ファンキー末吉プロフィール

香川県出身。
81年に「爆風スランプ」を結成し、98年の活動停止までドラマー、コンポーザーとして活躍。99年にXYZ→Aを結成。
90年頃から中国へ進出し、プレイヤー、プロデューサー、バーの経営等、現在に至るまで多方面で活躍中。

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こたつ
宗教とは
こちらの業者の仕事ときたら・・・
貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・
北京に帰って来た
北京空港にて
榻榻米
ところ変われば募金も変わる
中国のJAF
子供生まれてワシ、ついに神となる(何じゃそりゃ?)
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2008年12月17日

こたつ

そして北京に帰って来た。

・・・寒い・・・
暑いとこや寒いとこや、毎日居場所が違うので風邪をひいてしまった。

上海の友人、Kさんが送ってくれたこたつを組み立てる。

Kotatsu.JPG

やっぱ日本人はこたつである。
うちの部屋・・・もう北京の貧民街とは思えない・・・

ちょっと暖を取ったらもう日本に帰る。

Posted by ファンキー末吉 at:09:49

2008年09月09日

宗教とは

ミュージシャンの受難は続く。

「オリンピック期間中、北京にいたってライブはないし、
それだったら俺の田舎に来ないか?」
メンバーのひとりの実家の近くに、
機材も持ってて音も出せる部屋もある友人がいると言うのである。

物価がどんどん高くなっている北京と違って、
田舎の生活はなかなかのものである。
バンドのメンバー全員でその友人の家にこもって毎日練習していた。

「いいもんだなあ・・・
朝起きたら練習して、
飯食って練習して、
ビール飲んで寝て・・・」

ところが1週間ほどしたある日、
その練習場に突然警察が踏み込んで来た。

中国の警察は本当に恐ろしい。
ドアをノックして捜査令状を出して中に入れてもらうような、
そんな日本のような甘っちょろいもんではない。
例えて言うと、いきなりドアを蹴破って「ホールドアップ」という感じである。

別に彼らがロシア人力士のように大麻を吸っていたわけではない。
その部屋の持ち主である友人が法輪教であったと言うだけである。


法輪教はもともとは気功の集団である。
友人の若いドラマーも昔、法輪教に入っていて気功を勉強していた。
彼曰く、とてもよい気功の論理であったと言うが、
その周りの人間がつぎつぎ捕まるので恐ろしくなって法輪教をやめたと言う。

中国政府が法輪教を徹底的に弾圧しだしたのは、
ある日のこと、法輪教が天安門広場で彼らが何万人集まって集会を開き、
「何じゃ?」と思ってるヒマなく、
集会が終わったら何万人が一瞬のうちに跡形もなく消え去り、
その後にはゴミひとつ落ちてなかったと言う事件からであると聞く。

時の支配者、江沢民は激怒した。
よりによって自分のおひざ元で
このような一糸乱れぬ統率力を見せつけられたのである。

殺せ!徹底的に根絶やしにしろ!

中国で別に警察が人民を逮捕するのに、
日本のようにややこしい手続きや逮捕状など必要ない。
警察に「確信」があればそれだけでいい。


事実、その友人は法輪教であった。
だからそのアジトである部屋でうるさい音を出している奴らも一緒に逮捕してしまえ!

とまではいかず、彼らは無関係ということで結局逮捕はされなかったが、
警察がもし「お前らも法輪教だな」と「確信」したら即逮捕である。
誤認逮捕なんて怖くない。
間違って逮捕された人民だって「いやー・・・ひどい目にあった」ぐらいである。

ロシア人力士のように
「納得できない!法的手段に訴える!」
と言ったって無駄である。
ここ中国ではそれこそが「法」なのだから。


北京のワシの院子に住んでいる貧乏ミュージシャン、
その奥さんは顔の皮膚病で悩んでいる。
見ればどうも薬品か何かにかぶれたように見える。

薬を処方してもらえば悪化し、
医者に診てもらえば更に悪化し、
残るは「神頼み」しかない。
彼女は熱心に何たらという宗教を信じている。

これも一種の気功である。
瞑想とかダンスとかをうまく取り入れて、
わかりやすく人間の持つ潜在パワーを引き上げて病気を治す。

その旦那であるミュージシャンはいつも
「嫁が法輪教でねえ・・・」
と冗談で笑い飛ばすが、
本当に法輪教だったら彼らどころかワシの身も危ないので、
これはかなりのブラックジョークと言えよう。

「こういうのはなあ、日本人にはきっと効かないんだ。
いろんな情報もあるし、頭もいいし、
でもな、中国では文明のない農民とかが本当に心から信じる。
そしたら本当に医学では説明がつかないような奇跡が起こるんだ」

そんな奇跡を目の当たりに見た人間は心底それを信じ、
人間の潜在パワーはそれによりまた奇跡が起こる。

その嫁さんの皮膚にはまだ奇跡は起きていない。
ワシなんかが見るに、
「日本でちゃんとした医者に診てもらえば?」
と思うのじゃが、
その医者が女の命であるこの顔をこんなにしたんだと思ってる限り
医学だって万能ではない。
思えば日本人にとっては「科学」こそが心から信じて疑わない「宗教」なのである。

「何をやったって治らない。
毎日毎日皮膚が痒くってしかたがない。
うちの嫁がこの宗教に出会わなかったらきっともう自殺してただろう」

彼にそう言われて「なるほどな」と思う。
その宗教が本物かウソものか、
ワシはそんなことはどうでもいいのではと思っている。
ワシの友人が少しでも幸せになってくれればそれでいい。


八王子のスタジオが何かバイオリズムがいいと思ったら、
二井原曰く、周りの宗教家や学生が毎日お経を唱えているからではないかと。
その宗教自体はワシは昔強引な勧誘にあってから大嫌いなのじゃが、
宗教はもともとは「みんなが幸せになって欲しい」というものではないのか。

学生さん、毎日毎日、ワシや二井原の幸せのために祈ってくれてありがとう。
ワシらもみんながもっと幸せになれるように音楽すっからな。

Posted by ファンキー末吉 at:12:37

2008年09月06日

こちらの業者の仕事ときたら・・・

残暑厳しい日本と違い、北京の秋の過ごしやすさときたら格別である。

涼しい秋風、乾いた空気、
ビール飲んで先日出来上がった畳の部屋にごろんとなるのは至福である。

夕べはちょっと肌寒かったので、こりゃタオルケットだけでは風邪をひいてしまうなあ、
とばかり秋物の布団を出すことを決意。
実はこのたたみの台は箱になっていてそこにいろんなものが収納できるのじゃ。

中国の家具ときたら木なんかすぐに変形してしまうし、
今回はこだわって特上の木材をと発注した。
完全オーダーメイドの畳が1枚6千円程度なのに対して、
その大きさのこの箱だけで1個4万円近くする。

こんな貧民街なんか政府にいつお取り潰しにされるかわからないので、
どこに引っ越してもこの箱と畳と共に移動すれば同じ環境が手に入るというわけである。

「ミュージシャンは畳の上で死ねない」と言うので、
将来的にはこの畳をかついでドラムを叩いたらステージ上でも畳の上で死ねるぞ、
と思ってたら嫁に
「死ぬ時は普通うつぶせに倒れるから畳の下になるんちゃうん」
と諭された。
ミュージシャンはやはりどうしても畳の上で死ねないようなので、
せめて生きてるうちにたっぷり畳でごろごろしたい。

よし布団を出そう!

重い腰をあげて立ち上がった。
ちょっと小さめなので軽い畳をひっぺがす。
箱の蓋には開閉用の紐がついている。
それを引っ張ればぱかっと・・・

ぱかっと開くはずじゃが・・・

こりゃいかん。
あんましここで力を入れたら紐が切れてしまう。
どうやら業者があまりにぴったり寸法を作りすぎたので、
木の微妙な膨張のせいか箱が開かなくなってしまったのじゃ・・・

TatamiTrouble.jpg

トンカチとバールで格闘してやっとこじ開けたら今度は閉まらない。
完璧に見えた業者の仕事であったが、
こちらの仕事なんて蓋を開けてみたらそんなもんである。
て言うか、その蓋が開かないのだから・・・

大騒ぎの末、結局布団はここには仕舞ってないことに気付いた。

しまらないオチでした。

Posted by ファンキー末吉 at:11:12

2008年09月02日

貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・

「ギャラ少し前借り出来ませんか・・・」
テレビドラマの音楽の続きをやらせていたデブのキーボードから泣きが入る。

オリンピック期間中はコンサート等も許可が下りず、
レコードも発売が出来ないのでミュージシャンは開店休業状態である。
請け負っていた映画音楽も四川省地震のため撮影中止となってるし、
そんな中でこのテレビドラマだけが中止にならないのもワシ、
ひいてはこのデブも非常にラッキーなことである。

しかしいかんせんこのテの長期に渡る仕事というのは、
基本的に全部仕上がるまで金がもらえないので、
他の仕事が全然ないデブ達ミュージシャンは仕事はしてても金が回らず、
生活費そのものがなくなってしまうというわけである。

しゃーない、ワシが立て替えておいてやろう。
今日はその主題歌のTDではないか。
アシスタントにある程度やらせておくから飯でも食いに行こう。

ところがそのアシスタントがいつまでたってもやって来ない。
電話をかけると入院したと言う。
尿結石である。

中国では基本的に医療は全額本人負担である。
うちの村では怪我なんかしても病気になっても病院なんか行かない。
家族にひとり重病人が出ただけで一族郎党まとめて破産してしまうという国である。
農村などでは見殺しどころか家族のために病人を殺すこともあると言う。

入院なんかしたらいくらかかるの?・・・

幸いうちのアシスタントは北京の実家で暮らしていて、
両親が彼のために医療保険をかけていたらしい。
保険料もばかにならないだろうが、破産するよりましである。

近所の貧乏ミュージシャンに聞いたら、
やはり保険なんかかけている奴は皆無。
みんな病気にでもなったらそれでおしまいである。

みんな健康には気をつけろよ!!


保険と言えば火災保険にも入ってない友人のライブハウスが火事になったと言う。
このオーナーはうちのロック村出身でドラマーときているので、
行けば必ずタダで飲ませてくれるいいライブハウスであったが、
まあ貧乏なミュージシャンとロックファン相手に商売している店が
火災保険に入る金はあるまいなあ・・・

火事が起こったのが運悪く(運良く)オリンピックの閉幕式の時。
煙を見た通行人が消防署に通報。
警察がかけつけて来て事情徴収。

「よりによって閉幕式に時に火事起こすなよ」
と担当の警察官。
ライブハウスも災難だが担当警察官もえらい災難なのである。
ヘタしたら責任とらされてクビということもありうる。

「よっしゃ!火事は起こってなかったことにしよう。
わかったな!火事は起こってなかった!
その燃えカスは自分たちで何事もなかったかのようにちゃんと片付けとくこと!」

半焼しているライブハウスをミュージシャン仲間で片付ける。
でもこれはむしろラッキーなことである。
オリンピックをぶち壊すようなことをした関係者は、
二度と店など開けないばかりか
将来どんな迫害を受けるかわかったもんじゃない。

何せ「火事は起こってなかった」のである。
燃えた機材を買い替えてリフォームすればすぐにでも営業出来る。
これが火事が一日遅れていたら容赦なく「お取り潰し」であっただろう。

仕事が一段落したら様子を見に行って来よう。
ドラムセットぐらいはワシが責任もって修繕してやるぞ。

営業が再開したらまたばんばんタダ酒飲ませてくれよ!!

Posted by ファンキー末吉 at:23:55

北京に帰って来た

ナンバーの奇数偶数による車の通行規制はまだ続いている。
昨日は奇数日だったので貧民街の貧乏ロッカーが空港まで迎えに来てくれたが、
よく考えたら今日は偶数日なのでこの村から出ることが出来ん・・・

不便な毎日はパラリンピックが終わるまで続くらしく、
何よりもショックだったのが、

村で一番おいしいレストランが潰れてしまっていた

のである。

うちの嫁がこの貧民街に連れて来られて、
「もしこのレストランがなかったら私はもう泣いて帰っていた」
と言うぐらいこのレストランの味は絶品だった。
この味は二井原実、田川ヒロアキ、等ここに来たことのある全ての日本人の舌も魅了し、
「他で御馳走してくれたどんな高級料理よりもここがおいしかった」
と言わしめるものであった。

潰れた、いや潰された理由は、「煙」だと言う。
オリンピックに備え、中国政府は貧民街のレストランに
「空気が汚れるからレストランで飯を作るな!」
と通達したと言う。
他のレストランはデリバリー専門で対応したが、
このレストランは村の偉い人たちにも御用達だったので、
まあいいだろうとばかりそのまま営業していて、
もっと上の偉い人の目にとまり潰されたと言う噂である。

北京の大気汚染は飯作る煙が原因か?!!

デリバリー専門で営業しても同じだけの煙が出るし、
村で人気の羊肉串の店も、
結局は外で焼いてたのを店の中で焼くので煙の量は同じである。

貧民いじめるヒマがあるなら公害を垂れ流す金持ちを規制しろ!!

貧民街に住むロッカー達が鼓楼にあるライブハウスで演奏していた時、
ちょうどその時、同じく鼓楼で殺人事件があった。
ライブハウスの外は外国人記者でいっぱいである。

警察がライブハウスに飛び込んで来てオーナーを脅す。

「お前ら、記者に何か喋ったらどうなるかわかってるだろうな。
何を聞かれても私は知らないで通すんだぞ。
わかったか」

ミュージシャン上がりのオーナーは青くなってうんうん肯くしかない。
貧乏生活からやっと開いたこの店を
こんなことで潰してしまったんでは元も子もない。

万事がこうである。
パラリンピックが終わるまで貧乏ミュージシャンの苦難は続く・・・

村の噂では、四川省に帰ってしまったレストランのオーナーは、
パラリンピックが終わったらまた戻って来て、
また村の中で同じ味のレストランを開いてくれると言うことである。

その頃にはまたロッカーにとって楽しい毎日が始まることを心から願う。

Posted by ファンキー末吉 at:07:51

2008年07月28日

北京空港にて

ワシは怒っているのじゃ!!

オリンピック前は全てのイベントがことごとくキャンセルになるので、
今回の靖江(どこや?)、徐州のドラムクリニックもキャンセルになる
と踏んで日本でのスケジュールを入れていたが、
そういう時に限ってキャンセルにならないもんで、
仕方ないので日本から自腹で渡航費払って現地まで自力で向かう。
そのレポートは日本に帰ってからゆっくりUPするとして、

ギャラより高い交通費・・・(鯉のぼりの節で歌ってちょ)・・・

はミュージシャンの心意気なのでよい!
しかし問題は中国政府が
「オリンピック前は飛行機、列車に大型電子機器を持ち込むな」
と言うのである。

ワシのドラムクリニック用のシステム(このブログ参照のほど)は、
ひょっとしたら預けることも出来なければ持ち込むことも出来ないかも知れないと言うのである。

自分が好きで金払って中国の子供たちにロックを教えに行くのはいい!
しかし中国政府のために金を払って新しいシステムを構築するのはどうも腹が立って仕方がない。

MDと小さなミキサーを使った新しいシステム
DrumClinickNewSystem.jpg

まあそれもいい!
菅沼孝三の言う通り、MDこそが「絶対に止まらない」安全なシステムであることも事実である。
八王子ムラウチ電気で買ったこの1万2千円のミキサーも
ひいては「ロックで世界平和」のために少しでも役に立てば本望であろう。

それはいいのである!
ワシが怒っているのはそれだけではない!


地方都市からやっとの思いで北京に帰って来たワシは、
いつものように同じ貧民街に住む老呉(LaoWu)に空港まで迎えに来てもらう。
「ワシはお前らの音楽を助ける、お前らはワシの生活を助ける」
持ちつ持たれつ(中国語でどう言うか知らんが)である。

「明日は午後の飛行機で日本帰るからまた空港まで送ってね」
と言うと老呉(LaoWu)は悪そうにこう言う。

「この車は奇数ナンバーなので明日は街を運転できない」

何やと!!!
オリンピックに向けて市内の渋滞緩和のためにナンバーによる運転規制を始めたと言う。
ワシら貧民街に住むミュージシャンは車がなかったらどうやって生活するよ?!!

北京には半日しか滞在しないが、
その間に仕事を済ませておこうと若いミュージシャンをブッキングしていたが、
「ファンキーさん、僕の車偶数ナンバーなんで12時過ぎないとそっち行けません」

何じゃそりゃ!!

村の入り口には門番がいて、許可証がないと村に入れない。
ChuRuZheng.jpg
村の入り口まで迎えに行こうとも12時越したら車を運転することも出来ん。

だいたいこんな貧乏な村の出入りを規制してどうしようって言うの!!!

テロリストは少なくともここの村の住人より金持ちやからこんなところには来んぞ!
言うちゃ悪いけど生き馬の目をえぐり抜くようなこの国で、
日雇労働者として地方から流れて来たこの村の住人ははっきり言って頭も悪い(失礼!!)。
この国を転覆させるようなことを考えたり、
またそれを実行するような頭を持ってたらそもそもこんな貧民街には住まん!
そんな村の出入りを規制するぐらいやったら、
悪いやつがいっぱい住んでる金持ち地区を規制しろ!

レコーディングが始まろうとしたその時、例によって停電。
UPS(電源安定器)は先日の大雨と落雷で壊れてしまったので
いきなりパソコンの電源が落ちる。

だいたいこの時期に毎日大雨っつうのがおかしいんとちゃうん?!!

だいたい北京はもともと雨が降らない土地とちゃうん?!!
オリンピックのために人口雨を降らせているという噂が頭をよぎる。

そうなると全ては疑惑である。
うちの村はもう数週間断水している。
オリンピックのために貧民街にまわす水はないと言うのか?
停電もオリンピックのせいか?

日本ではエコが叫ばれているけど、
ワシの村ではもう数週間風呂にも入れなければ
しょっちゅう停電してるから電気も使ってないぞ!!

電気もなければレコーディングも出来ないので酒を飲む。
ついつい口に出る言葉は

「反対!奥運会!!(オリンピック反対!!)」

回りの若い衆達が慌ててワシの口を押さえる。
「そんなこと言って誰かに聞かれたりしたらどうするんですか」と・・・
知ったこっちゃない。ワシは数時間後には日本に帰るのじゃ!
くそったれオリンピックが終わるまで北京には帰らんのじゃ!

「僕たち・・・どこにも逃げるとこないし・・・」

涙声で訴える若い衆を隣村の朝までやってる食堂に連れて行って酒を飲む。
「ワシはもう9月まで帰らんからな!
お前らワシの仕事ちゃんとやっとけよ!!
ワシはもう知らん!!」

酔いつぶれて寝て、
そのまま黒車(中国では白タクのことをこう言う)を呼んで空港まで来た。
白タクまで奇数ナンバーと偶数ナンバーを用意せなあかんとは何事ぞ!!
空港に着いたら厳重な警備でボディーチェックされる。

BeiJingAirPortChecking.jpg

出国する外国人が目につくのは気のせいか?
中国政府は外国人のビザの延長、更新を規制している。
ワシの友人のアメリカ国籍のミュージシャンも仕方なく帰省している。

空港でビールを飲んで、
酔っ払ったふりをして大声で叫んでやった。

「オリンピック反対!!俺はボイコットするぞ!!」

ただし日本語で・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:09

2008年07月18日

榻榻米

明日で日本に帰る。
オリンピックはボイコットして夏休みじゅう子供たちと八王子で暮らすのじゃ。

そのためには仕事を全部今日までに終えなければならない。
重慶雑技団とテレビドラマの音楽と布衣のニューアルバム・・・
まあ終わるわけがない。

重慶雑技団は引き続き日本に帰ってインターネット経由でやり続けるとして、
テレビドラマは主題歌を今晩レコーディングして後はデブのキーボードに任せて、
布衣は・・・ま、ええか、お前ら後は自分でやれ!

それよりも大事なのは、
ワシの住処の大改造。
何と貧民街に畳の部屋を作ってしまったのじゃ!!

TaTaMi.jpg

居心地がいいのじゃぁ!!
もうこの部屋から出たくない!!

「お前らレコーディングは自分らでしなさい!!」
と、昨日は一歩もここから出ずに畳でごろごろした。

中国語で畳のことを榻榻米(ターターミー)と言う。
日本から輸入することを覚悟していたが、
日本料理屋や、金持ちの中国人の住居のために
中国にもちゃんと榻榻米(ターターミー)業者がいた。
寸法も言った通りの寸法で作ってくれる。
全て手作りである。

ちょっと小さめの寸法のを8枚作ってもらったのじゃが、
1800元(約3万円)と言うので24万円ほど覚悟してたら、
何と8枚全部で1800元だった。

安い!!

その代わり、台にするために収納にもなる箱を特注したがそれはちと高くついた。
まあこの村が開発のために潰されたら箱ごと持って引っ越しすればよい。
貧乏なロッカー達と畳担いで引っ越しする様も圧巻であろう。

何よりもそのために専門の清掃業者を呼んだのじゃがそれが安い!!
ひとり1時間15元(約200円)だと言うから日本とゼロがひとつ違う。

LinShiGong.jpg

家具を運び込む前に全部拭いてくれ、
部屋のすみずみまで掃除してくれる。

畳を見てみんな「なんじゃこりゃ?!」・・・
日本の文化をとくと説明してやった。

ほな清算を・・・
と思ったらいきなり20元に値上がりしていた。
日本人だと思ってボラれたに違いない・・・

もう明日帰る・・・

Posted by ファンキー末吉 at:14:25

2008年06月10日

ところ変われば募金も変わる

前回のメルマガで四川省大地震へ何か援助が出来ないかと言う話を書いたら、
やっぱそんなことを考えてる人は多いと見え、いろいろメールを頂いた。

とある人は何とか被災地の子供たちのために文房具を送りたいと関係者に相談したら、

・新品を送るとピンハネされる
・政府や赤十字みたいなところに送ってもやはり殆どがピンハネされる
・ということで、中古の文房具を信頼の置けるところもしくは人に直接送る
というのがよい

とアドバイスされたそうである。

彼女はワシに言う。
「その文房具をドラムに詰めて担いで四川省まで行ってくれ」
と・・・

こりゃほんま本腰入れて行くしかないか?・・・

知り合いが現地の教育機関に受け入れを要請してくれている。
ひとりではドラムセットすらも担げないので、
隣に住んでる布衣のボーカルに
「お前らどうせヒマなんじゃろ!」
と言うことで声をかけたらふたつ返事でOKだった。

まあ生き死にの段階がすんで、
衣食住が何とかなってから初めて「教育」だろうから、
ワシらが受け入れを許可された頃は少しは復旧が進んでいると言うことじゃろうが、
おそらく宿舎はその受け入れ先の学校となったとしても、
まあワシらの住んでる環境とそんなに違わんしなあ・・・

何とか冬になる前に行かなきゃ凍死するなぁ・・・


しかし彼から中国での募金の状況を聞いてびっくりした。
なんと中国では募金をしたらその名前と金額が公表されると言うのだ。

これは募金の額を吊り上げることには貢献しているが、
自分の名前と額を村に張り出された貧民達はたまらない。
誰それはいくらだからと更に募金をするために借金をする。

とある売れっ子の女性アイドルが被災者のために献血をした。
そのことが報道されると国民全てが怒り狂ってネットで彼女を叩きまくった。

「お前、金持ちなんじゃろ!血じゃのうて金送らんかい!!」

香港のとある超売れっ子歌手が何百万(日本円で)も募金した。
しかし彼よりも金持ちの事業家は中国にはたくさんいる。

「お前、誰それはもっと募金したぞ!お前はたったそれだけか!!」

ネットで叩かれまくって彼は
もう百万単位ではどうしようもないので千万単位の募金をする。
そしてそれよりもっと募金をした人が公表され、彼はもっと叩かれる。

これやったらせん方がマシなんちゃうん!!

ドラエモン募金みたいのんがこっちにもあって、
ある番号に電話をすると電話代から10元が募金として送られるのじゃが、
ワシなんかもうそれで叩かれたらと思うとドキドキよ。
そうやって病気のように毎日募金をする貧民はたくさんいると言う。

でもその金は果たしてちゃんと現地に届くのか?
届くと信じて募金するしかないのじゃが、
現実この国でのその横領は非常に問題になっている。

送られたテントが被災地ではなく受け取った幹部の庭で使われてたり、
物資の横流しは日々ネットで報道されて国民の知るところとなる。

「日本では被災地に国と社会とどっちが多く金を払う?」
変な質問を布衣のボーカルからされる。

「いや?・・・日本では国はまず絶対救済せなあかんし・・・
全力でそれせんかったら次の政権ないし・・・
いや、中国はその政権交代自体がないし・・・」

非常に答えにくい質問だったが、彼から先にこう答える。
「中国ではなぁ。被災地に送った金はほとんどが社会、
つまり国民からの募金なんだ。
政府はオリンピックに費やすお金の数分の一しか使ってない」

被災者よりもオリンピックが大切と言うわけか?
でも政府関係者はこの国では一番金持ちやぞ!
政府要人の個人資産を公表して、
彼らの個人資産からも募金させたらんかい!

先日ネットの書き込みで四川省の被災者をなじった少女が、
翌日にはその本名と住所と電話番号まで公表されて警察に保護された。
逮捕ではなく保護である。

そうじゃなきゃ間違いなく殺される・・・

ワシにも友達がいるが、中国のハッカー達の技術は物凄い。
ひとつの書き込みからその本人を特定するなんぞ朝飯前である。
奴らなら政府要人の個人資産なんぞすぐにハッキング出来るだろう。

その途端に殺されるか・・・

ドラム担いで被災地に行ったところで、
この国がそんなにすぐによくなることはあるまいが・・・

ロックで出来ることなんてほんの小さいことなのよね・・・

Posted by ファンキー末吉 at:05:06

2008年04月04日

中国のJAF

ワシの車はオンボロである。

岡崎はんが初めて中国に来て
初めてこの車に乗った時に発した言葉が
「ポンコツやな」
であった。

今時「ポンコツ」と言う言葉が非常に新鮮だったので褒められたような気がしたが、
決してそんなことはないだろうと言うことは運転してみて初めてわかる。

こっちで買ったタンスが壊れた時に、
こちらの生活十数年のN嬢が
「中国の家具はね、壊れたのを直して直して最後に強いタンスに育つのよ」
と言って嫁を感激させていたが、
この車はラジエーターを直し、マフラーを直し、
最後にはエンジンまで積み替えていて
既に中身は新品であろうと言うぐらい修理したのにまだ壊れる。

冬になるとエンジンがかからんし、
夏になるとラジエーターパイプが熱で爆発する。

街中でエンコすることもしょっ中で、
「押しがけ」と言う言葉さえ知らなかった嫁も
今では「北京いち押しがけがうまい嫁」である。

いつもは壊れるとロック村の村長が飛んで来て直してくれるのじゃが、
今日ばかりは状況が違った。
明日からは布衣の四川ツアーのため、
そのボーカルであるロック村の村長は既に列車で24時間かけて成都に行っているのだ。

ワシはプロデューサーであり、メンバーではないのであるが、
本場の四川料理に目がくらみ、
ノーギャラなのにドラマーとして同行する約束をしてしまったのだから仕方がない。
明日の朝の飛行機で行かねばならないので今日中に仕事を終わらせるべく無理をしたのがいけなかった。

いや、無理をしたのはワシばかりではない。
車もきっと無理をしてしまったのじゃろう。
帰り道の高速道路で突然うんともすんとも言わなくなってしまった。

こうなったらいつも馴染みの(こんな馴染みがあること自体情けないのであるが)
近所の修理工場に助けに来てもらおうと電話をしたのじゃが、
今日に限って
「悪りぃなぁ。今日は車が出払ってるんで行けない」
とそっけなく切られてしまった。

万事休すである。
このまま高速を人力で押して帰ることも考えたが、
仮にも「北京ジープ」、巨大である。
夏のエンストで道端まで押してゆくだけでへばってしまったことを思い出してあきらめた。

片っぱしから友達に電話をかけて救いを求めると、
なんと中国にもJAFがあることが判明!!

これしかない!と言うわけで電話をかけてJAFを呼んだ。

ChineseJAF.jpg

てきぱきとした処置で車を牽引車とつなぎ、
「どこの修理工場に入れますか?」
と非常にプロフェッショナルである。
「うちの近所の修理工場まで」
と言うと
「それは遠すぎる」
と言われたので、とりあえず高速から下してから考えようと言うことになり、
そのまま牽引車の助手席に乗せられた。

ちょっと感激である。
この読者の中にも中国のJAFの牽引車に乗ったことのある輩はそうはおるまい!
と感激している場合ではない。
車をとりあえずどうするかと言うことである。

高速を降りるとそこには韓国系の怪しいサウナと言うかホテルと言うか売春宿がある。
「ここでいいですわ。
この駐車場に止めさせてもらって
明日修理工場の人間に取りに来させますわ」

逆に日本だとこう言うことは難しい。
ある時、京都から関空まで行くリムジンバスのバス停で、
「どうしてもここで買わなきゃならない物があるので
5分間だけこのトランク見といてもらえませんか」
と切符売場のおばはんに頼んだら
「そのような業務は取り行っておりません」
と無下に断られた。

コインロッカーに預けろと言うのだが、
あいにくそれに入る大きさではない。
ヒモかなんかあればそれにトランクをつないで、
片方に結び目を作ってそれをコインロッカーに入れて施錠出来るのではと思い、
(そんなことを思いつくこと自体が貧乏くさいのだが)
「何かヒモみたいのありませんか?」
と聞くと、
「そのようなものは取り扱っておりません」
とまた無下に断られる。

「じゃあヒモ買って来ますんでその間見ておいて下さいよ」
と言っても
「その間トラブルが起こっても責任持てませんので、
そのようなことは一切お受け致しかねます」
と取り付く島もない。

ワシは頭に来て、
「じゃあトランク置いて行きますからね。
周りは全部階段でこんな重いもの持ち歩けないんだから仕方ないでしょ。
別にそれに関して責任とれと言ってるわけじゃない。
誰かがこれを盗みに来たとしたらあんたはそれをじーっと見てればいいから。
俺は勝手にこれを置いて行くだけだからね」
と言ってヒモを買いに行って、
当初の計画通りトランクをコインロッカーに固定してから買い物に行った。

中国だったらまずこのようなことはない。
今回も簡単なものである。
「半日止めさせてよ。
明日修理工場が取りに来るからさあ」
で済む。

当然「お前ここの客か?」と来るが、
「金払うからさあ」
で済むのである。

ご丁寧に従業員4人で、牽引車から外したワシの車を押してくれる。
最初は30元と言ってたのじゃが、
最後には「やっぱ40元くれ」と言う。

「押してくれたからかなぁ」
と思ったら違った。
「僕ら4人だから」
であった。

お前らに行くんかい!この金!!

国際問題の渦中の国であるが、人民はスーダララッタ(死語)と暮らしている。

Posted by ファンキー末吉 at:01:17

2008年02月09日

子供生まれてワシ、ついに神となる(何じゃそりゃ?)

48歳にして第三子の誕生である。
この子が成人する頃にはワシは70に手が届こうとしていることになる。

生きとるやろか・・・


それはよい。
人類最大の痛みと戦いながら子供を生むのは「女」と言う高尚な生き物である。
ちなみに嫁にとっては第一子。

どれぐらい痛いのかと言うと、
聞いた話によると「男」が小便をしてそのままキン○マをチャックで挟んでしまい、
もんどおり打ってひっくり返ったところに運悪く金属製のポールがあり、
「キン!」と言う金属音が出たとか出ないほど強く打ちつけてしまい、
ぱんぱんに腫れあがったキン○マを子供がサッカーボールと間違えて思いっきりキックしてしまい、
「これでは死んでしまう!」とばかり消毒液と間違えてタバスコを振りかけてしまった・・・
と言う痛さの更に47.5倍ほど痛いらしい。

「男」なら必ず気が狂うと言うほどの痛さらしいが、
それを「女」と言う生き物は気絶することもなく、
麻酔とか科学の力を借りることもなく自力でそれを乗り越えて出産するのであるから
尊敬の念を通り越して偉大としか言いようがない。

ちなみにワシの第一子は、
ワシが病院の食堂でステーキ定食を注文し、
不謹慎だがビールを頼もうかと迷っている瞬間に生まれた。
第二子はレコーディングで2バスを踏んでいる時に生まれた。

そして嫁代わり、第三子となるのであるが、
立会出産とまではいかなくても、
今度は嫁のそばでこの偉大なる作業を見守ろうとスケジュールを押さえていたのじゃが、
それはこれ、ここは中国ではないのでそうそうスケジュール通りに生まれはしない。

中国ではスケジュール通りなのか?
それが実にスケジュール通りなのである。

ある日のこと、とある音楽仲間から電話があって、
「明日スケジュール空いてるか?」
と言うので
「空いてるよ。どうしたの?」
と答えると、
「言わなかったっけ?明日俺の子供がうまれるんだ。パーティーやるからおいでよ」
と来る。
生まれるんだと言われても、
ワシも一応2月13日が予定日ではあったが、
別にその日にパーティーをブッキングしたりはしない。

頭の中ムルンピョ(疑問符)ばかりでパーティー会場に行くと、
場はまさに生まれたばかりと言うほど大盛り上がり。
「生まれたの?」
と聞くと、
「生まれたさ。今日だって言ってあっただろ」

????

お前らレコーディングとなっても全然時間守らんのに、
子供生むとなると何でこんなに時間に正確なの?・・・

中国の女性はこんなにも予定日ぴったりに出産するのか・・・
ムルンピョ(疑問符)だらけのワシの顔を見て、
ははぁ・・・とばかり彼は言った。

「日本では帝王切開はしないのか?」

そうなのである。
今日び、中国でお金持ち層の人たちはまず帝王切開で出産するのである。
お金持ち層の女性が出産で苦しみたくないのか、
いやいや、それよりも何よりも大事なことが・・・

・・・風水・・・

そう、何月何日の何時に生まれた子供は風水がよい!
それに合わせて正確に帝王切開で出産するのである。

恐るべし中国人・・・


ところがうちの(今度の)嫁は日本人・・・
それほど風水が大切か?自然分娩に勝るものなかろう・・・
と言うわけで日本で出産である。
当然ながら子供とてそうそう予定通りに出てきてくれはしない。

予定を2週間早まって破水したその時、
ワシは北京で見事に酔いつぶれていた。
不謹慎極まりないと言うことで罰があたり、風邪まで引いている。

その日はWingの工人体育館でのコンサートのゲネプロであり、
ワシは携帯電話を首からぶらさげながらドラムを叩く。
携帯が鳴ろうものなら全ての作業は中止である。
「生まれたか・・・」
アーティスト、スタッフ全てがかたずを飲んでワシを見守る。

「間違い電話でした・・・」

作業続行。
ここが関西なら全員がその場でずっこけていたことだろう。

そして陣痛が始まったと言う連絡を受けた頃ゲネプロは終わり、
ワシは突然呼び出されたレコーディングへとかけつける。

そこでももちろん携帯を首からぶらさげながらドラムを叩くが、
夜中に叩き終わっても連絡なし。

Wingが用意してくれたホテルに帰ってからメールが来た。
「今、分娩室に入りました」
嫁のお母さんである。
出産の大先輩である。
偉大である。

そして無事出産!
男の子である。

Ryunosuke0sai.jpg

名前は「龍之介」。
中国の暦で「丁亥の年、寅の刻」に生まれた「龍」である。
縁起が良いことこの上ない。

しかしこの髪の毛のもじゃもじゃが・・・


WingConcertDruming.JPG

よし、ワシもどうせ親父としてろくなことはやってやれんが、
せめてこの子のために頑張って最高のドラムを叩いてやろうじゃないか!!

まるでこの日は我が子の誕生パーティーさながらの盛り上がりの中、
円形ステージのど真ん中にセットされたドラムセットで叩きまくる。
「神が降りてくる」とでも言うのか、「息子が龍になって降りてくる」とでも言うのか、
確かにこの日のワシのドラムは神がかっていたかも知れない。
全てのアーティスト、スタッフはこの日のワシをこう称賛した。

「お前、もう亜洲鼓王(アジア・ドラム・キング)どころじゃない。
今日からお前は亜洲鼓神(アジア・ドラム・ゴッド)だ!」

龍を生んだのワシではなく嫁なんですけど・・・
ま、いいか・・・その名に負けないぐらいワシ・・・頑張るのじゃ!

Posted by ファンキー末吉 at:02:32

2007年12月17日

シェイクスピアをロックで!

破碎.聲音のドラマーから電話があった。
「師匠!お久しぶりです!大偉(ダーウェイ)です!」
以前こいつが自分の結婚式だっつうんで助っ人ドラマーとしてライブに参加して、
その後一緒に飲んでからそのメンバーとは親しくしているが、
もともとこいつがおらんからワシが駆り出されたわけで、
別に面識のあまりないこいつを弟子にした覚えもなければ、
実は名前を言われたからと言ってワシには全然その顔を思い出せない。
聞けばとある演劇でバンドのドラマーとして参加しているらしい。

「ヘビーメタルバンドが演劇に参加してるんです。見に来ませんか?」

そう言えば上海で一緒になった窒息と言うバンドもそんなこと言ってたなぁ・・・
と思ってよくよく聞いてみたら、
彼が助っ人ドラマーとして参加している痛苦的信仰窒息とふたつもバンドが参加するらしい。
しかもふたつとも筋金入りのアンダーグラウンドなバンドである。

きっと演劇のバンド役かなんかで出演してるのだろうと思って行ってみたら驚いた。
「中国話劇生誕百周年記念演劇」
演目は何とシェイクスピアの「コリオレイナス」

・・・何じゃそりゃ・・・

話劇と言うぐらいだから音楽劇(ミュージカル)ではない。
しかも「お堅い」イメージが強いシェイクスピアにどうしてアンダーグラウンドのバンドが?・・・

しかも主役はワシは詳しくは知らんが、中国では舞台役者の第一人者、
監督は古い世代の大御所中の大御所。
つまりここ中国の現状で言うと、文化大革命の時代の人たち。
およそロックには、
いや新しいものにはまるで無縁であろう人たちなのである。

頭の中はムルンピョ(疑問符)だらけの中、
7時半の開演時間ぴったしに劇は始った。
いきなり窒息の演奏である。
ワシが上海
「お前らこんな音楽やってる限り一生売れん!」
と言う褒め言葉(?)を贈ったそのままの、
重金属と言うか、ボーカルはただグォーとがなっているだけのデスメタルである。

その演奏に合わせて数十人の出演者が全員飛び出して来る。
壮観である。
そして驚くべきはその後、
劇中のバックミュージック、効果音、全ては彼らが生で演奏しているのである。

もちろん生声で喋る演劇に、
大音量のヘビーメタルはそのまま被せることは出来ない。
セリフのバックの演奏はベースだけ、ギターだけ、バスドラだけ等
実に緻密に計算されているのである。
セリフがない部分、役者が叫んだその直後、登場人物が入れ替わるジングル、
等々の部分には遠慮なく大音量のバンドの演奏となる。

敵軍が登場!
上手からはもう一台バンド車が現れて、
今度は痛苦的信仰の演奏が始まる。
そして戦闘シーンではふたつのバンドが両軍を代表してヘビーメタル合戦を行う。

・・・デスメタルとハードコアの掛け合い・・・

凄い!
許されるのか?!こんな演出!!

第一幕の最後は痛苦的信仰のオリジナル曲で締める。
シェイクスピアにハードコアである。


第二幕までの休憩時間、ワシはプログラムを眼を皿のようにして探した。
音楽監督の名前を・・・

ワシも中国ではいろいろ映画音楽をやらせてもらっているのでよく分かる。
この音楽をつけた人間は天才である!

ワシ流の映画音楽理論で言うと、
登場人物、心理状態等においてそれぞれテーマを決め、
そのテーマをメロディー、楽器等で割り振ってそれをコンセプトとするが、
この演劇では見事にそれをロック、しかもデスメタルとハードコア、
そしてその楽器を巧みに使って完璧にそれを表現している。

しかし音楽監督の名前が・・・どこを探してもないのである!!

舞台は第二幕。
ふたつのバンドに役者ふたりもギターを持って参加する。
RockSkakespeare1.jpg

これまたウルサイ!
ぐちゃぐちゃのヘビーメタル(と言うかデスメタルとハードコアが一緒になったような)である。
その部分はセリフがないから別にうるさくてもかまわないのであるが、
演奏が終わり、セリフを言い終わった役者が、
バンドのメンバーよろしくギターをかき鳴らして自分で効果音を入れるところなんぞ、
この演出家、タダモノではない。

演出家がロックを分かっているだけではなく、
名前がどこにも紹介されてないこの音楽監督は、
実に完璧に「ロック」と言うものを理解している。
ギターを、ベースを、全ての楽器を完璧に理解しきっている。
そうでなければこのような・・・

陰謀うずまくシーンでは必ずベースが、
ミ、ファ、シb
いわゆる最低音であるEのコードから半音上の音であるFをぶつけて、
そしてそのFから元キーであるEのフラット5の音にあたるBbをぶつける・・・
ある種ヘビーメタルの王道である。

対抗する軍隊のシーンでは、
ギターが深いロングディレイをかけて、
16分音符のフレーズをそれにからませて演奏する・・・
ある種プログレッシブロックの王道である。

またある部分ではピンクフロイドよろしく、
バスドラを2回づつ、
心臓の音のように踏むだけで役者の心理状態を演出する。
これもある種王道である。

きわめつけは、
ふたりのギタリストがステージ左右に座り込んで、
メタリカのバラードばりの泣きの演奏を奏でながら、
後に役者が出てきてそれに乗せて絶叫する。

鳥肌ものである。

ありえん!
日本で言う大御所と言うと、
唐沢寿明で同じくシェイクスピアのコリオレイナスを演出した蜷川幸雄か?
彼がここまでロックの「奏法」を理解してバンドのメンバーに指示できるか?

もしくは合議制よろしく、
バンドが「このシーンではこんなのどう?」とか言って自然発生的に決まった?・・・
それもありえん!
そうだったとしたら、
このふたつのアンダーグラウンドバンドは、
少なくともワシよりもっと素晴らしい映画音楽家である。

どちらにしても、
これは「ロック後進国」であったはずの中国のそのレベルの音楽ではない!
日本にだってこんな演劇があったか?!!!

ワシも日本では映画や演劇の音楽もやったが、
やっぱ流行歌(歌謡ロック、J-POPも含む)最全盛の日本において、
その「ロック」と言うのは封印せざるを得なかった。

中国は日本より顕著である。
ロックは果てしなくアンダーグラウンド。
ロック好きな劇団が有名ロックバンドとコラボレイトしているのとは次元が違う。
共産党幹部が、ごみだめの中の精神異常者とコラボレイトしているようなものなのである。

もしそうだとしたら日本のロックは、
少なくともロック後進国であった中国には遙かに後れを取っていることになる。

ワシは焦った。
ニッポン!何をしている。
ワシを呼べ!XYZにこれをやらせろ!!
ワシ以外に日本人で誰がこれをやれる?!・・・

日本人で?・・・
じゃあ欧米人なら?・・・

そうだ、きっとこれは欧米で演じられたことのあるロックとシェイクスピアとのコラボレイトなんだ。
バンドは既に演じられた欧米のロックバンドのプレイをコピーしてるんだ。
だから音楽監督の名前がないんだ。

すなわち音楽は全てコピー!
それなら納得がいく。
もしそうじゃなきゃ大変だ!
中国のロックは日本を追い越し、
ついに欧米までを追い越したと言うことになる。


欧米人は肉食ってるから強いだ!
んだんだ!
ワシらも頑張って肉食ってあんなになるだ!
んだんだ!


ワシは気を取り直して観劇する。
舞台はついにはクライマックスを迎え、
ミュージカルならありうるであろう最後のロック演奏もなく、
最後のセリフひとつで幕を閉じる。

あれ?
派手好きな欧米人ならこんな演出はしないがなぁ・・・

カーテンコール
RockSkakespeare2.jpg

最後にバンドのメンバーを代表して窒息のギタリストがこう言った。

「役者の皆さん、スタッフのみなさん。中国ロックを支持してくれてありがとう」

ワシはいても立ってもいられなくなって、
終演後すぐさま大偉(ダーウェイ)に電話をした。

「音楽監督は誰なんだ?!」

詰問するワシに彼は不思議そうにこう答えた。
「そんなのいないよ。俺達が1か月のリハーサルで彼らと一緒に考えたのさ」

しばし呆然・・・

ロック後進国だった中国は、
ここに完全に日本どころか欧米を追い越した。
革命の演劇しかやらなかったであろう大御所監督が、
忌み嫌われていたアンダーグラウンドのロックと手を結んだのである。

聞けば今日で公演は最終日だったらしい。
彼らはロングランしたこの演劇の立役者として脚光を浴びることもなく、
またいつもの貧しいロッカーの生活に戻ってゆく。
客の来ないライブハウスと暖房もない院子の生活に戻ってゆく。

そしてワシはまた彼らに同じことを言うだろう。
「お前ら、こんな音楽やってるうちは絶対売れん!」
そして彼らはまた同じことを言うだろう。

「ま、どっちでもいいや。毎日楽しいし・・・」

Posted by ファンキー末吉 at:07:55

2007年12月14日

あの美少女秘書は今?

ベースの韓陽(ハン・ヤン)から
「今日ライブがあるんだけどヒマだったら来ませんか」
とメールが来たので久しぶりに貧民街を出て行ってみた。

BaiXueFaBuHui.jpg

ライブと言っても彼名義のライブではなく、
「白雪(バイシュエ)」と言う歌手のバックである。
キーボードはデブの張張(ジャンジャン)、
ギターは元Core Of Soulの宋睿(ソン・ルイ)
みんな友達である。
結局朝6時まで飲んで盛り上がるハメとなった。

さていくら奴らがワシのことが大好きで、
「ファンキーのおかげで今がある」
と涙ながらに思い出話をしたところで、
もう既にこちらでも「ロック仙人」と呼ばれだしているワシが
まさかそれぐらいで朝までベロンベロンになるまで連中と付き合ったりしない。

ワシらの盛り上がりを一気にピークに持ってゆく懐かしい娘がそこにいたのである。
その名を「麗麗(リーリー)」、その名前の通り、麗しき美少女である。

初めて出会った時、彼女はまだ15歳(中国式数え年で16歳)。
とあるスタジオで小間使いとして働いていた。
家が貧しいため、学校にも行ってない。
今のワシの住んでるとこみたいな貧民街に一家は住んでいて、
夜道が危険だと言うことで毎日スタジオのソファーで寝泊まりしていた。

(その頃の写真)
LiLiWithTshirt.JPG

そしてワシは彼女ともっとお近づきなるために、ウソ!本当は純粋に彼女の将来ために、
ワシの携帯を留守の時に転送して要件をメールしてもらうと言う「電話秘書」の仕事をしてもらった。

このぐらいの年の少女は数年間で驚くほど変わってゆく。
この頃にワシは日本からのおみやげで化粧品を買ってきた記憶がある。
ワシも化粧品のことは一切わからないので、
店員さんに選んでもらうのに使った写真がこれである。

(ちょっと大人になった彼女)
LiLi1.jpg

後にはワシが中国語の教材本を出すと言うことになって、
そのナレーションも手伝ってもらったりもした。

別に恩を売ってもっとお近づきなろうとかそんなことを考えたわけではない。
純粋に「彼女のためになれば」と思ってのことである。

(その時に本の中で使用した写真)
LiLiPhoto.jpg

こんな美少女を世の中の男がほっとくわけはない。
彼女の心を射止めたのは
よりによってこれがこの日のステージでキーボードを弾いている張張(ジャンジャン)!!!
よりによってこんなデブ・・・いやいや、若い人同士素晴らしいことじゃないですか・・・涙・・・

もともと、ワシが彼女を連れだしてJazzバーに行き、
そこでキーボードを弾いてたのがこのデブである。
いや別に少女を酒場に連れて行ってどうのこうのと言う邪念があったわけではない。
純粋に音楽を愛する彼女に生のライブを見せてやりたかっただけである。
(これホント!)

なのにこのデブは・・・
いやいや、まあ彼の超絶プレイにぶったまげたのはワシだけではなかったと言うわけよ。

・・・涙・・・


と言うわけで月日は流れ、
彼女もデブとは無事別れ、
「ファンキー・・・俺・・・振られちゃったよ・・・」
と言う可愛いデブに「ざまみろ」とも言わず酒を飲ませてやったり、
その後彼女はモデル事務所のスカウトに合ったりもしながら、
(その感動的なエピソードはこちら
結局はその夢のような話も断りながら、
次に務めた会社がこの白雪(バイシュエ)の事務所だったのである。


果たしてライブ会場の受付に彼女はいた。
目を疑ったが間違いない、彼女である。
まさに数年ぶりに見る彼女である。

びっくりさせてやろうとばかり、入場する関係者に資料を渡している列に並び、
いきなり彼女の前に立った俺を見て彼女は絶句・・・

「ファンキー・・・」

心なしか彼女の眼に涙が浮かんでいたと思ったのはワシの錯覚だろうか・・・
数年ぶりに再開するワシらが一生懸命言葉を選んでいる瞬間に、

「ファンキー、来てくれたのか、嬉しいよぉ!!久し振りぃ!!!」
横からデブの張張(ジャンジャン)が割り込んで来てワシに抱きついた。

おいおい!俺が抱擁したいのはお前じゃなくてぇ・・・

彼女はもう次の関係者の接待をしたり忙しそうである。
暑苦しいデブの抱擁の中、
「よし、今夜は絶対このデブを肴に盛り上がってやる!」
ワシは心にそう決めた。

かくして飲み会は絶好調に盛り上がった。
若い衆と飲むのは久しぶりだったし、
日本からは宋睿(ソン・ルイ)も来てるし、
張張(ジャンジャン)が盛り上がって来ると麗麗(リーリー)の話を出したら急にしおれてしまうし、
面白くて仕方ない。

白雪(バイシュエ)のライブ打ち上げなのに、
こちらのテーブルは誰も彼女なんか相手にせず勝手に大盛り上がりしている。
事務所が案内してくれた3次会のカラオケボックスには結局ワシらしか残ってなかった。
アーティストを送り届けて麗麗(リーリー)が戻って来た。

「ふー・・・私にもちょうだい!!」
昔仲間のワシ達のグラスを奪い取ってビールを飲んだ。

「お酒飲むようになったの?・・・」
目を丸くするワシにちょっと笑って彼女は答えた。

「私・・・もう22歳よ・・・」

まだ22歳かい!!!!
白雪(バイシュエ)付きのマネージャーになってもう3年。
もう事務所でのポジションも大したもんだろう。

「給料上がったかい?」
ニコっと笑ってうなずく彼女。
「仕事はどう?楽しい?」
ちょっと苦笑いして彼女はまたビールを飲んだ。

「あのモデルの話・・・断って後悔してない?」

ちょっと考えてから彼女にいつもの笑顔が戻って来た。
大きくうなずく彼女にビールをついでやった。

ま、社会に出ればいろいろあるさ!
彼女にとってはワシらも非常に懐かしい昔仲間である。
嫌なことは忘れて今日は飲もう!

最後に記念写真。
LiLiPinBoke.jpg
ピンボケなのは、
映してくれたPAの吉田君が彼女の美しさに見とれていたからである。
(と言うことにしておこう)

Posted by ファンキー末吉 at:15:31

2007年05月31日

MIDI音楽学校にてクリニック

先日の清算をしにMIDI音楽学校に行って来た。

と言っても決してギャラの清算ではない。
このイベントは何ぴとたりとも決してギャラは払わない。
出演者全てノーギャラなのである。

しかし二井原と田川くんとその介添人の渡航費まで自腹で出して、
そのホテル代まで自分で出すわけにはイカン!
とばかり苦手な金銭交渉ではあったが、
「ホテル代ぐらいは出してぇな」
とダメもとで言ってみたらふたつ返事でOKしてくれたのでその金を取りに行ったのである。

しかし何だ・・・
渡航費出してホテル代まで出して、
スタッフやローディーまで全部連れて大赤字で世界中から集まってくるバンドを横目で見ながら、
自分だけたとえそれがたったの1500元(2万円ちょい)であろうが金をもらうのも悪い気がするなぁ・・・

と言うわけでつい
「ほな代わりに今度学校に来て無料でクリニックしますわ」

ClinicAtMIDI.jpg

ま、これも世のため人のため、まわりまわって世界平和のためである。

Posted by ファンキー末吉 at:18:41

2007年05月23日

・・・平和やなぁ・・・

日本から帰って来たらいきなり電話で呼び出された。
「明日ヒマか?」
だいたいこちらの仕事はこのノリでブッキングされるので、
まあ何のことやらわからないながら出かけて行った。

途中のうちの近所の交差点。
信号が青になったにもかかわらず車が進まないのでふと見てみると、
Sheep.jpg
なんと羊飼いが羊を連れて幹線道路を横断しているのである!!

ちなみに、
普段ひっきりなしにクラクションをならす中国人ドライバーも、
羊相手になす術もなくおとなしく通り過ぎるのを待っていた。

・・・平和やなぁ・・・

呼び出された現場に着いてみれば、
そこで何やら「リズムクリニック」とやらが始まると言うのである。
スタジオで一番売れっ子のベーシスト、張嶺(ZhangLing)と、
崔健(CuiJian)のバンドのドラマーとして活躍している貝貝(BeiBei)がちょっとしたデモ演奏を披露し、
終了後、
「さあ、それではみんなで写真を撮りましょう!!」

RythmClinic.jpg

ワシも一緒に呼ばれ、
招待されたマスコミがバチバチと写真を撮る。
それで今日のプログラムはおしまいである。

それだけ?・・・

ちなみに今日呼ばれた人、
全てこの国では名だたるドラマーとベースプレイヤーである。

まるでワシらがここで教室やるみたいやん!!!

まあここ中国ではよくある話である。
数年前も
「新しく音楽教室が開校するから来てくれ」
と呼ばれて行ったらでかでかとワシのポスターが貼られていて、
堂々とここの客員講師として宣伝されていた。

もしワシの名前に釣られてここに入校した生徒がいたらそりゃサギやん!!
と思ってその点をつついてみたら、
「それだったら本当に我が校で講義してもらってもかまいませんよ」
と丁寧に言われたが、
そんなヒマはないだろうから丁重にお断りした。

・・・平和やなぁ・・・

次の日はカナダのシンバルメーカー「Sabian」の人から
「ドラムコンテストの決勝戦があるから見に来てくれ」
と言われていたので出かけて行った。

DrumContest.jpg

全てのプログラムが終わり、
ワシ同様に呼び出されてやって来た全てのSabian中国地区モニターであるドラマーは、
舞台上に呼ばれ、マスコミ達がそれを写真に収める。

でもワシ・・・モニター言われたって・・・
まだシンバル1枚ももらってないんですけど・・・

我が愛する街・・・北京・・・平和である・・・

Posted by ファンキー末吉 at:13:50

2007年05月10日

さすが中国

もうライブの隠し撮り(堂々と撮っていたが・・・)がUPされてました。

http://www.6rooms.com/watch/562206.html

これは日中お友達ライブでの田川くんのソロ曲。
ぶつぶつ切れるけど、我慢して最後までバッファすれば後はきれいに見れるよ。

それにしてもこの曲だけUPされたんじゃ、
世界の二井原がただの司会者とカメラマンではないか!!!
後ろで手拍子してる姿が特に・・・(涙)・・・

世界平和はまだ遠い!!!

ps.インタビューはちゃんと撮られてた。
http://bn.sina.com.cn/rock/2007-05-04/23277031.html

しかしU-Tubeでは二井原実と言うのは・・・
https://www.youtube.com/watch?v=teT7nJza1mo

Posted by ファンキー末吉 at:23:26

2007年05月06日

MIDIロックフェスティバル

MIDIロックフェスティバルは、
もともとMIDI音楽学校の文化祭としてスタートした。
開校は俺が90年に初めて北京に来た頃で、
91年と95年(だったかな?)、
俺も特別講師として呼ばれて講義をしたことがある。

当時の学校施設はお世辞にも立派とは言えないもので、
一応「現代音楽」を教える専門学校として登録はしているものの、
実のところここが中国で唯一「ロック」を教えてくれる学校であることは周知の事実で、
その「ロック」を政府はまだ目の敵にしていた時代だったので、
その学校やこのイベントの歴史が順風満帆でなかったことは想像に難くない。

幾多の困難を乗り切り、
このMIDIロックフェスティバルはのべ10万人以上を動員するアジア最大のロックイベントとなった。

校長であり、このイベントのプロデューサーである張帆(ZhangFan)に街でばったり会う度に、
「Funky、今年こそは出演してくれよ」
と昔から言われてはいたのだが、
なにせこれだけ大きなイベントなのに出演料は「ゼロ」である。
日本から誰かを呼ぼうにも全部持ち出しとなってしまう。

悩んだ末に、今年は盲目のギタリスト田川くんを呼ぼうと心に決めた。
俺が初めて彼のギターを聞いた時の感動を
中国のロックを愛する若者にも与えてやりたいと思ったからである。

張帆(ZhangFan)に電話したら、
「それは素晴らしい!」
の一言で即出演は決定したのだが、
よくよく話を聞いてみると、ボーカリストがいないユニットは
メインステージではなくその隣の小さなサブステージでの出演となると言うことである。

渡航費まで持ち出してノーギャラで出演してサブステージではやはり面白くない。
「メインステージじゃなきゃヤダ!」
と駄々をこねてみるが、
「わかってくれよ、
毎年どれだけのバンドがメインステージに出たいと言ってくるか・・・」
と泣きを入れられたりしたらもう仕方がない。
一時は出演をあきらめたのだが、
ボーカリストと言われてふと思いついたのが「世界の二井原実」の存在である。

「LOUDNESS」って知ってる?
張帆(ZhangFan)にぶつけてみると、
「知らない」
とあっさり一言。
LOUDNESSが世界を席巻してた時代は、
中国ではまだロックが解禁されてなかったのである。

「よかったらその音を聞かせてくれないか」
と言うので、ふと思いついてLOUDNESSではなく
XYZの中国語バージョン
を送りつけてみた。

「何て素晴らしい音楽なんだ!!メインステージ出演決定!!」
さすがは世界の二井原実、即決である。
まあ結果としては田川くんのついでに二井原を呼んだみたいになってしまったが、
同じバンドのよしみで許せ!二井原!
これも全て世界平和のためである!

かくして二井原と田川くんがやって来た。
さすがに田川くんと介添人にうちの院子に泊まってもらうのはあんまりなのでホテルをとったが、
持ち出しにも限界があるので二井原にはうちの院子に泊まってもらった。
(許せ!二井原!!これも世界平和のためじゃ)

さて、現地の若いベーシスト韓陽(HanYang)と共にうちで2日間ほどリハーサルをした後、
予想通り会場でのサウンドチェックもなくいよいよ本番である。

写真:次の出演者の出番を待つオーディエンス
Audience.JPG

こんな大きなイベントで、
しかも中国なんだから仕切りは予想通り最悪である。
田川くんの日本製のエフェクターは
現地スタッフがそのまま220Vに接続してしまい電源が焼けてしまった。
俺は自分のドラムのセッティングもそこそこに、
他の出演バンドにエフェクターを借りに走る。
嫁は電池をGetすべく走り回る。

同行取材で張り付いている日テレのカメラマンから電池の方が先にGet出来た。
エフェクターは電池で正常に動くようである。
とりあえず音を出してみる。

TagawaInMIDI.JPG

サングラスをかけて、何故かアンプをすぐ手元にセッティングしている変なギタリストが出す音に
客席はいきなり狂喜乱舞する。

「ウォー!!」

気を良くした田川君はまたギターを弾く。
観客はまた狂喜乱舞し、会場は演奏前から超ヒートアップである。

(ギターのサウンドチェックで狂喜乱舞するオーディエンスの声)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?guitarcheck

準備が整った。
二井原が客を煽る。
客席は更にヒートアップする。

(世界の二井原の煽り)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?NiiharaAudience1

「生きるとは何だ?!」
二井原がタイトルを絶叫すると同時に
俺はハイハットを全開にしてカウントを叩き出した。
テンポ180を超すXYZの超速ナンバーが始まる。
命の限りツーバスを踏む俺。
首も折れよと頭を振る二井原。
客席の反応は・・・

しーん・・・・

それまで興奮のるつぼだった観客を一気に置いて行ってしまった。。
曲が始まるまであれだけヒートアップしていた客は、
それまで聞いたことがない超速ナンバーについて行けず
いきなりどん引きしてしまったのである。

喉も裂けよと叫ぶ二井原、
腕も折れよと叩きまくる俺、

・・・しーん・・・

ところが何万人のどん引きしたオーディエンスが、
ギターソロが始まる頃までにはだんだん変化が見られて来た。
ひとりが正気に戻って隣をつつき、
つつかれた人間がはっと我に返りこぶしを上げる。
そしてギターソロでは客席全員がついにヒートアップ。
気を良くした田川くん、
ギターソロ終わりでリフに戻るところにも超絶テクニックでソロをちりばめる。

「ウォー!!」

(ギターソロに狂喜乱舞するオーディエンス)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?IkiruGT

1曲目を大狂乱のうちに終えた俺達は、
予定通りそのまま2曲目の「Why Don't Ya Rock And Roll」につなげるべく、
エンディングのかき回しの中、そのまま客席を更に煽る!

「Everybody say Yehhhh!」
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?IkiruLast

さすがは世界の二井原実である、
オーディエンスは再び超ヒートアップ。
俺達はかき回しを大仰に締め、
そのブレイクで二井原が「Why Don't Ya Rock And Roll」を歌い出そうとしたその瞬間、
「すみません、ちょっと止めて下さい。MCが入ります」
とスタッフが飛び出して来た。


悪い思い出がよみがえって来た。
15年前、ラジオ局のイベントに爆風スランプで出演した時に、
1曲目が終わった時にいきなり中止命令が出たのである。
いきなりMCが出て来て
「ありがとうございました。爆風楽隊のみなさんでした」
と送り出そうとする司会者を無視して俺達は演奏を続けた。

結果、電源を落とされ、
PAスタッフは羽交い絞めにされて連れ出され、
それを止めようとしている中国人スタッフが
公安にぼこぼこに殴られているのがステージ上からもはっきりと見える。

ドラムとアンプの生音だけで予定の4曲を全て演奏し終わって
俺達は別室に軟禁された。
中国人スタッフは
「お前らは外国人だからまだいい。
中国人の俺はきっと奴らに殺されるんだ」
と震えていた。

もう15年以上も前の出来事である。
考えてみればこの同じ国の中で同じようにロックをやって、
それが許される方がおかしいのかも知れない。


MCを無視して曲を始めるべきか、
それともここはおとなしく引き下がるべきか・・・
スティックを持った手に汗がにじむ・・・

MCが口を開いた。
「みなさん、ここでこのギタリストのことをご紹介しましょう。
彼は先天性の病気で全盲になり、3歳の時にギターを始め・・・」

何でここでお前が出てきて田川くんの紹介せなあかんねん!!!

ありえん!
ありえなさすぎる・・・・


中国語がわからない二井原は次の曲を歌い出すに歌いだせず、
宙に向かって口をパクパクさせている。
あきれ顔で俺は二井原に目くばせした。

「いいよ。次の曲入って(ちょっと投げやり)」

それからと言うもの、
同様に客席はヒートアップしているものの、
少し方向性が変わって来た。

Audience2.JPG

リズムに体を合わせ、手拍子を打ち、彼らが待つものは・・・
・・・ギターソロ・・・

「Why Don't Ya Rock And Roll」、
今回のアレンジではフリータイムのギターソロを入れてある。
二井原のボーカルと掛け合いながらギターがソロを弾き、
そして二井原の合図でまたブレイクダウンして最初から煽り直してゆく。
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?WhySolo
客席がヒートアップして叫ぶ言葉は、

「SOLO!SOLO!」

エンディングから続けてドラムソロ。
DrumSolo.jpg

http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?drumSolo
続けて俺は中国語で田川くんを再び紹介する。
「次は彼のギターインストナンバーだぞ!!」

http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?gtSoloEternal

その間お休みの二井原は、
狂喜乱舞する客席を、そして超絶テクニックで弾きまくる田川くんを
自分のビデオカメラでシューティングする。
世界の二井原実、この日は明らかに田川くんの「前説(まえせつ)」、
そしてカメラマンであった。
(許せ、二井原!これも全て世界平和のためじゃ!)

最後のナンバーは、
XYZの5枚目のアルバム「Wings」の最後に収められてる
「Wings~Fire Bird」のメドレーである。
10分を超えるこの大曲を二井原は今回中国語バージョンで歌う。

Lyrics1.jpg

曲調はバラード。
ギターと歌だけで歌うこの前半の部分では、
もちろん初めて聞く中国人が狂喜乱舞したりはしない。
ストリングスオーケストラの短い間奏の後サビに入る

Lyrics2.jpg

ドラムとベースがハードに演奏に加わるサビでは
何割かのオーディエンスが拳を上げたりしているが、
果たして歌詞が聞き取れているのかどうか・・・

メドレー後半のFire Birdにつながるこの中間部分ではいきなり変拍子になる。

Lyrics3.jpg

もちろん手拍子を叩くことも出来ない。
どうやって盛り上がっていいか作った俺でさえよくわからないアレンジである。

そしてリズムがテンポアップして後半の「Fire Bird」に入る。
XYZのライブではここで橘高が狂ったようにヘッドバッキングを始め、
客席もそれにつられてヒートアップするのだが、
盲目の田川くんが橘高のようなヘドバンをすることは出来ない。
ツーバスを振りながら頭を振る俺に煽られ、
ある者は一緒に頭を振り、ある者は拳を振り上げ、
しかし大部分のオーディエンスは相変わらず立ち尽くしている。

Lyrics4.jpg

命の限りツーバスを踏み、命の限りシャウトする。
ちなみにこの曲にはギターソロはない。
伝えたいことを命の限り演奏するのみである。

演奏は全て終わった。
(終演後のオーディエンスの声)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?midiending

数万人のオーディエンスにはそれが伝わったのかどうか・・・
俺は演奏後ベースの韓陽(HanYang)に聞いてみた。

「うーん・・・このイベントに来る客は、
どちらかと言うとアホなパンク聞いて盛り上がって
楽しく帰ればそれでいいと言う奴ばっかりだけど、
お前らの音楽は明らかにそれとは違う、
中身があると言うか深いと言うか・・・
こんな深い音楽性なんて奴らには絶対わかんないんだよね・・・
でも聞いた人はそれを心の深い所に刻まれて持って帰り・・・
あとで効いてくると言うか・・・
・・・うーん・・・何て言えばいいのか・・・」

難しい中国語は俺にもわからないから簡単に聞いてみる。
「まあ、よくわかんないけど、
じゃあとりあえず反感はなかったって感じかな?」

「いや・・・反感とかそう言うもんじゃなくって・・・
俺達中国人は聞いたこともやったこともないんだ、
こんな音楽・・・NiuBi(牛のオマンコ:Fuckin Greatの意)・・・
何て言うか・・・お前ら・・・凄すぎるよ・・・
特にギターの彼はもう・・・何て言ったらいいか・・・
・・・凄すぎる・・・」
最後は言葉にならず、彼は号泣してしまった。

片付けを終えた嫁が潤んだ瞳で俺にこう言う。
「パパ・・・私・・・今日はドラムの後ろで泣いたわ・・・
だってあの曲・・・パパがどれだけ命を削って生み出したか・・・
それを二井原さんがどれだけ苦労して中国語で歌ったか・・・
でもそれは発売されることもなく、
今日やっと日の目を見たと言うか、
中国人がこれを聞いて拳を振り上げてるのを見て、
私はもう涙が出てきて止まらんかった・・・」


俺達は音楽を生み出すのは別に人に認められようとして作るわけではない。
ある曲はランナーのように巨額の富を生み、
ある曲は全然日の目を見ずに終わってしまうこともある。
それでも俺達は作り続ける。
生み出す時はどんな曲でも同じである。
世に出たいかどうかは曲自身がそれを決める。

俺たちがロックをやること、
それは「金」や「名誉」を作っているのではない。
「歴史」を作っているのである。

中国でこんな自由なロックフェスティバルが行われる日が来るなんて、
当時の俺達は夢にも思わなかった。
でも「歴史」はそうなったのである。
その陰で俺はしこたま暗躍した。
この曲が次の「中国ロックの歴史」をどう変えるのか、
それは人知の及ぶところではない。
「歴史」が決めることなのである。

ただ俺達はこうやってロックをやり続けるのみである。
全てはその延長線上にある。


翌日はライブハウスで「日中お友達ロックライブ」を開催した。
ライブハウスはやっぱりいい。
非常に盛り上がって幕を閉じた。

帰国する時には空港でそのライブを見に来たファンから写真を一緒に撮ってくれと言われた。
「あちらのギターの方も是非一緒に」
と田川くんには言うのだが
喉の保護のために首にタオルを巻き、
山ほどの荷物をカートに乗せて押していってる二井原には気づかない。

世界の二井原実、
その声とパフォーマンスで数多くの中国人をノックアウトしたその男は、
結局は「荷物持ち」としてこの国を去ってゆくのである。
心配するな、 二井原!
お前が中国人に残した感動は必ず中国のロック史を変える!

・・・と願いたい・・・

(おまけ:SOLOコールをする観客。うん、思ったより世界は平和である)
http://fretpiano.com/sound/dl/dl.cgi?Audiencesolo

Posted by ファンキー末吉 at:10:02

2007年02月20日

廟会は楽し

中国は旧正月である。
日本で言うと初詣みたいなもんであろうか、正月は神社とかで廟会が催される。
出店がたくさん出て楽しいので今年も出かけて来た。

MiaoHuiGate.jpg

中は人だかりで、午後ともなるとすし詰め状態で動けなくなるが、いろんな屋台が出て楽しい。

MiaoHui1.jpg

紙芝居もあったし、

Kamishibai.jpg

お面屋さんも出てたし、

Omen.jpg

鯉のぼりも売っていた。

Koinobori.jpg

モンモンのポスターを発見!!

AiMengMengPoster.jpg

そうかそうか、やっと日の目を見れてよかったねぇ・・・

さて、こうして買い物や買い食いなども楽しいが、毎年入ってみたくて入ったことのないこの出店

MisemonogoyaPoster.jpg

見るからに「見世物小屋」である。
暖冬の今年と違って去年は非常に寒かったので入りたくて入りたくてしょうがなかったが断念した。

一番見たい出し物がこれである。

2HeadGirlPoster.jpg

ふた首女・・・
まさに「親の因果が子に報い・・・」の世界である。
こんなのがなければ場末の見世物小屋とは言えない。

入場料は10元。
高いのか安いのか微妙な値段である。
日本で言うと街の空き地に出来たお化け屋敷に1000円払うようなものであろうか・・・

期待に胸を膨らませて中に入ってみると


客はまばら・・・
それでこそ場末の見世物小屋!!
これで客が超満員だったら逆に興醒めである。

MisemonogoyaAudience.jpg

入った時には1ステージ目最後の出し物をやっていた。
カンフーSHOW!!
しかし別に身体を鍛えてるような少年ではないのだが、奇妙なカンフーのようなポーズをしながら、最後には皮膚に針を刺して、それにレンガをくくりつけて引っ張り上げると言うショーであった。

GongFuShow.jpg

そして5分の休憩の後、2ステージ目が始まる。
入れ替えはない。
入れ替えなんかしてたら見る客がいなくなるからである。
飽きるまで何回見てもいいと言うことになっている。

MagicShow.jpg

最初の出し物はマジック。
客はぴくりとも反応せず、拍手もない。
これでこそ場末の見世物小屋である。
客席でワシひとり興奮に胸躍らせていた。

そして早くも次の出し物でワシの興奮は最高潮の達したのである。

SnakeShow.jpg

出たぁー!!!蛇女である。
ポスターの蛇とは全然違うどじょうのような蛇を5分ぐらいかけてゆっくり口に入れてゆく・・・
いや、結局は口に入れると言うより先っぽをちょこっと咥えただけでおしまいである。

チープである!
チープ過ぎる!!!

更に二人組みで見るからに柔らかそうな鉄の棒を曲げるカンフーSHOWや、先ほどの蛇女の行うマジックSHOWなどが続き、そしてまたもや蛇の登場!!!

SnakeShow2.jpg

今度は2匹である。
司会者は「鼻から蛇を入れて口から出す」と言っているが、なんのこっちゃない、鼻に1匹の頭を入れ、口にもう1匹の尻尾を咥えているだけである。

シュール過ぎる!
渋すぎるぜ!!!

そしてクライマックスはついにふた首女の登場である!
司会者がカーテンを開け、大きな箱をステージに運び込み、その箱を開けると、中には果たしてそのふた首女が座っていた!!

2HeadGirl.jpg

もちろん前のおばはんの方に後ろから女の子が首をのせているだけである。
またどうしてひとりがおばはんでひとりが若い女の子なのか理解に苦しむところが非常によい!!
ワシはもう脳みそが沸点に達し、何を考えることも出来なくなり、夢心地の中、司会者からマイクを向けられたそのおばはんが「ニイハオ」と言うのを聞いた。

ああいいものを見た!
今年はいい年になるであろう!!

Posted by ファンキー末吉 at:17:30

2007年02月08日

大変だぁ!!

今日はオーケストラとの競演である。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。

入り時間が早いので目覚ましを7時にかけていたら、何故か5時に鳴って起こされてしまった。
しかしそんなことが「大変」なわけではない。

仕方ないから今日着る衣装選びでもするとしよう。
「オーケストラから浮かないように黒い服を着てきてくれ」と言われているので、
まあドラマーなんだから黒いTシャツがタンクトップでも着てゆけばいいようなものなのだが、
昨日届いた招待状を見ると、今日は映画人のイベントで、参加者は赤い絨毯を歩いて舞台に上がるらしい。
アカデミー賞みたいなもんか・・・

まあそんなことが「大変」なわけでもない。
物置から懐かしい衣装を引っ張り出して来た。

ISHOW.jpg

絹ではないがそのような光沢があり、ロック的でもあるので髪の毛振り乱してドラムを叩いてても様になる。
問題はこの下に穿くズボンである。

ここ数年、ジャージとか短パンとかぼってりしたズボンとかしか穿いたことがないが、この服にはとてもじゃないがピシッとしたズボン以外は合わないのである。

Gパンはひとつしか持ってないが、ここ数年穿いたことがない。
最後に穿いた時にはやっとの思いでボタンを留めたが、立ってて苦しいのはいいが、座ってドラムを叩ける状況ではなかったので、結局ボタンを外して社会の窓全開でドラムを叩いた記憶がある。

皮パンが光沢もあり理想なのじゃが、亜州鼓魂のレコーディングの時に股が破けてしまい、応急処置で自分が縫ってそのままである。

眠気眼で嫁が、「ほな私の皮パン穿いたら?」とタンスを指差すので引っ張り出して穿いてみた。

だいたいうちは服を共有できる夫婦である。
一般的に女性の方が男性より体脂肪率が高いので、慣れない異国の地での生活を「食生活」で楽しくしている嫁の皮パンなら絶対に穿けると思って足を通してみたら、
そう・・・足を通しただけで終わってしまい、とてもチャックを上げるまでいかない・・・

サァー・・・(血の気が引く音)・・・

俺は嫁に付き合って毎晩うまい物食って、安いもんでビールがんがん飲んでるうちにここまで来てしまったのか!!!

物置を引っ掻き回して、たったひとつしかないピシッとしたズボン、昔のGパンと皮パンを引っ張り出して来る。
足を通してみると、何とか足だけではなく腰も通るようである。

息を思いっきり吐いて腹筋に思いっきり力を入れて、ようやくボタンをとめ、鋲のついた分厚いロックベルトでぎゅうぎゅうに締める。
心なしかベルトの上からお肉が覆いかぶさっているような気がするが、まあ何とか赤い絨毯の上を歩けないことはない。
問題はどうやってドラムを叩くかである。

かくなる上は今から腹筋を繰り返し、もちろん本番までは絶食!
待ち時間は爪先立ちで過ごし、時間が許すなら車なんか使わずにドラム担いで会場まで歩いてゆくしかない!

そうかぁ!そのために神様は俺を2時間早く起こしたに違いない!!

と言いながら、朝からこんなアホなブログ書いてるうちに時間になってしまった。
とりあえず衣装持って会場行ってから考えよう。

Posted by ファンキー末吉 at:07:11

2007年02月05日

泥棒

先日のことである。

草木も眠る丑三つ時。
嫁のけたたましい声で目を覚ます。

「パパ!!起きて!!泥棒よ!!」

院子の外の大門ががちゃがちゃ鳴り、外では犬がけたたましく鳴いている。

YuanziMap1.JPG

だいたいうちに泥棒が入ると言うのは普通では考えにくい。
うちの院子の外の大門が夜になると閉まるので、(と言っても鍵はかかってはいないが)
その門を開け、うちの院子の門を開け、そしてうちの寝室の門を開けて忍び込むのだから大変である。
見知らぬ人が入れば犬は吼えるわ、周りのロッカー達には見つかるわ、通常ならば外部からはなかなか泥棒には入りにくいシチュエイションである。

ところが泥棒は入った。
外の大門ががしゃがしゃいっているところを見ると外部の人間である。

「盗まれたものはないか?!!」

見れば枕元のテーブルに置いてある嫁の携帯がふたつとも(ひとつは日本の、ひとつは中国の)なくなっている。
ワシの中国の携帯は枕元で充電していたので無事だったが、寝室の入り口に無造作に置いてあった日本の携帯は見事に盗まれていた。

YuanziMap2.JPG

夜型の生活を送る重田はまだ起きていて、ちょうどヘッドホンをしていたので物音は聞こえなかったと言う。
スタジオには500万円とも言われる高級機材があり、リハーサルルームにはドラムやギターアンプ、ベースアンプ、そして簡易レコーディングが出来る録音システムもあるが、それらには目もくれず、犯人は外の大門を開け、カギをかけてないワシの院子の門を開け、そしてその日たまたまカギをかけずに寝てたワシらの寝室にわき目も振らず直行し、大胆不敵にも嫁がフゲーっと(かどうかは知らんが)寝ているそのすぐ隣の携帯電話をわしづかみにし、そして帰る時にドアの横に置いてあるワシの携帯を持ち、ジャラジャラとうるさいキーをつけたそのケースをドアの外に捨て、一目散に外に逃げて行ったと見える。

ワシはすぐさま3つの携帯に電話をしたが、電源をじゅんぐりに切られ、最後にはどの電話も鳴らなくなった。
重田はすぐさま外に追いかけて行ったが、その姿を見つけることは出来なかった。

嫁の中国の電話はプリペイド式なので、今チャージされてる分を使い切ったらそれで終わりなのでよいが、日本の電話はこちらでローミングされており、そんなもんでじゃんじゃん電話されたらたまらないのですぐさまSoftBankに国際電話して電話を止めてもらった。

腹が立つのは日本の電話はSIMロックがかかっているため、こちらではROMを焼きなおすとか、大改造をしないと使えないのに盗まれてしまったことである。
盗んだ者にとって実は何も価値がないのに盗まれたと言うのが今となってはくやしくてたまらない。

今はこれにこりて、夜中は必ず院子の門と寝室のドアにはカギをかけて寝ているが、しかし腹の虫はおさまらない。
犯人は必ず現場に戻って来ると言うので、今度はいろいろ仕掛けをして報復してやれと頭をめぐらす。

1、犯人がドアを開けたら上から金タライが落ちてくる!
(ドリフターズ的で楽しいが、その割に犯人に与えるダメージが少ない)

2、ドアを開けたら頭から水をぶっかぶる!
(冬なので効果てき面だが、水は夜中には凍ってしまう可能性もある)

3、水ではなく満載したうんこをひっかぶる!
(精神的に与えるダメージは最高級だが、後の掃除が大変である)

4、日本のATMで使われている特殊塗料入りのボールが炸裂する!
(後の追跡にとっても効果的だが、中国では入手困難である)

5、院子の門が鉄製なので電流を流しておく。
(電気代が高い)

6、門を開けた途端に打ち上げ花火の水平発射!
(発火装置の製作が難しい)

7、長い竹を水平に思いっきりしならせて、一歩中に入ったら顔面にハリセンをかませる!
(ちょうど顔面に当たるように調整するのが難しい)

アイデアとしてはいろいろ出るのじゃが、それを実現するための仕掛けを実際に作るのは実は非常に骨が折れる。
実は仕掛けとして一番簡単なのは手榴弾なのである。
うちの院子の門は写真のような掛け金でカギを止めるようになっているので
MenYaoShi.jpg
その掛け金の一方に手榴弾のピンを結びつけて置くだけで、門を開けばその力でピンが抜け、手榴弾が落下し爆発・・・
一番簡単な仕掛けである。

しかし院子まで全部爆破してしまっては元も子もないので殺傷半径1メートルぐらいの手榴弾がないかどうか専門家に聞いてみたら、(周りにそんな専門家がいるんだからワシの交友関係も大したもんである)
なんと練習用の手榴弾がちょうど殺傷半径1メートルぐらいだと言う話である。
これはいい!と思っていたらそこには大きな穴があった。
よく映画なんかで見る手榴弾は、ピンをかっこよく口かなんかで抜いてそのまま投げて爆発しているように見えるが、実際はピンを抜いてから手榴弾のケツを何かにぶつけてから投げるらしい。
つまり、ピンを抜く、手榴弾のケツを何かにぶつける、と言う2アクションが必要だと言うことである。

と言うわけで手榴弾は却下・・・

そんなこんなでその後も日々いろんなアイデアを考えているのじゃが、何よりも犯人の捕獲を目的とすると、犯人を門のところで撃退するのではなく、中まで引き入れてから仕掛けが作動するような時差装置が必要である。
出来れば仕掛けが作動してから門を閉めてしまい、それからゆっくり犯人をいたぶるのが望ましい。

何かそんな時差装置はないか・・・
そんなある日、高知の子供たちに電話をしてたら向こうからテレビの音が聞こえて来た。

「ピタゴラスイッチ」

そうだ!この教育番組のピタゴラスイッチこそその理想の時差装置ではないか!!!
毎週このコーナーの始まりには、スイッチを入れると鉄球等が転がっていろんな仕掛けをONにしてゆき、最後には「ピタゴラスイッチ」と言うタイトルが出てくるこの装置こそが理想の時差装置である。

犯人が院子のドアを開ける。
その時にこのピタゴラスイッチはONとなり、犯人の気づかないところでレールの上を鉄球がゆっくり転がってゆく。

レールの端まで来ると玉は籠の中に静かに落ち、その籠が重さで下に下がることにより、次のふたつのレールの鉄球のストッパーが外れ、別のレールを転がり始まる。
ひとつは向かいに住む老呉の寝室まで転がって、彼の枕元のブザーのスイッチを押し彼を起こす。
もうひとつは寝室の中の敷布団の下に敷いたマッサージの機械のスイッチを入れ、ワシら夫婦を音もなく振動で起こす。

ワシらが実は目を覚ましていることを知らない泥棒は、わざとカギをしていない寝室のドアをそっと開ける。
寝室のドアは内開きなので、ドアに取り付けたヒモはドアの入り口の上に置いてある洗面器を支えてあるつっかえ棒を引っ張り、つっかえ棒が外れた洗面器は中に入った水を泥棒の頭からぶちまけると共に、その洗面器に取り付けられたヒモが引っ張られ、院子の入り口に仕掛けてあるシャッターの留め金を外し、シャッターが勢いよく音を立てて閉まると共に泥棒が最後に見るのはそのシャッターに書かれた文字。

「アホが見るブタのケツ!」

それを最後に泥棒は視力を失う。
何故ならば洗面器に入っている水は、ただの水ではなく唐辛子入りの激辛水だからである。

焼けるような目の痛さに藁をもつかむ思いでそばにある藁をつかむと、今度は頭上から臼が落ちて来る。
臼には栗が真っ赤に焼かれて待機していてここぞとばかりに泥棒目がけてはじけ飛んでゆく。

「うわっちっち!これはたまらん」

とばかり泥棒は手探りで風呂場まで行くのだが、飛び込んだ浴槽の水の中にはカニがかくれていて、泥棒の大事なところをチョッキンと攻撃する。

「んぎゃー!」

と声にならない悲鳴を上げた泥棒はここでウンコを満載したバケツにけつまづき、頭からウンコをひっかぶり命からがら浴室から脱出する。
その頃になってピタゴラスイッチの時差装置によってやっと発火装置に火がついた打ち上げ花火が一斉に水平発射を始める。

「たまや~かぎや~」

そう、狙いはひたすらタマである。
タマを直撃された泥棒はあまりの痛さに失禁し、その尿が床に滴り落ちた瞬間に床に流された220Vの電流がそのまま尿を伝わってタマタマを襲う。
命からがら院子の出口までたどり着いた泥棒は狂ったようにそのシャッターを蹴破り、院子の鉄製のドアに手をやった瞬間に「ジュッ・・・」っとおいしそうな音がして手が焼け焦げる。

「あちちちち」

とばかり傍らの洗面器に手を突っ込むと、その中に入っているのは水ではなく瞬間接着剤A液である。
ピタゴラスイッチによって既に電気で真っ赤に焼かれた鉄製のドアの熱で、その頃には天井に留めてあったプラスチックの留め金が溶けて頭上からB液が落ちて来て泥棒にひっかかる。
もんどおり打って床に手を着いた泥棒はそのまま床に手が瞬間接着されてしまい、そのまま両手を床につけたまま逃げようと腰を上げるが、その尻目がけて強力なハリセンが飛んでくる。
尻を真っ赤に腫らせて動けない泥棒はそのまま尻を上げたまま許しを請う。

「もう悪いことはしません。どうか許してください」

その頃ゆうゆうと起き出して来たワシら夫婦と老呉は、1枚の契約書を泥棒につきつける。
ずーっと一連を撮影していたビデオの肖像権等を放棄する契約書である。
サインをすることを条件に泥棒を解放してやり、ワシらはそれをネットにUPして大儲けをしよう、そう言う魂胆である。

こんなおもろいビデオ、ネットにUPしたら数千万Hitoは間違いない!
早く来い来い泥棒さん。
ピタゴラスイッチが待っている。

しかしほんまに作れるんやろか・・・
ほいでもって酔っ払って自分がひっかかったらどうしよう・・・

Posted by ファンキー末吉 at:16:03

2007年01月28日

Wyn来たりて風邪を引く

Wyn Davisと言えばロック界では世界的に有名な大御所エンジニアである。
彼のLAのスタジオ、「Total Access Studio」には、Guns and RosesやDokenなどのプラチナディスクがところ狭しと飾られ、レコード棚にはそこでレコーディングしたXYZのCDが申し訳なさそうに末席を飾る。

1999年にXYZのデビューアルバム、「Asian Typhoon」をレコーディングしてからの付き合いなので、もうかれこれ8年がかりの付き合いになるのだが、何の縁なのか、一度も日本に来たことがない彼が今回でもう3回目の北京である。

1度目の北京は当時プロデュースしていた零点のコンサートのライブレコーディングのため。
そして2度目の北京は我がファンキースタジオを作りにやって来てくれた。

つまり過去2回はワシに呼ばれてやって来たのじゃが、今回だけは違う。
「ファンキー、むっちゃ安いチケットがあったんやけどその時期なんかプロジェクトないか?」
とメールが来たのである。

何かと言われても、Wynを呼べるだけのバジェットがあるバンドは中国ではまあ零点ぐらいなもんやし、今ワシが手伝ってるバンドは布衣を含めみんなペーペーのド貧乏である。
あと、BeiBeiと言うギタリストのアルバムも手伝っているので、
「お前ら、10曲言うても絶対無理やろうから、5曲分づつ金だして半分づつやってもらえ!」
ってなもんでWynの相場からしてみたらタダ同然の値段でまた北京までやって来てくれることになった。

200kgを越すと言うWynは例によって飛行機の座席が二人分必要じゃが、今回はお母さんも一緒に連れて来て、二つの座席をお母さんと一緒にシェアしながらやって来ようと言うことになった。
お母さんは痩せているのでふたりで座席二つ分と言うことである。

さて、お母さんは中国どころかアジアは初めての旅行である。
メールでさんざんやりとりをするが、LAで暮らしてる人たちにはどうもこの北京の寒さはピンと来ないようである。

「アメリカで言うたらアラスカ行くようなもんやからね(行ったことないが・・・)!死ぬほど厚着して来なアカンよ!」
とは言うものの、
「まあ寒かったら現地で防寒着買いますわ」
と非常にのんびりしている。

「お母さんのは買えるかもわからんが、Wynのはまずサイズがないよ!」
とさんざん言うのじゃが、
「うちの息子は非常に暖かいBodyを持っているので大丈夫ですわ」
とのんびりしている。

何せ、肌寒い秋の北京に、ワシはもう冬服を着てたと言うのに最後まで半そでで通した人である。
ひょっとしたらマイナス15度の北京にも半そでで来るかも知れんと思ってたら、本当に半そでに薄い上着を着ただけでやって来た。

WynAndMama.JPG

みなさん!本当にこの薄い上着の下は半そでのTシャツなんです!!!

見てるワシが風邪を引いてしまい、ひとり天安門や万里の長城などを観光していたお母さんが風邪を引いてしまい、最後にはやはりWynも風邪を引いてしまった。

そりゃそうじゃろ・・・

と言うわけで、鼻水をすすりながら10曲トラックダウンをし、また激安チケットの過酷なトランジェットでLAに帰って行った。
ワシはまだ風邪で寝込んでいる。


Posted by ファンキー末吉 at:22:00

2007年01月13日

イスラム文化のリハーサル

ABUDU.jpg

新疆ウィグル族の友人、阿布都(写真)がうちにリハーサルに来るようになってもう半年以上になる。
ロックバンドと違って、生ギター2本にパーカッション、エレキはあってもベースぐらいなので、ボーカルもPAで拾わなくてもいいし、ほぼ「アンプラグド」と言ってもいい編成なので、隣でレコーディングしてようが何してようが全然邪魔にならないのがいい。

毎日のリハーサルのかいあって、なんかもうすぐアルバムのレコーディングに入ると言うことで、ワシに数曲ドラムを叩いてくれと頼まれた。
まあそんな嬉しいことはないので二つ返事で引き受けて、今度はワシも一緒にリハーサルと言うことにあいなった。

Studio2.JPG

北京の貧民街にある我がFunkyスタジオは、リハーサルルーム(図面左下のRehearsal Room)にも簡単なレコーディングシステムがあり、特にバンド物などリハーサルが必要なものはここでリハーサルをやりつつ、テンポや構成を決定したらそれをマルチトラックに録音出来る。

今日び、レコーディングはドラムから順番に別々に録ってゆくのじゃが、ドラムを録音する時にはガイドとしてその他の楽器や仮ボーカルが必要なので、このシステムだとリハーサルが終わった瞬間に、もうドラムの本チャン録りの準備は出来上がっていると言うシステムなのである。
便利である。

かくしてリハーサルが始まる。
新疆ウィグル地区の民俗音楽がベースになっているので、さりげなく変拍子などが出てきたりもするので、とりあえず彼らだけで一度演奏してもらってそれを譜面にする。
そしてテンポを決めてそのクリックに合わせてドラムも一緒に録音しながら演奏してみる。
基本的なリズムアレンジなどに問題がなければそれでOK!
次の曲に・・・と思ったらいきなりリハーサルが中断し、お祈りが始まる。

文化が違えば大事にするものも当然違うので、それを尊重して彼らのお祈りが終わるまで待つこととなる。
前回お祈りに遭遇した時には、彼らは中央の院子(図面の真ん中、Terrace)で土砂降りの中一心不乱にお祈りしているのを見かけたが、今ではこのスペースには卓球台が置かれているのでここでは無理である。
っつうか、マイナス15度の北京の冬には屋外でお祈りは無理である。

次に広いスペースはリハーサルルームなので、「ここでやれば」と言うのだが彼らはそれを聞かず外に出て行ってしまう。
聞くところによると、部屋の中に酒を置いてあるような部屋だとか、不浄な飾りつけをしてる部屋とかはお祈りに適さないと言う話である。
結局彼らが見つけたのはレコーディング用のドラムセットを置いてあるレコーディングブース(図面右上のBooth)である。
ここはこのスタジオを一緒に作ったWyn Davisに「Empty room!」と言われ、なるだけ余計なものを置かないようにしているので、きっと彼らの言う「不浄な飾りつけ」などがないのであろう。

まあ飾りつけと言えば、
XYZ_BD.jpg
XYZ結成の時、パール楽器がわざわざアメリカのREMOに発注してくれて作ってくれたバスドラのヘッド(しかしデザイン的に穴を開けるスペースがなかったので結局使わずじまい)がドラムの後ろに掲げられているのじゃが、そう言えばこのもうひとつのヘッドを院子に掲げている時にもお祈りをしていたので、XYZのロゴはありがたくも「不浄なもの」ではないのであろう。

そうすると、リハーサルルームの何が不浄なのかと見渡してみると、いつぞやのドラムクリニックのポスター、
DrumClinicPoster.jpg

つまり「不浄なもの」、すなわちワシの顔!!・・・

まあよい、彼ら自身がそんな不浄な顔のワシにレコーディングを頼んでいるのである。
どこでお祈りをしようと暖かい目でみてあげようではないか!!

と言うわけで彼らのお祈りも無事に終わり、(あまりに厳粛なので写真撮影をする勇気はなかった・・・)次の曲のリハーサルが開始される。

次の曲は6分を超える民族調組曲で、構成を確認したりリズムアレンジをいろいろやっていたらもう夕方になってしまった。
何とかフルサイズで録音し終わると、「夕方のお祈りの時間なので今日はこの辺で」と言うことでお開きになってしまった。
家まで帰ってゆくとお祈りの時間に間に合わないのか、またドラムブースに引きこもってお祈りが始まる。

しかし・・・これって仕事的には非常に効率よくないのでは?・・・

イスラム社会・・・今だに謎である・・・


Posted by ファンキー末吉 at:20:37

2006年12月11日

おでん

映画音楽を「今月中に完パケしてくれ」と言いながら「監督がまだ北京に帰ってないので会ってから着手してくれ」と言うのもヒドい話である。

返事を待ってる間、隣の布衣楽隊のレコーディングをしつつ、BeiBeiと言う若手ギタリストのユニットのレコーディングをする。
ふたりともずーと私のスケジュールを待って待って久しいのでやれるうちにやっとかないと非常に悪いノダ・・・

と言うわけで、このふたつのレコーディングをとっとと仕上げて、映画音楽やらないならそのまま日本に帰ってしまおうと言うことで今ダブルブッキングで頑張っている。
日本に帰るには子供に頼まれたベイブレードとやらを買いに行かねばならない。
日本ではもう発売されてない種類のが北京のイトーヨーカドーにはあると言うのだ。
前回夏休みに北京に来た時にめざとく見つけているんだから子供はあなどれない。

ベイブレードの
●ガイアドラクーン メタルスパイク
●ドライガー メタルスラッシュ
●ドラシエル メタルシールド
と言われてもワシら大人にはさっぱりわからない。

午前のレコーディングと午後のレコーディングの合間にヨーカドーに行ったのはいいが、おもちゃ売り場の中国人の店員に聞こうとも中国語でどう言っていいのかさっぱりわからない。
仕方がないのでベイブレードとやらを全て出してもらい、片っ端から品名を確認してゆく。
これが種類が多いのよ・・・ほんと・・・

そしてやっとみつけたのがこの3つ。
BeyBlade.jpg

せっかくヨーカドーまで来たのだから買い物でもして行こうと地下の食品売り場に降りてゆく。
ここには日本食も置いてあり、おでんが隣の布衣楽隊の大好物なので(彼らの日本ツアーで一番おいしかった食べ物がローソンのおでんだったらしい)、買っていこうとしたら暖めるだけで食べられるレトルトパック詰めがもう売ってなかった。
あんなの買うのはワシら夫婦ぐらいだったのだろうか・・・

と言うわけでダイコンやらレンコンやらを買って自分で作ることにする。
ガンモドキやらチクワブやらハンペンやら、およそ中国語でどう訳していいやらわからないものは、「店内になければすなわち売ってない」と覚悟してあきらめる。
なんか今日はこんなことばっかりしてる日のようだ・・・

帰って来たら院子が非常に賑やかである。
久しぶりにAbudu率いる新疆ウィグル族のバンドがカシュガルから帰って来て久しぶりに練習しに来てるし、レコーディングルームではBeiBeiの中国Popロックがレコーディングされ、その間にある院子では午前のレコーディングを終えた布衣楽隊が卓球をしている。

ワシと重田はひたすら仕込みをしておでんを作る。
ODEN.jpg
日本酒もあるでよ!

豚肉を使ってないので君らも食べられるんじゃない?
とAbudu達も誘ったが、恒例のお祈りの時間になり部屋から出てこない。
恐らく断食の時期かなんかで食べられないのであろう。
彼らを除いて今日はみんなでぱーっとやりますか!!!

ps.北京在住の方でこのブログをいち早くチェックした人はすぐ来て一緒に食いましょう。


Posted by ファンキー末吉 at:17:17

2006年12月02日

そしてまた忙しくなる・・・

無錫から帰り、日本に行き、結局ずーっと飲んでばっかり・・・
命の洗濯、胃袋の消毒ってなもんである。

ところが帰って来てびっくり!!
日本では持って行った上着をバッグにしまってトレーナーだけで出歩くこともあったと言うのに、こちらは何と気温がマイナス8度!!
「寒い」と言うより「痛い」と言う感じである。

空港から院子に着いたらすぐせねばならないことが焼煤(ShaoMei)。
つまり石炭を焚いて暖房をせねば死んでしまうと言うことである。

貧民街の大部分の家庭では、一酸化炭素中毒でころっと逝くのも顧みず部屋の中で練炭を焚いているが、うちは部屋数が多いので各部屋でそれをやるよりはと言うことで、一括でこのようなボイラーで石炭を燃やす。
LuZi.jpg

この炎でお湯を沸かし、そのお湯が各部屋を循環し、部屋を暖めるのである。
(お湯はこの鉄板の中を廻り、その鉄板の熱で部屋を暖める)
NuanQi.jpg

この方式は石炭が燃える部分は部屋の外に設置してあるので一酸化炭素中毒の心配はないが、逆に熱効率から言うと直接部屋の中で練炭を焚くよりもはるかに悪い。
まあ寒くて死にたくもないが、一酸化炭素中毒で死にたくもないので我が家はこのシステムにしている。

石炭は1トン単位で購入し、値段は去年より50元値上がりして550元(8千円ぐらい)。
なくなった頃を見計らってオッサンが配達に来てくれる。
MeiKuai.jpg

ご存知の通り(そんなことを知っている人はあまりいないかも知れんが)、石炭はそれだけを放り込んで火をつけても火はつかない。
まず新聞紙などの燃えやすい紙を暖炉の一番下に引き詰め、その上に薪を入れてその上に石炭を乗せる。
ここでめんどくさがって石炭をドバーっと入れてしまうと火がつかないので、根気よく石炭を追加してゆくのがコツである。
また、勢いよく火がおこっても、そのままにしておくと水が沸騰して蒸発してしまうので、ほどよい加減で空気の量を調節するのも忘れてはならない。

火がちゃんとおきて、ボイラーが完全に温まるまでに大体2時間強・・・
極寒の中、それら一連の作業をやりながら、震えながらメールチェック、スケジュール調整・・・
北京の美人秘書のブッキングによると、今日はこの後、とある映画のプロデューサーとミーティング・・・

「なぬ?また映画音楽?・・・」
ひとつの映画が大ヒットすると、二匹目のドジョウを狙ってあらゆる映画がそれを模倣する。
それに出演した役者さんもいろんな映画にひっぱりだこになってるぐらいだから、その音楽を担当したワシにもいろんなところからお呼びがかかると言うもんである。

それにしても映画音楽って半年で3本もやるもんなの?・・・

ま、ヒマだと飲んでばかりいてまた太ってしまうからやりましょか・・・

Posted by ファンキー末吉 at:03:13

2006年09月21日

MengMeng(モンモン)の物語

AiMengMeng.jpg

重田から電話があったのがもう数ヶ月前。

「末吉さん、テレビ見ましたぁ?」
「いや、うちテレビないから・・・」
「超級女声、何気に見てたらMengMeng(モンモン)が出てて吐きそうになりましたよ」

超級女声とはいわゆるアサヤンの中国版みたいなオーディション番組で、
数年前からこれが大ブームになり、ここで優勝すれば、
いや、参加していいとこまで行くだけで、もう国内では大スターとなる。

「MengMeng(モンモン)」とは、ワシが昔プロデュース「させられてた」女の子。

「吐きそうになる」と言うのは、
この母親であるモンモン・ママが、北京の2大有名ママのひとりで、
これと関わりあったらタダ同然の仕事を延々とさせられたりして、
ワシの周りの人間は既に「MengMeng(モンモン)」と言う名を聞いたり、
見たり、電話がかかって来たりするだけで吐きそうになるのである。

北京にはこう言う親子はけっこういるらしく、
だいたいにして父親はおらず、歌好きの子供のマネージャーを母親が務め、
まあいわゆるリエママのようにステージマネージャーまで務め、
往々にして娘は男と付き合ったこともなく、
24時間、完全無菌培養で「成功」することだけに「人生の全て」をかける。

書いてるだけで吐きそうである・・・

「MengMeng(モンモン)」も例外なく男と付き合ったこともなく、
変な話、一緒に遊びに行く友達もいない(と見受けられる)。
ワシら仲間の鍋会に来た時も、
まあその時は珍しく(ほんとに珍しく)モンモン・ママが一緒に来なかったので、
「こりゃMengMeng(モンモン)が羽目を外すのを見ることが出来るかも・・・」
と思ってたら、8時を過ぎた頃から矢のように電話が入り、
結局MengMeng(モンモン)は鍋食ってそのまま自宅に帰ってゆく。

後で聞いたらそれでもかなり門限破りの時間だったらしく、
結局MengMeng(モンモン)はこっぴどく怒られてしまったらしい。

全てにおいてこんな感じだから彼氏なんて出来るわけもなく、
また本人も別に恋愛なんぞに興味もなく、ある時なんぞ
「私バラード歌えないんだよね、何が悲しいのかさっぱりわかんないし」
などとほざいてたので
「これはいかん!」とばかり、モンモン・ママに意見したことがある。

「プロデューサーとして失礼を承知で言わせてもらうけど、
MengMeng(モンモン)がこれほどの才能を持ちながら伸び悩んでいるのは、
ひとつにはあなたが完全無菌状態で育て過ぎているところにあると思う。
例えば彼女の好きなR&Bのルーツはブルースである。
汚れ、傷つき、ボロボロになって搾り出すような心の悲鳴、
それが美しい魂の叫びとなって歌となる。
このままで行くと彼女は一生そんな歌は歌えないよ」

まあいささか失礼ではあるのだが、
「まあたまには遊びに行ったり恋したり、失恋したり、
傷ついて初めて成長するっつうのもあるんじゃないの?」
と言うことである。
そしたらモンモン・ママはぴしゃりと一言。

「女の子は傷つかずに一生を終えるのが一番幸せなんです!!!」

年の頃は50過ぎ(かな?)
二井原の嗜好で言うとストライクゾーンど真ん中
であるこのちょっと中年太りのこのおばさんの顔を見ながら、
人から聞いた、とある悲惨な物語を思い出した。

その歌手も、同じくこのように無菌培養で母親に育てられ、
20も後半になって初恋を経験し、もちろんのこと母親に大反対され、
まあそれもそうである。
母親としたら娘を取られたら本当にひとりぼっちになってしまうのである。

結果その娘は思い悩んだあげく自殺してしまった・・・

・・・まあ人の家庭である。もうこれ以上とやかく言うのはやめよう。
その代わりこの思いを歌にしてプレゼントしてやろう。

そして出来上がったのが「紅舞鞋」と言う曲。
その靴を履いたら死ぬまで踊り続けてしまうと言う伝説の靴の話である。

DEMOを作り、詞のコンセプトを説明する。
「あんた達はもうこの靴を履いてしまってるんだよ。
もう脱ぐことは出来ない。死ぬまで歌い続けるんだね。
それでいいんだよね」

そしてその曲は
中国文化部主催オリジナル曲新人歌手コンテストで全国グランプリを受賞した。

そんな彼女を見初めたとある企業が彼女をイメージガールに起用し、
その企業のイメージソングを作って彼女に歌わせようと言うことで
去年(もっと前か?)ワシにその製作依頼が来た。

当時「紅舞鞋」はまだコンテスト参加のための録音状態で、
伴奏のみのラフミックスしかなく、歌入れもTDもしていない。
彼女達は彼女が歌を歌って稼ぐ収入だけで暮らしているので、
歌入れしようにもTDしようにも金がないのである。

北京に出て来たこんな親子を食い物にする悪い奴らもいるらしく、
デビューを餌に騙されたことも一度や二度ではないらしく、
ワシとしても結果的に彼女達から金をむしりとるみたいなのはいやなので、
「ないならないなりのモノでいいじゃない!」
と言うことで、その予算で出来る限りのこと(つまり伴奏のみのラフミックス)
で終わらせておいたのである。

モンモン・ママはワシにこう言った。
「ファンキー、だからあんたはこのイメージソングの製作費で、
何としてもあの紅舞鞋を完成させて!」
つまり1曲分の製作費で2曲録れと言うことである。

吐きそうになってきた・・・

じゃあスタジオ代どうすんの?
エンジニア代どうすんの?
ミュージシャンfeeどうすんの?
みんな1曲いくらよ?2曲ぶんないじゃない・・・

「ファンキー、大事なのは紅舞鞋よ。
こっちの曲は思いっきり手ぇ抜いていいから。
そっちの金ぜんぶ紅舞鞋につぎ込んで!」

かくしてそのイメージソングはワシの新しいシステムの実験台となり、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.html
そんな思いっきり手を抜いたその楽曲は、
そのまま中国のエコロジー楽曲コンテストに出品され、
「エコロジー楽曲大賞」を受賞した。

呼ばれて会場にも行ったが、
あまりにお恥ずかしいので呼ばれても壇上には上がらんかった・・・
あとで主催者が激怒していたと言う話である。

「何であんな手抜きの曲がグランプリなんか取るんじゃろ・・・」
と人に漏らしたことがあるが、彼はその時こう答えた。

「手ぇ抜いたからグランプリ取れたのよ。
一生懸命作ってたらきっと落選してた。
それが中国よ!」

なんかわかったようなわからんような・・・

ワシは昔、李慧珍の「猜愛」でも十大金曲賞を受賞しているので、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/fixed/sakkyokusyou.html
実は都合3つも賞を取ってる作曲家である。

何の役にも立たん!!

この国で儲かるのは歌手のみ!
裏方は何も儲からんのである。

さてMengMeng(モンモン)であるが、
じゃあそれから順風満帆かと言うとそうでもなく、
レコード会社から手が上がることもなく、
いや、現実には上がっているがモンモン・ママがその話を潰してると言う噂もある。

実際ワシの知り合いのレコード会社はワシを通してコンタクトを取っているが、
モンモン・ママは
「あんな小さいレコード会社じゃ話にならん!」
と話を断っている。

現実そのレコード会社は半年で潰れたのでよかったと言えばよかったのであるが・・・


さて1年ほど連絡もなく、平和に暮らしていたワシにいきなり電話がかかって来た。

「ファンキー、久しぶり!!私よ、モンモン・ママ!!」

吐いたらいかん!吐いたらいかん!!
唾液を一生懸命飲み込みながら話す。

「超級女声で勝ち残ってるらしいじゃない?よかったよかった。おめでと!」
「それなのよ。私達は瀋陽地区から参加したんだけど、
そのおかげで北京でのプロモーションがあんまし出来てないのよね。
ちょっと協力してくれない?
何社かインタビューに行くから思いっきり褒めちぎってちょうだいね。
あと、誰かロック界でMengMeng(モンモン)褒めちぎってくれる人紹介して」

「ロック界?なんで?・・・」

「あら、うちの娘ロック歌手じゃないの!ロック界からも賛辞を頂きたいわ」

吐き気通り越して頭が痛くなって来た・・・


かくして次の週にはいよいよ飛び道具「紅舞鞋」を歌うと言うので、
ワシは初めて「超級女声」と言う番組を見に行った。

見に行ったと言うのは、うちにはテレビがないので、
その時間に合わせてテレビがある村のレストランにテレビを見に行くのである。
情けないと言えば情けないが、なんか普通の村人になったみたいで心地よい。

金曜日夜8時、生放送である。
出稼ぎ労働者で満席のそのレストランのテレビにかぶりつく。

始まっていきなり勝ち残っている6人で踊りを踊る。
最終的な6人に残っていると言うのは相当なもんである。

一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)の話によると、
彼の知り合いの歌手は地区大会の第3位で落選したが、
それでも全国的には超有名で、それ以降すでにバンバン稼いでいると言うから、
地区大会第1位で、現在最終的な6人と言うのは物凄い成績である。

6人が2人づつのペアに分かれ、その2人が戦い、勝ち組と負け組みに分けられる。
つまり第一試合は勝ち抜き線なのである。
司会者はそれぞれにインタビューし、歌う曲の名前を聞いてゆく。
MengMeng(モンモン)は、いきなり「紅舞鞋」である。

なんでいきなり最終カードを切るの?!!

ワシはもう気が気ではない。
老呉(LaoWu)の話によると、今日はこの6人の中から5人を選ぶと言うことは、
この第一試合に勝ち残っておくことが一番近道なので
ここでまずこの最終兵器を先に出したのであろう。

久しぶりにこの曲を聞くが、何かアレンジがちと違うような気がする。
見ればワシのアレンジではなく、生バンドが勝手にアレンジを変えている。

お前ら!コードまでかってに変えんなよ!!

音もちょっと外してたみたいだったし大丈夫だろうか・・・
ドキドキしながら審査発表を待つ。

結果は・・・・落選!!!

最終カードを使いながら落ちてしまった!!
まるでウルトラマンが最初にスペシウム光線を使って怪獣は倒れなかった!!
みたいな衝撃である。

楽曲と言うのは不思議なもので、
言うなれば自分が生み出した子供のようなものである。
どんな駄作でも可愛いし、
でも時々、親のひいき目なしにとんでもないいい子が生まれる時もある。
何か自分が書いたのではなく、別の大きな力が書かせたような、
そんな楽曲がワシにも何曲かある。

ランナーやリゾラバのような商業的に大成功した楽曲だけでなく、
人知れず名曲と言われる曲もあれば、
誰にも歌われずにお蔵入りしてしまっている曲もある。

ワシのような自分で歌う人間でない限り、
生み出された子はすぐによそにもらわれていってしまい、
生みの親より育ての親、つまりそこでどのように歌ってもらうかで運命が決まる。

「紅舞鞋」はひいき目なしに名曲であるとワシは思うが、
MengMeng(モンモン)にその運命を預けた以上、
MengMeng(モンモン)ダメならもうそこまでの運命である。

老呉(LaoWu)曰く、
「詞ぃ誰が書いたんだ?コンセプトはいいんだけど言葉選びがあんましよくねぇなぁ・・・」
しかしそれも仕方が無い。
もらわれて行ったところで詞を与えられ、それを歌われて初めて楽曲なのである。

負け組みに落とされた彼女は、またその中で敗者復活戦に臨む。
その間、他の2組の戦いが終わるのを待たねばならない。
ビールを飲みながらひたすら待つ。

そして敗者復活戦!!
と思いきや、次は歌ではなく、人気投票による戦いである。
全国から携帯電話による投票、それには1票につき1元のお金がかかる。
ひとりで100票投票してもよい。100元かかるだけの話である。

人気の歌手だとひとり1000万票集めることもあると言うから、
このビジネスだけでも相当なビジネスである。
1000万元と言うと、日本円にすると1億5千万円なのである。
少なくともこの投票の段階だけで3億円以上は動いている。

恐ろしい番組じゃ・・・

さて、この投票で敗者復活かと思えばそうではなく、
これは勝ち残った3人の中からひとりを「落とす」のである。
日本の試合方式は「受かる」人をだんだん作ってゆくが、
中国ではどうも「どんどん落としてゆく」方式であるらしい。

かくしてこの投票により、
3人の勝ち組と3人の負け組だったのが2人の勝ち組と4人の負け組みに分けられ、
その負け組4人がまた2人組で勝ち抜き線を行うのである。

番組の進行がカメよりも遅いだけでなく、CMもいたる所に入るので、
番組開始から既に1時間以上経過し、
レストランではもう既に門を閉め、従業員のメシの用意が始まっている。

「知り合いが歌い終わったらすぐ帰るからね」
そう言ってビールを更に追加する。

すぐに敗者復活戦が始まるのかと思ったら、更にゲストのコーナーがあり、
3人のゲストがそれぞれ持ち歌を1曲づつフルコーラス歌う。
やっと始まるかと思ったら、その3人のゲストが一緒に更に1曲歌う。

もうやめてくれー!!早く歌ってくれー!!

さすがに番組もすぐには歌わせない。
それぞれの参加歌手のイメージビデオ、ファンへのインタビュー、
そしてまたCM。

最高視聴率を誇るこの番組のCMは最高値段がついていると言う・・・

やっと敗者復活戦が始まった頃には既に番組開始から2時間以上たっていた。
MengMeng(モンオン)が歌う。
今度はミディアムテンポのダンスナンバーである。

「受かると思う?」
一緒にテレビを見ている老呉(LaoWu)に聞いてみる。

「ちょっとアブナイところだなぁ・・・
聞いてみろよ。他の歌手と違って声援が断然少ない。
親衛隊がいないんだな。
それも結構不利じゃないかなぁ・・・」

確かにほかの歌手の応援団は若い健康的な男女が多いが、
MengMeng(モンモン)の応援団はどうもオタクが多いと見受けられる。
メガネをかけたデブのオタクがびっしょり汗をかいて応援している。

吐きそうである。

「この娘、ちょっとココ・リーに似すぎてるなぁ・・・」
老呉(LaoWu)がそうつぶやく。

ココ・リーとは台湾で活躍するアメリカン・チャイニーズの歌手である。
そう、彼女はココ・リーに似ているから
「小ココ・リー」としていろんなイベントでココ・リーの歌を歌って生きてきた。
それで母子ふたりが食ってこれた。

ココ・リーに似てるからここまでこれた。
そしてココ・リーに似てるからここまでしかこれなかった。

今歌っているこの曲もきっとココ・リーの曲なのだろう。
彼女が一番得意で、そして一番歌ってはいけないナンバー。

しかしバラードが歌えないんだから仕方が無い。
最終カードの紅舞鞋はもう歌ってしまっている。
彼女にはもう切るべきカードが残ってないのである。

・・・審査発表・・・
これで勝ち残れば勝ち組である。
後は残った負け組ふたりが戦って負けた方が落選。

「負けるだろうなぁ・・・」
残ったビールを飲み干し、更にビールを追加しようとしてたらいきなり、
「勝者は・・・MengMeng(モンモン)!!」

やったぁー!!!残ったぁ!!!

と言うわけでビール腹をさすりながら家路に着いた。
めでたしめでたし・・・
ChaoNv5Qiang.jpg


数日してまたモンモン・ママから電話があった。
「見てましたよ、テレビ。よかったじゃない。次で決勝戦でしょ」
もうここまで来たら優勝できなくても既に超有名人である。

「違うのよ。また今週戦って初めて決勝戦なのよ。
あの番組はとにかく戦わせるから・・・
(間髪入れず)
ところで!今週の金曜日空いてる?
MengMeng(モンモン)の後ろでドラム叩いて欲しいのよ。
アジアドラムキングがバックで叩いてくれたら絶対票も集まると思うのよ」

かんべんしてくれーーーーー

丁重にお断りして電話を切った。
来週も村のレストランで影ながら応援させて頂きますぅ。

Posted by ファンキー末吉 at:00:18

2006年09月18日

布衣楽隊日本へ行く!!

この前の週末もライブを頼まれた。
布衣楽隊のドラマーは全くもって週末は家庭サービスの忙しいのであろう。

話のついでにボーカルの老呉(ラオ・ウー)に聞いてみた。

「この前のライブハウスのはしごん時のギャラ、50元まだもらってないんだけど・・・」

老呉(ラオ・ウー)は非常に信頼できる男で、お金を踏み倒したり、人を騙したり、そんなことはもちろんのこと、渡すべきお金を忘れていたなんてことはありえないことなので、あれからあの50元をワシにくれないばかりかその話すら出ないことはワシの心の中にいつまでも引っかかっていた小さな不思議であった。

「お?!ああ・・・あれか・・・全部で50元だよ」

相変わらず無愛想にそう言う。
ワシとしても別にその50元が惜しいわけではない。
しかし今回に限ってワシにそれをくれないのは何かおかしい・・・
いぶかしがるワシに彼はまたこうたたみかける。

「ファンキー!あの日は2つのライブ合わせて全部で50元だったんだよ」

いつもは50元だろうが100元だろうが、「今日は全部で500元だからメンバーとミキサーとで5割してひとり100元ね」とちゃんと払うヤツが今回に限ってふたつのライブ合わせて全部で・・・・」

なぬ?!!ひょっとしてふたつのライブの全員のギャラ合わせて50元?!!」

50元と言うとライブハウスの生ビール2杯分である。
つまりひとつのライブハウスのギャラが生ビール1杯分!
それをメンバー4人とミキサーの5人で割るんだからひとりビール5分の1である。
(何もビールを割らんでもええが・・・)

結局手弁当で来てくれた吉田くんにその50元はそのままあげて、メンバーは平等にノーギャラと言うわけである。

しかし大の大人が5人まる半日稼動して全員で50元とは情けなさ過ぎる!
ノーギャラのボランティーの方がよっぽど潔い。

お前ら身分が低いにもほどがある!!!

と言うわけで(と言うわけでもないが)、ちょうど日本のイベントで中国のバンドを紹介してくれと言われてたので彼らを紹介した。

「大阪産業大学経済学部設立20周年記念国際シンポジウム」
なんとこれは「ロック・ミュージックを通して考えるアジア共同体の可能性」と言うタイトルが銘打たれていて、アジアがいわゆるEUのような共同体を経済ではなくロックによって作り上げることが可能かどうかを考えるシンポジウムなのである。

「ヨーロッパは経済によってその国境をなくし、EU共同体を作り上げたが、アジアはそれをロックでやるのじゃ!出来ると思うか?!」
と言う、ちょっと聞いたらおよそ真面目なイベントとは思えんイベントを大真面目に、真剣に主催するのは「大阪産業大学経済学部」。

もちろんワシもパネラーとして呼ばれて参加する。
日 時 2006年10月20日 12:50~18:00
場 所 大阪産業大学本館1階 多目的ホール
出演:ghod(日本)、Ah=SIN(韓国)、布衣楽隊(中国)
入場は無料である。

これに合わせて和佐田が2本のライブをブッキングしてくれた。

10/22(日)大阪・西九条「ブランニュー」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax) アックスバイツ 布衣 他
OPEN 17:00 START 17:30 前¥2000 当¥2500 Lコード:5570 Pコード:240-588
(問)会場 06-6466-0099

10/23(月)京都「都雅都雅」ファンキー末吉プレゼンツ 日中お友達演奏会
出演:FunQ和佐吉(Funky末吉Ds BBQ和佐田B 三好ひろあきG 寺内茂Tp 古谷光広Sax 中村建治Key) 布衣 Sirensphere
OPEN 18:30 START 19:00 前¥2000 当¥2500 (問)会場 075-361-6900

お暇な方は是非見に来て下さいな。

Posted by ファンキー末吉 at:14:53

2006年09月10日

Jazzフェス、Rockフェス、そしてワシは貧乏・・・

音楽仲間のLongLongから電話があった。

「ファンキー、今度のJazzフェスに香港の○×△を呼ぼうと思ってるんだ。
知り合いだってな。一緒にプレイしたことあると言ってたぞ。
それでそのベースを俺、ドラムをお前で出演させてやりたいんだけどいいか?やるか?」

日本では香港人の名前は「ブルース・リー」とか英語名で呼ぶが、ここ中国では「李小龍(リー・シャオロン)」と中国語読みで呼ぶので、いきなりその中国語名を聞いてその人を特定するのは我々日本人にとっては非常に難しい。
例えて言えば、いきなり「チョン・ロン」と言われて、「チョン・ロン・・・チョン・ロン・・・ああ成龍ね、すなわちジャッキー・チェン!」と言うように頭の中で何段階も連想をしてから本人を特定する。

ワシはJazzフェスに出演する自分の知り合いの香港人だからと言うのでてっきり「ユージン・パオ」かと思ってふたつ返事で出演を引き受けたら、蓋を開けてみたら実はブルースギタリスト「Tommyチュン」だった。

ま、いい。どうせ叩くのはドラムじゃ!同じようなもんじゃろ・・・

Tommyチュンは元弁護士。
高額収入の全てをブルースに投入し、自費で竹田和夫にプロデュースを依頼して山中湖スタジオで自分のアルバムを録音している。
その後、本職である弁護士すらやめてしまい、自ら香港にブルースバーをオープンしてそこで思う存分ブルースを演奏していたが、噂に聞くと今ではそれも潰れてしまったと言うからワシみたいな人間はきっと世界中にごまんといるのであろう。

ま、いい。友達なんだから「予算がないんだ、それでもいいか?」に駄々をこねるほどワシも人間が出来ていない。

ブルースなんだからリハーサルなんていらないようなもんだけど、LongLongは何故か自分のスタジオで2日間もリハをすると言う。
俺はあの、香港でウンコもらした日に彼の店で延々ジャムセッションをやっているが、ベースの和佐田含めもちろんリハなんてやっていない。

まあしかしリハをやりたいと言うならやぶさかではない。LongLongのスタジオに出かけてゆく。

しかし、機材は全部あると言いながらスネアとシンバルがなかったのでうちに取りに帰る。
それだけでワシは5元の高速代の往復と、ガソリンを撒き散らしながら走っているようなおんぼろジープのガス代だけでえらい出費である。

ま、いい。友達なんだから金の話はいいじゃろう。

2日間のリハを終えていざ本番!
JazzFes.jpg

しかし北京のJazzミュージシャンによる手作りフェスティバルの初日。
バンドの機材を運ぶ車が足りないと言うのでワシのおんぼろジープまで稼動して、入り時間は昼間の12時、サウンドチェックは4時頃から30分ほど、出番は夜の9時過ぎと言う怒涛の待ち時間を経て、挙句の果てには本番中にPAが落ちてドラムと生音だけで1曲演奏したり、話の落ちには機材の運び出しのため結局イベント終了の夜中の12時までひたすら待ってたり、
まあ懐かしい言葉で言うと「ふんだりけったり」である。

(余談であるが爆風スランプのアマチュア時代からのCD未発表曲、「ふんだりけったり」は、今から思えばかなり名曲であると思うのだがどうだろう・・・この曲を知ってるマニアの方、意見を請う!)

さてTommyチュンであるが、せっかく北京まで来てくれたんだからと言うことで、LongLongは更に2本ライブをブッキングしている。
1本は北京のJazzマスター劉元(リュー・ユエン)の新しいJazzバー、2本目は北京のライブハウス、愚公移山にて大ブルースセッション大会で締めくくると言うもの。

ワシ・・・はっきり言って非常に疲れた・・・
特にこの最後のステージは死ぬほど疲れた・・・
Jamセッションは日本ではドラマーが一番多かったりするが、この日はなんとワシだけ。
フルステージを叩いた後、欧米人のわけのわからんミュージシャン達と延々Jamセッションを繰り広ける。

ワシ・・・この数日間、同じような曲しか叩いてないんやけど・・・

ま、XYZの曲をどの曲も同じだと言う人の気持ちもよくわかるし、中国ロックは全部同じに聞こえると言う人の気持ちもよくわかるが、偏見を承知で言わせてもらおう!

ブルースは全部同じ曲である!!!

へとへとでステージを降りたワシにLongLongは言った。

「ファンキー、今日のギャラ1000元もらえたからみんなで分けよう」

Jazzの精神は「平等」だとワシは思っている。
毎月のJazz-yaライブでも、ワシの名前で客を呼んでもワシは必ず若手の無名ミュージシャンとギャラを均等に分ける。
「300元づつ3人で分けて、残りはTommyにやってよ」
この精神がなければJazzやRock、ひいてはブルースなんてもんはやれたもんじゃない。
数倍の値段で歌手のバック等をやる北京最高ギャランティーのドラマーも、ここでは全て「平等」なのである。

「ところで昨日と、あのJazzフェスのギャラってのはいくらなの?」

にこやかな笑顔でそう聞くワシにLongLongは一言。

「ああ、あれはノーギャラ・・・」

なんで?・・・

まあJazzフェスはワシの友達でもあるJazzミュージシャンが持ち出しでやってるもんだし、まあ見るからに収支は赤字やろうし、
あのJazzクラブもいわゆるJamセッションDayに無理やり入れ込ませてもらったようなステージやったし・・・
何より当の本人のLongLongが、自分のスタジオまで提供し、同じくノーギャラでやってんだからワシが何を言える筋合いではない。

「没問題!(ノープロブレム)、じゃあ来年は自分のバンドでJazzフェス出してね」

これでいい!
金のために音楽をやれば音楽が死ぬからこれで十分である。
ここ数日、これでまたブルースへの造詣もまた少し深くなり、ドラムもまた少しうまくなったじゃろう。
音楽家にとってこれは何よりもの財産である。


れから数日。
我がロック村の村長とも言うべき、布衣楽隊のボーカル、老呉(ラオ・ウー)から電話があった。

「ファンキー、週末空いてるか?ドラマーがどうしても参加出来ないんでお前ライブでドラム叩いてくれ」

中国のアンダーグランドバンドの生活は悲惨である。
いわゆる音楽界の空洞化と言うか、メジャーとアンダーグランドの間には大きな距離があり、アンダーグランドはまずよっぽどじゃないとメジャーに上がれない。
日本のアマチュアバンドはバイトをしながらバンドをやるが、北京ではそれをすると「ロック」が死ぬので、彼らのように貧民街に住みながら清く正しく美しくロックをやり続ける。

彼ら布衣楽隊も、まあアンダーグランドでは10年の歴史があり、知名度もそこそこあるので小さなライブは多いがまだメジャーデビューはしていない。
ドラマーはフランス人と結婚し、専業主夫みたいなもんだから、子育て等どうしても家を空けられない時はワシでよければ替わりにドラム叩いてあげるし、ベースは最近アメリカ人と結婚したし、ギターは弟がYanと言うクラブイベントで大成功しているのでそこそこやっていけるのであろうが、問題はこの我がロック村の村長、老呉(ラオ・ウー)である。

「ドラマーはいいよ、ベースもいいし、ギターもまあいいだろ。お前どうすんの?」
と酒を飲んでる時に聞いたことがる。

「俺か?俺ゃいいんだよ。両親がいるし、助けてもらってるよ」

30過ぎてまだ親から仕送りもらっててそれでええんかい!!

「ま、親もそのうち見限るだろうな・・・友達もそのうち見限って誰も俺を相手しなくなっても・・・でも俺はロックを歌い続けるよ」

だからワシは村長が大好きである!
村長に頼まれたらドラムも叩くよ!

かくしてその日はライブハウスのはしご。
9時半から北京の老舗のライブハウス新豪運のロックイベント。
でも客があんましおらず、10時過ぎまで待ったがやっぱりいないので、次もあるのでオープニングを飾ってそのまま機材車に飛び乗る。
そのまま同じく市内のライブハウス、無名高地に飛び込んで、既に始まっている対バンの演奏が終わるのを待って、機材をセッティングして演奏する。
終わって機材を片付けて車に積み込み、帰り道に老呉(ラオ・ウー)が一言。

「ファンキー、悪ぃーなぁ・・・今日のギャラ・・・ライブ2本合わせて50元しかないんだ・・・」

50元と言えば、そのライブハウスでビールを2杯飲めばそれで赤字である。
ま、いい。ワシはロックをやっているのじゃ、とやかく言うヤツは最初からやらねばよい!
・・・と思って笑顔で快諾したらまた次の週末も頼まれた。
どうもドラマーは週末は家庭サービスに忙しいらしい・・・

北京流行音楽節(Beijing Pop Festival)
RockFes.jpg

タイトルこそ流行音楽であるが、今年はスキッド・ローのセバスチャン・バックが参加したり、その実北京を代表するロックフェスティバルのひとつと言ってもよかろう。
このイベントに我が貧民街の代表、布衣楽隊が出演するのか?セバスチャン・バックの前座をやるのか?

期待に胸膨らませながら今日を迎える。
朝8時入りである。
6時半には起きて、老呉(ラオ・ウー)と一緒にバンドの機材を積み込む。
布衣楽隊はまったくもってボーカルの老呉(ラオ・ウー)のバンドで、機材の積み込みから機材車の運転まで全てボーカルがやる。
他のメンバーはみんな既に貧民街を脱出してしまっているので、結果的には老呉(ラオ・ウー)とワシふたりで機材を運搬することとなる。

会場に着くとなんかようわからん欧米のスタッフがサウンドチェックをやっていた。
どうもセバスチャン・バックのスタッフではなさそうだが、きっと自腹で山ほどの機材を空輸してイベントに参加してるんだからご苦労なことである。

世界中のいろんなアーティストが
「中国は今はお金がないですけど、市場は世界一大きいですから今持ち出しで中国にやって来ても必ず将来は得しますよ」
と言われて、のこのこ札びら切ってここにやって来るが、そんな奴らにはいつもこの中国のロックバンドの現状を見せてやりたくなる。

まあいい・・・好きで金払ってここ来てるのである。頑張って下さい。

いつまでたってもワシらのサウンドチェックが始まらないので貧民街に帰った。
12時からイベントスタートと言うので11時半に会場に行けば大丈夫であろう。

しかし11時半現在、まだ別の欧米人のバンドがサウンドチェックをしていた。
きっとアメリカ、もしくはイギリス方式でタイムスケジュールを全く無視して自分達のサウンドチェックだけはちゃんとやらんと出演せんぞ!みたいなノリなのであろう。
小泉首相の靖国参拝により中止になったが、日本から参加が決定していたバンドも来てみればこのようにやるしか自分達の要求は達成しない。

しわよせが来るのが力の弱い者達である。
1番目のバンドは非与門と言う広東省のバンド。
彼らがサウンドチェックの時には既に客入れは始まっていて、サウンドチェックの途中からいつの間にやら本番となり、時間が押しているので「今日は5曲やります」とMCで言いながらも3曲でカット。
続く我が布衣楽隊も4曲の予定を「2曲に減らせ」と言われるが、「曲間をドラムソロでつないで3曲やっちゃえ!」と結局3曲やってしまう。
アンダーグラウンドバンドなので全体のサウンドチェックも兼ねてるのか、1曲目が終わるとステージ進行中であろうがモニタースタッフからトークバックで
「ちょっとベース弾いて!ライン来てないよ!もう一度弾いて!」
とひっきりなしで言われる。

結局本番なのかリハーサルなのかわからないままステージは終了。
セバスチャン・バックは翌日の出演と言うことで結局は会えずじまいだった。

「ほな、せっかく街まで出てきたんだから遊んで帰るわ。あと器材よろしくね!」

老呉(ラオ・ウー)に挨拶して帰る。
ギャラのことを言わなかったのできっと今日もノーギャラだろう。

この数週間、もらったお金は350元。
飲んだビールが五万本(サバ言うなぁ!このヤロー!)

金のない奴ぁ俺んとこへこい!
俺もないけど心配すんな!!!

でもちょっとは心配して欲しい・・・

Posted by ファンキー末吉 at:01:55

2006年07月17日

ドラムクリニック

ちょっとしたリハーサルならうちの院子で出来るのだが、大きなコンサートのゲネプロ等だとそうはいかない。
ひと昔前の北京だとリハーサルスタジオなんぞ皆無に等しかったが、最近はいくつかプロユースのスタジオが出来て非常に便利になった。

そんな中のひとつ、FiERCEは、社長が元ドラマーだと言うことでドラム機材が充実しているので結構好きである。
ある日、リハーサルの合間にドラムお宅の社長とダベっているうちにこんなアイデアが飛び出した。

「ファンキーさん、ヒマな時あったらここでドラムクリニックやって下さいよ」

もちろんふたつ返事で引き受けた。
条件など別に無い。
北京のドラマー、ひいては北京ロックのために何かが出来ればそれでよい。

若いドラマーのMuWeiがポスターを作ってくれた。

DrumClinicPoster.jpg

見ると、なんと入場料はタダ!!!
つまりワシへのギャラもタダだと言うことである。

ま、いいのよ・・・中国の音楽シーンのために何か出来ればそれで・・・(涙)・・・

さてその日が近づいて来たある日、パール楽器の中国での代理店にいたSさんから電話が来た。
「次の週、1週間で毎日いろんなドラマー呼んでクリニックをしてもらおうと考えてるんだけど来てもらえないかなぁ・・・」

ワシは確かにここのドラムスクールが開校する時に、
「パール楽器のためになるんだったら何でもやるよ」
とは言った。
しかしその学校のパンフレットに「講師」として名前を載せてよいとは言った覚えは無い!

まあしかし彼はまだいい方である。
去年趙明義から電話があり、大々的にオープンする音楽学校の教師として名前を貸してくれと言うので、
「名義貸しだったら、まあ年に5万元ぐらいでどうだい?」
と言った途端に烈火のごとく怒り出した。

黒豹葉世榮もタダでやってんのにお前だけ金くれとは何事だ!!!」

あまりの剣幕に恐れをなしたワシは、「いいよ、いいよ・・・じゃあ・・・」と渋々承諾した。
そして当然ながらその開校式には呼ばれる。
校門を入ったところにはでかでかとワシの写真・・・

・・・これってサギじゃないですか・・・

ま、いい・・・これもなんじゃらかんじゃらで中国の商売なのであろう・・・
しかしSさんのドラムスクールは勝手にワシの名前を使っているわけなので、
いくら何でもその上タダでクリニックをするのもナンじゃろ・・・

「私はひとりではなくミュージシャンを連れて行ってデモ演奏を聞かせたいんだけど、少しでいいからギャラなんてのは出ますか?・・・」

だいたい、ものを頼んでいる人間が全然ギャラの話なんか出さず、
頼まれた方が悪そうにその代償を尋ねるなんてのがワシはどうも腑に落ちん・・・

まあそれでもメンバーに交通費ぐらいのギャラは出ると言うので出かけて行った。
そのために自宅スタジオで中国最高度の演奏が出来るまでリハーサルをつんで・・・

DrumClinic1.jpg

着いて見たら生徒はガキばかりである!!!

Sさん曰く、「びっくりしたかい?子供の生徒と言うのが一番商業的には一番いいもんで・・・」
確かに子供の教育のためになら親はいくらでも金を使うからのう・・・
・・・まあ勝手に生徒が中国ロックを背負う若いドラマーばかりだと思ってたワシが悪い・・・

かと言って今さら用意した1時間半のプログラムを変更するわけにはいかん。
ドラムのチューニングから始まってスティックの効率的な振り方まではよかったが、
さすがにポリリズムの話まで行くと生徒は半分寝ていた。

そしてせっかくミュージシャンに楽器まで持って来てもらったのだから用意した高度なデモ演奏・・・
・・・感動して食い入るように見ているのはこのスクールの先生達だけである・・・

・・・そして記念撮影とサイン会・・・

SignToChildren.jpg

お前ら俺が誰だかわかっとんのかい!!!

かくして教える側と教わる側のギャップの多いドラムスクールは無事(?)終了し、
今度はもともと予定していたちゃんとした(?)ドラムスクールである。

ミュージシャンはこの日はまた別のメンバーを呼んだので、ちょっと早めに入ってリハーサル。
そしてちょっと早めに来た生徒達も早く開場に入れて、リハを見たい奴にはとことん見せる。
コンサートではなく、クリニックなのである。
ミュージシャンに指示をするワシ、譜面を整理するワシ・・・それを見ることこそ全部彼らにはためになるクリニックであろう。

しかし毎回定期的にやる「授業」と、1回限りの「クリニック」とは根本が違う。
どうしても内容はテクニック的なものに偏らざるを得ない。
中国のドラマーは「急ぎすぎる」と言うか、上っ面だけを勉強して「もう叩ける」と思ってしまう輩が多いので、
途中の喋りでそれを常に修正しながら何とか最後まで演目を演じ切った。

DrumClinic2.jpg

汗だくである。
喋りが多いぶん、ライブよりも疲れる・・・

しかしこの一夜はきっと将来の中国のミュージックシーンにとっても有意義な一夜となったに違いない。
そう強く感じて締めの言葉を述べてお辞儀をした後に、
司会もつとめたこのスタジオのオーナーから一言。

「では最後にここにいるみなさんを代表してファンキーに一言聞きたいことがある。
来月もまたもう一度ここでクリニックやってくれるかな?」

「いいとも!!」

と言ってしまった自分に後悔・・・
せめて交通費ぐらいは欲しい・・・いやほんま・・・


Posted by ファンキー末吉 at:12:17

2006年07月04日

サラダバーの達人

嫁と一緒にピザハットに行った。
噂どおりピザハットはかなり高い。
13寸(インチのことか?)で98元、9寸でも58元、サラダバーが28元・・・

なぬ?!サラダバーがあるのか?
28元っつうたら村のレストランで生ビール大ジョッキが14杯飲めるが、
ここ中国ではあまり生野菜を食べないので是非奮発してオーダーしてみたいものじゃ。

貧乏人ならまず考えるが、
「ひとつ頼んで二人で食べよう」
しかし店側とてその辺は考慮している。
サラダ取り放題にして、それを一緒に来た全ての客にシェアーして食われてしまったのでは上がったりである。

メニューを見て中国語を解読するに、
ここのサラダバーはお皿に1回取りっきりで28元なのである。

「じゃあ多めに取って来てふたりで食べよう」
と言うことになりサラダバーに立った時にその達人と遭遇した。

「あら、あんた、それじゃぁダメよ。サラダバーはこう取るのよ」

見も知らぬおねーちゃんがワシに指南する。
まず質量の高い、密度の濃い揚げパンとか野菜を皿に盛り、
皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を作り、
そしてその中に入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルを積み重ねて城壁を高くし、
そしてその中にまた入るだけの野菜を詰め込みドレッシングをかける。

更にまたまたまた皿のふちに胡瓜とパイナップルをまた積み重ねて城壁を高くし・・・

あまりに感激したので写真を撮らせてもらった。

SaladaBar.jpg

これから30分後、達人はこの倍以上に高くなったサラダバータワーを持って席に帰り、
見ればひとりで平らげていた。

天高く馬肥える秋の空のように清々しい匠の技であった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:07:26

2006年07月01日

BEYOND追悼ライブ

中華圏のロックに偉大な業績を残したボーカリスト黄家駒の命日を偲び、
そして解散した(個人的にはまた復活すると思っているが)彼のバンドBEYONDの楽曲を北京のアンダーグランドバンドがカバーしようと言うイベント。

BeyondLive.jpg

何がどうあれ、なんぼ言うてもバンドが多すぎる!!!

日本のライブハウスでは、出演が決まった時点で出演バンド同士が話し合い、
ライブ当日には既に出演順が決まっているのが普通だが、
団体競技の苦手な中国人ではそうはいかない。

ここではライブ当日の開演直前に出演バンド全員が集まってくじ引きをするのである。

恐ろしい話である。
チラシに乗っているバンドだけで15バンド。
当日更に増えて16バンドが30分づつ演奏しても8時間。
夜の8時半に開演と言うから、順調に行って最後のバンドは夜中の3時から始まると言うことになる。

順調になんか行かん、行かん・・・


かくして今回このイベントに参加することになったいきさつはと言うと、王暁旭と言うひとりの友人からの電話である。

「ファンキー、6月30日空いてるか?BEYOND追悼ライブがあるんだけど、
破砕声音っつうバンドでドラム叩いてくんないか?
ドラマーがその日結婚式なんでどうしても参加出来ないんだ」

つい最近も布衣楽隊でドラムを叩いて来たばかりである。
布衣楽隊のボーカル、老呉(LaoWu)は、わがロック村の村長とも言うべきもんだから、
「ファンキー、ドラマーが今日は家庭サービスでどうしてもライブに参加出来ないんだ。
ちょっと助けてくんないかなぁ・・・」
と言われればそりゃふたつ返事でかけつけてゆくのじゃが、
知らないバンドとなるとどうかのう・・・

悩んでるヒマもなく王暁旭がバンドのメンバーを連れて来てリハーサル。
リハが終わってメンバーが悪そうに一言・・・
「今回のライブはギャラは出ないんだけどいいかな・・・」
間髪入れずに王暁旭、

「いいんだ。コイツはドラム叩いてたらそれで幸せなんだから」

お前が言うな!お前が!・・・

と言うわけで昨日がそのライブ。
会場に着いたら人がわんさか溢れていて、過去布衣楽隊とかで来た時とは全然違う。
BEYONDの人気はそれほど凄いと言うことであろう。

若い娘も多い。
ロックねーちゃんみたいのもいれば、素朴な娘もいる。
見れば派手なバンドには派手なねーちゃんがついてるし、
素朴なバンドには素朴なねーちゃんがついているようである。

ワシはと言えば今日は嫁が「夜遅いのはヤダ」と言って家で寝ているので、視線は最初っから最後までおねーちゃんである。

しかしワシに声をかけてくるのは全てバンドのむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー、今日はどのバンドで叩くんだ?お前の見てから帰るわ」
ってな感じで、自分の出番終わったらとっとと帰るはずのバンドのメンバーは居残るわ、
外で自分の出番を待ってる連中も入ってくるわで、
結局ワシの出演時には客席は一気にむさ苦しくなる。

ドラムソロ・・・キャーと言う黄色い歓声が聞こえることもなく・・・
「ウォー!ファンキー!ニュービー(Fuckin' Greatの意、よい子は決してマネしてはいけない中国語)」
お前ら、声がオクターブ低いんやっつうねん!

ライブ終了・・・眼がうるうるしたギャルの視線を感じることもなく・・・
「ファンキー!サインしてくれー!!」
集まって来るのはむさ苦しいお兄ちゃんばかり。
「ファンキー!電話番号教えてくれー!」
かくしてワシの携帯にはむさ苦しいお兄ちゃんの電話番号ばかり増えてゆく。

すぐその場で消去!

かくはともあれビールである。
一緒に飲んでくれる美女がいるわけでもなく、
奢ってくれるお兄ちゃんがいるわけでもなく、
ノーギャラでドラム叩いて、自腹でビールを買いに行く。

「生ビールちょーだい!20元だったよねぇ」
うちの村のビールは大ジョッキで2元なのに街に出ただけで値段が10倍に跳ね上がる。

「あら何言ってんの。生は25元よ」
ビールを注ぎながらカウンターのおばちゃんがそう言う。
ちょっと悲しそうな顔でポケットの小銭を探すワシを見ておばちゃんが一言。

「ああ、あんたはいいわよ。あんただけ特別に今日は20元」

むさ苦しいお兄ちゃん以外にやっと現れたワシの女性ファン!!
おばちゃんの入れてくれた生ビール(心なしか少し大盛り)はひたすら旨かった。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:14:30

2006年06月30日

映画音楽は楽し(安し!!!)

今日、6月30日は日本で亡くなったBEYONDのボーカルのコマ君の命日である。
でもワシはそんなことまるっきり忘れていた。
日本のBEYONDファンからメールをもらって初めて思い出した。

「気がついたら家駒の年齢を遙かに超していました」

おう!!!確かにぃ!!!
死んだ人間は年をとらんからのう・・・

しかし、昨日香港に帰るWingを空港まで見送りに行って思ったが、
(なんでワシ・・・忙しいのにそんなことまでしとるんやろ・・・)
あいつこそあれで43歳っつうのはある種サギである。

(大村はんとWing.。実は二人の年齢差はたったの3歳・・・)

OhmuraWing.jpg

送りに行って帰りに嫁とメシを食いに行ってたらいきなり雷がなって豪雨となった。
電話をしたら(何でワシ・・・そこまでするんやろ・・・)
予想通り飛行機は天候待ちで飛ばない。
ざまー見ろである。
アイドル顔でせめて30歳ぐらいにしか見えなくて男前でアイドル顔でも
しょせん天候にはかなわんのじゃ!!は、は、は・・・


かく言うワシは、
家を出る時うちでリハーサルをしていた新疆ウィグル族のバンドが
「お祈りの時間だ」と言ってイスラム絨毯やらを院子にしきつめて、
メッカの方を向いて全員でお祈りをしてたのだが、
帰って来たらどしゃぶりの中、ずぶぬれになってまだお祈りをしていた。

わけもなくむっちゃくっちゃ感動した・・・


そんなことはどうでもよい!今日、6月30日は実は、
ワシが映画音楽を担当した「瘋狂的石頭(Crazy Stone)」の公開日なのである。

監督は「寧浩(Ning Hao)」。
香港の大スター劉徳華(アンディー・ラウ)が投資して、
アジア各国の6人の若い監督に映画を撮らそうと言う壮大な企画の中で、
中国の監督として選ばれたのが彼。

実はワシのアシスタントをやっててくれた重田
彼とは留学時代に一緒にバンドを組んでた仲間であったと言うことから、
重田ぁ・・・実は予算を全部撮影で使い果たしてしもうてなぁ・・・
音楽作る経費がほとんど残ってないやけど何かええ方法ないかのう・・・」
と相談されたところからこの話が始まる。

「末吉さんだったら紹介出来るけど、いったいいくら残ってんの?」
と聞いた重田に監督が答えた額は、
さすがにメルマガでは何でもネタにするワシでもちょっと公表できないぐらいの値段。
(公表したことのある貧乏ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/60.html
「冗談じゃないっすよ。とりあえず断っときましたから・・・」
そう言う重田に一言。

「でもうちはスタジオがあるからね。
音楽製作物の経費のほとんどはスタジオ代だからね。
それが外に出ないと言うことは結構安い値段でも受けれるっつうことよ」

しかし時は遅く、
既に中国で一番安い映画音楽家にもう発注してしまったと言うことで、
「ま、久しぶりに映画音楽が出来ると思ってたら縁が無かったのね」
と思ってたら、
「末吉さん!どの中国人映画音楽家でもこの値段じゃ出来ないって
全部サジ投げられて困り果ててるそうなんですけど・・・」
と言われ、
「じゃあ人助けだと思って私がやりましょ」
と引き受けたのがなれそめである。

つまりワシは全中国で(と言うことは全世界で?)
一番安い映画音楽家であると言うことである。
まあ人助け、人助け・・・


かくして映画音楽の製作が始まった。
映画音楽は1曲の時間は短いが、しかし曲数は半端じゃなく多い。
曲を作ると言う作業は実は5分の曲を作るのも1分の曲を作るのも労力は同じである。
そんなのをバージョンを変えつつ少なくとも50曲は作るんだからどれだけ大変か。

渡された映像を見ながらワシなりに解釈して、
「太陽にほえろ」と「ルパン3世」を足して2で割ったような世界観で全てを構築し、
ついに第1回目の監督との接近遭遇である。

ワシ的には非常に自信があった。
聞いたとたんにきっと監督は涙流して喜び、絶賛し、涎垂らして放心し、
ヘタしたらウンコもらしてへたりこむかもわからんので、
一応ティッシュと雑巾と消臭剤を用意して、
OKが出ればすぐレコーディング出来るようにミュージシャンまでブッキングし、
そのまま怒涛の酒盛りまで出来るようにあらゆる酒まで買って揃えて反応を見た。

「音楽そのものは非常にいいんですが・・・
ちょっと僕の考えてたのとは違いますねぇ・・・」

それから延々彼は自分の映画論を語り、
ワシは用意した酒を飲みながらそれを聞いた。
買い揃えた酒は大半がここで消費されることとなった。

「理解してくれてありがたいです。では僕はこれで・・・」
と言うわけで彼が酔っ払ったワシを残して家路に付く。
何のことはない「全部作り直し」なのである!!!

こんなやりとりを何度も繰り返す。
作った曲は100曲をゆうに超え、参考用にもらったDVDを何度も見、
酒量は限界を超え、当初の締め切りの期限はとっくに越していた。

結局は2ヶ月以上をこのプロジェクトに費やしたであろうか・・・
自給で割ったら(割りたくない、割りたくない)確かに仕事としては最悪である。
しかしやっぱり映画音楽は楽しい。
何故か?それはひとえに「映画は究極には監督ひとりのものである」からである。

ポップスは「売れること」を目的として製作される。
会った事もない、実像もへったくれもない「庶民(中国語で老百姓と言う)」
と言う人々をターゲット・・・と言うよりも神より大切なものとして作られる。
高度な音楽性のものは極力排除され、
「聞く人バカなんだからもっとそこまで落とさないと売れないよ」
と訳知り顔のディレクターやプロデューサーはそう言い、
「いやーこれは新しいよ、これは売れるよ、ファンキーちゃん」
とかわけのわからないことを言い出したらやっとそれで仕事が終わるが、
その神様より大事な老百姓が果たしてそれを好きかどうかは発売するまでわからない。

まあ「売れるため」に作った音楽が売れなかった時ほどみじめなものはないが、
結局売れるためにみじめな思いをして製作し、
売れなくてみじめな思いをしてお金をもらう仕事っつうのはどないなもんやろと思う。

しかし映画音楽は違う。
世界で一番「凄いもん」を作っちゃるぞ!が原点である。
わけのわからん不特定多数の神様のために音楽やるより、
ひとりのその「神様」が納得するものを作ればいいのだから気が楽である。

時には「この編集はねーなぁー、俺ゃこれじゃストーリーわかんなかったべ」
と逆にその神様の考えにケチをつけたりもすれば、
「あなたはこのシーンでどんな感情が沸き起こって来ますか?
それに対してあなたがつけた音楽はどのような感情を沸き起こすものですか?」
と神様からケチをつけられたりする。

まあ早い話、監督と言うきさくな神様と一緒に大きな遊びをやっているだけなのじゃ。
もの凄く音楽性の高いことをやりたければやればいいし、
ごりごりのロックをやりたければやればいい。
要は監督が満足すればそれでいいのである。

「監督ぅ・・・
最後はやっぱ生のオーケストラ入れてガーンとぶちかますのがええんでねぇの?」
まあ作り手としてはどんどん欲が出てくる。
「そんなことが出来ますか?」
顔が心なしかほころぶ神様。
「んだぁ。オラはこう見えてもこっちでもう数十曲オーケストラ録ってるがね」
ドラマーのくせに弦がアレンジ出来る変態である。

「末吉さん、何言ってんですか。予算がどこにあるんですか!」
止める重田を振り払い、泣き叫ぶ嫁を殴り飛ばし、
つられて泣き出す子供たちを質屋に売り飛ばし、
力なく説教する高知の親を姥捨て山にぶち捨ててまで自腹で録ろうかと思ったが、
髪の毛一枚のところで思い直し、
不本意ながら予算内で全ての音楽を録り終えることが出来た。

完成して納めてお金をもらえば仕事は終わりである。
しかし映画の場合は是非それを劇場に見に行かねばならない。
試写会の招待状が来たので大村はんとそれを見に行って来た。

Poster.jpg

公開前に既に話題の映画となっており、
特に音楽は業界では大絶賛されていると言う。
DVD海賊版全盛のこのご時世で、
既に300本もの劇場公開が決まっていると言うのは物凄いことである。

期待の新作に劇場中がかなり興奮気味で、
ちょっと緊張気味に見ているワシなんかを尻目に、会場は爆笑に告ぐ爆笑。

そう、この映画は実はブラックユーモアをちりばめたコメディー映画なのである。
舞台は中国の重慶で台詞は全部四川地方の方言なので、
製作している時は台詞はわからんわ、台本見て頭で理解しても笑えんわ、
で結局一度も笑ったことなかったが、
そうかぁ・・・コメディーってこうやって会場で爆笑すんのね・・・

中国語の字幕がついているのでそれを追いながら、
隣の大村ハゲ頭がどうして笑ってるのかをいちいち聞いて来るので、
それに答えながら訳しながら見ているとワシは結局最後まで全然笑えんかたが、
最後には会場全部大拍手で幕を閉じたり、結果としては試写会は大成功である。

聞くところによると、来年あたりには日本でも公開が決まっているらしい・・・
関連サイト:http://www.imx.ne.jp/info/2006/0314.html
http://www.ffcjp.com/kutsu/news/4thNewsletter.pdf
万が一これが全世界でヒットしたりなんかすると、またワシ・・・印税生活ですかぁ?!!!・・・

「重田くん、ところでこの音楽の著作権って一体どのようになっとるのかね?」
恐る恐る聞いてみる。
金がないと言うからタダ同然でやってやったのである。
大金を生むかも知れないならそこから取れるものは取りたいと言うのが人情であろう。

「何言ってんですか、
末吉さんがいいって言うから奥さんが替わりに契約書にサインしたじゃないですか」

と言うことはこれ・・・どれだけ売れてもワシの元には1銭も入らないのね・・・
ま、いい。製作した音楽ソフトも海賊版やったし、資料用に見たDVDも海賊版やった。
これで印税もらったら罰が当たるじゃろう・・・


と言うわけで、今日は晴れてこの映画の公開日。
過去自分が携わった映画の公開日には毎回ワクワクしながら劇場に行った。

爆風スランプの「バトルヒーター」(出演)・・・劇場に人おらず・・・
香取慎吾の「香港大夜総会」(映画音楽)・・・劇場に人おらず・・・
高島礼子の「劇場版ショムニ」(映画音楽、出演)・・・劇場に人おらず・・・

今日はBEYOND追悼イベントが北京のライブハウスであり、
とあるアンダーグラウンドバンドに頼まれてドラムを叩きに行くので見に行けない。
まあこれだけ評判の映画なんだから客の入りもきっと結構なもんじゃろう。
「ワシがたずさわった映画はみなコケる」
と言うのをジンクスとして信じ切っていたが、
実は「ワシが公開日に劇場行くとコケる」のかも知れない。

今日はおとなしくBEYOND追悼イベントに専念するとしよう。

ファンキー末吉


MovieCregit.jpg

瘋狂的石頭(Crazy Stone)関連サイト
http://ent.sina.com.cn/m/c/f/fkdst/
http://post.baidu.com/f?kw=%B7%E8%BF%F1%B5%C4%CA%AF%CD%B7
http://blog.sina.com.cn/m/ninghao
http://www.FFCJP.com/
http://www.c-c-club.net/director/ninghao.htm

Posted by ファンキー末吉 at:14:18

2006年06月23日

Wing北京コンサートを終えて

葉世榮ことWingは香港のBEYONDと言うバンドのドラマー。
BEYONDの連中とは、彼らが日本で活動を開始すると言う時に知り合い、
ボーカルのコマが日本のテレビ番組の収録中の事故で死亡して香港に帰ってゆくまで、
ほぼ毎日と言っていいほど一緒に酒を飲むと言う仲だった。

コマが日本の病院で息を引き取った時、
病院の待合室でその知らせを受けたWingがショックで気を失い、
俺の腕の中に倒れ込んで、突然ケタケタと笑いながらうわ言でこんなことを呟いた。

「あいつは今、真っ白な綺麗なところにいる。
そこは酒を飲むより、エッチするより、もっともっと気持ちのいいところなんだ・・・は、は、は・・・」

俺はその世界と言うのが、ドラムを叩いている時に時々味わうことがある、
妙にトリップした浮遊感のあるあの世界と同じであると思い、
偶然性が大きく作用するライブの高揚感のあの真っ白な扉の向こうにコマがいるんだと今でも信じている。

BEYONDの他の2人とは今でも会えば楽しく飲む仲間ではあるが、
Wingほど頻繁に連絡を取ったりする仲ではない。
同じドラマー同士と言うのもあるし、性格がアホであると言うのもあるが、
やはり彼との間にはその後もいろんなドラマがあったからと言うのが大きいだろう。
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/13.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/73.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/75.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/77.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/86.html
・・・列挙しながら思ったけど、ワシのメルマガ・・・ほんまにWingネタって多いよねぇ・・・)

一番困難な時に培った友情は一生モノと言うが、実際あの時の彼はどん底だった。
マスコミと言うのは血も涙もないもので、人生で一番どん底の人間を漫画にし、
BEYONDの残された3人のうち2人は成功してホクホク、
Wingだけは「ボク何やってもうまくいかないの」と涙顔と言う記事を見て、俺は
「出版社に火ぃつけたろか!」
と激怒したが、当の本人が黙ってそんな記事をスクラップにしてるのを見てやるせなかった。
人間あまりにも悲しいと怒りなんぞおきないのである。

そんな彼もBEYONDの活動再開を機に、北京に自分のマネージメントオフィス設立したり、
大陸発売のソロアルバムも発売、
(その中の1曲はまたワシがタダでアレンジし、北京ファンキーDrumスタジオの記念すべき初レコーディングとなった。しかもタダで・・・)
そしてその発売を機に、
「一気に全中国ツアーを組むぞ!」
と言う大きな試みの皮切りとして今回のこの北京コンサートを自力で開催した。

音楽総監督はWing自身、
バックメンバーには北京から、日本から団長を呼んで、後は香港のミュージシャン。
香港で1週間リハーサルを終えて全員で北京に乗り込んで来た。


香港でのリハーサル風景
WingRh.jpg


会場は北京展覧会劇場と言う2000人の小屋。
しかもそこを2DAYSと言うから彼の知名度からすると無謀とも言える。

知名度と言うなら彼の知名度はさすがに中国人なら知らない人はいないが、
それはやはりBEYONDと言うバンドの知名度であって、
例えて言うとサザンオールスターズのドラマーとか、爆風スランプのドラマーが(あ、俺か・・・)、自分名義のコンサートを渋谷公会堂で2DAYSと言うとやはりちょっと難しいんでは・・・と言うのと似ている。

ましてやそのドラマーがスティックではなくギターを持って、
ドラムを叩くのではなく歌を歌おうと言うんだから、
これが爆風スランプのドラマーだったら客は絶対に来ない!!(断言!!)

XYZのライブとかだと、いつも出番前は
「今日は客どのくらい入ってるかなぁ・・・」
とそれが一番気になることだったりするが、
俺にしてみたらいわゆるバックバンドのお仕事なのに、
開演前には客の入りを気にしてそわそわ・・・これも一種の性であろうか・・・

前日のゲネプロでは音響のスタッフに
「お前、このマイクの立て方でドラムの音がちゃんと拾えると思ってんのか!」
とどやしつけたりしている。
「子供のコーラス隊を出すタイミングが違う!」
と舞台監督に何度もやり直しを要求したりしている。

そう、俺にとってこのコンサートは、既にいちバックバンドのメンバーではない。
かけがえのない友人の将来がこの1本で決まってしまうのだ。
ドラマーにもなるし舞台監督にもなるし、音楽総監督の補佐にもなる。


WingConcert.jpg


初日の入りは半分ぐらい。
気落ちしないように開演前に彼に活を入れる。
始まってみると、ギターとベースの音が出ない。
音響が最悪で始終ハウリングを起こしている。
ゲストの演奏の時に舞台を降りて衣装換えしている彼を元気付ける。
「ロックはハートでやるもんだ!何があっても気落ちするな!俺がついてる!」

Wingのたっての希望でドラムソロをぶっ叩く。
当初は2人でソロの掛け合いをしようと言う企画だったが俺が却下した。
「お前はスターなんだから、俺の後でゆうゆうと登場してゆっくりソロ叩けばいいんだよ!」

彼は全アジアで一番有名なドラマーと言っても過言ではない。
知り合ういろんなドラマーが、
葉世榮がいなければ俺はスティックなんて持ってなかった」
と言うのをいやと言うほど聞いた。
言わばアジアのリンゴ・スターなのである。
ソロの内容なんかどうでもいい。
彼がドラムを叩きさえすればそれでいいのである。
俺はテクニックの限りを尽くして客を暖めておく。
それが俺に出来る最高の演出である。

俺のソロの最後にバスドラを踏みながら舞台中央を指差すと、
そこからWingがドラムソロを叩きながらせり上がって来る。
会場は興奮のるつぼである。

ドラムソロが終わると、次の曲はAMANI。
「AMANI NAKUPENDA NAKUPENDA WE WE(平和,愛,僕達に勇気を)」
この曲はBEYONDが売れてお茶の間のアイドルとして大全盛の時、
アフリカに行って戦争で焼け出された子供たちのために作った歌である。

「戦争の陰でいつも傷付くのは、何の力もない子供達」
と歌うこの曲は、瞬く間に香港のヒットチャートを総なめにし、
アジア中に彼らのメッセージが響き渡った。

BEYONDが偉大だったのは、アイドルバンドとして売れ続けながら、
アフリカの言葉で歌うこんな曲をヒットチャートに乗せることが出来たと言うことであろう。

俺がこの曲を初めて聞いたのは、お恥ずかしながらコマが死んだ後である。
あれだけ毎日一緒に酒を飲みながら、俺は彼らの偉大さを全然知らなかった。
彼が死んでから香港に行き、
Wingと待ち合わせたコーズウェイベイの回転寿司で偶然この曲がかかっていた。
MTVには字幕が流れており、そこでこの歌詞の内容を初めて知った。
サビで「僕は歌い続ける!」と言う歌詞の部分がとてつもなく悲しくて寿司食いながらわんわん泣いた。

コマが歌い続けることが出来なくなったんだから俺が歌い続ける!
と、その後この曲を日本語訳にして夜総会バンドのレパートリーとしたが、
当の歌う本人であるボーカルのaminがこの曲を歌い続けるかと言うとそれはまた無理な話である。
そんな空回りの中バンドは解散し、歌を歌えない俺はこの曲を歌い続けることが出来なくなった。
ところが当の本人、Wingがこの曲を歌い続けている。

アンコール最後の曲は、またBEYONDの大ヒット曲「光輝歳月」。
差別と戦って神に召された黒人のことを歌った歌である。
「虹が美しいのはその色と色との間に区別がないからである」
と歌ったコマはもう神に召された。
しかしWingがそれを歌い続け、そして客がそれを大合唱する。

ボーカリストが亡くなって、そのドラマーがその歌を歌い続ける。
その後ろでドラムを叩くのが俺である。
あの日、新大久保のSOMEDAYのJamセッションを見に来たコマが俺にこう言った。
「素晴らしい!お前のドラムは最高だ!来月も、またその次も俺は毎回見に来るぞ!」
そしてその言葉が俺と交わした最後の言葉となった。

それ以来Jazzのセッションをする度に、どこかで彼がまたあの嬉しそうな顔をして俺を見ているような気がしている。
あの真っ白な世界の扉を開けたら、そこにビール片手に彼がいるような気がしている。

同じバンドのメンバーが歌手となって初の大舞台。
彼はまたいつもの笑顔でそれを見ていたことだろう。

どうだったかい?ふたりのドラムソロはよかったかい?

これを皮切りにWingは全中国ツアーを切るつもりらしい。
いつの日かあの扉が開いて彼と会える日が来るかも知れない。


ファンキー末吉

ネットで流れているライブの模様
http://ent.sina.com.cn/y/v/2006-06-14/17151122734.html音が悪い・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:39

2006年06月11日

西部来たりて酔い潰れ

岡崎はんが北京から帰国する飛行機とちょうど入れ違いの東京からの飛行機で団長が北京でトランジェット。
いわゆる五星旗歴代ギタリストが空中すれ違い、今度はその団長を連れてそのまま香港へ。
WINGのリハーサルのためである。
5日間のリハーサルを終え、昨日の正午やっと北京に帰って来た。

ちょうど日本からは元ファンキーコーポレーション幹部、西部嬢がやって来てたので、
貧民街のうちの院子にご招待。
西部嬢は「喋らなければ美人」と誰もが言うが、ルックスとはうらはらに性格はもろ「オッサン」である。
趣味は「晩酌」。しかし時には昼から晩酌。
結婚前は缶ビール片手に公園で酔い潰れ、結婚後も毎日酔い潰れてソファーで寝ているらしい。
団長とは久しぶりと言うことで、村のレストランで昼から1杯2元(約30円)の生ビールで乾杯。
だがワシはうちのスタジオで1曲ドラムのレコーディングがあるので飲まず。
若いうちはベロンベロンでもドラムを叩いていたが、年をとったのかもしくは音楽に対する欲求が高くなったのか今は叩く前は絶対に飲まない。

しかしヤツらは飲む飲む。。。
ワシが仕事してる横で中庭とも言える院子で飲む飲む。。。
そしてワシが1曲叩き終わった頃には西部は潰れていた。

Nishibe1.jpg

うちの院子は貧民街にあるので夏はやはり蝿、蚊はかなり多い。
蝿もやはり美人が好きなのか西部にたかるたかる・・・
気にせず大いびきで寝続ける西部。

Nishibe2.jpg

夕方頃には起きてどこへとなく帰って行った。
今頃は恐らく飛行機の中。愛するカナダ人の夫の待つ日本に帰っていってる頃である。
恐るべき来客であった。
14日には大村はんがやって来る。

Posted by ファンキー末吉 at:09:51

2006年06月02日

岡崎はんの北京の1日その2

岡崎はんの北京滞在もあと残すところ3日となった。
別に帰ったって何があるわけでもないんやからおればええのに、
そう言うところだけは相変わらず意固地な岡崎はんである。

関西空港で3万円を人民元に両替し、(約2000元)
まあ2000元あればこの村では数ヶ月暮らせるので、
滞在1週間を過ぎてから「俺が払うわ」と一生懸命使おうとしているのだが全然減らん。

残すところ3日であと700元使い切りたいと言うので、村の若い衆連れて羊肉串を食いに来た。

YangRouChuan2.jpg

路上でがんがん食うのが北京式である。
100本頼んだのじゃが、1本が5角(約7円)なのでやっぱ全然減らん。
ビールもここでは大瓶1本1.5元(約20円)なので何本飲んでも全然減らん。

結局支払いは93元(約1400円)。
一人頭で勘定すると200円いかない。
日本やったらビールも1本飲めんし、焼き鳥も1本しか食えんぞ・・・

「こんなに金使わん海外旅行は初めてじゃ・・・」

岡崎はん
日本に帰国して社会復帰出来るのか。。。
(もともと社会復帰してないか・・・)

Posted by ファンキー末吉 at:09:31

2006年05月31日

岡崎はんの北京の一日

克爾曼(KAHRIMAN)のレコーディングも終わり、
ネットを介してやりとりする(先進的やなぁ・・・)香港のレコーディングも終わり、
採用されたら2万元くれると言う北京オリンピックテーマソングの応募曲のレコーディングも終わり、
(中野が是非中国語で歌いたいと言うので一応Runnner中国語版も作って応募してみた)
後は岡崎はんに付き合って観光あるのみである。

夕べは日本のぴあの偉い人が北京に来てて、
中国語版ぴあの見本版を見て意見を聞きたいと言うのでしこたまただ酒を飲み、
二日酔いのまま朝早く起きて故宮に向かった。

OkazakiGuGong.jpg

岡崎はんの趣味はウォーキング(もう既に老人の域)。
村に来てもひとりで1時間2時間平気で散歩をするので半日以上かかる故宮の観光も平気である。
景山公園の方から入って天安門まで抜けた頃にはワシはヘトヘトじゃが彼は平気。

OkazakiTianAnMen.jpg

昼は是非北京ダックをと言うことで、口コミで聞いた美味しい店と言うのがここ。
前門にある利群北京ダック店

OkazakiBeijingDuck.jpg

紹介してくれた友人は「前門で輪タク乗ったら連れてってくれる」と言う話だったが、
値段が観光客料金で30元とべら高なので歩いて行った。
老人の散歩が趣味の岡崎はんは平気じゃが、ワシと嫁は既にへろへろ。


夜には新疆ウィグルレストラン阿凡提(A Fun Ti)に行った。
昨日、実は岡崎はんの好みの女性は新疆ウィグル族の女性ではないかと思っていたら、
やはり舞台で踊るウィグルダンサーに釘付け。

OkazakiWatchingGirl.jpg

蛇を身体に巻きつけて踊るパフォーマンスに釘付け。

OkazakiSnake.jpg

かなりご満悦でワシとしても非常に嬉しかったのだが、さすがに嫁がダウン・・・
次の店に行くのはやめて早々と院子に帰って来た今宵でした。

岡崎はん帰国まであと3日。
嫁の体力は持つのか?そしてワシの体力は・・・

そして大阪から1本のメール。
「楽しそうやなぁ・・・ワシも北京行こうかな・・・6月の半ばか末頃って大丈夫?・・・」
大村はんである。

歓迎!歓迎!
みんないっそのこと北京で住みなはれ!

Posted by ファンキー末吉 at:23:32

2006年05月30日

ウィグル族の仲間たち

どうも最近新疆ウィグル自治区の人たちと縁があるようだ。

新疆ウィグル自治区は、北京から直線距離にしておよそ2,400 km。
もちろん日本に帰るより遠いのにやっぱ中国の中のいち地方である。
この前行って来たシルクロードの起点と言われる西安から更に西に進み、
井上靖の小説や映画でも有名な敦煌よりも更に西に進み、
いわゆるシルクロードの中国最西端である。

最近ではJazz-yaライブに時々参加してパーカッションとボーカルを担当する
阿布都(A Bu Du)が新疆ウィグル族と言うことで、
彼のバンドの連中(ひとりを除いて全員ウィグル族)と仲良くなったり、
まあ中国と言えば友達になれば何でも助け合わねばならないのが常で、
お金にもならないのに彼らに楽曲をプレゼントしたり、
日本語の詞をそれにつけてくれと頼まれて徹夜して考えたり、
今では「ご近所の苦情で自宅で練習出来なくなった」と言うことでうちに来てよく練習している。

ABUDU.jpg

阿布都(A Bu Du)は新疆ウィグル地区でもかなり田舎の方の出身らしく、
貧しくて、小さい頃から民族打楽器を叩いたり歌を歌ったりして家族を助けていたと言う彼の歌は
Jazz-yaライブのリハーサルの時に従業員が涙したと言うほどである。

最近うちの院子に部屋を間借りし、週末には別荘代わりに泊まりに来る吉野嬢も彼らの音楽にはめろめろである。


もともとワシと新疆ウィグルとの縁と言うのは阿凡提(A Fan Ti)と言う新疆ウィグルレストラン
によく行ってたのがきっかけだったのではあるまいか。
羊肉を食い、新疆ワインを飲み、酔っ払ってステージに上がってそこで演奏していた阿凡提(A Fan Ti)と言うバンドに飛び入りしていたりしていた。

数年後にとあるライブハウスで演奏している新疆ウィグル人に
「よっ!久しぶり!」と声をかけられた。
全然覚えてなかったが、顔がぱっと見て中国人っぽくないので、きっと新疆ウィグル族だろうと思っていたら、やはりその阿凡提(A Fan Ti)でギターを弾いてた克爾曼(KAHRIMAN)である。

その時に交わした電話番号がきっかけで今、彼の新しいユニットの曲をレコーディングしている。
昨日は阿布都(A Bu Du)のバンドもリハーサルしに来てたりして、
うちはさしずめウィグル族の溜まり場である。

みんなワシに必ず「今度新疆ウィグル自治区に招待するから」と言う。
行ってみたいが北京から飛行機で4時間である・・・遠い・・・
ウルムチ出身の克爾曼(KAHRIMAN)はまだいいが、
阿布都(A Bu Du)の実家はそこから更に飛行機で1時間半かかると言う。
新疆ウィグル自治区、実は日本が20個すっぽり入ってしまうほどでかい・・・


レコーディングが終わり、克爾曼(KAHRIMAN)とそのユニットのボーカル(実は彼の奥さん)と一緒に記念撮影。

KeErManDiLi.jpg


シャッターを押してもらった岡崎はんがしきりに
「全然中国人ぽくないけどあれでも中国人なんやなぁ・・・あんな美形で羨ましいよなぁ・・・ほんま・・・」
と1日中ずーっと言ってたので克爾曼(KAHRIMAN)のことかと思ってたら嫁さんの方やった・・・

惚れたな・・・岡崎はん・・・

Posted by ファンキー末吉 at:11:07

2006年05月29日

YangYang来たりて飲みまくる

前回来た時は、いきなり大酒をかっくらい下ネタ叫びまくり、
院子(ユエンズ:ファンキースタジオ兼住居のある北京の貧民街の一角にあるロックミュージシャンの集落。通称「ロック村」とも言う)の若い衆を捕まえては
「お前!可愛いから今日オレと一緒に寝ろ!」と部屋に連れ込もうとして逃げられ、
それを追いかけては夜通し酒瓶持って叫びまわり、
「怪獣」と言う呼び名をつけられたのはもう先々月のこと。

今回はかなりおとなしくなったとは言え、酒は昼間から飲むわ、寝てる時以外は基本的にずーっと喋ってるわ、とにかくこの怪獣の出すエネルギーには生身の人間は「当てられて」しまう。

2~3日嫁と共に相手して、既に疲れ切っていた頃やっと岡崎はんがやって来た。
その前日には嫁と共に王府井(WangFuJing:北京の銀座とも言うべき大ショッピングストリート)
で死ぬほど買い物をし、店員が泣き出すほど値切りに値切り、
「売らないならこのまま店の前で歌い続けるぞ」と脅し、
汗をかいたと言えば洋服を試着して汗を吸わせ、「要らない」と言って結局買わず、
夜は夜で阿凡提(A Fun Ti)と言う新疆ウィグル料理のパフォーマンスレストランで死ぬほど飲み、
ステージに上がって踊り、
「よし!明日はモンゴル料理だ!」
と言うことで空港に降り立ったばかりの岡崎はんを連れて蒙古人と言うモンゴルレストラン。

MengGuRen.jpg


この店は民族衣装を着た歌手と馬頭琴奏者が来て歌を歌いながら白酒をついでくれる。
岡崎はんはもう飲めないほど飲んだが、YangYangは更に1本追加して余ったら持ち帰り。
その後もASKAと言う日本人スナックで飲み、歌い、
嫁は疲れ果てて寝込み、ワシは飲み過ぎで胃が痛み、岡崎はんは食い過ぎでぶくぶくと太ってしまった。
26日に布衣のライブに3曲参加し、27日にJazz-yaライブ、28日にやっと日本に帰って行った。

ワシらは1日間ゆっくり休み、一昨日の晩は友人のライブハウスが1周年と言うことで、
岡崎はんらとセッション。
ちょうど楽器フェアーのRolandのデモ演奏で北京に来ていた西脇さんも遊びに来て2曲ほどハーモニカ吹いていった。

JAM.JPG

Posted by ファンキー末吉 at:15:13

2006年05月20日

秦勇(QinYong)ライブ

中国を代表するロックバンド黒豹から、第3期ボーカリスト秦勇(QinYong)が脱退したと言うニュースを聞いたのはもう1年以上も前のこと。

もともと黒豹は第1期ボーカリストの竇唯(DouWei)があまりにも偉大であったため、
第2期ボーカリストの巒樹(LuanShu)秦勇(QinYong)はいつもそれと比較され、苦難の道を強いられていた。

脱退前の秦勇(QinYong)と最後に会ったのは零点(ゼロ・ポイント)6万人コンサートの打ち上げの時。
ぐでんぐでんに酔っ払った彼が、
「ファンキー、お前もきっと俺のことが嫌いなんだ。
竇唯(DouWei)の黒豹が好きだからな・・・」
とつぶやいていたのが印象的である。

竇唯(DouWei)黒豹を脱退した後、
ある種天才の行き着く道と言うか、わけのわからない音楽をやり続け、
レコードはたくさん発売するのだが、
試しに聞いてみると、環境音楽みたいのが延々と続いて、結局最後まで1曲も歌を歌わなかったり、
不一定(決まってないよと言う意味)と言うバンドをやったりもしているのだが、このバンドがまた、
いつライブをやるのかも不一定、
やっても何を演奏するのかも不一定、
竇唯(DouWei)はドラムを叩いたりして、歌を歌うのかどうかも不一定。
最近ではメディアでの発言や、行動にも奇行が目立ち、
天才はやはり天才なんだなぁと思わざるを得ない・・・

一方、黒豹はと言えば、相変わらず竇唯(DouWei)時代の大ヒット曲を演奏して地方を回ると言う、
まあぱっとしない状態がずーっと続いていた。

バンドのマネージメントは、
「ドラマーの中では一番商売がうまい、商売人の中ではドラムが一番うまい」
と自負する趙明義が取り仕切っていて、
竇唯(DouWei)黒豹に戻って来てくれたら、また黒豹は昔のようにトップに返り咲くことが出来るぞ」
と言うことで実際に彼と交渉し、
そのまま秦勇(QinYong)をクビにしたのか、はたまた秦勇(QinYong)が自分で脱退したのか、
かくしてボーカルが竇唯(DouWei)に復帰して初のリハーサルが行われた。

「じゃあ久しぶりに昔の曲、やってみますか・・・」
と言うメンバーに対して竇唯(DouWei)が一言。

「俺、メロディーのある歌なんか歌わないよ!」

変人の極みである。
メンバー唖然・・・
「じゃあ何すんの?・・・」とばかりバンドはその場で崩壊。
今さら脱退した秦勇(QinYong)に戻って来てくれとも言えず、
新たにボーカリストを探して来て、相変わらず昔のヒット曲でメシを食っている。

かくして脱退後初めて秦勇(QinYong)と会ったのは何と街中の商店でのこと。
この広い北京(何と北京市の面積は日本の四国4県合わせたのと同じぐらい)の中で偶然再会するのも何かの縁であろう。
前回の愚痴のことも頭に残ってたし、
「次の活動、どうすんの?うちスタジオもあるし、何でも協力するから言ってね」
と言い残してから数ヵ月、
彼が参加する春節晩会(日本で言う紅白歌合戦。しかし今回のは地方版)
で歌う曲をアレンジしたりレコーディングしたり、
いやそれにしても彼のレコーディングはビールの消費量が凄まじい。
初日はみんなでビールを1ケース空けてしまい、
2日目は2ケース買って来といたが、それも空いてしまった。

そんな話は余談として、そんな交流の中から、
兄貴の店で今度ライブがあるんだけどドラム叩いてくんない?」
と電話が来た。

彼のお兄さん、秦奇(QinQi)QinQi.jpg
は北京ロックの黎明期からのギタリストで、
ライブが出来るバーを開いたり、レストランを経営したり、
大山子と言うところにある芸術家村に巨大な芸術スペースを開いたり、
今回はその芸術村で3バンド集めて無料ライブをやろうと言う企画である。

入場料無料なのでもちろん出演料もナシ!
タダの仕事ほど楽しいと言うのが音楽も含む芸術の世界なのであるが、
さすがは芸術村、
ライブの前に行われる芸術家によるパフォーマンスがこれまたよくわからない。

例えばこの人

Performance1.jpg

は頭の上にカセットテープのテープの部分をたくさん取り付けて、
四方八方からそれを引っ張ってもらってライトを当ててもらって綺麗だな、面白いな、と言う参加型パフォーマンス。

また、この人たち

Performance2.jpg

は、マッサージ台を2台置いて、怪しげなライトの中で音楽を流してマッサージをする。
上に飾ってあるのは全て同じ時間を指してある時計。
(秒針はそれぞれ違う)

わけがわからん・・・

かくしてライブが始まる。
一番有名人である秦勇(QinYong)がしょっぱな。

QinYong.jpg

うちでリハーサルやって作り上げた新曲3曲だけやってさっさと舞台を降りる。
後で聞いたらこれが彼の黒豹脱退後初のライブと言うことであった。
大成功と言えよう。
音楽のよさはビールの消費量に比例した。

次のバンドはS社長の会社と契約したニューメタル系の男女のユニットである。

Gemini.jpg

レコーディングでもワシが叩いたのでここでもタダでドラムを叩く。
秦勇(QinYong)バンドのベースの重田もタダで借り出される。

ワシと重田は日本語で会話し、
ワシらと中国人ボーカリストは中国語で会話し、
中国人ボーカリストとフランス人ギタリストはフランス語で会話し、
そのギタリストとワシらは英語で会話する。
国際的と言えば国際的なのじゃが非常に疲れる・・・

そして最後のバンドはZiYou楽隊
実はこのボーカルのHelenと言うのは、
XYZの中国語版を録音した時に仮歌とコーラスをお願いした在米中国人のお姉ちゃんであった。

Hellen.jpg

歌もパフォーマンスも非常によく、その日のビールの消費量は自己限界を超えた。

通風が心配である・・・

Posted by ファンキー末吉 at:17:14

2006年05月13日

中国のアサヤンもどき(のモドキ)

中国の音楽界で(まあ日本でもそうなのでしょうが)、
新人がいきなり社会現象になるほどヒットすることはまれである。

日本の「アサヤン」(実は見たことないのでよくわからんのだが・・・)
のようなオーディション番組をテレビで放送したところそれが去年爆発的なヒットとなり、
それに出場している女の子達がレコードも出してないのに
(まあこちらではレコードは名刺みたいなもんですが・・・)
超アイドルとしていろんなメディアにひっぱりだこになったのはほんの1年足らず前の話。
正にこちらでの「社会現象」のひとつであった。

しかし柳の下には何匹もどじょうがいると言うのがここ、中国である。
予想をまるで裏切ることなく、それモドキの番組が現在もどんどん作られている。

いつも仕事をくれるLaoLuanから電話が来た。
「Funky、小工作(日本で言ういわゆる小商い)なんだけど頼んでもいいかなぁ・・・」

まあ日本での生活もそうじゃったが、
こちらでは今やテレビすら持ってないワシにテレビの仕事を説明するのは骨がおれるらしく、
「超級女声って知ってるか?」と簡単に説明されただけだったので、
ワシはてっきりあの超級女声のバックをするのか・・・と思ってそれを引き受けた。
・・・と言うより、実はやっている時でさえずっとそうだとばかり思っていた。

かくしてリハーサルスタジオに着くと、
15人の初々しい(そうでないのも数人いるが)アイドル予備軍の女の子達が、
初々しく緊張しながら(そうでないのも数人いるが)ワシ達の到着を待っていた。

日本ではミュージシャンの地位は非常に低く、
爆風でテレビに出た時なんかもテレビ局のスタッフに
「バンドさんはこちらへ」と言われ、メンバー一同苦笑したことがあったが、
こちらではたかがバックバンドであっても「老師(先生)」と呼ばれるので
それこそ大違いと言うか、逆にちとこそばゆい。

女の子達も、日本の若い新人歌手達のように
「アンタたち誰?」みたいな視線を投げかけることもなく、
かと言って教育が行き届いたアイドル歌手のように
「よろしくお願いしまーす」と無味乾燥な笑顔を投げかけてくるわけでもない。

ここでの立場はどちらかと言うと
テレビ局が用意したダンスや歌唱指導の先生に似た感覚なのであろうか、
ある種の緊張感と尊敬の念を込めた眼差しでワシ達と接する。

ま、ドラム叩いて32年、
彼女達が生まれる遥か前から音楽をやってるワシを「老師(先生)」と呼ぶのはまだしも、
LaoLuanが呼び集めた、(まあ予算が少ないからであろうが)
ワシ以外の若い駆け出しのミュージシャン達にとっては、
年端も変わらない女の子から「老師(先生)」と呼ばれるのはかなりこそばゆいらしく、
「いい娘たちばっかりなんだけど、あの老師っつうのだけは何とかならんかのう・・・」
とは言うものの、
やはりこちらはレコーディングしててもミキサーから通行人までが歌入れに意見を言う
「13億総プロデューサー」の国である。
照れてたのは最初だけ、彼らもバンバン歌唱指導するする・・・
かくしてその場の雰囲気は、オーディションのリハーサルと言うよりはいきなり
「学園祭の練習」みたいになってしまったのである。

さて実は、そのリハーサルスタジオは一般貸しもやっていて、
アンダーグラウンドのロックバンドや、社会人、学生バンド達にもよく使われている。
まあ地元のアンダーグラウンドのロックバンドなんかが来た時には
ガラス越しにワシや若いミュージシャン達を見つけて我が物顔で中に入って来るのであるが、
そこに運良く(運悪く?)やって来たのがどうも日本人の学生バンドか何かだったらしく、
ガラス越しにどうもどっかで見た顔のドラマーを見つけるのであるが、
奥ゆかしい日本人には中国人のようにづかづかと中まで入ってゆく勇気はない。
バンド全員でガラス越しに貼り付いて中を覗いてる彼らに中国人が声をかけた。
「何やってんの?」
そこで彼らが初めてこう尋ねる。
「あのドラム叩いてるのファンキーさんですよね?」

「そうだよ」と答えられ、納得した彼らは、まあ別にワシに声をかけることもなく
そのまま自分たちのリハーサルを終え、帰って行き、
ワシは後に中国人スタッフが教えてくれて初めてそのことを知った。

「ファンキー、お前やっぱ有名人なんだなぁ・・・
あの日本人の若者達、ずーっとお前見て、ずーっとお前のこと話してたぞ・・・」
と言われ、何か複雑な心境・・・

あの人たち・・・ワシが若い女の子集めて何やってたと思ったんでしょ・・・


さてその女の子達であるが、
一応アイドル予備軍なんだから(そうでないのも数人いるが)ルックス的には一応可愛いが、
歌唱力となるとこれがなかなか難しい。
生まれてこのかた生バンドでなんか歌ったことないんだから、
いつも歌い慣れているカラオケの伴奏との違いに戸惑うばかり。
ある娘は老師たちに教えを請い、
またある娘は老師たちに胸を張ってこう言った。

「バックコーラスないの?」

一応に固まるスタッフ一同。
顔見合わせるワシ達・・・

「コンテストだからね、プロのコーラスがいるとみんなそれに頼っちゃうでしょ」
(本当は予算がないからなのであろうが・・・)一生懸命なだめるスタッフ達・・・
「お前、コーラスやれよ!」
新しく生まれためんどくさい仕事をお互いになすりつけ合うメンバー達・・・

しかし、ワシは個人的には実はこの発言をした娘が一番歌がうまいと思っていた。
ルックスも、その時は「お前、絶対年齢サバよんでるじゃろ」としか思わなかったが、
本番になるとばっちし化粧して結構美人だったし・・・
歌がうまくてルックスよければとりあえず性格は、ねぇ・・・

あと、印象に残った娘が、背がちょっと低くてぽっちゃりしていたために、
審査員からも総評の時に「それからあの・・・おデブちゃん・・・あんた歌うまいわねぇ・・・」
と言われていた女の子である。
彼女が選ぶ歌が、ちょっと古いタイプのバラードが多く、
うまいんだけどあんまし興味がなかったが、
本番のメドレーで彼女のルーツであるオペラを歌ってそのうまさに絶句。
歌がうまくて性格よければとりあえずルックスは、ねぇ・・・

しかしまあ後の娘達はと言うと・・・まあ・・・歌は・・・どうしようもない・・・

ひとり、ワシが昔プロデュースした李慧珍の曲を歌ったが、
「お前・・・頼むからその曲だけは歌うなよ・・・」
と言いたいほど情けない。
そいつだけは満場一致で「どうしようもない」のであったが、
本番ではそんなのが当選したりするんだから不思議なもんである。

歌えないと言えばひとり、頬を赤らめてマイクを両手で抱えるように持って・・・
これがまた本当に全然歌えないんじゃが、ワシのロリコン心を刺激して非常に可愛い。

本番では審査員から「あんた、可愛いのはわかるけどここは学芸会じゃないのよ」
と酷評されて見事落選。
しかしその時流した一筋の涙に司会者が同情し、
「じゃあせっかく練習したんだから1曲だけ歌っていいわよ」
とチャンスを与えてあげる。

涙ながらに歌う彼女・・・
ワシも何か他の曲よりも一生懸命ドラムを叩いたりするが、
こんな娘の選んで来る曲ってのがまたドラムなんてどうでもよいアイドル物だったりする。

でも・・・はっきり言って楽しい仕事じゃ・・・

SoGouNvSheng.JPG


さて、若き美しい(そうでないのも数人いるが)娘達の涙と笑顔に囲まれながら、
ワシの楽しき仕事はこれで終わった・・・と思ったらそうでもなかった。

「じゃ、また来週!」
あれ?これって決勝戦じゃなかったの?・・・
「これは15人の中から7人を選ぶ予選。来週はその中から5人を選ぶ」

・・・ワシの楽しみは続く・・・


・・・と思いしや、実はLaoLuan自身があまりのギャラの安さにこの仕事を降りてしまい、
結局ワシの楽しみは次の北京特別唱区の決勝で終わってしまった。

仕方がないのでそれをインターネットで放映しているサイト
http://www.supergirl.sohu.com/でその続きを見る。
ワシの仕事はもう既に過去のものとなってUPされてないが、
いやはやこれは・・・はっきし言って面白い!

ワシが一番歌がうまいと思った二人は最終予選で落とされてしまったようじゃが・・・
結局一番どうしようもないのが結局最後まで残ってたりするから不思議である。

うーむ・・・タダでもいいからずっとやりたかったぞ・・・この仕事・・・

Posted by ファンキー末吉 at:02:07

2006年01月29日

花火爆竹の中国のお正月

新年好!新春快楽!
今日は旧暦の1月1日、中国語で「春節」、いわゆる旧正月である。
日本では通常の1日でしかない今日は、中国では一番大事な祭日。
言うならば盆と正月がいっぺんに来たようなもんである。

ワシがこちらで春節を過ごすのは実はまだ2回目。
(1回目の話はコチラhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/96.html
前回と大きく違っているのは嫁がいることと、
根っからの放浪癖にピリオドを打って「住処」を定めたこと。
(関連ネタhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html

今回は実は旧正月前から夫婦して日本に帰る予定だったのだが、
チケットの予約が遅れ、どうにも満席で日本への便が取れず、
仕方がないので春節明けの2月2日のチケットを取って今もこうして北京に残っている。
誰もワシが今北京に残っているとは思ってないので
誰にも「うちに来いよ」誘われることもなく、
言うならば典型的な「家族水入らずで過ごす」春節である。

しかしワシらふたりでどう過ごせばええのん?・・・

初めてのことなのでとりあえず人を呼んで賑やかに過ごすことにする。
「中国では餃子にコイン入れてそれを茹でてみんなで食べるのさ!」
と知ったかぶりに嫁に言うが、
「餃子ってどうやって作るの?皮から作るんでしょ?」
と聞かれ、いきなりしどろもどろ・・・

そうなのじゃ。ワシは誰かが作ってくれた餃子を食べたり、
せめて誰かが作ってくれた皮を一緒に包んで餃子にしたりしてただけなのじゃ・・・

誰か餃子の皮作れるヤツはおらんか・・・
院子のロックミュージシャンはほとんど里帰りしてしまってるし、
前回一緒に旧正月を過ごした友人達は今年はみんな外地に行ってしまってる・・・
若いミュージシャン達は実家に帰ってたり、
基本的に北京人は家庭にこもって家族と過ごすので出てこない。

仕方ないので春節なのに日本に帰ってない日本人を呼び集める。
元XYZのPAエンジニア吉田くん夫妻に、
元ワシのアシスタントの若い衆重田くん、
そして昔BayFMのラジオ番組「Asian Pop Connection」
を一緒にやってた相方「千葉麻衣子」がひょんなことから北京に留学に来ているので
みんな一堂に呼び出して総勢8人で「鍋」。
そう、誰も餃子作れないから日本人的に鍋屋で鍋を囲むことにしたのだ。

XYZ北京ライブhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/61.html
の打ち上げでも使った中国式牛肉しゃぶしゃぶ鍋に集合して飲むぞ!
と思いきや、その向かいが政府公認の花火爆竹販売店。

そうそう・・・聞くところによると今年から北京市内で爆竹が解禁になったとか・・・

よしとばかり花火と爆竹を購入しようと心に決めつつとりあえず食事。
食べながらもいろんなところでバンバン、ヒューヒュー、ボカンと言ってるのを聞きながら、
気もそぞろになりながら食事を終え、やはり春節は花火と爆竹でしょう!!!
向かいの花火屋に駆け込んで花火と爆竹購入!!

しかしこれって意外と高いのよね・・・

百連発とかの爆竹が40元(600円)。
ロケット花火、打ち上げ花火が90元(1500円)。
これを大勢で盛り上がってやりまくろうとすればやはりひとり1万円がとこ必要である。
我が家の財布を握っている花火好きの嫁が
喜び勇んで300元(4500円)ぽんと出したところでどれほども買うことが出来ない。
「吉田家の厄払いです」と言って100元出してくれる吉田くんはありがたいが、
結局はみんなで打ち上げ花火数発と爆竹で終ってしまう。

ちと物足りない気もするが、
厄払いが目的ならもう十分目的は果たしたとばかり家路に着く。
彼らは市内へ、ワシら夫婦は貧民街へと帰ってゆくのだが、
(関連ネタhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/113.html
心なしか道々、周りで花火を上げている数が増えて来るように感じる。

聞くところによると規制が厳しかったのは北京市内で、郊外は言わば無法地帯。
昔からいたるところで花火や爆竹とは聞いていたが・・・
だいたい都会のど真ん中のビル街で打ち上げ花火を上げようと思えば大変だろうが、
ウチの村はちょっと外れれば全て未開の空き地である。
花火なんぞ上げ放題なのではあるまいか・・・

・・・と期待に胸を膨らませて家路に着くが、
まあこれと言って凄い花火や爆竹の嵐があるわけでもなく、
院子に帰って風呂に入り、大家が放った爆竹の音を聞きながら眠りに着こうとすると、
夜中の11時を過ぎたぐらいから爆音と共にいきなり窓の外が明るくなり出す。

花火好きの嫁がいそいそと起き出して窓から眺めたり外に出たり、
近所のいろんなところで上がってる打ち上げ花火が小さく見えるので、
「よし、車で花火やってるとこまで見に行こう!」
とばかりふたりで起き出して車に乗る。

「近所の空き地じゃないわよ。きっとあっちの高級別荘地よ」
そうそう、花火が結構高いものだと分かった今、
あんな巨大な打ち上げ花火を、うちの村の貧乏人がやれるわけはない。
隣接する超高級別荘地に繰り出してみると、
そこはもはや隅田川の花火大会よりも凄まじい勢いで花火が打ち上げられている。

しかも路上の真ん中で一般人が勝手に墨田川級の花火を打ち上げているのである。

隣接する超高級別荘地では、恐らくその別荘の管理会社が花火を上げているのか、
それでもかなり大掛かりな花火がボンボン上がるそのま横の路上で、
車のトランクに花火を満載した人たちがどんどん集まって来て、
自分勝手にボンボンと更に巨大な打ち上げ花火を打ち上げる。

「タマや~!カギや~!」
などと風情のあるもんではなく、
花火がひとつの花だとすると、その花びらの下っ側はヘタしたら地面すれすれだし、
横っ側はヘタしたら別荘地の屋根すれすれである。

お前ら、高度が低すぎんねん!
と言ったところでそれは売られている花火のみが知っていることなのでどうしようもない。

綺麗と言えば、こんな至近距離で花が咲くんだからそれは綺麗である。
花火好きの嫁、狂喜乱舞・・・

頃は夜中の0時ともなると、
高級別荘地の全ての住人がまた自分で火を上げるもんで、
もうそこらじゅう花火だらけ・・・
綺麗を通り越してもう「壮絶」である。

隅田川も淀川も、これほど広範囲で花火を打ち上げることはあるまい・・・
またこんな至近距離でこれだけの数の花火を見ることはあるまい・・・

嫁・・・狂喜乱舞・・・

毎年死者が出たり火災が起こったりで市内では禁止されていた花火爆竹。
今年より条件付と言えど解禁!
しかしその条件と言うのが「花火購入はひとり30kgまで」と言うのは本気か!!!
この国は正月に花火で死んでもええんか!!!

かなりの数の警察が動員され、厳戒態勢で行われた花火爆竹解禁。
幸いにも本日、春節の一日で負傷者は出たが死者はゼロと言う。
そしてその負傷者のほとんどは顔面に火傷を負ったと言うものであるそうだ。

お前ら!そうまでして花火やりたいかい!!
ちなみに日本大使館は
日本人がのこのこ見に行くことを自粛するよう要請していたらしい・・・

帰り道でも道のど真ん中で打ち上げ花火をやっているので、
さしずめ戦争映画の一場面のようにそれをよけながら家路に着くワシら夫妻。
花火好きの嫁が、屋台を引いて売りに来ている花火屋さんに聞いた。
「あの一番大きな打ち上げ花火、いくら?」

「タマや~!カギや~!」の20連発で700元(1万円)。
至近距離で爆発する花火に照らされた嫁の美しい横顔がこう語っていた。
「来年はきっと院子で高級別荘地に負けない花火を上げてやるわ!」

ダンナ、来年の花火代のために一生懸命働くのみ・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:01

2005年12月17日

貧民街の日本人妻

さて、再婚して初めての嫁ネタである。
だいたい20歳も年上のふたりの子持ちで、
まあお世辞にもロマンスグレーの素敵なオジサマでもなく、
かと言って何を我慢しても財産だけはあるのよと言えるほどの金持ちでもなく、
それでも実直で家庭思いのマイフォームパパならばいざ知らず、
家?いらん!金?いらん!好きな音楽とビールがあればそれでええんじゃい!
と言うような、ある種変人に嫁いで来ようと言うのだからかなり奇特な嫁である。

何の因果で、生活風習もまるで合わない、言葉も全然喋れない、
別にもともと縁もゆかりもない好きでも何でもないこんな国に、
旦那が「死ぬ時はここで死にたい」と言うがために
全てを捨てて嫁いで来なければならないのか・・・

数ヶ月前、この通称ロック村に初めて訪れた時、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
「ここで住みたい」と強く思ってはみたものの
実はその時は数ヵ月後には結婚を控え、
「ワシはともかく嫁はこんなスラム街みたいなところに住めるのか?・・・」
と本気で心配した。

一応北京市朝陽区に属する人ロ2400人の小さな村、「費家村」、
村民のほとんどは地方からやって来た労働者、
その収入たるや想像を絶するほど低い。
逆に言うと1日100円もあれば暮らせるほど物価は安い。

村には警察はなく、自警団が夜回りをして治安を守る。
(と言うより村人曰く「奴らこそヤクザだ」)
電気、水道等インフラは完備されているものの、
中国語で言う「下水(シアシュェイ)」はあっても「汚水(ウーシュェイ)」はなく、
従ってトイレは汲み取りボッチャンの公衆トイレしかない。

その村の外れに貧乏なロックミュージシャン達が住みついて
通称「ロック村」と呼ばれる小さな集落を形成しているわけなのだが、
最初にここを訪れた時は直接このロック村に来てそのまま帰ったので思わなかったが、
2度目にここを訪れた時、村のレストランで昼飯を食っていると
隣のテーブルでは労務者達が昼飯っから安洒を煽って酔っ払っていた。

「末吉さん、ここ・・・マジでヤバいですよ・・・」

同行した元アシスタントの重田が小声でそう言う。
「絶対日本語喋っちゃダメですよ。
日本人なんてことがバレたら何されるかわかったもんじゃないっすよ。
身ぐるみ剥されてあり金巻上げられたって文句言えませんよ」
と真顔でそう言う。

村から帰って元彼女今秘書のKelly嬢に相談する。
(注:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/87.htmlとは別人)
「ヤべぇよぉ・・・あそこ・・・」
泣き言を入れたらすぐさま一喝される。
「何言ってんの!!貧乏人は即ち悪人なの?
私の父も昔は貧乏だったけど決して悪人じゃないわ!!」
いきなりの剣幕にたじろぎながらも反論してみる。
「だって昼間っから仕事もせずに酔いつぶれてんだよ・・・ヤべぇよ・・・あれ・・・」
それを聞いた彼女、すかさずピシャっと一言。

「あんた達だって昼間っからいつもビール飲んで酔っ払ってるじゃん!!」

そうなのである。奴らからしたら、どう見てもまっとうに働いてもない、
変な格好して昼間っからビール飲んだくれるワシらはどう見てもアブナい人達。
さしずめ「あのロック村には近づくな!!マジでヤべぇぞ!!」などと噂されているのだろうか・・・

かくしてワシはここにスタジオを作り、ここで住むことを決意!!
嫁にも一応相談したが、日本に住んでいたんでは想像だに出来ないそんな環境、
「あなたの住むところが私の住むところよ」
などと口走ってしまったが最後、
中国人でさえ敬遠するこの貧民街に嫁いで来る初めての日本人妻と相成った。

瀬戸は日暮れて夕波小波、あなたの島へお嫁に行く・・・

などとロマンチックなシチュエーションがあるわけもなく、
彼女が北京空港に降り立って、すぐに連れて来られたのがこの村。
しかもその時にはまだ風呂もトイレもなく、
コンクリートむき出しのただ「箱」があるだけの北京式伝統的長屋住居、院子(ユエンズ)。
まさにベッドとソファーだけが置かれたその「箱」に嫁いで来た。

「お風呂は?・・・ト、トイレもないの?・・・」

しかもその日は北京には珍しく大雨。
雷も鳴り、おりしも停電・・・

貧民街、日暮れれば、電気なければ真っ暗闇

ほんと一切の光のない真っ暗闇なのである。
しかも聞こえる音と言えば狂ったように「箱」を叩く雨の音・・・
時は5月、温度差の激しい北京の春である。
毛布に包まり寒さに震えながら、
「私・・・ここで暮らすの?・・・」
嫁、半べそである。

翌日、雨も上がり、また手作業での改修作業が始まる。
カルチャーショックで呆然とする嫁を尻目に、この旦那、
「毎日がキャンプみたいで楽しい」
とウキウキである。

壁も全面ラスタカラーに塗り替えた。
スタジオのドラムブースの天井には卵パックを一面に貼り付ける。
壁は音の反響を調整出来るように四面を全部厚手のカーテンが開閉できるようにする。

これらを全部自分で手作業でやるのだからキャンプと言うよりはサバイバルである。
ロック村の若きミュージシャン達が日替わりで手伝いに来る。

家具は近所に泥棒市のような中古市場があり、
ボロボロだが何でもタダ同然で買える。
洗濯機も買った。
冷蔵庫もビールを多量に冷やすので2台買った。

「ここのどこが不満?
何が欲しい?何がなければ買えばいい」

トイレなければキャンプ用の移動式トイレを買った。
風呂がなければ檜作りの浴槽買った。
「浴槽あったってこう頻繁に断水してたら意味ないじゃん!」
ほな太陽熱温水器買いまひょ。いつでもお湯出るよ。
「スタジオ作ったって停電したらそれで終わりじゃん!」

しまいにはガソリン式の大きな発電機まで購入する始末・・・
これじゃぁ当初の予定通り家買った方が安く上がった?・・・

かくしてもう半年・・・今だに毎日が改修作業である。
安かろう悪かろう・・・中古で買った全ての物は一応に何度も修繕が必要である。

「中古はやっぱあかんのう・・・ここで新品は嫁だけじゃ・・・」
再婚と言う中古のお下がりの旦那が初婚の嫁見て独り言・・・

夏は40度を越す猛暑となり、嫁はさすがに夏バテでぶっ倒れた。
冬はマイナス15度を下回るので各部屋にセントラルヒーティングを入れた。
・・・と言っても石炭を自分で焚いて、その熱で蒸気を各部屋に送ると言う手動式である。
今も石炭をぶっこむために夜中に起き出したついでにこのメルマガを書いている。

「そうだ!院子(ユエンズ)をすっぽり覆ってしまうテントを作れば、
中庭が全部温室となって暖かいのではないか!!」
自分でビニールを買って来てやぐらを組んで屋根をつける。
そして突風で何度も壊され、昨日は4度目の修繕をした。

何度も何度も材料を買いに来るので村の商店でももうお馴染みである。
酒盛りが始まると「羊肉串100本!!」とか頼むので、
道端で羊肉串焼いてるおんちゃんにとっては大のお得意さんである。
嫁も言葉も通じないまま買い物に行くので珍しくて人気者である。

ある日は村のレストランで「何人だ?」と聞かれ、
身振り手振りと筆談で日本人だと答えた途端、
厨房からどこから全ての従業員が入れ替わり立ち替わり出て来て
「お、これが日本人かぁ・・・初めて見た・・・」とばかりの人だかり。

ここに住みついて半年、
訪れる訪問客は一応に
「ヤべぇよ、ここ・・・ファンキー、自分の命だけは気をつけろよ」
と言うが、今だかって身の危険を感じたことは一度もない。

ただ困るのが、タクシーに乗ってここに帰って来る時に、
タクシーの運転手がビビって村の中まで入ろうとしてくれないことである。
こんなスラム街に入りこんだ日にゃぁ
村人に寄ってたかってタクシー強盗されても不思議はないと思うのであろうが、
運転手さん、この村は貧乏人の吹きだまりではあっても犯罪者の吹きだまりではない。
第一、中国で同じ犯罪犯すならもっといい暮らしをしとるじゃろう。
こんなところに住んでまへん!!

と言うわけで、
中国人にすら「あそこやべぇよ・・・」と言われる貧民街に嫁いだ日本人花嫁。
今のところ「私・・・もう帰らせてもらいます」はまだ出ていない。

時間の問題か・・・

 

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:10

2005年10月06日

みの吉ネタ「野茂とホモの違い」

忙しくて忘れていたが、そう言えばみの吉和尚から久々のアホメールが来ていた。

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お笑いが恋しいこの頃・・。
ホモは辛い。

最近、野茂とホモの違いが分からないと聞きます。

完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ
打たれるのをいやがるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ
野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ
家族で楽しく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて玉を揺らすのがホモ
フォークが得意なのが野茂、トークが得意なのがホモ。
アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。
野茂はカレーが好きだが、ホモは彼が好き。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。
優勝して感動するのが野茂、融合して浣腸するのがホモ。
タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。
野茂は投手、ホモは同種。
野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂はあまり喋らないが、ホモはよくしゃぶる。
野茂はトレーニングをするが、ホモは彼にングッする。
バックに守られるのが野茂 バックから攻められるのがホモ
野茂の高校は成城だが、ホモの行動は正常じゃない。
ただの投手じゃないのは野茂 多田野投手はホモ。

ごきげんよ~♪

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相変わらずのみの吉和尚だが、
そう言えば彼は先日北京まで来てXYZ中国語版のボーカル録れをしていた。

こんな彼だが、仕事に取り組む時だけは非常に真面目である。
一言も喋れない中国語の発音を、
ワシが徹夜で書いた発音指南書と、中国人ボーカルに歌ってもらった仮歌を元にして、
自分なりの発音指南書、つまりカンペを作成し、
1曲、と言ってもこれはコンセプトアルバムの最後を飾る3曲のメドレーなのだが、
10分を越す大作の中国語ボーカルを4日かかって録り終えた。

カンペと言っても実はこれがヒドイもんである。
仮にもNHK中国語会話のパーソナリティーをも務め、
仮にも中国語学習の本まで出版したことがあるこのワシが徹夜で

無:ウー(日本語のウより少し口を尖らせて発音する)
力:リー(英語のLi、カタカナのリに近い)
改:ガイ(日本語のガイに近い)
変:ビエン(カタカナのビから英語のアップルのaを経てnに終る)
只:ジー(舌を巻いて喉の奥でジーと言う)
有:ヨウ(イォウに近い)
悲:ベイ(日本語のベイに近い)
傷:シャンg(舌を巻いて喉の奥でシャンと言い、語尾は飲み込む感じ)

などと20ページに渡る発音指南書を書いてあげたと言うのに
「これでは歌えん!」
とばかり二井原が自分で作ったカンペは次のようなもんである。

瓜・Gay・鼻炎・痔・洋・Bay・シャン

これで歌えるんかい!

ちなみに中国語の詞ではここは、
「世界はどうして俺が思い描いた天国でないのか!また自分の無力さに心傷ついてしまう」
と言う非常に感動的な部分であるのにそれが「鼻炎と痔かい!!!」・・・作者号泣・・・

まあいい。録音してるのはワシのスタジオである。
別に何日かかって録り終えてもスタジオ代はタダである。
自分の納得するやり方で死ぬまで何回でも歌ってもらえばよい。

聞けば全米で大ヒットしたラウドネスのデビューアルバムも、
当時英語が喋れなかった二井原は
音程よければ発音が・・・発音よければニュアンスが・・・
「これで完璧やろ!」と思えば
「Mick!惜しい!今のはちょっとカンサス地方の訛り入ってる。
メタルはやっぱLA訛りで歌ってくれないと・・・」
で結局数行に3日間かけてまぐれ当たりを狙って録るしかなかったと言うし・・・

さて発音にも苦労してもらうが、
実はこの二井原の特殊な声をちゃんと録音すると言う作業もこれがかなり大変である。

自分のドラム録音のためだけに7月に完成し、
今や既に30曲以上のドラムを録音しているわが北京ファンキースタジオ
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html、https://www.funkycorp.jp/funky/ML/110.html)
であるが、実はこの日のためにボーカル録音もちゃんと出来る設備を整えてあった。

スタジオ作りのためにその巨体を2シート分の飛行機に乗せ、
LAからわざわざ北京まで来てくれたWyn Davisが、
「これはMick(二井原の英語名)のボーカルにもとてもいいよ」
と選んでくれたドラムのオーバーヘッド用のマイクは実は日本円で1本40万円近くするし、
またこの時のために実は、ドラム録りにはまるで必要ない
AVARONと言う数十万円するプリアンプ、コンプレッサーも揃えている。

ところが「レコーディングとはとどのつまりEQとコンプレッサーの使い方に尽きる」と言うぐらい
特にこのコンプレッサーと言うものの使い方が非常に難しい。

ドラムの音に関してはWyn Davisの作ってくれた音をそのままの状態で保存し、
ドラムのセッティングからマイクの位置までまるで変えないので、
日々の微調整ぐらいでこのTotal Accessサウンド
(と言うより今や北京ファンキースタジオの音)を完璧に再現出来るが、
ことボーカルとなるとWynが作ってくれてるわけでもないので
エンジニアの吉田君と頭を抱えてたら、
「よ、ファンキー。あのラウドネスのボーカルが来てるって?」
と北京在住のアメリカンコリアンのエンジニア、Alexがふらっと遊びに来てくれた。

彼はセリーヌ・ディオンやらマライア・キャリーやらを手がけたり、
アメリカで大成功したと言うが何故かそれを全て捨てて北京に移住。
ワシが友人を紹介したりしてあげてるうちに今や北京でも売れっ子のエンジニアとなった。

彼曰く、ラウドネスは彼がハイスクールの時のアイドルだったらしい。
二井原の声に合わせたセッティングをしてくれ、
後にはこの曲の最後を飾る北京のフルストリングスオーケストラのレコーディングまで
全てを無料でやってくれた。

謝謝!Thanks! カムサハムニダ!

まだ発売が大決定してない中国語版は、
実は今のところ全部ワシの自腹、持ち出しなのよん・・・涙・・・

また、最終日には
女子十二樂坊のアレンジャー、プロデューサーとして名高い梁剣峰まで遊びに来てくれ、
今や1曲手がけたらそれこそ国内最高峰の値段である彼が
やはり無料で歌のディレクションをしてくれた。

何せ「鼻炎と痔」で歌ってるんだから中国人が聞いてどう聞こえるのかが心配であったが、
「なかなかいいじゃないの。とても中国語を全然喋れない外国人が歌ってるとは思えない」
とお褒めの言葉を頂いて胸を撫で下ろしてたら、彼はいつもの笑顔で一言。

「ところでファンキー。これを俺は今日は一体どのレベルまでやればいいの?」

値段だけでなく、仕事の細かさも国内一、
このワシが彼の仕事で1曲叩くのに10時間かかったと言う伝説を残すほどである。
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/103.html)
二井原には非常に可哀想ではあったがワシは彼にこう言った。

「ネイティブの中国人が歌ってるレベル」

これはたまったもんじゃない!
歌録れは1日4時間が限度だと言うMickこと二井原実、またの名をみの吉和尚は、
結局その日は8時間以上歌うハメとなってしまった。・・・歌手号泣・・・

さてAlexや梁剣峰ら多数の人の助けにより、
何とかXYZのニューアルバムの全てのバージョンは録り終えた。
後はデータをアメリカに持って行って、
Wyn DavisのTotal Accessスタジオでミックスダウンを行うのみである。
また北京から成田経由の長いフライトでLAに降り立った。

知り合った当初は二井原の知り合いとして紹介してくれたWyn Davisであるが、
中国の数々のプロジェクト
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html、
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html、
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/105.html)
を一緒にやるうちに、
言葉もろくに通じないワシが今では彼のアジアの大親友となってしまった。
週末には彼の結婚式にまでご招待されている。

初めてお会いした彼の母親から再婚相手のイタリア系美女の奥さん、
その連れ子の若手メタルギタリストまで紹介されてもワシ・・・
・・・英語がそんなに喋れへん・・・(またもや号泣)・・・

まあ音楽用語は日本でも全ては英語からの外来語なので、
何とかミックスダウンでのコミュニケーションは出来る。
ひとりで数十チャンネルもダビングするギタリストと、
自分で声を重ねて数十チャンネルコーラスを入れるボーカリストのおかげで、
4人しかメンバーがいないのにProToolsのチャンネルが足りなくなるほどのトラック数を
Wynとふたりで一生懸命整理する。
ストリングスオーケストラが入る最終曲は特に大変である。

「Mickからメールもらったんだけど、やっぱMickって中国語うまいねえ・・・」

Wynの言っている意味がよくわからない。
何度も聞き返すがどうもわからない。

「だからぁ。中国語で歌ってるんだろ、この曲。
俺には日本語と変わらないぐらい流暢に聞こえるがねぇ・・・」

Wynさん・・・それ・・・日本語・・・中国語版はまだ発売が決定してないので今回は・・・

そうじゃそうじゃ、北京に残して来た中国語版・・・
そろそろ発売元の社長が聞いて決定かどうかを伝えてくれる頃である。

国際電話をかける。
「もしもし、社長さん?聞いて頂けました?」
もしここで「ダメだ」と言われたら発売は流れ、
費用を立て替えたワシは丸損なのでかなりドキドキもんである。

「聞いたよ。素晴らしい!
あのボーカルは日本でも相当有名なボーカルなんじゃないか?」
かなり興奮して言う社長。
「いや、日本でと言うよりはアメリカや世界的に有名なボーカルですよ」
とにかく押しに押すワシ。
「歌は素晴らしい!曲も非常によいのだが、しかし10分はちょっと長すぎるなあ・・・」
すかさず押しに押すワシ。
「いえいえ、あれは3曲メドレーなんで、最初のバラードで切って編集すれば4分強。
サイズとしてはちょうどいいのでは?」
日本語版ではフルアルバムなのでコンセプト上どうしても3曲で1曲であるが、
中国語版ではロックのオムニバスへの参加なので別に編集しても事足りる。
「そうか!よし!このバンドは決定!帰って来たらさっそく契約しよう」

やったぁ!!!

オムニバスに1曲参加とは言え、念願のXYZ中国発売である。
こうなればまだ発売の決まってない日本とどちらが早いかである。
ついでに中国語版のミックスダウンもここでWynにやってもらおうか・・・
などと考えながら電話を切ろうとしたら社長さんが一言。

「それで、本チャンの歌録れはいつすんの?・・・」

あれだけ苦労したのにまた最初っから録り直すんですかぁ・・・(関係者一同号泣)・・・
二井原はん・・・アホなメール書いてへんでまたもう一度北京に来てもらえますか・・・

ファンキー末吉

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●X.Y.Z.→A●
https://www.funkycorp.jp/xyzrecords/xyz/index.htm

Vo.二井原実(ラウドネス)
Gt.橘高文彦(ex.筋肉少女帯)
B.バーベQ和佐田(爆風スランプ)
Dr.ファンキー末吉(爆風スランプ)

足掛け3年かけて製作したニューアルバムがついに今完成しようとしている。
感激もんである。
LAから帰りに日本によってミーティングをし、
スタッフ一同に聞いてもらって発売日が決定する。

さてその発売日とはいつなのか?
そして中国語版の行方は?

続報を待て!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:16

2005年09月04日

どでかいロックフェスティバルでドラム叩いたら

「見たよ、見たよ・・・」
先日からやたら人にそう言われるので何かと思ったら、
7月1日に行われた大きな野外ロックイベントがテレビで放映されたらしい。

崔健(ツイ・ジエン)、唐朝(タン・チャオ)、黒豹(ヘイ・バオ)、超載(チャオ・ザイ)、等
中国ロックの創始者の世代の大御所バンドから、
それを受けて商業的に一番ブレイクさせた零点(リン・ディエン)、
香港からはBEYONDのギタリスト、黄貫中(PAUL)まで参加した、
そんな中国ロックの大同窓会のような顔ぶれの中、
ワシは韓紅(ハン・ホン)と言う人気歌手のバックバンドとして呼ばれ、
毛沢東を讃える革命の歌を「ロックにアレンジしてくれ」と言われ、
それをしゃかりきに叩きまくっていた。

「何十年の歌手生活の中で、初めてよ、ロックイベントになんか呼ばれたの・・・
ロック歌手、韓紅(ハン・ホン)・・・何かくすぐったいわねぇ・・・」
と言ってMCで受けを取ってから気合たっぷりで始まった韓紅(ハン・ホン)のステージ。

しかしワシのアレンジがちと複雑過ぎたのか、2番に入りそびれた韓紅(ハン・ホン)、
バンドもどのパートを演奏したらいいかわからいのでちりじりバラバラになるが、
さすがは場慣れした大御所歌手である。あわてず焦らず、
「ありゃりゃ、入りそびれたわ。どっから歌うの?まあええわ・・・」
とばかり、ドラムス!ファンキー!」と絶叫してワシに振る。

しゃーないのでドラムソロごとくドラムをぶっ叩く。
このクラスになるとメンバーも一流のプレイヤー達なのでそれに絡んで来て盛り上げる。
最高潮に達した時に韓紅(ハン・ホン)のカウントにより2番に入り、
結局おかげでこの曲はこのコンサートで一番盛り上がった演奏となる。
ステージ脇のスクリーンではこれでもかと言うぐらいワシのドラムのアップ・・・
客席で見ていた嫁は
「歌手を差し置いてあんなにアップになったらアカンわ・・・」
と言うぐらい誰よりもフィーチャリングされていた。

しかしここが問題である。
この日のテーマは共産党がファシズムに打ち勝った記念日を祝うコンサート。
つまり抗日記念イベントでもある。

反日、反日と騒がれるご時世に、
日本人ドラマーがこんな抗日イベントに参加して
しかもこんなにフィーチャリングされたらアカンわぁ・・・

楽屋は昔懐かしい友達ばかりなので、
「お前、今日は何のコンサートか知っているのか!
日本人であるお前がどの面下げてドラム叩いてんだ!」
とワシをからかうが、
「こんな面でぇーす」
とばかりアホ面を巨大スクリーンにさらす。
恐らくテレビのオンエアーでも
かなりのカット数でこのアホ面が全中国に流れたことであろう・・・

日本のNHKと同じで、
中国でもひとつの大きなプログラムは北京電視台等関連放送局で何度も再放送される。
全中国にこのアホ面が流れる度にみんなワシに「見たよ、見たよ・・・」と言うのだが、
とある友人は大受けしてこう言った。

「日本人がこの趣旨のイベントに参加して、
しかもこれだけ活躍すると言うことは素晴らしいことだ。
俺は今から中国じゅうのマスコミ集めてお前のことを取材してもらう。
共産党もお前の一生の食いっぷちのみならず、住居や市民権、
ヘタしたら中華人民共和国の国籍を与えてくれるやも知れん!」

頼むからやめて下さい・・・そっとしといて下さい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:23

2005年08月20日

ドラマーがドラムスタジオを作るワケ

日本に帰って来てXYZのニューアルバムをレコーディングしている
ちなみに今日は最終日
橘高が命を削ってギターソロを録れているのを、その骨を拾ってやるべく・・・
・・・その実、隣で酒を飲みながらそれを見届けている

だからやっと時間が出来てメルマガ書ける、メールにRes出来る、HP更新出来る・・・

昔は忙しい日本を脱出して北京に行ってのんびりしてたものだが今ではまるで逆である
ドラム以外の仕事は極力避けようと言いつつ
結局アメリカからWyn Davisを呼びつけて自宅にスタジオなんぞ作ったもんだから
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/109.html
結局朝から晩までずーっとレコーディングしている
XYZの曲なんか結局スケジュールないもんで朝8時から2バス踏んでいる

このテの音楽・・・真夜中に汗だくでやってると
「この時間にやる音楽じゃないわのぅ・・・」と毎回思うが、
さすがに朝8時にやる音楽では決してない・・・

昼は韓紅(ハン・ホン)のリハーサル、夜は許魏(シュー・ウェイ)のリハーサル
夜中に帰って来て譜面の整理などをしながらバタンQ(死語)
朝8時には今は既に北京に移住して来た元XYZのPAエンジニア吉田君が
「音を作るのはPAもレコーディングも同じじゃろ」
とばかりドラム録りに駆り出されてやって来る
叩き起こされて顔も洗わず寝ぼけ眼でそのまま全力疾走で2バスを踏む

・・・身体に悪い・・・

この北京ファンキードラムスタジオは人にはレンタルしないし
ドラムのセッティングもマイクのセッティングもWyn Davisがセットしてくれたまま動かさないし、
また、ドラムの傍らにもディスプレイとマウス、キーボード等が設置されていて
ワシ一人ででもパンチイン、パンチアウトをやりながら最後まで録り終えることが出来る
自宅スタジオなんだから時間を気にすることもエンジニアに気をつかうこともなく
納得するまでレコーディングを・・・と当初は思っていたのだが、
何曲か録るうちにそれはミュージシャンにとって非常に危険な状況であることが判明

つまり何度でもやり直せると言うことは即ち「終わらない」と言うことで
吉田君の必要性は
Wynの作ってくれたTotal Access Studioサウンドをキープ、メンテすることだけではなく
「ねえ、今の2バスちょっとヨレてた?」とか言う質問に
胸を張って「いいえ、よれてません!!」と断言してもらうことも大きい

それでも録り終わった後、夜中に聞いたりして
「やっぱもう一回やろうかな・・・」と言って録り直すのも自由なんだから始末が悪い
その度に吉田君も何度も呼び出され
やっとの思いで叩き終えたアルバム全曲のドラムデータを持って来日
そしてそれを聞きながら人の苦しみを横目で酒を飲む

・・・いやぁ・・・すんごい音やなぁ・・・

まるでLAのTotal Access Studioで録ったが如きぶっといドラムサウンド
こんなんが自宅で録れるっつうのはほんまミュージシャンにとって至福の環境やなぁ・・・

もともとドラムの音っつうのはドラマーが自分の耳の位置で聞いて一番いい音に叩いとる
それをひとつひとつの太鼓のあんなにそばのマイクで音拾って録音したところで
到底自分の聞いているドラムサウンドとは似ても似つかない

これはライブでも同じことで
ドラマーは一生自分の出音を生で聞くことが出来ないので
PAエンジニアに全てを托すしかない

つまり録音した音、ライブの音はすでにワシの音ではなくエンジニアの音なのである

しかしこれからのワシは違う!!
Wynの残してくれたこのサウンドこそが「ファンキー末吉のドラムサウンド」である
このためだったら金にいとめはつけん!!

・・・と言いつつワシ・・・ワシ・・・これに一体いくらつぎ込んだんやろ・・・

二井原がロニー・ジェイムス・ディオと対談した時
「Wynと会うたらむっちゃ痩せてるんでびっくりするでぇ」
と言われたと言うので非常に期待してたのだが
30kg痩せたと言っても彼のその巨体を飛行機で運ぶためにはやはり座席が2つ必要で、
オンシーズンのその頃のLA-北京往復運賃は2席で20万円
LAメタルの頂点とも言える彼のギャラ数十万
2バス5タムのフルセットを録るために必要なマイクの数は13本
オーバートップなど大切なマイクの値段は一本40万円
96kHzのハイサンプリングで録音出来るプロトゥールスHDと周辺機器で200数十万円・・・

すっからかんなはずじゃ・・・

実は明日は結婚式・・・
誰のって実は・・・ワシの再婚・・・(お恥ずかしい)・・・

結婚資金はどうすんの?!・・・
式場の費用は?!・・・
遠方から来て頂く親戚縁者の交通費は?!・・・
エンゲージリングは?!・・・

そう言えば前回は買ってすぐ失くした・・・
指輪してはドラム叩けんからつい亡くしちゃうのよん・・・

初婚の嫁よ・・・こんな旦那でええんかい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:24

2005年05月07日

反日デモって何?・・・それよりワシはスタジオ作るぞ!!

Sonyのエアーボードと言うテレビを購入して北京に持って来た。

このテレビはなかなかすぐれもので、
本体を東京に置いてモニター部分だけを外国に持って来て、
それをインターネットにつなぐことにより、その本体の映像、
つまり日本のテレビ番組がそのまま外国で見れるのである。

ただし設定が非常にややこしく、
本体に固定IPアドレスを割り当てたり、これはとてもじゃないけど素人さんには無理である!
せっかく買ったのに北京で見れないのはあまりにくやしいので、
本体をファンキー荘https://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlに置き、
設定全てを住人Cに全部任せて北京に発つ。

彼の涙ぐましい努力により
やっと北京からインターネット経由で本体につながったのはいいが、
こちらの回線って遅いのよねえ・・・特に海を越えると・・・

カクカクの画面と途切れ途切れの音声で、
まあニュースぐらいなら字幕もあるし何とか見れないことはない。

と言うわけでこうしてやっと日本のテレビを見れるようになって思ったのが、
なんと日本では中国での反日感情のニュースが多いことよ!

そんなにヒドイかなあ?・・・

まあ住んでる世界が違うので縁がないんだろうけど、ワシなんか
「今日は大規模なデモがあるから外に出ない方がいいよ」
と言われてたその日に北京の若いバンドのライブに行き、
カウンターでビールを頼む時に「日本人か?韓国人か?」と聞かれて胸を張って
「日本人だよ」と答え、
結局ライブ終了後にそのバンドの連中と客のほとんどを連れて
ドメスティックな中華料理屋で日本人を囲んでドンちゃん騒ぎを繰り広げていたが
別に投石されることもなく酔い潰れてちゃんと家まで連れて帰ってくれてた。

中国のお偉いさんが世界の中でもどれだけ頭がいいかは前々号
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.htmlでも書いたが、
薄っぺらい切り口の日本のマスコミには考え付かないようないろんなもくろみを
このお偉いさん達は全部計算してやらせているんだと言う噂がある。

1、国民のうっぷんの矛先が新政権に向かないようにする
2、政治運動が勃発しやすい五・四運動を前にして、国民を国内問題から気をそらせる
3、文化革命の時代の壁新聞よろしく、
挑発してやらせるだけやらせといてその首謀者をリストアップしてブラックリストを作成する

まあもっともな話だが、
大規模デモの日に中国人ロッカー集めてドンちゃん騒ぎをしている日本人には
今後もどの道関係がなさそうな話である・・・

ところでその日一緒にドンちゃん騒ぎをしていた若いバンド、
布衣(ブーイー)楽隊と言うのが、前号
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/108.htmlで書いた、
唐朝のベーシスト、ZhangJuの追悼アルバムで私が1曲担当したバンドである。

バンド肌であるワシとしては、どうしても
「スタジオで初顔合わせで現場でヘッドアレンジすればいい」
と言うレコーディングのやり方には納得がいかず、
「どうしても彼らのリハーサルに参加して一緒にアレンジしたい」と言い張り、
じゃあと言うことで単身そこに行って見てびっくり!

五環路(東京で言うと環八か?)の更に外側のとある貧民街に
メンバー全員が院子(ユエンズ:長屋みたいなもん?)を借りて住み、
そこに機材を入れて練習場にしとる・・・

その院子(ユエンズ)は既に他の若いロックミュージシャン達も住み着いて、
ちょっとした「ロック村」を形成してしまっている。

平房(平屋の一番安い形式の建物)なので風呂もなければトイレも汲み取りで共同で、
近くにはバスもなければタクシーなどまず通らない。
不便極まりない環境なのだが、
彼らはコミューンとも言えるその仲間達と貧乏ながら楽しく暮らしていた。

好きやなぁ・・・俺・・・こんな感じ・・・

そしてお決まりのように「ここって家賃いくら?」と聞いたりしてみる。
いくつかの部屋が集まって三方を囲み、
中庭を共有した院子(ユエンズ)がいくつか集まってこのロック村を形成しているのだが、
その院子(ユエンズ)ひとつ、3部屋と中庭がついて一月たったの1万円!!!

安い!!!

去年「家を買うぞ!」と決心しhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/97.html、
その明け渡しをずーっと待ちながらついに最近ドタキャンに合い
「売らない」と言われてしまったワシである。

「そうじゃ!スタジオを作ってここに引っ越して来よう!!!」

スタジオ作りの費用として大きいのは機材と家賃と防音工事である。
しかしここは家賃はタダ同然だし、ロック村なので別に防音もちょっとしたもんで足りる。
XYZのレコーディングももうすぐ始まるし、
家の頭金として用意した金もほっとけばどうせアルコールに化けてしまって消えるので、
その金で機材を買ってここにスタジオを作り、
飽きたらいつでも機材引き上げて引っ越してゆけばよい。

そうである。
家なんか買って毎月のローンに追われ、
更には100万円近くかけて防音してスタジオを作るなんてナンセンスである。

と言うわけでさっそく家賃を半年分、6万円少々払い、
大きな部屋に壁を作って半分に割ってもらい、隣の部屋を住居にし、
残りの部屋をシャワールームと台所にする。

さすがは貧民街である。
家賃を払ったところで大家は何の契約書を作成するわけでもなく、
壁を作る工事も大家とそこの人夫がやってくれるっつうんで2万5千円ほど渡し、
更には近所の中古市場行って、
クーラー2台とソファーとベッドと机と椅子を買って全部で2万5千円。
これなら別に、もしXYZのレコーディング終って引き払っても痛くはない。

部屋に金をかけるのはポリシーに反するので、
「君らのファーストアルバムをここでタダで録ってやる」
と言う約束でその若いバンドの連中を駆り出して自分達で手作り内装工事をやる。

ペンキ塗りなんて初めてやったわぁ・・・ちょっと楽しい・・・

住居部分がようやく完成し、
ちょうどその日はその住民のひとりが誕生日だと言うのでみんなで飯を食いに行き、
ハッピーバースデーと共にその会はワシの入居祝いにもなった。

住民にも認められ、もうワシはれっきとしたこのロック村の住人である。

北京ロックンロール・ビレッジ、ファンキースタジオは6月にオープン!

外部に貸し出すつもりは一切ないが、宿泊設備と共に利用したい日本の方がいたら、
そりゃ日本より断然安くレコーディングできまっせ!

XYZのレコーディングではアメリカからウェイン・デイヴィスを呼ぶ予定である。
貧民街のくせに国際的やなあ・・・
ウェインもいっそのことそのままここに住み着いてくれんかしら・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:26

2005年04月09日

台湾で一番売れっ子のアレンジャーギタリストまで

また反日感情が高ぶってるんか???

中国に通い始めてからもう15年。
北京に住むようになってからもう5年。
どう言うわけか一度もその反日感情とやらに出会ったことがない。

去年はサッカーの試合でどうたらこうたらで、日本のラジオのインタビュー等を受けると
必ずと言っていいほど反日感情についての質問が来る。

まあ日本のマスコミは往々にして、
まず結論がありきでその結論に導くための材料を集めるやり方で番組を作るため、
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
こちらに住んでこれだけ長い人間から
「いえ?反日感情なんてあったこと一度もありませんよ」
なんて言われたら番組にならない。

まああったことも目の当たりに見たこともないので、「ある」とも言えないし、
本音を言えば
「俺が中国ロックのためにどれだけのことをして来たと思う?
俺の前で反日感情なんぞ持つ人間が現れたら
中国じゅうのミュージシャンから袋叩きに合うぞ!」
とでも言いたいもんだがそうもいかず、
「まあひとつの視点だけでみてそれが中国を代表することは土台無理なことなんで・・・」
とひとつひとつ説明するしかない。
反日感情の中で苦しんでいる企業も実際あるだろうし、
ワシのようにこれだけ深く関わりながら15年間一度もあったことがない人間もいる。
それもひっくるめて「中国」なのである。

まあ反日感情ではないが一度、
よく仕事をやってるLuanShuと言うプロデューサーに売り込みの電話があったと言う。
「LuanShuさん、あなたも中国人なんだからぼちぼち中国人のドラマーを使うべきですよ」
LuanShuはその時笑ってこう言ったと言う。

「Funkyのことか?アホか!あいつは中国人じゃい!」

彼と出会ってもう15年。
いい時も悪い時も、更にはワシは彼が一番どん底の時に唯一そばにいた人間でもある。
中国人だ、日本人だを超えて、誰が俺達のこの間に入って来れる?

まあそう言う意味では特殊な日本人じゃわのう・・・ワシは・・・
とても日本人を代表してコメントなんか出来んわい

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江建民(ジャン・ジエンミン)と言うギタリストがいる。
中国ポップスのファンなら一度は彼の名前をクレジットの中で見たことがあるだろうし、
そうでなくても必ず一度は彼のギターを聞いたことがあるはずである。
台湾のあらゆるヒット曲のアレンジをし、あらゆる楽曲にギタリストとして参加している。
ワシのアシスタントの重田に言わせると「台湾のスティーブ・ルカサー」だそうだが、
そんな超売れっ子ミュージシャンが去年北京に移住して来た。

日本のスタジオの世界は、アレンジャーはアレンジャー、プレイヤーはプレイヤー、
ある偉いプロデューサーが昔、
「○○クンもいつまでも”弾き”やってないで早く”書き”やんなきゃ」
と言ってたのを聞いたことがあるが、どうも日本では
プレイヤーを卒業してアレンジャーやプロデューサーにグレードアップするようである。
だから小室はすでにキーボードプレイヤーではないし、
その他名うてのアレンジャー、プロデューサーを
プレイヤーとしてスタジオに呼ぶような恐れ多いことは通常ありえないが、
こちらではある時はワシの仕事で江建民(ジャン・ジエンミン)をギタリストとして呼び、
またある時は彼の仕事でワシがドラマーで呼ばれたりする。

そんなかんなでしょっちゅう仕事をしてるので仲良くなり、
ある日興味しんしんで質問してみた。
「何てあんたほどの超売れっ子がわざわざ台湾捨てて北京くんだりまで来たの?」
ワシとしては
「いやー・・・実は北京の娘に恋をしてねえ・・・」
などとロマンチックな答えを想像していたのだが、答えは簡単明瞭。
「音楽業界不況真っ只中の台湾のどこに仕事がある?」
であった。

あんたほどの超一流に仕事が来ないほど?・・・

そう言えば日本の音楽業界もまた売り上げ40%ダウンたらなんたら・・・
古株は相変わらず君臨してるわ、若手はどんどん台頭して来るわ・・・
まるで日増しに小さくなる丼の飯を
どんどん増え続ける大勢の人間が奪い合いながらむさぼっているようなもんである

・・・日本のミュージシャンってホンマに仕事あんの?・・・

インターネットのダウンロード等に押され、全世界どこの音楽界も不況である。
中国の海賊版事情も同様に、いやもっと深刻ではあるのだが、
この国はそれを上回るほど人口が多い。
日本全土がすっぽり入るぐらいの土地と人口を持つ中国のいち地方には、
日本人の歌手と同じぐらいの数の歌手がいて、
その地方が単純に10個以上はあり、
その全ての歌手が首都、北京に出て来てレコードを作るわけだから、
単純に10倍の仕事があるとすれば
例え日本と同じように売り上げ40%減になったとしてもまだ6倍の仕事がある。

まあそんな単純計算では割り切れないだろうが、それでも彼曰く、
「台湾の音楽業界は終った。残るは北京だけだ」

まあ、あんたらは言葉が同じやから楽やわなぁ・・・

しかしそれでも中国の音楽業界のシステムには戸惑うことも多いらしく、
同じく外地からやってきた先輩としていろいろアドバイスをする。
彼も今ではもうすっかり慣れてしまったのか、中国らしく
「ファンキー明日空いてる?」
で仕事が来る今日この頃である。

そんなある日、また彼から仕事が来る。

ワシはと言えば、命に関わるからもう今年から無茶な仕事の入れ方はやめよう
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/107.html)
と決意したものの、
スケジュールのブッキングがいつもこうも突然ではなかなかそうもいかない。

その日はLuanShuと共に10年前にバイク事故で死んだ、
中国を代表するロックバンドのひとつ、唐朝のベーシスト、ZhangJuの
追悼アルバムをレコーディングしているところで、
今年からアレンジ、プロデュースはあんましやらんよと言ってはあるものの、
死んだ友人のためならいた仕方ない。これは仕事ではない!!
若いバンドをひとつ受け持って、
風呂もトイレもない長屋のような彼らの住居の彼らの練習場でリハをし、語り合い、
「俺、好きやなあ・・・こんな生活・・・」
と、また自分の四畳半時代を懐かしみながら感情移入し、
まさにそのレコーディング当日にダブルブッキングで仕事を受けるハメとなる。

仕方がないのでバンドに朝早くスタジオに入ってもらい、(迷惑な話やのう・・・)
レコーディング途中で抜け出して江建民(ジャン・ジエンミン)のドラム録り。

今年は頑張らんのちゃうんかい!!

でもまあドラムの仕事ですし・・・
スタジオ仕事は順調だと1曲30分ほどで終るし・・・
と思っていたら彼の譜面(と言っても五線譜ではなく中国式数字譜ですが)を見てびっくり!!
8小節に渡るギターとオールユニゾンの32分音符を含む複雑なキメ・・・
まあ人間が物理的に叩ける速度ならどんなに難しくても叩けないはずはない!!
と覚悟を決めてそのままDEMOを聞いていると
サビは確かどこかで聞いたことがあるようなメロディー・・・

「これ・・・BEYONDの曲やん!!!」

タイトルを見ると「長城」。まさにワシとBEYONDが出会った時、
彼らが日本で初めてレコーディングをしていたまさにその曲である。
そしてワシらは友達になり、その後リードボーカルの黄家駒はワシの目の前で死んだ。

「ちと時間くれるか?」
日本のスタジオミュージシャンは1時間いくらであるが中国は1曲いくらである。
でもここが日本であってもワシは時給いらんから時間くれと言ってただろう。

光栄な話である。
死んだ友人が作った歌を、10年以上の月日がたった今ここで、
こうしてワシがその曲のドラムを叩いているのである。

死んだ友人のためである。これは仕事ではない!!
たっぷりと感情移入させて頂いてスタジオを後にする。

元のスタジオに戻るとバンドはまさにギター録りの真っ最中。
今日じゅうに歌まで全部録り終わらねばならない。
夜中の3時にやっと終了。長い一日を終える。

何か今日は死んだ人間のためオンパレードの日やったなぁ・・・
うん、よう働いた。

「ありがとう、私達のためにこんなに頑張ってくれて」
とバンドのマネージャーからショートメールが届く。
いやいや、君たちのためっつうか・・・別にそう言うわけでも・・・

まあよう働いたことは働いたが、何のためと言われてもほな何のためやろ・・・
人間なんでこんなに一生懸命働くんやろ・・・
食うために? 生活のため?
音楽なんて100%金のためやったらこんな割の悪い仕事もないでぇ。時給低いでぇ・・・

まあもともとは自分で金払ってバンドやってたのが原点である。
音楽なんてもともと金払ってやるもんである。
それがこんなありがたいことに、金もらって、
しかも人に感謝され、尊敬され、お金をもらう・・・
こんなありがたい話があるか!!
よし、かっこつけて胸張って声高に叫んでやろう。

音楽は金のためにやるもんじゃない!!

ふふふ・・・かっこいいぜ、俺・・・と思ってたらふと思い出した。
昼間の江建民(ジャン・ジエンミン)の仕事のギャラまだもろてない・・・
(こちらの仕事はその場で現金清算、とっぱらいが原則)

すまん、やっぱ金も必要です。次の仕事ん時絶対清算してや!!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:28

2005年03月13日

あらゆる海賊版ソフトを使いこなす中国の若き天才達に・・・

迎春にたてた今年の目標

先日爆風の再結成ライブで
パッパラー河合とサポートキーボーディストのエンペラー福田が話しているのを聞いた。

「福田さん、ソフトシンセって使ったことある?」
「あるよ。この前仕事でFM7のレポートの仕事やってねえ。
いやー、あれは結構凄いよ。使えるよ。」

ちなみに福田さんは「日本シンセサイザー協会副会長」とか何かの肩書きを持っている
いわゆる日本を代表するシンセサイザー奏者のひとりなのにソフトシンセがFM7???

https://www.funkycorp.jp/funky/ML/102.htmlでも書いたが、
この国では、中国の音楽家達は「海賊版反対!」と叫びながら、
自分は海賊版ソフトを使って音楽を作ってたりする。
だからどうせ使うならFM7よりももっと高級な、
日本だと高くて誰も手が出せないようなソフトを使う。

世界中のあらゆる最先端の優秀なソフトが全部「タダ」なのじゃよ!

今では中国を代表するプロダクションのひとつを取り仕切る
業界の風雲児となってしまったS社長がある日こんなことを言っていた。

「中国の政府のトップの人たちって、どれだけ頭がいい奴らだと思ってる?
一党独裁のこの国である日あいつらが本当にその気になったら、
”海賊版全部撲滅するぞ”
の一言で中国中の海賊版がひとつ残らず撲滅出来ちゃう人たちだよ。
でもどうしてそれをしないと思う?
今中国で流通している全ての海賊版からロイヤリティーを徴収したとしたら、
中国は何百億単位の金をアメリカに払わねばならない。
結局儲かるのはアメリカなのよ。
そんなの国益を考えたらたとえ明日出来たとしても絶対やるわけがない。
今の状態で中国人民が海賊版音源や映像を見放題聞き放題で耳も肥え、
海賊版ソフトを使ってクオリティーの高い音楽作ったりしてそのうち、
そのうち中国がアメリカからお金を取れるようになってから撲滅すればいいのよ。
そのぐらいのことを考える人たちだよ、あの人たちは・・・」

本当かウソかはわからない。
しかしこの海賊版おかげでこの国の若い音楽家達は
日本だとひとつが何十万もするソフトを平気でいくつも使いこなし、
日本人よりももっとアメリカやイギリスのヒットチャートに精通していて、
ほんと、ここでアレンジャーとしてやっていこうと思ったら
通常の日本人アレンジャーぐらいのレベルではやっていけないのではないかと思う。

その昔、ピアノとオーケストラしか書けなかったアレンジャーが、
シンセサイザーの発明によりシンセサイザーを使いこなせないと仕事が出来なくなった。
そして今、ソフトシンセ、プラグイン、あらゆるデジタル機器に精通してないと、
特にここ、中国ではアレンジャーとして食っていけない。

アレンジの概念もすっかり様変わりしてしまった。
私ぐらいの世代のアレンジャーは
「いい対旋律を書くこと」がすなわちアレンジだったのに対し、
今の世代は「いい音色やループを選ぶこと」がすなわちアレンジである。

1音色選ぶのに一晩徹夜せねばならんのよ!!!

ソフトシンセ、こちらではVSTプラグインが広く使われているが、
ひとつのソフトがどう言う個性を持っているソフトかを知るために、
全音色聞き比べ、軽く使ってみてそのソフトの概念がわかるまでに
ヘタしたら1週間は徹夜せねばならない。
そんなソフトが100個以上手に入るとしたら
その中から気に入ったいくつかのプラグイン以外を捨てて
自分のシステムを完成させるまでに幾晩徹夜せにゃいかん?

更にVSTプラグインの高度な使い方としては、
音色の中に既にリズムやメロディーなどが含まれている音源データ自身を、
曲と完全に同期させながらリアルタイムにエディットしつつ、
そのエディット情報を音楽データと一緒にデータに書き込んでゆくことが出来る。
つまりメロディーを打ち込むように音色の変化を打ち込むわけである。

ここまで来ると、1週間徹夜してやっと理解出来るソフトを100個以上、
つまり100週間以上徹夜して選んだ自分のシステムの中から
1音色選ぶのにまた徹夜してそれを何音色も選び、
その選んだ音色をまた幾晩か徹夜して何パターンにもエディットする。
この国の若き天才アレンジャー達・・・
彼らは果たして幾晩徹夜してこのレベルまで達成したと言うのだろう・・・

でもこれって音楽?!!!

しかし世界中のロック、ポップス、全てのジャンルの音楽の中で
電子音、つまりデジタル音色が使われてない曲はないと言うぐらい
電子系は今や流行と言うより定着に近い位置まで広がった。

音色が勝負!
だったら同じセンスだとしたらたくさん音色持ってる人が必ず勝つよ!

海賊版のない日本で同じ環境を構築しようと思ったらいくらかかる?
こんなことが出来るのはよっぽど売れてて金が有り余っている
ほんのほんの一握りの人たちだけであろう。

そのうち絶対負けるよ、日本人・・・
いや・・・もう既にもう負けとるかも知れん・・・

まあワシと言えばテクノ大嫌い、電子系も全然好きじゃない、
特にロックはシンセもいらん!と言うXYZ魂ばりばりの人間である。
ところが耳が肥えたこの国のクライアントが発注するアレンジには、
まあ世界的な風潮から見てもそうなのだが、
必ずデジタル、電子系の味付けが不可欠である。

デジタルの師匠、若きプロデューサーDの仕事を
彼の作ったデータを見せてもらったりして勉強する。
そしてある日わかった・・・と言うか、悟った!

彼にとってコンピューターと言うのはワシにとってのドラムと同じ。
つまりアレンジャーにとってパソコンそのものが「楽器」なのである。

その日からワシは電子系に対しての嫌悪感がなくなった。
勤勉で真面目がとりえの日本人気質、「仕事」となれば「好き嫌い」は関係ない職人肌、
さらにはワシの負けず嫌いとパソコン好きが災いして、
今では電子系のアレンジの発注まで来る始末。

でもそのためにワシが幾晩徹夜した?!!!

更には次のXYZの新譜を自分の今までの集大成にするべく
並行して壮大なコンセプトと組曲を1年かけて作り上げているので、
気がついたら北京では2日間寝ずに働いて6時間寝てまた2日間徹夜する生活が続く。

こんな生活がいつまで続く?!!!

その代わり日本に帰ったら反動で15時間寝続けたりする。
人間、寝ないと死ぬのである。
実際「ああ・・・あともう少し行くときっと死ぬんだな・・・」と思う瞬間もあった。
ドラム叩きながら死ぬのは本望じゃが、
このファンキー末吉がパソコンの前で死んでそれでええんか?!!!

と言うわけで、旧正月に里帰りして15時間寝ながら考えた。
音楽的に深いドラミングや、数々のアレンジ、プロデュースの仕事が評価され、
「ドラマー」と言うよりは「音楽人」と評価されることが多くなった今日この頃。
「ドラマー」としてはそんなに自分の前を走っているドラマーを思いつかないが、
アレンジャー、プロデューサーはこの国では若き天才達がたくさんいる。
その人達全てを死ぬまでに追い越すべくもっと頑張るか?

もうええじゃろ、ドラム叩いてなんぼでその金持って飲みに行くのが一番ええわ。

日本では10以上スタジオミュージシャンの値段は変わってないが、
こちらでは年ごとにミュージシャンのギャラが高くなり、私のドラムの値段は
S社長が5年前に当時の一番高いスタジオミュージシャンの値段設定してくれたのだが、
今では他のドラマーに比べてあまりに安すぎるから頼むから値段上げてくれ
とミュージシャン仲間にお願いされても頑として上げず、
その代わりアレンジの値段を最高額に上げた。

ワシに、この額を取ってるあの天才達と同じレベルの仕事が出来るんか?・・・

出来るわけがない。
でもこう言えばアレンジやプロデュースの仕事が減るからそれでいいのよん。
ドラム叩くよん。酒飲むよん。酔い潰れて寝るよん。

ええなあ・・・今年の目標は「頑張らない」

XYZの新譜も半分までは死ぬ気で作り上げたが、
後は橘高にでもおぶせて楽するとすっか・・・

と思ったら今度は橘高がつぶれた。
わかったわかった。やっぱみんな一緒にやろうな。
今年もやっぱ「ちょっとは頑張る」から・・・

----------------------------------------------------------------------
東京にヤサが出来た。

昔住んでた武蔵小山の5LDKマンション。
名義は母の名義なのだが、誰も住まなくなったので人に貸してたら、
今年になって突然出てしまうと言う。

そのまま遊ばしてたら管理費や固定資産税等でおふくろの年金が飛んでしまうので、
不動産屋に「次の借り手見つけて下さいよ」と催促するが、今日びのご時世で
家賃32万、売値5600万のマンションなんぞ貸すに貸せず売るに売れない。

はたと困ってたところに飲み友達のめいりんからメールが来た。
「友達男女4人で共同生活しようと部屋探してるんだけどどこも貸してくれないの」
日本ではルームシェアーの習慣が定着してない上に、
男女の共同生活と言うとまだまだ大家である大人たちには感覚的に受け入れがたい。

「よし、うちに住め!」
とは言ってはみたものの、芸術家を目指す若い男女4人がどれだけ頑張っても
月に32万の家賃を払うのは無理である。

「いくらだったら払えるの?」
「4人合わせて18万」
そりゃあんた安すぎじゃろ!
母にしてみても遊ばしてるよりはいいが32万が18万じゃイメージが悪いじゃろ・・・
「何とか20万出せんか・・・」
「出せない!」
こうもはっきり言うんだからそりゃ絶対に出せんじゃろう・・・
「よし、5LDKに4人やったら一部屋余るじゃろ。ワシが2万円出してそこ借りちゃろ!」

ところが家賃はこれで解決しても次には敷金礼金と言う大きな問題がある。
「敷金、礼金、出せるの?」
「うーむ・・・・そんなに出せないかも・・・」
礼金をゼロにしたら間に立っている不動産屋の儲けがなくなるので不可欠だが、
敷金は単なる預かり金だからナシでもええんちゃうの・・・

ところが大家と借主がそれでいいと言っても不動産屋が商売だからそれでは通らない。
結局敷金はワシが持つことにしてやっと話をまとめた。

ワシ・・・敷金40万払って家賃2万円のヤサを手に入れた男・・・

ワシらの時代からすると「コミューン」とも言うべきめいりん達の新居、
その名も「ファンキー荘」
ワシは月に数回しか帰らないだろうから、
井上陽水のデビューライブのアナログ版がかかってたりする(お前ら年いくつや!!)
素敵なリビングに面したワシの部屋は普段はゲストルームとして使われる。

みなさんも東京に宿が必要になった時には「ファンキー荘」のゲストルームに泊まって、
若き芸術家達のために1000円でも2000円でもカンパしてあげて下さいな。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:30

2004年12月28日

どれだけ愛していたかは失って初めてわかるもの・・・

ドラム物語

パール楽器のドラムのモニターになってもう20年。
すいかドラムを初代として、
去年北京のスタジオ仕事用に作ってくれた最新のドラムセットまで合計7台、
またファンキー末吉モデルのスティックはもちろんのこと、
消耗品であるドラムヘッドまでその都度提供してくれている。

アメリカでレコーディングする時にはアメリカの支社から必要なセットを送り届けてくれ、
「二井原、お前の今度のバンドのメンバーっつうのはちゃんと演奏出来るのか」
と当初あまりに心配してそう言ってたウェイン・デイヴィスはそれを見て、
「電話一本でパールからフルセットを送りつけさせるこのドラマーは何者だ!」
と目を丸くした。

そう、パール楽器は楽器メーカーとして世界では超ブランドの域に入るのである。
しかしその実は千葉に工場を持つ、ごくファミリー的な会社。
ワシがドラマーとしてパールと一生を共にしようと思ったのは
この会社気質によるものも大きい。

その昔、クリスタルキングのドラマーとして仕事をしていた頃、
お膝元のヤマハにモニターの話を持って行ってむげに断られた。
ところがパール楽器の当時の担当者、市川さんは
むしろ当時アマチュアだった爆風スランプのことを、
「あのバンドはいい。君もドラマーとしてうまいし、モニターやるかい」
と言ってくれてワシとパール楽器との付き合いが始まった。

ある時期、ヤマハがモニター戦略に力をいれ、
パールのドラマーが次々とヤマハに乗り換えていた頃、
いろんな先輩ドラマーがワシにこう言った。
「末吉ぃ。パールなんかやめてヤマハ来いや。待遇えぇでぇ」
ヤマハの当時の担当者もある日私にこう言った。
「河合さんもヤマハのギター使ってくれてることだしさぁ。
末吉くんもぼちぼちヤマハ使ってみたら?」
パール楽器と違い、大会社であるヤマハは担当者がよく変わる。
本社から派遣されたその担当者は職務を本当に一生懸命遂行するが、
パール楽器は逆に会社をやめるまでひとりの人が担当する。
「人間対人間」の関係なのである。

ヤマハの人にはこう言って丁重にお断りした。
「違う担当の方だったので恨みを言うつもりはありませんが、
当時一番貧乏だったあの頃、自社のバンドであるクリキンをやっていながらも
ヤマハは私に何をしてくれようともしてくれませんでした。
でもパールはその頃からずーっと私をサポートしてくれてます。
ですから私は死ぬまでパールと一緒に歩んで生きたいと思います」

パールから提供していただいたドラムセットは全部まだ持っている。
XYZ用と五星旗用の2台を除いては全部北京に持って行き、
「ドラムセットを大事に長く使ってくれるのは有難いのですが、
中国でそれほど活躍なさってて、それが全部古い製品ではそれも問題なので」
と言うことで、わざわざ最新モデルを1台作ってくれ台湾の工場から北京に送ってくれた。

そのセットを始め、今では製造中止の銀色のセットや、
最近では初代すいかドラムも整備をして、
それぞれのセットをよく仕事で使う別々のスタジオに常備してある。
レコーディングの仕事が来た時、
そのそれぞれのスタジオにスティックだけを持って行けばよいので楽である。

そんな生活の中で、最近ドラムに対して気づいたことがある。
それぞれのドラムセットには「人格」のようなものがあり、
ドラムセットはそれぞれが間違いなく「生きている」と言うことである。

木と言う生もので出来てるし、もともと楽器と言うのはそんなものなのかも知れない。
例えば、XYZのツアーが長く、そればかり叩いていて北京に戻り、
久しぶりにスタジオのセットを叩くと、
まるで女の子がすねているかのように言うことを聞いてくれない。
理論的に言うとセットによって音色が微妙に違うので、
それに合わせて叩き方が微妙に違い、
それが微妙に反映して違うセットでは微妙に音が鳴らなかったりするのであろうが、
しかし感覚としてはそれが非常に人間的で、
「あんた他の女抱いて来たでしょ」
ってなもんである。

・・・非常に面白い・・・

そんな時はヘッドを張り替えてあげたり、
チューニングに時間をかけたりしてゆっくり対話してやる。
たっぷりと愛情を注いでやるとやっと機嫌を直して鳴ってくれるようになる。
そう言う点ではすねたらすねっ放しの人間の女の子よりは扱いやすい。

だから最近はドラムのレコーディングとなると1時間は早くスタジオに行き、
なるだけそのセットと会話してやるようにしている。
まあワシも人間の女の子相手にこれをやってればモテるのであろうが・・・

そんなある日、またレコーディングの依頼。
ところが行ってみるとスタジオの若い衆が「フロアタムが見当たらない」と言う。
「今時の若いもんは」はどの国でもどの時代でも共通で、
仕方がないのでその日は14インチのタムをフロアに代用して録音したが、
叩きながら
「いざ本当に無くしてしまって見つからなかったらどうしよう」
と思ったらもう気が気でない。

このセットは基本的に既に製造中止の型番なので、
無くしてしまったらもうそれっきりである。
音が変わってしまうのでフロアタムだけ別の型番でと言うわけにもいかず、
早い話フロアが無くなればすなわちドラムセット全部が役に立たなくなってしまう。

パールさんにお願いして再び同じ材質の同じフロアを作ってもらうか・・・
それもえらい手間と出費であるし、また他のタムタムとの長年の歴史を考えると、
同じ型番であろうと絶対にマッチしない。

このドラムセットは胴が厚く、運ぶにも非常に重く、スタッフにも嫌われるし、
胴が厚いとなかなか鳴らないし、
しまいには癇癪を起こしてぶち捨ててやろうと思ったが、
1ヶ月間叩きに叩き込んでやっと言うことを聞くようになり、
そうなると逆に可愛くてたまらなくなり、
今ではワシの一番好きなドラムセットである。

つまり同じ型番で新しいのを作ってもらっても、
10年以上叩きこんだ歴史がないので決して同じ音色にはなれないのである。

「無くなった」と思ったら、急にこのセットとの数々の思い出が思い出されて来た。
音が鳴らなくて、もう捨ててしまおうかと思っていたあの頃・・・
鳴り始めて可愛くてたまらなかったあの頃・・・
新しいドラムセットが来てそっちに夢中になり、倉庫の隅っこに追いやってたあの頃・・・
北京に行く便があったので「先に北京に行け」とばかり里子に出した・・・
北京のあらゆるドラマーがレコーディングやリハーサルで使ったが、
「このドラムはダメだ。全然鳴らねえや」
と誰にも相手にされなかった。
そのまま誰にも鳴らしてもらうことなく、ずーっとほっとかれてた・・・

北京に引っ越して来て久しぶりにあいつにあった。
誇りまみれのボロボロで、セットを組むにも相変わらず重く、
まるで太ってものぐさで言うことを聞かない駄馬である。

しかしヘッドを変えてやって組みなおし、性根を入れて叩いてやると、
「何?こいつのどこが駄馬じゃ?」
突然生き生きとして昔と変わらぬいい音で鳴ってくれた。
「ほら見てみぃ!」
得意げに人に聞かせるワシ。

それからあいつと一緒にいろんな名演、名盤を残して来た。
あいつはワシを乗せてこの戦場を得意げに走り回り、
この北京の音楽界に「ファンキー末吉」の名を残し、そして歴史を残した。

名馬騎手を選ぶと言うが、
実はワシがあいつを選んだのではない、
ワシがたまたまあいつに選ばれただけなのである。

そんな名馬が片足をもがれたように、こんな些細なことでもう走れなくなるのか・・・
それを思うとワシは悲しくって情けなくって、
そんな名演、名盤を引っ張り出して来て酒を飲みながら聞いていった。

とあるオーケストラとの競演・・・
仕上がってみると結局オーケストラとドラムだけのオケである。
・・・何と言うスケール感・・・
たったひとりで何十人ものオーケストラ相手に一歩も引かず、
スティックを振りかざして切り込んでゆく。

ワシはいつの間にこんなことが出来るようになっとったんじゃ・・・

音楽は偶然の積み重ねである。
このセッションでこの音色、このリズム、このグルーブがあるのは、
神様が与えてくれたほんの偶然に過ぎない。
ドラムなんてもともと、
同じチューニング、同じ部屋、同じ人間が叩いたって毎回全然音が違うんだから・・・

こんなワシがこいつと出会って、
この日、この場所でこんなレコーディングセッションをし、
そしてこんな音楽をここに残した・・・
これはひとつの偶然でしかない。

しかしお互い生きてさえいれば、またこんな偶然を生み出せるかも知れない・・・
もうお前は戻って来れないのか・・・
そう思ったらまた涙が出て来た。

愛とは失って初めてわかるものだと人は言う。
「俺はこんなにあいつのことを愛してたのか・・・」
だったらどうしてもっと大事にしてやらなかった!
どうしてもっと愛してやらなかった!
今さら後悔したところで全てが遅い。

新しいドラムが来たからと言ってさっさと乗り換えていったワシ・・・
北京に里子に出されて誰にも相手にしてもらえなかったあいつ・・・
せっかくステージ栄えするようにと銀色にしたのに、
結局誰にも磨いてもらえずに今ではくすんだ灰色である。
ネジひとつ換えてもらえず、ボロボロのまま走れなくなってしまったのか・・・

こんなことだったらもっと大事にしてやればよかった。
もっと愛してやればよかった・・・
また酒を飲んで泣いた。

数日たって若い衆から連絡があった。
「フロアタム、見つかりました」
電話の向こうで心配してくれてた会社の人が大喜びであるが、
ワシはもう「嬉しい」と言うより「あいつに悪い」と言う気持ちでいっぱいである。

「このことに責任を感じている人間、
そしてこのドラムに少しでも愛情を持ってくれてる人間、
全員集合してこいつの大メンテナンスをやるぞ!」

家から全てのドラムの部品を運び込み、
半日かけてドラムのヘッドを全部外し、ネジを全て締めなおし、
痛んでる部品は全部取り替え、考えられるメンテは全てやった。

しかし紛失されていたフロアタムを始め、全体的に機嫌が悪く、鳴ってくれない。
よくよく調べてみると、もうタムの木本体が張り合わせが浮いていたり、
早い話、いろんなところにガタがきているのである。

「お前も年とったんじゃのう・・・ワシと一緒じゃ・・・」

「よし!」とばかり再びスティックを振りかざす。

「名馬よ。たとえお前の肉体が老いてしまおうが、お前はまだまだ走れる。
ワシもまだまだスティックを振り回せる。
共に死ぬところは戦場じゃ。お互い走れなくなったら共に死のう!
我ら生まれし日は違えども、死ぬ日は同じ日同じ場所!」

まるで三国志演義である。
共感したのかウケたのか、
次の日のライブでやつはとてもいい音で鳴ってくれた。

アホなドラマーのドラムはやはりアホである。
共に一生アホな人生を送ってゆきたいもんじゃ

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:34

2004年11月17日

亜洲鼓魂があるから今のワシがある!!

ホリプロの堀さんが北京にいらっしゃった。

非常に懐かしい!
お会いするのはもう5~6年ぶりではなかろうか・・・

あれは10年ほど前の話・・・
日本は「アジアブーム」に浮かれ、
雑誌やメディアはどこでも中国ネタを取り上げ始め、
企業は不景気から抜け出せない日本から脱却すべく中国に夢を見た。

そんな中で
その数年前に既に中国にかぶれ、挙句の果てに中国人と結婚して
家庭内言語を中国語で暮らしているアホなドラマーにみんな興味を持った。

いちいち呼ばれて飲みに行くのもめんどくさいので
新宿で中華料理の屋台「萬吉」を開き、
そこで定例の如く業界の人間が集まってアジアの話をする、「アジア会」
と言うのがいつの間にか始まりだした。

日本で初めての中国ロック専門のレーベルを設立したJVCビクターを始めとし、
中国ロックの創始者「崔健(ツイ・ジェン)」を日本デビューさせた東芝EMI、
酒井法子を有するサンミュージック、
「第二の山口百恵」を探すべく中国で40万人オーディションを開き、
現地でプロダクションも設立して
中国の「ホリプロ3人娘」をデビューさせたホリプロ、
他、全アジアに支社を設立したポニーキャニオンや
中国最大のレコード会社ロックレコード等々、
中国と音楽に関係のある全てのそのトップの人たちが
何故かこのキタナイ屋台に毎月顔を出し、
北京家庭料理を食いながら北京の二鍋頭酒と言う56度の白酒を飲んでアジアを語った。
堀さんともこの中で出会ったである。

今思えばそうそうたるメンバーであるが、
思い起こせば北京にアミューズ北京まで設立して本格的に中国進出に乗り出した
所属事務所であるアミューズの国際部だけがあまり顔を出さなかったように思う。
アミューズだけが何故かワシを相手にしてくれなかったのである。

そんな風だからワシは
アミューズに所属しながら、爆風のレコード会社であるSONYではなく、
言わばライバル会社と言ってもよいであろうホリプロからソロアルバムを出すこととなり、
結果ワシの夢は叶い、「亜洲鼓魂」は日本と中国で発売され、
そのまま華僑ネットワークでアジア中の国々にライセンス(か海賊版か知らんが)された。

その後、そのアルバムで歌を歌ってもらった新人歌手、
「李慧珍(リー・ホイチェン)」のデビューアルバムをプロデュースし、
彼女は結果的にホリプロ中国三人娘より先に成功し、
いろんな新人賞を始めとしてワシも十大金曲作曲賞を受賞、
それが認められて日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞した。

その受賞パーティーを
所属会社であるアミューズではなくホリプロ仕切りで開催するのも変な話であるが、
そのパーティーの席で堀さんはスピーチでこう言ってウケをとった。

「もうアジアはこりごりですよぉ。みなさんもういい加減にやめましょうよ。
結局得した人はファンキー末吉ぐらいなもんなんですから」

そして堀さんの言う通りそのままアジアブームは収束を向かえ、
全ての音楽系企業は中国から撤退した。
JVCも、ポニーキャニオンも、アミューズも、そしてホリプロも・・・

あの時アジア、アジアと声高に言ってた人は、
熱病がさめたかの如く本業に戻り、もしくは今度は韓国ブームに踊らされ、
ワシだけがこうして今、北京で暮らしている。

ワシは本当に得をしたのか?

こちらに来て徒然に考えてみた。
「何でワシはこれほどまで中国が好きやったんやろう・・・」

確かに「友人のためなら人をも殺す」と言う北京人気質は大きい。
中国ロックも大きな感銘を受けたし、
食文化をはじめ、ここの生活や風土(極寒の冬を除く)も大好きである。

ワシは死ぬならここ、北京で死にたいと思っている。
いや、そう心に決めている。

なんで?・・・

BEYONDの黄家駒が死んだりして、
まあ年をとるといろいろ考えたりもするんだけども、
思うにまあ人間生きてるうちに出来ることってそんなにないのよね。

いろんな夢見て挫折して、またいろんな夢みて、それでも結構叶って来た。
レコードデビューも出来たし、挙句の果てに個人名義のソロアルバムまで出してもらった。
ドラマーの夢である自分モデルのスティックまでPearlさんに作ってもらっている。
あの程度だが金持ちになったこともあるし、美人女優と浮名を流したこともある。

でもある時、自分の若い頃の夢を思い出した。

当時の四国の片田舎ではレコード店には演歌と歌謡曲しかなく、
探して探してロックやJazzのレコードを手に入れた。

そこで聞いた数々の音楽、それはワシにとってかなりの衝撃だった。
「この人たちは人間ではない」
そんな神様にワシはなりたかった。

本当はJazzピアニストになりたかったが、
選んだ楽器と言うか楽器に選ばれたと言うか、
手の小さいワシは縁あってスティック握ってドラムを叩いている。

ニューヨークに行ってJazzをやるか、東京に行ってロックをやるか、
でも縁あって東京に行ってバンドをやり、
親の功徳か前世の成就か、
はてまた死んだ姉の霊的加護のおかげか何故かあのような成功を収めることが出来、
しかしひとつの成功はまたひとつの苦悩を生む。

まあ今思えばあの成功はワシには分不相応に大きすぎたのと、
あと、ちょっとだけ種類が違っていた。

テレビなんかでアイドル達とご一緒させてもらうと思うけど、
やっぱあの人たち・・・凄い!
歌手の人たちもやっぱ・・・凄い!

こっちでまたプロデュースするハメになった新人の女の子も、
やっぱインタビューした時に言うとった。

「私もいつかあんな風に大勢の人の前で歌ってテレビにも出て、
みんなに知られてて、愛されてて、そんな大きな歌手になりたい」

みんな凄いわぁ・・・
ワシ・・・悪いけど一度もそんな大それた夢みたことない・・・
恥ずかしいわぁ・・・あんなプロ達と一緒にテレビなんか出て・・・

顔も売れるから人にサインを求められたりもする。
「爆風の人ですか。ファンなんです。サイン下さい」
サインしながら時々こう聞かれる。
「あのう・・・爆風の何やってる人でしたっけ・・・」
そんな時は時々黙って「パッパラー河合」と書いたりする。

ワシはやっぱ日本にいると永遠に「爆風の人」である。
ところが北京ではワシはただ「ドラムのうまい人」である。

ワシは別に街歩いてて振り返られる有名人になりたくて東京出て行ったわけではない。
ワシはただ・・・あの時聞いたレコードの中の・・・あんな・・・
神様になりたかった・・・

まあ今だに神様からは程遠いが、
ワシはここにいれば「ドラマー」として生きられるのでここにいる。
ここはワシにとってほんの少しだけまだその頃の夢に近いのである。

そしてそのスタートとなったのが
アジア会がきっかけとなって生まれた「亜洲鼓魂」なのである。

若いミュージシャンと初めて仕事をする時に、
「高校の頃あのアルバムを聞いた」と言われることが多い。
あのアルバムは中国の今のワシには非常に大きな地盤となっているのである。
だから堀さんが北京に来ると聞いたからどうしても会ってお礼が言いたかった。

「堀さん、あのアルバム出してくれてありがとう。
あれがあるから今のファンキー末吉があります」

夕べは堀さんと、李慧珍(リー・ホイチェン)、
そしてホリプロ3人娘としてデビューしたダイヤオも来てて懐かしかった。
あれから10年近く会ってないのである。

なにせこのワシの最近の生活である。
若い娘と話をすること自体が久しぶりなのでそれだけでも感激しているのに、
懐かしい上にまたふたりともしばらく会わない間に美人になって、
そしてやっぱ現役の歌手なので何より華があるね。

李慧珍(リー・ホイチェン)なんか初めて会った時はまだ18歳とかそのぐらいだった。
アルバムのレコーディングの時に20歳の誕生日を祝ってあげた記憶があるから、
・・・もう三十路?・・・
ダイヤオは確か・・・彼女より年上?・・・

見えんのう・・・

会社が撤退して堀さんがその後の彼女たちを非常に心配してたけど、
大丈夫、彼女たちは十分たくましい。
ホリプロは確かに金銭的には損をしたのかも知れないが、
でもそのおかげで今、彼女たちがいるし、そして何よりも今もまだ歌を歌っている。
これは素晴らしいことだと思う。

ついでに今のワシもいるし、今もドラム叩いている。
(小さいフォントで書いたつもり)

確かに10年前のアジアブームで、
中国で損した人の話はよく聞くがあまり儲けた人の話は聞かない。
2008年オリンピックが近づいたら、また日本が中国ブームに沸いたりするんだろうか。
そして加熱するだけ過熱したらまた何事もなかったかのようにブームが去り、
残された人の中で儲けた人もいれば、また損した人もいることだろう。

でも得をすると言うことは何も銭金のことだけではない。
ワシはそりゃ中国のおかげでひと財産潰したが、でもおかげで今の生活を得た。

うん、ワシは確かに一番得したかも知れん・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:37

2004年11月11日

零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストは日本人?!!

前回の来日は長かったぁ・・・

2週間もの間日本を空けるのは久しぶりである。
飲むヒマどころか飯食うヒマも寝るヒマも風呂に入るヒマもない北京での生活の反動で、
ツアー中は飲むは食うわ、数キロ痩せた身体にお釣りが来るほど肉がつく・・・
昔は忙しい日本での生活から逃げるように北京に来てたものだが、
それがすっかり逆転してしまい、
今では日本に帰って初めてゆっくり出来ると言うありさま・・・

ツアー終了後、橘高文彦のソロアルバムに参加するために東京に向かった。
ドラムを叩く仕事なら大歓迎である。
予想通りの体力モノのツーバスを命がけで踏みながら生きてることを実感する。

まあこの体力モノばかりを10曲、2日間で全部録音し終えてしまうのはかなりしんどいが、
北京での生活のように朝から朝までパソコンと格闘しているよりはマシである。
ワシは「ドラマー」なのである。

「末吉さん、北京帰ったらまた忙しいんですか?詞を1曲書いて欲しいんですけど・・・」
詞ぃですかぁ?・・・
一番苦手な分野であるが、橘高の頼みなら仕方がない。
やるのはかまわんが問題はその時間、あるんかなあ・・・

この来日のためにいろんなプロジェクトをぶっちして帰って来たからなあ・・・

まず零点(ゼロポイント)。
(関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html、https://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html)
「今回のアルバムは
メンバーがそれぞれ気に入ったアレンジャーに2曲づつやってもらう」
と言うことで2曲だけですむやったのが、ちと頑張りすぎたのか、
「やっぱお前のんが一番ええわ。やっぱお前が9曲全部やってくれ」

ひぇーーー

「2週間も日本に帰るのか?そりゃ帰るまでにあと7曲全部アレンジしてくれなきゃ困る!」

ひぇーーーひぇーー

んなもん2日や3日であと7曲もやれるはずもなく、
結局やっと出来上がった3曲だけを渡して逃げるように帰って来た。
あとは知らん!勝手にやっといてくれ・・・

「北京に5セットあると言うお前のドラムセット全部スタジオに運び込んで
アルバム10曲全部ドラム叩いてくれ!」
と言うギタリストWの新しいユニットのレコーディング。
アレンジも数曲上げ、非常に楽しみにしてたのだが結局スケジュールが合わず、
他のドラマーが叩くと言うことでドラムセットだけ貸してあげて逃げるように帰って来た。
いいアルバムに仕上がることを願う。

「3枚目のレコーディングやってんだけどまたドラム叩いてくんないか」
と言うプロデューサーLの女子十二樂坊のレコーディング。
(関連ネタhttps://www.funkycorp.jp/funky/ML/91.html)
まあこう言う時に限って来日の2週間がデッドラインやったりするんやなぁ・・・
やってあげたいのはやまやまじゃが逃げるように帰って来た。

「いつ時間あんの?この前アレンジやってもらった曲、早くレコーディングしなくちゃ」
と言うS社長んとこの新人のプロジェクトはそのままずーっとほったらかしてるし、
頼まれた陳琳のブラスとストリングスアレンジは、
譜面までは起こしたもののスタジオに入ってレコーディングする時間がない。
すまん・・・ほな逃げるように日本帰るんで誰か使って適当にやっといて・・・

あれ?・・・なんや結局ぶっちして消えてしまった仕事はドラムの仕事が多く、
帰ってもまだやらねばならんのはアレンジとかが多いやないのん・・・

・・・ドラマーとして生きるために北京に移り住んだのになあ・・・

ま、でも零点(ゼロポイント)さえなければ詞ぃ書くぐらいなんとかなるじゃろ。
確か今月半ばにはレコーディングを終え月末には発売と言うとったから、
まあワシが北京に戻った頃にはレコーディングも終了してるはずである。

「いいよ、ワシの詞なんかでよかったら使ってやって下さいな」
橘高の申し出を快諾し、またドラマーじゃないことを背負い込んでしまうことになる。
そしてこれが後に自分の首を大きく絞めることになることを
その時点では夢にも思ってなかったのである・・・

北京空港に着いて、中国用の携帯の電源を入れたとたんに電話がなった。
「おう、ファンキー!やっと帰って来たか」
零点(ゼロポイント)の会社の人間である。
「待ちかねてたんだよ。じゃあ、明後日からスタジオ入るからね」

あのう・・・レコーディングはワシのいないうちにやり終えてしまってたのでは・・・

「やっぱお前がいないと始められないと言うことでずーっと待ってたんだよ
とりあえず明後日までに残りの曲を全部アレンジしてくれ」

ひぇーーーー

ぶっちしてたつもりがポーズ押して停止してただけなのね・・・
マスターが仕上がったら1週間後にCD発売されるこの国では、
発売日なんぞあってないようなもんなのである。

「そいで、ギタリストはやっぱ日本から呼ぶことにしたら
誰かいいの探して明々後日に連れて来てくれ」

ひぇーーーーひぇーーーー

零点(ゼロポイント)は先日ギターとキーボードが脱退し、
現状ではサポートメンバーを使って活動している。
前々から日本のギタリストを呼ぼうとは言われていたが、
どこの酔狂なギタリストがわざわざ北京くんだりまで来ますかいな・・・

まあ前々から言われてたように「半年北京で住め」と言うならまず不可能だが、
レコーディングだったら1週間でいいんだからなんとかなるかも・・・

まず彼ら自身の第一リクエストであるXYZのギタリスト、橘高文彦・・・
・・・んなもんさっき橘高ドラム叩き終わったところなんやから今から佳境やないの・・・
ソロアルバムと北京入りやったらまずソロアルバムが大切でしょう・・・ボツ!

まるっきり面識のない人間でも困るので、近いところから片っ端から連絡をとってみる。
山本恭司・・・シャラ・・・高崎晃・・・
んなもんみんないきなり明々後日から1週間なんて空いてるわけないやないの!!!!
ボツ!

困り果ててた時に、自宅にてJUNXION(ジャンクション)のCDを発見。
去年XYZレコードからデビューしたハードロックバンドである。
「こんなんどうかなあ・・・」
ダメ元でメンバーに聞かせてみる。
「非常にいいじゃない。彼で行こう」
本人のいないところで勝手に話が決まる。

胸を撫で下ろしたワシはギターの櫻田に電話をし、
「お前、どんな大事な用事があろうが全てキャンセルしてすぐ北京に来い。
断ったらお前らのバンド、潰す!」
と言い放ち、電話を切る。
あとはワシの日本の美人秘書がチケット等を手配してくれる。
やはりこのような人間関係をいたるところで構築しておくべきじゃのう・・・

と言うわけでジャンクション櫻田はチケット代が一番安いパキスタン航空に乗せられ、
彼にとって生まれて初めての海外である北京空港に降り立った。
北京のワシのアシスタントがピックアップに行き、スタジオまで連れてくる。

「お、来たね。マーシャル用意しといたからね。
明日から5日間で5曲。録り終えなければ帰さないからね。
一応パスポートと帰りのチケットは預かっとこう」

こうなるともうタコ部屋状態である。
そのままホテルに帰って、渡された譜面とDEMOを聞いてちゃんと弾けるように練習して、
スタジオに来てちゃんと弾けたら次の日のを渡され、
最後までちゃんとやれたら日本に帰れるが、ひとつでもつまづいたら帰れない。
どっかのテレビ番組の罰ゲームのようなものである。

また今回のアルバムは中国の民謡や童謡や古い歌謡曲のカバーアルバムなので、
特に京劇とかの舞台曲とか民俗音楽系は非常に難しい。
外国人に歌舞伎が難解なのと同じように、
これをロックにアレンジすると変拍子がいっぱい出てきてまるでプログレである。
しかもそのうちの2曲は16部音符の超早引きフレーズが
書き譜で最初から最後まで指定フレーズとして書かれている。
しかも中国人なら誰でもそのフレーズを知ってるわけで、
少しでも間違ったり直したりするわけにはいかないのである。

「こんなの弾けませんよぉ・・・」
ナキを入れる櫻田に、
「アホか!民族楽器が原曲ではもっと早いスピードでオールユニゾンやがな。
自分のバンドでもっと早弾きしてるギタリストが弾けんわけはない!」
と渇を入れる。

「運指が全然違うんですよぉ・・・こんなのイングヴェイでも弾けませんよぉ・・・」
とナキを入れながらジャンクション櫻田の眠れぬ生活が始まる。

でも考えて見ぃ!ワシはこの難曲を1週間かけて解析して
ロックにアレンジしてDEMO作って譜面書いて何日徹夜してると思とんねん!
おまけに今回は昼間ギター録りしながら夜は次の曲をアレンジ、
その合間を見ながら他の仕事もこなさなアカンのやでぇ・・・

他の仕事・・・他の仕事・・・
しもたぁ!!!!橘高の詞ぃ書かなアカン!!!

音楽仕事も水商売と同じで、忙しい時に仕事が来て、ヒマな時は閑古鳥である。
まあ、ワシが寝れんのやからお前も寝るな!
ってなもんでジャンクション櫻田は
初めての外国での唯一の知り合いであるワシにかくも冷酷に突き放され、
罰ゲームのようなレコーディングに突入するのであった。

部屋から出ようにも外国なので怖くて出れないし、
英語もわからないのでコミュニケーションも出来なくて、
国際電話をかけれるようになるのに1日、
部屋のポットでお湯を沸かすのに2日、
腹が減ってたまらず、
勇気を振り絞ってホテルの下のSUBWAYでサンドイッチを購入するのに3日、
近所のコンビニでビールを購入できたのは最終日の5日目であった。

ワシはワシで11月4日には北京Jazz-yaでJazzライブも入ってるので、
ギター録りはその日から夜中にやることになり、
ひとりで買い物も出来ないジャンクション櫻田は
朝方ホテルに帰ってから夕方までひたすら腹を減らしてギターを練習していたのであった。

かくしてギター録り5日目。
鬼のようなパンチインを繰り返した問題の超難曲を含め、
予定されていた5曲全部を無事に録り終えた。
ジャンクション櫻田もさすがにヘロヘロであるが、
中国ではプロデューサー自身がパンチイン、パンチアウト
等、プロトゥールスの操作全てを自分でせねばならないのでワシももうヘロヘロである。

ギターや機材を片付け終わり、ビールの栓を開けたジャンクション櫻田が、
そのまま録音データを整理しているワシに一杯ついでくれる。
もう朝方である。いっぺんで酔いが回る・・・

予備日として予定してあった明日、正確には今日はジャンクション櫻田はOFF。
「僕ぅ・・・どうすればいいですかぁ・・・」
捨てられた子犬のような顔でワシを見る櫻田。
ほっといたらこいつ、
ヘタしたら一日飯も食わずにずーっと部屋から出ないんではないかと思いつつも、
ワシは1時から、つまり数時間後には女子十二樂坊のレコーディングである。
プロデューサーLは彼女たちの民俗楽器の部分を先に録り終え、
ワシが帰って来るのをてぐすねを弾いて待っていたと言うわけである。

「何だって?お前これからプロデューサーLの仕事か?」
スタジオのエンジニアがびっくりしてワシに聞く。
そうだよと答えると
「そうかぁ・・・それはお気の毒に・・・」

彼の病的に細かいこだわりぶりは業界では有名な話で、
「明日何曲叩くの?ヘタしたら朝までだよ」
と本気で同情する。

まあ確かに他のアレンジャーよりは数倍時間はかかるが、
まあ今まで何度か仕事をやったが長くても2、3時間で終わっているので、
まあ何曲録るのかわからんが
夜には零点(ゼロポイント)のレコーディングに戻って来れるだろう、
とスタジオを夜にブッキングして家に帰る。

翌日、正確にはその日の数時間後、Lは時間通りにスタジオに来ていた。
世間話をしながらドラムをセッティングする。

ドラムセットと言うのは面白いもので、
まあ楽器と言うものはそんなものなのだろうが、
それ自身が生き物のように人格を持っている。
同じセッティング、同じ環境で叩いても毎回音が違うし、
久しぶりに叩くとしばらく相手にしてなかった恋人のようにすねて音が出なかったりする。
またワシのように7台も持っていると、
例えばXYZのツアーから帰って来てこのドラムを叩いた時、
「あんた、他の女抱いたわね!」
てなもんで音が出てくれなかったりする。
まあ楽器によって鳴らし方が微妙に違うのでフォームが違って来るんでしょうな。

機嫌を直すには女性と同じでひたすらかまってあげるしかない。
恒例のごとく長い間かけてチューニングしてあげると
やっと機嫌を直して言うことを聞いてくれるようになる。

プロデューサーLは世間話をしながら、
いつもの笑顔でワシと恋人達との音での会話を見ている。
「今日は何曲録るの?」
と聞くと、
「一応2曲で、発注しているアレンジが間に合えば3曲」
まあ少なくとも夜中には終わるだろうから12時ぐらいには零点の方に行けるじゃろう。

セッティングが終わって曲を聞かせてもらう。
壮大なクラシックの組曲のような大曲で、
3拍子と4拍子が入れ混じった変拍子の何曲である上に、
ご丁寧に途中には小さなドラムソロが3箇所も用意されている。

「ガイドドラムは?」
と言うと、「今回はない」と言う。
つまりどう言うリズムでどう叩けばいいかと言うことがわからないのである。

彼が簡単な構成譜を書いて、
口頭で彼がイメージしている叩き方を聞いてそれに書き込んでゆく。
打ち込み系の音楽はパンチインでぶつ切りで録音してゆけばよいが、
こう言うクラシック系の曲は強弱が難しく、大きな流れもぶつ切れてしまうので、
「とりあえず全体を把握するために、何度か合わせて叩いてみますか」
と言うことになり、この巨大組曲との格闘が始まったころ電話が鳴る。
OFFを満喫しているはずのジャンクション櫻田である。

「ホテルの人が来て、予約は今日までだって部屋追い出されちゃったんですよぉ」
んなわきゃないやろ!金は明日まで払うてるがな・・・
「そりゃ間違いや言うて交渉せい!」
と言ってもそりゃ無理な話であろう・・・
日本語の喋れるアシスタントを手配してそちらに行かせるよう段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
例によって「こう叩いてくれないか」と言う彼の要求を織り込んで何度かやってみる。
「どうも違うなあ・・・」
最後には彼自身がスティックを持って自分で叩く。
それを聞きながら、「じゃあこう言う感じか?」と叩いてみる。
何せ1曲が長いからこの作業だけでも大変である。

電話が鳴る。
「そのホテルに払ったお金の領収書が必要なんですが・・・」
ジャンクション櫻田である。
お金を払った零点に連絡とって段取りする。

巨大組曲との格闘は続く・・・
だいたいどう叩けばいいかが決定し、
ラフに最初から最後まで通して録音し終わった頃にはもう夕方である。
それまでに録ったテイクは5パターンを超え、スティックももう何本も折れている。

女子十二樂坊のレコーディングでスティックが折れるとはのう・・・

それからそれを基にしてちゃんとしたテイクを録音してゆく。
こだわり満載の彼は、「こう言う風に叩いてくれ」まで細かく指定するが、
打ち込めばそのまま音が出る機械と違って、
生ドラムの場合は手順であったり音の強弱の問題もあってそうはいかない。
例えば
「そこはタムとスネアでこう言うフィルを叩いてくれ」
と言うのを、
「その前にこのフレーズをこう叩いているのに、
その次にダブルストロークを入れると音量が下がって全体的には盛り下がるでしょ。
だからここはむしろタムを両手でフラムショットで叩いて、
その合間はスネアではなくバスドラで埋めるべきよ。
そしたらこうなるから音量も上がるしもっと盛り上がるでしょ」
といちいち1回1回録音し直して納得させる。

日本のスタジオミュージシャンはプロデューサーのイエスマンで仕事をする人が多いが、
こちらではそれぞれがアーティストとして認め合っているので、
必ず「自分はこうするべきだと思う」と言うのをはっきりと言わねばならない。
そりゃそうだ、音楽の構築は全部彼がやっているが、
ドラムを知っていると言うことに置いては彼はワシにはかなわないんだから。

「君の考えではタムはここから出てくるでしょ、
でもタムって出てくるともう消えたら寂しくなっちゃうわけ、
だからここのパターンは君の考えたパターンではなく、
むしろタムを使ったこのパターンに変えた方がいいと思うよ」
更にパターンを変え、また最初から録りなおす。

彼も満足し、基本的なリズムが構築された頃にメシ。
その頃には録ったテイクは10を超え、折れたスティックは10本を超えている。

橘高の体力モノのレコーディングでもここまでは折れんかった・・・

さて最後の難関は小さなドラムソロ。
と言うよりほんの小さなドラムピックアップのフィルイン程度なのだが、
通常でもフィルイン全てを全部パンチインして直す彼のこと、
そのフィルインの連続であるこのセクションでまたスティックを何本も折る。

結局録り終わったのは11時過ぎ。
つまりセッティングから始まって10時間、まあ連続して8時間はドラムを叩き続けている。
スタジオの人はあきれ顔でワシに同情するが、
なに、ワシはドラマーである。ドラムやったら何時間でもまかせんかい!
ワシ待ちである零点(ゼロポイント)や、
最後の北京の夜であるジャンクション櫻田からもがんがん電話かかって来るが、
「よし!次の曲!」
きっと脳内には物凄いアドレナリンが出てるのであろう、物凄くハイである。

あとの2曲はこの曲ほど難しくもなく、
それでもフィルインのひとつひとつを全部直す勢いで、
まあ1曲2、3時間ペースと言うところで3曲全部叩き終えたのは朝の7時。
つまり18時間ずーっとドラム録りをしているのである。

ひぇーーー・・・

でも先週まで「ワシはドラマーじゃぁ」と言うとったんじゃから仕方がない。
ドラマーならドラム叩きながら死ぬつもりじゃないと。

と言いつつもよく考えたら
ワシはそのまま昼の1時には同じスタジオでまた別のドラム録りである。

「6時間後かぁ・・・どうする?」
エンジニアと顔見合わせる。
「俺はもうこのままスタジオで寝る」
エンジニアは帰宅を放棄、そのまま翌日に備えるが、ワシは・・・

「あ、そう言えばジャンクション櫻田は6時にホテル出発で帰国ではないか!!!」

ピックアップは手配して置いたが、
無事にチェックアウトして空港までたどり着けたかどうか・・・

心配する余裕もなくまた気がついたらドラムを叩いている。
このスタジオには自分のドラムセットを置いているので、
「おっ、ファンキーが叩いてんのか?そいじゃあ俺のも1曲頼もうかな」
と言うことも少なくない。
よそのドラム録りのついでにやれば
セッティングの時間も音作りの時間も要らないので便利なのである。

その日は途中ちょっとストリングスのレコーディングも入っていたが、
ドラムセットはそのままにして
その前に窮屈にオーケストラが入ってレコーディングしている。

このスタジオではワシのドラムが一番偉いのである。

ストリングスが終わり次第そのままドラム録り。
結局その日は2本のドラム録りを追え、
次のスタジオに行って零点(ゼロポイント)のデータの整理をしてそのまま日本に帰る。
ドラムももう十分叩いたじゃろ・・・

飛行機に乗ってふと思い出す。
「そう言えばジャンクション櫻田はパキスタン航空やったなあ・・・」
パキスタン航空はリコンファームが必要である。

「そう言えばリコンファームしてなかったなあ・・・無事帰れたかなあ・・・」
まあ帰れんかったら帰れんかったでええかぁ・・・
このアルバムは恐らく数億の中国人が聞くこととなるわけやから、
当然毎日のようにテレビラジオで流れるやろうし、
何万人いるかわからんが中国のギタリストが全てコピーすることになるじゃろ。
言わば日本では知る人だけぞ知るギタリスが
中国では知らない人はいないギターヒーローになるわけやからなあ・・・
そのまま零点(ゼロポイント)のギタリストにでも納まっちゃえば
彼らと同じく大金持ちになれるわけやしなあ・・・

ジャンクション櫻田の運命やいかに!!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:39

2004年09月30日

「海賊版撲滅!」を声高に叫びながら・・・

忙しかったぁ・・・

毎週週末にはライブで日本に帰ってたと思ったら、
北京ではそれこそ寝るヒマがないぐらい仕事が来る。

と言ってもいつものように「ちょっとドラム1曲叩いてくんないかなあ」とかだとまだいいが、
アレンジだのプロデュースだの、ああ言う仕事はドラムと違って、
「ひょいと行ってちょちょいと叩いてはいおしまい!」
と言うわけにはいかないので非常に時間を食う。

まあギャラと言えばドラムの数倍はくれるが、
その代わりドラムは1日で数曲叩けるがアレンジとなるとそうはいかない。
どうアレンジするかを考えて1日、DEMOを作って1日、
本人に聞かせて意見を聞いて1日、それを繁栄させて1日、
スタジオに入って2日、最終段階のミックスダウンで1日。

軽く1週間はかかるやないの!!!!

また悪いことにヒマな時は何もなくずーっと飲んだくれてると言うのに
仕事が来る時にはどう言うわけか必ず同じ時期に重なるのである。
「新しいユニットをデビューさせるんだけど3曲ほどアレンジを・・・」
バブルで好景気な中国では新しいプロダクションやらレコード会社やらもどんどん設立され、
どこかのスタジオでは必ずどこかの新人のレコーディングをやっている有様である。
「週末日本に帰るから来週ね」
と答えても、中国では必ずデッドラインを提示される。
「今週末までに必ず仕上げてくれ」

そりゃいくらなんでも無理じゃろ・・・

何とか週明けまで延ばしてもらって、日本でのツアー中にアレンジしようと思ったら、
また他の人から曲を書いてくれだの、アレンジをしてくれだの、
挙句の果てにはとある打楽器ミュージカルの音楽監督までやらされて、
製品レベルの楽曲を2曲明日までに書いてくれとか言われる。

ワシはアレンジとか作曲とか本当は好きじゃないの!

ずっと前から、若手プロデューサーDに
CuBaseを使った新しいシステムを購入しろと言われて久しい。
そんなことしたらまた一日中パソコンの前に座り込んで、
「自分は何をする人ぞ」ってな生活になってしまうのでずーっと断り続けていたのだが、
「俺が揃えるシステムとまるで同じものを揃えてやるから。それだと楽だろ?」
と押し切られ、
ついにあらゆる音楽ソフトや山ほどの音源をいっぱい入れ込んだ最速のマシンが届いた。
ちなみにソフト類は全部海賊版である。

ええんかい!

だいたいさっきまで
「海賊版のおかげで俺たち音楽家の収入が少ない」
と熱く語ってたのに、そう言う奴に限って自分は絶対正規版を買わない。
まあこの国だと正規版を探す方が難しかったりするのだが・・・
正規版だと思って買ったらネットでダウンロードした海賊版をそのまま売ってたり、
聞くところによるとこちらでは時には正規版より海賊版のほうが優れてたりする。
CuBaseも本当はUSBでハードウェアKeyを差し込んでなければ起動しないそうだが、
こちらではもう最初っからソフトを改造してあって、
そんなものはいらないからUSBにアクセスしない分動作が速いとか・・・

しかし日本では今だに著作権印税が大きな収入だというワシが
こうやって海賊版満載の最速パソコンなんて使ってていいものだろうか・・・
(ほんまは犯罪です!すまん!)

まあ罪悪感より仕事が優先である。
製品レベルのものをスタジオに入らずに
期限までに納めるにはやはりこの新しいシステムに頼るしかない。
何せ世界最高のソフトと音源が山ほど入っている夢のマシンなのである。

使ったことのないソフトを説明書もなくさわりながら
ひとつひとつ学習しながら仕事をするのでよけいに時間がかかる。
また朝から朝まで何をやっとるのかわからん生活をしながら、
もうすぐ日本に帰らねば、そのためには仕事を終わらせねばと言う時に電話が鳴る。

「お前、歌手のMに曲書いただろ。
俺審査員で呼ばれて決勝大会に呼ばれて行ったら1位になってたよ」

去年、まだレコードも出てない女性歌手に頼まれて曲を書いてレコーディングした曲が、
何と中国最大の新人歌手コンテストで、
歌手部門と楽曲部門の両方でグランプリを取ったと言うことである。

案の定、この忙しいタイミングに絶妙にその歌手が訪ねて来る。
「ファンキー、ありがとう」
と例によって派手な賞状とトロフィーを渡されたまではいいが、
「すぐにこの曲の本ちゃんの歌入れをして、
至急MTV撮って、テレビ、ラジオ局にプロモーションをしなきゃ」

「本ちゃん・・・ですかぁ・・・」
そうなのである。
こちらではレコードを出す前にヒットチャートに入れるのが普通なのである。

「これがきっかけで、ある企業のイメージガールとしてその会社の曲を歌うことになったの」
嫌な予感がしたが、案の定
「だから来週頭までに曲書いて」
と来る。
しかもMTVを撮るのでそれまでに製品レベルの完成品を作らねばならない。

「また製品レベル・・・ですかぁ・・・」
これはもうこの新しいシステムに頼るしかない。
とりあえず日本でネタを考えれるだけ考えて、
それを持って戻って来たらこの世界最高のソフトウェアと世界最高の音色で・・・

夢のマシンがあるんだから何でも出来ると思ったら甘かった。
だいたい何万もある音色をどうやって選べと言うんじゃい!
全部聞くだけで何週間もかかるわい!
またタダやから言うて
あんなにたくさんのソフトやプラグインをこの短期間で使いこなせるわけないやないの!

少しでも使い勝手がよくなるようにとあーでもないこーでもないと設定をいじってたら、
どう言うわけか今度はソフト自体が立ち上がらなくなってしまった。

こうなったらもうパソコンとの格闘である。こんなの音楽でも何でもない。
同じ海賊版をダウンロードしようとネットにつないで検索しまくったり、
同じソフトを持っている友人を探しまくったり、
ますますどんどんと「音楽」と言う作業から遠く離れてゆく・・・

そんな中で久しぶりのモンゴル族中国人から電話が来る。
せや!こいつがおったぁ!
昔彼にシステムを見せびらかされた記憶がある。
よし!こいつからソフトをコピーさせてもらおう!

「ソフト?ちょうどいい。
今日はお前の家の近くの友人と飯を食う約束があるのでハードディスク持って行くよ」
ありがたい話である。
持つべきものは友達である。
かくして彼と彼の友人達と飯を食う。
外でこんなにゆっくり飯を食うのは久しぶりである。

「ファンキー、紹介するよ。彼はチベットの友人で・・・」
なるほどなるほど、紫外線に焼けて肌が黒かったり、代表的なチベット族の顔立ちである。
「あと彼は朝鮮族の友人で・・・」
なるほどなるほど、目の細さかげんとか、エラの張り具合とか、朝鮮族って顔である。
「そして俺がモンゴル族だろ。
俺たち音楽学校の同窓生で、今日10数年ぶりに会うんだ」
チベット族と朝鮮族とモンゴル族と日本人。
中国で飯食っててひとりも漢族がいない。

「じゃあ乾杯!!」

忘れてた・・・モンゴル族は食事の度に白酒なのじゃ・・・
しかも10数年ぶりに会う友人と・・・こりゃまともにすむわけはない・・・
またその朝鮮族が酒が強い強い!
チベットは空気が薄いのでチベット族はあまり酒は飲まないと言うが、それでも強い強い!
山ほどの料理と10数年ぶりの積もる話・・・そして浴びるほどの酒・・・

・・・こりゃソフトのインストールどころじゃないわ・・・

「ハードディスクを貸してくれたら自分でインストールするから」
と言ってはみたものの、
「海賊版はハッカーによってインストールのやり方が違うから無理」
と無碍に却下さる。
大宴会の後に千鳥足でやっとうちに帰って来て、
彼がひとつひとつソフトをインストールするのを見てて驚いた。
CDがないとインストール出来ないソフトはバーチャルCDを何種類も使い、
システムIDからシリアルナンバーをGetして、
それからオーサライズKeyをGetする方式では、
ご丁寧にそれぞれそれを返してくれるハッキングソフトがついてたりする。
あるソフトなどは、インストールしてパソコンを再起動したら、
そのまま何もせずにまたもう一度パソコンを再起動する。
なんで?

「ああ、このソフトは2回再起動しなきゃならんと言うことが判明した」

しかしよくこんなにたくさんのそれぞれのソフトをここまで熟知出来るもんじゃ・・・
「アレンジャーを本格的に始めて、半年間はこればっかりやってたからねえ・・・」
そう言う彼の気持ちはよくわかる。
ここ中国ではDEMOと言うのは製品レベルでないとクライアントが納得しないのだ。
ワシなんかペラペラのMIDIの音でDEMO持って行ったら
「どうやって歌えばいいのかフィーリングが全然つかめない」
と言われ、じゃあ自分で仮歌入れて持って行って聞かせれば
「あんたの歌じゃいいメロディーも悪く聞こえる」
と言われる。
そんなお国柄でこれだけ海賊版が普及してたら、
やはりどんなDEMOでも製品レベルになろうと言うものである。

白酒にあまり強くないワシがもう既に力尽きてぐったりしてる間、
白酒なんか茶と変わらない彼はひたすら海賊版ソフトをひとつづつインストールしてゆく。
「あのさあ・・・音楽作ってる時間とパソコンと格闘してる時間って・・・どちらが長い?」
試しにそう彼に聞いてみた。

「そりゃ間違いなくパソコンだろ」

北京の一流のアレンジャーはほとんどパソコンの細かい設定や修理まで出来ると言う。

ワシ・・・もうアレンジャーなんかやらん・・・
ドラム叩いてなんぼの生活に戻りたい・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:40

2004年07月27日

再婚とは・・・

心に染み入るいい一言

結婚とは「判断力」の欠如
離婚とは「忍耐力」の欠如
そして
再婚とは「記憶力」の欠如

先日久しぶりに会ったMさんのその日は、
偶然にもめでたい再婚数周年目のアニヴァーサリー。
Mさん本人からこの言葉を教えて頂きました。

ただ今北京のミュージシャンの間でひそかに流行中・・・

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「ファンキー、金曜日は空いてるか?」

よく一緒に仕事をしているプロデューサーLから電話があった。
だいたいこう来ると「ドラムを叩いてくれ」と言う「仕事電話」なのだが、今回は
「唐朝のギタリストWが結婚するんだ。行くか?」
と来る。

「行く!行く!」

ふたつ返事である。
ミュージシャン仲間も偉くなって忙しくなったのか、
またその音楽界自体が巨大化してしまったのか、
現在一緒に仕事をするある一部の音楽仲間以外と会う機会は滅多にない。
「よっ、久しぶり。じゃあ飲むか?」
と言って
「いいね」
とすぐ酒盛りが始まるほど、奴らは(自分も含めて)今はヒマじゃないと言うか、
まあ大人になったと言うか・・・

月日がたつのは早いもので、初めて北京にやって来てからもう15年。
それから数年後には、もうロック界も巨大化し、それぞれいろんな派閥も出来、
昔のように全てのロックミュージシャンが一同に会すなんてことはなくなった。
10年前、唐朝のベーシストZhangJuがバイク事故で他界し、
その葬式のときにあらゆるロック界の人間が一同に会したのが最後である。

まあ、ロック界も巨大化し、若い新しいバンドもどんどん現れ、
向うは私のことを知ってても、私はとてもじゃないけど覚えきれたもんじゃない。
唐朝のギタリストWが結婚と言えば、まあ昔仲間はほぼ全員集まるであろう。

ところで結婚式と言えば、
ワシは北京で親戚だけ集めてレストランで略式やったが、
あとは今日本で秘書として私の日本の業務をやってくれているA嬢が結婚した時、
ワシと和佐田と団長がバンドとして呼ばれ、
一流ホテルの宴会場にて団長はギターを振り回し顔にぶち当たり、
流血しながらギターソロを弾きまくり、
新郎新婦には大うけしつつ中国人列席者が全員無口になったと言うことがあるぐらいで、
まあ中国で正式に結婚式に列席したことはない。

だいたい日本でもすでに冠婚葬祭の礼服とかは一着も持ってはおらず、
そう言えば10年以上そのような催し物には参加したことがない。
葬式にはBEYONDの黄家駒、ドラマーのWINGのフィアンセ
関連ネタ:https://www.funkycorp.jp/funky/ML/70.html、https://www.funkycorp.jp/funky/ML/72.html
そして前述の唐朝のベーシスト、ZhangJuの葬式には参加したが、
中国の葬式は別に礼服を着て行く必要もなく、
ZhangJuなんか葬られる方が革ジャンに皮パンだったので服装は気にすることはない。

「ねえねえ、結婚式って何着て行くの?」
一応確認はしてみるが、予想通り「随便(スイビェン:お好きに)」と言うことである。
いつもの普段着で行けるなら参加のしようもあると言うものだ。

結婚式は昼間に行われると言う。
「12時からだけど11時半には来いよ」
と言われていたが、
まあ中国時間だろうとばかり30分ほどゆっくりして遅刻して行ったら、
何と列席者はもう全員席に着いていて、遅れたのはワシだけである。

「ちゅ、中国人がこんなに時間を守るなんてぇ・・・」

受付でしばし呆然とし、芳名帳に記帳し、
その芳名帳の懐かしい名前の数々をちらっと見ただけで心躍らせながら中に入った。

そこは巨大な結婚式専門の式場レストランで、
巨大な会場に大きな円卓が30席はならび、ざっと見ても200人以上、
どっから見てもかなり盛大な結婚式である。

自分の席を探すが、日本のように別にテーブルに名前があるわけではなく、
一生懸命知った顔を探しているといきなり「ファンキー」と声をかけられた。
入り口に近いテーブルは、
今度日本のレコード会社とも契約して夏には来日ライブもやると言う、
ロックバンド「艶(Yan)」のドラマーをはじめ、
なんやら懐かしいドラマー中心のテーブルである。
「懐かしいなあ・・・」
と声を掛け合ってるその声に気づいてワシを招待したLuanShuがワシに気づき、
いつもの仲間のテーブルにワシを連れてゆく。

「式の進行はどうなってんの?」
ひとり遅れて来たワシは不安になってそう聞くが、
「別にぃ・・・」
と、なんかやはり日本の結婚式のように格式ばっていないらしい。
友人達が一堂に会して飲んで食って、それが結婚式なのであろう。

「じゃ、とりあえず飲むか!」
ワシなんか昼から飲む気まんまんである。
ところが意外とみんな酒に手をつけない。

「何で飲まないの?」
いつもなら真っ先にがんがん行って酔いつぶれてうだをまくのがこの連中である。
昔は昼からベロンベロンだったのに大人になったもんだ・・・

・・・と思ってたら、
「昨日は朝まで飲んでてまだ醒めてない」
とのことである。
まあそんなことなのね・・・

先ほどのドラマーのテーブルでは真っ先に乾杯の音頭が上がり、
それを皮切りにいろんなところで乾杯の嵐、
赤ら顔に千鳥足が増えて来た頃、新郎新婦の再登場。
新郎は白酒と杯を手に持ち、新婦はタバコとマッチを手に持ち、
客人に対して新郎は酒を乾杯し、新譜はタバコに火をつける。

「これを200人以上廻るとお前・・・死ぬぞ!」

中国で結婚式を挙げるのも命がけである。
酒もまわり、いたるところで「イョー!」と同じく懐かしい同士のご対面が始まる。
ワシもそのドラマーが集まるテーブルで飲んでたら、
あちこちを廻ってたプロデューサーLがそのテーブルにやって来た。
「いやー久しぶりぃ!」
ワシの隣で昔話に花の咲いてたロック中国琴奏者Wに声をかける。

一昔前はふたりは犬猿の仲。
10年前のZhangJuの葬式の時、葬式が終わって最後に集まったZhangJuの家で、
酔っ払ったふたりは取っ組み合いの喧嘩を始める寸前につまみ出されたのが、
今やふたりとも笑顔で仲良く話す。

大人になったもんじゃのう・・・

次には元黒豹の敏腕マネージャーG氏がやって来た。
「いやー久しぶりぃ!」
お前ら黒豹がらみで原告被告の関係で法廷で争った仲やないかい!

月日はいろんなものを洗い流してしまうから素晴らしい。

ワシらのテーブルは一番後ろ。
新郎新婦がやっとここまでやって来た。
案の定新郎はべろんべろんである。

そう言えばこいつはワシのソロアルバムの時、
夕方5時からだと言うのに「酔いつぶれて今日は行けない」と電話があり、
次の日には「酔っ払って包丁で指切った」と血まみれでギターソロ弾いた男である。

「お前・・・身体・・・大丈夫?」

久しぶりに会った友人の結婚式の開口一番がこれではちと情けない。

「おめでとう御座います。初めまして、私はFunkyと申します。日本人のドラマーです」
奥さんにとりあえず丁重に挨拶をする。
「今日は来てくれてどうもありがとう。たばこでもどうぞ」

吸わないと言えばそれですむのだが、
結婚式だしそれ専用に作られたカラフルな「結婚タバコ」で、
めでたそうなのでつい吸ってみる。

この国で禁煙は難しい・・・

新郎新婦が次のテーブルに行き、
乾杯した白酒とタバコでふらふらになりながらふと気づいた。

「ご祝儀はどうすんの?」
一応2~300元ぐらい包むとは聞いていたが、
どうも入り口で渡すらしいが、ご祝儀袋も持ってないし、裸銭と言うわけにもいかんので、
とりあえず現金だけ持ってテーブルにまで来ている。

「本人に渡せばいいじゃん」
と言われてもみんな入り口で渡して、ワシだけが本人に裸銭と言うわけにもいかんじゃろ。
しかし思い起こして見ればZhangJuの葬式の時は、ご家族に直接お金を渡した。
「これから大変でしょうから何かのお役に立てて下さい」
と言う気持ちなのだがら裸銭でもよい。
しかしこんな結婚式で裸銭で本人に渡すためには人がびっくりするぐらいの札束とか、
何かパフォーマンスにならなければならないので無理である。

その辺に落ちている赤い封筒を拾って自分の名前を書いて300元入れた。
日本だと2枚のお札だとふたつに分けられるので2万円ではなく3万円にすると言うが、
こちらではそう言う風習はないので、みんなは200元ぐらいだと言うが3枚入れた。

ふと見ると列席者は既に半分ぐらい帰ってしまっている。
こちらでは食って飲んで、新郎新婦に挨拶してお金渡せばそれで帰っていいのであろう。
日本の結婚式がどれだけ格式ばっているかと思ってしまう。

昔仲間達はもう席をドラマーのテーブルに移動し、
昔のノリでがんがん飲んで盛り上がっている。
シメの言葉も何もなく、ウェイトレスは空いた皿を片付けるその間を縫って、
ワシはまだ封の空いてないワインのボトルを集めにかかる。

そのテーブルも片付けに入ると表に出て、
その式場の敷地内にある人工湖のほとりのテーブルに席を移す。
ワシは中のテーブルのまだ残っているワインのボトルを拾い集める。

気がつけば席には新郎が座って一緒にうだうだしている。
「奥さんはぁ?・・・」

なんのこっちゃない、このまま通常の飲み会に突入である。
奥さんは家に帰って旦那の帰りを待つのか、
はたまた付き合いきれぬとばかりこの場を後にしたか・・・
ま、中国では(日本でも?)もう既に一緒に住んでるから別にと言う感じなのであろう。

結局、来る時からの疑問、「初婚なの?再婚なの?」は最後まで聞けなかった。
夜の噂では再婚であるとの話だが、
まあだったら「記憶力の欠如」ですか?

記憶力なんかない方が人生幸せよ。
人間、嫌なことを全部覚えてたら気が狂って死んじゃうらしいしね。

飲も、飲も!

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:42

2004年06月25日

小さな恋の物語・・・ええ話やなあ・・・涙・・・

小さな恋の思い出

なんか最近よく初めての人からドラム叩いてくれと頼まれる。
今日は3曲まとめてである。
こちらでは1曲叩いたら1週間食えるので3曲と言うと半月以上食える。
よし、頑張るぞ!!

スタジオミュージシャンの中でドラムは一番大変である。
この大きなかさばる機材を自分でスタジオまで運ばねばならないから。

ワシはもうかれこれ20年近くパールのモニターをやっているので、
パールから提供してもらったドラムセットももう全部で7台となり、
2台が日本、あとの5台は全部北京に送ってある。
総重量570kgあった・・・

北京にある5台のドラムセットのうち、
ひとつはS社長のスタジオに置いてあり、もうひとつはLプロデューサーのスタジオ、
そしてJazzセット(小すいか)は今後のJazzライブのためにJazz-yaに置いて、
後はどどんと今の住処に置いてある。
ドラムの山である。(すいかドラムとかいろいろ・・・懐かしい・・・)

いつもS社長のスタジオか、Lプロデューサーのスタジオで録ってくれれば、
ドラムを運ばなくていいので楽なのだが、先方にも都合があるのでそうはうまくはいかない。
アシスタントの重田に連絡して、指定のスタジオに指定の時間にドラムを運ばせる。
ドラムのフルセットをタクシーに積んで運ぶので彼も大変である。

さてワシは指定された時間に指定されたスタジオに行くのだが、
初めてゆくその日のスタジオは珍しく市外の南側にあった。
スタジオは大体北側か、遠くても西側に多いので、南側には滅多に行く機会がない。
ともすれば初めてゆく場所なのだが、
ワシにとってはとある小さな思い出のある場所であった。

数ヶ月前になるであろうか・・・
香港の夜総会好きの友人Wは、突然北京にやって来て「会おう」と言うので、
タクシーに飛び乗って行き先を伝え、そのまま着いたところが
想像にたがわず夜総会、つまりカラオケ(と言う名のキャバレー)であった。

着いた頃には上機嫌でカラオケを熱唱するW。
ワシは挨拶して一緒にちょいと酒が飲めればそれでいいのよ・・・

頼みもしないのに店長がやって来て「女の子を選べ」と言う。
いいの、いいの、ワシは・・・女の子おったってろくなことないから
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/68.html
と断るのだが、それでは店長のメンツが立たないのであろう、
仕方がないので女の子がたむろする場所、いわゆるここが「ひな壇」なのであろう、
そこに連れて行かれ、
仕方がないので適当に奥に座っている地味で目立たない女の子を指名した。

「おっ!!」
店長が何やらちとびっくりした仕草をしたので「どうしたの?」と聞くと、
「この娘は今日が初仕事なんですよ」と言う。
テーブルについた彼女も
「始めまして。私は昨日北京にやって来たばかりで今日が初出勤です。
至らぬところもあるでしょうがお許し下さい」
とお辞儀をする。

見れば素朴で、こんな商売にはまるで似合わないような娘である。
「いくつ?」
聞けば20歳だと言う。
どんな家庭の事情でこの仕事を余儀なくされたのであろう・・・

ワシはこの後打ち合わせがあり、
人と会わねばならないので「持ち帰り」などとうてい出来ないが、
飯をまだ食ってないので、連れ出して一緒に飯でも食うと言うのはどうだろう。

やり手ババアのママさんに聞いてみる。
「300元払えばいいわよ」
キャバクラの店外デートのようなもんか・・・

よし!じゃあ300元!
最近金があるのでつい無駄遣いをしてしまう・・・
アホな男である。

「じゃあ着替えて来させますから」
ママさんが彼女を裏に連れてゆき、しばらくして私服に着替えて戻って来た彼女は、
どっから見ても「田舎から出てきたばかりの素朴な女の子」である。

思えばWに初めて香港の夜総会に連れて行かれた時、
なかなか「女の子を選ぶ」と言うことが出来ず、
キレたママさんに「あんた結局どう言う女の子が好みなの!!!」と言われ、
「うーん・・・素朴な女の子・・・」
と答えたら「んなんがこんなとこにおるかい!!」と大笑いされたことがあったが、
思えば彼女こそ希少な「素朴な女の子」そのものではないか・・・

Jazz-yaに連れてゆき、とりあえずカクテルと飯を頼んだ。
「君の初仕事に乾杯!」
男は金持ってるとちとかっこいいことが出来て素敵である。

差しさわりのない程度に聞いてみる。
「なんでこんな仕事始めようと思ったの?」
別に言えることだけ言えばいい。飯を食い終わったらそのまま別れて、
恐らくまた会うことはあるまい。ワシはただの彼女の初めての客なのである。

身の上話を聞いてるうちにちょっと説教癖が出てしまう。
「でもさあ、あんたこの仕事がどう言う仕事かわかってんの?
もしこのまま俺があんたと寝るって言ったら寝なきゃなんないんだよ。
わかってんの?」

彼女の顔が少し曇る。
しばしの沈黙・・・
場が持たなくなって口を開くワシ・・・

「でも、どんな生活にだってそれなりの幸せはある。
問題なのは覚悟を決めて飛び込むかどうかだよ。
覚悟さえ決めればどんな生活にだって絶対それなりの幸せはあるからね」

Jazz-yaのキャンドルの炎のせいか、初めて飲むカクテルのせいか、
彼女の頬が少し赤らんで、目が心なしか潤んでいるように見えた。
都会の華やかなバーの雰囲気のせいか、初めて飲むカクテルの酔いのせいか、
彼女がだんだんと能弁になる。

「嬉しい。今日は私の記念日。今日のことは一生忘れない。私、頑張る!」
彼女と乾杯する。

「俺は友人が夜総会を経営したりしてるんでこの商売のことはだいだい知っている。
この商売の女の子の末路がどう言うのかも知っている。
最後には落ちぶれていなくなってしまうか、
生き残ってあのやり手ババアのママさんとなって別の女の子で稼ぐか・・・
どっちにしてもこの世界に住んだら女の子はすぐに変わってしまう。
お店にいただろ、あの派手な女の子。
あれがこの世界のプロだよ。ああじゃないと稼げない。
あんたもいつかああなってしまうのか、それもいいだろう。
でもあんたの初めての客は素朴な女の子が好きっつう変な客だった。
君の今が好きだった。
その初めての変な客からのささやかな願いを言わせてもらうと、
出来ればあんたにはこのまま変わって欲しくない。
でもそれもきっと無理な話だろう。だからせめて
今の素朴なあんたを好きだった変わった客がいたんだ
と言うことを覚えていてくれればそれでいい」

彼女の初めての客は、彼女に300元を渡してタクシーに乗せ、
自分は次の打ち合わせ場所へと向かって行った。
方向も彼女は南側、自分は北側。まるで反対方向である。
生きている世界もまるで違う。もう会うこともないだろう・・・

しかしまるで接点のないこのふたりを、携帯電話のショートメールがつないだ。

「昨日はありがとう。いい思い出になりました。あなたの仕事が順調であることを願います」
お決まりの営業メッセージである。
お決まりの返事を返してそれで終りのつもりだったが、
アホなワシはどうしても彼女のことが気になって仕方ない。
「どや?客がついたか?生活は順調か?」
いらぬ心配をしてメールを送ってしまう。

メル友をやってるうちにいろんなことがわかって来る。
彼女の収入は指名されて初めて彼女に入ってきて、
誰からも指名されなければボーズ、つまり一日ひな壇に座っててノーギャラである。
世の客はどうせ金を払うなら派手でセクシーな女の子を選ぶので、
彼女のようなキャラクターではなかなか勝ち目がない。
しかも彼女の一張羅のドレスや化粧品なども全て自前で用意せねばならない。
考えてみればキツい商売である。

「いいよ。飯ぐらい奢るよ」
ある日仕事終りに彼女を食事に誘った。
食事だけの300元でも彼女の収入になったらそれはそれでいい客である。
「初めてのいい客」をやり続けるのも大変である。

田舎から出て来て右も左もわからない彼女と待ち合わせ。
仕方がないので彼女の住んでいるところの近くにする。
彼女が転がり込んでいるホステス仲間のマンションの向かいのレストランに、
彼女はあの時と同じ服を着て来ていた。
それが今回ワシがドラムを叩きに来たスタジオの隣であったのだ。

「よ、この前と同じ上着だね。かっこいいじゃん!」
美的センスがゼロのワシが何とか服装を褒めようとすると墓穴を掘る。

「私・・・着の身着のままで来たからこの服しか持ってないの・・・」

食事をしながら彼女のグチを聞いてあげる。
職場のこと、家庭のこと、そして慣れない北京での生活のこと・・・

「じゃあ友達紹介してあげるよ。
俺の周りは有名人だけじゃなく食うや食わずのミュージシャンがいたり、
いろんな奴がいて面白いよ。
別に自分の職業言わなくてもいいし。
集団就職で来て夜レストランで働いてるとでも言っておけばいいじゃん。
君を見てまず水商売だと思う人はいないよ。
その代わりね、自分の商売を卑下しちゃだめだよ。
好きでやってるわけじゃない、これやらなきゃ生きていけないからやってんだから。
仕方ないんだからあんたが悪いんじゃない。
こんな仕事やってるからってあんたはむしろお天道様に胸張って生きていかなきゃ。
どんな生活にだってそれなりの幸せがあるんだから。それを早く見つけようよ」

そして彼女の「最初の客」は、その頃から彼女の「最初の友達」となった。
毎日のように彼女はひな壇からメールを書いて送って来たが、
彼女のグチは日増しにひどくなって来た。
ある時にはまた仕事終りに彼女の家の近所まで行って飯を食ってグチを聞いてあげた。
友達なのでもちろん300元も払わない。

そんなある日、ぷつんと彼女からのメールが途切れた。
仕事が終わってもメールが来ず、心配して電話をしても電源が入ってない。
そして次の日の昼間も連絡が取れず、夜になってひな壇からメールが来た。

「ごめんなさい。仕事終わって電話を同居人に渡したまま朝まで帰らなかったから・・・」

ピンと来た。彼女は初めて客をとったのだ・・・
それはそれで喜ばしいことではないか・・・ちょっと複雑な心境ではあったが・・・
そしてしばらくしてひな壇からメールが来た。

「この街はなんてひどい街なの・・・
私はここに来てからひとつたりともいいことなんてなかった。
世の中ってどうしてこんなに不公平なの。
私だけがどうしてこんなに辛い思いをしながら生きていかなきゃなんないの」

一生懸命慰める。
「どんな生活にだってそれなりの幸せがあるから」
すぐに返事が来た。
「幸せですって?私には遠すぎるわ・・・あまりにも遠すぎて絶対につかめない・・・」

あまりにも可哀想で、彼女にメールを送った。
「じゃあ今日仕事終わったらぱーっと行こうか。家の近所まで迎えに行くよ」
心なしか彼女のメールの表情がぱっと明るくなった。

そして真夜中の1時。彼女が仕事が終わったとメールが来る。
タクシーに飛び乗るワシ・・・
家に着いたとメールが来る。
もうすぐ着くよとメールを送る。

しかし家の近所に着く頃にメールが途絶える。
電話をかけても通じない。

当時はまだ寒かった・・・
門の前で1時間彼女からの連絡を待った。
でも連絡が取れず、ワシはあきらめて家に帰った。

南側からワシの住む東北側はタクシーでも非常に遠い。
道のりの半分を過ぎた頃、彼女からのメールが届いた。

「やっぱり来てくれなかったのね。ずーっと待ってたのに・・・じゃあおやすみなさい」

急いで電話をするワシ。
「やっとつながった!!ずーっと電話してたのにつながらなかったよ。
メールも送ったのに・・・」

聞けば「家に着いたわよ」の返信以来全てのメールが不達であったらしい。
回線が悪いのか、その時だけワシの電話にも電話がつながらなかったらしい。
不思議な話である。

「俺は寒空の下、1時間ずーっと君のこと待ってたんだ・・・」
にわかに信じがたそうな彼女。
「じゃあ今から戻るよ。外で待ってて」
しばらく考えてから彼女は優しくこう言った。

「いいの。今日はもう遅いから寝ましょう。また今度ね」

それからワシは日本に帰ってしばし仕事をし、
忘れかけてた頃、久しぶりに彼女からメールがあった。

「私・・・明日故郷に帰ります・・・」

ワシは急いで彼女と連絡を取って呼び出した。
「今日は門のところまで出て待っててくれ。前回みたいなことがないように。すぐ行く」

彼女はまた同じ服を着て門のところに立っていた。
1ヶ月働いて彼女は自分の服ひとつ、
靴下ひとつも買うことが出来なかったのである。

「明日帰るんだったら俺が北京で一番綺麗なところに連れて行ってやる」
皇帝の保養地だった后海と言う湖のほとりを手をつないで歩いた。
ベンチに座って真夜中の湖を見ながら語り合う。

「この街に幸せはなかったわ」
湖を見つめて悲しそうにつぶやく彼女。
「バカヤロー。幸せなんかなあ。つかむもんじゃ!努力もせんで何の泣き言じゃい!」
ちょっと興奮して奮起を促すワシ・・・
「でもね、世の中は平等じゃないの。幸せな人もいれば絶対幸せになれない人もいるの」

「アホか!世の中が平等なわけないやないかい!お前と俺が平等か?
お前が女である全てを捨てて稼ぐ金を俺はドラム叩いたら1日で稼ぐことが出来るんや。
誰が世の中平等や言うた?んなもん絵空事や。
でもお前よりも不幸な奴も俺はたくさん知ってる。
この国は特にヒドい。そんな話は珍しくないぐらいどこにでも転がってる。
でも低く生まれた奴はみんな不幸か?高く生まれたらみんな幸せか?
低く生まれても幸せな奴もいれば高く生まれても不幸な奴もいる。
上を見ればきりがないし、下を見てもまだまだ下はいる。
この自分の世界だけを見て、その世界の自分だけの幸せを探すんじゃ。
絶対に見つかる。見つからんのは努力してないからじゃ。
神様は人を確かに不平等に生んでるけど、幸せをつかむ権利は平等や。
ただその幸せの種類が人によって違うだけや。
見つけたらそれはその人だけのかけがえのない幸せや。違うか?」

ワシはひとりの娼婦の物語を彼女に話した。
一人っ子政策の二人目の子供である彼女の家庭は、
その罰金のためにただでさえ貧しかったのが、
お兄さんが犯罪を犯して刑務所に入れられ、
その命を守るために毎年多額の賄賂を送らねばならない。
その天文学的なお金を彼女は北京まで来て身体を売って稼ぐ。
しかし働いても働いてもお兄さんは出獄できない。
父親からは毎日催促の電話。
もう生活力もない両親。その生活も全部彼女の稼ぎの肩に乗っかる。
怒鳴り散らす彼女。金、金と毎日電話をかけて来る親・・・
この世の地獄である。

その金のためにありとあらゆることをやって、その娼婦は22歳でもうぼろぼろであった。
それに比べたらこの新米娼婦なんぞいい方である。
このまま故郷に帰って、落ちるところまで落ちずに
それなりの幸せをつかむことは出来ないことではないようにワシなんかは思うが、
しかし所詮は違う世界の人間が傍観して勝手なことを言ってるだけのことである。
まさしく「住んでる世界が違う」のである。

しばし無言で湖を見つめる。
「じゃあ私、帰る・・・いろいろどうもありがと・・・」
彼女が立ち上がる。
つないだ手を離したらもう二度と戻って来ないような気がしたが、
ふたりはその手をそっと離した。

最後にワシはまた彼女に
「どんな生活にでも絶対にそれなりの幸せはある」
と言った。
ちょっと苦笑いを見せて彼女はうなずいた。

タクシーを止めて彼女を乗せる時に、最後にちょっとだけ聞いてみた。
「ねえ・・・あの日・・・もし電話が、メールが通じてたら・・・俺たちひょっとして・・・」

彼女は何も答えず、ちょっと背伸びをしてワシのほっぺにキスをしてタクシーに乗り込んだ。

「ええ話やないの・・・」
3曲のドラム録りは順調に終り、
飯を食いながらミュージシャン仲間に思い出話を語っていた。
一番女遊びが激しいロックミュージシャンEが俺にこう言った。

「でもな、娼婦はしょせんは娼婦よ。お前と彼女は住むところが全然違う。
お前はバカだからわかっとらんかも知れんが、彼女はじゅうじゅうわかっとるよ。
男はなあ・・・金を持つと変わるんだ。女はなあ・・・金がないと変わるんだ」

今ではめったに来ることはない南側の懐かしい街角を後にした。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:47

2004年06月05日

2週間まるまる寝れないほどの忙しさの中・・・

まぐまぐからお知らせメールが来た。
「あなたのメールマガジンはもう3ヶ月発刊なさってません。どうなさったのですか?」
えらい親切なメルマガ発刊サイトである。

そうかぁ・・・そんなになるのかぁ・・・

思えば非常に忙しかった。
死ぬほど忙しかったと言えよう。

それもひとえに零点(ゼロ・ポイント)のプロデュースのせいである。
(関連ネタ)https://www.funkycorp.jp/funky/ML/78.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/88.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/90.html
https://www.funkycorp.jp/funky/ML/92.html

今年中にいろんな企画をやるから、お前は全部で35曲年末までにアレンジせい!
と言われているので、ヒマを見ては・・・と言うより、
もうかれこれ数ヶ月間毎日常にそれをやっている。

メンバーにもごたごたがあり、ギターとキーボードが脱退したが、
なんか影ではほとぼりが冷めたら復活とかナンだかわけがわからない。
ある日なんぞ、なんか「音楽賞の授賞式があるからお前も来い」と言われ、
ベストプロデューサー賞かなんかでも頂けるのかと思っていそいそついて行ったら、
何のことはない、いきなり授賞式でのライブであてぶりでキーボードをやらされる。
もちろんノーギャラである。

ま、いいのよ。あてぶりだし、自分のアレンジした曲だからだいたい覚えてるし・・・
ノーギャラでも飲み食い豪勢なの奢ってもらえるし・・・

でもそんなアホやってるからますます忙しいのよね・・・

XYZのツアーで来日し、また北京に戻った時、いろんな業界人からこう言われてびっくりした。
「ファンキー、お前はついに零点(ゼロ・ポイント)のキーボードになったのね」
なんじゃそりゃ?と思ったら、その授賞式の模様は全国に放映され、
新聞、ニュース、ネット記事の全てで
「零点(ゼロ・ポイント)の新しいキーボードは日本人!!!」
と報道されているではないか・・・

キーボードなんか弾けへん!っつうねん!

北京に戻るや否や、
「ファンキー、すぐ新曲をレコーディングするぞ!」
メンバー脱退の痛手を払拭するために新メンバーでの新曲をすぐにでも発表せねばならん。
「新メンバーって・・・誰?・・・」
まあキーボードは弾くことは出来んが、MIDIで打ち込むならなんとかなるなあ・・・
ギターはスタジオミュージシャンでも指すかぁ・・・
とかいろいろ考えつつ、実のところ結局は
当分の間は新メンバーではなくサポートメンバーなので誰でもいいのよね。

寝ずにアレンジを1曲仕上げ、翌日にリハーサル。
そこで更にアレンジを固めて、翌々日にレコーディングと言う予定が、
当日のリハーサルでメンバーから新たな新曲が提出され、
「やっぱこの曲でいこう」
と言うことになる。

・・・ワシの夕べの徹夜はどうなんの?・・・

リハ終了後、すぐさままたその曲のアレンジに突入し、
スケジュールはその分確実に後ろ倒しとなる。
しかしワシは次の日から日本の某企業CMソングのレコーディングが入っており、
それは日本からその企業の部長さんまで北京にやって来てレコーディングするので、
中国と違っておいそれとスケジュールを動かすわけにもいかん。
「すまん!ワシ・・・明日から別のレコーディングなんで・・・」
と言っても聞き入れてくれる相手ではない。
「ワシらの命運をかけたシングルと他の仕事とどっちが大切じゃい!」
と一喝されるのかと思いきや、
「いいよ、いいよ。それ何時に終わるの?それ終わったら夜中にレコーディングしよう」
と来る。
昼間ワシ自身がドラムを叩いて、
そのセッティングのまま零点(ゼロ・ポイント)のドラマーが叩けば
レコーディングもスムーズだと言うわけである。

ほなワシ・・・いつ寝るの?・・・

かくしてその日本企業のCMソングのレコーディングと
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングは平行して続く。
その日本企業のCMソングは、
その日本人なら誰しも聞いたことのあると言う有名な曲であるが、
その企業の部長さんが女子十二楽坊の大ファンであると言うことと、
女子十二楽坊は日本の一種のトレンディーな流行ではないかと言うことから、
その会社がわざわざ直接女子十二楽坊に依頼をしたところ、
当然のごとく目の玉が飛び出るぐらい高い値段だったそうで私に依頼が来た。
「ファンキーさん、すみませんが女子十二楽坊風にアレンジして下さいな」
と言うもの。

・・・ワシって一体・・・

中国民族楽器オーケストラのアレンジは非常に難しいので、
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが終了した朝方からも譜面を書く。
ぎりぎりで間に合って昼過ぎにスタジオに入って、
用意していた女子四楽坊とも言うべき綺麗どころの女子民族楽団に演奏してもらう。
綺麗どころでも用意してないとやってられないところなのでせめてもの憩いだが、
残念ながらブッキングされた笛だけは男性であった。

CMソングは全部で5バージョン、
同じ曲を全部違うアレンジでレコーディングせねばならない。
正味5曲分違う曲をまるまるレコーディングするのと同じ仕事である。
修羅場のようなレコーディングを、綺麗どころと共にまる一日、
天国なのか地獄なのかようわからん状態でスタジオに缶詰になる。
夜の9時になると零点(ゼロ・ポイント)のメンバーがスタジオに現れる。
これが終わればすぐさまベースとギターを録ろうと言うのである。

こちらのレコーディングでは待たされるのも日常茶飯事だが、
その代わり待たすことも「よし」とされるので、
こちらが終わるまでみんな気長に待ってくれるが、
気ぃ使いの日本人としてはどうも気が気ではなく胃が痛い思いをする。
11時頃やっと民族楽器を録り終えてほっと一息つくヒマもなく
零点(ゼロ・ポイント)のレコーディングが始まる。

終われば朝なのだが、また朝から今度はそのCMソングのTDである。
都合のいいことにメンバー同士が意見の対立でもめ、
ギターは録らずにベースだけで早めに終え、その日は少しは寝ることが出来た。
そのTDさえ終われば少しは時間に余裕が出来るはずである。
思えば本当ならその日にWINGが北京でのライブのためにやって来て、
ワシが例によってバックでドラムを叩かねばならないはずであったのが、
スケジュールがドタキャンで後ろにずれ込んだ。
これがあったら確実に死んでいただろう。
ドタキャン万歳!!

TDが終わって飲みに行く。
翌日からついに開放されるかぁ!!!!と思いきや、そんなはずはない。
朝方、零点(ゼロ・ポイント)から電話が入って来て、
「今日じゅうにギター録るぞ!ギタリストをブッキングしろ」
ワシがするんかいな。お前ら自分でするんとちゃうのん?
「バンドが言うとヤツら絶対ウンとは言わんから、お前が仕事として発注しろ」
ま、いろいろあるのね。
朝っぱらから電話番号調べて、一番売れているロックギタリストをブッキング。

そうして次の日もスケジュールは埋まるのだが、
「これが終われば開放される」
を馬の頭にぶら下がったニンジンにして何とか頑張れる。
ギター録りが終ると、すぐさま歌入れが開始される。
それが終われば、次の日とその次の日のうちにTDを終わらせればよい。
スケジュールについに白いところが出来るわけである。

「あのう・・・ワシ・・・歌入れにおってもしゃーないから先に帰ってもええやろか・・・」

歌入れをぶっちしてついに夜寝れる生活である。
「やったー!!!!」
とばかり帰宅に着こうとすると、「ちょっとファンキー」と呼び止められる。イヤな予感・・・

「明日天津でまた授賞式があるから・・・」

ワシは行かんぞ!行かんですむもんならワシは絶対に行かん!
どうせあてぶりでまたアホ面さげてキーボードを弾いてるぐらいならワシは少しでも寝る!

あまりに可哀想と思ったのか、さすがに
「じゃあ行くか行かないかは明日また連絡するよ。今日はゆっくり寝なよ」
と言う零点(ゼロ・ポイント)。

かくしてやっとゆっくり眠れると思ったら朝方電話で起こされる。
「喜べ!お前は天津に来なくていい」
そんなことで朝から電話かけてくんなと思ったら、
「バンドみんなで聞いたらやはりドラムから録りなおそうと言うことになった。
お前はスタジオ押さえて、先にドラムをセッティングして、ワシらの帰りを待て!」
ドラムを録り直すっつうことはそれに合わせてベースもギターも全部録り直すってこと?・・・

かくしてワシの寝れない日々は続く・・・
しかしよく考えたら数日後にはJazz-yaリニュアルオープンで、
日本からあの、憂歌団の木村はんが北京にやって来るのじゃ・・・
おりしもJazz-yaがオープンしてこの日で9周年。
そして大々的にリニュアルしたJazz-yaで木村さんを呼んで二日間ライブを行おうと言うもの。

譜面もまだ書いてまへんがな・・・

いつ譜面を書くんやろ・・・と思いつつ、刻一刻とライブは迫る。
「天津から帰れんようになったのでドラム録り今日は中止!」
電話がかかってくるが、こうなればその日にスケジュールが空くのが嬉しいと言うより、
スケジュールがもっとずれこんでライブと同じ日になる方が恐ろしい・・・

「ファンキー、明日はまた一緒に天津に行ってもらう」
必要じゃないものは絶対にやらん!と行って置いたにもかかわらず、
「絶対に必要だ!」
と言われるので一緒に着いて行けば、そこは盛大なサッカーの開幕式である。

そう言えばそのテーマソングを去年アレンジしたなあ・・・
オープニングであてぶりのパーカッションで彼らと一緒にそのテーマソングを演奏する。

「原曲にパーカッションなんか入ってまへんがな!!!」

何故か脱退したはずのメンバーも一緒に演奏している。
ええのん?脱退したんとちゃうのん?と聞くと、
「サッカーを愛してるからいいんだ」
と言う理由だそうだ・・・

そしてワシは何故かそこで原曲にも入ってないパーカッションを叩く・・・なんで?・・・

この最大の晴れ舞台でワシへのせめてものお礼と言うことか・・・
でもワシ・・・そんなヒマないんですけど・・・

終了後すぐにまた車に乗せられ、北京に戻る。
と思いきや、テレビ局の連れていかれて何か歌番組の収録。
着くやいなやいきなりギターを渡され、すぐに本番収録。

ギター・・・ですかぁ?・・・

昼間のサッカースタジアムと同じ曲だが、
同じあてぶりでも、原曲に入ってないパーカッションと違って、
ギターと言えば曲を完璧に知らな指が合わんやないの・・・

「キーは何なのキーは?」

せめてリフのあてぶりぐらいはポジションぐらいあっておきたい。
ベースのヤツに聞くが、「俺も忘れた・・・」とのこと。

ワシ・・・一体どうすればいいの・・・

サビのメロディーを一生懸命思い出し、ボーカルのキーと照らし合わせ、
大体このキーだろうと言うポジションでいきなり本番が始まる。
ワシがギターを持つ姿なんぞ思いっきりブサイクである。
橘高を想像して何とか頭を振ってごまかそうとする。

でもやっぱブサイクはブサイクやろうなあ・・・

だが問題はギターソロである。
どんなソロだったかは自分がディレクションしてるからだいたい覚えているが、
それをあてぶりとは言え弾きマネなんぞ出来るはずがない。

いきなりブルースギタリストごとく、恍惚の表情で、せめて顔で表現しようとする。
願わくばカメラは指先のアップではなく顔をアップにしてくれることを祈って・・・

何がなんだかわからないまま本番が終わる。
こちらでは売れてるバンドはカメリハもサウンドチェックもないのである。
「ほなさいなら」
みんな三々五々解散する。
あてぶりも基本的にノーギャラらしいが、
せめてものお車代を渡すスタッフが笑いながらワシにこう言った。

「ファンキーも、ギターっつう顔じゃないわのう・・・」

情けない話である。
これがまた全国放送され、それを見た数億人の中国人は、
零点(ゼロ・ポイント)の新しいギタリストはこんなアホ面だと思うのであろう。

そんな中、木村さんがついに北京に到着した。
譜面は結局まだ半分しか出来上がっていない。
とりあえずは食事と酒にご招待する。
朝から晩までぐでんぐでんに酔っ払ってらっしゃる人だと思ってたら意外と
「ぼ、僕はそんな人が思ってるほど強いわけじゃおまへんのや」
と言うのでびっくりしていたら、
その日に焼酎のボトルが既に数本空いてしまったらしい。

マネージャー曰く、
「この人は暇やったらパチンコばっかしてまっからなあ」
と言うのを受けて、
「あ、メニューに”パチンコ”入れるん忘れた!!!」
と口走ってしまったらすかさず木村はん、
「あの曲は今は歌えまへんのや。昔のパチンコへの情熱と今とは違って来てしもたんで」

そうかぁ・・・あの偉大な名曲にもいろんな歴史があるんやなあ・・・

そんなことも言うとれん!家帰って譜面書かなアカンのや!
失礼して中座させてもらう。徹夜で譜面書きである。
電話が鳴る。零点(ゼロ・ポイント)のメンバーである。
「ファンキー、TDのスケジュールは決まったか?」
仕方がないのでライブ当日の同じ日に平行してTDである。
リハと本番の間に抜けてスタジオに行き、また本番が終わってからスタジオに駆けつける。

んなことやってたら死ぬわ!・・・

もうかれこれ2週間ろくに寝ていない。
それでもステージには穴は空けられない。
ましてはワシにとっては木村はんとは夢の競演である。
ステージ上、モニターから聞こえる木村はんの歌声が心に染みる。
ステージももう後半、
こちらで用意した北京のJazzミュージシャンがムーディーなイントロを奏で・・・

「シカゴに来て~2年がたった~だけどいいことありゃしねえ~」

ブラシをこすりながらこの瞬間にいきなり涙がどどっと出て来た。
木村はんから頂いたリストには入ってなかったが、
ワシからリクエストしてたっての願いで今回演奏リストに入れてもらった曲である。
続けて歌から始まる
「嫌んなったぁ~もうダメさぁ~」
でもうノックアウト。

「ワシ・・・何をやっとんのやろ・・・」

徹夜して譜面書くのも音楽である。
スタジオブッキングしてバンドをプロデュースするのも音楽である。
企業のCMソングを一生懸命アレンジするのも音楽である。

でも木村はんは・・・この”天使のダミ声”は、ずーっと違うところで生きて来た。
「俺はこう生きて来たんやし、これからもずーっとこう生きてゆくでぇ・・・
文句ありまっか?・・・いやーすんまへんなあ・・・そう言うこって!すんまへん!」
そう言いたいのか言いたくないのか、笑ってんのか泣いてんのか、
本気なんだか冗談なんだか、悲しいのか楽しいのか、そんな彼の音楽の、
いや人生の全てが歌にある。

天才や!

招待した北京の音楽友達、演奏しているJazzミュージシャン、
そして75人しか入れない限定の客全員がこの天使のダミ声に舌を巻いた。

終わってから無性に酒が飲みたくなった。
スタジオでは零点(ゼロ・ポイント)がワシの到着を待っている。
が、しかしワシは酒を飲む。
途中抜け出してスタジオに行き、スタジオのロビーでもまた酒を飲む。
一段落ついて戻って来てまた酒を飲む。

見るもの聞くもの全てが輝いて見える。
雲南省から帰って来た飲み友達のMeilingまでもがやたら美人に見える。
翌日になると全ては夢と消えるのかも知れないが、
今日だけはこの全ての輝きを身体いっぱいで味わって置きたい・・・

前日一睡もしてないのでその日はいきなり電池が切れるように潰れたらしい。
朝方になって胃痛でうなされている自分がいる。
「飲み過ぎじゃ!あのトラックと、このトラックをUndoすれば直るはずじゃ!」
目の前にはプロトゥールスの画面が現れて、
エンジニアに一生懸命胃痛の原因となったトラック(なんじゃそりゃ!)
をUndoして消去するように中国語で指示している。
目が覚めてアホかと思いならが便所で吐く。

高校生かい!

そう言えばワシは高校のときに初めて憂歌団を見て、
「大学行かずに大阪行ってブルースやるんや!」
と言って担任の先生を困らせたなあ・・・

翌日、そんなワシの幼き頃のアイドルは、昼間から万里の長城で観光。
ワシはと言えばまた別のレコーディングに呼ばれてドラムを叩く。
「まだこの上、別の仕事をするかい!」
しゃーないのである。音楽商売も言わば水商売。
全然仕事がない時もあればある時にはいろんな仕事がいっぺんに来る。
これで死んでも仕方がない。自分で選んだ道なのである。

思えばRockもJazzも、全ての音楽のルーツはブルースにある。
それにちょびっとリズムがついたのをおしゃれに「リズム&ブルース」と言う。
それを白人がやったら「ロック」と言われた。
黒人に言わせたら
「ど、ど、どんなんでもええねん。自分らしかったらそれでええねん(木村はん風)」
っつう状態を彼らはスラングで「ファンキーである」と言うらしい。
「お○○のスエた(ベタな関西弁やあ)ような匂い」を表すスラングでもあると言う。

だからワシはファンキー末吉と名乗ったのよ。
まあワシにはワシのブルースがあるわいな!!お○○スエててすんまへん!

ふぁんきーお○○スエ吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:53

2004年01月22日

労働ビザが取れた!ワシは不法就労で家を買った男・・・

今日は中国のお正月「春節」

中国に関わり始めて今年で14年。
日本には旧正月を祝う風習がないので、結局毎年日本で何か仕事が入り、
この13年間一度も中国で春節を過ごすことがなかった。

日本にいる中国人は、日本では普通の日と変わらないこの日に、
祖国の春節を想いながらいつものように仕事をし、寂しく年を越す。
この13年、そんな中国人と共に餃子を食い、酒を飲み、
ささやかなる春節を日本で過ごすワシだったが、
今回ついに初めて中国で春節を過ごす。

でも一体どうやって過ごせばええんじゃろ・・・

何せ初めてのことなので皆目わからない。
日本で正月を過ごしてから北京に戻って来たらこちらは年末気分で、
春節までにレコーディングを終えようと言うのでスタジオに駆り出される。
ひどい時にはスタジオのハシゴである。

しかしドラマーはドラムセットがあって初めて仕事が出来るので大変である。
S社長のスタジオでレコーディングしてくれれば
ワシのセットが常備しているので身ひとつで行けばいいのだが、
ここの製作物でない場合はなかなかそうもいかない。

パール楽器に頼んで中国用にひとつドラムセットを作ってもらい、
台湾経由でこちらに送ってもらい、
プロデューサーL(女子十二楽坊のプロデューサーとは別)
のスタジオにも常備しているのだが、
結局それも別のスタジオでレコーディングと言うとドラムセットを運び込むしかない。

引越し屋を雇って運ばせる。
人夫が3人と運転手がトラックでやって来て180元(約2500円)なので安い!
プロデューサーLのスタジオからドラムセットを運んだら、次の日が掛け持ちとなった。
仕方ないのでS社長のスタジオからLのスタジオにドラムセットを運び込む。
結局Lのスタジオのドラムセットが入れ替わってしまったのだ。

そしたら今度はS社長のスタジオから連絡が来てドラムセットが必要だと言う。
ドラムセットはマイクまでセッティングしたら動かせないので、
今度はワシの家にあるドラムセットをS社長のスタジオに運び込む。
東京のドラム部屋を解約し、山ほどあったドラムセットを全部北京に送ってあるのだ。
その総重量650kg・・・
日本に2セットを残したままこちらには5セットあることになる。

結局それぞれのスタジオのドラムセットが入れ替わり、
最終のレコーディングが終わったらまた引越し屋を雇ってもとに戻そうとしてたら、
結局晦日前までレコーディングが続く・・・
こちらのブッキングは
「今から空いてる?一曲叩いてもらいたいんだけど・・・」
だから仕方ない。

レコーディングが終わったら大晦日なので
今度はドラムを戻すべきスタジオが空いてない。
仕方がないので正月明けにまとめてやろうとドラムを片付ける。
電話が鳴る。
「年末だしメシを食おう」
出かけてゆく。
酒を飲む。
酔い潰れる。
「大晦日は俺の家で一緒に年を越そう」
プロデューサーLも、去年プロデュースした零点のメンバーもそう言ってワシを誘う。

ドラム終わったら今度は飲むのに忙しいんですけど・・・

結局プロデューサーLの家に夕方からやっかいになる。
親戚中が集まって賑やかに過ごすのかと思ったら、
想像と違い、彼女と、田舎から出てきた彼女の母と、家族水入らずで過ごす。
北京にいる3兄弟がそれぞれ自分の「家」で家族水入らずで過ごすのだそうだ。

こんな早い時間に呼び出されて何をするのかと思ったら早々とメシである。
早い話、食うと飲むしかやることがない。
山ほどのご馳走と酒が並ぶ・・・
それを早くから年を越すまでずーっと食いっぱなし、飲みっぱなしなのである。

テレビでは春節晩会(日本の紅白のようなもの)が始まる。
数億人が見るこの番組に出ることは
やはり歌手としては大きなステイタスになるのであるが、
最近は日本の紅白と同じように辞退する歌手も増えていると聞く。
紅白に2度出場させて頂いた時、
年末の3日間がびっしり押さえられるのにはびっくりしたが、
こちらでは1ヶ月がごそっと押さえられると言うから大変である。

プロデューサーLの家でも別にテレビはつけているが見てるわけではない。
「ダサくて見る気がしない」らしい。
日本の紅白で演歌歌手が浪々と歌うのと同じで、
民謡とか革命の歌とか、「いかにも中国」と言うのがワシには面白いが、
やはり若い世代にとっては古臭すぎるのか・・・

料理に箸を付けながら更にどんどん料理が作られてテーブルに並ぶ。
はっきり言って食いすぎである。
もう食べられましぇーん!と言うのにトドメに餃子が出てくる。

中国では春節の餃子は縁起物。
「1個だけでも食えよ」
と言うので無理して食べるが、これがなかなか旨い!
「中にコインが入ってるのがあるからね。それが大当たり!」
中国では餃子を包むときにいくつかコインを入れておいて、
それを食べ当てた人はその年お金に困らないと言う風習がある。

お金には困っているので是非食べ当てたいもんじゃ・・・

満腹なのに更に食う。
死ぬ思いで10個以上食うが、誰にも当たらない。
「あらあら、あっちの方の餃子だったかしらねえ・・・」
お母さんが更に餃子を煮てくれる。

最初からそっちを煮てくれよ・・・

死ぬ思いで更にいくつか食うがやはり当たらない。
Lの彼女が私のために選んでくれる。
「これよ、きっとこれが当たりだわ。食べてみて」

もう食えん・・・

しかしそう言われて食わないわけにはいかないので食うが、やはりハズレである。
「じゃあ俺が選んでやろう。これが当たりだ。食べてみろ」
Lがそう言うのでまた食う。

死にそうなんですけど・・・

目が回りそうな思いをしながらそんなことを続けてたらついに当たりを食べ当てた。
みんな大喝采!
しかしワシにしてみたら当たったことよりももう食わなくていいことが嬉しい・・・

食い続け、飲み続けでいよいよ今年もおしまい・・・
除夜の鐘はないが、表でいきなり爆竹が鳴る。
年越しは爆竹や花火が鳴り響く中国の正月だが、
火災や怪我が続出するために北京市内では禁止されている。
中国の伝統的な行事だが今では違法行為と言うことだ。

と思ったら年越しと同時に遠くで花火が一斉に上がる。
郊外では合法なので町中に鳴り響く爆竹の音がここまで聞こえているのかと思ったら、
何と大きな打ち上げ花火の山である。
窓から見える郊外の打ち上げ花火はまるで隅田川の花火大会である。

これは凄い!
ひとつの町全部が花火を上げているのである。
春節は北京より地方都市の方が賑やかで面白いと言うがその通りなのであろう。
恐らく中国中の小都市が花火大会となり、その足元では爆竹が鳴り響く・・・
・・・それにしてもケタが違う・・・

こちら北京の部屋では新年のお祝いのショートメールや電話が鳴り響く。
零点のメンバーの家に電話をしてみる。
「お、ファンキー!おめでとう。じゃあうちにおいでよ」

じゃあ予定通りハシゴしますか!
Lの家を早々とおいとましてタクシーを探す。
外の気温はマイナス10度。
隅田川の花火大会とはえらい違いである。

やっと空車が来たが「もう仕事終わったから乗せない」と乗車拒否。
運転手さんも早く家に帰って正月を楽しみたいのであろう・・・

・・・寒いんですけど・・・

身も細るような・・・と言うよりは食い過ぎで太った体が凍える・・・
マジで凍え死んでしまうのでプロデューサーLに家まで送ってもらう。
零点の家に電話をして「タクシーがないので行ったら帰れない」と言うと、
「じゃあ明日来いよ」と言われる。

こんな毎日が続くわけね・・・

日本で正月を過ごし、戻って来たらこちらで正月を暮らし、
そりゃ太るわのう・・・

今年もよろしく。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:15:56

2002年04月02日

CCTVの番組に出演し、ドラムソロを30秒叩かされる

「絆創膏」

先日CCTV4の番組に出演した。
いつものように陳琳(ChenLin)のバックバンドなのだが、
行ってみるとその番組の司会は私の偶像、朱迅であった。

その昔、中国語を勉強しようとNHK中国語会話を見ながら、
そこに出演していたアシスタントの女の子の可愛さを励みに
くじけそうになる気持ちを克服して頑張っていた。
その可愛い女の子もその後はトゥナイト2のレポーターとなり、
山本晋也監督と風俗をレポートしたりし、
最後には自分の音楽番組を持つほどになっていた。

そしてその後、彼女は中国に帰り、
全中国に放映される昼間の人気バライティー番組の司会を始め、
今では結構CCTVの顔となっている。


日本では司会と言うと何だか立場が低そうなイメージがあるが、
中国では
番組の司会イコールその番組の顔イコールその番組のプロデューサーである。
彼女も「自分の番組」として、
いわゆる日本の番組におけるプロデューサーの役割も担っている。

「ファンキー、久しぶりねえ。今日はドラムソロやってもらうわよ。
思いっきり派手なのお願いね!」

偶像に笑顔で面と向かってそう言われたら断れるわけがない。
「今日は当てぶりとちゃうの?」
S社長に聞いてみる。
「曲は当てぶり。ドラムソロだけ生でよろしく」
まあドラムソロは当てぶりに出来ないからねえ・・・

てっきり当てぶりだとばかり思ってたので、
ドラムセットも適当に運んでもらってるので、
パーツとかいろんなものが全部揃っているかどうか心配である。
さっそくステージ袖に組んでみて点検。
ツインペダルを忘れているが、まあその他のパーツは問題なし。

他の出演者の出番が終わり、サウンドチェックとなるが、
当の陳琳(ChenLin)が来てないので、
適当にカラオケのレベルなど合わせて終わる。
じゃあドラムばらして・・・と思ってたらいきなり朱迅が、
「ファンキー、ドラムソロの部分をやりましょ」
やりましょったってソロでしょ、適当に叩きますがな・・・
と思うが偶像が言うので仕方がない。
「まあ、こんな感じでしょうか・・・」
適当に短いやつを披露する。
「こんなに短いの?ダメダメ、30秒ぐらいはやってもらえないと・・・」
まあ偶像が言うんだから仕方がない。
「ほなこんな感じですか・・・」
ちょっとリズムソロっぽい感じのを交ぜて長めにまとめる。
「ダメダメ、そんな遅いんじゃぁ。もっとタムとか使ってものすごく速いやつ」
タムとバスドラの複合6連フレーズのことですかぁ・・・
「これのこと?」
とりあえずやって見る。
「そう、それのもっと速いやつで30秒やって!」
いくら偶像でも筋肉番付じゃないんだからそれでソロはまとまらんじゃろ・・・
「私は日本でも北京のJazz-yaでもファンキーのソロ見てるけど、
こんなもんじゃなかったじゃない。
あの時のブワーって盛り上がるやつ、あれを30秒やって!」

「わかった、わかった。そんな感じでまとめておくよ」
とりあえずお茶を濁してその場をまとめる。
「S社長!すまんが誰かにすぐツインペダルを取りに行かせてくれー」
片足でやるより両足でやった方が当然速いし楽である。
それよりも心配なのがステージの床である。

シンバルやスネアドラム等、叩く楽器はいいのだが、
バスドラムやハイハット等、踏む楽器は、
物理的な力のかかり方が上から下へではなく横にかかるので、
当然押されてどんどんと滑って遠くに行ってしまう。
通常はじゅうたんやカーペット等を敷いて、
それにちゃんとグリップするようにするのだが、
テレビ局の持ち回りのステージではそうもいかない。
「ガムテープ持って来て!」
手馴れたもんで、ガムテープを床に貼って輪を作り、
そこにバスドラ等をひっかけてストッパー代わりにして動かなくするのだ。

S社長がテレビ局の人に手配する。
そして自信満々に持って来たのが「絆創膏」・・・

絆創膏でバスドラが止まるかい!

でもそれしかないと言うからには仕方がない。
絆創膏を何重にも貼り付けてストッパーを作り、
とりあえずドラムを片付ける。


そして本番。
客も入れてオムニバスバラエティー形式で番組が始まる。
子供のマリンバの楽団や、手品まがいのおじさんや、
そんなのに混じって「大物歌手」として陳琳(ChenLin)が紹介される。
ワシはただのバックバンドである。
ほげーっと当てぶりで数曲叩くマネをしてたらいきなり朱迅から振られる。
「さてみなさま、今日は私はびっくりしました。
ドラムを叩いている彼は私の日本の友達で、こんなところで会えるとは奇遇です。
ここでみなさん。今日は彼にドラムソロを披露してもらいましょう。
いかがでしょう」
ワー!キャー!やんややんや・・・
偶像がそう言うんだから客席も盛り上がらねば仕方がない。

ドドパン!トゥルトトントドコドンドバラガッシャン!
ドバラドバラドバラドバラ・・・
偶像のリクエストでタム類を使った速いフレーズを披露すると、
さすがに音楽が全然わからない客席も大盛り上がり!
しかしここでワシはひとつの大きなミスを犯したことに気づいた。
30秒とは実はとてつもなく長い時間である。
まだ叩き始めて10秒足らず、ここで最高潮に盛り上がったんでは
残り後半をどうやって更に盛り上げることができよう・・・

片足でやってたことを今度は両足交えてもっと速く叩くしかない!
ワンバスからツーバスに切り替えて、
ついでに足だけで踏みながら上着を脱いで後ろに大きく放ったり、
ちょっとパフォーマンスに逃げてみたりもする。

客、ちょっとウケる。
ワシちょっと安心する。

しかしここでワシは
実はどんどん間違った方向性に足を突っ込んでしまったことに気づいてない。
足を突っ込んだと言えば、
絆創膏なんぞでこの強烈なツーバスを支え続けられるわけがない。
どんどん遠くに遠ざかってゆくバスドラを追いかけて足をどんどん伸ばしながら、
最後に今度はシンバルも交えた6連ツーバスフレーズでフィニッシュを決める!

客・・・あんましウケない・・・

シンバルが加わったと言えど、
速度が前半の6連と同じなのでこれではインパクトが足りないのじゃろう・・・
ひとしきりやったら乱れ打ちに持って来てエンディング。
これでは尻つぼみになるので、だんだんゆっくりにして行って、
最後の一打をスネアの頭突きでドンと決める!

ドワー・・・・

・・・とここでウケるはずが・・・
くすくす・・・客席の小さな失笑を買ったのみ・・・


しまった!ここの客には場違いのネタであった・・・

まるでバック・トゥー・ザ・ヒューチャーで過去に行った主人公が、
ダンスパーティーの会場でギターソロを弾いて
盛り上がってジミヘンばりに弾いたら客がついて来れなくて
場が一瞬にしてしらーっとなってしまったような心境である。

「君達の時代にはちと早過ぎたようだね」

その時の映画のセリフを口ずさんでその場を後にしたかったが、
残り1曲、まだ当てぶりが残っている。
何事もなかったかのようにアホ面下げて当てぶりで叩く振りする俺。
「ファンキーは本当にユーモアたっぷりの・・・」
変なフォローをする司会者。

偶像は、遠くにありて想うもの・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:10:50

2002年03月16日

当てぶりのカラオケが針飛び・・・

ホワイトデーだったのかぁ!

北京にいてもキャバクラ嬢からのMailが頻繁に届く。
この営業努力は大したもんである。
「ホワイトデーだよっ!
でもファンキーさんには結局チョコあげられなかったものね(涙)」

ええ話やなあ・・・

確かバレンタインデーにはこんなMailが来ていた。
「チョコレートは何個もらえたんですか?」
「ゼロ個!」
胸を張ってそう返信するワシ。
「嘘だ!私は信じないわ!」
数行空いて
「私のチョコ・・・貰ってくれますか・・・」

胸キュン・・・(死語)・・・

飛行機に飛び乗って、チョコもらって、
代わりに数万円の飲み代を払うこともなく、
ワシは北京で仕事してたね!

胡兵(HuBing)と言う歌やドラマに大活躍の男性スーパーモデルがいて、
そのゲスト歌手に陳琳(ChenLin)が呼ばれたと言うことで、
武道館クラスの体育館コンサートだと言うのに
また当てぶりで太鼓叩きに行ってましたがな。

ワシはねえ、こう見えてもちゃんと仕事をしたい人間なので、
テレビなんかと違って
体育館では誰もドラマーの手先まで見えないとわかってても、
前の日にちゃんと全てのフィル・インを完コピして当てぶりに臨んだもんね。

しかしあの日は凄かったねえ・・・
当てぶり用のカラオケCDをミキサーに渡してるんだけど、
ワシなんかそれに合わせてもう完璧に本物のように叩いてるわけよ。
シンバルとか動くものは思いっきり叩き、
タムとかスネアは音が出ないようにリムを叩き、
まあ客席からはそんなとこまでは見えないけど、
スタッフなんかだけにでもちゃんと誇示したいですがな・・・

数曲完璧な(演奏)が続き、
ある曲での後半部分での出来事・・・
途中の静かな部分でいきなりカラオケCDが針飛びしよった!
慌ててサビを歌いだす陳琳(ChenLin)。
急いでサビのドラムを叩く振りをするワシ。
そしたらまたそのサビの途中でCDが針飛びしよった!
何か変だと思いながらサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
リズムの頭を瞬時に聞き取って、また完璧に当てぶりするわし。
そしたらまた針飛びしていきなりエンディングに行きよった!
わけがわからずサビを歌い続ける陳琳(ChenLin)。
ドラムのフレーズでこれはエンディングだと瞬時に判断するワシ。
しかしまたどんどん針飛びして行き、
しまいにはプツンと音が切れてしまった。

ララララーラーラー(サビのフレーズ)・・・プツン・・・あーうー・・・謝々!
「謝々かい!」
と心で思いながらもワシはワシで生音のシンバルの音と、
リムを打つカランカランと言う音が会場にこだまする・・・
「しもた!」
振り上げたスティックを振り下ろすに下ろせず、
そのまま頭ポリポリ・・・

いやー、こんなこともあるんですねえ・・・
ええ経験させてもろた・・・


それにしても今回はたくさん仕事をしている。
着いてすぐ元黒豹のメンバーである巒樹(LuanShu)プロデュースの仕事で
「飛行機代出してやるから5曲叩いてくれ」
と言われて、スタジオに缶詰になっていた。
しかしドラムなんぞはそんなに数時間叩くもんでもないし、
とどのつまりはほとんどが待ち時間である。
昼一番で1曲ドラムを叩いたら、
そのまま「パーカッションも録るよ」と言われて待たされ、
ベースとかギターとか入れるのを待って夜中の2時になってやっと、
「よし、聞いてみるか」
うーむ・・・
「明日やろか・・・」
それを早う言え!

ひどい時にはその日は何もやらずに「今日は帰っていいよ」やもんね。
夜になってから言うな!っつう話である。
ま、それでも結局5日間で予定通り全て録り終わり、
日本のサラリーマンの初任給以上はもろたし・・・
かなりの金額やったなあ・・・そのままS社長への借金で右から左やったけど・・・

今日はいきなり黒豹のドラムの趙明義に呼び出され、
「ちょっとこのバンドの演奏聞いてくれ!
いい曲だろ。ただアレンジが今いちなんだな。
お前にプロデュースを任す!すぐアレンジしてくれ。月曜日にレコーディングする」
ちょっとちょっと、あんた・・・
明後日言うたら今晩DEMO作って、
明日打ち合わせして明後日リハやって、次の日やないかい!

バンドものはメンバーの意見が交錯して大変なので、
いくつかの方向性を用意せねばならん。
大変な作業なのじゃ・・・

頭を抱えてたらS社長から電話が来た。
「明後日、空いてるよね。テレビだよ」
ひえーっ!お前らは何で直前になってからしか言わんねん!

煮詰まったのでメルマガを書いている。
(結局発刊は翌日やけどね)

ま、この国では、結局は何とかなるんだよね。
HPの更新でもしよっと・・・

願わくば今度のテレビ収録では針飛びはしないで欲しいのだ・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:13:50

2002年01月26日

中国政府がワシにバンダナを外させて髪の毛を縛らせるワケ

中国でワシがいつもバンダナを外されて髪を結わえさせられる理由。


昨日は首都体育館で「全球華語音楽大賞受賞イベント」っつうのがあって、
またアホ面下げて当て振り(実際には演奏しないが、振りだけ)しに行って来た。
全地球上での中国語による音楽のNo.1を決めるイベントである。
何と大仰な・・・

主催はChannel[V]と言うアジアNo.1の衛星音楽チャンネル。
全アジアに放送され(何故か日本を除く)、
一説によると5億人が見ていると言う。

「Channel[V]だから今回はバンダナしてもいいんじゃない」
前日、社長が飲みながらそう話す。
初回のテレビは外国人が出ては行けないと言う
中央電視台1(CCTV1)のイベント。
生放送なのでいきなりバンダナで登場!
その時は別に何も咎められなかったが、
次のCCTVのイベントでは、演奏直前に担当者から
「バンダナを外せ!髪も結わえろ!」
と言われた。
S社長の話では
「これは録画だから後でチェックされて咎められる可能性がある」
かららしい。

しかし思い起こして見れば、
この日はロックバンド「黒豹」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」

先日は北京電視台の収録だったが、
同じくバンダナを外されて髪の毛を結わえさせられた。
この日はロックバンド「零点」も一緒に出演してたではないか!
「何で俺だけアカンのや!」

酔ったついでにS社長に詰問してみた。
「まあ、バンダナはやっぱロックだからね。
担当者も後で何か言われてボツにされるのもイヤだからね」
まあもっともである。
「わかった。まあ百歩譲ってバンダナはあきらめよう。
でもどうして俺だけがいつも髪の毛を結わえさせられるんじゃ!」
とワシ。
「長髪もやっぱロックだからね」
と平然とS社長。
「ギターとキーボードのあの新人くんかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれはロックと言うより無精っつう感じだから・・・」
「そりゃ認めよう。
けど一緒にバックバンドやったあのギタリストかて長髪やないかい!」
とワシ。
「あれは美形だし、見ようによってはアイドルかな」
とS社長。
「ほな何でワシだけがいつもアカンねん!」

「ファンキーさんは・・・顔が・・・その・・・ロックだから・・・」

怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!
「ワシは顔がナニでいつもナニさせられてたんかい!」
怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!怒!


かくしてイベントの当日。

今日は武蔵小山で買って来た新しい服を着て事務所に行く。
「お、服が新しいねえ」
とS社長。
「いつも寝巻きじゃダメだろうから買ったんだよ」
「投資したね!」
980円ですけど・・・ま、一応・・・
かく言うS社長は、そのぬぼーっとした新人くんのために
自腹でちゃんとした上着を買って与えていた。

それからギタリストの張亜東を迎えに行く。
アジア最大のヒットメーカーも、
こうして当て振りのアホな仕事に駆り出されるんだから情けない。
これを「北京の友達地獄」と言う。

ところが張亜東の家の前で待つこと30分。
電話をかけようがドアをノックしようが出てこない。
今は夕方の6時半。
彼にとってはまだ起きぬけの時間なのである。
「まったくもって芸術家ってやつはこれだから!」
運転している副社長もさすがにイライラを隠せない。
開演時間が近づいた7時過ぎ、
彼が寝ぼけ眼でやっと起きてきた。

車に揺られて会場入り。
本番はとっくに始まっている。
2万人の観客がひしめく会場の中に入ると見たことのある美人が・・・
「朱迅やないの!久しぶり!」
昔NHK中国語会話のパーソナリティーをしてて、
その後トゥナイト2の風俗レポーターもやってた美人中国人タレントである。
ワシの憧れの人であったが、
今では帰国して中央電視台の看板アナウンサーをやっている。
「あら、ファンキー。久しぶり」
「久しぶりやねえ。今日の司会は君?」
「そうよ。ファンキーは?」
「当て振りのバックバンドでんがな」
「あらそう、どうせ申請してないんでしょ」

ガッビーン!
しかしイヤなことを言う女である。
でも憧れの人なので許す!
しかし彼女が司会と言うことは・・・

げげっ!
主催者のChannel[V]の文字の隣にくっきりと「CCTV」
つまり中央電視台の名が・・・

バンダナを握り締めてたたずむワシ・・・

「お前はバンドのメンバーか。時間がない!すぐに来い!」
係員に連れられて会場のど真ん中の出演者席に座らされるワシ。
「おいおい、ワシを座らせてどないすんねん!」
見ればアジア中から集まったスター達に混じって、
顔がナニでナニなワシがちょこんと座ってテレビに抜かれている。
まあ見ればその歌手のマネージャーも
わけのわからんスタッフも座っているからいいか。


思い出したのが「夜のヒットスタジオ」のひな壇。
あれがイヤな仕事やったのよ、実は。
ワシは決して一生懸命仕事をしてないわけではないが、
決して面白くもないあの空間で、
ぼーっとしている顔を必ず抜かれて、
友人に「末吉ぃ、またおもろなさそうに座ってたなあ」と言われる。
まあおもろないんやからしゃーないが、
それにしてもアイドルと言うのは素晴らしい!
いつ、どのタイミングで抜かれても、
自分の一番いい顔をばっちりテレビに映し出すことが出来る。

ついでに言うとお笑いの人も素晴らしい!
一度プロモーションでお昼のバラエティーに出させて頂いた時、
中野や河合がプロモーションしながら、
何か面白いことを言うや否や、
ダチョウ倶楽部の上島がずずんと前に出てきて、
爆笑のボケを一発かまして司会者から頭を張り倒され、
後ろ向いて引っ込む時に
「よし」
とばかり小さくガッツポーズをしてたのをワシは見逃さなかった。

ワシらこんなプロフェッショナル相手に同じ土俵で勝負出来るわけない!

ワシが芸能界を嫌いな大きな理由である。


ステージでは香港からレオン・ライが何やら受賞して感想を述べている。
その他、同じく香港からフェイ・ウォンや台湾から張恵妹(A-MEI)や、
大陸の名だたる有名歌手達も全て出演している。
何せ「地球上の全ての中国語音楽」の大賞なのである。

ふと前列の席を見ると、
またあの零点の連中が座っていた。
ワシを見つけて嬉しそうに話し掛けてくるが、
ふーむ、奴らも昔のワシのような思いをしとんのかなあ・・・
聞けば奴らが髪の毛を切ったのも、もっと広範囲にテレビに出るためだと言うが・・・
そう言えばワシも昔アフロだった頃、
当時のプロデューサーに、
「爆風が売れるためには、まず末吉のナニをナニせねばならん!」
と髪の毛をばっさり切って「Newファンキー末吉」になったっけ・・・

スタッフがまた呼びに来て、
慌しくステージ下の奈落へ・・・
バンドの場合はここからせり上がりで登場するのだ。
ドラムセットが置かれるだけ置かれているのを急いでそれらしくセッティングして、
張亜東を始め、メンバー達が全員ぎゅうぎゅうに乗ったと思ったらイントロが流れ、
そのまませり上がって口パクで演奏が始まる。
思えばおアホな仕事である。

中国は基本的に円形ステージで、
後方にも満パンに客が入っているのだが、
張亜東側から女の子達の黄色い声が聞こえる
「亜東!亜東!キャー」
お前、歌手よりも声援を浴びてどうする!
ま、コムロみたいなもんですからな、こいつは・・・

演奏が終わるとそのままステージがせりに降りて、
そのまま奈落から楽屋に帰る。
それでおしまい。1本いくらの仕事である。

「俺、もう腹減ったし帰るわ」
張亜東がとっとと会場を後にする。
別にひな壇に座って顔を売ることに興味を持つわけではなく、
「芸術家」は「芸術家」として、仕事は以上!である。

「ワシ、顔がナニでナニなんでもう帰りまっさ」
ワシもとっとと会場を後にする。

気がつけばまだバンダナを巻いたままだった。

ま、顔がナニでもバンダナ巻いてたからいいか・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:50

2001年11月29日

陳琳のコンベンションでドラムを叩くが衣装がない・・・

S社長の仕事はいつも急である。
「26日ヒマ?じゃあドラム叩いてよ」
まあいつものことなので許す!
「じゃあ前日にリハーサルね」
リハーサル?
聞けば今度はレコーディングではなく、ライブらしい。
陳琳の新譜発表記者会見で1曲演奏すると言うことだ。

「記者会見?俺服持ってないよ」

Gパンは北京での暴飲暴食のため穿けなくなってしまい、
ジャージと北京用の防寒着しか持ってない。
かろうじてあるのは、先日ファンキー松田のライブで来て、
「パジャマみたい」と言われた黄色の上下だけである。
ちなみにROCOCOの記者会見で
MIEさんと共にこの服で壇上に上がった俺を見て、
うちの事務所では
「今後事務所が用意した服以外でテレビに出るのは禁止」
と言うことになっていると言ういわく付である。

そう言えば先日常洲で行われた数万人の野外での中央電視台の公開録画、
ここでも結局ステージ衣装はこの黄色の上下で、
アホ面さげてコンガを叩く姿を数億人の中国人が見ることとなり、
Jazz-yaの従業員にまで「サインして下さい」と言われるようになった。
「まるでラテンの人みたいでしたよ」
ラテンの人はこんな黄色の上下は着ませんって・・・


さて、リハーサルの当日となり、
いつものようにスタジオに行くと、張亜東がいた。
フェイ・ウォンのヒット曲などを数多く手がけた
名実共に亜細亜No.1のプロデューサーである。
「ファンキー、この曲なんだけど、お前ならどう叩く?」
レコーディングなの?
S社長の仕事はいつも突然である。
リハーサルの前に彼のレコーディングを入れていたのだ。

それにしても最近の科学の発達は目覚しく、
彼なども自宅のプロトゥールスで作ったデータをCD-Rに落として、
そのままスタジオに持ってきてドラムを録り、
それをまたCD-Rに持って帰って自宅で仕上げる。
便利な世の中になったもんだ・・・

1回目は音決め、2回目は本気で叩いて1発OK!
美空ひばりさんは、テープが回ったら1度しか歌わない
と言う噂を聞いたが、そんな域に達するよう日々精進である。

すぐ終わったのでそのままレコーディングスタジオでバンドのリハーサル。
ギターはそのまま張亜東が弾く。
思えば次の日演奏する陳琳のヒット曲も彼の作曲、アレンジ、プロデュースである。
そしてもうひとりのギターは・・・

前号でも書いたこの会社の新人、曲世聡。
ぬぼーっとした風体でアコースティックギターを抱えて来た。
何を着ても似合わんし、何を持っても似合わん・・・
それなのにあんな美人の彼女がいるなんて・・・

ま、いい。
そつなくリハーサルを終えて翌日の本番。
演奏は全然心配してないが、衣装が心配である。
とりあえず黄色の上下の他に、
安田のタンスから目ぼしい服をいっぱい持って行く。
しかしS社長から全部ダメ出しを受け、結局黄色の上下になってしまう。
「借りて来たみたいでファンキーさんらしくないよ」
とS社長は言うが、実際借りて来たんだから仕方がない。

リハーサル予定時間が過ぎても張亜東は来ず、
「そりゃミュージシャンが11時入りっつうたら起きられないわなあ」
と当のS社長自身が全然焦りもせず、
会場時間が近づいても誰が焦るわけでもなく、
ぎりぎり到着を待ってリハをやり、何とか本番を迎えることが出来た。
バンドはステージの上だが、
張亜東だけは特別にPA席と照明席の間の花道に
客席を隔ててバンドと向かい合うようにセッティングしてある。
まあ彼は言わば
一時期の小室みたいなもんだからフィーチャリングしているのだろうが、
演奏が始まるとそこが記者達にとって一番オイシイ場所なので、
張亜東の後ろに記者達がどどーっと陣取って陳琳を映すので、
当の張亜東本人が逆に全然目立たないのが笑った・・・

ドラムを叩きながらふと隣を見ると、
その曲世聡が相変わらずぱっとしない風貌でギターを弾いている。
服装は・・・・

なんとジャージである!

アホか、こいつ・・・


でも晴れの舞台で緊張することもなく、
相変わらず全然ぱっとしない風貌で淡々とギターを弾くこいつが
少しだけ、いや結構好きになった・・・


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:17:37

2001年11月16日

北京のスタジオに詰め始めた新人シンガーソングライター

北京は激さむである。
いつものように自転車でスタジオにやって来たが、
もう寒くて帰るに帰れないので置いて帰った。


最近この会社が新人のアーティストと契約したらしく、
俺のスタジオ
(と言ってもスタジオの事務所にデスクとパソコンを置いただけだが)
の真後ろのミーティングルームの机を占領して、
その新人がところ狭しと機材を広げている。

聞けばこの新人、東北地方かどっかの田舎モンで、
家財道具全部売り払って、親にまで借金させて、
今やこの機材だけが唯一の財産であるそうだ。

曲を200曲以上書きため、
DEMOテープを持って上京。
いろんなところを回っては見たものの、
「音楽性が、ちと今の中国では先進的過ぎる」
とどこにも相手にされず、
「まあこんな新しい音楽だったらあの会社がいいよ」
とばかりみんながここのS社長を紹介したらしい。
おかげでS社長のところには
いろんなところから同じ彼のデモテープが山ほど届き、
「しゃーない、会うたるかい!」
とばかり面接をしてDEMOを聞いたらびっくり!
「ものすごいええもん作っとるやないかい!」
即契約である。

「君はどんな方向性で何をやりたいの?」
そう言うS社長の質問に新人は一言。
「朝から晩まで音楽やれてたらそれでいいんです」

アホである。

実際、彼は毎日朝からここにやって来ては、
何も言わずにずーーーーーーっとパソコン相手に音楽作っとる。
友達がいるようにも見えず、何か趣味があるようにも見えない。
ルックスもさほどぱっとするわけでもないので、
S社長は誰か女の子かなんかとユニットを組んでデビューさせる腹らしい。


それで最近よく女の子がオーディションに来ているのか・・・

スタジオの本業務が始まる午後2時より前に、
時々得たいの知れない女の子が来ては
中国人エンジニアに歌を録ってもらっている。
(そんなことを知ってるほど毎日スタジオに詰めてる俺もアホだが)


ある時、その中国人エンジニアが俺を呼ぶ。
「ファンキー、VCDの音だけを取り出すのはどうするんだ?」
俺は今やここのパソコンのトラブル処理班である。
この事務所で一番パソコンに強いのが俺だと言うのが情けない!

聞けばその女の子がVCDで曲を持ち込んだので、
そのカラオケトラックを使ってDEMOを録りたいらしい。
「末吉スタジオ」でWavデータに変換してやり、
CD-Rに焼いてあげて自分の仕事に戻る。

しかしまたすぐ呼び出される。
「ファンキー、これだとVCDの歌詞が見れないじゃないか・・・」
知ったことかい!っつう感じだが、
別にヒマなので「じゃあ俺のVAIOで見ながら歌えば」と、
結局ブースの中に入って女の子に歌詞を見せてあげる。
しかも字幕が動くので曲に合わせてスクロールしてあげねばならない。
「歌詞ぐらい自分で持って来い!」っつう話である。

だいたいにして中国人の女の子は誇り高いと言うか早い話、気が強い。
彼女にとっては俺のことはきっとその辺の事務員ぐらいにしか思ってないのだろう。
「ちょっと、字幕がずれてるわよ」
と言わんばかりにツンケンする。

まあ美人なので許す!


俺の人生って一体・・・


それにしてもこの会社は最近わさわさと忙しい。
看板歌手の陳琳(ChenLin)のレコードが発売されるからである。
おかげで日本人エンジニアのKEIZOは、
毎日こもってメインスタジオでTD等をしている。

このアルバムでもまた呼ばれて何曲かドラムを叩いた。
このスタジオには自分のドラムセットがあるし、
ドラム録りなどほんの30分か1時間ぐらいなので楽である。
ギャラも日本のとさほど変わらんし・・・


聞くところによると、
日本では末吉と言うとドラムだけで呼ぶには恐れ多い存在だと思われてるらしい。
アレンジやプロデュースのイメージが強いかららしいが、アホな話である。

先日は成方圓と言う女性歌手からアレンジを頼まれた。
ある年代以上の人なら知らない人はいないと言うから、
私の近い人で言うと未唯さんみたいなもんではあるまいか・・・

先日の私の仕事で、テレビなどでもご一緒させて頂いた、
陳琳(ChenLin)のライブ用音源、
ウィグル族の民謡ラテンバージョンを聞いて、
えらく感激して訪ねて来てくれたらしいが、
あーた!ドラム仕事に比べてアレンジっつうのがどれだけしんどいか・・・

そりゃギャラは数倍にはなるし得意な仕事ではあるのでいいが、
DEMOを作るだけで半日費やして、
そして打ち合わせとデータ製作でまた翌日半日費やして、
その上、必ず「直し」がある。
ドラムなど「直し」されたことがないので非常に苦痛である。
このままレコーディングに更に数日かかるんだから、
同じ時間ドラムだけ叩いてたらどれだけ楽でいくらになるかっつう話である。
要はアレンジとかプロデュースは一生懸命やらんといかんが、
ドラムは普通にやってれば人に喜ばれるから楽しいのである。


昨日はまたドラムで呼ばれた。
別に隣の部屋に自分のドラムがあるんだから、
Mail仕事の気分転換に叩きまくるのは気持ちがいいし、
しかもやっぱ楽である。

ただ困るのは最近「こいつはどんなんでも叩ける」と思われているので、
機械で打ち込んだ奇妙なドラムフレーズを平気で叩けと言われることである。
おまけにこれまで仕事をして来て、
中国人アレンジャーがちゃんと譜面にして俺に渡してくれたことがない。
「Funky!ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて打ち込みのDEMOを聞かされて、
「ほな頼むわ」
と言われておしまいである。

ひどい時には他のオケは全部すでに本チャンでレコーディングされていて、
「この打ち込みをお前のドラムで差し替えてくれ」と来る。
機械と同じぐらい正確に、
しかもそれに乗せて重ねた人間のプレイの揺れにも合わせながら叩く。

もう慣れた・・・


全てが友達関係だけで成り立ってる、
いたって緊張感のない楽しい現場であるが、
先日ひとつの事件が起こった。

その音楽オタクの新人の傍らにとある美女がいたのである。


いやー俺は無粋なことは言わん!
田舎もんの音楽オタクのあいつに、
女友達のひとりぐらいおってもそりゃええじゃろう・・・

頭の中ではそう思うのだが、
どうも生理的にそれを受け付けない。
「いや、この美女はきっと、
メインスタジオでレコーディングしている誰かの彼女に違いない」
そう思って自分の作業を再開するが、
彼女がすっくと立って彼がそれを送っていく姿を見るにつけ、
「人生不公平じゃ!」
とこぶしを握りたくなる。

ジブンノモノニナラナクテモコイツノモノニダケハナッテホシクナイ・・・

そして最近はこいつもスタジオに来なくなった・・・
俺は夜中にひとりでずーっとドラムを叩いていた・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:23:40

2001年10月29日

テロで誰も飛行機に乗らない中、月に北京と日本を二往復

全世界の人がなるだけ飛行機には乗らないようにしようとしている昨今、
北京-東京を毎月2往復しているアホである。

東京には家はなく、かと言って北京に家があるわけでもなく、
東京ではドラム部屋と呼ばれるドラム倉庫に荷物を置き、
北京ではJazz-ya北京の安田のマンションに荷物を置き、
まあその日の泊まるところがなければそこに帰ると言う気ままな生活である。


ある日安田のマンションに帰ってきたら、
あらゆるところに「騙」と言う張り紙がしてある。
聞けば、もともとこのマンション内の広大な敷地は、
将来は大きな湖と公園を作ると言うことで入居したところ、
マンション側が約束を破って
そこに新たなマンション棟を建てようとしているところから事件は始まったらしい。

そう言えばある日、その広大な敷地の壁を住民達が
ベルリンの壁よろしくみんなで壊しているお祭り騒ぎを目撃したことがあるが、
それはこれが原因となっていたのかと納得した。

さてこの争いは次第にエスカレートしてゆき、
最後には人が死んだらしい。

人が死ぬと言うと、喧嘩による撲殺等を想像するがどうもそうではなさそうである。
中国人の友人の説明によるとその人が「気死了(チースーラ)」、
「気」とは怒ることで、これは通常は「死ぬほど腹が立つ」と言うことなのだが、
「だから腹が立ってどうして死んだの?」
と聞いても、「だから気死了(チースーラ)なんだよ」で埒があかない。
よくよく聞いてみると、本当に「気」して「死了」、
つまり怒って死んだ、憤死したと言うことなのである。

三国志演義じゃあるまいし、この現代で憤死などと言う死に方があるのか・・・

その死んだ人はマンション側との交渉で、
本当に死ぬほど腹が立って、そして30分後に死んだらしい。

憤死・・・なんとも凄まじい死に様ではなかろうか・・・


さて、そんなマンション騒動はお構いなく、北京のJazz-yaは好調らしく、
となりの日本料理屋「飯屋」や、焼肉屋「牛屋」、
(中国はまだ狂牛病の影響は皆無である)
そしてちょっと離れたところにあるSushi-Bar「すし屋」も好調らしい。

だいたい儲かっているところに集まるのは金と泥棒で、
泥棒対策は商店ではどこでも頭の痛い問題らしい。
牛屋には毎回決まった曜日に窓を割って泥棒が入り、
さんざん引っ掻き回したあげく盗る物がないので
タバコを盗んで帰ったりしてたらしい。

業を煮やした従業員が
赤外線アラームなどを設置して泊り込みで番をしてたところ、
やはり同じ曜日に侵入して来た泥棒と遭遇、
日ごろの恨みを込めて袋叩きにしたそうな。

泥棒さん、まさしく瀕死・・・

割ったガラス、壊した設備、盗んだタバコ、
身元を完全に調べ上げ、
損害総額の5倍額を請求、払えなければ警察に突き出すと言ったところ、
警察なんかに突き出された日にゃあ瀕死じゃすまないほどもっとボコボコにされるので、
泥棒仲間から金をかきあつめ、かなりの大金を払って勘弁してもらったと言う。

北京の泥棒さん、今や完全にネットワークがあり、
「捕まる」と言う泥棒商売の経営リスクを、このネットワークで軽減しているらしい。
金は耳を揃えて払った。

それにしても盗んだタバコに対して
払ったこの金額、そしてボコボコで瀕死ではあまりに割が合わんじゃろ・・・
泥棒家業も楽ではない。

瀕死・・・大変なリスク商売である・・・


さて、日本に帰ってきた。
以前北京で拾ったバックパッカーのTAKUROは、
帰国後羽田空港に着いた時には30円しか持っておらず、
ヒッチハイクをして何とかドラム部屋までたどり着き、
そこにあるインスタントラーメンなどで食いつないでいたようだが、
生まれ故郷の金沢にまたヒッチハイクで帰って以来数ヶ月、
何の音沙汰もないなあと思っていたが、今回久々にまた出現したらしい。

ドラム部屋の主、元ジャズ屋のバーテン南波の言うことにゃあ、
いきなり警察から電話があり、
「TAKUROさんと言う方は知ってますよね。身元引受人として来て下さい」
とのこと。

びっくりした南波は警察に出頭し、いろいろ事情を聞くと、
何やら再び東京には何とか着いたものの、
金もなければ腹も減って、
ついついスーパーにある大福を万引きして捕まったらしい。

・・・笑止・・・

日本では商店主にボコボコにされることも、
警察で更にボコボコにされることもなく、
こうして身元引受人さえあれば返してくれる。
平和な国よのう・・・


それにしても・・・大福か・・・
バックパッカーやるのも大変である。


ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:16:54

2001年09月14日

1億2千万人が見ているテレビ番組に生出演した

北京にはもう50回以上来ているが、
いつも行ったり来たりだったのでこんなに長くいるのは初めてである。
もう「住み始めた」と言っても過言ではないだろう。

・・・と言っても家を構えたわけではない。
相変わらず安田んとことか、
酔いつぶれた部屋でそのまま寝たりの気ままな毎日である。

嫁の実家は市内からバスで1時間以上かかり、
子供はその実家に預けているが、
嫁はと言えば子供の小学校の入学金5万元(約80万円。高い!)をもらった途端、
何故かすぐ日本に出かけて行った。
俺が苦労して集めた金、本当に小学校に無事納められるのだろうか・・・


こっちにいたらいたで結構仕事が来る。
こちらでは友人Sが音楽プロダクションをやっているので、
そのスタジオにほぼ毎日詰めている毎日である。

またここの賄いのメシが旨い!
お昼時になると、何もないのにここにやって来てメシを食う毎日である。
二日酔いとか徹夜仕事とかで家で寝ているとS社長から電話がかかって来る。

「何やってんの?今日は餃子だよ!」
俺がおらんと寂しいんかい!

ちょっと冷えた残り物の餃子を食ってると、
「じゃあドラム1曲叩いて」
と突然仕事が振られたりする。

このスタジオには爆風のランナー時代のドラムセットがすでに運び込まれていて、
これがなかなか名器なので重宝している。

まあドラムはお手のものなのでいいが、
ある日など台湾のプロデューサーがオーケストラを録っていて、いきなり
「そう言えば打楽器奏者まだブッキングしてないよね」
といきなり民族音楽のパーカッションをやらされる。
わけわからんまま譜面を渡され、
大太鼓やらシンバルやら風鈴やらわけわからん楽器を演奏させられて、
うーむ、これでええんじゃろか・・・

勝手にここのプロトゥールスを立ち上げてEditやら自分の仕事をしてたら、
「ねえねえファンキーさん、
この曲ってファンキーさんだったらどんなアレンジする?」
しゃーないのでMIDIでぱぱっと作ってあげたりすると、
「じゃあ今から録ろう」
そのままレコーディングになったりする。
これでええんじゃろか・・・


ある日のこと、二日酔いで寝てたら電話が鳴った。
「何してんの?今日のメシはとっても旨いよ」
俺をメシで釣るな!

それでもまたのこのこ出かけてゆくと
先日のオケにボーカルを入れている。
ここの看板歌手、陳琳(ChenLin)である。
ウィグル族の民謡を俺が本格的なサルサにアレンジして、
手が痛いのにコンガやらボンゴやら数々のパーカッションを
自分でダビングした曲だ。
ここに常駐の中国人プロデューサーが歌のディレクションしている。
プロデューサーもアレンジャーもドラマーも常駐し、
フェイウォンなどの作曲家としても知られる中国No1プロデューサーYも
よく顔を出しては、
入手したばかりのプロトゥールスのプラグインをインストールして帰ったりする。
こっちは海賊版王国なのでここのプロトゥールスのプラグインの豊富さは
恐らく世界でも群を抜いているだろう。

ここはもうすぐレコード会社も立ち上げると言う話だが、
ひょっとしたら昔のモータウンとかの勢いを感じたりした。
そしたら俺はここのアル・ジャクソンになるんか?


歌入れをよそに自分のことなどやってたら
歌入れ終わるや否やいきなり急かされて車に乗せられる。
「今日は今から中央電視台の生放送に出てもらうからね」
「ちゅ、中央電視台で何すんねん」
「陳琳(ChenLin)のバックでコンガでも叩いてよ」
「コンガ言うたって・・・んなぁいきなりな・・・」
「大丈夫、当てぶり口パクだから。1億2千万人の人が見てるからね。
じゃあ頑張って」
「1億2千万人言うたって俺・・・短パンにJazz-yaのTシャツやでぇ」
おまけに裸足にサンダルである。
「あ、それと・・・」
S社長に呼び止められる。
「中央電視台は外国人が出ちゃダメなんで、
聞かれても絶対日本人って言わないように!」

んな無茶な・・・

その昔、まだロックが精神音楽だと言われてた頃、
天津体育館で黒豹のドラマーとしてドラムを叩いた時も
「外国人がこんなとこにいるなんてことがバレたら大変なことになるから
絶対に口きくな」
と言われていたが、
中国全土に放送するNHKみたいな局に
外国人っつうのを隠して放り込まれるんですかぁ・・・
「大丈夫、何か言われたら華僑だって言っとけば」

そう言えば当時と違って今は中国語が喋れるので全然それで通る。
考えて見れば華僑であることを証明する書類などはどこにも存在しないのだ。
アメリカ華僑はアメリカ国籍だし、
当然ながら日本の華僑は日本国籍である。
ちなみに俺の子供たちは国籍は日本人であるが、
パスポートに別に「親は中国人ですよ」と記載されているわけでもなく、
関京京(グアン・ジンジン)や関天天(グアン・テンテン)などの名前は、
言わば勝手に付けた名前であってどこにもその名前を証明するものはない。
末吉覚がファンキーと名乗ったり、
その中国名「方奇(ファンチー)」と名乗っているのとまるで同じである。
中国語を喋っている限り、「俺は華僑だ」と言っても通るのである。

厳しいチェックを受けねばならない中央電視台のセキュリティーチェックを受け、
スタジオに入ると既にリハーサルが始まっていた。
しかし往年の「夜ヒット」や「Mステーション」等と違って
何とのんびりとした雰囲気なことか・・・
秒刻みの台本が配られるわけでもなく、
メガホン持ったADが血眼になって仕切っているわけでもない。

なのにいきなり陳琳(ChenLin)の番になると
後ろにバックダンサーが現れてラテンダンスを踊る。
立ち位置が厳密に決められているわけでもないので、
俺なんぞはコンガ叩きながらそのダンサーに体当たりされて大変である。

リハーサルが終わり、カメラチェックをするわけでもなく、
楽器の出し入れの段取りをおさらいするわけでもなく、
ほどなく観客が入ってくる。

そして歌手専用の楽屋があるわけでもなく、
その辺でスタッフと一緒に配られた弁当を食べる。
ちなみに弁当も中華料理である。
結構旨い!

生放送が始まっても別にそこにモニターがあるわけでもなく、
突然スタッフに呼ばれていきなりステージに上がり、
わけのわからんまま生出演である。

ダンサーももう見切りを覚えていて俺にぶつかることもなく、
バビりをやっているわけでもなさそうなのに、
パーカッションは適当な位置に配置されてるし、
カメラ絵的にもよさそうな絵面である。

北京のあらゆる道路が自転車と車とがごった返していて、
それでも無秩序の中の秩序があってそれなりに動いている。
赤信号など守る人間はいないが、
代わりに赤信号でも渡れるからいいのである。

中国社会の仕組みを垣間見たような気がした。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:09:30

2001年08月14日

北京に住み始めた。手始めは五星旗のTD

北京レコーディング

1ヶ月以上に渡る日本でのレコーディングが終わり、
残すは五星旗のTDのために北京にやって来た。
別に日本でやってもいいのだが、
北京で友人がスタジオをOpenし、
エンジニアも、黒豹のエンジニアでもあり、
五星旗の1枚目もやってもらったKEIZOと言う日本人エンジニアがいるので、
まあ飛行機代を出したとしても安くあがるし、北京TDに踏み切った。

実の話、東京のこのスタジオはもう飽きた。
飽きたのは俺だけではなく、
スタジオの従業員が俺のことをもうとっくに飽きている。
朝出社したらいて、帰る時にはまだいるんだからしょうがない。
毎朝毎朝寝起きの末吉の顔を見せられるのもどうしたものか・・・
昼夜ないもんだから、別に昼飯からビールを飲み、
自分が仕事をしているのにスタジオのソファーで酔いつぶれている姿を
見せられる従業員の気持ちはどうしたものか・・・
最後にはスタジオのビールは底をつき、
「また仕入れなきゃなんないんですけど、銘柄は何がいいですか」
と俺に聞くのもどうしたものか・・・

まあ人間関係がこじれないうちに居を北京に移したと言うわけだ。
ところが東京にも別に居を構えているわけではないのだが、
北京でも実はそうである。

嫁は子供を両親に預けて、
「職探し」と言う名目で北京の従妹のところで毎日遊んでいる。
そこに泊まるわけにもいかないので、
今回は元ビクターのOさんが借りている北京の部屋に住まわせてもらうことにした。
日本にいながら北京に部屋を持っているなんて素敵じゃない?

着いていつものようにすぐJazz-ya北京に直行する。
「頼んでたお酒、買ってきてくれました?」
安田がそう言うが、
朝から朝まで毎日レコーディングしてていつ買いに行くヒマがあるものか・・・
「いいんですよ、また今度荷物がない時に持って来て下さい」
俺の今回の山ほどの荷物を見て安田が慰める。
データが読めなかった時のために山ほどのマルチテープと共に、
嫁から持って来いと言われている家財道具の一部。
引越しの時に嫁はドラム部屋に荷物を運び込み、
その段ボールに通し番号を付けて俺が北京に来る度に持って来させるのである。
「頼んでたアレ、買って来てくれた?」
嫁が開口一番にそう訊ねる。
出発直前に国際電話がかかって来て「タンポンを買って来い」と言うのである。
仕方がないので事務所の西部嬢に大量に買って来てもらったのだが、
どうも銘柄が違ってたらしくぷんぷん言う。
「俺に頼むな!」っつう話である。

嫁はブツを受け取ったらそうそうに遊びに出かける。
お気楽なもんである。
俺はそのスタジオのオーナー、沈とエンジニアのKEIZOと飲みに行く。
「Oさんの部屋ってどこ?」
「ああ、うちの家の向かいだから送って行きますよ」
KEIZOがそう言うので遠慮なく酔って大暴れさせて頂いた。
日本からYさん、インドネシアからIさん、ベトナムからKさん、
と偶然この日はアジア関係の業界人が北京に終結し、俺は悪酔いして酔いつぶれた。
後はKEIZOが面倒見てくれる。
末吉プロジェクトのミキサーはこんな面倒まで見なければならないので大変である。

さてOさんの家にやっと着いた俺はKEIZOが持つ合鍵で部屋に入ろうとしたら、
なんと長年留守にしているのでついに電気が止められている。
中国の場合は張り紙をした後、
それでも払わなければブレイカーごと取り外して行くから物凄い。
真っ暗な中、手探りでベッドらしきところにたどり着いてそのまま寝た。

朝になってあまりの暑さに目が覚めた。
「ここはどこ?私は誰?」
となるのが普通だが、
東京でのスタジオ終了時間が半端に早い時、
仕方がないのでドラム部屋に帰って仮眠をしている状況に酷似していて、
「あ、もう9時か・・・スタジオ行かなきゃ・・・ラジオ行かなきゃ・・・」
・・・と思わず飛び起きてしまう。
悲しい性である。

スタジオに向かい、機材をチェックする。
全てのデータが読み込めることを確認してから、
試しに1曲大音量で聞いてたら電話が鳴った。
スタジオのドアの外で電話してたら風でドアが閉まってしまった。
見るとオートロックである。
カギを開けた沈はもうすでに出かけてしまい、
むなしくドアの隙間からYangYangのボーカルが大音量で聞こえて来る。
「閉め出されたんですけど・・・」
沈に電話をしたら大笑いされ、
「もうすぐ誰かがそっちに行くから待っててよ」
と言われ、ドアの前で数時間ぼーっと待つ。

大体にして北京での仕事はそうである。
以前もMACを持ち込みでやって来たが、
初日に電源を入れたら壊れてしまい、
次の日は修理に持って行くので1日、
その次の日は取りに行くので1日、
そのまた次の日からやっと仕事が始まった。
北京の風に吹かれながらドアの前でぼーっとするなど
言わば「これぞ北京」の日常ではあるまいか・・・

夜にはJazz-yaに行って安田相手に楽しそうにそんな話をする。
「いやー、電気が止まっててねえ・・・」
安田にそう言ったら
「末吉さん頼みますからうち泊まって下さいよぉ。
ファンキー末吉が電気もないところに泊まってるなんて僕が恥ずかしいですよ。
頼みますからまたそんなことメルマガに書くのやめて下さいよ」

書くもんねぇ!

Jazz-yaに行ったら、食い詰めたバックパッカーが職探しに来ていた。
世界中を旅しているTAKUROと言う22歳の若者である。
「すまんが今は労働局がうるさくって、ビザのない人間に働かせるわけにはいかないのよ。
末吉さんが面倒見てくれるかも知れないから言ってみぃ」
かくして毎日腹が減るとTAKUROがスタジオにやって来る。
面白いのでメシ食わせてビール飲ませてほったらかしている。
無銭旅行の土産話のギャラがメシとビールと言うわけだ。

使えるお金はあと300元、ホテル代は25元なのであと10日余りが勝負である。
「25元のホテルっつうのは凄いよねえ。どんなとこなの?」
バックパッカーの溜まり場であるが、
35元出せばクーラーがあるらしいが、25元はクーラーなし。
それでも俺の住んでいるOさんの家よりはマシかも知れない。

TAKUROはホテルまで2時間歩いて帰ったが、
俺はさすがにタクシーで帰宅する。
もちろん今夜は蝋燭を準備して帰った。
キャンプ生活のようでなかなか楽しい。
ガスが出ないので水シャワーを浴びてみる。
考えて見ればこれって俺の日本での生活とあんまし変わらん・・・

「末吉さんて人生がバックパッカーみたいなもんですからねえ・・・」

買い物をしようと外に出て、安田のこんな言葉を思い出してニヤニヤしながらドアを閉めたら、
ここもオートロックであることに気が付いた。

ひえーっ・・・

「うちのホテルも遊びに来て下さいよ。バックパッカーばっかで楽しいですよ」
TAKUROの言葉を思い出す。
うちの上の子供は天津の友人宅に遊びに行ってると言うので、
レコーディング終了したらTAKUROと一緒に天津にでも行ってみるか・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:17:40

2001年06月16日

北京で黒豹のライブに遭遇

北京に来ている。
いや、帰って来ていると言うべきか・・・実は全然実感がない。
まあ当分は行ったり来たりだし・・・

今月で東京は宿無しとなる俺だが、北京にとて別に宿があるわけではない。
Jazz屋の安田や友人宅を転々としていればそれでよい。
子供たちがいる嫁の実家は北京市内から車で1時間と遠く、
そこに帰るには車をチャーターして、ちょっとした小旅行なのである。


いやしかし安いと思ってた北京の物価も、年ごと日ごとに高くなって来ている。
医療費は無料のはずの共産主義は崩壊し、
中国的特色の社会主義では全額が本人負担である。
ヘタしたら日本よりはるかに高い。

小学校の入学金が3万元(約50万円)と言うからキチガイ沙汰である。
普通の人民はどうやって生活しているのだろう・・・
またうちの子供の国籍は日本なので、外国人はよけいに高いのね・・・
ちなみに嫁の実家、燕山と言う街では唯一の外国人がうちの子供である。

嫁も国籍が日本となったので、いきなりここでは住みにくい。
外国人には何もかも高い国なのよ、ここは・・・

そんな外国人や、
日本人の人口より恐らく多いであろう日本人より金持ちの人達相手
に商売しているのがここJazz-ya。
北京No.1のバーに選ばれ、日本料理屋の飯屋、寿司バーのSushi-ya、
そして焼肉屋の肉屋、とどんどん増殖している。
値段も日本とほぼ変わらないのに連日大繁盛である。
これを支えているのが安い労働力。
田舎から出てきた従業員の給料では
俺のように連日ここで酔いつぶれることは夢また夢である。

白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫がいい猫だ!
豊かになれる者から先に豊かになりなさい!
と言うこの国は、中国的特色の社会主義と言う名の資本主義。
日本は資本主義と言う名の理想の共産主義。
1億総中流など、世の思想家達が夢に見た理想の共産主義国家なのである。

でもなんで俺はまたこんな街でいるんだろう・・・


昨日、CDカフェと言う小さなJazzクラブで、黒豹のライブがあった。
精神汚染音楽だった当時の北京で、
アンダーグランドな活動を余儀なくされていた彼らも、
今はスタジアムを満パイにし、大金持ちになって太って、
「自分の商売が忙しくてバンドなんてやってらんない」
と言う状況である。

ドラムの趙明義は株を買ったか何かで今やCDカフェのオーナーである。
外国人が唯一Jazzのライブが見られたこの店も、
中央電視台のイベントやらロックバンドやら、
無節操にオーナーがブッキングするもんだからとんと客離れと言う噂である。

「おい、たまには集まって音でも出そうぜ!」
・・・てなことでこの日はメンバーが気楽に集まったのか・・・
いや「中国人はあんたと違うんだから」と言う嫁の声が聞こえそうである、
生力ビールの思いっきりのタイアップ・・・金の匂いがぷんぷん・・・

何から何まで生力ビールの店内には客がまばら・・・
オープニングアクトの若いバンドの演奏が始まる。
確実に数年前の北京のバンドよりはるかに上手い!
サウンドも完成されていてケチのつけどころがない。
「みんな上手くなったよなあ・・・」
何やらつい感心してしまう。

俺が初めて地下クラブで黒豹を見た時、
奴らはお世辞にも上手いとは言えなかった。

しかし俺はそれを見て、今ここにいる。
あの日を境に俺はここ北京にいつも・・・いる・・・

オープニングアクトの演奏が終わり、黒豹が始まる頃には客席はほぼ満パイ。
しかしあの日とどこかが違う。
あの日、パンクスに連れて行かれたあの地下クラブにはもっと・・・
危険な空気・・・ヤバイぞ、ここは・・・と言うのがあった。
ここはすこぶる健全である。外の世界と変わらないのである。

演奏が始まる。
彼らの曲は老歌と新歌とに大きく分けられる。
老歌は昔のヒット曲。新歌はメンバーチェンジをし、今の黒豹のナンバーである。
ステージは老歌から始まった。
「這是新的中国!(これが新しい中国かい!)」
こんな歌詞を歌詞カードから見つけて鳥肌が立った彼らの1枚目の曲。
今では彼らこそがそんな「この新しい中国」の代名詞である。

ひとり客席で俺は当時、初めて彼らを見た時にトリップしていた。
ここには秦勇ではなくドウ・ウェイがいて、そしてあそこにはルアン・シューがいた。
リー・トンの髪の毛も当時の中国では街にはまず見かけなかった長髪だった。
お世辞にも上手いとは言えないその演奏・・・
感心はしないが、しこたま感動した・・・

そんな当時の彼らを、今の彼らを通して見て感動している・・・

今の黒豹は言ってみれば
ロジャー・ウォータースの抜けた後のピンクフロイドのようなもんである。
それを見に来てノスタルジーで感激している俺は、
再結成ラウドネスを見て涙している最前列のファンと同じか・・・
でもラウドネスに青春を捧げて婚期を逃したファンはいても、
俺ほど人生を踏み外した人間はいるまい・・・
3月まででやめようと思ってた二井原も、
最前列で涙流してるファンを見てもう半年続けようと思ったと言うが、
最前列で40過ぎの日本人ドラマーに涙しながら見られてても
そりゃ黒豹も演奏しづらいじゃろ・・・

老歌なんぞ演られた日にゃあ、俺はすぐにあの場にトリップしてしまう。
「この曲もあの日に聞いた。この曲もあの日に聞いた。
そしてこの曲はあの日に叩いたじゃないか・・・」
11年前の思い出が走馬灯のように思い起こされる。

老歌はもちろんのこと新歌も懐かしい。
唐朝のベーシスト、ジャン・ジュィーに宛てた追悼曲・・・
友達が死ぬなんて一生のうちに何回あるだろう。
この30代で俺はふたりのミュージシャンの友人を亡くしている。
思えば俺の30代はかなりドラマチックである・・・

俺の30代、俺の中国はヤツらによって始まって、
そして今もヤツらと一緒に・・・いる・・・
黒豹がどんなに肥え太って、商業主義の権化となって、
どんな無様な姿を晒そうとも、俺はいつもヤツらと一緒に・・・いる・・・
俺は最後までヤツらと一緒にいて、
黒豹の、いや俺の人生を変えた中国ロックの最後をこの目で見届けたい。


そんなことを考えながら、今から来週日本に帰るチケットのリコンファームをする。

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:20:50

2001年01月22日

北京で久々にライブ。やっぱ北京もええとこやなあ・・・

零下18度だと聞いていたのでどれだけ寒いかと思って、
モモヒキの上にジャージを着込んでからオーバーオールを着て、
XYZのファンからプレゼントされた防寒ジャンバーを羽織って北京空港に降り立った。
「あれ?想像してたより全然寒くないねえ」
同行した和佐田や団長がそう言う。
「本日の気温は零下4度で御座います」
ガイドさんがそう言うのを聞いて
「それは暖かい!」
とつい思ってしまうのは、
言い替えると、「うちの嫁が怒ってないから最近優しい」と言うのと同じである。
人間の順応性と言うのはまことに偉大だ。

「末吉さん、来週スケジュール空いてません?
李波の結婚式をプーケットで挙げるんですけど末吉さんも来れません?」
李波とはJazz-ya北京の実質的社長。
最近は人民代表にも選ばれ、偉くなっている。
「中国人が春節でみんなタイに行くんでホテルがとれないんです、
末吉さん最近タイで仕事してるって言うから、
そっちのコネで何とかホテル押さえられませんかねえ」
中国人もめっきり豊かになって、
ビザも取りやすいと言うことから旧正月はこぞってタイのリゾートに出かけるのだ。

さて俺はと言えばこの2週間の間に、
摂氏30度近いタイから零下4度の北京に降り立ち、
またすぐにそちらに戻って行こうとしている。
環境にすぐ順応してしまう自分が情けないが、
出来ることならずーっと一生南国で暮らしたいものだ。
とにもかくにも、また常夏のタイに戻れることは真に嬉しいもんだ。

さて、そんな末吉の最近のタイ好きを受けて、今日のお題。

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北京やっぱりいいとこ、一度はおいで・・・
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いつぞやから北京に魅力がなくなり、足が遠のいていた。
タイプロジェクトも始まり、またタイ人の心優しさに惹かれ、
そしてタイで頑張る日本人のたくましさに刺激され、
仕事もあるので足げにタイに足を運んでいるのを、
Jazz-ya北京の安田をはじめ、
末吉のせいで人生を棒に振って北京に身を投じている多くの人々は
内心それをあまり面白く思ってなかったと言う。

私の著書、「大陸ロック漂流記」は、
北京の留学生や日本にいる中国ロックファンの間ではバイブルになっていると聞く。
それに影響されて「ロックの聖地」北京に足を運んだ人も少なくないと言う。
その著者が「もうやめた」はないじゃろ!と言うことである。



今回友人の結婚式に呼ばれ、
和佐田や団長と一緒に結婚式で演奏して花を添えたのだが、
その夜、地元のバンドと一緒にライブをやらないかと持ちかけられた。
仕掛け人は小龍と言う、ついこないだまで北京の日本人留学生だった男。
今は帰国して、親の事業の一環として
渋谷パルコPart2の7Fで小龍茶館と言う中華レストランをやっている。
帰国した留学生によくあるのだが、
やはり北京が好きで、何とか中国と関係ある仕事をやりたいと言うことで、
どうせ親の会社で店を立ち上げるなら中華系にして、
買出し等の理由で北京にまた来れるじゃないかと考えてのことである。

行けば必ず地元のバンドのライブを企画すると言う彼だが、
今回たまたま俺たちと同じ時期に北京に来ていたと言うことで、
彼が一番入れ込んでいる「痩人」と言うバンドと俺たちとのライブを組んでくれたのだ。



俺が最初に足を踏み入れた10年前とは違い、
今は北京でも世界中の情報がリアルタイムで手に入り、
楽器や演奏出来る場所も容易に準備出来る。
ちょっと大げさだが「ロックやるのも命がけ」と言う当時とは全然違うのである。
黒豹をはじめ、ロックで大成功して大金持ちになった人たちを見ながら、
いとも簡単にファッションや金儲けでバンドを始める。

去年二井原と北京に来た時、地元のパンクバンドの演奏を聞きに行った。
演奏もヘタ、音楽性も流行りのハードコアそのもので面白くなく、
人間のオーラもパワーも皆無で、聞いてて退屈なことこの上ない。
そのくせ口を開けば、
「俺たちは満たされてない。
世の中は矛盾に満ちている。
俺たちは世界を変えるんだ!」
アホかい!と言うやつである。

俺が初めて北京に来た時、偶然地下クラブで黒豹のライブに遭遇した時、
同じようにヘタクソだった彼らの演奏には何かがあった。
ワクワクするような、ドキドキするような、
「こいつらはこの国の何かを変えてしまうに違いない」
と言う圧倒的なパワーやオーラがあった。
実際彼らはこの中国の音楽界を変えた。
売ってはいけない精神汚染音楽とされていたロックが海賊版で全国に広まり、
ロックは金になると知った政府はロックと手を結び、
当時放送で流してはいけなかった精神汚染音楽は、
今や若者の文化として堂々とテレビ、ラジオで紹介される。

それを見て聞いて育った次の世代の若者が、
容易に楽器を手に入れ、容易に情報を手に入れ、
楽器の練習をすることもなく容易にステージに上がり、
ファッションでパンクを気取ったって、
俺はお前らに世界が変えられるとは思わんよ。

でも君らの先輩達は中国を変えた。
ロックを変えた。
そう、ある意味、商業的にね。



一昨年の黒豹のオリンピック・スタジアム8万人コンサート。
偶然彼らの節目節目の大きなコンサートに遭遇する俺だが、
北京で開かれるロックコンサートとして歴史上最大であったこのコンサートは、
後で思えば、ある意味、中国ロック終焉の宴であった。

その後彼らはオリジナルアルバムを出していない。
俺の親友でもある彼らの元社長のシェンは俺にこう言った。
「奴らもうやる気なんかないよ。
レコード出したって海賊版で金になんかならないしさぁ。
みんな金儲けに忙しいもん。
集まってリハーサルして、集中して頑張るのもめんどくさいしさぁ。
それぞれ自分の商売に精出してた方がよっぽどいいんだよ」

俺の世代のロッカーはもうダメ、新しいロッカーは話にならないんじゃぁ、
こんな国のどこが面白い?
思えばそんなこんなで気が付けば足が遠のいていた俺であった。



結婚式の2次会終了後、迎えに来た小龍のタクシーに乗せられて、
海定区にあるライン河と言うバーの門をくぐった。
10年前はマキシムと外交員クラブぐらいしかロックが出来なかった時代とは違い、
こんなバーは今や北京に数限りなくあり、
昔と違って門をくぐった瞬間に感じる「ヤバいよ、ここ」と言う緊張感がない。
全てが「普通」なのである。

9時から始まる予定だった痩人の演奏は、10時を回った今でもまだ始まっていない。
「先に始めといてくれればいいのに」
と言う俺の意見を聞き入れず、
客を何時間待たせても俺たちが着くまで演奏を始めるなと指示していたのだ。

「よう!ファンキー!」
昔の仲間の顔がちらほら見える。
「ファンキーごめんねぇ」
李慧珍が遅れてやって来た。
初めて出会った時は田舎丸出しの小娘だった彼女も、
俺がプロデュースしたデビューアルバムがヒットして、その年の新人賞を総ナメ。
しかしその後、事務所と契約で大モメ。今はホサれている。
どうせなら何か1曲一緒にやろうと呼び出していたのだ。
ギタートリオでインストの曲ばかりしか出来ないので、
名前もあるし、せっかくなら花を添えてもらえば助かる。

痩人の演奏などそっちのけで、楽屋で和佐田と団長のために譜面を書く。
譜面渡されてすぐに弾ける彼らはまことに便利である。
軽く構成等を打ち合わせした後、李慧珍は楽屋を出て彼らのステージを見に行く。
うちの嫁が前回里帰りをした時、彼女に連れられて彼らのステージを見に行って、
「痩人、よかったわよ。私が黒豹のライブに通ってた頃を思い出しちゃった」
と言ってたのを思い出した。
「まあ、後で本人達と酒飲む時に、見てなかったでは悪いので、
ちょっとだけ覗きに行こうかな」
ぐらいの気持ちで客席に行ったら、これが思いの外かっこよくてびっくりした。

「為了自由歌唱!為了自由歌唱!」
ハードコアのようなファンクのようなサウンドに載せて連呼する。
「和佐田ぁ、ごっついええでぇ。見においでや」
譜面をおさらいしていた和佐田も
「ツェッペリンとかを彷彿させるバンドやねえ・・・」
と誉めていた。
「まずいなあ・・・こんな雰囲気でインストなんかやってもどっちらけやでぇ・・・」
客席の盛り上がりを見て心配する俺を、
「大丈夫、団長は1曲目から絶対凄いソロやるから、ほら」
和佐田に促されて客席に目を落とすと、
ギターを弾く時以外は無口で病的に内向的な団長が
客席で熱心にステージをチェックしていた。

痩人の演奏が大盛り上がりで終わり、
そのまま俺たちはステージに上がってセッティング。
だらだらとセッティングが終わってそのまま演奏が始まった。
1曲目から団長と和佐田はかなり気合の入れたソロを披露し、俺に渡した。
煽られて、俺も養生している手首をかまうことなくドラムソロをやってしまう。
2曲やってMC。
最前列1列は噂を聞きつけた日本人だが、大半は中国人なので中国語でMCをとるが、
思いの外ウケているのを実感する。
ジェフベックの曲を2曲やった後、李慧珍を呼び込んでセッション。
その後は最後の曲である。
お決まりのように団長はソロでギターをぶち壊し、アバンギャルドに幕を閉じる。
笑いと驚愕と大歓声の中、俺たちはステージを降りる。

「よかったっす、本当にありがとう御座います」
小龍が感激して声をかけて来る。
「凄いわぁ、ボーカルもいないのにこれだけ客を掴むなんて、なんて実力なんでしょ・・・」
李慧珍が感激して楽屋に来る。
「バンドと一緒にライブしたのって久しぶりよ」
中国では、歌手はカラオケを持って歌いに行き、
ヒット曲を歌って日本円で数十万もらって帰る。
海賊盤が売れて儲かるのは、
その海賊盤業者だけではなく、営業値段が釣り上がる歌手自身である。
ちなみに中国のプロダクションシステムは、
日本のとは違い、手数料制の日本で言うインペグ屋と同じである。
投資は事務所やレコード会社がして、儲けは歌手が全部持ってゆく。
これでは投資なんかしようと言う会社などいなくなるわけである。

楽屋で酒盛りが始まる。
痩人のメンバーが酒を振舞い、ロック談義に花が咲く。
「小龍は俺の義兄弟さ」
そう言う彼らを見て、10年前の自分を思い出した。

今回のこのライブ、主催は小龍個人。
経費は全て彼の持ち出しである。
北京のロックミュージシャンに刺激を与えたいと言う理由で、
我々の渡航費の3分の1を負担すると申しだしたのも彼である。
俺はともかく和佐田や団長のギャラを自腹で出すのも自分である。
そんな援助を受けながら痩人はその才能を磨き、もっと大きくなってゆくだろう。
そして家を買い、車を買い、女をはべらせて肥え太ってゆき、
最後には金儲けに忙しくなってバンドなどやってられなくなるのだろうか。

「ファンキーさん。痩人、どうでした?」
小龍が恐る恐るそう聞く。
「いや、物凄くいいバンドだと思うよ」
小龍の大きな目的の中に、この末吉のこのバンドを見せることがあったことはまぎれもない。
「それじゃあ、俺たちの素晴らしいお兄さん、ファンキーと、
日本から来てくれた素晴らしいミュージシャン達に乾杯!」
小龍の思惑通り、痩人と俺たちはこうして友情を深めてゆく。

あの時、同じように黒豹に朋友と呼ばれ、北京に足げに通い詰め、
安田と「中国人から1元でも取れた時に乾杯しましょう」と、
将来は移住するつもりで全財産をこっちに持ち込んで、
結局、商売としては安田は1元どころか巨大なBarを大成功させ、
音楽としては俺は相変わらずまだ李慧珍のために何かをやってあげようとしている。
そんな俺も今では「朋友」ではなく「お兄さん」になった。
そして10年前の俺のようなバカがこうして、
新しい世代のバンドに入れ込んで「お兄さん」を担ぎ出そうとしている。

為了自由歌唱!
自由の為に歌を歌う!

彼らが本当に自由の為に歌を歌っているのかどうかはわからない。
「中国人なんてみんなお金のために歌っているに決まってるじゃない!」
同じ中国人であるうちの嫁が笑いながらそう言う。

どっちでもいいや、かっこよければ。
ウソだって何だって、俺は感激さえさせてくれるなら何だってやるよ。



XYZの100本目のライブを初めて見に来た男の子からMailが来た。

「誉めることはいろんな人が言うでしょうから、
僕はちょっと物足りなかった部分をMailに書きます。
僕はいつもB'zとか、ユーミンのコンサートを見ているので、
照明や特効もないステージははっきり言って退屈でした。
あと、各人楽器のソロをやられてましたが、
僕は楽器のことはよくわかりませんのであまり面白くなかったです」

まあそう言われても俺達にはどうしようもない。
照明や特効で彼らにかなう資金力は俺達にないし、
まあ楽器に興味のない人に感激を与えられなかったのは、
言ってみればパフォーマーとしての俺達の技量の不足かも知れないが、
まあひょっとしたら彼を満足させることが出来るステージは
俺達には一生出来ないんじゃないのかなあ・・・。



音楽の楽しみ方は人の勝手である。
Aみたいなのが好きな人がいて、Bみたいなのが好きな人がいて、
どちらも人の勝手だし、
でもその人数によってメジャーかアンダーグランドかが決まる。

中国でも体育館でやる歌手はメジャー、
ライブハウスでやるロッカーはアンダーグランド。
しかしある瞬間からそれが逆転した。
お決まりのオムニバス歌謡ショーよりもロックバンドの方が客が入るようになった。
そしてそのロックが歌謡ショーと変わらなくなってゆく。

精神汚染音楽とされている音楽を海賊盤で入手し、
それに熱狂して地下クラブに通う時代は中国ではもう過去のものなのである。
人々はテレビやラジオでヘビーローテーションの曲を聞き、
街で大きく広告が打たれている商品を手にする。
「売れるか売れないかなんてどれだけお金をかけたかだよ」
そう言い切るシェンの手がけた歌手の看板を街角でよく見る。
彼から頼まれて俺がアレンジした彼女の曲もチャートに入っていた。
この街はもう日本となんら変わりはない。

感心はするけど感動はしない音楽が多い昨今、
むき出しの裸で俺を感動させてくれた北京のロッカー達のために、
俺は俺なりに感謝とリスペクトを込めて、いろんなことをここ、北京でやって来た。
そしてそんな俺達の世代のロックは終焉を迎え、
しかし次の世代のロックには次の世代の俺のような奴がそばにいて、
俺と同じようなバカをやっている。

バカはいい。
感心はしないが感動する。

まあそんなバカがいる限り、俺も中国からは卒業出来ないかな、
なんて考えてる俺は、やっぱバカな「お兄さん」なのかも知れないなあ・・・

なんてことを考えてしまった極寒の土地、北京。
ちょっと心は暖かかった。



ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:14:00

2000年09月20日

疥癬(かいせん)完治して北京に向かう

疥癬ついに完治!
そして俺は北京へ・・・
(例によって飛行機の中)

通常疥癬の治療には3クールに分けて治療するそうだ。
1クール1週間である。
週の最初にガンマなんたらと言う疥癬虫を殺す薬を塗る。
次の日の朝はシャワーにてガンマなんたらを洗い流して、
全身にオイラックスとか言う、
こりゃ痒み止めなのか疥癬虫を殺す薬なのか、
聞くとこによるともともとは疥癬の治療薬として開発された薬を塗る。
そして夕方にはまたガンマなんたらを塗る。
後は週末までオイラックスだけを塗り、
次の週はまたガンマから同じ工程を繰り返す。
通常ここまでで疥癬虫はまず死滅するらしいが、
大事をとって2週目、3週目に突入するのだ。

聞くところによると、
疥癬虫と言うのはこれらの薬を塗るとほぼ確実に死滅してしまうが、
疥癬だと知らずに別の薬を塗ると、
たちどころに全身に広がってしまうと言う。
どうも俺の場合はそうだったようだ。

全身に広がってしまったので仕方が無いので全身に塗る。
ぼつぼつは出て無くても、
ひょっとして衣服に、また布団にタオルについていた虫、もしくは卵が、
なにかの拍子にまた肌に付着しているかも知れない。
それがまた孵化して卵を生み・・・
ああ考えただけで恐ろしい・・・
この恐れがあるから2,3クールの治療が必要なのだ。

そしてお風呂にはムトーハップと言うのを薬屋で買ってきて、
それをキャップに2杯ほど垂らすとあら不思議、
自宅の風呂が草津の温泉に・・・
早い話、硫黄の温泉は皮膚にええのね、
ダニも殺すと言うし・・・

温泉好きの俺は、
実は北京にまでこのムトーハップを持ちこんで来ている。
疥癬は治ってもムトーハップはやめられなくなってしまったのだ。

部屋やベッド等の消毒はスミスリンと言う粉製の殺虫剤を買ってくる。
田舎の肥溜めなどでウジを殺すために撒く農薬みたいなアレである。
マスクを水で濡らして、吸い込まないようにしながら、
自分の部屋のベッドにスミスリンを撒くっつうのもなんとも情けない。
夜寝る前はそれを掃除機で全部吸い込んで綺麗にしてから寝る。

嫁から枕や掛け布団は没収されている。
2次感染の防止のためであるが、
敷布団もない殺虫剤臭いマットの上で、
枕も布団もなくごろんと寝る姿の侘しさよ・・・
これでは酔っ払って公園のベンチで酔いつぶれている日々とさほど変わらん。

実は今度の北京行きで一番楽しみなのは、
ホテルで枕と掛け布団のあるベッドで眠れることなのである。
あー情けなし・・・

そして聞くところによると、
病院なんかでは体力のない老人から感染してゆくと言うので、
これはニューヨークのハードなスケジュールで老人並に体力が低下していたために、
俺だけが感染し、発病したとみられる。
要は体力の問題である。

だからと言うのもあって、
香港から帰国し、上海がドタキャンになったのをいいことに、
3日間ひたすら寝るだけの生活だった俺だが、
上海からの帰国予定日だった日からはスケジュールがてんこもりである。
だいたい海外の仕事が多い昨今、
日本にてラジオ3本とテレビ1本を抱える生活はどうにかしている。
朝10時からNHKに詰めて中国語会話の収録をする。
終了を待って原宿にラジオの収録。
しかしここでは平行して五星旗のTDが行われているので、
終了後すぐさまそちらに飛び込む。
次の日の朝までにはマスタリングに入れなければならないので、
結局朝までかかってぎりぎり全曲TDを終わらせる。
マスタリングスタジオに放り込んで、
取り込んでもらってる隙に病院にて最終検査。
まだ疥癬虫が生息しているようだったらさらに3クール目に突入する。
しかし病院での検査結果は「問題なし」。
晴れて完治の身となった。
バンザーイ!

喜んでばかりもいられない。
祝杯をあげるヒマもなく、マスタリングスタジオに引き返し、
レベルやサウンドなどの最終変更をする。
X.Y.Z.の場合、橘高文彦と言う優秀なディレクター役がいるので、
俺は別にへらへらと酒を飲んでればいいが、
五星旗の場合、俺がやらねば誰もやる人間がいないので、
シンバルの大音量にてハイ落ち難聴になってる老人耳を駆使してあーだこーだ言う。
俺、実は苦手なのよ、このテの仕事・・・

最後にNYでのライブ音源も収録しようとなって、
早めに取り込んでもらう予定だった音源をチェックすると、
あら、Kingのマスタリングルームってリバーブやマルチトラック編集設備がないのね。
じゃあどうする?
俺のパソコンにまず取り込んで編集して、
それをマスタリング・コンソールに放り込むしかない。
取り込む周辺機器からソフトまで全部揃っている自分が恐ろしい。
スキャナーからCD-R、ケーブル等まで全部持ち歩いている。
おまけにパスポートも持ち歩いとるんで、
俺は実はこのまま北京に旅立ってもいいのだ。
俺に家などいらんのよ、実は。

夕方からのラジオの収録にはとうてい間に合わないので一本電話を入れて、
ようやくたどり着いたスタジオで一言。
「俺って気がついたらもう36時間ぶっ続けで働いとるのね」
3日間、眠たくなくても寝てた生活をしてた俺はもうハイである。
収録が終わり、家に帰ってムトーハップの風呂に入り、
「じゃあ飛行機出発のぎりぎりまで寝るぞ」
と思ってたら、
数時間後にぱっちり目が覚める。
おいおい、眠たかったんちゃうんかい!
仕方がないので五星旗のライナーノーツとかを朝まで書く。
子供が起きて来るので、
完治した腕でとりあえず抱いてやる。
おいおい、俺、寝んでええんかい!

そしてまた機上の人である。
寝ればいいのにまたこんなアホな文章を書いている。
海外に行けば日本でいるよりもスケジュールがゆるやかになる俺であるが、
北京だけは別である。
会わねばならない人間は多いし、
嫁の親戚へのことづけ物が山ほど託されている。
もうここは外国ではなく、久しぶりの里帰りに近い。

しかし今回の北京行きは久々に自分主導のユニットではない。
Pont Boxなどでおなじみの佐山雅弘さんのユニットにドラマーとして参加する。
思えばもろJazzの仕事は久々である。
実に楽しい。
自分のプレイ以外に責任がないからである。
ドラマー以外のいろんな顔を持つ生活から、
純粋にドラマーだけに戻れる瞬間である。

しかし周りは純粋にそうはいかない。
ここ最近北京からMailや電話がひっきりなしに入っている。
「北京でライブやるって一体どこなんですか」
とか
「泊まりはどこなんですか」
とか俺を捕まえたい連中がてぐすね引いている。

成田から北京の安田に電話する。
「今から行くでぇ」
「知ってますよ。一体どうなってんですかぁ。
末吉さんのライブはどこでやるのかとか、
チケットはJazz屋で買えるのかとか、
全部問い合わせはJazz屋に来るんですよ」
情報が口コミしかないこの国で、
俺が北京に行くと大騒ぎになるのはここ、Jazz屋なのである。
「すまん、俺のユニットじゃないんで、実は俺なーーーーんにも知らんのよ。
泊まるところも知らんし、明日どこで何時にやるかも知りまっしぇーーん」
こんな無責任な旅も久しぶりである。

CDカフェと言う老舗のJazz Clubでやる予定だったのがドタキャンになったと聞く。
アジアの仕事はドタキャンばっかりかい!
代わりに中国大飯店とやらのJazzバーでやるらしい。
うーむ、ようわからん。

後は久しぶりに北京のJazz屋に行って飲むとしよう。
どうでもええけど、ここのJazzのCD、
全部うちから持って行ったもんなんですけど・・・
ぼちぼち返せと言いつづけてもう数年。
今回は全部パソコンに取り込んでから帰るとするか・・・

ファンキー末吉

Posted by ファンキー末吉 at:12:20