けないようにこそこそと部屋に引っ込んだというが、
トランペットの寺内は運悪くつかまってしまい、
三井はんに
「こら!!お前も脱がんかい!!」
と言われるのを何とか振り切って逃げたのであろう、
記憶の中では寺内はおらず、相変わらず4人で飲んでいた。
何がそんなに楽しかったのかまるで覚えてないが、
それはそれは大笑いで、
三井はんが笑いこけてもんどうり打ってひっくり返って、
キンタマ袋の裏が見えているのがまた可笑しくってたまらず、
相乗効果で更に笑いこけて飲んでいる。
これが今の時代なら、
草薙くんのように警察に
「絶対悪い薬でもやっているのだろう」
とばかり職務質問されるのだろうが、
この4人はそれから職務質問ぐらいでは収まらないような行動に出る。
誰が言い出したのか
「じゃあ神社にお参りに行こう!!」
ということになり、
そのまま4人は素っ裸のままTOPSマンションを飛び出してゆく。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
階段を4人で駆け降りて、
TOPSマンションの玄関を出るとそこはもう国道246である。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
一列になって歩道をジョギングスタイルで駆けてゆくのだが、
時はもう朝方、通勤ラッシュのため246は大渋滞である。
ぎゃー!!
渋滞で進まない通勤バスの中で女子高生が悲鳴を上げる。
ただひとり顔が売れている衛藤浩一だけが少しひるんだが、
三井はんを筆頭にその他の人間は全然ひるむことなく走り続ける。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
思えば次の角には交番があったのだが運良く警察官はおらず、
そこを素通りして池尻神社にほどなく到着する。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
ワシの視線は先頭を走る三井はんの尻に釘付けになりながら走っているのじゃが、
池尻神社の階段を上る時にはそれがほんの目の前で揺れることとなる。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
尻、そしてその背後に階段の風景が、
尻、そして階段が終わった池尻神社の風景に上の方から徐々に変わってゆく。
そして尻の向こう側に見えるのは
神主さんがレレレのおじさんよろしく境内を掃除している姿。
ぶったまげて竹ぼうきを落としそうになりながら、
神主さんはスローモーションのように片手を左右に振りながら叫ぶ。
「その格好で入って来てはならん!!」
臆することなく神主さんを押しのけて境内を進む3人。
ただひとり衛藤浩一だけが神社の木に隠れて星明子のように3人を見つめていた。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
目の前の尻は動きを止め、3人は賽銭箱の前で横1列に並び、
柏手を打って鈴緒を振って本坪鈴を鳴らし、
お参りをすませて身体を翻し、また縦1列に並んで走り出す。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
神主さんは先ほどとまるで同じ姿勢で
竹ぼうきを持ったまま片手を横に振って何かを叫んでいる。
星明子のように木陰で隠れて3人を心配そうに見ていた衛藤浩一の前を3人が通ると
衛藤浩一もそれに合流し、
また4人は1列になって階段を下り、
246沿いの歩道をまた規則正しく走り出す。
えっ!ほっ!えっ!ほっ!
歩道を歩く通勤客は道をあけ、
自転車はすっ転びそうになりながら道をあける。
ぎゃー!!
先ほどの通勤バスは渋滞のためにまだ同じところに止まっていて、
満載の乗客がまた同じように悲鳴を上げる。
警察官のいない派出所の前を通ってほどなく走るとTOPSマンションにたどり着き、
階段を上がって4人は部屋に戻り、
また何事もなかったかのように素っ裸のまま酒を飲んだ。
和佐田は触らぬ神に祟りなしで部屋に引っ込んだまま出て来なかった。
4人が4人ともこれだけべろんべろんになりながら
この一部始終は昨日のように鮮明に思い出すのだから不思議である。
若き日の美しい思い出である。
Posted by ファンキー末吉 at:11:57 | 固定リンク
2010年6月21日
ギネス日本支部のアコギな仕事ぶり
今日はまるでオフなので前々から書こうと思ってたこの件について書きたいと思う。
もともとギネスなんぞに挑戦するつもりもなかったのじゃが、
二井原実にぽろっと口が滑って言ってしまったがために、
なんかもう後には引けない状況になってしまった・・・
まあまる2日ぐらいドラムを叩き続ける自信はあるので、
とりあえず店のスケジュールは押さえてみて、
どうやって申請するのかを調べてみた。
ギネス世界記録ー日本公式サイトはこれである。
見るからにうさんくさい。
みのもんたを起用してTOPに有名人の顔を載せているところやら、
何よりも電話連絡等一切の直接コンタクトを拒否しているところがアヤシイ・・・
・・・というか、
<ご注意> 既存の記録確認や、最新の記録調査の依頼は一切受け付けておりません。
というのはちと困る。
記録を確認出来なければ挑戦も出来ないではないか!!!
『ギネス世界記録2010』っつう本を購入するか、
もしくは「ギネス・ワールド・レコーズ 英語版公式サイト」に行って自分で調べろ、と。
しゃーないから調べてみる。
自分がドラムを叩いて記録を樹立するとすれば、これだろう!!
Longest Concert By A Solo Artist
In a small theatre in Montmartre, Paris, Canadian musician, singer-songwriter, producer and rapper Jason Beck, aka Gonzales, began his attempt for the longest concert by a solo artist at 0:22 a.m. on Sunday, 17 May 2009. Spurred on by a rotating series of enthusiastic audiences (especially the 3 a.m. to 6 a.m. crowd), Gonzales continued to play throughout the night and the following day while at various times being shaved (with a cutthroat razor), eating cereal one-handed and being interviewed on TV. Determined not to repeat any songs ("I want to break the record without sounding like a broken record") Gonzales interpreted a huge playlist that ranged from Britney Spears to Beethoven. He also took requests from the audience watching him at the venue itself and online via a live stream of the attempt. The record was eventually broken in the early hours of Monday morning and by the time Gonzales finished his concert Guinness World Records™ Adjudicator Frank Chambers could announce a new record of 27 hr 3 min 44 sec.
Longest Concert By A Solo Artist、
つまりソロアーティストとしての最長コンサート。
これだったらいろんなプレイヤー呼んで入れ替わり立ち代わり、
27時間3分44秒以上セッションを続ければよいということになる。
まあ8月14日の夕方5時から始めて翌日の夜9時に終了すれば28時間、
夜8時にはX.Y.Z.→Aをブッキングしといて、
ちょうど27時間3分44秒あたりに「生きるとは何だ?!」を演奏すれば盛り上がるなあ・・・
・・・と個人的に考えつつ、
じゃあ申請しようというとこれがなかなかめんどくさい。
直接イギリスに申請するには語学力とかの問題もあるので、
「日本語プレミアムサービス」というのを選ぶことにした。
もちろん金がかかる。
要は「金を払わんヤツには何の問い合わせにも答えるつもりは御座いません」
ということなので、まあいい!!
金さえ払えばワシは「客」なのである。
金を支払ってから気がついた。
「£1,000」とあるので「千ドルかあ・・・9万円ちょいか・・・」と思ってたら、
千ポンド!!約13万5千円!!
高いぞ!!!!
まあ支払ってしまったものは仕方がない。
これで「サービス」を受けられるんだからそれでよしとしよう!!
ところがホームページでの説明では、
【料金支払完了後、申請が受理された旨を電子メールでお知らせします。
この電子メールには、「記録挑戦に関する同意書」が添付されています。
その同意書にサインをし、至急FAXにて返送して下さい】
と記載されているが、なかなかギネスからメール届かない・・・。
支払完了後、ギネスのサイト内でページにうまく遷移しなかったが、そのためか・・・?
申請が完了していないのか・・・?
今日が土曜日だからか・・・?
不安になったので、ギネスに問い合わせのメールをしてみる。
「お金を支払いました。
申請は完了していますでしょうか?
同意書はすぐに返送されるのでしょうか」
すると、ギネスから英文のメールが届いた。
URLアドレスと、ログインID、パスワードが記されている。
しかし、同意書のようなものは添付されていない。
「日本語プレミアムサービス」に金を払った「客」に何で英文のメールを送りつける?!!
あの13万5千円の金は何やったんや?!!
電話でクレームを言うことも出来んし、
「日本語プレミアムサービス」にメールしたら英文を送られて来るんじゃ仕方がない。
【Please click here to start】 と書かれているので、
試しに、メールに記載のURLにアクセスし、ログインしてみる。
すると、また申請画面が出てきた。
今度は英文のフォーマットだ。
ええかげんにせんかい!!
一応、また同じ申請内容を入力して進んでみる。
しかし、
「プレミアムサービスは1000ポンド必要です」
と、記されている。
アホかい!! 金ならすでに支払ってるやないかい!!
まだ更に金を搾り取るんかい!!
その後、ギネスからのメールが届くことはなかったので、
なんとか日本オフィスの連絡先を調べて電話で状況を説明。
(もともとちゃんと最初っから電話で対応せーよ!!)
やっとメールで同意書が届いた。
今度は日本語だ。やっとこれで申請手続きが進められる。
14ページにも渡る同意書だ。手続きが細かい。
内容を読んでみる。
【サイン入りの同意書を当社が受理した時点で、4週間以内に申請を審査・・・】
ん?
【ガイドライン受領後、6週間以内に審査します・・・・】
ん?
【有料でプレミアムサービスにアップグレードしていただけます】
ん?
全くもってよーわからん!!
13万5千円も払ってその「サービス」がこれか?
5万円で英語の通訳雇って
直接イギリスのギネスとやりとりした方が「サービス」がええんとちゃうか!!!
同意書やら煩雑な書類にサインして送り返したらやっと返事が来た。
以下が全文である。(個人名は伏せました)
---------------------------------------------------------------------------------------
末吉様、
ギネスワールドレコーズの@@と申します。
日本語プレミアムサービスをご利用いただきありがとうございます。
「最長のソロコンサート」での申請ですが、
現在の記録は、2009年7月5日から26日にかけて、インドで行われた、501時間です。
The longest performance by a solo artist lasted 501 hours and was achieved by Kuzhalmannam Ramakrishnan (India) at the Rhythm Therapy Hall, Nandavanam Hospital, Ottapalam, Kerala, India, on 5-26 July 2009
こちらとは別に、個人で長い時間ドラムを演奏した、記録もございますが、
こちらは120時間が現在の記録です。
(こちらはあくまでも、現在このメールの送信時点での記録です。
記録は、今後いつでも更新される可能性があります。
記録が更新された場合、当社から各申請者に通知することはできませんので、
記録挑戦の直前に新しい記録が達成されていないことを確認していただく必要があります。)
どちらも、ご予定になっていた28時間より大分長くなりますが、
ソロコンサートの方のガイドラインと
「記録挑戦者のためのしおり」(Record Breakers Pack)を添付いたします。
ガイドラインは規則上、全世界共通で翻訳はお送りできないことになっております。
何かご不明な点がございましたら、私までお問い合わせください。
記録の挑戦後は、申請内容をまとめて、以下の宛先にお送りください。
Records Management Team
GUINNESS WORLD RECORDS LIMITED
3rd Floor
184-192 Drummond Street
London NW1 3HP
UNITED KINGDOM.
よろしくお願いいたします。
---------------------------------------------------------------------------------------
自分とこやのうてイギリスに送らせるんかい!!
お前の仕事はこれで終わりかい!!
それより不明な点も何も、お前んとこのサイトで、
「一切の問い合わせには応じないので自分で調べろ」
というのでお前んとこの本家のサイトで調べたら27時間と出てたから、
「ほな金を払いまひょか」と払うたら「それは間違いです。ほんまはこれです」
ってそんな詐欺まがいな商売をやっとるんか?!!
せめてもっとリーズナブルな値段で
先にそれを確認してあげるサービスが妥当なんとちゃうか?!!
ワシの13万5千円返せ!!と言いたいが、
「支払い頂いたお金は申請が受理出来なくても返せません」
あんたらちと商売がアコギすぎやしませんか?!!
こうなったら乗りかかった船じゃ、120時間に挑戦するか?!!
とほざいてたら嫁に止められた。
「あんたはそんなことせんでも十分世界一のドラマーやで」
金よりも労力である。
13万5千円を取り戻すためにもっと多くの労力を費やすぐらいなら
泣き寝入りをした方がまだ楽である。
このサイトで金を支払ったワシみたいなアホな人間はもっといると思う。
全くもってネットで「先に金を振り込め」っていう商売にろくな商売はないな。
Posted by ファンキー末吉 at:10:25 | 固定リンク
2010年4月23日
乗り遅れ!!
ツアー初日!!
八王子から京都へは横浜線に乗って新横浜乗り換えで行く。
新横浜では私と張張(ZhangZhang)のチケットを持った和佐田が待っている。
時間に余裕を持って出発、
予定より早く横浜線のホームから電車に乗り、
iPhoneでブログ更新などをやりながら、
ふと顔を上げて外を見ると・・・
「知らん駅に来とるぞ!!・・・」
見れば「相模原線上溝」と書かれている。
ワシはちゃんと横浜線のホームから電車に乗ったぞ!!
仕方がないので飛び降りてタクシーに乗る。
「新横浜まで30分で行ってくれ!!」
そりゃ無理だと言われ、
「じゃあ一番近い横浜線の駅まで行ってくれ!!」
タクシー代は散財じゃが、間に合わなければもっと散財が待っている。
和佐田が用意したチケットは「プラットこだま」、
乗り遅れたら乗車変更も出来なければ払い戻しも出来ないのだ・・・
上溝から最寄りの駅は淵野辺、
タクシーを降りてそそくさと電車に飛び乗ったが、
検索によると2分違いで間に合わないらしい。
新幹線遅れんか・・・
そうは都合良く遅れるわけはない・・・
新横浜で張張(ZhangZhang)の分もチケットを買い直し、
2万4千円の散財・・・
てんやわんやで京都に着いたのであった・・・

Posted by ファンキー末吉 at:20:07 | 固定リンク
2010年4月10日
爆風銃(バップガン)アライブ!!
いや、ボーカルが不参加だったので厳密には爆風銃ではないのですが、
まあ6人中5人が集まったら結構爆風銃に似ている。
特に10数年振りに一緒にプレイしたホッピー神山は圧巻だった。
10数年前のセッションでは、
拾って来たテレコやサックスの吹き口などを並べ、
キーボードはほとんど弾かずにただただノイズを出しまくってた。
ここぞボーカルの見せ場というところで
「ブォー」
とノイズを鳴らされて二井原が怒り心頭で睨んでいたのを覚えている。
昨日会場入りして一番気になっていたのがホッピーのセッティングである。
名機プロフェット5をはじめとして、
リハで使った3台のキーボードは並んでいるものの、
入り時間にやって来たホッピーが数々のノイズ発生機を並べ始めたとしたら、
それはそれらの名機は本番で必ずしも正しく弾かれるとは限らない。
いや、もともと本番になったらちゃんと弾くかどうかわからないのだ!!
これはある意味本番にちゃんと来るかどうかわからないPさんの話よりも恐ろしい・・・
しかし予想に反し、ホッピーはちゃんと弾いた!!
見事に20数年前のプレイを「再現」した!!
いや、「再現」どころではない「本領発揮」に近い!!
通常キーボードはPAに接続してステレオで再生するが、
彼の場合はJCというギターアンプを持ち込んでアンプで再生する。
しかも全部モノラルである。
「シンセのステレオなんてさあ、中でエフェクターで広げてるだけなんだからさあ。
そしたら音もぼやけるしさあ。
僕なんかリバーブも何もエフェクト全部切って全部モノラルよ!!」
その「生音」の壮絶さと言ったら、
キーボードソロの時にステージ上の全員が歯医者で奥歯を削られているような錯覚に陥り、
その8小節間の間全員が身体をよじり、顔を歪めてプレイする羽目となる。
通常のキーボードプレイヤーのように「音量」すらもPAに預けているわけではないので出し放題、
つまり「爆音」である。
ワシはただでさえ隣に爆音の低音、
いや弦をはじくのでもっと耳が痛い周波数帯域も多いベーシストが、
1000Wを越える大音量アンプを持ち込んでバキバキ鳴らしているのだ。
そしてスティーブ衛藤の金物パーカッションがその合間を縫って耳をつんざく。
ただひとりの良識人であるかんじさんは、
難聴に頭をぼーっとさせながら自然にアンプの音量が上がってゆく・・・
ほーじんが爆風銃のみんなに宛てた書簡に書かれているように、
これぞ「向こう見ずな若者が作り上げた向こう見ずな爆風銃サウンド」なのである。
実は爆風銃がイーストウェストでグランプリを取った時、
ひとりの若者がそのサウンドに感銘を受け、
当時誰も、メディアや音楽評論家でさえあまり取り上げた事のないこの「Funk」というサウンドの虜になった。
翌年彼は同じようにヘアースタイルをアフロヘアーにして、
「ホッテントット」というバンドを組んでイーストウェストに出場した。
若き日の久保田利伸である。
チョッピン加藤が久保田くんとひょんなことから飲んだ時にその話をしたら、
彼が爆風銃に影響を受けたことを認めながらこう言ったそうだ。
「でもね、僕はあんな暴力的な、とんがったFunkはやりたくない。
もっとメローでポップなのをやりたいんだ」
と。
それからの久保田くんの活躍は誰もが知るところである。
しかし爆風銃はその道を選ばなかった。
いや、選べなかった。
どうしようもなく怒り、爆発し、それを16ビートのFunkリズムにぶつけ続けてぶっ壊れて解散した。
だからこの素晴らしいミュージシャン達は「今」がある。
おかげでワシはこの「ドッタッドッタッツ」のリズムだけで全てが表現出来る。
だからバラードがそのほとんどの仕事である中国でトップクラスのスタジオミュージシャンとして仕事ができる。
後は両極端のメタルとJazzをもっと極めれば世界一じゃ!!
いや、昔からみんな「俺は世界一じゃ!!」と言ってたのだ。
きっと一生自分でそう信じて疑わないだろう。
加藤が飲みながら
「あの時に古河電工の社員祭りに来てくれたよねえ」
と懐かしそうに語る。
「どうして今超有名人なファンキー末吉が、
たかだかうちの会社の社員祭りでアマチュアに混じってドラムを叩こうなんて思ってくれたの?
と聞いたら末吉はこう答えたんだよ」
「俺は自分を試したいんだ。
爆風スランプとかそんなのを取り払って、
裸になって自分がドラムを叩いてどれだけ通用するのかを」
そんなこと言ってたのか・・・
そう言えばその延長でアメリカのジャズクラブで武者修行もしたし、
最後には誰も爆風スランプの名前など知らない中国で地盤を築いたではないか。
だいたい音楽なんてスポーツと違って数字を争っているものではない。
売れ行き枚数が多いから少ない枚数の音楽より「いい音楽」かというわけではない。
「自分は世界一なんだ!!」
と思えればそれでいいし、
そう思い続けてゆくことが世界一の音楽の入り口なのだ。
だからワシは時々無性に自分が世界一である「確認」をしたくなる。
昨日のセッションはワシにとってはその「戦い」であったのだ。
この素晴らしい世界一の「キチガイども」に一歩も引かずに渡り合っている自分を見て、
また「俺はやっぱり世界一じゃ!!」と思って生きてゆける。
今年に入ってまだX.Y.Z.→Aの活動がないからなおさらである。
世に売れてる歌手は山ほどいる。
日本の○○さんや××さんのバックをやったってワシは自分が「世界一」だと思えない。
だって○○さんと××さんと二井原さんが自分のことを誰も知らない外国に行って歌を歌ったら、
二井原さんは絶賛されるに違いないが、
○○さんはどっちらけで、××さんは石を投げつけられるだろう。
(みなさんの中で勝手に○○さんや××さんを想像して当てはめて下さい)
そんな世界一の人達と一歩も引かずに渡り合ってゆける自分でありたい。
さあ今日はこれわさファンキー、
是方博邦さんとバーベQ和佐田さんとのセッション。
今日は昨日と違ってゆーるくセッションさせて頂きたい。
Posted by ファンキー末吉 at:13:34 | 固定リンク
2010年4月 8日
爆風銃(バップガン)のリハーサル
明日(4月9日金曜日)のリハーサルのために久しぶりのメンバーがスタジオに集まった。
ホッピー神山とはなんと10数年振りである。
今回、八丈島に住むホッピーを呼び出すのにいろいろメンバーからメールを送ったのだが、
その返事のひとつがこれである。
ははは~~、20年アヴァンギャルドひと筋ですから、どうなっても知らない
ですよ~~~。
いつもライブ時の私の手許は、AllesisのAir Synや
NoiseマシーンやKORGのKaosPadや
ゴミ箱で拾ってきたカセットテープを3台同時発声、とかだけなんですよ。
そうそう、映像VJのいつも同時にやるので、
KORGの映像用のKaos Padを使って
その場でエフェクト編集してグニャグニャした映像をプロジェクターに流してやっています。
左手でNoizマシーン、右手で映像 KaosPadですね。
ちょっと前までは自作のNolizヴァイオリンや変調SAXなどもあり、
そういう創作楽器のアプローチも多かったんですが、
ヴァイオリンは今故障中なので残念ながら稼動できないんです。
とんでもないメンバーに声かけちゃたのかも知れませんよ。
天才と何たらは紙一重と言うがその通りである!!
そう言えば10数年前に最後にやったライブでも彼はほとんどキーボードを弾かなかった。
ずーっと変なノイズを出していただけである。
これには歌を歌うフレディー・マーシーが困り果てた。
「コードが鳴ってないと歌が歌えないから頼みますよ」
と・・・
ところがホッピーは
「ベースとギターが鳴ってれば歌なんて歌えるでしょ」
と取り合わない。
前回はもう1本ギターがいたので、
「じゃあホッピーには好き勝手やってもらって、彼にちゃんとコードを弾いてもらおう」
と思ったら、スタジオに行ってみたらオリジナルメンバーのうち4人しかいない。
つまりギターは1本しかいないのだ!!
「俺はちゃんと弾くことも出来るんだ」
と常々豪語しているホッピー、今日はアンサンブルを考えてか、
それともとりあえず最低限を作っておいて本番ぶちこわすつもりか、
とりあえず今日は全曲ちゃんと弾いた。
なんか「ちゃんと弾く」か、「全然弾かない」かどちららしいよ・・・
とみんなが影でこそこそ言うが、
まあこれは「仕事」ではない、
みんなの「楽しみ」でやってるライブなのだからワシとしては別にどちらでもよい。
ちなみに「仕事」の場合、ホッピーはクライアントに誓約書を書かせられるらしい。
「私はこの仕事において女装とかぶりモノは絶対にやりません」
と・・・
ホッピーさん、女装でもかぶりモノでも何でもやって下さい!!(笑)
かくしてリハーサルは(本当に)無事に終わった。
さすが天才!!素晴らしいサウンドセンスである。
(このままちゃんと弾けば)
思えばワシの「ポップ」というセンスは全てホッピーから学んだ。
ホッピーはワシにとってはアバンギャルドもポップも意のままの大先生である。
それと共にワシにとってはこの青春時代の楽曲全てが「リズムの先生」である。
例えばこの楽曲を聞いてみて欲しい。
ドラムは見事に「ドッタッドッタッ」しかやっていない。
オカズもほとんど叩いていない。
二十歳そこそこの若造がこれだけで全てを表現している!!
この曲もそうである。
最近ほーじんはいつもワシに言う。
「末吉ぃ!!怒りやで!!あの頃の爆風銃はなあ、みんな怒ってたんや!!」
怒りをヘビーメタルで表現するのはストレートであるが、
FUNKのリズムでそれを表現するのは至難の業である。
ドラマーとしてそれをリズム的に分析させてもらうとこういうことではないだろうか。
通常FUNKビートというのはクリックに対して少々打点を遅らせて叩く。
つまりちょっと「重たい」ビートということである。
しかしこれでは全体的にリズムがレイドバックしてしまい、
「怒り」とはほど遠い「枯れた」世界感になってしまう。
往々にして年寄りバンドのリズムがレイドバックしてしまうのは、
だいたいは年をとってちょっとヘタになり、「打点が遅れてしまう」からということが多い。
ところがFUNKでこの「怒り」を表現するには、
この「遅れてない精一杯の遅い打点」の位置から
ほんのちょっとだけ「前のめりに叩く」ことによって
「リズムを後ろから押してやる」という手法を使っているのではないかとワシは分析する。
これが打点が前に来てしまうと「突っ走っている」感じになってしまい、
この微妙なさじ加減が非常に難しい。
ちなみに「リズム」というものには「幅」があるのだ。
クリックと完璧に同時に叩いてクリック音が完全に消えている状態でも、
更にその中に「前」と「後ろ」がある。
これを自在に使い分けるのが「ドラマーの仕事」なのである。
ところが人間なのだから言うほど正確に叩けるわけがない。
だからリズムに「うねり」がある。
オカズを叩いたらちょっとだけ早くなったり、
気合いを入れ過ぎてちょっとだけ遅くなったり・・・
それを人の何百倍もの集中力で、一瞬のうちにそれを感じ取り、
次の一発でそれを修正する。
その連続が「リズム」なのだ。
例えばオカズを叩いて、
次の小節の頭のシンバルがほんの少しだけ早かったとしよう。
その次のスネアまでの1拍の間に、
もの凄いスローモーション(に本人は感じる)でそれを修正する。
ちょっと遅くなるのか、音が大きくなるのか、
また次の瞬間にはそれをまたもの凄いスローモーション
(あまりの集中力のため)で修正しようとする。
その「物語の連続」が「ビート」なのだ。
上記2曲の演奏(昔の爆風銃の演奏は全てそうなのじゃが)は、
この簡単なリズムの中でがむしゃらにその戦いを続けている。
そうやって「どうしようもない怒り」を表現しようとしている。
「いいドラム」とは何か、
それは「決してあきらめないこと」なのだと今でもワシに教えてくれるのだ。
ワシは別に人より不幸な人生を歩んだわけでもない。
人よりより多くの絶望を見て来たわけでもない。
でもワシは多感な頃に感じたいろんな感情の全てをいつも忘れない。
「怒り」を忘れてまで音楽をやるつもりはない。
「絶望」を知らない人に「希望」が語れるわけがないではないか!!
同様に「怒り」を知らない人に「愛」が語れるわけがない。
(まあ全てそれも「自分なりに」しか出来ないのであるが・・・)
若い頃にがむしゃらに感情をぶつけ合って、
傷つけ合って憎み合って別れた仲間達と、
(そう思ってるのはワシだけか?)
再び同じ音楽を奏でてると思い出す。
自分は何なのか(何だったのか)、と・・・
幸いみんな大人になった。
その「怒り」をそれぞれの相手にぶつけることはもうない。
だけどみんなまだ「怒り」を忘れていない。
それをぶつける相手はただひとり、「ふがいない自分に」だけなのである。
みんなあの頃こう言ってたではないか。
「俺は世界一なんだ!!」
と・・・
だから俺は死ぬまでそれを目指す。
そんなことを思わせてくれる昔仲間との再会だった。
明日は楽しいライブになりそうだ。
(意外とちゃんと普通に弾くかも知れないが)
特にホッピー神山師匠からは目が離せない・・・
Posted by ファンキー末吉 at:23:33 | 固定リンク
2010年2月25日
ドリスの思い出
飛行機に乗って海外に行く時、ワシはいつも寿司を食う。
日本を懐かしむのと、飛行機が落ちでもしたらもう二度と食べられないから、
と理由をつけてひとりで贅沢をしているのじゃが、
今では座れば板前さんに「毎度いらっしゃいませ」と言われるまでになっている。
昨日もいつもの席にひとりで座って飲んでたら、
隣に金髪の妙齢の美女が座った。
二井原と違って金髪美女には知り合いがいないのじゃが、
ふと頭の中に「彼女はドリスではあるまいか・・・」という考えがよぎった。
金髪美女というとドリスしか知り合いがいないのだから仕方がない。
しかしそんな知り合いが偶然隣に?・・・
そんなはずはないことがよく起こるのがワシの人生だから妄想は止まらない。
ドリスと会ったのは25年前。
爆風スランプがデビューし、
そこそこ人気はあったがどうしようもなく貧乏な時代だった。
東京駅で地図を見ながら途方に暮れているバックパッカーに声をかけた。
それがドリスである。
「May I help you?」
英語がさほど得意ではないのだが仕方がない。
聞けば彼女もドイツ人だったので英語はネイティブではなく、
「Can」を「キャン」ではなく「カン」と発音してたのを覚えている。
友人とはぐれて大使館を探しているということだったが、
その「Embassy」という単語が分からず、
結局うちの4畳半のアパートに連れて帰った。
近所は大騒ぎである。
今でこそ二井原や仮谷くんと「村」を作って暮らしているが、
当時もやはりそうだった。
村の住人はマーシー(シェイカーのマーシーではない)。
そして現在のその奥さんであるかおりちゃん。
いつものようにどんちゃん騒ぎが始まる。
ドリスはバックパックの中に玉ねぎを忍ばしていて、
それをいつも生でかじってた。
マーシーがそれをマネして辛くて吐き出したのを覚えている。
当然風呂なんかないので銭湯に連れてゆくが、
女の子はかおりちゃんしかいないのだから手取り足取り日本の銭湯の入り方を教えた。
出て来た時に男どもがこぞって聞いたのは
「下の毛も金髪なのか?」
だったのが今更ながらあきれる。
四畳半の部屋はベッドとこたつで既にいっぱいなので、
とりあえずベッドにドリスを寝かせ、
ワシと居候のかずまささんはこたつで寝た。
何故か手を出そうとは誰も考えなかった。
外国人に慣れてない当時のワシたちは、
「自分たちは日本を代表してドイツ人を助けてるんだ」
みたいな意識があったのだ。
渋谷エピキュラスで爆風のライブというか
番組の収録かなんかがあったのでドリスを連れて行った。
とても喜んで「ヨーイ!!ヨーイ!!」と歌ってたのを覚えている。
当時は爆風も人気が出て来た頃だったので、
あんな貧しい暮らしをしている若者が、
ステージに立つといきなりスターになることも面白かったに違いない。
好きなバンドやって、
金はないが、友達がいっぱいいて、
毎日酒飲んで大騒ぎして、
そんな若者の生活が、同じ若者としてドリスも楽しかったのだろう。
数日うちに泊まっただろうか、
大使館に行ってはぐれた友達とも会えたというので、
その友達も連れて来た。
ドリスはお人形さんのように可愛かった記憶があるが、
その友達はお世辞にも可愛いとは言い難かった。
だから名前も覚えていない(笑)。
四畳半のワシの部屋を見た時に
「アンタはこんなところで知らない男の人と何日も暮らしてたの?」
みたいな感じでドリスを咎めてたのを覚えている。
ドイツ語で話してたのでよくわからんが、
ひょっとしたら
「よくこんな汚いところで住めるわよね」
ぐらいのことだったのかも知れない。
結局その彼女も一泊していったが、
それを最後にふたりとも帰って行ってしまった。
その彼女と違ってドリスがとても名残惜しそうにしてたのを覚えている。
あれからドリスはどうしてるだろう・・・
この年になってもまだバックパッカーをしてたら素敵だな・・・
などと考えてるうちに隣の妙齢の金髪美女がお会計に立ち上がった。
声をかけようか・・・やっぱりやめとこう。
あれはきっとドリスだったんだと思っておこう。
きっと彼女もワシのことを
「きっとあの時の貧乏な若者なんだわ」
と思っとこうと思って声をかけなかったんだ。
妄想は素敵だ。
いい酒を飲めた。
おかげで北京初日は二日酔いである。
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2010年2月18日
嫁またもや本気やな・・・2
「パパがブログであんなこと書くからもう緊張してドラム叩けん!!」
と嫁。
なんでやねん!!
ワシは別に
「うちの奥さんむっちゃ上手いでぇ」
とか言うてるわけじゃない。
むしろ下手やと言うてるんや。
それにプロJamという企画はセッションリーダー以外はみんなアマチュアなんやから下手で当然!!
それを楽しむ会なんやから恥ずかしいもへったくれもないやないの!!
「かくなる上は・・・」
と嫁は言う。
「パパにつきっきりで教えてもらわないかんなあ」
げげっ!!!
嫁よ、いくらあんたがプロドラマーの奥さんやったとしてもそれはあまりにも職権乱用(?)とちゃうか!!
この一本のプロJamのおかげでワシの週末は消え去った・・・
と思いきや、
「さ、て、と・・・」
と嫁がお出かけするので運転して送りに行くと、
何と嫁が向かったのは「まつ毛パーマ」
あんたドラム練習すんとちゃうん?!!
「だってステージに立つんやからまつ毛パーマしとかな・・・」
ってあんた!!
ドラムとまつ毛と何の関係があるの?!
あんたの旦那はドラムさえ上手ければ衣装やルックスさえもどうでもええと言う人やのに、
その嫁はまず「まつ毛パーマ」。
しかもドラマーって客席からまつ毛まで見えるんですか?!!
かくしてワシはまつ毛パーマ屋の前で子守をしている。
プロJam当日も恐らく子守りじゃろう・・・
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2010年2月17日
嫁またもや本気やな・・・
高知から帰ったらスタジオにドラムセットがセッティングされていた。
ついでにその横に子供用のドラムセットが置いてあるのはわかるが、
じゃあ大人用のドラムは誰が叩くのじゃ?
「プロJamも近いからね、練習せんと・・・」
あんたギター弾くんとちゃうの?!!
前回あれだけギター練習しとったやん!!
聞けばコピバンというのは、
ある時期ギターで参加してたり、
ある時期ドラムで参加してたり、
嫁の場合ボンジョビをやるバンドはギターを弾いてる時期やったし、
聖飢魔IIをやるバンドの時はドラムを叩いてた時期らしい。
来たる2月21日のプロJamのセッションリーダーは石川俊介様ではないか!!
というわけで嫁はちゃんとドラムの欄に自分の名前を書いている。
同じ曲にエントリーしているドラマーもいるが、
嫁は蹴落とすか、もしくは自分が叩くまで何度でもその曲をやってもらうつもりらしい。
なにせ嫁はその曲しかドラムを叩けないのだから・・・
ま、いい。世界平和は家庭平和からである。
嫁元気で楽しければ、家族みんなが、
ひいては世界中が平和であるということじゃ。
しかしもう時間がない。
ドラムにだけ耳が厳しいわけではないが、
どう聞いてもちゃんとドラムが叩けているようには聞こえない。
「パパぁ!どうしよう!!間に合わんわ・・・」
嫁から泣きが入って言った一言が凄かった。
「パパぁ!譜面書いて!!」
おいおい!このファンキー末吉にドラムの譜面を書かすのか、嫁よ!!
まあいい、つきっきりで教えろと言われるより負担は軽い。
しかしワシがいつも書いてるような譜面で読めるのか?
「うん、私だったら読めると思う」
おいおい、夫婦だからこの走り書きのメモが読めるというもんではないぞよ。
試しにいつものようにちゃちゃっと書いて渡してやった。

ちなみに「ドバラドン」はスネア、タム、フロア、バスドラの連打のこと。
「タコタコ」はスネア頭打ちのリズムのこと。
わかるかなー・・・さっさと渡して逃げるように仕事に行くワシであった。
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2010年2月16日
親戚の寄り合い?
ワシは親戚とあんまし折り合いがよくなかったので
全然「親戚付き合い」というものをしたことがなかったが、
不思議と高知の山下家とは親しく付き合っていた。
そこの主である通称「お髭のおじさん」が何やら賞をもらったので、
何やらお祝いがあるんで来てくれというのでのこのこやって来た。
まあ高知でひとりでいるおふくろの顔も見たらんと親不孝じゃろう・・・
というわけで、おふくろの顔も見たので午後はヒマである。
昼間っから「ひろめ市場」に繰り出す。
高知というところはまっこと(高知弁で非常にという意味)不思議なところで、
昼間っからこうして酒を飲んでいても自然である。
一族にひとりぐらいはアル中がいて、
小さい頃から酒飲みの相手は慣れているので、
学校さぼった女子高生とかに酔っぱらいのおんちゃんが絡んで来ても、
東京とかの女子高生のように毛嫌いすることもなく、
「おんちゃん昼間から飲み過ぎなや!」
とたしなめたりする不思議な光景が見られる。
かく言うワシも実は羽田で軽く一杯やっているので、
さっそく高知流に昼間っからビールである。
つまみは鰹の塩タタキ!!
その他ウツボのタタキやウツボの唐揚げなどで満腹になり、
一度撃沈・・・
そして夕方に復帰して親戚の寄り合いに向かう。
行ってみると親戚の寄り合いどころか、
「山下哲郎 旭日雙光章受章記念祝賀会」
とか大々的にパーティーが行われているではないか!!
一応「正装で行け」という親の言うことを聞いて来てよかったが、
正装と言ってもジャージにジャケットを羽織っただけである。
ワシはどうも正装だけは出来んのよ。
樋口っつぁんの葬式にもひとりジャージで行ってしまったし(涙)。
完全に居場所がないが席だけはある。
結婚式の時のように名前の書かれている場所に座るのじゃが、
なんと「ファンキー末吉」と書かれている。
あんた親戚の「覚ちゃん」を呼んどいて、
親族席に座らせといて「ファンキー末吉」はないやろ・・・
面識はないが向こうは一方的に知っている親戚の中で小さくなる・・・
列席者の高知県知事や衆議院議員や、
そうそうたるメンバーの長々とした挨拶が終わり乾杯。
しかし高知の乾杯はビールではなくいきなり日本酒である。
かけつけ一杯はビールではなくいきなり日本酒なのじゃ!!
居場所がないので飲むしかなく、
そうこうするうちにいきなり「よさこい鳴子音頭」がかかり、
ドアから踊り子さんが飛び込んで来てよさこいを踊る。
思えばここは「よさこい祭り」の本場。
よさこいでグランプリを取ったグループは、
時々こんな目出たい席に呼ばれては花を添えるのじゃろう。
酒は進む。
そうこうするうちに「マグロの解体ショー」
いやーこれは凄い!!
高知県で養殖された、冷凍されてないマグロである。
旨くないはずがない!!
ただでさえ飲み助の高知である。
来客はがんがんに飲み、
気がつけばレスキュー隊が飛び込んで来て誰かを懐抱しておるが、
そんなこともおかまいなく飲む飲む。
急性アルコール中毒か知らんが、
ばたばたとレスキュー隊が病人を運んで行っても、
誰も気にすることもなく、何もなかったかのように飲む。
酒飲んで人が倒れることに慣れ過ぎてるぞ・・・
かくして狂乱の(?)宴は終わった。
そしてワシは結局この賞が何の賞なのか知らない。
いや、列席した全ての人が知らないじゃろう。
これでいいのだ!!
平和なのだ!!
何やらわからんが、おじちゃん、おめでとう!!
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2010年2月 2日
唐辛子爆弾
試しに店で出してみた揚げた唐辛子のスナックが人気で、
「帰りに持てるだけ買って来てくれ」
というのでトランクに入るだけ買って持って来た。
トランクは当然預けるのでいいが、
リュックにもぱんぱんに入っているのは手荷物である。
何か言われるかなと思ったが、
「何じゃこりゃ?」
と検査官が言っているのをすかさず
「唐辛子です」
と言ってことなきを得た。
ところがその後、搭乗口に向かおうとすると、
「あなたはダメです」
と手荷物検査場から出してもらえない。
どうしてかと聞くと、
「税関のハンコがないからだ」
と言うのだ。
「税関がハンコ押し忘れたのと俺が何の関係がある!!
すぐに通せ!!飛行機に乗り遅れるじゃろ!!」
中国語を喋ると性格が中国人になってしまうのでついキツく言ってしまう。
責任を全部相手に押し付けるのが「コツ」である。
しかし今回は聞く耳を持ってくれない。
有無を言わさず別室に連れて行かれてしまった。
見ればワシのトランクが転がっている。
考えるに、チェックイン手続きをして、
すぐにレントゲン検査をして、
問題がある場合にはすぐに番号を登録、
その荷物は別室に運ばれ、
それに連動した人間のボーディングパスには税関のハンコが押されないのだ。
前回飛行機に乗り遅れた時に、
どうしてワシの荷物が取り出されたのかもこのシステムによるのだろう。
「荷物を開けろ!」
と言うので
「カギなんかかけてないがな!
チェックしたかったら勝手に開けてチェックしてそんなことでワシを呼ぶな!!」
と更に高圧的に出る。
中国人相手に弱気に出た者が「負け」なのだ。
荷物を開けた途端、そこにいる人は絶句!!
そうかぁ・・・こりゃレントゲンで見たら
「砲弾状のケースの中に金属ではないうにうにしたものがたくさん詰まっている」
としか見えないか・・・
さしずめプラスチック爆弾を満載したトランク・・・
雰囲気を察したワシはいきなり態度を変えて満面の笑顔で
「唐辛子でーす!!」
しかし検査官は全員「?」という顔で呆然としている。
どうしてこんなにたくさん唐辛子を持ち出す必要があるのか・・・
「唐辛子大好きなんですぅ!!じゃっ!!」
逃げるように飛行機に搭乗して日本に帰った。
日本の税関で調べられなかっただけラッキーである。
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2010年1月 6日
うちの子は天才かっ?!!
去年から嫁は何かあると
「龍之介は天才よ!!」
と仕事場にまで電話をかけてくる。
聞いてみると
「自分でみかんをむいて食べた」
だの
「自分でパック牛乳にストローを刺して飲んだ」
だの飲み食いに関してばっかである。
そりゃ1歳半ぐらいで自分でみかんをむけたり、
パック牛乳の穴の部分を探し当ててシールをむいて
そこにストローを差し込んで飲むのは早熟ではあるが、
「末吉家の人間やから食い意地が張っとるだけなんちゃうん!!」
とその時は相手にしなかった。
ところがこの年越しでワシは思った。
この子はひょっとして本当に天才ではないのか?!
この子が天才なら「はじめちゃん」で上の子は「バカボン」、
ワシは「バカボンのパパ」で嫁は「バカボンのママ」なのはよいとして、
上の娘はどうなるのか?・・・
役がないからとりあえずお前は「ウナギイヌ」!!
というわけで見事役者が揃った末吉家であるが、
事の顛末はこうである。
まずうちの子はiPhoneが好きである。
ほっとくとアプリケーションの位置をぐっしゃぐっしゃにし、
大事なアプリを消してしまうのはまだしも、
気がついたら電話帳データから中国やアメリカにいたずら電話をしてしまうので困る。
この日は電話を使えないように「フライトモード」にして枕元に置いておいた。
消したアプリはあとでiTuneで復元出来るのでいたずら電話さえしなければそれでいい。
息子が夜中に起き出してまたiPhoneで遊んでいた。
ワシは寝てた。
そしたら息子がワシを起こしてiPhoneを渡す。
「ウーウー」と言って何かをして欲しいようだ。
見るとiPhoneはパスワードでロックされており、
それが開かなくなっているのだ。
「ほらほらパスワード設定なんかするから開かんようになってるでしょ」
これでiPhoneは安泰だとばかりまた寝に入ろうとして気がついた。
こいつどうやってパスワード設定したんや?!!
パスワードの設定のためには数あるアイコンの中から「設定」を押し、
その中からさらに「一般」を押して、
さらにその中から「パスワードロック」を押さねばならない。
よしんばその偶然を3回こなしたとしても、
次の画面はこれ
ここに自分でパスワードを打ち込んで、
更には次の画面で同じパスワードを打ち込まねばならない。
字も読めない、言葉も喋れない1歳児が自分でパスワードを設定したと言うのか?!!
偶然にしてももの凄い!!
そして自分でそのパスワードを解除出来ずにワシを起こしたのか、息子よ。
ワシは飛び起きてもう一度iPhoneを見た。
「iPhoneは使用出来ません 59分後にもう一度試して下さい」
確か何回か間違えた後には「1分後にもう一度試して下さい」と出るが、
59分後というと何度間違えたのじゃ?・・・
間違えたと言っても自分で意識して番号を入れられる年ではないのでそれはいいとして、
確かiPhoneには
「10回間違えたらデータを全て消去する」
という設定があったはずじゃ。
こいつがそこも押していたとすると前回バックアップして以後のデータは全部消えてしまう・・・
「ちょっとそれを渡しなさい!!」
子供が泣き叫ぶのも容赦なくiPhoneを取り上げる。
この子が入れた同じパスワードを入れなければ何回目にはデータがなくなってしまうのだ・・・
子供だから4つの数字は必ず同じ数字に違いないと、
試しに「0000」を入力してみる。
外れ!!!
またパスワード入力画面に戻るのでデータはまだ大丈夫なようだ。
次にその左上にキーである「7777」を入力してみる。
外れ!!!
心臓に悪いわ・・・
ちょっとiPhoneを置いて考え直す。
うちの子は右利きなので押すとしたら左側の「7」ではなく、
むしろ右側の「9」ではないのか・・・
「9999」を入力。
外れ!!!
がびーん!!
幸いにもデータはまだ無事なようで、
最後のつもりで「8888」を入力。
ここでやっとパスワードが解除された。
おそるおそる設定画面を見てみると、
案の定、データ消去をオンにしている。
おそらくこの「8888」が最後のチャンスであったのじゃろう・・・
朝なに食わぬ顔で起き出して来た息子、
自分で椅子を引っ張って行ってテレビの前に陣取り、
「いないいないばあ」を見入っている。
こいつは悪魔か天使か?!!
嫁曰く、
「はじめちゃんとちゃうで、この子はパタリロの頭脳と性格を持って生まれて来たのよ」
うーむ・・・そう言えば顔もパタリロに見えて来た・・・
Posted by ファンキー末吉 at:09:55 | 固定リンク
2009年12月21日
LaoWuは偉大やなあ
院子に帰って来たら水道管に凍結防止処理がなされたいた。
ミュージシャンのくせに何でも出来る!!
貧乏がそうさせたのか、出来るからずーっと貧乏で不自由がないのか・・・
彼曰く、
「嫁にも言われたことあるよ、なんであんたはそんなに貧乏なのって、
でも俺は答えたんだ、この生活をやってるからあくせく働かなくていい、
朝から晩までバンドの練習以外お前とテレビ見たり毎日遊んでるだけじゃないか。
こんな生活はよっぱど金持ちかよっぽど貧乏かしか出来ないよ」
けだし名言である。
ワシここまでサバイバルなミュージシャンは彼以外会ったことがない。
彼に空港まで送ってもらって今から日本に帰る。
山ほどの土産である。
画面下から順に、
前回好評だったビールがいくらでも進む唐辛子の激辛スナック、
武漢名物鴨の喉笛、
寧夏名物手づかみ羊肉、
29日には客と一緒に全部食らうのじゃ!!
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2009年12月20日
飛行機乗り遅れたぁ!!!
ちゃんと時間通りに空港着いて、
ちゃんと時間通りにチェックインして、
ちゃんと時間通りに武漢行きの搭乗口の前のカフェでコーヒー飲んでた。
搭乗案内がアナウンスされたので並んで搭乗しようとしたら、
ピンポンとバーコードが警報音を鳴らした。
「この便はお客様の搭乗する便ではございません」
ゲゲッ!!じゃあワシの便は?・・・
「お客様の便はもう出発してしまってます」
な、な、なんと!!!
いくら何でも同じ航空会社でこんなに近い時間に同じ武漢行きが飛んでるとは夢にも思いませんでしたがな・・・
嫁にメールしたら
「またそんなことしよるし・・・
もう帰って来なさい!!」
そうそう、あれは関空やったなあ・・・
昼過ぎの便。
空港で寿司食って日本酒飲んで、
中入ってVIPラウンジでビール飲んで、
またタダやから言うて命がけで飲んでたなあ・・・
ふと目が覚めたら誰もおらん。
時計を見たらもう夕方。
何で誰も起こさへんねん!!!
今考えても不思議である。
VIPラウンジでは入り口で搭乗券を確認して
乗り遅れないようにするのが仕事ではないのか?!!
嫁は
「パパは酔っ払ったらなかなか起きんから」
と言うが、普通は起きるぞ?!
椅子に座ってうたた寝やぞ?!
「きっと起こすにしても身体に触れてはいけないとか規則があるのよ」
と嫁。
そんなアホな?!!
VIPラウンジの人全員でワシの周りを取り囲んで耳元でずーっと囁いてたのか?!!
結局その日は北京には帰れず、
もう出国しているので出口で「出国取消」のハンコを押されてとぼとぼと大村亭に帰った。
今回は国内線なので出国もへったくれもないが、
どうも荷物はその飛行機には乗ってないので
一旦外に出て荷物を取ってチケットを買い直さねばならないらしい。
どうやって乗り遅れた人の荷物を選別して下ろすのかが新しい謎である。
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2009年11月29日
リズム考
今日のライブは非常に楽しかった。
シカゴから来日の菊田さんももちろん凄かったが、
マーティーブレイシーとポールジャクソンのリズムセクションがもの凄かった。
マーティーは私のアイドルドラマーのひとりだし、
ポールジャクソンも私のアイドルベースのひとりだが、
このふたりがリズムセクションを組むことによっていろいろ考えさせられるものがあった。
まずこのポールジャクソンという人が(リズム的に)変態である!!
弾くフレーズ弾くフレーズ裏のビートばかりである。
ほとんどが16分の裏の音符で、
表に来ている音符の方が少ないぐらいである。
これを弾きながら歌を歌えるんだからもの凄い!!
それに合わせてリズムを組み立てるんだから
必然的にマーティーのフレーズも裏打ちが多くなる。
完璧なファンクドラマーである。
しかしこのふたり・・・何といったらいいか・・・
決して「きちっと」していない。
日本人だとカクカクに正しい位置で全拍置いてゆくのだが、
このふたりはどちらかと言うと・・・ユルいのである。
例えばある曲だとベースがラテンのモントゥーノのようにバッキングをしながらそれに乗せてドラムソロを叩く。
当然ながらそのバッキングは16分の裏打ちばかりである。
ところがマーティーがそれに乗せて3連のフレーズを叩くとする。
3連と16分は頭拍以外は同時に鳴らないわけだから、
裏打ちのフレーズを弾いているポールと3連を叩いているマーティーとは、
音符的には全部「ズレている」ということになる。
ところがこれがズレてても気持ちが悪いどころか、
グルーブが同じなので非常に気持ちよく聞ける。
つまり彼らは「音符」を共有しているわけではなく「グルーブ」を共有しているのだ。
マーティーが叩くドラムソロ、
まあ手数を入れるよりもビートを刻むのだが、
それがまた非常に気持ちがいい。
中国語で「有感覚(ヨウガンジュエ)」
日本語で言うと・・・「フィーリングがある?」・・・
いや違う。一番適切な日本語は「粋」なのである。
ファンクは言わば黒人の「民謡」みたいなものである。
それをワシはドラムを始めた頃から「勉強」して来た。
黒人になろうとして「ファンキー末吉」と名乗った。
でも彼らは普通にそれをやっている。
「血」にそれがあるのである。
「黒人にはなれない」と悟って今度は「中国人になる」と言って今がある。
でも中国人になれないことはもうわかっている。
菊田さんが本場シカゴでブルースギタリストとして認められているように、
ワシも中国でドラマーとして認められている。
それでいい。
ワシらがやっているのは「イエローブルース」なのである。
明日もライブがあるのに今日はポールとマーティーと飲んだ。
なんか素敵な夜だった。
明日もきっと素晴らしいライブが出来るに違いない。
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2009年11月 1日
民族音楽番組に出演
二胡の劉継紅さんのコンサート、
明日は本番なのだが、今日はテレビの収録である。
「民族音楽の番組では最高峰の番組なんです。
ファンキーさん一緒に出て下さい」
と言われたので、
「テレビ嫌いだからヤダ!!」
ととりあえずは断っていた。
だいたい中国のテレビに出たってワシが得することは全然ない。
有名になったってギャラが上がるわけでもなく、
イヤな仕事がまた増えるぐらいだったら出ない方が全然よい。
X.Y.Z.→Aで出れるんだったら考えてもええけど・・・(無理か)・・・
まあどうしてもと言われると、
延々と話し合いながら断る労力よりも出た方が楽なので
「仕事」として引き受けさせて頂いた。
今回はミュージシャンがみんな売れっ子になってしまったため探すのが大変だったが、
いつものメンバーがスケジュールを空けて集まってくれた。
ドラムやベースアンプを運んで別のところでリハをし、
収録スタジオにまた運んでセッティングするのは大変じゃが、
一流の民族奏者(中国で最高峰ということは世界一の人達か・・・)が演奏する
中国最高峰(ということは世界一ということか・・・)の楽曲に混じって、
私の「ろう君の初恋」と「Memories」を演奏してくれるということは非常に光栄なことである。
リハも一生懸命やり、やる気まんまんで収録スタジオにやって来たら、
ワシらを見てプロデューサーが何やらけげんそうである。
そりゃそうだ、ドレスで着飾った一流の民族奏者に混じって、
ワシらだけ普段着なのである。
「こんな服で出演するつもりですかぁ!!!」
劉さんがきーきー噛み付いて来る。
「いけませんか?・・・」
一応いつも来ている服よりはいい服を着て来たのじゃが、
まあお気に召さないと言うならステージ衣装も持って来ているのでそれに着替えよう。
「テレビに短パンで出るつもりですかぁ!!!」
更におかんむりとなる。
短パンにTシャツはワシの正式な「衣装」じゃぞ・・・
「ひょっとして明日のコンサートもそれで出るつもりじゃないでしょうね!!!」
もちろんそのつもりじゃったが、
あんましきーきー言われるので
「正装しろと言うなら予め言ってくれたら用意するのに」
と一応言ってみる。
用意するにも持ってないのじゃが・・・
「明日DVDのシューティングが入ることは言ってましたよね。
つまり撮影するんだからそれようの衣装を着て来ることは伝えているのと同じですよね!!」
またきーきー言われるので大きく反論してみる。
「中国のあらゆる有名歌手のコンサートDVDを見てみなさい。
ワシが堂々とこの服を着てドラムを叩いてるから。
誰もこの服をダメだと言う歌手はいないよ。
これはワシの正装なんだから」
まあ焼け石に水である。
「住む世界」が違うのである。
彼らにとってテレビやコンサートではドレスやタキシード、
短パンなんぞはもっての外なのである。
それだったら最初から言え!!
拘束時間がどれだけで、労力がどれだけで、
ギャラがいくらで条件が何々、
折り合いがつけばやるし、
条件が飲めなければやらないし、
いきなり言われたって無理でしょう。
・・・と言いながらもし正装が条件なら断ってただろうなあ・・・
・・・映画賞のレッドカーペットも結局ぶっちして帰ったもんなあ・・・
やり合ってる場合じゃない、
もうすぐ収録が始まるのだ。
「ちょっとその上着脱いでみて下さい」
上着の下は筋肉少女帯のTシャツである。
「うん、なかなかいいんじゃない?」
プロデューサーはそう言うが、
何で民族音楽に筋肉少女帯なのかがワシにはよくわからない。
「髪の毛は彼はバンダナを巻きますから大丈夫ですよ」
劉さんが助け舟を出すので一応巻いて見せる。
メイクさんがやって来てみんなにメイクするのだが、
ワシの様子を見て
「うん、この人はこれでいいんじゃない?十分よ」
と言われるところからしてバンダナの威力は偉大である。
これよぉ!この格好のどこがいかんのぉ!!
短パンがいかんと言うので思いっきりジャージですが・・・
そして本番が始まる。
前のふたりだけがちゃんとしてればバックバンドなんてどうでもいいのよ・・・
と思ってたが・・・やっぱ浮き過ぎじゃろう・・・
明日はちゃんとした服装を持ってゆくとしよう。
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2009年10月28日
米川英之
昨日は和佐田のセッション。
ギタリストは米川英之という人だった。
米川英之と言えば、言わずと知れた元CCBのギタリスト・・・
・・・と言いながらワシだけが実は知らなかった。
ライブハウスのメンバー欄などでよく見る名前なので、
いわゆる売れっ子セッションギタリストなんだと思ってたのである。
CCBと言えば一世を風靡した大スター。
思い起こせば米川くんとは
20年以上前にベストテンかなんかの楽屋で会ったっきりということになる。
ワシや和佐田はもともとスタジオの仕事なんかをやってたからまだいいが、
元スターがセッションプレイヤーになるということはそれはそれは大変なことである。
渡された譜面を初見でなんなく弾いている彼を見て、
「元スターでこれだけ弾ける人はなかなかおらんで」
と言ったらちょっとはにかみながら笑ってた。
バンドをやってた頃はスターで、
そのバンドがなくなったら実は楽器も弾けなかったという話はたくさんある。
数いるスタープレイヤーも、その1種類の音楽ではプロフェッショナルでも、
初対面の人と初めて渡される曲を弾けるようになるには並大抵のことではない。
何たらという女流作家の話を思い出した。
小さい頃から両親にヴァイオリンを習わされ、
それがいやでいやでたまらず19歳の頃やめてしまい、
38歳で初めて小説を書いて賞を受賞して文壇デビューしたと言うその人は、
「あるひとつのことが好きで好きでたまらない
という感情を持てることこそが天賦の才能というものなのである」
という言葉を残したというが、
彼も本当にギターを弾くことが好きなんだなあということが伝わって来た。
店には彼のファンがつめかけていた。
もちろん彼女達にとっては彼は永遠に「スター」である。
しかし目の前のその「スター」は自分でアンプを運び、
自分でそれをセッティングし、
演奏終わってそのまま自分でそれを片付けて運ぶ。
江川ほーじんが同様に自分であのばかでかいアンプを運びながら、
「末吉ぃ、俺はなあ、アンプが自分で運べんようになったらもう引退するぞ!!」
と言ってたのを思い出した。
これらは全て「生き様」である。
別のとある「スター」の話・・・
人気もなくなったその「スター」のために、
大阪のイベンターが仕事を振ってあげた。
その「スター」はその仕事を受けるに当たってひとつだけ条件を出した。
聞くところによると新大阪駅には、
VIPとかが別の特別な出口に出れる特別な通路があると言う。
もちろんその「スター」は今までその出口しか使ったことがない。
彼が出した条件というのが「その通路から出ること」ということだった。
いくら落ちぶれても俺は「スター」なんだ、
一般人が出る出口から出るくらいだったらそんな仕事は要らない、と。
それもまた「生き様」である。
往年のスターが自分でアンプを運んでいる姿を見て、
失望してライブに足を運ばなくなるファンもいるだろうし、
そんな彼のライブを見ることが生き甲斐であるというファンもいるだろう。
それもファンの「生き様」でしかない。
シャイで口べたな彼とはその日はあんまし喋れなかったけど、
なーに、彼がまだギターを弾いてる限り、
ワシがまだドラムを叩いてる限り、
またどっかで一緒にセッションすることがあるだろう。
俺らはしょせん「同じ世界」に生きているのだ。
そんな素敵な「ミュージシャン」と出会わせてくれた和佐田に感謝である。
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2009年10月10日
Pさんの思い出その2
初日の前夜祭は順調に成功した。
各出演者をホテルに送迎してほっとした和佐田をメシに誘った。
「ワシは十分なチャリティーが出来てないからこのメシ代をチャリティーするわ」
この店は大衆食堂形式で、食べたいものを取ってからお勘定をする。
しかしお勘定を払う段になって発覚!!
「財布を忘れて来てしまった・・・」
しかしワシのポシェットにはいつもパスポートと人民元とドルが入っている。
いついかなる時にそのまま海外逃亡出来るようにであるが、
幸いにも少々日本円が入っていたのでそれで払おうとしたが、
もうちょっとという額でお勘定が足りない。
和佐田はちょうどトイレに行ってたので、
「藍ちゃん・・・ちょっと小銭持ってる?・・・」
労をねぎらうどころか、ボランティアで駅のホームまで送迎等、
歌うだけではなくスタッフとしてもお疲れの藍ちゃんのお金を使わせてしまった。
藍ちゃん・・自分の音楽をやるためにバイトしながら一生懸命頑張ってる君のお金を使わせてしまった・・・
情けないが仕方がない。
いろいろ面白い話でも話してあげながら今日の労をねぎらってあげたい。
「明日・・・Pさん・・・時間通りに来るかなあ・・・」
あの秋田の話で笑わない人はいない・・・と思ったら藍ちゃんは少々不可思議な表情・・・
つまり自分にとって雲の上の人であるPさんはいったいどういう思考回路の下でこのような行動を・・・とか考えてるに違いない。
よし!もっと凄いエピソードを言ってやろう!!
これを言えばPさんがあなたや私たちとは違う思考回路を持っているとわかるだろう。
和佐田が入る前の本物の(和佐田毎回ライブで卑屈にそう言う)爆風時代、
車で寝泊まりしての貧乏ツアーはさんざんやったことがあるが、
イベンターがついて初めて招待されてのツアーの時、
言わばイベンターというのはアーティストを接待するのが仕事である。
「みなさん、今晩は何が食べたいですか?」
また悪いことにそれをPさんに向かって聞いてしまった。
ジャンクフード大好きのPさん、
普段はレトルトのカレーのルーを、
暖めるのはめんどくさいから隅っこを切って口の中で暖めながらチューチュー吸ってた時代である。
迷わず、
「マクドナルド!!」
ワシはびっくり仰天して「それだけは勘弁してくれ!!」とわめいた。
地方には地方でしか食えない旨い物が山ほどあるというのに、
何を好き好んでイベンターの奢りでマクドを食いに行かねばならないのか・・・
Pさんは真顔でこう言う。
「末吉はマクドが嫌いなんだ・・・」
いや!!好き嫌いの問題じゃない!!地方に来てまでどうしてマクドを食わねばならないのだということである!!
雰囲気を察したPさん。
と言っても今でこそKYという言葉があるが、
それを超越した人間にはこんな小市民であるワシの考えなんぞ理解出来ようはずがない。
「じゃあロイヤルホスト行こう」
これにはさすがの中野も切れた。
「お前はバカか!!!」
しかしPさんは一向にワシらの考えを理解出来ない。
「みんなロイホ嫌いなの?おいしいよ」
そんな問題ではない!!
何で旅先にまで来て、イベンターの奢りでみんなでロイホに行かねばならないのかという問題である。
最後の最後にはPさんが切れた。
「よくわかんないけど、だったら俺に聞かなきゃいいじゃん!!」
その通りである。
その理論は全くもって正しい。
この場でPさんに何が食べたいか聞いたイベンターが悪い!!
Pさんはこれっぽっちも悪くない!!
一事が万事こうである。
Pさんはいまだかって間違ったことは言ったことがない。
遅刻をして人に迷惑をかけたことはあるが、
一応本番を飛ばしたことはないので、
明日は例え寝過ごして北九州まで行ったとしても、
恐らくは本番までには必ず現場に着いているであろう。
和佐田は大人である。
Pさんが明日時間通りに新幹線に乗るか、
はたまた京都駅で寝過ごさずにちゃんと降りるかなんてことは一切気にかけていない。
和佐田は和佐田のやるべきことを一生懸命やるのみなのである。
人間は人知を超えたことを理解することは出来ない。
ましてやPさんを理解したりコントロールしようとしたり、
そんなことを考えること自体が神への冒涜である。
和佐田・・・明日も頑張れよ・・・
乾杯しようとして自分のビールのジョッキが空になってることに気づいた。
しかしもう日本円は一銭も手元に残っていない。
「和佐田ぁ・・・すまんがビール一杯奢ってくれんか・・・」
労うはずの和佐田に奢ってもらった・・・
和佐田ぁ・・・明日もしPさんが時間通り着いたとしたら、
ワシはお前の好きな物は何でも奢ってやるぞぉ!!!
心に固く誓うワシであった。
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2009年10月 7日
Pさんの思い出
誰よりも遅く来て誰よりも早く楽器を片付けて誰よりも長くダベって帰って行ったPさんの話をずーっとしていた。
「いや、な、今日のリハが近づくにつれてな、
あ!河合さんギター家に置いてなくって持って来れんのちゃうかな思て」
と和佐田。
「楽器は事務所の倉庫に置いてて当日になるまでそのこと忘れとるってな、
あるある・・・」
とワシ。
「それでな、慌てて電話したんよ。
ギター忘れたらあかんで言うてな」
と和佐田。
「そりゃ賢明やな」
とワシ。
「そいでな、はっ!と思い立ってまた電話したんよ。
エフェクターもちゃんと家にあるか言うて」
と和佐田。
「うん、それも賢明やな」
とワシ。
「でもそれを横で聞いてた友達がな、
いくら何でも子供やないんやから、と」
と和佐田。
「わかっとらんな、その人」
とワシ。
「ほんまわかっとらんな」
と和佐田。
ワシらは20年近く前の話をしみじみと思い出す。
クリスマスイヴの秋田でのコンサート、
その日はおりしも大雪であった。
朝の羽田発の飛行機が欠航すればあわやコンサートが中止になるところであったが、
何とか飛ぶんではないかとなったその前日、
スタッフの心配は今度はPさんがちゃんと遅刻せずに来るかということである。
前の日から散々スタッフに釘を刺されたPさん、
何せ乗り遅れたら他の便は年末なので満席だし、
陸路では開演時間に間に合わないのでコンサートが中止になると聞いて、
絶対に遅刻は出来ないとばかり寝ずに羽田にやって来た。
スタッフ一堂安堵し、チケットを渡して機内集合。
ワシもいつものように空港内でビールをひっかけて搭乗する。
ところが今度はなかなか飛行機が離陸しない。
乗務員が慌てて走り回っていたが、
今度はうちのスタッフが慌て出した。
Pさんが乗っていない!!!
スタッフが懸命に説得するが、
たった一人の乗客のためにこれ以上離陸を遅らせるわけにはいかない。
飛行機はPさんを置いたまま1時間遅れで離陸した。
さて、ではPさんはどこで何をしていたのか?・・・
絶対に遅刻は出来ない!
その大きな緊張感の中、
寝ずに空港にやって来たPさん。
チケットを受け取った瞬間に、
その安堵感のため、ゲート前のベンチに座ったまま寝てしまった。
携帯電話などない時代である。
空港じゅうに「秋田へご出発の河合康夫様」とアナウンスしても起きない人間を起こす術などない。
本人が自力で起きることを願うしかないのである。
このまま夕方まで熟睡してたら本当にその日のコンサートは中止であったが、
運良くP氏は自力で目覚め、事務所に電話をした。
「僕はこれからどうすればいいのでしょう」と。
事務所はすぐに陸路を調べ、
満席の飛行機のキャンセル待ちよりも彼を上野に走らせた。
走る走る俺ひとり 流れる汗もそのままに
たとえたどり着いても 開演に間に合わないけど
幸いこのツアーのメニューは途中に20分の長い喋りが入る。
我々は客に事情を説明し、
3人でそのMCコーナーからコンサートを始めた。
順調にいけばこのMCコーナーが終わった頃Pさんは着くはずである。
しかしそれは「順調にいけば」と言う前提での話である。
何せ彼は神戸での仕事に寝坊し、
次の新幹線に飛び乗ったが、
中で寝てしまって岡山まで行ってしまい、
慌てて飛び降りて反対側の新幹線に飛び乗ったらそれは新神戸に停まらない新幹線で、
結局新大阪まで行ってしまい、
いつまでたっても現場に来られなかった過去を持つ。
当時はまだ秋田新幹線など開通していない。
盛岡まで東北新幹線で行って、
在来線に乗り継いで秋田まで来ねばならない。
新幹線でまた熟睡でもされたらアウチである。
「僕、今から盛岡まで迎えに行きます!!」
当時のマネージャーだったM氏がそう言う。
先に盛岡に行って、東北新幹線が着いたら座席まで行って寝てたら引きずり降ろして在来線に乗せるのだ、と。
それを聞いてた和佐田、
「何もそこまでせんでも・・・子供じゃないんやから」
それを聞いた途端、
滅多に怒ったことのない温厚で有名なM氏が怒気を荒げてこう言った。
「じゃあこれが大人のすることなんですか!!!」
和佐田よ、今回のイベントが成功するためには、
トリを飾るバンドのギタリストが現場に着いてなければならん。
あわよくばちゃんと予定通り新幹線に乗ったとしても、
予定通り京都で降りてくれるとは限らんぞ!!
このイベント、終わってみるまで何が起こるやらわかったもんじゃない。
http://www.on-ko-chi-shin.com/
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2009年10月 2日
ちゃんとライブやってたっつうねん!!
そう言えば昨日の昼間嫁からメールが入ってた。
「今日は誰のライブ?」
嫁は家事に疲れたら時々ライブを見に来るので関内まで来るのかなあと思って
「エミさんやで」
と返信しておいたがそれっきりなしのつぶてであった。
そんなことは忘れて一生懸命ライブ。
実際はこの日はエミさんはお休みで西野さんのライブだったのだが
いつもエミさんはゲスト出演なのでやる方としては同じである。
まあいつもより西やんの歌が多いかな、ぐらい。
いっぱいドラムソロもやって汗をかいて、
車なので酒も飲まず、
そのまま車に飛び乗って帰った。
だいたいにしてワシは家に帰るより先に隣の仮谷家のドアを開け、
上がり込んでビールを飲むのが常である。
ひどい時はうちでレコーディング終わった主人の仮谷くんを
「おかえり」と言って迎えることもあるぐらいだ。
この日は仮谷くんは先に帰っていて
ワシの飲むビールを冷蔵庫から取り出しながら小声でこう言った。
「どこ行ってたんです?」
「どこ行ってた言うたって見てわからんか?ライブやがな」
汗だくのステージ衣装のまま、
頭にはバンダナもまいたままである。
これがライブでなくて何とする!!
「今日エミさん歌入れに来てたんですよ」
そう言えば歌の気になるところがあると言うので
「仮谷くんとスケジュール合わせていつでも録り直しといて下さい」
と言ってあった。
「奥さんがエミさんに、
"あれ?今日ライブじゃないんですか?"
と聞いて
"違うよ"
と答えた時、何かもの凄い緊張感が走ってましたよ」
さらに
「言うたらいかんこと言うてしもたかなあ」
とエミさん。
アカンがな!!
そこでそんな緊張感出された日にゃあワシがホンマに嫁に嘘ついて悪いことしとるみたいやがな!!
「大丈夫です。
今日はきっと西野さんのライブで、
末吉さんはそんな悪いことする人じゃありませんって
エミさん力説して帰りましたから!!」
もっとアカンがな!!
そりゃあんたの周りはそういう人が多くてそういう処理には長けてるかも知れん。
しかしワシはホンマにライブやっとったんや!!
言い訳すればするほど嘘みたいやないかい!!
今日はリハのため朝早くから家を出た。
嫁とはこの話題に触れていない。
どうしたものか・・・
話題に触れたらまたよけいワシが言い訳しとるみたいやないか・・・
誰か嫁に
「昨日のファンキーさんのドラムソロよかったわ」
とメールしてくれぇ!!
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2009年9月 6日
大仕事その2管楽器とパーカッション
ストリングスオーケストラが帰って行った後、
スタジオが次の管楽器録音のために大幅なセッティング替えをしてる間、
先ほど録ったストリングスを片っ端からデータ整理してゆく。
ブースの中で聞いているので録ったものをいちいちプレイバックしていない。
また、どの部分はどの部分を貼付けるとか計算しながらやっていたので、
それだからこそこれだけ短時間で録り終えることが出来たのだが、
自分の耳が、そして頭が少しでも悪ければそこでおしまいである。
ひとつひとつの録音を丁寧に聞いてゆき、
数テイク録ったものは一番いいものを選んで貼付けてゆく。
そんな作業をやっているうちに管楽器奏者がやって来た。
今回は管楽器はホルンだけである。
通常の編成では2本呼んでダブルで重ねて4本にするが、
何故かひとりしか呼んでくれていない。
「中国で最高のホルン奏者なんだ。ギャラも最高級だよ」
聞いてみるとひとりで800元(約1万2千円)持ってゆく。
日本のスタジオミュージシャンより高いやん!!
同時録音ではなくダビングだからひとりでよろしい!!
ポケットマネーでレコーディングしてるんだから破産してしまうわい!!
だいたいホルンはオープニングの曲のイントロの8小節だけしかないのだ。
時間で言うと20秒足らず。
譜面を見せたらあからさまに「これだけ?」という顔をしている。
「4本ダビングしてくれるかい?」
そう言うとよろこんで、
「没問題!!(ノープロブレム)」
・・・そりゃそうじゃろ・・・
結局6本ダビングして5分足らずで帰って行った。
5分で800元・・・ワシは一体何をやってるんじゃろ・・・
いかんいかん!
音楽をつきつめる時に金を考えるとよくない。
もともと予算をそのままスタジオに渡しているのだ。
ブッキングもスタジオが責任持ってやってくれる。
ワシは音楽だけを考えていればいいのだ。
パーカッションが着くまでエディットを続ける。
「パーカッションは何時に着くの?」
ワシは9時40分の夜汽車で洛陽に行かねばならないのだ。
「楽器は・・・6時だな。奏者は・・・子供を迎えに行かねばならないので7時だ」
ブッキングしたのは女性。
一流の奏者であるが主婦でもあると言う。
「仕事だからすぐに来るように言いなさい!!」
人の都合よりワシ自身の都合である。
いくらコネで友人を呼ぶにしても金を払うのはワシなのだから・・・
奏者が先に到着した。
まずシンバルを録音する。
「どのシンバルがいい?」
向こうはワシがドラマーであることを知ってるので意見を請う。
とりあえず一番大きいのを選んで叩いてもらう。
このシンバルロールというのは言わば「芸術」である。
同じ打楽器奏者としてこのシングルストロークにはため息が出る。
ワシもよくドラムのレコーディングでやらされるが、
とてもじゃないけどこれだけ粒立ちのよいロールは叩けない。
そりゃそうじゃ、
この人たちはこのシングルストロークだけをひたすら練習して生きて来たのだ。
ロールに「命」がある。
あっと言う間に録り終わり、次は合わせシンバル。
猿のおもちゃみたいに左右からがしゃんと合わすのかと思いきや、
合わせシンバルは横にして、
叩くときに空気を逃がすように一瞬こすり合わせるのだ。
プロじゃ・・・
これもあっと言う間に録り終わり、
そうこうしているうちにティンパニが届く。
この引っ越し業者が実は今回のレコーディングの中で最高額の1200元(約2万円弱)を取ってゆく。
ティンパニはこの曲の要である。
機材レンタルして自分で叩けと冗談を言われるが、
とてもじゃないけれどもこのレベルで叩けない。
同じ打楽器奏者として悔しくはあるが、「餅は餅屋」である。
それに命をかけて生きて来た人にはとてもかなわない。
これもあっと言う間に録り終えてさっさと帰って行った。
所要時間10分そこそこである。
ちなみにギャラを聞いてみるとやはり最高額の800元。
ワシ・・・ドラムセッティングして30分、
音決めして30分、
いろいろ注文聞いてレコーディング30分、
片付けで30分。
ワシなんか2時間いろんな技を駆使して2000元なのに、
この人シングルストロークだけで10分で800元・・・
いかんいかん、金のことを考えて音楽は出来ん!
とりあえず全部録り終わったのだからビールを注文して
セルフ打ち上げをセッティングしつつエディット作業を再開。
順調に行けば仕上がった音をiPhoneに入れて夜汽車で聞ける予定だったが、
結局はエディットが間に合わず、そのまま夜汽車に乗る羽目に・・・
早く聞きたいよー・・・
洛陽から帰ったら仮ミックスをしてメンバーみんなにも聞かせてやるのさ!!
大仕事これにて終了!!
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2009年9月 4日
大仕事その1ストリングス
9時入りと言えばラッシュアワーなので8時に院子を出る。
雨が降り出して道路が少々混みだした頃スタジオに着いた。
8時半、まだ誰も来てないのでしばしスタジオの門の前で待つ。
「日本人は時間の観念が違うねえ・・・」
カギを開けに来たスタッフはそう言うが、
自分が遅刻したらそれが原因で今日録り上げることが出来なくなるかも知れないのに、
それでもゆっくりと来ようとする中国人の性格を疑いたくなる。
譜面の整理などをしてオーケストラメンバーの到着を待つ。
入り時間の10時より前にコンマスのKunYuが到着した。
小沢征爾やヨーヨーマとも競演経験がある実力派である。
彼が心配そうに「譜面を見せてくれ」と言う。
全曲のスコアを見せると、
「美しい!!まるで問題ないじゃないか」
そう、いいアレンジはその譜面が芸術的に美しくなるのである。
そう、今回のアレンジはどれも自信作。
いつもはコンソールルームでガラスの向こうから指示を出すのであるが、
今回はブースの中に入って指示することにする。
中に入って生音を聞いた方が音程とか響きとかがよくわかるからである。
「中で棒でも振るのか?」
とスタジオの連中がからかうが、
クリックに合わせてやるレコーディングは別に指揮者はいらない。
みんなクリックを聞いているのだから。
でも指揮どころかリズム指導までせねばならない事態になることをこの時点では想像だにしていない。
雨が降ったので大渋滞となり、
バイオリンとビオラがそれぞれひとりづつまだ着いてないが、
「じゃあ始めるか」
と言う。
この辺が中国である。
24人もいるのだからひとりやふたりいなくても変わらないさと言うのである。
まあ、待ってて録り終えなくてもいやだから、
少々不満ではあるが録り始めてるうちに到着。
ダブルにかぶせてるうちには全員揃った。
日本のレコーディングシステムではダブルにするとギャラも倍必要だったりするが、
ここ中国ではギャラの中に必ず「ダブルにする」というのが含まれている。
だから
トップバイオリン8
セカンドバイオリン6
ビオラ4
チェロ4
コントラバス2
の24人のオーケストラを揃えても、
実際にはその倍の48人のオーケストラが鳴っているということになる。
1曲目は彼らの得意とするバラードにして正解。
30分もたたないうちに1曲目が終わり、次の譜面を配布。
順調である。
この調子で行けば予定通り半分録リ終えて昼飯ということになる。
2時半までしか時間がないんだからメシ抜きでやってくれればいいのにと思うのだが、
ここ中国では日本人的なそんな考えは通用しない。
「腹が減ってはいい演奏も出来ないだろ!」
ということで食事の時間は絶対なのだ。
曲によってはその場でスコアを直したりもする。
トップバイオリンにフレットもないような高い音を弾かせたりしているのだが、
それがあんまりよくないのではと言うのだ。
ブラスをアレンジする時にもそうだが、
こういう音はそれが弾ける人がいて始めて成り立つ。
弦の場合はセカンドバイオリンとかがそれをオクターブ下で支えることによってフォローする。
まあしかし結局は
「もっと大編成だといいけどこの編成だからオクターブ下げておこう」
ということになる。
こんな時に馴染みのオーケストラだと楽である。
予定通り午前中の曲を録り終えてメシ!!
時間がないのにメシの時間どころか食後の休憩までとる。
焦っても仕方がない。
This is China!! これが中国なのである。
午後の部開始!!
しかし音がだらけきっている。
コンマスなんぞ明らかに
「私満腹で弾けません!」
という音である。
そんなになるまでメシ食うなよ!!
仕方がない、いろいろ指示しながら士気を上げる。
彼らの苦手なロック的なキメとかではリズム指導などもしながら、
最終的には予定通りぎりぎりの2時半には全曲録り終えた。
神業である。
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大仕事の準備
ストリングスを8曲も録るのは初めてである。
前の日に譜面とデータを持ってスタジオに行ってくる。
(8曲だと譜面の量もハンパじゃない)
日本から持って来たプロトゥールスのデータをコピー。
ファンクラブ用にTDが終わった曲も多いのでデータが大きい。
やっとコピーが終わって開こうと思ったら、
プロトゥールスのバージョンが違っていて開かない。
中国では海賊版を使うために低いバージョンを使っているスタジオが多いことを忘れていた。
すぐさま院子のスタジオまでタクシーを飛ばし、
全てのデータを低いバージョンでSAVEし直す。
前の日にこの作業をやっててよかった。
当日でいいやと思ってたらタイムアウトになるところだった。
何せこの日は弦の人達が3時から仕事があると言うので
朝9時集合で10時からレコーディングである。
2時過ぎには終えようと言うと1曲30分の計算である。
トラブルなんかに見舞われたらまず録り終えれなかったところである。
だいたいかなり前からこの日に大仕事をやるぞと言っているのに、
かまわずにこの日に仕事を入れるのが中国である。
まあ大丈夫だろう、この人たちは前回の「Wings」も30分で録り上げている。
「Funkyの譜面はいつも難しいからなあ・・・」
とボヤイていたそうだが、今回は変拍子の曲はないから大丈夫。
前回の「びっくりミルクMetalicaオーケストラバージョン」のような超難曲ではない。
(あれはいつになったら発売されるのだろう・・・)
あとは管楽器と打楽器の手配である。
ティンパニを運ぶのに引っ越し会社を呼ばねばならない。
こちらでは大きな楽器は引っ越し会社が運ぶのだ。
「んで?ティンパニはお前が叩くのか?」
ドラムが叩けるからティンパニが叩けると思ったら大間違いである。
レコーディングでドラムが終わったら「じゃあコンガも叩いてよ」と言うのが中国人である。
まるで違う楽器やっつうねん!!
「んで?シンバルはお前が叩くんだろ?」
これも悪いがプロにお任せする。
この人達はシングルストロークでティンパニやシンバルをロールすることに命を懸けている人達である。
一生をそれだけに懸けていると言っても過言ではない。
基礎練習が嫌いでライブで修行しようとしているドラマーとは粒立ちが全然違う。
「んじゃあ打楽器は夜ね」
おいおい、言ってなかったっけ?
ワシはこの日の夜の列車で洛陽まで行かねばならないので
夕方には全てを終えねばならない。
全部の楽器は夕方までにまとめてよ。
いろいろあったが何とか準備万端!!
世紀の大仕事が今日始まる。
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2009年8月 1日
樋口っつぁんのドラムセット
昨日7月31日には
目黒ライブステイションでX.Y.Z.→A10周年記念10本ライブの二井原ナイトが行われた。
デッドチャップリンやSLYのナンバーをゲストを招いて演奏するということで、
この日は非常にゲストが多い。
ドラマーが3人いて、
そのドラムセットをどうするかというのが実はスタッフの悩みどころであった。
本来ならばそれぞれのドラムセットを持ち込んで転換してやれれば理想なのだが、
狭いライブハウスでそうも言ってられない。
菅沼孝三とワシのセッティングは、まあそんなに大きく違わないのだが、
SLYのセッションでドラムを叩く加藤くんは2バスだと困ってしまう。
彼は亡き樋口っつぁんの愛弟子で、
死ぬまで2バスを踏まなかった樋口っつぁんの意志を継いで、
本人もがんとして1バスを貫いているのである。
「何とか加藤さんのセットで叩いてもらえませんかねえ」
スタッフから泣きのお願いが入る。
「コーゾーがよければワシは別にかまわんよ」
ということでこの日は加藤くんのドラムセットを全員叩くことになった。

同じセットでタムを追加して叩くコーゾーくん
そのセッティングをそのままお借りして叩くワシ・・・
リハーサルで既に疲労困憊して楽屋でぶっ倒れてしまった。
「コーゾーくん・・・このセット・・・叩きにくくないか?・・・」
ついつい泣きを入れてしまうワシ・・・
うんうんとうなずきながらぼそっと呟くコーゾー・・・
「なんか一打一打ごとに魂を吸い取られるぐらいしんどい・・・」
実はこのセット・・・亡き樋口っつぁんから貰い受けたセットだと言う。
そうか・・・魂を抜き取ってるのは樋口っつぁんやったんかぁ・・・
「このセットはなぁ、加藤は叩いてもええとは言うたが
コーゾーやファンキーには叩いてええとは言うてへんで!!」
誰かが樋口っつぁんの口調を真似て一席ぶる。
一同全て樋口っつぁんの旧友ばかりなので大爆笑である。

2回目のアンコールでまたX.Y.Z.→Aの登場となり、
最初の4曲だけだと思って楽屋でがんがんに飲んでしまってたワシは、
もうヘロヘロになりながら「Don't Let The Sun Goes Down」を叩いた。
天国で樋口っつぁんが笑って見てるようだった。
「ファンキー・・・お前もまだまだやな!!」
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2009年7月 7日
プロとJamろうジャムセッション
店が出来てからというもの、心なしか嫁の機嫌がよい。
先月もベビーシッターまで雇って「三井ぱんと大村はん」を見に行ってた。
7月はどんなセッションがあるのかスケジュールがUPされたら目を皿のようにしてチェックしている。
嫁の好きな爆音系はなかなか店ではブッキング出来ないので、
まあ強いて言えば24日の江川ほーじんセッションぐらいではないか
(同じ爆音でもジャンルが全然違うが)・・・
「パパ!!何言うてんねん!!18日があるやん!!」
18日?・・・何やろ?・・・
・・・自分でブッキングしといて忘れている・・・
調べてみると「プロとJamろうジャムセッション」
そうそう、地元のみんなが「是非Jamセッションを」と言うのでブッキングしたんじゃった。
ところがワシは実はJamセッションは嫌いである。
Jazzのセッションは決まったフォームがあり、
まあだらだらと延々ソロをやらない限り必ず終わりがある。
早い話、「曲」があるから好きなのじゃが、
ところがロックとかブルースとかのセッションとなると、
1コードやブルースコードで延々ソロをやられたりするとたまらない。
いくらドラムを叩くのが好きなワシでも
「もうええじゃろ」
と言いたくなる。
つまり「終わり」がないだけでなく「曲」がないのである。
こんなのを延々聞かされる客は哀れとしか言いようがない。
もちろんワシは金を出してまでこんなのを聞きに行くことはまずない。
ところが昔参加したJamセッションで非常に楽しかったのがあった。
目黒ライブステイション主催で、
この時は課題曲を決めてそれにプロもアマもごっちゃになって参加した。
ユニコーンのテッシーや、BowWowの満園兄弟なんかもいたなあ・・・。
ワシはその時メタリカの曲を選んで、
2バスがあまりに速くて辛くて後悔した。
まさか数年後にXYZみたいなバンドを組んでずーっと苦労し続けるとは夢にも思わずに・・・
そんなJamセッションだと楽しかろうということで、
誰かいいセッションリーダーはいないかと探したところ、
シェイカーの甲斐くんや工藤ちゃんはレコーディングということでスケジュールが合わず、
マッド大内がスケジュールが合ったのでこの日にブッキングしていたのじゃ。
「パパ!マッドさんどんなんやるん?!!」
そうかぁ・・・マッド大内と言えばアンセムのオリジナルメンバーではないか・・・
嫁は筋金入りのアンセムのファンなのである。
マッド大内が選んだ課題曲リストを見せる。
BURN(DEEP PURPLE)
I SURRENDER(RAINBOW)
SPOT LIGHT KID(RAINBOW)
LOST IN HOLLYWOOD(RAINBOW)
INTO THE ARENA(MSG)
CRAZY TRAIN(OZZY OSBOURN)
BLACK OUT(SCORPIONS)
ANOTHER THING COMING(JUDAS PRIEST)
YOU SHOCK ME ALL NIGHT LONG(AC/DC)
LIVE WIRE(MOTLEY CRUE)
見終わって嫁が一言・・・「無理やなぁ・・・」
無理やなぁって・・・まさか・・・見に行くんとちごて参加?・・・
まあ嫁は学生時代はバンドを組んでいてギターを弾いていたと言う。
花嫁道具も「エース清水モデル」のギター。
そう、嫁は筋金入りのエース清水のファンでもあるのだ。
「さ、参加なんてそんな・・・恐れ多い・・・もう10年もギター弾いてないし・・・」
顔を赤らめて言い訳する嫁。
「何言うてんねん、Jamセッション言うたらそう言う人のためのもんや!!
見に行っても1000円、参加しても1000円。それやったら参加せな損やろ!!」
育児に追われて自分のやりたいことも全然出来ない嫁が、
こんなことでストレス発散してくれたらそれこそ家庭円満!!
家庭平和は世界平和につながり、やがて北朝鮮も核を放棄するってもんである。
「でもこの曲どれも弾いたことないし・・・」
弱気の嫁を更に説得する。
「この曲だけやのうて、やりたい曲は店の参加曲リストに新たに書き込んだらええんやで。
その曲やりたい人が集まって来たら別にその曲もやれんねん」
「ほな一応ギター練習してみようかな・・・
今度北京行った時、弦やらいろいろ持って帰って来てね」
何とか重い腰を上げたようである。
世界平和はもう近い!!
しばらくしてうちに一冊の本が郵送されて来た。
嫁・・・本気やな・・・
見ればボンジョビの「You Give Love A Bad Name」に折り目がついている。
店に行ってこの曲を新たにエントリーすると共に、
シャレでついでに爆風スランプの「たいやきやいた」も書き込んで来た。
前の日に青島なのでドラムの欄に「ファンキー末吉(帰国が間に合えば)」と書いて。
まあこの並びの楽曲の中でこの曲を演りたいと言う人もおるまいて・・・
そしてそのまま吉林省に飛ぶ。
北京に帰り着いた時、嫁からメールが入った。
「ギターケースに入れてあったチューニングメーターとピックケース持って帰って!!」
嫁よ・・・ますます本気やな・・・
ところがピックケースは何とか見つかったものの、
チューニングメーターは探せど見つからない。
まあ帰国してから一緒に買いに行けばよいじゃろ。
帰国して、嫁を連れて京王八王子駅ビルにある島村楽器へと向かう。
「そうや、パパ、シールドも買わなあかん・・・」
シールドでも何でも買いなはれ!
「ストラップも要るでぇ・・・」
何でも買いなはれ!全ては家庭円満、世界平和のためである。
こまごまとしたものを買い込んでワシがお会計をする。
これもひいては世界平和のためである。
買った物の中にこんなものを発見・・・
ノートやらクリップやらJamセッションに必要かぁ?・・・
まあ言わぬが花、知らぬが仏である。
帰りにロックファッションのブティックを発見!!
嫁がいそいそとステージ衣装を選んでいる。
「買いなはれ!買いなはれ!」
これも全ては世界平和のためである。
買った物の中にまたもやこんな物も発見・・・
嫁よ・・・Jamセッションに何故にバッグが?・・・
いや、言わぬが花、知らぬが仏。
これも全て世界平和のためである。
Hard Offというディスカウントショップに6000円のギターアンプもあったので買って来た。
今、自宅スタジオで嫁が爆音で練習している。
これだけやる気なのにこの曲に参加する人がいなければどうなるのじゃ?!・・・
家庭平和のために店に参加者をチェックしに行く。
なーに、参加者がいなければ地元のミュージシャンを脅して参加させればいい。
子煩悩ならぬ嫁煩悩である。
店に貼り出している参加表を見ると・・・
おう・・・ぼちぼち参加者が増えて来ているではないか・・・
嫁の曲にも参加者がいるようじゃ・・・よかったよかった・・・
ふとみると「たいやきやいた」に参加者が・・・
ベース&ボーカル・・・えだちん・・・
まさか参加者がおるとは・・・
しかもこの人・・・この曲だけに参加希望・・・
ワシ・・・青島から戻れんかったらこの人どうするんやろ・・・
誰かこの曲にドラムとギターで参加出来る人求む!!
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2009年3月 1日
懐かしいなあ・・・クソちびりの街、香港・・・
昼飯ついでに街を散歩したら、
Wingが今回とってくれたホテルは尖沙咀(チムシャーチュイ)にあった。
まさにあの日クソをちびった街である。
奇異な運命の人生だとは思っているが、
40過ぎて街中でウンコちびりながら疾走する経験なんかなかなか出来るものではない。
下痢便をまき散らしながら疾走した(とみられる)街角

クソまみれになったパンツをティッシュにくるんで捨てた(と思われる)ゴミ箱
もの凄い悪臭のまま帰り着いた当時宿泊していたホテル
全てが懐かしい思い出である(涙)。
警備員に制止されながら飛びこんで踊り場でウンコしたビジネスビルは、
残念ながら見つけることは出来なかった。
ワシ・・・あまりに遠くまで走って行ったのか、
もしくはその後つぶれたのか・・・
トイレを求めて駆け抜けた(と思われる)公園
の中には何と公衆トイレを発見!!
あの時はどうして目に入らなかったのか・・・
もしくはあの時にはなくって、
この悲惨な事件を目にした香港政府が新たに作ったのか・・・
いろんな思い出を胸に、今日はリハーサルスタジオまで歩いて行くのじゃ・・・
Posted by ファンキー末吉 at:14:40 | 固定リンク
2008年9月16日
ロック魂Tシャツの波紋は続く・・・
服装に無頓着なワシは、
ひとつの服が臭くなるともうひとつの服を着て
その服を洗ってるうちに着ている服が臭くなると
またその洗った服を着て・・・
というローテーションが常である。
ゆえに先日のロックTシャツはまさに今日着るべき服なのであった。
さてそんな今日この頃なのであるが、
実は子供たちを来月から八王子で育てようと、
高知の学校に転出の書類をもらいに行こうとしたその時、
お袋が血相変えて
「あんたぁ!!まさかそんな服で学校行くんかね!!」
別に冠婚葬祭やあるまいし、学校行くのに普段着ではいかんかね・・・
普段着は普段着でも、
お袋はどうしてもワシに襟付きのちゃんとした服を着させたいらしい。
自慢ではないがワシ、
服には無頓着なくせに、人が着ろと言う服には拒絶反応が強い。
おかげで襟付きの服なんぞ着たことがないのでよけいに拒絶感が強い。
またお袋はそういうワシに拒絶感が強いと来たもんだからキーキー言う。
それぐらいのことでケンカするのも大人げないのじゃが、
ワシは法事で襟付きの服を着てやったことだけでも感謝されたいと思っているほどなので、
ここにふたりの感情は平行線どころか異次元のところに行ってしまっていて、
この言い争い、どうにも決着がつくことは難しい。
「あんたじゃなく恵理が笑われるんやから!!」
と娘の名前を出してまでワシを思いとどまらせようとする母・・・
「この黒いTシャツを着ることはそこまで罪悪なのか」とあくまで疑問なワシ・・・
ワシは考える。
もしワシがとび職だったら、
鳶職人の服を着て学校に行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
ラーメン屋の店主だったら
エプロンかけて学校行くことはそんなに恥ずかしいことなのか。
工務店の社長さんだったら、
よく見る工務店っぽい服で学校に来ているし、
代議士だったらきっと金バッチつけて学校来るぞ!!
ロックミュージシャンが黒いTシャツで学校行って何が悪い!!
もしワシの身体がピアスと刺青だらけで、
同じTシャツでも「Fuck You」とか書かれたものだったらさすがワシでも考えるが、
「ロック魂」のどこがアカンの?!!!
まあ敢えて言えばちょっと貧乏臭いだけである。
でも更に言わせてもらえば、
じゃあ貧乏のどこがアカンの?!!!
結局ワシには、着なれたこの服を着てはいけない理由が見つからないのである。
納得できないものには屈することは出来ない!!
それが「ロック道ではないのかい!!」
・・・と言いつつも、
家を飛び出して学校に着く頃には少々弱気である・・・
息子の小学校が終わり、娘の中学校。
中学生の女の子と言えば一番多感な時期である。
許せ!父はロックに生きる者なのじゃ!
もしお前も星雲高校に入学することがあったら、
入学面談の時に胸を張ってこう言うのじゃ。
「うちの父ちゃんは日本一の日雇いミュージシャンです」
しかしよくよく思い起こしてみると、
別にこのTシャツにそれほど愛着があるわけでもない。
何のことはない、
実のところ着替えるのがめんどくさかっただけなのである。
そんなアホ親父の前で先生がしきりに娘のことを誉めてくれていた。
まあこんな時に人の子をけなす先生もおらんじゃろうが、
この先生が娘に対する愛情がひしひしと伝わって来る。
そう言えば娘の転校日を来月に延ばしたのも、この先生が
「来月文化祭があるので、転校はそれまで延ばすことは出来ませんか」
とおっしゃったからである。
先生と話している時に吹奏楽部の練習が聞こえていた。
そう言えば前回この中学校で講演をさせて頂いた時、
(我ながらいろんなことやっとるなあ・・・)
記念に吹奏楽部に何かお役に立つことをやってあげようと思ってたなあ・・・
娘がいるうちに吹奏楽部に何か残してあげられればよかったなぁ・・・
文化祭の練習でもしてるのだろうか、
思ってみれば、娘にとっては文化祭の日が最後の登校日、
この吹奏楽部の演奏を聞くのもその日が最後なんだ・・・
親バカとしてはちらっとこんなことも頭をよぎる。
「吹奏楽部がうちの娘のために何か演奏してくれんかのう・・・」
しかしそれはいくらなんでも吹奏楽部を私物化し過ぎている。
これでは背中の「ロック魂」に笑われる。
それにスケジュールを聞いたら吹奏楽部は非常に忙しい。
月末には体育祭がありその練習に忙しく、
終わったらすぐに吹奏楽のコンテストがあり、
それが終わってすぐ文化祭である。
そうじゃ!
考え方が逆なんじゃ!
娘のために何かするんじゃなくて、
「娘が世話になった学校やみなさんのために何か出来んか」
と考えるべきではないのか!!
コンテストにも出ると言うので出来れば優勝させてあげたい。
ありものの譜面ばかりで出場している他校と比べて、
書き下ろしの譜面だと点数も稼げるのではないか。
楽曲はオリジナルでもいいが、
出来れば有名な曲、
出来れば爆風の曲でワシが書いた曲が望ましい。
Runnerはベストじゃが、
転調が多く、難易度が高い。
もっと簡単で意味がある曲はないものか・・・
いい曲があるではないか!!
「転校生は宇宙人」
そうだ!
この曲は娘がこの学校に残して行くのだ。
入学して半年で消えてゆく、
父親がちょっと地球人離れした女の子そのものの物語じゃないか!!
吹奏楽部だから詞は伝わらない。
でもアレンジでワシや娘の気持ちは伝わるのではないか・・・
それが音楽っつうもんではないか・・・
啖呵を切って学校を後にした。
大喜びでワシの申し出を受けてくれた校長はじめ、全ての先生方の期待を
背中の「ロック魂」が背負っていた。
帰ってすぐにザビエル大村の妻(生粋の爆風ファン)から楽曲を送ってもらった。
Bメロはほとんど忘れていたが、だいたい頭に叩き込んで銭湯へ。
そうそう、ワシ・・・よく風呂に入って物考えるのよね・・・
うちの実家の風呂、今壊れてるし・・・
そして譜面ソフトを立ち上げ、いざ入力開始!!
そうそう、ワシ・・・別に楽器がなくても譜面書けるのよね・・・
でも周りに音楽がなってると出来ないので娘の見てるテレビを無理やり消しちゃうのよね・・・
・・・本末転倒・・・
そして楽器構成を把握して譜面の枠組みだけをやっと作って唖然とした・・・
何と久々の20段譜面・・・
ワシ・・・かなり後悔・・・
でも今さら後には引けない。
今晩とりあえず徹夜してみる・・・
ロック魂Tシャツはそんなワシを嘲り笑うように
洗濯機の中で回っていた・・・
Posted by ファンキー末吉 at:22:43 | 固定リンク
2008年6月10日
ところ変われば募金も変わる
前回のメルマガで四川省大地震へ何か援助が出来ないかと言う話を書いたら、
やっぱそんなことを考えてる人は多いと見え、いろいろメールを頂いた。
とある人は何とか被災地の子供たちのために文房具を送りたいと関係者に相談したら、
・新品を送るとピンハネされる
・政府や赤十字みたいなところに送ってもやはり殆どがピンハネされる
・ということで、中古の文房具を信頼の置けるところもしくは人に直接送る
というのがよい
とアドバイスされたそうである。
彼女はワシに言う。
「その文房具をドラムに詰めて担いで四川省まで行ってくれ」
と・・・
こりゃほんま本腰入れて行くしかないか?・・・
知り合いが現地の教育機関に受け入れを要請してくれている。
ひとりではドラムセットすらも担げないので、
隣に住んでる布衣のボーカルに
「お前らどうせヒマなんじゃろ!」
と言うことで声をかけたらふたつ返事でOKだった。
まあ生き死にの段階がすんで、
衣食住が何とかなってから初めて「教育」だろうから、
ワシらが受け入れを許可された頃は少しは復旧が進んでいると言うことじゃろうが、
おそらく宿舎はその受け入れ先の学校となったとしても、
まあワシらの住んでる環境とそんなに違わんしなあ・・・
何とか冬になる前に行かなきゃ凍死するなぁ・・・
しかし彼から中国での募金の状況を聞いてびっくりした。
なんと中国では募金をしたらその名前と金額が公表されると言うのだ。
これは募金の額を吊り上げることには貢献しているが、
自分の名前と額を村に張り出された貧民達はたまらない。
誰それはいくらだからと更に募金をするために借金をする。
とある売れっ子の女性アイドルが被災者のために献血をした。
そのことが報道されると国民全てが怒り狂ってネットで彼女を叩きまくった。
「お前、金持ちなんじゃろ!血じゃのうて金送らんかい!!」
香港のとある超売れっ子歌手が何百万(日本円で)も募金した。
しかし彼よりも金持ちの事業家は中国にはたくさんいる。
「お前、誰それはもっと募金したぞ!お前はたったそれだけか!!」
ネットで叩かれまくって彼は
もう百万単位ではどうしようもないので千万単位の募金をする。
そしてそれよりもっと募金をした人が公表され、彼はもっと叩かれる。
これやったらせん方がマシなんちゃうん!!
ドラエモン募金みたいのんがこっちにもあって、
ある番号に電話をすると電話代から10元が募金として送られるのじゃが、
ワシなんかもうそれで叩かれたらと思うとドキドキよ。
そうやって病気のように毎日募金をする貧民はたくさんいると言う。
でもその金は果たしてちゃんと現地に届くのか?
届くと信じて募金するしかないのじゃが、
現実この国でのその横領は非常に問題になっている。
送られたテントが被災地ではなく受け取った幹部の庭で使われてたり、
物資の横流しは日々ネットで報道されて国民の知るところとなる。
「日本では被災地に国と社会とどっちが多く金を払う?」
変な質問を布衣のボーカルからされる。
「いや?・・・日本では国はまず絶対救済せなあかんし・・・
全力でそれせんかったら次の政権ないし・・・
いや、中国はその政権交代自体がないし・・・」
非常に答えにくい質問だったが、彼から先にこう答える。
「中国ではなぁ。被災地に送った金はほとんどが社会、
つまり国民からの募金なんだ。
政府はオリンピックに費やすお金の数分の一しか使ってない」
被災者よりもオリンピックが大切と言うわけか?
でも政府関係者はこの国では一番金持ちやぞ!
政府要人の個人資産を公表して、
彼らの個人資産からも募金させたらんかい!
先日ネットの書き込みで四川省の被災者をなじった少女が、
翌日にはその本名と住所と電話番号まで公表されて警察に保護された。
逮捕ではなく保護である。
そうじゃなきゃ間違いなく殺される・・・
ワシにも友達がいるが、中国のハッカー達の技術は物凄い。
ひとつの書き込みからその本人を特定するなんぞ朝飯前である。
奴らなら政府要人の個人資産なんぞすぐにハッキング出来るだろう。
その途端に殺されるか・・・
ドラム担いで被災地に行ったところで、
この国がそんなにすぐによくなることはあるまいが・・・
ロックで出来ることなんてほんの小さいことなのよね・・・
Posted by ファンキー末吉 at:05:06 | 固定リンク
2008年3月17日
Kちゃんの物語その2
私の携帯の番号は、私が携帯と言うものを手にしてから一度も変えたことがないので、
時には思いもよらぬ古い友人から電話がかかる時もある。
番号表示で誰だかわかる時もあるし、
声を聞いてやっとわかることもあるのだが、
「私よ、誰だか忘れたの?」
と言う彼女の声を聞いた時、とっさにこの声の主を思い出すことが出来なかった。
ひょっとしたら心の奥底で忘れてしまいたいと思っていたのかも知れない。
「私よ!車持ってるでしょ!すぐ迎えに来て!」
迎えに来てったって真夜中である。
「この夜中にのこのこ迎えに行ける人間がどこにいる」とは思ったものの、
その日は嫁も子供も寝静まってひとり仕事部屋で仕事をしてたので別に行こうと思えば行けないこともない。
「どこに行けばいいんだ?実家か?」
彼女の実家にはアッシー(死語)として何度も送り迎えに行ったことがあるので今だによく覚えてはいる。
「バカねぇ。今だに実家にいるわけないじゃん!私もう結婚したんだから。
でも今から家出するの!だからすぐ迎えに来て!」

今更「あわよくば心」はない。
前回の事件で私は彼女を、いや「女」と言うものの怖さを心底感じてしまっている。
スケベ心よりは好奇心である。
(彼女は結局あの男と結婚したのか?)
(やっぱりあの女を殺したのか?)
(それとも・・・)
いろんなことを考えながら彼女の指定した公園に向かった。
数年ぶりに会った彼女は二十歳の頃と変わらず若々しく、そして相変わらず美しかった。
「行くところがない」と言われたって嫁も子供もいる私の家に転がり込まれても困る。
例え彼女のことを好きだったのは今は昔であろうともである。
とりあえずめったに帰って来ない友人のアパートがあるので
彼女を紹介してしばらくそこに住まわせることにした。
そこでゆっくり話を聞いた。
聞けば殺傷事件にまでなってしまったその昔の男は、
その原因となったその女とその後も切れずにいたらしい。
私から見たら命知らずの男なのである。
「何か私ってどんなことされても我慢してついてくる女に見えるらしいの」
彼女はある意味ではそう言う女である。
その男が他の女に手を出しさえしなければ平穏無事な幸せな家庭を築けたかも知れない。
しかし男は女と切れなかった。
それじゃあ予告通り彼女はその女を殺したのか?・・
いや、修羅場はそれ以上続かなかった。
新しい男性が現れ、失意の彼女を慰め、
そして彼女と結婚したのである。
その旦那は見事に彼女を救い、
そして結果的にはその女の命までをも救ったと言えよう。
しかし男とはどうしようもなくアホな生き物であると言うべきか、
はたまた彼女はとことん男運が悪いと言うべきか、
運命は再び繰り返し、悪いことにまたこの旦那が浮気をしたのである。
今や私なんぞ、
「こんな女を妻にして浮気なんぞしようものなら命がいくらあっても足りないぞ」
と自己防衛本能が素直にそう思わせるのだが、
当の旦那はどうもそんなこと夢にも思わないらしい。
昔の男も、そしてその旦那も、
私の見た彼女のあの恐ろしい面はまるで見ることが出来ないのである。
私があの時見た彼女、
あの極端なまでの冷静さで殺人を遂行しようと言う恐ろしさは、
実は決して人からは見ることが出来ない「Dark Side Of The Moon」だったのではあるまいか。
実はそれはまだ誰も見たことがなく、あの時私にだけ見せたものだったのではあるまいか。
だから今回も私を呼び出したのではあるまいか。
その「Dark Side Of The Moon」を見てしまった私を。
それを見せられる唯一の人間である私を。
ちなみにピンクフロイドの名盤「Dark Side Of The Moon」の邦題は「狂気」と名付けられている。
後に続く「Crazy Diamond」も「The Wall」も、
全て彼らは「人間の狂気」を題材にその音楽を作って来た。
しかし彼女は違う!
彼女は決して狂ってなどいない。
恐ろしいほど冷静に、「普通」に殺人を遂行しようとしていた。
狂気のかけらなど微塵にも見られなかった。
殺人など激情に駆られてやるもの、
狂気に駆り立てられてやるものだと思っていた私は、
だからこそ身の凍るほどの恐怖を感じた。
彼女があまりに「普通」で、あまりに「冷静」であったからだ。
それはまさに人の心の「Dark Side Of The Moon」。
「人を愛する」とか「尽くす」とかと言う表の部分が、
そのターゲットの裏切りによりそのままその裏側、
つまり「殺す」と言うことになるだけで、
それは激情にほだされてでも何でもない。
彼女にとって、いや人にとってそれは「普通」の行動だったのではあるまいか。

普段と変わらない様子で彼女は旦那の浮気について説明する。
それは別に普通の笑い話と寸分変わらない言い方である。
「旦那もそうだけどその女もバカだわよねぇ。
そんなことして私にバレないと思ってるのかしら」
そう、彼女は決して頭は悪くない。
むしろ洞察力、頭の回転、女のカン、どれをとっても恐らく人並み以上の能力であろう。
それをフルに稼働して、その女が誰か、名前は何で、年はいくつで、
仕事は何をしていて、職場はどこで、
勤務ローテーションはどのようで、
住んでるところはどこで、実家はどこで、
その電話番号まで全てを既に調べ上げている。
私はまた背筋が寒くなって彼女にこう聞いた。
「まさか・・・また殺すとか言いだすんじゃないだろうね」
彼女はまたそのとびっきりの笑顔でそんな私の心配を笑い飛ばした。
「バカねぇ。私もあの時は子供だったの。
もう殺したりなんかするわけないじゃない」
くったくのないその美しい笑顔を見て私はほっと肩をなでおろした。
するとすかさず彼女、
「死んだ方がましだと思うぐらいの目に合わせてやるの」

私はまた恐怖で凍りついてしまった。
彼女を絶望から救ったこの旦那は、
また自らの手で彼女の「Dark Side Of The Moon」をひっぱり出してしまったのだ。
それからの彼女は私は心底恐ろしかった。
毎日のようにその女を追いつめてゆく。
「まず仕事をやめさせてやるの」
職場に行く。
その女のローテーションは全て把握しているので、
敢えてその女が出勤していない時間を狙って行く。
「一番偉い人出してちょうだい!
おたくの従業員が私の留守中に私の旦那と・・・」
その女が部屋に残した遺留品をつきつけて、
泣く!喚く!全社員の前、全てのお客の前で可哀想な被害者を演出する。
それを沈着冷静に完璧に演じるのである。
「次は親だわ」
実家に電話をして女の両親に向かって泣く!喚く!
その全てが「感情」ではない、「計算」なのである。
「そうそう、住むところもなくさなくっちゃ」
今度は勤務時間のローテーションを見計らって
アパートでご近所さん、大家さん相手にそれをやる。
やられた方はたまったもんじゃない。
しかも相手は今や家出していて携帯もOFFにしているので捕まえようにも捕まえようがない。
旦那とてたまったもんじゃない。
言いたいことがあるなら自分に言えばいいじゃないかと思ってもその相手がつかまらないのである。
私にその旦那もその女も救うことは出来ない。
何故なら私には彼らと何の接点もないのである。
会ったこともなければ名前すらも知らない。
ただひたすら、時間のある時に彼女を慰め、
気をまぎらわせてやるだけである。
「ほんと、私って男運悪いのかしら・・・」
彼女はちょっと疲れた感じで私にそうつぶやく。
何も特別なことで疲れた感じではなく、
ただ「仕事が忙しかった」とか普通に「生活に疲れた」といった感じでそう言うのである。
それにしても私は何故こうして彼女に世話を焼いているのだろう。
10年近く会ってなくてもすぐにこのように「普通」に会える友人であるから?
それともやっぱり彼女が美しく、魅力的だから?
彼女はその美しい横顔をちょっとこちらに向けてほほ笑みながら言った。
「末吉さん、今でも私のこと好き?」
私は体中に鳥肌が立つほど恐ろしかった。
それほどまでにも彼女の笑顔は美しかったのである。

その女に対する彼女の猛攻撃は続く、
職場にいようともアパートに帰ろうとも、
そしてたまりかねて友人宅に身をよせようとも、
必ず彼女はそこを突きとめてやってくるのである。
しかも必ず本人がいない時間を見計らって・・・
気も狂わんばかりになったその女は、
結局頼るところは自分が愛人関係にあるその相手、
つまり彼女の旦那のところしかない。
最終的にその女は旦那のマンション、
つまり家出する前に彼女が旦那と住んでたその部屋に転がり込んで来た。
彼女の最終攻撃が始まる。
旦那の勤務ローテーションも完全に把握しているので、
旦那が絶対に電話にも出れない、職場も放棄できない時間帯を狙って、
その女が一人で震えながら待つ、かつての自分のマンションに乗り込んでゆく。
ピンポーン
自分の家なのでカギは持っているのにわざわざ呼び鈴を鳴らす。
女はもう精神を病んでしまっているので出てこない。
女が出てくるまで何度でも何度でも鳴らす。
恐る恐るドアまでやって来てのぞき穴から彼女の顔を見たとたん絶叫した。
「キャー!!!!」
彼女はゆっくりドアにカギを差し込みゆっくりとカギを開けた。
ガチャン
「キャー!!!!来ないで!!!入って来ないで!!!」
女は部屋の中で半狂乱となる。
しかしドアには運良くチェーンロックがかけてあった。
彼女はそのドアの隙間から部屋を覗き込んで優しそうにこう言う。
「開けなさい。ここは誰の家だと思ってるの?」
「助けて!!!誰か助けて!!!」
半狂乱で救いを求めて電話をかける。
救いを求める相手はただひとり、彼女の旦那であるにも関わらず、
その彼はあいにく電話口には出られない。
職場にかけても職場を離れることは出来ない。
彼女はドアの外でゆっくりと自分の携帯を取り出し110番に電話をかける。
「もしもし、警察ですか。
私の家に知らない人が入ってて中から鍵かけて出て来ないんです。
何とかしてもらえませんか」
近所の交番から数人の警官がやって来る。
「中の人!出て来なさい!あなたのやっていることは犯罪です!」
チェーンロックをかけたドアの間から警官が叫ぶ。
半狂乱の女は泣き叫ぶ。
「その人を何とかして!私、殺される!!」
警官が彼女に質問する。
「どう言うことなんですか?お知り合いですか?」
ニコっと笑って彼女は余裕で答える。
「いいえ、会ったこともありませんよ。あの女、頭おかしいんじゃないですの?」
法律的にはこの女は「不法侵入」を犯している。
警察としては最後の手段として、チェーンカッターでチェーンを切って中に入るしかない。
説得すること数十分。
中の女は最後には説得に応じて恐る恐るチェーンロックを外した。
するとドアが開くが早いか中に飛び込むが早いか、
彼女は勝手知ったる自分の家に飛び込んだ。
そして勝手知ったる台所の包丁を掴んで女に切りかかった。
「キャー!!」
警官が数人がかりで彼女を取り押さえて事なきを得たが、
結局はこの事件は三角関係が生んだ痴話喧嘩と言うことで処理され、
切りかかった彼女よりも法律的にはその女の方が罪に問われる。
彼女はただ「嫉妬で逆上した」可哀想な妻にしか見えないのである。
そう、彼女の「Dark Side Of The Moon」を見ていない全ての人間は彼女をそのようにしか見ることが出来ない。
しかし私は知っている。
彼女は「逆上」などしていない。
いつでも「冷静」で、「やるべきこと」を「完璧に」遂行しようとしているだけなのだ。
人を愛し、尽くすのと同じように遂行しているだけなのだ。
「また殺し損なっちゃった・・・」
笑顔でそう私に報告する彼女に私は心底震え上がった。
離婚調停は「絶対に別れない」と言う彼女のかたくなな態度により泥沼化したと聞く。
彼女はまたあの美しい笑顔で私にそう言った。
「離婚なんかするわけないじゃん!だって愛してるんだもん」
それから彼女には会ってない。
だから数日前、また彼女から突然電話があった時には心底びっくりした。
聞けば再婚し、子供が出来、その新しい旦那もまた浮気をしたと言う。
しかし今度は状況は違った。
旦那は泣いて真剣にあやまり、
彼女の目の前でその浮気相手と手を切り、
今も彼女に毎日毎日あやまり続けていると言う。
「でも一生許せないかも知れない」
彼女が私にぽろっとこぼしたその言葉を聞いて私はとても安心した。
これは「感情」が言わせるもので
彼女の「Dark Side Of The Moon」が言わせていいるものではないからである。
その旦那ならきっと一生彼女の「Dark Side Of The Moon」を封じ込めるかも知れない。
そしてそうであって欲しいと心から思う。
人はみなその心に「Dark Side Of The Moon」を持っている。
私の妻に、
そしてこれを読んでいる全ての妻帯者の妻だけにはそれがないと誰が言いきれよう。
それを引っ張り出すか永遠に封印するかは全てはその旦那次第なのである。
Kちゃんの物語、これは決して他人事ではないと世の全ての男性は知るべきであろう。
完・・・(であることを心から願う)
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2008年3月15日
Kちゃんの物語その1
Kちゃんと初めて会ったのは、
彼女がまだ20歳かそこらのピチピチGAL(死語)だった頃のことである。
美貌にも恵まれ、セクシーで明るいキャラである彼女を、
一目見て口説かない男がいたらその顔を拝みたいものだと言うほどのものなのであったのだが、
あいにくと彼女には当時付き合ってる彼氏がいて、
そして彼女自身非常に身持ちが堅く、
それは
「私は最初に付き合った彼氏と結婚する」と言う信念を強く持っているところから来ていたり、
まあ常識ではそこに割り入って略奪したりするのは至難の技であることは明白な事実であるにもかかわらず、
それを無謀にも果敢に食事に誘い、飲みに誘い、
アッシー(死語)となってもメッシー(死語)となってもその想いを遂げようとする若き日の末吉青年がいた。
よくある話で、このような努力は往々にして
「話を聞いてくれる便利なオジサン」
で終わってしまうのが常であるにもかかわらず、
若き日の末吉青年は多額の必要経費と時間と労力を費やしながら、
その「あわよくば」の夢にまい進していたのである。
彼女の口からその彼氏の浮気問題で悩み相談を受けるようになるまでにはそう長くはかからなかった。
悩みを聞いてあげる振りをしながら、
暗に「そんな男とは別れた方が身のためだよ」とほのめかす。
そしてもしも現実そうなった暁には、
当時男友達など私しかいなかった彼女が次に選ぶ選択肢はこの私しかないではないか!悩みを聞きながらそれとなく自分をアプローチする若き日の末吉青年。
しかし彼女はまるでなびいて来ようとはしない。
理由は「どんなひどいことをされようとも彼のことが好きだから」
何と素晴らしい女性ではないか!
美人でセクシーで明るくて身持ちがいい、
そんな理想とも言える女性が初めて出会った男性がどうして私ではなくそのどうしようもなく女癖が悪い男でなければならなかったのか・・・
もう少しで神に恨みごとを言いそうになっていたある日のこと、
その恐ろしい出来事は起こったのである。
「便利なオジサン」とは悲しいものである。
かけた電話は五万回(ウソ)
おごった食事は五万回(ウソ)
使ったお金は五万元(ウソ)
聞いた悩み相談五万回(ちょっとホント)
でもそこまでやって見込みがないものはもう仕方がないのではないか。
さすがにあまりにも実にならない努力は続かないものである。
近所の飲み屋でひとり上機嫌だった私は、
その日の彼女の悩み相談電話を適当にあしらって切った。
彼女の悩みを聞くぐらいなら、もう誰かに私の悩みでも聞いてもらいたいもんだ。
もう既にそんな心境になっていたのである。
だいぶ深酒をして家に千鳥足で戻り、
カギを取り出してマンションのドアを開けようとした時、
そこに誰かがうずくまって坐っているのを見てびっくりした。
見れば彼女である。
「ちょっと上がらせてもらってもいい?」

真夜中に美女にそう言われて嬉しくない男性がいたらその顔を拝んでみたいが、
それにしても終電でやって来たとしたら彼女は一体何時間ここに坐っていたことなのだろう。
少々気味が悪い気持ちを「あわよくば心」が押しのけて彼女を部屋に上げた。
さて美女と夜中にふたりっきりである。
しかも彼女はわけありの様相。
恐らくはその彼氏の問題であろうことは容易に想像はつく。
そしてそれを相談する男性はこの私。
つまりこれは
ついに今までの私の苦労が報われるに違いないシチュエイションではないか!
逸る気持ちをおさえつつ、腰を落ち着けて話を聞き始める末吉青年。
そしてそれから身の毛もよだつ恐ろしい話を聞くこととなるのである。
「人間ってダメねぇ。いざとなったらやっぱ手元が狂うのよね」
彼女は淡々と語り始めた。
「包丁なんかじゃダメなのよ。どうしてピストル買わなかったのかしら私・・・」
泣くでもなく青ざめるでもなく、
一切興奮することもなく彼女は淡々とこう語り始めたのである。
彼氏は当時で言うプー太郎。
親の実家の隣にアパートを借りて、アルバイトをしながら生活し、
美人でセクシーで明るくて気立てもよく、一途で自分にぞっこんなこんな彼女がありながら、
なんと二又をかけて別の女とも付き合っていた。
そう言うことをうまくやれる男性とそうじゃない男性が世の中には存在する。
彼はまさに「そう言うこと」が下手であった。
彼女はとっくの昔にその女の存在を感じ取り、
そしてその女もこれ見よがしにその存在の痕跡を部屋に残してゆく。
そしてこの日、その全てがいっぺんに噴出したのである。
「その女、部屋にいるんでしょ。電話に出しなさい!」
女と言うのは恐ろしい生き物である。
それを知るのに何の「根拠」も「物的証拠」も必要としない。
「女のカン」と言うものがそれを瞬時に明確に知らしめさせるのである。
こう言う時の「男」と言うものは一体どのようにふるまうのが普通なのであろうか。
「確信」を持っている電話口の彼女に一切のごまかしは通じない。
そして目の前のその女は受話器を握って茫然としている男にこう詰め寄る。
「言ってやりなさい、彼女に。いつも言ってるでしょ、愛してるのは私だけだって」
この男が特に軟弱だったのか、
はたまたこう言う状況に追い込まれた世の男が全てそうするのか、
そんな経験のない私にそれを計り知ることは出来ない。
男がいつまでも決断を下せないでいると、
最終的にその女は自ら電話口に出てこう言った。
「出てらっしゃい!決着をつけましょ!」
彼女は極めて冷静に電話を切り、
極めて冷静に出支度をし、
そして極めて冷静に近所のスーパーで包丁を購入して
その女が待つ彼の家に向かった。
ドアを開け、部屋に入り、極めて冷静にその女の言い分を聞き、
そして勝ち誇ったようにドアを開けて出て行こうとするその女の背中に向かって
極めて冷静に包丁を突き立てた・・・
・・・つもりだった。
しかしいざとなったらわずかながら手元が狂った。
狙った心臓をわずかに逸れ、
かすり傷しか負わせられなかった彼女は
また極めて冷静に包丁を持ち直し、
再びその女に突進した。

「人殺しぃ!助けてぇ!誰か来てぇ!」
玄関口を飛び出して逃げまどう女をまた極めて冷静に追おうとする彼女を、
さすがにそれまでは借りてきた猫のようにうずくまっていた彼が体当たりでそれを止めた。
騒ぎを聞いて彼の母が駆け付けてきて、息子と一緒に彼女を取り押さえる。
女はコートの下から血を流しながら玄関口で叫び続ける。
「誰かぁ!警察呼んでぇ!殺されるぅ!」
男はこんな現場で一体どのような行動を取るのが「普通」なのであろうか。
全ては自分がまいた種なのに何のなす術もなく彼女を取り押さえるだけの彼。
一番冷静に(但し何度も言うように実は極めて冷静であった彼女本人を除いて)動いたのはむしろその彼氏の母親だった。
取り乱す女の頬をぴしゃりとやって正気にさせ、部屋の中に引き入れて傷口を見る。
軽傷である。
病院に行くまでもないと判断するとその場で応急手当をし、
明日念のため病院に行くように指示し、
「今日のところは私に任せてもう帰りなさい」
もちろん警察に行くなどと言う彼女の考えは完ぺきに思い留まらせた。
「Kちゃん、今日は母屋で泊まりなさい。私と一緒に寝ましょ」
母はそう言って、彼女を優しく抱きとめて一緒の布団にくるまった。
「ごめんね、ごめんね、Kちゃん。うちの息子があんなんがためにあなたにこんな辛い想いをさせて」
しかし彼女はこの母が(例え彼女が事をし損じることがなかったとしても)
彼女に対してこのような態度であろうことは冷静に分析して分っていた。
いや、そのように「持っていってた」と言っていい。
彼女にとっては彼は将来「絶対に」自分と結婚する相手、
その母親とどう付き合うかは彼女は既に彼と交際し始めた頃からシュミレーションしていた。
それは彼女の「愛」であり、「頭のよさ」であり、
そして「完璧さ」であった。
もちろん彼に女がいることも
彼のいないところでその母親と何度も相談をしている。
その男は自分だけが知らないところで既に周りを全て彼女に固められてしまっていたのである。
自分の交際相手の母親をそこまで自分のものにするのは実は非常に難しいことかも知れない。
しかし彼女はその困難なミッションを長年かけて完璧に遂行していた。
母親にしてみたら今や彼女は若いながら「うちのけなげな嫁」なのである。
不肖の息子に泣かされながら一生懸命尽くしている彼女に同性として同情もしていたことだろう。
いや、彼女は少なくとも彼女は「そう見えるように」頑張って来た。
そしてその一挙一投足は極めて「完璧」であった。
「もう落ち着きました。お母さんありがとう。ごめんなさい」
そう言って彼女は彼の家を後にして私の部屋に来た。
もちろん彼女はほんの少しも取り乱したりはしていないので、
「もう落ち着いた」と言うのは少なくとも「ウソ」である。
彼女が私の部屋に来る道すがら考えたことはただひとつ、
「どうして手元が狂ったんだ」と言う唯一の後悔だけである。
彼女が私の部屋に来たのは何も私が恋しかったわけではない。
「どうして自分ともあろう者がこんな簡単なミスを犯したのか」
その原因を自分をよく知る、
しかもこの時間でも迷惑にならない第三者聞いてみたかっただけなのである。
と言ってしまえば非常に簡単なものなのだが、
しかし男女の仲などそんな単純に出来てはいない。
もし万が一、私の「あわよくば心」が、その持ち前の臆病さと状況判断能力を少しでも上回ってたとしたら、
私たちふたりの関係はこの日を境に劇的に大きく変わってしまっていたことだろう。
「あーあ、何で私、あんな男好きになっちゃったのかなぁ、、、」
彼女はちょっとだけ笑って更にこう言った。
「末吉さんともうちょっと早く出会ってたら私はもっと幸せになれてたかもね」

その笑顔は鳥肌が立つほど美しく、
そして同時に・・・とてつもなく・・・怖かった、、、
私の自己防衛本能が彼女をそのまま家に帰した。
彼女は何も取り乱していないのだ。
いつでも冷静で、そして真剣で、純粋なのだ。
それが私には身の毛がよだつほど恐ろしかった。
神が私を彼女の最初で最後の男にしなかったことに感謝するほどに・・・
見送り際に彼女に質問してみた。
「男の方を殺すと言う考えはなかったの?」
彼女はさらっと答える。
「全然!」
「どうして?」
「だって愛してるから彼は殺せない。
でも自分が自殺でもして死んじゃったらその後ふたりがうまくやったりするのはもっと許せない。
だったら女が死ぬしかないじゃん!」
極めて冷静に彼女はそう言ってのけた。
彼女はいつだって冷静で、そして美しかった。
「これからどうするの?」
最後に私は彼女に聞いた。
「またやるわよ。今度こそしくじらない」
その後、私は縁あって最初の妻と結婚し、もう彼女と会うこともなく数年の月日が流れた。
そしてある夜の一本の電話が次なる悲惨な事件への序章であったのだ。
続く・・・
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2007年5月31日
MIDI音楽学校にてクリニック
先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。
と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。
しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。
しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・
と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。
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2007年5月 6日
MIDIロックフェスティバル
MIDIロックフェスティバルは、
もともとMIDI音楽学校の文化祭としてスタートした。
開校は俺が90年に初めて北京に来た頃で、
91年と95年(だったかな?)、
俺も特別講師として呼ばれて講義をしたことがある。
当時の学校施設はお世辞にも立派とは言えないもので、
一応「現代音楽」を教える専門学校として登録はしているものの、
実のところここが中国で唯一「ロック」を教えてくれる学校であることは周知の事実で、
その「ロック」を政府はまだ目の敵にしていた時代だったので、
その学校やこのイベントの歴史が順風満帆でなかったことは想像に難くない。
幾多の困難を乗り切り、
このMIDIロックフェスティバルはのべ10万人以上を動員するアジア最大のロックイベントとなった。
校長であり、このイベントのプロデューサーである張帆(ZhangFan)に街でばったり会う度に、
「Funky、今年こそは出演してくれよ」
と昔から言われてはいたのだが、
なにせこれだけ大きなイベントなのに出演料は「ゼロ」である。
日本から誰かを呼ぼうにも全部持ち出しとなってしまう。
悩んだ末に、今年は盲目のギタリスト田川くんを呼ぼうと心に決めた。
俺が初めて彼のギターを聞いた時の感動を
中国のロックを愛する若者にも与えてやりたいと思ったからである。
張帆(ZhangFan)に電話したら、
「それは素晴らしい!」
の一言で即出演は決定したのだが、
よくよく話を聞いてみると、ボーカリストがいないユニットは
メインステージではなくその隣の小さなサブステージでの出演となると言うことである。
渡航費まで持ち出してノーギャラで出演してサブステージではやはり面白くない。
「メインステージじゃなきゃヤダ!」
と駄々をこねてみるが、
「わかってくれよ、
毎年どれだけのバンドがメインステージに出たいと言ってくるか・・・」
と泣きを入れられたりしたらもう仕方がない。
一時は出演をあきらめたのだが、
ボーカリストと言われてふと思いついたのが「世界の二井原実」の存在である。
「LOUDNESS」って知ってる?
張帆(ZhangFan)にぶつけてみると、
「知らない」
とあっさり一言。
LOUDNESSが世界を席巻してた時代は、
中国ではまだロックが解禁されてなかったのである。
「よかったらその音を聞かせてくれないか」
と言うので、ふと思いついてLOUDNESSではなく
XYZの中国語バージョンを送りつけてみた。
「何て素晴らしい音楽なんだ!!メインステージ出演決定!!」
さすがは世界の二井原実、即決である。
まあ結果としては田川くんのついでに二井原を呼んだみたいになってしまったが、
同じバンドのよしみで許せ!二井原!
これも全て世界平和のためである!
かくして二井原と田川くんがやって来た。
さすがに田川くんと介添人にうちの院子に泊まってもらうのはあんまりなのでホテルをとったが、
持ち出しにも限界があるので二井原にはうちの院子に泊まってもらった。
(許せ!二井原!!これも世界平和のためじゃ)
さて、現地の若いベーシスト韓陽(HanYang)と共にうちで2日間ほどリハーサルをした後、
予想通り会場でのサウンドチェックもなくいよいよ本番である。
写真:次の出演者の出番を待つオーディエンス
こんな大きなイベントで、
しかも中国なんだから仕切りは予想通り最悪である。
田川くんの日本製のエフェクターは
現地スタッフがそのまま220Vに接続してしまい電源が焼けてしまった。
俺は自分のドラムのセッティングもそこそこに、
他の出演バンドにエフェクターを借りに走る。
嫁は電池をGetすべく走り回る。
同行取材で張り付いている日テレのカメラマンから電池の方が先にGet出来た。
エフェクターは電池で正常に動くようである。
とりあえず音を出してみる。
サングラスをかけて、何故かアンプをすぐ手元にセッティングしている変なギタリストが出す音に
客席はいきなり狂喜乱舞する。
「ウォー!!」
気を良くした田川君はまたギターを弾く。
観客はまた狂喜乱舞し、会場は演奏前から超ヒートアップである。
(ギターのサウンドチェックで狂喜乱舞するオーディエンスの声)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?guitarcheck
準備が整った。
二井原が客を煽る。
客席は更にヒートアップする。
(世界の二井原の煽り)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?NiiharaAudience1
「生きるとは何だ?!」
二井原がタイトルを絶叫すると同時に
俺はハイハットを全開にしてカウントを叩き出した。
テンポ180を超すXYZの超速ナンバーが始まる。
命の限りツーバスを踏む俺。
首も折れよと頭を振る二井原。
客席の反応は・・・
しーん・・・・
それまで興奮のるつぼだった観客を一気に置いて行ってしまった。。
曲が始まるまであれだけヒートアップしていた客は、
それまで聞いたことがない超速ナンバーについて行けず
いきなりどん引きしてしまったのである。
喉も裂けよと叫ぶ二井原、
腕も折れよと叩きまくる俺、
・・・しーん・・・
ところが何万人のどん引きしたオーディエンスが、
ギターソロが始まる頃までにはだんだん変化が見られて来た。
ひとりが正気に戻って隣をつつき、
つつかれた人間がはっと我に返りこぶしを上げる。
そしてギターソロでは客席全員がついにヒートアップ。
気を良くした田川くん、
ギターソロ終わりでリフに戻るところにも超絶テクニックでソロをちりばめる。
「ウォー!!」
(ギターソロに狂喜乱舞するオーディエンス)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?IkiruGT
1曲目を大狂乱のうちに終えた俺達は、
予定通りそのまま2曲目の「Why Don't Ya Rock And Roll」につなげるべく、
エンディングのかき回しの中、そのまま客席を更に煽る!
「Everybody say Yehhhh!」
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?IkiruLast
さすがは世界の二井原実である、
オーディエンスは再び超ヒートアップ。
俺達はかき回しを大仰に締め、
そのブレイクで二井原が「Why Don't Ya Rock And Roll」を歌い出そうとしたその瞬間、
「すみません、ちょっと止めて下さい。MCが入ります」
とスタッフが飛び出して来た。
悪い思い出がよみがえって来た。
15年前、ラジオ局のイベントに爆風スランプで出演した時に、
1曲目が終わった時にいきなり中止命令が出たのである。
いきなりMCが出て来て
「ありがとうございました。爆風楽隊のみなさんでした」
と送り出そうとする司会者を無視して俺達は演奏を続けた。
結果、電源を落とされ、
PAスタッフは羽交い絞めにされて連れ出され、
それを止めようとしている中国人スタッフが
公安にぼこぼこに殴られているのがステージ上からもはっきりと見える。
ドラムとアンプの生音だけで予定の4曲を全て演奏し終わって
俺達は別室に軟禁された。
中国人スタッフは
「お前らは外国人だからまだいい。
中国人の俺はきっと奴らに殺されるんだ」
と震えていた。
もう15年以上も前の出来事である。
考えてみればこの同じ国の中で同じようにロックをやって、
それが許される方がおかしいのかも知れない。
MCを無視して曲を始めるべきか、
それともここはおとなしく引き下がるべきか・・・
スティックを持った手に汗がにじむ・・・
MCが口を開いた。
「みなさん、ここでこのギタリストのことをご紹介しましょう。
彼は先天性の病気で全盲になり、3歳の時にギターを始め・・・」
何でここでお前が出てきて田川くんの紹介せなあかんねん!!!
ありえん!
ありえなさすぎる・・・・
中国語がわからない二井原は次の曲を歌い出すに歌いだせず、
宙に向かって口をパクパクさせている。
あきれ顔で俺は二井原に目くばせした。
「いいよ。次の曲入って(ちょっと投げやり)」
それからと言うもの、
同様に客席はヒートアップしているものの、
少し方向性が変わって来た。
リズムに体を合わせ、手拍子を打ち、彼らが待つものは・・・
・・・ギターソロ・・・
「Why Don't Ya Rock And Roll」、
今回のアレンジではフリータイムのギターソロを入れてある。
二井原のボーカルと掛け合いながらギターがソロを弾き、
そして二井原の合図でまたブレイクダウンして最初から煽り直してゆく。
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?WhySolo
客席がヒートアップして叫ぶ言葉は、
「SOLO!SOLO!」
エンディングから続けてドラムソロ。

http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?drumSolo
続けて俺は中国語で田川くんを再び紹介する。
「次は彼のギターインストナンバーだぞ!!」
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?gtSoloEternal
その間お休みの二井原は、
狂喜乱舞する客席を、そして超絶テクニックで弾きまくる田川くんを
自分のビデオカメラでシューティングする。
世界の二井原実、この日は明らかに田川くんの「前説(まえせつ)」、
そしてカメラマンであった。
(許せ、二井原!これも全て世界平和のためじゃ!)
最後のナンバーは、
XYZの5枚目のアルバム「Wings」の最後に収められてる
「Wings~Fire Bird」のメドレーである。
10分を超えるこの大曲を二井原は今回中国語バージョンで歌う。

曲調はバラード。
ギターと歌だけで歌うこの前半の部分では、
もちろん初めて聞く中国人が狂喜乱舞したりはしない。
ストリングスオーケストラの短い間奏の後サビに入る

ドラムとベースがハードに演奏に加わるサビでは
何割かのオーディエンスが拳を上げたりしているが、
果たして歌詞が聞き取れているのかどうか・・・
メドレー後半のFire Birdにつながるこの中間部分ではいきなり変拍子になる。
![]()
もちろん手拍子を叩くことも出来ない。
どうやって盛り上がっていいか作った俺でさえよくわからないアレンジである。
そしてリズムがテンポアップして後半の「Fire Bird」に入る。
XYZのライブではここで橘高が狂ったようにヘッドバッキングを始め、
客席もそれにつられてヒートアップするのだが、
盲目の田川くんが橘高のようなヘドバンをすることは出来ない。
ツーバスを振りながら頭を振る俺に煽られ、
ある者は一緒に頭を振り、ある者は拳を振り上げ、
しかし大部分のオーディエンスは相変わらず立ち尽くしている。

命の限りツーバスを踏み、命の限りシャウトする。
ちなみにこの曲にはギターソロはない。
伝えたいことを命の限り演奏するのみである。
演奏は全て終わった。
(終演後のオーディエンスの声)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?midiending
数万人のオーディエンスにはそれが伝わったのかどうか・・・
俺は演奏後ベースの韓陽(HanYang)に聞いてみた。
「うーん・・・このイベントに来る客は、
どちらかと言うとアホなパンク聞いて盛り上がって
楽しく帰ればそれでいいと言う奴ばっかりだけど、
お前らの音楽は明らかにそれとは違う、
中身があると言うか深いと言うか・・・
こんな深い音楽性なんて奴らには絶対わかんないんだよね・・・
でも聞いた人はそれを心の深い所に刻まれて持って帰り・・・
あとで効いてくると言うか・・・
・・・うーん・・・何て言えばいいのか・・・」
難しい中国語は俺にもわからないから簡単に聞いてみる。
「まあ、よくわかんないけど、
じゃあとりあえず反感はなかったって感じかな?」
「いや・・・反感とかそう言うもんじゃなくって・・・
俺達中国人は聞いたこともやったこともないんだ、
こんな音楽・・・NiuBi(牛のオマンコ:Fuckin Greatの意)・・・
何て言うか・・・お前ら・・・凄すぎるよ・・・
特にギターの彼はもう・・・何て言ったらいいか・・・
・・・凄すぎる・・・」
最後は言葉にならず、彼は号泣してしまった。
片付けを終えた嫁が潤んだ瞳で俺にこう言う。
「パパ・・・私・・・今日はドラムの後ろで泣いたわ・・・
だってあの曲・・・パパがどれだけ命を削って生み出したか・・・
それを二井原さんがどれだけ苦労して中国語で歌ったか・・・
でもそれは発売されることもなく、
今日やっと日の目を見たと言うか、
中国人がこれを聞いて拳を振り上げてるのを見て、
私はもう涙が出てきて止まらんかった・・・」
俺達は音楽を生み出すのは別に人に認められようとして作るわけではない。
ある曲はランナーのように巨額の富を生み、
ある曲は全然日の目を見ずに終わってしまうこともある。
それでも俺達は作り続ける。
生み出す時はどんな曲でも同じである。
世に出たいかどうかは曲自身がそれを決める。
俺たちがロックをやること、
それは「金」や「名誉」を作っているのではない。
「歴史」を作っているのである。
中国でこんな自由なロックフェスティバルが行われる日が来るなんて、
当時の俺達は夢にも思わなかった。
でも「歴史」はそうなったのである。
その陰で俺はしこたま暗躍した。
この曲が次の「中国ロックの歴史」をどう変えるのか、
それは人知の及ぶところではない。
「歴史」が決めることなのである。
ただ俺達はこうやってロックをやり続けるのみである。
全てはその延長線上にある。
翌日はライブハウスで「日中お友達ロックライブ」を開催した。
ライブハウスはやっぱりいい。
非常に盛り上がって幕を閉じた。
帰国する時には空港でそのライブを見に来たファンから写真を一緒に撮ってくれと言われた。
「あちらのギターの方も是非一緒に」
と田川くんには言うのだが
喉の保護のために首にタオルを巻き、
山ほどの荷物をカートに乗せて押していってる二井原には気づかない。
世界の二井原実、
その声とパフォーマンスで数多くの中国人をノックアウトしたその男は、
結局は「荷物持ち」としてこの国を去ってゆくのである。
心配するな、 二井原!
お前が中国人に残した感動は必ず中国のロック史を変える!
・・・と願いたい・・・
(おまけ:SOLOコールをする観客。うん、思ったより世界は平和である)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?Audiencesolo
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2007年2月 5日
泥棒
先日のことである。
草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。
「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」
院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。
だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。
ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。
「盗まれたものはないか?!!」
見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。
夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。
ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。
嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。
腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。
今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。
1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)
2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)
3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)
4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)
5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)
6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)
7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)
アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので

その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。
しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。
と言うわけで手榴弾は却下・・・
そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。
何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。
「ピタゴラスイッチ」
そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。
犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。
レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。
ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。
「アホが見るブタのケツ!」
それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。
焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。
「うわっちっち!これはたまらん」
とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。
「んぎゃー!」
と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。
「たまや~かぎや~」
そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。
「あちちちち」
とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。
「もう悪いことはしません。どうか許してください」
その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。
こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。
しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・
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2007年1月13日
イスラム文化のリハーサル

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。
毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。
北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。
今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。
かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。
文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。
次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。
まあ飾りつけと言えば、

XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。
そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・
まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!
と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。
次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。
しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・
イスラム社会・・・今だに謎である・・・
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2006年9月21日
MengMeng(モンモン)の物語

重田から電話があったのがもう数ヶ月前。
「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」
超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。
「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。
「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。
北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。
書いてるだけで吐きそうである・・・
「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。
後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。
全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。
「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」
まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。
「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」
年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。
その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。
結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・
・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。
そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。
DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」
そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。
そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。
当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。
北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。
モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。
吐きそうになってきた・・・
じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・
「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」
かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html)
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。
呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。
「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。
「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」
なんかわかったようなわからんような・・・
ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html)
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。
何の役にも立たん!!
この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。
さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。
実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。
現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・
さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。
「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」
吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。
「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」
「ロック界?なんで?・・・」
「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」
吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・
かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。
見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。
金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。
始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。
6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。
なんでいきなり最終カードを切るの?!!
ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。
久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。
お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!
音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。
結果は・・・・落選!!!
最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。
楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。
ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。
ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。
「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。
老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。
負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。
そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。
人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。
恐ろしい番組じゃ・・・
さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。
かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。
番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。
「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。
すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。
もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!
さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。
最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・
やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。
「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。
「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」
確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。
吐きそうである。
「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。
ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。
ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。
今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。
しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。
・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。
「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」
やったぁー!!!残ったぁ!!!
と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・

数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。
「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」
かんべんしてくれーーーーー
丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。
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2006年6月23日
Wing北京コンサートを終えて
葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。
コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。
「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」
俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。
BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html、
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html、
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)
一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。
そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。
音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から俺、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。
香港でのリハーサル風景

会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。
知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。
ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)
XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・
前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。
そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。

初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」
Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」
彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
「葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。
俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。
ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。
「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。
BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。
俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。
コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。
アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。
ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。
それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。
同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。
どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?
これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。
ファンキー末吉
ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・
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2005年12月17日
貧民街の日本人妻
さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。
何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・
数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html)
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。
一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。
村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。
その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。
「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」
同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。
村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。
「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」
そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・
かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。
瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・
などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。
「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」
しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・
貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇
ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。
翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。
壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。
これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。
家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。
「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」
トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」
しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・
かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。
「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・
夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。
「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。
何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。
ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。
ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。
ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!
と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。
時間の問題か・・・
ファンキー末吉
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2005年8月20日
ドラマーがドラムスタジオを作るワケ
日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている
だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・
昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる
このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・
昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む
・・・身体に悪い・・・
この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明
つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい
それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む
・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・
まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・
もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない
これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない
つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである
しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!
・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・
二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・
すっからかんなはずじゃ・・・
実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・
結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・
そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・
初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・
ファンキー末吉
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2004年12月28日
どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・
ドラム物語
パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。
アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。
そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。
その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。
ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。
ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」
パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。
そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。
そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。
木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。
・・・非常に面白い・・・
そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。
だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・
そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。
このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。
パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。
このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。
つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。
「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・
北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。
しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。
それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。
名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。
そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。
とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。
ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・
音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・
こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。
しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。
愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。
新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・
こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。
数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。
「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」
家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。
しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。
「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」
「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。
「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」
まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。
アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ
ファンキー末吉
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2004年11月11日
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!
前回の来日は長かったぁ・・・
2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・
ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。
まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。
「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・
この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・
まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:http://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、http://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」
ひぇーーー
「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」
ひぇーーーひぇーー
んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・
「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。
「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttp://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。
「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、
頼まれた陳琳のブラスとストリングスアレンジは、
譜面までは起こしたもののスタジオに入ってレコーディングする時間がない。
すまん・・・ほな逃げるように日本帰るんで誰か使って適当にやっといて・・・
あれ?・・・なんや結局ぶっちして消えてしまった仕事はドラムの仕事が多く、
帰ってもまだやらねばならんのはアレンジとかが多いやないのん・・・
・・・ドラマーとして生きるために北京に移り住んだのになあ・・・
ま、でも零点(ゼロポイント)さえなければ詞ぃ書くぐらいなんとかなるじゃろ。
確か今月半ばにはレコーディングを終え月末には発売と言うとったから、
まあワシが北京に戻った頃にはレコーディングも終了してるはずである。
「いいよ、ワシの詞なんかでよかったら使ってやって下さいな」
橘高の申し出を快諾し、またドラマーじゃないことを背負い込んでしまうことになる。
そしてこれが後に自分の首を大きく絞めることになることを
その時点では夢にも思ってなかったのである・・・
北京空港に着いて、中国用の携帯の電源を入れたとたんに電話がなった。
「おう、ファンキー!やっと帰って来たか」
零点(ゼロポイント)の会社の人間である。
「待ちかねてたんだよ。じゃあ、明後日からスタジオ入るからね」
あのう・・・レコーディングはワシのいないうちにやり終えてしまってたのでは・・・
「やっぱお前がいないと始められないと言うことでずーっと待ってたんだよ
とりあえず明後日までに残りの曲を全部アレンジしてくれ」
ひぇーーーー
ぶっちしてたつもりがポーズ押して停止してただけなのね・・・
マスターが仕上がったら1週間後にCD発売されるこの国では、
発売日なんぞあってないようなもんなのである。
「そいで、ギタリストはやっぱ日本から呼ぶことにしたら
誰かいいの探して明々後日に連れて来てくれ」
ひぇーーーーひぇーーーー
零点(ゼロポイント)は先日ギターとキーボードが脱退し、
現状ではサポートメンバーを使って活動している。
前々から日本のギタリストを呼ぼうとは言われていたが、
どこの酔狂なギタリストがわざわざ北京くんだりまで来ますかいな・・・
まあ前々から言われてたように「半年北京で住め」と言うならまず不可能だが、
レコーディングだったら1週間でいいんだからなんとかなるかも・・・
まず彼ら自身の第一リクエストであるXYZのギタリスト、橘高文彦・・・
・・・んなもんさっき橘高ドラム叩き終わったところなんやから今から佳境やないの・・・
ソロアルバムと北京入りやったらまずソロアルバムが大切でしょう・・・ボツ!
まるっきり面識のない人間でも困るので、近いところから片っ端から連絡をとってみる。
山本恭司・・・シャラ・・・高崎晃・・・
んなもんみんないきなり明々後日から1週間なんて空いてるわけないやないの!!!!
ボツ!
困り果ててた時に、自宅にてJUNXION(ジャンクション)のCDを発見。
去年XYZレコードからデビューしたハードロックバンドである。
「こんなんどうかなあ・・・」
ダメ元でメンバーに聞かせてみる。
「非常にいいじゃない。彼で行こう」
本人のいないところで勝手に話が決まる。
胸を撫で下ろしたワシはギターの櫻田に電話をし、
「お前、どんな大事な用事があろうが全てキャンセルしてすぐ北京に来い。
断ったらお前らのバンド、潰す!」
と言い放ち、電話を切る。
あとはワシの日本の美人秘書がチケット等を手配してくれる。
やはりこのような人間関係をいたるところで構築しておくべきじゃのう・・・
と言うわけでジャンクション櫻田はチケット代が一番安いパキスタン航空に乗せられ、
彼にとって生まれて初めての海外である北京空港に降り立った。
北京のワシのアシスタントがピックアップに行き、スタジオまで連れてくる。
「お、来たね。マーシャル用意しといたからね。
明日から5日間で5曲。録り終えなければ帰さないからね。
一応パスポートと帰りのチケットは預かっとこう」
こうなるともうタコ部屋状態である。
そのままホテルに帰って、渡された譜面とDEMOを聞いてちゃんと弾けるように練習して、
スタジオに来てちゃんと弾けたら次の日のを渡され、
最後までちゃんとやれたら日本に帰れるが、ひとつでもつまづいたら帰れない。
どっかのテレビ番組の罰ゲームのようなものである。
また今回のアルバムは中国の民謡や童謡や古い歌謡曲のカバーアルバムなので、
特に京劇とかの舞台曲とか民俗音楽系は非常に難しい。
外国人に歌舞伎が難解なのと同じように、
これをロックにアレンジすると変拍子がいっぱい出てきてまるでプログレである。
しかもそのうちの2曲は16部音符の超早引きフレーズが
書き譜で最初から最後まで指定フレーズとして書かれている。
しかも中国人なら誰でもそのフレーズを知ってるわけで、
少しでも間違ったり直したりするわけにはいかないのである。
「こんなの弾けませんよぉ・・・」
ナキを入れる櫻田に、
「アホか!民族楽器が原曲ではもっと早いスピードでオールユニゾンやがな。
自分のバンドでもっと早弾きしてるギタリストが弾けんわけはない!」
と渇を入れる。
「運指が全然違うんですよぉ・・・こんなのイングヴェイでも弾けませんよぉ・・・」
とナキを入れながらジャンクション櫻田の眠れぬ生活が始まる。
でも考えて見ぃ!ワシはこの難曲を1週間かけて解析して
ロックにアレンジしてDEMO作って譜面書いて何日徹夜してると思とんねん!
おまけに今回は昼間ギター録りしながら夜は次の曲をアレンジ、
その合間を見ながら他の仕事もこなさなアカンのやでぇ・・・
他の仕事・・・他の仕事・・・
しもたぁ!!!!橘高の詞ぃ書かなアカン!!!
音楽仕事も水商売と同じで、忙しい時に仕事が来て、ヒマな時は閑古鳥である。
まあ、ワシが寝れんのやからお前も寝るな!
ってなもんでジャンクション櫻田は
初めての外国での唯一の知り合いであるワシにかくも冷酷に突き放され、
罰ゲームのようなレコーディングに突入するのであった。
部屋から出ようにも外国なので怖くて出れないし、
英語もわからないのでコミュニケーションも出来なくて、
国際電話をかけれるようになるのに1日、
部屋のポットでお湯を沸かすのに2日、
腹が減ってたまらず、
勇気を振り絞ってホテルの下のSUBWAYでサンドイッチを購入するのに3日、
近所のコンビニでビールを購入できたのは最終日の5日目であった。
ワシはワシで11月4日には北京Jazz-yaでJazzライブも入ってるので、
ギター録りはその日から夜中にやることになり、
ひとりで買い物も出来ないジャンクション櫻田は
朝方ホテルに帰ってから夕方までひたすら腹を減らしてギターを練習していたのであった。
かくしてギター録り5日目。
鬼のようなパンチインを繰り返した問題の超難曲を含め、
予定されていた5曲全部を無事に録り終えた。
ジャンクション櫻田もさすがにヘロヘロであるが、
中国ではプロデューサー自身がパンチイン、パンチアウト
等、プロトゥールスの操作全てを自分でせねばならないのでワシももうヘロヘロである。
ギターや機材を片付け終わり、ビールの栓を開けたジャンクション櫻田が、
そのまま録音データを整理しているワシに一杯ついでくれる。
もう朝方である。いっぺんで酔いが回る・・・
予備日として予定してあった明日、正確には今日はジャンクション櫻田はOFF。
「僕ぅ・・・どうすればいいですかぁ・・・」
捨てられた子犬のような顔でワシを見る櫻田。
ほっといたらこいつ、
ヘタしたら一日飯も食わずにずーっと部屋から出ないんではないかと思いつつも、
ワシは1時から、つまり数時間後には女子十二樂坊のレコーディングである。
プロデューサーLは彼女たちの民俗楽器の部分を先に録り終え、
ワシが帰って来るのをてぐすねを弾いて待っていたと言うわけである。
「何だって?お前これからプロデューサーLの仕事か?」
スタジオのエンジニアがびっくりしてワシに聞く。
そうだよと答えると
「そうかぁ・・・それはお気の毒に・・・」
彼の病的に細かいこだわりぶりは業界では有名な話で、
「明日何曲叩くの?ヘタしたら朝までだよ」
と本気で同情する。
まあ確かに他のアレンジャーよりは数倍時間はかかるが、
まあ今まで何度か仕事をやったが長くても2、3時間で終わっているので、
まあ何曲録るのかわからんが
夜には零点(ゼロポイント)のレコーディングに戻って来れるだろう、
とスタジオを夜にブッキングして家に帰る。
翌日、正確にはその日の数時間後、Lは時間通りにスタジオに来ていた。
世間話をしながらドラムをセッティングする。
ドラムセットと言うのは面白いもので、
まあ楽器と言うものはそんなものなのだろうが、
それ自身が生き物のように人格を持っている。
同じセッティング、同じ環境で叩いても毎回音が違うし、
久しぶりに叩くとしばらく相手にしてなかった恋人のようにすねて音が出なかったりする。
またワシのように7台も持っていると、
例えばXYZのツアーから帰って来てこのドラムを叩いた時、
「あんた、他の女抱いたわね!」
てなもんで音が出てくれなかったりする。
まあ楽器によって鳴らし方が微妙に違うのでフォームが違って来るんでしょうな。
機嫌を直すには女性と同じでひたすらかまってあげるしかない。
恒例のごとく長い間かけてチューニングしてあげると
やっと機嫌を直して言うことを聞いてくれるようになる。
プロデューサーLは世間話をしながら、
いつもの笑顔でワシと恋人達との音での会話を見ている。
「今日は何曲録るの?」
と聞くと、
「一応2曲で、発注しているアレンジが間に合えば3曲」
まあ少なくとも夜中には終わるだろうから12時ぐらいには零点の方に行けるじゃろう。
セッティングが終わって曲を聞かせてもらう。
壮大なクラシックの組曲のような大曲で、
3拍子と4拍子が入れ混じった変拍子の何曲である上に、
ご丁寧に途中には小さなドラムソロが3箇所も用意されている。
「ガイドドラムは?」
と言うと、「今回はない」と言う。
つまりどう言うリズムでどう叩けばいいかと言うことがわからないのである。
彼が簡単な構成譜を書いて、
口頭で彼がイメージしている叩き方を聞いてそれに書き込んでゆく。
打ち込み系の音楽はパンチインでぶつ切りで録音してゆけばよいが、
こう言うクラシック系の曲は強弱が難しく、大きな流れもぶつ切れてしまうので、
「とりあえず全体を把握するために、何度か合わせて叩いてみますか」
と言うことになり、この巨大組曲との格闘が始まったころ電話が鳴る。
OFFを満喫しているはずのジャンクション櫻田である。
「ホテルの人が来て、予約は今日までだって部屋追い出されちゃったんですよぉ」
んなわきゃないやろ!金は明日まで払うてるがな・・・
「そりゃ間違いや言うて交渉せい!」
と言ってもそりゃ無理な話であろう・・・
日本語の喋れるアシスタントを手配してそちらに行かせるよう段取りする。
巨大組曲との格闘は続く・・・
例によって「こう叩いてくれないか」と言う彼の要求を織り込んで何度かやってみる。
「どうも違うなあ・・・」
最後には彼自身がスティックを持って自分で叩く。
それを聞きながら、「じゃあこう言う感じか?」と叩いてみる。
何せ1曲が長いからこの作業だけでも大変である。
電話が鳴る。
「そのホテルに払ったお金の領収書が必要なんですが・・・」
ジャンクション櫻田である。
お金を払った零点に連絡とって段取りする。
巨大組曲との格闘は続く・・・
だいたいどう叩けばいいかが決定し、
ラフに最初から最後まで通して録音し終わった頃にはもう夕方である。
それまでに録ったテイクは5パターンを超え、スティックももう何本も折れている。
女子十二樂坊のレコーディングでスティックが折れるとはのう・・・
それからそれを基にしてちゃんとしたテイクを録音してゆく。
こだわり満載の彼は、「こう言う風に叩いてくれ」まで細かく指定するが、
打ち込めばそのまま音が出る機械と違って、
生ドラムの場合は手順であったり音の強弱の問題もあってそうはいかない。
例えば
「そこはタムとスネアでこう言うフィルを叩いてくれ」
と言うのを、
「その前にこのフレーズをこう叩いているのに、
その次にダブルストロークを入れると音量が下がって全体的には盛り下がるでしょ。
だからここはむしろタムを両手でフラムショットで叩いて、
その合間はスネアではなくバスドラで埋めるべきよ。
そしたらこうなるから音量も上がるしもっと盛り上がるでしょ」
といちいち1回1回録音し直して納得させる。
日本のスタジオミュージシャンはプロデューサーのイエスマンで仕事をする人が多いが、
こちらではそれぞれがアーティストとして認め合っているので、
必ず「自分はこうするべきだと思う」と言うのをはっきりと言わねばならない。
そりゃそうだ、音楽の構築は全部彼がやっているが、
ドラムを知っていると言うことに置いては彼はワシにはかなわないんだから。
「君の考えではタムはここから出てくるでしょ、
でもタムって出てくるともう消えたら寂しくなっちゃうわけ、
だからここのパターンは君の考えたパターンではなく、
むしろタムを使ったこのパターンに変えた方がいいと思うよ」
更にパターンを変え、また最初から録りなおす。
彼も満足し、基本的なリズムが構築された頃にメシ。
その頃には録ったテイクは10を超え、折れたスティックは10本を超えている。
橘高の体力モノのレコーディングでもここまでは折れんかった・・・
さて最後の難関は小さなドラムソロ。
と言うよりほんの小さなドラムピックアップのフィルイン程度なのだが、
通常でもフィルイン全てを全部パンチインして直す彼のこと、
そのフィルインの連続であるこのセクションでまたスティックを何本も折る。
結局録り終わったのは11時過ぎ。
つまりセッティングから始まって10時間、まあ連続して8時間はドラムを叩き続けている。
スタジオの人はあきれ顔でワシに同情するが、
なに、ワシはドラマーである。ドラムやったら何時間でもまかせんかい!
ワシ待ちである零点(ゼロポイント)や、
最後の北京の夜であるジャンクション櫻田からもがんがん電話かかって来るが、
「よし!次の曲!」
きっと脳内には物凄いアドレナリンが出てるのであろう、物凄くハイである。
あとの2曲はこの曲ほど難しくもなく、
それでもフィルインのひとつひとつを全部直す勢いで、
まあ1曲2、3時間ペースと言うところで3曲全部叩き終えたのは朝の7時。
つまり18時間ずーっとドラム録りをしているのである。
ひぇーーー・・・
でも先週まで「ワシはドラマーじゃぁ」と言うとったんじゃから仕方がない。
ドラマーならドラム叩きながら死ぬつもりじゃないと。
と言いつつもよく考えたら
ワシはそのまま昼の1時には同じスタジオでまた別のドラム録りである。
「6時間後かぁ・・・どうする?」
エンジニアと顔見合わせる。
「俺はもうこのままスタジオで寝る」
エンジニアは帰宅を放棄、そのまま翌日に備えるが、ワシは・・・
「あ、そう言えばジャンクション櫻田は6時にホテル出発で帰国ではないか!!!」
ピックアップは手配して置いたが、
無事にチェックアウトして空港までたどり着けたかどうか・・・
心配する余裕もなくまた気がついたらドラムを叩いている。
このスタジオには自分のドラムセットを置いているので、
「おっ、ファンキーが叩いてんのか?そいじゃあ俺のも1曲頼もうかな」
と言うことも少なくない。
よそのドラム録りのついでにやれば
セッティングの時間も音作りの時間も要らないので便利なのである。
その日は途中ちょっとストリングスのレコーディングも入っていたが、
ドラムセットはそのままにして
その前に窮屈にオーケストラが入ってレコーディングしている。
このスタジオではワシのドラムが一番偉いのである。
ストリングスが終わり次第そのままドラム録り。
結局その日は2本のドラム録りを追え、
次のスタジオに行って零点(ゼロポイント)のデータの整理をしてそのまま日本に帰る。
ドラムももう十分叩いたじゃろ・・・
飛行機に乗ってふと思い出す。
「そう言えばジャンクション櫻田はパキスタン航空やったなあ・・・」
パキスタン航空はリコンファームが必要である。
「そう言えばリコンファームしてなかったなあ・・・無事帰れたかなあ・・・」
まあ帰れんかったら帰れんかったでええかぁ・・・
このアルバムは恐らく数億の中国人が聞くこととなるわけやから、
当然毎日のようにテレビラジオで流れるやろうし、
何万人いるかわからんが中国のギタリストが全てコピーすることになるじゃろ。
言わば日本では知る人だけぞ知るギタリスが
中国では知らない人はいないギターヒーローになるわけやからなあ・・・
そのまま零点(ゼロポイント)のギタリストにでも納まっちゃえば
彼らと同じく大金持ちになれるわけやしなあ・・・
ジャンクション櫻田の運命やいかに!!
ファンキー末吉
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2004年6月25日
小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・
小さな恋の思い出
なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!
スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。
ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・
北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)
いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。
さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。
数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。
着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・
頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
http://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。
「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。
見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・
ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。
やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・
よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。
「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。
思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・
Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。
差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。
身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」
彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・
「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」
Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。
「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。
「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」
彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・
しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。
「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。
メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。
「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。
田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。
「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。
「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」
食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・
「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミュージシャンがいたり、
いろんな奴がいて面白いよ。
別に自分の職業言わなくてもいいし。
集団就職で来て夜レストランで働いてるとでも言っておけばいいじゃん。
君を見てまず水商売だと思う人はいないよ。
その代わりね、自分の商売を卑下しちゃだめだよ。
好きでやってるわけじゃない、これやらなきゃ生きていけないからやってんだから。
仕方ないんだからあんたが悪いんじゃない。
こんな仕事やってるからってあんたはむしろお天道様に胸張って生きていかなきゃ。
どんな生活にだってそれなりの幸せがあるんだから。それを早く見つけようよ」
そして彼女の「最初の客」は、その頃から彼女の「最初の友達」となった。
毎日のように彼女はひな壇からメールを書いて送って来たが、
彼女のグチは日増しにひどくなって来た。
ある時にはまた仕事終りに彼女の家の近所まで行って飯を食ってグチを聞いてあげた。
友達なのでもちろん300元も払わない。
そんなある日、ぷつんと彼女からのメールが途切れた。
仕事が終わってもメールが来ず、心配して電話をしても電源が入ってない。
そして次の日の昼間も連絡が取れず、夜になってひな壇からメールが来た。
「ごめんなさい。仕事終わって電話を同居人に渡したまま朝まで帰らなかったから・・・」
ピンと来た。彼女は初めて客をとったのだ・・・
それはそれで喜ばしいことではないか・・・ちょっと複雑な心境ではあったが・・・
そしてしばらくしてひな壇からメールが来た。
「この街はなんてひどい街なの・・・
私はここに来てからひとつたりともいいことなんてなかった。
世の中ってどうしてこんなに不公平なの。
私だけがどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなきゃなんないの」
一生懸命慰める。
「どんな生活にだってそれなりの幸せがあるから」
すぐに返事が来た。
「幸せですって?私には遠すぎるわ・・・あまりにも遠すぎて絶対につかめない・・・」
あまりにも可哀想で、彼女にメールを送った。
「じゃあ今日仕事終わったらぱーっと行こうか。家の近所まで迎えに行くよ」
心なしか彼女のメールの表情がぱっと明るくなった。
そして真夜中の1時。彼女が仕事が終わったとメールが来る。
タクシーに飛び乗るワシ・・・
家に着いたとメールが来る。
もうすぐ着くよとメールを送る。
しかし家の近所に着く頃にメールが途絶える。
電話をかけても通じない。
当時はまだ寒かった・・・
門の前で1時間彼女からの連絡を待った。
でも連絡が取れず、ワシはあきらめて家に帰った。
南側からワシの住む東北側はタクシーでも非常に遠い。
道のりの半分を過ぎた頃、彼女からのメールが届いた。
「やっぱり来てくれなかったのね。ずーっと待ってたのに・・・じゃあおやすみなさい」
急いで電話をするワシ。
「やっとつながった!!ずーっと電話してたのにつながらなかったよ。
メールも送ったのに・・・」
聞けば「家に着いたわよ」の返信以来全てのメールが不達であったらしい。
回線が悪いのか、その時だけワシの電話にも電話がつながらなかったらしい。
不思議な話である。
「俺は寒空の下、1時間ずーっと君のこと待ってたんだ・・・」
にわかに信じがたそうな彼女。
「じゃあ今から戻るよ。外で待ってて」
しばらく考えてから彼女は優しくこう言った。
「いいの。今日はもう遅いから寝ましょう。また今度ね」
それからワシは日本に帰ってしばし仕事をし、
忘れかけてた頃、久しぶりに彼女からメールがあった。
「私・・・明日故郷に帰ります・・・」
ワシは急いで彼女と連絡を取って呼び出した。
「今日は門のところまで出て待っててくれ。前回みたいなことがないように。すぐ行く」
彼女はまた同じ服を着て門のところに立っていた。
1ヶ月働いて彼女は自分の服ひとつ、
靴下ひとつも買うことが出来なかったのである。
「明日帰るんだったら俺が北京で一番綺麗なところに連れて行ってやる」
皇帝の保養地だった后海と言う湖のほとりを手をつないで歩いた。
ベンチに座って真夜中の湖を見ながら語り合う。
「この街に幸せはなかったわ」
湖を見つめて悲しそうにつぶやく彼女。
「バカヤロー。幸せなんかなあ。つかむもんじゃ!努力もせんで何の泣き言じゃい!」
ちょっと興奮して奮起を促すワシ・・・
「でもね、世の中は平等じゃないの。幸せな人もいれば絶対幸せになれない人もいるの」
「アホか!世の中が平等なわけないやないかい!お前と俺が平等か?
お前が女である全てを捨てて稼ぐ金を俺はドラム叩いたら1日で稼ぐことが出来るんや。
誰が世の中平等や言うた?んなもん絵空事や。
でもお前よりも不幸な奴も俺はたくさん知ってる。
この国は特にヒドい。そんな話は珍しくないぐらいどこにでも転がってる。
でも低く生まれた奴はみんな不幸か?高く生まれたらみんな幸せか?
低く生まれても幸せな奴もいれば高く生まれても不幸な奴もいる。
上を見ればきりがないし、下を見てもまだまだ下はいる。
この自分の世界だけを見て、その世界の自分だけの幸せを探すんじゃ。
絶対に見つかる。見つからんのは努力してないからじゃ。
神様は人を確かに不平等に生んでるけど、幸せをつかむ権利は平等や。
ただその幸せの種類が人によって違うだけや。
見つけたらそれはその人だけのかけがえのない幸せや。違うか?」
ワシはひとりの娼婦の物語を彼女に話した。
一人っ子政策の二人目の子供である彼女の家庭は、
その罰金のためにただでさえ貧しかったのが、
お兄さんが犯罪を犯して刑務所に入れられ、
その命を守るために毎年多額の賄賂を送らねばならない。
その天文学的なお金を彼女は北京まで来て身体を売って稼ぐ。
しかし働いても働いてもお兄さんは出獄できない。
父親からは毎日催促の電話。
もう生活力もない両親。その生活も全部彼女の稼ぎの肩に乗っかる。
怒鳴り散らす彼女。金、金と毎日電話をかけて来る親・・・
この世の地獄である。
その金のためにありとあらゆることをやって、その娼婦は22歳でもうぼろぼろであった。
それに比べたらこの新米娼婦なんぞいい方である。
このまま故郷に帰って、落ちるところまで落ちずに
それなりの幸せをつかむことは出来ないことではないようにワシなんかは思うが、
しかし所詮は違う世界の人間が傍観して勝手なことを言ってるだけのことである。
まさしく「住んでる世界が違う」のである。
しばし無言で湖を見つめる。
「じゃあ私、帰る・・・いろいろどうもありがと・・・」
彼女が立ち上がる。
つないだ手を離したらもう二度と戻って来ないような気がしたが、
ふたりはその手をそっと離した。
最後にワシはまた彼女に
「どんな生活にでも絶対にそれなりの幸せはある」
と言った。
ちょっと苦笑いを見せて彼女はうなずいた。
タクシーを止めて彼女を乗せる時に、最後にちょっとだけ聞いてみた。
「ねえ・・・あの日・・・もし電話が、メールが通じてたら・・・俺たちひょっとして・・・」
彼女は何も答えず、ちょっと背伸びをしてワシのほっぺにキスをしてタクシーに乗り込んだ。
「ええ話やないの・・・」
3曲のドラム録りは順調に終り、
飯を食いながらミュージシャン仲間に思い出話を語っていた。
一番女遊びが激しいロックミュージシャンEが俺にこう言った。
「でもな、娼婦はしょせんは娼婦よ。お前と彼女は住むところが全然違う。
お前はバカだからわかっとらんかも知れんが、彼女はじゅうじゅうわかっとるよ。
男はなあ・・・金を持つと変わるんだ。女はなあ・・・金がないと変わるんだ」
今ではめったに来ることはない南側の懐かしい街角を後にした。
ファンキー末吉
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2002年3月16日
当てぶりのカラオケが針飛び・・・
ホワイトデーだったのかぁ!
北京にいてもキャバクラ嬢からのMailが頻繁に届く。
この営業努力は大したもんである。
「ホワイトデーだよっ!
でもファンキーさんには結局チョコあげられなかったものね(涙)」
ええ話やなあ・・・
確かバレンタインデーにはこんなMailが来ていた。
「チョコレートは何個もらえたんですか?」
「ゼロ個!」
胸を張ってそう返信するワシ。
「嘘だ!私は信じないわ!」
数行空いて
「私のチョコ・・・貰ってくれますか・・・」
胸キュン・・・(死語)・・・
飛行機に飛び乗って、チョコもらって、
代わりに数万円の飲み代を払うこともなく、
ワシは北京で仕事してたね!
胡兵(HuBing)と言う歌やドラマに大活躍の男性スーパーモデルがいて、
そのゲスト歌手に陳琳(ChenLin)が呼ばれたと言うことで、
武道館クラスの体育館コンサートだと言うのに
また当てぶりで太鼓叩きに行ってましたがな。
ワシはねえ、こう見えてもちゃんと仕事をしたい人間なので、
テレビなんかと違って
体育館では誰もドラマーの手先まで見えないとわかってても、
前の日にちゃんと全てのフィル・インを完コピして当てぶりに臨んだもんね。
しかしあの日は凄かったねえ・・・
当てぶり用のカラオケCDをミキサーに渡してるんだけど、
ワシなんかそれに合わせてもう完璧に本物のように叩いてるわけよ。
シンバルとか動くものは思いっきり叩き、
タムとかスネアは音が出ないようにリムを叩き、
まあ客席からはそんなとこまでは見えないけど、
スタッフなんかだけにでもちゃんと誇示したいですがな・・・
数曲完璧な(演奏)が続き、
ある曲での後半部分での出来事・・・
途中の静かな部分でいきなりカラオケCDが針飛びしよった!
慌ててサビを歌いだす陳琳(ChenLin)。
急いでサビのドラムを叩く振りをするワシ。
そしたらまたそのサビの途中でCDが針飛びしよった!
何か変だと思いながらサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
リズムの頭を瞬時に聞き取って、また完璧に当てぶりするわし。
そしたらまた針飛びしていきなりエンディングに行きよった!
わけがわからずサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
ドラムのフレーズでこれはエンディングだと瞬時に判断するワシ。
しかしまたどんどん針飛びして行き、
しまいにはプツンと音が切れてしまった。
ララララーラーラー(サビのフレーズ)・・・プツン・・・あーうー・・・謝々!
「謝々かい!」
と心で思いながらもワシはワシで生音のシンバルの音と、
リムを打つカランカランと言う音が会場にこだまする・・・
「しもた!」
振り上げたスティックを振り下ろすに下ろせず、
そのまま頭ポリポリ・・・
いやー、こんなこともあるんですねえ・・・
ええ経験させてもろた・・・
それにしても今回はたくさん仕事をしている。
着いてすぐ元黒豹のメンバーである巒樹(LuanShu)プロデュースの仕事で
「飛行機代出してやるから5曲叩いてくれ」
と言われて、スタジオに缶詰になっていた。
しかしドラムなんぞはそんなに数時間叩くもんでもないし、
とどのつまりはほとんどが待ち時間である。
昼一番で1曲ドラムを叩いたら、
そのまま「パーカッションも録るよ」と言われて待たされ、
ベースとかギターとか入れるのを待って夜中の2時になってやっと、
「よし、聞いてみるか」
うーむ・・・
「明日やろか・・・」
それを早う言え!
ひどい時にはその日は何もやらずに「今日は帰っていいよ」やもんね。
夜になってから言うな!っつう話である。
ま、それでも結局5日間で予定通り全て録り終わり、
日本のサラリーマンの初任給以上はもろたし・・・
かなりの金額やったなあ・・・そのままS社長への借金で右から左やったけど・・・
今日はいきなり黒豹のドラムの趙明義に呼び出され、
「ちょっとこのバンドの演奏聞いてくれ!
いい曲だろ。ただアレンジが今いちなんだな。
お前にプロデュースを任す!すぐアレンジしてくれ。月曜日にレコーディングする」
ちょっとちょっと、あんた・・・
明後日言うたら今晩DEMO作って、
明日打ち合わせして明後日リハやって、次の日やないかい!
バンドものはメンバーの意見が交錯して大変なので、
いくつかの方向性を用意せねばならん。
大変な作業なのじゃ・・・
頭を抱えてたらS社長から電話が来た。
「明後日、空いてるよね。テレビだよ」
ひえーっ!お前らは何で直前になってからしか言わんねん!
煮詰まったのでメルマガを書いている。
(結局発刊は翌日やけどね)
ま、この国では、結局は何とかなるんだよね。
HPの更新でもしよっと・・・
願わくば今度のテレビ収録では針飛びはしないで欲しいのだ・・・
ファンキー末吉
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2002年1月26日
中国政府がワシにバンダナを外させて髪の毛を縛らせるワケ
中国でワシがいつもバンダナを外されて髪を結わえさせられる理由。
昨日は首都体育館で「全球華語音楽大賞受賞イベント」っつうのがあって、
またアホ面下げて当て振り(実際には演奏しないが、振りだけ)しに行って来た。
全地球上での中国語による音楽のNo.1を決めるイベントである。
何と大仰な・・・
主催はChannel[V]と言うアジアNo.1の衛星音楽チャンネル。
全アジアに放送され(何故か日本を除く)、
一説によると5億人が見ていると言う。
「Channel[V]だから今回はバンダナしてもいいんじゃない」
前日、社長が飲みながらそう話す。
初回のテレビは外国人が出ては行けないと言う
中央電視台1(CCTV1)のイベント。
生放送なのでいきなりバンダナで登場!
その時は別に何も咎められなかったが、
次のCCTVのイベントでは、演奏直前に担当者から
「バンダナを外せ!髪も結わえろ!」
と言われた。
S社長の話では
「これは録画だから後でチェックされて咎められる可能性がある」
かららしい。
しかし思い起こして見れば、
この日はロックバンド「黒豹」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」
先日は北京電視台の収録だったが、
同じくバンダナを外されて髪の毛を結わえさせられた。
この日はロックバンド「零点」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」
酔ったついでにS社長に詰問してみた。
「まあ、バンダナはやっぱロックだからね。
担当者も後で何か言われてボツにされるのもイヤだからね」
まあもっともである。
「わかった。まあ百歩譲ってバンダナはあきらめよう。
でもどうして俺だけがいつも髪の毛を結わえさせられるんじゃ!」
とワシ。
「長髪もやっぱロックだからね」
と平然とS社長。
「ギターとキーボードのあの新人くんかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれはロックと言うより無精っつう感じだから・・・」
「そりゃ認めよう。
けど一緒にバックバンドやったあのギタリストかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれは美形だし、見ようによってはアイドルかな」
とS社長。
「ほな何でワシだけがいつもアカンねん!」
「ファンキーさんは・・・顔が・・・その・・・ロックだから・・・」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
「ワシは顔がナニでいつもナニさせられてたんかい!」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
かくしてイベントの当日。
今日は武蔵小山で買って来た新しい服を着て事務所に行く。
「お、服が新しいねえ」
とS社長。
「いつも寝巻きじゃダメだろうから買ったんだよ」
「投資したね!」
980円ですけど・・・ま、一応・・・
かく言うS社長は、そのぬぼーっとした新人くんのために
自腹でちゃんとした上着を買って与えていた。
それからギタリストの張亜東を迎えに行く。
アジア最大のヒットメーカーも、
こうして当て振りのアホな仕事に駆り出されるんだから情けない。
これを「北京の友達地獄」と言う。
ところが張亜東の家の前で待つこと30分。
電話をかけようがドアをノックしようが出てこない。
今は夕方の6時半。
彼にとってはまだ起きぬけの時間なのである。
「まったくもって芸術家ってやつはこれだから!」
運転している副社長もさすがにイライラを隠せない。
開演時間が近づいた7時過ぎ、
彼が寝ぼけ眼でやっと起きてきた。
車に揺られて会場入り。
本番はとっくに始まっている。
2万人の観客がひしめく会場の中に入ると見たことのある美人が・・・
「朱迅やないの!久しぶり!」
昔NHK中国語会話のパーソナリティーをしてて、
その後トゥナイト2の風俗レポーターもやってた美人中国人タレントである。
ワシの憧れの人であったが、
今では帰国して中央電視台の看板アナウンサーをやっている。
「あら、ファンキー。久しぶり」
「久しぶりやねえ。今日の司会は君?」
「そうよ。ファンキーは?」
「当て振りのバックバンドでんがな」
「あらそう、どうせ申請してないんでしょ」
ガッビーン!
しかしイヤなことを言う女である。
でも憧れの人なので許す!
しかし彼女が司会と言うことは・・・
げげっ!
主催者のChannel[V]の文字の隣にくっきりと「CCTV」
つまり中央電視台の名が・・・
バンダナを握り締めてたたずむワシ・・・
「お前はバンドのメンバーか。時間がない!すぐに来い!」
係員に連れられて会場のど真ん中の出演者席に座らされるワシ。
「おいおい、ワシを座らせてどないすんねん!」
見ればアジア中から集まったスター達に混じって、
顔がナニでナニなワシがちょこんと座ってテレビに抜かれている。
まあ見ればその歌手のマネージャーも
わけのわからんスタッフも座っているからいいか。
思い出したのが「夜のヒットスタジオ」のひな壇。
あれがイヤな仕事やったのよ、実は。
ワシは決して一生懸命仕事をしてないわけではないが、
決して面白くもないあの空間で、
ぼーっとしている顔を必ず抜かれて、
友人に「末吉ぃ、またおもろなさそうに座ってたなあ」と言われる。
まあおもろないんやからしゃーないが、
それにしてもアイドルと言うのは素晴らしい!
いつ、どのタイミングで抜かれても、
自分の一番いい顔をばっちりテレビに映し出すことが出来る。
ついでに言うとお笑いの人も素晴らしい!
一度プロモーションでお昼のバラエティーに出させて頂いた時、
中野や河合がプロモーションしながら、
何か面白いことを言うや否や、
ダチョウ倶楽部の上島がずずんと前に出てきて、
爆笑のボケを一発かまして司会者から頭を張り倒され、
後ろ向いて引っ込む時に
「よし」
とばかり小さくガッツポーズをしてたのをワシは見逃さなかった。
ワシらこんなプロフェッショナル相手に同じ土俵で勝負出来るわけない!
ワシが芸能界を嫌いな大きな理由である。
ステージでは香港からレオン・ライが何やら受賞して感想を述べている。
その他、同じく香港からフェイ・ウォンや台湾から張恵妹(A-MEI)や、
大陸の名だたる有名歌手達も全て出演している。
何せ「地球上の全ての中国語音楽」の大賞なのである。
ふと前列の席を見ると、
またあの零点の連中が座っていた。
ワシを見つけて嬉しそうに話し掛けてくるが、
ふーむ、奴らも昔のワシのような思いをしとんのかなあ・・・
聞けば奴らが髪の毛を切ったのも、もっと広範囲にテレビに出るためだと言うが・・・
そう言えばワシも昔アフロだった頃、
当時のプロデューサーに、
「爆風が売れるためには、まず末吉のナニをナニせねばならん!」
と髪の毛をばっさり切って「Newファンキー末吉」になったっけ・・・
スタッフがまた呼びに来て、
慌しくステージ下の奈落へ・・・
バンドの場合はここからせり上がりで登場するのだ。
ドラムセットが置かれるだけ置かれているのを急いでそれらしくセッティングして、
張亜東を始め、メンバー達が全員ぎゅうぎゅうに乗ったと思ったらイントロが流れ、
そのまませり上がって口パクで演奏が始まる。
思えばおアホな仕事である。
中国は基本的に円形ステージで、
後方にも満パンに客が入っているのだが、
張亜東側から女の子達の黄色い声が聞こえる
「亜東!亜東!キャー」
お前、歌手よりも声援を浴びてどうする!
ま、コムロみたいなもんですからな、こいつは・・・
演奏が終わるとそのままステージがせりに降りて、
そのまま奈落から楽屋に帰る。
それでおしまい。1本いくらの仕事である。
「俺、もう腹減ったし帰るわ」
張亜東がとっとと会場を後にする。
別にひな壇に座って顔を売ることに興味を持つわけではなく、
「芸術家」は「芸術家」として、仕事は以上!である。
「ワシ、顔がナニでナニなんでもう帰りまっさ」
ワシもとっとと会場を後にする。
気がつけばまだバンダナを巻いたままだった。
ま、顔がナニでもバンダナ巻いてたからいいか・・・
ファンキー末吉
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2002年1月22日
中国でテレビに出る時は何故かバンダナを外せと言われる
何故に中国のテレビでバンダナはあかんのや!
昨日はまたいきなりS社長に
「ファンキーさん、テレビの収録あるんだけどドラム叩いてよ」
と言われた。
ここの看板歌手「陳琳」のバックバンドである。
テレビと言うと通常「あてぶり」である。
いわゆるカラオケに合わせて演奏している振りだけで、
歌だけは生で歌っていると言うものだが、
アメリカなんかでは歌まで口パクであったりすると言う。
中国では日本と同じくあてぶりが通常らしく、
どうせ演奏しないのだからと、その辺の連中を適当に集めてた。
ベースの奴なんかはS社長んとこの社員である。
でもS社長は「こいつの顔を売りたい」と言う人間をそんな中に呼んで来たり、
時にはアジアの小室と言うべきプロデューサー張亜東なども駆り出されて
ギターを弾いたりする。
これをワシは「北京の友達地獄」と言う。
今回の場合はワシとあの新人くんである。
あの朝から晩まで音楽やってるだけが生きがいのオタクのシンガーソングライター、
一応マルチミュージシャンなので
キーボードからギターから持ち替えてあてぶりする。
今日も「その服は何だ!」と怒られていた、ぬぼーっとした憎めないやつ。
一応長髪である。
ワシはと言えば最近S社長の策略に乗って
中央電視台の生放送やら何やらに駆り出され、
奇声を上げながらアホ面してコンガを叩きまくる変なジジイとして認知され、
そのおかげで今ではラテンのアレンジを頼まれたりするキャラである。
「ファンキーさん、この前テレビに出てましたねえ」
とよく言われるが、実は全然嬉しくない。
そんな顔を売るなっつう話である。
「今日どんな曲やんの?」
あてぶりだが一応ちゃんとチェックをする。日本人は仕事が細かいのだ。
大体は発売された最新アルバムの中からやると言うので音だけもらって、
「当日やる前に音は聞けるよね」
だけでOKである。
あてぶりじゃなくても一度聞けば叩けるぐらいだから心配はいらない。
スタジオからドラムセットを運び出す。
「ファンキーさん、どれとどれが必要か指示しといてね」
あてぶりなので最小セットでよい。
どうせ手元のアップなど来るわけないし・・・
コンガと違ってドラムは一番後ろに位置するのでそんなもんである。
収録スタジオに着いたらドラムを下ろし、
セッティングしようと思ったら、すぐ「メシ食おう」とS社長。
まあ社長がそう言うならと隣のレストランに飛び込む。
「ビールいく?」
今から収録なのにビールを勧めるS社長。
しばらくしてスタッフが飛んでくる。
「シンバルが1枚しかないけどいいのか?」
慌ててたのでハイハットもシンバルも忘れて来ている。
「ま、あてぶりなんでいいでしょ」
とりあえずビールを飲む。
「カメリハとかはあるよね?」
S社長に一応チェックを入れる。ワシは今日どんな曲をやるのかも知らんのだ。
日本だとサウンド・チェックにカメラリハーサルにゲネプロと呼ばれる通しリハ、
結局最低でも3度は同じ曲をやるので、
これだけやればきっちり覚えてしまう。
まあ3回も曲を聞ければ完璧なのでビールでも飲みながら待つことにする。
しかし待てども待てども呼びに来ない。
これでは収録前に酔いつぶれてしまう。
まだ曲も聞いてないし、
ドラムのパーツも足りないので特殊なセッティングもしたい。
「俺、先に行くよ」
と言うワシをS社長が止める。
「まだ前の収録が終わってないんだからぁ。行ってもしゃーないよ。飲も!」
飲も!じゃねえって感じである。
しばらくしてスタッフが呼びに来る。
行って見ると前の収録は零点(ゼロ・ポイント)と言うロックバンド。
売れない頃に時々一緒に遊んだもんだが、今はブレイクして大金持ちである。
そこのドラマーからハイハット等忘れ物を借りようかなあとも思ったが、
まああてぶりだからいいか、と自分の歯抜けドラムをセッティングする。
タムを左側に多めに被せて、ハイハットがあるべきところを隠すようにする。
まあハンディーカメラが傍まで回り込まない限り自然なセッティングではある。
リハーサルが始まる。
「ファンキー、衣装を出せ。カメラ合わせで吊るしてやるから」
スタッフが言いに来るが、
「ほならワシ、その衣装に着替えてリハやりまっさ」
そそくさといつもの黄色い「寝巻き」と呼ばれた服に着替える。
これしか持ってないのである。
ご丁寧に同じく黄色にコーディネートされたバンダナ付である。
カメリハが始まる・・・ように見えるがイントロが流れるとすぐ次の曲に行く。
「ああ、これはサウンドチェックなのね・・・」
と納得しつつ一応あてぶりなどをやっては見るものの、
じーっとこちらを覗きこむ美人ADが気にかかって仕方がない。
また「外国人は出演禁止」とか言われても困るので、
一生懸命
「実はのおばあさんは中国人で、私は日本で生まれた華僑で・・・」
とか言い訳を考える。
外国人はダメだが華僑はいいと言うのは差別である。
それでもじーっとこっちを見てるので
「どうかしましたか?」
と中国語で声をかけてみたら、
「いや、あなたの服を見てただけよ」
とちょっときつめの(中国美人はだいたいきつめだが)美人は答える。
何事もなかったかのようにサウンドチェックが進むかに見えたが、
おもむろにS社長がやって来て、
「ファンキーさん、そのバンダナ、ダメだって。
ついでに髪の毛も後ろで結わえて下さい」
前回中央電視台の公開録画のイベントに出演した時も、
偉い人からバンダナにクレームを受け、
外して長髪のままいたらそれもクレームを受け、
結局侍のように髪をたばねてコンガを叩いた。
中国のお偉いさんはバンダナが嫌いなのか!!!
しかもワシ以外の奴はみんな同じく長髪やでぇ。
あのオタクの新人くんはよくって、何でワシだけあかんねん!
バンダナを外し、髪を結わえて残り数曲のイントロ部分を合わせたらいきなり
「はい本番です!」
本番かいな!カメリハはやらんのでっかいな!ゲネプロは?・・・
ワシ、どんな曲かまだ全然知りまへんがな・・・
楽屋でS社長に「CDウォークマンある?」と聞いて見る。
「ないよ」
お前、楽屋では音聞ける言うたやないかい!
どんな曲をやるやもわからずそのままステージに・・・
「アジア最高のドラムキング、ファンキーです」
陳琳からものものしく紹介されて公開録画用の客に向かって挨拶する。
マヌケである・・・
曲が始まる。
カメラが右手方向から回り込む。
「おいおい、これ、バラードやんか・・・ドラム入ってないやんけ!」
どうせ回り込むなら激しい曲で回り込んで欲しいもんやった・・・
ハイハットがないのを身体で隠しながら、
音には実際は入ってないシンバルなんかを叩いてみたりする・・・
大マヌケである・・・
曲の後半でドラムが入る。
あれ?聞いたことあるなあ・・・
思い出せばこれ、俺がレコーディングで叩いた曲である。
そうなれば話は早い。
曲は忘れていても癖はわかるから、
オカズとか入りのフレーズを聞けばそれだけですっと叩ける。
すまん!俺のフレーズって多彩に見えて実は結構ワンパターンなのよ・・・
2曲目はアップテンポの曲。
これも俺がレコーディングで叩いた曲。
このプレイを聞いて
張亜東に「自分の曲は今後全部こいつに叩かせる」と言わしめた。
しかしどんな曲やら覚えてはいない。
情けない・・・
だいたいスタジオミュージシャンと言う仕事は、
その音楽自体を実はあんまし覚えていない。
プレイも自分の手癖手なりでやっているので
自分の音楽生活としてはさほど印象に残ってない仕事が多い。
その昔、少年隊のレコーディングに呼ばれた。
どんな曲やらまるで覚えてないが、
ある時有線で流れてたドラムフレーズで、
「これ、俺に似てるドラマーやなあ」
と思ったらその曲だった。
街角のオーディオショップのテレコからドラムソロが流れてた。
「いなたいソロやってんなあ。誰が叩いてんねん」
と思ったらキョン2に提供した曲でワシが叩いたソロやった。
そんなことをぼーっと思い出しながら収録は進み、
アップの曲ではハイハットを叩く振りをしながらスティックは空を切る。
これって大リーグボール3号の星飛馬の手首ぐらい負担がかかるのよ・・・
過酷な100本ツアーで傷めた手首は勲章になるが、
あてぶりの仕事にハイハット忘れて傷めた手首はどうしようもない・・・
ステージは進み、今度は陳琳の最新アルバムからではなく、
いきなり過去の彼女のヒット曲が流れ出した。
もちろん知らない曲なのだが、音が流れたらついあてぶりをしてしまい、
バンドのメンバーもこれは打ち合わせになかったのか、
さすがにみんな狼狽は隠せない。
キーボードは鍵盤までアップにはならないのでいいが、
ギターやベースは指板が画面に映り込むので必死である。
ギターの奴など困り果ててドラムを煽ってる振りをしながら後ろを向いている。
後姿で煽っているフリをしながら顔で困っているのである。
「頼むからワシにその困った顔を向けるな!ワシの方が困ってんねん!」
過去のヒット曲、1コーラスが終わり、いきなり次の曲につながる。
「ヒットメドレーやないかい!」
テンポが変わるとドラマーはもうお手上げである。
もうどうしようもないとむちゃくちゃ合わせていたが、
何かその中の曲でも合わせやすい曲と合わせにくい曲とある。
合わせやすい曲をあてぶりしながらふと思い出した。
この曲はワシが6年前にレコーディングで叩いた曲である。
懐かしいなあ・・・
当時はOnAirしてはいけない精神汚染音楽だったロックが、
革命の歌の残骸である中国歌謡を凌駕し、
その巻き返しとも言えるニューミュージック(古い言い方やなあ・・・)
がポップス界を席捲していった。
陳琳もそのひとりである。
そして今では、
日本と同じく宣伝費をかけない音楽はどんないいものであっても売れず、
ロックバンドはテレビに出て金を稼ぎ、
こうして歌謡曲歌手と肩を並べてカメラに媚を売る。
ま、俺なんぞもそんな世界で
スタジオミュージシャンやバックバンドをやってるんだがね。
収録が無事終わり、
ドラムセットなどを片付けていると、
いきなり陳琳のマネージャーからギャラを手渡される。
「そんなあんたぁ・・・ステージで裸銭渡さんでもぉ・・・」
まああてぶりなんで
スタジオ仕事やアレンジ・プロデュース料に比べたら微々たるもんだが、
それでもここ数日は遊んで暮らせる。
ま、いいか・・・飲みに行こっ!
ファンキー末吉
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2000年11月18日
さいはての土地T市で出会った中国人ホステス・・・・
T市よいとこ一度はおいで
昔、爆風スランプがデビュー前、毎月毎月
「大きくてすいません号」で関西にツアーに言ってた頃、
初日である渋谷ライブステイション終了後、街道レストランでコーヒーを飲みながら一言。
「ところで明日の米子ってどこにあるの?」
当時移動日なしの8連チャンとか当たり前で、
今回から初めてブッキングされた米子バンピンストリートでのライブは翌日である。
「米子か?島根県かなあ、鳥取県かなあ・・・まあどっちにしても山陰地方や」
知ってるのか知らないのかわからない返答をする俺。
「ふーん、じゃあどれぐらい時間かかるのかなあ・・・」
当時運転担当であったパッパラー河合が聞く。
「調べてみよう・・・」
地図などを引っ張り出して調べてみる。
「末吉ぃ、まずいよぉ。雪道で山越えだし15,6時間はかかるよ」
げっ!
飲みかけのコーヒーをそのままにすぐに出発。
ひたすら運転して着いたのがやっと入り時間であった。
そのまますぐに機材搬入してライブ・・・
まあそんな思い出も笑い話であるが、
今回の五星旗の工程もそれに近いものがあった。
大阪終了後、夜走りして、翌日T市に着くのは午前中だろうと言う。
ひえー・・・
「ロイヤルホースでは飲酒禁止!
もたもたせんですぐ積み込みして出発!
ワシがへばったらメンバーが運転代わってや!」
同行した綾社長が激を飛ばす。
ところで俺のお袋はK県のUSAと言われる宇佐出身である。
(単にローマ字で書くとUSAと言うだけの話)
K県には小さい頃から数限りなく行ったことがあるが、
K県の隣の宇佐の、まあその隣ぐらいがT市かと思ってたら大間違い。
夜走りして朝方K県に着いた時、T市出身のベースの仮谷くんが一言。
「ここから更に、今まで走ったぶんぐらいありますから・・・」
ひえー・・・
仮谷くんが運転を代わって、曲がりくねった一般道をひたすら走る。
それが本当に走れど走れど着かない。
同じ百数十キロでも高速と山道とは違うのである。
「もうすぐかなあ・・・」
誰ともなしに声が出る。
「以前清水アキラがT市に来た時もこの辺でそのセリフが出たそうですから・・・」
ひえー・・・
海沿いの道に出て、朝焼けの中ひたすら走る。
海沿いと言っても曲がりくねっていることに違いはない。
「でも景色はいいし、何かいい田舎って感じやなあ・・・」
ピアノの進藤くんがやたら感激している。
「その田舎を通り抜けて更にもっと田舎に行くんですから・・・」
仮谷くんがそう説明する。
もう着くだろうと言うぐらいになって、景色がおもむろに賑やかになって来た。
「着いた?」
みんなの開放感が口から出るが、
「ここは最寄の一番大きな街、N市です。さらに1時間あります」
ひえー・・・
T市と言えばもう四国の端っこである。
ほう・・・俺たちは四国を半分横断したわけね。
それにしても四国ってこんなに広いのか・・・
列車はK市からN市までしか通っておらず、
そこからは更にバスでゆくことになると言う。
最寄の鉄道駅まで50kmと言う街なのである。
仮谷くんが帰省しようと思っても、
K空港まで飛行機で行って、
バスでK駅まで行って、
それから列車でN駅まで行って、
それからバスに揺られ・・・
とあまりに遠いのでめったに帰省しないと言う。
いわゆる車を持ってないと生きていけない土地である。
「みなさん、言っときますけど、外国だと思っててくださいよ、言葉通じませんから」
と仮谷くん。
なになに、K県弁ならお袋が喋ってるので聞き取れると思ってたら、
街に着いておばはん同士が何喋ってるか全然わからんかった・・・
旅館の大広間で仮眠を取らせてもらって午後2時起床。
メシを食って会場に向かう。
F会館と聞いていたのでコンサートホールかと思ったら
「パチンコF会館」の3Fの結婚式場だった。
まさに地元の人達の手作りコンサートである。
楽屋は新婦の着替え部屋。
・・・さて、ここからが本題である。
その楽屋から隣のビルのとある部屋が見えた時からこの物語は始まる。
(長い前置きやなあ・・・)
「お、凄いやん、あれ絶対ホステスやで・・・」
窓から景色を眺めていた綾社長がそう叫ぶ。
「どれどれ・・・」
男どもが全員窓に張り付く。
そして見えたのがフィリピン人らしき人影。
「フィリピンパブかなんかがあるんですか?」
地元の人に聞いて見る。
「そうなんですよ、最近はチャイニーズパブまで出来ましてねえ。
それが出来たとたんにT市の本屋から中国語の教材が売り切れたんですよ。
もう先に言葉覚えたもんの勝ちですからねえ・・・」
NHK中国語口座、一番視聴率がいい地域はここ、T市かも知れない・・・
さてそのフィリピン人ホステスに手を振ったら笑顔で手を振り返され、
「よーし、今晩はフィリピンパブに繰り出すぞ!」
と血気盛んな俺たちである。
ライブをちゃんとオンタイムで始め(普段は必ず押すのにねえ)、
地元の人が催してくれた打ち上げの席でも、
「フィリピンパブ!フィリピンパブ!」とうるさい。
「じゃあ行きますか・・・」
地元の人が腰を上げる。
聞けばこの狭い街、
総人口が2万人に満たない街にフィリピンパブが2軒あると言い、
ひとつはこの会館の関連の店だが、
俺たちに手を振ったのは違う方なのでそちらに行くのでは義理が通らないらしい。
まあ俺にしてみればフィリピンパブでさえあればどちらでもいい。
間違ってもチャイニーズパブなどに連れて行かれた日にゃあ、
よくてホステスの身の上相談、悪くて酔客の通訳で終わってしまう。
「フィリピン!フィリピン!」
うるさい一行が街を闊歩し・・・と言いつつも、
繁華街など歩いて数分で一周出来るぐらいなのであっと言う間に着いた。
入り口にはご丁寧に顔写真が張られている。
指名も出来るのであろう。
よく見ると、ケバい感じのフィリピン人に混じって・・・
何とチャイナドレスを着た数人のホステス・・・
「あのー、おっしゃってたチャイニーズパブってひょっとして・・・」
「ああ、ここですよ。フィリピンパブに最近チャイニーズを入れたんです」
げっ!
店内に入ると接客しているホステスが一斉にこちらを向く。
中にはライブに来ていたフィリピン人もいる。
後で聞くと、「同伴」と言うことで、
その後ホステスと一緒に店に来るならライブに連れて行ってもいいらしく、
これも水商売のひとつのスタンダードらしい。
「ワシあの娘がええ」
「いや、ワシはあの娘がええ」
などと口々に言うが、そうは思い通りの娘がテーブルにつくわけではない。
一番若くて可愛い娘はすでに別テーブルで接客している。
「イラッシャイ」
それでもまあまあ若くて可愛いフィリピン人ホステスがテーブルにつく。
地元の人が気を使って俺の右隣に座らせてくれる。
やったー!
「イラッシャイマセ」
今度は確かに若くて可愛いが、見るからに中国人。
「俺んとこ来るなよ、絶対に来るなよ・・・」
心の中でそう祈っていたが、地元の人が気を使って俺の左隣に座らせる。
がーん・・・
そしてよせばいいのに俺が中国語を喋れると説明する。
「あら、中国人?違うの?日本人?それにしても中国語うまいわねえ」
まだ日本語をほとんど喋れない彼女の目がランランと輝く。
がーん・・・
それから先はお決まりの身の上相談である。
しまった・・・
と思ったが時すでに遅し。
右隣のフィリピン人ホステスはその右隣の客の接客を始め、
俺はすでに左隣の彼女の接客である。
いや、正確に言うと俺が彼女の接客である。
「見ましたよ、ライブ。
よかったわー。中国語の歌も聞けて・・・
懐かしいわ・・・
え?私?来てまだ2ヶ月目。
日本語なんかまだ全然喋れないし、
この店の上で一緒に暮らしてる中国人ホステス以外の人と中国語話したのは初めて。
嬉しいわ、中国語で話が出来るなんて・・・」
これではT市で中国語の教材が売り切れたわけである。
「先に喋れるようになったもんの勝ち」と言う意味がよくわかる。
そして彼女の話はだんだん熱をおびて来、目が潤んでくる。
「東京から来たんですか?
東京はここなんかに比べたらもっといいですよねえ。
どんなところかなあ、東京って・・・
え?どこも行ったことないわよ。
沈陽から飛行機に乗って、広島で乗り換えて、そしてここ。
私にとって日本ってここしか知らないの。
友達?日本語喋れないし・・・・
第一ここに中国人って私達4人しかいないもの・・・ひとりもいないわよ。
彼女達とうまくやってるかって?・・・うーん・・・まあまあかなあ・・・」
彼女の顔がちょっと曇る。
話題を変えるように彼女は笑顔で話を切り返した。
「それにしても今日は私が日本に来て一番嬉しい日。
仕事しててね、こんなに中国語でお話出来て、最高の日だわ。
ねえ、あなた。
もし私が他のテーブルに呼ばれたら、指名して私をよそに行かさないで。
私、あなたとずーっとこうして話していたい」
げっ!・・・
右隣のフィリピン人ホステスが気になるものの、
俺は以後ずーっと彼女の独占物である。
頃合を見てトイレに立つ。
そしてついでによそのテーブルに座って、しばし地元の人のご機嫌を伺う。
彼女はと見れば、同じく地元の人を接客しているが、
ちらりちらりとこちらを見ている。
日本語喋れなくての接客も辛かろう・・・
「ごめんね、ほら、地元の人が頑張って俺たち呼んでくれたでしょ。
お礼言ってまわらなきゃ・・・」
そして結局は彼女のテーブルに帰って行ってしまう俺である。
そしてその後、俺はずーっと彼女の話し相手、兼、彼女と地元の人との通訳・・・
「閉店でーす」
スキンヘッドのこわもてのマネージャーがお愛想にまわる。
いくらかかるのかは知らない。地元の人の奢りである。
女の子達が入り口でずらーっと並んでお見送り。
帰り際に彼女に声をかけて見た。
「M市かK市だったらライブに来ることあるし、休みだったらまた見においでよ」
彼女の顔がちょっと曇る。
「車も持ってないし、無理だわ・・・」
思えばここは天然の要塞。
日本語を喋れなくてバスを乗り継いでこの土地を出るのは不可能である。
ちょっと彼女に同情しながら店を出る。
「もう一軒行きますか?」
「行く行く!もう一軒のフィリピンパブ行こう!」
突然元気になる俺。
「フィリピンパブはどちらも12時までなんですよ。
系列の店に行きますか・・・」
「行く行く!フィリピンじゃなくても日本人ホステスでも何でもええ!」
連れて行かれたお店は同じく系列のスナック。
しかし、見るからにがらんとしていて、ホステスもひとりしかいない。
「ま、いいでしょう。飲みましょう」
男4人でテーブルに座る。
たったひとりの日本人ホステスは他のテーブルで接客中。
「女の子呼んで来ましょうか」
地元の人がおもむろに立ち上がって外に出て行く。
「どう言うシステムなんですか?」
聞けば、先ほどのお店の女の子を「アフター」として連れてくると言う店らしい。
アフターしたいお客さんは、先ほどの店の店長にその旨を告げると、
ここの店等系列店だと許されるらしい。
他の店に行こうなどと言っても女の子の方から断られるのがオチらしい。
「女の子、全員予約が入っていてダメなんですー」
地元の人が悪そうに帰ってくる。
「まあいいじゃないですか、飲みましょうよ」
男同士の酒のほうが美味かったりする。
「おつまみの出前をしますが・・・」
メニューを持ってくる。
食べ物は全てが出前らしい。
「系列店の居酒屋から出前するんですけどね」
地元の人が耳打ちする。
しばらくすると団体さんが入ってきた。店がいきなり慌しくなる。
一緒に入ってきた女の子は全て先ほどの店のホステスである。
彼女もいた。目が合った。
何か言いたそうにずーっとこちらを見ている。
俺も地元の人と酒を飲みながら時々様子を伺った。
「いやー、うまいこと出来とるんですよ。
向こうの店はチャージが5000円でしょ、
こちらは3000円で安いと思うんですけど、
実際は女の子のぶんまで払わなアカンから6000円なんですよ。
実は1000円高いのに得した気分になるんですね」
地元の人が説明してくれる。
見ればいつの間にかスタッフは全て先ほどの店のスタッフがそのまま働いている。
彼女は酔客の相手をしながら、ずーっとこちらを見ていた。
時々酔客に笑顔を振り撒きながら、そして何かを言いたそうにこちらを見ていた。
「帰りますか・・・」
男4人で飲むだけ飲んで立ち上がった。
彼女の方を見ると、酔客が彼女に覆い被さってキスをしていた。
気づかれないようにそっとその店を後にした。
翌日、車の中で綾社長は上機嫌である。
「いやー、飲んだ飲んだ・・・。
昨日の日本人ホステス、かずみちゃんね。
16歳で出産して現在25歳で2児の母・・・」
よう知っとるなあ・・・
「いやーそれにしても昨夜末吉が話してたあの中国人、
次の店のトイレで会うたんやけど、
俺がニイハオとか中国語で挨拶した途端、
○☆★◎◇△□▲▼◇言うていきなり中国語で返されてもなあ・・・
俺がもっと喋れる思たんかなあ・・・そんなに中国語喋りたいんかい!」
・・・いや、やっぱ喋りたいんやと思うで・・・
二日酔いの俺たちを乗せた機材車は、
また山道を長い間かけてK県まで・・・
途中俺の携帯が鳴った。携帯の番号表示は「公衆電話」。昨日の彼女である。
「昨日はほんとにありがとう。もっともっとお話したかった。
2軒目の店であなたに会った時、心は焦って焦って・・・
でも別のお客さんについてるから仕方ない。また会えますか?
今度こっちに来る時には必ず連絡下さいね。
ライブ頑張ってね。成功すること祈ってます」
「末吉ぃ。モテるやないかい・・・」
綾社長がそう茶化す。
「また連絡下さいね。の連絡先どこか知っとるか。あの店や。これが水商売の世界やで」
もらった角の丸い名刺を車の窓から放り投げた。
彼女の源氏名と店の番号、
そして手書きで彼女の本名と中国の実家の電話番号が書かれた名刺が
風に吹かれて黒潮の海に落ちた。
さいはての土地、T市。ちょっとBluesな素敵な街だった。
ファンキー末吉
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2000年9月30日
岡崎猛が動脈瘤によるクモ膜下出血で緊急手術
先日、五星旗のライブで愛知県犬山市に行った。
その時の打ち上げことである。
ギターの岡崎はんが酒飲みながら、
「あれ?変やなあ、右半身が何か痺れて来たなあ・・・」
とつぶやいた。
「またまたー・・・酔っ払ってるんちゃうん!」
と俺たち。
「あれ?目も何かおかしいなあ、物がふたつに見えたりするなあ・・・」
「それ飲み過ぎ!」
そしてホテルに帰る頃には
「何かふらふらするなあ・・・」
「それ完璧に飲み過ぎ!」
と俺たち。
そして東京に戻って来た次の月曜日、
彼は医者に行った。
そしてこの話はそこから始まる。
「入院せなアカンねん」
電話がかかって来た。
病名は動脈瘤。
脳の動脈の壁のある部分に血圧がかかり、
そこがぷくっとふくれて瘤になる。
血管の一部が風船のように膨れてるんだから
当然ながら破れ易い。
破れればクモ膜下出血となって死に至る。
そして彼の動脈瘤は脳の一番奥深い所に出来ていて切開手術は不可能。
しかも1.7センチと言う巨大な動脈瘤である。
医者に「破裂したら死にますよ」そう言われてビビリまくって
とりあえず仕事関係の人に電話を入れたと言うわけだ。
命に関わる病気なのだから仕方がない。
10月9日の沖縄のイベントと、
突然ブッキングされた10月21日のマレーシアには、
トラとして名ギタリスト、団長をブッキングする。
そんな事務処理をしてたある朝、突然胸騒ぎがして早く目覚めた。
カラスがカーカー鳴いている。
縁起でもないなあ・・・
「ちょっと病院行って来るわ」
早朝から出かけて行った。
受け付けで部屋番号を聞いて上がってゆくと、
何のこっちゃないいつものブサイクな寝顔で彼が寝ていた。
まあ寝かせておこう・・・
座って本を読んでいると
「わっ、びっくりしたー」
突然目が覚めてびっくりされてもこちらがびっくりする。
「あんた別に入院しても家でおっても変わらんなあ。
何するでもなく朝からゴロゴロと・・・」
得意の毒舌のひとつも言ってやる。
「ほんまやなあ・・・」
と彼。
「何か欲しいもん、あるか?家まで取りに行ったるで」
「いや、オカンが来とるからかまん」
「オカンが来とるんかいな」
「医者が家族呼べ言うて」
「ひょっとしてオカンってあんたのあの部屋で寝とるんかいな」
「せやで」
「そりゃオカンも災難やなあ」
などやりとりがあった後、
「たいくつでしゃーないからギターとラジカセ取って来てや」
と頼まれる。
ふらふらっと自転車で来てそのまま入院になったんで、
その放置自転車も家まで持って行ってくれと言う。
玄関に行ってみると、自転車には張り紙がしてあって、
「ここに放置しておくとケガ人が出ますのですみやかに移動しなさい」
と書かれている。
ケガ人どころか重病人の自転車なんやけどなあ・・・
家には初めて会うオカンがいた。
「初めまして」
ギターとラジカセとCDを持ってオカンと共に病院に戻る。
CDは「暗いんはいらんでぇ、気が滅入る」と言うが、
どのCDが暗いかようわからんので、
棚にあるJazzのCDのうち自分の聞きたいものを物色した。
そして病室でせっせとパソコンに取り込む。
俺は一体何をしに来たんやろ・・・
「ほな!」
目ぼしいのを取り込んだ後、仕事に出かけた。
まるでCD取り込みに来ただけである。
「岡崎はんが入院してなあ・・・」
仕事先では会う人会う人に笑い話である。
だいたいこのテの病気は40の若さでは珍しいらしい。
「老人病や、老人病。普段家でゴロゴロしてギター弾いて酒飲んで・・・
せやからこんな病気になんねん」
そんなこんなで夕方まで仕事してたら、
後から見舞いに行った事務所社長の綾和也から連絡があった。
「WeiWeiと見舞いに行ってなあ、
元気に待合室まで一緒に行って喋ってたら突然ロレツがまわらんようになって、
アカン、頭が痛いわ、言うてベッドに戻っていったでぇ。大丈夫かなあ・・・」
夕方連絡を回していたジャズクラブSのマスターが見舞いに行って連絡が来た。
「末吉か、シャレんならんでぇ、クモ膜下出血や。破裂したらしいんや」
とんぼ返りで病院に戻った。
京都の家族、親戚に招集がかけられる。
絶対安静の病室には家族は付き添うわけにはいかず、
本当はロビーも人が泊まってはいけないのだが、
オカンが悔いが残らんようにどうしても息子のそばを離れたくないと言うので、
特別にロビーでいる分には認めてくれた。
しかしロビーは夜9時には消灯。
真っ暗なロビーの中で不安でどうしようもない年寄りひとりでおらすわけにはいかんので、
結局俺も夜通し付き合うことにした。
本人よりもとりあえずオカンの方が心配である。
少しでも気を紛らわすように岡崎はんのアホ話をたんとしてるうちに、
京都からご家族ご一行が到着した。
ロビーで泣き出すご親族もいる。
「まあまあ、今は特別にここでいさせてもらってるんで何とぞお静かに・・・」
聞けば途中の新幹線で居ても立ってもいられなくてビールを飲んだらしい。
少々取り乱していた。
酒かあ・・・
家族が来たら俺は必要ないので病院を後にする。
病院内は携帯電話禁止なので、外に出てメッセージを聞くと、
ジャズクラブSのマスターから留守電が入っていた。
「末吉か、これ聞いたらすぐ電話くれ。店でおる」
ただごとではなさそうなので店に直接向かう。
マスターはひとりでライブの後片付けをしていた。
「おう、来たか。飲むか?」
ビールが出てくる。
おかしい。ガメツイので有名なこのオッサンが店のビールをタダで出すわけがない。
「実はなあ、あの病院の医者とか看護婦とかうちの客やねん。
そいで電話して調べたら、明日の手術の担当っつうのがうちの常連やったんや。
たまたまそいつは今日休みでなあ、自宅に電話かけていろいろ聞き出した」
医者曰く、最善を尽くしてはみるが、見込みは少ないと言うことであった。
まず場所が非常にやっかいなところなんで切開手術が出来ないと言う。
それにこんなに大きな動脈瘤が出来てて、
本人がこんなに正常だと言うのがそもそもおかしいらしい。
そしてすでに破裂してしまった。
破裂したら死にますと言われてたんだから、
考えてみたらまだ生きてるだけでももうけもんである。
「何で破裂する前にすぐ手術せんかったんや!
破裂したら死ぬから入院せぇと言いながら病院で破裂するとは何ごとや!」
当然ながらマスターは怒る。
しかし医者としては、
「だいたいあんな大きな動脈瘤を持ちながら
自分で自転車乗って病院まで来たと言うのが不思議なぐらいなんです。
普通だったらそのまま路上で破裂して倒れて死ぬ場合が多い。
行き倒れで死んだ人が、
調べて見たら実は動脈瘤が破裂してたと言うことはよくある話なんです。
だからと言って、病院では例えば検査とかをしますよね。
血管の検査をしている時に突然破裂する可能性もある。
それは患者さん側から見たら検査したから破裂した、なんですよ。
どう言うわけかわからんが本人が何故か正常なんですから、
安静にしてゆっくり調べるより他なかったんですよ」
その実、もう運び込まれた時点で
この場所のこの大きさの動脈瘤だともうお手上げで、
現実的に効果的な処置が見つからなかったと言うのもあったらしい。
とにもかくにも破裂した。
今本人は薬で眠らされている。
目が覚めて興奮したりするとさらに大破裂して死に至る。
「今すぐ手術するわけにはいかんのかなあ・・・」
「何か足らん道具があって至急取り寄せとるから、どうしても明日の夕方になるらしい」
裏事情通のマスターである。
「手術まで眠らせとくわけにはいかんのかなあ・・・」
「そやなあ、明日もういっぺん電話してビシっと言うといたる。
ちゃんとせんかったらジャズクラブS出入り禁止やぞ!」
出入り禁止ぐらいが脅しの材料になるとは思えんがなあ・・・
でもこうなったらとにかく医者を信じるしかないのである。
後は神か?
「俺、もう助からんのちゃうかなと思うねん」
飲みながらぼそっとそうつぶやいてみる。
中学生の頃、姉が亡くなった時の感覚に物凄く似ているのだ。
「確率的にはそやろ、まず助かる確率は低い。医者も手遅れや言うとった」
裏情報通のマスターである。
今は五星旗の2枚目のアルバムが仕上がったばかりである。
ミキシングやマスタリングで今回はいつになく積極的に頑張ってやってた彼である。
「遺作んなるんかぁ、シャレんならんのう・・・」
岡崎はんとの思い出が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。
最初に会ったのはジャズクラブSのジャムセッション。
新大久保に住んでると言う立地条件もあって、いつも泊まらせてもらってた。
そうじゃなくても酒飲む時にはいつも呼び出して飲んでた。
当時人は、自分で思ってるほど俺のことをJazzミュージシャンだとは思ってくれず、
たまにお誘いがあっても、爆風スランプの名前で動員数を稼ごうとする輩ばっかりだった。
純粋に腕を買われて○○カルテットとかのドラマーで呼ばれたかったが、
そんな酔狂な輩はいなかった。
そんな中、岡崎はんだけが自分のカルテットに俺を呼んでくれた。
客の入らん小さいライブハウスから、
新宿のカクテルバーの夜中の生演奏までやった。
当時の俺はヘタなJazzメンよりもJazzのライブが多かった。
街角の超マイナーな場所でストレイト・アヘッドなJazzを叩く俺を偶然見かけた
近所に住むJazzミュージシャンなどがびっくりして声をかけたりした。
そうして俺はJazz界でやっとJazzミュージシャンとして認められていった。
ある日のラウンジでの演奏で、
突然ある曲で偶然ブラシを使うコツを習得した。
「どしたんや、オッサン。突然ブラシがうもうなったなあ、別人みたいやで」
演奏後の彼の嬉しそうな顔を思い出す。
思えば彼こそが俺のJazzの師匠であった。
彼から、そして彼と一緒に俺はJazzのいろんなことを学んでいった。
ロックや中国音楽の要素も混ぜて五星旗を結成した時、
やはり俺はギタリストとして彼に声をかけた。
それからは彼に彼の知らないJazzではないいろんなことを教えてあげた。
CDデビューが決まり、評判もよく、
プロデューサーのN氏は
「五星旗が売れたら次は岡崎さんのソロアルバムを作りましょう」
と言っていた。
「それが岡崎はんの幸運期とちゃうん!」
数年前のJazzツアーの時、四国のとある占い士が岡崎はんに
「あなたは数年後に人生最大の幸運期が訪れます」
と言ったのが、仲間内ではずーっと酒の肴になっていたのだ。
でも実際今のなってみれば、彼の人生最大の幸運と言うのは、
飲み友達のアルバム2枚でギターを弾いただけやったんか?・・・
「こんなことやたらさっさとソロアルバム録っといたらよかったなあ・・・」
と俺。
「俺もそう思とったんや、何でやっといたらんかったやろってな」
とジャズクラブSのマスター。
俺が事務所やレコード会社の契約で悩んでいたある時期、
ある人が俺にこうアドバイスことがある。
「そんな大会社がそりゃお前のやりたいそんな音楽をやるわけはない。
でもなあ、その音楽は来年にはない。きっと今しかやれん音楽や」
結局俺は日本ではなく中国でそれを発売し、そして今に至る。
五星旗の前身と言える姿がそこにあった。
そう、音楽っつうのは空気を震わせて、そして消えてなくなるもんである。
レコードと言う「記録」をせん限りはそれでおしまいなのである。
でもヤツが死んでもうたらもうそれを記録出来るチャンスは永遠になくなる。
ヤツとの数々のセッションは、
俺にとったらほんまにかけがいの無いVSOP
(Very Special Onetime Performance)
やったんやと実感した。
「岡崎ぃ、死ぬなよなぁ」
とマスター。
「しゃーないでぇ、人間がどうのこうの出来る問題ちゃうし」
と俺。
「岡崎死んだら追悼Jamセッションブッキングしたる」
「マスター、間違うてもそれで儲けたら許さんでぇ」
「当たり前じゃ!いくらワシでもそこまではせんわい」
ガメツイので有名なマスターと5時まで飲んだ。
すでにべろんべろんだが、やっぱ気になるので病院まで行ってみる。
ところが家族がいるはずの待合室には誰もいない。
「アカン、とうとう死んだんや」
あわてて病室に飛び込んでみると、岡崎はんひとりが薬で寝ていた。
「ご家族の方はみなさんお帰りになりましたよ」
面会時間外に酒臭い息を絶対安静の病室に持ち込むふとどきな輩を
看護婦さんがそう言ってたしなめる。
「すんません」
待合室に帰って来て、俺は結局そこで寝た。
朝になると入院患者でいっぱいの待合室。
目が覚めると、病院の待合室で酔いつぶれてる変な男を、
みんなはけげんそうな目で見て見ぬふりをしていた。
しゃきっとしたふりをしながらご家族の到着を待つ。
「おはようございます」
まるで今来たかのようなふりをしながら挨拶を交わす。
「じゃあ僕は仕事に行きますんで・・・」
病院を出て携帯の留守電をチェックする。
病院内が携帯禁止なのでまことに不便である。
ふと見ると隣にホテルがある。
そそくさとチェックインした。
「今晩からホテルに泊まるから」
嫁と事務所に連絡する。
「そこまでする必要があるんか?」
「やかましい!いつ死ぬかわからんのやでぇ。
もしもの時に病院が俺の携帯に連絡くれるか?
ご家族にそんだけの余裕があるか?
ホテルに詰めて、1時間に一回でも様子を見に行くだけでそれでええんやがな」
新大久保から仕事に通う毎日が始まった。
ホテルは携帯が通じるだけでもかなり便利である。
それに、もしもの時には待合室ではなく、ここを関係者の溜まり場にすることが出来る。
コマが死んだ時のことを思い出す。
XYZのライブステイションでのゲリラライブにリハと本番の間にまた病院に戻って来た。
手術が予定より2時間早く始まっていた。
「道具が早く揃たんやな・・・」
裏事情を推測する。
「一度目が覚めてから手術室に入ったんですか?
それともあのまま寝たまま手術室に?」
話を聞くとそのまま寝たまま手術らしい。
結果的に理想の形である。
安心してライブステイションに引き返す。
本番が終わって山手線に飛び乗ると携帯が鳴った。
ジャズクラブSのマスターである。
「今電車の中やから着いたらかけ直します」
こんな時にもマナーにはウルサイ俺である。
「今ちょっとだけ聞いてくれ」
電話を切らせないマスター。不吉な予感が頭をよぎる。
「4時に手術室に入って、たった今まで4時間。
手術は成功してその担当医が今からジャズクラブSに飲みに来る。
成功や。わかるか。とりあえずすぐ死ぬことはもうない」
興奮してそうまくし立てる。
病院に行くと、ご家族が偉い先生から話を聞いていた。
「動脈瘤は塞ぎましたが、
クモ膜下出血は基本的にいろんな合併症を引き起こすので安心は出来ません。
現在は意識障害や麻痺などがあり、最悪はこのまま植物人間になることも考えられます。
脊髄液に血液が混ざって循環が悪くなると水頭症になって、
脳内の圧力が上がって脳を圧迫して痴呆になる可能性もあります」
そのままジャズクラブSに飛び込む。
今日の出演者は「岡崎ブラザース」。
トランペットの岡崎好朗とサックスの岡崎正典のグループである。
マスター手書きの入り口の看板を見ると、
「本日の出演者」のところに
「岡崎好朗」ではなく、「岡崎猛」と書かれていた。
しかもご丁寧に「岡崎猛 Gt」である。
おいおいオッサン、岡崎猛は今病院じゃろ。
今日の出演者にギタリストがおるんかい!
オッサン、何じゃかんじゃクールに装っててもよっぽどパニックしてたんやなあ・・・
店に入ろうとすると、マスターがそれを制止する。
「店に入ったらミュージシャンの手前チャージを取らんわけにはいかん。
俺は岡崎のことでは出来る限りのことは全部やった。
公私混同はしとないし、最後にケチつけとうないんや。
ライブ終わるまで外で待っといてくれ」
ガメツイと評判のマスター。
でもそれはミュージシャンの千円二千円のチャージバックを守るためだったりもする。
「かまへんで。チャージ払うがな。お祝いにええ演奏聞かせてもらうわ」
店に入ると、1ステージ目の最後の曲をやっていて、
一角だけやたら大盛り上がりのテーブルがある。
いかしたオブリには「イエイー!」、
いいソロが終わると「ウォー!」、
曲が終わると「ワーワー!」、
まるでキチガイである。
「あれがお医者さん?」
「せやで」
見ると、すでにテーブルの上にはバドワイザーの空き缶が所狭しと並べられている。
「初めまして」
M氏と言うその担当医と、そのアシスタントに挨拶をした。
「いやー、Jazzギタリストだと聞きましてね。
出来る限りのことはやりました。
後は本人の体力と頑張りです」
病院で聞いた偉いお医者さんと同じ説明をしてくれる。
「素人質問で悪いんですけど、
切開手術が出来なくてどうやって手術するんですか?」
この際なので素朴な質問をぶつけてみる。
「腰あたりの血管の中からテグスみたいな糸を入れて、
それをレントゲン見ながら患部まで何とか到達させるんです」
「ちょっと待って下さい。腰から頭言うたらえらい距離がありますがな。
なんで首からとか入れんのですか?」
「場合によっては首から入れる時もありますけど、
頭に近ければ近いほど危険だと言うのもありまして、
だいたいの場合は腰からが一番いいとされてます」
「でも動脈言うたらいろいろ枝葉に別れてて、
道を選ぶだけでも大変やのに、患部までの正しい道のりにテグスを導くって大変でしょう」
「いやー、ほんと指先ひとつですよ。
入り口のところでテグスをちょこっと回すんです。
そしたらテグスの先がちょこっと方向転換するんです。
それをレントゲンで見ながら患部まで持って行くんですね」
「そりゃ確かに大変ですわなあ。4時間っつうたら、よく集中力が続きますねえ」
「いやー、根性ですよ。何回もくじけそうになりますけどね」
「でも患部に到達してからどうするんです?」
「このテグスは到達したら先っぽが丸まるんです。
それで動脈瘤の中でくるくるとテグスをコイル状に丸めていくんです」
「丸めたら何のええことがあるんです?」
「例えば川のほとりに水溜りが出来たとするでしょ。
そこに水が流れ込むようになれば水溜りはどんどん大きくなる。
これが動脈瘤です。
ですからその水溜りを小石かなんかで埋めてしまうんです。
そうすると水が流れ込まないので川の流れはそのままと言うわけです」
「でもコイル状になったはええけど、
そのままテグス抜いたらコイルもほどけて抜けてしまうやないですか」
「そのテグスには、電流を流すとあるところで切れてしまうように作られてるんです。
その部分まで丁重にコイル巻きして詰めてやるわけです」
すんごい作業やなあ・・・・
「先生はトランペットを吹かれると言う話ですけど、
そんな器用な指先っつうのはトランペットによって鍛えられたとかありますか?」
まるでインタビュアーのような質問をしてみる。
「トランペットがどうのこうのと言うより、手術はそもそもJazzと同じですよ」
「は?・・・と言いますと・・・」
「Jazzのコード進行と同じように、
手術にも確固たる守らなければならないセオリーがあります。
でもそれだけでは手術は出来ないんです。
患者の反応とか状況を見ながら、それに合った風に変えていかなければならない。
つまり人のプレイに反応するJamセッションと同じなんです」
「そりゃすごい。ほなセンスの悪い人に当たったら最悪ですね」
驚く俺にアシスタントが耳打ちする。
「この先生、こう見えてもこのジャンルでは日本で3本の指に入る名医なんですよ」
ひえー・・・
岡崎はんの大幸運期はこの人とめぐり合うっつうことやったんか・・・
今後のこともいろいろ聞いてみる。
「今まではいつ大破裂するかわからない状態だったんで、
集中治療室で外界からの刺激を一切なくして薬で眠らせたりしてましたが、
もう破裂することはまずないですから、
今度はどんどん刺激を与えてあげなければなりません」
「それって、ほな例えばJazzとか聞かせるのってええことなんですか」
「そうですね。でも実は僕の手術の時にはいつもJazzかけながらオペしてるんですよ」
ほな岡崎はんも4時間Jazz聞きながら手術受けてたんかぁ。
そりゃ本人幸せやなあ・・・
とか何とか言ってるうちに2ステージ目が始まった。
「ワーワー、ギャーギャー、イエイ!」
このふたりはまことにウルサイ。
でも俺もステージで演奏する側として、
こんな客が実は一番嬉しい客であることを知っている。
的確なところで的確に騒いでミュージシャンを盛り上げてくれる。
言わば客席にてミュージシャンとセッションしてるようなもんである。
「そうかぁ。このセッションで岡崎はんは助かったんかぁ・・・」
何だか気が抜けて酔いがまわった。
ステージでのご機嫌な演奏を聞きながら、
「ああ、俺も岡崎はんもこの世界に住んでる人間なんやなあ」
と実感する。
そして偶然にも岡崎はんの命を救ったこの医者も同じ世界で住んでいた。
それをその媒介にここのマスターがいた。
みんな同じ世界に生きているのである。
俺もいろんなトラブルを起こして今の環境で音楽をやっているが、
いつも感じてたのが、「住んでる世界が違う」と言うことだった。
そしていつもこんなJazzクラブやライブハウスに戻って来た。
そして今は何の因果かレコード会社までやっている。
何のためにレコード会社をやっているのか・・・
そりゃXYZのために作ったのではあるが、
でも大きく考えると、リリースしたい物をリリースするためにやっとるんではないか・・・
最初にこの五星旗の前身とも言える音楽を持って行った先はSONYレコード。
俺は契約上SONY以外からリリースすることは出来なかったのだ。
爆風スランプのメンバーのソロプロジェクトと言うことで、
偉い部長がじきじきにJazzクラブまで来てくれて、
そして会議室でミーティングまで開いてくれた。
そして最後に一言。
「これが50万枚売れるんですか?」
この人達とは生きている場所が違うんだ!
そう強く感じた。
「よし、岡崎はんのソロアルバム作るぞ!」
現状、彼が再びギターが弾けるようになるのはまだまだ先だろう。
まずは健常な生活に戻れることからである。
それからリハビリが始まる。
運が悪ければ合併症で死ぬ。
このまま意識障害で社会復帰出来ないかも知れない。
でも運が良ければまた元通りギターが弾ける。
5年後なのか、10年後なのか、
でもひょっとしたら半年後かも知れない。
生きてると言うことは素晴らしい。
またギターを弾ける可能性があると言うことである。
死んでしまえばそれは永遠にゼロである。
岡崎ぃ。生きててよかったなあ・・・
しかし生きてゆくには大変なことも多い。
努力もいるし、金もいる。
岡崎はんの過去のライブ録音の中から名演と呼ばれるのを集めて、
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」と題してソロアルバムを作ろう。
プレス代等リスクは全部俺が被ろう。命拾いした岡崎に対するご祝儀じゃ。
ガメツイので有名なマスターにも今度ばかりは無料でマスタリングしてもらおう。
問題は音源である。
本人の家、友人の家のテープ類を漁るが、
もしみなさんの中で、岡崎はんのライブの隠し録りのテープがあったら、
その中で「名演」と言えるものを是非無料で提供して欲しい。
ミュージシャンへの許諾は俺がとる。
もちろんギャランティーは泣いてもらおう。
「これが50万枚売れるんですか?」
いえいえ500枚がええとこでしょう。
でも500枚を越したら利益が出る。
そしたらヤツのリハビリの大きな役に立つやないかい。
これが俺の生きてるところである。
そんなことを考えてるうちに2ステージ目は終了した。
「いかした演奏をありがとう」
メンバーに挨拶に行く。
「先生もどうもありがとう御座いました」
先生にも丁重に礼を言うが、
「いやー、当然のことをやっただけですよ」
と謙遜する。
「でも先生の腕がよかったから彼の命があるんですよ」
「オペがうまくなるよりもトランペットうまくなりたいんですけどね・・・」
いやいや、オペの腕がよくって本当によかったっすよ。
Jazzキチの周りにこのJazzキチあり。
飲んだビールは2人で18缶。
支払いをしようとする先生を制止しながら
今日だけはガメツイので有名なマスターが支払う。
ミュージシャンへのチャージもマスターがちゃんと支払う。
人はとやかく言うけど、俺はこんなマスターが大好きである。
「まさか18本も飲むとは思わんかったなあ・・・」
「ええやん、それで岡崎はんが助かったんやから・・・」
現在岡崎はんは、手術後の経過も順調で、
麻痺しとるはずの手足もばたばた動かすし、
ロレツのまわらん口で
「こんなことやっとる場合とちゃうがな」
と口走ったとか口走らないとか・・・
死にかけて初めてやる気っつうもんを出したなあ、こいつ。
・・・と言うわけで友人のみなさん、ファンのみなさん。
今のところまだ家族以外は面会謝絶ですので見舞いには行けません。
集中治療室から出て病室に移ったらまた連絡しますが、
岡崎はんに関することへの問い合わせも真に勝手ながらかんべんして下さい。
以上の情報が全てです。
また今回のこのメルマガに対する返事は結構です。
次号からまたアホネタに戻ります。
五星旗は当分ギターに千葉”団長”孝を迎えて活動します。
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」への音源提供の方は、
住所と連絡先を書いて下記の住所まで送って下さい。
まずそちらの方で厳選してから送って頂くと助かります。
ただでさえ今から莫大な量のテイクを聞いていかねばならないので・・・
153-0064
目黒区下目黒3-24-14目黒コーポラス405
ファンキーコーポレーション
「岡崎えーど(関西弁風に上がり口調で読む)」音源提供係まで。
・・・と言うわけで今回は特別な「ひとり言」でした。
失礼!
ファンキー末吉
ps.この原稿を書いた後、岡崎は無事退院し、ちょっと後遺症は残っているものの元気にギター弾いてす。
タバコは自主的にやめたが、酒は相変わらず飲んでます。
医者曰く、別にほどほどにする分には何をやってもええそうな・・・
よかったよかった・・・
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2000年9月20日
疥癬(かいせん)完治して北京に向かう
疥癬ついに完治!
そして俺は北京へ・・・
(例によって飛行機の中)
通常疥癬の治療には3クールに分けて治療するそうだ。
1クール1週間である。
週の最初にガンマなんたらと言う疥癬虫を殺す薬を塗る。
次の日の朝はシャワーにてガンマなんたらを洗い流して、
全身にオイラックスとか言う、
こりゃ痒み止めなのか疥癬虫を殺す薬なのか、
聞くとこによるともともとは疥癬の治療薬として開発された薬を塗る。
そして夕方にはまたガンマなんたらを塗る。
後は週末までオイラックスだけを塗り、
次の週はまたガンマから同じ工程を繰り返す。
通常ここまでで疥癬虫はまず死滅するらしいが、
大事をとって2週目、3週目に突入するのだ。
聞くところによると、
疥癬虫と言うのはこれらの薬を塗るとほぼ確実に死滅してしまうが、
疥癬だと知らずに別の薬を塗ると、
たちどころに全身に広がってしまうと言う。
どうも俺の場合はそうだったようだ。
全身に広がってしまったので仕方が無いので全身に塗る。
ぼつぼつは出て無くても、
ひょっとして衣服に、また布団にタオルについていた虫、もしくは卵が、
なにかの拍子にまた肌に付着しているかも知れない。
それがまた孵化して卵を生み・・・
ああ考えただけで恐ろしい・・・
この恐れがあるから2,3クールの治療が必要なのだ。
そしてお風呂にはムトーハップと言うのを薬屋で買ってきて、
それをキャップに2杯ほど垂らすとあら不思議、
自宅の風呂が草津の温泉に・・・
早い話、硫黄の温泉は皮膚にええのね、
ダニも殺すと言うし・・・
温泉好きの俺は、
実は北京にまでこのムトーハップを持ちこんで来ている。
疥癬は治ってもムトーハップはやめられなくなってしまったのだ。
部屋やベッド等の消毒はスミスリンと言う粉製の殺虫剤を買ってくる。
田舎の肥溜めなどでウジを殺すために撒く農薬みたいなアレである。
マスクを水で濡らして、吸い込まないようにしながら、
自分の部屋のベッドにスミスリンを撒くっつうのもなんとも情けない。
夜寝る前はそれを掃除機で全部吸い込んで綺麗にしてから寝る。
嫁から枕や掛け布団は没収されている。
2次感染の防止のためであるが、
敷布団もない殺虫剤臭いマットの上で、
枕も布団もなくごろんと寝る姿の侘しさよ・・・
これでは酔っ払って公園のベンチで酔いつぶれている日々とさほど変わらん。
実は今度の北京行きで一番楽しみなのは、
ホテルで枕と掛け布団のあるベッドで眠れることなのである。
あー情けなし・・・
そして聞くところによると、
病院なんかでは体力のない老人から感染してゆくと言うので、
これはニューヨークのハードなスケジュールで老人並に体力が低下していたために、
俺だけが感染し、発病したとみられる。
要は体力の問題である。
だからと言うのもあって、
香港から帰国し、上海がドタキャンになったのをいいことに、
3日間ひたすら寝るだけの生活だった俺だが、
上海からの帰国予定日だった日からはスケジュールがてんこもりである。
だいたい海外の仕事が多い昨今、
日本にてラジオ3本とテレビ1本を抱える生活はどうにかしている。
朝10時からNHKに詰めて中国語会話の収録をする。
終了を待って原宿にラジオの収録。
しかしここでは平行して五星旗のTDが行われているので、
終了後すぐさまそちらに飛び込む。
次の日の朝までにはマスタリングに入れなければならないので、
結局朝までかかってぎりぎり全曲TDを終わらせる。
マスタリングスタジオに放り込んで、
取り込んでもらってる隙に病院にて最終検査。
まだ疥癬虫が生息しているようだったらさらに3クール目に突入する。
しかし病院での検査結果は「問題なし」。
晴れて完治の身となった。
バンザーイ!
喜んでばかりもいられない。
祝杯をあげるヒマもなく、マスタリングスタジオに引き返し、
レベルやサウンドなどの最終変更をする。
X.Y.Z.の場合、橘高文彦と言う優秀なディレクター役がいるので、
俺は別にへらへらと酒を飲んでればいいが、
五星旗の場合、俺がやらねば誰もやる人間がいないので、
シンバルの大音量にてハイ落ち難聴になってる老人耳を駆使してあーだこーだ言う。
俺、実は苦手なのよ、このテの仕事・・・
最後にNYでのライブ音源も収録しようとなって、
早めに取り込んでもらう予定だった音源をチェックすると、
あら、Kingのマスタリングルームってリバーブやマルチトラック編集設備がないのね。
じゃあどうする?
俺のパソコンにまず取り込んで編集して、
それをマスタリング・コンソールに放り込むしかない。
取り込む周辺機器からソフトまで全部揃っている自分が恐ろしい。
スキャナーからCD-R、ケーブル等まで全部持ち歩いている。
おまけにパスポートも持ち歩いとるんで、
俺は実はこのまま北京に旅立ってもいいのだ。
俺に家などいらんのよ、実は。
夕方からのラジオの収録にはとうてい間に合わないので一本電話を入れて、
ようやくたどり着いたスタジオで一言。
「俺って気がついたらもう36時間ぶっ続けで働いとるのね」
3日間、眠たくなくても寝てた生活をしてた俺はもうハイである。
収録が終わり、家に帰ってムトーハップの風呂に入り、
「じゃあ飛行機出発のぎりぎりまで寝るぞ」
と思ってたら、
数時間後にぱっちり目が覚める。
おいおい、眠たかったんちゃうんかい!
仕方がないので五星旗のライナーノーツとかを朝まで書く。
子供が起きて来るので、
完治した腕でとりあえず抱いてやる。
おいおい、俺、寝んでええんかい!
そしてまた機上の人である。
寝ればいいのにまたこんなアホな文章を書いている。
海外に行けば日本でいるよりもスケジュールがゆるやかになる俺であるが、
北京だけは別である。
会わねばならない人間は多いし、
嫁の親戚へのことづけ物が山ほど託されている。
もうここは外国ではなく、久しぶりの里帰りに近い。
しかし今回の北京行きは久々に自分主導のユニットではない。
Pont Boxなどでおなじみの佐山雅弘さんのユニットにドラマーとして参加する。
思えばもろJazzの仕事は久々である。
実に楽しい。
自分のプレイ以外に責任がないからである。
ドラマー以外のいろんな顔を持つ生活から、
純粋にドラマーだけに戻れる瞬間である。
しかし周りは純粋にそうはいかない。
ここ最近北京からMailや電話がひっきりなしに入っている。
「北京でライブやるって一体どこなんですか」
とか
「泊まりはどこなんですか」
とか俺を捕まえたい連中がてぐすね引いている。
成田から北京の安田に電話する。
「今から行くでぇ」
「知ってますよ。一体どうなってんですかぁ。
末吉さんのライブはどこでやるのかとか、
チケットはJazz屋で買えるのかとか、
全部問い合わせはJazz屋に来るんですよ」
情報が口コミしかないこの国で、
俺が北京に行くと大騒ぎになるのはここ、Jazz屋なのである。
「すまん、俺のユニットじゃないんで、実は俺なーーーーんにも知らんのよ。
泊まるところも知らんし、明日どこで何時にやるかも知りまっしぇーーん」
こんな無責任な旅も久しぶりである。
CDカフェと言う老舗のJazz Clubでやる予定だったのがドタキャンになったと聞く。
アジアの仕事はドタキャンばっかりかい!
代わりに中国大飯店とやらのJazzバーでやるらしい。
うーむ、ようわからん。
後は久しぶりに北京のJazz屋に行って飲むとしよう。
どうでもええけど、ここのJazzのCD、
全部うちから持って行ったもんなんですけど・・・
ぼちぼち返せと言いつづけてもう数年。
今回は全部パソコンに取り込んでから帰るとするか・・・
ファンキー末吉
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2000年9月13日
疥癬(かいせん)治癒後には何もする気になれまっしぇーん!
なまけものになっちまっただー・・・・
皮膚のぼつぼつはもう落ち着いて、
長袖を着てると、買い物に行っても、もう「おっ」と言われることはなくなった。
しかし疥癬虫はまだ身体に衣服に巣食っている可能性があるので、
香港から帰国後、我が家では隔離状態である。
寝てごろごろ、起きてごろごろ、
与えられたベッドと浴室だけが俺の場所である。
やることと言えばたまに自分の着た服を時々熱湯消毒するぐらいである。
子供に移るやもしれんので子育ては厳禁である。
家事一般も虫を撒き散らすことになるやもしれんので厳禁である。
ワシは言わば禁治産者なのじゃよ。
病気と言っても皮膚以外はいたって健康なので、
本来ならばパワーがありあまってしかるべきなのだが、
何故かなーんにもやる気がおこらん。
スケジュール的には上海でライブをやっとる予定だったがドタキャンのため、
昨日六本木のY2Kで本数合わせのゲリラライブをやった以外には
とりたててやることもない。
思えば香港では忙しかった。
物珍しさでそこそこ人が入ってた初日とはうらはらに、
2日目のガラガラの状況もなんのその、
3日目は立ち見が出、
最終日は押すな押すなである。
Jazzやってスタンディング・オベイションなど初めての出来事であった。
評判は評判を生み、
初日に見に来たオーストラリア人のギタリストがワシに仕事を依頼。
3日目には夕方にショッピングモールで3ステージこなしてから
Jazz Clubで2ステージやっとる。
最終日には朝11時からミーティングの後、
BEYONDのドラマー、Wingんとこの女の子のレコーディングをやってから、
五星旗2ndに収録するために香港No.1のJazzギタリスト、
ユージン・パオのソロを録音。
そのままJazz Clubにかけこんで最終ステージ。
しかしそこまででは終わらない。
BEYONDのギタリスト、PAULが、末吉が香港に来ているのを聞きつけて、
終演後は再びスタジオに戻り、彼のソロアルバムのレコーディング。
朝の5時ぐらいにハードロック叩いてるワシって一体何なんやろ・・・
五星旗のみなさんは5時20分のバスにて空港に向かうが、
ワシは間に合うわけないので直接空港に向かう。
空港で運良く合流できてこうして帰国していると言うわけである。
さて帰って来たら気が抜けた。
なーんにもやる気がおこらん・・・
何十本も溜まっているE-mailに返信する気力もなく、
「あ、X.Y.Z.の欧米でのライセンスが決まったとな・・・」
とか、
「タイプロジェクト再び始動か・・・」
などと重要なものだけに返信をして、
後は全部「一時保管フォルダ」にしまいこむ。
おそらくまたどっか海外に行く飛行機の中ででも返信を書くのだろう・・・
さて、ワシは数日ヒマだと言うことに出会ったことがない。
だいたいにして2日目ぐらいにいそいそと仕事をみつけ、
結局は忙しくしているのが常である。
ところが人はワシが伝染性の病気だと知っているのでなかなか仕事をくれん。
実は皮膚だけの病気で五体満足なんだと言っても、
「病気なんだから悪い」と思って誘ってくれん。
実は酒など飲んでも屁でもないのだが、飲みに誘ってくれん。
家でごろごろしてるとまるでやっかいもんなので、
今日は「ベッドの消毒」と称しておんもに出た。
「スミスリン」と言う殺虫剤を部屋じゅうに撒いて、
いつものパソコンバックを担いでおんもに出た。
ワシの目的はひとえに酒である。
夜隠れて飲んどると嫁にみつかってウルサイし、
ここぞとばかりに定食屋に飛び込む。
「と、とりあえず生ビール下さいな・・・」
久しぶりの生ビールに舌鼓。
「つ、つまみも何かもらってえーですかねえ・・・」
まるで犯罪でも犯してるかのような快感である。
嫁には事務所に仕事に行って来ると言ってあるので、
一応は事務所まで行かねばならない。
またその途中に「林試の森」と言う公園があるのだ。
ワシはそこのベンチで腰掛け、
最近購入したラジオも聞けるMP3プレイヤーで音楽でも聞く。
酔いはほどほどに回って、
そのベンチで横になって酔いつぶれるワシがいたりする・・・
これではその辺の浮浪者と変わらん・・・
夕方になってぽつぽつ降って来たので急いで事務所に来た。
途中の酒屋で数本買い出して・・・
見れば事務所の人々は一生懸命仕事をしている。
X.Y.Z.の2ndが秋には発売と言うことで、
橘高文彦を中心にデザインたら広告たら一生懸命やっとる。
千鳥足の赤ら顔のワシはもちろん用なしである。
居場所がない。
仕方がないのでパソコンを開いて何か仕事をしているフリをするのだが、
いかんせんやる気と仕事がない。
本来ならばX.Y.Z.レコードの金銭関係を扱うデータベースを構築しなければならんのだが、
いかんせんまーったくやる気がございません。
持ち込んだ酒を片手にこんなもんを書いてる次第で御座いますわ。
明日もきっと「ベッドの消毒」と称して、
ワシはまたビール片手に近所の公園で酔いつぶれていることだろう。
でも夜にはしゃきっとした顔で家に帰らねばならない。
酒など飲んでたこと、嫁にバレたら大変である。
あー、会社が潰れたのに嫁に言えずに
いつものように出勤したフリをするサラリーマンの気持ちが少しわかった。
これはこれでけっこう大変なのね・・・
あと数日したらまた忙しくなるんで、
とりあえずはダメ人間で数日暮らしますか・・・
ほな。
ファンキー末吉
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2000年9月 6日
疥癬(かいせん)にかかって体中ぶつぶつが・・・
香港行きもあわやキャンセルか?!・・・
NYで二の腕とわき腹にぶつぶつをもらって来た。
みんなは「悪いもん食ったんだろ」と言うが、
そんなそんな、朝からエイジアン・フードしか食ってません!
それに、内的要因で出るぶつぶつは、
お腹だろうが背中だろうがわきの下であろうが、
とにかく柔らかいところを中心に至る所に出て来る。
二の腕を中心と言うのはどうもちゃうんではないか・・・
10年程前、
爆風のテレビ収録スケジュールで、
昼の1本目が終わり、夜中までかかって2本目を撮ってた時、
お腹にぽつんと水泡が出来た。
「ありゃ?」
収録を続けるにつれそれがどんどん増えて来る。
「カメリハいきまーす。はい次本番でーす」
本番になるとカメリハにはなかった顔にもぽつんと出来る。
「おりょ?」
しかし身体はいたって元気。
心配するのはメイクさんぐらいで、みんなは
「末吉、また悪いもん食ったんじゃねーの?」
ぐらいで気にしない。
(みんな俺の食生活をどう思っとるんじゃい!)
「エイズとちゃうか?」
当時エイズと言う言葉が初めて囁かれだして、
何かにつれそんなことを結び付けたくなる。
ぼつぼつが身体じゅうに広がった。
するといきなり体力ががたっと落ち、
突然熱が出て立ってられなくなった。
楽屋でぶっ倒れてうなされながら考える。
「そう言えば雑誌で見たエイズの何たら肉腫っつうのはこんな感じやった。
俺はきっとエイズなんだ、もう死ぬんだ・・・」
人間しんどくなるとどうも悲劇のヒロインになりたがる。
ふーふーいいながら収録を終え、救急病院に運ばれる。
しかし日本の医療制度がこれだけ整っているといいながら、
大病院での患者の扱いはそれはそれはぞんざいである。
寒いロビーで熱にうなされながら待たされること1時間。
病気が病気やったらマジで死ぬでぇ。
やっと順番がまわってきて見てもらったら、
「水疱瘡(みずぼうそう)です。明日9時以降に来診して下さい」
でおしまい。
そして朝から今度は2時間待たされてやっと診察である。
ひどい・・・
その頃にはぶつぶつは全身に広がり、
お腹といい背中といい、
それが寝返りをうつとその水泡が破裂し、シャツがウミで黄色くなる。
あー思い出しても気持ち悪うぅ・・・
そう、内的な要因で出来たぼつぼつは、このようにところかまわずなのである。
でも今回はむしろシャツの外側、と場所をわきまえて出ている。
「虫さされとちゃうの?」
しかしぼつぼつに虫の食ったような後がない。
まあそんなに痒いわけではないのでそのまま帰国し、
「痒くて死んだ奴はおらん!」
とばかり仕事にいそしんでいたら、
今度はそのぶつぶつが腫れて大きくなりだした。
さすがに近所の皮膚科に飛び込んだが、
「これが日本で出来たぶつぶつなら
虫なら虫、かぶれならかぶれと原因を特定してそれに対する治療が出来ますけど、
外国でなったもので、状況もわからないものに対しては的確な対処が出来ません。
とりあえず痒み止めを出しときますから明日もう一度来て下さい」
けだしごもっともである。
痒さにさいなまれながら一生懸命考えるに、
みんなと違った食事をとったわけでもなく、
唯一違ってたのはふとんである。
エンジニアの松宮宅に泊まったのだが、
彼のベッドのマットレスを引き摺り下ろして、
その下のマットレスの上にシーツをかけて寝ていた。
そこに何か俺だけにかぶれる要因があったのではないか。
だって二の腕とわき腹とちょっとだけ太ももと言えば、
Tシャツとパンツの寝乱れ姿で布団に触れるところではないか・・・
ま、かぶれだったらどうせこれ以上広がることはないだろうからいいや、
そのうち腫れもひくでしょう。
と気楽に考えて日本での仕事にいそしむ。
ちょっと日本に帰って来たら、
テレビやラジオのレギュラー録りで大変なのである。
朝8時からFM香川の電話出演をこなし、
10時にはNHKに入り中国語会話の2本撮り。
この日は無理言って早く出させてもらい、
FM-COCOLOの2本録り。
その2本目ぐらいについに症状がピークを迎えた。
あれ、気が付いたらこれ、体じゅうに出来とるぞ。
増えて来とるわ腫れて来とるわ、
腕なんか藤壺みたいにごつごつと1.5倍の大きさに膨れ上がっている。
足や背中にもぼつぼつが出来、
しまいには顔や首筋にも出来だした。
まずい!半日後には機上の人なのに・・・
二の腕がこんなに腫れあがり、
こんなに熱を持ってるんだから、
これが全身に広がった日にゃあ、あの水疱瘡の比ではなくなる。
水泡であれほどふらふらだったんだから、
この象皮病のような腫れ上がり方だとステージは無理じゃろう。
10年前水疱瘡を押してツアーを敢行し、
ライバル・メドレーの中でのバク宙を失敗し、
顔面から墜落しておでこの水泡をつぶしたのを思い出した。
しかし今回の香港ライブは日本からツアーも出てるし、
何より無理してせっかくブッキングしてくれた香港のエージェントの顔をつぶすことになる。
中国人の顔をつぶすぐらいなら自分の顔の水泡潰した方がマシである。
「最悪、俺だけ当日入りにして明日は日本で病院に行く!」
だいたい日本人と言うのは昼間働いてて病院行く時間などはないはずなのに、
仕事終わった夜には病院が開いてないとはなにごとぞ・・・
チケットをキャンセルして次の日の便で行くしかない。
心配して収録スタジオまでかけつけた事務所の社長、綾和也が、
あまりにひどい俺の状況を見て、はたまた俺を救急病院に担ぎ込んだ。
「救急なんてアテにならんで。明日来診して下さいで終わりや」
10年前の苦い思い出を思い出す。
「末吉ぃ、次の日の香港行きはファーストクラスまで全部売り切れや。
ライブをやるためには予定通り明日の朝一番に乗るしかない」
選択肢はふたつ。
ここで救急病院で見てもらって応急処置をしてもらい、
後は香港で病院を探すか、
見てもらわずに香港で病院を探すかである。
四川省の山奥で気管支晴らしてぶっ倒れ、
四川訛りのきつい医者の治療を受けたのを思い出した。
「とりあえず日本語通じるところで一度見てもらおう」
当然のなりゆきである。
待たされること30分。
靴を脱いでみると足も見事に腫れ上がっている。
今やまるでFLYの映画でハエ男に変身しつつある主人公のようである。
当直は女医さん。しかもかなり若い。
「あら、末吉さんって爆風スランプの方ですか?」
「そうですが・・・」
「私コンサートよく行ってました」
そうか・・・あの頃ファンだった女の子がこうして女医さんになっているのか・・・
バンドは長くやるもんである。
元ファンの前でパンツいっちょになり、
ぼつぼつの位置を確認する姿もたいがいのものがあるが、
しかしおかげで女医さんはかなり熱心に治療をしてくれて、
皮膚をいくつも採取しては顕微鏡で検査してくれた。
「深夜だし私ひとりしか決断を下せない状況で断定は出来ませんが、
これは虫が原因である可能性が高いと考えられます。
顕微鏡でも断定は出来ませんが虫と卵の姿と思われるものが見えてます」
その虫を疥癬(かいせん)と言う。
NYはブルックリン、古い友人宅のベッドの、
上のマットと下のベッドの下に巣食ってたのは疥癬虫。
ブルックリン訛りの英語を喋る。
(喋らん喋らん・・・)
腫れ上がった二の腕を長袖で隠し、
なんとか香港に入国した。
迎えに来たエージェントにびっくりされながらホテルにチェック・イン。
身体じゅうに薬を塗りたくって部屋で寝ている。
明日(もう日付的には今日だが)のライブ、大丈夫かなあ・・・
ファンキー末吉
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2000年8月26日
子供がいきなり中国語になってワシは一日主夫生活
子供が中国人になって帰って来た・・・
アメリカから帰って来てから、
嫁は北京の実家に預けている子供たちを迎えに行っていた。
現在嫁は日本の国籍を申請中で、
これって審査官には非常に印象の悪いことらしい。
「あんた日本人になりたいって申請しながら、日本にいないじゃないの。
日本人になって日本に住みたいってのはウソなのね」
と言うことらしい。
つまり、俺のように世界を飛び回る日本人など、
この日本国には必要ないと言うことじゃ。
実際、審査期間中に70日以上海外に出ると、
この人は日本に住むと言う意思が無いとみなされるらしい。
その他軽犯罪と言えど審査期間中に起こすと、絶対に受理されない。
これはまあ、「日本国民たるもの犯罪を犯すような輩はいらん!」と言うことである。
先日、レコーディングの帰りに、明治通りの新宿あたりの渋滞で、
ラリった若者達の車にからまれた。
いきなり運転席のドアを開けて来て、
「何見てんだよ、コノヤロー」
と来る。
運転していた竹越の話によると全員酒臭かったと言うが、
酒だけであれだけ大暴れしないだろう。
何かクスリも併用してたに違いない。
何を聞いても答えない俺たちに、
奴らは俺たちの車のKeyを抜いて捨ててしまおうとしたが、
俺はすかさずギアをローに入れ直し、抜けないようにしてにらみ付けた。
若造が3人、こちらにガンを飛ばしていたが、
俺の人相がやはりどことなくただもんじゃないと感じたのか、
「見てねえんだな。見てねえんだったら許してやらぁ」
と退散した。
警察に電話しちゃれと携帯電話を握り締めていたのが
スタンガンかなんかに見えたのかも知れない。
どっちにしろこんな輩こそは日本国には必要なかろう・・・
ちゃっかり110番に通報しといたが・・・
俺は右翼の宣伝カーを見ても、
「うるさいんですけど法には触れないんですか」
と車の番号を通報するイヤな男である。
そんな話はどうでもよい。
成田に嫁を迎えに行った。
ゲートから出てきたのはまぎれもなく中国人になった子供がふたりであった。
3ヶ月も向こうにいれば日本語は全て忘れ、
北京のジジババに着せられた服もどことなく中国的と言えば中国的だが、
いきなり全ての言語が中国語となり、
それにつれ、表情までどことなく中国的になる。
下の子供は2歳なのでまだ片言だが、
それでも中国語である。
理解不能な言葉が多いが、
それを上の子供4歳が通訳する。
この子には完璧に理解出来るらしい・・・
かくして新しい家庭(俺にとってはそんな感覚)が始まった。
X.Y.Z.の韓国公演がキャンセルになり、
その前にくっつけていた、タイプロジェクトの記者会見が延期になり、
ぽっこり空いたスケジュールを見て嫁が、
「じゃああんた子供たち見といて!私遊びに行くわ」
と突然の主夫生活を余儀なくされる。
えりちゃん、さとくん、と呼んでいた昔は今、
京京(ジンジン)、天天(ティエンティエン)である。
一生懸命下の子を呼んでたら上の子が返事をしてたりなど日常茶飯事である。
「何が食べたい?」から「公園に行く?」まで全部中国語なのも不思議な感覚である。
かと言って「そんなことしてるとママに叱られるよ」の「叱る(罵)」と言う言葉は通じない。
子供用に「怒る(生気)」と言ってあげなければならないようだ。
かと思ったら夏風邪をひいて「不通気!不通気!」と意思表示するのがよく理解出来ない。
「どう言う意味なの?」と聞いてやっと「ああ鼻が詰まってるのか・・・」と理解する。
この上、下の子のもっと特殊な赤ちゃん言葉が来るので大変である。
何か喋っていると必ず上の子を呼んで通訳してもらう。
この通訳も中日辞典ではなく中中辞典なので大変である。
ついでに「発音違うよ」と正しい発音を教える。
俺の発音が正しくなければ一生それで覚えてしまうので緊張する。
そのくせ金曜日の7時になると
「ドラエモン、ドラエモン」とこれは日本語である。
3ヶ月北京に行ってても金曜7時にドラエモンがあることは忘れてないのである。
テレビと言うのはなんと偉大であることか・・・
日本語ならまかせとけ!
ちょっと関西訛りで正しくはないが胸を張って教えることが出来る。
一日子供たちと暮らすと、
最初慣れてなかった子供たちも、
「ああこの人はママと違って何やっても怒らないないんだ」
とわかるらしく、どんどんわがままになってくる。
「わがまま言うんじゃない!」の「わがまま(任性)」
と言う言葉から教えなければならないので大変である。
せっかく飯を作ってやってもポテトチップスばっか食って飯を食わない。
「どれどれ、こんなおいしいのにねえ・・・」
こうやって主婦は太ってゆくのね・・・
じゃあおやつは近所のおいしいケーキ屋さんに行きましょう。
そこで暴れまわって言うことをきかないふたりを中国語で叱り飛ばす。
近所の人は俺をどう見ているのだろう・・・
結局一口しか食べないケーキを俺が全部たいらげる・・・
明日はX.Y.Z.の2ndのジャケット撮影なのに・・・
夜は夜で子供を寝かしつけたらチューハイで一杯やる。
つまみは晩飯の残り物である。
また洗い物が増えるのもイヤだし、残すのももったいないから全部食べる。
こうしてキッチン・ドランカーとキッチン・デブが増えてゆくのだろう・・・
世の主婦達に合掌・・・
ファンキー末吉
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1999年10月15日
銀座のど真ん中で街頭募金
XYZレコーズとやらを立ち上げて、
金策から契約、出版管理から販促、販推まで一手にさばいているうちに、
「ファンクラブを立ち上げよう」
と言うことになった。
入会案内から名簿作成、入金確認までやってたら当然のごとく・・・
パンクした・・
今や私のパソコンは未処理のMailが山積みである。
プレス工場の見積もり、入金確認の済んでないファン名簿の山、
有料広告のデザイン〆切から受注促進の原稿・・・
いつまでたっても書き上がらない週刊ASCIIの原稿、
いつまでも返事が出せないメル友からのE-mail・・・
そんな山積みの仕事を横目で見ながら、
人はどうしてまたメルマガを書いてしまうのでしょう・・・
うーむ・・・
好きなんやろな、やっぱり・・・
我ながらアホである。
さて今日のお題。
銀座のド真ん中で街頭募金
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昨日は新宿厚生年金で台湾チャリティーコンサートをやった。
五星旗(Five Star Flag)で出演したのだが、
どうしてXYZで出演しなかったかと言うと、
新宿厚生年金会館はいつの間にやら「ロック禁止」になっとったのね・・・
そう言えばはるか昔、
爆風スランプがコンサートをやった時、
MCで館長をネタにしたのが逆鱗にふれ、
終了後に中野とふたりであやまりに行ったことがあったが、
それも厚年ロック禁止の原因の一端ではあるまいか・・・
ともあれ、一応音量はロック並だが肩書きはJazzである五星旗で出演したのだが、
内部事情にどうも納得出来ない部分があり、
日本にいる中国人の知り合いのうち一番の大物(って言い方は失礼だが)の
ジュディー・オングさんにいろいろと相談の電話をしていた時の話である。
「そう言えばジュディーさんも
何やら台湾チャリティーみたいのやるって言う噂じゃないですか」
「やるわよ、明日。銀座のソニービルの前で。
お昼の12時からなんだけど、来る?」
「はあ、まあジュディーさんがやると言うなら僕が行かないわけには・・・」
「あら、よかったわ。そしたら11時半に7Fの会議室に集合だからいらっしゃい」
「はーい」
自分の業務もろくにこなせてないと言うのに人のために募金をしてる場合か!
しかし俺は先日のトルコ大地震の時には何も動かなかった。
・・・と言うより基本的にテレビをあまり見ない俺は、
トルコで大地震があったことすら知らなかった。
友達もいないし、はるか遠くのことだと思ってた。
でも台湾には友達もいるし、縁もありまくりである。
一般的日本人にとってはこの台湾大地震ってのは
あのトルコ大地震の時の俺と同じような感覚なのではあるまいか。
まあせっかく縁があるんだから、
ひとりでも多くに縁をばら撒くこともこの俺の出来ることのひとつではあるまいか。
実のところ昼の12時には人と会う約束をしてたのだが、
その時間を早めてもらい、打ち合わせを早く切り上げ、
約束通り11時半にはソニービルに着いた。
「あのう・・・ジュディーさんは・・・」
「はい、ジュディーさんはまだお越しになってないんですけど、
どうぞ中に入ってお待ち下さい」
中に通されてみてびっくり!
どっかで見たような人ばかりの顔ぶれが一斉にこっちを向く・・・
「あのう・・・ファンキー末吉と申しますが・・・」
「は?」
「はあ、爆風スランプのファンキー末吉と申すものですが・・・」
「ああ、爆風スランプの方・・・」
一番よく見る顔の人がにこにこと笑いながら俺を呼び寄せる。
こう言う場ではやはり爆風スランプのネームは役に立つ。
「爆風スランプの誰さんでしたっけ?」
「ファンキー末吉です」
ファンキー末吉と紙に書いてゆく。
その紙の一番上にはこう書かれていた。
「台湾中部大地震 緊急救援街頭募金 主催:歌で結ぶ絆の会」
そしてゲストの欄にはこんな名前が・・・
橋幸夫、にしきのあきら、黛ジュン、今陽子、山本リンダ、ジュディー・オング・・・・・
そして一番下にはその頭である橋幸夫さんの手によってかかれた俺の名前・・・
そして次々と現れる「よく見る顔」の人々・・・
「ここはどこじゃい!テレビ局かい!」
ってな感じである。
習性のように一番隅っこに退避し、
ズボンをはき忘れて会社の入社式に参列した時のような気持ちで
(わかるかな・・・こんな感覚・・・)
しばし呆然とたたずんでいるとジュディーさんが西田ひかるちゃんと共に現れた。
よく見る顔の人々としばしの歓談を交わした後、
俺の存在に気づいてやっと声をかけてくれた。
「あーら、ファンキーさんいらっしゃい。
みなさんに紹介するわ」
「は、はあ。もう自分で自己紹介はしましたが・・・」
「あらそう、それはよかったわ。
みなさん、こちらは爆風スランプのファンキーさん。
昨日突然参加して下さることになったんですのよ」
俺はもうジュディーさんのとなりにいるしか居場所はない。
「ジュディーさん、街角で募金するって言うから、
僕はてっきりゲリラでやるんだと思ってこんな格好で・・・」
「あらみなさんだって普段着だわよ。気にすることないのよ。
ファンキーさんはいつものファンキーさんでいいの」
そのいつもの格好がスター達とは根本的に違うんやけどなあ・・・
マネージャ軍団と絆の会のスタッフが早々と俺用のプラカードを作ってくれる。
「すみませんが手書きになっちゃうけどこれでいいですか」
「ファンキー末吉(バクスラ)」とかかれたそのプラカード、
それはいいんだけど一体どう使われるの・・・
「本人達がそれ持つわけにはいかないから、
各マネージャーさん達、後ろでそれぞれ持ったげてね」
「スターにしきの」がそうおっしゃるが、
俺にいたってはたったひとりでふらっと来てるので
マネージャーなどいるはずもない。
こりゃ俺だけ自分でプラカードを持つハメになるんじゃあるまいか・・・
「ちょっとトイレに・・・」
ほんとは逃げて帰りたかったが、それではジュディーさんの顔をつぶしてしまう。
トイレで事務所に電話する。
「誰か動ける奴おらんか。
すぐに一人よこしてくれ! 今すぐ誰か来させてくれー!」
叫びが悲痛である。
部屋に戻ると、発起人の橋幸夫さんが趣旨説明をしていた。
テーブルの上には昼食のカレーが並ぶ。
「あ、みなさん。
今回はチャリティーと言うことで、すみませんがこれは自腹でお願いします。
1000円です」
う・・・
俺の財布には536円しか入ってない・・・
まさかこの場で「お金がありません」と言う勇気はないし、
ほんと、消えてなくなりたい気分である。
「お腹がいっぱいで・・・」
と言って後からいらっしゃった清水アキラさんに何とか食べてもらう。
前の打ち合わせで軽く食べたのでよかったが、
実のところ腹が減ってたりしたらあまりに情けなさ過ぎる・・・
「時間です」
とスタッフに言われ、1Fに降りて行くと、
そこにはすでに取材陣の山、人だかりである。
みんなそれぞれマイクを持ってテレビカメラの前で道行く人に募金を募る。
「みなさーん! 山本リンダですぅ。
台湾の大地震の被災者のために募金をお願いしまーすぅ。
こちらには橋幸夫さんもいますよ。
にしきのあきらさんもジュディー・オングさんもいますよ。
そして、黛ジュンさん、今陽子さん、清水アキラさん、西田ひかるちゃん、
そして・・・えーっと・・・」
俺の番になると誰が喋ってても必ず名前が出て来ない。
そりゃそうだ、初対面もいいとこなのだ。
そして誰がどう見ても一番無名である。
取材陣のカメラなど一台もこっち向いてない。
「みなさん! 絆の会の橋幸夫です。
今日は歌手仲間が集まってみなさまに募金のお願いに来ました」
そして俺だけ歌手ではない。
誰がどう見ても場違いである。
となりの西田ひかるちゃんに隠れるように募金箱を持って凍っていると、
並んでいた人達が我々のいる所に順番に入って来て募金を入れてゆく。
しかし!
考えて見たまえ!
世の一般の人が同じ金を入れるとしたら、
「スターにしきの」と「いちドラマー」の募金箱、どっちに入れる?
「西田ひかる」と「40のオッサン」の募金箱、どっちに入れる?
当然ながら俺以外の人のところに募金は殺到し、
我さきに握手を求めて去ってゆく。
中には小銭を少しづつみんなの募金箱に入れてゆく人もいて、
やっと俺の箱にも小銭が入ると、冗談でなくとても嬉しかったりした。
そんな中、俺の箱にもついにお札が!・・・
あるおばはんがなんと、全員の募金箱に1000円ずつ入れていったのだ。
凄い!
おばはんは凄い!
そしてそれをさせるスター達は凄い!
よく見てると、なんとそのおばはんはさっきからもう何周もしているではないか!
最後には札ではなく小銭になったが、
それでももうかなり多額の募金をしたことだろう・・・
凄いもんじゃ・・・
結局俺のところは小銭しか集まらなかったが、
全体的にはかなりたくさんの募金が集まった。
そしてしまいには結構楽しんでしまったりした俺がいた。
絆の会のみなさんはそれはそれはフレンドリーで、
この場違いな田舎モンを優しく、ほんとに暖かく迎えてくれた。
何にもお役にたてなくてごめんなさい。
今度音楽でお役に立てることがあったらまた呼んで下さい。
募金してくれた人たち、ほんとにありがとう。
気を使ってくれたスタッフのみなさん、ほんとにありがとう。
そして最後に・・・
カレー代1000円払ってくれた人、どうもありがとう。
(結局払うに払えんかった自分が情けない)
この模様、明日のワイドショーに流れるんだろうか・・・
いっそのこと全然写ってなかったらまだいいが、
ちょっとだけ写ってたらやっぱり恥ずかしい。
ドラマーはやっぱスティック持ってなんぼやなあ・・・
ファンキー末吉
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1999年9月27日
まったく中国っつう国は・・・!その2
今日は朝9時半から夜中の1時半まで、
ラジオの収録が目白押し・・・
俺はいったい何をする人なんやろか・・・
さて今日のお題。
まったく中国っつう国は・・・!その2。
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思えば30代は中国で明け暮れた。
90年に針治療に行く友人のお供で何の気なしに訪れた北京。
天安門事件の翌年でもあり、
締め付けの厳しい当時の北京で、
地下クラブでロックを演奏する若者達と出会った。
「これぞ本物のロックだ!」
魂を揺さぶられた俺は、
「俺も中国人になる!」
と、そのバンドの追っかけを妻にして今に至る。
そのバンド、黒豹はその後、
開放経済政策を歩む中国政府と、
ある時は「精神汚染音楽」として対立し、
またある時は「共に金を儲けよう」と手を結び、
揺り返しや波の振幅が落ち着いた昨今となっては、
はてさて俺の魂を焦がしたあの「本物のロック」
とやらはどこへ行ってしまったのだろう。
黒豹は商業ロックの波に乗り、
最高動員数40万人(のスタジアムを2Days?)を誇る、
名実共に中国ナンバー1のロックバンドとなり、
若者は「黒豹に続け」とばかり、
今や北京はバンドブームに沸く。
その火付け役の末端はひょっとして俺か?
李慧珍と言う田舎から出て来た小娘と一緒に、
自分の魂を焦がした中国ロックを再生した。
新人賞を総ナメにし、
中国のグラミー賞作曲賞とやらを俺にも頂いた。
でもそれってロックか?
曲を書けるわけでもなく、
ギターが弾けるわけでもなく、
かと言って自分でバンドが組めるわけでもない、
ただただ声が、
この天性の声がひたすらロックだったこの小娘ははたして
「ロックシンガー」なんだろうか?
うーむ・・・
俺こそが、この愛してやまない中国ロックにトドメを刺した人間
なんではあるまいか・・・
安田と言う近所の若い衆に
「お前、明日から北京に行け、
何でもいいから地盤を作るまで帰って来んな!」
と金を持たせて放り出したら、
Jazz-yaと言うBarを立ち上げて、
北京ナンバー1のバーに選ばれた。
非常に儲かってるらしい。
はよう分け前くれんかい!
俺とて今や北京で一番高いミュージシャン。
仲間にも仕事にも困らない。
こんな世界一物価の高い島国に住んで、
人民元稼ぎに飛行機に乗るんじゃあまりに割りが合わない。
早くそれを逆にするべきじゃ。
北京に移住しようと何度も夢見た。
仕事の全部をインターネットで出来るようにし、
今や電源と電話線さえあれば全世界どこででも生きていける。
よし、もう今年には引越しじゃ!
と思ったら急につまらなくなった。
口説いて口説いて、やっとヤレるかとなると急に冷めるようなもんか。
嫁は嫁で、
「ニュージーランドに移民して、
牧場を経営しながら子供を育てる」
といきまいている。
どうもインターネットとやらで
ニュージーランドの美しいページを見せたアホがおったようだ。
おまけにニュージーランドは中国人の移民を歓迎する国らしい。
世界じゅうに華僑ネットワークがあるかの国の方々である。
親戚のひとりがすでにこの地で住んでいることを調べ上げた。
もう親戚がいるとなれば「自分の国」である。
はてさてどうなることやら・・・
親戚と言えば、
香港の有名な歌手の夫婦、
ジョージ・ラムとサリー・イップは俺の親戚になるらしい。
嫁の母方の親戚の娘が、
ジョージ・ラムの親戚に嫁いだらしい。
「香港で仕事をする時は訪ねて行きなさい」
嫁の母は俺にそう言うが、
会ったこともない日本人ドラマーが
「親戚です」
とばかり会いに行って、
「はいそうですか」
とばかり会ってくれるもんか。
さらには一緒に仕事などしてくれるもんか。
などと嫁やその友人達に言うと、
「会ってくれるに決まってるじゃない。親戚でしょ」
「はぁ?」
「仕事するに決まってるじゃない。向こうにとってもメリットなんだから」
「はぁ?」
どうも人間の根本がこの人たちとは違っているのだろう。
俺達島国の人間は・・・
さて、上海で行われる予定だった建国50周年Jazzイベントが
よくわからない下手な日本語のFax1枚にて
突然延期された話は前回お送りしたが、
実は同じ日程で平行して凄いイベントがブッキングされようとしていた。
発端は香港の俺のエージェント、MUSIC WEEK。
そこのQueenyと言うやり手の中国人女性が、
いきなり凄い話を持ちかけて来ていた。
「ファンキー、10月2日から7日まで空いてるか」
空いてるかと言われてももうXYZのライブが入ってるがな。
それに上海もあるし・・・
「上海なんてどうでもいい。
こっちの方がメリットがあるから、
すぐにキャンセルしてせめてWeiWeiだけでもこっちによこせ」
WeiWeiとは五星旗(Five Star Flag)の二胡奏者である。
なんかギリシャのパルテノン神殿と、
エジプトのピラミッド近くに巨大なステージを組んで、この2箇所で
2000年に向けた中国人の手による最大の音楽イベントが開かれると言う。
マンガみたいな話である。
こんな巨大なイベントが
10日前にまだ出演者も決まってないと言うんだからウソみたいだが、
中国ではコンサートが一週間前に決まったりすることもあるので
ホントみたいな話でもある。
俺はスケジュールの都合で出演出来んが、
WeiWeiひとりでいいなら是非出演させたいもんだ。
まず事務所に打診する。
「末吉なぁ、いくらなんでももう決定が出てる上海に、
こちらの都合で10日前に出演キャンセルするっつうのは出来んでぇ」
「中国相手やろ、かめへんかめへん」
「お前なあ、そんな仕事のやり方はいくら何でも俺は出来ん」
等等、綾社長とすったもんだがあったが、
結果としては、その綾社長が義理立てした中国に裏切られ、
スケジュールにはぽっかりと大穴が空くこととなった。
「Queenyさん、そのイベント、今からでもブッキング出来ますか・・・」
日本人とは本当に真面目な国民である。
すでにこの国際的イベントに早々と乗り換えていた中国人歌手が何人いたことやら。
いや、ほんまはみんな乗り換えたから上海が延期されたんちゃうか・・・
まったく中国って国は・・・
さて、そんな中、
延期となっていた建国50周年Jazzイベントin上海であるが、
いきなり一通のFaxにより、
「規模を縮小して10月29日、30日に決定となりました」
と通告された。
一方的に日にちを変更され、
一方的に日にちを指定されて他の出演者達はみんな来れるんだろうか。
中国人歌手だと近くに代わりがそれこそいーっぱいいるからいいだろうが、
外国人アーティストはなかなかそうはいかんでぇ。
「ファンキーさんスケジュールでダメだったんで
代わりに西城秀樹さんブッキングしてくれませんかねえ・・・」
なんて言われるのがオチである。
そう言えば昔、そうやって頼まれて
西城秀樹さんの事務所にイベントの要請書を転送したことがあった。
その他、頼まれていろんな事務所に同じことをやってたら、
最後には井上陽水さんのマネージャーから、
「こんなことしてたらあんたの信用落すよ」
と言われて金輪際やめた。
まったくもって中国って国は・・・
「どなんすんねん、行くの?」
綾社長に聞いてみる。
「もうどっちでもええわ」
綾社長ももう懲りたようである。
スケジュールを見ると、
五星旗(Five Star Flag)のメンバーはもうそれぞれ仕事が入っている。
XYZを見ると・・・
なんとぽっかり空いている・・・
行くか、やめるか・・・
みの吉和尚にでも決めてもらうか。
ファンキー末吉
ps.
台湾の震災へのチャリティーコンサートが、
ジュディー・オングさん、
西城秀樹さん、達の手によって開かれます。
10月14日新宿厚生年金会館だそうです。
ファンキー末吉も呼ばれてます。
詳細はまた追ってお知らせ致します。
また義援金を下記それぞれの方法にて募集しております。
日本赤十字社=郵便振替00110・2・5606
通信欄に「台湾地震」と記入
中華民国留日神戸華僑総会=神栄信用金庫本店
普通口座0094620「台湾大震災義援金」
台湾駐日経済文化代表団=第一勧銀白金支店
普通口座1424337「台湾大地震救済義援金」
在日台湾同郷会=郵便振替00100・3・137580
通信欄に「台湾地震救援」と記入
千葉銀行各支店の窓口にて
「bayfm・台湾大地震義援金係」と言う
郵便振替 00970−7−39728
宛先:阪神大震災地元NGO救援連絡会議
通信欄:「台湾地震支援 NGO災害救援金」と記入
そんな中国人を救援したいファンキー末吉でした。
Posted by ファンキー末吉 at:12:40 | 固定リンク
1999年9月24日
上海のイベントドタキャン!理由は雨が降るから?・・・
読者数をチェックしてみたら、もう1300を超えていた。
しかも日に日に増えつづけている・・・
こんなんでええんやろか・・・
さて今日のお題。
まったく中国っつう国は・・・!
うちの嫁の国、中国は今年建国50周年である。
マカオも今年返還されることやし、
各地でイベント等が目白押し。
そんな中、上海で建国50周年Jazzイベントが開かれると言う。
もちろん政府主催である。
上海で日本居酒屋を開いて大成功している和僑の大先輩、
勝山さんから電話が入ったのはもう7月も半ばを過ぎた頃だった。
「日本にファンキーっつうすんごいドラマーがおるけん、
その人呼んだらもう盛り上がること間違いなか!」
と主催者に掛け合ったとか掛け合わなかったとか・・・
(ちなみに彼は長崎出身)
政府主催のイベントのアテンドを居酒屋のオヤジがやるのも、
これ、中国。
北京では知らない人はいないファンキーの名も、
上海まではさすがにそのネームバリューも及ばないのか、
「ほな資料を見せとくなはれ」
と言ったとか言わなかったとか。(どっちやねん!)
ともかくファンキー末吉関連のビデオは上海のお偉いさんの手に送られた。
「これは凄い!」
と気に入られたユニットが五星旗(Five Star Flag)とXYZ。
五星旗はJazzバンド(少なくとも俺はそう思っている)やからええけど、
なんでドドドハードロックのXYZがJazzフェスティバルやねん!
「Jazzフェスって言うことで許可とって、
その実はポップスフェスティバルみたいですよ」
勝山さんはそう説明する。
まあ中国のこのテには俺は慣れっこである。
問題は「基本的にノーギャラ」だと言うことだが、
これにもすでに慣れっこである。
時は1992年、
爆風スランプの北京公演を実現させた時の話。
ラジオ北京の開局45周年イベントにゲストとして呼ばれた。
同じく「基本的にノーギャラ」である。
だが交通費と宿泊費は主催者持ちと言う。
しかしそれが土壇場になって話が違って来た。
「あなたたちにお払いする経費がない。
あなたたち、自分でスポンサーを見つけて来て、
その広告料を経費に当てるのがよい」
そんなこと言われてもなあ・・・
「ホイットニー・ヒューストンも、
フリオ・イグレッシアスもみんな、
そうやって自分で経費を作る。
どうしてあなたたちにだけ経費払えるか」
そんなこと言われてもなあ・・・
経費払う言うから初めてこの話があるんやろ。
ぶち切れた俺は、
覚えたての中国語の「反語表現」を使ってこう言った。
「金がなくってどうして中国まで来れようぞ!」
よく時代劇で大げさに身振りをつけて見栄を張る、あれである。
勝った!
と思った瞬間、主催者は俺の身振り手振りをそっくりまねてこう言った。
「金がなくってどうしてあなたたちに払えようぞ!」
負けた・・・
(詳しい話は著作、大陸ロック漂流記に記してあります)
(参照)http://www.micras.ne.jp/funky/Chosaku/Chosaku.html
「来れない、じゃあやれない。じゃあ仕方がない」
仕方がない言うてももうスケジュールはFixしとるしなあ・・・
まあもちろん
ホイットニーヒューストンもフリオイグレッシアスも来るわきゃないのだが、
結局その時は、
所属事務所のアミューズが泣いて経費の一切を出して解決したが、
今回はそうはいかない。
「綾さん(ファンキーコーポレーション社長)、まさか上海って、
チケット代とりあえず日本側が立て替えて、上海で清算とか言うて来てないやろな」
「言うてるで」
「絶対それやったらアカンでぇ。着いたら"金ない、払えん"で終わるでぇ」
「ひえー・・・」
中国とビジネスするのは大変である。
さてメンバーの方はと言えば、
五星旗(Five Star Flag)は北京レコーディングとかいろいろで中国は慣れているが、
XYZの二井原実と橘高文彦は、この暗黒大陸は初めてである。
「ファンキーぃー、ハードロックなんかやったら捕まったりせえへんやろうなあ」
二井原からナキが入る。
「まあ爆風がやった時は、煽り過ぎて電源落されて、
公安がなだれ込んで来て、スタッフは殴られ蹴られで拉致され、
それでもステージをやめなかった俺らは別室に監禁され・・・」
(参照:大陸ロック漂流記)
苦い思い出をひとしきり語ると二井原がマジでびびった。
「ほんまかいな、ファンキーぃー・・・」
ウソを言ったって仕方がないが、
当時に比べロックが市民権を得てる昨今の上に、
今回は政治の中心、北京ではなく、
商業の中心、上海である。
「まあ、殺されることはないから安心せぇ。
まあ銃向けられたとしても標的はボーカルだけやろうしな」
俺は都合のいい時だけバックバンドになる。
さて、いろんなことを言いながら、
本番まであと10日あまりとなった先日、
上海側から一枚のFaxが届いた。
綾社長は怒り狂ったが、
俺はひさびさにあまりにおもろかったので、
全文をここに記したいと思う。
(ちなみに全文日本語である)
To:西部智子様(注釈:ファンキーコーポレーション社員)
こんにちは、芸術祭の事をご苦労様でした。
今、不幸のNewsをおしらせします。
今年台風が強いし、雨もばかり。
十月の気候を最近預測をしました。
雨がおそいです。
その太めに(注釈:"ために"の間違いだと思う)
体育館の演奏会を変化しますと組織委員会を決定しました。
上海市万体館へうつします。
私はこの決定について、難かしいです。
まず、切符も買いました。
POSTもたくさん印刷をした。
机票(注釈:中国語で航空チケットの意味)も手に入れました・・・
十分の準備は全部おわりました。
市の決定です。
もし雨を降りましたら、楽器を壊れます。
お客もこない・・・
いろんな理由で演奏会はむ理也理(注釈:むりやりと言う意味だと思う)
延期をしました。
今まで私達は期日変化の準確日程(注釈:?)をまっています。
返じをおそくになって、ほんとにもしわけありません。
皆様に伝える時は、皆におごろでしょうか。(注釈:?)
宜しくお願い致します。
政府の代表としてあやまります。
勝山様に伝え下さい。
くわしくは勝山様と相談をします。
まあ政府の代表がわざわざ日本語でFaxくれたんだから許すことにしよう。
This is China!
ちなみにアメリカから出演する予定だったグループは訴訟を起こすらしい。
まだまだ青いね。
ファンキー末吉。
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みの吉和尚のひとり言
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みの吉和尚とは・・・・
日本人、いやアジア人が初めてアメリカで大成功を収めたハードロックバンド
「ラウドネス」
のボーカルとして、
当時は
「アメリカのハイスクールで今一番流行っていることは何?」
と言う質問に
「ラウドネスの変な英語をマネて歌うこと」
とまで言わしめた、
二井原実のペンネーム。
「アメリカ人は日本製の車に乗り、
日本製のカーステレオで、
日本のハードロックバンドの音楽を聞く」
と大パッシングを受けたその張本人は実はただのアホやった。
「お前英語で喋っててもこんなにアホなんか」
と言う質問に
「自慢やないけどなあ、
バンヘイレンも、モトリークルーも、AC/DCも、
みーんな俺のことアホやと思てるで」
と答えた男。
こんな日本の恥を世界に送り出したのは誰じゃ!
文責:ファンキー末吉
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みの吉 9/20分
さていよいよXYZレコードより『XYZデビューCD』リリースされます!
タイトルは『ASIANN TYPHOON』です。12/3発売です!
シングルは『DON'T LET THE SUN GO DOWN!』11/26発売です!
ヨ・ロ・シ・クね!買ってね!
さて、わしは気が小さいと思う。
一万人の前で歌えても、
2〜3人の前で急に弾き語りを頼まれたらそのとたん酔いが醒めてしまう。
知らない人2〜3人はそんなに緊張しません。
2〜3人と言っても知人であると言う条件である。知人だけだったらまだ良い。
知人の友達なんていた日には・・・・。緊張しまくりです。(汗)
カラオケには全く自信がないし。
カラオケに行くことになった日にゃあ〜〜〜た、手に汗びっしょりでっせ。
「それではお待ちかね!
世界をまたにかけた二井原さんに歌ってもらいましょう!」
って、ほめ殺しかい!!
わしは自慢じゃないが『うた下手なんじゃい!』
カラオケ店内凄い期待の中わしはいったい『何を歌えっちゅうねん!!』
「INTHE MIRROR」でも店内こだまさせたらええんか?
あれまじでカラオケで歌ったら聞いてる方『引く』っちゅうねん。
わしは歌えんのよ〜〜!普通の曲が普通のキーでは。
鈴木あみ、globe、はキー的に歌えるかもね。
とは言うものの流行りの曲は全く知らんし。
声がハスキーやからおっさんや、おばさんに「森進一」リクエストされるし。
わしは歌えんのよ「演歌」は。
でも「宇多田ヒカル」だっら全く知らん「演歌」のほうが上手く歌えるかもね。
いつだったか、自分の曲「アレスの嘆き」をカラオケ道場で歌ったら38点で
「もう一息!」と器械に評価された。(無念じゃ)
では、もう一度!!
さていよいよXYZレコードより『XYZデビューCD』リリースされます!
タイトルは『ASIANN TYPHOON』です。12/3発売です!
シングルは『DON'T LET THE SUN GO DOWN!』11/26発売です!
みの吉




